1 住めば都であればこそ
リンカ救出事件から、三日が経った。その間、『鮮血の箒星』の事後処理も無ければマクデヌアの襲来も無かった。
ぼくはただ、ロヴシャかイアが受けた『個人自警団』としての仕事を、ささやかながら手伝っていた。
『個人自警団』というのは、ロヴシャ達が勝手に名乗っている団体らしい。色々と説明を受けた感じでは、RPGの主人公と子供たちのヒーローごっこを足して二で割ったようなシロモノだった。
彼らの元には、毎日のように市民たちから依頼が舞い込んでくる。泥棒を捕まえろだの、荷物を運べだの、店が忙しいから手伝えだの。リンカの一件も、その一環だったようだ。
それらをイア達は、率先してこなしている。その姿はまるでゲームのクエストをこなす主人公そのものだ。
けれどゲームとは明らかに違う点がある。
二人は……ロヴシャ達は、一切の報酬を求めていないのだ。
差し出されれば受け取りはする。しかし自分から催促はしないし、何一つ貰えなくたって嫌な顔一つしない。
その様子は、労働を対価に報酬を得るクエストとは似て非なる。
むしろ、奉仕の心を覚えた無邪気な子どものお手伝いを彷彿とさせる。
自然と人に頼られる、高度なヒーローごっこ。ぼくの目には、そんな風に映った。
なぜ(そんなことをするのか)? と訊くと、二人はそれぞれこう答えた。
「色んな人と繋がり持っとくと、いざ何かを開発しようって時に楽だからねー。延法具にせよ、他の何かにせよ、さ。あとは、ヒマだからかなー」
「最近流行りの三段論法だ。他人にプレゼント出来るやつは強い。そしてオレは強い。だから……もう判るだろ」
優雅な話だ。アルバイト漬けだったぼくからすれば、とんでもない。
そういえば、もう一つ。
一昨日あたりから、レレイウが旅に戻ろうとしているようだった。いつまでも厄介にはなれない、と。
今のところはイアが丸め込んで、ぼくらと共にいる。「聖誕祭、一緒に遊んでってよ」というのが理由だ。結局その言葉に従うことにしたようだったけど、それでも四日後の祭典を過ぎれば、去ってしまうのだろう。
はっきり言えば、それがぼくの目下の悩みだ。
紛れも無く一目惚れさせられたレレイウと、このまま何もせずにはいられない、から。
とはいえ、元の世界に戻る気のないぼくにとっては、そのくらいしか悩みもなく。
新たな単語や、作法を覚えながら……平和に呑気に、この生活を楽しんでいた。
今は非日常なこの生活が、すぐに日常生活になってしまいそうな。それくらいの、勢いで。
「もうちょいかあーっ!」
ロヴシャが軽く気合を入れる。
今日も今日とて、ぼくたちは市民の依頼をこなしていた。あるおばあさんの、おつかいだ。
電気も水道も無いこの世界のこと。薪やら井戸水やらを用意するのだって、簡単とは言えない。
……その簡単じゃない作業を、ロヴシャ達はタダ同然でやっているのだ。しかも、初対面のおばあさんの為に。
「オレほどじゃねえとはいえ、おめーはやっぱ力があるな。オレほどじゃねえけど」
そう言うロヴシャは、ぼくの隣を歩いている。町外れの林から調達した薪を背負って、街に入るところだ。
彼は自分の倍の体積はありそうな量の薪を担いでいる。ぼくはその五分の一だ。これでもそれなりの重さがあって、歩いていれば草臥れる。
四日前のぼくなら、ロヴシャに憑きながらこんなものを背負って歩くなんて不可能だったろう。
「まあ、それがオレの魔法なんだから、負けるわけにはいかねえんだけどな。オレの肉体は普通の状態でも他人より力が出るようになってる」
愉快そうにニヒヒと笑うロヴシャ。ぼくは彼にいいね、と返した。一昨日覚えた単語だ。
ロヴシャの筋肉には大方、シャウト効果が掛かっているのだろう。
