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4 扉を叩くは不穏の使者

「マクデヌアだ……?」

 ぼそりと呟く。先ほどまでの明朗な声とはまるで違い、ドスが効いて低い。


「ロヴ! 待って、落ち着いて」

「馬鹿言うんじゃねえよ。オレがあいつらに何されたか、知ってんだろ」

「それは……」


 イアの静止など、まるで気にしない。ロヴシャは乱暴に立ち上がり、イアに背を向ける。

「出て来いだ? 上等じゃねえか。何の用だか知らねえが、全員ブチのめす」


 その言葉にイアは青ざめ、黒髪の子は顔を伏せる。ぼくには事情がよく判らないけれど、一つだけハッキリとしていることがあった。

 ロヴシャは、本気だ。それは表情からも明らかで――心なしか、彼の内なる声さえ、こう言っているように思えたからだ。

 マクデヌアンは皆殺しにする、と。


「その気持ちは尤もだよ、ロヴ。でも……」言葉は早く、なんとかロヴを鎮めようと焦っていることが読み取れる。「でも、こんなところで下手に手出ししちゃいけないよ。ロヴの戦いは、長く続くんだって……自分で言ってたじゃない」

「……確かに、言った。その通りだ。だが……今のオレは、そんな道理では抑えられそうにねえ。今すぐ……殺さないと」


 言い終え、部屋を出ようとする。

「ロヴ!」

 駆け寄ったイアが、その腕を掴んだ。


 ……扉を激しく叩く音が、また始まった。その中で、二人がそうしていたのはほんの一、二秒だったろう。

 けれどぼくには、その数秒が嫌に長く感じられた。


「止めるな、イア。もう耐えられない」

「止めないよ。耐えなくてもいい。でも……私も行かせて」


 ロヴシャが急に翻る。

「バカ言うんじゃねえ! あいつらが何するか、判んねえんだ!」

「私には! ……私には、ロヴが何するかの方が、判んないよ。でもロヴは、私がいれば……自分の命を無駄にしないでしょう」

「おまえは……っ」


 その時ロヴシャはどんな顔をしていたのだろう。それは直後にまた聞こえただみ声のせいで、伝わってこなかった。

「速やかに顔を出し給え。十秒以内に現れない場合は、強行突入させて貰う」


「ほら、ロヴ。行こう」

 ロヴシャは一瞬だけ、苦虫を噛み潰したような顔をした。そして、歩きだす。恐らく玄関へ。

「二人とも、ここに居てね。……絶対、大丈夫だから」

 そう言い残して、イアも続いていった。




 やや、話が逸れるけれど。

 ここで少しだけ、ぼくの現状を言わせて欲しい。

 

 引き続きぼくの意識は、ロヴシャの中に入り込んでいる。

 そしてこれはまだ推測だが――恐らく、彼と五感を共有している。


 視覚がそうなっているのは、先ほどから変わっていない。それに加えて、ついさっきイアがロヴシャの腕を掴んだ時に、その感覚がぼくにも伝わってきた。それらを踏まえての、推測だ。

 ひょっとしたら勘違いかも知れないし、味覚や嗅覚は判断材料が無い。ただ不思議と、きっとそうだという確信があった。


 さらに言えば、聴覚と、そこから得た情報の解釈も共有しているように考えられる。

 先ほどから彼らの会話が理解出来ているのは、そういう理屈だというのが、最も考えやすい。


 仮説の上に積み上げた仮説だけど、例えば……イアが、この世界の言葉で“rain”と言ったとする。それを聞いたロヴシャは、これを「空から降ってくる水」と解釈する。今のぼくはこの解釈をロヴシャの中から参照し、尚且つこれを日本語へと再翻訳することが出来る……ということだ。

 この流れは一方通行で、「雨」という日本語をぼくが「空から降ってくる水」と解釈しても、それをロヴシャに伝えることは出来ない。勿論、ぼくが自力で翻訳することも出来ない。だから、自分から話すことが不可能だった……ということじゃないだろうか。


 まあ、平たく言えば。

 ぼくは今、ロヴシャが聞いて見て触ったものを、一方的に読み取れる立場にいる、ということだ。


 それとは別に、もう一つ。

 ロヴシャが部屋を出た瞬間、ぼくの肉体の視界が、ぷっつりと感じられなくなってしまった。

 例えるなら、そう。スマートデバイスで動画サイトを見ていて、不意にルーターの電源が落ちたときのような。

 繋がりが切れたような感覚と共に、視界の一つが遮断された。

 

 こんな場面じゃなかったら、心配で堪らなくなる事態かも知れない。

 ぼくの身に何かあったのか、襲われて失神したのか、とか考えたかも知れない。


 だけど、そんなことは思いもよらなかった。

 これからロヴシャがどうなるのか……その事で頭が一杯だったからだ。




 そんな場面。

 閑話休題と言うべきだろう、この瞬間。

 イアを背後に、ロヴシャは自ら――玄関のドアを、開け放った。


 玄関の外は、僅かに勾配のついた幅広い道になっていた。

 先ほどの――ぼくが獣に驚いて、失神した――バルコニーの真裏で、舗装されていない道沿いには空地も目立つ。いわばバルコニー側がダウンタウンで、こちらはまだ開発が進んでいないのだろう。街と反対の道の先には、森があるようだった。

