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番外編・素直

 クリスマスにねだられたとおり、元日には先輩と初詣に行くことになった。着物姿の母――父は見るなり『似、似合ってるヨ』と噛みつつも渋い声で云い、それを聞いた母自身は『まあ』と頬を染め、新年早々ラブラブっぷりを見せつけられてしまった――に「真澄は着ないの?」と聞かれたけれど、胸の下からお腹のあたりをぎゅうぎゅうと紐で締め付けられる感覚がどうにも苦手な性質なので断ると「高梨君がっかりね」といたずらっぽく笑われた。実はもうメールで『こういう訳で、着物は着て行きませんから』とあらかじめ伝えてあり、盛大に残念がられた上で、『でも真澄はどんな格好でもかわいいけどね』とフォローの文言まで頂戴してあったりする。バカップル極まりない。


 元旦から生放送だなんて大変だなあと思いつつ見ていた情報番組の星占いは、父が一位で私が最下位だった。だからって「いやあ新年早々真澄は残念だなあ」なんてドヤ顔すんな。新しい年を迎えた厳かな雰囲気にまるでそぐわない通常運転なテンションの父を見下げて今年初の涙目にさせたあと、女子アナのナレーションの『ごめんなさーい』で始まるフォローに耳を傾けた。幸運の鍵は『素直になること』、ね。ずいぶん難しいことをおっしゃる。そういえば年末に駆け込みでした去年最後の願掛けも、『初詣で会う時にはもう少し素直な私になれますように』だった、けれど。

 素直に、――特に恋愛事でそう振る舞うことは、とてもとても苦手だ。とはいえ、素直になったことくらい、私にだってある。でもそれは日常茶飯事ではなくて自分にとっては特別な事例で、そのことをいつまでも新鮮に思い出してはうっとり顔の先輩に『あの時の真澄は、いつにも増してかわいかった……』なんて云われると、本当にもう逃げ出したいやら、先輩の頭の中を砂ケシでごりごり削りたいやら。それはさておき、今まで自分が先輩に対して取ってきた態度は、客観的に見てもいいものとは云い難い。素直からとてつもなく遠いそれらを思い出してつい顰め面をしていると、母に「あら、焙じ茶苦かった?」と見当違いの心配をされた。



 さすがに元日と二日は予備校もお休みだと云う話だけど受験生の先輩をあんまり長く連れ回す訳にも行かない。なので、年末年始だけCMが流れる、この辺からだと移動に時間のかかる有名な寺社への遠出は避けた。にもかかわらず、本人は受験直前の追い込み時期だなんて嘘みたいに『丸一日デートでもいいよ』なんて軽い調子なもんだから、かえってこちらがやきもきさせられてしまう。

 駄目ですお参りだけしてすぐに帰りますと主張する私と、そんなの却下せめて半日一緒にいさせてよと懇願する先輩。両極端にも程がある意見をちょうど真ん中で割るのは難しかったけど、双方が少しずつ折れて結局は『お参りのあと、お茶をしたのち速やかに解散』ということに、なった。

 ――先輩の意見に反対はしたものの、『お参りだけしてすぐに帰る』という提案は私の本意じゃない。だから、お茶出来るって分かって密かに嬉しかった。

 クリスマス、年末、そして今日と、偶然もあって日を置かずに会えていたのは、多分今日で打ち止め。これからはさすがの先輩も受験が終わるまでは勉強だけに集中するのだと前に聞いたから。


『俺大丈夫かなぁ』

『先輩なら大丈夫ですよ』

『ありがと。でも受験に不安があるんじゃなくって』

『?』

『真澄にそんな長く会えなくて大丈夫かな……。俺持つのかほんと心配……』

 あーそっちの心配でしたか。

『真澄の気持ちが離れることも心配』と、私がクリスマスに送ったドッグタグを服の中から取り出して、楕円形のプレートにそっと口を付けた先輩の顔は、いつもより弱気に見えた。

 離れませんよ、とか、私の気持ちを疑うんですか、とか、そんなことは頑なに口から出て来ようとはせず、結局私が云えたのは『心配事が多いとハゲますよ』という素っ気ないものだった。でもそれを聞いた先輩は怒ったり落胆したりはせず、笑って『確かに! それで嫌われたら困るから、考えるのやめよう』って云ってくれた。その鷹揚さにとてもホッとしてしまったのは、内緒だ。



