パートナーは君 1
「三年F組の高梨一臣君、至急生徒会室まで来てください。繰り返します……」
ああ、この放送今日何度目だろう。
私は読みかけの本をぱたんと閉じた。こう何度も短い時間の間に邪魔されちゃ、集中できない。
逃げているであろう高梨先輩。
捕まえたい生徒会、という名の女子の総意。
どちらにも強い意志を感じる。
こんな文化祭の終わりに何度も呼び出されるくらいならとっととパートナーを決めておけばいいのよ。自業自得。
私は、二週間前からの騒動を思い出した。
文化祭と云えば、ダンス。
よそは知らないけど、少なくてもこの学校ではそう決まっている。
後夜祭の夕方から約二時間行われる行事。誰が決めたのやら、迷惑極まりない。おかげで、文化祭の二週間前からお昼休みはダンスの練習に全校生徒が出なければならない。
これは、決定事項で、誰も覆せないこと。
しかも、練習はともかく本番はカップルでの参加が義務付けられている。同性同士はだめ。
彼氏彼女のいる人は、いい。この機に乗じて告白しようという人たちにも素敵イベントだろう。
しかし私のように、特定の異性が居なくて、作る気もない人間にはため息しかでないというものだ。
去年はよかった。
恋愛に興味ない者同士、数少ない男子の友人がフリーだったので二人で偽装カップルになった。ふざけてわざとノリノリに踊ったっけ。
あれはあれで、確かに乗せられると楽しいと実感した。ただし、それは、相手がいる場合限定だ。
あいつには今、一学年上の、三年生の彼女が居る。
『悪い、今年無理だ』
『当たり前だよ、悪いね気ぃつかわせちゃって』
そんなやり取りと共に、ブリックパックのいちご味をおごってもらった。
今年はフォークダンス委員になってやり過ごそう、と思ったら、同じ希望の人がそれなりにいた為くじ引きになり、お約束のように外れてしまった。
あいつ以外にヘンに意識させない、しないで済む男子が思い当たらない。こんな時ばかりは狭い交友関係が恨めしい。
なので、今年は堂々とサボることにした。きっと自分以外にも何人かはそんな輩がいるだろう。
「三年F組の高梨一臣君、至急生徒会室まで来てください。繰り返します……」
一体何度目だろう。呼び出してる子も半泣きだ。さっさと出頭しろよ高梨先輩。
と、面識はないものの一方的にツラだけは存じ上げている先輩に毒づく。
初めてそのご尊顔を拝見した時、王子って都市伝説じゃないんだと感心した……雑誌の街角スナップにもたまに載っちゃう程度のイケメン。
しかも、半端なイケメンにありがちな『俺ってもてるべ~?』みたいな鼻に付く感じが、全くない。
清潔感があって、穏やかで成績も優秀で。モテるなという方が無茶な話だ。
高梨先輩は三年生なので、今年は彼と踊る最後のチャンスだ。目の色変えてその座を争い、呼び出しをかけまくるのも無理のない話だろう。
彼は、文化祭の準備が動き出し始める頃に『今年は誰とも踊らない』と宣言していた。
ただ、それで引く相手達ではなく。『じゃあせめて、練習相手に』と粘り、高梨先輩も渋々それを了承し、二週間ひっきりなしに、一曲ごとにパートナーをチェンジして踊ったという話だ。ご苦労様……。
そして、話は当然そこで終わらない。
『この中から、パートナーを選んでよ』
と詰め寄られ、以来逃げ回っているらしい。
彼女たちが必死なのも分かる。先輩が三年生だから、だけではあれほど追い掛け回すまい。
本当に、誰が考えたんだか。
本校のダンスは、正装して踊ると決められている。
男子はスーツ、タキシード。女子はワンピース、ドレス。
たまに、着物や袴、チャイナドレスという人もいる。被り物や着ぐるみなどはNGだ。
なにしろ、会場である体育館の出入り口でダンス委員による厳しいドレスコードのチェックがあり、はねられたものは参加できないので、参加したい皆さんはそこはキッチリ守る。基本的には、『結婚式に出られる格好』だ。
先輩の正装は、さぞかし美しく眼福であろうと傍観者である私だってそう思う。
ならば、傍観者じゃない人たちの欲望は如何ばかりか。そんなの火を見るより明らかだ。
去年の動画を見たけど、何だかハリウッドの青春映画のようでした、高梨先輩と当時のパートナーの彼女。
気が付けば、呼び出しの放送が途絶えている。
壁掛けの時計を見上げてみれば、成程もうダンスの始まる時間だ。
先輩のファンは確かに多いけど、それ以外の人たちも多い。彼待ちに割ける時間など、そうはないと云う事だ。
司会の声と、それに応える生徒の拍手と歓声が、風に乗ってうっすらと体育館から聞こえてくる。早く終わらないかなと思いつつ、もう放送に邪魔はされないのだから読書を再開しようと思った。
どこまで読んだっけ、と開いた頁を行ったり来たりしながら、ああ、ここ……と見つけた私の耳に、今度は複数の足音が聞こえてきた。
もう、勘弁してよ。
さっきよりも大きな音を立てて、本を閉じた。
