科学を活用して魔術界に革命を!
この俺、朱の魔術師は思う。学問こそ世界の礎である、と。
だから、魔術学会でもそれを強く主張するのだ。
とにかく、この世界の魔術理論はひどく、それも致命的に手ひどく遅れていた。
整数論は数学の女王である。
偉大なる数学者、『数学の王』フリードリヒ・ガウスの残した言葉である。整数論は美しい理論で構成されている。そして、他の分野の数学公理をよく利用することはあるが、整数論自体が他の数学分野に貢献することはない。
つまり一方的に貢がれているだけの美しい存在。
例えるならば確かに、まさに女王、という立ち位置にある。
しかしそれは嘘であった。
暗号論、符号論という強力な学問において整数論が活用されるのだから。
「――数学。まさに神が与えたもうた完璧な言語だと思うんだが」
「何を小癪な! この魔術学会でよくぞそこまで法螺を吹けるもんだ! そこまで大口を叩くなら見せてみろ!」
ギャラリーの一人が吠えた。
旧来の魔術学者らしい。どうやら、精霊魔法の大家らしく、『火の精霊』『水の精霊』『土の精霊』とかいうロートルなパブリックドメインを開発したらしいが、どうでもいい。
まあ確かに、火の精霊とかいう概念は誰にでも想像しやすい。火の精霊のおかげで火が起きている、というイメージを想像するのは楽だ。
それに甘えて魔術を構築する人がいる、というのも頷ける話だ。
「では、手始めに。最小情報量でフレア・トーネードを生じさせましょう」
「ほう! 最小とは『偉大なる炎の精よ! 古の契約に因って我に力を貸したまえ! フレア・トーネード!』ではないのか!」
「もちろん。……さあ、私の手のひらに注目していただきたい」
手のひらに浮かぶ呪文は全て、情報源符号化により冗長性を排除されエントロピーを極力減らされている。
見慣れない数字の羅列。
ギャラリーは全員面食らっていた。
この世の呪文は非常に冗長で、不必要な情報を含みすぎている。
例えば、『偉大なる炎の精よ! 古の契約に因って我に力を貸したまえ! フレア・トーネード!』など、この世の詠唱は、かなり無駄が大きい。
例えば、どう圧縮できるか。
KWIC(keyword in context)に掛けて、キーワードを抜き出す。その関連性の高い言葉もそこから同時に推定。当然、普通の会話は「私」→「は」というように関連性が強い。キーワードごとに連鎖的に作られる多重マルコフ過程情報源をここで生成するわけだ。
特に『炎の精』『古の契約』『フレア・トーネード』は支配的なキーワードであると見なせる。『偉大なる』だとか『~よ!』だとかは従属的なフレーズに過ぎない。
さて、KWICにかけることで、単語の生成確率が得られ、各単語の相対頻度が得られる。
これを下に最尤推定法を行う。
ここまでが不必要な情報を減らすための第一段階。
第二段階。置き換えだ。
出現確率の多い単語を短い記号に、出現確率の少ない単語を多い記号に置き換えるのだ(ハフマン符号化)。
例として、『人民の人民による人民のための政治』という言葉を0、1、の二値符号に置き換えるとしよう。『人民』という言葉は三回、『政治』という言葉は一回しか出てきていない。
『0』を単語の終わり、という意味の記号にし、何個『1』が並ぶかで単語を決めるとき、『人民』 = 110、『政治』 = 10よりも、『人民』 = 10、『政治』 = 110、のほうが合計の長さが短くなる。
「人民 人民 人民 政治」 → 「110 110 110 10」、「10 10 10 110」、この通りである。
そう、出現頻度の多い単語を少ない情報ビットの記号に置き換えるほうがいいのだ。
どこまで圧縮できるか、という圧縮限界は情報源エントロピで定義される。(確率)×log{(確率)}、これに文字長(10文字なら×10倍)をかければ限界ビットが得られるのだ。