「真澄、明けましておめでとう」

「おめでとうございます、今年も宜しくお願いします」

「はい、お願いされました」

 いこ、と取られた手はさっそく勝手にコイビト繋ぎにさせられた。

「混んでるから」

「……はい」

 待ち合わせをした駅から既に初詣の人たちであふれていたから、手を繋ぐ、はありだとしても、コイビトな繋ぎ方である必要は全くない、と繋がれてから気付く。でも、そうされるのは嫌じゃなかったから――もちろんそんなのは云えない――そのままでいた。

 地元のそこそこ大きいお寺だからか、そこへ向かう間も着いてからも知り合いと頻繁にすれ違う。お互い人の流れに乗りながら慌ただしく挨拶を交わしつつ列をじりじりと進み、ようやく神様の前に出たものの、今度は長く立ちどまらないよう警備の人に注意を受けたため若干駆け足でお願い事をした。

 先輩が、志望大学に合格しますように。私も、今年は学力が向上しますように。

 腹黒兄にもっと上手に一矢報えますように。母の作るおいしいご飯やケーキを、今年もたくさん食べられますように。父が、少しは年齢に相応しい落ち着きを身につけられますように。無理か。 

 たった銅貨一枚でそこまで願いを込めるなんて、と思いつつ、『先輩に追いつけますように。色々』と最後に付け足しのように、でもとびきりの願いごとをした。


 お参りを済ませると、「甘酒でも飲もうよ」って先輩がお店を指差して云う。

「飲みきらないからヤです」

「じゃあ余しちゃったら俺が引き取るから。どう?」

 それならいいかと頷いたら「商談成立」と私の好きな、犬の笑顔になる先輩。それを見ただけで、甘酒を飲む前にもうじんわりと胸が暖かくなる。 

 お茶屋さんの、緋毛氈が一面に敷かれた外の座席に一人分の隙間を見つけると、当たり前のようにそこへ座らされた。

「待ってて」と砂利を鳴らして歩く先輩の後ろ姿を見送って、そのまま甘酒を買うのを何とはなしに眺める。

 こうして少し離れたとこから観察していると、改めて視線ホイホイなお人だということがよく分かる。視線を集めるだけじゃなく、買っている間に短期バイトらしき女の店員さんに何やら話しかけられ、こちらへ戻って来る間にもハチ先輩、と高校の後輩らしき女の子から声を掛けられていた。短く言葉を返す先輩だけど、最後に笑顔を向けていたからいつもの『襲撃』ではないみたい。でもおかげで、お茶屋さんの甘酒コーナーから外座席までのほんの数メートルを帰ってくるだけなのにやたらと時間のかかる先輩だった。別に、いいけど。

「ごめんね、お待たせ」

「いいえ、ありがとうございます」

「今さ、お店の人と後輩に真澄のことかわいいって云われちゃってさ。彼氏としては鼻が高いよね」

 それであんなににこにこしてたのか。そうか。――でも待てよ。

「先輩、前にすごく心の狭い発言してませんでしたっけ」

 たしか『俺だけが真澄のかわいさを知ってればいい』、とかなんとか。

「それはヤローの話。女の人なら競合しないから」

 そろそろ少しは冷めたんじゃない、と先輩が云って、いただきますって私が云って、紙コップのふちに口を付ける。ん、まだ少し熱そう。

 私がふう、ふうと息を吹きかけやっと一口飲むのを、先輩はじっと見ていた。

「おいしい?」

「甘くておいしいです。たまにしか飲まないけど、あったまっていいですよね」

 先輩はなかなか戻ってこなかったから飲む頃にはほどよく冷めるかも、なんて意地悪く思ったけど、甘酒はさほど冷めてはいなかった。猫舌にはつらいところ。

 そして、私の右横に座っていたおじいさんが立ち上がるのと入れ替えに立っていた先輩がそこへ座っても、なぜか目線は相変わらず私に固定されたままだった。見られているのは分かっていたものの見つめ返すなんて高等技術は持ち合わせておらず、着物姿の女性やたくさん出ている屋台で賑う境内へ視線を逃がすのが精いっぱいだ。

