【終焉を越えて】第二章
前の話のあらすじ
七宮が騒ぎの首謀者だということに気づき、それを止めるべく七宮に勝負を挑んだ結城だったが、高性能なフレームと強力な武器の前に全く歯が立たず、呆気無く敗北してしまう。
その間、ドギィは見事にローランドを倒して、槻矢の操るエルマーに連れられて海上アリーナへと向かう。
リオネルはミリアストラの電磁レールガンの狙撃に立ち往生してしまい、アザムは後輩だったジンと対峙することとなった。
第二章
1
――この階段は一体どこまで続くのだろうか。
降りれど降りれど出口が見えない。いつもリフトでハンガーから海上アリーナまで移動していたので、この施設にこれほどの高低差があるとは思ってもいなかった。
(階数も書いてないし……。)
七宮に負けた後に海上アリーナから脱出できたはいいものの、結城は終わりの見えない階段をひたすら下へむけて降りていた。
諒一から連絡があってからもう10分は経つ。すぐにでも2NDリーグフロートユニットのラボに向かいたいのに、これではまだまだ時間がかかりそうだ。
もしかして、出口を通り過ぎたのではないだろうか。結構下まで降りたような気もするし、無駄に海底に向かって降りている可能性もある。
そんな心配をしていると、ようやく緑色の非常灯の明かりが見えてきた。
(やっと出口か……。もっと案内板とか印とか設置しとけよな。)
結城は不満に思いつつも階段を2段飛ばしで駆け下りていく。
そして、出口の扉までたどり着くと内側からロックを解除し、扉の向こうへ出た。
そこはどうやら施設内の通路らしく、非常階段と同じく薄緑色の明かりで照らされていた。その明かりはラインとなって通路の方向を示しており、暗いが問題なく歩けそうだった。
「……。」
しかし、それを心許なく思った結城は携帯端末を掲げ、ライト機能を使う。
その途端に白くて明るい光が通路を照らし、先ほどまで見えなかった通路番号を浮かび上がらせた。
「海上1階……やっぱりここで合ってたのか。」
かなり降りた気もしたが、この出口で間違いなかったようだ。
結城は改めて携帯端末の光を前方に向けると、同じ階にある船着場に向けて移動することにした。
「こっちだったかな……」
しかし進むべき方向が分からず、最初の曲がり角で立ち尽くしてしまう。……かと言って無闇矢鱈に通路を歩きまわって迷子になることだけは避けたかった。
結城は実はあまりこの区画には慣れていない。施設内で移動するとしてもせいぜいハンガー周辺だけだったからだ。
(多分、中心に向かって行けばいいと思うんだけど……)
通路で立ち止まって悩んでいると、不意にこちらに近付いて来る足音が聞こえてきた。
それは迷うことなく私に向かっており、すぐに声も届いてきた。
「嬢ちゃん!! 無事かー!?」
「タカノ様、返事をしてください。」
聞こえてきたのは掠れた男の声と、妙に落ち着いた少女の声だ。
結城は警戒することなくその2つの声の発生源にむけて携帯端末の光を向ける。すると、すぐにその人達の姿を見ることができた。
彼らの手には私の携帯端末よりも強い光を放つ懐中電灯が握られており、こちらが光を向けると同時に彼らも私の顔にそれを向けてきた。
「おう、無事だったか嬢ちゃん。」
光が眩しくて思わず顔を背けてしまったが、声だけで彼らの名前は分かっていた。
「ランベルトにリュリュ、迎えに来てくれたのか。」
「はい、辛うじて残っていたライブカメラで戦闘を拝見していたのですが、タカノ様がスタッフ用の非常扉に入っていくのが見えましたのでここまで迎えに来たわけです。」
そう説明しながらリュリュは新しく取り出した懐中電灯を私に差し出してきた。
それを見て自分の携帯端末を懐にしまい、懐中電灯を受け取ったが、結城は特に喋ることなくその場を離れる。
迎えに来てくれたのは有難いが、生憎無駄にお喋りしている暇はないのだ。
「見ての通り私は怪我もないし大丈夫だ。それじゃ……。」
脱出用の小型艇を探すべく船着場に向かおうとすると、ランベルトが私の進路に入り込んできた。そして焦った口調で質問してくる。
「ちょっと、どこ行くんだ嬢ちゃん。」
「船に乗って2NDリーグのフロートまで行くんだ。」
端的に答え、結城はランベルトの横をすり抜けて進んでいく。
するとランベルトはこちらの後について更に事情を訊いてきた。
「それより上にいるリアトリスはどうなってるんだ。アカネスミレぶっ壊れたんだろ?」
「平気だ。今はツルカが戦ってくれてる……。じゃ、急ぐから。」
実際は平気ではない。だからこそ急がねばならない。
これ以上ランベルトに話すことはないと思い走りだした結城だったが、ランベルトは並走してしつこく質問を繰り返す。
「まてまて、2NDリーグフロートで何するつもりだ?」
「諒一に会いに行くんだ。そこでVFを準備してるって言ってた。」
諒一のことを口に出すと、ランベルトの口調が少しだけ和らいだ。
「リョーイチか……無事でよかったな。」
それは、本心からの言葉のようで、私への気遣いの念も感じられた。
そんな言葉に「うん」とだけ応えると、やがて広い通路に出た。
よく見るとそこは船着場に通じる道らしく、近くの壁にはドック番号を示すパネルが貼り付けられていた。
結城はそれを見て更にスピードを上げ、そこからすぐに船着場に到着した。
通路から船着場に出てまず感じたのは強い潮風だった。その風は海から直接吹きこんでおり、私の髪を撫でるように揺らすと船着場を通過して海へと抜けていった。
結城は揺れる髪を押さえつつ、船着場の様子を観察する。
「やっと着いた……。」
船着場はかなり広く、施設の一部を繰り抜いた空間に設置されていた。高さは海面を基準にして上に10階分、そして海面下に10階分のスペースが取られており、施設の建物を貫通する形で設けられている。風が抜けていったのもこの構造のせいだ。
長方形の形にくり抜かれた船着場の内側の両サイドには小型のクレーンが、そして天井部分には巨大な移動式クレーンがある。これでVFをリフトに載せるわけだが、そのリフトは今はどこも動いていなかった。
動いてないといえば、いつもは賑やかな船着場も今は全く動きが見られない。
騒ぎが起こってからだいぶ経ったこともあり、船着場には小型艇の姿が殆ど見られなかった。同じく輸送船もこの海上アリーナに来た時より減っており、多くの人やスタッフが既に脱出したようだった。
今頃はどこかのシェルターで騒ぎが収まるのを待っていることだろう。
「見事に誰もいないな……。」
船着場に無数にある出入口の一つからそんな光景を見ていると、不意に背後からランベルトのため息混じりの声がした。
更に続けてリュリュの声も聞こえてきたが、私たちを追いかけて走ったせいか、少し息切れ気味だった。
「……あのタカノ様、私も連れて行ってもらえませんか? お兄様と連絡がつかなくなったので直接乗り込みたいのです。何か良からぬことが起きているみたいで心配なんです。」
少々息が荒かったけれど、話の内容は理解できた。
七宮はミリアストラさんとローランドさんとジンってランナーが協力者だと言っていたし、その内の誰かがリオネルを足止めしているのだろう。
足止めと言うのだから命に危険はないと思うが、リュリュの申し出を断る理由もなかった。
「いいよ、早く行こう。」
「ありがとうございます。」
結城はリュリュに返事をすると、誰もいなくなった船着場に入っていく。
すると、ランベルトもしつこく付いてきた。
「じゃあ俺も付いて行く。女の子2人だけじゃ危険すぎるからな。」
「誰が女の子ですか……。それに、あなたはオルネラ様と一緒にいるように頼まれていたはずです。あの方を1人で残すほうがよっぽど問題です。」
「分かったよ……。」
オルネラさんの名前を出され、意外なほど素直にランベルトはリュリュの言葉に頷いていた。それを見て更に私も付け加えて言う。
「そんなに心配するなって。諒一が言うには海上は安全らしいし、暴走VFもほとんど倒したんだから狙われることもないと思う。」
こちらがそう言ってからランベルトは暫くその場に立ったまま黙って何やら考え事をしていた。
そのまま無視して小型艇を探そうかとも思ったが、こちらが動こうとしたタイミングでランベルトは自然な動作で懐からタバコを取り出し、口に咥えて火をつけた。
「……小型艇の場所は分かってるな?」
急にランベルトに質問され、それにはリュリュが答えた。
「はい、確か船着場の壁に設置されていたように思います。」
リュリュは細い腕を持ち上げて船着場の壁を指差す。
しかし、ランベルトはリュリュとは全く違う場所を指差していた。その先にあったのは見慣れぬドアだった。
「壁にあるのは16人乗り用の遅いやつだ。乗るならレスキュー用の水上バイクにしろ。あれならあっという間に着くだろ。」
「水上バイク……そんな物もあるのか。」
ランベルトは更に有用な情報をこちらに伝えてくる。
「レスキュースタッフの待機場所はあのドアを抜けてすぐだ。警報が鳴った時点でドアのロックは解除されてるっぽいし、多分問題無いだろ。」
ランベルトはそれだけ言うと再び煙草を吸い始めた。
「ありがと、ランベルト。」
結城は短くお礼を言うと、すぐにランベルトが指示したドアに向け走っていく。
そのドアに到達する頃にはランベルトはこちらに背をむけて船着場から出ていこうとしていた。
その後ろ姿を見ながら結城はドアを開けて中に入る。すると、どうやらそこは詰所のようで、狭い部屋の中には通信機材や監視用のモニターが所狭しと並んでいた。
更にその部屋を通り抜けると、小さなドックにたどり着いた。
ここはレスキュースタッフ専用のドックらしく、そこには2隻の救出艇、そして白くて流線型のボディの水上バイクが4台停留されていた。
お目当ての水上バイクを発見した結城は、その内の一台に勢い良く飛び乗る。
その衝撃で揺れる水上バイクの上で何とか踏ん張りつつ、結城はエンジンの始動ボタンを探す。すると、ボタンを探し始めてから数秒後にリュリュが近づいてきて、何かをこちらに差し出してきた。
結城はそれに反応してリュリュの手のひらの上にあるものを見る。……そこには黄色いタグのついた鍵が載っていた。
「タカノ様、キーをお忘れです。」
どうやら先ほどの詰所から取ってきてくれたようだ。
結城は「どうも」と言ってそれを受け取り、それらしき穴にキーを差し込んで捻った。
するとパネルにいろいろな数字が表示され、ボタン類も点灯し始める。そのボタン類の中で一際目立つ赤いスイッチを押すと簡単にエンジンが始動した。
始動すると、水上バイクの後ろから控えめではあるものの、水飛沫が発生し始める。
それを見ていると、リュリュがこちらの水上バイクに飛び乗ってきた。
「では、お邪魔します。」
いつの間にかリュリュは救命胴衣を身に着けており、こちらが何も言わずとも私のぶんも手渡してくれた。
「これ着てくださいね。」
「あ、うん。」
言われるがまま結城は救命胴衣に腕を通し、しっかりと着こむ。
その間リュリュは後部座席にあった救急セットを抱えるようにして持って、その開いたスペースに腰を下ろしていた。
「他にも水上バイクあるけど……私と一緒でいいのか?」
てっきり2台で行くのかと思っていたのだが、他の水上バイクの鍵が見つからなかったのだろうか。
しかし、こちらの想像は全く当たっておらず、理由は至って簡単なものだった。
