じゃんけんぽん
駅を出ると胸がつまるような外気にむせ、白く鼻先がツンと痛くなった。
夜空は黒、というより深い蒼色。散りばめたような星は増して寒さを感じさせる。
仕事帰りには身に染みる寒さで、ポッケに突っ込んだ手の先がかじかんでいる。
決して冬は嫌いではない。むしろ夏は暑く、汗かきの俺には疎ましくさえ感じる。だがそれにも限度があって、寒すぎるのもよくない。
寒さは動きを鈍らせ、やる気を失う。付け加えて重ね着が嫌いな俺にとって、やはり良い季節とは言えないのかもしれない。
…そんなことを言うとアイツに天の邪鬼とか我慢しなさいとか口煩く言われるんだろう。
ブーブーブー。
指先に携帯のメールを知らせるバイブが響く。間をおいてからそれを取り出すと、一気に手の温度が下がった。
『おつかれさまです。寒いね』
噂をすれば彼女。
何処かで見ているのか、はたまた予知能力があるのか。
『寒さ通り越してるよ。なにしてる?』
俺の帰宅時間を大体把握していると想定しよう。にしてもタイミングが良い。
ブーブーブー。
『なにというよりベランダにいる(笑)』
……。
『いくつだよ。黄昏てないで中入れ』
どうせ星が綺麗だのなんだのと歯をガチガチ言わせながら夜空見上げてるのだろう。
そういう所は共感できない。というか阿呆ぽい、というか…。
ブーブーブー。
『どうせ馬鹿とか思ってんでしょ。いいよ、わかってますからね…』
『惜しいな、俺が思ってたのは阿呆だ』
ブーブーブー。
『むかつく(笑)しかし残念でした。今日は星見るためではありませーん』
『なんのために?』
そう返信してから何となく、彼女のペースに乗せられている気がして笑えた。
珍しく返信が早いのは、何か意味しているのだろうか。
ブーブーブー。
『星もそうだけど空が綺麗でしょ。蒼っぽくて、冬って感じ。もう帰宅した?』
…近くにいると感性まで移るのか?
『まだ、もうちょい』
前文には触れないでおく。お前のせいだぞ、付け上がるんじゃあない。そういうことにしておく。
ブーブーブー。
『少しだけ会いたい、ちょっとだけ』
つい足を止めそうになる。
これも珍しい…というより調子外れだ。文面から彼女の弱々しい肉声が漏れるような気さえした。
時間もなかなかに遅い。明日の仕事もあれば今日のうちにこなしたいこともある。
『寒いけど、それでいいなら』
断ろうと思えばいくつも理由を上げられる。…ただ、もう俺もアイツも外にいるせいでこれ以上は冷えないだろう。
何があったのかはさっぱりだが、たまの我儘に付き合うことは勤めかもしれない。
ブーブーブー。
『え?…ありがと!(笑)』
『どういう意味?』
ブーブーブー。
『ごめんなさい、意外すぎて(笑)』
『うるさい。で、俺が行こうか?』
と打ち込みながら自宅のすぐそばまで来た。もはや体を撫でる北風の寒さも軽減され始めている。
足を止め、返信を待っていると、
ブーブーブー。
『えっと、どうしよう…。
あ、じゃあジャンケンで勝った方が会いに行くことにしましょう(^^)
はい、ジャンケン、チョキ 』
「……はぁ…?」
マスクの内側で漏れた笑みに水蒸気が溜まる。
前々から思っていたけど…わからないやつだよ、お前は。
返信を作るべきか、むしろ電話かと悩みながら顔をあげる。
漆黒、なんて表現では勿体無いほどの深い蒼が静まり返った町を包み込む。
満点とまでは言えないが、小さな点が燦然と瞬いていた。
『お前さあ……』
End