6 矜持の遥かを凌ぐ意志
50秒弱は効果を発揮できる、と思ってちゃあ肝心なとこで力が途切れかねねえ。
45秒だ。
その間に一発入れてやる! それまでが勝負。
「ほう、また刻印が広がったか?」
さも余裕げに、親父は言う。オレには口を開く暇も惜しい。
橙色の光に尾を引かせて、答えの代わりにしてやる。
「っらァ!」
次の瞬間には懐に飛び込み、拳を振り上げる。
紙一重のところで。
しかし親父は、後ろに避けていた。
「まだだ、まだ!」
飛び上がりそうな身体をやや縮ませ、また前に飛ぶ。
すると今度はやや大きめに右にかわされ、二度三度。
四回詰め寄っても、ほんの僅かなところで手が届かない。
「ッくしょうが!」
当てずっぽうに伸ばした拳も、また空を切っちまった。
「いいか、慣性とはな!」
爆発してから、まだ十秒も経っていない。
それで何を思ったか、親父は大声を上げた。
「動く物体は、それを妨害されない限り動き続けるという性質だ。弓から放たれた矢は、同じ方向へと飛び続ける。何かに当たらなければ止まることはない。風に煽られでもしなければ、射られた向きを変えることもない!」
「訊いても答えなかったのによ。時間稼ぎか!」
乗せられてたまるか。こちとら、のんびり聞いちゃいられねえんだ。
舌でも噛みやがれと思いながら、連打を続ける。
「すなわち、ある一方向への運動に対する≪削除≫。おまえ自身の、おまえを動かそうとするエネルギーをそぎ落とす能力だ。近づこうとするおまえの身体は、すべてこの指で止まる」
「オレを制止する能力だって!?」
「そんなことは言っていない。動く物体の、動き続けるエネルギーを≪削除≫している。駆けだした脚による力。突きだした拳の力。それらの勢いを削ぐ。ゆえに」
その瞬間。親父の動きが止まる。自然、突きだした拳が顔面に吸い込まれていく。
「っしゃーー」
連打に追いつかなくなったんだろう。そう思って、オレは反射的に喜んで。
「ーーこのような芸当も可能だ」
だってのに。
まっすぐなオレの拳は、まるで振り抜かれず。
親父の頬に、ただ触れたところで止まっていた。
「あ!?」
呆気にとられる。
キレイな一撃が入ると思ってたのに、また止められた!
それも今度は顔まで届いてるのに、だ。
殴打の衝撃だけが、どっかに消えちまった。
その間に次の手も出せず、親父はまた距離をとる。
「さあ、どうする。こちらの手の内は開かしてやった」
「さっぱりわかんねえよ!」
あの余裕っぷり、いちいちシャクだ。オレの声は思った以上に荒かった。
「だろうな。理解できないのを見込んでの話でもある」
「馬鹿にしてることだけは判ったよ!」
ペースに乗せられているフリのつもりで、そう言った。
実際これだけ動き続ければ、さっぱり判らないなんてこたあねえ。
身体で感づく部分もあるってのが本音だ。
速さに任せた回し蹴りも、大きく身を伸ばした突きも。
オレが自分で思うより、一瞬遅れている。
極めつけはさっきの振り抜きの抑止だ。
動く物体が動き続ける力の≪削除≫、ね。
あの指先が、その能力を発しているんだろうし。
それでこっちをコントロールできる分、余裕をもって避け続けられるんだろう。
「ちっ」
認めたかねえが。
こりゃたぶん、親父のほうが一枚上手だ。
能力の相性もそうだし、攻めを捌く回避能力もそうだ。
拳を交わせば、そこに間違いがないことは明確に判る。
そこまで考えて、脚が止まっていることに気付いた。
諦めたか? 親父が問いかける。
答えがすぐに口をついた。
「冗談じゃねえ!」
ああ、そんなわけあるか!
力量差があるからなんだ。
オレはレルイスにいなきゃなんねえ。
「傷をつけろ、っつったな」
だからもう、手段を選ぶのはやめだ。
どうしても一発ブン殴りたかったが、いまのオレにはできねえ。
残り時間はあと七秒くらいか。
それはただ、目標に忠実に。
あの指が追いつけねえところから、傷をつけてやる!
