前編
「………に対する度重なる陰湿な行為、極めて目に余る。また、他家の令嬢たちの弱みを握り、扇動した疑いも掛かっている。
お前のような奴は、国母に相応しくない。侯爵令嬢イザベル、お前に婚約破棄を申し渡す。」
私は、卒業式の最中。全校生徒の目の前で、王子付の騎士に取り押さえられていた。
悲しげな顔で目の前の王子を見上げる。王子の隣には、恐怖か感動か、震えながら縋り付く、王子の想い人の姿があった。
なぜ、このような結果になってしまったのだろうか。
私の名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ(以下略)。いや、面倒なのでヨシオと呼んでくれ。俺は、この国において王家に次ぐ権力を持った、5つの侯爵家の1つに生まれた。
5歳ぐらいまでは、普通の女の子だったと思う、たぶん。しかし、成長するに従い、自分の中に別の人物の記憶が混じっていることを感じるようになった。
どうやらこれは、前世の記憶らしい。俺は、成長とともに蘇る記憶に引っ張られ。前世の人物、ヨシオに近い人格になっていった。
そりゃそうだ、10歳になるころには、ヨシオとしての記憶のほとんどを取り戻していたわけだし。ヨシオは日本の一般家庭に生まれ、24歳のときに自動車事故で亡くなっているんだが。それでも24年間に渡る記憶だ。
人格形成の一番重要な時期に、次から次へと、知らない記憶が溢れてくるんだから、イザベル少女本来の人格なんて、在って無いようなもんだろう。
まあ今考えれば、生まれた時からヨシオの記憶が全部有るよりも、助かったと言えるだろう。前世は、一般家庭の青年だったヨシオが、今世でいきなり、侯爵幼女イザベルの演技をしろというのも無理な話だ。
しかし、まだまだ問題が残っている。女の身体に男の人格を持ったこの俺が、どこぞの男と結婚して子どもをつくる。そんなことが可能なのか?
…………いやいやいや、絶対無理だ。少し想像しただけでも、なんて悍ましい。俺は前世では、ソッチの趣味は無いんだ。物理的には可能かもしれないが、俺の精神が壊れてしまう。
では、相手が女性ならばどうか? まあ、無理でもないが、できれば遠慮したい。この身体に、精神が影響されている部分もあるのだろう。それに前世の人格が合わさって、相手の性別を問わず、性的欲求がまったく存在しない。
「ハァ………10歳にして枯れているというか、精神的不能状態というか。しかし、侯爵令嬢としては、結婚しないという選択も取れない訳で。どうするべきか……」
そんなことを日々悩む10歳であったが。ある日、転機が訪れる。父親が上機嫌で帰宅したと思ったら、俺とこの国の第一王子との婚約が決定したと発表。母親狂喜乱舞。メイド、執事、庭師まで整列しての万歳三唱。
「クソオヤジが、余計なことしやがって。尻の穴に腕突っ込んでヒーッヒーッ言わしたろか…………カーチャンの目の前で。」
俺は大いに悩んだ。いっそ教会に出家するか? それとも、気狂いの振りをして。いやいやいや、さすがにその後の生活を考えると、できれば遠慮したい。
身体に、大きな傷が残るような怪我をするとか? いや、この世界には魔法があるらしく、傷跡も綺麗に消えそうだな。体の欠損までは治せないらしいが、指でも詰めるか?
