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耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
全ての始まり
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【全ての始まり】第四章

 前の話のあらすじ

 オルネラの妹『ツルカ』は、結城がアルザキルを操っていたことを知っていた。しかし、謎が解けることはなく、そのまま結城はツルカを自分の部屋に誘ってしまった。

 その後、結城はツルカとシミュレーションゲームで対戦し、10秒足らずでぼろ負けした。

 自信を失った結城だったが、諒一の励ましを受けて、実際にVFに乗って、自分の資質を確かめてみることを決めた。

第4章


  1


 2NDリーグの弱小チーム、『アール・ブラン』のビル内部。

ラボは他のチームのそれとは違い活気がなく、とても静かだった。使用している機材も古いものが多く、作業している人物も2人しかいなかった。

 一人はランベルトで、淡々と作業を進めていた。もう一人はかなり歳のいった老人男性だった。頬は痩せこけ、作業着から覗く腕はとても細かった。しかし、その動きは洗練されており、そこからは熟練者の雰囲気がにじみ出ていた。

 2人はチームに一体しかないVFを整備していた。VFは横に寝かされていて、体の各部のメンテナンス用のパネルが空いていた。2人は大きな機械は使わず、端末を操作しながら細かい箇所をチェックしているようだった。

 お互いに何も言わず静かに作業を進めていると、急に大きな呼び出し音がラボ内に響いた。2人は作業を中断し、ランベルトは急いで通信機器がある場所に向けて走っていった。

 通信機は入口付近の壁に設置されていた。ランベルトは受話器を手に取り、それを耳にあてた。そしてしばらく黙って話を聞き、10秒ほど経った所でようやく言葉を発した。

「……ああ、それでいい。ランナーがいないから次の試合は棄権するしかないだろ。」

 ランベルトは目を瞑り、眉間にしわを寄せた。通信は社内からのようで、内線を表すマークが通信機器のステータス画面に表示されていた。

「ランナーが見つからないことにはどうしようもない。……手続きはそっちでしておいてくれ。」

 その後、ランベルトは数回ほど生返事をし「頼んだぞ。」という言葉を最後に受話器を通信機器に戻した。

 通信が終わると同時にラボの入口が開き、学生服を身にまとった諒一が入って来た。諒一は入口のすぐそばにランベルトの姿を確認すると会釈をした。

「こんにちは、ランベルトさん。」

 なれた様子で挨拶し、諒一はラボに入室した。

 入口のドアが自動で閉まりかけた頃、遅れて結城がラボの中に入って来た。結城も学生服を着用していたが、諒一と違ってこの場所に慣れてないのか、周りに視線を巡らせていた。

 ランベルトはすぐに重々しい表情を消して、明るい声で2人を迎えた。

「時間通りにきたな。VFのチェック、もう終わるところだから適当に待っててくれ。」

「分かりました。」

 諒一はすたすたと歩いていき、ラボの端の方にある平べったい作業台にバッグを置いた。

 その間、結城はVFを遠くから眺めていた。

 ランベルトは整備作業を再開するべく、早足でVFの元に戻っていった。そして床においた端末を手に取ると、何事もなかったかのようにランベルトと老人は同時に作業を再開した。

 その様子を見ていると結城はいきなり両腕に重みを感じた。

何事かと思い腕を見ると、そこにはHMDがあった。結城はがっちりとそれを握っており、その重さや硬さが手を通して感じられた。家にあるものとは違い、ヘルメットの役割もあるようで、頭全体を覆う形状をしていた。

「向こうのチェックが終わる前に結城も準備を済ませておこう。」

 どうやら諒一に渡され、無意識のうちに受け取っていたらしい。

 とりあえずメガネを外し、その重厚なHMDを被ろうとする。しかし、後ろで括った髪が邪魔になって完全に装着することができなかった。

結城は両手を頭の後ろに回して髪をほどいた。そうすることでようやくHMDを被ることができ、側面を手で押さえて、フィットする位置を探しながら諒一に返事をした。

「準備って……?。」

「これを着てくれ。」

 結城はまたもや諒一から何かを渡された。

見てみると、どうやらランナースーツのようだった。首元から背中にかけては衝撃を吸収するための装置がくっついており、一見すると背骨にも見えた。腰回りや手の甲にも同じく、薄い装甲のような装置がくっついていて、スーツはとても本格的だと言えた。

 本物のVFランナーが着用していても不思議ではないスーツを見て、結城は驚いた。

「これどうしたんだ!?」

「結城のために作った。」

「作ったって……簡単に言うけど、だいぶお金かかったんじゃないか? ただの試し乗りのために、こんな大層な物作らなくてよかったのに……。」。

「材料はほとんどランベルトさんが提供してくれた。ほとんどタダで作ったようなものだから心配しなくていい。」

「それならいいんだけど……。」

 結城は思わぬプレゼントに内心喜びながら、スーツの肩部分を持って目の前で広げた。そうやって自分の顔を隠し、諒一に見えないように歓喜の表情を浮かべた。

「そうだ、これって制服の上から着て問題ない?」

 ランナースーツは腹部にポッカリと穴があいており、上半身と下半身の部分は背骨のようなパーツで繋がっているだけだった。そのため胸部のすぐ下から腹部あたりまで肌が露出する恐れがあった。

お腹丸出しだと恥ずかしいので、何としてもそれを避けたい結城だったが、諒一は結城の提案を却下した。

「駄目だ。ボタンやバックルが衝撃で身体に刺さる危険がある。インナースーツも用意してるし、その上に着用すれば肌もほとんど隠れるから大丈夫だ。」

 直接肌の上にスーツを着るわけではないと分かって結城は安心した。

「そうなのか。……じゃぁどこで着替えようか。」

「更衣室は2階にあったはず。」

 2階と聞いて、結城はそこまでこのスーツを抱えて移動する様子を想像する。こんなスーツを持っていれば、周りの人間の視線を浴びることは確実だろう。しかしこれくらいならまだ問題ではない。

……問題は着替えた後だった。

 学生服でさえ注目を集めるのに、女子学生がランナースーツを着て社内を歩けば、変出者と勘違いされて警備員を呼ばれることは間違いない。

「2階は遠いし面倒だから、……トイレで着替えてくる。」

 結城はスーツを抱えるとトイレに向かった。


  2


(……サイズぴったりだ。) 

 初めての経験に苦戦したものの、なんとか結城はランナースーツを一人で着ることに成功した。ランナースーツは諒一の言ったとおり、結城の身体にぴったりとフィットしていた。それにより全身がスーツによって軽く圧迫されて、身が引き締められていた。

着心地は最高で、何も着ていないのではないかと錯覚するほど身が軽かった。そして普段圧迫されていない場所が圧迫され、それが刺激となり、テンションも少しだけ上昇していた。

 結城は脱ぎ捨てた制服をかき集めるとトイレの個室から出た。そのまま出口へ向かったが、途中で洗面所の鏡に映った自分を見て、思わず立ち止まった。

「……。」

 そして結城はトイレの出口から顔をのぞかせ、廊下の左右を確認した。。

(誰もいないよな……。)

 人がいないことを確認すると鏡の前まで戻り、鏡を体の正面に捉えた。そしてしばらく、結城は鏡を見たまま視線を左右に泳がせて、体をそわそわさせていた。

(こんな感じだったか……?)