基本的にハフマン符号化は情報圧縮という意味では最適な符号化方法である(このような最適に圧縮された符号をコンパクト符号という)。
その時間効率、コストなどを考慮して、さまざまな符号化理論を適時使用すればよい。
「は! なんだその数字の羅列は! 全く呪文ではないではないか!」
「呪文ですとも。111011111010110……」
「ふざけたことを! 第一、文字数が増えてしまっているではないか! これは滑稽だな!」
「可逆性を無視すれば、フーリエ変換を施してしまえばさらに圧縮できます。……文字数が増えても情報量は減っているのですよ。この世の語彙は五十万文字以上といわれていますが、この方法なら僅か二文字を覚えればよいのです」
「だからなんだというのだ! 文字数が増えてしまっては覚えるのに苦労が」
「だから、語彙が減ったので覚えなくて良くなるのです。魔法陣や魔道具に覚えさせましょうよ。そういう面倒くさいことは、ね?」
会場がざわついた。
俺の発言の要旨は、つまりこうだ。1101011……などの、二文字だけの文字列は簡単だ。有るか、無いか、だけなのだ。つまり機械でも道具でも記憶できる情報なのだ。
これを一体何に覚えさせたらいいか。
例えば磁気デバイスなどがいいだろうか。ブロックごとに記憶ビットを作る。記憶ビットの中身は磁性体だ。上下のN極S極、このパターンは二つ。磁気をかけて記憶させるのだ。
このようにして1101011……などの、二文字だけの文字列は記憶されてしまう。
磁気デバイスじゃなくてもいい。
魔術の世界なのだから本当に何でもありなのだ。現代科学では難しいスピントロニクスでさえ、魔術でちょちょいのちょいなのだから。
そう、物体は原子で構成されており、その周りを電子が飛び交っている。だからその電子のスピンする方向を弄って、右周り、左周り、と記憶させてしまうのだ。
その数いくらほどか。
十二グラムの黒鉛には6.0×10^23個の炭素原子が含まれている。僅か十二グラムに6.0×10^23ビット = 75 000 000 000 テラバイトの情報を記憶できる。もちろん、黒鉛なんかは記憶に適していない素材なので、半導体を用いることになるし、あるいは高機能分子なのだが、せいぜい数桁効率が落ちるだけだ。
「とまあ、記憶なんて僕たちのすることじゃないんですよ。僕たちがするべきことは、魔石の中の電子のスピンに情報を記憶させ、それに『火の魔術使いたい』『水の魔術使いたい』と念じることなんですよ」
「ば、……ふざけている! そんなことが可能なものか! 第一、どうやって魔法を正確に発動できるのだ! 『火の魔術使いたい』と思ったところで! 『フレア・トーネード』なのか、『フレア・アロー』なのか、魔石には判断できないじゃないか!」
「Structured Query Language(関連データベース検索言語)を作れば良いんですよ」
簡単だ。インデックスを振ればいい。目印、目次、というほうが分かりやすいだろうか。
『フレア系』『トーネード系』とかいうようにインデックスを作って、すぐに参照できるようにすればいい。
「そうすれば、この世の中で覚えるべき魔術が二つになります。一つ、検索魔術。一つ、マナの注ぎ方。……この二つだけで! この世の中の人たちは、どんな魔法でも、記録魔石さえ持っていれば! 魔法が使えるようになるのです!」
会場全員が絶句したことが伝わってくる。
「では次の段階に移りましょう。……相手の魔術をコピーする魔術」
「……そ、そ、そんなこと、出来るはずが!」
「出来ますよ。まずは相手の発動した魔法の魔法陣を手に入れる必要がありますけどね」
魔法陣さえ手元にあれば解析できる。
これはいわゆる、多入力多出力非線形同定問題の一種だからだ。
まずは、入力ゲート一つずつに、一ずつマナを注いで反応を見るのだ。一瞬だけ流して反応を見る。ずっと一を流しっぱなしにしてどんな風に安定化するのかを見る。
