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耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
空の支配者
42/51

【空の支配者】第四章

 前の話のあらすじ

 学校のVF演習後、結城は街中で七宮の姿を発見する。結城はその七宮を尾行して船にまで乗り込み、その結果、地図にも表示されていない機密扱いの基地にまで来てしまった。

 結城はそこで不運にも事故にあってしまい、基地の人に介抱されてしまう。結城はその際、スカイアクセラのローランドと会い、暫く話をした。

 また、ローランドは七宮の計画に参加することを決めた。

 

第四章


  1


 ダグラスの工業団地。

 本社ビルがあるフロートからほど近い場所にあるこのエリアには、VF製造のための部品工場や組立工場がひしめき合っている。

 諒一を含むエンジニアリングコースの学生たちはその一郭にある実習用の工場内でVFの整備や構造に関する知識を学んでいる。そこは企業学校の生徒のために改装されているので、教師にとっては教えやすく、学生にとっては学びやすい場所でもある。

 しかし、今日は学生たちはその場所には行かず、港付近にあるVFの組立工場に見学しに来ていた。今は数十人単位の学生がダグラスの社員の説明を受けつつ、VFの組立過程を隅から隅まで視察しているような感じだ。

 学生たちは授業や実習で散々VFについて学んでいるので、組み立て手順に関してはほぼ完璧に把握できているのだが、実際に工場の奥深くまで見学したことはない。そのため、手順にそって工場内を練り歩いているというわけだ。

 今見学している工場……ダグラスが直接管理している組立工場の規模はかなり大きい。この広い工業団地フロートの約10%の面積を占めていて、広さで言えば、1STリーグのアリーナが30は入る広さだ。

 組み立てられているVFの大きさを考えれば、ここまで巨大な工場は不自然に思うかもしれない。しかし、ここまで工場が巨大になった理由はVF本体ではなく、VFを組み立てるための機械に原因がある。

 工場内は部品工場とは違ってほぼ無人ではあるが、大小無数のロボットアームや特殊機械が設置されている。それらはそれぞれに役割があり、工程ごとに動きも違う。そうなると当然それらの機械の種類も数も膨大になり、結果として工場の規模もここまで巨大にせねばならなかった、というわけである。

 こういうVFの組立に関しては、高度な組立技術とかなりの精度を求められるので、省スペースは後回しになっても仕方無いだろう。

 その機械たちは学生たちが見学している今もせかせかと動いており、VFを組み上げている。ここまで自動化が進むとエンジニアなど必要無いように思えるが、企業学校を新設するくらいなのだから人手不足なのだろう。

 他の学生に混じって工場内を見学していた諒一は、人の数倍、数十倍のスピードでVFを組み上げていく機械たちを見ながら考える。

(……わざわざここで組み立てる必要はあるんだろうか。)

 思うに、最低限の組立だけを行なって、各パーツをコンテナに入れて輸送すれば、工場の規模も縮小でき、組立にかかるコストもかなり削減できると思う。買い手もどこかのチームだろうし、出来上がったパーツを組み立てるのはさほど難しくないはずだ。

 しかし諒一はすぐにその考えを改める。

(……でもそれだと管理と輸送が面倒か。)

 VF自体は人型なので、わざわざリフトなどを使わなくてもそれ自体を歩かせるなりしてどこにでも運ぶことができる。そう考えると動ける状態にしておいたほうが購入する側が楽になる。それに、組み立て時にトラブルが発生して著しく性能が下降することも考えると、完成品を送ったほうがクオリティを一定に保てるので、サポートや修理などの手間もかからないはずだ。

 VFの製造は車産業に似ていると考えていたのだが、この工場で実際に組み立てのシーンを見ると、むしろ船や航空機の製造に類似しているような気がする。

 このような組立の技術が確立したからこそ、VF産業が発展し、さらにはVFBをここまでメジャーなスポーツにできたとも言える。

 そんな事を考えながら、諒一は作業確認用の小窓から組立をしているエリアを覗く。すると、ロボットアームはこちらの予想よりもかなり速く動いていた。どうやら急ピッチでフレームを製造しているみたいだ。ここまで繁盛するとダグラスも笑いが止まらないだろう。

 規則正しく動いてVFを組み上げるロボットアームの様子を見ていると、隣からため息混じりの声が聞こえてきた。

 そのため息は嘆息ではなく、むしろ感嘆と言った感じのものだった。

「はぁ、ここが卒業後の俺達の職場か……」

 右隣を見ると、アクセサリーを体中に装備している男子学生がパンフレット片手に工場内の様子を眺めていた。

 動く度にアクセサリーやらピアスやらをじゃらじゃら鳴らせている彼の名前はニコライだ。 

 知りあった頃は、作業中危ないのでピアスを外すように注意していたが、今はもう何も言っていないし、その話題に触れることすら無い。

 多分宗教的なアレだろうと決めつけているのだが、一度も訊いたことはないし訊くつもりもない。どうせ外さないのなら事情を知っても無駄なだけだ。

 ニコライから“卒業後”という言葉を耳にし、諒一は企業学校の契約を思い出す。

(“卒業したら即ダグラス系列の工場で研修開始”だったな……。)

 やはり学校で学べることにも限界がある。むしろ卒業してからのほうが学ぶことが多いかもしれない。ダグラスのような大企業なら安定して働けるし、ほぼ全ての学生が喜んでいる。

 だが、諒一の場合は違っていた。

「……。」

 ニコライの言葉に何も反応しないで組み上げられていくVFを見ていると、今度は左隣から別の声が話しかけてきた。

「そう言えばリョーイチはどうするんだ? やっぱり俺達とは違って、このままアール・ブランで働くのか。」

 それは質問ではなく、そうだと確信している口調だった。それに対して諒一は即答する。

「ああ、そのつもりだ。」

 そう答えながら左隣を向くと、筋骨隆々の男の姿があった。

 彼の名前はジクスだ。改めて横から見ると胸筋が半端ないほど厚い。全身筋肉ダルマという印象を受けるが、姿に似合わず冷静な男だ。3年間付き合って未だに彼がVFBの観戦以外で感情を昂ぶらせた場面を見たことがない。

 まあ、いつも無表情だと散々言われている自分が指摘できることでもないだろう。

「そうか、まぁユウキがランナーなんだし当然と言えば当然か。……というか最近アール・ブランはすごいな。」

 ジクスはすぐに話題をアール・ブランに変えてきたが、ニコライはそれを無視してジクスの今後について質問を投げかける。

「リョーイチは当然そうだけどさ、そう言うジクスどうなんだよ。“このまま働くつもりはない”って前にチラッと言ってたよな。」

 その話は初耳だ。

 諒一もその話に興味があり、顔をジクスに向けたまま視線を固定する。すると、ジクスは躊躇っていたものの、すぐに話しだした。

「ニコライの言った通りだ。……一応はダグラスで働くが、すぐに辞めて故郷に帰る。ここに来たのも元々は地元のチームのためだったからな。」

 ジクスも自分なりに色々と考えているようだ。

 辞めると宣言してからも、ジクスは組立途中のVFに目線を移しつつ、ぼつぼつと語り始める。

「……で、今後の事を考えるともっと勉強しておきたいし、地元のチームで働きながらVF関連のことを学べる専門学校にでも通うつもりだ。メンテナンスやVFに関しての技術には詳しくなったが、根本的というか、基礎的な知識が足りてないからな。」

 そんな、かなりしっかりとした将来設計に、早速ニコライが突っ込みを入れる。

「何いってんだ、修理できて整備もできてれば十分だろ。……もしかしてダグラスに残るのって俺一人だけか……? すっげー寂しい。」

 その言葉とは裏腹に、ニコライは楽観的な表情を浮かべていた。特に引き止めるつもりもないようだ。

 諒一もニコライに続いてジクスに言葉を贈る。

「ジクスの言う事にも一理ある。実践だけでは身につかない知識も多くある。だから、その選択は間違っていないと思う。」

「お、なんだリョーイチもまだ勉強したいわけ?」

 不意にニコライに茶々を入れられ、諒一は改めて自分の今後のことを考える。

(自分はまだ勉強をしたいのか……?)

 自分に問うてみても答えは返ってこない。そういえばここ最近自分の事などほとんど考えたことなど無かった。アール・ブランの一員として働けている現状でも十分満足なのだ。これ以上望むことがあるのだろうか。

「……。」

 ニコライの言葉に返せないでいると、ニコライが自らの事を喋ってきた。

「俺は勘弁だな。この海上都市群……VFBの聖地で働けるだけで満足だ。ここならほとんど毎日どっかで試合してるし。」

 ニコライも自らの目的・欲求相応の合理的な判断をしている。

 それに対して自分はどうだろうか。

 自分でオリジナルのVFを創り上げるという夢があったはずだ。今のままアール・ブランで働いているだけでその夢を叶えることはできるのだろうか……。

「おい君たち、次の場所に移動するから早くついてきなさい。」

 背後から聞こえてきた声に反応し、考え事を止めて周囲に注意を向けると、すでに学生の姿はなく、遠くの通路を歩く集団が見えた。

 声を掛けてきたのは工場内の案内役のダグラスの社員の人だ。

「すみませーん、すぐに行きまーす。」

 ニコライはその社員に向けて元気よく返事をし、すぐに集団を追って走りだす。

 ジクスもそれに釣られて走りだそうとしたが、その前にこちらに言葉を掛けてきた。

「ま、この話はここで終わりにしよう。リョーイチはリョーイチで自分の絶対的価値観を信じればいい。俺達が口を出しても解決する問題でもないしな。」

 どうやらジクスにはこちらが悩んでいたことを悟られていたようだ。

 諒一がその言葉に対してゆっくりと頷くと、ジクスはニカッと笑った。そしてジクスはそのまま小走りでその場から離れていった。

 諒一も先を行く集団に遅れぬよう、小走りで2人の後を追いかけていった。


  2


 工場見学終了後、諒一は中央フロートユニットにある企業学校に戻り、今はその教職員フロア内の通路で佇んでいた。このフロアに学生の姿は殆ど見られない。代わりに教員や事務員の姿がよく見られた。

 通路の角にあるベンチからはそんな人達が歩いている様子がよく見える。

(遅いな……。)

 なぜ諒一がここに座っているかというと、事務員の人からここで待つように指示されたからだ。話によればダグラス本社から自分に関する重要な事を通知するために社員が来るらしい。

 放課後に教員室に呼び出されることなど無かった諒一は、どんな話をされるのか、とても不思議に思っていた。そして同時にその呼出を不快に感じていた。

(早くラボに行ってアカネスミレのメンテナンスを終わらせないといけないのに……。)

 呼び出されてから30分近く待たされている。もし呼び出されていなければ、今頃メンテナンス作業に取りかかれていたはずだ。

 普段ならばここまでいらつくこともないのだが、試合を目前にしてアカネスミレを完璧な状態にできていない焦りが、諒一にそんな感情を生じさせていた。

 その上、廊下に設置された簡素なベンチの座り心地は最悪で、すぐ近くに飾られている観葉植物もチラチラと視界に入り込んできて不快だ。

 そんなイライラに耐えつつしばらくベンチで待っていると、ようやく自分を呼び出した事務員の人が廊下の端から姿を現した。どうやらダグラスの社員が到着したらしく事務員の隣にはきっちりとしたスーツに身を包んだ男の姿があった。

