【全ての始まり】最終章
前の話のあらすじ
リュリュの妨害を受け、棄権になるかと思われたが、日本から届けられたVF『アカネスミレ』を使い、試合に出ることができた。
気を失ったり、吐いたりしつつも結城は懸命に戦う。
相手の武器や盾を無力化し、勝利すると思われたが、最後の最後でコックピットハッチを開けてしまい、反則負けという結果に終わってしまった。
第6章
1
スタジアム内のメディカルルーム。
そこには負傷したランナーを治療するための設備が多く備わっている。
(動けない……。)
結城はメディカルルームの内部にある個室にいた。包帯を巻いてるわけでもなく、点滴を打たれているわけでもなかったが、体中に湿布がはられていた。
結城はベッドの上に仰向けになって寝ていた。
個室は病院のそれとは全く違う雰囲気だった。窓はなく、結城が寝ているベッドも簡素なもので、部屋の隅にある棚には薬品が無造作に置かれていた。
……昨日、結城は試合が終わった後にここに運び込まれたのだが、本人にその時の記憶は全くなかった。
湿布もその時に貼られたものらしい。
結城は筋肉痛のせいで体をまともに動かすことができないでいた。湿布を貼っていなければこれ以上の痛みを感じることになっていたのかもしれない。
……湿布を貼ってくれた人に感謝していると、個室に医療スタッフが入って来た。
それは女性で、淡いピンク色の綺麗な制服を着ていた。
「タカノさん、調子はいかかですか?」
「全然平気です。あっ……イテテテ……。」
返事をした際に結城は首を入口の方へ向けたが、筋肉痛のせいで首に痛みが走った。今朝に比べてだいぶ楽になったものの、まだ痛みは残っていた。
情けない顔で体を震わせる結城を見てスタッフは微笑んだ。
「もうしばらく安静にしてください。明日になればだいぶ楽になると思いますので。」
「明日、学校があるんですけど。今日帰れますか?」
「それは私ではなく、先生と相談してください。」
スタッフの女性はそう言いながら、結城に被さっているシーツを剥ぎとり、続けて結城の腰に手を当てた。
「それでは、湿布を交換しますから、俯せになってくださいね。」
「……はい。」
結城は痛む体にムチを打って体を回転させた。
結城は前をひもで結んで留めるタイプの簡素な服を着せられていた。ランナースーツと違って締め付けはなく、ゆったりとしていて着心地が良かった。
シーツに続いてその服もずらされ、結城の背中があらわになった。それと同時に湿布の独特の匂いが結城の鼻に届いてきた。
2
「それでは、何かあったら呼んでくださいね。」
湿布を全て貼り終わると女性スタッフは部屋から出て行った。
結城はろくに動かせない腕で何とか服の紐を結ぶと、シーツをかぶって目を閉じた。
体の各所に貼られた湿布はひんやりしていてとても気持ちが良かった。
(明日、学校休もうかな……。)
そんなことを考えながら結城がまどろんでいると、ドアが開いて部屋に人が入って来た。
結城は天井を向いたままだったため誰なのかを確認することが出来なかった。
「やっと終わったか。」
しかし、その人物の声を聞いて顔を入り口に向けた。
「リオネル!?」
部屋に入って来たのはリオネルだった。
リオネルは当たり前のように入り、ベッドの脇にあるイスに腰掛けた。
結城は再び首に痛みが走り、顔を天井に向け直した。そしてそのまま、リオネルに攻撃的な口調で話かける。
「何だ? 試合はそっちの勝ちだったんだから文句はないはずだぞ!?」
「静かにしろ。こんな場所で騒げばどうなるかくらいわかるだろ。」
リオネルの反応は結城の予想と違い、とても冷静なものだった。
アール・ブランのラボに来たときは我儘で傲慢な人間だなという印象を受けたが、今はそうは感じられなかった。
結城はリオネルの言うとおり声のボリュームを下げた。
「ここ、関係者以外入っちゃいけないんですけど。」
「だから静かにしろと言ったんだ。細かいことは気にするな。オレだってこんなところに来たくはなかった。……だが、人目に触れず2人きりで話せる場所はここ以外にないだろ。」
何をするつもりなのか不安に感じた結城は、シーツの端を両手で持ち、肩口から鼻の頭までおもむろに持ち上げた。
「試合の後でリュリュから色々と話を聞いた。……すまなかったな。」
試合の腹いせに何かひどいことを言われるのではないかと思っていた結城は、リオネルの突然の謝罪に驚きを隠せなかった。素人相手にあんな戦いをしたので、怒っているのではないかと考えていたが、それほど気にしていないようだ。
「妹が迷惑をかけたらしいが、厳重に注意したから許してくれ。妹はああ見えて大胆な性格をしていて、度を越した行為に及ぶことがよくあるんだ。」
結城は、リュリュも同じようなことを言っていたということを思い出し、物騒な兄妹だなと思っていた。
「しかし、脅すのはいいとして、まさかVFにまで手を出すとは思っていなかった。」
「脅すのはいいのか……。」
結城はすかさずツッコミを入れた。
「そのくらいは我慢しろ。オレと戦うランナーの大半は、試合前にオレのファンから脅迫じみたメッセージを受け取っている。お前も素性が割れたし、今頃はその類のメッセージがたくさん届いているだろう。」
「そんな理不尽な……。」
試合終了時、結城はコックピットハッチを開け、HMDも外していたため、ばっちりと顔をカメラに撮られていた。巨大モニターの映像を見て若い女性だということが事実だと分かり、スタジアムは大いに盛り上がったのだ。
もちろんファンのカメラにも撮られてしまい、学生であることや、日本人であること、果ては眼鏡の度数までばれているに違いない。
「待て、負けたのはこっちだぞ。感謝のメッセージくらい来てもおかしくないはずだ。」
「メッセージは勝敗関係なく届く。一応オレは誹謗中傷はやめるように頼んでるが、効果は全くない。」
リオネルはそれを自慢気に言った。
いわれの無いことでゲーム中に非難されることはあったが、それはせいぜい一、二通だった。そのため、それが何通も来るのかと考えると気が滅入った。
「それより、その……壊れたVFは直りそうなのか?」
リオネルが言っているのは、リュリュの工作によって壊されたVFのことだろう。今はどうなっているのかわからないが、見たところダメージは頭部のみだったので、治らないことはないだろうと思っていた。
(VFを破壊してくれたお陰で『アカネスミレ』で戦うことができたし、結果的にはよかったのか……?)