このようにして、各インパルス応答(一瞬だけ流した応答)、ステップ応答(流しっぱなしにして得られる応答)を得るのだ。
また、魔法陣の周波数応答も調べなくてはならないだろう。
周波数応答というのは、入力マナをどんなリズムで注いだら効果的なのか、という性質である。小刻みに注いだら増幅されるのか、あるいはゆったり注いだら増幅されるのか、など共振性が存在するはずなのだ。
各周波数ごとの応答を調べるには、満遍なく全ての周波数が含まれた、複合信号を送るのがいい。
よってM系列を入力ゲートに放り込むのだが……まあ、これ以降は割愛しよう。
以降の工程を単純に言い換えると。
単純に言えば、魔法陣への入力と、魔法陣からの出力とがある程度そろったら、最尤推定法を用いて状態空間モデルを生成すればいい、というわけだ。
「相手の魔法をコピーすることは厳しいとしても、例えば考古学研究だとか。未だに解析できていない魔法陣は、この方法である程度解析できるでしょうね」
「そ、そ、そんな馬鹿な! まやかしを! それだけでこの世の全ての魔法陣が解析できるはずがあるまい!」
「はい。全ては不可能です。でもまあ、他にも方法はあるので。これも魔法陣や魔道具に解かせましょうよ」
「は?」
「Deep Learning(深層学習)ですよ」
深層学習、というのは原理を説明すると非常に簡単だ。
ニューラルネットワークで層をつくり、それを何層にも重ねる。浅い層は局所的な細かい部分を学習。どんどん層が深くなるに連れて大まかな特徴を学習するのだ。
例を挙げよう。
猫の画像か、人の画像か、を学習する場合。
まず浅い層はとても細かい部分を学習する。毛が少ない、人間っぽい。毛がフサフサ、猫っぽい。そういう程度の学習でいい。
徐々に認識範囲を広げる。逆三角の切れ鼻、猫っぽい。突起した丸い鼻、人間っぽい。縦に切れた目、猫っぽい。瞳孔が丸い、人間っぽい。
一番奥の層は大雑把な認識でいい。全体的に肌色、人間っぽい。全体的に斑模様が目立つ、猫っぽい。耳が上、猫っぽい。耳が横、人間っぽい。
このようにして、それぞれの層で事前学習を行う。事前学習を通じてパラメタをチューニングするのだ。
そうして学習を終えたこのニューラルネットワーク層は、もう既にパラメタを学習している。なのでそれに照らし合わせてそっくりかどうかを判定できるのだ。
よって、かなり膨大な『猫』『人』入力を与えても、結構な精度で『猫』『人』を判断できるのだ。
さて。
この場合は火魔術、この場合は水魔術、というようにパラメタを学習させたとしよう。
そうすれば、そのニューラルネットワークは自動的に、魔術を解析できてしまうのだ。
「ニューラルネットワークというのは、この値以上、この値以下、と判断するユニットを繋げる、という程度の処理能力で大丈夫です。たくさん繋げれば良いだけです」
「し、しかし、非現実的だ! 非現実的すぎる!」
「そうは思いません。この深層学習デバイス『学習くん』の画像認識によって、呪文、魔法陣の形、などを学習させるのです。そうすれば、後は学習くんにぽんぽん判子を押すように、図書館の魔法陣を押し付けていけば魔法陣学習はさくさく進むでしょう」
「……」
凍りつく会場。
もはや一部の過激派や利権関係者が「あいつを黙らせろ!」とすら言うことを諦めているようであった。
「さて、次はお待ちかね、魔術の発動プロセスを大幅に短縮して魔術を行使できる回路方程式について……」
「待ちたまえ! 魔術の工程を縮めると貴様は言ったのか?」
回路方程式についてレクチャーをしようとした俺に、今度はまた別のモブ学者が挑みかかってきた。
「え、はい。そうですけど」
「それについては最小工程数というものが存在する、と魔術の大家にして貴様の師匠の|アヴァンス・カークウッド《先代蒼の魔術師》氏が研究したではないか!」