「すみません、水上バイクの免許は持っていないんです。」
「え、免許がいるのか? 私も持ってないけど……。」
「……。」
こちらも免許がないことを知らせると、リュリュは黙ってしまった。
俯いていたため表情は分からなかったが、辟易しているのだけは理解できた。
「輸送ヘリも案外簡単に操縦できたし、水上バイクだって問題ないって。」
「そうだといいんですけれど……。」
こんな状況で違反も何もあったものじゃない。
結城は早速水上バイクのハンドルを握り、スロットルレバーをゆっくりと引いていく。すると水上バイクもゆっくりと前進し始めた。
そのままの低速でドックから出て施設から距離を取ると、結城は改めてスロットルレバーを深く引く。すると、水上バイクのスピードはどんどん上昇し、それに応じて水飛沫も大きくなっていった。
そんな感じで速度をどんどん上げていくと、水上バイクが水面を跳ねるようになり、背後からリュリュの不安げな声が聞こえてきた。
「タカノ様、少しスピードを出しすぎではありませんか?」
「そんなことないって。この調子ならすぐに目的地まで行けそうだ。……ランベルトの言うことを聞いて正解だったな。」
結城はリュリュの言葉を無視し、更にスロットルレバーを引いていく……。
やはり普通の船とは速度が段違いだ。もう道路を走る普通のバイク並のスピードが出ているのではないだろうか。これなら10分ちょっとで2NDリーグフロートユニットに行けるはずだ。
それにしても水上バイクというのはなかなか気持ちのいい乗り物だ。VF程ではないが、気軽に乗れてそこそこのスリルを味わえるのは素晴らしい。
海上都市ならこれを走らせる場所は余るほどあることだし、事実、たまに海上で遊んでいるのを見かけることもある。この騒ぎが終わったらまた乗ってみたいものだ。
海上都市群での騒ぎのことも一瞬忘れてそんなことを考えていると、不意に上空から聞いたことのあるエンジン音が響いてきた。
それは戦闘機が発するようなエンジン音であり、空を見上げるとこちらの予想通り、エルマーが飛んでいる姿を見つけた。
しかし、エルマーは単体で飛行しておらず、両手で別のVFを吊り下げていた。
「エルマーに……あれはヘクトメイルか……。」
進路から推測するに、目的地は海上アリーナのようだ。
エルマー操縦者のローランドは七宮の仲間だし、今はヘクトメイルを連行しているのかもしれない。しかし、それにしてはヘクトメイルが抵抗する様子はなく、むしろ楽しげに足を振っているように見える。
やがてエルマーはこちらの頭上を通り過ぎ、ドップラー効果で低くなったエンジン音をこちらの耳に残して去っていった。
後部座席に乗っているリュリュはその行き先を見届けているらしく、しばらくすると背後から彼女の報告が入ってきた。
「あの2体、海上アリーナに降りるみたいです。」
「ツルカ……」
結城は水上バイクの速度を落とし、スロットルレバーから手を離して振り向く。
海上アリーナの上空にはエルマーが飛んでいて、様子を窺うように周辺を飛んでいた。しかし、そんな風に飛んでいたかと思うといきなり大きな水柱がアリーナ近くの海面に出現し、豪快に水飛沫がその周辺に飛び散った。
その後、エルマーはヘクトメイルをアリーナに落としてどこかへ飛んでいってしまった。
一体どうなっているのか、かなり状況が気になるし、それにツルカのことも心配だった。
「タカノ様、早く2NDリーグのフロートユニットに向かいましょう。」
声に反応して視線を下ろすとリュリュの迷いのない顔が見えた。相変わらず髪には可愛いリボンをつけているが、そんなリボンとは対照的に表情は真剣だ。
結城はそれを見て優柔不断な考えを捨てることにした。
今はツルカを信じよう。
「うん……しっかり捕まっててね。」
結城は再びスロットルレバーを掴むと、目的地に早く着くべく、それを勢い良く手前に引いた。
2
ユウキのアカネスミレが倒された後、七宮にタイマン勝負を仕掛けてから数分が経った。
未だにボクの攻撃は当たらない。ファスナ自慢の蹴り技も七宮には全てお見通しのようだ。リアトリスはこっちに攻撃することなく軽々とボクの攻撃を避け続けている。
そして、こうやって戦い続けて分かったことがある。それはボクでは全く七宮の相手にならないということだ。
(腕さえパージしてなければ……)
あの関節技を抜けるためだとはいえ、無茶な事をしてしまった。あと、腕を片方失うだけでここまでバランスを取るのが難しくなるとは思ってなかった。
今も想像以上のバランスの取り難さに驚いている。これでも戦えないことはないが、相手は“あの”七宮なのだ。
ボクが全力で戦っても勝てるかどうか分からぬ相手に、今の状態のファスナで敵うわけがなかった。
……それでもツルカは諦めず攻撃を繰り出し続ける。
ツルカが殺人的な蹴りを放つ度にファスナの薄い金属板状の髪が流れるように動く。だが、攻撃を回避するリアトリスはそんな髪を指先で触る余裕すら見せていた。
「本当にツルカ君はお兄さんにそっくりな動きをするね。ちょっとは自分らしい攻撃をしたらどうだい。」
「できるならやってるさ!!」
「基本がしっかりできているだけに、イクセルの真似事で終わるのが勿体無く思えるよ。」
「イクセルと比べるな!!」
ツルカは七宮の挑発に乗り、ここぞとばかりに大ぶりの蹴りを放つ。しかし、そのファスナの必殺に等しい蹴りもリアトリスには簡単に受け止められてしまい、その上がっちりと掴まれてしまった。
ツルカはその手から逃れようと体を捻ってみたが、ファスナの脚は固定されてしまったかのように動かない。
リアトリスはそのままファスナの脚を上に持ち上げ、支えを失ったファスナは無様にもその場に転げてしまった。
こちらが仰向けになり、七宮にとってはとどめを刺す絶好の機会だったが、七宮はファスナの脚から手を離して語りかけてきた。
「悪いけれど僕は君とあんまり戦いたくないんだ。結城君はともかく、ツルカ君は目的外だからね。」
「どういう意味だ……?」
目的外と言われてその意味を考えていると、七宮は更に言葉を続けてきた。
「このまま戦い続けても君に勝ち目はないし、結城君が戻ってくるまで大人しくしていてくれないかな。僕も色々と忙しいんだよ。」
「だから何言ってるんだよ……」
ツルカは仰向けに転げていたファスナを起こし、リアトリスと距離を保ちつつ七宮の言葉の真意を探る。だが、考えた所で分かる気がしなかった。
考えても分からないのなら、考えずに戦うだけだ。
ツルカは再度ファスナに構えの体勢を取らせ、リアトリスに飛び掛っていく。
――その時、視界の隅、近くの空を飛行する物体を発見した。
「なんだ……?」
それに気を取られてしまったせいか、ツルカは何もできないままリアトリスに肩を捕まれ、受け流すように投げ飛ばされてしまう。
七宮はと言うと、ボクが思わず声を出してしまったせいか、体ごと空飛ぶ物体に向けて観察していた。頭部の高解像度カメラアイが無いので、確認に手間取っているようだ。
一方、投げ飛ばされたツルカは体勢を立て直してから改めて空を見ていた。
(やっぱりVFみたいだな……。)
今度ははっきりとその物体が見えた。それは両腕を掴まれているヘクトメイルであり、それを運んでいるエルマーの姿もよく見える。
七宮を倒すために加勢しに来てくれたのかと思ったが、エルマーのランナーの事を思い出し、そのせいでツルカは悩んでしまう。
ローランドは七宮の共犯者だと七宮自身が宣言していたし、もしかすると倒したヘクトメイルを鹵獲しただけのかもしれない。そうなると、形勢は逆転どころか更に悪くなってしまう。
寝返って仲間になってくれたのではないかと信じたかったが、そう上手くボクの思い通りになるとは考えにくかった。
「エルマーにヘクトメイルですね……」
七宮も2体のVFに気が付いたのか、太刀の柄に手を載せ、半身を空を飛ぶVFに向けて構えていた。
ツルカはその警戒の姿勢を見て、七宮もよく事態を掴めていないことに気がつく。
(これはもしかすると……)
あの2体は敵か味方か、ボクが迷っている間にも2体は空を飛行してアリーナに接近してきている。そして、2体が海上アリーナの上空に差し掛かった時、そのうち1体のVFに動きがあった。
ヘクトメイルが上空からリアトリスに向けて大きく腕を振ったのだ。
だが、それは挨拶のためではなく投擲のためであり、ヘクトメイルの手から離れた物体はリアトリス目掛けて飛んできていた。
ヘクトメイルが投げたのは棒状の物体であり、それはくるくる回転しながら非常に速い速度で落下していく。
「ミサイル!?」
遠目から見てもそれはミサイル以外に考えられず、攻撃目標がリアトリスだということも踏まえると、こちらに加勢しに来てくれたのだと判断することができた。
何であんなミサイルを手にしていたのかは謎だが、不意打ちにしては上出来だった。
(よし、3対1なら……!!)
あの入射角ならばどちらにせよミサイルはアリーナの地面に命中するし、そうすれば爆発の衝撃でリアトリスが怯むに違いない。
ツルカはその隙を狙うべくタイミングをずらしてリアトリスに向けて駆け出したが、その予想は見事に裏切られてしまう。
リアトリスはミサイルが接近するまでの間に太刀を構え、避けながらミサイルの信管部分を綺麗に切断してしまったのだ。
普通ならその衝撃で爆発しそうなものだが、衝撃も振動もなく斬ることに成功したらしい。そのままミサイルはアリーナ上を跳ねながら転がっていき、やがて海へ着水した。
(無茶苦茶だ……。)
回転しながら落下してくるミサイルの先端部分だけを器用に切断する……。そんな事を平然とやってのける七宮って本当に一体何者なんだろうか。とてもじゃないが人間技とは思えない。
ツルカがそうやって驚いている間に水没したミサイルの予備信管が作動したのか、海中が一瞬光り、ミサイル本体が着水した時とは比べられないほど大きな水柱が海面に出現した。
爆発の衝撃で海から飛び出した海水は空中で拡散し、ちょっとした雨となってアリーナを濡らしていく。……海上アリーナの施設にもかなり被害が及んだことだろう。
そんなミサイルの爆発から間もなくして、海水で濡れたアリーナにヘクトメイルが着地してきた。それに続いてエルマーもアリーナに降りるかと思われたが、エルマーはヘクトメイルを運び終えると、そのままUターンしてどこかに行ってしまった。
(ヘクトメイル……乗っているのはドギィだよな……?)
海水の雨が止むと、ヘクトメイルはリアトリスに接近し始める。
その両手にはエルマーの股間部分に備え付けられていたサーベルが握られていた。が、片方のサーベルにはグリップが無く、その部分には何かのパーツが千切られたような跡が見られた。ヘクトメイルはその部分を無理矢理握ってグリップ替わりにしていた。
「その角は……なるほど、ボリスを倒したようですね。」
七宮はヘクトメイルのサーベルを見て、何やら納得したように呟く。
その言葉に反応し、ようやくヘクトメイルからランナーの声が発せられた。
「ボリス……あの戦闘機のことですよね。ローランドも言ってました。」
「エルマーに乗っていたのは誰だい? ローランドじゃなかったみたいだけど。」
「あれはツキヤというランナーです。かなり操作が上手だったのでここまで運んでもらいました。」
(ツキヤ……って、あのツキヤが!?)