 ダグラスの社員と聞いて、壮年の社員の姿を想像していたのだが、そんなこちらの予想に反して男は若かった。しかし身のこなしや歩き方は美しく、それを見て彼が仕事のできる男であるとなんとなく判断することができた。……いや、遅れている時点で“仕事ができる”とは言えないかもしれない。

 そんな若いスーツ姿の男性はこちらの顔を把握しているのか、すぐにベンチの目前まで来きて握手を求めてきた。

 諒一はすぐにベンチから立ってそれに応じ、2,3度手を上下に動かす。すると、自己紹介をする前に学校の事務員が若いスーツ姿の男の紹介をしてくれた。

「ハタヤ君、待たせて悪かったね。……こちら、ダグラス社のベイルさんだ。」

 その紹介の後、ベイルと紹介された男は重ねて自己紹介をする。

「初めまして。ダグラス社、社長秘書のベイルです。今日は個人的な話をしに来ました。」

 社長秘書が一体何の用だろうかと思いつつも、諒一は外向けの当たり障りないスマイルでにこやかに対応する。

「こんにちは、エンジニアリングコース3年生の旗谷諒一です。」

「リョウイチ君。個人的な話と言ってもすぐに終わる話だから、よろしく頼むよ。」

 ベイルさんがそう告げると、早速、事務員の人がすぐ近くにある部屋を指して言った。

「では、あの会議室を使ってください。」

「どうもありがとうございます。……じゃあ中には入ろうか。」

 ベイルさんは事務員に礼を言うと、特に何も言わず、すぐに会議室の中に入っていく。事務員の人もそれを見届けるとどこかに行ってしまった。

(2人きりで個人的な話、か。)

 若干の不安を感じながらも諒一はベイルに遅れて入り口のドアをくぐる。

 会議室に入ると縦に長い大きな机が目に飛び込んできた。その木製の机は部屋の中を分断するように中央に配置されており、ベイルさんは部屋の隅、入り口から一番遠くにある座席に座っていた。

 そして、こちらが会議室に入ってきたのを察知すると、隣に座るように手招きしてきた。

 なぜそんな隅に行くのだろうかと疑問に思いつつも、諒一は後ろ手に部屋のドアを閉め、素直にベイルの隣の席まで移動していく。その間、ベイルさんは机の上に鞄を置いてスーツの襟を整えていたが、こちらが座るのを待たずして話を始めた。

「今はアール・ブランでバイトしているらしいね。」

 諒一は「はい」と短く応えてからようやくベイルの隣の席に座る。

「やっぱり整備は忙しいかい?」

 ベイルさんは気さくに話すように努めているようだったが、こちらはそんな時間も惜しいので、てきぱきと答えることにした。

「そこまで忙しくはないです。……働いてて何か問題でもありますか?」

 言いたいことがあるならさっさと言ってほしい。

 そんなこっちの心中を読み取ったのか、途端にベイルさんは弱気な口調で話し始める。

「いや、特に問題はないんだけれど……。アール・ブランはFAMフレームを使用しているよね? どうしてダグラスのハイエンドフレームを使用していないのか気になって……。」

 何故、今、その事を学生である自分に言うのだろうか。抗議するならば直接ランベルトさんにでも言えばいいはずだ。そんな気持ちを込めて、諒一は苛立った口調で言葉を返す。

「そんな事を聞かれても困ります。……ただ単に試合に耐えうるフレームではないということだと思います。」

 こちらがそう説明しても、ベイルさんは話を続ける。

「ダグラスがスポンサーとして資金を援助してるんだから、なるべくダグラスの商品を使ってもらいたいんだけれど……。最悪スポンサーを降りることになるかもしれないし、いずれは困ることになるかもしれないよ?」

「それに関しては問題ないです。チームが勝ち進んだおかげで資金調達には困ってないみたいですから。」

 チーム責任者であるランベルトさんの代わりにきっぱり言うと、ベイルさんは「そうなんだ……」と呟いて、鞄の中から取り出したメモ用紙に何やら書き込んでいた。

 それを横目で見つつ、諒一は椅子から立ち上がる。

「用事というのはこれだけですか。……では。」

 そのまま踵を会議室の出口に向けた諒一だったが、すぐにベイルによって引き止められてしまう。

「いや、他にも聞きたいことがあるんだ。君はユウキ選手と仲がいいんだよね?」

 いきなり結城に関して質問され、諒一は椅子から離した腰を再び下ろす。

「それはまあ、同郷で幼馴染ですから……。」

 今度は何の話なのだろうか、次の言葉を待っているとすぐにベイルさんが結城についてさらに質問を投げかけてきた。

「一時期、そのユウキ選手を部屋に連れ込んだりして問題があったみたいだけど、何か最近おかしなことはなかったかい? 君に隠し事があるとか、誰かと秘密裏に会ってるとか。」

 脈略もなく結城個人のことを訊かれ、諒一は一気に不信感を募らせる。

「わざわざ社長秘書が結城のことを聞きに来たんですか?」

 こちらが訝しい目を向けて冷たく言うと、ベイルさんは取り繕うように手のひらをこちらに見せてそれを左右に動かした。

「その……そういうことじゃないんだけれど、一応訊くように言われてて……。」

 どんどん弱気になっていくベイルを見て、諒一は仕方なく答える。

「秘密とか、隠し事は別にありません。話を聞きたければ結城本人に直接聞いたほうがいいのでは?」

「確かにそうだね……。」

 ここまで答えれば向こうも満足しただろう。そう判断した諒一は、再び椅子から立ち上がる。

「では、アカネスミレのメンテナンスがありますからこれで失礼します。」

 そう言い捨てて教室を後にしようとした諒一だったが、またしてもベイルに呼び止められてしまう。

「待って待って、次が本題なんだ。今日は君の今後の進路についての話をしに来たんだ。」

「進路の……?」

 進路といってもダグラス社の言うとおりに会社の工場で研修を受けることが決まっている。それをすぐに辞めてアール・ブランで働くことは、ダグラスの社員であるベイルさんの前では言えないが、これはもう決めたことだ。

 もしかして研修の日程でも伝えに来たのだろうか、しかし、個人的にそんな話をするとも思えない。

 またしても椅子に戻り、言葉を待っていると、ベイルさんは鞄から書類を出してこちらに手渡してきた。

「実は、今日は人事担当がここに来るはずだったんだけど、無理を言って代わってもらったんだ。だから、人事の人の仕事だけはちゃんとやっておかないとね。」

 諒一はそんな話を適当に聞き流し、ベイルから受け取った書類を眺めていた。

「これは、なんですか……?」

 その書類を見ると、何かのリストのようだった。

 詳しく見ると、そこには諒一でも知っているような有名な大学の名前が並んでいた。どれも機械工学の研究開発で有名なところで、記憶が正しければそのどれもがVFの発展に技術的に貢献していたはずだ。

 どうしてこれがリストになっているのか、諒一がその理由を考えている間にベイルは順を追って説明していく。

「えーと……君はこの企業学校ですごく優秀な成績を修めている。VFへの熱意は調査するまでもなく証明されているし、我々ダグラス社としては君をただのエンジニアで終わらせるのは勿体無いと思っている。」

 そこまで聞いて、諒一はこのリストが何を意味しているのかを理解することができた。

「つまりそれって……。」

 その先に続く諒一の言葉を代弁するように、ベイルは引き継いで話す。

「将来、ダグラスの研究開発部門で働いてくれるなら、今以上の専門的な知識が学べる高等教育機関への進学を認め、学費や生活費も援助する用意があるらしいんだ。」

「!!」

 このリストは進学先の候補ということらしい。思わぬ提案に驚いてしまったが、話を聞く限りでは嘘でも何でもなさそうだ。そして何より“将来、ダグラスのために働く”という条件が諒一にその提案が真であると判断させていた。

 ベイルは成績が記載されている書類をペラペラと捲りながらさらに言葉を続ける。

「……どうかな? 書類を見るかぎりでは企業学校の判断は間違ってないと思うけれど。」

 確かに、言うまでもなくダグラス社からすれば妥当な判断だ。だが、諒一の心は決まっている。今後もアール・ブランで結城のサポートをするつもりだったからだ。

「有難いですがお断りします。」

 大学の名が載ったリストをベイルに返しながらそう言うと、ベイルはリストを押し返して諒一に非難めいた言葉を浴びせ始める。

「何も即答することないだろう。お金の心配をすることなく思う存分学べることが出来るんだよ? 学校としても君のような前例が出てくれれば企業学校の宣伝になるし、当然、開発部門に加わってくれればダグラス社の利益になる。それに、君も今以上の知識を得たいと感じているだろう? またと無いチャンスだと思うし、もっとよく考えてみて欲しい。」

 全くもっての正論に、諒一は何も言い返せない。

 どう考えてもこれは学生にとってありがたい話だし、VFについてもっと学べるのなら誰だって喜んで提案を受け入れるはずだ。VFを開発したいというのなら尚更のことである。

 VFを独自に開発するとなれば今の薄っぺらい知識だけでは到底無理だし、自分のような凡才がVFを設計できるようになるには少なくとも数年、いや十数年かかるはずだ。下手をすれば一生設計開発できる機会なんて無いかもしれない。

 そう考えると、ダグラス社の提案に乗るのも悪くない。いや、むしろこんなにいい話に乗らないのは損だ。損を通り越して愚かだ。

「……わかりました、少し考えさせてください。」

 まだ決めたわけではない。だがしかし、数日間は考えてみる価値のある提案だ。すぐに断ることも出来るのだし、保留しておいても全く問題ないはずだ。

 こちらから返事をすると、ベイルさんは話は終わったと言わんばかりに席から立ち上がる。

 それに合わせて諒一も立ち上がると、ベイルは別れの握手を要求してきた。それに応じて手を差し出すと、ベイルさんはその手を両手で挟むようにして握ってきた。

「君は優秀みたいだし、いつか一緒に働ける日が来るように願っているよ。……じゃあこれは渡しておくからね。」

 その後、ベイルさんは手を離すと鞄からさらに書類の束を出し、それを会議室の机の上に置く。そして、特に別れも告げることなくそそくさと教室から出ていってしまった。

「……。」

 ベイルが出ていった後、会議室のドアが閉まる音を聞きながら、諒一はしばらくそのリストに目を通していた。


  3


(壮観だ……。)

 スカイアクセラとアール・ブランの試合当日、諒一は上空からアリーナの様子を見ていた。 

 諒一が乗っているのは飛行船であり、それはゆっくりとアリーナの周囲を回遊している。目下の海にはアリーナ以外にも船が何隻か見られ、それは側面をアリーナに向けて動きを止めていた。

