1 寒冷的季節、暖室にて午後の談話
「やっぱり外は寒いなあ」
たった今外から帰ってきたらしいギルド長、來坂礼は愚痴っぽくいいながらコートを脱いだ。独特な色合いの青い髪に、大きな紫の瞳。童顔だが顔立ちは整っており、大抵の人からの第一印象は良好な美形の好青年。その優しげな顔が最初のひと目で悪印象を抱かれることはほとんどない。
彼が着ていた深緑のコートは、いつだったかどこかで安く売られていたのを適当に選んで買ってきたものだ。見るからに薄っぺらいそれに防寒性はあまり期待できないが、礼自身は気に入っているのか二年か三年ほど前の冬から愛用している。マフラーを外して身軽になった礼は、雷坂郁夜の座るソファの隣で真上に向かって両手を伸ばした。ちょうどそこに暖房の風が流れてくるのだ。郁夜の向かいに座っていたロア・ヴェスヘリーが、礼と瓜二つの顔で小さく笑って立ち上がった。
「コーヒーを淹れるよ、君は座ってな」
「ありがとー」
礼はそのままの体勢で言い、しばらくじっとしてたが、指先が十分に温まったのか郁夜の隣に腰を下ろして息をついた。
「おつかれのようだな、珍しく」
郁夜の皮肉に礼は軽く笑って返す。
「ははは。なんか最近、また物騒な事件が起きてるみたいだからさ」
「今日はそのことで出かけていたのか」
「うん、まあそんなとこ。たしか報道誌にも載ってたよ」
言いながらあたりを見まわすが、目の届く場所に求めていたものは見当たらない。コーヒーカップを手に戻ってきたロアが口を挟んだ。
「女性だけを狙った連続通り魔、だったかな? 死者は出ていないみたいだけれど、被害者の共通点が女性であること以外は、まだなにも情報がないんだろう?」
「それそれ。ギルドからも何人か被害者が出てるから、他人事じゃないんだよなあ」
「そうだったのか」
郁夜が意外そうに言うので、礼はきょとんとした。
「知らなかったんだ?」
「いや、事件自体は知っていたさ。だがギルドにも被害が出てることは初耳だ」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてないな」
ロアが郁夜の前に座りなおした。
「ギルド員だけでも既に四人だよ。郁はここ数日ずっと外に出ていたから、まだ知らなかったとしても仕方ないさ。怪我もそれほど重傷じゃない。だからギルド内でもあまり話が広まっていないんだよ。ただ、私の記憶が正しければ、郁には俺から話しておくから――とたしか礼がそう言っていたはずだけど」
「郁が知らなかったなら、まだ言ってないってことだな」
「おいおい、そういう大事なことは忘れずに伝えてくれよな」
「ごめんごめん。えーと、それで、今日はその件で警備隊と少し話してきたんんだよ。むずかしいことはよくわからないけど、早く解決したほうがいいのは本当だし」
「へえ」
「ロアも一応は女の子だし、気を付けないとな」
礼は軽い調子で言っているが、ロアを心配しての言葉なのは確実だ。しかし当のロアはなんでもない顔をしている。
「その分類が正しいのかはさておき、通り魔程度に傷を負わされるほど落ちぶれてはいないさ。警戒するに越したことはないが、相手が人間ならばたいした脅威ではないよ」
見かけだけなら十三歳程度の少女の口から出る言葉ではない。その通り魔との体格差によっては、ロアの小さな身体などはいくら抵抗しようと、すぐに押さえつけられてしまいそうなものだ。しかしロアの場合、十三歳の小柄な少女――というのは、見かけだけの話だ。ヒトと同じ姿かたちをとりながら、人間ではなく。ロワリア国の化身たるロアに、力づくで危害を加えられる相手などまずいないと言っていい。
見た目が子どものようなのは、彼ら国の化身の特性だ。国そのものが人間と同じく実体を持ち、感情を持ち、思考を持つ。化身は人間で言うところの十歳から三十歳までの間に肉体の変形が止まり、平均すると十八から二十数年で肉体年齢が固定されるらしい。ロアはその身体固定の時期が平均より少し早く訪れてしまったからこそ、今のような姿なのだ。しかし小柄な少女とあなどるなかれ、その実態は既に千年の歳月を生き、何百年もの間、戦場を駆け抜けてきた百戦錬磨の武人であるのだ。並の生命体ではまず太刀打ちできないだろう。同じ化身同士であっても、ロアに傷を負わせられる者はそういない。
「まあ、もしものことがあったとしても、ロアには頼れる護衛がいるんだ。俺たちが心配することでもないだろう」
郁夜の言葉のすぐあとに、礼のものでも郁夜のものでもない男の声が静かに響いた。
「そのとおりだ」