 とはいえ、道は道だ。そこまで広いわけではない……そんな場所に、ざっと数えて二十人ほどの男が、得物を携え立っていた。


「お前が、ロヴシャ=デュースノム……だな」

「何の用だい、大勢で……キレーな雁首揃えてよォ」


 イアの説得が効いたのか、先ほどよりは若干ながら落ち着いたロヴシャ。とはいえ、不快感は丸出しだ。その態度に、数名の男は眉をひそめた。

 先頭に立つ禿頭の男がわざと咳払いをして、仰々しく言った。


「ロヴシャ=デュースノム。今日はお前に、誘いがあって来た」

「誘いだって!」

 聞くなり、右の口角をぐにゃりと曲げる。きっと挑発的な笑みを浮かべて、ロヴシャは言う。

「聞く耳持たねえよ。本来ならな――でも今は仕方ねえ。言うだけ言ってみろよ」


 貴様、と男の一人が、腰の剣に手をかける。先頭の男はそれを指で制した。

「我がマクデヌア北方軍は、勢力圏拡大の為に遠征軍を拡大中である。お前には、それに兵として加わって貰いたい」

「何故」

「『橙橙発止 (とうとうはっし) 』の拳士ロヴシャ――その名は、この辺りでは随分評判だと聞いたからだ。その力、我々の為に振るい給え」

「……それだけか?」

「我々が求めているのは強い力だけだ」

「ああ、そうかい」

 混沌としたロヴシャの気持ちが、うっすらと伝わってくる気がした。不愉快を通り越して、喜劇のようだと言うような。


「なら、こいつの手前……もう一つだけ、訊かせてもらおうか」イアを流し見てから、先頭の男を睨む。「その誘い、断ったらどうなる?」

 男は軽く溜息を吐き、感情を込めずにこう言った。

「聞かれずとも、こちらから話すつもりだったが――その場合は我々に反したと見做し、死んでもらうことになる」


 言い終えると同時に、ロヴシャは笑い出した。抱腹絶倒、腹の皮が捩れてこのまま死ぬんじゃないかと思えるほど――狂ったように。

 大口開き、声高らかに。フラフラしながら、思い切り。……けれどまるきり、やり辛そうに。


「イア……お前の役目は無さそうだな」

 ひとしきり、一人で笑った後。ロヴシャは、イアに目を向けた。

「従わなきゃ、オレを殺すとさ! そう言われちゃ、話しようも止めようもねえ。そうだろ?」

「……」

 イアは、俯いて。そして一歩、後ずさった。


「答えを、聞かせてもらおうか。ロヴシャ=デュースノム」

 ロヴシャはその言葉を、鼻で笑った。

「ハゲ野郎。てめーのツラが気難しそうだから、話してやんよ」


 ロヴシャの頭に、少しずつ血が上っていた。

「こっから南、馬で半日くれーんトコによ、ハステーロっつー自治領があった。領地は大して広かねーが、そこそこの武力と交渉で周りの国と上手くやっててよ。結構居心地良かった」

 一瞬だけ、懐かしむように……ロヴシャは、眼を細めた。ぼくにもその街並みが、見えたような気がした。


「三年前だ」

 心臓に、手を当てる。

「平和だったハステーロを、歩兵団が蹂躙した。何でもかんでもぶっ壊されて、略奪されて……去り際に火も放ちやがった。もちろん大勢の市民が死んだ。オレの……オレの母親と、妹もだ! ……その歩兵団ってのが、おめーら。マクデヌアのヤツらだった」


 ロヴシャの怒りは、もう収まらない。

 言わずとも――その場の誰もが、ロヴシャの答えを既に予見していた。


「イア」

「……大丈夫。自分の身は、自分で守れる」

「その言葉、信じるぜ。……おい、ハゲ野郎。お待ちかねの答えだ。よく聞け」

 最後の確認は済んだとばかりに、ロヴシャは目を見開いた。




「てめーらの仲間になるなら死んだ方がマシだ!」




「かかれェ!」

 禿頭の男が叫ぶ。剣を握り、槍を構えた男達が、ロヴシャに立ち向かっていく。

 それと同時にロヴシャが動き出した――その、次の瞬間には。


「……ひとりめ」

 一人の剣士が、ロヴシャの足元に伏していた。


「随分と、遅せえな……揃いも揃って素人か、ええ?」

 ステップを踏みながら、ロヴシャが言う。男達はその一瞬の出来事に、明らかに狼狽していた。

 ロヴシャの中に居るぼくでさえ、男達と同じだった――何が起きたのか、まるで判らなかった。


「そっちから来ねえなら――!」

 間もなくロヴシャが踏み込み、男達との距離を詰める。そして体重が腕に乗った……そう思った次の瞬間には、槍士が両膝を着いていた。斬りかかってきた剣を半身で避けて、ボディーブロー……それ以上はもう、意識が追いつかなかった。

 連続して、筋肉が伸び、重心が動き――気付いた時には二十の男が、倒れこんでいた。

「楽勝だな、拍子抜けだ」


 信じられないような、神業――!

 そして尚恐ろしいのは、これだけのことを為してロヴシャの身体から疲労を感じないことだ。

 ロヴシャ――この男は、何者なんだろうか。


「ふん、流石といったところか……ロヴシャ=デュースノム」

 だが、しかし。

 この神業を目の前にして、まだ余裕を持った男がいた。


「嬉しくねえよ、ハゲ野郎。てめーらに何言われようがな」

「丁々発止というには、随分一方的なものだ」

「知らねえな。呼び名に合わせる義理はねえ」

 話しながらも、互いに警戒し合っている。禿頭の男が強いことは、ぼくにも何となく伝わってきた。


「御託はいい。さっさと来ねえか、ハゲ野郎。てめーがこん中で一番強えーんだろ」

「そう焦るな――ここで()り合っても、転がった部下達が邪魔だろう」

「はッ、蛮人なりの気遣いか? 優しいねェ」

「場所を変えるぞ。マクデヌアに反した者は――お前は、そこで誅してやろう」

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