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幕間 『ブイエフ日記』

 1STリーグの最終試合、アール・ブランの優勝が決定したかとおもいきや、突然海上アリーナでトラブルが発生する。4体のVFとサマルによる破壊行為……これは単なる機械のトラブルなのか、それとも意図的に暴走させられたのか。これが七宮の計画に拠るものだとは結城は知りもしなかった。

 幕間



 ――遠くでサイレンの音がする。

 とある工業団地に建設されているダークガルムの第2ラボ、鹿住葉里はそこで断続的に鳴り響いているサイレンの音を聞いていた。

(けたたましい音ですね……。)

 このサイレンは海中シェルターへの避難指示だ。この海上都市が建設されて以来役に立っていなかった設備がようやく役に立つ時が来たということだ。

 住民からすればシェルターが役立つ日など来てほしくないだろうが、安全を考えれば入ってもらうしか無い。一応数年に一度は避難訓練もしているし、そこまで混乱はないはずだ。

 観光客もレアな体験ができたと思って喜んでいるに違いない。

 ……実際は違うかもしれないけれど、今は前向きにそう思っておこう。 

(そろそろ計画が始まりますね。)

 今私がいるダークガルムの第2ラボは被害の及ばない計画の範囲外の場所に位置している。なので危険は全くない。

 しかし、このサイレンの音を一人で聞いている今の状況はそこそこ不安だ。作業も終わって余裕が出てきたので、こんな事を心配する余裕もできたということだろう。

 そんなサイレン音をBGMに、鹿住は目の前にある情報端末の画面を今一度確認する。

(シミュレーションゲーム内の監視プログラムも解除しましたし、遠隔操作システムのリンクも正常。ランカーの皆さんも勢ぞろいですね。……ま、あれだけのポイント報酬があれば仕事を休んででもイベントに参加してくるでしょうね。)

 今頃、ランカーゲーマーが遠隔操作で操るVF達はダグラスの組立工場を出て、輸送船に揺られてそれぞれの目的地へ向かっていることだろう。その場所で大暴れしてくれれば文句はない。

 キルヒアイゼンがダグラスの工場を借りてまで生産した約200体のVF。それらを全てランカーゲーマに操作させ、『ダグラス社製VFの暴走』を演じてもらうのが主な目的だ。

 ランカー達もゲームのイベントのつもりで手加減することなく戦ってくれることだろう。

 それに、前々から海上都市と全く同じバトルエリアを配信しているので、違和感なくイベントの指示に従ってくれるはずだ。

(もう一度流れを確認しておきますか……。)

 ……まずは海上都市群の防衛システムを起動させ、VFにそれらを破壊させる。

 次に、暴走したVFをプロのランナーたちに破壊させ、世間にダグラスが悪である印象を植え付けさせる。

 世間にはプロのランナー達を支持する層が圧倒的に多いはずなので、VFの暴走事件は一気にダグラス社製品の信用を失墜させることになるだろう。情報操作も仕込みも完璧だし、ここまでは目を瞑っていても成功するはずだ。

 この時点で映像による記録は終了させ、後はダグラス本社ビル周辺の暴走VFだけを残して、そのランカーゲーマーが操る暴走VF達に本社を破壊させる。

 そうなると当然、結城君を始めとするランナーたちはダグラス本社のフロートユニットへ移動するはずだ。そんなランナー達を阻止する事がミリアストラさんやジン君、そしてローランドの役目というわけだ。これは、VF同士を実践同様の条件で戦わせてデータを収集する目的もあるらしい。

 とにかく、大まかな流れはこんな感じだ。

(……本当にこれでいいんでしょうか。)

 素人目に見てもこの計画が無駄だらけであることが分かる。

 200体ものVFが暴走して都市にダメージを与えるだけでもダグラスの評価はがくっと下がるだろうし、それで七宮さんの目的は達成できるはずだ。なのに、何故VF同士を戦わせる必要があるのだろうか。

 バッテリーパックと広域ジェネレーターを使用すればフロートユニット内ならVFは自由に動けるようになる。その代わり、コックピットに搭載された対ショック機能が低下するかもしれない。……それはすなわち、ランナーの命に関わる事態が起こり得るということだ。

 それに思い至ると、鹿住はあることを思い出した。それはリアトリスとアカネスミレの試合で起きたことだった。

(また結城君が怪我でもしたら……)

 リアトリスにコックピットを貫通された時は軽傷で済んだが、今回ばかりはどうなるかわからない。下手をすれば死ぬ可能性もある。

(いえ、七宮さんに限ってそんな事は……)

 あの七宮さんのことだ。何か、私が思いも付かないような安全策を講じているに違いない。例え講じていなくても、そう信じたかった。

「いけませんね……。」

 鹿住は昂ぶってきた感情を抑えるべく、何か飲み物を飲んで気を落ち着かせることにした。

 確か飲みかけのコーヒーがあったはずだ。冷えて美味しくないかもしれないが、そのくらいのほうが気が紛れるというものだ。

 そうと決まるとすぐに鹿住は情報端末から離れ、コーヒーが置かれている机まで移動する。

 すると記憶通り、自作の机の上には飲みかけのコーヒーがあった。それを手にとって飲もうとすると、机の上に見慣れぬものを発見した。

 湧いて出たかのごとくぽつんと置かれていたのは古びた本であり、見たところ10数年は経っているようだった。

 鹿住はコーヒー片手にそれを取り上げ、表紙や背表紙を観察してみる。

(これは……日記帳ですね。どうしてこんな所に……?)

 表紙には日本語で『ブイエフ日記』とだけ書かれていた。

(ブイエフ……VFのことでしょうか?)