 ほんの1年前まではあそこから観戦していたが、あの位置からだと試合の流れがわかりにくい。その点、上空からなら平面的な動きも把握しやすいので、観戦には最適だ。

 アリーナには既に2体のVFが……アカネスミレとエルマーが互いに向き合って試合開始の合図を待っている。アカネスミレの中にいるであろう結城のことを気にかけつつ、諒一は先日ベイルから告げられた言葉を思い返していた。

(アール・ブランに残るか、それとも進学するか……)

 ――ベイルから高等教育機関への進学を提案されてからすでに1週間が経った。しかし、諒一は未だに答えを見出せずにいる。

 アカネスミレのメンテナンスに忙しくて考える暇がなかったこともあるが、なるべく早めに自分の決定をダグラス側に伝えておかないと駄目だろう。遅すぎるとこの話自体が無効になる可能性がある。

「おーいリョーイチー。」

 アリーナに目を向けながら考えていると、不意に近くから少女の声が聞こえてきた。

 それはツルカの声であり、結構前から何度もこちらの事を呼んでいたらしい。ぼーっとしていたことを悟られると気まずかったので、諒一はアリーナから目を逸らさないで返事をすることにした。

「……ごめんツルカ、何か言ったか?」

 いつも通りの落ち着いた口調で聞き返すと、ツルカから小さなため息が聞こえてきた。

「別に何も言ってないけど、すっごい深刻そうな顔してたからさ。」

「そうか……。」

 ツルカに心配されるほどの顔をしていたようだ。

 そんな微妙な表情の変化を読み取ってくれるくらい、ツルカと自分が親しくなったとも言えるだろう。実際、自分は結城と強い信頼関係にあるので、そのお陰でツルカにはかなり懐かれているように思う。

 懐かれるという表現は少し雑多な表現かもしれないが、それが一番今の状況に適しているだろう。……何故ならば、現在ツルカは飛行船の観戦用の出窓とこちらの体の間にある狭い隙間に陣取っており、体を密着させている状態にあるからだ。

 さらにはこちらの両腕を無理矢理持って、それを自分の首の前でクロスさせるように巻いている。ここまで背中を密着されていてはツルカが自分に心を許していると思って当然である。

 それにしても結城と比べるとツルカは小さいし、それに軽い。この事を結城に言うと拳が飛んできそうだが、こんな体であのファスナを自在に操れるのだからそれだけで驚きだ。

 今現在、何故そんなツルカと一緒に飛行船に乗っていて、こんな状況になっているかというと、オルネラさんにツルカと共に飛行船に乗るようにお願いされたからだ

 本来の予定なら、姉のオルネラさんがツルカと一緒に飛行船から観戦する予定だったらしいが、ファスナのメンテナンスと改良に忙しく、今日の試合はイクセルさんと共に家の中で観戦するとのことだ。

 つまり諒一はツルカのエスコートというか、子守を任されたというわけである。

 しかしそれも悪くない。こんな高い場所から観戦できる機会もあまりないからだ。飛行船のチケットはべらぼうに高いし、タダで乗れるとなれば乗らない手はない。

 ただ、ツルカ本人はそれをかなり気にしているようだった。

「あのさ、やっぱりリョーイチはいつも通り、司令塔でユウキのサポートした方がいいんじゃないのか? 別にボクは一人でもこれに乗れたし、無理してお姉ちゃんの頼みを聞くことも無かったのに……。」

 ツルカは首を捻ってこちらを見上げ、若干申し訳なさ気な表情を浮かべていた。

 そんなツルカの言葉に対し、諒一は素直に自分の考えを述べる。

「これでいいんだ。アカネスミレのメンテナンスのせいで疲れてまともに思考できないし、むしろ下手なアドバイスは結城の邪魔になる。だから今日はランベルトさんに任せると決めたんだ。」

 そう言うと納得してくれたのか、ツルカはこちらから視線を逸らしてアリーナの方を向く。

「確かにそうだな。ボクならまだしも、2人とも戦闘に関してはからっきしだし、むしろユウキ一人に任せたほうがいいかもしれないよな。」

 そんなツルカの言葉を聞き、諒一はその事実を噛み締める。

(結城は一人でも十分にプロと渡り合える……。)

 初めこそ戦術を練って作戦を指示していたが、最近はそれが裏目にでることが多い。

 この間のクーディンとの試合でも矢の二連射、三連射を失念していたし、ろくにアドバイスすることもできなかった。

 自分は所詮ただのVFB好きの学生。他のチームが雇っているようなコーチには遠く及ばないし、コーチの役目すら果たせていない。本当に自分はアール・ブランの役に、結城の役に立っているのだろうか。

 自分は結城の体調管理や面倒だけを見ていればいいのかもしれない。でも、それすらも最近は結城一人でできている。前みたいに週に一度掃除洗濯する必要もなくなったみたいだし、ツルカがいるおかげで寂しい思いもしていないはずだ。

 そうなると、別に自分は高等教育機関に進学しても問題ないのではないだろうか。

 むしろ、自分がもっとVFに関する知識をつければ、アール・ブランのためにもなるはずだ。

(本当にそれでいいのか……?)

 思考の渦に囚われそうになった所で、またしてもツルカの声が耳に入ってきた。

「……にしてもユウキ、今日は妙に気合はいってたよな。」

「ああ。」

 ツルカの言葉に辛うじて反応して生返事をすると、不意に腕をポンポンと叩かれた。

 何かと思い下に顔を向けると、ツルカがニヤリとした笑みを浮かべ、“しょうがないなぁ”とでも言いたげな表情でこちらの顔を覗き込んでいた。

「リョーイチ、何か悩んでるだろ。ボクで良ければ相談にのるぞ。」

 心を見透かされたような物言いだったが、諒一はその申し出を断る。

「平気だ。それに、人に話すような悩みでもない。」

 ツルカの申し出をきっぱりと断ったのだが、ツルカは気にする事無く話しかけてきた。

「なあリョーイチ、悩みがなんであれ、ユウキには言っといたほうがいいと思うぞ。」

「……。」

 何について悩んでいるのかも分からないはずなのに、そのアドバイスは的確であった。

 さらにツルカはこちらの思考を読んだかのように、役に立ちそうなアドバイスをこちらに送ってくる。

「仲が良いほど喧嘩した時の反動は凄いし、手遅れにならないうちに早めに解決したほうがいいかもしれないぞ。……そうだ、試合に勝って気分がいい時にユウキにさり気なく言えばいい。ボクだったら何言われても許すだろうな。」

「……まるで体験したような言い方だな。」

 ツルカの言葉に現実味を感じ、諒一は純粋な感想を返した。すると、ツルカは声のトーンを下げて自らのことを語る。

「まあね、ボクが頑固だったせいでイクセルとは何年も喧嘩してたわけだし。今思うと馬鹿みたいな理由だったって思ってる。どんな悩みでも早めに言っといたほうがいいぞ。これはボクからの教訓だ。」

「そうか……。」

 年下の少女の言葉にここまで納得させられたのも初めてだ。

 しかし、結城と同じ女性のランナーからの言葉なのだから、参考にして損はない。しかも、自分自身もツルカの案に異論はない。

 やはり、一人で悩むよりも結城と2人で今後のことを考えたほうがいい。

 そう考えを改め、諒一は問題を先送りにし、今は純粋に試合観戦を楽しむことにした。


  4


 アリーナの上、スカイアクセラのVF『エルマー』に乗るローランドはこれから対戦する相手の姿を見ていた。

 ――アカネスミレ。

 あの真っ赤なVFのコックピットにレディが乗っているかと思うとかなり気が引ける。

 なるべくそれを考えないように試合をしたいが、到底無理だろう。本当にベテランパイロットである私があのような女子学生に本気を出していいものか……。

 過去の試合映像を見るかぎりでは強敵であることに間違いない。しかし、ローランドにはどうしてもそれが彼女による試合だと考えることができなかった。

(あんな若い娘がイクセルと渡り合えるとは……。)

 七宮を追って基地に単独で潜入してくるほど肝が座っていることは認める。だからと言ってその姿形を見る限りでは、あれだけの戦闘センスを持っているパイロットには思えない。また、七宮が5年間指導したと言っても、単なるゲーム内での訓練であれだけの試合ができるとも思えない。もっと言うと、アカネスミレというVFの性能が良く、彼女とベストマッチしている事を考慮しても到底納得できない。

 しかしこれが真面目な試合である以上、下手に手を抜くわけにはいかない。対戦成績にはあまり興味はないが、やはり遊びでも勝ったほうが気持ちがいいし、チームもそれを臨んでいるはずだ。

 ミス・タカノの実力はともかく、下手にダメージを追うことも避けねばならないだろう。なぜなら、来週には更にキルヒアイゼンとも試合をしなくてはならないからだ。

 試合の調整の関係で2週連続試合することになったのだが、これ自体はあまり問題ではない。問題は、その相手もミス・タカノと同じく女性で、しかも少女だということだ。

 ミス・タカノは18歳なのでまだ何とか戦える。しかし、ツルカ・キルヒアイゼンは聞く所によれば13歳とかなり若い。

 もちろん、自分自身は手加減するつもりはないし、約束通りに全力で試合に望むつもりだ。しかし、無意識のうちに手加減してしまいそうで恐い。

 ……とにかく来週の事は置いておこう。修理が必要になると来週の試合にも響くので、長丁場を避けてすぐに試合を終わらせる必要がありそうだ。

 ローランドが対戦に向けて気持ちを整理していると、アリーナに実況者の声が響き始めた。

<両チームとも準備が整いましたので、それぞれの紹介に移りたいと思います。>

 心の準備までは待ってくれないらしい。

 実況者のヘンリーは淡々と試合前の流れを進行させていく。

<まずはスカイアクセラのエルマー。ランナーは元パイロットのローランドです。さて、今日はどんなアクロバットな戦いを見せてくれるのでしょうか。非常に楽しみです。>

 中継映像を見ているファンや船や飛行船から見ている観客には悪いが、生憎今日はそんな余裕のある動きを見せられる時間はない。今日は速攻で勝利を奪うつもりなので、アクロバットな動きは来週の試合まで我慢してもらうことにしよう。

<続きましてアール・ブランのアカネスミレ。ランナーは現役女子学生のユウキです。今シーズン彼女は素晴らしい戦績を収めていますが、今日は有終の美を飾る事ができるのでしょうか。>

 紹介されてもミス・タカノは動かない。アカネスミレの頭部はこちらをしっかりと見据えたままで、そのアームは既に腰に下げている剣の柄に触れている。

(おやおや、やる気満々ですね。)

