5 縦横無尽の柔らかき杖
ロヴシャ=デュースノムと、マクデヌアから来た禿頭の男。
二人は実に大人しく、戦いの場所を移した。
そうは言っても、せいぜい徒歩二十秒の距離でしかない。
先ほどまでぼく等が居た一軒家の前の道、そこよりも広い空き地に出た。ただ、それだけだった。
「僅かな時間ではあるが、黙って付いてきたことは、褒めてやっても良いな」と、禿頭の男。
「てめえらが何と言おうが嬉しくないと言った」
「冗談の通じない奴だ」
「空気の読めない奴だな」
そんな会話をしながら、二人は向かい合った。
400メートルトラックほどの広さの、砂地。素人ながら、足場は良いと言って間違いないと思う。
その中央に、かなり広い間合いをとって、悠然と立っていた。
「大方」探るように、ロヴシャが口を開いた。「その棒が存分に震える場所として、ここを選んだんだろう」
「その点は、確かに否定しない。これが私の得物だ……隠しようなど、ないだろう」
禿頭の男は初めから、他の男達と同じく、手に武器を持っていた。ただ、この男の武器だけは、他の誰一人として持っていないものだった。
剣でも槍でも槌でもない。それは紛れも無い、木の棒だった。
長さは二人の身長を超えている。恐らく二メートルほどだろう。太さは直径二、三センチといったところか。先から先まで歪みがなく、丁寧に磨かれているのがこの距離でも判る。
あまりにもシンプルだけれど、これも一種の業物か……と、ぼくは一人で感心する。それはこの街の文明度を踏まえると、これだけ長く、太さの均一な棒を作るのは至難の業に違いないからだというのもある。それでなくたって、磨かれた木目には独特の美しさがあった。
「だが何も、私だけが得したわけでもあるまい。お前だって、あの女の近くでは存分に暴れられなかったのではないか?」
確かにそうだ、とぼくは思った。けれど、ロヴシャの反応は思いの外ドライだった。
「イアはそんなにヤワじゃねえよ。オレが死んでもアイツは死なない……そういう奴だ」
「それは信頼かね」
「そういう言い方は好きじゃないね」
好むと好まざるとに関わらず、それは信頼と呼ぶんじゃないだろうか……なんて、ぼくは思う。
ちなみにそのイアは今、遠巻きに二人を見ている。いわば、400メートルトラックの外側だ。
一体どんな表情をしているのだろう……ロヴシャが振り返らないから、ぼくには知る術がなかった。
「まあでも、場所なんぞ二の次だ。オレはお前らの血が見たいだけだからな」
「言ってくれるな、ロヴシャ……ロヴシャ=デュースノム。では」
ざあっと、風が一つ吹いて。
空気が、変わった。そんな気がした。二人は互いに戦闘の体制を取る。
ロヴシャは、空手家のような格好を取っていた。足を前後に開き、前足は伸ばし、後足はひざを曲げる……後屈立ちと言っただろうか。左腕は軽く曲がり、腹部への打撃に対応するような恰好。右腕はかなり高く……掌が額のあたりまで上がっていた。
対する禿頭の男は、薙刀で言う右中段の構え……だったろうか。半身になって足を肩幅に開き、腕の間隔も同じくらい開いている。先端は、真っ直ぐロヴシャへと向かっていた。
「そういえば、まだお前には名乗っていなかったな」さも思い出したように、禿頭の男は続ける。「私はマクダニア北方制圧軍第四班班長、ホルトン=セルモン。我らが将、バルドレオン様の名の下に、お前を誅する」
「はッ、シャレたもんだ! なら、オレは――ロヴシャ=デュースノムは、ハステーロの亡霊としてお前を呪い殺す!」
「参るぞ!」
先に動いたのは、禿頭の男――ホルトンだった。やや手薄な脇腹へ向かっての横薙ぎ。ロヴシャ後ろへ跳んで躱した、かと思いきや、反動をつけてすぐに詰め寄る。左、右と打ち付けるが、杖に受けられる。連打に僅かなブランクが出た瞬間にホルトンは間合いを取り、今度は斜め上から薙ぐ……。
ぼくも少しずつ慣れてきたのか、徐々に二人の戦いに意識が追いついてきた。打ち合いが目に映り、身体の動きがうっすらと、理解出来るようになってきた。
だから言える――これは、今まで想像したこともなかったような戦いだ。あらゆる動きが、速く、力強い。ホルトンの薙ぎや杖での受け、ロヴシャの連打やステップ……その全てが、今まで感じたことのないものだった。
ただ、それを少しずつ理解してきたことで変わったこともある。
