夕暮れは木陰の…
夕暮れは木陰の霧間に鋭く切り込んでいる。分厚いクッキーを噛むような霜柱の沈む音と、丸々とした雪の落ちる音が響いていた。整然とした並木はたっぷり雪を抱えて森を覆い影を落とし、小道の脇へ枝と一緒に雪を積んでいる。それは不格好な雪だるまのようになって並んでいた。
彼の足あとは大きく深かった。彼が森へ入ってすぐの時は、冬眠しそこねた野うさぎが森で跳ねているのをいちいち驚いていたが、とうとう慣れたようだ。尋ねた道順を黙々と踏み、白い息を広げている。がっしりとした体がすっぽり隠れるまで着込んで来たようだが、やはり寒いようで、歯の根が合わないらしい。霧散する息が文字通り震えるのであった。もうずいぶんと歩いているが、微かな焦げた香りに歩を早めていた。
彼は言われたとおりの場所、木々の暗がりと霧の間に家が見えた。大木にしがみつくように建てられたそれは、煙突から霧の隙間に煙を逃していた。先ほどの焦げ臭さは間違いなくここからだろう。良質なクスノキを燃やした樟脳の香りが混じっていて、彼の逸る心臓もすぐに落ち着いた。窓に張り付いた雪は揺らめく薪灯りを広げていた。縦長の窓の隣にはひっそりと看板が掲げられていて、そこには「デイ・ノートの魔女」と刻まれていた。これで目的地と場所とが合致した。
しかし彼は玄関扉の目の前で尻込みしていた。彼が今まで経験し乗り越えた危機に比べれば届け物なんてものはとても容易い。が、ただの届け物ではない。それは此処、デイ・ノート村の村長からという理由では到底この恐怖と好奇心に説明がつかない。
届け先は噂に名高い辺境の魔女なのだ。政治に介入した魔女が崩壊しかかっていた某国にとどめを刺しただの軍隊専属の薬剤師に混じって矢に毒を塗っているだの根も葉もない噂ばかりではあるが、火のない所に煙は立たない。しかも彼と関わりのあった諜報員はこの村へ出発して以来さっぱり帰ってこないのだから尚の事である。
彼の手足は、ドアノブに手を載せたまま一歩も進まなかった。いっそ届け物だけ残して先を急ごうかと逡巡したまさにその時、載せていた手が反力を失いドアノブを滑った。扉は内側へと消え、大きな桶を片手にドアを支えながら大きなブーツを履こうとしている女の子を彼は眺めていた。そして少女の瞳が彼のブーツを捉え、そのままゆっくりと彼を見上げてとうとう彼と目があった。
「あ」小さく口を開けたままピタリと少女は固まった。
「ええと、ごめんください」彼はぎこちない動作で外套に積もった雪を払う。
「いらっしゃいませ」
少女はニコリと微笑んで彼を迎えた。日が山に隠れたちょうどその時、彼はとうとう魔女の根城に足を踏み入れたのだった。