ガラッと勢いよく扉を開き、バン!とこの場にそぐわないほどの大きな音を立てて扉を閉め、肩で息をするスーツ姿のその人を見る。
高校生のスーツなんて罰ゲームみたい、と思ってたし、実際着ている本人らも借り物感満載のそれを『似合わねー』と笑い合う者が殆どだというのに。
走ってきて、乱れていても美しい、ってどんだけだ、高梨先輩。
とりあえず、図書委員としての職務を果たすべくカウンターから一瞥し、普段と同じように注意を促す。
「図書室ですから、静かにしてください」
そう云われて、初めて『人がいるんだ!』と気が付いたらしい。
気の毒になるほどびくっと肩を震わせて、こちらを見やった。なので、本当は云う筈ではなかった一言が口から勝手に滑り出す。
「静かにしてくれるなら、匿ってさしあげますよ?」
そう云って、『アンタ本人には何ら興味がない』というアピールと、やっぱり読みたい気持ちと半々で、さっき閉じたばかりの本を再び開いた。
おずおずと、彼は話し出した。
「君は、図書委員?」
「ええ」
だから、読書の邪魔をするなと。
「でも、文化祭の間は図書委員の業務はない筈だろ」
「隠れるのにここはうってつけなので」
短くそう告げた。私もフォークダンスをサボる組だと分かるだろう、彼なら。
「なら、出ないなら、なんでその格好?」
その質問はもっともだ。
ダンスに参加するつもりが毛頭ないというのに、私は傍から見ればやる気満々のドレス姿なのだから。まあ、これも作戦の一環だ。パートナーがいない等の理由でダンスをサボるのは黙認されているが、さすがにダンスタイムに校内を制服でうろうろするのは気が引けた。さりとて逃げ足の速い人たちのようにさりげなくエスケープすることも性格上出来ないと判断してこうなった。
ベアトップの、黒のロングドレス。
胸からウエストはタイトに体に沿ったシルエットで、きゅっと絞ったウエストから下はパニエが入っているのでふんわりと床までぜいたくに広がっている。ちなみに、従姉のお姉ちゃんからの借り物。図書室にはめちゃくちゃそぐわない。
「これでうろうろしてれば、まさかサボるとは思われないでしょ」
「成程」
そこで、本に落としていた視線を高梨先輩に戻す。
「ダンスパーティーで踊らないって公言していた先輩こそ、なんでそのかっこですか」
「……仲いい奴が実行委員長でさ、サボるのは個人の自由だけどあからさまにすんな、一応そう云う服装でいてくれって。」
「ナルホド」
納得がいった。踊らない筈のそのひとが、正装してふらふらしていたら、そりゃ踊りたい人たちは必死に追いかけるという事にも。それはもはやカモフラージュではなくむしろ撒き餌だ。
「わかりました。後夜祭に本を読みに来る酔狂な輩はいないと思うのですが、隠れるのならお早めに。」
「え、と、どこに」
ああ、もう手のかかる人だ。
「カウンターの下にどうぞ。いよいよヤバくなったら、私のドレスの下に。ちゃんと短いスパッツを履いているのでどうぞ遠慮なく」
「……はあ」
先輩は毒気を抜かれた、という顔だ。
そりゃあそうだろう。この二週間、『私と踊れ』と迫られまくっていたのとはずいぶんなギャップだ。
やがて、再びバタバタと迫りくる足音と、『そっちは!』『いない!』という、探索の声が聞こえ、先輩は腹を括ったように「……お世話になります」と、カウンター下に潜り込んだ。
「あ、そのままじゃせっかくのスーツ、埃まみれになりますよ」
慌てて声を掛けるも、つまらなそうに肩を竦められた。
「いいんだ、逃げ回って汗かいたし、どっちみちクリーニングに出すようだから」
「そうですか」
それだけ返して、読書に戻った。
カウンターの下で、首を曲げて体育座りをする先輩はいかにも窮屈そうだ。
そんな状況でも変わることなく端正な先輩が、少し眉を寄せた憂い顔で「首がもげる」とイイ声で呟いた時はあまりのギャップにぶほっと吹き出してしまった。
「コントみたい」
笑えば口をとがらせてむっとする。コドモか。
「あーもー本が読めない」
笑いすぎて涙が出たのを拭って、ほんとのほんとに読書を諦めた。
「……ゴメン」
首を曲げながら、長い手足をキューっと畳みながら、さらに身を縮めようとしている。
「いやいやいや、これに関しては先輩の方が可哀そうだし」
「かわいそうか。あんま、云われ慣れなくて新鮮」
「そりゃーイケメンさまさまの余裕発言ですね。爽やかすぎてむかつきます」
「なんだそれ、おもしれー」
先輩は私の言葉にいちいち反応してる。今は何が可笑しいのかよくわかんないけど、箸が転がっても可笑しいお年頃か?ってくらいウケてる。素直な人だな。
なんて、のほほんとしている空気が急変した。遠ざかっていた筈の足音が、また近づいてきたから。
先輩はそれを聞いただけで、顔を彫像のように固まらせている。ので、
「イケメンは固まってもイケメンでむかつく」とこっそり囁いたら、
……ニヤリと不敵に笑った。よかった。
この人かわいそうな顔していると子犬みたいで、何だか構いたくなってしまうなあ。