 わざわざカタカナで書くことに何か意味があるのかもしれない。

 鹿住はこの時点で、持ち主が誰であるか大体の予想はついたが、裏の名前欄を見てその予想は確信に変わった。

(『七宮宗生』……。七宮さん、日記なんか付けていたんですね。)

 持ち主が分かった所でふと視線を机に戻すと、メモ用紙を見つけた。どうやら日記の下側に置いていたらしい。そこには七宮さんのサインが入っていて、一言だけ綴られていた。

 鹿住はそれを読み上げる。

「『計画が終わるまで預かっていてください。』……どういうことでしょうか?」

 何か重要なことでも書かれているのだろうか。

 気になった鹿住はコーヒーを机に戻して日記を両手で持ち、飛ばし飛ばし内容を読んでみることにした。




『ブイエフ日記』


2078/12/25

 ぼくの名前は七宮宗生です。今は11歳の6年生で、来年からは中学校に通います。

 今日は初めて日記を書きます。この日記はお父さんがクリスマスにくれたものです。

 お父さんは「日記をつければ自分の成長がわかる」と言っていました。

 ぼくは将来ブイエフランナーになりたいので、自分で練習したことを毎日日記に書いていこうと思います。なので、日記の表紙にはブイエフ日記と書きました。

 まずはカレンダーにトレーニングの予定を書いてきます。


2082/02/11

 今日は僕の人生でも記念の日になった。

 なんと、初めてVFを操作したのだ。3年間練習したかいがあった。

 輸入したシミュレーターよりもリアルだった。まあ当たり前だけど。

 これはお父さんが会社の人たちに内緒に作ってたものらしくて、お父さんがその発表の時に僕に操作を頼んできたわけだ。

 急だったけど、シミュレーター通りだったから問題なかったと思う。

 あと、そのお陰でお父さんの願いも叶ったみたいで、お父さんの会社は本格的にVFを作り始めるらしい。

 もちろん、VFチームも作るらしく、僕をランナーにしてくれるって言ってくれた。

 多分お父さんは冗談で言ってると思うけれど、僕はランナーをできると思ってる。

 自分でも驚くくらいVFを上手く操作できたので、今日からはあの感覚を忘れないように、格闘技の習い事の数を減らして、もっとVFの練習の時間を増やすつもりだ。

 お母さんは僕が習い事を止めるのを許してくれないと思うけど、お父さんに頼めばなんとかなると思う。

 開発試験室の人とも仲良くなったし、これから毎日VFに乗せてくれるかもしれない。それで上手く動かせれば、みんなだって認めてくれるようになると思う。


2082/07/30

 来月から3RDリーグ開幕だ。

 明日からは3RDリーグの大会が行われてる中国に行く。

 高校は休むことになるけど、単位は十分貯めてあるから全然問題ない。でも、部活の大会に出られないのがちょっと残念かも。

 今振り返ってみると、僕もこの半年で随分操作がうまくなったものだ。

 ここまで順調だと僕にもそういう才能があるのかもしれない。みんな上手い上手いって褒めてくれるし、間違いない。

 でも、ここで調子に乗っちゃ駄目なのもわかってる。

「慢心は綻びを生む。」

 剣術の先生が僕に教えてくれたことだ。一振り一振りを本気で行うという意味だけど。僕は大好きな言葉だ。先生には出発前に挨拶しておこう。


2083/03/03

 昇格リーグで優勝した!!

 思ったほど3RDリーグは難しくなかった。強いチームが無くて勝つのも簡単だったけれど、それでもやっぱり嬉しい。嬉しすぎて眠れない。

 来シーズンからは2NDリーグに昇格するみたいだ。

 お父さんにも褒められたし、スタッフの人も褒めてくれた。

 幸せだ。

 ……でも、慢心しないのが僕だ。

 明日も今日みたいにキリッとしておこう。そっちの方がカッコいいし。


2083/08/28

 初戦から負けてしまった……。

 今日から2NDリーグの初戦だったけれど、いきなり強い奴とあたってしまった。

 やっぱり、海上都市の2NDリーグはレベルが高いみたいだ。

 イクセルっていうランナーだったけど、かなり速かった。

 しかもこっちの武器を奪って捨てて素手で格闘してくるし……

 フリーのランナーらしくて、1STリーグの試合にもよく出ているらしいし、強くて当然なのかもしれない。

 またこいつとあたるかもしれないから、一応徒手格闘の訓練もしておこう。

 ……それにしても、負けたのにこんなに気持ちいいのは不思議だ。また戦えるだろうか。


2084/04/12

 せっかく昇格が決まったけど素直に喜べない。

 そのせいでみんなにも心配されてしまった。

 ……原因はもちろんあのイクセルだ。

 せっかくイクセルより先に1STリーグに昇格できたと思ったのに、イクセルは1STリーグのチームにスカウトされたらしい。これで晴れてアイツも正式な1STリーグランナーを名乗れるわけだ。

