2 穏やかな朝の超常事情
口角泡を飛ばすとはよく言ったものだけど、肉を飛ばすのは勘弁して欲しい。
今のロヴシャがまさにそれだ。食べながら喋るのは単純に汚いよ。
さっき現れたロヴシャは、ぼくを引っ張り出してこの部屋に連れてきた。
そこは、昨日ぼくが失神した後に初めてロヴシャに憑りついた部屋だった。昨日と同じく部屋の真ん中にテーブルがあって、ロヴシャはぼくを、昨日と同じ場所に座らせる。真正面にはあの黒髪の女の子。今日も可愛い。
……別に目が合ったわけでもないのに、恥ずかしくてすぐ目を逸らしてしまった。なんだか久しぶりな感覚だった。
テーブルの上にはたくさんの食材が並んでいた。ただ、それらを示す単語を、ぼくは知らなかった。水っぽい黄色い野菜、あまりにも深い緑の葉っぱ、オレンジ色の豆、奇妙な形の植物、コップに注がれた、謎の白い液体……それらの正体とは。
その一方、一目でそれと判るものもあった。黒みがかったパンと、肉。ああなるほど、サンドイッチかな?
ロヴシャが座り、間もなくイアも姿を現した。新たな食材を手に持っている。目が合うと何か言ったけれど、意味は不明だ。とりあえず、バイトで身に着けた作り笑いを張り付けた。
そうして朝食を取り始めたら、肉を飛ばしだしたというわけだ。
ロヴシャが何か興奮気味に話し、それにイアが雑に応じている。
ぼくと女の子は、口の出しようがなくて黙々とメシを食べていた。
……ひょっとするとこんなときは。
「昨日あんなことがあったのに、肉なんて食べられなあーい」
とか、言うべきなんだろうか。
あれだけの死体を見ては、食欲が失せる、みたいな。
でもぼくの喉は強かに、大きなサンドイッチを嚥下していた。
多分、身体が事態に追いついて無いんだと思う。
拒否反応を示せるほど、この異世界に馴染んでいない。
異常なことが多すぎて、人殺しの体験をピックアップできていないんだ。
頭以上に身体が混乱していて、それぞれの事態に対する反応を示せないんだ。
それでなくたって、モラルで腹は膨れない。
少なくとも、ここで食べずにいるメリットはない。だからイアへの礼もそこそこに、腹を満たしていった。
まあそれはそれでいいんだ。
だけど、折角あの孤独な生活から抜け出したのに――周囲の話が理解出来ないというのは、やっぱりちょっと物足りない。
半ば判っていたことだけれど、やはりこの身体にいると言葉が聞き取れなかった。
ロヴシャもそうだし、適当に相槌を打つイアもそう。何一つとして訳せやしなかった。
どうしても誰かに乗り移るしかないのか。そして理解を共有させて貰わないと?
そうと決まれば、と手の中のサンドイッチを食べきる。そして、
……あれ。そしてどうすればいいんだろう?
二回起きた幽体離脱は、どちらもぼくの意志に関わらず発生していた。
片や失神した後、片や睡眠後に、起きようとして何故か意識だけ身体から飛び出した。
なら、起きている今はどうすればいいんだろう?
……ええい、ままよ。気合を込めて、意識を飛ばそうと念じてみる。
飛び出せ! 飛び出よ! アブラカタブラーーーーッ。
起き抜け起きよ、起き給えーーーー??
……。
…………。
はい。
全然意味はありませんでした。
考えあぐねていると、ふとイアの首筋が目に入る。髪を右側に纏めていたために、うなじが覗いていたのだ。
その時、昨日の発光現象を思い出した。
ホルトンとロヴシャ、二人が魔法を顕現させている間、身体のどこかが光っていた。
ロヴシャは胸部。そしてホルトンは首筋。
恐らくホルトンが刻印と呼んだのが、それだろうと睨んでいたけれど――ひょっとすると。
もう一度、身体を落ち着かせる。自分の身体の、エネルギーの流れを意識する。
ぐるぐると巡る何かがあって……それが背中に集まっているのが、不思議と感じ取れる。
そこへより強く、意識を集中する。気力の全てを流し込んでいく――!
そして気が付いたときには、ぼくの意識は体を飛び出していた。
達成感もほどほどに、ぼくはぼくの肉体を確認する。すると肩甲骨のあたりに、白い紋様が淡く光っていた。
これで、繋がった……この幽体離脱は魔法の一種だし、発光は魔法の顕現と何らかの関わりがある。
別の言い方をするなら、ぼくにも魔法が使えるということが確定した。
しかし、感慨に耽る暇は無さそうだった。早くもぼくの意識は、ぼくの身体へと吸い込まれはじめていた。早くしなければ、元の状態へと戻ってしまいそうだった。
気を取り直し、意識を集中する――もう一度、ロヴシャの身体に入り込む!
