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番外編・あとちょっとの

 三学期になった。

 予定通り、先輩とデートしたのはお正月が最後だ。それどころか、さすがに受験直前ともなれば行き帰りの待ち合わせもなく――私から辞退したので――、同じ高校に通ってはいても顔を合わせない日が続いている。

 相変わらずメールはやってくるものの、その回数も以前よりうんと少なくなった。というか、以前は過多だったのが受験を目前に控えてやっと落ち着いた、が正しい。

 メールがやってこない分、このところの夜の読書は久しぶりに集中することが出来ている。着信音に邪魔されることなく一息に読み終えた本をそっと閉じて、ほう、とため息を一つ。すっかり冷めてしまった紅茶でのどを潤しながら、現実世界にゆっくりと戻ってくる。

 しんと静まり返った自分の部屋。――静けさがこんなに心をざわざわさせるなんて、先輩とお付き合いするまで知らなかった。

 メールが頻繁に来れば面倒くさい。こなければさびしい。中間はないのか。我ながら勝手なもんだ。


 いよいよ数日後、先輩の受験の日が来る。行きたい大学は試験が二回にわたってあるらしく、数日後のそれは第一弾という話だ。聞いただけで卒倒しそうになる。

 部外者ながら早く無事に終わって欲しい。なんなら合格発表の日までDVDのようにスキップボタンで飛ばしたい。切実に思うもののもちろんそうはならないし、むしろ気にしてる分だけじりじりと遅く感じさえする。

 当日のお天気の予報は曇り。雨も雪も降らないようなので、交通機関が止まるかも、といった心配はしなくていい。まあ、止まったとしても、私は何もしてあげられないけど。

 メールで察するに健康状態も良好。――これは、直接声を聞いたり、顔見てないと誤魔化されてるっていう可能性もあるけど、とびきり素直なあの人は体調を崩したら『風邪引いちゃったよー』なんてメールを寄越して、キッチリ私に叱られてるだろう。そんな知らせが来てないってことは、大丈夫。

 お付き合いをしているだとか、好きであるだとか、そういった下駄を全て脱がせたとしても、先輩の積み上げてきた努力はいささかも目減りしない。だから、大丈夫。

 気が付けばパジャマの胸元をぎゅっと握りしめて、頼まれてもいないのに『大丈夫』を一つでも多く数えようとしている。こんな自分を、もしあの人が知ったら。

『大げさだなあ、真澄は』と口ではそう云いながら嬉しさを隠しきれない犬の笑顔が容易に想像出来て、思わずクッションにへなちょこなストレートをお見舞いしてしまった。



 図書委員の当番で、その日は帰るのがいつもより遅くなった。こんな再びの夕方一人歩きにも慣れつつある。というか、文化祭まではそれが当たり前で私の日常だった。一年と半分かけて作り上げていた『自分にとって当たり前だった高校生活のあれこれ』を、先輩はこの何か月かであっさり組み替えてしまった。『自分にとって当り前ではなかった高校生活のあれこれ』までも。


 恋人と駅まで歩きながらおしゃべりして帰ること。メールを山ほど送りつけてくること。

 甘えること。素直になること。

 あの人にとっては造作なく出来てしまうそれらだけど、こっちにとっては違う(したいと思わないものもある。特にメールの大量送り付け)。我ながら、よく投げ出さずにやっていると自画自賛したくなるほど。

 先輩には『つれないね、真澄』と苦笑されてしまうけど、いつだって私は。

 ここにいない人に八つ当たりしたいような気持ちになる。唇をきゅっと結んで、駅の改札をくぐ―――――――ん?


 ここにいない筈の人が、なぜか(ここ)にいて、こっちに向かって手をぶんぶん振っている。おまけにキラキラな笑顔も無造作に振りまいて。

 私まさか会いたさなんてものが募っていよいよ幻覚を見ている? そんな残念具合まであの人に似なくっていいのに。

 思わず、寄せたままになってた眉。それを見て、とことこと近づいてきた幻覚(推定)の先輩が悲しげな顔になる。

「……なんでそんな顔してるの、真澄」

「しゃべった」

 よかった。幻覚ではないらしい。というか明日が本番だというのになんでこの人ここにいるんだ。これってまさか。

「……ストーカー行為?」

「恋人! 恋人!」

 慌てて云い募る様子からは、例えば受験勉強が捗らず思いつめてしまっている、という感じはみじんもなく健康状態もよさそうなので、とりあえずホッとした。それから、改めて現状の確認作業に入る。

「明日受験なんですよね」

「うん」

「そんな大事な時に、な・ん・でこんなとこにいるのか教えてもらえますか」

「大事な時だから来たんだよ」

 駅の東西を結んでいる通路。屋根はあるけど風は吹きこんでくるから、ここにいたら相当寒い筈。いつから待ってたんだろう。思わず頬に両手を伸ばしたら、とびきり嬉しそうに笑って目を伏せたイケメンわんこ。まったくもう、人の気も知らないで。むかっ腹のまま、すっかり冷えてしまっている肉の薄い頬を左右に引っ張ってやった。

「いて!」

「人を心配させた罰です」

 つんと言い放つと、先輩は若干涙目になっていた顔をパァァァァッと輝かせた。どうやら私が先輩のことを心配した、というたったそれっぽっちの事実をこの数秒でスルメか干し貝柱のごとく噛み締めて何回も何倍も喜んでいるらしい。幸せな人だ。

