17 作戦実行の午前午後
「やあ鬼礼、声音、おまたせ」
午前十時を少しすぎたころ、ギルドの正門前で一人佇んでいた鬼礼の背後からロアが声をかけた。昨夜のうちは止んでいた雪が、またちらちらと姿を見せはじめており、連日の積雪が町を白く飾っている。
「さほど待っていないよ。それで、どこに行くんだい?」
「さて、どこに行くべきか……そうだな、どこか眺めのいいところにでも行こうか。せっかくだし食事も外で摂ろう。どこか行きたいところはあるかい?」
「うーん、今はなんとなく静かなところがいいな」
「わかった。それじゃあ行こうか。それにしても今日は一段と冷えるね、君の隣にいるからかな」
口では寒いと言っているものの、ロアの態度はとてもそう感じているとは思えないほどしゃっきりとしていた。体や声が寒さに震えているわけでもなければ、手や腕をこすり合わせるでもなく、背筋も伸びて堂々としている。鬼礼の隣は寒いと知っていながら、コートやマフラーなどの防寒具を用意して備えるということすらしていないところを見るに、彼女にとってはどうということのない寒さなのだろう。単なる会話の取っ掛かり、挨拶として口にしただけなのだろう。
声音が珍しく鬼礼のうしろから顔を出した。並んで歩いている二人の間にこそ入らないものの、他の者に比べると怯えている様子はない。ときどき物珍しそうにロアを見上げているので思い返してみたが、たしかに鬼礼がロアと行動をともにするのはめったになかったことだ。今回がはじめてのような気がする。
「友達と言うにはちぐはぐだな、はたから見ると私たちはどんな関係だと思われるのだろうね」
「兄妹がいいとこじゃないかい? まあ、君も自分も声音も、まったく似ていないけど」
「兄妹か。それはいいね、私も声音のような妹がほしいよ」
「君の義妹が泣くよ」
「泣きはしないだろう。怒ることはあるだろうけれど」
「兄妹といえば――」
話しながら鬼礼は横目でロアを見た。風にたなびく独特な色合いの青髪、大きな紫の瞳。まるで少年のような風貌をしている。彼女を見るといつも思うことがある。
「君と來坂礼は本当によく似ているね」
外見だけならそれこそ兄妹かなにかのようだ。ロアのほうが幾分か凛々しい表情をしていて、礼のほうはなんとなく気が抜けるというか、間抜けな表情をしているのだが、それはそれとして他に類を見ないほど外見が酷似している。
「まるでドッペルゲンガーだ。自分とそっくりな人間を見ると死ぬとは言うが、それは本当なのかな」
「そもそも私は人間じゃないから、それには該当しないんじゃないかな。実際、礼と出会ってから十年ほど経つけれど、私も彼もとくに問題なく生きている」
「それはそうだね。そういうのって本当にいると思うかい? 自分とまったく同じ外見をしていて、目撃するとなんらかの損害を受けるような、そういうモノって」
「どうだろうね、いてもおかしくはないのかもしれない。ただの作り話の都市伝説として半信半疑のまま世に伝わっているが、火のないところに煙は立たないものだろう。それが実話に基づいた噂話である可能性もなきにしもあらずだ」
「あんなのが他にもいるなんてたまったもんじゃないけど」
「おっと、それは私と彼に対する暴言かな?」
「冗談だよ」
間があく。途端に会話が途切れて、あたりがしんと静かになった。人々の間に会話がないからか、積もった雪が音を吸収してしまっているからか、そもそも人がいないからなのか。どれも正解だろう。人がいないのは、身も凍るような寒さのためか、あるいは例の事件を警戒してのことなのか。これもまたどちらでもある。
鬼礼の隣でロアがため息をつく。
「寒いかい?」
「セルーシャに比べればマシなほうだね」