結城はそんなことを思いつつ、試合の前に見た事実だけを伝えることにした。
「あの時壊れたのは頭部レシーバーだけだったから、多分直ると思う。」
「そうか。」
それを聞いてリオネルはほっとした表情を見せた。が、すぐにその表情を消した。
リオネルは椅子から立ち上がり、表情を誤魔化すように前髪を手ぐしで整えると、ポケットに手を突っ込んだ。
「それにしても試合の度にこんなことになってしまってはどうしようもないな。次の試合の時までには少しでもその貧相な体を鍛えておくことだな。」
「誰が貧相だって!?……イタタタ……。」
結城の言葉は、筋肉痛のせいで途中で途切れた。
(“次の試合”か……。)
結城は、様々な手順をふっ飛ばしすぎたせいで、これからのことを考えようにも全くイメージが沸かなかった。
「このオレがわざわざ謝ったんだから、これ以上は追求するな。……あと、ランベルトには絶対に言うな。わかったな?」
リオネルはそう言い捨てると結城に背を向けて部屋のドアを開けた。
そのまま部屋から出ていくかと思われたが、ドアを開けたところでリオネルは足を止めた。
「なっ……いつからそこにいた!?」
リオネルは何者かに部屋の中に押し戻された。異変に気づき、結城が目だけを動かしてドアのある方向を見ると、リオネルの肩を掴んでいる男性が見えた。
「クライトマンの坊ちゃんから謝罪の言葉を聞ける日が来るとはねぇ……。」
リオネルを部屋に押し戻したのはランベルトだった。
「黙れランベルト、新しいVFもいつも通りスクラップにしてやるから、それまで待っていろよ。」
ランベルトに嫌味を言われたリオネルは奥歯を噛み締め、悔しそうにしていた。しかし、それ以上は何も言わず、ランベルトを押しのけて早足で部屋から出て行った。
「よう、嬢ちゃん。元気そうで何よりだ。」
ランベルトは後ろ手でドアを閉めると、持っていた袋を入口付近の棚に置いた。
「もしかして、ずっと聞いてたのか。」
「いや、最後の方だけだ。あの反応からするに、謝りに来てたんだろ?」
結城は、リオネルが謝罪しに来たということを再確認した。リオネルの態度は謝りに来る人間の態度とはかなりかけ離れていたため、思い出すのに時間がかかったのだ。
「まぁ、言うほど悪い奴には見えなかったな……。」
「結城にも見せてやりたかったな、さっきのリオネルの顔。額縁に入れて飾っておきたいくらいの見事なキレ顔だったぞ。アレを見られただけで俺は満足だ。」
ランベルトは爽快な笑みを浮かべながらベッドの脇にまで来た。
「リオネルに恨みでもあるのか?」
リオネルとランベルトがどういう関係なのか、結城は気になって質問した。
「廃棄処分になったVFの半分はあいつが壊したものなんだ。だから、あいつに勝って俺はホントにうれし……」
すかさず結城は口をはさむ。
「負けただろ。」
今になって結城は罪悪感に苛まれていた。あの時、おとなしく諒一の言うことを聞いていれば反則すること無く試合にも勝てていたのかもしれない。そう考えるだけで、申し訳ない気持ちが溢れてきた。
明らかにテンションが下がってしまった結城を見て、ランベルトは必死で慰めてきた。
「反則の件は教えてなかった俺が悪かった。そんなに気を落とすなって。」
「はぁ……。」
「試合後のインタビューはすごかったぞ。負けたはずなのにカメラの台数はこちらのほうが多かったし……。実質的にはこっちの勝ちだ。」
「インタビュー?」
「そうそう、すごかったぞ、あれは。」
ランベルトの声のトーンが上がった。
「ユウキがメディカルルームに行っていなかったから、日本製のVFのことに質問が集中して……」
しかし、何かを思い出したのか、話の途中でいきなり話題を替えた。
「そういえば、日本のVFなんとか連合が資金援助に技術援助までしてくれることになってな、その条件が信じられないぐらい良いんだよ。」
「資金援助……ってことはバイト代がちゃんと出るってことだな。」
何から何までしてもらって、結城は日本VF事業連合会に頭が上がらなかった。それ程の価値が自分にあるのだろうか。かなりのプレッシャーを感じていた。
「嬢ちゃんはアール・ブランにとっての救世主だな、いや勝利の女神か。なんならチーム名まで変えてやるぞ。」
「それはいいから。……これまでの分もちゃんと諒一に払えよ?」
「分かってるよ。」
ランベルトは悩みが一気に消えたようで、5歳くらい若返って見えた。
「それで、インタビューはどうなったんだ?」
「ああ、そうだった。」
結城の言葉で話題を思い出したランベルトは、ポケットから端末を取り出し、結城に見せた。
そこには昨日の試合に関する記事が表示されていた。
「クライトマンが圧力かけたせいで記事もそんなに大きくない。秘密兵器まで使ったにも関わらず、弱小チームにしてやられたのがよほど悔しかったんだろうな。」
見出しには“反則負け”というネガティブな文字がでかでかと書かれてあった。
さらに、試合の顛末などもあまり書かれておらず、アール・ブランが反則負けをしたということだけが記述されているだけであった。
「クライトマンのファンの大半はリオネルの甘いマスクと華麗な戦闘が目当てだから、今回の試合でだいぶ数が減っただろう。」
「ファンか……。」
リオネルのために対戦相手に脅迫メッセージを贈るような輩が、そう簡単にリオネルのファンを辞めるとは思えなかった。むしろ、リオネルを勝たせるために、さらに脅迫に怨念がこもるに違いない。
「あの試合で嬢ちゃんにもファンができたかもしれないぞ。」
「なんか全然、現実感がないな。」