 結城は足を肩幅に開き、意を決するといきなり大胆なポーズをとった。ポーズはグラビア誌などで見たアイドルを真似たものだった。ランナースーツとそのポーズは見事なまでにミスマッチしていたが、アリかナシかで言えばアリだった。

「何やってるんだ、私……。」

 結城は一瞬で頭を冷やし、逃げるようにしてトイレを後にした。コスプレイヤーの気持ちが少しだけ分かったような気がした。

 ……すさまじい後悔を味わいつつラボに戻ると、チェックが終了したようで、先程まで寝転がっていたVFが直立していた。

VFを支えているものは何もなく、オートバランサーによって自律で立っていた。

 VFの後頭部には太いケーブルが接続されており、上に向かって伸びていた。ケーブルは天井に設置されている滑車を経由して再び地面に降りていて、大きな機械に接続されていた。

 諒一はランベルトの作業を手伝っており、VFの足元で機材をいじっていた。2人はなにやら話に夢中で、結城がラボに戻ってきたことに気付いていなかった。

 結城は作業台の上に着替えた制服を放り投げた。そして、替わりにHMDを手に取るとVFに向けて歩き始めた。VFに近付くにつれて諒一とランベルトの会話の内容が聞こえてきた。

「よし終わった。早速動かしてみるか。」

「こちらも終わりました。結城も、もうすぐ来ると思います。」

「女の着替えは長いからなぁ。俺の女房もさぁ……。」

「誰の着替えが長いって?」

 結城が声をかけると、諒一はすぐさまコックピットの準備にとりかかった。しかし、ランベルトは何もせず、まじまじと結城の姿を眺めていた。

「なかなか様になってるじゃないか。」

「それって褒めてる?」

「もちろんそうだ。いやぁ、女のランナースーツ姿をお拝める日が来るとはな。」

「あんまり見るなよ……なんか減りそうな気がする。」 

「これ以上減るところなんて……」

 ランベルトが言いかけたところで大きな警告音が鳴り響き、VFがひとりでに動き始めた。VFは膝を曲げてしゃがむと地面に両手を付き、体重をその両腕にかけた。そして足を前に投げ出して座った。

 続けて諒一は、高さ2メートル程の、飛行機に乗り込む際に使用するような短いタラップをVFの股の間に設置した。これで、直接コックピットに辿りつけるようになった。

 諒一は、運搬のためについている車輪をロックすると結城のいる場所まで戻ってきた。

「準備完了。いつでも乗れる。」

「各箇所の説明は乗ってからにするか。まずは、コックピットに入ってくれ。」

「わかった。」 

結城は勢いよくタラップを駆け上がり、コックピットに乗り込んだ。

 コックピットの中は狭く、ゲームセンターにあった筐体とは違って2人以上が入ることのできるスペースはなさそうだった。 今はまだハッチが開いているからそこまで狭くは感じないが、閉じてしまえば閉所恐怖症の人間には耐えられない空間と化すだろう。

 結城の予想に反して内装は至ってシンプルで、機材や計器類が所狭しと並んでいるわけではなかった。これは、外部の情報をすべてHMDを通して得ることができるからだった。

 中に入って色々と観察していると、コックピットの外からランベルトの声が聞こえてきた。「今から起動するから、背中がぴったり付くように座ってくれ。あ、HMDも被っておけよ。」

 結城はすぐにHMDを被り、シートの背もたれにしっかりと背中をつけた。

「準備できた。」

「じゃぁ、起動するぞ。」

 ランベルトの言葉を合図にコックピットのハッチが閉じていき、中は完全な暗闇になった。次にランナースーツの背中にあるパーツがシートと連結し、体が固定された。同時にHMDが起動して周囲の景色がHMDに表示された。そこにはこちらを見上げている諒一やらとランベルトの姿が映し出されていた。

 続いてVFは足を縮めて前傾姿勢をとると、ゆっくりと立ち上がった。結城はVFが勝手に立ち上がる様子をVFの視点から見ていた。だいたいゲームと同じだったが、体が感じている感覚は全く違っており、シートの下から伝わってくる振動や、四方八方から聞こえてくる駆動音に結城はドキドキしていた。

 完全に立ち上がっても振動が止まることはなかった。

「まだ振動してるな。」

「足の裏を固定してるわけじゃないからな。立ってるだけでも多少は揺れるさ。」

 こちらの独り言が聞こえていたらしく、コックピット内に設置されている通信機からランベルトの声が聞こえてきた。しかし、なにか作業をしているらしく、その言葉は片手間に発せられた物だった。

 乗ってからも調整が必要なようで、ランベルトと諒一はVFの近くにある機械に向かっていろいろ忙しそうにしていた。老人はまだタバコを吸っており、遠くを見つめて物思いに耽っているようだった。

 結城はVFを操作できるようになるまで暇なので、作業中だと知りつつも2人に話しかけることにした。

「ところで、このVFってなんて名前だっけ?」

 しばらくしても返事はなく、聞こえていないのかと思って諦めかけた時、ランベルトがそれに答えた。

「個体名はないんだなぁ、これが。」

 ランベルトは苦笑いして話を続ける。

「オリジナルならともかく、寄せ集めのパーツで出来てるVFだからな。せめて特徴くらいあれば名前のつけようがあるんだが……。」

「特徴がないんだったら、特徴をつければいいじゃない。外装くらい統一したのを装備すれば?できないの?」

 結城は至極まっとうな質問を投げかけた。それに対してランベルトはやるせない様子で語り始めた。

「そうもいかないんだ。基本的にウチは貧乏だから、中古のパーツしか買えない。しかも頻繁に交換しないといけないから、外装をアレンジしてる余裕もなければ、アレンジするための費用すら無いわけだ。……カネさえあればもっとかっこよくしてるぞ。」

「よくそんなので今まで2NDリーグに留まっていられたな。」

 結城は素直に思っていることを口にした。結城だけではなく、VFBを見ているものなら誰でもそう思うに違いない。

 話を聞いていた諒一は、アール・ブランが2NDリーグに出場し続けている理由を知っているようで、ランベルトに代わり説明し始めた。

「ランベルトさんは以前、キルヒアイゼンのVF開発チームで働いていた。おかげで色々とコネがあって、有名チームの補欠ランナーを借りてるらしい。」。

 ランベルトは諒一の説明に補足を入れる。

「補欠とは言え、それなりに強いランナーだからな。2NDリーグのランナー程度なら、こんなボロいVFでも勝てるってわけさ。」

「それじゃあ、この間辞めたランナーも有名なチームの……?」

「あれはフリーのランナーだ。最近は貯めていた“貸し”も無くなってきててな、もう有名所は相手にもしてくれないのさ。……さすがに今期は降格するかもしれないな。」

 フリーのランナーにも見捨てられてしまったこのチームに活路はない。そもそも、強いランナーがいてくれたおかげで成り立っていたチームなので、どちらにせよ、降格するのは時間の問題だった。

