だんだんとそれは…
だんだんとそれは近づいてきた。そして、焚き火の明かりに照らされた顔が、少しやつれているのが判った。青白い肌、ボサボサの髪に小さな帽子をかぶり、ボロ布のような外套を纏い、大きな荷物を背負っていた。
男は黙って、その大荷物を下ろした。彼は焚き火を中心に、ヤエと反対側であぐらをかいて座り込んだ。両手を火にかざして、じっとヤエをしばらく見ていた。
彼が来る前に、ヤエはいつもどおりすっぽりと髪を隠し、目深にフードをかぶって座っていた。ルシェは荷物の間でうつ伏せになって、間からその様子を眺めている。そのとなりで長老猫が毛づくろいをし、馬は更に後ろで耳を伏せていた。
「村から行商かな、お嬢さん」しばらく火にあたって、男は尋ねた。「デイ・ノート村から来たのかい?」
「ええ、そうです」少し掠れた声で、ヤエは答えた。ルシェは毎回、声色の変わる最初の一言目にドキリとする。つい先程まで一緒にいた師匠と、本当に同一人物か疑わしくなるほどだ。「村に何か御用があるのですか?」
「変わった人が住んでいると聞いてね。…本当に居るかはわからないんだが」
「ああ」クスクスとヤエは笑った。「うん、失礼。魔女の噂かしら?」
「ああ…やはり、居ないのか」男は肩を落とした。「いや、笑ってもらっていい。眉唾ものの噂だからな」
「ご病気か何かなら、村よりもロナイ城へ向かう方が良いかもしれませんね」
「いや、当の魔女に呪いをかけられたと言うやつが居てな?」頬杖をついて、男は困った顔をした。「どうしたら解けるのか、聞きに行きたいのだが…死にそうというわけでもなさそうだし、困ったものだ」
「あら、ということは、それらしき人に会えたのですか?」ヤエは首を傾げた。「もし村の人に悪戯をされたのなら、村の一員として見過ごせないのですけれど…よかったら、その人のお話を聞かせてもらえませんか?」
「うん…」男は腕組みをして、少し悩んで、言った。「いや、何、信じているわけではないが…呪いで首を絞められている、とかなんとか…実際、白い線が3本、グルリと首を巡っていてな。何だったかな、気を失って、気づいたら白黒の悪魔に捕まっていて、縛り付けられているわけでもないのに動けなくなっていて、その悪魔が消えた後、死にものぐるいで逃げてきたとかなんとか」
「まあ…そんな事が」
「うん…顔がなく、真っ赤な口と真っ白な髪、真っ黒な悪魔なんだと」男はため息を付き、目をつぶった。「まったく、困ったものだ。あまりに騒ぎ立てるから、こうして俺が村まで出向こうとしているのだが…やはり居ないのか」
しかし、次に男が目を開けた時には日が昇っていた。焚き火は炭だけが残り、馬も、猫も、フードの行商人も居なかった。
「…何なんだ」と、彼は困惑したし、村に向かうどころではなくなったのだった。