「最初はそんなもんだ。VFの操作と同じで知らないうちに慣れてくるだろ。」
「また根拠の無いことを……」
リオネルとは違い、ランナーの経験がないランベルトに言われても説得力がまるで無かった。
どんな人間が自分のファンになるのか、結城は想像してみる。
その際に幼なじみの顔が思い浮かんだ。
「諒一は?」
「ラボであのVFを調べてるよ。ほんと、勉強熱心な奴だなぁ。」
「ランベルトも見習えよ。」
結城に言われてランベルトは嫌な顔をした。
「あー、さっきスタッフから検査の結果を聞いたんだが、どこにも異常は無いらしいぞ。」
あからさまな話題の変え方に、結城は辟易した。
どこにも異常がないのは解りきっていたことだったが、改めて結果を聞いて結城は安心した。
「まぁ、でもよく耐えたもんだ。次の試合までは間が空くからゆっくり休むといいさ。」
「次も出ることは決定してるのか……。」
「どうした、夢がかなってやる気なくなったのか?」
結城はあまり気が進まなかった。体が疲れているため、一時的にそう感じているだけなのかもしれない。
しばらく黙っていると、ランベルトが結城の耳元でおどけた声を出した。
「それとも、怖くなったのか。」
「馬鹿にするなよ。そんな事言ってると頼まれても試合に出てやらないぞ。」
結城は冗談のつもりで返事したが、ランベルトはそれを聞いて押し黙ってしまった。
ただならぬ雰囲気に結城は何も言えないでいたが、秒針が時計を一周した頃になって、ランベルトがぽつりぽつりと語り始めた。
「……試合中にコックピットを開けるのがどれだけ危険なことか分かっていたのか?」
「なんだよ、藪から棒に。」
「飛んだ破片が刺さりでもしたら死ぬぞ。……次も試合に出るつもりならルールはきちんと把握しておけよ。」
結城は真上を向いていたので、ランベルトのことを見ることができなかった。
しかし、鼻を啜る音はよく聞こえていた。
「……ランベルト、泣いてんの?」
結城の問いかけにランベルトは少し間を開けて応える。
「ちげーよ。ユウキが試合中にケガでもしたら、それは全部俺の責任になるんだからな。チームのためにも、2度と絶対に危ないことはするんじゃねーぞ。わかったな?」
「うん。心配かけて悪かった。」
結城は敢えてランベルトの方を見るつもりはなかった。
……やがて、ランベルトはベッドから離れて部屋のドアへと歩いて行った。
「そろそろ帰る。じゃあな。」
ランベルトはドアを開けると、閉めることなく部屋の外に出ていった。
そんな気の利かないことについて多少の怒りを感じたものの、個室に来てくれるほど気にかけてくれていることに関しては、嬉しく思っていた。
ようやく湿布の匂いにも慣れ、結城は眠りに落ちた。
3
ふと気がつくと、結城はおでこの上に何かが乗っていることに気がついた。
「ん……?」
その感触、大きさから、人の手であるということはすぐにわかった。
目を開けてその手をたどっていくと、諒一の無表情な横顔が見えた。
「なんだ諒一、来てたのか。」
諒一は左手で結城のおでこを撫でながら、右手で携帯端末をいじって何かを閲覧していた。
結城の声を聞いて、諒一はおでこから手を離した。
「このまま。」
久々のスキンシップが嬉しかったので、結城はその手を掴んでおでこに無理やりくっつけた。諒一は何事もなかったかのように、再び結城のおでこを撫でる作業に戻った。
おでこを撫でるたびにオイルや金属の香りがした。
「んん……。たまにはこういうのも悪くない。」
目をつぶって満足気にしていると、諒一のため息が聞こえてきた。
「その分だと大丈夫そうだな。」
「いつ来たんだ? 起こせばよかったのに。」
「ついさっき来たところだ。スタッフに静かにするように言われた。」
「そんなの無視すれば……」
自分で“無視”という言葉を言ってしまい、結城は自分の過ちを思い出した。
「……昨日は悪かったな。あの時諒一の言う通りにしておけば……」
「あの時点で目的は果たしてたんだ。気に病む必要はない。」
そう言って諒一は、おでこに当てていた手をずらして結城の目を覆った。
これ以上何も言うなということだろうか。過去のことを気にしても仕方が無いのは重々承知していたので、結城は話題を変えることにした。
「ラボでアカネスミレを調べてたんだろ? どうだった?」
「丁度今、その事について結城に話そうと思っていた。」
試合当日になって存在を知らされたVF『アカネスミレ』……あのVFがなければリオネルに勝利することは叶わなかっただろう。
諒一は結城から手を離し、代わりに携帯端末を手渡した。
結城はそれを受け取ると、表示されている内容に目を通した。そこには日本にあるVF関連の団体のリストが表示されていた。
「手紙に書いてあった『日本VF事業連合会VFB推進委員会』……たしかに『日本VF事業連合会』は存在しているけれど、『VFB推進委員会』なんて部署は存在していない。」
「まさか。無いはずないだろ、現にあんな立派なVFが届いたんだし。」
結城は半信半疑でリストに目を通したが、確かにそこには『VFB推進委員会』の文字は見当たらなかった。
諒一は表情を変えずに顎に手を当て、話を続ける。
「だいたい、VFが届いた事自体がおかしい。結城が試合に出ると決めたのは試合の一週間前だった。たったの一週間であのVFをこの海上都市まで運べるわけがない。それに加えて、日本は兵器輸出の審査が厳しい。その審査を簡単にパス出来るはずがない。」
「別の国の研究所を間借りしてるのかもしれないぞ。ここにはたくさん研究施設があるし……。」