「ああ、あれ嘘です」
「なっ」
「と言うかそれですよ! それです正に!」
最小工程数、という単語こそ正に俺が話したかったトピックである。食い気味に勢い込む俺にギャラリーが不思議な顔をしていた。
工程と言うと、例えばフレイムアローを発動させる際は、ある説によると合計17工程必要で、ある説によると合計5工程必要で、とにかく説によってバラバラに存在することは間違いない。
ある説なんかは、魔術ごとに最小工程数が違うんだとか狂ったことを言っているし、魔術学会アカデミアの大多数もその学説を正しいと指示しているのだ。
俺から言わせると、アホである。
「いいですか君たち! 工程って何ですか?」
「えっ」
「だから工程って何ですか?」
「……」
一瞬静まり返る観客。
答えられない、という人間が半数ほどだろう。答えられるという人間も、何となくあやふやに答えられる奴と、いや工程の定義とはかれこれでとはっきり根拠をもって答えられる奴とで反応が顕著に異なっていた。
「……工程とは、我々魔術師が魔術を行使する際のプロセスだ。特に、魔術を起動させる、魔力を流す、の二つは必要最低限とされるが、魔術を起動させる際に特定の手順が必要となる。この特定の手順のことを工程と呼ぶ、だろう?」
さらっと答えたのは、先ほどの宮廷魔術師である。
その通りだ。その通りなのだが。俺はもう少し分かりやすい言葉で諭した。
「はい、流石に宮廷魔術師ですね。一般にはその定義で合ってます。けど、特定の手順って要らないですよね?」
「要らないはずがないだろう!」
くわ、と立ち上がる宮廷魔術師。
「例えば四属性混成魔術、テトラスピアーにはいくつも工程が存在する! それぞれ火魔術、水魔術、風魔術、土魔術のマナを用意しエレメンタムを形成、スピアーの詠唱をし、マナ順番行使のためのマナの停留、順番付けるための魔術的結合、さらには世の中に起きる現象と詠唱の魔術的意味を紡ぐための……」
「あー、全部要らないですね。本当に最悪の話なんですけど、実はマナは最悪分けなくてもいいんで」
「はっ、悪ふざけも大概に……」
「いや、その工程を減らすための魔術回路じゃないんですか? マナを流しさえすれば魔術が発動するはずですよ、理論上」
「暴論過ぎる! 普通は魔術回路にマナを流しながら、詠唱し、現象と詠唱の関係性を紡ぐのだぞ! 魔術との共鳴、現象への深い理解、それらを書き換えるための儀式としての魔術がそこにあるのだぞ!」
「いや全部魔術回路にできますって。何でそこで等価な系統等価回路を算出しないんですか」
「け、系統等価回路……」
俺の系統等価回路という言葉に面食らっているモブ学者。
系統等価回路というのは、集中定数回路の解析と分布定数回路の解析によって得られる。
極めて簡単なモデルで説明しよう。
魔力経路の線を二本だけ平行に引こう。その線をどう結合するか、あるいはそれぞれの線にどんな部品を置くか、で魔術回路が構成される(回路と言ったって輪っかという訳ではない。輪っかにしてもいいがその場合は結合線を二本追加すればいいだけで、四角い環状になるだろう。魔術回路の形は一般には環状ではなく入口と出口が存在し、チャンネルも魔力を流すゲート1と基準面となるゲート2が存在する)。
さて、この魔術回路には『マナを消費してお仕事をしてくれるパーツR・G』『マナの変化を妨害するL』『マナの蓄積をしてくれるC』が存在する(一応ルーン文字ということにしておこう)。
これを適当に配置するだけでいい。
マナの停留とかはマナの流れを遅延させるだけでいい。
マナの順番行使もRの配置問題でしかない。