そんなことばかり考えていた、ある日のこと。14歳となった俺は、来年には貴族関係者の通う王立学園に入ることになる。そんな話をクソオヤジから聞かされていた時だ。
学園という言葉に反応したように、突如として溢れ出す記憶。
思い出した。この世界は、前世で妹のやっていたゲームにそっくりじゃないか。
部屋に戻り、落ち着いて情報を整理しよう。まず、ゲームのタイトルは………
「やばい、いきなり思い出せない。」
もともと妹が、俺の死ぬ直前くらいにプレイしていたゲームであって、俺自身はまったくプレイしていないからな。タイトルは、加山○三の歌みたいな、”君とホニャララ”みたいな感じだ、たぶん。
登場人物すら、あやふやなんだが。王子と悪役令嬢は、出てきたはずだ。妹がプレイして、盛んに 「感動した! 本当に感動した!」 とか言ってたし、いわゆる乙女ゲームってやつだろう。
セオリー通りなら ― といっても、俺も詳しくないんで自信がないが ― ”庶民の女の子が主人公で、王子にいじめられたりしながら、クラスメイト達とSEXする”みたいな感じだろう。
「で、最後は、ヒロインの超能力が目覚めて、クラスメイト全員死亡と。
いや、待て、おかしいな、全然感動する要素が無いぞ。逆か? SEXするのは王子で、いじめるのがクラスメイトか。」
あぶねえ、危うく超能力で殺されるところだったぜ。てゆうか、これで感動して泣くとか。俺の妹は、どんなサイコパスだ。むしろ、そんなストーリーだったら、俺が普段やっていたゲームに近い感じだぜ。
「とりあえず、学園で目立つ庶民がいたら要注意だ。いや、先入観で決めつけるのも危険か?
とにかくヒロインだ、ヒロインを探して王子を押し付けるしか、俺に生きる道は無い。」
ヒロインをイジメる筆頭が悪役令嬢、つまり俺の役目なんだろう。しかし、イジメ過ぎるのも危険か。王子の逆鱗に触れ、俺自身が廃嫡とか死亡とか、そういった最期も考えられる。
「もう、貴方たちが好き合ってるのなんてバレバレなのに、なかなかくっ付かないんだもの。やきもきしちゃって、余計なおせっかいを焼いてしまったわ。今までごめんなさいね。…………ぐらいのアフターフォローが必要か。いや、今まで散々イジメ倒して、そんな一言で済むのか? 」
とにかくヒロインを探し出し、王子との仲を進展させ、俺の保身も考える。物凄いタイトロープだ。しかし、やるしかあるまい。
他の登場人物も要注意だ。ヒロインのことに関しては、妹が話していた記憶がまるで無いから、臨機応変で行くしかないが。他は確か、”騎士が何とか”って言ってたような気がする。クソオヤジの話だと、騎士団長の息子が俺と同い年で、来年入学って言ってたな。こいつで間違い無いだろう。
他にキャラの立ってそうな奴は、宮廷魔術師の息子と宰相の息子。あと、どんな奴かは知らないが、担任教師っていうのもありがちじゃないか? どれも要注意だ。
そして月日は流れ、入学して3カ月が経過したころ。
「大変だ、ヒロインが見つからない。」
そもそもこの学園は、貴族とその関係者しか在籍していないため、それ程人数が多くない。一学年100人程度の、3学年あわせて全校生徒300人程度。全校生徒を一人一人、調べたとしても、それほど手間では無いのだ。
そして、なんか訳有りそうな庶民とか、イジメられてるやつとかを調査したが、そんな奴は一人もいなかった。いや、イジメは有ったんだが。なんか、顔見ただけで、”こいつじゃ無いな”感が。いや、だって、マッドマッ○スに出てきそうな顔してたぜ。さすがにアレは、ヒロインじゃないだろ。
ちなみに、担任教師ルートは消滅した。だって、色気ムンムンの女教師だし。まさか、この教師がヒロインか? いや、でも、一年毎に、担任も変わるって言ってたしな。
ちなみに他の、暫定登場人物を紹介すると。宮廷魔術師息子が、クールなイケメン。宰相息子が、筋肉質で野性味溢れるナイスガイ。騎士団長息子が、ナヨっとしたコケティッシュボーイだ。…………普通、そこ逆なんじゃないか。きっと宰相と騎士団長は、苦労してんな。それと、他のクラスに我が憎き婚約者、王子もいる。まあ、偉そうなオラオラ系って感じか。
そして俺自身の、クラスでの立ち位置なんだが。王子の婚約者であり、侯爵令嬢ということで、変な取り巻きができた。そいつらが連日のように、下らない陰口ばかり言ってるもんだから、ある日ブチ切れて。