運動時に、自発的に息を吐いたり止めたりすると、筋力が数パーセント上昇するというものだ。一時的ではあるが、誰でもその効果は発揮出来る。
ただ当然ながら、息を止めたり吐いたりすれば酸素は足りなくなる。一般的な人なら、シャウト効果を発揮するとスタミナが低下するものだ。だから、徒競走のゴール直前に使ったりするのが正しい。
一方のロヴシャは、そもそも酸素を必要としていない人間だ。だから常にそれが発揮されているのだろうし、スタミナが低下することもない。
憶測ではあるけど、きっとそうだろう。
「まあでも」
前を向きながら、ロヴシャが口にする。
「一緒に何か出来る仲間が増えるってのは、いいモンだな。この三日ほど過ごして、改めてそう思ったぜ」
イエス、と返す。それはぼくも同じだよロヴシャ。マニュアル化したアルバイトとは、まるで別物だ。
「なんつーか、ありがとな。おめーこないだ、この世界に来たこと悪く思ってねえ……みたいに言ってたろ。それも含めてよ。おめーに会えたの、良かったと思う」
どこか照れた風だ。なんだよ。イエスとしか返せないこっちまで恥ずかしくなるじゃんか。
「こないだタナチカに紹介した時は、口から出まかせの方便だったけどよ。今となっちゃ、嘘から出た真だ」
二っと白い歯を見せる。
「おめーはもうこの自警団の一員だよ。これからも頼むぜ、アリモーチョ」
「……イエス!」
ぼくは嬉しくてつい、ロヴシャの肩を掴んだ。
「ん? なんだその手は。新しい技の練習か?」
どあほ。
「しかしこんな時に、おめーから話を聞けねえってのは……やっぱちょっと物足りねえな。オレが一人でくっちゃべってるだけだからな」
「ごめんよ」
「謝ることじゃ、ねえだろ。こればっかりはどうしようもねえ」
けれど、ぼくからしたって……この現状は、やっぱり物足りない。少しずつ単語を覚えてきたとはいえ、簡単な挨拶や疑問詞、相槌くらいしか表現できないのだ。これではまだまだ、対話とは言えない。
ロヴシャ達と、自由に話が出来る日は来るのか。いつになるんだろう?
「いつっ」
不意にロヴシャが声を挙げた。振り返る動きは早いが、緊張感はない。ぼくもそっちを見ると、一目散に駆ける子どもの姿が目に入った。パールグリーンの髪を棚引かせ、人を押しのけて去って行ってしまう。
「どうしたの?」
「いや。今走ってったガキンチョ、見たか? すれ違いざまにオレの髪抜いていきやがった。なんだってんだ?」
子どもの遊びはよく判らん、と何食わぬ顔。なんだか可笑しかった。
ほどなくしておばあさんの家に着き、荷物を下ろした。これで依頼はひとまず完了だ。
その家で家事全般をこなしていたイア、レレイウと合流し、遅い昼食を摂ることになった。
「いやー、よくここまで持ってきたねぇ、カイガ! えらいえらいー」
イアが突っつき回してくる。物理的に距離が近い。ああでも、久々だなこの感じ。この世界に来てすぐの時を思い出すな。
もうぼくの素性を判っているからか、ロヴシャは不満げながらも怒る様子はない。こうなるとぼくとしても、どこを触れば良いか、とかあれこれ悩まなくて済む。
ああ~柔らかいんじゃ。ぼくにとっちゃ色んな意味で、イアよりレレイウの方が可愛い。しかし、可愛いだけが女性の魅力とは限らないってもんだ。深く実感する。
「で、何食べたいー? ……って、訊いても答えられないよねー。レイちゃん何食べたい?」
「何でも……いいです」
「ええー。最近食べてないなー、みたいのあるでしょ?」
「……。……魚」
「良い店知ってるよー!」
「オレにも訊けよ」
「ロヴは訊き甲斐無いじゃないの。今日は豚の肉が良かった? それとも鶏?」
「鶏」
「ほれみろー。あ、レイちゃんそこ右」
その店は、開店して間もないという食堂だった。外れた時間にも関わらず空席が目立たないのは、きっと祭りの前だからということに限らないだろう。先日の、南部衛所馴染みのパブと比べると雰囲気は安っぽいけど、期待出来そうだった。
