3 彷徨の故を語らう道中
ロヴシャの中からぼくの身体を動かすのに、苦労が無かったわけじゃない。初めの一歩を動かすのには、正直かなりの気力を使った。派手に転んで、地団駄踏んで。ようやく二歩、三歩と歩いた後は、とても楽になった。
その後、四人で街へと出発した。イアとロヴシャは用があると言っていたけれど、特に持ち物はないらしい。全員手ぶらで、のんびりと歩いた。舗装のない道は柔らかい感じがして、優しい気分がした。
家を出てほんの三十秒、始めにこう切り出したのは、矢張りというか……イアだった。
「まずは、とりあえず。二人とも、付いてきてくれてありがとね」
タダ飯を喰らった身としてはこれくらい安いものだ。でもそんな言葉は翻訳できないので、ぼくは「イエス」とだけ口にする。
「で、まあ。色々聞きたいことも、話したいこともあるんだけどなー。何から手を付けていいのか……って感じだよねー」
「ホントは昨日話したかったトコだが、まあ……あの調子だったもんな。アイツラ襲ってきた後、何かと処理があったし……アリモーチョはリビングでぶっ倒れてるし」
ああ、ぼくはあの後、また気を失ってたのか。いつの間にか布団に寝てたこと、ちょっと気になってたけど。
……処理、という言葉は、あまり気にしないことにした。
「あ、いいんだよカイガ。気にしないで」
イア、そういうことじゃないんだけど……まあ、心の中でありがとう。
「オレとしちゃあ、アリモーチョのことも、えっと……レレイウのことも、さっぱり判らんからな。その辺が知りたいが」
「二人からすれば、わたし達のことも名前しか知らないでしょ。カイガなんかは、それ以上に……この世界のことを何にも知らないだろうし」
そう、そうなんだよ! 「イエス、イエス」なんて、アレな外人みたいに連呼する。
「オレにはまず、その前提が判んねえよ。この世界って言い方はなんなんだ? 生まれの大陸が違うとかそういうことか? 半分死んでるってのも、関係してんのか?」
「そーいっぺんに訊かないでよ、もー……」
わり、とロヴシャ。口だけって感じだけど。
「まいーや。じゃー、カイガがうちに着たコトについて私から言わせて貰おー」
にっこりと笑って、イアは語りだした。
「私は昔から、魔法について研究するのが好きだったの。それで、ここ何年かは『魔法の拡張利用』について試行錯誤してたのね。それぞれの魔法の通例的効果の強化だけじゃなく新たな利用法の確立、ないしは各々の使い手の自己進化を促す啓発手順……」
「イア、よく判らん」
「えー。ロヴが判んないんじゃなー」と、口を尖らせる。「まあ、そんな研究の一環で、ここ最近は私の魔法に新しい使い方がないか試してたの」
へえ、としか言い様がない話だなあ……事の大きさも深さもイマイチ伝わってこない。まあ魔法のことなんて何も知らないし、甘んじるしかないか。文句言うことも出来ないし。
「昨日も、そうだった。私の魔法の、新しい使い方を研究してた。私の魔法……《距離》の《削除》は、自分と何かとを一瞬で詰める魔法だけど、色々と制限がある。その制限を取り払って、なんかスゴイものとの距離を詰められないかって、試してた。延法具の実験も兼ねながらね。……あ、延法具ってのは、紋章への装備品のことね。手に武器を持てば、攻撃力やリーチが上がるように……足に靴を履けば、疲れにくくなるように。紋章に延法具を用いれば、何らかの強化が為される」
息を整えて、イアは更に続ける。
「その延法具を色々と試しながら、昨日は何度も魔法を使ってた。武器や靴に色々種類があって、使い道も違うでしょう? 延法具も同じように、色々あるんだー。そして、ある組み合わせを試したとき――何か、こことはまるで違うどこかとの距離が詰まったって直感があった。私の爪先に空間のポケットが出来て、その先に! カイガがいたのよ!」