本当にメインフロートユニットで何があったのか、かなり気になる。
しかしツキヤと聞いて、何故エルマーが慌てた様子で退散したのかが分かったような気がした。
……それはともかく、ヘクトメイルに乗っているのはドギィに違いなく、ツルカは新たに現れたのが敵でなかったことを知れてひとまず安心することができた。
誰であれ、仲間が来てくれたのは嬉しい。
「ドギィ、助けに来てくれたのか。」
ツルカはヘクトメイルに近寄ってドギィに話しかける。
するとドギィはこちらに返事を寄越してくれた。
「シチノミヤが全ての元凶だとローランドから聞いたんです。これ以上やるつもりなら自分が強制的に止めるつもりです。」
ローランドを倒し、しかもエルマーをほとんど無傷で手に入れるとは……試合を見てすごいランナーだとは思っていたが、敵でなくて本当によかった。
「よし、それじゃあ早速……」
ツルカはそのままドギィと一緒に七宮と戦うつもりだったのだが、セリフの途中でいきなりヘクトメイルがファスナを強く押し返した。
いきなり押されたファスナはよろめき、数歩ほど後退してしまう。そしてすぐ後にその行為にふさわしい言葉も聞こえてきた。
「邪魔なので下がっていて欲しいです。」
「なんだよ、いきなり来てそれはないだろ!?」
ツルカは抗議の意を込めて再びヘクトメイルに接近する。だが、同じように押し返されてしまった。
「いいから下がって、時間が惜しいんです。」
「そんな……。」
一緒に戦って欲しいとお願いされるかと思っていたのに、こんな酷い事を言われるとは考えていなかった。ボクは戦力外ということなのだろうか。
確かに腕は一本無いけれど、2NDリーグのランナーにそこまで言われるのは心外だ。
ドギィにもう一度抗議しようかと近寄った時、今度は七宮が同じようなセリフをボクに投げかけてきた。
「彼の言う通りにしたほうがいいかもね。君みたいに覚悟の足りない女の子が戦っても足手まといになるだけだよ。……でも安心していい、彼を片付けた後でゆっくり相手してあげるからね。」
その常葉にいち早く反応したのはツルカではなくドギィだった。
「有難いです。これでツルカキルヒアイゼンも納得したはずです。」
「あれ? 僕としては君を貶したつもりだったんだけれど。もしかして僕に勝つつもりなのかい?」
そんな七宮の言葉に動ずることなく、ドギィは飽くまでマイペースで答え続ける。
「いいえそういう事じゃないです。自分ががシチノミヤに敵わないのはよく理解しているつもりです。だけど、ダメージを負わせることはできます。相打ちまでとはいかないですけど、四肢の一つか二つは覚悟してもらっていいですか。」
ドギィの口調は淡々としたものだったが、何故か冗談には聞こえなかった。
あまりにも落ち着いたドギィの態度に、ツルカは何か言い得ぬ恐ろしさを感じていた。
七宮も同じように感じたのか、どんどん口調が本気になっていく。
「それは……僕の実力をよく理解した上での発言かい?」
「もちろんそのつもりです。」
ドギィの真面目な返答の後、リアトリスの外部スピーカーから鼻で笑うような声がし、続いて七宮の苛立った声が聞こえてきた。
「それじゃあ、君は理解不足だということになるねドギィ君。今からそれを教えてあげるよ。」
「楽しみです。」
ドギィは短く答え、2本あるサーベルの内の1本をその場に刺す。そして、残った一本を両手で構えて姿勢を低くした。
ツルカはそのヘクトメイルを見て臨戦体勢になったことを悟る。
だが、このまま無視され続けるのも癪だったので、戦いが始まる前に割ってはいろうとした。
「ちょっと、ボクを無視してそんな……わっ!?」
しかし言葉を発しかけた時、そのツルカの言葉を置き去りにしてヘクトメイルがリアトリスに向けて跳んだ。
刹那の間に2体のVFは肉薄し、まずはヘクトメイルがリアトリスにサーベルを打ち付けた。しかしそれはリアトリスによって切り払われて真っ二つになり、早速ヘクトメイルのサーベルは一本になってしまう。
ヘクトメイルは折れたサーベルをあっさりと捨てると、先程アリーナの床に突き刺したサーベルまで後退し、それを手に取り再び構えた。
「それが噂の日本刀ですか、実際に体験するとすさまじい切れ味です。」
ドギィが鋼八雲の切れ味を気兼ねなく褒めると、七宮もヘクトメイルを褒め返した。
「その機動性、ローランドのボリスに勝ったのは偶然じゃないみたいだね。それにしても旧式のフレームをよくそこまで上手く扱えるものだよ。いや、旧式だからこそか……」
お互いに短く言葉を交わし、再びドギィと七宮は互いの武器を打ち合う。
ドギィはたった一太刀を浴びただけで鋼八雲の危険性を悟ったのか、リアトリスの中心線を見切り、それに重ならないような身のこなしを見せている。
それを簡単にできるドギィに驚いていたが、それよりも七宮がドギィに対して普通に太刀を使っている事に悔しさを感じていた。
(やっぱり、ボクには本気じゃなかったんだ……。)
「くそぉ……。」
一人唇を噛むが、その声は2人には届かない。
リアトリスとヘクトメイルはアリーナを広く使って戦闘しており、2体は接近と離脱を繰り返し、静と動を強く感じられるような戦い方をしていた。
「どうだい、リアトリスの腕か足は斬れそうかい?」
「すみません、やっぱり不可能みたいです。……でも、海に落とすことくらいは可能かもしれないです。」
「おっと、周りが海だってことをすっかり忘れていたよ。黙っとけばいいのに素直な男だね、君は。」
「よく言われます。」
2人は戦っている最中もそんな呑気な会話を交している。
それを耳にし、ツルカは更に落ち込んでいた。
……もはや彼らの頭の中にツルカの事などなく、蚊帳の外に追いやられたツルカは戦いを眺めていることしかできなかった。
3
「見えてきたけど……あれ、なんだろ?」
水上バイクを走らせること7分。
結城の視界に入り込んできたのは2NDリーグフロートユニットではなく、何か別の物体だった。ぱっと見戦艦のように見えなくもないが、それは海の上で鎮座しており、動く気配はなかった。
また、それはフロートユニットからかなり離れた海上に停泊していて、こちらの進路の妨げにもなっていた。
結城は仕方なく迂回することを決め、その戦艦の船尾側に舵を切る。
すると、後ろに座っていたリュリュがその戦艦の正体を教えてくれた。
「あれはE4の実験用戦艦型フロートですね。確か核融合発電施設を防衛してくれているはずですが……援護しにきたのでしょうか。」
「ああ、これが……」
一瞬聞き流してしまうところだったが、E4と聞いてミリアストラさんの名前を思い出し、結城は目の前にある戦艦が七宮側の戦力だということに思い至る。
ミリアストラさんは疑う余地なく七宮の協力者であり、そのことをリュリュに伝えようとすると、いきなり戦艦の上から轟音が発生した。
それは電磁レールガンの発射音であり、続いて聞こえてきた激突音は2NDリーグフロートユニットから響いてきていた。
「フロートに向けて……攻撃している?」
そう言って耳を塞いで身を縮こませているリュリュに、結城は遅れながら説明する。
「言うの忘れてたけど、ミリアストラさんとローランドさんとジンは七宮の協力者なんだ。七宮本人が足止めのために用意してたらしい。」
始めに伝えておくべきだった重要な情報を伝えると、リュリュの声がみるみるうちに焦った口調に変化していく。
「足止めということは、今の砲撃を受けたのはお兄様じゃないですか!? いくらあの盾でも連続して強力な衝撃に耐えられません。早く助けにいかないと……!!」
その事実にリュリュは驚きを隠せない様子だった。
「助けるったって、どうしようもないだろ。」
結城はリュリュをなだめようと努力したがそれは難しいようで、リュリュは水上バイクの上で立ち、興奮気味に力説し始める。
「いいえ可能です。タカノ様、今すぐ水上バイクをあの戦艦に付けてください。私が直接乗り込んで内部から戦艦ごと破壊します!!」
その口調から正気でないことが分かったので、結城は話を区切ってリュリュを落ち着かせるべく、肩を両手で掴んで説得することにした。
「それはさすがに無理だって……。それよりも私が新しいVFでリオネルを援護したほうがいいと思うぞ。戦艦を破壊するにしてもそんな救急セットじゃどうしようもないだろ?」
アール・ブランのラボに侵入してVFを破壊できるくらいだから、全くの不可能だとは言い切れないが、あまりにもリスクが大き過ぎるように思える。
その旨を伝えるとリュリュは我に返ったようで、腰を後部座席に落ち着けた。
「そうかも……しれませんね。少し気が動転していたみたいです。忘れてください。」
余程リオネルのことが大事らしい。あんなナルシスト男のどこがいいのだろうか……。
理解に苦しむが、リュリュにとっては世界で一人きりの兄なのだし、心配して当然なのだろう。こんなに可愛い妹が強烈なブラコンだと思うと、逆にリオネルが羨ましくなってくる。
「いいんだ。その気持ちは結構わかるし。」
結城も諒一に関してはあまり人のことを言えた立場ではない。最近は夢にまで見る始末だ。
「……。」
その夢を思い出してしまい頬を赤らめているとリュリュに勘違いされたのか、思いもよらぬセリフが飛んできた。
「まさか!? タカノ様もお兄様の事を……」
「何でそうなるかなぁ……。」
結城はリュリュの言葉を適当に受け流し、E4の戦艦の船尾を迂回する。そしてスピードを上げて本来の目的地へと進路を向けた。
迂回すると今まで遮られていた部分を見ることができ、フロートユニットのターミナルもよく見えた。しかし、そのターミナルは原型を保ってないほど破壊されていて、港周辺には船の破片が散乱して浮いていた。
そうやって観察している間にもヴァルジウスは電磁レールガンを撃っていて、その度にフロートユニットの奥から何かとぶつかる音が聞こえている。クリュントスの盾との衝突音に違いはないのだろうが、この位置からでは全くその姿を確認する事ができなかった。
そんな轟音の響く中、水上バイクは着々とターミナルに接近しており、結城はどこか接岸できる場所がないかを探していた。
(こうやって見ると、意外と岸壁って切り立ってるな……)
ターミナルはいろいろ崩れてて危なそうだからなるべくなら避けたい。しかし、ターミナルの船着場以外の場所には数メートルの壁があり、そう簡単にフロートに乗り込めそうになかった。
しかし、それを見て結城はふとあることを思いつく。
「そうだ、直接ラボには行けないかな?」
一応ラボの海側には輸送船が着けられるくらいの規模の簡易ドックがあったはずだ。
そこに行けば面倒がないと思ったのだが、どうやらそう言う訳にはいかないらしい。その訳をリュリュが教えてくれた。
「それは無理だと思います。警報が鳴ると安全確保のためにラボの防潮岸壁が上がってしまいますから……。」
それが本当かどうか確かめたい気持ちはあるが、リュリュがこんな時に嘘をつく訳がない。
「やっぱりターミナルに行くしかないか……」
今いる場所から一番近いし、今はあそこ以外にフロートに上陸する手段が思い浮かばない。だが問題は、その場所がもろに電磁レールガンの射線上に位置しているということだった。
どうしようか考えあぐねていると、先程とは打って変わって冷静になったリュリュが私の肩越しにある一点を指さしてきた。
「……あの、あそこにいるのはリョーイチ様では?」
「諒一?」
結城はその指に従って少し視線を上げて沿岸部に目を向ける。すると、リュリュの言う通り、手を降っている諒一の姿が見えた。
諒一は破壊されたターミナルのすぐ横の岸壁の目立つ位置に立っていて、こちらに向けて大きく手を振っていた。どうやら迎えに来てくれたようだ。
「あそこからなら上陸できそうです。タカノ様、早く行きましょう。」
「あれは……梯子か。」
諒一の真下には壁と同じ色の梯子があった。諒一がいなければ完全に見落としていただろう。そう言えば、ローランドさんの基地に侵入した時にもああいう梯子を上ったことをすっかり忘れていた。
とにかく上陸の手段が見つかったので、結城は少しだけ舵を左に切り、諒一の誘導に従ってその場所まで向かうことにした。
――岸にたどり着くと結城とリュリュは水上バイクからフロートに飛び移り、梯子を使ってフロートへ上っていく。
そして梯子のてっぺんまで来ると諒一がこちに手を差し伸べてきた。
結城は「ありがと」と言うとその手を掴む。すると諒一もこちらの腕を掴み返し、そのまま引き上げてくれた。
しかし、こちらが体重を掛け過ぎたせいで諒一はよろけてしまい、梯子を上り終えてすぐに諒一を逆に支えることになってしまった。……やっぱり諒一の疲労は抜けきっていないようだ。昨日もアカネスミレの操作システムのアップデートの準備で急がしそうにしていたし、ろくに睡眠していないに違いない。
そうでなくても日頃から働きすぎているので、いつもより疲労に拍車が掛かっているようにも思える。
(無理して引き上げなくても良かったのにな……。)
それを言葉に出せず心の中で心配していると、諒一は掴んでいたこちらの手を離し、リュリュを引き上げるべく再び梯子まで移動していった。
諒一に引き上げられた際、かなり近付いたせいで緊張してしまうのではないかと思っていたが案外平気だった。こんな状況下で浮かれている場合ではないと私自身もよくわかってるみたいだ。
結城はリュリュも同じように引き上げられたのを確認すると、その場に胡座をかいて座って一息ついた。そして救命胴衣を脱ぎながら、数時間ぶりに直に諒一と話す。
「なあ諒一、さっき電話で鹿住さんがいるって言ってたけど、一緒じゃないのか?」
「鹿住さんはラボで作業中だ。話は後にして、クリュントスがミリアストラの注意を引きつけている間にラボまで急ごう。」
諒一は急いでいるのか、こちらとろくに会話することなくラボに向けて移動し始める。
それを見て結城はすぐに立ち上がり、救急セットを背負い直しているリュリュに声をかけた。