 僕よりも強いのは認めるけど、何かずるをされたような気がして嫌だ。

 でも、1STリーグでまたあいつと試合できると思うと、悪い気はしない。

 今度こそ絶対に負かしてやる。


2084/08/03

 今日は1STリーグ開幕試合だった。

 イクセルはダグラスの専属ランナーになったらしい。

 あまり書きたくないけど、今日のダグラスの試合はとても良かった。イクセルはどんどん強くなってる。

 僕ももっと練習量を増やそう。

 あいつには負けたくない。


2084/08/10

 初戦はなんとか勝てた。

 今日の刀は今まで使ってきた武器の中でも一番使いやすいかもしれない。丈夫で切れ味もいいし、何より僕にしっくり来る。

 この刀を次にも使えるようにお父さんに頼んでおこう。


2084/08/14

 商業エリアでアイツと偶然あった。

 それで、そのまま色々話した。

 話してみると案外いいやつだった。というか、間抜けな奴だった。

 全然イメージと違う。なんか今まで敵視してたのが馬鹿みたいだ。

 イクセルも僕のことをよく知っていたのは驚いた。あっちも戦いたいと思ってたらしい。

 お世辞で言ったのかもしれないけれど、あんな寝ぐせも直してない天然男がお世辞を言えるとも思えない。

 あと、人生で初めてランナーとアドレスの交換をした。

 後でメールしてみよう。


2084/09/22

 今日は海上都市内のVF開発企業の会食会があった。

 そこでキルヒアイゼンのオルネラという女の子と話した。

 歳は同じらしいけど、僕よりずっと年上に見えた。

 あと綺麗だった。

 今調べたらファンクラブとかもできてるらしい。

 あんな綺麗な有名人と会話できるのだから、お父さんには感謝だ。社長の肩書きは伊達じゃないみたいだ。

 また会う機会もあるだろうし、その時に話しかけてみよう。


2084/10/01

 ……これは恋かもしれない。

 オルネラとたくさん話せた。

 試合後のハンガーで色々話してくれた。

 彼女はチーム責任者を任されて、いろいろ大変らしい。

 同い年なのに責任者だなんて、僕には到底務まりそうにない。

 彼女はイクセルのことを知ってるらしくて、僕がイクセルのことを話したお陰で会話がかなり膨らんだ。

 オルネラとは友達にもなれたし、今日だけはイクセルに感謝だ。


2084/11/28

 やっぱり1STリーグは辛い。

 またイクセルに負けてしまった……。

 でも、武器を奪われるのはなんとか防げたので大きな進歩だ。

 それに弱点も分かった。

 日記は見られるかもしれないのでその弱点はここには書かないけれど、次は絶対に勝てる。


2084/12/26

 クリスマスはオルネラと過ごすことができた。……けど、イクセルも一緒だった。

 本当は2人きりで過ごしたかったけれど、まだ僕には無理そうだ。空気を保てそうにない。なので、イクセルと3人で馬鹿騒ぎできたのは良かった。

 お洒落したオルネラはかなり可愛かった。僕もスタッフのアドバイス通り、無難なファッションを選んで良かった。

 まだあって日も浅いのに、こんなに仲良くなれるとは思ってもなかった。やっぱり、VFという共通点があるからこそここまで仲良くなれたのだろう。

 お酒もちょっとだけ飲んだ。

 2人とも真っ赤になって面白かった。僕はお酒に強いらしく酔えなかったのが残念だ。いや、喜ぶべきなのか……。

 とにかく、2人とはもっと仲良くなれる気がする。

 特にオルネラとは仲良くなりたいものだ。


2085/02/27

 今シーズンはダグラスが優勝した。

 イクセルは今や一躍有名人だ。

 すでに最強のランナーなんて言われてもてはやされてる。

 あと、新フレームの開発がキルヒアイゼンと共同で行われることになった。

 オルネラと会える機会が増えるかもしれない。


2085/04/20

 今日はオルネラに秘密の場所に連れていってもらった。

 今は使われてない農業試験プラントで、そこからの景色は最高だった。

 今度はイクセル抜きで、2人きりであそこに行ってみたい。


2085/05/03

 いつもの3人で海水浴に行った。

 キルヒアイゼンのプライベートビーチでゆっくりと過ごすことが出来た。

 イクセルがオルネラの妹さんと水泳対決をしてくれたお陰でオルネラと2人きりで話すことが出来た。

 水着姿の彼女はとても綺麗だった。外国の女の子だからそう思えるのかもしれないけれど、やっぱりオルネラは特別に綺麗だ。

 「真珠みたいな綺麗な肌だね」……なんて言ってみたかったが「日焼け大丈夫?」としか言えなかった。情けないが、まだまだチャンスはある。

 頑張って交際を申し出てみようか……。

 いや、やっぱり無理だ。


2085/06/02

 かなり前から七宮重工はダグラス社から脅しを受けていたらしい……。

 お父さんはかなり悩んでいる。

 七宮のフレーム技術にダグラスの物が転用されている、と訴えられるかもしれないのだ。

 そんなのはでっち上げだ。事実無根だ。

 七宮のVFはお父さんたちが自分たちで作り上げたのだ。僕はVFが出来る様子を毎日見ていたのだから間違いない。

 「ちゃんとその事を言えばいい」ってお父さんに言ったが、ダグラス相手ではどうしようもないらしい。

 これ以上VF産業に進出するつもりなら容赦はしないとも言われたみたいだ。

 でも、七宮が優勝できたら何もしないと約束したと言っていた。

 ダグラスは七宮が優勝できないと思ってるらしいが、僕がその考えを打ち砕いてやろう。

 これからは試作武器を試合で使うのは止める。あの刀で確実に勝ちに行く。