「そもそも、どうやって結城の情報を入手したんだ? 簡単に入手できるような情報じゃない。手に入れたとしても、そんな情報を信じて、無名の素人ランナーに高価なVFをプレゼントする組織が存在するのだろうか……。」
聞けば聞くほど諒一の考えは的を射ていると感じられた。しかし、現にアカネスミレは存在しており、ランベルトの話を聞く限り、資金の援助も嘘ではない。
結城はそんなことよりも自分の体の心配をして欲しいと本心では思っていたが、口が裂けてもそんなことは言えなかった。
「諒一はきっちりし過ぎなんだよ。世の中別に分からなくたっていいことはたくさんあるし、知らずにいるほうが円滑に事が進むこともよくあるんだぞ。」
「……そうだな。この事はまた後で考えておく。」
結城の考えを読み取ったのか、諒一はあっさりと引き下がった。
そして諒一は、足元においてあった袋を持ち上げ結城に渡した。それは着替えの入っている袋だった。
「明日は学校がある。これに着替えて早く帰ろう。」
袋の中には制服がきっちりと折り畳められて入っていた。
「もっと着やすい服を持ってくればよかったのに。」
結城は中から制服を取り出し、ベッドの上に置いた。その制服は結城がランナースーツに着替えた際に、ラボに脱ぎ捨ててあったものだった。
「さすがに、留守中の女子寮の部屋には入れないだろう。」
「そうだったな……。」
結城は、当たり前のように諒一を部屋に上げていたため、自分の住んでいる場所が、本来は男子学生の入れない所だということを失念していた。
「その制服、新しいのに替えたんだな。前の制服はダメになっちゃったし。」
諒一は相変わらず企業学校の制服を着ていた。前の制服はリオネルのサインという名の落書きによってひどく汚されてしまったのだ。
しかし、諒一は別に気にしていないようで、むしろそれを喜んでいた。
「お陰で『ラスラファン』のVFフィギュアと交換できた。なんだかんだ言って、クライトマンは有名なチームだな。」
「そうか……。」
結城は、心配して損した気分になった。
諒一の気持ちはともかく、横柄な態度をとったリオネルに腹が立っていたのは事実なので、自分がやったことは無駄ではない……と思い込むことにした。
「着替えが終わったら呼んでくれ。」
諒一は空になった袋を畳むと、それを持って部屋の外に出ていった。
もう帰らなければならないのかと思い、ふと時計を見ると、夜の8時を回っていた。部屋に窓がないので夜になったのだと気付かなかったのだろう。最後にランベルトが部屋を出ていってから6時間も寝ていたことになる。
(明日の準備もあるし……早く着替えるか。)
結城はベッドから降りると、来ていた服の前ひもをほどいた。着物のような簡素な服は、するりと脱げて、結城の足元に落ちた。裸足だったため床が冷たく感じられ、結城はその脱いだ服の上で着替えをすることにした。
結城は制服をシャツ、ズボン、上着の順に着ていき、最後にベッド脇にあったメガネをかけて、着替えを完了させた。
特に必要なものもないので、結城は手ぶらで部屋を後にした。
「着替え終わったぞ。」
「ちょっと待ってくれ。もう少しで手続きが終わる。」
部屋を出てすぐの廊下で、諒一はスタッフとやり取りをしていた。
手続きが終わるとスタッフはその場を去り、諒一が結城のもとへ戻ってきた。
「よし帰ろう。」
諒一がメディカルルームから出ていこうとした所で、結城はいいことを思いついた。
「筋肉痛で動けないから、おんぶしてくれないか?」
そう言って結城はわざとらしく太ももに両手を当てて、その場にうずくまった。
こうすれば楽に帰ることができると思っていたが、結城の思い通りにはならなかった。
「さっき普通に着替えられたじゃないか。」
結城は筋肉痛がほとんど無くなっていることを今更ながら自覚した。
薬で一時的に痛みが引いているのだろうか。どちらにせよ治療の効果があったことに変わりはなかった。
「くそ、現代医学め、なぜここまで進歩した……。」
「結城、マッサージは現代医学とは言わない。」
「ん、マッサージって?」
「……。」
諒一は一瞬だけ動きを止めたが、結城はその微妙な変化を察知することは出来なかった。
「なんでもない。……そんなに辛いのなら車椅子にでも乗るか?」
「分かった。自分で歩く。」
諦めたように言い、結城は結局ひとりで歩くことにした。
スタジアムを出ると、潮風が結城の髪を揺らした。ブラウンの髪は結城の顔面にへばりつき、視界の妨げになった。
結城は髪を手で抑えると、諒一から受け取った髪止めでそれを後ろにまとめた。
「なぁ諒一、次の試合どうしようか。」
「結城の思うとおりにすればいい。」
諒一は特に考える素振りも見せず、すぐに返事をした。
他人に相談したところで最終的に決めるのは自分自身である。諒一のきっぱりした返事にはそんな意味も含まれているような気がした。
「ただ、結城がいなくなれば資金援助の話も無くなって、アール・ブランは解散してしまうだろう。」
「全ては私次第か……。」
「そういうことだ。」
こんなチャンスが再び巡ってくることはない事を結城は十分理解していた。
色々と不安に思うこともあるが、諒一やランベルトがいればどうにかなるだろう。
「どうするつもりなんだ?」
「分かってるくせに。」
普段は不快に感じる潮風も、筋肉痛も、今は心地よく感じられた。
4
結城が女子学生寮に戻ると、予想通り所々でいろんな学生から話しかけられた。
「試合見たぞー。カッケーじゃん。」
「学生でランナーなんてすごいじゃない、応援してるよ。」」
「さ、サイン下さい!!」
