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3 仮初めの胸は筋肉達磨

 ぼくはより一層、混乱していた。たった今起きている二つの事態。それらを、飲み込むことが出来なかったからだ。

 さっきからわけの判らないことばかりだけど、これは度が過ぎる。と、思う。


 その事態の一つは、自分の肉体が目の前にあること。

 鏡があるわけでもないのに、自分の肉体が眼前にある。そのことがまず、理解不能だ。


 そしてもう一つは――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 他に言い様が見つからない。意識の中に、二つの違う景色が広がっていた。


 違う景色というと、少し語弊(ごへい)があるだろうか。

 今いるこの部屋を、二つの視点から見ている。

 片方の視点は今、ぼくを見ている。もう片方の視点は、天井を向いている。そして両方の視覚情報が、頭の中へと同時に流れこんでいる!


 まったくもう、幾度も……、幾度も覚えた感想だけれど。

 本当にわけが判らない。

 この現象は一体何なのか。立て続けに起きる怪現象に、頭がパンクしそうだった。


「大丈夫? なんか、ボーッっとしてるけど」

 群青の人が、ぼくの身体に話しかける。心配げな声色が、暖かかった。

 彼女の声に反応したのか、片方の視線が彼女へと素早く移る。そしてもう片方も、ゆっくりと(なら)った。

 そこで、それぞれの視点の高さが違うことに気付く。素早く動いた方は群青の人とほぼ同じ。そしてゆっくり動いた方は、見下げるかたちになっていた。


 となると、ゆっくり動いた方はぼくの肉体の視界……ということで、間違いない。立ち上がっているから、こうなっているのだろう。

 更に、今ぼくが居ると認識している身体が、誰のものかも判った――筋肉の人のものだ。先ほど幽体離脱したとき、席順はぼくの肉体から時計回りに黒髪の人→筋肉の人→群青の人だったのを覚えている。そして、ぼくがいる身体と群青の人は、テーブルの短辺の延長上で向かい合って座っていた。となるとこれも、間違いはないだろう。


 つまり、今のぼくは。

 ぼく自身の肉体の視界と、筋肉の人の視界。

 その両方を、受容していることになる。


「意識は戻ったみたいだね。よかったよかった」

 群青の人はそう言って、にっこりと笑う。それはまたしても、不安を和らげる表情だった。

 そしてぼくを座らせ、再び筋肉の人との会話に戻る。


「ほら、やっぱり平気だったでしょ」

「そりゃ、まあ」

「ロブの言う通り、寝かせても問題なかったと思うけどね。でも、一人にさせるのは抵抗あったし」


 それを聞き流しながら、努めて気持ちを落ち着かせる。

 ぼくの身に、今何が起きているのか――状況整理をしようと考えた。


 一つ、ぼくは今、ぼくの知らないどこかにいる。

 一つ、ここは日本ではない。街の風景から明らかだ。出店の商品からして、地球上ですら無いか知れない。

 一つ、ここの人達とは、言語がまるで違う。

 一つ、ぼくの意識は一旦幽体離脱した。ただし、今はしていない。

 一つ、幽体離脱後、ぼくの意識は自分の身体へ受肉したと思っていたが、実は筋肉の人に入っていた。

 一つ、現在ぼくは、筋肉の人とぼくの肉体、それぞれの視界を受容している。

 一つ、現在の状態で、ぼくの肉体を動かせなくはないが、難しい。周りを見回そうとして何故か起立してしまうくらいに。


 とりあえず、こんなところだろうか。

 問題がハッキリすると、少しだけ気が楽になった気がした。


「うーん、残念だなあー。色々お話したいのに、言葉が違うんだもんねー」

「一体何語なんだ、そいつが喋っていたのは?」

 ……と。

 そこでふと――あるいはようやく、か。ぼくは、違和感に気付いた。


「さー。皆目見当がつかないでっすー」

「おいおい」


 あ……あれ?

 耳を疑った――会話の内容が判るじゃんか。

 声は意味不明なのに、頭の中へ全語訳が流れ込んでくる!

 ていうか混乱続きでうっかりしてたけど、さっきから言葉を理解出来ていた気がする。なんともまあ、アホらしいけど。


「そんなこと言われてもナー。どこから来たのかさっぱり」

「んだよ、それ」

「異世界から呼んでも言葉は通じろー、と思ってたのが甘かったなー。名前すら知らないしぃ」

「オレと一緒じゃん」


 丁度、ぼくの話をしている。都合が良い。

 いつの間に判るようになってたかは、さておき。理屈よりも、まずは周囲の理解だ。

 ぼくはカイガ。有本快雅だ――と、そう言おうとした。

「……っぁ」

 聞き取りが出来るようになったんだ。話すことも出来るんじゃないかと、口を開いた。


「ん、何か言った?」

 しかし、これが……上手くいかない。群青の人が気付いてくれたけど、まるで声になっていない。

 さっき、周りを見ようとして難航したように。言葉を発することもまた、容易ではなかった。

 発声が思ったようにいかない。口も、喉も、中々どうして反応してくれない。


「いゃ……ぎ」

「ヤギ? それがきみの名前?」

 誰がヤギだ。

 いらだちを募らせながら、精神を集中させる。


「アイ……アン!」

「強そうな名前だな」

 首を振る。簡単な動作だからか、これは上手くいった。

 ぼくは金属でもゴルフクラブでもないの。


「首を振ってるな。イア、これはどういう意味だ?」

「ハエでも飛んでたのかなー。なんか嫌そうな顔してるし」

「……」

 なにそれ!? 