「先輩」

「何、真澄」

「飲みにくいんですけど」

「え、熱すぎた?」

「そうじゃなくて」

 ちらりと顔を見れば、心配そうなイケメン。――本当のことを云わないとかえって心配が肥大しそうだ。

 私は両手で包んでいる紙コップに目線を落として、いつもより磨きのかかった愛想のなさで云った。

「……そんな風にじっと見られてたら、飲みにくいって話ですよ!」

「気にしないでいいのに、俺が勝手に見てるだけなんだから」

「それが出来たらこうして云わないですよ!」

「じゃあさあ、それ、ちょうだい」

「……今ですか?」

「そう、今」

 掌まで見せられて甘酒を催促された。

「さっきは私が飲み残したらって話じゃなかったでしたっけ」

「そのつもりだったんだけど、見てたら飲みたくなっちゃった」

「じゃあ私買ってきましょうか?」

「ううん、そんなにはいらないから」

 だめ? と首を傾げる姿はビクター犬を彷彿させた。ご主人様(わたし)への忠誠心が現れている眼差し。断る理由も見つからずに、「――どうぞ」と片手で差し出せば「ありがと」と受け取り――そのまま私の手ごと紙コップを自分の口元まで運ぶ先輩。しかもなぜか、紙コップを持っている二人分の右手の指の先がちょうど私自身の身体と向き合うように調整された上で傾ける、かなり不自然な形で。

「あ、の?」

「一口だから」

 言い訳にならないような言い訳を口にして、私もそれに対してうまくつっこむことも出来なくて、こくりこくりと甘酒を飲まれた。

「ほんとだ、甘い」

 ごちそうさま、と解放された手がとたんに寂しい、なんて。

 そんな気持ちをごまかしたくて、「先輩甘いの好きですもんね」とからかう口調で云ったのに。

「うん、好きだよ。大好き」

 だから、云われている対象が甘酒なのに人のことを熱く見つめながら、傍から聞いたら愛の言葉に勘違いされかねないワードをやすやすと外で口にしないで欲しい。

 羞恥心を隠すようにして、まだ熱かった甘酒を一息に飲んだ。舌と喉が熱い。

 自分の口を付けたところに先輩も口を付けて飲んだのだ、と分かったのは、紙コップにうつったグロスのキラキラが先輩の唇にもうつって、うっすらと輝いていたからで、でもそれはすっかり飲み干してからのこと。じろりと先輩を睨む。だからあんな風に人の手を不自然な角度にして飲んだのか。

「ん? どしたの真澄」

 無言でティッシュを差し出せば「……バレちゃった」と悪びれずに口を拭う。

「もう、なんでこんなことするんですか」

「だって真澄がかわいかったんだもん。それに、」

 続きが気になって耳を寄せれば、「――今ここでキスは出来ないからね」と、内緒話のように私の耳を覆っていた手の陰で、耳たぶに落とされた唇の感触。

「っ!」

 思わず両手で押さえて退くと、「さすがにもうしないよ」って苦笑された。

「当たり前ですっ!」

 すっくと立ち上がり一人でずいずいと境内から出ようとしていたけれど、ごった返す人波を前になかなか進めず、あっけなく先輩に捕まってしまった。

「ごめん、怒った?」

「――」

 怒ったのとは本当は違う。恥ずかしいけど、それだけでもない。

 だからと云って大勢の参拝客の中でのこの行為を受け入れられるかと云えば答えはノー。誰も見ていなかったとしても神様にはばっちり見られてるから、やっぱり(ココ)じゃ嫌だ。

 じゃあ屋内ならいいのかと自問自答して、それにイエスと答えてしまったら随分私も大胆だなと感心していたら、沈黙を悪い方にとらえた先輩が「ほんとごめん……調子に乗り過ぎました……」とすっかりしょげかえってしまった。きっと幻の耳はぺたんと伏せていて、尻尾も下がっちゃってるんだろうな。

「ケーキ」

「え」

「ケーキごちそうしてくれたら、それで許してあげます」

 ツンと言い放ったのに、先輩は勝手に元気をフルチャージして「そうだね! どこ行こうか! 駅前まで戻る?」なんて早速うきうきしている。まったく、現金な犬だ。


「――高梨?」

 その、聞いたことのない声は低くて、最初は先輩のお友達なのかと思った。何気なく振り向くと、そこには先輩に負けず劣らずキラキラしいオーラを纏った、中性的な女性がにこやかな表情で佇んでいる。

