6 倒すべき敵は急襲せり
正面からぼくとロヴシャ、裏口からタナチカ含む三人の衛兵。テレナンと呼ばれた衛兵、イアとレレイウの二人組は遊撃として、正面から遅れて入る。それが今回の割り当てだった。
映画で見たような特殊部隊の突入に比べれば、あまりにも単純だ。けれど、銃も無線もないこの世界においてはこれ以上の複雑化は困難だし、必要でもないのだろう。少なくとも、この短時間ではそれ以上のことは出来なかった。
「……さあ、正念場だ」
目的地の前、塀の影に隠れながらロヴシャが呟く。振り向き、ぼくを見て、その後ろを見て。きっとイアに対する合図だろう。
「その前に、一つだけ確認させてくれ。アリモーチョ」
どこか改まったロヴシャ。
「オレがおめーを連れ出した理由、そのほとんどは頭数合わせと実習だ。会ったばかりのおめーを戦力とは思っちゃいねえ。けれど、足手纏いだとも思ってねえ。今朝のおめーの拳に――しっかり通った気を感じたからな」
「――!?」
「全ての敵は、オレが蹴散らす。でも死ぬな。自分の身は、自分で守れ」
その言葉ははっきり言って、意外だった。
ぼくは、武術の経験など一切ないのだ。特別腕っぷしが強いわけでもないだろう。
そんなぼくにの拳に、気が通っている……なんて。妄言としか思えないじゃないか。
「……イエス」
けれど、それでも。ぼくはロヴシャを信じた。
この世界では、他に信じるものがないというのはある。彼らを疑ってしまえば、今のぼくは全てを失くしてしまう。
でもそれ以上に……信じることに、決めていた。だからあえて鵜呑みにさせてもらう。
「よし。ならもう一つだけ、だ。どうしても危なくなれば、オレを呼べ。イエスとノーしか言えないおめーでも、オレの名は言えるだろう?」
「ロヴシャ。ロヴシャ=デュースノム」
「オーケイだ。じゃあ……行くか!」
言葉と同時に、ロヴシャは駆けだす! 付いていくのがやっとの、全力疾走――。
そしてその勢いのまま、彼は扉を蹴破った。
リンカが囚われている建物は、やや広い。日本風に言うなら4LDKだ。けれど日本の一部屋を猫の額ほどとするなら、こちらは背中ほどだと言って良いだろう。床面積は広かった。
テレナンによれば、リンカは四部屋のうちのどれかにいる。その部屋には人影が一つ以上、だが恐らくはそれよりも多い。二、三人がローテーションしているのではないかという見込みだった。正面口には常に二人、裏口には一人の見張りがおり、建物全体では八人ほどの『鮮血の箒星』の一味がいるという。
……。
彼の魔法は《生活音》の《削除》に過ぎず、忍びとしての能力は本人の研鑽の賜物……という話だったけど。
盗聴器はおろか、双眼鏡もないこの世界で、どうやったらそれほどの情報を仕入れられるんだろう。正直、かなり気になる。
まあそれはそれとして、だ。
強引に侵入したロヴシャは、すぐそばにいた見張りを軽く熨してしまう。二人の男を、瞬殺だった。生死は不明だけど、しばらく起きてはこないだろう。
居間を抜け、台所を確認し、一つ目の部屋を確認。……誰もいなかった。
「慌ただしくしすぎだって、思ってるか?」
踵を返しながら、ロヴシャが言う。 ……顔に出てたのだろうか?
「イエス」
でも、その通りだ。この突入は、ちょっとうるさすぎる。リンカの部屋に入る前に、相手に気付かれてしまうのではないだろうか?
ぼくの返事にロヴシャはしかし、歩きながらもヒッヒッと笑う。
「まあ、見てな。アイツの……リンカの魔法は」
そうしてロヴシャは先導し、二つ目の扉を開き――!