「でも、降格したとしてもランナーがいないと試合に出られないよね。」

「嬢ちゃんがVFランナーになったらウチに来てくれないか。」

 ランベルトは、それを笑いながら言った。それが、冗談か本気か結城には計りかねた。

「……女の私がランナーになれるわけ無いだろ。」

 そうは言ったものの、結城はどこか嬉しそうな顔をしていた。

 会話が途切れたかと思うと、HMDにVFが起動したことを知らせる文章が表示された。そして、同じ内容のシステム音声がコックピット内に流れた。

「よし、最適化完了。……さて、“VFごっこ”を始めようか。」

 ランベルトの声を聞いて結城は生唾をゴクリと飲んだ。

(いよいよか……。)

本物のVFを操ればVFランナーに近づける。ツルカの言ったことが正しければ、今日の経験は結城にとって大きなプラスになるだろう。また、自分が本当に現実のVFを操れることを確認出来れば自信も増すだろう。

 初めてゲーム内でVFを操作したとき、簡易コントローラーですら結城には難しく感じられた。だが、それから三ヶ月で、現実のVFとほとんど同じ操作方法で違和感無くVFを操作できるようになった。現実世界でそれが通用するか分からないが、自分の適応能力を信じることにした。

「いいか、まずは俺が外部から自動で歩行させる。何も触らずにじっとしててくれ。」

「わかった。」

 結城はすぐにでも動かしたかったが、グッとこらえて指示に従うことにした。

間もなくランベルトがコンソールを操作し、結城の乗ったVFは動き出した。

ランベルトはVFをラボ内の何も置いていない開けた場所に移動させるつもりらしく、その場で方向転換させた。VFは時間をかけてゆっくりと右向け右をして、目的地に向けて歩き始めた。

(揺れがあるだけで基本的にはゲームと変わらないな。)

 ゲーム内の試合において、のんびりと歩き続けることはあまり無い。しかし、最も揺れの少ない動作であるはずなのに、下から突き上げるような振動がしっかりと体に伝わっていた。また、自分自身が移動しているという感覚が新鮮だった。これが歩行ではなく走行したり跳ねたりするとどれほど揺れるのか、結城には想像もできなかった。

 ラボ内の開けたスペースに到着するとVFは停止した。

 結城は動きが止まったのがわかると深呼吸した。そしてHMDの隙間から指を入れて目を擦った。

 ふと壁際に視線を向けると、長椅子に寝転がっている老人男性の姿が見えた。

老人男性は頭の後ろに手を組んであくびをしていた。それに釣られて、結城も大きなあくびをしてしまった。

そのあくびは通信機を通してランベルトに届いた。

「初めてにしては落ち着いてるな。期待してたのと違ってたか?」

「いや、むしろ期待通りすぎていまいち盛り上がらないというか。」

 結城のバイタルサインはとても安定しており、心拍数もほとんど変化していなかった。また、呼吸も乱れておらず、緊張による体温の低下も見られなかった。

「次は表示されてるとおりに操作してくれ。それで歩行できるはずだ。」

 ランベルトの言葉と同時に、HMDに歩行マニュアルとそれに関するヘルプが表示された。結城はそれを見て「待ってました」と呟き、意気込んだ。

 結城は操作方法が同じだと知っていたので、マニュアルは確認する程度に流し読みして、いつもゲームでやっている通りの操作をした。

(……あれ?)

しかし、VFは結城の思うように動作しなかった。

 足は地面に付くまでに細かく揺れて、片足を動かすだけでもかなりの時間を要した。VFは足を前に出しては後ろに戻したり、動作を何回も最初からやり直してた。それは重心をなめらかに移動させる動歩行とは程遠く、ほとんどすり足に近い状態だった。

「歩けてる歩けてる。うまいじゃないか。」

(くっそー……。)

 結城はランベルトが嫌味を言っているのだと思った。しかし、カメラ越しに見えるランベルトは本気で驚いている表情を見せていた。

 結城はそれを見て、ランベルトがお世辞で褒めているわけでは無いと分かった。

 しかし、結城は全く満足していなかった。

ゲームでは箸を扱うよりも簡単にVFを自由自在に操ることができる。キルヒアイゼンのシミュレーターも簡単に動かせたのだから、基本動作に苦労する事はないと結城は思っていたのだが、考えが甘かったようだ。

「難しいな……。ちゃんと入力してるんだけどなぁ。」

 結城が愚痴ると、それをなだめるようにランベルトが返事をした。

「最初はみんなそんなもんだ。VFを自分の手足の延長のように感じられるようになって、ようやく一人前だ。」

「それまでに一体何年かかるやら……。」

「根気よく続けてりゃいつかは出来るようになるさ。」

 長い間、実力のあるランナーを見てきたランベルトの言葉には妙に説得力があった。

「……だいぶ時間も経ったし、とりあえず休憩するか。」

 ランベルトの言葉を聞いて、諒一はコンソールを操作してVFに信号を送った。その信号を受けたVFは自動で戻り地面に腰をおろした。

 動作が完璧に終わると動力が遮断され、コックピットのハッチが開いた。ハッチが開くと同時に結城を固定していた器具のロックが解除され、結城は自由に動けるようになった。

「ふいー。疲れた。」

 結城はコックピットから出ずに、しばらく中で休むことにした。

……すると、いきなりラボの入口付近から大きな怒声が聞こえてきた。

「ランベルト!! オレの開幕試合を棄権するとはどういう事だ!?」

 ラボ内の人間は休憩に入ってすぐだったこともあって、いきなり響いたその声に体をこわばらせた。しかしそれも一瞬のことで、ランベルトはのんきな声でそれに対応した。

「なんだクライトマンの坊ちゃんか。」

 挨拶もなしに怒声を発したのはチーム『クライトマン』のVFランナー、『リオネル・クライトマン』だった。結城はリオネルという名前を知っていた。5年前の日本での試合でキルヒアイゼンと戦い、負けたランナーだ。

 結城はリオネルのことが気になりコックピットのシートから背中を離し、身を乗り出して外の様子を見た。

 眼鏡がないのでよく分からなかったが、すぐに結城はHMDに望遠機能があったことを思い出し、身を乗り出したまま頭にHMDを装着した。それにより、ヘルメット部分に内蔵された望遠レンズを通してリオネルの姿を詳しく見ることができた。

 佇まいから年齢は20辺りだと判断できた。

 背は高く、ブロンドのロングヘアーは手入れが行き届いていて、均一に光を反射していた。それは彼が着ている金色の装飾が施された白地のコートと良く似合っていた。顔立ちは多少面長だったが、雰囲気も相まって、結城は彼から”貴族”という印象を受けた。