セルーシャ国は鬼礼の生まれ故郷だ。もうずいぶんと前に国を出て以降は足を踏み入れていないが、雪ばかりでなにもない不毛の地であったと記憶している。
「行ったことがあるんだね」
「そりゃあ、あるさ。私だって国の化身としての仕事はしているし、他国の化身とも会わなければならないときもある。君の祖国の化身に会うときは、大抵は彼のほうからこちらに出向いてくれるが、たまにはこちらから会いに行くことも、さほど珍しくないよ」
「ああ、セルーシャ国の……」
祖国の化身とは話したことはないが、何度か姿を見かけたことがある。中性的な外見をしている穏やかそうな青年だった。
「とはいえ寒くないと言えば嘘になる」
「手でも繋ぐかい?」
「まさか。遠慮するよ、声音とならともかく、君と手を繋ぐなんてそんな恐ろしい。義手で生活することになるのはちょっとね」
「自分がなにもしない限りは延命できるよ」
「ただでさえ君がおとなしくて警戒しているのに、私のこれからが言葉どおり君の手のひらの上にある状態なんて、とてもじゃないが耐えられないよ」
「まるで人を爆発物みたいに言うじゃないか」
「私からしても、君は十分な危険物だよ」
「誰かにも最近同じことを言われた気がするなあ」
*
「愛情だろうな」
心底くだらないとでも言いたそうに吐き捨てると、探偵は紅茶をひと口飲み込んだ。
「愛するがゆえにこうなってしまった。道を誤った――要はそれだけだ」
ギルド二階の一角、探偵事務所には部屋の主である探偵をはじめとし、風音勇來、黄ノ原葵、或斗の四人がそろっていた。本当ならば也川露臥もこの場に出席させたかったのが勇來の本音だが、彼女がこんなところにまでやってくるはずがないことは本人に聞くまでもなくわかっている。
「本当に……そんなことで、こんな事件を?」
葵が戸惑いを隠せない様子で聞き返す。或斗が頷きながら持参したファイルを、隣に座っている葵に手渡した。葵はそれを開いて中を見るが、彼の正面に座っている勇來からは見えない。
「探偵に言われて、他の隊員に改めて現場を調べさせたんだ。あいつの言うとおりだった。俺と勇來が襲撃にあったのは雪道。勇來でもはっきりとした姿は見えなかったほど俊敏だけど、足跡はくっきり残ってたよ」
「足跡……」
「残念ながら、どこに逃げたのかまでは辿れなかった。本人も追跡を警戒して足跡を消しながら、あるいは足跡がつかないような道どりで逃走したんだろう。でも現場に残った足跡を消すことまでは考えがまわらなかったらしい」
「へー。ずいぶん間抜けなんだな」
率直な感想を述べると、或斗は小さく笑って勇來を見た。
「俺は、勇來があそこで粘ったからってのが大きかったと思うぞ。今まで誰も自分の動きに反応できなかったから、今回も大丈夫だってタカを括ってたんだな。予想外に抵抗されて、それであわてて逃げたから痕跡を残してしまったんだ」
「そう、だったんですか……朝まで雪が降らなかったのは幸いでしたね」
「まったくだ。探偵、これで昨夜の失態はチャラってことになるか?」
「まあ及第点ということにしておいてやろう」
「そりゃよかった。心配かけて悪かったな」
「私がいつ貴様らの心配なんぞした?」
探偵は片眉を吊り上げて或斗を睨んだが、或斗はとくに気にせず続ける。
「んで、問題はこれからだ。明るいうちに、犯人をおびき出すための仕込みを鬼礼くんとロアさんの二人に任せて、今夜作戦決行ってことになってるけど……この調子じゃ俺と勇來は使い物にならない。それはたとえ日程を明日、明後日にずらしたとしても同じだ」
これには勇來も頷いた。
「悔しいけど、たしかにそうだな。今こうしてるだけなら大丈夫だけど、まともに動けるようになるまでには最低でも三日はかかりそうだぜ。それでも半端な体調じゃダメだ。最低でも全快の状態でないとあの速さにはついていけねえ」