「あなた、本人の居ないところで悪口ばかり言っても、何も改善しませんわよ。あなたが言えないのなら、代わりに私が言ってきて差し上げますわ。」
と言って、話に上がっていた伯爵令息のもとへ行き、話を付けた。ちなみに刃向って来たので、殴った。唸りを上げる右ストレートが、伯爵バカ息子のアゴを直撃。一発OK。
見たか、これが悪役令嬢の力だ。
それ以来俺は、身分に依らない公正なジャッジとパンチで、クラスの女子から広く慕われている。まあ、一部の女子からは、非常に嫌われているらしいが。
「大丈夫か俺。ちゃんと悪役令嬢できてるのか。
てゆうかイジメって何をすればいいんだ。アンパンでも買いにパシらせるか。いやいや購買なんて無いし、みんな食堂で食事するしな。鼻血が絶えないように、会う度にパンチするか。便所掃除した雑巾を食わすぐらいしか思いつかねえな。
いや、もっとこう、女特有の陰険な感じのだな。女特有? よし思いついたぞ。まず、俺の使用済み生理用ナプキンを口に突っ込んでだな…………」
そんなことを考えながら過ごしていた、ある日の昼休み。俺は、未だ見ぬヒロインが、主要人物の誰かと逢引でもしていないか、学園のパトロールをしていた。
そして、校舎の中央階段を上がっている時だ。ある女子生徒とすれ違った瞬間。急にそいつは、肩をぶつけてきたのだ。
「キャッ!」
その瞬間、女子生徒は不自然にバランスを崩し、可愛らしい悲鳴を上げ踊場へ転げ落ちた。その顔には笑みを浮かべ、見事な受け身を取りながら。
なんだ、どこのアタリ屋かと思ったら、クラスで見たことのある奴だな。
「酷いですわ、イザベル様! なぜ、このような仕打ちをなさるのですか。 皆さん聞いてくださいませっ! 今、イザベル様がボゲェェェェッ!」
その時には既に、俺の拳が女子生徒の鳩尾に突き刺さっていた。
おっと、こいつが騒ぐから、他の生徒たちが集まってきてしまったな。
「イザベル様、どうされたのですか。それに、この方は。」
「どうやら、お身体の調子がすぐれない様ですの。ほら、こんなにお顔を青くされて。先ほども、フラフラになりながら、階段から降りてこられて、途中で転んでしまわれましたの。」
フッフッフッ、軟弱な貴族娘の体で、俺のボディーブロウを食らって。後数分は、呼吸もままなるまい。
「まあ、それは大変だわ。私、先生を呼んでまいります。」
「いえ、それには及びませんわ。私が保健室まで、お連れいたします。」
「まあ、イザベル様が自ら付き添われるのですか。」
「なんてお優しいのでしょう。」
「伯爵令嬢であることを傘に、周囲に威張り散らし。裏では、イザベル様のことも悪く言っていた方にまで、お情けを掛けるなんて。」
「ほんとう、欠点の見当たらないお方だわ。私たちも、見習わなくてはならないわね。」
モブ子Cよ、情報をありがとう。そして俺は、青い顔をした伯爵令嬢に肩を貸して、その場を離れた。
まあ、行先は保健室じゃないがな。
「ブクブクブクブクブク…………………ブハァァッ!……も、もうやめ、助けベぼブクブクブクブクブク…………………ブホォァッ!……ごめんなさいもうしまばぼブクブクブクブクブク…………………バヒァァッ!……」
多くは語らない。俺の目の前には、壺が在り。俺の強靭な右腕は、伯爵令嬢の頭を掴んで、壺の中と外を行ったり来たりするだけのマシーンと化している。
「ブハァァッ!…いや…もうダメ…助け……」
「とりあえず、お前に言っておきたいことが、三点。」
伯爵令嬢は、ビクリとしてこちらを窺う。
「ひとつめ。俺、お前に何もしてないし、肩ぶつけてきたのわざとだよな。
ふたつめ。それだけ喋る元気があれば、まだ平気だな。
みっつめ。昼休みは、まだ20分ぐらい残ってる。」
俺の、丁寧な治療行為が実を結び。顔の青さに磨きがかかった伯爵令嬢は、おねだりの声を上げる。
「いや…いや…イヤァァァッッ!ぼがブクブクブクブクブク…………………」
そして俺の右腕はマシーンに戻った。
マシーンは、忠実に、設定された動作を繰り返す。
マシーンは、人の声も聞こえない。
俺は、ただ無表情に、前を見つめる。
目の前にあるのは、少し大きなただの壺…………
便所の。