一分、二分と経過したあたりから、ぼくはある事実に気づき始めていた。
「どうした、ハステーロの亡霊」
ホルトンの表情は、得意げだった。その表情からして、彼が言いたいことは想像がついた――ぼくが感じるようなことに、二人が気付かないはずはないのだ。あるいは戦う前から、こうなることは予測していたのかも知れない。
「もっと攻めてきたらどうだ。私の顔に、傷でも付けてみろ」
明らかな挑発。ロヴシャはそれに答えなかった。
答えはしなかったけれど、それがむしろ、余裕のなさを示しているように思えた。
片や徒手空拳、片や身の丈を越す棒。
この二つでは、リーチに圧倒的な差があるのだ。
始めこそ、間合いが縮まることもあった。しかしそれは、お互いの小手調べの為だったのだろう。
時間が経つごとに、ロヴシャが距離を詰める回数は減り……ホルトンの一方的な攻撃になりつつあった。
横に薙いでくると、後ろに下がって避けるしかない。そこから詰め寄ろうにも、薙ぎがコンパクトだったり握りが浅かったりすると、すぐに持ち替えられて連撃を喰らうことになってしまうのだ。
そうしてロヴシャは、いつの間にか――防戦一方になってしまっていた。
避けても、受けても、距離が縮まらない。
そうしてホルトンが優勢のまま、時間だけが過ぎていた。
「諦めたらどうだ、ロヴシャ?」
五分か、十分か。一方的な戦いが続く中で、ホルトンはそう言った。
「一言、投降すると言え。その時は――まあ、部下がやられた分、生かしはしないが。楽に、殺してやろう――!」
言葉と共に、幾度目かの薙ぎ。それが、ロヴシャの左腕へと直撃した!
「――ッ!」
ロヴシャは、もちろん、ぼくも……声にならない悲鳴を上げる!
骨に響く、あまりにも痛烈な一撃!
痛覚も触覚の一部……ぼくに伝わってくるのは当然ではある。それでも、この痛みは理屈でどうこう出来るものではなかった。
「この手応え……かなり浅かったか。折れてもいないだろう」
わざとらしく、残念がるホルトン。その言葉通り、ロヴシャの骨は折れてはいなかった。
それでも。
少なくともぼくの心は……この一撃で、ほとんど折れてしまった。
このままロヴシャが負けるのではないかと、そういう風にしか思えなくなってしまった。
こんなわけの判らない世界に来て、わけの判らない人達の前で恥をかいて、わけの判らない戦いに巻き込まれて、何者にも成れずに死ぬのか……と、諦めかけた。
「……攻めてこいと言ったな、さっき」
けれどそれは、ぼくの理屈だった。
「笑わせんな。おめーなんざ、無理に攻める必要なんてねえんだよ」
ロヴシャの意志は、まるで無傷なままだったのだ。
「いくらでも来いよ。防御は最大の攻撃だ――最後に立っているのは、オレだぜ」
「よく言った。ならば、全力で殺してやろう――!」
再びの、薙ぎ。これまでなら、ロヴシャはそれを後ろに跳んで避けた。
しかし、今度は動かない――!
「見切った、おめえの薙ぎはッ!」
そして、その場を動かぬまま。
ロヴシャは、その棒を両手で受け止めた。
「白刃取り――のつもりか?」
ホルトンの表情が、険しくなる。眉一つ、動かない。
「そんな所だ。予測してなかったか?」
今度はロヴシャが、得意げな表情を浮かべていた。
「さっき、腕に一発喰らったな。あれが最後の調整だったんだ。タイミング、力加減のな!」
ホルトンが、鼻を鳴らす。今度ばかりは、ロヴシャを褒める言葉も出ないようだった。
「コイツをこのまま、圧し折ってやる」
そう言うが早いか、ロヴシャは棒に背を向け、肘裏のくぼみに棒を引っ掛ける。
梃子の原理で折ろう、ということだろう。これでロヴシャの勝ちだ――そう、思った。
だが、甘かった。
「ロヴシャ……貴様とは、本気で戦って良いようだな」
「戯言を!」
ホルトンの言葉に耳を貸さず、肘に力を込めた――ように見えた。
いや、間違いなく込めた。棒を挟んだ肘は、既に腹の前まで動いていた。
しかし、棒は折れていなかった――いや、それどころか!
まるで蛇のように、棒が柔かくくねっている!
「! お、お前……ッ!」
「安心しろ、ここからが私の本気だ――ロヴシャ=デュースノム」
ホルトンの表情は、最早不気味なほど動きがなかった。
そしてひたすらに淡々とした声色で、こう言うのだった。
「我が縦横無尽の柔らかき杖……そのすべてを以って、貴様を誅してやろう」