 事前の情報通り、アカネスミレの腰には3本の鞘が取り付けられていた。

 両腰に長めの剣が1振りずつ、そしてこの位置からは柄の先しか見えないが腰の後ろに短い物が1振り。

 武器はそれだけで、ライフルやハンドガンの類の銃器は見られなかった。

 対する私の装備はダグラス社製のVF用ショットガンが2丁ほどだ。一応隠し武器としてサーベルも持っているので、残弾数を気にする事無くバンバン撃つつもりだ。

 アカネスミレは剣しか持っていないし、機動力はこちらの方が上である。そこまで警戒する必要もないだろう。

 開始直後に勝負を仕掛けるつもりだが、たとえそれに失敗したとしても素早い動きで翻弄しながら確実にダメージを蓄積させればいい。

<……それでは試合開始です。>

 アカネスミレの兵装を観察し終えると同時にカウントダウンが始まり、ローランドはVFから独立したシステムで駆動するジェットエンジンを始動させる。……このジェットエンジンこそがエルマーを高速機動戦闘機たらしめている重要な構成要素である。

 始動したジェットエンジンはエルマー自体の駆動音よりも大きな音を発生させながら、スタンバイ状態へ移行していく。

(何回聞いてもこの音はいいですね……。)

 エルマーのメインエンジン、そしてスラスターには『電磁加速型電気推進機構』が使用されている。いわいる『アークジェットエンジン』というものだ。

 普通のジェットエンジン……『ターボジェットエンジン』だと高温高圧のガスを作るために空気を圧縮してそれを燃料と混ぜて燃焼させているが、この電磁加速型電気推進機の場合は推進剤をプラズマ化させて、高温高圧のガスを生成している。

 この高温高圧のガスがこのエルマーに推進力を与えるというわけだ。

 ちなみに、アークジェットエンジンの場合、加えられるエネルギーに上限が無いので、理論上はそのパワーに上限はない。また、化学推進と違って、推進剤に電力をかければかけるだけ高温になるので、電力が無限供給される1STリーグとの相性はいい。

 それに推進剤がジェット燃料のように危険なものを使わずに済むので、爆発事故の危険性も少ない。なかなかスポーツに適した推進装置だともいえよう。

 無論、戦闘兵器としても爆発の危険性がないというのは大きなメリットだ。パイロットの生存確率も、2次被害の可能性もぐっと下がる。

 アークジェットエンジンが正常に起動したことを示すアイコンが点灯すると、やがて試合開始告げるブザーが鳴り響いた。すると、アリーナの塔に設置されたジェネレーターからエルマーにエネルギーが供給され始め、すぐにエルマーが動けるようになる。

「まずは、背後を取れるか試してみますか……。」

 ローランドは両手に持ったショットガンをくるりと回し、アカネスミレに向けてゆっくりと移動し始めた。



<――それでは試合開始です。>

 聞きなれた実況者の声がするとカウントダウンが始まり、すぐに試合開始のブザーがアリーナ上に鳴り響いた。結城はその音をアカネスミレのコックピットの中で聞き、その視線をエルマーの両腕に向ける。

(装備はショットガンのままか……。)

 あれだけ私に快くエルマーを見せたのには何か理由があると思っていたが、別にあまり意味はなかったようだ。てっきり、事前にショットガンを見せびらかしておいて、本番では別の武器を使うのではないかと思っていたのだが……。杞憂に終わってよかった。

 あと、実はショットガンの形をしているだけで別の種類の武器かもしれない……と深く疑っては見たものの、まずそんな事は有り得ないだろう。試合が開始してからエルマーはゆっくりこちらに歩いてきているし、あのショットガンが近距離でしか効果を発揮できないというのは明らかだ。

 そう結論付け、結城は当初の考えどおりネクストリッパーを抜刀する。

 このネクストリッパーの威力は既にサマルとの試合により周知されているので、これで相手も迂闊に接近してこないはずだ。このネクストリッパーが一度振動数を計測しなければならないという弱点はまだバレていないようだし、抑止力としての効果は抜群……

(……でもないみたいだな。)

 こちらがネクストリッパーを取り出しても、エルマーは悠々とショットガンを回しながら歩いてきている。その姿からは敵意というものが全く感じられなかった。

 その行動に違和感を覚えていると、とうとうエルマーはこちらの攻撃範囲ぎりぎりの場所にまで来て、そこで停止した。

(なんだ……油断させるつもりか……?)

 そんな事を考えていると、いきなりエルマーは腰を折り仰々しくお辞儀をしてきた。その所作は恐ろしくなめらかであり、同時にその完璧さがこちらを挑発しているようにも思えた。

「え……いきなり何?」

 結城はその急な動作に呆気に取られてしまい、ネクストリッパーを構えたまま動けずにいた。

<エルマーが相手に頭部を晒して挨拶をしています。初めての相手に礼儀を示しているのでしょうか……かなり無謀な行為です。>

 実況の声に続き、コックピット内の通信機からもランベルトの声が聞こえてきた。

「舐めやがって……。おい嬢ちゃん、今のうちにそいつの頭を叩き切ってやろうぜ。」

 わざわざお辞儀を返す必要もない。ランベルトの考えは至極真っ当な意見だった。

 今の私は礼儀正しい騎士ではない、ルールに則って試合をしているただのVFランナーだ。そして、ルールブックにも『お辞儀をされたらお辞儀し返す』なんて馬鹿げたルールはない。

「……そうだな、ここからなら一瞬で斬れる。」

 ランベルトの案に激しく同意した結城は、ネクストリッパーの切っ先をエルマーの頭に向ける。……と、不意にエルマーの背後に陽炎のようなものが見えた。

 それは空気の密度が変化した時に発生する現象であり、エルマーのエンジンの出力が上昇していることを示していた。

 その陽炎が強くなったかと思うと、急に結城の視界が激しくぶれる。

「!?」

 その不自然なぶれの後、いつの間にかエルマーの姿は視界から消え去っており、同時に甲高い轟音がコックピットの装甲越しに聞こえてきた。その轟音は音が振動であるという事実を体感させられるほど強いもので、不自然なぶれの正体はその轟音だと理解できた。

 同時に敵の姿を見失っていた結城だったが、その思考は至って冷静であった。


 ――相手を見失ったらまずは背中に注意することね……。


(……背中か!!)

 ミリアストラのアドバイスに従い、結城は振り向く前に背後にネクストリッパーを付き出す。するとネクストリッパーの先端に何かがコツンと当たる感触が伝わってきた。

 確かに何かが私の背後に存在している。それはエルマー以外に考えられなかった。

 刹那の間に背後を取られた事実に驚愕する暇もなく、結城はネクストリッパーを保持したまま背後に振り向く。

 そして、ネクストリッパーに触れたものの正体を自分の目で直に確かめる。

 ……それはショットガンの銃口であった。

「ッ!!」

 結城は反射的にその銃口を下にはたく。すると、そのタイミングで無数の弾丸が銃口から飛び出し、アカネスミレの足元の床を抉った。それと同時にショットガンの側面から空のシェルが排出され、回転しながら宙を舞う。

 なんとか被弾せずに済んで安心したのも束の間、間を置かずしてエルマーはもう片方のショットガンでこちらの頭部を狙ってきた。しかし、その動作は先ほど見せた瞬間移動に等しい動作とは違って遅く感じられた。多分、その瞬間移動の際にエネルギーを大量に使用したせいだろう。

 そのため、結城はエルマーが銃のトリガーを引く前に、ネクストリッパーで銃身ごと真っ二つにすることができた。

 先程、先端に銃口が触れた時に振動数を記録していたため、こちらが軽く触れただけでショットガンの銃口は綺麗に切り落とされた。……しかし、切れたのは銃身の部分だけであり、発射する事自体に問題はなかった。

(……しまった!!)

 結城は失敗を反省しながら衝撃に耐えるべく身をこわばらせる。だが、短くなったショットガンの銃口は、ネクストリッパーに切られた時の衝撃であさっての方向を向いており、発射された散弾はこちらにかすりもしなかった。

 エルマーはアリーナの床と空に向けて1発ずつ撃つとすぐにこちらから距離を取り、アカネスミレの攻撃範囲外にまで移動した。そして、エルマーはその場所でゆっくりとショットガンを回し始める。

 多分、今のうちに失った分のエネルギーをジェネレーターから受信しているのだろう。その驚異的なスピードの代わりに、燃費はあまり良くないようだ。

 そんな余裕たっぷりの動作を見つつ、結城は今さらながら戦慄を覚えていた。

 ローランドが操るエルマーの速さは想定以上のもので、シミュレーションゲームで戦った槻矢くん以上だった。もしミリアストラさんから話を聞いていなければ、背後から頭部を撃たれて負けていたかもしれない。

 と言うより、お辞儀のせいで完璧にペースを乱されたと言ったほうがいいだろう。油断しないで相手の動きを見ていれば、今後エルマーの姿を見失うことも無いはずだ。

 そうしているうちに十分な量のエネルギーを確保できたのか、再びエルマーが高速で接近してきた。しかしその2回目は神経を集中させていたので容易に姿を追うことができた。

 ……ただ、追えたからといって対応できるかどうかは別問題だ。

 結城は接近してくるエルマーからの散弾を回避し切ることができず、散弾はこちらのボディに命中する。しかし、1回目よりもかなり遠い位置から撃たれたようで、アカネスミレにほとんどダメージはなかった。

 エルマーは今まで対戦をしたどんなVFよりも、移動距離とスピードがずば抜けている。正面からあの速度で突進されたらかと思うと恐怖を感じるほどだ。おまけに加速と減速に躊躇がなく、それだけでも脅威なのに、エルマーは常にこちらの背後に回ろうとしている。位置取りも完璧で狙いも的確だ。

 間違いなくローランドは1ミリ秒の世界を知っている猛者である。

 そんなローランドがショットガンを使用しているのがせめてもの救いだった。槻矢くんのように格闘をメインに攻めて来られたら対応しきれなかっただろう。

 エルマーはストック付きの散弾銃で戦っている。使用弾丸が散弾なので回避が困難ではあるが、先程も言った通りダメージ自体はあまりない。しかし、命中する度に殴られたような衝撃が機体に走っていた。そのせいで結城は迂闊に移動することができず、VFの正面をエルマーに向けるので精一杯だった。

(やっぱり速いな……。)

 攻撃範囲外からの射撃には対応できないが、その射撃の精度はお世辞にも良いとは言えない。あまり射撃は得意ではないらしい。ローランド自身がショットガンという着弾面積が非常に広い武器を使っているのがその証拠であった。

 この散弾を凌げば、いつかは必ず勝機が見えてくるはずだ。

 そう考え、結城は焦らず着実に対応することにした。



(なかなかやりますね、ミス・タカノ……。)

 ……試合開始から5分、初めこそこちらの動きに付いてこれていなかったが、ミス・タカノもエルマーのスピードに慣れてきたようだ。散弾を回避できてはいないが、明らかに被弾面積は減少している。しかも、こちらの攻撃は一応命中はしているものの、距離を取られているせいで決定打になりえない。

 ここまでは想定内だが、ミス・タカノはこちらの攻撃に対してカウンターする余裕まで出てきたらしい。散弾をものともせず、こちらの隙を狙うかのように剣を突き出している。

 まだまだ当たる気配は無いにしても、いずれはこちらの動きにも対応できるようになるだろう。……全く末恐ろしいレディである。

 ファーストアタックでの反応はもちろん、ショットガンのバレルを切り落としたのにも驚かされたし、パイロットとしての資質や勘は私以上だ。イクセルとの対戦の映像を見た時にもそう感じていたが、やはり実際に相対するとそれがよく理解できる。