 何があっても容赦しない。

 これはお父さんだけの問題ではない。チームのみんなの問題なのだ。

 僕が勝てば、何も問題ないはずだ。


2085/09/13

 今日は良いニュースがある。

 かねてからキルヒアイゼンと共同開発していた新フレームの試作型が完成した。

 動作テストも済んで、性能もいい。従来型の2倍近くの出力を出せるらしい。

 これを使えば更に勝率は上がるだろう。

 絶対に負けられないから、早く実用化できるように願うばかりだ。


2085/12/14

 イクセルに勝った。

 これも共同開発した新フレームのおかげだ。

 イクセルに勝てるだけの性能があるのだから、これで七宮の優勝は決まったようなものだ。

 約束通り、これでダグラスも七宮に圧力を掛けることもなくなるだろう。

 お父さんの役に立てて嬉しい。これから七宮はもっと成長できる。

 少し自信もついてきたし、オルネラに気持ちを伝えてみようと思う。

 今から何を言うか考えておかないと……。


2085/12/25

 とうとう彼女に告白した。

 新フレームの最終動作テストの時、2人きりになった時に告白した。

 まだ心臓がばくばくしている。

 返事は聞けなかったが、オルネラは笑ってくれた。

 無理矢理返事を聞くのも野暮だし、ここは返事を待とう。


2086/02/07

 負けた。イクセルに負けた。

 ……なぜキルヒアイゼンの機体にアイツが乗っていたんだ。ダグラスから移籍したなんて聞いてない。

 それに、なぜあのタイミングでイクセルとオルネラが交際を発表したのだ。

 試合前にあんなことを言われたせいで、試合に集中できなかった。

 こんな事を言うと言い訳に聞こえるかもしれないけれど、僕にとってはかなりのショックだった。まだ返事も聞けてなかったのに……。

 なぜオルネラはイクセルを選んだのだ。なんで僕じゃないんだ。なんでイクセルなんだ。

 アイツのどこがいいんだ。

 強さか?

 僕が弱いからオルネラはアイツを選んだのか。

 いつから付き合ってたんだ……? もしかして、僕がオルネラに会う前から?

 じゃあなんでその事を僕に言わなかったんだ?

 僕に気を使っていたのか?

 イクセルが? オルネラが? 2人ともが……?

 ……もう駄目だ。忘れよう。


2086/02/21

 日本に帰って今日で丁度1ヶ月になる。父さんの葬式も終わったし、もう海上都市に行くつもりはない。

 これから父さんの跡継ぎとか、会社の経営のことで色々忙しいし、ずっと日本で過ごすことになるだろう。

 ……僕は信じない。あれは絶対に自殺じゃない。病死でもない。殺人だ。

 絶対にダグラスの仕業だ。

 許さない。


 でも警察はとり合ってくれなかった。

 父さんの形見のVFも本社にすべて移送されてしまった。

 VF用の刀の『鋼八雲』だけはなんとか確保できたけど、VFや七宮製の武器は今頃廃棄処分されているだろう。脇差はイクセルに折られて今は太刀しか残っていない。

 まさかこれが父さんの形見になってしまうなんて思ってもいなかった。

 お母さんはとっくの昔に離婚してるし、ついに僕一人になってしまった。

 もう嫌だ。


2086/03/09

 久々に海外ニュースに目を通した。

 イクセルとオルネラがチーム業務を放棄して駆け落ちをしたみたいだ。

 あとで分かった事だが、キルヒアイゼンはダグラスに資金面の問題で脅されて、オルネラにイクセルを誘惑させ、無理矢理試合に出させたらしい。もちろん、七宮の優勝を阻止するためだ。

 これを聞いて少しだけ安心した。

 オルネラは無理矢理イクセルを誘惑しただけで、もともと付き合ってなどいなかったのだ。

 でも、駆け落ちをしたということは、2人はダグラスに脅されずとも少なからず好意があったに違いない。

 もし知っていれば、こんな思いをしなくても済んだのかもしれない。

 あの2人はお似合いだ。

 憎たらしいほどお似合いだ。

 でも、後の祭りだ。


 ……もう何も書くことはない。

 これから彼女に関する話題は書かない。もう終わったのだ。

 せめて返事くらいは聞きたかった。

 お父さんが死んでチームも解体されたし、もう僕がVFに関わることは二度とないだろう。

 でも、この数年間は楽しかった。

 まるで夢のような毎日だった。

 夢は覚めるものだ。

 僕は夢から醒めてしまったのだ。


2087/12/17

 久しぶりにこの日記を書く。

 天才を見つけた。

 何気なく見たニュースに、何かの機構を競う大会の作品が映し出されたのだが、そこに映った佳作の作品に目を惹かれた。

 ……今日、その展示場に作品を直に見に行った。

 明らかにあれは未完成品だった。しかし、完成品であれば優勝できていたに違いない。それほど機能的で美しい作品だった。

 なぜ彼女が最優秀でないにしろ、金賞に選ばれてないのかが不思議でたまらない。

 なぜ誰も彼女のことを話題にしないのだろうか。

 なぜ会場でも誰も見向きもしないのだろうか。記者にすら無視されている。

 いったい日本のマスコミはどうなっているのだ。

 たぶん、優勝者以外に興味はないのだろう……。

 それはともかく、展示場でその作品の前に立って詳しい説明をしていた作者に声を掛けた。

 作ったのは鹿住葉里という女子高生だった。普通の高校に通う学生らしいが……女子高生とは思えないような発想だ。

 話してみると、彼女はVFBのことをよく知っているらしい。小さい頃からよく見ていて、七宮のチーム解体のことも知っていた。……だが、ランナーの僕の事は知らないようだ。