「かといって俺たち――っていうより、勇來が治るまで待ってるわけにもいかない。俺じゃ勇來みたいにあれに対応できないから、能力でサポートするってのもむずかしそうだし……」
「でも昨日は合わせられただろ? 木? みたいなの飛ばして一撃防いでくれたじゃんか。あれ助かったぜ」
「まぐれだよ。謙遜とかじゃなく、昨日のは本当にたまたま運よくタイミングが合っただけで。もう一回やれって言われても無理だ」
或斗がため息をつく隣で、葵が手に持っていたファイルを閉じ、心配そうに或斗と勇來を見た。
「言うまでもありませんけど、そういうことなら僕も役に立ちません。い、一応、属性系の能力者ですけど、まともに使えたことがないので」
「葵は五軍だから戦闘訓練も受けてないもんな。能力を扱うための練習も、まだはじめたばっかだし……こればっかりはしょうがねえよ。ギルドで待ってていいんじゃないか? なあ探偵」
「ああ。貴様ら二人は現場に来てもらうが、黄ノ原葵は司令室か自室で待機するように。医務室でもかまわんが」
「いえ、司令室にいます」
「俺たち行ってもなんにもできねえぞ?」
「俺は警備隊っていう立場上、現場には立ち会いたいところだな。勇來がいればそれだけで相手への牽制になるだろうから、戦えるわけじゃなくても、その場にいるだけでいいんだと思うぞ」
「ふーん。じゃあ実際に相手するのは鬼礼一人ってことだな。あいつ一人に任せるのもいろいろ心配だけど……まあ、いざってときはロアとジオがなんとかしてくれるか」
「で、でも……礼架さんたちや他の人もですけど、勇來さんや或斗さんまでやられてしまうような相手なんですよね? それを鬼礼さん一人で対処するなんて……本当に大丈夫なんですか?」
葵が不安をもらす。或斗も同意見らしい。
「そうだな……なんせあれだけの機動力だ。本当なら警備隊から戦闘経験を積んでいる人手を連れて来たいところだが……それができないからギルドに頼んでいるんだよな。探偵、ギルドからも人手の増員はできないのか?」
「どれだけ人数を増やそうと、襲撃に対応できなければ意味がない。怪我人が増えるだけだ」
「それはそうだが……勇來、お前から見てどうなんだ? 鬼礼くんはあの速度に対応できると思うか?」
「鬼礼がどれくらい反応できるのかはわかんねえけど……まあでも、大丈夫なんじゃないか? あいつが負けるところなんて見たことないし。今まで一緒に任務に出たこともあるけど、あいつの限界はまだ見たことないんだよ、俺」
「強いのか?」
「強い。いや、うーん……まあ強いな。正直めちゃくちゃ強いんじゃないか? 俺もあいつと戦ったら負けると思うし」
鬼礼の強さは戦術や技術によるものではない。豊富な魔力から繰り出される高純度の氷雪属性能力。フィジカルではなく能力によるところが大きい。能力を封印した状態の素の戦闘力でなら、勇來のほうが強いはずだ。彼の厄介なところはそこだ。武器の扱いなど武術の腕前が対戦相手より劣っていたとしても、大抵は能力を使った力業でどうとでもなってしまう。武器の相性の有利不利、実力の優劣をそれひとつでひっくり返し、それを覆そうというこちらの意思をも問答無用で叩き潰せる。
「少なくとも戦いに関しては、下手に手ぇ出すくらいならあいつ一人に任せたほうがいいかもな」
何度か同じ任務で一緒に戦ってきたが、勇來に鬼礼の強さを正確に測ることはできない。まだ底が見えないのだ。まるで災害のような男だと思う。どこまでのことが可能で、どうなれば彼の手に負えなくなるのか。予想がつかない。勇來は思わず苦笑をこぼす。
「ありゃあバケモン級だよ」