 試合前に考えていた事が杞憂に終わって良かった。どうやら本気を出さねばこのレディに勝つのは難しいようだ。

(さて、これからどうしますか……。)

 今の所、散弾での攻撃はアカネスミレにほとんどダメージを与えられていない。今後もショットガンで戦うのは無駄だろう。

 そう判断したローランドは、結城がエルマーのスピードに完全に慣れる前に、早急に次の段階に移行することにした。

「……ショットガンと腕部弾倉をパージしますよ。」

 ローランドは通信機に向けてそう報告すると、すぐにショットガンをその場に放り投げ、腕についていた余分な弾倉も捨てていく。

 そして、その代わりにある場所からサーベルを取り出した。

 サーベルはエルマーの胸部装甲のすぐ下にある細長い形をした外部装甲それ自体であり、ローランドはそれを取り外して右手に構える。続いてサーベルを一振りすると、それよりも更に薄くて長い刃が先端から飛び出し、その外形は完璧にサーベルとなった。

 こんな場所に取り付けるのも何だと思うのだが、変形した際にここが戦闘機の先端部分となり、これで目標に突進することもあるらしいので、構造的に仕方がないだろう。ただ、突貫用の兵装というだけのことはあり、造りはしっかりとした堅実なものだった。

 ローランドがそれを握って構えると、アカネスミレも定規のような武器を構え直した。

 あの武器は要注意だ。

 普通、銃身を切られるとその際の衝撃で歪みが生じて弾丸の軌道はかなりズレる。しかし、あの剣で切られた後も散弾の軌道は全くずれていなかった。余程の切れ味がないとできない芸当だ。

 しかし何にせよ、当たらなければ意味がない。

 そしてローランドはそれを避けられる自信があった。

(……行きますよ、ミス・タカノ。)

 ローランドはサーベルの切っ先をアカネスミレに向けるとアークジェットエンジンの出力を一気に上げ、一直線に突進していく。弾倉やショットガンがパージされたおかげでエルマーのスピードは更に上昇しており、200メートル近くあった距離が一気に縮まる。

 単なる突進だが、これこそがエルマーの最大の攻撃法だとローランドは理解していた。相手と衝突すればこちらの勝ち。相手が回避すればそのまま距離をとって再び同じように突撃を繰り返せばいい。

 どんどん接近してくるアカネスミレの姿を見て、ローランドは結城が衝突を選択した事を悟る。刹那の間にその選択をした勇気は素晴らしい。しかし、素直に真正面から衝突するほど愚かなローランドではなかった。

(残念、フェイントです。)

 接触の瞬間、ローランドはスラスターを起動して反時計回りにエルマーを回転させる。その時に凄まじい遠心力がローランドを襲うが、元パイロットの彼にはなんの影響もない。

 エルマーは回転したことにより軌道がずれ、アカネスミレから見て左手側をすれ違うようにして進んでいく。

 ……まさかミス・タカノも正面から突進してきた相手に側面から攻撃されるとは思ってもいないだろう。アカネスミレは定規のような剣を正面に構えており、側面や背中はがら空きだった。

 ローランドはそこを狙い、回転によって生じた遠心力を利用した横薙ぎの攻撃を繰り出す。

 すれ違いざまに放たれたそのサーベルはアカネスミレの脇を捉えていた。このまま破壊できれば関節が破壊され、左腕は使い物にならなくなるはずだ。

 アカネスミレはこちらの動きに応じて防御の体勢を取り始めていたが、こちらのサーベルの剣速からすると、絶対に間に合わない。このまま相手のアームの機能を停止させれば、それを足がかりにして一気に畳み込める。それでこの試合は終いだ。

 しかし、そんなローランドの考えを裏切るかのように、サーベルはいとも簡単にアカネスミレの剣によっていなされてしまう。

 ――エルマーのサーベルはアカネスミレの剣に接触して弾かれ、ダメージを与えるどころか、ボディに一切触れることなく振り抜かれてしまったのだ。

(どうやって……!?)

 ローランドはいきなり訪れた不測の事態に驚き、相手の剣を見る。すると、こちらのサーベルを受けたのは定規のような剣ではなく、新たに抜刀されていた短い剣だということが分かった。しかし、ローランドは攻撃を防がれた事よりも、その短い剣を抜刀した瞬間を把握出来なかったことに驚いていた。

 まさか、ミス・タカノは私が瞬きをする時間よりも早く抜刀できるとでも言うのだろうか。

(いや、実際そうかもしれませんね。)

 それもそのはず、こと剣の扱いに関しては向こうのほうが圧倒的に技量が高い。VFBに最適化された剣術を七宮から指導されたミス・タカノができても不思議ではない技なのだ。

 そう考えると、私が先ほどアカネスミレが抜刀する瞬間を捉えられていたとしても、剣の扱いに慣れていないこちらのサーベルは簡単に弾かれていたかもしれない。

 私も一応剣術を嗜んでいるとはいえ、それはVFに最適化された剣術ではないし、それに、速さだけに頼る剣筋など、技量に勝る相手には簡単に捌かれて当然だ。

 だからと言ってこのスタイルを急に変えることなどできない。

 ならばどうすればいいか。

 ――相手が対応できなくなるまで突進を繰り返し、その速度を上げ続けるまでである。

(楽しくなってきましたね……。)

 ローランドは更にアークジェットエンジンの出力を上げ、今度はアカネスミレの周囲を驚異的なスピードで駆けまわる。いや、既に足もろくに地面についていないので飛んでいると言っていいだろう。

 そんな大げさな立ち回りによる円運動が功を奏したのか、アカネスミレは完璧にはこちらの動きを捉えられていないようだった。

 そのままローランドは暫くアカネスミレを翻弄した後、タイミングを見計らって背後からサーベルを相手の頭部に向けて突き出す。

 そのサーベルによる二撃目はアカネスミレの頭部を外れ、首辺りの装甲を大きく抉った。

 しかしこれはアカネスミレが回避したのではない。あまりの速さのせいでこちらの手元が狂ってしまっただけだ。もし正確に突けていれば頭部を胴体から切り離せていただろう。

 流石のミス・タカノも、こちらの急激な加速に対応できないようだ。

 ……その後もローランドは音速に近いスピードに身を委ね、アカネスミレに接近する度にサーベルを突き出して連撃を続けていた。だが、そのどれもが外装甲を削るばかりで体の芯を貫けない。

 ところが、ローランドはスピードを緩めることなく更に加速し続ける。

(もっと……もっとだ!!)

 どんどんエルマーのスピードは速くなり、それにつれてエルマーの足がアリーナの床に接地している時間も短くなっていく。

<アカネスミレ、エルマーのあまりの速さにその場から動けません。防御に専念しているのでしょうか。……対するエルマーは強烈な突進を何度も繰り返しています。>

 そんな実況の声が聞こえないほど意識も朦朧としてきたが、コンソールを操作する手だけはしっかりと動いており、エルマーは奇跡的なバランスで以ってアカネスミレの周囲を文字通り飛び回り、サーベルを振り回している状態にあった。

 しかしそれも長くは続かない。

 数十回目の突進の際に、ミス・タカノはとうとうこちらに攻撃をヒットさせてきた。

「……ッ!?」

 その攻撃手段は視認できなかったが、どうやらすれ違いざまにこちらのサーベルに剣をぶつけたようだ。その証拠に、HMDに映るステータスではエルマーの装甲に全く異常はなかった。しかし、こちらのサーベルに攻撃を当てたという事自体が『異常』だった。

 ――この短時間でこちらのスピードに追いついてきた。

 その有り得ない事態にローランドは驚き、同時に興奮していた。

(まだこれ以上……!?)

 もうエルマーの出力は限界に近い。これ以上速度を上げるとジェネレーターからのエネルギー供給量が追いつかなくなり、一時的に行動不能に陥ってしまう。

 かと言って、このままのスピードではすぐにアカネスミレの剣の餌食になってしまう。

(止むを得ないですね。)

 ローランドはこれ以上のスピードを求めるため、ある決断を下した。

「……一部の外部装甲をパージします。」

 通信機にそう告げると、ローランドは一旦アカネスミレから距離を置き、余分な装甲や余計な推進装置をパージしていく。

 取り外された装甲は音を立てて地面の落ち、鈍い音を立てた。

<いきなりエルマーが装甲を取り外しました。別にダメージを受けて歪んでいる訳でもなさそうですが、一体何を考えているのでしょうか。>

 こんな事をしたのは、エルマーの重量を少しでも減らすためである。軽くなればスピードは速くなる。特にアリーナのような狭いエリアでは加速力を稼ぐのには重量を落とすのが手っ取り早い。

 また、姿勢制御用の推進装置を減らし、そのスラスターの出力も最小限に抑えれば、メインエンジンに割り当てられる量も増える。こうすることでエルマーはさらに突進の速度を上げることができるだろう。

 やがて全ての余分な物を取り外すと、そこから現れたのは驚くほどスリムなフォルムのVFだった。

 両腕両脚は共に装甲が外れたことにより細くなっており、また、刻印のある胸部装甲も無くなり、丸みを帯びた薄い装甲が現れていた。その代わり、エルマーの周囲には、まるで脱ぎ散らかした服のように大小様々な装甲や推進装置が散乱していた。

 それらを足で払うと、ローランドは迷うことなくメインエンジンの出力を限界まで上げ、アカネスミレに向けて飛ぶ。

「くっ……!!」

 信じられぬ程の加速力にローランドは歯を食いしばる。戦闘機で何度も経験した急加速にも劣らない加速っぷりである。

 そんな加速に負けることなくローランドはサーベルを水平に構え、少し高い位置から下降しながら相手の頭部を狙って突き進む。

 アカネスミレは相変わらず定規のような剣を両手で構えている。見る限りでは避ける気配はないし、それ以上にこちらの突撃に負ける気もないようだ。

 エルマーとアカネスミレの距離はどんどん近づき、――ついにその時はきた。

(今です!!)

 ローランドは最もアカネスミレに近付いた時に合わせ、サーベルを真横に振りぬく。

 サーベルの動きを邪魔するものは何もない、驚くほど完璧に綺麗に振りぬけた。

 振り抜けたということは、当然、剣筋の途中にある相手を完全に斬ったということであり、ローランドは自分の勝利を確信した。

 ……しかし現実は全く違っていた。

<アカネスミレ、エルマーのサーベルを破壊してしまいました。>

(……ん?)