見知らぬ女子学生から応援されるのも悪いものではない。力がうまく入らない手で適当なサインを書きながら結城はそう思っていた。
ただ、好意的に話しかけてくる人がいれば、逆の人がいるのも当然のことである。
「リオネル様にあんな事するなんて許せない!!」
「最初の不意打ちなんて卑怯よ。リオネル様の優しさに漬け込むなんて……。」
「リオネル様は女性には優しいの。だからわざと負けたのよ。……女であることに感謝するがいいわ。」
(こんなところにもクライトマンのサポーターがいるとは……。)
リオネルのファンにとって結城は“リオネル様の華やかな開幕試合を穢した悪者”であり、決して“初参加ながらもベテラン相手に健闘した女子学生”と思われることはないだろう。
様々なことを言われながらようやく部屋にたどり着いた結城は、部屋の中に逃げ込んだ。
学生寮の部屋のドアはオートロック式である。そのため、ドアを閉めてしまえば部屋に侵入される心配はない。
ドア越しに女子学生の声が聞こえたが、それほど人数は多くなく、大きな騒ぎにはなっていないようだった。
女子学生のほとんどは1STリーグにしか興味ないミーハーなので、2NDリーグに学校の生徒が出場したことにあまり興味はないようだった。しかも試合結果は“反則負け”なので、実際に試合の映像を見ていない学生は気にしなかっただろう。
結城がドアに耳を当てて外の様子を覗っていると、部屋の中から声が聞こえてきた。
「おかえりー。」
「ただいまー。……って誰だ!?」
反射的にのんきな声で挨拶してしまった結城は、声のした方へ視線を向け、目を凝らした。
結城は、どこかの女子学生が勝手に侵入したのかと身構えたが、声の持ち主の顔を見て、すぐに警戒を解いた。
「ツルカ、何でこんなところに?」
結城はツルカの神出鬼没っぷりに毎度驚かされていた。
ツルカは淡い色のパジャマを着て、リビングのテーブルに座っていた。あまりにも堂々としていたため、結城は部屋を間違えたのではないかと錯覚しそうになった。
また、風呂上りらしく、頭にはタオルを巻いており、かすかに石鹸の香りがしていた。
ツルカはにこやかな表情で結城に話しかけてきた。
「ボクもそろそろ一人暮らししようと思って、寮で暮らすことにしたんだ。」
「いや、それよりも……どうやってここに入った?」
ツルカは結城に訊かれて、テーブルの上に置いてあったカードキーを手に取って見せた。
「これで入った。」
結城が確認したところ、カードキーは本物だった。
(そういや、新品の時はこんな色してたなぁ。)
結城はそれが何を意味するのか、ようやく思い至り、恐る恐るツルカに質問した。
「まさか、この部屋に住むってわけじゃないよな。」
「元々、この寮の部屋は相部屋を想定して造られてるんだろ? 何の問題もないじゃないか。」
結城はツルカに詰め寄って、責め立てる。
「大問題だ。2人で住むとなると色々と不都合が生じるし、大体、私の許可も無しに……」
すると、途端にツルカはしゅんとなり、瞳を潤わせ、上目遣いで結城を見つめた。
「もしかして、……ユウキはボクと一緒の部屋にいるのが嫌なのか?」
風呂上りのためか、ツルカの頬は紅潮しており、それに加えてパジャマと、襟から見える鎖骨が、素晴らしい相乗効果を生み出していた。先程の上目遣いなどと合わせて、合計8コンボといった所だろう。
(勘弁してくれ……。)
ツルカの目の端には涙も浮かんでいたが、明らかにこれは演技だと結城には判断できた。なぜなら喋り方がわざとっぽく思えたからだ。また、この一連の動作を自然にできる女性がこの世にいると結城には思えなかったし、思いたくもなかった。。
自分が男なら断りきれる自信はなかったが、幸いなことに自分は女で、ついでに言うとアブノーマルではなくノーマルである。オルネラとそっくりで可愛い容姿をしているとは言え、誘惑に負けることはありえなかった。
そんな手を使ってまで自分と同じ部屋に住みたいと思うのには余程の理由があるに違いないと思い、結城はとりあえず話を聞いてみることにした。
「何で急に一人暮らししようなんて思ったんだ?」
「こっちにも色々事情があるんだ。」
「別に同じ部屋でなくてもいいじゃないか。女子学生寮なんて腐るほど空き部屋が……」
結城がぶれること無く拒否のスタンスを貫いていると、ツルカが今にも消え入りそうな声で呟いた。
「ユウキしかいないんだ、……頼れる友達が。」
結城がそこまで自分のことを拒否するとは思っていなかったのか、ツルカは精神的に参っているように見えた。
温室育ちのお嬢様が一人暮らしを決心するのには、それなりの勇気が必要だったことだろう。また、年上の女性と混ざって生活するのは、とてもストレスを感じるに違いない。
ここで自分が拒絶してしまえば、本当にツルカは独りぼっちになってしまうのではないかと思い、気付くと首を縦に振っていた。
「わかったわかった。」
「!!」
結城の返事を聞いて、ツルカの表情はみるみるうちに元気を取り戻していった。
「……それに、カードキーを持っているってことは、正式にこの部屋に住むことを許可されたってことだから、どちらにせよ私に拒否権はないな。」
ツルカはVFランナー育成コースにおける客寄せパンダの役割も果たしている。学校をやめさせないためにも、多少のわがままは聞き受けてくれるのだろう。
「ありがとう、ユウキ。……お姉ちゃんの言った通りにしてよかった。」
「お姉ちゃん……?」
「なんでもない、なんでもないよ。」
ツルカは結城から了承の言葉を得ると、イスの隣においていた大きなバッグから何かを取り出し、結城に渡してきた。