「リュリュは走れるか?」
「……余裕です。こう見えて体力には自信がありますので。」
リュリュはそれが当たり前だと言いたげに自信満々に言い放つ。
ついさっき海上アリーナ内の施設では少し走っただけで息切れしていたように思うのだが、それを指摘した所でどうしようもないし、リュリュの言い分を信じることにした。
また、救急セットなど必要無いように感じたが、それも無理に降ろさせても時間の無駄になるだけだと考え、結城は特に何も言わずに頷いた。
「こっちだ。戦闘も激しくなっているし、急ごう。」
先に目を向けると、諒一が建物の角に身を隠して周囲を警戒していた。今も等間隔に電磁レールガンの弾とクリュントスの盾の激突音が響いているし、ここも危険地帯なのだろう。
諒一のいる場所まで走って行くと、その位置から地面にめり込んでいる暴走VFや、ビルに突き刺さっている暴走VFを見ることができた。
どれも機能停止状態にあるらしく、全く動かない。
2NDリーグフロートユニットは背の高い建物が少ないので、結城からはそれらがよく見えた。そんな光景を見ながら、結城は諒一に先導されて移動を続ける。
しかし、諒一が進んでいくその道筋は明らかにラボから遠ざかるコースだった。結城は前を走る諒一にそれを伝える。
「こんな所通るのか? かなり遠回りになるだろ。」
「これでも最短ルートを選択しているつもりだ。クリュントスも移動しているようだし、なるべく距離をとっておいたほうがいい。」
普段は通らない道だが、安全を考えて少し遠回りしているようだ。状況が掴めない今、大人しく諒一の後についていくしかないだろう。
数分間走っていると、だんだん電磁レールガンの射出音が小さくなっていき、かわりに盾が発する衝突音が大きくなってきた。
予想に反してクリュントスもかなり移動しているらしい、十分な距離を取っているとはいえここも危ないようで、近くに何かが落下してくる音も聞こえてきていた。
……と、背後から聞こえていた足音がしないことに気が付く。
それに気付いた結城は慌てて背後に振り向く。すると、少し離れた道路の中央で立ち止まっているリュリュを発見できた。
結城はすぐにリュリュを走らせるべく、その場所まで急いで引き返す。
「おーい、リュリュ!!」
こちらが呼んでもリュリュが動く様子はない。どうやらビルの向こうにある何かを見ているようで、その視線はこちらに向けられることはなかった。
仕方なく結城はもっと近くまで戻ることにした。
更に近寄り、手が届く距離まで来た所で結城はリュリュが何を見ているのか知るために同じ方向に目を向ける。すると、リュリュが止まっていた理由がわかった。
「お兄様……。」
そう呟くリュリュの視線先、遠くには閃光を散らしている大きな盾が見えた。それはクリュントスが構えている盾であり、衝突音が発生する度に射線上にあるビルの破片や盾自体の欠片が周囲に散っていた。
リュリュは物憂げな表情でクリュントスを見つめていて、少し呼吸も乱れているようだった。やはり救急セットを背負いながら走るのはリュリュにとっては重労働だったみたいだ。
結城は話しかけるついでに背負っていた救急セットを持ってあげる事にした。
「リオネルはまだ大丈夫だ。……つらいなら荷物持とうか?」
こちらが話しかけると自分が立ち止まっていたことにようやく気付いたらしい。リュリュは救急セットを降ろすと、こちらに差し出してきた。
「はい……お願い、します。」
結城は救急セットを受け取ると、それを軽々と背負い、再び諒一の後を追いかけ始める。
よく見ると、先を行く諒一も少し辛そうにしていた。この程度のランニングで諒一が息切れするわけがないし、やっぱり疲労が溜まっているみたいだ。
さっきも私を梯子から引き上げる際によろめいていたし、心配すべきはリュリュではなく諒一の方かもしれない。
(流石におぶったりはできないけどな……)
リュリュが付いてくるのを確認し、諒一の元へ向かおうと走りだした時だった。……唐突に何かが風を切る音が聞こえてきた。それは宙を飛ぶ物体が発する音であり、瞬く間に大きくなっていく。
その音の方へ視線を向けると、遠くには盾を構えているクリュントスが見え、近くの宙にはコンクリートの塊のようなものが見えた。
人の身長ほどもあるその塊は高速でこちらに向けて飛翔しており、それが電磁レールガンによって弾き飛ばされた物だと気付くまでさほど時間は掛からなかった。
諒一はその音にも気付けていないのか、私を見たまま建物の影で待機している。
その場所はコンクリートの塊のぶつかる地点であり、結城は咄嗟に諒一にむけて駆け出していた。
危険な状況にある諒一はと言うと、何故私が焦っているのか理解できないようでこちらに向けて走ってきた。結果的に落下点から離れることができて良かったが、それでも距離的には不十分だった。
「伏せろ諒一!!」
それから2人が接触するまで時間は掛からず、結城はすぐに諒一の体を掴んでその場に伏せた。しかし、そう叫んで諒一の体を押し倒した時には既に遅く、空から降ってきた塊は近くの地面に命中し、周囲の道路を巻き込んで地面を陥没させた。
「うわッ!?」
結城たちは崩れた地面に巻き込まれ、何も抵抗できないままフロートの地面の下へ落下していく。
だが落下の際、何かが私の体を包み込んだ。
それは諒一の腕であり、私を守ってくれたのだと瞬時に理解できた。諒一は私を庇って下敷きになるつもりらしい。私ならば何とかバランスを取って着地できる気もしたが、一緒に落下している道路の破片のことなどを考えると、こうやって守られている方がいいのかもしれない。
それに、こうやって強く抱きしめられるのも悪くはない。
(諒一……。)
そんな思考が脳内を駆け巡っている間にも結城は重力に従って落下しており、ついに何もできないまま地下の空間の底に到達してしまった。
「うっ……」
結城は瓦礫とともに道路の下のパイプが密集している場所に落下し、体を強打してしまう。やはり庇われていても衝撃はかなりのものだ。諒一はもっと痛く感じていることだろう。
その諒一に身を包まれたまま、結城はまだ埃の舞っている上に視線を向ける。すると、道路に開いた大きな穴が見えた。
(あんなに上から……)
大体高さにして10メートルはあるだろうか。VFの身長と同じくらいの高さを落下したことになる。よく諒一も私を抱えたまま無事に着地できたものだ。
周囲に目を向けると、無数の金属パイプが設置されており、地上にある道路にそって伸びていた。中には衝撃で折れてしまった物もあり、一部のパイプからは水が流れ出ていた。
しかし、数秒もしないうちに安全装置が働き、水の勢いは収まっていった。
落下したのはコンクリートの塊と私たちだけらしく、それ以外の姿は見られなかった。どうやらリュリュは私たちから離れていたので巻き込まれずに済んだようだ。
3人とも無事だったことに安心した結城は、今もなお下敷きになっている諒一に礼を言うことにした。
「諒一、いいクッションだったぞ。」
咄嗟に私を守ってくれたことを嬉しく思いつつ、胸板をバシバシ叩きながら声をかけたが、暫く経っても返事がない。
「……諒一?」
こちらの腰を掴んでいる腕にも力が入っておらず、息遣いも聞こえてこない。
そのことを不審に思った結城はすぐに諒一から降り、仰向けになっている諒一と向き合って、顔を覗き込んだ。
落下のショックで気を失っているのだろうか、諒一は目を閉じて口は半開きになっていた。
……まさかと思い、結城は一応手のひらを諒一の口元にかざし、呼吸を確認してみる。
「あれ……。」
手のひらには空気が動く感触が全く感じられない。
そんな訳はないと思い、耳を近づけて改めて呼吸を確認しても何も感じられず……それはすなわち呼吸をしていないことを示していた。
「うそ……」
おまけに頭からは血が流れており、それは諒一の頭を支えていた結城の手のひらにべったりと付着していた。
その状況を受け入れることができない結城は、最後の希望を持って胸に耳を当ててみる。しかし、聞こえるはずの鼓動も聞こえていなかった。
「諒一!!」
そこからの結城の動きは迅速だった。
諒一の額に手のひらを押し当て、顎を押し上げで気道を確保する。そして学校の演習で教わった通りの心肺蘇生法を行った。
もはや結城に迷いはない。
結城は諒一の口に自らの口を押し当て、目一杯の空気を肺に送り込む。
それが済むと結城は両手を重ねて諒一の鳩尾にあてがい、体重を乗せて胸がへこむくらいに腕を押し込み、心臓マッサージを行う。
「ほら諒一、息しろよ……」
心臓マッサージが終わると結城は息を吸い込んで諒一の鼻を摘み、再び口を経由して肺に空気を送り込む。その際、血のついた手が諒一の顔面に触れてしまい、顔の半分ほどが赤く染まってしまう。
意図せずやってしまったことだったが、それを見て結城は自分の血の気が引くのを感じた。
「あ……。」
手が震え、上手く息が吸えなくなってしまう。
――このまま諒一が死んだら私のせいだ。
私を無理に庇ったせいで変な力が加わってしまったのだ。あの時、無理にでも諒一の手を振りほどいていたらこんな事にはならなかった。少しでも諒一の抱擁を嬉しく思ってしまった自分が情けない。怒りすら覚える。
「嫌だぞ諒一、こんなところで終わるなんて……。」
結城は自分への怒りによって我に返り、一旦中断されていた心肺蘇生を再開させ、口を諒一の口に押し当てて空気を送り込む。
それを2回行うと、素早く心臓マッサージに移行する。
「頼む……。もう洗濯とか料理とかさせないから。無茶なお願いもしないし、体調管理だって自分でしっかりするから……」
もはや何を言っているのか分からない。だが、諒一の顔を見ると自然とそんな言葉が出てきてしまうのだ。
そして、それは間違いなく結城の本心だった。
「大好きなんだ……。死なないでくれ。」
そう言いながら結城はひたすら心臓マッサージを行う。最初には数えていたマッサージの回数ももはや数える余裕などなく、諒一を助けたいという気持ちだけが結城を突き動かしていた。
「なんでだよ……なんでまだ動いてくれないんだ……。」
とうとう人工呼吸と心臓マッサージの移動が面倒になった結城は諒一の腰の辺りに馬乗りになり、無理矢理に真正面からそれらを交互に行い始めた。
それでも諒一は息を吹き返さない。
「りょういちぃ……うぅ……」
だが結城は諦めることなくそれらを交互に続ける。もう既に顔は涙まみれになっていて、鳩尾を押す力も無くなってきている。メガネも鼻の方へずり落ち、今にも外れてしまいそうだ。
そして結城はついに口に息を吹き込む気力も失ってしまう。
頭ではまだ心肺蘇生を行うつもりでいるのに体が動かないのだ。それは肉体的な疲労のせいであり、精神的な苦痛のせいでもあった。
しかし、それを認めるわけにはいかなかった。
結城はその思いを自分に言い聞かせるべく、半ば叫ぶようにして言葉に出す。
「諒一が死んだら私も死ぬぞ!! いいんだな!?」
最後に結城はそう叫んで、振り上げた両手を諒一の胸に振り下ろした。
すると、その衝撃で諒一の口から空気が漏れ、すぐにそれは咳き込む声に変化した。
「ゴホッ……ゴホッ、ハァ……はぁ……。」
諒一の目が開き、表情が苦痛にゆがむ。本来ならその表情を見ると心配するだろうが、今の結城には諒一が生きている証拠のように思えてならなかった。
「諒一!? 痛いのか……?」
結城は諒一に馬乗りになったまま腰を浮かせ、頭の出血具合を確かめる。
思ったよりも傷は浅いらしく、既に血も止まりかけていた。そんな状態にもかかわらず、諒一が放ったのは私を案ずる言葉だった。
「大丈夫か結城……怪我してないか。」
どこまでお人好しなのだ。こんな時くらい自分の身を心配してほしい。
「私は平気だ。それより諒一は? 痛いところはないのか?」
「……大丈夫だ。」
それは、痛そうに顔をしかめている人間のセリフではなかった。
「大丈夫なわけ無いだろ!!」
あからさまな嘘を付かれ、結城は諒一に顔を近付けてじっと見つめる。
すると、その視線に耐えられなかったようで、素直に痛い箇所を報告してくれた。
「……実は、足がかなり痛い。多分折れてる。」
「どこだ?」
諒一の訴えに従って足元を見てみると、大きな瓦礫の塊が諒一の向脛に鎮座していた。
結城は諒一から身を離すとサッカーボール大のそれを足の裏で蹴り、諒一の足から除ける。その瓦礫の塊には血は付着していなかったので、外傷は無いみたいだが、足の方は曲がってはいけない方向にぐにゃりと曲がっており、骨折したのは確かなようだった。
諒一から離れたついでに他にも怪我がないか体をよく観察していると、少し離れた場所に救急セットが落ちているのを発見した。
重いだけで無駄だと思っていたが、リュリュの選択は正しかったみたいだ。水上バイクから持ちだしておいて正解だった。
「諒一、応急手当してあげる。」
結城は早速その救急セットのボックスを展開させ、その中から消毒液とガーゼと包帯を取り出す。そしてガーゼで頭の傷を綺麗に拭くと、包帯でガーゼを諒一の頭にくるくると巻きつけた。
続いては足の骨折だ。
これは棒などで固定するといいと習っていたので、特に迷うことはなかった。
結城は近くに落ちていた金属製の細いパイプを諒一の足にあてがい、包帯で巻きつける。その時に諒一の表情が一瞬歪んだが、処置が終わるとすぐにいつもの無表情にもどった。
「他は痛いところないか?」
「とりあえず痛むのはそこだけだ。固定したお陰でだいぶ楽になった。」
「よかった……。頭、地面にあたって痛くない?」
「少し痛いが、足に比べれば……」
結城は傷口が頭の後ろにあることを思い出し、少しでも楽になるように何かクッションになるものはないか周囲を探す。
しかしそんな柔らかい物がこんな道路の下にあるわけがない。……あるとするなら、それは私の体以外にありえなかった。
(仕方ないよな……。)