 ローランドは実況の言っている意味が理解できず、手元を見る。すると、そこには刃部分を綺麗に切り落とされたサーベルの姿があった。

 なんと、アカネスミレのあの定規のような剣がこちらのサーベルを真っ二つに両断していたのだ。切り離されたサーベルの先端は、その勢いを失うことなく海に飛んでいき、すぐに着水したことを示す水飛沫が生じていた。

 まさかあの剣がここまで切れ味がいいとは思ってもいなかった。こちらのサーベルに使用されている合金は、突貫用に特注されたかなり頑丈なものだと聞いている。その刃を両断できると誰が思うだろうか。

「……。」

 刃の部分が短くなったサーベルをしばらく見て絶句していると、すぐにアカネスミレから反撃の剣が襲ってきた。

 ローランドはとっさに片方のジェットエンジンを吹かし、その場て回転してそれを避ける。そして、そのままアカネスミレに背を向けるとまたしても距離を取るべく離脱した。

 ……が、今度は簡単に逃してはくれなかった。 

 アカネスミレは素早くエルマーの脚部を足払いし、そのせいでこちらの軌道は下にずれ、エルマーは思い切り地面に激突してしまったのだ。その衝撃はアリーナの床にめり込むほどで、装甲をパージしたエルマーにとっては深刻なダメージだった。

 そんな不意に訪れた衝撃に耐え切れず、ローランドは一瞬意識が飛んでしまう。装甲がないだけでこれだけ衝撃を感じるとは……自分の選択は間違っていたかもしれない。

(とにかく早く離脱しなくては……。)

 ローランドはアカネスミレから逃げるように咄嗟にに立ち上がろうとする。だが、先ほどの衝撃のせいでスラスターを上手く制御できず、離脱自体はなんとかできたものの、またしてもエルマーは地面に激突してしまった。

(動揺している? この私が……。)

 ありえない。

 少なくとも私はミス・タカノよりも多くの修羅場をくぐってきている。これしきのことで単純な操作を誤ることはない。起こりえない。

 しかし、今私は確かに感じていた。それは、圧倒的な実力差によって生じる感情、イクセルとの対戦の時にも私を襲ってきた感情。

 未だに覚えているその感情は紛れも無く『恐怖』という感情だった。



(さっきの突進は超速かった……。でも、どこに来るか分かってれば何とかなるもんだな。)

 エルマーが外装甲を外した時点でスピード任せの攻撃を繰り出してくるのは分かっていた。……が、まさか高速で空中を滑空してくるとは思っていなかった。

 あの股間から取り外したサーベルの振動数を記録していなければ、今頃はネクストリッパーを両断され、おまけに頭部も破壊されていたに違いない。

 私に足払いされたエルマーは、その後二度ほど地面激突しながら距離を取り、今は遠くの地面に俯せになっている。

 結城はエルマーが地面から復帰するまえに方を付けるべく、ネクストリッパーを構え直して接近する。

 こちらが近づいても尚、エルマーは未だに復帰に手間取っているのか、手足を動かしながら地面に俯せになったままもたついている。

(駆動系の故障か……?)

 しかし、そんな事は関係ない。

 結城はネクストリッパーを逆手に持ち直すと、少し離れた位置からジャンプしてエルマーに飛びかかる。その際、結城は空中でネクストリッパーを振りかぶり、着地すると同時に全力で振り下ろした。

 しかしエルマーは俯せになったまま腕のスラスターを使用し、ぎりぎりで上半身を移動させてこちらの攻撃を回避した。その結果、ネクストリッパーは地面に命中してしまう。

(わざと故障したふりを……!?)

 そうと分かれば、次にエルマーが取る行動もすぐに分かる。

 結城はそれに対応するべく、地面に突き刺さったネクストリッパーから手を離して素早くしゃがんだ。すると、すぐにエルマーが推進装置を上手く使って立ち上がり、それと同時に刃が短くなったサーベルを突き出してきた。

 サーベルはこちらの頭上を通過し、結城は上手く回避することができた。

 さらにエルマーは追撃するように、こちらの回避した方向にサーベルを振り下ろすも、結城はその斬撃を地面に刺さったネクストリッパーで防ぐ。すると、その時の衝撃でネクストリッパーが地面から抜け、結城は再びそれを握ってすぐに反撃に移ることにした。

 だが、既にエルマーは地面を蹴って横っ飛びに回避しており、こちらの攻撃は届きそうになかった。しかし、結城は諦めることなくネクストリッパーを投擲する。

 投擲されたネクストリッパーは正確にエルマーを捉えていたが、エルマーはこちらがネクストリッパーを投げた時点でジェットエンジンを起動しており、真上に飛び上がってネクストリッパーを避けてしまった。

 そして更にこちらから距離を稼ごうと、無数のスラスターが取り付けられた背を向けてアリーナの端へ遠ざかっていく。

 それを見ても、結城は諦めなかった。

「逃がすか!!」

 結城はコックピットの中で叫ぶと、すぐに腰からショートブレードを抜いてエルマーの背中目掛けて思い切り投げる。するとそれは吸い込まれるようにエルマーの脚部、膝裏にあるスラスターの噴射口に命中した。

 ショートブレードが命中したことでスラスターが壊れたのか、エルマーはバランスを失い、その速度を著しく低下させた。

 結城はその隙をついてエルマーに素早く接近し、膝裏に突き刺さったショートブレードの柄を蹴って、更に奥へと打ち込む。蹴られたショートブレードはいとも簡単に脚部パーツを破壊し、エルマーの左脚の膝から下の部分が本体から千切れて落ちた。

 結城はそれに目もくれず、更にエルマーの背中を思い切り蹴飛ばず。するとようやくエルマーはその場に崩れ落ち、地面に膝をついて停止した。

(よし、このままエルマーの頭を……)

 ボロボロになったエルマーを見て勝利を確信した結城だったが、その油断がいけなかった。

 こちらがロングブレードを取り出そうとした瞬間、いきなりエルマーが反転し、こちらにしがみついてきたのだ。

 そしてエルマーはアカネスミレをものすごく大きな力で押し始める。それは相手のジェットエンジンによって生まれた推進力であり、足を破壊した所で止められそうになかった。

 急な出来事に驚き、また、ジェットエンジンの推力に抗えず、結城の操るアカネスミレはどんどん背後に押されていく。その速度は瞬く間にアカネスミレの全力のダッシュ速度を超え、2体は抱きあうような体勢のままアリーナの端を目掛けて突き進む。

 結城は何故こんなことをするのか、すぐその意図に思い至った。

(まさか……私を場外へ!?)

 この可能性を全く考えていなかった。これだけの推力があれば、アカネスミレくらいのVFなら簡単に外へ運ぶことができる。エルマー自体の重量も減っているし、脚で踏ん張った所でこれには抗えそうにない。

 結城はなんとかエルマーを振りほどこうと努力するも、エルマーの腕はアカネスミレのボディをしっかりとホールドしており、場外に到達するまでの数秒でどうにかできそうになかった。

 たが、両アームを自由に動かせるのが幸いだった。

 結城はエルマーに密着された状態で器用にロングブレードを鞘から抜刀し、そのままブレードをレシプロ機のプロペラのように回転させ、エルマーの両腕を切り落とした。切り落とされた腕はエルマーの背後へ吹き飛んでいき、内部部品を散らせながら地面を転がった。

 こうしてエルマーからの拘束を解き、体が自由になった所で、結城はエルマーのボディをよじ登って肩を蹴り、場外を免れるべくアリーナの中心に向けて跳んだ。

 エルマーから離れて宙に跳び出したその瞬間、唐突に何とも言えぬ浮遊感が結城を襲う。

 なかなか心地の良い浮遊感ではあるが、問題があった。それは、アリーナの中央に向けて飛んだはずなのに、まだアカネスミレが海に向けて移動し続けていることである。

 どうやら私のジャンプはエルマーの慣性に打ち勝てなかったようだ。アカネスミレはエルマーのように推進装置がないので、このままだといずれ海に落ちて場外負けになってしまうだろう。

 エルマーはと言うと、こちらが離れてすぐに急制動をかけており、損失した左脚をかばうようにして地面に尻餅をついて、空中を飛ぶこちらを見上げていた。

 その位置は私よりも海側であり、アカネスミレはその頭上を通り越す軌道をとっていた。

(もう、こうするしか……!!)

 切羽詰まった結城はアカネスミレがエルマーの頭上に来たタイミングで、真下に向けてロングブレードを投擲する。

 ――アリーナの床に座り込んでいるエルマーにロングブレードを命中させることはさほど難しいことではなかった。

 アカネスミレの手から離れたロングブレードは空気を切り裂いて真下に飛翔する。天から降ってくるそのブレードを、腕を失ったエルマーが防げるはずもなく、ブレードは見事にエルマーの頭部に突き刺さった。

 その衝撃でエルマーは仰向けに倒れ、そしてピクリとも動かなくなってしまった。

(ふぅ……。危ない危ない……。)

 それを確認すると、結城は心置きなく着水する準備に移る……が、当初の予想に反してアカネスミレはそこまで飛ばされていないようで、なんとかギリギリでアリーナの端に着地できた。なんとか水没は免れたようだ。

 結城はほっとすると、着地の際に曲げたアカネスミレの脚を伸ばして、改めてエルマーを見る。両腕と左脚を失ったエルマーは完全に機能停止状態にあり、試合中にずっと鳴り響いていたエンジン音もいつの間にか停止していた。

 それを確認すると同時に、実況者が私の勝利を告げる。

<エルマーは頭部を破壊され、レシーバーからのシグナルが途絶えました。よってチームアール・ブランのアカネスミレの勝利です。>

 その言葉を聞きつつ、結城は試合の余韻に浸っていた。

(結構飛ばされたな……。)

 一体どれだけ高く飛んだのか、……へこんだ地面とそこに残されたアカネスミレの足跡がそれを物語っていた。

 エルマーの問答無用の押し出し作戦には驚かされたが、お陰で貴重な体験ができた。短時間ではあるが、あれほど長く宙を飛んだことはなかったように思う。あの浮遊感は確かにもう一度体験してみたい感覚ではある。

 あのまま自由に空を飛べることを考えると、意外と戦闘機に乗るのもやぶさかではない気がしていた。

 ……それにしてもローランドさんも人が悪い。

 VFはあまり好きじゃないとか言っておきながら、その操作技術は1STリーグに相応しい上手さだった。こんな戦いをローランドさんみたいな“おじさま”がやるなんて、未だに信じられない。

 でも、ローランドさんがこの試合の対戦相手でよかった。最終試合に相応しい、満足のできる試合だった。

(また戦いたいな……。)

 そう思いつつ、結城はHMDを脱いだ。



 エルマーのコックピット内。

 試合に負けたローランドはHMDを脱いで、それを股の間に置いて息をついていた。

 ……体の節々が痛い。

 無理してあんなにアリーナ中を飛び回ったせいだろう。久々に頭もグラグラしている。それだけで気分がわるいのに、コックピット内の通信機から聞こえてくる、私を呼びかけるオペレーターの声がその症状を余計にひどくさせていた。