「これ、返すぞ。」
結城は受け取った物を10秒ほど眺め、ようやくそれが何なのかを思い出した。
「この前貸してた服か……今の今まで忘れてた。」
それは、ツルカとゲームセンターに行った時に貸していた服だった。きちんと洗濯をしたようで、ジャケットやシャツにはシワが一つも付いておらず、おまけに花の香りまでした。
服を受け取ると、ツルカがそのままこちらに抱きついてきた。
「ユウキ、おめでとう。」
抱きついた瞬間にツルカの頭のタオルが解け、濡れた銀色の髪がそこから飛び出した。
そのせいで石鹸の香りがより一層強まった。
「ちょっとツルカ、痛い痛い……。」
結城は、ツルカに腰をホールドされて背筋や腹筋に鈍痛が走った。筋肉痛のじわじわとした痛みにはなかなか慣れなかった。
ツルカの頭は結城の胸の辺りにあり、結城は改めてツルカの小柄さを実感した。
「初めてあった時からユウキには特別な何かを感じてた。ボクの勘は当たってたんだ。」
抱きついたまま放たれた言葉は、文字通り、結城の胸に直接響いた。
年下に抱きつかれた経験のない結城は、戸惑いながらもツルカの頭を撫でてみる。
「……!?」
しばらく撫でられていたが、急に恥ずかしくなったようで、ツルカはその手を避けるようにして結城から身を引いた。
その恥ずかしさを隠すように、ツルカは結城に手を差し出した。
「これからもよろしく。」
「こちらこそ。」
知らない人とルームメイトになるよりは幾分ましだと思いながら、結城はツルカの手を取って、握手をした。
5
「“勝負に勝って試合に負けた”とは、まさにこの事ですね。」
「ハッチを開けちゃいけないなんてルール知らなかったんだよ。仕方ないだろ。」
「このゲームにはハッチどころか、コックピットも存在していませんから、ユウキが知らないのも無理はないと思います。」
結城は寝室にて、ゲームを通じてセブンと会話していた。
諒一にはすぐに眠るように言われていたのだが、体が疲れていても全く眠くならないので、眠くなるまでセブンとお喋りすることにしたのだ。
ちなみにツルカは別の部屋で既に寝ていた。あちらでは規則正しい生活を送っているようで、22時を過ぎた頃からウトウトし始め、それから30分もしないうちに、ツルカは電池が切れたように深い眠りに落ちたのだ。
リビングに放っておくわけにもいかないので、結城は取り敢えず、空いている部屋の備え付けのベッドにツルカを寝かせ、自分の寝室から持って来たシーツをかぶせていた。
「……でもいいではないですか。誰がどう見ても、あの試合はユウキの勝ちでした。」
「見てたのか。どうせ来ると思ってた。」
どうやらセブンは結城の言う事を聞かないで、スタジアムに観戦しに来たようだった。
「……じゃあ今も海上都市から接続してるのか?」
「それは秘密です。」
“いる”と正直に答えたところで、顔も知らない相手に会うことは不可能である。しかし、それを答えない辺り、セブンが結城と会いたくはないと考えていると予想できた。
「それはそうと、この間は急にログアウトしてしまい、申し訳ありませんでした。」
いきなり謝られて、結城は、自分がお礼を言わねばならないという事を思い出した。
「何を今更……。あの時セブンが対処法を教えてくれてなかったら、リオネルにコテンパンにやられてたぞ。お礼もできないこっちが謝りたいくらいだ。」
「お礼だ何てとんでもない、ユウキのお役に立てて幸いです。」
なぜここまで良くしてくれるのか、結城はふと疑問に思ったが、疲労と眠気のせいで頭がうまく回らなかった。
「今後もこういったことがあれば、気軽に相談してください。」
「助かるよ。」
言い終わると同時に結城は大きなあくびをした。結城は、眠くなるまで時間がかかると思っていたのだが、体は正直で、今すぐにでも休息を必要としているようだった。
「そろそろお休みになってはいかがです?」
結城はセブンの提案を受け入れ、寝ぼけた状態でHMDを取り外してデスクの上においた。
「そうする。……セブンのお陰でぐっすり眠れそうだ。」
HMDを外したせいで結城の声はセブンに届かなかった。
結城はそのまま筐体に身を預けて眠ってしまった。
同時刻、一人の男がシミュレーションゲームを終了させHMDを脱いだ。
そこは海上都市のメインフロートユニットの中央ビル、ダッグゲームズのオフィスにある個室だった。その部屋の窓からは結城が暮らしている女子学生寮が良く見えた。
個室にはゲーム専用の筐体が置かれていた。
薄暗い個室の中で、筐体から発せられる微かな光が、部屋の天井に模様を作っていた。
男は少しウェーブのかかった髪を掻き上げると、疲れた目を擦り、続いて背伸びをした。その際に凝った背骨がポキポキと小気味のいい音を鳴らした。
「自力でランナーになるなんて、……僕が何もしなくても結城君はVFランナーになっていたのかもしれないな。」
男は感慨深く独り言を呟いた。
筐体から出ると、男は部屋の端にある棚に向かった。棚にはコーヒーセットが置かれていて、カップが幾つも並べられていた。
「七宮さん、こんな時間まであの子の相手をしていたのですか。」
いきなり背後から女性の声がして、七宮と呼ばれた男は慌てて振り返った。
振り返ると、部屋の位置口付近に、白衣に白いフードを被った女性が立っていた。暗闇のなかで白い色の服は目立っていた。
おかげで、七宮と呼ばれた男はそれが誰だかすぐに判断することができた。
「あぁ鹿住君か。……ノックくらいしてくれ。」