結城は意を決すると諒一の頭側に回り、その場で正座するように腰を下ろしていく。すると諒一も私の考えがわかったのか、自ら頭を上げた。
結城はその頭を優しく持ち上げると、そのスペースに膝を滑りこませ、太腿の上に諒一の頭を落ち着かせる。
それはクッションがわりに私の太腿を枕にする。……つまり膝枕であった。
怪我人は結構不安になると聞くし、そんな時は近くにいて体に触れると紛れるとも聞いている。手段としては手を握ってあげたり、頭を撫でてあげたりと色々あるだろうが、その中でも膝枕は最たるもののように思えた。
こんなことをするのは初めてだ。されたことはあってもしたことはない。
しかし、諒一の頭の感触は私の太腿にしっくりきており、初めてにも関わらずそれが何年も当たり前のように行なっている行為であるような気がしてならなかった。
「どうだ? 落ち着くだろ。」
「……。」
諒一は無言のまま目を閉じて穏やかにしていた。
また、スキンシップの効果は結城自身にも及んだようだ。ひとまずの処置を終えて諒一の命に別状がないことを悟った結城は、一気に体から力が抜けてしまった。
正座の状態で後ろ手をついて脱力していると、上から小さな石ころが落ちてきた。
結城はそれに反応し上を向く。
「あそこから落ちたんだよな……骨折だけで済んでよかったな、諒一。」
膝の上にある諒一の頭に向けて話しかけると、諒一の目が少し開いてつぶやき声で返答してきた。
「結城が無事でよかった。」
この男はどこまで献身的なのだろうか。
少しは自分の体のことを心配して欲しかった結城はわざと冷たい言葉を返す。
「ほんと諒一は馬鹿だよな。あのくらいの高さなら何とか受け身取れたのに。……一応礼は言っとくけど。」
諒一も自らが怪我をするとは思っていなかったらしく、無表情のまま淡々と喋り続ける。
「適当に転がって衝撃を分散させるつもりだったから、背中から落下したのは予想外だった。しかし、骨折したのが腕じゃなくてよかった。両腕が動けばVFのメンテナンスも出来る。」
「この期に及んでまだそんなこと言ってるのか!? 怪我人は大人しくしてればいいんだ。」
そう注意して結城は膝の上にある諒一の頬を摘んで引っ張る。
流石に私も足を折った怪我人に仕事をさせるほど鬼ではない。だが、諒一ならそんな状態でも完璧に仕事をやってそうな気がする。
諒一も同じ事を考えているらしく、すぐに私の意見に反論してきた。
「そういうわけにもいかない。結城のためには……」
しかし、それをぶった切って結城は諒一に言葉を浴びせる。
「もういい!! ……こんなことになったのも過労のせいだと思わないのか。あんなにムキになって働いてたら誰だってフラフラになるし、力も出るわけがない。あの時コンクリートの塊を避けられなかったのもそのせいだろ?」
そのことを言うと、膝の上にある諒一の頭が僅かに上下に動いた。
「……後先考えずにがむしゃらになっていたのは確かで、注意不足なのも疲労のせいだ。」
諒一が自らの過労っぷりを認めた所で、結城は改めてその理由を訊く。
「いつもの諒一ならちゃんとペース配分して計画的に整備してるのに……最近どうしたんだ?」
それを訊くと急に諒一は目を閉じ、感慨深そうに語り出した。
「結城に最高の状態のアカネスミレで戦って欲しかったからだ。……でも、それ以上に、結城に認めて欲しかったのかもしれない。」
「認めてほしいも何も……諒一は滅茶苦茶頑張ってるじゃないか。いつも感謝してる。」
そう言いつつ、結城は先程つねった頬を優しく撫でる。
諒一はその手をいきなり掴んできた。
「違う、別に感謝がほしいわけじゃない。VFを整備するのはアール・ブランの一員として当たり前の事だ。それとは別に自分のことを認めて欲しかったんだ。」
さっきから認める認めると言っているが、要するにどういうことなのだろうか。
それを考えていて、結城はあるキーワードを思い出した。
「そうか、だから大学に……?」
「いや、進学の話は企業学校側から勧められただけで、行くつもりはない。」
諒一は私の膝の上で首を横に振って否定したが、この件に関してだけは賛成だった。
「行ったほうがいいと思う。それってすごいことだし、何より諒一の夢に確実に近付けるはずだろ。VFの設計技術なんて一朝一夕に身に付くような物じゃないんだし、学べる場所があるなら迷わずそこに行くべきだと思うぞ。」
長々と言っても諒一は相変わらず首をゆっくり左右に振る。
「だから、その話は断ると言っているだろう。」
私がこれだけ勧めて許可もしているのに、こうも拒否されると逆に腹立たしくなってくる。
こうなれば私も決断せねばなるまい。
つい数刻前に諒一の死を身近に感じたこともあってか、結城はとんでも無いことを提案してしまう。
「……私、付いて行く。」
「何を言ってるんだ?」
「だから、諒一が行く大学まで付いて行くって言ってるんだ。」
事も無げにさらっと言うと、諒一はあんぐりと口を開けたままこちらを見つめていた。
結城はさらに言葉を続ける。
「私がここまで頑張れたのも諒一のおかげだ。だから今度は私が諒一を応援する番だ。必要ならランナーも辞めるし、学校だって中退してもいい。」
「辞める必要はないし、中退もするな。……そうなるとアール・ブランが困るし、それに、結城の両親にどう説明したらいか想像もできない。」
諒一は私の思い切りの良すぎる提案に狼狽えているのか、口調に元気がない。
結城はさらに追い打ちをかけるように言う。
「いいんだ。私の夢は叶ったんだし、諒一の手伝いがしたい。それに、もう諒一と離れたくない。ずっと一緒にいたいんだ。」
心肺蘇生の時にあれだけ本心を暴露しておいて、今更臆することもない。
堂々とそのセリフを言い放つと、しばらくして諒一から反応が返ってきた。
「……わかった。」
その“わかった”は了承の意味の“分かった”ではなく、理解できたという意味の“分かった”であった。
諒一はじっとこちらの目を見ながらゆっくりと言葉を紡いでいく。
「たった今、10年以上分からなかったことがようやく分かった。」
結城は黙ってその言葉に耳を傾ける。
「幼馴染だからとか、近所で昔から付き合いがあったとか、家族ぐるみの付き合いだからだとか……何も複雑に考えることもない。無理に自分に言い聞かせる必要もない。俺が結城の為に頑張っていたのは単に……」
諒一はここで言葉を区切り、一呼吸置いてから告白してきた。
「結城のことが好きだったからだ。」
「……。」
――私はこの言葉が聞きたかったのだ。
聞いた瞬間に全ての悩みが綺麗に消し飛んで清々しい気持ちになる。それに遅れて恥ずかしいという感情と嬉しいという気持ちが、その空いた部分に流れ込んでくる。
胸がいっぱいになるというのはこういうことを言うのかもしれない。何度でも聞きたいセリフだった。
こちらが感無量になっている間、諒一は自らの告白に動揺する素振りすら見せず、付け加えるように話し続ける。
「頑張り過ぎていたのも、1STリーグで活躍する結城と少しでも釣り合えるようになるべきだと思い込んでいたせいかもしれない。我ながら馬鹿だったと思う。」
そう言った後、今度は諒一がこちらの頬に手を伸ばしてきた。
結城はそれを両手で握って応え、望みどおりに顔に近づけさせる。
てっきり撫でるのかと思ったが、予想に反して諒一はこちらのメガネを取ってしまう。
それがどういう意味なのか、結城は少しだけわかった気がした。
「今までは結城と同じ方を向いていた。でも、これからはお互いに向き合わないか。いや、向き合いたい。……結城ともっと真剣に接して、もっと結城の事を知りたいんだ。」
先程からよくも惜しげも無く歯の浮くようなセリフを言い続けられるものだ。
……だがそれも悪くない。
結城も負けじと諒一に言い返す。
「今更何言ってるんだ。もう私のことなら何でも知ってるくせに。」
「そうか、そうだったな……。」
諒一は短く言って、何か思いに耽るように目を閉じた。
……この後のことは分かっている。映画とかドラマで散々見たし、予習も完璧だ。
現在、メガネを外してもはっきりと見えるほど諒一の顔は近くにあるし、この距離で私が狙いを外すはずがなかった。
結城は意を決すると、そのまま身を折って、諒一の唇に自分の唇を押し当てた。
「……ん。」
その瞬間柔らかい感触を唇に感じ、人工呼吸の時とのギャップに驚愕してしまう。
しかし、私よりもキスをされた当の本人の方が驚いているようだった。
「ん!? ……ぷはっ……いまさら人工呼吸しても遅いぞ。」
冗談にしては笑えない。
しかし、これがキスであると気付いていない可能性は大だったので、一応教えてやることにした。
「キスだ!! バカ!!」
「……!?」
この言葉でようやく状況が理解できたらしい、諒一は目を見開いて驚きの感情を精一杯表現していた。
それを見て、結城は思わず諒一のおでこをペシペシと叩いてしまう。
「な、何驚いてるんだよ……。今のはそういう流れだっただろ!?」
照れ隠しで言ってみるも、諒一は返事をすることなくただただ呆然としているようだった。
私は心肺蘇生の時に『大好きだ』なんて言葉を連呼していたし、その人工呼吸でマウス・トゥ・マウスをやらかしたので準備万端だったが、諒一には突然過ぎる事だったのだろう。
そんなこともあり、結城は改めてしっかりと気持ちを伝えておくことにした。
「私も諒一のことが大好きだ。嫌になるくらいな。……これで分かっただろ?」
この言葉で諒一は理解できらしい。「なるほどそうか」と前置きをしてから、向こうも同じようなセリフを返してきた。
「大好きだ結城、愛してる。これでキスされたのも納得できるし、あの時の……」
「……ばか。」
結城は相変わらずの幼馴染に呆れつつ再び顔を近づけ、無駄なことを喋る恋人の口を塞いだ。
4
道路の下の空間、ここは電源ケーブルや通信用ファイバーケーブル、そして水道管が通っている。その他にもケーブル類があり、どれも住民の生活に必要不可欠なものだ。
それ故に、ちょっとやそっとじゃ道路は崩れることはないのだが、流石にコンクリートの塊の直撃には耐えられなかったようだ。
その塊はパイプやケーブルを巻き込んで地下に到達しており、結城と諒一から少し離れた場所で停止していた。また、塊もその衝撃には耐えかねたようで、5つか6つくらいの破片となっていた。
ここが陸地の地下ならばこれ以上落ちることはないので安心だが、海上に浮かぶフロートなので、下手をすれば浸水しそうで怖くもあった。
だが、結城はそんな恐怖を無視して膝枕をしたまま諒一といちゃついていた。
「落ち着いた? 諒一。」
「ああ、だいぶ楽に……んんっ……」
もう何度目になるだろうか、結城は何かに取り憑かれたようにキスを繰り返していた。
結城が唇を押し当てる度に諒一は呼吸できなくなり、少しだけ息苦しそうにしていたが、そんなのは些細な問題であり、そのせいで結城がキスを止めることはなかった。
数秒間諒一の唇の感触を味わうと、結城は諒一から顔を離して舌なめずりをする。その仕草は満足感からくるものであった。
「えへへー……だんだん上手くなってきた気がする。」
「もう止めてくれ、さすがに苦しい……。」
最初から数回は諒一も私のキスを黙って受け入れていたが、回数が2ケタになったあたりから文句を言うようになった。怪我をしていて辛いのは理解できるが、それを分かっていてもこの行為を止めることができなかった。
「いやだ。向き合いたいって言ったのは諒一だぞ。」
「いや、向きあうっていうのは物理的な話じゃなくて、このまま続けられると本当に呼吸が……むぐ……。」
それにしてもキスというのは良いものだ。……何というか、相手を支配したように感じられる。もう諒一は完璧に私のものだと確信できるのだ。
今の諒一の場合は、体を動かせない状態なので尚更それを強く感じられるのかもしれない。とは言え、諒一は少し体力も回復しているし、嫌ならば顔をそむけることくらいは出来るはずだ。
それなのに私のキスを拒まず、文句を言いつつも受け入れている。それがたまらなく快感……というか嬉しかった。
キスをするための理由が普通のものとズレている感は否めないが、別にそれでも構わない。私が気持ちよければ何でもいいのだ。
一際長いキスを終えると、とうとう諒一が自らの口元を手のひらで覆ってしまった。
「結城、そろそろ助けを呼びに行かないか。」
「待って、あと3回。」
結城はその手を引き剥がすべく両手で掴む。すると、それに対抗するように諒一ももう片方の手を口元に持ってきて、クロスさせるように口をガードしてしまった。
諒一はその指の隙間から声を発する。
「後で好きなだけやっていい。今は一刻も早く安全な場所に移動しよう。」
「好きだぞ諒一。」
そう言いながら結城は諒一の手首を掴んで捻り、無理矢理口元から剥がす。もはや諒一にこちらの攻撃に等しいキスを避ける手段はなかった。
「好きなのはもう知ってるしそれはさっきも聞い……んぐ……。」
「……。」
今まで溜まっていたうっぷんを晴らすかの如く、結城は太ももの上に乗っている諒一の頭に何度も顔を寄せ、唇を重ね続けていた。
しばらくすると、いい加減諒一も疲れたのか、ぐったりした口調でこちらに訴えてきた。
「分かった。好きなのは分かったからこの辺で中断しよう。頼む。」
諒一に本気でお願いされ、それが命乞いのように思えてしまった結城は止む無く中断することにした。
そしてすぐに約束を取り付ける。
「さっきの言葉……『後で好きなだけ』っていうのは本当なんだな?」
「ああ、本当だ。約束する。」
本当じゃなくても約束されなくても、こちらにとってはあまり問題ではないような気もするが、諒一がそう言っているのだからこの場はこれで終わりにしよう。
しかし、まだ満足できていなかったので最後の一回をお願いした。
「うん、じゃあ最後にもう一回。」
こちらが要求すると諒一は「仕方ない……」と呟いてゆっくりと目を閉じた。
