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番外編・今年最後の

 最後に会ったクリスマスイブは終業式の日。文化祭からの平日には毎日見ていた先輩の御尊顔を拝まない日が、冬休みに入ってから初めて続いてた。

 ――それくらい、平気だと思ってたんだけどな。


 毎朝、途中から一緒に登校して、下校もほぼ一緒。

 まめまめしい先輩からは勉強の合間にだってメールがやってきた。今だって、朝から晩までの間に内容はないよう、と往年のダジャレを云いたくなるような取り留めのない先輩の日常が綴られては、送られてくる。

 メールなんてこちらからはしないし、義理で返すのも嫌い。最初にそう伝えたら、『俺が送りたいだけだよ』だなんて微笑まれてしまったから、『いりません』とは云えなかった。

『受験生なんだから控えて下さいよ』とお願いしてみても、『息抜きくらいさせてよ』と犬が主人に縋る目で云われたら、やっぱりノーと云えない私は、駄目な飼い主だ。


 おはよ、真澄。


 今日も寒いね。冬だから当たり前って云わないでね。


 ようやくお昼。今日は、ジャンバラヤ弁当です。


 ジャンバラヤ、セーターにこぼしたΣ(゜д゜lll) シミになったかも。


 午後寝そうになるたび、真澄にもらったドッグタグをお腹や胸にピタッとつけてたらその冷たさで目が覚めたよ。ありがとう。


 終わったー。小テスト間違えたとこを復習してから帰ります。


 家に到着。電車の中で、酔っぱらいのお姉さんに絡まれた。怖かった (´;ω;`) 


 ――と云う具合に送信されてくるメールの数々。なんでもない何文字かが、送られてくるたびほんのりと嬉しい。

 一等最後にやって来たメールにだけ、お返事をした。お勉強ご苦労様と、襲撃おつかれさんをダブルで労う為。じかに頭を撫でてあげられないのが残念だな、と思う。

 そして、学校で会ってた時の三倍くらいの頻度でやってくるメールを、いつの間にか楽しみにしてる自分に気が付いた。



 せっかくの冬休みを満喫しようと、私にしては珍しく予定が詰まっている。クリスマス当日には学校の友人とパーティーをしたし、年賀状も書いて投函したし、従姉の紗枝ちゃんとは昨日遊んだし、腹黒兄とも今日、向こうの趣味であるカフェ巡りに付き合わされて。――ちなみに連れて来られたのはたまたま学校の最寄りの駅近くで、先輩の予備校の近くでもある。何も知らない筈の兄のセレクトに背筋がひやりとしつつ、そ知らぬ顔で『いいよ、一緒に行く』って返事をして出かける時、ソファで嘘寝をしていた父はイブの日と同じく、こちらに背中を向けて寝転がっていた。兄に誘ってもらえなくて拗ねてたのかな、あれ。


 毎日途切れずに続くお楽しみ。でも、なんでだろう。

 ぽかりと空いている穴に、どれだけ楽しいことを入れていってもそれは一向に塞がらない。

 今なんてすごく分厚くてふわっふわのホットケーキと濃ゆいココアを、シックな店内のふかふかソファにて堪能中なのに。いつもどおり、店内の女性たちが兄へと注ぐ熱視線さえ気にしなければ、兄にご馳走してもらってスイーツも堪能できるしお得なお出かけなのだけれど。

 おかしいな、どうした? と自分でも謎の気落ちを訝しんでいると、衆目を集めつつアップルパイ(生クリーム増量)を食べていた兄高樹に、「それは一番会いたい人がここにいなくて寂しいって事だろ」と指摘されて、ようやく合点がいった。

 そうか。寂しかったのか私。しみじみと納得してたら、テーブルの向こうの兄が、私が先輩にするみたいに私の頭を撫でる。

「お前も、恋してるんだな」

 それを人の悪い顔で云われていたならからかわれていると思って怒っていたし、発言したのがニヤニヤ顔の父だったら報復措置として読書中の推理小説に挟んであるしおりに『犯人は○○』って書いてやるところだったけど。