「先、輩」

 驚いた、って顔した私の先輩が思わずと云った様子で口走り、それからハッとして何故か私を隠すみたいにして立つ。そんな風にすると奇麗な人が鑑賞できないじゃないか。

 その人は、まるで某歌劇団のトップスターのような美しさと華やかさを持っていた。

 明るめのショートヘアーで、チャコールグレーのチェスターコートに黒のパンツ、そして同じく黒のショートブーツ――ごつくなくて、高いかかとの――とモノクロづくめのいでたちの中で、イタリアンマフィアのドンみたいに、真っ赤なストールを巻かずに首から下げた姿がとても似合っている。

「高梨はデート?」

「見れば分かるでしょう、邪魔しないでください」

「いいなあ」

仁木(にき)先輩こそ一人で初詣ですか」

「連れとはここで待ち合わせしてるんだよ。でも早く着きすぎてしまったから暇つぶしをどうしようかと思っていたところ」

 ――なんだろう、先輩がいつもと違う。

 ぽんぽんと早いテンポで交わされる会話に違和感を感じて、思い至る。

 先輩が、女の人と気安い様子で話しているから。世間話じゃなく、親しい人だと分かる様子で。そんなのは、今まで一度もなかった。


 あんまりまじまじと見つめてしまったからだろうか、あちらからも見つめ返されてしまった。それだけで、何故か心臓が高鳴る。落ち着け、あれは女の人だ。

 その麗人はニコリと私に華やかかつ親しみのあるスマイルを向けてから、先輩に「高梨、紹介してくれないの」と意地悪い顔で云ってのけた。


「――したくないです」

 拗ねた声して放たれたその一言に、ツキンと胸が痛んだ。

「ばかだね、そんなこと云うから彼女が傷ついたじゃないか」

「え!」

 慌てた様子で振り向かれて、表情を取り繕う暇もなく顔をバッチリ見られてしまった。その上何故かぎゅうぎゅうと抱き込まれてしまう。でも人前ですよって返せる元気もなくて、ただただじっとなされるがままでいた。

「ごめん! でも紹介したくないっていうのは、真澄が思ってるのと違うから!」

 先輩は私に、こういうことで決して嘘を吐かない。だから、先輩が違うと云えば、それは絶対に違うのだ。だから少し悔しいけれど、先輩のその言葉を聞いたことで、モヤモヤしたり傷ついたりと忙しく混乱していた心はあっさりと落ち着いてしまった。

「とにかく誤解だから。真澄、信じて」

「そうして欲しいなら紹介してください」

「――分かったよ」

 しぶしぶ、と云うのがぴったりの先輩は名残惜しさ全開の態度で、拘束していた私の体を解放した。

 ややぶすくれた顔した――そんなでもイケメンなのは理不尽だと思う――先輩が、やっと互いを紹介してくれた。

「真澄は俺の彼女で、高校の後輩です。真澄、仁木先輩は、俺の元パートナー。後夜祭の、ダンスの」

「――ああ」

 だからか。気安い感じがしたのは。

「はじめまして、仁木(にき)(つばさ)です」

「はじめまして。相馬真澄、です」

 一言づつ交わしたところで「もういいでしょ、俺たち行きますよ」とふたたび先輩が私を陰に隠す。

「あれ、私の連れが来るまで相手してくれないんだ」

「その義理はないと思いますね」

「これだもんね、あんなに世話してやったのに」

「それはこっちの台詞ですよ」

「真澄ちゃん?」

「は、はい!」

 腹黒兄・従妹の紗枝ちゃんと、奇麗な人が身内に二人もいるので見るのには慣れてはいるけど、でも美しい人から急にフレンドリーに呼ばれたら誰だってびっくりすると思う。私があたふたしていると、にっこりと笑う余裕の仁木さん。

「どうぞよろしく」

「あ、はい、こちらこそ」

「カタいなぁ」

「それが真澄のいいところですよ」

「高梨には聞いてないよ。真澄ちゃん、私のことは翼って呼んで」

「え」

「親しい人は皆そうだから」

「はあ」

「真澄! もう行こうか!」

「まったく、心の狭い男は嫌われるよ?」

「余計なお世話です!」

「ねえ真澄ちゃん、三人でお茶にしない?」

 先輩ではらちが明かないと分かったのか、仁木さんはキラキラスマイルを私に向けてふりまきつつ、そう提案してきた。

 さて、どうしよう。

 にこにこ顔で『是』の返事だけを待っている仁木さんは、二年間先輩のパートナーを務めたくらいだし、どうやら仲は良いらしいと分かる。その人に興味がないと云ったら嘘になるし、先輩がお世話になった人の要望を無下にも出来ない。