 彼女がいれば七宮はVF産業に参入できるチャンスを掴めるかもしれない。

 彼女の発想力はVF開発に通ずるものがある。

 七宮の開発試験室でVFが作られるのを毎日見ていた僕が言うのだから間違いない。

 また彼女に会ってその才能が本物かどうか、いろいろと確かめる必要がある。

 前の日記ではもうVFは諦めたと書いたが、やはり諦め切れない。

 必要とあれば、彼女に最大限の支援をしよう。

 ……そうなると、何か適当な基金を立ち上げないといけないかもしれない。

 とにかく、この才能をここで取り逃がすのは惜しい。

 VFに限らず、絶対に彼女は素晴らしいエンジニアになる。

 その手助けができれば僕としては満足だ。


2088/07/26

 今日はとうとう我慢できずにスタジアムに行って、キルヒアイゼンとクライトマンの試合を観戦してしまった。

 もうVFBは忘れようと思ったのに、自分の意志の弱さには呆れる。

 それはともかく、イクセルが居ないせいでキルヒアイゼンは大変そうだった。あの妹君にランナーをさせるキルヒアイゼンも頭がイカれている。

 でも、妹君はなかなかに強い。だけどイクセルと同じくちょっと油断する癖があるみたいだ。そのせいか、アイツを見ているみたいで嫌な気分になった。


 あと、VFランナーになりたいという少女にも出会った。

 彼女にはひどい事を言ってしまったかもしれない。

 でもそれが現実なのだ。才能がない者は才能あるものの食い物にされるだけだ。

 言うなればただの引き立て役であり、いずれは使い捨てられる運命なのだ。

 事実、イクセルに劣る僕はオルネラに相手にされなかった。

 ……夢を見るのは悪いことではない。

 でも、夢から覚めた時の絶望ほど辛いものはない。

 だからせめてあの少女には、VFランナーなんていう破滅の道には進んで欲しくない。

 あの少女は容姿はいいし、僕みたいな大人に立ち向かう勇気あるボーイフレンドもいるみたいだ。VFなんてものに関わらない限り、彼女は素晴らしい人生を送ることができるだろう。

