2 彼らを生みし親たちは
ロヴしゃま?
妙に親しげに、男性はロヴシャをそう呼んだ。優しげな眼が細まる。
「げ、サバン……っ」
対するロヴシャの顔が引きつる。悪戯がバレた幼子のようだ。
サバンと呼ばれたのは、初老の男性。白髪に口髭伏せがちな眼と。皺の多い頬。なんていうか……一目で執事だと判った。これでタキシードでも着てれば完璧だったけど、この世にそんなもの存在しない。黒く染めたキトンのようなものを身に着けていた。
「お友達とお楽しみのところでしょうが、判って下され。早急に春季宮殿へ向かうようにとのお達しなのです」
「断れやしねえんだろ」
「お話が早い」
はーあ、と露骨に溜息を吐く。なんだろう、そんなに嫌な話なんだろうか。
「まあ、行くことは甘んじてもいいさ。でもまさか、聖誕祭には間に合うんだよな?」
「特にお伺いしてはおりませんが、お父様ならご配慮下さるかと」
「だといいが」
ロヴシャはしばらく口を尖らせていたが、やがて降参するかのように両手を挙げた。
「こればかりは、お手上げだ。三人とも、悪いがオレはちょっと街を離れる。イア、事情を話しといてくれ」
「え、やだ」
「なんでだよっ!?」
「うそ。別にいいよ」
「ったく……」
なんだかんだ、ロヴシャはいじられキャラなのかな。あだ名も多いみたいだし。
「では、参りましょう。馬は用意しております」
そんなこんなで、すたこらさっさと。
ロヴシャは街を出て行ってしまった。
「相変わらず慌ただしいねえ、ロヴシャのお家は……」
意識をイアへと乗り移す。その彼女は特に驚く風でもない。むしろ小慣れているという感じだ。
「ま頼まれちゃったし、二人には事情を説明しないとねー。といっても急ぎじゃないし、先に買い物済ませてからアジトでゆっくり話そう。それでいー?」
断る理由は無い。ぼくはイエスと答えた。
それからぼくは醤油探しを再開した。元から期待はしていなかったけど、やっぱりそんなものは売っていなかった。大豆に似た豆があったから、一応それは買って貰う。途中味見した魚醤が美味しかったけれど、高いからと買ってはもらえなかった。
これでぼくの買い物は終わり。イアは夕餉用らしき野菜を買っていた。レレイウは特に無かったようで、手ぶらでの帰宅になった。
いつもの食卓に、ぼくたちはゆるりと腰かけた。果物とミルクがおやつだ。ティー・タイムと洒落込みたいところだけど、この世界に……少なくともこの街に、茶やコーヒーの文化はまだ無いらしい。
「ロヴシャのお父さんはね」そんな言葉から、イアの話は始まった。
「王族近衛兵団の少将なの。えっと、国のエリート兵の中でナンバー4ってことね。なんとなく判ると思うけど、かなり凄い役職。それと当然のようだけど、貴族の部類」
やっぱりそうなのか、とぼくは思う。『個人自警団』活動の動機からして、ノブレス・オブリージュみたいだったもんなあ。
「ロヴはその、ちゃ……ううん。なんていうか、次男だからね。役職を継ぐわけでもなく、お父さんの目の届く範囲で自由にさせて貰ってもらってるの。それが、今の状態ね。この街はお父さんがいる春季宮殿都市から、馬で一日でなんとかって距離だからさ」
へえ、とレレイウ。この娘も初めに比べたら、反応をしてくれるようになったものだ。まだほんの僅か、だけど。
「だからこうして採算度外視の活動が出来るのも、お父さんのおかげなんだよねー。この家はデュースノム家の別荘だし、仕送りも沢山貰ってるし」
「サバン?」
「そうだよカイガ。さっきのサバンさんも、デュースノム家お抱えの執事さん。それだけで家柄が判るってものだよね」
ぼくは何度も頷く(頷きが肯定や相槌を表していることは、最近イアが気付いてくれた)。生まれが良いから働く必要が無いってことか。羨ましいなあ。
