番外編・ケーキとチキンとプレゼント③
ベッドの上のクッションを直したり、お洋服を懸命に選んでいた痕跡を丹念に消してふうと一息ついたら、コン、と聞き慣れないノックの音を聞いた。
「真澄? もう大丈夫?」
「大丈夫です、どうぞ」
ドアを開けてみたら、先輩はトレイに紅茶とケーキを乗せて立っていた。この人も母にコマンドを下されたのかと思ったら、「何かお手伝いさせてくださいって云ったらじゃあこれって渡された」とほほ笑んだ。
部屋の中の折り畳みテーブルの上に置いてもらい、「お客さんなのに……」と愚痴れば、「いいんだよ、こんな素敵なディナーに招いてもらったのに何もできないのはかえって心苦しいんだから」と宥められた。
私はベッドに背を付けて、先輩はクローゼットに凭れて、テーブルの角を挟んだ隣に腰掛けた。
スティックシュガーを入れた器とミルクピッチャーを順番に回して、スプーンで掻き混ぜて、飲む。ふうふうと息を掛ける音や、スプーンをソーサーに戻した時の音が、やけに大きく感じる。
今日、こんなに静かなのは初めてだな、と気付いたら急に挙動不審に陥りそうになった。――落ち着け。別に、二人でお茶するのが初めてな訳でもないんだし。そう思ってみても、こんな閉鎖空間に二人きりなのは初めてで、余計に心臓が高鳴った。
もうこの沈黙に耐えられないと思った瞬間、先輩が静かに口を開いた。
「今日、ありがとう。まさかこんなご馳走にありつけるとも、真澄と過ごせるとも思ってなくって、すごくすごく嬉しい」
優しい指先が、私の鼻先をちょんとつついた。
そのいたずらな手と、先輩の犬の笑顔がとっても嬉しかったから、私も珍しく意地っ張りの鎧を脱いだ。
「……私も、今日、ほんとは一緒にお祝いしたかったから、実現して嬉しい」
「あーもう、この子は!」
急にがばっと大型犬に襲い掛かられた。……嘘。本当は、膝立ちになった先輩にそっと抱かれた。
「真澄はほんと、俺のこと翻弄するのがお上手で困る」
「……先輩がちょろ過ぎるだけじゃないですか?」
何かを堪えている熱い息とそれを悟らせまいとする口調に、こちらも合わせた方がいい気がして、思わず憎まれ口を叩いてしまった。素直タイム、あっさり終了。
先輩はぶはっと噴き出してから、「うんそう、俺ちょろいんだ、真澄限定で」と笑いながら離れて行った。それが寂しいだなんて認めたくなくて、わざと明るい声を掛けた。
「さ、当家が誇るパティシエール渾身の作、自慢のブッシュドノエルでございます。ご賞味あれ」
「え、これもママさん手作りなの? スゲー! ちょっと食べる前に写メらせて!」
……わあわあと騒ぎながら食べた。
「え、これマジでうまいよ! ほんとに、買ったんじゃなく?」「うわ、スポンジしっとりしてる! スゲー」と、常にないハイテンションの先輩にこちらがたじろいだ。
「先輩、甘いのそんなに好きでしたっけ」
「量はいらないけど、結構好きだよー! ああ、幸せ。ご馳走様でした」
そう云えばデートでお茶する時、必ず甘いものもオーダーしてたなと思い出した。
何でそんな事がすぐに思い出せなかったかと云えば、はじめのうちはデートなんてイベントをこなすのにいっぱいいっぱいで先輩が何食べたかなんて気に出来る余裕がまるでなく、慣れた最近は先輩と過ごす時間が激減して、なかなかゆっくりお茶する機会がないからだ。そう云えば昼間のケーキもパクパク食べていたっけ。
時計を見れば、先輩が家を出ると云った時間まであと一五分。そろそろか、と、学校のバッグから例のプレゼントを取り出した。うん、そっと仕舞っておいたから角も潰れてない。
両手に掲げるようにして、お辞儀しながら渡した。
「はい、これ。つまらぬものですが……」
「おお! これはこれは! ありがとう!」
二人して、お前らはオッサンかと云うようなやり取りをした。
「俺からも」と、先輩はどこに隠していたのか、細長い包みをはい、と手渡してくれた。
「開けてみてもいいですか?」
「どうぞ。俺も、開けるね」
「どうぞどうぞ」
今日は日本中で、『どうぞ』って言葉が溢れているだろうなあなんて思いながら、そっと包装を解いた。掛かっていた細いサテンのリボンも、シックな包装紙も、両方用済みになるのは惜しいほど奇麗だから、取っておこうと決意した。
「わぁ……」
開けてみたら、少し深いような色合いの金のネックレスがあった。真ん中には、優美なデザインを施されたM の字。片方の縦のラインに、透明の石があしらってある。
「……気に入った?」
私のあげたドッグタグをちゃり、と手の中で鳴らして、先輩がおずおずと聞いてきた。
「もちろん! ……ありがとうございます、すごく嬉しい」
「今、着けてもらっていい?」
「もちろんです」