 ファンで留まるのが懸命な人間だ。

 決してそれ以上を望まない方がいい。

 彼女には、僕のような大人にはならないで欲しいものだ。


2088/08/08

 今日は運命の日だった。

 ゲームをしていたら偶然あの時の少女とマッチングをした。

 知識もメディアリテラシーも持ち合わせてないのだろう。彼女のアバターは顔写真を基に作られたものだった。名前も丁寧にタカノユウキと入力されていた。

 あの時の少年は確かそんな名前で少女のことを呼んでいた気がする。

 結論から言おう。

 彼女は強い。

 あの時、あれだけ言ったのに、彼女はめげることなくランナーを目指してゲームで練習している。

 諦めずに希望を持って頑張る……。

 こんな少女に教えられるなんて、僕は今まで何をいじけていたんだろうか。

 彼女と出会わなければ僕はずっとずっと廃人のように、魂の抜けた人形のように、死ぬまでの時間をただ無為に暇つぶしがてら生きていたに違いない。

 もうVF産業に参入などという甘いことは言わない。

 僕は七宮を、父さんの七宮重工をVF産業の頂点に立たせる。

 ダグラスを追い抜き、世界トップシェアを実現させる。

 ……そうだ、あの時の女子高生にも連絡を入れておこう。

 彼女には必ずVFエンジニアになってもらう。

 この先、ダグラスと戦っていくためには彼女の才能が必要だ。

 僕は諦めない。絶対に父さんの夢を実現させる。

 これは父さんの敵討ちでもあり、また、父さんの意思を継ぐ計画でもある。

 見ていて下さい父さん。

 僕は最後までやり遂げます。


2088/10/24

 結城君とフレンドになることに成功した。もちろんゲーム内だけど。

 ネカマをやるのもなかなか愉快だ。

 やっぱり若いということは素晴らしい。女子中学生と話しているだけでも元気が湧いてくる。僕にもあんな時代があったのかと思うと懐かしくなる。

 あと、決めたことがある。

 これから数年、彼女に十分な実力がつくまで僕が指導することにした。

 その後、タイミングを見計らって遠隔操作で試合に出させ、それで晴れて彼女はVFランナーになれる。

 長い道のりだが、僕も気楽に頑張ろうと思う。

 ダグラスのゲーム開発部門を掌握したし、これからはもっとやりやすくなるだろう。

 VFBは本来は楽しいものなのだ。

 ゲームをやっていて本当にそう思う。


2092/03/01

 嬉しいニュースがあった。

 どうやら結城君は海上都市に留学するつもりらしい。

 今は彼氏君にみっちり受験のための勉強をさせられているみたいだ。

 彼女があの場所に行ければ僕の作戦もやりやすくなる。

 ……結城君のために企業学校に手を回しておきたいけれど、ここは結城君の学力を信じることにしよう。

 そうだ、他にも国内から企業学校へ願書を出している子たちを調べさせよう。何かいい発見があるかもしれない。


2093/08/29

 予想外のことが起きた。

 結城君が2NDリーグのランナーになってしまった。

 せっかく遠隔操作のテストが終了して、計画を打ち明けるつもりだったのに……こうなってしまっては気軽に声を掛けられない。

 でも、無理矢理彼女をダークガルムに所属させることもないだろう。

 結城君はアール・ブランを気に入っているようだし、それにとても楽しそうだ。

 ここで要らぬ心労を結城君に掛けることもない。

 ……今考えると、彼女はなるべくしてVFランナーになったような気がする。

 僕の助けがなくても、いずれ彼女はVFランナーになっていたに違いない。

 計画のために今後の行動を細かくコントロールするつもりだったけれど、しばらくは成り行きに任せてみよう。案外うまく行くかもしれない。


2094/03/19

 ごめん結城君。ここで謝っておこう。

 あんなに鹿住君のことを気に入っていたとは知らなかった。

 鹿住君も鹿住君で結城君に思い入れがあるみたいだし……なんか僕が悪者みたいで泣きたくなってくる。

 ……計画が終われば鹿住君のことを自由にしよう。

 彼女にはずっと七宮で働いて欲しい気持ちはあるけれど、援助を盾に彼女に無理強いするのはスマートなやり方じゃない。

 それだとダグラスの強引なやり方と同じだ。

 鹿住君が戻ればきっと結城君も喜ぶ。計画が終わるまでは結城君に我慢してもらおう。

なに、一種の遠距離恋愛みたいなものだ。

 距離があればあるほど、時間が開けば開くほど、想いは強くなるものさ。

 オルネラと僕もそうだといいのにね。……はぁ。


2094/08/12

 久々にVFに乗った。

 かなり懐かしかった。

 やっぱりVFBに戻ってきて良かった。

 シミュレーションゲームや遠隔操作にはない興奮を感じた。今も感じている。

 そして、来週はいよいよ結城君との試合だ。

 僕が負けるのは計画だから仕方ないとして、とにかく対戦するのが楽しみだ。


2094/10/02

 イクセルが死んだ。

 ……というのは冗談で、心臓の手術をしたみたいだ。

 どちらにせよ、間違いなく彼はVFランナーを続けることはできないだろう。

 後で見舞いにでも行ってやろう。

 その時オルネラを誂うのもいいかもしれない。少し困らせてみるのもいい。

 彼女が僕になびかないのはわかり切ってるけれど、そっちのほうが彼女も仕事として割りきってくれるだろう。下手に友達ごっこをして、同情されたら困る。

 正直な所、オルネラに計画を止めて欲しいと懇願されたらどうなってしまうか僕にもわからない。ちょっと嫌われているくらいが丁度いい。

 ……あと、結城君も日本から戻ってきてくれて良かった。

 いきなり帰国したと聞いたときは驚いたけれど、その後のイクセルとの試合も素晴らしかったし、壁を乗り越えてくれたようだ。

 次に戦うときは僕も本気を出しても問題ないだろう。 

 今から楽しみだ。


2095/01/30

 いよいよ計画も大詰めだ。

 ゲームイベントの仕込みはもう完了してるし、今のところ順調だ。

 一度全員で顔合わせしてみたいものだけど、絶対に無理だろう。

 一応、計画にはなるべく強いランナーを用意したつもりだけど、正直な所不安だ。

 それに、クライトマンの坊ちゃんも色々と僕のことを嗅ぎ回っているみたいだし、必ずどこから情報が漏れるに違いない。

 取り敢えず、情報統制だけは入念にやっておこう。これだけはミスできない。

 後はどうとでもなるはずだ。

 この計画も言ってしまえば、ダグラスを散らせるためのお祭りみたいなものだ。

 みんなには気楽に行くよう、伝えておこう。


2095/02/25

 今日を境にVFを取り巻く産業形態は激変するだろう。

 上手く行けば七宮重工は世界屈指のVF製造企業になる。

 七宮の刻印が入ったVFが世界中で活躍するようになる。

 僕が夢にまで見た光景が現実の物になる。それがたまらなく嬉しい。


 ……君もそう思うだろう? 鹿住君。


 君は絶対にこの日記を読むと思うから、君のために少し長々と書くよ。

 今から僕は事前に話した計画通り、ダグラスの信用を落とすところまで落とす。

 昔はダグラス社の独占状態だったけれど、いまはかなりの数の会社がVF関連事業に参入している。黒い噂が経てばシェアは分散し、より技術力に優れた製品が売れるようになる。

 ダグラスによる独占状態が廃されれば、VF関連技術に関する情報も全て公開される。

 これから多くのチームが生まれ、VF技術の革新速度も今までとは比べものにならないほど速くなるはずだ。僕はそう願ってる。

 もちろん、チームだけではなく、VFの兵器転用についての話も出てくるはずだ。

 兵器転用……君も知ってる通り、結構前からちょくちょく取り上げられてる問題だよ。

 君だけには、次世代を担う素晴らしいフレームを開発してくれた君だけにはこの事を伝えたかった。

 なにせ、君こそが歴史を変える発明をした、張本人なんだからね。

 数百年後……いや、数十年後にも君は偉大な発明者として歴史に名を刻むはずだよ。


 例えその発明品が人殺しの道具であろうともね……。


 僕が失敗することもないと思うけど、もし失敗したら、その時はこの日記を使うといい。

 全部僕の責任にできるはずだ。そうすれば、君は何も咎められることなくVF開発を続けられるはずだ。

 ……そろそろ時間だからここまでにするよ。

 それじゃ、計画が成功するように祈っていてね。



 ――そこで日記は終わっていた。

「これは……。」

 最後にわざわざ私に向けてメッセージを書くなんて、もし私がコーヒーを飲みたくならなかったらどうするつもりだったのだろうか。

 とにかくその事は後で考えるとして、鹿住は自分宛に書かれたメッセージについて考える。

(七宮さんは単にダグラスへの復讐だけでなく、もっと別のことを画策している……? ここに書かれているVFの兵器転用の話……。もしかして、今日の計画はそのための第一段階に過ぎない……?)

 兵器転用なんて私は認めない。

 VFはVFBという格闘スポーツを行うための、言わばマシンであり、決して戦闘兵器ではないのだ。七宮さんはVF産業での七宮重工の地位を得るため、軍需産業にVFを進出させるつもりなのかもしれない。……いや、この文章からすると兵器転用を進めるに違いない。

 現代兵器に対してVFはそこまで有効とも思えないが、鹿住はこの考えに賛同できなかった。

「やはり駄目です。七宮さんを止めないと……!!」

 そう決めた鹿住はすぐに行動に移る。

 まずは、200体の暴走VFを停止させるのが先決だ。これさえ止められれば、七宮さんの計画もすぐに止められるだろう。5年間の準備期間を無駄にするようで悪いが、VFを人殺しの道具として扱う人の苦労など考慮している暇はない。

(とりあえずシミュレーションゲームとのリンクを切って、それから……)