 リオネルのすぐ背後にはショートヘアの若い女性が立っていた。その女性はスーツを着ていたが顔立ちが幼く全く似合っていなかった。さらに頭には可愛いリボンの髪留めがついていて、余計に不自然に見えた。

 彼女はリオネルの付添人のようで、背後で微動だにせず、黙って待機していた。

 ランベルトはリオネルに負けないくらい大きな声で来訪者に対抗した。

「どうもこうも、ランナーがいないんだから仕方ねぇだろ。」

「フリーのランナーを雇えばいいだろう。オレの華やかな開幕戦を”不戦勝”という情けない文字で飾るわけにはいかんのでね。」

 リオネルは自分が勝つことを前提に話を続ける。

「ファン達が望んでいるのはただの勝利ではない。相手を圧倒的な強さで負かした上での完璧な勝利なのさ。」

 当たり前のようにそのセリフを言い放ち、リオネルはラボ内にずかずかと入り込んできた。相手の負け方にまで文句をつけるとは、なんとも図々しい輩である。

 ランベルトは相手をするのが面倒なのか、追い払うようなジェスチャーをした。

「うるせぇな。今は忙しいから後にしてくれ。それとも、セキュリティーを呼ばれたいか?」

「呼べばいい。ただの警備員がオレをどうこうできるわけがないけれどな。」

 何を根拠に言っているのか分からないが、無理矢理リオネルを追い出すのは不可能のように思えた。

 結城はリオネルの横暴っぷりに呆れていた。

(早く出ていってくれないかな……。) 

 自分にはどうすることも出来ないと判断し、結城は頭を引っ込めようとした。が、運悪くリオネルと目があってしまった。

「ん?なんだ。ランナーならあそこにいるじゃないか。」

 結城はリオネルに指を差されてしまった。

結城は立派なランナースーツを着ている上に、HMDを被って顔が隠れていたので、リオネルが間違うのも仕方のないことだった。

 ランベルトはリオネルの指した方向を見て言った。

「違う違う。あれはウチのチームのファンだ。ファンサービスってことで試し乗りさせてるんだ。」

 それを聞いた途端、リオネルは鬼のような形相になり、先程よりも大きな怒声をランベルトに浴びせた。

「あんなガキを遊ばせている暇があったらランナーを探せ!オレは絶対に棄権なんて許さないからな。」

 すぐ近くで叫ばれたランベルトは耳に指を突っ込んで鼓膜を保護していた。

「どっちにしろ負けるんだから棄権するのは当然だろ。こっちのVFが壊れるだけ損だ。」

「ランナーの立場になって考えろ!専属のランナーがいないからこういう事になるんだ!」

 リオネルはさらに声を荒らげて言った。リオネルの付添人はラボ内にいる人々と同様にして不安げな表情を浮かべていた。

 結城がただのファンだということが知れて、リオネルの怒りの矛先はランベルトに留まらず、結城にも向けられた。

「そこの素人。VFから出ろ。……変なところをいじって壊れたらどうするんだ。」

 部外者にそんなことを言われる筋合いはないと思い、結城はそれを無視してコックピットに身を引っ込めた。

 結城の態度が気に食わなかったらしく、リオネルは結城に向けて再び呼びかけた。

「早く、今すぐそこから降りろ。VFはランナーしか乗ることが許されない神聖な道具だ。お前のような素人が、ましてや女が入っていい場所じゃない。眺めるだけで我慢していろ。」

 いい加減リオネルの横暴っぷりに頭に来た結城は、コックピットから顔を出した。

「そんなの誰が決めたんだ。誰が乗ったっていいだろ。」

 相手が有名人だろうが結城には関係なかった。チームの責任者のランベルトに許可を貰っているのに、部外者に難癖つけられるのがたまらなく嫌だったのだ。

 リオネルはその言葉に反応してコックピットのすぐ下にまで移動し、結城を睨んだ。結城も負けじと睨み返したが、リオネル程の迫力はなかった。

「……VFを一体作り上げるのにどれだけの金と技術とアイデアと時間と労力が掛かっているか知っているのか? VFは言わば芸術品だ。それに乗るということの意味が分かるか?」

 リオネルはさらに口調を強めて言葉を続ける。

「知識も経験もないお前が操って、このVFが壊れたらどうするつもりなんだ?」

「それは……。」

 睨まれた状態でそんなことを言われ結城はたじろぎ、同時にぞっとした。他のチームのVFになぜここまで必死になっているのだろうか。

リオネルの尋常じゃないVFへの思いに結城は身が引けた。

「お兄様、髪が乱れてます。」

 リオネルは付添人の言葉を聞くと、結城から目をそらした。

「オレとしたことが……、素人相手にみっともない。」

 険悪なムードはすっかり消え去っており、リオネルはただのナルシストに戻った。あのままだと何をされたか分かったものではなく、結城は付添人の女性に感謝した。

「よく見るとかわいい顔してるじゃないか。……キミ、名前は?」

 リオネルはそう言いながらVFの脚部に華麗に飛び乗り、コックピットのすぐ近くまで移動した。そしてそのままハッチに手をかけてコックピットを覗いてきた。

「そんな油臭いVFなんかほっといて、こっちに来たらどうだい? どこかいいところに連れていってあげるよ。」

 そう言ってリオネルは手を差し伸べてきた。

「え?あの……。」

 結城は急な出来事に対応できず、唖然としていた。逃げようにも逃げられず、視線はリオネルの顔に釘付けになっていた。

 差し伸べた手が結城に触れようとしたとき、大きな音を立ててコックピットのハッチが閉まり始めた。リオネルは急いでハッチから手を離し、地面に華麗に降り立った。

 ハッチを操作したのは諒一だった。

 諒一は地面に着地したばかりのリオネルに詰め寄り、胸ぐらをつかんだ。リオネルは特に抵抗することもなく、うっすらと笑みを浮かべていた。

「……。」

諒一は胸ぐらを掴んだものの何も出来ず、次第に手の力をゆるめ、リオネルから手を離した。

「なんだ?サインでも欲しいのか?」

 リオネルは左手の手のひらを上にむけて、横に突き出した。すると付き添いの女性が諒一の後方から歩いてきて、その手に太めの油性ペンを置いた。

 リオネルは諒一の肩に手を載せて、諒一の体を半回転させた。そして、おもむろにその背中にサインし始めた。

「“リオネル”っと……。よかったな、友達に自慢できるぞ、ハハ。」

 そう言うとリオネルは諒一の背中をポンポンと叩いた。そして、使い終わったペンを上に投げた。ペンは綺麗に回転しながら放物線を描き、付添人の女性の手のひらに着地した。

「お兄様、そろそろお時間です。」

 ペンをポケットにしまいながら付添人の女性はリオネルに伝えた。

 リオネルはそれに応じるようにしてラボの出口まで移動した。

「棄権するならそれでいい。だが、メディアにどう言われるか、覚悟はしておくんだな。」

 その言葉を最後に、リオネルはラボから去っていった。

リオネルに続いて付添人の女性も出て行ったが、その際に謝罪するように室内に向けて軽くお辞儀した。チーム側のスタッフもリオネルの性格には手を焼いているようだった。

 事の推移を見守っていたランベルトは諒一に駆け寄った。

「よく耐えたな、リョーイチ。」

 諒一は制服の上着を脱いで、リオネルのサインを指でこすっていた。

「腐ってもリオネルは2NDリーグのVFランナーだ。ケガでもさせたらアール・ブランの責任にされかねない。どれだけ性格が悪くてもランナーとしての実力は本物。……こちらに反論する権利はない。」