 一方、しゅーんとした顔の先輩は『否』を望んでいると丸分かり。


 朝の占いを思い出す。――幸運の鍵は、素直になることです。

 ここが私の素直になりどころなら、選ぶ回答は。 


 それぞれが正反対の答えを待つ見目麗しい二人に、私は「お茶、しません」とあっさりお伝えした。

「真澄?」

「ただでさえ会う時間少ないのに、ヤです」

『仁木さんに先輩がお勉強を見てもらう』のならこんなこと云わなかった。でも違うから。

 心の狭い私は、せっかく会えたのに三人でお茶を囲む――多分話が弾むのは仁木さんと先輩の二人――だなんて、いやだと思ってしまったのだ。

 呆れられちゃうかな。云った時の勢いはしゅるしゅるとほどけて、俯いていると。

「そうか、そうだよね」

 仁木さんが、優しい声でそう口にしたのが聞こえた。

「もう忘れちゃってたけど、この時期二人で会える時間はとってもとっても貴重だものね」

 素直、すなお……! 心の中でそうリピートしつつこくりと頷く。

「それなら野暮なことして嫌われたくないから、邪魔ものは退散するよ。真澄ちゃん、今度高梨抜きで二人でお茶するのはどう?」

「はい」

 それなら反対する理由はない。むしろ、一、二年の頃の先輩の話を仕入れたい。でも、当の先輩が「ダメ! 絶対ダメ!」となにやら猛反対だ。

「なんでですか」

「だってこの人、『人たらしの仁木』って云われるくらい男だけじゃなく女の子にもモテるんだよ?! それこそ、ダンスパートナーにって女子からも追いかけられてたし。同性は駄目ってルールなのに」

「ああ、そんなこともあったねー」

 あれには参ったと苦笑する仁木さん。

 先輩と出会った日の、殺伐とした追いかけっこを思い出す。あんなのをこの人も体験してたのか、すごいな。

 感心していたら、先輩はますますネガティブモードに突入してた。

「二人だけでお茶なんか行かせて、それで真澄が仁木さんにメロメロにでもなったら……」

「メロメロは古いよ、高梨」

「先輩大げさ」

 新年早々ものすごく悲観的な先輩と、すこぶる楽しそうな仁木さんと、呆れる私。

「まあでも高梨にも一応嫌われたくはないから、お茶の話は一旦おあずけで。じゃあ真澄ちゃん、またね」

「あ、はい!」

 ひとしきり場をかき回すだけかき回して、やっぱり歌劇団のスターさんのように颯爽と去っていく仁木さん。

 その衆目を集める人が参道近くの喫茶店に入っていくのをぼーっとお見送りしたあと、先輩がやけに熱っぽく「ね、真澄、さっきの『ヤです』って、ほんとにほんと?」と改めて聞いてきた。

「ノーコメント!」

 素直になりどころはあくまであそこであって、今ではない。というか、もう素直のストックがほぼ空っぽだ。

 ツンとしている私に、先輩は「だと思ったよ」と云いつつ、どこかホッとした表情だ。

「うん、真澄はまだそうしてて。急にかわいくなり過ぎないで」

「先輩の云ってることは、残念過ぎてよく分かりません」

「いいよ分かんなくって」

 さ、お茶行こうって先輩が手を差し出す。先輩が受験間近の今は、二人で決めたとおりお茶したらすぐにさよならだ。それを思うとまた『ヤです』って云いたくなるけど、さすがに受験生相手にそこまでわがままなことは云えなくて、そっと手を繋ぐことで最後の素直を使い切った。


 ――駅前で一時間ほどお茶をして(約束通りケーキもご馳走してもらって)先輩とお別れしたあと、たまたま仁木さんとそのお連れさんらしき男性を見た。

 にこやかで社交的な麗人はそこにいなくて、ただ相手に恋をしているんだなと分かるとびきりかわいい顔で、一緒に歩いている。

 私もいつかあんな顔を先輩に向けられるだろうか。一年後……はまだ無理そう。なら三・四年後を目指して頑張ろうと、幸せそうなお二人をお見送りしつつ壮大な目標を打ち立てた。


16/07/06 誤字訂正しました。

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