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パートナーはあなた 1

 この日も、先輩は襲撃後の心のメンテナンスに、図書室へとやってきた。

 カウンター業務の邪魔にならないように、少し横にずれてポジションをキープするあたりは、まあ悪くないな、と思う。――ほんとは、結構気に入ってる。

「そういえば、さ。なんで真澄は俺をツラで上げ底評価しないで、最初からフツー扱いできたんだろう」

 高梨先輩は問題集と戯れながら――格闘すると云うよりは戯れると云った風情なのだ――、聞きようによっては非常に傲慢にとれる事を云った。

「それは、簡単な事です。美人とイケメン見慣れてるんで、ちょっとしたことじゃドキドキしないようになってるんですよ」

「……どういうこと?」

 さっきまでさらさらとノートの上を走っていたシャーペンが、止まる。

 お付き合いするようになってから知ったんだけど、この変質者機能を搭載してる残念なイケメンは、すぐに嫉妬する。

 ……まあ、煽るような云い方して、反応を愉しんでる私も悪いんだけどね。

 綺麗な顔を能面のようにしていたから、あんまりイジワルするのもかわいそうかと種明かし。

「これ、見て」

 携帯のフォトフォルダに入っている一枚の写真を呼び出して、カウンターの向こうから身を乗り出している先輩に向けて見せた。

 そこにはこの間家で撮った、私と兄と従姉との3ショットが映ってる。

「兄と、ドレスを貸してくれた従姉の紗枝ちゃん。」

 兄高樹は今現在に至るまで、多分先輩よりモテてると思う。

 それで大変な目にも合っていたらしいけど、先輩ほどナイーブでもないし、ぶっちゃけ黒い人なので、モテすぎる事で悩んだりしたことなんかなさそうだ。写真を撮った日曜日、久しぶりに家に帰ってきた兄に近況を聞いたら、日々彼女に集る悪い虫の駆除に勤しんでる、だって。そんな事、嫉妬心を微塵も感じさせない完ぺきな笑顔でさらっと云いのける当り、相変わらずふざけた人だ。

 紗枝ちゃんも青山あたりを歩いているとすぐスカウトに捕まるので歩きにくいとこぼす美人だ。あんまりしつこいスカウトマンは、彼女に踵を落とされるらしい。こちらも見た目と中身がだいぶ違う人……って、うちってそういう血筋なのかな。