それぞれのRごとにマナを分割したい? R火、R水、R風、R土(実は俺は四属性とかを信じていないので火属性とかいう考え方が大嫌いなのだが、これはまた別の話)と用意して欲しい。そしてそれぞれマナに周波数があるので、その周波数帯からずれたマナをフィルタしてしまえばいい。バンドパスフィルタ回路はRLC回路で作れる。火のマナなら火の周波数のみを通すバンドパスフィルタの設計で良いのだ。
マナの揺らぎを整流したい? 正のマナ流のみを流す整流子をつければ良い。言っておくがリプル率は回路の配置問題に寄与される問題なのであしからず。
「多分お前らはRの算出が出来ないんだと思うが……マナ送信端のゲート間ポテンシャルとマナ流、マナ受信端のゲート間ポテンシャルとマナ流を得たら、大まかな系統等価回路は解けます、連立一次方程式なので」
「……」
「いやマジだから。送受信端を開放・短絡入れ替えて、マナ入力の周波数と位相を変えるだけだから。定在波・反射波部分を除去して、インピーダンスパラメタ部分がRに対応するから」
何故平行二本線のモデルで魔術回路を近似したのかというと、送受信端を開放・短絡入れ替えて回路方程式を解けるからに他ならない。
魔術との共鳴とかは訳が分からんが、多分マナ入力の周波数、位相、振幅の調整作業のことだろう。分布定数回路で大まかな位相遅れ率、力率を算出すれば、何倍されるか、幾ら遅れるかがベクトル表記で分かるので補正は簡単である。
現象への深い理解とやらは、出力が何になるのかを理解するということだろう。ゴールを先に定める必要があるというのは本当のことだし、それが最も難しいことは認める。だが、それは工程ではない。最初から知っておくべき情報である。
「あの、一応ルーン文字RLCとか説明しましたけど、魔術回路構成ルーン文字が線形素子でしか近似してないっていうのはちょっと片手落ちで申し訳ないです」
「……え、あ、そうだ! そうだぞ! センケーソシじゃないものならどうするのだ!」
「まあ、マナ流C、ポテンシャル係数Vについて偏微分して一次要素を抜き出します。あれです、テイラー展開」
「……」
会場が何を言っているんだこいつ、みたいな空気になっているので、とりあえず結論だけ急ぐことにする。
「えっとつまり、工程とか全部なくせます。回路にマナ注ぐだけで魔法は発動出来ます」
「は?」
「これは本当です」
マナの注ぎ方を調節する必要があるんだろ、とか言われそうだから補足すると、予めそういうマナ入力パターンを作っておけばいい。
そうしたらパターンを起動するだけではい完成、である。
「……つまり、マナを注ぐだけで誰でも上級、聖級、帝級、神級の魔術が……」
「まあ、一応理論上は」
「は、はは、馬鹿なことを……」
聖級、帝級、神級とやらが何なのかはわからないが、俺の言っていることは本当である。
あ、集中定数回路と分布定数回路だけで解けない問題ならばマクスウェル方程式が必要となる。サイリスタなどヒステリシスが絡む問題であれば、それこそ相転位を調べるためカタストロフィ理論(というよりピッチフォーク分岐のノード解析)が必要になる。
そこについて質問された場合は、俺も「ごめんなさい、リアプノフ関数を発見することは今の所は努力問題です」としか答えられないところではあったが。
幸いというべきか不幸というべきか、そこに気付いた者はいなかった。
「次は魔術の運用について、マナをどれぐらいのテンポ、リズムで注げば良いのかの解析をちょこっと……」
「それは、人それぞれ、魔術それぞれだろう!」
今度は別の男が得意な顔で突っ込んだ。そしてその内容自体は半分は事実である。
「ああ、まあ確かに魔術それぞれですが……」
「は、今更説明するまでもない!」
本当か? と訝る俺であったが、その辺については本当なのだろう。本当なのだと信じたい。
「まず、魔術には増幅器があることはご存知ですよね? あれを通す前の回路抵抗R1と、通した後の回路抵抗R2を分けての解析はなさいましたよね?」
「……。当然である!」