七宮はその人物を知っているようで、咄嗟に振り上げたコーヒーカップをゆっくりと棚に戻した。そして、部屋の明かりをつけるべく、ドア付近にあるスイッチまで移動した。
歩きながら七宮はきつい口調で注意をする。
「君が男……いや、不審人物だったらこのカップが顔面に命中して泣きながら鼻血を出しているところだったよ。」
「すみません。部屋から物音がしたので気になって……。」
鹿住と呼ばれた女性は、七宮の意図を汲んで、すぐ近くにあったスイッチを押して部屋の明かりをつけた。
すると、七宮と鹿住の姿がはっきりと確認できるようになった。どちらとも外見は東洋人風で、名前からも彼らが日本人であるということが分かった。また、年齢もどちらも同じくらいの20代の前半あたりに見えた。
七宮はコーヒーカップに温かいコーヒーを注ぐと、鹿住に渡した。
「君こそ、夜遅くまでご苦労様。……何をしていたんだい?」
鹿住はカップを両手で受け取り、顔を近づけて香りを嗅いだ。
「データベースで過去のVFBリーグの試合を見ていました。あれはあれで色々と参考になります。……砂糖ください。」
「棚を探せばあると思うよ。僕にもまだ使い勝手がわからないんだ。」
鹿住はコーヒー片手にアンティーク風の棚の引き出しを順番に開けいく。
「……。」
しかし、全ての引き出しをくまなく探しても砂糖は見つからず、鹿住は諦めてブラックのまま飲もうとした。すると、七宮がいたずらっぽく笑いながら、角砂糖の入った小さな陶器を差し出してきた。
わざと知らないふりをして砂糖を隠していた七宮に少しの怒りを感じつつ、鹿住は陶器から3つほど角砂糖を取ってコーヒーの中に入れた。
七宮は鹿住に続いて1つだけ角砂糖を取り、それを口の中に入れた。そして、陶器を棚の上に置くと鹿住に話しかけてきた。
「今日の1STリーグの試合は見たかな?」
「……見ました。敵に完璧にパターンを読まれていましたね。」
「ゲーマーは無意識のうちに同じパターンを繰り返しているから駄目だね。」
「比較実験用のただのゲーマーに期待しても、するだけ損ですよ。」
鹿住はスプーンでコーヒーをかき混ぜ、砂糖を溶かしていた。かき混ぜるたびにスプーンがカップの内側をこすり、風鈴とまではいかないが涼しい音を奏でていた。
「この間の高ランカーが異常に適応能力が高かっただけです。なにせ、あのキルヒアイゼンに勝ってしまったんですから。」
「確かに。……結城君は僕が直々に指導しているから、当然といえば当然だね。」
ようやく砂糖が溶けて、鹿住はコーヒーを一口飲んだ。
「……。」
苦く感じたのか、鹿住は陶器の入れ物から角砂糖を2つほど取り、コーヒーに追加した。
「アール・ブランの件ですが、無駄な出費ではないですか?」
「無駄じゃないよ。それにあれは全部僕のポケットマネーだ。文句は言わせないよ。」
「あんな仰々しい団体を騙って資金援助だなんて、本物に知れたらどう言い訳するつもりなんです?」
七宮はそれを聞いてクスリと笑い、「ありえない」とでも言うように首を横に降った。
「言ってなかったかな、あれは僕が立ち上げた団体だ。連合会なんて名前が付いてるが、実質的に参加している企業は僕の会社だけだよ。」
「それは知りませんでした。」
鹿住はまだ納得いかないようで、資金援助について否定的な態度をとっていた。
「2NDリーグのチームに援助するくらいなら、さっさとスカウトしたほうがいいと思うのですが……。」
七宮は指を左右に振って、鹿住の意見を否定した。
「結城君がアール・ブランのメンバーになってしまったのは完全に想定外の出来事だった。……でも、不本意ながら、ベストな形に収まったと思っているよ。上手く行けば計画していたのよりも大きな効果を得られるかもしれない。」
「七宮さんがこちらに来たのはそれが理由ですか?」
「こっちに来たのは結城君の初試合を見るためだけだ。明日には日本に戻るよ。」
「……もしかして、無断でこの部屋を使ってたんですか!?」
鹿住は思わず大きな声を出してしまった。
誰の許可もなく勝手に機材を使用している七宮は、不法侵入者以外の何者でもない。見つかれば即通報されてしまうだろう。
「コーヒー飲んだから君も共犯だよ。」
七宮はこの事態を深刻に考えていないようで、コーヒーを飲みながらくつろいでいた。
「……。」
鹿住はコーヒーカップと七宮の顔を交互に見て、大きなため息をついた。
七宮はちらりと時計を見ると、ドアを開けて部屋の外に出た。
鹿住はまだ聞きたいことがあったようで、コーヒーカップを棚に戻すと、急いで七宮の後を追った。
暗いオフィスの中で七宮の背中を追いながら、鹿住は小声で話しかけた。
「今まで不思議に思ってたんですが、……どうやってあの子を見つけたんです?」
七宮は背を向けたまま答える。
「結城君は日本のスタジアムで偶然見つけたんだ。別に僕に特別な能力はないよ。」
「なぜその時にスカウトしなかったのですか?早いうちに訓練していれば今頃は……」
「初めからきつい訓練をやらせてしまうとモチベーションも下がるし、身体の成長にも良くない。」
鹿住が言い終わる前に、七宮は説得性のある答えを言った。
「確かにそうですけど……。」
「それに、出会いが悪かったんだよ。ついいつもの癖が出てしまってね。」
「……その癖はなおした方がいいですよ。」
七宮は鹿住の指摘に肩をすくめてみせた。
やがて出口に到達し、七宮はオフィスからビルの廊下に出た。
廊下には警備員が立っており、オフィスから出てきた2人の姿を見ると近づいてきた。
鹿住はきちんと許可を貰っていたため、それを証明するカードを警備員に提示した。一方で七宮は、無断で侵入していたにも関わらず堂々としていた。