 珍しく、兄も切なさを滲ませた顔をしていた。センチメンタル兄妹だなんてぞっとするけど仕方がない。

「好きな人には、会いたいし声を聞きたい。抱きしめたいし、――」

 そこで一旦止めると、通常運転の信用ならない笑顔を再装着した。

「それ以上もしたいけど、真澄に聞かせるのはまだ早いかな」

「そう思ってるなら公衆の面前でこうやって妹をいじるのやめてくれない?」

「ひどいなあ、真澄は俺に対して冷たすぎるよ」

「そうかもね」

 父はあんなだし、(このひと)も本心を見せない人だし、うちの男連中なんぞ信用できないことこの上ない。そう思っているのが兄高樹にバレバレでも一向に構わない。

「まぁ、それでもいいよ。今日、久しぶりに一緒に出掛けられて嬉しいし」なんて、どこまで本当か分からないようなことをしれっと口にする兄なんぞ、どうして信用出来よう。

 リップサービスなんかいらないから彼女と出掛ければいいのにと云ったら、束縛が嫌いな彼女を懐かせるために連日会うことは我慢しているんだそうだ。腹黒も恋の前では形無しらしい。ザマミロ、だ。


 会えなくてさびしいとか、一七年間生きてて初めてなので戸惑う。恋って、人の生き方さえも変えてしまうのかと思うと、なんだか少し怖い。でも。

『真澄、大丈夫だよ』

 先輩の、犬の笑顔付きのその言葉を思い出せば、そうか大丈夫かと思ってしまう私も、いる。単純すぎる、と我ながら呆れてしまうけど。


「それにしても、真澄が会いたいのはどんな奴なのか見てみたいものだね」

「云っとくけど、携帯に画像とかないから」

 向こうは時折撮影してはせっせと携帯のフォトフォルダに溜めて、たまに眺めているらしいけれど私にそういう趣味はない。

 そばにいて、おしゃべりをしてくれないなら、いらない。見目麗しい外皮だけあったってしょうがないじゃない。

 そう伝えたら、ムッとするかと思った先輩は私のことをぎゅうぎゅうと抱き締めにかかった。

『さすが、俺の真澄は云うことが一味違う』なんて、ふざけたようなことを口にしていたくせに、その時の先輩の目は涙を湛えていたようだった。

 今もイケメン先輩のお写真コレクションをしたい訳じゃない気持ちは変わらないけど、それとは別に先輩の姿を携えていたいような気持ちも、実はあったりする。


 そんなことを思い出していたせいだろうか。私を見る兄が、ふっと笑った。

「お前でもそんな顔するんだな」

「そんな顔って?」

 分からなくてむむっとしていたら、よせた眉間の皺を伸ばされ、そのあと頭をまた撫でられた。

「恋してる乙女の、顔」

「!」

 父相手ならポンポン飛び出す言葉が出て来ず、かわりに顔がどんどん赤くなるのが止められない。

 兄は私がどんな言葉を掛けられたら一番恥ずかしいか分かってて云っているに違いない。ほんとにむかつく腹黒だ。世間的には整った顔立ちでイケメン枠にいるらしいけど、同じイケメンでも先輩とは違う。全然違う。

 先輩は私を赤面させることを云うけど、それは私の困ったところを見たくてそうするんじゃない。言葉をビリヤードのボールに、台の壁を人に見立てて、ここにぶつけたら一番効果的だな、なんてことを考えて話す人じゃない。

 まっすぐ、胸の真ん中に届くようにくれる。

「お兄ちゃん、そんなことばっかり云ってると好きな人に嫌われるよ」

 せめてもと思って繰り出したその反撃の一手は、クリティカルヒットだったらしい。

 顔を思いきり顰めて――そんな表情さえ見る人によってはおいしい顔かも知れない――、苦しげに「……気を付けるよ」とだけ、云った。少しだけ溜飲が下がった。


 私たち家族にと、少し遅めのクリスマスプレゼントを引っ提げてやって来た兄とここへ連れ立ってお茶をしに来たのは夕方だった。兄は優雅な仕草で時計を改め、「六時か。そろそろ帰ろうか」と告げ、パンケーキを完食した私も「ごちそうさまでした」とお礼を云って、席を立つ。