「あれだけ傲慢でもスタッフが許しているのは、あいつがいなくなればチームが上手く立ち行かなくなるのを分かっているからなんだろう。」

 リオネルはファンには愛想良く、容姿端麗で、おまけにランナーとしても強い。そのため、2NDリーグに置いては他の追随を許さないほど絶大な人気を誇っている。触らぬ神に祟りなしとはよく言ったもので、正面からリオネルとやり合うのは避けるべきだった。

 しかし、結城は正面からリオネルに立ち向かうつもりでいた。

 結城は内部からハッチを開けて、VFの足を伝って地面に降りた。そして、諒一から制服の上着を奪い広げてみた。そこには、ミミズがのたうちまわった後のような汚い文字が書かれてあった。立った状態でいい加減にサインしたのだから無理もない。

 制服自体は替えがきくが、結城は諒一に屈辱的なことをしたリオネルが許せなかった。

「諒一の制服にこんな事をして……絶対に許さない。」

「結城……。」

「あの野郎に思い知らせてやる。」

 諒一の制服を握ったまま、結城はリオネルの後を追おうとした。しかし、走り出す前に諒一とランベルトによって抑えつけられてしまった。その際に体を触られ、2人の手の感触が直に感じられたが、それが気にならないくらい結城の頭には血が上っていた。

「ユウキ、気持ちを抑えろ。元はといえば棄権しようとした俺が悪いんだ。リオネルも悪いが、俺にも責任はある。」

 ランベルトは結城の腕をつかんだまま話を続ける。

「もっとランナーに対して真剣に考えるべきだった。VFではなくランナーの能力に頼り切っていたツケが回ってきたんだ……。」

 それを聞いて、結城の体から力が抜けた。それが分かると2人も結城から手を離した。

「……。」

結城は2人に背を向けたまま、いかにしてあのリオネルに恨みを晴らすか、その方法を考えていた。

受けた屈辱をそのまま相手に返すのがもっとも良い方法だと思い、同じように背中に落書きをしようかと一瞬だけ考えたが、それでは仕返しになっても恨みを晴らすには不十分だと思い、却下した。

 恨みを晴らすにはどうすればいいか、つまるところ、答えは一つしか無かった。

「次の試合、私がアール・ブランのランナーになってリオネルを殴る。」

 格下だと思っている素人に倒されたら、リオネルのプライドはズタズタになるだろう。

自分にリオネルを倒すことは出来ないが、一撃でもダメージを与えることが出来れば、それでも十分効果はあると考えていた。また、素人相手だとリオネルも油断するだろうし、操作がおぼつかなくても一太刀くらいは相手に当たると思っていた。

 結城の言葉を聞いたランベルトは、それがどれだけ無謀なのかを説明し始めた。

「確かに嬢ちゃんは筋がいいが、VFBで戦うとなると話は別だ。5THリーグ……いや、せめて4THリーグで数年間経験を積まないとダメだ。いきなりリオネルと戦っても勝ち目はないぞ。」

「ランベルトさんの言う通りだ。何事にも順序というものがある。」

 諒一もランベルトに同調して結城を説得した。

 結城は2人の説得に応じることはなく、VFのコックピットに戻っていった。そして腕を組んで口をへの字に曲げた。

「駄目だこりゃ。完全に頭に血が上ってるな。……言う通りにしないとこのままVFで直接殴り込みに行くかもしれないな。」

 結城の決意は固く、認めてもらえるまでここから動かないつもりだった。

「これも、いいきっかけだ。何、死にはしないだろ。」

 その決意が伝わったのか、ランベルトはあっさり了承した。

「ここで試合に出ないとクライトマンからどんな嫌がらせを受けるかわからない。……バイト代はちゃんと払うし、一応試合に出られるんだから悪い話じゃないだろ。」

「ランベルトさん、それは……。」

 気楽に話すランベルトの声に混じって諒一の不安げな声が聞こえてきた。

これで、結城のVFランナーになるという夢が達成されることになるのだが、結城はまだVFランナーになるという自覚を持っておらず、ただ、リオネルに仕返しするための手段としてVFを使うという感覚しか持っていなかった。

 その気になったランベルトと結城は、早速今後の予定を相談し始めた。

「次の試合まで1週間ある。それまでに基本動作と、守る訓練をしないとな。」

「防御はいい。」

「違う違う。嬢ちゃんの命を守るための訓練だ。コックピット壊されたら死ぬぞ。今のVFBでは滅多なことじゃコックピットは壊されないが、相手が相手だからな。」

「毎年死人こそ出てないけれど、後遺症が残るような怪我をしてる人は大勢いる。嫌でもやっておいたほうがいい。」

 諒一は本気で結城の事を心配しているようで、必至に訴えていた。

 結城はそれを聞いて首を縦に振った。

「諒一がそこまで言うなら……わかった。」

「さて、防御の前に基本動作をできるようにしておかないと、このままじゃ武器すら持てないぞ。」

「休んでる時間はなさそうだな。」

 平日に学校があることを考えると、休日である今日中にできるだけのことをしておく必要があった。

「歩行は後回しにして、先に腕の動作をやってみるか。」

 通信機越しに聞こえる声に従って、結城はハッチを開けたまま腕を動かしてみた。

 肘を曲げ、脇を少し開けて手首を捻ったり、回したりと、歩行に比べてうまくいっていた。ただ、その動作は非常にゆっくりだった。たまに止まっては思い出したように動き、そしてまた止まるということを繰り返していた。

「ある程度の制御はAIが勝手にやってくれるが、それを使えるのもせいぜい3RDリーグくらいまでだ。リオネルとまともに戦うつもりならAIなしでも自由に動かせるようにならないといけないぞ。」

 ゲーム内でもその機能はあったが、結城は一度もそれに頼ったことがなかった。大会によっては使用制限があるため、それならば最初から使わないほうがいいと判断したからだった。

 しかし、実際の試合では特に禁止されてはいないはずだった。

「どういう事だ?補助機能を使ったほうが操作が楽になって反応も早くなると思うぞ。」

「オートバランサーは重心も安定して、格闘攻撃も射撃攻撃も行いやすい。だがそれが弱点になる。常に安定した姿勢をとろうとするから、それだけ動きが予測されやすいわけだ。攻撃予知や回避プログラムもあることにはあるが、その動きに耐えられる人間がこの世に存在しないのが実状だな。」

