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3 幽世にはまだほど遠く

 ぼくは必死だった。それだけは確かだ。

 なにかの論理があって、そんな行動に走ったわけじゃなかった。


 そう、完全に直感だ。

 思いもよらず人を殺し、はばかることなく絶叫し、辛い過去を見せられているレレイウ。

 彼女には言葉なんて届かないと思った。

 かといって放っておくわけにもいかない。

 どうしても彼女を止めなければと思ったら、自然と身体が動いていた。



 けど決して、格好のいいもんじゃない。予想が悪い方向に当たっていたようなものだ。

 肩が触れた瞬間、ぼくは自分の意識が薄くなるのを感じた。

 腕が回ったかどうかさえ曖昧だ。力なんて籠もっていなかった。


 視界が妙に暗くなる中で、ぼくはようやく、自分の死を意識した。

 それもいいかとすぐに肯定した。

 恋した人のために、死ねるのなら。





「……あれ?」

 だから。

 また目が開いたとき、ぼくは呆然とした。

 眩しい光がいつか見た天上を照らしている。

 ここはロヴシャの部屋じゃないか。どういうことだろう、なんて。


「バカあーーッッ!!」


 思っていたそばから、叫ばれた。

 憑依しようか躊躇うほどの剣幕で、イアがそばに立っていた。怒髪天を衝くように思えた。


「自分が何したか判ってる!?  レイちゃんに触ったら危険だって、あんたも気づいてたんじゃないの! あと一秒でも気づくの遅れてたら、どうなってたか」

 ピシャっと言い放たれて、思わず彼女から目を逸らす。

 何を言われるかと肝を冷やしたまま、ぼくは次の言葉を待った。

 けれどいつまで経っても次は来なかった。


「……?」

 もう一度目を向けたとき。その表情は思っていたのとはまったく違っていた。


 イアは怒るように、泣いていた。

 思えば初めてのことだった。乱暴な言葉だって、彼女の涙だって。どちらも見たことがなかった。

 彼女が愛するロヴシャが決闘を挑まれようが、彼が不在の内に襲われようが、泣かなかったっていうのに。

 一滴ならず、赤らんだ頬に筋を作っていた。


 だからその泣き顔を見て良いものなのか、まるで掴めず。

 ぼくは自分でもわかるくらい、目が泳いだ。



 どうもそれがまた、彼女の気に触ったらしい。

 彼女は手を振り上げると、ぼくの頬を思い切りひっぱたいた。



 短く響いた音のあと、静けさが続いた。

 少し伏せていた目をまたイアに向けた。また一つ、涙が筋を伝って落ちていた。

「死ぬかもしれなかったのよ」音程もあべこべだったが、はっきりとそう言った。


「ぼくは……」

 口を開いた瞬間、言葉に詰まった。単語力の不足ではなく、感情がいくつか溢れていたからだ。

 心配をかけて悪かったとか。

 いまになって怖くなってきたとか。

 泣いてくれて嬉しいとか。

 もう何年も忘れていたような思いが、急に顔を出してきた。


 けれどそれに追いつくものもあった。

 感情を表してもいいことがない、気持ちは殺すべきだと。

 ずっと居座る諦観が、またぼくを支配した。


 結局口を衝いたのは、いちばん冷たい思いだった。

「……思う。一度死んで、ここにいる」


「カイガ、あなたは」

 くしゃくしゃの顔のまま、ぼくの言葉を噛み砕いてくれている気がした。

「元の世界での人生が、終わったものだと?」

 その通りだった。ぼくはイエスと答える。

「つまり、――すでに一度死んでいるから、自分がどうなってもいい?」


「それは」

 はっとした。

 イアの言葉は図星だったけど、不思議と否定したくなるものだった。


 確かにぼくは、自分がどうなってもいいと思っていた。でも今はどうなんだろう。

 好きな人ができて、友人ができて、見習いたい人ができた。

 未知の力も手に入った。過去を清算できるとも思った。


 だったらぼくは、死んではいけないんじゃないだろうか!


「イア、ぼくはそう思ってた。でも」

 彼女は真っ赤な目のままで、ぼくを見てくれていた。

 だからだろうか、蓋をしたつもりの気持ちが、飛び出してきた。

「ごめん。いま、怖い。あと、――ありがとう」


 自然と頭が下がった。

 イアには意味が判らなかったようで、目線を合わせるまできょとんとしていた。

 でもまたぼくの顔を見ると、ただにっと笑った。いや、笑おうとした。

 

 力なくぼくの名前を呼ぶと、イアはぼくにもたれかかってきた。

 いっそ崩れかかってきたと言っていいと思う。すっかり力が抜けていた。

「良かったよぉ、カイガ」うわごとのように繰り返しながら、今度は(せき)を切ったように泣き出した。


 こんなになるほど、イアはぼくを心配してくれたのだろうか?

 疑う気持ちも無いではなかったけれど、なんだかどうでもよくなった。


 (とこ)に突っ伏して泣く彼女に、いつもの落ち着きなんかなかった。

 それだってのに、どうしてだろう。ふと覗く横顔が、いつもより綺麗に見えて。

 やっぱりこの人のようになりたいと、改めて思わされた。

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