この間、ランベルトが煙草がないと口が寂しいと言っていたが、その感覚がなんとなく理解できた気がする。ただ、煙草はいつかは無くなるので諦めがつくが、諒一の唇は死ぬまで無くなることはない。それだけが煙草と違う所だった。
そんな事を考えつつ、結城はおあずけのキスを愉しむべく、ゆっくりと時間をかけて唇を重ねた。
「お二人とも無事でしたか。迂回路がなかなか見つからなくて……ッ!?」
急に長々としたセリフが聞こえ、結城はキスをしたまま視線だけを横に向ける。
すると、そこには口元を手で覆って息を呑んでいるリュリュの姿があった。リュリュはすぐにこちらに背を向け、来た道を戻っていく。
「すみません、私はあっちで待っていますので、遠慮なく気の済むまで続けて下さい……。」
結城は有難くその提案を受け入れるつもりだったが、諒一がそれを許してくれなかった。
「待ってくれ、もう終わったから大丈夫だ。」
「いえ、遠慮なさらずにどうぞ続けて下さい。……参考にもなりますし。」
そんな事を言っているリュリュを説得すべく、諒一は私の太腿から頭を起こす。
「すまないが結城を外まで案内して欲しい。こっちは後でいい、足手まといになるからここで大人しく待っていよう。」
「何言ってるんだ。」
結城はそんな事を言う諒一の頭を掴み、再び太腿に押し当てる。
「諒一も一緒に来るんだ。一人で怪我人をこんな場所に置いてけるわけないだろ。」
「しかし、このままだと時間が……」
これだけの会話でリュリュは事態を把握したのか、近づいてきて足に視線を向けた。
「なるほど、足を怪我されましたか。」
そしてさらに諒一の傍らで屈み、骨折した部分に触れる。
そのままリュリュは何か考え事をするように難しい表情を見せていたが、すぐに答えを導き出したのか、こちらにあることを提案してきた。
「それでしたら……とっておきの道を使いましょう。ここからなら近いと思いますし、楽にラボまで行けますよ。」
「道?」
このまま地下の空洞を移動するということなのだろうか、確かにパイプはラボまで繋がっているのは確かだが、案内板も標識もない地下から目的のラボまで行くのはかなり困難なように思える。
しかし、次のリュリュの言葉を聞いて結城は納得してしまう。
「昔、ラボに侵入するために作った道がまだ残っていると思いますので。」
「あぁ、あの破壊工作の時の……。」
私の記憶が正しければシーズンの終わりくらいにランベルト立ち会いのもと抜け道を塞いだはずなのだが……他にも侵入経路を用意していたのだろうか。
「あれってまだ塞いでなかったのか。」
「いえ、一応塞いではいるのですけれど、蓋だけしてる状態なのですぐにラボに侵入できます。」
「ああそう……。」
抜け目の無いというか、ちゃっかりした人だ。
「それではこちらへどうぞ。」
問答が終わるとリュリュは早速立ち上がり地下通路の方向を確認し始める。
その間に結城は仰向けに寝ている諒一を起こし、すぐにリュリュによる案内が始まった。
――リュリュが侵入したであろう経路はこちらの想像を遙かに越えていた。
入口は唯でさえスペースの無い地下通路の脇道に作られていて、頑丈そうな壁には綺麗な丸い穴が開いている。そこから先は真っ暗な空間が広がっており、足場は丸いパイプの上面という、かなり不安定な道であった。
ただ、上下左右にも同じようなパイプが通っているので落下の心配はない。言わば、密集しているパイプの隙間にできた道であり、穴と言うよりも隙間と表現したほうが適切なように思えた。
そんな隙間にて、結城は背後から諒一の脇を持ち、後ろ向きに引きずりながら移動していた。
(こんな道があったのか……。)
掘ったといっても陸地のように土や砂があるわけではなく、リュリュは単に壁を壊しただけだ。しかし、こんな隙間を見つけるほうが穴を掘るより困難だったに違いない。
クライトマンの会社は建設の関係でダグラスとも一応は繋がりがあるので、フロートユニットの図面を手に入れるのは可能だろう。だが、それを入手できたとしてもアール・ブランのラボに至るまでの隙間を探すのは大変な作業だったはずだ。
この道を通ってVFを破壊したのかと思うと複雑な気持ちになるが、今はリュリュの努力に感謝しておくことにした。
(それにしても長いな……。)
今通っている道は狭いと言っても一応中腰になれるだけの高さはあり、諒一を引きずって歩くのには問題なかった。パイプの滑りがいいおかげで楽に運べているし、疲労も全く溜まっていない。
明かりもリュリュが救急セットから取り出したランタンライトを使用しているので、問題なく見えている。
結城は先を進むリュリュに目を向けつつ、なんとなく諒一に話しかける。
「こっちのほうが安全にラボまで行けるだろうし、リュリュには感謝しないといけないな。」
「そうだな。……それにしても結城に世話される日が来ようとは。」
私に運ばれている事に負い目を感じているのか、諒一は気まずそうに話していた。
今まで散々諒一には苦労をかけたので、これしきの事で遠慮されてしまってはむしろ私の方が困る。
「そんな風に思わなくていいから。少なくとも骨折が治るまでは嫌ってほど世話を焼いてやるぞ。」
そう伝えて諒一の脇を抱え直すべく諒一の体を一瞬だけ持ち上げる。すると、諒一の口から苦痛の声が漏れてきた。
「う……」
多分骨折した足が痛んだのだろう。結城は一旦足を止めて諒一の顔を覗き込む。
「ゴメン諒一……痛かった?」
「悪いけど、もっとゆっくりして欲しい。その……棒が擦れて痛い。」
「そんなに痛むのか? もしかして、さっきの私のやり方下手だったか?」
包帯はしっかりと巻いたし、添え木になる金属パイプもちゃんと固定できたので問題はないように思うのだが、諒一の見解は正反対であった。
「どちらかと言うと下手だったな。」
せっかく手当したのにその言い草はないだろうと言える訳もなく、結城は言い訳をする。
「それならその時に言えばいいのに……。でも、意外に棒が長かったんだから仕方ないだろ。我ながら、初めてにしては良くできたほうだと思うぞ。」
「いや、結構乱暴だった。大体服も破ることはなかったし、もっと棒も慎重に扱って欲しかった。」
「あの時は諒一が我慢できそうになかったし、早く済ませたほうがいいと思ったんだ。それに、色々と一杯一杯でそんなこと考えられる余裕も無かったし……。」
どんどん口調を弱めていくと、ようやく諒一からフォローが入った。
「悪い、言い過ぎた。棒が長いのはどうしようも無いことだ。」
もっと探せば適当な長さの添え木が見つかっただろうが、あの状況でそれをやれというのはあまりにも酷すぎる。
しかし、それならそれなりに方法はあったかもしれない。そう考えていると、簡単な方法を思いついた。
「そうだ。所詮棒なんだし、折って短くすればよかったかもな……。」
そんな事を言うと、前方からリュリュの度肝を抜かれたような声が聞こえてきた。
「折る!?」
何かおかしなことを言っただろうか、リュリュの言葉を不思議に思っていると、諒一が私の案に対して意見を述べてくる。
「さすがに折るのは無理だ、結城。」
「そうですよタカノ様、男性の……」
「……金属製のパイプがそう簡単に折れるわけがない。」
「あ……あぁ、添え木の話ですか。」
リュリュの言いかけたセリフを耳にし、結城は何故リュリュがあのような反応をしてしまったのか、それを理解してしまった。
2人で小さな声で話していたので、その会話を変な方向に勘違いしたようだ。まぁ、キスを見られた後ならそういう方向に誤解されても仕方がない。
「リュリュ……?」
唯一諒一だけがそれを理解していなかったが、別に理解させる必要はなく、リュリュはすぐに言葉を濁した。
「なんでもありません、添え木がパイプに当たるのなら私が持ちあげてあげましょうか?」
リュリュは抜け道を引き返してくると、諒一の足側に回ってくれた。
「ありがとうリュリュ、助かる。」
私が礼を言うとリュリュはすぐに金属棒の先端を持って諒一の足を持ち上げ、そのままゆっくりとラボに向けて移動していった。
――それから歩くこと5分。
微かではあるが、整備用のロボットアームの駆動音を聞こえてきた。また、それが判別できるということは、出口からほど近い場所まで来ていることを示していた。
すると、それから数歩もしないうちに壁が出現し、のっぺりとした面がランタンライトによって照らしだされた。
「……ここです。」
リュリュは諒一の足から手を離すと再び前方に出て、壁の一部をコンコンと叩く。
すると、本当に壁が薄いらしく、その音は軽快に周囲に響いた。
「ここからリュリュは入ってきたんだな……」
「はいその通りです。」
リュリュはこの道を利用してアール・ブラン初期のVFを破壊したわけだが、今となっては懐かしい。リュリュも時効だと思っているのか、謝ることなく次の指示を出してきた。
「……ではタカノ様、思い切り蹴って下さい。」
結城はリュリュの指示に従い、特に迷うことなくその薄そうな壁を蹴る。
すると、本当にそこには薄い層があるだけだったらしく、軽く蹴っただけで壁はボロボロと崩れ、こちら側に光が差し込んできた。
その光をもっと得るために結城は更に壁を蹴って穴を大きくしていく。
すると向こう側の景色が見えるようになり、結城は一番先に穴から外へと出た。
「ここって……」
どうやら穴は直接ラボまで通っていたらしい。穴から出てすぐに見えたのはVF専用ケージに固定されているアカネスミレだった。
こんな場所に堂々と穴を作っていたとは思いもしなかった。普通なら目立たない場所から侵入するのだと思うのだが、そのせいで逆に気付けなかったのかもしれない。
2NDリーグ時代に使っていたラボは、現在使用している1STリーグのラボと雰囲気は少し違っていたが、他チームが使っていてもその様相は全く変化していなかった。
「懐かしい……」
結城は呟きながら改めてアカネスミレを見る。
鹿住さんがスペアを用意してくれていたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。ボディの色をよく見ると所々に黒色が見られる。それを見て、結城はリアトリスを赤色に塗装しているのだということに気が付いた。
諒一が言っていたVFというのは、リアトリスの事だったみたいだ。
実際、今海上アリーナで七宮が操作しているのはナムフレームとか言うフレームが搭載されたVFなのだし、ここにリアトリスがあっても不思議ではない。
ただ、なぜ、どうやってここに運び込んだのかは理解できずにいた。
「お帰りなさい結城君。」
結城は久しぶりに聞く懐かしい声に反応して、作業台がある場所に目を向ける。
するとそこには白衣姿の女性……鹿住さんがいた。
しかし様子がおかしく、鹿住さんは車椅子に座っていた。おまけに体に力が入っていないのか、足がだらりと前に投げ出されている。
私が知らない間に重傷でも負ってしまったのだろうか。
「どうしたんだ鹿住さん!? ぐったりして……」
心配しつつ駆け寄ると、鹿住さんは腕を持ち上げて何でもないというふうに手のひらを左右に振ってみせた。
「これは一時的なものなので平気です。筋弛緩剤のようですが効果も弱くなっていますし、作業にも全く支障はありませんから。」
筋弛緩剤を打たれた時点で平気じゃないのだが、変に心配するのは止めておこう。
「それにしても珍しい場所から出てきましたね。あんな抜け道があったなんて……」
「鹿住さん、あの穴は……」
リュリュが以前開けたものだと説明しようとすると、その穴から諒一が出てきた。
「あ、諒一のこと忘れてた……」
諒一はリュリュに押し出されるように穴からラボ内へ移動しており、結城は慌ててその手助けに戻る。しかし、穴に到着する頃には諒一は完全に穴から出てきていた。
「ただいま戻りました、鹿住さん。」
私が駆け付けると諒一は私の後方に向けて挨拶をする。鹿住さんまで距離があるし聞こえないのではないかと思ったが、振り向いてみるとすぐ背後に鹿住さんがいた。どうやら車椅子を自分で動かして私の後を付いてきていたみたいだ。
「諒一君、お疲れ様でした。……リュリュさんまで来たのですか。」
「お久しぶりですカズミ様、その節はお世話になりました。」
諒一を押し出すのは結構な重労働だったのか、遅れて穴から出てきたリュリュは額の汗を拭っていた。
“お世話になる”という言葉に多少の違和感を覚えたが、リュリュは家出を偽ってアール・ブランに来た時に鹿住さんの部屋に泊めてもらっていたことがあったはずだ。私が知らないだけで、結構会話をしたりしていたのかもしれない。
リュリュが深く頭を下げると、鹿住さんも軽く会釈してそれに応じた。
「あなたがここまで案内してくれたわけですか。……って諒一君、その足はどうしたんですか。それに頭にも包帯を巻いて……。」
諒一は思い出したように頭の包帯を触りつつ、鹿住さんに報告する。
「どちらの怪我もヴァルジウスの電磁レールガンの二次被害です。一度は心肺停止状態になりましたが、今は大丈夫ですから心配はいりません。」
「確かに心配なさそうですが、さすがにその足では歩けませんね。私の車椅子使いますか?」
そう言うと鹿住さんは車椅子の肘掛部分に両手をつき、腕を踏ん張って車椅子から腰を浮かせた。そしてそのまま床に足をついてゆっくりと立ち上がる。
「おっと……」
まだ少し力が入らないのか、鹿住さんの体はふらふらしていたが、転けるような気配は感じられなかった。
それを見て諒一は遠慮しようとしたが、その旨のセリフを言う前に鹿住さんが先に答えを言ってしまった。
「遠慮することはありません。私はもう自力で歩けるレベルまで回復していますから。」
「そう言ってる割にはふらふらしてますよ、鹿住さん……。」
探せば車椅子の予備くらいあるだろうに、強がりな人だ。
結城はふらふらしている鹿住さんの側に立ってその体を支え、その間にリュリュはてきぱきと動いて諒一を補助し、車椅子に座らせていた。
車椅子の譲渡を終えると、諒一は早速話題をVFに向ける。