 そのため、ローランドはそれに応えることなく通信機の電源を切った。

「やはり歳か……。」

 体を鍛錬しているのだが、やはり老化というものにはどうやっても抗えない。40も大台を過ぎてそろそろ50に入る。未だに十分すぎるほどの身体能力を確保しているのは事実であるが、自分が競っているのはそこら辺にいるパイロットではない。世界の頂点に立つリーグで活躍している怪物たちだ。それらと渡り合うためには私は歳を取り過ぎている。

 今日はまた新たな怪物を目の当たりにしてしまった。

 最後の道連れ作戦もあっさりと打ち破られてしまうし、まさか密着した状態であんなに器用に剣を抜けるとは思いもしなかった。

 密着状態の抜刀という高等技術は咄嗟にできるようなものではない。ああいう事態を想定し、何度も訓練していないとあの動きはできないはずだ。

 ……七宮の話通り、彼は本当にミス・タカノに色々と詰め込んでいるようだ。話を聞いたときはにわかには信じられなかったが、あれを見たあとでは信じざるを得ない。

 あと驚いた事といえば、いとも簡単に剣を投げるという点である。

 高性能の剣を投擲武器のように投げるのだから恐ろしい。回収できない可能性を考えたりしないのだろうか。剣は投げる武器ではなく手に持って振る武器だと認識しているかどうかも怪しいくらいだ。

 その上、よくあんなにもぽいぽい投げて相手に命中させられるものだ。そこまでの膂力を搾り出せるアカネスミレというVFの性能があってこそなのだろう。

 負けて悔しいのは事実である。しかしもう慣れているし、これがパイロットの自分の限界なのだろう。これのお陰で戦闘機乗りの感覚を失わずに済むと考えれば安いものだ。それに、今日は十分興奮できて楽しめた。

 でも、来週は勝ちたいものだ。

 キルヒアイゼンとの試合のことを考えていると、すぐにコックピットの扉越しにヘリコプターのローター音が聞こえてきた。他のチームとは違いハンガーに運び込まないので、VFの輸送は空輸で行われる。

 本体だけ大型ヘリで基地まで運び、後の細かいパーツはまとめて輸送船で運ぶ予定だ。

(さて、そろそろコックピットから降りますか……。)

 来週も試合があることだし、さっさと作業を済ませるべく、ローランドは重い腰を上げてコックピットから外に出た。


  5


 スカイアクセラとの試合が終わり、アカネスミレの簡易チェックや勝利者インタビューなど、ひと通りの仕事が終わると、アール・ブランのメンバーはチームビルの地下にあるラボに集合していた。

「えー、今シーズンも特に大きな事故もなく無事に全試合を終えることができ……」

 たどたどしい口調で音頭をとっているのはランベルトだ。その手にはビールの入った紙コップが握られており、すぐ近くにある作業台の上にはビール瓶が何本も置かれていた。

 作業台には諒一やベルナルドさんやツルカ、そして今回の勝利の立役者であり、アール・ブランのランナーである私、高野結城が着席している。

 作業台の上にはビールの他にもジュースやお菓子が所狭しと並べられている。5人で食べるには多すぎる気がするが、そんな細かい事は気にしないでいい。とりあえず勝利を祝えられればいいのだ。

 それにしても私はよく頑張った。スカイアクセラに勝利し、アール・ブランの最終成績は6勝1敗。間違いなくリーグ1位である。……だが、1位であっても優勝できない可能性はまだあった。同じ勝数のチームが現れれば、優勝決定戦を行わなければならないからである。

 その事を考えていると、丁度良くランベルトがその話題に触れてきた。

「……これで、あとはダークガルムが負けてくれることを願うだけだな。」

 そう、アール・ブランと同じ6勝1敗になる可能性があるチームは七宮の属している『ダークガルム』なのだ。他にも『キルヒアイゼン』、『ダグラス』も候補だったが、この2つのチームは既に2敗状態なので、アール・ブランと試合をする可能性はない。

 ランベルトの言うとおり、ダークガルムも2敗になってくれれば有難いのだが、ダークガルムの最終戦の相手を考えると、それも難しいようだった。

 その旨をツルカがランベルトに言う。

「でも相手はダグラスのセルトレイだろ? 贔屓目に見てもあのサマルでリアトリスに勝つのは無理だろうな。……それにあいつは大嫌いだ。」

 ツルカはセルトレイにオルネラさんのことをひどく言われたので、あまりいい印象は持っていないようだ。それを抜きにしても、私もダグラスがダークガルムに勝利するのは難しい……というか不可能だと思っていた。

 不可能だと思えるほど、七宮とリアトリスの組み合わせは最強なのだ。

 七宮は以前1STリーグでイクセルと張り合ってたランナーだし、VFのリアトリスはあの鹿住さんが作った、アカネスミレを数段強化したようなVFなのだ。現時点で最強のランナーと最強のVFの組み合わせに勝てるチームが存在するように思えない。

 しかし、ランベルトはまだ一縷の可能性に賭けているようだった。

「いや、やってみないとわからねーぞ? この嬢ちゃんだって1STリーグのランナー相手にここまで来れたんだからな。奇跡的に何か起こってダグラスが勝つかもしれねーだろ?」

「……。」

 もはやランベルトの考えに賛同する者はいなかった。願った所で無理だとわかっているからだ。そう考えると、今から七宮と戦うための準備をしておいたほうがいいだろう。というか、準備しなければ駄目だ。

 それに、私は七宮と戦うことを少なからず望んでいた。

「……やっぱり七宮とはもう一回戦って、それであの時の借りを返してやりたいな。」

 何気なく言うと、すぐにランベルトが情けない声を上げる。

「そんなこと言うなよ……。七宮とは来シーズンも戦えるんだし、借りを返すのはその時でいいじゃねーか。」

「うん……。」

 スカイアクセラとの試合を終えてまだ数時間しか経ってないし、興奮が抜けきっていないのかもしれない。冷静に考えると、チームが勝つためにはランベルトの考え方が当然なのだ。

「まあ、とりあえず乾杯せんか。早くせんと折角ワシが作った菓子が冷める。」

 ……そう言えば乾杯前の口上の途中だった。

 ベルナルドさんの一言でその場にいる全員がその事を思い出したらしく、文字通り、思い出したように作業台の上にあった紙コップを肩の位置まで持ち上げる。

「そうだな、無事終わったんだし乾杯しよう。」

 咳払いしてそう言うと、ランベルトも紙コップを持ち直して前に持ち上げる。

「それじゃ、アール・ブランの勝利を祝って……」

 ランベルトはそこまで言うと、不意に言葉を止めてツルカに視線を向ける。

「……ついでに、来週のツルカの勝利も願っといてやろうか、……じゃ、乾杯。」

 ランベルトの言葉で思い出したが、来週はキルヒアイゼンとスカイアクセラの試合がある。

 ……ランベルトにしては珍しく気を効かせたらしい。勝利を願われたツルカも心なしか恥ずかしげにしていた。

「かんぱーい。」

「いえー、かんぱーい。」

 メンバーは口々にそう言ってすぐに紙コップの縁を口に持っていく。それを見て、結城もジュースを口に運んだ。

 その際、結城はちらりと諒一に目を向ける。諒一は先程から一言も発しておらず、その視線はアカネスミレに向けられていた。本当は祝賀会よりもアカネスミレの修理をしたいのかもしれない。

 また、試合後には私の勝利を祝福してくれたが、それ以降は何も話していない。

 ……何だか少し寂しい。

 そんな事を思いながら諒一を見つめてジュースを飲んでいると、ランベルトがその諒一に絡み始めた。

「そういやリョーイチはもう18だったな。こっちじゃ18歳から飲酒解禁だから試しに飲んでみるか?」

「いえ、止めときます。」

「えー、そんなこと言うなよリョーイチー。」

「遠慮します。」

 諒一は、ビール瓶を持って迫るランベルトから距離を取っていた。しかし、すぐに諦めたらしく、ランベルトによって諒一の持つコップになみなみとビールが注がれてしまう。

(ランベルトめ……)

 結城は諒一のためを思ってランベルトに注意しようとしたが、それを行動に移すよりも先にツルカに話しかけられてしまった。

「ユウキ、ちょっと耳貸して。」

 ツルカを無視してランベルトに注意をしたかったが、すぐ横でこちらに体を寄せている少女を振りほどくわけにもいかず、素直に耳を貸すことにした。

 耳を向けると、ツルカはそれを両手で囲むようにして、小声で言葉を囁いた。

「……リョーイチ、最近何か悩んでるみたいだぞ。」

「そうなのか?」

 その情報に思わず訊き返すと、ツルカはコクリと頷いて再びこちらの耳元で囁く。

「今日の試合中だって飛行船の中でもぼーっとしてたし間違いない。……ちょっと相談にのったほうがいいんじゃないか?」

「それは重症だな……。」

 諒一が試合を……しかもアール・ブランの最終試合を真面目に観戦していなかったという話は俄に信じられない。だが、ツルカがそんな嘘を付くわけもなく、どうやらそれは本当の出来事だったようだ。

 それにしても一体何に悩んでいるのだろうか。

 その答えを求めるべく結城は諒一がいる場所に顔を向ける。

 すると、そこには作業台に突っ伏して唸っている諒一の姿があった。どうやらランベルトに無理矢理飲まされて、そのままダウンしてしまったらしい。

「諒一!!」

 結城は慌てて諒一のもとに向かい、意識を確認するべく肩を叩く。すると諒一は突っ伏したまま片手を上に挙げた。

(意識はあるみたいだな。……ふぅ。)

 諒一がダウンする所を生まれてはじめて見て若干動揺してしまったが、とりあえず気分悪そうに唸っていたので、背中をさすってあげることにした。

 諒一の背中は広く、どのあたりに手をあてればいいのか数秒迷ってしまう。しかし、その後すぐに背骨あたりをさすりながら優しく「大丈夫?」と声を掛けると、諒一はおでこを作業台に擦りつけながら縦に頷いた。

 だが、それが『大丈夫』のサインだとは到底思えない。とにかくゆっくり体を休められる場所に移動させたほうがいいだろう。

 そう考え、結城は諒一を仮眠室に連れていくことを決めた。

 ……結城はついでに諒一をダウンさせた張本人にも制裁を加える。

「ははは、リョーイチが潰れたぞー……ぐぶっ!?」

「……。」

 何もしないで愉快に笑っているランベルトの腹部を殴ると、結城は諒一を介抱するべく、一緒に仮眠室に向かうことにした。



 ――ラボから諒一を連れ出してから2時間。

 諒一もだいぶ元気を取り戻しており、仮眠室のベッドの上で穏やかな表情を浮かべて眠っていた。結城はその表情を隣のベットに腰掛けて眺めている。薄暗い部屋の中でもその顔はよく見えた。

 今は諒一と二人きりだ。ツルカは諒一をここまで運ぶのを手伝ってくれたが、仮眠室に来るとすぐにラボに戻っていってしまった。邪魔にならぬように気を利かせてくれたに違いない。