返答までのタイムラグが怪しい。二次抵抗は魔術の力矩モーメントに対応するパラメタとなるので、当然一次抵抗と二次抵抗を混同すると解析がまずいことになるのだが、果たして。
さて、話を戻して従来の魔術理論についてである。
魔術の定常運用においては、今まではマナを注ぐリズムとマナを注ぐ量の制御、つまり一次周波数制御法(一次抵抗側に注ぐマナをコントロールする方法)を行なってきた。
この際、当然注ぐマナの量が魔術の強さに相関するため、大きく注げば大きな魔術に繋がってきた。
反面、制御の為にマナの量を減らせば魔術の強さも減少する、という次第である。
この問題は現在の魔術理論でも一部ボトルネックとなっていた。
「ですけど、皆さんご存知の通りマナを注ぐテンポとマナを注ぐ量には適切な比率が存在します(Eg/ω一定)。そのため、魔術に適切なリズムでマナを注ごうとした場合、自動的に注ぐマナの量も決まってしまう。それが魔術の出力を低下させる原因にもなってきました」
「それは仕方がないだろう!」
「では、どうして誰も二次抵抗に直接マナを注ごうとしなかったんでしょうか?」
「……」
何のことはない、他励インバータを導入しよう、という考えである。これはマナポテンシャル昇圧ブーストという考え方なのだが、魔術の駆動周波数を変化させても、魔術速度―力矩特性が平行移動するだけなのだ(つまり入力のマナを減らしても出力に直接マナを注いで補填するので魔術の威力を高めに保つことが出来る)。
特性曲線と負荷力矩モーメントの交点が最適駆動点なので、魔術速度に対して単調増加である負荷力矩モーメントに合わせて、最も威力の高い魔術を放つことが可能となる。
「私の開発した『いんばーたん&こんばーたん ver.1.3』を使うことで、状態フィードバックによる最適入力が保証されます」
「……待ちたまえ、最適入力とな?」
俺の発言のその一部を取り出して、にやり、と精霊教司祭は笑った。
「いつ、いかなる時も、必ず、最適なのかね? ん?」
「え、いや、そういうわけではないですが」
「君! 自分の発言には責任を持って貰わないといけない! いつ、いかなる時も、カガクとやらで、最適に調整出来るのだろう? ん?」
「あー、まあ重み付けパラメタに寄りますけど、リッカチ方程式の解を解いているんで『その重み付けにおいては』最適ですね」
「ほう! 重み付け! それが君の『最適じゃない』ことに対する言い訳かね!?」
「? 最適制御の時、ポントリャーギンの定理によるとポテンシャルエネルギと運動エネルギの総和は最小値を取るんです。最小値、即ち微分値がゼロなんで、その時の関係式から得られる方程式がリッカチ方程式なんです。その解には重み行列Qと重みR(上に出てきた抵抗Rとはまた違うR)があるので、それによって変化しますが……」
「言い訳をするんじゃあない! 最適なのか、最適じゃないのか、どっちだ!」
「?? その重みについては最適ですが……」
「はん、話にならんな!」
全くである。話にならない。
「えっと、ですがモーペルテュイの原理というのがあって、あの、こんな風に運動するんだなって軌道に沿って作用積分する時、その作用積分を最小にする軌道なんですね、この最適制御で得られる軌道というのは。なので最適と言えば最適なんですけど……」
「いちいち訳の分からない言葉で我々を煙に撒こうと! なんだねそれは! 最適かどうかを聞いているんだ!」
「えっと、Qは状態のパラメタ、Rは入力のパラメタです。状態をどれぐらい制御するか、マナ入力をどれぐらい節約するか、そのバランスを取るのがQとRの比率なんです。なのでそのバランスによって変化します」
「だから! 最適なのか!? どうなんだ!?」
「『そのQRバランスにおいては』最適ですって」
本当に話にならない。
頭が悪いのはまだ許せる。だがこちらの話を理解しようという姿勢がないのは腹立たしい。