「……の手首の捻りとかよ、ホントそっくりなんだぜ」
「はいはい」
「回し蹴りの時の腰の入り方もだ。見どころあるんだよ、ホントに」
「はいはい」
すんなりと、成功した。昨日と同じように、ロヴシャの視界とぼくの視界、両方が認識できる。ロヴシャを通じて、言葉の意味も伝わってきた。
「起き抜けの朝練だぜ。気合のあるヤツじゃねえとやらねえよ」
「はいはい」
大方予想はついてたけど、ロヴシャはぼくの話をしているようだった。ぼくが自分と同じような動きをしていたことが、嬉しいらしい。
同族意識が強いというか、子どもっぽいというか。昨日の激情からは考えられないような一面も持ってるんだなあ。意外と言えば意外だ。
「なあ、そうなんだろ? アリモーチョ」
唐突に、ロヴシャがぼくに同意を求めてきた。咄嗟に、イアの発音を真似して「はい」と言ってしまう。
同時に、イアとロヴシャの顔がばっ! とぼくの方を向いた。
「おい、こいつ今……」
「返事、したねえ。絶対」
物凄く驚いている。そういえば、二人はぼくが話を理解出来ていることを知らないんだよな。
「でも、わたしが相槌打ってるのを真似しただけで、意味は判ってないのかも……」
「おい、アリモーチョ。おめー、オレ達の言葉が判るようになったのか?」
「その質問は意味ないでしょ、ロヴ。えっと……」
イアは一瞬言葉を切って、次にこう言った。
「私たちの言葉では、イエスはロン。ノーはアントと発音するの。その二つで、わたしの質問に答えてくれる?」
「イエス」
つまり、ロン……と、ぼくはぼくの肉体に言わせた。
「あなたは人間?」「イエス」
「あなたは女?」「ノー」
「あなたはこの世界の生まれ?」「ノー」
「あなたはわたし達の言っている意味が判っている?」「イエス」
「あなたはイエスとノー以外の単語を知っている?」「ノー」
と、ここまでやり取りをして、イアはやや満足げに息を吐いた。
「確定的じゃない? カイガは、わたし達の会話を聞き取ってる」
「ちょいと、失礼するぜ」ロヴシャは自分の席を立って、ぼくの傍に立ち膝になる。そして、ぼくの身体を探り出した。
「……なんか、犯罪的ね」少し赤くなるイア。ロヴシャは特に気にしない。ぼくは抵抗が出来ない。
「お、あったぜ……刻印が光ってる。肩甲骨に、白いヤツだ。模様が独特な気もする」
「どれ?」イアまで覗き込んでくる。「あ、ほんとー」
「これってつまり、アリモーチョとオレ達の言葉は違うけど、アリモーチョは魔法でオレ達の言いたいことを理解してる……ってことで、いいんだよな」
「きっと、そーね……」
イアは興味深げな顔を崩さないまま、席に戻る。
「これってどんな魔法なのかしらー。《言語》……《連絡》の削除? ……それとも」
当たり前のようにぼくの魔法を受け入れる二人。この世界において魔法は、そう珍しいものでもないんだろう。ホルトンとロヴシャが特別である可能性も無くはないと思ってたけど、そんなこともなさそうだ。
「判んねえのは、アリモーチョ自身は言葉を発せねえってこったな。例えば《言語》の削除……オレにとっての呼吸のように、意思伝達に言語を必要としない魔法なら、アリモーチョからのレスポンスも容易なはずだ」
「魔法は成長するものでしょ。逆に言えば、誰でも最初は未熟。カイガは自分から発信できるほどには、魔法を成長させてないのかも。ううん、この世界に来たばかりなんだから、それで当然よ」
「判らねえのはそこだ、イア。この世界の生まれじゃないってのは、どういうーー」
「……そのひと」
か細い声。
けれど妙に耳に残る、そんな言葉が。二人の間に、割って入った。
「半分、死んでます」
そして間違いなく、そう言った。
正直なところ、言っている意味が判らなかった。
「なんだって……?」
それは二人も、同じだったろう。ロヴシャが、聞き返していた。
「その人、魂が抜けてる。体は、生きてるけど……」
「何言ってるんだよ。さっきちゃんと、返事もしてたろ。ええと」
「レレイウ。と、呼んで……下さい」
黒髪の少女は、そこで真っ直ぐにぼくを見た。赤みががったような瞳は、射抜くように鋭かった。
でも、力は感じられない。どこか脆さを思わせる……そんな眼差し。
「うーん。ゆっくり、話を効きたいところだけど」
と、イアが口を挟んだ。本当に口惜しい、と言わんばかりの顔。
「これ以上ここで難しい話はできそうにないねー」
「そんな時間か、イア」
「うん。二人とも、悪いけどさ。今日は街に用があるの。続きは行きながらでも良いかなー」