調合室のドアを…
*どうするつもりかは、我々も知らない。ただ、そうするべきだということは、解っていた*
調合室のドアを閉め、ヤエの背中を追った。壁掛けランプの灯りが棚の手前で影を作り、ルシェは自然とそので立ち止まる。ふと横を見れば、階段に隠れていた猫たちが居なかった。トタトタと彼らは小走りに駆け、暖炉へ向かう。彼らを追うように、ヤエも広間へと踏み出してした。
足音は無い。猫たちとは対照的だ。
途中、暖炉の側に積まれている薪を1本掴み、ふわりと暖炉に放った。ガコ、とそれは火中に包まれて、幾つかの薪がパチパチと鳴く。炉火はすぐに穏やかさを取り戻して、ヤエは腕を伸ばした。
「こんばんは」手を暖めながら、ヤエは言った。
「はじめまして」男は椅子から立ち上がって、挨拶を返す。
「2つの大河と7つの山を超えた所から、何か用かしら?」ヤエは意地悪そうに聞いた。
「…ご存知なのでは?」男は腰に手を当て、胸を張る。それらの内、右手がほんの少しだけ、後ろに下がる。
強張った手で、ルシェは小瓶を握った。
「ええ、来客の名前も、用も、背に隠した短剣ですらも知っています」
ヤエが言い終わるよりも少し早く、男は動いていた。ルシェにはそれくらいしかわからない。
鞘から抜かれる刃の音と、抉り取るような右腕の動き。
翻るヤエのカーディガン。それは体のラインを少しだけ包んで、フワリと浮き上がる。
鎧の軋む音。この場には不似合いな音だ。
ヤエはクルリと一歩で回り、男は不安定な足取りでヤエを通り越す。男が振り向いた時にはもう、ヤエは男の目の前に立っていた。
何もかもあっという間だった。舞踏会のようなそれを前に、ルシェは全く動けなかった。小瓶を握った手と足が、今になって震え出す。鼓動も早い。何より、全くわからなかった。男が振り抜いた武器は持っていないし、いつの間にか、ヤエは綺麗な装飾短剣を左手に持ち、それを背中に隠している。
男も何が起きたかわからないようだ。伝う汗と、瞬きをしない目がそれを物語っている。身を守ろうとした腕が、間に合わなかったのだろう、中途半端な位置で止まっている。
「あなたは、良い燃料に、なりそうだね」ヤエはゆっくりと言う。
ガコ、と炉火の薪が崩れた。ヤエが添えた手は、しっかりと男の胸元にある。男の背中には、炉火が揺らめいていた。押せばきっと、火傷では済まないだろう。
その足元で、悠々と猫たちが移動し始めた。彼らはまっすぐシャーノの方へ向かって行く。何匹かは尻尾が丸々と膨らんでいたが、それらのほとんどが何事もなかったかのような態度だ。一方シャーノは伸ばし棒を手にしてはいたが、足元に集まる猫たちのせいで、身動きが取れない。
暫くの間、炉火の音だけしか聞こえなかった。それが長く感じたのは、動きがなくなったからだ。呼吸を止めたような、張り詰めたような、冬の森のような。楼台の灯火も揺れない程、シンとしていた。落ちてしまった雪のような、変えられない一瞬のような。
少しの時間を経て、ヤエはそれらを動かした。「これを許すのには条件がある」
その声は、落ちた雪を溶かすような気がした。