 慣れないうちは操縦者を助けてくれるが、慣れてくると邪魔になる。補助AIは言わば自転車の補助輪のようなものである。

(もしかして……。)

その話を聞いて結城は試しに補助AIの機能を停止させた。

 すると、今までの動きが嘘だったかのように、腕がなめらかに動き始めた。そして、近くに置いてあった装甲の一部を難なく掴むと両手を使って体の前でキャッチボールし始めた。

 結城はついでにAIによる補助機能を全て停止させた。すると、VFの不自然なブレがなくなり、さらに動きが自然なものになった。

それを目の当たりにして、ランベルトと諒一の2名は狐につままれたような顔をしていた。「おい嬢ちゃん!! ……いったい何が起こってるんだ!?」

 ランベルトはかなり動揺していたが、諒一は事態が把握できているようで、状況を分析し始めた。

「余計な機能をカットしたのか……。結城の操作がマニュアルの手順通りじゃないからAIが誤操作だと勘違いし、勝手に信号を遮断してたんだ。今、結城の操作に干渉しているものは何も無い。これが結城の本来の実力だ。」

「心配して損した。……いつもの感覚が戻ってきた。」

 結城の操るVFは装甲の一部を弄びながら、立ち上がり、広いスペースに向けて歩き始めた。左右の足はテンポよく交差し、躓くこと無く歩いていた。

「……本当にVFを操るのは初めてなのか。最初はサポートAIを使っても歩くのがやっとなのに……。操作はどこで覚えたんだ?」

「ゲームで。」

 結城はやっと言うことを聞くようになったVFを操作するのに集中しており、ランベルトの質問に短い言葉で答えた。

 その後も、結城の操るVFは命を吹き込まれたかのように右へ左へ忙しなく動いていた。通信機からは絶え間なく結城の喜びと興奮が混ざったような声が聞こえてきていた。

 その声を聞きつつ、ランベルトはタバコを咥え、火を着けた。

「もしかすると、とんでもない拾い物をしたかもしれないな。」

それから結城は帰りの最終便が出る直前までVFを操作して遊んでいた。


 3


 次の日、結城は中央ビル内にあるカフェで昼食をとっていた。カフェは企業学校があるエリ

アに隣接しており、食堂に行く感覚で店に入ることができた。

 店内の外側の壁はガラスで覆われており、日の光が直接室内に届いていた。そのため、結城

は屋外のオープン席にいるのとほぼ同じ感覚を肌で感じていた。

 結城は4人掛けの丸テーブルに一人で座っていた。

大きな皿の上には8ピースにカットされたミートパイが積まれており、カロリー換算すると成人女性の一日に必要なカロリー量に相当していた。

 黙々とそれを食べていると、結城は突然、何者かに話しかけられた。

「ここ空いてる?」

「空いふぇるよ。」

 結城は口に物を入れたまま返事をした。

 カフェ内はガラガラで開いている席もあったのになぜここに座るのか、結城は多少の疑問を感じたが、別に大した問題ではないので深く考えるのをやめた。

 学生の大半は昼食をスナックや菓子パンなどの軽い物で済ませるので、わざわざ昼間にカフェで食事をする学生は少なかった。

結城はよく朝食を抜くので、エネルギー補給も兼ねてしっかりとした昼食を取らねばならなかった。そのため、頻繁にこのカフェに来ていたのだ。

 話しかけてきた人物は椅子に座り、持っていたタンブラーをテーブルの上に置いた。ここでようやく結城はミートパイから目を離し、相手の顔を見た。

「……なんだ、ツルカか。」

 結城の隣に座ったのはツルカだった。ゲームセンターで別れてから一度も連絡をとっておらず、ツルカと会うのはこれで3回目だった。

「すっごい眠そうだな。目の下の隈、すごいことになってるぞ。」

 たったの3回目だというのに、ツルカは旧来の仲であるかのように馴れ馴れしく接してきた。

「これいただきー。」

 ツルカは結城の皿からミートパイを奪い、口の中に入れた。

そして結城が何かを言う前にろくに咀嚼もせずに飲み込んだ。

「あ……。」

 結城はツルカを咎める気力も無いようで、残ったパイをフォークで突き刺し、これ以上ツルカに取られないようにした。奪われる心配がなくなると、結城はツルカに伝えなければならないことがあることを思い出した。

「昨日、本物のVFに乗ってみたんだよ。……やっぱり本物はすごいな。」

 結城は先日乗ったVFの感覚を思い起こしながらツルカに言った。

 それを聞いてツルカは眉をひそめた。

「ユウキ、もしかして寝ぼけてるのか。夢のなかで乗った、とかじゃないよな?」

 半分は心配していたが、もう半分は馬鹿にしているような感じだった。結城は力なく首を左右に振りそれを否定すると、詳しく説明することにした。

「諒一がアール・ブランの責任者の知り合いらしくて、それで試し乗りさせてくれたんだ。」

「アール・ブラン……?」

 ツルカはアール・ブランの名前を聞き、首をかしげた。

「そんなチーム、2NDリーグにあったか?」

 ツルカは思い出すべく視線を泳がせたが、なかなか思い出せず、「んー」と唸りながら手を頭の後ろで組んだ。

「それじゃあランベルトは知ってるか? そのチームの責任者らしいんだけど。」

 それを聞いて合点がいったらしく、ツルカは頭の後ろで組んでいた手をテーブルに載せた。

「あぁ、あいつか。ついこの間もランナーを借りに来てた。あと、イクセルと仲よさそうに話してたぞ。」

「へぇ、そうだったのか。」

 結城は最後のパイのピースを食べ終わると、グラスから水を一口だけ飲んだ。

「ところで、ツルカはなんでこんなところにいるんだ。」

 ツルカは特に飲み物や食べ物を注文する様子はなかった。

「教室にいるとそれだけで疲れるんだ。別のクラスからも野次馬が集まってくるし……。」

 どうやら、VFファンの学生から逃げてきたようだった。一度はそんなことを経験してみたいと思った結城だったが、ツルカの疲れた様子を見てその考えはすぐに消え去った。

「時間が立って、みんながツルカに慣れれば、そういうのも減っていくだろ。」

「そうだといいんだけどな……。それはともかく、VFはうまく操れたんだろ?」

「まあね。」

 結城はグラスの縁に唇をつけたまま、短く得意げに答えた。

「ホントに、日本に住んでなければ、今頃、女性VFランナーとして活躍してたかもな。」

「VFに興味を持ったのは諒一のお陰だから、日本にいなかったらVFBの存在すら知らずに普通の人生を過ごしてたと思うよ。」

 興味を持つきっかけを作ってくれたのは諒一だったが、ランナーになるきっかけを作ったのはあの性格のひねくれた青年だった。5年前の駅のホームでは「ランナーになれるわけがない」、「才能がない」と言われたが、そうでは無かったことを5年越しに証明できたので、結城はそれを喜ばしく思っていた。

