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第一話 謎の男

 安酒の匂いが堆積したような古臭い酒場風のギルド、アカシア。そこでは今日も、探索にもまともに出かけないごろつき寸前の三流冒険者たちが話に花を咲かせていた。彼らは賭けで儲けただのどこぞの娼婦が美しいだのと、昼間から酒をあおりながら下品なまでの大声で話している。その奥にあるここ数日利用者の影すらまばらなカウンターでは、受付嬢のリールが漂う酒の匂いに顔をしかめながら、たむろしている彼らに殺気だった視線を向けていた。


「あいつら碌に探索もクエストもしないで酒ばっかり飲んで……。おかげでギルドが倒産寸前じゃない! 今日こそ文句言ってやろうかしら?」


 リールの手元には、ここしばらくの間クエストの受諾印が押されていない台帳があった。彼女はそれを手に握りしめると、白い額に青筋を浮かべて強烈な殺気を放つ。アカシアのある冒険者の都市ロマリウムには無数のギルドがあるが、数日間一つもクエストが受諾されないギルドなどリールは聞いたことがない。このままでは、今月の給料すら支払われるかどうか危ういようにリールには思われた。


 そうしてリールがコンコンといら立ちまぎれにペンでカウンターを叩いていると、不意に彼女の頬をさわやかな風が撫でた。彼女はとっさに風が吹いてきたギルドの入口の方を見る。すると、開け放たれた扉の向こうに見慣れない格好をした男の姿が見えた。


 リールの記憶では確か着物といった、東方風の衣装を身に付けたその男は黒髪黒眼をしていた。この大陸では黒髪黒眼の人間はいないので、おそらくこの街が面しているシナウス海を越えた先にある島国の出身者だろう。その証拠とでもいうべきか、着物はボロボロでまだ少年に見える男の顔は長旅の疲れを感じさせた。


 彼はギルドの中に入ってくると、臆することなく酒を飲んでいた男たちに近づいて行った。そしてその方をポンとたたいた。


「すまんが、ここはギルドでござるか? 街に来たばかりの拙者にはまだよくわからんのだが……」


「大丈夫、ギルドはここだぜ兄ちゃん。クエストの依頼にでも来たのかい?」


「いや、拙者は冒険者になりにきたのでござる」


「ガハハハ! やめとけよ、冒険者は兄ちゃんのような田舎者がなれる職業じゃないぜ!」


「そうだぜ、怪我しないうちにやめときな!」


 酒を飲んでいた男たちは椅子にふんぞり返って豪快に笑いだした。訪ねてきた男の風体はいかにも田舎の農民といった風であり、とても戦いをこなしてきたようには見えない。いかにも英雄願望の強い片田舎の貧乏農民が冒険者にあこがれて、里を飛び出してきたぐらいにしか見えないのだ。そのまともな武器すら帯びていない格好には、男たちだけではなくリールも顔をしかめる。冒険者の世界は厳しく、田舎から出てきた元農民というような冒険者はほぼ生き残れない。せいぜいなれたとしても、この酒場でたむろしているような碌にクエストもこなせない三流冒険者だろう。


「ううむ……忠告はありがたく受け取っておこう。されど、拙者はどうしても冒険者にならねばならんのでござる」


「ハハハッ、そうかい。なら止めねーよ!」


「せいぜいがんばれよッ! 兄ちゃん!」


 嘲笑に見送られながらも、着物姿の男は至極明るい顔でカウンターへとやってきた。ぼうっとしていたリールはあわててびっくりしたような顔をすると、ギルド登録用の書類を取り出す。この書類を棚から出すのは、彼女がギルドの職員になってからの半年間でわずか二度目のことであった。久しぶりの手続きのためか、彼女の顔が少しばかりきりりと引き締まる。


「いらっしゃいませ、当ギルドへの登録手続きですね?」


「そうでござるよ」


「でしたらまず、この書類にお名前と現住所をお書きください。住所は泊まっている宿の名前などで十分です」


 男は何故か困ったように顔を曇らせた。リールはひょっとして文字が書けないのかと勘ぐる。彼女は代筆するのに備えてペンをそっと手元に持ってきた。すると男が気恥ずかしそうに口を開く。


「……実は最近持ち合わせがなくてな……。その……野宿なのでござる」


「あ、あきれた……さすがにそれはないわよ! まあいいわ、住所は書かなくても結構。……って口調が素に戻ってるじゃない、ごめんなさい!」


「いや、その口調で構わんでござるよ。拙者も堅苦しいのは苦手でござる」


「そう、ありがと。それならこれからもこの口調で行くわ」


 リールはほっと息をつくとにっこり笑った。実をいうと彼女も敬語を使わない方が楽だったのである。それゆえに本心からなされた笑顔を確認すると、男は手早く書類に名前を書き込む。やがて差し出されたそれをリールが受け取ると、そこには流暢な東方文字で「氷雨」と書かれていた。東方文字の読めないリールは、それがなんと書かれているのかわからずに首を捻った。


「これって何て読むのかしら? 私にはちょっと読めないんだけど」


「すまない、東方文字は読めないでござったか。大陸文字で書きなおそう」


「書きなおさなくても、読み方だけ教えてもらえればいいわ」


「ヒサメと読むでござるよ」


「ヒサメね、ちゃんと登録しておくわ。ではさっそくお待ちかねの能力測定ね」


 リールはカウンターの中から能力測定用の虫眼鏡を取り出すと、ヒサメの顔をそれで注意深く観察した。能力測定用の虫眼鏡は対象者の顔を写すとそのものの持つ能力などが表面に表示されるものである。どんなギルドにも一つはあるギルドの必需品だ。


 そうしてしばらく氷雨の顔を虫眼鏡越しに眺めていたリールであったが、一瞬にしてその表情が凍りついた。彼女は何度も目をこすって虫眼鏡に表示された内容を確認すると、氷雨の顔を目を真ん丸にしてみる。すると氷雨は驚いたようにそのとぼけたような顔をしかめた。


「ど、どうしたのでござるか? もしかして拙者の顔に死相でも出ておったのでござろうか!?」


「違うわよ! あんたがあんまりめちゃくちゃな能力してるからびっくりしたのよ!」


「なんだ、死相が出ていたおったわけではないのか。よかったよかった」


「よっくなーーい!!」


 こうしてリールの絶叫が、ギルドアカシアの小さな建物に響き渡ったのであった。



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