「こんな人たちに揉まれて育てば、先輩の顔なんてへの河童ですよ」

 ほんとは、そうでもなくてむしろお付き合いするようになってから先輩にはドキドキすることが多いんだけどそこは内緒だ。

 先輩は、「そっか、免疫が付いてるんだな」と納得した後、問題集とノートを広げたままのカウンターに俯せになって悶えた。

「ああー恥ずかしいー。彼女の身内に嫉妬するとか余裕なさすぎだろ俺」

「そうですね、人の話も聞かないでバカだなあと思いましたよ」

「そこは『そんなことない!一臣、好きよ』って云うところ!」

「図書室ですからお静かに」

「もう、つれないんだから真澄は」

「委員会活動を邪魔するなら出て行ってください?」

 やんわりとじゃれあいの打ち切りを促すと、途端に静かになるイケメン。

 再びシャーペンを手にするけど、ノートに書かれるスピードはのろのろ運転だ。それでも、その英単語や英文はとても奇麗に書かれていて、思わず見惚れるほどだった。

「……自信ないじゃん。俺、まだ、真澄から好きって云ってもらってないよ?」

 まだ云うか。まあ、付き合い始めて二か月、返事してないのはほんとだしな。ちょっとかまってやるか。

 私は、日報をつけながら返事をする。

「そういうのを、ためらいなく云える人種と云えない人種がいるんですよ」

「婉曲的な表現でもいいんだけどなあ」

「『月がきれいですね』」

「婉曲的すぎるうう」

「注文の多い変質者だなあ」

 書き終わった。

 筆記用具を片付けていると、しょぼんとしたイケメンと目が合う。

 やれやれ。

「あのねえ、こんなのって、急かされて云う事じゃあないでしょう?そのうち、云いたくなったら云いますよ多分」

 これで分かれ。

「……うん、わかった。」

 カウンターに広げたものを片付けながら、すっごく嬉しそうに、噛み締めるように云う先輩。

 私の精一杯を間違えずに、疑わずにキャッチできるこの人が、好きだ。

 でもそんなのとても口に出せないので、下校を促す放送に図書室から人がいなくなった瞬間を見計らって、

 精悍なほっぺに、キスをした。

 先輩は真っ赤っかになって、キスしたところを手で押さえて、なおかつその上からも手で押さえて、「……な、な、なん、で、」と呻く。

「直截な言葉は云えないけど、実力行使したかったから」

 ありのままを伝えた。

「……ほんっと、真澄は小悪魔すぎて困る……」

「その例えも、初めてです。さ、帰りましょう」

「帰りたくない……」

「そんな、酔ったふりして好きな男を落としにかかる女みたいなこと云ってないで。予備校行くんでしょう?」

「行くけどさー、離れがたいー」

 学校の廊下なのにぎゅうとくっつかれる。

 キスが初めてでも、二人でキスを交わすのが初めてな訳でもないくせに……あ、私からは初めてだったか。気が付くと途端に恥ずかしい。

 つい、くっついたままの先輩を邪険にしてしまう。

「歩きにくい」

「情緒がないよぉ真澄ちゃん」

「私にそんな方面を求めないでください」

「求めてないけど、ちょっと嬉しくて浮かれてるかも俺」

「そうですか」

 ああ素直じゃないったら。

 ちょっと困ったような顔をした私と、尻尾が千切れんばかりに喜んでいる先輩。

 まだ残っていた人たちが、珍しいものを見るように二人を見る。いつまで経っても慣れないその好奇の視線。……ただ最近はそう云う苦手な人ばかりではなく、親しみを込めて「ハチ先輩と彼女さんだー」と云われることもあるのが救いか。

 今日も、昇降口で部活上がりらしい女の子たちにそう呼ばれて、囲まれた。

 彼的には『ハチ先輩』と云うあだ名はお気に入りらしく、その呼称を使う人にはいつも嬉しそうに接していた。

「ハチ先輩今日も彼女さんのとこ行ってたんだー」

「そうだよ」

「おおラッブラブー!二人ってもうキスはした?」

「そりゃあするよ」

「ちょ!なにぶっちゃけてんの!!」

 思わず慌てて介入してしまったじゃないか。

 突然私が横入りしたにもかかわらず、女の子たちはにこにこしている。

「ねえねえじゃあ、えっちは?」

「!!!!!!!!」

「それ答えるのはヤバいでしょ。……俺はいいけど、真澄に不名誉な噂立つのは困る」

「あーはい、えっと、ごちそうさまでーす……」

「もう暗いんだから、気を付けて帰れよー」

 はーいと元気にお返事をした女の子たちは、私の中に混乱を残して帰って行った。


 な、な、なんちゅう事を……!


 我々は恋人である、性交渉はまだ、ない。

 某名作になぞらえて云ってしまえば、そういうことだ。

 先輩は経験、あるのかな。……その、したいとか、おもうのかな。私が相手でも。

 わ、私は、好きな人といつかとは思っているけど、そのタイミングは今じゃない。だって先輩大事な時期だしそれに。

 ――こわいよ。


 付き合いだした頃に一回、そんな話になった。

 私が、お付き合いするのは初めてだと云ったら、『そっか、じゃあ、ゆっくりいこう。無理は禁物』って優しく笑った。そして、初めてキスする時も、『……いい?』って聞いて、私がこくりと頷いたのを見てからしてくれた。

 そんな先輩だから、いつかこの人と、って思える。云ったことはないけど。

 でも、もうちょっとこのままでも、いい?

 戸惑う気持ちを纏ったまま隣の先輩を見上げると、『大丈夫』とでも云いたげに、笑った。

 受験生に気ぃ遣わせてどうするかな私。


 春になったら一緒におでかけしようねとか、それは合格してから云いましょうねとか、ほんと真澄はイジワルとか、そんな会話をしながら、駅に向かう。

 駅になんてずっと、着かなきゃいいのに――我ながら子供じみたことを思う。


 何となく、付き合い始めた。先輩のことは嫌いじゃないし、いじるの面白いし。犬みたいだし。

 その程度の気持ちで。


 でも、どうだろう。今となってみれば自分の方が随分と相手のことを好きみたいだ。

 こんなの初めてで、どうしたらいいか分からない。

 どこまで甘えていいの。

 どこまで素直になっていいの。

 先輩は四月から学校にいないのに、私はこんなんで大丈夫なの。

 先輩は大学に行ったら、きっともっとモテるのに、私より奇麗で素直でかわいい人といっぱい出会うのに、私は何も出来ないままなの。

 涙がこぼれそうだなんて、柄じゃないのに、ほんとに。


 幼稚な願いも空しく、駅にはあっという間に着いてしまった。

 私は電車に乗るし、先輩は駅の向こう口の予備校に通うから、ここでバイバイだ。

「それじゃあ先輩、お勉強頑張って」

「うん、ありがと。真澄は気を付けて帰るんだよ。夜メールする」

 そう云うと、先輩は嬉しそうに私の頭をぐりぐり撫でた。

「……こんなに人がいなかったら、真澄をいじくり倒すのに」

「いいから行って変態」

「はあい。じゃあね」

 手を振って、先輩は人の波間に……どうして、紛れてくれないかな。そこだけ光ってるみたいに、私は先輩をどうしても見逃さない。後頭しか見えないのに。なんだろうこの特殊技能。残念が感染したか、ははは。……。