 あとはあのリオネルとかいう自己中ランナーに仕返しすれば、心のつっかえが完璧に取れるはずだった。対戦相手が自分だと知った時、リオネルがどう反応するのかが楽しみだった。

 食事を終えた結城は、そのままカフェで適当に時間を潰すつもりだったが、ツルカはそうもいかないようで時計を気にしながら席を立った。

「もう行くのか。授業始まるまでまだ40分もあるぞ。」

「午後からは別のフロートで実習なんだ。特待生だから実演しないといけないし、みんなより早めに行かないといけないのさ。」

「大変そうだな。」

 結城もそこそこ悩みはあるが、ツルカと比べれば小さなものだった。自分よりも年上の人間が学生の大半を占めているため、学校という場所に慣れるのにも時間がかかるのだろう。

「ユウキもこっちのコースに来ればいいのに。ボクみたいに特待生になれば今までと変わらず給料ももらえるし、VFランナーにより近づけると思うぞ。」

「考えとく。」

 結城がそう言うとツルカは大きく手を振りながらカフェから出て行った。

(結局、リオネルと試合することは言えなかったな。)

 結城は足を前方にピンと伸ばし、腰を前にずらして楽な姿勢になった。その際に仕事帰りのおっさんがするようなため息を漏らしてしまい、慌てて咳払いしてそれをごまかした。

 そして、グラスの内側に残った水滴が乾くまで、数日後に行われる試合について考えを巡らせていた。


 4


 全ての授業が終わり、部屋に帰ると、結城は早速シミュレーションゲームでリオネルの戦闘AIと試しに戦ってみることにした。

ダークガルムの件に関してはまだよくわからない点が多くログインするのは不安だったが、リオネルに一撃当てるためにも、シミュレーションをしておく必要があると考えていた。

 結城はかばんを玄関に置き、スリッパに履き替え、髪をほどき堅苦しい上着をリビングで脱ぎ捨て、寝室に入り、ゲームを起動させた。

 ゲームが立ち上がると、結城がログインするのを待ち構えていたかのようにメッセージが届いた。新着メッセージの他にもメッセージは合計で5つほどあり、そのどれもがセブンからのメッセージだった。

 結城はまず新しく届いたメッセージの中を見ることにした。しかし、メッセージを開く前に、セブン本人のアバターが結城の前に現れ、メッセージと同じ内容のセリフを口にした。

「ユウキ、お久し振りです。……心配したんですよ?」

 セブンの口調は穏やかだったが、少しだけ早口になっていた。

「ごめん。いろいろ忙しくて。」

「元気が無いようですけれど、何かあったのですか?」

 たったの一言だけで自分の精神状態を見抜かれ、結城はセブンの観察力に脱帽した。

セブンとは付き合いも長くこれまで色々な相談をしていたため、結城は今回もリオネルの件について話すことにした。また、セブンはいろいろとランナーに詳しいため、なにかアドバイスを貰えるのではないかと密かに期待していた。

「実は、……リオネルと戦うことになった。」

「リオネルと言いますと、確か2NDリーグのクライトマンのVFランナーでしたよね。リオネルがどうかしたのですか?」

 セブンが理解していなかったので、結城はもう一度言い直す。

「いや、だから、そのリオネルと2NDリーグで戦うことになったんだ。」

「また限定イベント試合に当選したのですか、ユウキは運がいいですね。」

 わざととぼけているふりをしているのではないかと結城は疑ったが、セブンが理解するまで同じことを言い続けるつもりだった。

「アール・ブランの臨時ランナーとして試合に出て、リオネルと試合することになったんだ。」

 3回目にして、ようやくセブンは結城の話を理解したらしく、「そういうことでしたか。」と小さく呟いた。

「……おめでとうございます。夢が叶ったじゃありませんか。ユウキが勝てるように応援させていただきます。」

 セブンは特に驚いた様子も見せず、穏やかな口調で結城を祝福した。結城にとってランナーになることは嬉しいことのはずなのだが、リオネルに仕返しをするという目的があるため、素直に喜べないでいた。

 結城はセブンの素朴な反応を見て正直な気持ちを述べる。

「もっと驚くかと思ってた。」

「いえ、ユウキが海上都市に引っ越すと言い出してから、いつかはこうなるのではないかと思

っていました。これでも、予想より早くてびっくりしているのですよ。」

「VFランナーになりたいって夢、とっくにバレてたんだな。」

「ええ。」

 最初の一言で悩みがあることを見抜かれたのだから、バレていても不思議ではないと結城は思った。

「……ということは、もうVFには実際に乗ってみたのですか?」

 セブンは結城がリオネルと対決することになった経緯を聞くこと無く、VFについて質問してきた。事情を説明しようかどうか悩んでいた結城は、しなくて済んで安心していた。

「予想以上に上手く操れた。セブンも私よりうまいんだから、簡単にVFを操作できるんじゃないか?」

「フフ、……歳も30を過ぎていますし、体も弱いので無理ですよ。」

 結城の言葉をあっさりと否定したセブンだったが、ゲームの上手い結城が実際に上手く操作できたということを考えると、セブンがVFを簡単に操作できる可能性はかなり高いはずだった。

 その話題を避けるようにして、セブンはVFBの公式サイトから持ってきた試合スケジュールを結城に見せて言った。

「試合は何時でしょうか。ユウキの初試合、ぜひ生で観戦したいです。」

 セブンが共有表示させたスケジュール表のすぐ横には、海上都市行きの便の時刻表も表示されており、セブンが本気で試合を見に来るつもりだということが分かった。

「見に来なくてもいいよ。どうせ負けるだろうし。」

「記念すべき試合なんですから、是非ともこの目で見ておきたいのです。」

 セブンの気持ちは結城にとってうれしいものであった。しかし、実際に会いたくはなかった。結城にとってのセブンはゲームの中にしか存在しておらず、リアルのセブンを知ってしまうと、今までの関係が崩れてしまうのではないかと考え、それを恐れていた。

 セブンの好意を無下にするのは心が傷んだが、それだけは譲れなかった。

「体も弱いんだから来なくていいって。試合の映像はあとでも見れるんだし。」

「そうですか……。ユウキがそう言うのならば……。」

 セブンは食い下がること無く結城に従った。

「それよりも、聞きたいことがあるんだけど……」

「リオネルのことについてでしょうか? ……残念ながらリオネルの戦闘AIはありません。」

「そうなのか。」

「……しかし、クライトマンのVFの性能や特性から、だいたいどのような戦法を取るか、予想することは出来ます。詰まるところ、戦法などというものは、どれだけ効率的に兵装を用いて相手にダメージを与えることができるか、それを突き詰めた物ですから。」