 家にいる父と母にお土産のケーキを買い求め、お茶した分と合わせてお会計を済ます兄より一足先にカフェの外へ出るともう真っ暗だった。ほう、と息を吐くと白い。

 先輩がいるであろう予備校の方をちらりと見る。今までもらったメールから推測するとまだ受講中かもしれない。

 少しだけ残念な気持ちになって、今日も身に付けていたネックレスをコートの上から押さえていたら。

「――真澄?」

 一番会いたい人が、予備校と反対の方から声を掛けてきた。


「先輩」

 私が驚くと、先輩はあつあつのパンケーキの上のバターみたいに、その顔を蕩けさせた。

「クリスマス以来、だね」

「はい」

「今、夜ご飯買いにそこのコンビニに行ってたんだ。そしたら、何か真澄によく似たかわいい子がいるなあって目が吸い寄せられて、よく見たらやっぱり真澄だった」

「私のことがかわいく見えるだなんて先輩の目はやっぱり残念機能を搭載し過ぎです」

 会いたかった。寂しかった。久しぶりの声に、心が弾む。

 なのに私の顔の表情も声も通常通りで、ちっとも弾んでいる風じゃない。そのことに少し落ち込んでしまう。

「真澄?」

 黙り込んでしまった私の顔を、先輩は長身を折って下から覗き込んできた。慌ててピンと背筋を伸ばす。

「何でもないです、先輩、まだこのあとも受講するんですね。頑張ってください」

「うん、これでもかってくらい勉強してるけど、今の言葉でもっと頑張る気になったよ」

「……」

 憎まれ口がとっさに返せなくて黙りこむと、先輩はにこにこしながら私の頬を撫でた。かわいい言葉一つ、掛けるわけでもないのに。どうしてこの人ってこんななんだろう。

 頬を撫でていない手は、私の指先を探る。目が合う。

「――もう聞かないよ」

「それ、云ってるのと同じですけど」

 キスの許可を請うのと同等の言葉に、許可に値する私の返事。

 ふ、と笑った先輩の唇が近付いてきて――

「君が、この子の彼氏?」

 吸い寄せられるように近付いていた私と先輩は、ふいに掛けられたその言葉に、反発する磁石みたいに離れた。――もちろん、声の主は兄だ。いけない、先輩に会えたのが嬉しくてうっかり存在を忘れてた。きっとお会計を済ませて出てきたあと私たちを見つけて、どのタイミングで登場しようか図っていたんだろうな。ヤな人だ。しかも私とのことを先輩にわざと誤解させるように『この子』なんて云って。でも。

 先輩は、握っていた手にきゅっと力を込めると、兄に向って「こんばんは、初めまして。真澄とお付き合いしています、高梨一臣です」とフラットな口調ですらすら述べた。兄はおや? と云う表情になる。

「やきもち妬かないんだ? 俺が誰だか、分かってる風だね」

「真澄のお兄さんですよね? 一度携帯で写真を見せてもらったことがあります」

「へえ、写真持ち歩いてくれてるんだ、真澄」

「違うから! 紗枝ちゃんも写ってるから! 人をブラコンみたいに云わないで!」

 びっくりした。それを一度だけ見せたのは確か一一月だ。よく覚えてるな、さすがに旧帝大をA判定の男は違う。と感心しつつもぎゃあぎゃあと一方的に兄に喚く私と、それを体よくいなす兄と、困ったように見ている先輩。ありがちなコントのようだ。

 そんな陳腐なもので心がすっかり緩んでいた時「あの、俺そろそろ戻るんで、失礼します」と先輩が私の手をゆっくりと離した。……そうだった。

 うっかり会えたことにうっかり浮かれてしまったけれど、これから先輩はまだ予備校でお勉強するんだった。心の中でパンパンに膨らんでいた風船が、しゅんとしぼむ。遊園地で『もう帰る時間だよ』と親に云われた子供みたいに何も云えなくなってしまった私をよそに、兄が「そっか、落ち着いたらまた今度お茶でもしよう」とにこやかにフォローしてくれた。

「はい」

 ああ、先輩が行っちゃう。予備校へと向けられた足が大きいストライドで歩き出す、その直前。

「ちょっと待って。――真澄、高梨君の隣、並んで」

「何、急に」

「いいから、高梨君時間ないんだから早く」

 そう急かされたら応じるしかない。訝しみながらも隣に並ぶ。

「もっと寄って。――あ、そうそう、父さん、母さんにかっこいいって云ってもらいたいらしくて、俺が前にあげたストールを今日わざわざ家の中でしてるんだけどさ、うまくねじねじに出来なくてほどける―ってさっきヘルプメールが来てたよ」