 まさかジェスチャー通じないのかこの人達!

 ハエなんか居ねえよと思いながらもう一度、気力を振り絞って声を張る。


「キャい……かっか、か。カイガ!」

 言えた!


「カイガ? って、なんだろう」

「名前かな? 彼の」

 ぼくは頷く。


「なあイア、こいつ今度は首を縦に振ったぞ? その上変な顔してる」

「またハエが飛んできたのかな。でも今度はそんなに嫌そうな顔してないね」

「肩こりでも起こしてんじゃねえか? 首の体操とか」

 ああもう、ホントにジェスチャー通じないなこの人達!

 ってか変な顔って失礼だな。それはぼくの笑顔だ。


「ゴフン」

 わざとらしく、咳払い。気を取り直す。

 親指で自分を指し、もう一度ぼくは宣言する。

 カイガだ。有本快雅。

「カイガ……カイガ、アリモーチョ」


 ……あっ。

 苗字、噛んじゃった。


「自分のこと指差してる。やっぱりカイガっていうのは、彼の名前みたいだね」

「そうか、お前カイガ=アリモーチョってのか」

 しかもこんな時に限って、ジェスチャーが通じてしまった。


「……ッ、……」

 違う、有本だ。

 そう言おうと思ったけれど、とっさに「違う」という単語が訳せない。そもそも、彼らの言葉が一切口から出てこない。

 どういうことだ。周りの言葉は理解出来るのに、自分からは発信出来ないなんて?


「オレはロヴシャ。ロヴシャ=デュースノムだ。よろしくな、アリモーチョ」

「私、イア。イア=ロンダマイト。アリモーチョって呼べばいい? それともカイガ?」

「アリモーチョって響き、オレは気に入ったけどな」

「それはロヴの理屈でしょ。最初にカイガって言いかけてたし、そう呼んで欲しいんじゃない?」


 ヒアリングとスピーキングと、何がそんなに違うんだ――なんて、考えているうちに。

 二人に自己紹介されて、訂正(ていせい)するタイミングを失ってしまった。



 ……まあ、いいか。

 以前から、有本って名前に愛着があったわけじゃない。

 あいつらと家族である証なんて、一つでも少ない方が良い。



「っと。今日はもう一人、居るんだったね」

 はっとして。

 群青の人――イアの声で、ぼくは考えるのを止める。

 イアは身を乗り出し、テーブルの対角線上に笑顔を向けた。

「ねえ、あなたは? 名前教えてよ」


 その時、ぼくの肉体と、筋肉の人――ロヴの視線が、一人に集まった。

 ついさっきは逆光の中にいた、黒髪の少女。



 その瞬間を、ぼくは一生忘れないだろう。



 大袈裟だけど、でもそうとしか思えない。

 突然この場所に来てしまったこと。幽体離脱したこと。他人の身体に入り込んでいること――その全てに勝る、大きな衝撃だった。



 緩く癖のかかった、真っ黒な髪。その下には二重まぶた、大きな瞳。鼻や口には幼さが残っているのに、眼つきは不釣り合いなまでに冷たい。

 そのアンバランスな魅力に、ぼくは一目で打ちのめされた。

 心臓も止まりそうな美しさだと思った。身もふたもない言い方をするなら、そう。


 一目惚れだった。


 ぼくは数秒の間、それにさえ気付かないで彼女を見詰めていた。ぼくの肉体とロヴシャ、言い換えれば正面と左から同時に見る彼女は、言い様も無いほど綺麗だった。

 そのまま見続けていたい。本気でそう思った。


 しかし、そうはいかなかった。


 ぼく達三人の目線に、彼女がわずかに()け反った瞬間。扉を叩く音が、大きく鳴り響いた。

 それが止むと間髪入れず、不愉快なだみ声がこう叫んだ。

「ロヴシャ=デュースノムはいるか。こちらはマクデヌア北方軍である。ここに居るのだろう。直ちに出て来給え」


 その言葉が終わるか終らぬかの、ほんの数秒のうち。

 ロヴシャはその表情を、憎悪の色に染めていた。


 先ほどぼくに見せた顔とは比べものにならない――殺意の塊。

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