7 いのち求むる路を往く
翌朝。
日の出とともにオレは宮殿を出、レルイスへの道を馬で走っていた。
いや、日の出といっても、陽の光はまるで差しちゃいねえ。時間的にそんなもんだってだけだ。
空はドコ見ても雲ばっかだ。昨日の日没あたりから、雨が降り続いていた。
地はぬかるんじゃいるが、走るのに対した問題はねえ。
長い年月をかけて踏み固められた道は、蹄をしっかり受け止めてくれる。
多少の泥ハネはあるが、そもそも今は土砂降りだ。気にする方が難しい。
「そういや往路も、雨が降ったんだったか」
止みそうにない雨音を聞いていて、ふと思い出す。
サバンに急いで貰って、それでも到着寸前に降り出していた。
『もう少しお待ちくだされよ、ロヴしゃま』
……なんて、サバンのことを思い出したからか。
昨夜かけてくれた言葉が、頭に蘇ってくる。
『お急ぎであることは、重々承知しております。しかし、これからまた激しい雨が降りそうですぞ。路面が乾くまでとは言いませぬが、多少なら出発が遅れても問題ありますまい』
心配してくれているのが、よく判った。少し気が咎めた部分もある。
でもオレは、首を横に振った。自分に言い聞かせるように。
『そうはいかねえよ。本当は今すぐにだって出ていきてぇんだ。こうしてる間にも、みんなに迷惑かけてっかも知れねえ』
昨夜は月明かりもなかった。暗い夜道を走れはしないから、今日まで待たざるを得なかったが。
気持ちは、こうして走ってる今でも逸るくらいだ。
祭りに間に合わせたい、自警団としての責務が気にかかる、というのももちろんだが。
三人の身に何か起きてんじゃないかって、正直、怖え。
それはひとえに、あのホルトン=セルモンが由来だ。
あの男はオレの住み家を知っていて。そしてオレは、あの男を殺した。
もちろん、そうせざるを得なかったのは事実だ。
向こうも殺す気だった。結果的には二十人がかりで。
それを返り討ちにしたんだ。マクデヌアンの側からどう恨まれてるか、わかったもんじゃねえ。
『迷惑、というのは。お祭りの準備ですかな?』
サバンはきょとんとして、そう言った。
マクデヌア軍から恨みを買っちまったなんて、この人には口が裂けても言えねえ。
だから、『ま。そんなトコだよ』なんて誤魔化した。
それでも……、なんてサバンは食い下がろうとしてたけれど、『親父のせいで疲れてるんだ』と言ってオレが寝室へ足を向けると、それ以上口を出してはこなかった。
「親父、か」
そういえば、そうだ。
昨日の戦いのあと、レルイスの件に関しては条件を呑ませた。
口約束ではあるが、むしろ言質を取ったと言って差し支えないくらいだと思う。
『ただし、だ』
あの更地で、取り決めが終わって。
オレが宮殿に戻ろうとしてたとき、親父はこんなことを言っていた。
『自分の力量を見誤るなよ。たった一人で真正面からマクデヌアと戦おうなどとは考えるな』
『んなの……判ってらぁ。今のオレじゃ親父一人に勝てるとすら、思っちゃいねえよ』
『今の、か』
『ああ。今の、だ』
そこで少しだけ、親父が笑ったような気がした。
『言っておくが、この一日で私の能力のすべてを見せたわけではないぞ』
『あん?』
『その気になれば、私は他人の血流さえ止めることができる。三十秒も人肌に触れてみろ。彼奴の血潮は静かに淀み、やがて死を迎えるだろう』
『……あっそ』
三十秒もおてて繋ごうってか? そんな友好的な戦いなんてあるもんか。
ってか、そういうの、一般的にさあ。
負け惜しみって言うんじゃねえかなあ。
『もう戻るよ、オレは』
結局どこか子供っぽいな、なんて思いながら。オレは一人、その場を後にした。
今日発つときに挨拶をしたわけでもないから、親父とはそれっきりだ。
「なんか、らしくもねえな」
ぼんやりと昨日を振り返るなんて。
こうして一人で走りでもしなけりゃ、そうそうすることでもねえ。
風景は変わり映えがしねえし、この雨だからすれ違う人もいねえ。馬もすこぶる快調とくら。
「こういうとき、イアがいたらなあ」
日が沈むそのときの空を思わせる、あの深い紺色が目に浮かぶ。
あいつがいたら、きっとオレの知らない話を語ってくれるだろう。もう何年も一緒にいて、何度も話を交わした。が、あいつのことだ。きっとオレが知らない知識を、まだまだたくさん持っている。
アリモーチョがいたらどうだろう。
あいつはまだまだ言葉を知らねえ。でも熱心に話を聞いてくれるし、習得にも熱心だ。オレが帰ったときにはきっと、さらに多くを話せるように違いねえ。
でもまあ、語り合うっつーのはずっと先の話だろ。今あいつがいたら、そうだな。肉をつける方法について言って聞かせてえ。せっかく筋がいいんだ。あのヒョロいのがもっと体重を増やせば、きっといい戦士になれらあ。ま、オレには及ばねえけど。