そう云ったものの、普段ここまでじゃないにしてもおしゃれなネックレスなんて身につける事がないから、後ろに回した手の中の留め金がうまく外せないし、うまく合わせられない。四苦八苦していたら、食べこぼしの時と同じように「俺が着けるね」と先輩が手助けしてくれた。
この方が着けやすいかと肩までの髪を片手で上げたら、なぜか後ろで息をのむ気配を感じた。
留め金を持つ先輩の指先が、項に当たる。その指の冷たさにびくんとしてしまえば、また息をのまれた。
「……出来たよ」
故意か偶然か、去り際の両手が首筋を一撫でしていった。
「あ、ありがとうございます」
二人して、言葉少なに顔を赤らめている。何この状況。
「先輩も、着けてみせて」
「うん。手で暖めたから、もう着けるね」
こっちは私がもらったのと違い、ボールチェーンは長くとってあるから、首から難なく被るように身に着けると首を竦めた。
「まだ、ひゃっこい」
「寒がりな先輩には向いてなかったかもしれませんね、ドッグタグ」
「ううん! こうして、直に付けてればそのうちあったまるし」と、どう見ても無理にタグを服の中へ仕舞った。
案の定、即座に下がった眉に笑ってしまう。
「笑わないでよ」
「だって、寒がりなのにムリするから」
「だって、真澄からの初めてのプレゼントだし、それが真澄のものって証だし、嬉しいんだよ」
そのあけすけな言葉に、こっちが慌てた。
「私のものって……」
所有権は、確かに主張したいところだけど。
「じゃあ、専属契約」
「Jのつく芸能事務所か!」
突っ込んでも、ノって返してはくれなかった。
「真澄がいらないって云うまで、俺は真澄のものだよ」
「……そんなの、云う訳ない」
「うん、じゃあずっと、真澄のものだ」
その嬉しさを隠さない先輩にたじろぎ、うっと言葉を詰まらせていたら、階下から父が「はーい、恋人タイム終了―!」と相変わらず空気を読まない声掛けをしてきた。父のその読まなさぶりに、初めて感謝した。
「真澄、行こ?」
にっこり笑って手を出しされて、うん、とその手を握り返した。
うちから駅までちんたら歩いて二〇分オーバーでも、車で行く夜の道なら空いているからすぐについてしまう。案の定、あっという間に見えてきた駅の灯りに、先輩がちょっぴり切なげに眼を細めた。
それを、運転席のおっさんが見て何か思うところがあったのか。
駅に着いたよ、と父が云い、ありがとうございましたと先輩が云い、じゃあ先輩気をつけてと私が云って、そして逢瀬は終わる筈だったのに。
「さて父はこれから二〇分ほどそこの本屋さんで本を探すことにする。いちゃいちゃするならお早めに」
その要らん一言と私達を駅前の路上に投下して、父はすぐ近くの大型書店の駐車場へと車を走らせた。
私と先輩は顔を見合わせてから、互いに少し困ったような、でもほんとは嬉しいと云う顔をした。もう少しだけ二人の時間が欲しいと思っていたことは確かだ。きっと、先輩も。
それにしても父どうしちゃったんだろう。急に対人スキルがバージョンアップ?いやいやいや、ないね、ない。母に『二人きりの時間を作ってあげてね』と云われてそうした線が濃厚に思えてきた。
お昼間にケーキを食べた所と似たような小さな公園に行った。通り沿いだし、煌煌とライトアップされているからここでいいだろう。
繋いだ手が、冷たい。暖めてあげたくて、はあ、と息を拭きかけた。
「手袋すればいいのに」
「そしたら真澄とじかに手を繋げない」
「それで風邪ひいたらどうするの」
「もう、真澄は心配性だなあ」
そう云って、冷たい指先だけを私の頬に滑らせた。
「真澄が冷えるから、今日はこれで我慢だな」
「……別に、寒さに強いから平気だけど」
「そう云えばそうだった」
ぎゅう、とコート越しに抱き締められた。
「もー冬早く終わってほしい。真澄が遠い」
遠いのは先輩だよ。
もっと会いたいのに。
当然、そんな我儘は頑張ってる先輩には云えない。
「……冬が早く終わっちゃったら地球は温暖化で大変なことになりますよ?」
「分かってるよー。真澄は情緒がない……って云いたいとこだけど」
「?」
云えばいいのに。
そう返って来るだろうなと思いながら繰り出したのに。
先輩は、一旦私の体を少しだけ離して、じいっと顔を覗き込んできた。
ちょ、間近で顔見られるとか、変態だけどイケメンなんだからやめて欲しい。頭の中にピカソのキュビズムな絵を思い浮かべて何とかやり過ごした。
「ケーキと紅茶を運ぶ準備してた時ママさんに聞いたんだ。真澄が、我儘云わないように一生懸命我慢してるって。……そんなのしなくて、いいの。真澄は、全部俺に気持ちを聞かせてよ。デートもろくにしてあげられないけど、全部受け止めるから」
「でも」
「先輩のバカ! クリスマスと初詣とバレンタインとホワイトデーは一緒にいてくれなくちゃイヤ! とかさ」
