ヤエが玄関扉を…
ヤエが玄関扉を開けると、猫たちは次々と先に入っていった。どうやら慣れているらしい。ルシェの腕からスルリと降りて、3匹目も奥へと消えた。真っ暗な広間は、明かり窓の光で綺麗に2つに分けられていた。陽の当たるその先に一人掛けソファがあり、ペトラはそこに腰掛けた。彼は手招きして、3人に、好きなところに座るよう促した。
ヤエは、ソファ少し離れたテーブルの椅子に座った。シャーノとルシェもそれに倣おうとしたが、ヤエがペトラの正面にある長いソファを指さしたので、そちらに向かった。背もたれの上には、一緒に付いてきた猫が1匹、丸まっていた。
「馬を借りる程に切羽詰まっておるらしいな」二人が座ると、ペトラはヤエに言った。
「用心するに、越したことはないと思ってね」
「なるほど、それで、坊主をワシにか」
ペトラは少し身を乗り出して、足先から頭の毛先までシャーノを観察した。「手伝いしかさせとらんのだな?おい、坊主、名前は?」
「シャーノです」シャーノは答える。
「…何だ、まあ、お前さん達の都合だからあれこれと言うべきではないな。ワシはペトラだ。見てくれ通りのジジイだ、好きな様に呼べ」ペトラはニヤリと笑った。なんとなく、ヤエと笑い方が似ていると、シャーノは思った。
「で、昨晩、男が村から走り去っていったが、アレがお前さん達に何かしたんだな?」
「傭兵だったわ」ヤエは頬杖をついた。
「おい、おい!」ペトラは叫んだ。「傭兵だと?ノート・ロナイ城での馬鹿騒ぎが、どうして辺鄙な村に飛び火する?それにアレは逃げ去っていったんだぞ?」
「流石に詳しいわね」ヤエはため息を付いた。「マリ姉さんの所が狙われるのはわかるんだけれど、ルシェにまで危害が及ぶ理由がわからない。逃がしたのは、彼が下っ端で、何も知らなかったから。捕まえていても仕方ない。ただ、ちゃんとマリ姉さんには手紙を送ったから、すぐに調べてくれるはず」
「…ふん、お前さんがそう言うなら、何とでもなるのだろうな。そうか、つまり、護身術程度で良いんだな?」
「それは爺が決めてくれたほうがいい」
「ハ、ハ!無責任な師匠だ、なあシャーノよ!そっちの嬢ちゃんも、そう思わんか?ルシェというのがこの嬢ちゃんだな?よし、よし、それぞれ得意分野があるのは素晴らしいことだ。シャーノは受け持ってやろう。明日の朝、起きてすぐにここへ来なさい」
「よろしくお願いします」
「丁寧なのは関心だな。だが、そう畏まるものでもない。二人は、今日は帰りなさい。ワシは、ワシの教え子と少し話がある」
ペトラはヤエを窺い見て、ヤエは頷いた。こうして二人はヤエを残し、魔女の家に戻ることになった。
「分からんな」
シャーノとルシェを見送り、ペトラは扉を閉めて、言った。「素直で、頭も悪そうに見えん。どうして名をやらんのだ?」
「私は私の決めた基準がある」ヤエはきっぱりと言った。「家族には名を分けよ、だったかしら、それ。…魔女の継ぎ手自体、私は疑問に思うわね」
「ふん。歴代の魔女は皆、弟子を取って直ぐに名をやっておったな。お前さんは家系から離れていた時間が長すぎたか。ああ、悪い意味でじゃない。あちこち旅をして、たくさん見聞きして、たくさん選択肢があることを知ったわけだ」
ペトラは先ほど座っていたソファに戻って、座った。「それで?お前さんが手に負えんから、シャーノをワシに任せるわけではあるまい。何か理由があるのか?」
「私の手に余る」
「…何かの冗談か?アレがお前さんの手に余るって?どこが問題なんだ」
「命のやり取りを見過ぎている」
「…フロリベルの孤児院から拾ったんだろう?」
「ええ」ヤエはぼんやりと目を細めて、言った。「洗い物をしている。不審な男を見つける。念のためフライパンを片手に後を追う。ルシェを攫おうとしているのを見つける。手に持ったフライパンで後ろから頭を殴る。…まあ、ここまではわかるわよね」
「上出来な弟子じゃないか。用心深いし、ちゃんと対処もできたんだろう?」
「そう、殴った。たった一撃で気絶させたわ」ヤエは呟く。
「ふん。力が強そうには見えんがな」
「面で殴っていない」
「面?」
「剣で言うならば、刃を当てるように、殴った。きっと初めての暴力でしょうね。手が震えていた」
「知識では、相手を殺せる殴り方をしている、というわけか。…よく死ななかったな」
「傭兵は簡単な兜をしていたけれど、壊れていたわ」
「ハ、ハ!まるで炉火に入れっぱなしの鋼だな。誰かが丁寧に打って仕上げてやらんと、どうなるかわからんわけだ」
「そう。だから、私の手に余る」ヤエは微笑んだが、少し寂しそうに見えた。
「まあ、いいだろう。魔女の血統は今、お前さんが主だから、お前さんが基準を決めればいい。シャーノは、ちゃんと受け持ってやろう」「それで、あの嬢ちゃんが狙われる理由は、本当にわからんのだな?」
「皆目検討がつかない。けれど、大丈夫。対処はしたわ」ヤエは頬杖をつくのをやめて、立ち上がった。隅で様子をうかがっていた猫達が、玄関へ集まってきた。
「何かしたのか?」ペトラは尋ねた。
「ええ」ヤエは答える。「魔法をかけてあげました」
そう言ってヤエは微笑んで、ペトラの住む家を後にした。




