4 明日の糧にと気は逸り
部屋に伸びる影は長い。ぼくは丸一日眠っていたのだろう。
そう思ってイアに聞いたところ、もう二日経っているという。
正直、唖然とさせられた。
でもイアは、≪距離≫の魔法なんかでぼくとレレイウを安置したあと、自分も死んだように眠った、と言うだけだ。
「その間に襲われなくて、本当良かった!」
なんて、本人は言い切ってるけども。
火を見るより明らかな空元気だった。
実際まだ、自力で立ち上がることもできていなかった。ぼくが床から出ても、その場から動かない。
それでもまだ、「ちょ、ちょっと腰が」なんて茶化す。ので、もう有無を言わさずに、横にさせることにした。
ロヴシャとの生活の賜物だろう、女の子一人持ち上げるのに、さして苦労はしなかった。
「ああぁカイガ、お腹空いてるでしょおおぉ」
なんて、布団をかけられてからも言っている。もう手も上がらないほどのくせに。
ぼくは聞く耳をもたなかった。
ていうか。
自分がこんな状態なのに、ぼくを優先して休ませてくれたのか?
「大丈夫。ありがとう」
自分でも気づかないうちに、言葉が口を衝いていた。
ぼく自身の言葉だと気づくのに、数瞬かかった。ほとんど無意識だった。
するとイアは、ふっと顔の強張りを解いた。ぷつりと糸が切れたように。
「あ……うん。そっか」
そしてそれだけ言うと、ほどなくしてまぶたを閉じた。
本当に、無理をしていたんだろう。
もう眠ってしまったイアに、またなんとなく頭を下げた。
……このまま上げないほうがいいんじゃないかという気さえするけど、悪ふざけだと思われるだけだよなあ。
少しして、レレイウを探すことにした。
もっとも、「探す」なんてほどでもなかった。昨日と同じ場所で、静かに寝息を立てていた。
「ま、そりゃこうなるかあ」
指一本触れられないのだから、イアも寝床に運べなかったのだろう。
丁寧にかけられたブランケット代わりの布を見ていると、また申し訳ない気持ちになってもくる。
けれど安らかな顔を見ていると、あまり気にならなかった。
「いつ起きるのかな」
この子もたぶん、二日間寝続けてるんだとうけど。
無事だと判ったら、なんだか急に腹が減ってきた。
炊事場に向かい、常備菜の漬け物をつまむ。干物をかじる。
それで小腹はふくれる。
でも満たされたなんてもんじゃない。
「そういえば」
昨日、それらしいものを買ったんだっけか。
買い出しの荷物を漁り、目標のものを見つけだす。
古くて小さめの樽。中には中力粉と思しきものが入っている。
改めて触ってみても、感触は親しんだそれと代わらない。
「よし」
確認が済んだところで、井戸へ行って水を汲みにいく。
天秤棒で限界まで。だいぶ多いけど、あって困るものでもない。
帰ってから木のカップに水を満たして、イアが寝るそばに置いておく。
寝顔を見てふと、どこかケガをしてはいないかと気になる。こっそり四肢を見ると、措置が済んでいるようだった。自分でやったんだろうか。器用なものだ、と関心させられる。
と、その瞬間。ぼくは重大なことに気づかされた。
……体幹は大丈夫だろうか。
見てもいいのか、ぼく。
見ちゃうのか!?
「いやでもほら、エンダルからエグいの喰らってたし……」
誰も聞いてないのに、言い訳したりして。
当然だけど返事がないのを確認して、ぼくは服の裾に手をかけた。
あれだ、これは健康診断だ! やましいことはない!
覚悟めいたものを胸に、ぼくはさらに手を進めた。
腹筋がのぞく。人体構造のモデルかくのごとし、と唸るばかりの造形。
無駄な肉など少しもなく、どこか力学的なものを思わせる頼もしさまで放っている。
さらに服をはだけさせると、豊満な胸もあらわになる。この上なくきれいだ。
大胸筋がしっかりしていると大きくなるというのは、本当だったってことかぁ。すごいボリュームだ。
「いやこのへんにしとけ、ぼく!」
恩人に仇を返す真似しちゃいけねえ! ああでも手が勝手に動く!
外傷確認できず! 体温、脈拍ともに正常だな!? くそう吸いつくような肌してやがる!
そもそも現代日本よりぜったい食料供給不安定だよなあ!? それでなんでこんな発育してるんだ!
「……。……だ、大丈夫そうかな」
断腸の思いで手を離す。手早く服を元に戻す。すぐに部屋を出る。
いつ理性が飛んでもおかしくなかった。あらゆる全てが限界だった。
一呼吸置いて、便所に駆け込んだりして、その後でまた炊事場に戻ってきた。
「さ、やろう」
落ち着きを取り戻したところで。
「料理再開で、いいんだよな……?」
いざ準備が済むと、ほかに優先すべきことがあったような気もしてくる。だが思いつかない。
そのうち思い出すだろう、くらいの気持ちで、とりあえず手を動かすことにした。
まず(暫定)中力粉に水そこそこ、塩を少し。ある程度混ぜたら、涼しいところに寝かしておく。
その間に干物を持ち出す。
めんつゆのベースになりそうな魚介類がコレしかないのだけれど、上手くいくだろうか。
しかも塩気が強い。とりあえず試しに二枚、水を張った鍋で塩抜きしておく。
もし失敗したらなあと思いながら、食材置き場をガサゴソする。すると干し肉と一緒に、カピカピになった何かの骨を見つける。
大きさからして、アレだろうか。ぼくが初めて来たときに見た、レレイウが命を奪ったという、あのイノシシみたいな獣。
「試す価値アリ、だよな」
手近なトンカチでサイズを調整してから、テキトーに水で洗う。そして一番大きな鍋にぶち込んで、井戸水を注ぐ。火をつけた炉にくべて、直火に当てる。あとは成功を祈るだけだ。
そろそろ頃合いか、と混ぜた中力粉をふたたび手に取る。いい感じにまとまってくれている。
ならば次は踏む作業だ。日本だったらビニールの上からやるんだけど、ここにそんなものはない。可能な限り足を洗って、見た目きれいな布の上からやるしかない。食中毒なんぞにはならないよう、やっぱり祈るばかりになる。
汲んできた井戸水で、足をジャブジャブする。と、足音が聞こえてきた。
「あ、レレイウ」
目が合う。どこかぼーっとしている。元気がない……わけではないのかな。
そう思うと同時に、声が出た。
「きみもやる?」