「! なにそれ」

 出掛け間際の嘘寝の理由はそれか! 思わず吹き出してしまった瞬間、兄高樹がスマホをこちらに向けて、あっという間にパチリと撮影をした。

「ちょっと?」

「ん、いいね、ほら見てごらん」

 差し出された画面には、笑っている私と、笑いを堪えている先輩が写っている。

「いる?」

「はい!」

「はあ?」

 問いかけたのは兄で、肯定したのは先輩で、困惑したのが私だ。男二人は私を放置しくさり、さっさと画像をやりとりしていた。

「ありがとうございます、二人で写ったのとかなくて」

「だと思ったよ。それをお守りにして、受験頑張って」

「ありがとうございます!」

 後でメールするね、と傍に兄がいようがいまいが関係なく、私の頬を名残惜しそうに撫でてから、今度こそ先輩が予備校のあるビルに消えていく。こちらも名残惜しく見つめていたら、「真澄の携帯にも送っておいたよ」と、スマホをひらひらさせて、兄高樹が云う。

「別に頼んでない」と返す言葉がなまくらだってことは、自分が一番分かってる。だって、声はへろへろだし顔、熱い。そんなのは見ないふりくらい余裕で出来る人なのに、兄はわざわざその話題にがっつりと触れてきた。

「ああ、今日は楽しいね。真澄のいろんな顔を見られた」

「見せたくて見せた訳じゃない! いいからとっとと忘れてよ!」

「保護掛けて、バックアップを何重にも撮っておきたい気分だよ」

「断固拒否する!」

 私が小型犬の如く吠えまくっても、悠然とした大型犬的な兄はどこ吹く風だ。その穏やかな笑顔を横目で見ながら、私はこの人の手の上でいいように踊らされまくっていることを自覚した。

 恋する気持ちも、寂しい気持ちも、素直じゃない態度も、全部お見通し。だまし討ちで写真を撮られたことはムカついたけど、自分から画像を送ってと頼むことはきっと出来なかったからほんとは少しだけ感謝している。あくまで少しだけ。ありがとうとお礼を云うのは業腹だと思っていたら、云わないで済むようにさらに怒らせてくれた。――ほんとに。

「お兄ちゃん」

「ん?」

「ありがとっ!」

 云い捨てて、乱暴に車のドアを開けてさっさと助手席に乗り込んだ。

 いつまでも、兄の思惑に収まっている妹だと思うなよ!

 してやったりと兄の顔をふり仰げば。

「どういたしまして」

 いつも通りのしれっとした顔に、やっぱり十二分にムカついた。いつかもっとちゃんと返り討ちにしてやる。


 家に帰ると兄は、ストールを前に途方に暮れていた父の首元にささっと中尾彬的ねじねじを施してあげてた。それを見て母が私に「お父さん、かっこいいわね!」と耳打ちしてきたが、私に何と答えろと。

 食事中にもちらちらとお互いを見ては顔を赤らめる父と母という図に、デザートがより一層甘く感じられたのは私だけじゃなかったらしく、『相変わらず仲よさそうで安心した』と苦笑して兄が帰って行った。


 自室に戻り、携帯を見る。いつも通り、先輩からいくつかメールを着信していた。


 今日は思いがけず会えて嬉しかった。


 お兄さんかっこいい人だね。今更緊張してきたよ。


 これから帰ります。よいお年を!


 それらを眺めてから先輩宛てにメールを送ると、即座に携帯が鳴った。

「もしもし」

『真澄?』

 まだ外なのだろうか、歩いているような音がする。

「先輩、どうしました?」

 やっぱりあの兄の態度は腹に据えかねるものがあったのだろうか。そう身構えた私の耳に聞こえてきたのは、いつもよりも甘い声。

『真澄からこういうメールしてくれたの、初めてだから嬉しくて』

「――そんなことでいちいち電話かけてこないでください」

『わ! ごめんお願い切らないで!』

 私から送ったのは、『私も会えて嬉しかったです。』のそっけない一言。でも、今の自分の精一杯。

 それを分かってもらえて嬉しいやら、大げさに喜ばれてむずむずするやら。

 私に切られまいと必死に話を繋ぐ先輩の声を聞きつつ、初詣で会う時にはもう少し素直な私になれますようにと今年最後の願掛けをした。

よいお年を。

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