 我慢していた涙がとうとうこぼれた。

 我慢していた言葉も、とうとうこぼれた。

「……一臣、すき」

 届くかどうか微妙な距離だったし、駅にはたくさんの人がいてざわざわしているし、そもそも小さい声だったのに。

 あなたは、振り向いちゃうんだなあ。


 急に、人の流れに逆らってこちらに歩いてくるシルエット。

 涙で目に幕を張ってるからよく見えないけど、それが誰かは分かってる。

 私の前に立ち尽くした人影が、

「もういちど」

 先輩の、掠れた声で囁く。

 いろんな音が溢れてる駅のコンコースで、その声を私も逃さない。

「かずおみが、好き」

 放っておいたら噴出しそうな涙を抑えながらしゃべるから、小さい子供みたいにしゃくりあげてしまう。

「好き、なの」

 先輩が、どんな顔をしてたかは、わからない。

 すぐに抱きすくめられたから。

「……真澄、やっと云ってくれた。俺も、泣いちゃいそうだよ」

「ごめ、んなさい、」

 云うのが遅くて。これから予備校なのに引き留めて。

 こんな私で。

 続く言葉は云わせてもらえなかった。

「真澄、好きだよ。大好きだ。」

 いつも、庭に撒くシャワーのようにたっぷりと注がれるそのことばに、私は慣れることなく注がれるたび震えるほど歓喜する。

 夕方の混雑した駅の壁際で、バカップルみたいだ。てか、バカップルだ。

 でも、いいんだ。そうしたかったから。

 きゅうっと上から覆いかぶさるようにハグされながら、でも、ちっとも苦しくない。

 力任せに押さえつけたりしない先輩が、嬉しくって、涙がようやく止まった。


「ねえ、俺、予備校より真澄と一緒にいたいよ」

「私もそうだけど、でも、」

「じゃー決定。真澄をおうちまで送る。」

 そう云ってぐいと手を繋いで、改札に向かう。こうなると聞かない人だというのは付き合っていくうちに徐々に分かった。抵抗するだけ無駄なので、大人しく手を引かれるままついてゆく。

 先輩受験生なのに、こんな邪魔しちゃって……。

 毎日図書室に来て一緒に帰る先輩だけど、こつこつ勉強している姿を見ない日はない。

図書室のカウンターは云うまでもなく、渡り廊下に、窓の方を向いてずらりと並べられた自習用の机に向かっている先輩を、昼休みや自習の時間に何度も目撃した。

 『教室だと誘惑が多くて集中できないんだ』と照れくさそうに笑う先輩。

 きっとこの人は家でも予備校の空き時間でも電車での移動の時間でさえも、勉強してるだろうに。――私といれば、その分削ってしまうのに。

 内心ため息を吐くと、

「あのね、予備校一日休んだくらいで落ちるほど怠けてないよ俺。」

 と心を読んだような台詞が来た。

「!勝手に心読まないでよ、変態!」

 先輩はにやにやと顔を溶かしている。ああ、今日も残念な人だ……。

「だあって、顔に書いてあるんだもん、」

「云うな!憤死する!」

 噛みつくように云うと、先輩が、とびきり優しい顔でこっちを見ていた。

「俺、今、すげー幸せ。どうしよう。」

「……どうしようもないですよ。下りのホーム行きましょ?」

 ……いつものかわいげのない返しに、自分が打ちのめされる。

 素直になったり、泣いたりしたせいなのか。

「……かわいくなくて、ごめんなさい、私こんなで」

 ぽつりとつぶやくと、先輩に包まれていた手が、ぎゅっと握りこまれた。

「真澄はかわいいよ。照れ隠しって、バレバレだから。しかもわかってんの俺だけ。これってものすごい幸せなんですけど」

 そこから先は早口で逃げるように云われた。

「たまにさっきみたいに素直になられるのも大歓迎だよ!」

 そっぽを向いてる先輩の耳が赤いから、追撃はしないであげる。

「わかったよ、……一臣」

「っ!フェイントは、卑怯だよ真澄!」

「だって正攻法苦手なんだもん」

「そうやっていつも俺を弄んで……心臓、持たないよ」

「そこは頑張って、先輩」

 気が付いたらセンチメンタルな気持ちはどこかに飛んで行った。二人で、どこまでもお散歩しているみたいな帰り道だった。


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