というか意図的に理解しようともせず、あえて俺の理論を『最適じゃない』印象を植え付けようとしているようにしか見えない。
「は! もういい。結構。――朱の魔術師殿の言う『魔術の運用について、マナをどれぐらいのテンポ、リズムで注げば良いのか』についてはまた今度だ」
「……」
今度っていつだよ、と思ったが、この精霊教のおっさんの顔も立ててあげなくてはいけないのだろう。
正直嫌だが。嫌でしかない。やっぱり顔を潰してやろうか、と思ったりしなくもない。
だがこの場は収めるべきなのだろう。
「よろしい。帝国極彩色魔術師の一角、朱の魔術師として見ても氏の提言には一理あります。では精霊教司祭の発言どおり、また今度にしましょう」
「朱の魔術師殿、発言には気をつけたまえ。私は当然の質問をし、お前がそれに答えられなかっただけだ。違うか?」
「え、違いますけど」
このおっさん一体何を聞いていたんだ、と頭を抱えたくなるようなバカ発言に、思わず俺は素で答えてしまった。
「な、何が違うというのだ!」
「……ではこうしましょう。おっさ、司祭がマナを好きな量つかって魔法を発動させてください。私は先ほどの最適制御を用いて、同じ量のマナをつかってもっと威力の高い魔法を実現させましょう。効率の良さならこれで示せると思われますが」
「……。はん! 小手先の技量で勝ち誇るつもりか、子供じみているな! 馬鹿馬鹿しい。実に馬鹿馬鹿しい!」
言い捨ててすごすごと席に戻る司祭を見て、俺はげんなりしてしまった。
いやせめてそこは勝負しろよ、と思わなくもない。
何あれ、俺の「いんばーたん&こんばーたん ver.1.3」の発表はこれにて終わってしまった。
ちなみに、観客は例のごとくドン引きしているようであった。無論、一部の客や一般人は司祭の言葉に同意しているようで『はん、これだからカガクとやらのペテンは』といわんばかりの顔であったが、その他の魔術の研究者達は、真剣に研究している者の端くれだからこそ分かるのだろう俺の理論に、呆然としていた。
「じゃあ次は、キャビテーション効果による金属の破壊を」
「は、はは、ははははっ! 何だ! 破壊魔法か! それなら既にあるではないか!」
「ええ。ですがそれをもう少し効率よく運用しませんか?」
そういって俺は金属板を取り出した。
金属板を破壊するのは簡単だ。爆発魔法エクスプロージョンなどに代表される、炎魔法の中級を発動するなどすれば何とかなるだろう。
しかしそれではロスが大きいのだ。
それならば圧力の物理方程式を利用する方が遥かに効率がいい。
「この厚さ二センチはありそうな鉄板。……これに簡単に穴をあけて見せましょう」
「はっ! 簡単にだと?」
「具体的にはこの小さな魔石に込められた魔力だけで穴をあけて見せます。……行きましょう!」
キャビテーション効果。
それはきわめて小さい気泡を、金属板にぶつけることで発生する現象である。
圧力は、力/面積で与えられる。そして面積が小さくなればなるほど圧力は増す。このようにして極端に小さい泡を波のように金属板にぶつけると、バブルパルス(波のように連なった泡によるパルス)が金属板を襲う算段になっている。
さて、肝心のキャビテーション効果について解説すると、それは泡による破壊ではない。泡はむしろ圧力から金属板を守っている。
しかしもし、泡がふとした瞬間に分裂したとして、泡に新しく割れ目が入ってしまったとき、大気圧はその新しく生じた割れ目へと一気に流れ込む。その一気に流れ込む空気が金属板を叩くため、破壊現象が発生してしまうのだ。
俺がすることは二つ。
一つ、泡の粘性と表面張力のパラメタを連続的に変化させ、気泡の分裂・結合を連続的に促すこと。もう一つは、一気に流れ込んで金属板を叩く空気の、接金属面積を鋭く細くすること。
