6 破壊しか知らぬ大入道
のそりのそりと一歩ずつ、その人影は寄ってきた。
立てた足音の一つ一つが、大きく低く、重く響く。
筋肉、脂肪の詰まった巨躯は、まるで両国の力士のよう。
そののんびりとした動きを注視しながら、ぼくはこんなことを思っていた。
もしこの場にロヴシャが居たら。
ホルトンをハゲと呼んだ、子どもっぽい彼なら。この男を指差して、デブって言ったんだろうな……。
「ベラ……ミア」
ドン! という地鳴りと共に、男は両膝を着いた。
そしてポタリ、ポタリと。
血と脳髄を垂れ流すベラミアへ、涙を落とした。
「うっ……、うう。ううう」
くぐもったような嗚咽。そのまま首を垂れ、悲しみに浸っていた。
ぼくもイアも鬼じゃないつもりだ。だからそんな様子を見れば、思う所はある。
もちろんこうする他無かった。それは事実だ。でなければロヴシャが不当な勝負を仕掛けられたハズだから。
とはいえ仲間の為に涙を流している人を見れば……悔いる思いも、顔を見せる。
「ち、ちょっと。おまえら」
でもそんな時、震える声を挙げたのはもう一人の男だった。
まるでデブの行動など知ったことではないかのように。ともすれば素っ頓狂な行動にも思える。
「何。恨みごとなら聞かないよ」
イアの答えには棘があった。無理もない、疲れも出ているだろうし、心が整理出来ていない部分もあるだろう。
「そんなことは、後だ。それより先に言っておく」
相変わらずぼそぼそと、細い男は続けて言った。
「こいつは、エンダルは馬鹿だ。24にもなってまだ足し算さえ出来ないほどの馬鹿だ」
「……。こんな時に何なの。新手の命乞いのつもり?」
もはやイアに、持ち味のらりくらりとした部分は無い。そんな余裕は無いんだろう。
ぼくだってもし今話したとしたら、こんな調子になる。
ピリピリして、身構えて。戦いの緊張に気を尖らせる。
けれど細い男は、ぼく達の様子なんてまるで気にする風でもない。
自分が言いたいことを伝えるのに必死で、聞き手の気持ちなんてまるで考えていない。
それほどまでに震えている。まるで何かに怯えるように。
「いいから聞いてくれ。エンダルはな、本当に馬鹿だ。どんな命令でも、指示者が止めろと言うまで止めない。過酷なトレーニングだろうと、食事だろうと、作戦だろうと、なんだろうと。自分で自分の状態を考えない馬鹿だ」
「要領を得ないね」
「そんな馬鹿が、この短期間で指示者を失った。しかも、二人もだ」
「……」
話が見えない。イアと同じく、ぼくも片眉を吊り上げる。
「こうなるとな、こいつが何をし出すか判らないぞ。隊長が死んだと聞いた時でさえ大暴れしたんだ。目の前で仲間が死んだ今――エンダルが何をするか、俺にも予想がつかない」
細い男の話は結局判らないことだらけで、話の流れもちょっとズレていた。けれどデブ……もとい、エンダルが何かを起こしそうだということは、本人の気迫からも伝わってきた。
その間にエンダルは、ひとしきり涙を流しきっていたらしい。しゃっくりと起こしながら、立ち上がり、ぬぼーっとぼくたちを見た。
「ボク、は。ボクは」
なんだか耳障りで、途切れ途切れの声。それでも無視は出来ない。
「エンダル=ベズン。24歳、男。魔法は《疲労》の《削除》」
自分で自分の魔法を言ってしまったことにも、気づいていないらしい。
「バルドレオン様、と、ホルトンさん、と、ベラミア、のため……」
この後、動詞が続くだろう。ぼくはそう思っていた。
そしてホルトンとベラミアのように、イアの了解を待つはずだ。そんな風に。
だから正直言って、口上をこんな半端なところで終わらせるとは、思っていなかった。
ましてそこから、ノーモーションから突然迫ってくるなんて!
「えっ――!?」
転がるかのような体当たり。それがイアを直撃した。
命中するより僅かに早く、イアは気付いていはいた。けれど既に《距離》を《削除》するストックはない。この部屋ではもう魔法を使えないのだ。彼女にはどうしようもなかった。
モロに喰らい、細い体がフワリと浮かぶ。そして数十センチ先の壁に激突した。
全身を襲う激痛を覚えた刹那、ぼくの意識はイアから剥がされる。
ロヴシャとホルトンの戦い以来のことだったから忘れかけていた。感覚を共有している間は痛みも受容してしまうんだ。コンマ数秒とはいえ、五臓六腑がミンチになる思いがした。
「イアっ――」
けれど自分の心配なんかしてる場合じゃない! この攻撃を喰らったのはぼくの身体じゃないんだ。真っ先にイアを見る。
彼女は横たわりながら吐血していた。強い痛みに悶え、立つこともままならないと言わんばかりだった。
一瞬とはいえその痛みを身を以って体感したぼくからすれば、即死していないことに感謝するばかりだ。
駆け寄ってあげなきゃ、とぼくは一歩踏み出した。
「……!」
その時イアは、ぼくに白い歯を見せた。
まるで大丈夫だと笑いかけるように。
二歩目を踏み出せず、ぼくはそこに踏み止まる。
それを見届けたイアは、その場に突っ伏した。多分、痛みで意識を失ったんだろう。
「……どうして、きみは」
こんな状況でそんな顔が出来るんだ。
今一番辛いのは、イア。きみだろう?
戦って、不意を突かれて、そんな攻撃を受けて。
それなのにどうして。
いや、本当は判ってるんだ――。エンダルは間違いなく、次にこっちへ来る。
重そうな身体を今ようやく持ち上げて、次の標的を狙っている。言うまでも無くそれはぼくとレレイウだ。
だからそれに対応しろ、と言いたいんだろう。理屈は通っている。
「でもそれは理屈であって、道理じゃないじゃないか!」
そんな目に遭っているんだ。もっと自分の心配をするのが、普通じゃないのか。
イア、きっときみはぼくより頭が良い。ひょっとしたらぼくには見えていないものが、見えているのかもしれない。だからそんな顔をしたのかもって、ほんのちょっとだけ期待してる。
でもきっと違うだろ。ただの思いやり――だろう? ぼくらを、他人を生かそうと、それしか考えていないとしか思えない。
困るよ。
そんなの、格好良すぎる。
ぼくも真似しなきゃって――思わずにはいられないじゃないか。
今、ロヴシャはいない。そのことに対する不安は、まだ全然消えていない。
戦いたくない。逃げ出したい。
けれどそんなことはこの際気にしちゃいられない――なんせ。
「惚れたコの目の前なんだ。格好つけないわけにはいかないから!」