低い声だが、まだどこか幼さの残る少年の声。聞き慣れた声ではあったものの、突然のことで礼と郁夜はわずかばかりおどろいた。いつからそこにいたのか、いや最初からそこにいたのだおる。長い前髪で顔の左半分が隠れてしまっている黒髪の少年が、彼の主たるロアが座るソファの背もたれに、こちらに背を向けたまま腰かけていた。彼はおもむろにソファを降りると、翡翠のような緑の瞳を礼たちに向けた。
「俺がいる限り、指一本でも祖国に触れることは許されない」
「ジオが言うんなら確実だな」
彼の名はジオ・ベルヴラッド。ロワリア国は、このギルドがある中心部ロワリアと、遠い過去にロワリアに下った亡国リワン、そしてラウという小さな村の、三つの領地でできている。ジオはラウの領主でありながら、ロアの護衛をも務めている少年だ。ロア・ヴェスヘリーとジオ・ベルヴラッド、そしてリワン国の化身であるリン・ヴェスワテルは、見た目の年齢が近いこともあってか、義理の姉弟妹のような間柄だ。礼と郁にとっても、彼らは姉であり兄である。
領主――ジオの場合は領守という役目も担っており、領守というのは、この世界における最高神――六柱の守護神に選ばれ、宝珠と契約を交わした者。守護神の現身とも呼ばれている、神の権能を受け継ぐ者のことだ。
この世界を守護する六柱の守護神――風、水、炎、大地、光、闇、六つの属性ごとに分かれた神格のうち、ジオは風を司る守護神、ラウ・ベルヴラッドの宝珠と契約を交わした、風の守護神の現身だ。純度の高い属性能力を保有する者のみが契約の刺客を持ち、いわば神に選ばれた者。要は、ジオは人間でありながら神でもある、ということだ。
もちろん、契約だの守護神だのという話とは関係のない、領の主という意味での領主も、この世界にはいくらでも存在する。語源としては、ジオの役職を表す際は常に領守とするほうが正しいのだろう。神話や伝承、聖書の中などでは領守とされているものの、言葉の響きが同じで紛らわしいため、ほとんどの場合は現身と呼ばれている。ジオをはじめとした現身たちを領守と呼ぶか領主と呼ぶか――現代となってはどちらでもかまわないそうだ。
ジオは宝珠を契約を交わした瞬間から肉体の成長および衰退が止まっており、彼は少なくとも五百年以上は十四歳の姿のままですごしている。結果だけ見れば国の化身と、状態はそう変わらない。ロアとジオの付き合いも長く、彼のロアに対する忠義は絶対的であるが、ロアを守るためなら手段を問わず、いざとなれば自分の命すら差し出しそうな危うさも秘めている。なにかを守護することに特化した性質を持つ守護神の現身、その守りを突破するのは困難を極める――どころか、不可能に近いだろう。まさしく鉄壁の守りだ。
少しの間のあとで、郁夜が思い出したように尋ねる。
「それにしても、そういう事件が起きているなら探偵はどうしているんだ」
探偵とは、名のとおり「探偵」をしている謎多き男だ。数年前までは世界各地を転々としながら、あらゆる事件を解決に導いていたのだが、現在ではこのギルドに籍を置いている。ロアはちらりと廊下のほうを見やるが、当然そこには探偵どころか誰もいない。
「彼は基本的に、依頼されないと動かないからね。手を借りるなら直接頼みに行くしかないよ。まあ、もしかすると既にどこからか依頼を受けているかもしれないkれでお」
「いつかの事件に似ているような気がするなあ。幸い、まだ死人は出てないけどさ」
窓の外を舞う雪を眺めながら礼が言う。ロアも神妙な顔で頷いた。
「……ああ、そうかもしれないね」
*
雨と雪、もしも選ぶならどちらのほうが好ましいかと問われれば、雪を選ぶだろう。理由は簡単だ。雪は衣服にかかってもすぐに払い落とすことができる。雨粒はそうもいかない。服が濡れてしまうという煩わしさがない分、雨よりも雪のほうがまだいくらか好印象だ。
肩掛けに積もろうとしていた雪を白手袋の手で軽く払う。探偵はかぶっていた帽子を一旦手に取ると、そこに付着した雪を落とし、それから周囲を走りまわる小人に一瞥をくれた。灰色の髪は前髪が長く、顔全体を覆い隠してるため素顔は見えない。身の丈が探偵の膝までほどしかない小さな身体には大きすぎるコートにすっぽり身を包み、余った袖をぱたぱたと振り回すさまは童子そのものだ。寿は一見しただけではただの子どもだが、人間はなく人型のカルセットである。もうずいぶんと前から探偵の助手として行動をともにしている。人型であるので、声帯は人間と同程度に発達しているのだが、言葉を紡ぐのが不得手なので基本的に無口だ。
帽子をかぶりなおして深くため息をつく。白い吐息は大気に溶け、やがて消えていく。なぜ探偵が雪の降りしきる街かどで一人佇んでいるのかというと、とある男から仕事の話があると言われて呼び出されたからだ。指定の場所に時間を決めて待ち合わせと相成ったのだが、探偵はいつも予定より少し早めに出発する性格なので、早く出発した分、当然のこと到着も早い。今は待ち合わせの相手が来るのを待っているところだ。