すごく……とにかくキラキラと、イアは目を輝かしていた。
でもぼくたちは、ポカーンとしてしまった。
「なんか……途中まで理解していたはずなのに、いきなり判らなくなったんだが」
「え、そーかな?」
「延法具が装備品ってのは、オレも良く知ってる。そこまではアチモーチョも理解できたろ?」
「イエス」
「でも、それがいきなり空間のなんちゃらを呼び出したり出来るもんなのか?」
「で、出来ちゃったんだもん。偶然に」
ぷくー、とイアの頬が膨らむ。
「えっと、なんだ、オレにはその辺のことはイマイチ判らんだが、つまり……」ロヴシャは頭を押さえながら、振り絞っているという様子。「おめーのとばっちりで、アリモーチョはトンデモナイ所から呼び出されたってことか?」
「ええー。ロヴってば、そんな言い方なくない?」
イアは不貞腐れるけど、今の話を聞く限りではロヴシャが正しい。完全にとばっちりじゃないか。
「迷惑な話じゃないか、アリモーチョ? こんな所に、来させられてよ」
肩を叩かれる。ぼくはすぐさま、ノーと答えた。
「なんだ、気を遣ってるのか? こんな所、来たくなかった……元の場所に戻りたいとか、思ってないのか」
その口調はイアを責めているのではなく、ぼくを心配しているという風だった。本当は、いい奴なんだろう。
大丈夫。
元の世界に、未練はないからね。
有本快雅は交通事故で夭折したようなものだと、思うことにするよ。
……なんて、思ってはいても、口には出せないから。
ぼくは心を込めてもう一度、ノーと言った。
「おめー、ようやく笑ったな」
フッと微笑むロヴシャ。もう心配はしていないようだった。
「……そのやりとり、ちょっと、犯罪的じゃない?」
「何言ってんだ、おめーは」
「まあ、とにかく。カイガがここに来たのは、ほとんど偶然なの。だからドコから来たのか、詳細には私も判らないのよ。言葉が通じないほど遠いってことだけ。実はひょっとして、魔法が存在しないような所かも……とも、思ってたけど」
「なんじゃそりゃ? 魔法が使えない人間なんているのか。というか、アリモーチョは使えてるじゃないか?」
「これは、半分は直感なんだけど。私がカイガを引っ張り出した、あのポケットは……本当に、違う世界って感じがしたの。だから、そういうこともあるかなって。それに、カイガって年齢の割に魔法の扱いが凄く下手みたいだもの。物心ついた五歳児程度って感じ?」
「だからアリモーチョは元々魔法を遣えなかったってか? 研究者の癖に大事な所はカンなのな」
「閃きと勘は紙一重よ」
「そりゃ、敵わねえな……」
「その辺どう、カイガ? あなたの居た所に、魔法ってあったのかな」
「ノー」
「ほれ見たことか」
妙に嬉しそうなイアと、妙に悔しそうなロヴシャ。こいつら息ピッタリだなあ。
「ともかく、これでアリモーチョの出自については、まあなんとなく判ったぜ。特に、詳しくは判らねえって点についてな。ただ、見えてこないのは」と、レレイウに目を向ける。「半分死んでる、って言葉だ。今の話とは何の関係も無さそうだよな」
「カイガの魔法に絡んでくるってことかしら。その辺どうなの、レレイウちゃん?」
黒髪の子、レレイウは、跳びあがるほどにビクッとなった。雰囲気の割に茶目っ気のある動作だった。
「ちゃ、ちゃん……?」
「え、女の子でしょ? ちゃん。レレちゃん? レイちゃんかな」
「あ、う」
言葉に詰まってしまうレレイウ。
「おいおい、困らせてるじゃねえかよ」
「あれ、ごめんねレイちゃん」
「……、……。……知らない」
「怒られちゃった!?」
「違う。その、……カイガのこと。魂抜けてると思う。だから、半分死んでる」
「……ふーん?」
「それって、おめーの魔法で判断したのか?」