……、……。
三人の男女が、お茶してた。
「《警戒》の《削除》っつてな、まあ……見ての通りだ」
女性が一目散に駆け寄ってくる。二人の男が慌てて席を立つ頃には、女性はぼくの後ろに立っていた。
なんだこの間抜けな構図は。
「来てくれたのかー! ロヴしゃん、嬉しいなあ」
女性が気の抜けた声を挙げる。この人が……リンカさん? 隊長と言う割には、なんだかフワフワしていた。少なくとも、そこの筋肉よりはずっと穏やかそうだ。明るい色のゆるふわカールが、白い肌に映えている。
なんだか想像図と違うなあ。もっと厳しい人かと思ってたのに。
「やかましい。捕まってんじゃねえよ、ったく」
ロヴシャは振り向こうともしない。前に出つつ、二人の男をじっと見つめている。
「なんだ貴様!」「『橙々発止』のデュースノムか!」
二人の男はナイフを抜いて、ロヴシャに問いかける。一人は順手で一本、一人は逆手で二本。
「見張りはどうした!」「我らにまた楯突くのか!」
「うるせえ二人組だな。順番に喋れよ」
「冗談のつもりか!」「面白くないやつ、我らの敵なのだな!」
「うるせえと言ってるだろうに」
言いながら、三人はにじり寄る。それぞれの間合いを計っている、あるいは隙を見ているのか。
……問題、無いのだろうか。
ロヴシャはずっと、緊張の糸を張っている。先ほどの見張りや、昨日の有象無象とは違う――棒使いのホルトンに向けていたそれだ。真っ直ぐに相手を見据えて、様子を窺っている。
ただ、昨日とは人数が違う。二体一……いくら強くたって、危険ではないだろうか。
「……ロヴシャ」
つい、その名前が口を衝く。はっとして、口を押さえるぼく。けれどそのロヴシャは、事も無げだった。
「なんだ、オレなら気にすんな。こんな奴ら、一人で片づけてやる! おめーらはそこで、こいつらが逃げないように道を塞いでな。そしてタナチカかイアが迎えに来たタイミングで逃げろ」
そう見栄を切ったロヴシャは、間違いなく笑っていた。
「言ってくれるな、『橙々発止』――!」「嘘吐きに、してやろう!」
業を煮やした二人の男が、ついに襲いかかった!
「はッ、来るなら来い!」
二人のナイフ使いは左右に分かれ、挟撃を仕掛ける。まず逆手の一本目が迫り、わずかに遅れて順手の突き。間もなく逆手の二本目が振り下ろされる。ロヴシャはそれらを流し、躱して距離を取る。元の間合いに戻ったのも一瞬、ナイフ使いは交互に攻め入る。
「貴様の魔法は知らないが、戦い方は仲間から聞いているぞ、『橙々発止』!」「異常に疲れにくい体質を活かし、長期戦に持ち込むらしいな!」「そして相手が一方的に疲れたところで反撃に転ずるのだろう?」「だが二人を相手にしても、それが通用するかな?」「いや、通じないな!」「二人で分け合えば疲労は半分なのだ!」
「つくづく、仲の良いヤツらだ……なッ」
「ロヴしゃん……」
軽口を返しながらも、ロヴシャの表情はやや苦しげだった。それを見たリンカさんは、心配げに見守っている。ナイフが風を切る音、足が床を叩く音が声に重なる。ぼくの肉体にだけは、か細く届いた。
「い、イエス! リンカ!」
無様なことに、今のぼくにはそれしか言えない。ただ、そんな切なそうな顔はして欲しくなかったんだ。
ロヴシャはああいう戦い方が得意なんだ、いざとなればエネルギーを爆発させる必殺技もある――とか、慰められれば良いんだけど。ぼくには、ただ空元気を見せること以外には何も出来なかった。
ぼくの言葉に、リンカさんが何か問うてくる。けれどその声はロヴシャの耳に届かないから、ぼくの頭にも訳が浮かんでこない。励ましたくてもどうしようもなく、またバイトスマイルを張り付けるしかなかった。
「キリがないな。アレント!」「よしきた。ゴランノ!」
ロヴシャ達はその間も、せめぎ合いを続けていた――けれど。
ナイフ使いの二人が、唐突に自ら間合いを取った。
不穏当な宣言に、ぼくとリンカさんの眼が自然と三人に向く。
「本気の戦いを見せてやろう!」「我らの魔法、とくと見よ!」
言って互いに構えを変える。ロヴシャの方も受けの体勢を取った、
――なんて二人で注意を向けたのが、いけなかった。
ナイフ使いの魔法に気を取られて、周囲への警戒をすっかり怠ることになったのだから。
前しか見ず。三人の声にばかり耳を傾けてしまって。ある意味、気を緩めてしまった――
その代償は、すぐに払うことになる。
つい隣、ゴトリと大きな音がした。嫌な音だった。
恐る恐る、ぼくの肉体の視界を動かす。
足元には、――リンカが倒れていた。