「それはどっちかって云うと先輩の希望?」
「……バレちゃったか」
「バレバレです」
私の希望でもあるとはやっぱり、云えなかった。
「全部、一緒に過ごしてよね」
字面だけ追ってたらカノジョだよねソレという言葉を、先輩が臆面もなく口にした。
「……はい」
白い息に包まれた小さな声。
それでも、先輩はとっても嬉しそうにしてくれた。
「今日、ありがと。ほんとに嬉しかった。ケーキとご馳走もだけど、真澄に会えたのが、やっぱり一番嬉しかった」
じゃあ、最初っから云ってよかったのかも、一番のわがまま。
「来年も、一緒に過ごそうね」
さっき贈ってくれたネックレスのモチーフを、ポンチョの襟の間から触りながら、先輩が囁く。
「うん」
私も、素直にお返事する。
「真澄、……キスしても、いい?」
もう我慢できないって顔してるくせに、そんな事を云う。
「聞かないでいいって云ってるのに」
それには、やっぱりかわいくないお返事をしてしまう。なのに、返事を聞いた先輩はやっぱり嬉しそうな顔をして、私の頭を撫でて、髪を梳いて、頬をそっと触って、そして、優しいキスをくれた。
すぐに唇は離れて、かわりにおでこをごっつんこして、二人で笑う。先輩が目を閉じて、ゆっくりと傾けた顔をまた近づけてくるから、私もかわいくない事なんか云わずに黙って迎えた。――今度は少し長い。
肩に添えられた手に、ぐっと力を籠められて、あ、私、この後のキスはまだ知らないなと思っていたら、先輩の携帯のアラームが、夜の公園で無粋に鳴り響いた。
いつ迄もコートのポケットで鳴っているから、先輩は「――残念、時間切れ」と呟いて、ちゅん、と子供がするみたいなキスをもう一度だけして、離れた。
さっきまで、オトコな顔をしていた先輩が、いつもの顔をして手を繋いでくる。
私も、さっきは、オンナな顔してたのかな。……まだそれはないか。
「あーヤバかった」
「何が?」
「真澄がかわいすぎて」
「……すぐそういうこと、云う……」
「云うくらいいいでしょ?」
「勘違いするから」
「勘違いじゃないから」
「先輩がそう云ってるのは、欲目とかひいき目とか」
「真澄」
何故か、びくっとするような鋭さのある声色で呼ばれた。
「俺がかわいいって思っていることを、否定しないで。疑わないで」
「……ハイ」
でもとかだってとか云えずにいたけど、歩き出してから気が付いた事があるので云ってみた。
「……先輩、結局欲目もひいき目も否定してないんだけど……?」
それって様は先輩しかかわいいと思う人がいないって事ではないかな? 別にそれで構わないけど。
追求してみれば、顔を赤くしたらしい先輩に逆切れされた。
「いいだろ、俺以外に真澄をかわいいって云う男がずっといないといいなって思ってんだからこっちは! どうだ心狭いだろ!」
「何その切れ方……」
ヘンなの。ヘンな先輩とヘンな私。こんな事で幸せになっちゃうんだからいやになる、ほんとに。
手を繋いで本屋さんの駐車場に向かえば、父が車から顔を出して「ヒューヒュー! 熱いねお二人さん!」と今様じゃない文言で煽り立てるから、無言で冷やかに見つめた。父が涙目になっていたかどうかは、よく分からない。
贈り物なんて別にいらないと思ってた、でも。
――ばいばいと離れていった先輩の歩くリズムで、私の贈ったドッグタグがチャリチャリと音を立てる。寂しいなと思った時、胸元にはいつもネックレスがある。
それは素敵な魔法だと知った、クリスマスの夜。
後日談
「はいコレ、母さんに」
「お兄ちゃんありがとう。わあ、コットンパールのブローチ! こないだお父さんにもらったのとお揃いだわー」
「はいコレ、真澄に」
「あ、ありがとー……あ、」
「何だったー? 見せて? ……うふふふ、こっちは高梨君にもらったネックレスとおなじとこのブレスレットね、色と石がお揃いで素敵!」
「はいコレ、父さんに」
「お、おう……。!!!!!!」
「アラ、お父さんには高梨君にあげたのとよく似たラジコンヘリねー。よかったわねお父さん」
「ちょお! 何で分かるの? ねえ何で? 盗聴器つけてる? 高樹怖いからその笑顔やめなさいっ」
後日談種明かし
『父さんから皆へのプレゼント、何だったか教えて? それから、もし写真があればそれも添付して』
毎年、クリスマスを過ぎてからのタイミングで届く兄からのメール。
その詳細と、写メを送る。
ふと思い立って、先輩にヘリの写メを送ってもらい、それも転送した。
私がしたのはここまで。後はきっといつものように、ちょっといいものをくれる筈だ。
――そして今年も父が涙目になる。きっとこれも黒い人の楽しみの一つなんだろう。まったく。
14/10/13 一部修正しました。
16/05/03 誤字修正しました。