調合室の仄暗さが…
*私達は少なくとも、彼の歩みを止められない。*
調合室の仄暗さが、まるでいつもと違った意味を持つような色だった。少し前に点けた蝋燭がまだ半分残っているのにと、つい目で確認してしまうほどに。天窓が塞がれているからだろうか、と思い出したが、きっとそれ以外に、何かあるに違いないとルシェは思った。
「どうしてですか?」ルシェは思ったことを口にした。
「私には必要ないから」ヤエは即答する。
そして、ニコリと微笑んだ。「シャーノかルシェかと問われれば、私はルシェに渡す、という選択をしただけ…はい」ヤエはゆっくりとそれを手渡し、くるりと背を向けて、羽ペンを机へ戻しに行った。
なんの飾り気もない焦げ茶色の本を、ルシェは抱えるように受け取った。それは硬い皮表紙で挟んでいるらしく、羊皮紙が詰まっていた。羊皮紙は色も形もバラバラで、表紙からはみ出ている。くるくる回して観察を終え、顔を上げると、ヤエはテーブルに浅く腰掛けてルシェを見ていた。
「その本をどう使うかは、ルシェが決めて構わないわ。もう、私の物ではないから」
「どんなふうに使えるんですか?」ルシェは不思議そうに尋ねた。
「そうね…」ヤエは首を傾げて、指先で髪をいじる。いつも、答え方を考えるときにそうしているのを、ルシェは知っていた。「角で殴れば、人を殺せる」
ルシェは本の角をちらりと見て、ヤエは吹き出した。
「冗談よ」ヤエはルシェの側まで来て、その頭を撫でた。「揺り椅子の下に留め具があって、そこへ仕舞えるからね」
ヤエの冗談はいつもよくわからないので、ルシェは瞬きをしていた。本を元の場所に戻し、ヤエが指差す野草を抱えて、二人は調合室を出た。
大きな棚が広間からの光を遮って、廊下は薄暗かった。その横をすり抜けると、廊下に掛かる楼台に燈火があるのを見つけた。いつの間にか随分と時間が経っていて、シャーノが点けてくれたようだ。
広間に出ると、外の暗さがいつも以上に酷かった。調合室に入る前は、夕暮れの光が雲と山の間を指していて、とても綺麗だったのだ。窓まで近づいて見ると、止んでいたはずの雪がまた降り出していた。野うさぎの尻尾より、それは大きい。
「また降ってきたね」シャーノが暖炉に薪を足して、言った。「これ、あと何日で止むのかな」
「えっとね…去年は確か、一週間は振ってたかなあ」ルシェは言って、屋根から滑って落ちたことを思い出した。「ね、師匠」
「そうね…長くても二週間で止むわ。でも、蓋をするように雲が張るから、今よりずっと底冷えする。…温かいものを食べて、寒さに備えないと…」ヤエは歯切れ悪くそう言うと、首を傾げた。「うーん、今日中に来るはずだけれど、帰っちゃったかしら」
「お客さんですか?」シャーノは聞いた。
「そう。来ないならそれはそれでいいのだけれど…先に、夕食を済ませてしまいましょうか」
ヤエはそう言うと、暖炉の種火を竈に移すようシャーノに指示し、壁に掛けてあった厚手の革手袋をルシェに放り投げた。
「ルシェは水を汲んできて。そこの水桶…そう、それ。半分くらいでいいから」そう言って、ヤエは廊下へと向かった。途中、二階から降りてきた猫たち数匹と入れ違いになり、ヤエはそのまま、廊下に置いてある棚の影を追って、調合室の戸が軋む音だけが届いた。