1ストロークの周波数は金属板との共振周波数を意識、金属板を伝搬する圧力が破壊したいポイントに最も強く重なり合うよう意識して、その振動方向と逆位相のバブルパルスをぶつけたら破壊したいポイントにかかる威力は大気圧の倍程度。
間の抜けた、金属板を錐のようなもので叩いたときのような、かつんという音がしたかと思うと、極めて簡単に、極少の凹みが生じた。
同時にバブルパルスは浸食を速めるかのように、蝕むように金属板に襲いかかる。程なくして穴は空いてしまった。
「……は、破壊ではないではないか!」
「破壊ですよ。爆発魔法と比較して下さいよ。無駄な光、無駄な音、無駄な衝撃波、無駄な魔力。すべてを抑えて効率よく金属板に穴を空けました。
もしもこれが背中からの不意打ちだったらどうしますか? 貴方には耐えられますか?」
「……ぐぬぬ!」
唸るも、尚も食らいつく魔術師。
「それなら! 普通に爆発させてみるが良い!」
「そうですか。……そんなに破壊がみたいならこうしましょう、E = mc^2、ですよ。いきますよ」
「?」
「いいですか、口を半開きにして、耳をふさいで下さい。目も閉じて下を向くように。そして舌を噛まないように!」
いうや否や、俺は天高く金属板……の破片一つを放り投げた。刹那、天高く上ったそれは、大爆発を起こし、観客の顔面と鼓膜を遠慮なく叩いた。
そんなレベルではない。
まず質量体として陽子と中性子だった金属板のかけらは、そのシュレーディンガー方程式に基づいた電子軌道を保ちつつ、クオークの組み換えと場の量子による交換により、ボース・アインシュタイン凝縮された力のゲージ粒子へと一部転換。グルーオンとフォトンの力の相互作用を担っていた中間子は行き場を失い、距離が短くなるにつれて強くなる相互作用は一定臨界を超えて外に爆散。
圧倒的速度と威力を持ったそのエネルギーは、周りの大気をプラズマ化させながら遠慮なく叩く。叩きのめす。威力を玉突き状に伝搬させ、減衰させながらも威力半径を拡張させて、広がりうねり襲いかかる。
カスケードシャワー。
命を奪うほどの爆炸は、程なくして障壁魔法に遮られた。
俺が、念のために張った障壁魔法によってだ。
ここまで、障壁魔法以外に俺の消費した魔力はゼロ。
観客はまさしく言葉を失っていた。
朱の魔術師の学会発表はまだまだ続きがあった。
それこそ、世界が何度ひっくり返るのか分からないほどの革新的なアイデアがそこに眠っている。しかし、それらが惜しげもなく公開されているという事実に、観客らは戦慄を覚えていた。
彼にとってはどうでもいい、ということらしい。
「もうちょっと、科学を使って魔術を発展させましょうか。皆の大好きな相対性理論、素粒子論、ブラックホール、などなど」
「何を言っているんだお前は!」
「代表的なもの。相対性理論。これを応用することは難しいのですが、要は三つ。一つ、質量を持つ物体の速さは光の速さを超えない、基本的には。一つ、あまりにも早く動くと時間の進み方が周囲とズレる。一つ、光の一秒間に進む距離は一定に決まっている、しかし早く動くと時間の進み方が周囲とズレる、この二つの矛盾を解決する解釈はこうです、空間のほうが歪む」
「何を言っているんだお前は!」
「目の前一〇メートルを真っ直ぐ逃げる光を、光の速度で追いかけましょう。一〇メートルを保ったまま、光と自分の追いかけっこになるはずですよね? ところが光は、なんと速度三〇万キロメートル毎秒で頑張って追いかけている貴方から速度三〇万キロメートル毎秒で離れていくんですよ。光の速度は速度六〇万キロメートル毎秒になっている」
「は?」
「いいえ。光の速度は速度六〇万キロメートル毎秒にはなりません。絶対に、誰から見ても、光は速度三〇万キロメートル毎秒を保ちます。不思議ですよね。これを解決する認識は、空間のゆがみですよ」
「……」
「だからどうした、というだけの話なんですけどね」
「おい!」
「与太話ですよ」