番外編・ケーキとチキンとプレゼント②
それから、駅で一回別れて、先輩は予備校へ、私は電車に乗って家へ。
帰ったら着替えしてエプロンを身に着けて、母のアシスタントをした。
「お母さん、生クリーム泡立てんのこれくらい?」
「ん? どれどれ。……ん、オッケー、もうそこでストップねー」
ケーキとローストチキンとスープとその他諸々を作るから慌ただしいだろうに、やっぱりこんな時でも母の声はのんびり屋さんだ。
生クリーム泡立て係を終了して、こんどはお皿や使った道具を洗う係に転任した。かちゃかちゃと洗い桶でボウルや菜箸を洗いながら、母に謝った。
「ごめんね、急に先輩誘っちゃって」
「んーん、いいの骨付き肉も四本セットで買っちゃってたし。でも真澄がそんなわがまま云うの、珍しいねえ」
母には私のやせ我慢なんかお見通しらしい。
給湯器のボタンを押してあったかいお湯が出てから、すすいだ。
「……だってさ、帰ってもケーキもディナーもないって云うんだよ? そんなの許せる?」
「許せない! うちに連れて来るって決めた真澄が正しい!」
「でしょう?」
女二人で、意見が一致してしまった。
母がチキンに塩とハーブを擦り込みながら、くすりと笑う。
「自分のわがままは云えない癖に、先輩が寂しいのはだめなのね。結果は一緒なのに面白ーい」
「面白がらないで」
「お父さんに云ったら泣くかなー?」
「うっとうしいから今お母さんが云ったことは云わないで」
「あー、そうだね確かに」
この会話を聞いても父は泣くと思うよ、母。
『クリスマスイブは残業しないで帰って来る(キリッ)』て高らかに宣言していた父が「たーだーいまー、いとしい妻よ、わが娘よ!」って、バラの花束とワインと小洒落た小ぶりの紙バッグ二つを持って六時半過ぎに早々と帰ってきた。もの凄くイイ笑顔だったけど、私が「あ、今日、先輩来るから。後で駅まで車出して」って云ったら、テンションだだ下がりでソファの背の方向いて寝転がって拗ねてしまった。
面倒くさいアラフィフだ。
私はため息一つ吐いて、父を懐柔し始める。
「……先輩あんなに頑張ってんのに、今日もコンビニ弁当だって云うから、連れて来ていいよね?」
その言葉を聞いて、父は『ギックリ腰が再発するからやめろ!』って止めたくなるような勢いで起き上がった。そして上着を着て、お財布を持って、玄関に向かう。
「……どうしたのお父さん」
「高梨君にプレゼント買って来る! サンタさんからの!」
そう云って、止める間もなくドアを閉めて行ってしまう。ほどなく車を発進させる音が聞こえた。
母が、エプロンで手を拭きながら笑う。
「お父さんねえ、高梨君の事気に入ってるみたいよー? 娘のカレシって云うのは複雑だろうけど、ほら、うちはお兄ちゃんがかわいくないでしょ? だから、素直な高梨君がかわいくて仕方ないのね、多分」
「……プレゼントって、何買うつもりなんだろう」
「まあ、おもちゃ屋さんで何か見繕って来るんじゃないの?」
……父は、先輩で『子供の育て直し』でも体験したいんだろうか。頼むから変なの買って来るなよ。ちなみに私に去年くれたのはポケモン図鑑だ。私が冷たい目で見下げたのは云うまでもない。
それから三〇分後、顔を上気させて帰ってきた父は、「たーだーいまー、いとしい妻よ、わが娘よ! パート2!」と無駄に高いテンションで、何か小さい包みを持って帰ってきた。
「何買ってきたの?」と聞いてみても、「ひーみーつぅー」とイラっとくる言葉しか返ってこない。ほっとくに限る。
ケーキは最後のお化粧まで済んで、食べられるのを今かと待っている。
オーブンからはチキンの焼けるいい匂いがする。
クラムチャウダーも仕込みが済んで、あとは牛乳と生クリームを入れて温めるだけ。
ローストビーフのサラダも見るからにお肉がやわらかくておいしそうだ。
先輩、喜んでくれるかな。
父が洋楽のクリスマスソングばかり集めたCDをかけて、嘘んこ英語を口ずさんでいる。母がそれを聞いてやれやれって顔して微笑んでいる。私はそれを見て、『幸せだなあ』なんて思ってしまった。うっかり父に漏らしでもしたらドヤ顔になりそうだ。気を付けよう。