レレイウがいたら。リンカがいたら――。なんて、空想がぐるぐる廻る。
「ん。そうか」
それで、一つ気づいた。
「オレって結構、レルイスが好きだったんだな」
こんなふうに街のやつらについて考えているなんて、気づかなかった。
常に優先するのは復讐のこと。そのためにいつも、強くなることを目指す。
自警団だなんだ言ってるのは、トレーニングのついでにすぎない。ハズ、だったんだがな。
『レルイスの聖誕祭に必ずや間に合おうと意気込んでいたロヴシャ様は、本気だったように思えますでな』
といえば、昨日のサバンの言葉だけど。まさかあの人はこのことを見抜いていたのだろうか。
いくらなんでも……と思う一方、ありえないとも言い切れない。
次に会ったら訊いてみようか。
「なんか、早く帰りたくなってきたな」
至極自然に、言葉が口を衝いた。
手綱を握る手に力が入ると、馬が嘶いた。
オレが落馬したのは、その直後だった。
下半身から伝わる揺れが不意に途切れる。その次の瞬間には、地に叩きつけられていた。
「がッ……!?」
左肩から肘にかけてが激しく痛む。間違いなく折れたろう。だが幸い、頭部と内臓のダメージは軽そうだ。
すぐ近くでまた馬が鳴いている。と思ったらどこかへ駆けて行く足音。
当のオレは、その姿を眺めることすらできない。
比喩でもなんでもねえ。完全に文字通りだ。オレの目の前は、真っ暗だった。
「誰だ。誰の仕業だあッ!」
疑う必要だってねえ。こんなもの誰かの魔法に決まってやがる!
「ふざけやがって。ツラ見せやがれ! 正面からかかってきたらどうなんだ!」
脚にも違和感がある。だが知ったことか。歯を食いしばりながら、身を起こす。
「私はここさ」
耳元から声がする。直後、今度は右の肩に鋭い痛み。何かを深く刺された感覚。その衝撃に、また倒れこむ。
地に頭をつけながら、薄目を開く。いつの間にか、視界が戻っていた。
「『橙橙発止』のロヴシャ=デュースノムだな』
声の主は、女だった。オレを見下ろしながら立っている。
不健康そうな赤髪を、肩のあたりでまっすぐに揃えている。前髪は非対称で、右目にはかかるほどなのに左の眉には触れてもいない。ふざけやがって、と思うばっかだ。
「誰だよ、てめーは」
「リズ、とでも覚えておくがいいさ。能力は≪光≫の削除さ、見ての通り。いや、見えちゃあいなかったろうけどね」
「それが……」
「いや。先にこう言うべきだったね」
髪に隠れた右目からさえ、憎しみがにじみ出す。
「ホルトン隊長の後輩だよ。あんたに殺された」
「マクデヌアンか――ッ!」
突発的に、怒りだけがこみ上げる。だが身体がついてきやがらねえ。
しかめたようなツラを睨み返すしかなかった。
「仇を討ちに来たんだけどさ。どんなにか大した男かと思えば、こんなアッサリやられるなんてねェ! 隊長がやられたっていうのが、てんで信じられないや」
「勝手にしたら、いいだろうがよ」
絞り出した声を聞くが否や、この女は脚で右肩を踏んでくる。刺さったままのナイフが、骨と擦れる。痛覚がまだ麻痺してこない。どれだけの脂汗が雨に流れたか、知れたもんじゃない。
「おい三下ァ! アンタの意見は聞いちゃいないんだ。いいか、特徴あるものには大抵、相性ってのがつきものだ。たまたま隊長の不得手を突いたんだろう?」
「どうかな」
「黙ってろって言ってるんだよ! だから、あの人の悔しさ、晴らさせてもらうのさ」
あの戦いを見たわけでもねえのに、好き勝手言いやがって。そう口に出す余裕も、もうオレにはなかった。
リズがゆっくりとナイフを抜き、振るって血を払う。
「今すぐ殺したっていいんだ。でもまあ、落馬したのに運良く生きてるくらいだからねェ。もっと苦しんでから死ぬがいいさ」
恍惚とした笑いが、目前に浮かぶ。まだ赤いナイフをちらつかせる。
そしてそれを。
ずっと切れ味の鈍ったそれを、ゆっくりと、オレの腹に突き刺した。
もう声も出なかった。
「この土砂降りだ。通行人なんて晴れるまで通らないだろうよ。あんたはここで、一人で死んでいきな。その汚い血が少しずつ水に流れていくんだ。丁度いいだろうよぉ!」
そう言って、雨音にも負けない声で笑う。オレにはそれを自分の声で遮ることさえ、できない。
「ちなみに私はねェ、この後レルイスに行くつもりさ。あんたの縁者を殺しにね!」
「――ッ!」
「ひょっとしたらもう、ベラミアが何人か殺っちまってるかも知れないけどさ。ヒィッヒ、悔しいかい? あんたはそこで、自分を呪いながら地獄へ行ってな」
そしてリズは最後まで笑っていた。いつ去ったのかもはっきりしない。
オレは一人、大粒の雨の中で。意識を、失った。