「それで、準備は終わったんですか?」
「ええ、もう数分で塗装も完了しますし、システムチェックは既に終わらせているのですぐにでも操作できますよ。」
鹿住さんを支えながらアカネスミレを見ると、最初は気が付かなかったが確かに赤い塗料がロボットアームによって塗付されていた。
あれだけの面積を塗装するのには意外と時間が掛かるだろう。もし、この工程を抜いていればもっと早く準備できた気がする……。そうすれば私がこのラボまで来る必要もなかったかもしれない。
「わざわざ塗装なんてする必要なかったのに。」
私がごく自然な意見を述べると、鹿住さんもアカネスミレに目を向けてその理由を話し始めた。
「そうですね、別に『赤に塗装すれば勝てる』というジンクスがあるわけでもないですが、やはり赤は『勝利の色』ですから。それに、結城君も七宮さんが乗っていた真っ黒なリアトリスをそのまま操作するのは嫌でしょう?」
「確かにそうだけど、あれってやっぱりリアトリスだったんだな……。」
塗装の理由はいいとして、七宮が乗っていたのは聞かないほうが良かったかもしれない。
先程までアカネスミレだと思い込めていたのに、これを知ってしまうと、もはやあのVFは赤に塗装したリアトリスにしか見えない。
そして、リアトリスに対して悪いイメージしか持っていない私にとってはあまり乗りたくないVFでもあった。
そんな事を思っていると、私の言葉に遅れて鹿住さんが謝ってきた。
「すみません。ですがコックピットも換装しましたし、バリアブルフレームにも昔の結城君のパーソナルデータを入力して結城君専用に最適化しています。ですから、間違い無くこれは『アカネスミレ』です。自信を持ってそう言えます。」
「そうなんだ。でもなんだかなぁ……。」
こちらが不満そうに受け答えると、車椅子に乗る諒一が付け加えるようにして話しかけてくる。
「鹿住さんの言う通りあれはアカネスミレだ。せっかくダークガルムの第2ラボからここまで運んできたんだから、今更乗るのを渋らないでほしい。現時点でこれ以上のVFは付近に存在しない。」
それを聞き、結城の脳裏に純粋な疑問が持ち上がる。
――何で鹿住さんはこのラボまで来たのだろうか。
VFを受け渡すのであればダークガルムの第2ラボに私を呼べば済む話だ。それに、あそこなら暴走VFも来ていないし安全だったはず。
結城はそんな疑問を率直に鹿住にぶつける。
「何でリアトリスをここまで運んできたんだ?」
隣にいる鹿住さんはその質問にすぐに答える。
「それは、ここに必要なものがあったからです。」
「じゃあその必要なものっていうのは……」
そんな事を根掘り葉掘り訊こうとすると塗装が完了したのか、VF専用のケージから電子音のメロディが聞こえてきた。
鹿住さんは私との会話を中断し、近くにあったコンソールまで移動すると、それを操作して赤く塗装されたリアトリス……もとい、アカネスミレをケージから解放した。
更に鹿住さんはコンソールとにらめっこしながら、新しいアカネスミレについて詳しい補足説明を始める。それはどこかの販売員の製品説明のようにも聞こえた。
「言い忘れていましたが、このフレームはバリアブルフレームとFAMフレームのミックスフレームになっています。FAMフレームは特殊な人工筋肉のパーツが使用されていて、通常の2倍の馬力を出せます。今組み込まれている物は七宮重工のデータベースに残っていた資料を元に私が再現したものなので正規品ではありませんが、似たような性能だと思ってください。再現するのには意外と苦労しました。」
話している間、VF専用ケージから解放されたアカネスミレは自動でその場を離れ、少し開けた場所で膝立ちになって動きを止める。
そしてコックピットが開いた所で、再び鹿住さんの説明が再開された。
「御存知の通り、バリアブルフレームは徹底的な出力配分、機体のバランス調整、そしてランナーの癖を完璧に把握することにより、総合的な性能を最大で5割ほど増やすことができます。……つまり、単純に掛け算をすればこのミックスフレームは通常フレームの3倍の性能を持っていることになります。実測値は約2.5倍と言ったところですが、それでも今まで使われていたFAMフレームより高い性能を発揮できるはずです。」
そんな説明を聞きつつ結城はアカネスミレの元まで移動し、言われるでもなくそのコックピットに乗り込んでシステムを起動させる。
そして、HMDを装着して外部スピーカーのスイッチをオンにすると、それで鹿住さんに質問を投げかけた。
「――鹿住さん、これでナムフレームには勝てそう?」
質問した途端にHMDに映る鹿住さんの表情が強張る。しかしそれは一瞬だけのことで、すぐに会話が再開された。
「七宮さんから聞いたんですね……。そんなに強かったですか?」
「強いも何も、七宮が操ればどんなVFでも強くなるだろ。でもあれは別格というか、頭部もバッテリーも壊しても動き続けるんだからどうしようもないというか……。」
FAMフレームの正統進化系と言っていたし、性能もFAMフレームと同等かそれ以上だ。そう考えるとミックスフレームといえど、新アカネスミレが勝てる可能性は微妙であるとしか言い様が無い。
そんな風に私は結構ネガティブに捉えていたのだが、ナムフレームを開発した張本人の鹿住さんは妙に自信があるようだった。
「それはどうでしょうか、エネルギー総量も瞬間出力もナムフレームに軍配が上がりますが、勝機はあります。……何故なら、とっておきの秘密兵器を準備していますからね。」
「秘密兵器?」
「FAMフレームと同じく、七宮重工のVF兵装開発データから再現したもので、以前このラボで制作して隠しておいたんです。……結城君、あそこの壁を壊してください。」
鹿住さんが指し示したのは壁と言うよりもラボを支える支柱の一つであった。
結城はアカネスミレを操作し、赤に塗りたてのアカネスミレをその場所まで歩かせる。そしてすぐに支柱の目の前に到達し、取り敢えず支柱に手をかざした。
(壊していいんだろうか……。)
破壊した途端にラボが崩れ落ちたりしないだろうか、などと悩んだが、鹿住さんが言うのだから間違い無いと思い直し、その指示通りに支柱の一部を破壊した。
支柱の中は空洞になっているのか、アームに力を込めずとも簡単に支柱の側面は割れ、その中身が明らかになった。
「結局完成させることはできませんでしたが、これでも十分な性能が……あれ?」
鹿住さんが驚くのも無理はない。支柱の中の空洞には秘密兵器どころか棒きれ一つ見当たらなかったのだ。
柱を間違えたのだろうか、暫く何もない空洞を見つめていると、不意にラボの搬入口から大きなトレーラーが侵入してきた。
「誰だ!?」
何事かと思い結城はアカネスミレを移動させ、トレーラーがそれ以上進めぬように進路を防いだ。
しかし、その運転席に乗っている人物を見て結城はすぐに道を開けた。
「やはりあの槍を探しておったか。……あんな隠し方でばれないとでも思ったか?」
運転席の窓から顔をのぞかせていたのはベルナルドさんだった。
トレーラーがラボ内に入って停止するとベルナルドさんは車から降り、皺だらけの顔を鹿住さんに向けて更に言葉を続ける。
「あの隠していた槍……お前さんがいなくなった後でワシが一人で完成させてしまったわ。」
何のことやら分からないが、鹿住さんには分かっているらしく、ベルナルドさんに“信じられない”という風な表情を向けていた。
「まさか、あれを一人で……!?」
「年寄りを舐めてもらっちゃ困るな。」
ベルナルドさんは自分の腰を労るようにぽんぽん叩きながらトレーラーの助手席側に回り、そこから男性を引き摺り出す。
「途中で怪我人がいたから拾ってきたが、誰かこいつを運んでやってくれないか。」
それを聞き、すぐにリュリュが動いた。
「はい、すぐ近くに仮眠室がありますし、そこに運ぶことにします。……ちょっと待っていて下さい、ストレッチャーをここまで持ってきますので。」
今ラボ内にいる人間でまともに動ける人員が自分しかいないことをリュリュ自身も良く理解しているようだ。リュリュは諒一の車椅子から手を離すと、素早くラボの外へと行ってしまった。
「ベルナルドさん、『槍』って……?」
アカネスミレに乗ったまま外部スピーカーで話しかけると、その質問に対して先に鹿住さんから答えが返ってきた。
「その槍というのが私が先ほど言っていた秘密兵器です。どうやらベルナルドさんが私が完成させられなかった部分を補完してくれたようですが……。」
「説明は後だ。先にトレーラーのコンテナを開けてみるといい。」
結城は言われるがままコンテナを開き、直接その中から槍らしきものを手掴みで取り出す。取り出した時、それは梱包材に包まれて姿が隠れていたが、結城が端を持って横に振ると軽い梱包材は宙に散り、その全貌が明らかになった。
「これって槍……なのか?」
「見ての通りだ。槍だろう?」
「データベースにあった設計図には槍と記載されていましたし、槍だと思います。」
ベルナルドさんや鹿住さんは槍だと言うが、それは結城の思い描いていた槍と少し形状が違っていた。
それは長槍かロングスピアーとでも言えばいいのか。穂先は両刃で肉厚であり、ただの槍と呼ぶには穂先が長かった。……かと言って剣と呼ぶには刃渡りが短いし、柄の長さを考えると、やはりこれは槍という武器に分類されるのだろう。
特徴を捉えた言い方をすれば穂長槍とでも呼べばいいかもしれない。
しかし槍として扱うには、この形状だと“帯に短し襷に長し”というかなんというか、扱いに少々慣れが必要になる気がする。
だからと言って不満があるというわけではない。寧ろ刀剣類ではなくて有難く思っていた。何故なら、刀同士の戦いで七宮に勝てる気はしないが、槍ならばいくらでも戦いようがあるからだ。
形状や武器の分類はいいとして、続いて注目したのは武器の重量に関することである。
穂先が長いので重いのかと思われたが、先程持ち上げて構えた時にその先入観は打ち砕かれてしまった。
「なんだこれ、すごく軽い。」
率直な感想を述べると、ベルナルドさんがその理由を教えてくれた。
「柄には七宮重工が独自に開発した特殊金属繊維を棒状に編み込んでおるから、軽いのは勿論、頑丈でしなりにも強いぞ。」
「ベルナルドさんの言う通りです。柄の部分は完璧に再現できたと自負していますから安心して使って下さい。」
そんな鹿住さんの言葉を耳にしつつ、結城はアカネスミレのアイカメラの前に槍を持ってきて、更に詳しく観察する。
柄の部分は全体的に灰色っぽく光を反射していて、ベルナルドさんの言う特殊な繊維が規則的に編みこまれているのが見えた。穂先の長さにも驚いたが、この柄もかなり複雑高度な技術が使われているみたいだ。
穂先と柄の接合部分については、柄側から伸びている金属繊維が螺旋を描くようにして穂先の根本に絡み付いており、比喩ではなく冗談抜きで同化しているように見えた。加工法がかなり気になる所だ。
また、石突きも螺旋状に収束しており、ドリルのように見えなくもなかった。
(バランスもいいし、七宮重工はこんなすごいものを作ってたのか……。)
硬い繊維を編み込んでいるみたいだし、中空だとは考えにくいが、とにかく全体的に軽量化がなされていることに変わりはない。それに、重量バランスも計算しつくされているように思える。
アカネスミレの性能が向上したから軽く感じるのかもしれない。
しかし、注意すべきところは“槍にしては軽い”というだけであって、今まで使っていた剣などに比べると重いことに変わりはなかった。
続いて結城は穂先も詳しく観察していく。
穂先は肉抜きの跡や溝なども見られず、軽量化とは無縁のよう見えた。更に穂先部分に浮かぶ模様を見ていると、またベルナルドさんが話しかけてきた。
「ブレードは……いや、穂先は全部取っ払って新しく打ち直した。昔の仲間で集まって再現してみたんだが、存外うまくいくものだ。」
「最近出かけてたのはこのせいだったんですか……。」
「ああそうだな。……それより、あんな粗末なブレードをくっつけた武器を槍とは言わん。あれを使うくらいなら、まだそこら辺の棒を使っていたほうがマシなくらいだ。」
急に文句を言われ、すぐに鹿住さんが反応した。
「出来損ないですみません。冷却水の温度などは詳しく記述されていませんでしたから……。」
鹿住さんはベルナルドさんに向けて一応謝っていたが、すぐに穂先を見つめて興奮気味に語りだす。
「それにしてもすごいです。ブレード部分に浮かんでいたあの特徴的なダマスカスパターンに近い模様も再現されていますし、何より美しいです……。」
鹿住さんの言う通り、刃の側面には山岳地帯の地図でよく見る等高線のような模様が綺麗に浮かび上がっていた。しかもそれはパターン的ではなく、刃全体に不規則的に現れていた。
その模様はまるで刃自身に意志があるのではないかと錯覚してしまうほど自然的でもあり、芸術作品といっても過言でないほどの貫禄があった。
前から凄腕のエンジニアだとは分かっていたが、鹿住さんさえ唸らせるこの槍の完成度は“凄腕エンジニア”の一言だけでは説明しきれない。こんな物を作れるベルナルドさんは一体何者なのだろうか……。
ベルナルドさんはこちらの疑問を気にする様子すらなく、淡々と槍について話していく。
「切れ味や刃渡りは『鋼八雲』には適わんが、ブレードは厚めに作ってあるし、耐久性は遙かに上回っておる。何をやっても壊れることはないじゃろうし、槍術を上手く使いこなせば暴走したVF共も楽に掃討できるだろう。」
槍もセブンからレクチャーを受けているし、扱うのには問題ない。
とても心強い武器を手に入れることができて満足だったが、結城はベルナルドのセリフの一部に疑問を感じ、すかさず問い正す。
「ベルナルドさん……何で『鋼八雲』って名前を知ってるんですか。」
そんな私の質問に、ベルナルドさんはすぐに答える。
「知ってて当然じゃろう。鋼八雲は七宮の野郎と一緒に作り上げた傑作だからな。」