お皿のセッティングが終わった時点で、母からアシスタントの解雇通告が出された。
「あとは、高梨君が泣いて喜ぶような恰好をしてらっしゃい」
先輩はどんな格好でも喜ぶんだけどと云いかけて、うわこれ口に出したらバカップル極まりないと気が付き、すんでのところで留めることが出来た。
――さて。泣いて喜ぶ格好とは何ぞや。自室でううんとしばし考えたけど、よく分からなくて放棄した。だってやっぱりどんな格好しても『真澄、かわいい』としか云われないし。
チャコールグレイのベロア生地の膝上丈キュロットがあるので、まずはそれを身に着ける。ローズピンクの刺繍がスカラップな裾に入っていて、私にしては女子度が高いボトムだ。それに、ラインストーンがワンポイントであしらってある黒のニーハイを合わせた。立ってるとタイツみたいに見えるけど、座るといわゆる絶対領域なるものがほんの少しだけ発生する。
上は、白いふわふわのセーターにした。私は首回りがチクチクするのが苦手だから、丸襟だ。ついでに、寒さにも強いので、半袖。うちの中温かいし。
先輩が見たら「見てるだけで死にそう」な寒いコーディネートかも。思わず笑ってしまった。
さて、お料理もセッティングも私の着替えも済んで、あとは先輩が来るだけだ。
「先に食べちゃう?」って聞いたら、「せっかくだから高梨君が来るまで待ちましょ」って母が云ってくれた。……ほんとはそれ、私が云うべき役回りなのは分かってるんだけど、急にお願いしてしまった手前、云い出せなかったのでありがたい。
「ありがと」ってぶっきらぼうに呟けば、母はソプラノ声で、歌うような調子で「どういたしましてー」って笑った。
八時前に先輩から「おわったよ~ヾ(*´∀`*)ノ」とメールが来たので、父に頼んで駅まで車を出してもらう。チョコレート色のポンチョ型コートを羽織り、手の甲の部分に雪のモチーフが編み込まれたアームカバーをして、後部座席に座った。
……誰かに早く会いたいだなんて、ほんとに思ったりするんだなあ。
そんなむず痒い自分をどうにも持て余してしまって、窓の外を眺める。
一年前は好きな人なんていなくって、家族と友人とで過ごすクリスマスで充分幸せだったのに。今はそれじゃ足りない。
先輩は、もう私の中で大事になってると、認めざるを得ない。認めます。
云わないけど!
駅舎の二階にいてうちの車を発見してから下に降りればいいのに、先輩は寒がりのくせにわざわざ下で待っていた。鼻が赤くて、ほっぺも髪の毛もコートも冷たい。
「先輩、早く車に乗って。もう、あんなとこに立ってて風邪でも引いたらどうするの!」
シートベルトをしてから車に積んであった毛布を掛けた。
先輩はだって、と口をとがらせた。
「早く真澄に会いたかったんだもん」
犬要素だけでなく、乙女属性まで身に着けたか、先輩。と思ってみるものの、よくよく考えればそれは私と同じ考えだったことに気がついて、一人顔が赤くなる。ごまかすように、怒った顔をして俯く。
先輩はそんな私をまじまじと見て、氷も溶けそうな笑顔になった。
「そのコーディネート、初めて見た。かわいい。真澄によく似合ってるね」
「……ありがとう、ございます……」
予想以上のいいリアクションに、赤くなってしまう。
ちらりとバックミラーを見れば、『あーもうマジ痒―い』と云いたげな父と目が合った。ほっとけ。目も黙っとけ。
「急にお邪魔してしまって、すみません」
先輩は車でも家でも体を縮めて謝っていた。その都度、うちの大人に「いいから」と軽くいなされた。
室内でコートを脱いで半袖のセーターになったら、やっぱり大騒ぎされた。
「何で半袖!? でもかわいい! 雪の妖精みたい!」
「私はその残念な先輩にお医者さんを要請したいですよ」
「ええ、何で!」
チーム子供が騒いでいた時に、チーム大人は何をしていたかと云うと。
「はやく! シャンメリー!」
一人落ち着きのないアラフィフが、我先にとダイニングテーブルに着いて大人げない要求をしている。きっと後でケーキを分ける時も『俺一番大きいの!』って主張するんだろうなあ。母はそんな父にイラッとすることも舌打ちすることもなく、ひたすら準備に余念がない。しかも、笑みまで浮かべて。