「……うん」
「どんな魔法なのか……は、……言いたくなさそうだな」
「……御免なさい」
「いーんだよ、レイちゃん。魔法は私達の手足のようなモノだけど、同時に一人一つしかない特技だもんね。下手に口にするには、抵抗あるよね」
「でも、嘘じゃない。カイガは、魂、抜けてる」
三人がぼくの身体へと視線を集める。
けれど、ぼくとしては……イエスともノーとも言えなかった。
魂が抜けてるという表現はまあ、正鵠を射ているようにも思えるけれど。でも、フィーリングだ。実際に正しい表現なのかは、ぼくにはまるで判らない。
ぼくが言葉に詰まっていると、やがてイアが意志を汲んでくれた。
「答えない、か。思い当たる節はあるのかな。ってことは……」
そこまで言ってレレイウは数秒の間固まっていたが、やがて「わかんないや!」と笑顔になった。
「ちょっと、判断材料が無さすぎるね。この件はひとまず置いとこうか」
え、置いとかれるの? ぼくももっと知りたいんですけど。
でもロヴシャも賛成だ、とか言い出したから、どうしようも無さそうだった。
「魔法は、ほとんど人の数だけ種類があるからね。同じ名前をした魔法でも、人によって効果が違うことだってあるし。《温度》を《削除》する魔法とか、ある人は火を消すことが出来て、ある人は周囲の気温を下げることが出来て……って感じだからね」
ぼくに向かって、ウインクをしてくる。考慮して説明をしてくれたんだろう。ありがたい。
「そんなことよりわたし、レイちゃんのことをもっと知りたいな」と、イア。「どこから来たの? どこでロヴと会ったのかも聞いてないし」
グッジョブだ、イア! ぼくも知りたい。思わずイエスと言ってしまう。
「……っ」
対するレレイウは、睨むような、苦しむような……なんとも言えない顔をした。口をパクパクさせて、目を泳がせた末、何故かロヴシャを睨んだ。
「……」
「……」
「……え何。オレに喋れって?」
そのまま見つめ返すレレイウ。ロヴシャは困惑した表情を隠そうともしなかったが、特に躊躇うことなく口を開く。
「つってもなあ。オレが言えるのは、昨日イアに話したので全部だしなあ。森へ薪を調達しに行ったら、偶々レレイウを見かけたんだ。イノクマ捌くのに困ってたみたいだったから、とりあえずオレが担いできたってだけだ」
「……あのイノクマ、体長2m越してたわよ? それをレイちゃんが狩ったっていうの?」
「そうだよ。なあ?」
レレイウは頷く。
「……まあ、そこまで言うなら、信じるけどさー。結局あのイノクマ、ご馳走になっちゃったし。美味しかったし」
「そうだな。ステーキにした価値があった。ただのサンドイッチが絶品になったぜ」
ぼくは一人、イノクマってなんだろう……と疑問だったが、その次の言葉で全て理解する――!
「あの牙のせいで、美味しいのに中々捕まえられないからね。ほんとありがとね!」
昨日のあの獣のことかーーーーい!
ってか朝メシにしてたんか!!!!
気絶するほど慄いたアレを、いつの間にか胃袋に押し込んでたとは……たまげたなあ。
「なんだ、アリモーチョ。浮かない顔して」
「……ノー」
大したことじゃないよ。ただ、人間の肝と、食道の太さに驚いただけなんだ。
「さて、もう着いちゃったね。早い早い」
イアが呟く。人が往来し、中心に石像が立つ。ここは?
「南の広場ね。ここで、ちょっと待ち合わせをしてるんだけど……」
イアとロヴシャがキョロキョロとする。すると、こちらを見つけたらしい女性が、息を切らせて駆け寄って来た。
「ロヴシャさん! イアさん! 大変です!」
その雰囲気は、既にただならぬものがあった。心ばかりに、ぼくも身構える。
「ちょっと、お耳を」
女性は二人に近づいて、こう耳打った。
「隊長が……リンカ隊長が、拘束されました」