1 拳士の契りと昔者の心
正直言うなら不安が無かったわけじゃねえ。
ホルトンを殺したことで、あの家に留まるのは危険じゃないのかとは思う面もあった。
だが、甘えちまった。
イアは言っていた。
もし誰か襲ってきても、自分だけでなくアリモーチョやレレイウも守ってみせる、と。
だからここに留まろう、とも。
そしてオレはその言葉を信じた。
イアはそれだけの力があると思った。
アリモーチョだって頼れる男だと思いつつあった。
だから、隠れることもなく。あの家に居座ったんだ。
その結果、三人が襲われることになるわけだが。
そんなこた、今のオレはまだ知らねえ。
ただひたすらに。
このオレ――ロヴシャ=デュースノムは、西へと馬を走らせていた。
「一雨来そうだな、サバン?」
西方の空は真っ白だ。バカにデカい入道雲が、こっちに向かって威張ってやがる。
「そうですなあ、ロヴしゃま。今日は無理をせず、道中の宿で一泊した方が良さそうです」
「おー、おー。勘弁してくれ」
強くなってきた風に負けないよう、声を張り上げる。
「オレは急いでんだよ。四日後には祭りが始まっちまうんだ! なんとしても今日中に着きたい」
「ご無理を仰られますなあ」
「悪いが譲れないぜ。馬が嫌がったとしても、この足で行ってやる」
「それは、それは」
並走する口髭が揺れる。
「つまり、イア様とお約束されているのですな。喜ばしいことです」
「うるせえよ。今年はそれだけじゃねえ。さっき見たろ? 今年は他にもいるんだ」
「それだけじゃない、ですか」
そう呟いたのが聞こえたが、咎めるのは止めた。
「おりましたなあ。新しいお友達ですかな?」
「ああ、そうだよ。二人とも自警団の新しいメンバーだ」
「それで急がれているのですな」
オレはそのまま、サバンの言葉を待った。
「仕方ありませんな。一肌脱ぎましょう」
「いつも助かるよ、サバン」
「もうすぐ駅がありましたな。そこで馬を乗り換えましょう」
この国では、伝馬制が発達している。ある程度以上の街を直接繋ぐ道、そのおよそ二十キロごとに駅舎が設置されている。そこでは休憩を取ったり、馬を乗り換えたりすることが出来る。駅ごとに疲れた馬を休ませ、他の個体に乗り換えることで、ペース配分を気にすることなく目的地へと急ぐことが出来るわけだ。
街を出て、おそらく一時間弱。二つ目の駅でオレ達は止まった。
二頭の馬を休ませ、新たに一頭の馬を借りる。これらはすべて国の保有物であり、貴族や上級兵の権限があれば自由に使用出来るのだ。
自分たちの休憩はそこそこに、オレ達はまた馬に跨る。今度は二人乗りだ。サバンが手綱を握り、オレはその後ろに座る。
「さあ、行きますぞ」
言葉と共に、馬はグンと加速した。
サバンの魔法は《空気抵抗》の《削除》だ。
自身や任意のものから、気体との摩擦を無くす。
用途は様々だが、こうした状況では加速に用いることが可能だ。
空気という壁を無くした馬は、普段よりも遥かに速く走ることが出来る。
「いやー、サバンと相乗りすると相変わらず速えな。さっきの倍速くらい出てるんじゃねえか」
「恐れ入りますな」
「オレがガキだった頃と、なんら変わらねえ。景色がグングン流れてってよ」
サバンの馬ほど速い乗り物を、オレは知らない。この眺めは、小さい頃からの自慢だった。
この人は世話役として、昔からよく遊んでくれたのだ。それこそ、父親よりも遥かに多く。
「サバンって、今何歳なんだ?」ふと気になって、尋ねる。
「お恥ずかしい話ですが、自分でも知らないのです。ロヴしゃまのお爺様に拾われるまでは、暦も知らぬ田舎者でしたので」
「大体でも、判らないのか」
「四十後半、でしょうか。もし田舎に住み続けていれば、とっくに棺に入っている年齢だということは、確かですな」
「田舎暮らしってのは、そんなもんなのか」
「各地から食材が届けられる都市と違い、食べられるものが限られますからな。栄養が何かと不足してしまうのでしょう」
「ふうん」
そんな話をしていると、もう次の駅が見えてくる。そうしてまた乗り換えて、次の駅までひた走る。その繰り返しだった。
「可能な限り頻繁に馬を換えてやらないと、足を壊してしまうのですよ」とサバンは言った。
「どうしてだ?」
「馬の方が、匙加減を誤ってしまうのです。普段よりずっと楽に走れることを驚きながらも喜んで、限界以上の力を出してしまう。結果、筋肉を酷使してしまうわけですな」
「それは気の毒だな」
「とはいえ、駅ごとの距離程度であれば、問題ありますまい。ロヴしゃまが気にすることは、ありませんぞ」
「そうかい」
そして日が暮れかかった頃、ぽつぽつと雨が降り出した。やがて風が強まり、本降りになる。
びしょびしょになりながらも、オレ達はなんとか目的地に辿り着いた。
春季宮殿都市、アステトラ。
現在の政治中心部となっている場所だ。
「間もなく日が暮れますな。馬も返したことですし、急ぎお家へ帰りましょう」
「そうだな……、ああ、気が重いぜ。今回は何をさせられるのやら」
関所を潜り抜け、薄暗い街を足早に通って行く。オレの今の根城である夏季宮殿都市、レルイスと大差ない景色が続く。丈夫な白い石はこの一帯の特産だ。
この街はこの街で、オレにとっちゃ第二の故郷でもある。だがゆっくり見物しようという気にはならない。さっさと雨宿りしたいし、さっさとレルイスに戻りたかった。
街の中心にある宮殿。今回はその一室に泊まることになっていた。
少将たる父であればの機会だとも言える。人によっちゃあ垂涎ものの贅沢だ。王宮に入り、そこでメシを喰えるのだから。
オレにとってはもう十数回目の事だから、あまり有難味はなかった。特別嬉しいのは熱い風呂に入れることだけだ。レルイスだと水浴びしか出来ないから。
結局その夜は、冷えたメシと風呂だけ貰って眠った。
もし次の日オヤジと戦うことになると知っていれば、こうぐっすりとは出来なかったろう。