「真澄、心配させてごめんね」

「……分かったら、早く帰って下さい」

「うん、そうなんだけどね」

 もじもじしてる先輩の指が、ダッフルコートのお腹の前で高速で組み合わされていて若干引いた。でも。

「……大丈夫って、云ってくれる?」

 その声がいつになく弱気に聞こえて、思わず顔をじっと見つめてしまった。

「頑張ったからそこは自信持ってるんだけど、なんかあとちょっとだけ足りなくて。でも真澄から『大丈夫』って云ってもらえたら、俺は大丈夫だから。そう云う風に出来てるから」

 こちらを見つめる静かな目と、落ち着いて話す様子からは、緊張も焦りもまるで感じられない。お正月にもそう思った。でもこの人も、不安を拭いきれないんだ。

「……高性能なんだかポンコツなんだか分かりませんね」

 私の憎まれ口を聞いたって、ムッとするどころか微笑む特異な人。少なくとも、私に関する回路がぶっ壊れてることは確かだな。でもそれはお互い様かもねって思う。


 無防備だった手を掴んで、「え? え? どこ行くの真澄」という先輩の戸惑いは無視したまま、ずいずいと駅を出る。そして、明かりがともり始めた小さな公園――クリスマス、一緒にケーキを食べた所――へと連れてきた。

 右よし、左よし。無人であることを素早く確認して、恥ずかしさが追い付く前に先輩をぎゅっとした。

「ま、ますみ?」

 まさかハグが来るとは思ってなかったんだろう、先輩がめちゃくちゃ動揺してる。外でこんなことしでかす自分に、私だって動揺してる。けど、今はしなくちゃいけないことがあった。

「一臣は大丈夫」

 胸に顔を埋めたまま、いつものように素っ気なく、きっぱりと云い切った。

 会場にはついていけない。お守り代わりのドッグタグは、もう彼の首に下がってる。だから、今の私に出来るのは、精一杯のエールを送ることだけだ。私に叶えられるものなら、それを差し出したい。不安があればそれを取り除くのは、飼い主として当然の仕事だ、というのは、ちょっと言い訳みたいだけど。

 めったにしない名前呼び。なかなか出来ないそれを、ここでした意味が伝わってくれたなら嬉しい。

 喜んで。笑って。

 先輩の『あとちょっとだけ足りない』自信は、私があげるんだ。

「……うん」

 先輩の手が、恐る恐る私の背に回される。そうしてからそっと細く吐かれたため息が、私の耳にふわりとかかる。

「……夢みたい」

「先輩の幸せの基準、低すぎません?」

 今にも震えそうな声のくせ、平気なふりをした。

「そんな事、な……」

 先輩の反論が不自然なところで立ち消えたのは、背伸びした私がキスをしたから。――私からは初めての、唇への。

 ほっぺたに不意打ちになら、したことがある。まだ付き合い初めの頃。今はもう、あんな風には出来ない。もっと好きになってしまったし、キスがただの接触じゃないって知ってしまったから。

 私からのものが、今まで受けたものよりうんと稚拙でぎこちないのは云うまでもない。でも先輩は、私が背伸びをしないでいいように身を屈めながら長いキスを受け止めてくれた。

 そんなことしようだなんて、さっきまでみじんも考えてなかった。名前呼びよりハグよりもっと伝えたくて、気が付いたらしちゃいました、なんて、衝動的にも程がある。太陽が眩しいから人を殺した、という一節で有名な小説の不条理さに負けずとも劣らずかも。だとしても、後悔はしてない。恥ずかしさで脳が焼き切れそうではあるけど。


 このやり取りの間は奇跡のように無人だった公園に、女子高生の群れがわらわらとやってきた。それをきっかけにして、私は先輩の腕からするりと抜けだす。

 先輩はと言えば、私の波状攻撃で固まったまま。

「目、乾きますよ」ってツッコむと、ようやくぱち、ぱち、と音がしそうにゆっくりと瞬きをした。それからどこか夢を見ているような表情で「真澄が……真澄から……真澄の……」とエイブラハム・リンカーン的な文言をぶつぶつ繰り返す先輩。しまった、受験前日なのに大事な部分を壊しちゃったかと慄いてしまう。

 でも先輩のメンタルは脆くはなかったらしく、ほどなくちゃんと『こっち側』に戻ってきた。その上「もう一回!」と厚かましい要求をぶつけてくる。

「しません」

 あっさりはねつけてやると、まぼろしの耳も尻尾も思いきり下がっちゃっているのが分かる。だからってほだされやしない。というより、これ以上は私が無理。

「もう帰りますよ」とやっぱり冷たいままの手を引いて駅に戻り、今度こそ改札をくぐった。先輩と私のホームは違うから、ここでお別れだ。

 じゃあ先輩明日頑張ってくださいねを口にする前に、耳元へ近づいてきた口は「『もう一回』は、合格したら頂戴ね。必ずだよ」って一方的に約束を結んで、さっさと階段を下りて行ってしまう。云い逃げはなはだしいことこの上ない。


 約二ヶ月の猶予は与えられた、けど。

 さて、どうしてやろうか。


 そんなの知りませんてつっぱねたら、泣いちゃうかな。

 でも覚えてましたとわざわざ口にするのも何だか癪だな。


 そんなこと考えてたら、他人(せんぱい)の受験なのに勝手に緊張していた心がいつの間にかほどけて、ふんわりと笑ってさえいた。



 恥ずかしさで脳が沸騰しそうになりながら『約束』を果たしたのは、『桜が咲いた』の知らせを聞いた日の放課後のこと。

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