 いつも直感的に闘っている結城はセブンの言うことがよくわからなかった。

 それがセブンに伝わったらしく、セブンは謝罪のモーションを繰り返していた。

「説明下手ですみません。武器によって戦い方のパターンはほぼ決まっていて、それを知れば戦いを有利にすすめることができる、と言いたかったのです。」

「なんだ、そんなことか。それなら散々セブンとやってきたじゃないか。」

 ゲームを始めた当初、結城は自分に合う武器を模索するため様々な種類の武器を試し、セブンはそれに付き合ってくれた。結局、結城は自分にあった武器を見つけることが出来ず、いまだにいろいろな武器をローテーションで使用している。

 多くの種類の武器を使用している結城は、その対処法を完璧に把握しているつもりだった。

「ユウキは、ゲームと違って現実での操作には慣れていないのでしょう? そうなると動作も鈍くなりますから、比較的ゆっくりとした動作でも完璧に対処できる方法を知っていて損はないと思います。」

「確かにそうだな……。」

 結城はセブンの言葉に納得し、言う事を素直に聞くことにした。

こういう時にセブンが言ったことはだいたい正しく、何回もそれを経験していたため、VFに関することなら素直に従ったほうがいいことを結城は知っていた。

「とりあえずリオネルを再現してみます。久し振りに一戦しませんか?」

「よろしく頼む。」


  5


 セブンと練習を初めて3時間後、ランスの対処法を覚えた結城は、盾をどうやって攻略するかを考えていた。

「盾は厄介ですね。突進の時にも頭部を完璧に防御できますし。」

 結城は5年前に日本で見た試合でのクリュントスの動きを思い起こしていた。

あの時、クリュントスは近接で不利な槍で反撃し、その結果、ファスナに隙を突かれて腕をもがれてしまった。もしあのまま盾で攻撃を防ぎ、距離をとっていれば試合はもっと長引いていたに違いない。

「攻撃し続けて相手のミスを待つのが現実的かな。」

「……そのようですね。しかし、盾にもカメラが付いて視界が盾に遮られることがありませんから、滅多なことではミスをしないでしょう。」

 ……2人で悩んでいると、結城の部屋のインターホンが鳴った。

「誰か来た。ちょっと待ってて。」

 結城はセブンに待つように言うと、急いで机の上からメガネを取り、玄関へ向かった。

 こんな時間に来るのは寮の管理人か諒一くらいである。なにか急ぎの用事でもあるのかなと思いながら結城はドアを開けた。

 それと同時に聞き覚えのある幼い声が聞こえてきた。

「こんばんは。」

 ドアの先にいたのは管理人でも諒一でもなければ学生でもなかった。

「2日前はご迷惑をおかけしました。改めまして自己紹介させていただきます。わたしはリオネルのマネージャーの『リュリュ・クライトマン』です。」

 そこにいたのはアール・ブランのラボ内で、リオネルの背後にいた女性だった。

 リュリュと言う名の女性は、その雰囲気から結城と同年代だと思われた。しかし、年齢の割に顔が幼く、その上かわいいリボンを付けていることも相まって、中学生か、下手をすれば小学生にも見えた。かと言って少女特有の雰囲気はなく、大人ぶっている少女とも言い難く、その丁寧な口調からも“女性”と形容するのが適切だった。

 結城は、名前について気になることがあったので、挨拶もそこそこに質問した。

「クライトマンってことはやっぱり親戚か何か?」

「はい。……といいますか、リオネルの妹です。」

「えぇ!?」

 妹と聞いて驚いたが、兄妹と言われれば兄妹に見えなくもなかった。瞳の色や髪の色など共通点が多々見られ、リオネルのことを「お兄様」と呼んでいたことから、結城はリュリュがリオネルの妹であることに納得した。

「本日、タカノ様がアール・ブランのランナーとしてクライトマンとの試合に出場されると知り、試合に関してお願いがあって来ました。」

(この間のことを謝罪しに来たってわけじゃないのか。)

 謝るためだけに来るのなら、こんな夜中に直接クライトマンのスタッフが来るわけがない。結城は何をお願いされるか想像もつかなかった。

「どうか次の試合では棄権をするか、そうでなければすぐにリタイアして欲しいのです。」

 それは、散々試合に出ろと言っていたリオネルと全く反対の意見だった。

「なんでまたそんなことを……。素人がプロに勝てるわけないんだし、頼まれなくたってどうせ負けるよ。」

 結城は話は終わったと言わんばかりにドアを閉めようとしたが、リュリュはドアを押さえてそれを防いだ。しかし、力が足らずリュリュはドアにズルズルと引きずられてしまった。そんな必死に踏ん張るリュリュの表情を見て、結城はドアノブから手を離した。

 リュリュは再びドアを閉められることの無いように、ドアを大きく開き、結城の手がドアノブに届かないようにした。

「知っての通り、お兄様は度を越すことが良くあります。勝敗が決まっていても危険な場所を攻撃することも珍しくありません。」

「危険な場所……コックピットとか?」

「そうです。プロ同士ならまだしも、タカノ様は素人なので、下手をすれば命に関わる事態になりかねないのです。ですから、そうなる前にタカノ様にはリタイアして欲しいのです。」

 なんとも一方的なお願いである。あまりの自分勝手さに結城は不快感を覚えた。

「じゃあ、そっちが棄権すればいいじゃないか。」

 結城の挑発的なセリフにリュリュは一瞬だけ怒りの表情を見せた。しかし、すぐに平静を取り戻した。

「……わたしにタカノ様を止める権利はありません。しかし、死ぬかもしれないということは覚えておいてください。」

 脅しとも聞いて取れるセリフを吐くと、リュリュはあっさりと引き下がり、ドアを閉める事無く玄関から去っていった。

 


寝室に戻ると、結城は筐体に座って一息ついた。そして脅されたことをセブンに悟られないように、元気な声で話した。

「ただいまー。待たせてごめん。」

 しかし、そこにセブンの姿はなかった。練習用のフィールドには結城のVFだけがぽつんと立っていた。チャットルームに移動しているわけでもないようで、一通のボイスメッセージだけが残されていた。

(あっちも急用か……?)

 メッセージを開くと、“ピッ”という電子音を合図にセブンの声が流れ始めた。

<ユウキ、すみません。こちらにも来客の予定があることをすっかり忘れていました。かなり長引くと思いますので、本日はこのままゲームを終了させていただきます。……もう時間がないのでお別れの挨拶はこれくらいにしておきます。それでは。>

 そこでメッセージは終了していた。

 結城はボイスメッセージを閉じると、ゲームを終了させた。久し振りにゲームをしたので、まだ日付も変わっていないというのに目が乾燥して疲れていた。

「寝るか……。」

 結城はのっそりとベットまで移動し、制服のまま寝そべった。いつもならば服が窮屈で眠れないのだが、この日はなぜかすぐに深い眠りに落ちた。

 ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。

 次の話では、いよいよ結城とリオネルが対決します。デビュー戦で結城は成果をあげることができるのでしょうか。

 今後とも宜しくお願いいたします。

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