「はいはい。お父さんが一番おっきいグラスね?」
「わーい!」
ダイニングで繰り広げられるハートウォーミングと云えなくもないこのやり取りを、先輩と二人してリビングから眺めていたら、隣からぽつりと声が聞こえてきた。
「何か俺、お母さんと幼稚園くらいの男の子のやり取りに見えてきた……」
「先輩それ、私もたまに思います」
あの二人の戯れには、娘歴一七年の私でさえ未だ戸惑う。兄高樹はどう思ってるのかな。今度メールで聞いてみようと思った。
父はやっぱり、チキン俺一番デカいのー! その分厚いローストビーフ俺のー! と大人げのなさをいかんなく発揮した。先輩が笑いながら「どうぞ」とサーブしてくれたのでよかった。
「んん、おいしい……」
年に一度しか食べられない、ジューシーなローストチキンを食べたら云わずにはいられない。
「でしょう?」
母も賛辞に謙遜なんかしないでばっちり受け止めている。
「高梨君、スープのおかわり、いる?」
「あ、じゃあさっきの半分くらい、下さい」
「はーい」
最初は遠慮していた先輩も、母料理にがっちり胃袋を掴まれ抗えなかったらしく、おずおずとおかわりを申し出ていた。
御馳走を食べ終わると、父から私たちにプレゼントが贈られた。
「どぅるどぅるどぅるどぅる、じゃーん!」
効果音付きで渡された。『どぅるどぅる』はドラムロールらしい。
中身が分からないまま、母と二人して「ありがとう」とお礼を云う。お揃いの包みを開けてみれば、母はコットンパールのピアスとネックレス、私は同じくコットンパールのイヤリングだった。
「きゃー、これ欲しいと思ってたの。ありがとう、お父さん!」
母が頬を染めて喜んでいる。父がそれを見て満足げに微笑んだ。
「よかった。去年みたくポケモン図鑑だったらどうしようかと思ってた」
私がかわいげなくそう返せば、「去年の傷を抉らないで……」と父がしょげる。
その様子をニコニコと見守っていた先輩だけど、「君の分ははい、これ」と渡されると「え?俺?」と慌てた。
「そっ。勉強の合間にこれで遊んで、気分転換して」
先輩がその二〇センチ四方の包みを開けると、出てきたのはリンゴ程の大きさの、ちいさなラジコンのヘリコプターだった。良かった、変身ベルトじゃなくって。本気でホッとした。
充電がされていたので、先輩は早速フライトと洒落込んだ。さすがに何事もそつなくこなす先輩でも、初めてのラジコンヘリには苦戦を強いられていた。上下のレバーの操作がうまく出来なくて、ぎゅんと急発進して天井に当たって落ちたり、せっかくうまく上空でバランスが取れても急に失速して落ちたり。それでも操作に慣れれば難なくコントロールできたようだ。
「ありがとうございます。コレ楽しすぎて勉強出来ないかも」
もう、おしゃべりしながら機体を操る余裕さえある。それが面白くなかったのか、父は「俺にもかーして」と半ば強引に奪っては慣れない操縦を始めた。
予想通り、人の顔めがけてデカイ虫みたいに飛ばすは、天井のシーリングファンライトの羽根部分に派手にぶつかって埃を落とすはで、珍しく厳しい顔をした母に「いい加減にしなさい」って静かにがっつり怒られてしょげかえっていた。いつも、それ位サイレントだといいんだけど。
この危険飛行の間、進路を読んだ先輩が肩を抱いて直撃を避けさせてくれたり、頭を胸に抱きこまれたりして、無駄にドキドキしてしまった。まったく、父のせいで。と気持ちの所在までなすり付けてやった。
父のフライトを強制終了すると、さっきまで怒っていたなんて信じられない母から「高梨君、まだ時間大丈夫でしょう? 真澄の部屋で、二人でのんびりしてね。真澄は先に行ってお部屋片付けてらっしゃい」と云われた。
「イエス、マム!」
その思いもよらないコマンドに、思わず軍隊的お返事をしてしまった。……ほんとは、先輩がおうちに来るって決まってから、もしかして、と期待せずにはいられなかったので、部屋はだいぶ片付けてあるのだけれど。
階段を昇る足取りが喜んでいるのを、きっと隠せていない。
14/10/13 一部修正しました。