 早速情報端末を操作し始めた鹿住だったが、いきなり首の側面にチクリとした痛みが走った。

「いたっ……!?」

 大きな虫にでも刺されたのだろうか、咄嗟に首元に手をやろうとしたのだが、なぜか腕が思うように動かない。

 そんな事態に驚いていると、急に背後から女性の声が聞こえてきた。

「ごめんねカズミ。」

 その声に反応して鹿住は振り向く。しかし、振り向く動作も今の鹿住にとっては困難であり、ゆっくりとしか首を動かすことができなかった。

 やがて背後に視線を向けると、そこには見知った女性ランナーの姿があった。

「な、ミリアストラ……さん……?」

 ミリアストラの手には注射器が握られており、鹿住はそれを見てようやく首に何かを注入されたことに思い至った。

「なんで……まさか七宮さんが……?」

 私があのメッセージを見てどんな行動に出るのか、試していたのだろう。

 そして私は反抗的な行動に出たから、それでミリアストラさんが口封じのために私に注射をしたのだ。……と思ったが、ミリアストラさんの話によるとそうでもないらしい。

「いや、アイツに頼まれたわけじゃないけど、カズミが何かするかもって思ってさ。一応見に来て正解だったみたいね。」

 これはミリアストラさんの独断だったようだ。

 もしかするとミリアストラさんもこの日記を読んで、私の行動を予測していたのかもしれない。

 だがそんな事はどうでもいい。

 今重要なのは、私の体に注入された物質の名前を知ることだった。自分の症状から大方の予想はついているが、とりあえずミリアストラさんに聞いてみることにした。

「それは……? なんれすか……」

 回らない舌で問うと、ミリアストラさんは簡潔に答えてくれた。

「筋弛緩剤よ。」

 そう言ってミリアストラさんは空になった注射器をその場に捨てる。

(く……。)

 筋弛緩剤と知った途端、体から力が抜けて情報端末のコンソールの上に突っ伏してしまう。

 ミリアストラさんはそんな私の体を退けて、コンソールを操作し始める。するとすぐに情報端末から警告音が発せられた。……多分、私が手を加えられないように工作しているのだろう。

「これでよし……。」

 やがて工作が終わったのか、ミリアストラさんは私の体を抱えてどこかに移動していく。

 その行き先はラボの奥にある私の部屋であり、そのまま私は簡易寝室まで連れていかれ、そこにあるベッドに寝かされた。

 既に私は自力で起き上がることができないほど力が抜けており、工作を解除するどころか、情報端末のある場所までたどり着くことさえできない状況だった。

 ミリアストラさんは私を寝かせると、すぐに簡易寝室から出ていく。

「ここは安全だから計画が終わるまで安心して眠れるわね。……それじゃ、おやすみなさい。」

 それだけ言い残し、ミリアストラさんはラボから出て行ってしまった。

(無念です……。)

 こうなってしまってはどうしようもない。

 むしろ、筋弛緩剤を打たれただけで済んで良かったと思うことにしよう。

 鹿住は、七宮の本当の計画に気づけなかった自分の愚かさを恨みつつ、静かに目を閉じた。



 ――何分、いや、何時間経っただろうか。

 私のすぐ近くから男性の声が聞こえてくる。

「鹿住さん……鹿住さん。」

 おまけに体を揺すぶられているようだ。力が入らないこともあり、私はその男性にされるがままになっていた。容赦無く頭も揺れるので、かなり気分が悪い。

 このまま寝たフリをしてトラブルを避けようかとも思ったが、いい加減に吐きそうになったので、少しだけ目を開けて見ることにした。

 すると、予想もしていなかった人物の顔がそこにあった。

 その無表情な面構えを見て鹿住は思わず声を出す。

「諒一君……ろぅしてここに?」

 呂律の回っていない、まるで酔っぱらいのような口調で話しかけると、すぐに諒一君が答えてくれた。

「鹿住さん……。実は七宮からここの住所が書いてあるメモをもらったんです。相談したいことがあったんですが……。もしかして酔ってます?」

「違いまふ、これは筋弛緩剤を打たれてしまって……。」

 なんとか説明を図ると、諒一君は一度で理解してくれたようだ。すぐに床に落ちていた注射器を拾って、そこに書かれたラベルを見ていた。

 しかしそれを見ただけで詳しい対処法が分かるわけもない。諒一君はすぐにそれを近くにあった台の上に置いて、代わりに携帯端末を取り出した。

「……今すぐ救急ヘリを呼びます。」

 そう言って諒一君はどこかにダイヤルし始めた。

 私はそれを止めるべく、力を振り絞って腕を伸ばし、諒一君の服を掴む。

「諒一君、待ってください。私にはやらないといけないことがあるんです。」

 このまま何処ぞの病院に連れていかれてしまったら、七宮さんを止める機会を完全に失ってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。

 諒一君は私の訴えに応じ、すぐに携帯端末をポケットに仕舞ってくれた。そして、しばらくこちらの顔を見て鋭いセリフを放つ。

「もしかして鹿住さん、この騒ぎと何か関係があるんですか。」

 未だにサイレンの音は鳴り止んでいない。

 この騒ぎに私が関係していると分かれば、七宮さんがこの騒ぎを起こした張本人だと判断されてしまう。いや、もう諒一君はそう思っているのだろう。

(そうだとすると、どう答えれば……。)

 こんなところで問答をしていても時間の無駄になるだけだ。

 そう判断した鹿住は早めにこの騒ぎを終息させるべく、正直に答えることにした。

「その通りです。今更言い訳をするつもりはありません。……すみませんが肩を貸して下さい。」

 計画を止めるためにも、まずは情報端末のある場所までたどり着かねばならない。そう思い諒一君の力を借りようと思ったのだが、本人はそれを無視してさらに私に質問してきた。

「鹿住さん、七宮は一体何を企んでいるんですか? もしかして海上都市群全体を巻き込んでとんでもないことを……?」

 諒一君は未だに外から聞こえているサイレンの音がかなり気になっているようで、その視線は不安げにウロウロしていた。無表情のまま眼球だけを右往左往させるとは、何とも器用な動揺の仕方だ。

 ……とにかく、今はそんな事にいちいち答えている暇はない。

 鹿住は少し強めの口調で諒一に先程と同じ事を要求することにした。

「話は後です。とにかく早く体を起こしてください。今ならまだその計画を阻止できるかもしれないんです。」

「……わかりました。」

 諒一君はようやく私がこの騒ぎを止めるつもりだということを理解したらしい。すぐに私の背中と膝裏に腕を通し、ベッドから立たせてくれた。 

 その時、近くの台においてある時計が目に映った。

(あれからまだ10分しか経ってなかったんですか……。)