落ち合う場所として指定された場所は、リワンにある小さな喫茶店『リヴェル』だ。店内で待つか外で待つか。探偵としては正直どちらでもよかったのだが、どちらかを選択せねばと思った矢先に寿が雪で遊びはじめてしまったため、そのまま外で待つことになった。屋根の下で店の壁にもたれかかり、雨宿りならぬ雪宿りをしながら、雪の上を駆けまわったり飛び跳ねたり転がったりしている寿の姿を眺める。
「探偵?」
視界の外からかけられた声に、そちらを向くとどこかで見覚えのある少年が立っていた。やや灰色がかった銀髪は元気そうにあちこち跳ねていて、ややつりあがり気味の薄水色の目は犬のようにつぶらだ。年齢はおそらく十八歳前後だろう。背丈は年相応と言ったところか、特別高くも低くもない。少年は探偵と目が合うなりぱっと表情を明るくした。
「あ、やっぱり! 探偵さんだ」
「……ルガルフか。貴様がこんなところでなにをしている」
人懐っこそうな顔で笑っている少年――ルガルフはたしかに探偵の知り合いだが、顔と名前を一致させ、いつどこで、どのようにして出会った、どの程度の間柄の相手だったのかを思い出すまでに、探偵の頭脳をもってしても二秒かかった程度の仲だ。以前、とある事件と呼ぶほどでもない、ちょっとした出来事に巻き込まれた際に出会った少年だ。それきり面識はない。
そしてこれは特別重要なことでもないのだが、なんの因果か探偵にはヒトならざる知り合いが妙に多い。もちろん、探偵が好き好んでそういった人外連中と交流をはかっているわけではない。探偵から言わせると、知り合った相手がたまたま人間ではなかった、という状況に何度となく見舞われているだけだ。
何度死んでもよみがえる不死身の青年であったり、森の奥にひっそりと隠れ住む吸血鬼であったり、そもそも助手である寿がまず人間ではない。つまりルガルフもまた、あたかも人間のような容姿をしているが、正しくは人間ではないのだ。彼や寿のように、見かけが人間と変わらない人外の生き物は、人里で人間の中にまざって生活していることが多い。そして探偵はそういった相手をひきやすい。
「わあ、久しぶりだなあ、まさかこんなところで探偵さんと会えるなんて、思ってもなかった! ルガルフはうれしいよ!」
「そうか。私はうれしくないが」
「名前も覚えていてくれた! 感激だ!」
「名前くらいしか思い出せるところがないな」
「むう、探偵は冷たいなあ。でも覚えててくれただけでもルガルフはうれしい! うれしいぞ!」
ルガルフは大変に愉快そうにへらへらと笑っているが、探偵は相変わらずだ。ルガルフはおそらく、両者の間に埋めようのない季節の差があることに気付いていないのだろう。
「のん気に笑っているところをすまないが、私が貴様を記憶していることに友好や信頼といった感情は一切関与していない。職業柄、相手の顔と名前を覚えることに慣れているだけだ。むしろ貴様に他人の顔と名前を年単位で記憶していられるだけの脳があったことにおどろきだ」
「たしかにルガルフは頭がよくない……でも探偵さんのことは覚えてる! しっかり! 衝撃と嵐だ。とても変わっているので忘れないぞ」
「は?」
なにが言いたいのか理解しようという気持ちが微塵も湧いてこない。ともかく探偵の言葉がまるで効いていないということはたしかだ。ため息が出る。
「黙っていろ。躾のなっていない飼い犬が。首輪はどうした? さっさとご主人様のもとに帰ってしっぽでも振っているがいい。私はやかましい子犬が嫌いなんだ」
「わん」
「わん、じゃない」
「首輪は苦しいから着けないのだ」
「いいか? 私は忙しい。貴様と無益なお喋りをしている時間は完全に無駄でしかないのだ。私の言っていることがわかるな? 用がないなら早急に立ち去れ」
しっし、と手で退去を促すと、ルガルフはきょとんとしながら首をかしげた。
「探偵さんはご機嫌ななめだ。どうすればいいだろう」
「だから立ち去れと――貴様、以前に会ったときよりも知能指数が著しく低下しているぞ。当時はもう少し……ああ、いい加減にしてくれ」
「じゃあ、また今度! また今度、ルガルフとお喋りをしよう。またね。ね!」
「……ひとつだけ訂正しよう。私はやかましい子犬よりも、言葉は通じるのに話が通じないバカが嫌いだ。この意味がわかるか? いや、わかれ。理解しろ。そして黙って消え失せろ」
探偵はうんざりした態度を隠す様子もなく、強い口調で言い聞かせるが、ルガルフはやはり首をかしげるばかりだった。