「それだけお金と自由を貰ってる分、ロヴはお父さんに頭が上がらないの。こうして呼び出されたら、嫌とは言えないみたい」
「そっか。何するの?」不完全な文でぼくは問う。
「ロヴがあっちの、春季都市で何するかってこと? 詳しくは知らないけど、偉い人への挨拶だとか、軍隊の作法や戦略の抜き打ち検査とかが多いみたい。いざって時にはロヴを戦場に駆り出す……むしろロヴが行きたがるから、時々そういうのが必要みたいねー」
「ロヴシャは、戦うのが好きなの」レレイウが問う。
「うーん。場合によるって感じかなー。マクデヌアが関わるイザコザに関しては、積極的に首を突っ込みたがってる。お母さんと妹さんの仇、だからね。今まではそういう事は起きなかったけど、こないだのコトからすると……今後は増えるかもね、イザコザ」
こないだ、というのはホルトンのことに違いない。ロヴシャの憎しみなど露知らず、スカウトに来て返り討ちにあった棒使い。
マクデヌアからのアクションが、あれで終わるはずがない。イアはそう予想しているのだろう。
「っと。こんなところかな。何か質問あるー?」
あるんだけど、どう伝えたものか。少し考えて、ロヴシャらしい突きをした後で「なぜ?」と言ってみた。
「なあに、カイガ。ロヴがなんで戦うか、はさっき言ったよね。あ、どうしてロヴシャが強いのかって?」
「イエス」
「そうだねー。お父さんの教育は少なからず影響してるだろうね。ロヴの魔法が格闘と相性良かったっていうのも、当然あるだろー。そこにお母さんと妹の仇っていう動機が加われば、もう必然じゃないかな。家柄っていう環境、魔法っていう才能。そして、臥薪嘗胆と言うべき目標……これだけ集まって、ロヴが強くならないはずは無い、と思うよ」
「ありがとう」
大方の予想通りに、イアは答えてくれた。ほとんど確認のような質問だったけど、やっぱりそうか。
環境、才能、動機。
三つ揃えば、強くなって当然、か。
「ホントはこんなとき、カイガにも家族の話とか、訊きたいんだけどねえ。ホント、喋れないのが惜しいナー」
「ごめん」
「いいって、いいって。でもいつか、話が出来たら、いいね」
「……」
話したって、楽しい話にはならないよ。
でもそんな素振りを見せて、話をこじらせるのも面倒だ。ぼくは小さな嘘を吐くことにした。
「イエス。イアは?」
「ん。わたし? わたしは……見ての通りっていうか、別居中だよー。両親には、しばらく会ってないかなあ」
はにかみの奥には、さびしさが有るような無いような。ロヴシャなら判断出来るのかもしれないけれど。
「今はここで、延法具の研究をしてるってワケね。お父さん……の仕送りを余らせたロヴが、パトロンになってくれてる感じ。実は最近ちょっとずつ利益も出せるようになってきて、いい感じなんだよーっ」
親元を離れ、住み込みで研究しているのが現状。ってことだろうか? 確かめようにも言葉が判らず、イアもそれ以上は言おうとしなかった。
「レイちゃんはどーなの? 家族のことも、あんまり話したくないのかな」
目に見えるほどにびくりと強ばる。レレイウは話を振られると、頻繁にこんな反応をするんだ。それが不思議といえば、不思議だった。
「私の家族は……その」
「あーいいんだよ、無理しないで」
「いえ、その……。両親とも、いません」
反射的に、イアはばつが悪そうな顔をする。
「母は、私が幼い頃に亡くなりました。父は、行方が知れません」
「……ごめんッ!」
不思議そうなレレイウ。
「悪いこと、訊いちゃったね。辛いでしょう」
「いえ」
短く答えた表情は、先ほどのイアとは明らかに違う。
ただの無表情。
隠すわけでもなく、強がるわけでもなく。何も感じないと言わんばかりの、仮面のような顔だった。
「レイちゃん?」
その様子に、イアもまた反応を詰まらせた――その間に。
乱暴な足音が、連なって近付いてきていた。