 ミリアストラさんに筋弛緩剤を打たれてから結構経った気もするが、私の時間感覚より時計に表示された数字のほうが遥かに信頼出来る。

 鹿住はそのまま諒一に体を支えられながら方向を指示し、やがて情報端末のコンソールに辿り着いた。

 そして、力の入らぬ手をゆっくりとコンソールの上で動かして、暴走VFを停止させる緊急コードの入力を試みた。……が、3度ほど行なってもコードは認証されない。

「駄目ですね、外部からの操作をロック……いえ、システムの中枢を破壊されたようです。」

 こうなると外部からのコントロールは不可能になる。この程度のトラブルなら復旧させられる自信はあるが、体がうまく動かないこともあり、かなり時間を要するのは明らかだった。

 停止信号を上手く発信できるようになる頃には、すでに七宮さんの計画は終了してしまっている可能性が高い。それでは全く意味がない。

 そこで鹿住はすぐに別の方策を取ることにした。

 その方策とは、計画の首謀者である七宮さんを直接説得すること……すなわち実力行使である。しかし、七宮さんは現時点で最強のVFランナーだ。その彼を止めるには強力なVFはもちろん、強力な武器も必要になるだろう。

(七宮さんに対抗するには……アレを使うしかないようです。)

 情報端末の前で今後の事を一人で考えていると、私の体を支えてくれている諒一君がまたしても同じ質問を投げかけてきた。

「七宮は何をするつもりなんですか? 答えてください。」

 鹿住は情報端末の画面を見つめたまま、言葉を選んでそれに答える。

「簡単に言うとダグラスへの復讐です。……私はそう聞いています。」

 日記の内容からすれば、七宮さんはこの海上都市群を巨大な実験台にするのかもしれない。しかしそれを話すと話がこじれそうだったので、そこまで話すことはできなかった。

 諒一君はこちらの話を聞いてしばらく考えているようだったが、十数秒で彼なりの答えをはじき出せたようだ。心強い言葉を私に送ってくれた。

「どちらにしても住民が避難するような事態になるなら止めたほうがいいと思います。……ですから、自分のできることなら何でも手伝います。」

 有難い限りだ。これに関してだけは、諒一君にここの住所を教えてくれた七宮さんに感謝しよう。

 協力体制になった所で、鹿住は早速次の行動に移ることにした。

「では、まずは『ナムフレーム』に対抗できるVFを準備しましょう。リアトリスに手を加えれば十分に戦えるはずです。」

「ナムフレーム……?」

「あぁ、そうでしたね……。」

 諒一に訊き返され、それを全く説明していなかったことに気付いた鹿住は、簡単にそのフレームについて諒一に教える。

「ナムフレームは私が開発した新しいフレームです。駆動部にオリジナルの生体部品を利用した第3世代型フレームで、これを搭載したVFを止めるのは旧タイプのフレームを使うVFでは不可能です。まさに悪魔のようなフレームです。……つまり、今日の試合で戦っていたのは正確にはリアトリスではなかったことになります。しかし、中身はどうであれ装甲やらその他のパーツはリアトリスと全く同じものですし、外見もリアトリスと変わらないので、あれはあれでリアトリスと呼んで構わないかもしれませんね……。」

 そこまで説明してようやく鹿住は我に返って言葉を切る。

 筋弛緩剤の効果も薄れてきたようだ。体はまだ怠いが、口は普段通りに動く。

 たぶんミリアストラさんが薬の量を加減してくれたのだろう。これならあと2,3時間もすれば体も元通り動くようになるはずだ。

「……と、こんな説明をしている場合じゃありませんでした。諒一君、今から“古いほうの”リアトリスを輸送船に積みますから、扉の方をお願いします。」

 鹿住はラボ内に待機させてあるリアトリスの自動操作システムを起動させるべく、情報端末内で新たなプログラムを展開させる。

 私の指示を受けて諒一君もラボの搬入扉の開閉スイッチを操作し、リアトリスを移動させる準備が整った。また、扉を開けたことでサイレンの音がより大きく聞こえるようになった。

 しかし、そんな音を無視して鹿住はリアトリスを輸送船のあるドックまで自動で移動させていく。その際に鹿住は再び諒一に指示を出した。

「これでリアトリスは自動で輸送船に乗り込みます。輸送船にも自動操舵機能がありますから、そのままラボに向かうように設定して下さい。」

「それはどこの……」

 『ラボ』という単語だけでは伝わらなかったらしく、諒一君はどこに設定すればいいのか、その行き先を私に聞いてきた。

 それに対し、鹿住は短く答える。

「『私たちの』ラボです。……急いでください。」

 諒一君はそれだけで理解してくれたらしく、「了解です」という言葉と共に強く頷く。

 そして諒一君は情報端末の前で辛うじて立っている私の脇の下に腕を通し、体をしっかりと支えてくれた。そのままの姿勢で諒一君は輸送船までの数十メートルの距離を私を補助しながら歩き、時間は掛かったものの2人で無事に輸送船に乗り込むことができた。

 それから数分もしないうちにリアトリスの固定も完了し、すぐに輸送船は目的地に向けて出港する。……その目的地はもちろん、2NDリーグのフロートユニット――つい1年前まで私がエンジニアとして働いていた、アール・ブランのラボであった。

 ここまで読んで下さりありがとうございます。

 鹿住が七宮の計画に疑問を抱き、それを阻止しようと動き出しました。

 七宮に対抗できる策はあるのでしょうか、気になります。

 次の話では、海上アリーナいる結城たちも外の力を借りて彼らなりに対応し始めることになります。

 今後ももよろしくお願いします。

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