3 忠誠返せば排他の相に
「気にしないで、下さい。イアさん」
か細い声で、レレイウは言った。
「私には、始めから親なんて居ないようなものです。大丈夫です」
どうやらフォローのつもりらしい。
いやでも、逆に心配になるんですけど。その言い回し。
「そ、そっかー」とイアも苦い顔で、反応に窮していた。
彼らが現れたのは、そんな時だった。
思えば、ホルトンの襲来には準備が出来た方だ。彼はノックをしていたし、少しは辛抱があった。
リンカさんの件も、そうだ。慌ただしいながらも少しは計画を練ることが出来た。
少なくともどちらも、精神的な覚悟は可能だった。
ただ、今回は違う。
すべての出来事に予兆が無かった。
幽体離脱をしたぼくでは。耳で聞き、目で追うのが精一杯だった。
されるがまま、言われるがままに。
ぼくはその数秒を、経過させた。
初めに聞こえたのは、何かが破裂したような音だった。今にして思えばそれは扉が壊される音だったのだけど、その時はまだ事態を把握していなかった。
次いでいくつもの足音。と同時にイアが席を立ち、ぼくとレレイウをほんの軽く押す。
「下がって!」そう言いながら背を向けて、部屋の扉へ駆けていく。
ぼくはただならぬ雰囲気を感じて、言われた通りに部屋の隅へ。出遅れたレレイウの前に立ち、様子を窺った。
それから数瞬。乱暴に扉が開かれる――と同時に、イアの左手が煌めく。
一体どこに仕込んでいたのか。大振りな錐が、侵入者の喉元へと向けられていた。
「動かないで」
先ほどまでの慌ただしさから、一変。
イアの一言が、鋭く響いた。
「何者よ、あんた達。人の家に土足で入って」
いつもの、間の伸びた声ではない。緊張が混じり、磨かれた刃のようだった。
「……」
対して問われた男は、イアを睨み返す。その眼差しは、ホルトンのそれともアーネストのそれとも、違って見えた。
そこに、込められているのは。十中八九――憎しみだ。
国への忠誠。それによる誇りをまとったものでもなく。
弱者への嘲り。同時に浅はかさを孕んだものでもなく。
きっと間違いない。ぼく達に対する、直接的な憎悪だ。
その眼力を緩めぬまま、男は口を開いた。
「おれたちァ、マクデヌア北方制圧軍……第四班の兵卒だ。判るか?」
イアは表情を崩さない。一方のぼくは、その名前に聞き覚えがあった。
「んゃ、こう言った方が判りやしィだろ。てめェらに殺された――ホルトン=セルモン隊長の部下だ!」
その時男の右手が、僅かに動いた。
「イア!」
ぼくは叫んだ。
けれど、これには彼女も反応しきれていなかった。身体を強張らせたものの、動きはない。その間に男の袖から何かが伸びた――そう思った時には。
イアが、片膝をついていた。
「おいおいなんだねェちゃん。威勢よく飛び出した割にあっけねえな。こんなんに引っかかるたァよ」
……今、何が起きたんだ? 男が魔法を使ったのだろうけど。それより詳しいことが何も判らない。
イアもはっとしたようになる。そして素早く後ろへと跳び、立ち上がる。
「判断は正しィが、想定していなかった行動に対する反応が鈍い。あんた、訓練ばかり真面目にやってンな? 実戦経験に乏しい優等生だ。違うか」
「甘く、見ないでよね」
「それはねェちゃん次第だな」
扉の先、先ほどから喋っている男の後ろには、もう二つの人影が見える。部屋の隅、扉との対角線上にぼくとレレイウが位置している。扉が上手、つまりぼくたちから見て右側だとすると、イアは下手だ。
「それで? ホルトンの部下が揃って、何しに来たって言うの」
構えなおしながら、イア。
「……、ホルトン隊長は、公明そんで正大だった」
一呼吸入れてから、男は語りだした。
「下っ端のおれたちにだって隠し事をしねェ。自信に満ちてて、強かった。だから除け者のおれ達だって、ついて行こゥと思えてた」
「……」
「あの人にだったら、ちィて行ける。命を預けられる! 本気でそう思ってたんだ! なのにッ」
「すると、何かしら。あなた達は、復讐に来たって言うの?」
「あァ。その通りだョ! おれたちは隊長の名に懸けて、隊長のやりかたに則って――復讐するのサ」
そこでイアは、鼻を鳴らした。男たちがぴくりと反応する。
「笑わせるわね。これが公明正大なやり口? 急に大勢で押しかけて来るなんて。野蛮そのものじゃない」
「なんだ、そのことか」男は興味を削がれたという風だった。「これはあくまで手段だからな。目的じゃねェのさ」
「どういう意味」
「隊長を殺したのは、おめェら三人なのか? 違ェだろ。オレ達の目的は、隊長の仇を――『橙々発止』のロヴシャ=デュースノムをブチのめすことだ。今日はその為のエサを調達しに来たのサ」
「――!」
この言葉を理解したとき、ぼくは猛烈な不安感に襲われた。
何故、言われるまで気付かなかったのか。その反動が付いたかのごとく、一つの事実がぼくを圧迫した。
この場には、ロヴシャがいない。
ぼくがこの世界で目の当たりにした、二度の戦い。
その中心にいたロヴシャが、今はいない。
――もちろん。
ぼくはこの数日で確実に強くなった。それは事実だ。
それに、イアもいる。いつかロヴシャが太鼓判を押した強さを以って、ぼくの前に立っている。
でも、そういうことじゃない。ロヴシャはぼくにとって、既に力の象徴だ。
アーネストと戦えたのだって、敵地突入前のロヴシャの言葉が安心感をくれたからだ。すぐそばにいることが判っていたからだ。
『全ての敵は、オレが蹴散らす』
その言葉に、全幅の信頼を置けたからだ。例えぼくが負けても、ロヴシャがなんとかしてくれる。そう思えたから、心置きなく戦えたんだ。
ちらと背後を見る。
それでも、いざとなれば。ぼくは命を投げ打って、レレイウを守ることが出来るだろうか?
身体の危険を顧みず、精神の赴くままに振る舞えるのだろうか。
「つまり、わたし達を拉致しに来たと」
そんなぼくの不安など、イアはまるで知らないだろう。変わらず、男と対峙している。
「そうゆゥことさ! オレ達はおめえらを傷つけるつもりはねェんだ。あくまで拘束させ、『橙々発止』と戦うためのダシにさせてもらう」
それを聞いたイアは、溜息を吐いた。
「あんたたち、ホントにホルトンとやること変わらないのね。それのどこが正大なのよ」
「ァんだと?」
「詰まる所、自分たちの都合しか考えてないじゃないの。あなた達と関わって、こちらが得をする要素が一切ない。そんな一方的な押し付けを。よく誇ろうと思えるね」
「……てめえ」
「今もそう、ホルトンのときもそう。ロヴの話じゃ、ハステーロを襲ったのもそう! あなた達は、相手の都合も考えずに襲い掛かっているだけ。ホルトンの件では、その結果返り討ちに遭ったに過ぎないでしょう。殺しにきたから応戦して、勝って。それで恨まれたんじゃ、堪らないよ」
男の顔に青筋が浮かぶ。それが意味することは、誰の目にも明らかだ。
「前言撤回だ、ねェちゃんよ。あんた、言っちゃいかねェ事を言っちまった。四肢もいで、死体晒して――そィでロヴシャを逆上させるとする」