いよいよ警備員が目の前に来ると、七宮はあるものをポケットから取り出して警備員に手渡した。
「ご苦労様。」
挨拶と共に警備員に渡したのは分厚い封筒だった。
警備員は素早く封筒を受け取ると隠すように内ポケットに入れた。
「これっきりだぞ。」
警備員はそう言うとそそくさと別のフロアへ行ってしまった。
鹿住はその一連のやりとりを見て、呆れた口調で七宮に確認した。
「これって立派な犯罪ですよね。」
「鹿住君が何も言わなければ大丈夫だ。オーケー?」
「……分かりました。」
鹿住はしぶしぶそれを了承した。
「さて、問題はこれからだ。君の働きと結城君の才能に期待しよう。」
七宮は鹿住の肩をポンと叩くと小走りで中央ビルから出て行った。
鹿住はこんな人物に目を付けられた結城に少しだけ同情していた。
6
翌日、結城は一人で学校に登校していた。
朝起きたとき、結城の部屋には既にツルカの姿はなく、寝室にはツルカのパジャマだけが残っていた。そして結城は着替えるのが面倒だったので、昨日着たままだった制服で学校にいくことにしたのだ。
結城は、今日の朝までツルカと一緒に登校できると思っていた。しかし、コースが違うので始業時間も違うのだろうと考え、諦めることにした。
(二人暮らしか……。部屋が狭くなるな……。)
これを機に、年上として、家事をきちんとしなければならないなと感じていた。何度目の決意だろうかと思い返していると、いきなり後ろから声をかけられた。
「試合すごかったじゃん。応援してるよ。」
結城は見知らぬ学生に声をかけられ、とりあえず笑顔で手を振ってそれに応じる。
学生も手を振り返し、そのまま結城を追い越して行った。
昨日ほどは学生が結城に話しかけてくることはなかった。これは筋肉痛の結城にとってはありがたい事だった。
(やっぱり一日かそこらじゃ治らないか。)
筋肉痛はだいぶ引いたものの、曲げたり動かしたりするたびに痛みがあり、歩き方もどこかぎこちなかった。今日ほど、歩行者用のコンベヤーをありがたいと思った日はないだろう。
だが残念なことにコンベヤーは橋にしか設置されておらず、ビルに入れば再び痛みに堪えながら歩かねばならなかった。
……橋を渡り終えて中央ビルの中に入ると、壁際に封筒が落ちているのを見つけた。落とし物かと思い、結城は壁際まで移動した。
(なんだこれ、封筒?)
中にはなにか入っているらしく、封筒の中央付近が膨れていた。しゃがんで取るのも一苦労だが、重要なものが入っているかもしれないと思い、結城は意を決して封筒を拾い上げた。
(あ、結構重い。)
拾うと、封筒の中には固形物が入っているらしく、ガサガサという音が聞こえた。ここで模範生ならば中身を見ずにビルの管理センターに届けるだろう。しかし、結城は中身が気になり、中を覗いてみた。
(うわ、角砂糖がぎっしり……。)
封筒の中には、飲み物などに入れる角砂糖が入っていた。
見た途端に結城は封筒に興味を失い、元あった場所に置き直した。今まで拾った人間も同じような行動をとったに違いないと、結城は思っていた。
ゆっくりと歩きながら教室に向かっていると、廊下にツルカの姿を見つけることができた。
ツルカは学生に囲まれていたが、困っている様子はなく、ファンの扱いに慣れたようだった。
結城がツルカを見つけてすぐに、ツルカも結城の存在に気付き、学生の包囲網を突破して結城のもとに駆け寄ってきた。
「ほらほらユウキ、こっちじゃないぞ。今日からはあっちだ。」
ツルカは結城の腕を引っ張って、VFマネジメントコースの教室から遠ざけるように、逆方向へ誘導し始めた。
「あっちって……あっちはランナー育成コースが使ってるエリアじゃないか。」
「そうだ。結城は今日からあっちの授業を受けるんだよ。」
「ツルカ、何言って……ああ。」
結城はツルカにぐいぐい引っ張られ、為す術も無くVFランナー育成コースの教室へと連れられていく。
VFランナー育成コースは、新設されたコースであるため、ビル内でも他のコースとは少し離れたエリアにある。
移動の途中、エレベーターに押し込まれたところでようやく結城はまともにツルカと話すことができた。
「待てツルカ、そんな勝手にコースを変更できるわけ無いだろ。」
「ボクもそう思ってたんだけど、学校側が決めたことだから逆らえないぞ。」
またツルカの我儘だと思っていた結城は、学校という単語を耳にして思わず聞き返す。
「ん?学校が?」
「2NDリーグの試合に出た学生が、VFランナー育成コース以外のコースにいたら色々不都合なんだろう。結果オーライというか何というか……。」
よく状況を把握できないでいると、結城の携帯端末にメッセージが届き、それを知らせる電子音が鳴り響いた。
「メッセージだ。誰からだろ。」
こんな時間帯に送ってくる知り合いはいない。嫌な予感を感じつつも結城はそれを見てみることにした。
端末の画面には差出人が表示されており、そこには『ダグラス企業学校学生管理センター』とあった。
「まさか、な。」
結城はおそるおそるメッセージを見る。そして、内容を読んで、自分がどういった状況に陥ったのかをようやく理解した。
「学校でも一緒だな、ユウキ。」
「え、……えー!?」
結城の驚嘆の声は、授業開始のベルの音に掻き消された。
第一部おわり。
ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。
結城は今後、2NDリーグで他のチームと戦っていくことになります。
今後とも宜しくお願いいたします。