「え? それってつまり……」
「ああ、鋼八雲はワシらが製作した刀だ。久々に映像で見たが、相変わらずの切れ味のようで安心したわい。」
結城はベルナルドが言っていることをよく理解できなかった。
あの刀を作ったってことは七宮の仲間なんだろうか? でも、私が来てからずっとベルナルドさんはアール・ブランで働いていたし……。となると、あの時の鹿住さんみたいに最初から七宮の協力者だったのかもしれない。
結城はそんな事を思っていたが、次に聞こえてきた鹿住とベルナルドの会話を聞いて考えを改めることになる。
「……では、ベルナルドさんは七宮――七宮宗生さんとお知り合いなんですか?」
「ああ、あの坊ちゃんのことはよく知っておる。ランベルトに呼び戻されるまでは七宮のVF開発試験室で働いていたからな。もう何年前になるか……懐かしい。」
「なるほどそういう事でしたか。これで、何故あなたがそのような加工技術をお持ちなのか、納得することができました。七宮重工にスカウトされるくらいですから、このくらいは当然なのですね。」
七宮の話題に触れたのは事情を知らぬベルナルドさんにとって不思議だったようだ。
今度はベルナルドさんから質問が返ってきた。
「何だ? 七宮がどうかしたのか。」
その質問に、鹿住さんは真剣な口調で答える。
「それが……今の騒ぎを起こしているのがその七宮宗生さんなんです。」
「それは本当か?」
「はい、ダグラスへの復讐が目的のようです。日記にもそう書いてありました。」
普通の人なら七宮が全ての首謀者だとは考えられないだろう。しかし、ベルナルドさんは思い当たるフシがあるようで、何度か首を上下に振って頷いていた。
「復讐か……。ということは、やはりあれは自殺じゃなかったんだな。」
「自殺には変わりませんが、ダグラスがそういう状況に追い込んだのは確かです。」
この話は鹿住さんから聞いたことがある。イクセルのお見舞いに行った時に待合室で聞いた話だ。
事実を知ったベルナルドさんは酷くしょげた表情を見せる。
「七宮の社長は良い奴だったよ。坊ちゃんを含めてみんな尊敬しておった。……だから、あとで自殺したと聞いた時は落ち込んだもんさ。あの坊ちゃんも相当堪えただろうな。」
そう言ってベルナルドさんは感傷に浸っているようだったが、すぐにその表情も消え失せる。
「……だからと言って、この騒ぎを黙認するわけにはいかん。」
そして、私に強い視線を向けてきた。
「お嬢さん、あいつに教えてやってくれ。外道を相手にこちらまで外道になってはいかん、とな。」
「……分かりました。」
ベルナルドさんにとって七宮は親しい人間なようだ。
結城はこの話を聞いて、七宮に対するイメージが少しだけ変化していた。
そんなやり取りが終わると、ストレッチャーと共にリュリュがラボ内に戻ってきた。
リュリュはそのままトレーラーの助手席までストレッチャーを移動させる。するとベルナルドさんは再びトレーラーに乗り込み、途中で拾ってきたという怪我人を載せる作業を手伝い始めた。
そう言えば私もこんなに長話している暇はなかった。早くリオネルを助けて、海上アリーナまで行かなくてはいけないのだ。
結城は槍の中間あたりを持つとくるりと回して穂先を上に向ける。そして、ラボ内の備品にぶつけないように、槍をアームに沿わせるように持った。
そして、去り際に鹿住さんにお願いをする。
「諒一のこと、よろしくお願いします。」
「もちろんです。安心して下さい。」
鹿住さんはよろよろと歩きながら諒一の座る車椅子まで移動していく。その先にいる諒一を見ると額に汗を掻いてぐったりとしていた。
そんな容態の変化に、結城は思わず声を掛ける。
「諒一……やっぱり痛いのか?」
車椅子の上で諒一は絞り出すような声で返事をしてきた。
「遅れて痛みがやってきたみたいだ。でも、死ぬようなことはない。」
先程から声が聞こえないと思っていたのだが、痛みのせいで会話に参加できなかったようだ。
結城は諒一のもとに向かうべく咄嗟にコックピットハッチを開けてしまったが、諒一は私が来るのを拒むように手のひらをこちらに向けて突き出していた。
それを見て、結城はコックピットから出ることができなかった。
さらに諒一はこちらを突き放すようなセリフを吐く。
「時間が惜しい、早く行くんだ結城。」
諒一は痛みに耐えながらも私の事を考えてくれている。だからこそ諒一のその言葉を無碍にはできなかった。
「……。」
結城はすぐにコックピットハッチを閉じるとラボの搬入口に体を向け、外へ向けて歩いて行く。
その途中、背後からリュリュの声が聞こえてきた。
「リョーイチ様は私が責任をもって病院まで連れていきますので、その為にも早く騒ぎを収めてください。」
「ああ、分かった。」
その声を最後に、結城はラボから出てひとまずはリオネルの援護に向かうことにした。
5
アカネスミレに乗った結城がラボから地上へ向かったのを見届けると、諒一は大きくため息をついた。
ラボに来て落ち着いたせいか、つい数分前から足に痛みが走りだしたのだ。
正確には本来感じるはずだった痛みが戻ってきたと言ったほうがいいだろう。とにかく今は足を万力で潰されているのではないかと錯覚するほど、強烈な痛みを感じていた。
まだ耐えられるレベルではあるが先程心肺停止から復帰したばかりの身には辛い痛みでもあった。
車椅子の上で屈み、折れた方の足の付根を押さえて耐えていると、リュリュがこちらに声を掛けてきた。
「取り敢えずこのフロートの安全が確保できるまではベッドで安静にしていましょう。仮眠室まで連れていきます。」
今すぐにでも病院に連れて行って欲しいが、それは無理な相談だ。結城が事態を収集してくれることを願うしかない。
(結城……)
できれば結城ではなく自分がアカネスミレに乗って戦いたい。なるべくなら結城の身を危険に晒したくはない。だが悲しいことに、自分には結城のような操作技術はないのだ。
そんな事を思っていると、近くにいた鹿住さんから深呼吸する音が聞こえてきた。
「これで出来るだけの事はやりました。私もだるいので少し休みます。」
そう言ってその場を離れようとする鹿住さんをリュリュが引き止める。
「待って下さい、通信網だけでも復帰させて欲しいのですが、無理ですか?」
「電波妨害系統はミリアストラさんに任せていましたから難しいですね……。できないことはありませんが……。」
「ではお願いします。ランナーと通信出来るだけでも戦況は有利になります。」
リュリュはリオネルと連絡を取りたいのだろう、ストレッチャーでぐったりしている怪我人を放置して必死に訴えていた。
しかし鹿住さんは本当に体がだるいらしく、呼吸も浅く返答する。
「戦況といいますか、七宮さんの計画では住民の安全は完全に確保されているんです。損壊した建造物もダグラスから保証金が降りますし、放っておいても問題はありません。」
放置しても死ぬようなことがないとは言え、これではリュリュが可哀想だと思い、諒一は痛みを押し殺しつつ会話に割りこむことにした。
「鹿住さん、結城と携帯端末で会話できた時みたいに一時的に通信することはできないんですか?」
「携帯端末であれば可能なのですが、ミリアストラさんはVF用の無線装置を重点的に妨害しているみたいなんです。」
鹿住さんの答えを聞いてリュリュは諦めたようで、別のことを質問し始めた。
「それは難しいですね……。ところでカズミ様はどうして七宮を裏切ったんですか?」
今そのことを聞く必要があるのだろうか……。
簡単に話してくれないだろうと考えていたが、意外にも鹿住さんは長々と語りだす。
「そうですね……最初は単なるダグラスへの復讐かと思ったのですが、今日になって七宮さんが世界から糾弾されるべき事を画策していると知ってしまったからです。それが何かは私の口から言えませんが、とにかく許されざる事なんです。ですから、その考えを改めさせる必要があるんです。……それをできるのは結城君以外に有り得ません。」
そんな話を聞き、諒一は思わず鹿住にきつい口調で問い詰める。
「鹿住さん、そうやって結城に全部押し付けるつもりだったんですか……。」
今回、高性能のVFや強力な武器を提供したのは、結城のためでも海上都市群の防衛のためでもなく、単に七宮という男の考えを改めさせるためだったのだろうか。
そう思うと鹿住という人を信じていいのか考えさせられる。それに、鹿住さんの手助けをした自分自身も結城を窮地に立たせているのではないかと思い悩んでしまった。
そんな風に諒一は深刻に考えていたが、鹿住の考えは至ってシンプルだった。
「押し付けるなんてとんでもない。結城君は自らの意思でここまで来ました。単に七宮宗生という敵を倒したいが為にアカネスミレを取りに来たんです。……それに、七宮さんとの対決は避けて通れない道です。七宮さんの計画では結城君との対決は決定事項でしたから……。」
そう言われても、諒一は鹿住が結城にVFという武器を与えて無理矢理戦わせているような気がしてならなかった。
「ルール適用外の対戦なんて危険なことには変わりないんですから、利害が一致すればいいというものでもないでしょう。それに結城はそんな単純なランナーじゃ……」
そう言いかけて、諒一は言葉に詰まってしまう。
結城の目的は常に単純明快であり、ややこしい事情とは無縁だ。それに、鹿住さんの言うように七宮に勝ちたいという思いは本当に違いない。
それを踏まえ、諒一は言葉を続ける。
「……いえ、単純なランナーでしたね。」
こちらがそれを認めると、鹿住さんも胸の内を打ち明けてくれた。
「言い忘れていましたが、私も諒一君に負けないくらい結城君のことを心配しているつもりです。ですが、彼女に頼るしかないんです。情けない話ですよね。」
そう言う鹿住さんの目は潤んでいた。
「情けないなんて、そんなことは……。」
いくら御託を並べたところで結局は全てを結城に委ねる以外に方法がないのだろう。
鹿住を問い詰めた諒一自身も、結城に行かせるしかない自分の無力さを嫌というほど感じていたので、同情できなくはなかった。
その後しばらくして鹿住さんが会話を中断してきた。
「言い合うのもここまでにしましょう。諒一君も辛そうですし、暫く休んだらどうです?」
鹿住さんの言う通り、足の痛みは治まりそうにない。
その意見に同意するように頷くと、リュリュが車椅子のハンドルを握ってきた。
「ではリョーイチ様を仮眠室まで送ります。」
「そうですね。私はもう暫くここで通信を回復させられないか試してみます。」
鹿住さんは先程の意見を撤回し、休むことなく情報端末のある場所に向けてゆっくり歩いて行く。
それと同時にリュリュは車椅子を押し始め、諒一は鹿住に何も言えないままビル内の仮眠室へ運ばれていった。
ストレッチャーに載っていた怪我人はリュリュの代わりにベルナルドさんが運んだらしい。諒一は仮眠室に向かう途中の通路で空になったストレッチャーを押しているベルナルドさんと遭遇した。
ベルナルドさんはこちらを見つけると、ストレッチャーから手を離し、その手を軽く上げて声を掛けてきた。
「おう、痛そうだな……。鎮痛剤は飲んだのか?」
「はい、救急セットにあった物を飲みました。そちらの怪我人は大丈夫なんですか?」
空のストレッチャーを見て怪我人のことを思い出したのだが、そちらは心配無いようで、ベルナルドさんは笑いながら教えてくれた。
「仮眠室に来てすぐに意識が戻ってな、ピンピンしておるわ。VFのコックピットに乗っていたから、多分どっかのランナーだとは思うんだが……まぁ、そういうのはそっちの方が詳しいだろう。じゃあ、お大事にな。」
ベルナルドさんはそれだけ言うと再び両手でストレッチャーを押し始め、ラボの方へ戻っていった。
どこのランナーだろうかと一人で予想していると、車椅子を押してくれているリュリュには思い当たる節があるらしく、背後から話しかけてきた。
「2NDリーグフロートユニットの防衛はお兄様とアオトが行なっていましたので、多分……」
リュリュがその人物の名を口にする前に、諒一はそれが誰かを知ることとなる。
「おや? リョーイチ君じゃないか!! 奇遇だね。」
無駄に元気のいい声がし、通路の前方からランナースーツ姿の男性が現れた。
諒一はそのランナーに見覚えがあり、スエファネッツのランナーのアオトだということがすぐに分かった。
本当にベルナルドさんの言う通り問題ないらしい、足取りも軽やかに通路を歩いていた。
アオトはそこそこ有名な男性アイドルランナーであり、以前こちらに交際を申し込んできたホモでもある。
あの時は交際を断ったのだが、彼の想いは相変わらずのようで、熱い視線を向けられていた。
「こんにちは。」
こちらが恐る恐る挨拶すると急にアオトは嬉しげに車椅子に寄り添ってきた。
「足を骨折したのか……。丁度いい、俺は軽傷で済んだから付きっきりで看病してあげよう!!」
「ちょっと……」
いきなりの申し出を怪しく思い、諒一は断ろうとしたが、リュリュはその言葉を額面通りに受け取ったらしく、アオトに礼を言っていた。
「それは助かります。私はお兄様と通信できないか、再度カズミ様に相談しに行きますので。それではネクティレル様、何かあったらお願いします。」
「任せておけ!!」
嫌な予感しかしなかったが、逃げ出そうにもこの足では立ち上がることすらできない。
「あぁ……。」
それから諒一は為す術もなくアオトに仮眠室に連行され、たっぷりと手厚い看病を受けることとなった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
とうとう結城と諒一の仲が進展し、ついでにアカネスミレと新しい槍を手に入れることができました。槻矢がエルマーに搭乗することでフロート間の移動が容易になり、かなり有利になった気がします。
次の話ではそれぞれの場所で戦っているランナー達の決着が付くと思います。
今後も宜しくお願いします。