地に手がつくほど姿勢をかがめて、もう一度親父を見据える。
意を決し、飛びゆく。地を抉るような走り出し。
すぐには殴りかからない。背後をとるつもりだ。
一歩目は軽い。けど二歩目は重い。もう魔法をかけやがったのか。
いつも“爆発”するより脚が重い。速度も落ちている。
けど止まりはしない。一歩一歩に力を篭めて、地を蹴る。
側面に回り、身をよじらせる。大きくそれる右半身。
ボディブローが入ると思ったろう、親父が向き直ってへそのあたりに手を持ってくる。
「っと見せかけ!」
今のはフェイントだ。
よじった勢いでステップを踏んで、もう一歩左へ。
ここだ!
胸を張り、左腕は頭を目掛けるように高く上がる。右腕は親父の肩を狙って、ほぼ同時に殴りかかる。
拳が動き出した瞬間、親父が切り返してくる。
だが指の動きは拳に間に合わない!
「甘い!」
と。
突然のセリフが、オレには理解できなかった。
だが現実は、オレの思考なんて待っちゃくれねえ。
その瞬間から、両の拳は大きく減速を始めていた。
そして気がつけば。
親父は両手先でオレの攻撃を受け。
『橙橙発止』の所以たる発光も消えた。“爆発”の時間が切れたのだ。
「つまるところ」
ゆっくりと、構えなおしながら。
親父は、口を開いた。
「私の魔法が指から発せられるというのは、相手を騙すためのトリックだ。実際に効力を生むのに、そんなものは必要ない。指さしも、ましてサインも無意味だ。ただ、目標を視界に入れて念じるだけでいい」
「……てめえ」
憎々しげに、オレは睨む。精一杯悔しがって見せた。
「別段に虚偽があるわけではない。私の魔法の内容は、言ったとおりのものだ。だが、真実の中に隠された一粒の嘘は、思わぬところで相手を欺ける」
「難しいことは判らねえな」
「こうしたミスリードを織り交ぜておけば、土壇場で役に立つこともある。覚えておくことだ」
相変わらずの澄まし顔が、はっきりと言い放った。
「そうかよ。そりゃいいことを聞いたぜ」
オレは構えを解く。さも諦めたかのように。
そして、天を仰ぎ見た。
こいつで終わりだ。
「それでよーー」
「ーーオレが拳に何か握ってたことは、その目で見てたのか?」
「!?」
親父が目を見開いたときには、もう遅い。
上空から、親指くらいの石つぶてが降ってきて。
そのうちの一つが、親父の頭でゴツっと音を立てた。
「うッ!?」
目から火でも出たような声を聞いて、オレは笑った。
「やっぱ気付かねえよなあ! タンコブの一つでも出来たろ。それだって傷、だぜ」
「どういうことだ」
頭を押さえながら、親父はオレを見た。
その鼻筋につッと血が流れたのを見て、オレは勝利を確信する。
「私の指の真実には、気がついていなかっただろう」
「あ? ああ、それはそうだ。言われてピンと来た程度だな。でもオレにとっちゃ、んなもんは大した問題じゃない」
むっとしたような顔は、もっと話せと言わんばかりだった。
「こっちとしちゃ、すべての身体的攻撃は避けられる前提で動いてたってことだ。なんせ、さっきの連打でさえ喋りながら避けられるくらいだもんよ。“爆発”の速度はアテになんねえって判断したんだ」
親父があんまり真面目に聞いてるんで、可笑しさも抜けてきた。
上擦っていたオレの声は、もう戻っている。
「だから背後を取ろうと決めた。でも移動力にだって制限をかけられることを判ってる状態だ。それだけで上手くいくとは思えなかった。だから何かもう一つ、攻め手が欲しかったのさ」
そこまで言うと、親父の落ち着きは少し戻ってきたようだった。
「それが石投げ、か」
「そういうことさ。親指くれえの大きさの石でも、高さがあれば人肌くらい傷つく。気付かれないように投げられた石が、よもや止められはしねえと踏んだのもある。まさか、自由落下する物体を空中で止められたりはしねえだろ?」
「一時的なら、可能だがな」
ちょっと拗ねたような親父。
「あとは、そうだな。あんた、別に動体視力まで人並みはずれてるわけじゃないだろ。駆けだしたついでに手元の石を拾ったり、拳を振り上げたと同時にそれを放り投げても、気づきゃしねえと見込んだんだ。“爆発”状態なら、前腕の動きだけでも結構な高さまで投げられるしよ」
「ふん。得心がいった」
腰に手を当てて。
まだ悔しそうに、負け惜しんでいるようだった。
「馬鹿なりに考えていたか。私も油断したものだ」
「はっ! それで思い出したよ」
オレもオレで、気分が良くて。
思いっきり意地悪く、口許を歪めてやった。
「殺気のねえ攻撃は、玄人ほど避けづれえ。そうだろ? さっきのナイフの件、訂正しろよな」