「カイガの分はわたしが決めちゃうねー。レイちゃんはどうする?」
「お任せしていいですか」
「はーい。一応訊くけど、ロヴは?」
「肉」
「すみませーん。レッドギルの羽根つきサンド。マスマスウオの甘辛丼。生タナカの踊り膳、あと野菜炒め定食」
「……」
やばい、対訳がイカれたことになってる。レッドギルってのはブルーギルの仲間か? その名前じゃヨーロッパのエナジードリンクみたいじゃんか。喰ったら翼授けられんのか。
タナカってのは何だ。スズキの親戚か? スズキと鈴木に相関はないし、ましてスズキと田中に共通点は無くねえか。しかも生ってのはなんだ。いいのか、生のタナカ食べちゃっても。
マスマスウオ……そんなものは知らん。
「おいイア、野菜炒め定食は誰が食べるんだ?」
「決まってるですよー」
「なんでニッコリするんだよ! おめー、訊いといて無視したってのか」
「ロヴシャはもっと、野菜を食べなきゃダメだよーっ」
「せめて肉野菜定食にしてくれても良かったじゃねえか……」
なんだかんだ、ロヴシャってイアの尻に敷かれてるよなあ。
そんなやりとりを見ていると、料理が運ばれてくる。給仕は若い女性で、白くて低いコック帽を被っている。そこからはみ出した、パールグリーンのおさげが印象的だった。
「……?」
どこかで見たような姿だ。そういえばさっきの子どもと同じ髪色だ、だからかなあ。そんなことを思ったけれど、言葉には出来なかった。
「綺麗な髪ですねー」受け取りながら、イアが褒める。
「お客様ほどではありません」
「前来た時に配膳してくれた人は、今日はいないんですねぇ。おねーさんは、新しい人?」
「いえ、いつもは厨房にいるんです。ここの料理は、大体私が作ってます」
「そっかー! 美味しかったからまた来たんだよー!」
「ありがとうございます。今度のお祭りでも色々作りますので、よろしくお願いしますね」
軽いやりとりの後、緑の女性は去って行った。ロヴシャは特に口出ししなかった。
当然ながらと言うべきか、レッドギルもマスマスウオも魚だった。タナカもだ。イアはしきりにタナカ膳を勧めてきたけれど、背徳感があったのでマスマスウオを食べることにした。
甘辛、と耳にしたために、少し先入観があった。唐辛子と砂糖と醤油をベースにした味付けか……と思っていた。けれどこの世界に醤油なんて無いのだ。マスマスウオの甘辛丼は、ごはんの上にほぐしたマスの塩焼、そしてスイートチリソースをかけたような一品だった。正直、苦手だった。
生タナカを食べたイアは、満足げだった。
女子は満足、男子は不満足といったところで、ぼく達は店を出た。ロヴシャが街をぶらつきたいというので、ぼくも賛成する。なんだかんだ言って、結局全員で散歩することになった。
三人には特に目的は無いようだった。でもぼくは違う。さっきの「甘辛」のせいでとある欲求が顔を出したのだ。
和食が食べたい。
一番欲しいのは醤油だけど、それは望み薄だろう。ならばせめて、中力粉に近いモノが欲しい。うどんなら作り方を知っているからだ。
何を隠そう、ぼくは大のうどん好きだ。日本であのバイトをしていたのも、それが理由だった。
そんなわけで、道沿いに穀物屋を見つけると、ぼくは吸い寄せられるように入った。そこの粉を触り、舐める。そして最もそれっぽいものを、イアに買ってもらった。
今日はこの後時間があるなら、これでうどんを作ろう……なんて、わくわくしながら店を出た。
出たんだけど。
そこに居た人物のせいで、うどん作りは日を改めざるを得なくなった。
「御久し振りで御座います、ロヴしゃま。お父様がお呼びですので、お迎えに上がりましたぞ」