 2時間近く諒一の顔を眺めているわけだが、眺めているだけで諒一の悩みが分かるわけがなく、それでもどんな悩みなのかを色々と想像していた。

 やっぱりVFに関することだと思うのだが、案外学校のことなのかもしれない。いや、ともすれば諒一自身の個人の悩みなのかも……。

 考えても考えても具体的な悩みが思い浮かばないほど諒一の普段の素行は完璧なのだ。だれにでも優しく接するし、仕事もきちんとこなすし、気配りに至ってはそこらの執事のレベルを遥かに上回る。

 でも、欠点があるとすれば、それは『表情』だろう。

(……誰も見てないよな。)

 結城は仮眠室の中をくるりと見渡してからベッドから離れ、諒一の寝ているベッドまで移動する。久々に近くから諒一の顔を見ると、少しだけ変化しているように思える。ちょっとだけ大人っぽくなったかもしれない。でも、表情は相変わらずの無表情だ。

(そうだ……。)

 結城はいいことを思いつき、早速それを実行するべく両手を諒一の顔に這わせる。そして、それぞれを口の端にスタンバイさせ、一気に上に持ち上げた。すると諒一は無理矢理ではあるが笑顔になった。

「……。」

 諒一は起きない。

 それを確認すると結城は顔から手を離し、続いて鼻の頭を指で押す。すると、世にも珍しい諒一の変顔を見ることができた。普段は絶対に見られない顔を見れて、結城は大変満足していた。

 しかし流石にやりすぎたらしい、すぐに諒一の目がパチリと開いた。

 結城は慌てて諒一の顔から手をのけて、体も隣のベッドに移動させる。そして、なるべく普通の口調で寝起きの諒一に話しかけた。

「調子はどう? もう気分良くなったか?」

 そう言って水の入ったボトルを手渡す。すると諒一は上半身を起こしてそれを受け取った。まだフラフラしているが、そこまで深刻ではなさそうだ。

 諒一はその水を少し飲むと、ボトルをこちらに返してきた。

「ありがとう、もう問題なさそうだ。」

 その返事は明瞭で、呂律もはっきりとしている。どうやらダウンしたのも一時的なものだったようだ。変に心配して損したかもしれない。しかし、今更ラボに戻って祝賀会を続ける気もしなかった。

(……いいチャンスだな。)

 諒一が回復した所で、結城はツルカに言われたように少しだけ悩みを探ってみることにした。

「そう言えばさ、とりあえず試合も終わったことだし、しばらくはゆっくり羽根を伸ばせるな。……またどこかのリゾートにでも遊びに行く?」

 まずは他愛のない会話から入るのは基本だ。こうやって話し相手を和ませてから徐々に悩みの核心に移行していえばいい。

 ところが、諒一は全く別のことを考えているようだった。

「……ダークガルムの実力を考えるとまだ優勝決定戦があるはずだ。今思うと七宮が結城を勝たせたがっていたのも、決勝戦で戦いたかったからなのかもしれないな。……そう考えると、早めにアカネスミレの整備を……。」

 そう言いながら立ち上がろうとしたので、結城は慌てて諒一の腕を引っ張りベッドに引き戻す。

「何もそんなに急がなくてもいいだろ。今回は外装甲が攻撃を全部防いでくれたから修理も簡単に済むだろうし。」

「いや、だからこそ早めに修理を……」

 そう言って尚もベッドから離れようとする諒一を見かねて、結城は諒一のベッドに飛び乗り、そのまま腕をひねり上げる。するとようやく諒一は動きを止めた。

 結城はそんな諒一の背後で腕を持ったまま寄りかかり、呆れ口調で語りかける。

「諒一は働き過ぎなんだよ。まぁ、来シーズンからは学校行かなくていいからメンテ作業にも余裕ができるから安心だけどさ……。」

 愚痴を言うようにこちらの思いを伝えると、途端に諒一から何やら重々しい空気が流れ始めた。

「……。」

 諒一は無言のまま俯き、何やら考え事をしているようだ。どうやらさっきの私のセリフが諒一の悩みに関係することだったのだろうか。

 そんな諒一の暗い雰囲気に耐えられず、結城は肩越しに諒一に問いかける。

「諒一……悩み事でもあるのか?」

 控えめな口調で訊いてみると、諒一は視線を下に向けたままおもむろに頷いた。

「……ああ、相談がある。」

 その真剣な口調を受け、結城は諒一の腕を解放してベッドから降りる。そして元いた場所に戻って話を聞く態勢をとった。

 すると、諒一はこちらを向いて重々しく語り始める。

「相談というのも、来シーズンからどうするかという話なんだ。」

 こちらの読み通り、やっぱりVFに関することらしい。

 結城は何も言わずに諒一の次の言葉を待つ。すると、諒一の口から信じられないような話しが飛び出してきた。

「このままアール・ブランでエンジニアとして働くか、それとも大学に行ってもっと専門的に機械工学を学ぶべきか……そのどちらかで迷ってる。」

「え……。」

 このままアール・ブランで私のそばに居てくれるものと思い込んでいたため、全くその意図が理解できなかった。なぜ諒一が大学に行く必要があるのだろうか、大学で一体何をするつもりなのだろうか。

 疑問に思った結城だったが、すぐにその理由を思い出すことができた。

(あ、そういえば諒一の夢って……)

 こちらが諒一の思惑を理解しかけた時、隣のベッドに座る諒一が先ほどの言葉を訂正するように話しかけてきた。

「ごめん。変なことを言って悪かった。アカネスミレのメンテナンスは自分にしかできないし、やっぱりここに残る。……だから、さっきの言葉は忘れて欲しい。」

 私の狼狽えた表情を見て諒一は自らの意見を取り消したのだろう。でも、それは私にとっては全く嬉しくない判断だった。

「私は大丈夫だ。」

 そう言って結城は続けて宣言する。

「……諒一の夢は“オリジナルのVFを作ること”なんだろ? だったらもっと勉強したほうがいいに決まってる。諒一にはVF関係の人にいっぱい知り合いがいるんだし、ちゃんと知識が付けばすぐにでもVFを開発できるさ。」

 今まで自分のことで精一杯だったが、諒一にも諒一の叶えたい夢がある。そのために日本を離れてこの海上都市に来たのだ。諒一が自分で決めたことを、私のせいで諦めてほしくはなかった。

 だが、諒一は自らの考えを否定し続ける。

「いや、どうかしてた。頑張れば独学で勉強できるし、そこまで焦って大学に行く必要もない。ずっと結城のそばにいて応援する。結城がランナーを引退するまで一緒にいて……大学に行くのはそれからでも遅くない。」

「さすがにそれは遅いだろ……。」

 ランナーが引退する年齢はまちまちだが、例えば今日の対戦相手のローランドさんは多分50歳くらいだろう。50歳でもまだあそこまでVFを操作することができるのだ。そう考えると、私が引退してから大学に入学するのではかなり遅い、というか手遅れだ。

 諒一の提案は私個人としては嬉しいが、それが諒一自身の夢を阻害するものならば、手放しに受け入れることなどできない。

 結城はそのことを諒一に伝える。

「とにかく、私は諒一が大学に行くのは大賛成だからな。私のことなんか気にしないでやりたいようにやればいいさ……。この2年で私超強くなったし、もう独りでも……独りでも問題ないって。」

 言いたいことを言うと、それ以上諒一が何も言うことはなかった。しかしそれは進学を決めたという事ではなく、諒一が私の異変に気が付いたからだった。

「結城、泣いてるのか?」

「……泣く?」

 諒一に指摘され、結城はメガネを外して目元に手を持っていく。すると指先に液体の感触があった。その液体は人肌並みに暖かく、触った途端に触れた指に移り、そのまま水滴となって落下した。

 明らかに涙だったが、周りが暗いせいで諒一はそれが涙であると確信できていないようだ。そのこともあり、結城は諒一の言葉を完全に否定した。

「泣くわけないだろ。……まだ酔ってるみたいだな、諒一。」

「そうか、……実はまだ視界がゆらゆらしている。」

 諒一はこちらの涙を見間違いだと思い込んでくれたようだ。こういう時の鈍感さは有難い。

 結城は涙を見られぬようにすぐに立ち上がり、そのまま仮眠室のドアに向けて歩いて行く。

「学生寮にはランベルトから連絡を入れさせるから、今日はここでゆっくり休んだほうがいいな。」

 歩きながらそう伝えると、諒一は「ああ、そうする。」と言ってすぐにベッドの枕に頭を載せた。それを確認すると、結城はドアを開けて仮眠室から外に出た。

「じゃ、お休み。」

 最後にそう告げて結城はドアを閉める。そして、すぐに早足で仮眠室から離れた。

「……。」

 そのまま結城は自動販売機がある休憩コーナーに来ると、そこにある平べったいイスに腰を下ろす。そこでようやく結城は涙をふき、溜息を吐く。その溜息は若干震えが混じっていた。

「はぁ……。」

 この諒一の話を聞いたのだ試合後でよかった。こんな気持ちのまま試合をしていたら勝てる試合も勝てなかっただろう。でも、もっと早めに知っておきたい話でもあった。

 もしこの話を卒業の時期に切り出されたらもっと動揺して危なかった。そう考えると今の時期に、とりあえず試合が全部終了したこの時期に告げられたので良かったのかもしれない。

 そんな風に考えながら暫く黙って座っていると、やがて涙もおさまってきた。

(諒一、いったいどこの大学に行くつもりなんだろ……。)

 ……諒一がいなくなるのは寂しい。

 でも私にはツルカだってランベルトだって、他にも知り合いがたくさんいる。だから大丈夫だ。それに何も会えなくなるわけじゃない。もし諒一の行き先が日本なら、オフシーズンには里帰りのついでに諒一と会えるし、そうでなくてもメールやチャットでいつでも連絡を取り合える。

 期間もそんなに長くない。たったの4年だ。

(……いや6年? もしかするともっとそれ以上……?)

 もしも諒一がVF開発の研究を始めたら、そのまま大学とか、どこかの企業の開発チームに行ってしまう可能性もある。

 生憎、VFを開発するための環境はアール・ブランにはない。鹿住さんはなんの不便もなくバリアブルフレームを改良し続けていたけれど、あれは例外中の例外だ。さすがの諒一でも難しいだろう。

 つまり、完璧に学んでも開発のための環境が整っていないと意味がない。どちらにしても諒一はアール・ブランを離れざるを得ないのだ。

 これらを踏まえると、諒一がアール・ブランに戻ってくるのはかなり後になるに違いない。

(そんな……。)

 もし、その間に諒一がVF開発の楽しさに開花して、VFBに興味を失ったらどうしよう。

 もし、その間に諒一に言い寄ってくる女が現れたらどうしよう。

 ……私が言うのも何だが諒一はかっこいいし、おまけにあんな性格だから簡単に騙されてしまいそうだ。もしも既成事実を作られたら言われるがまま交際させられるかもしれない。それに、たった今アルコールにも弱いことが分かったし、これは重大な問題だ。

 それに、私だって……私の気持ちだってどうなるかわからない。諒一と長い期間離れることなんて今まで一度もなかったからだ。

 諒一が私のそばにいるのは当たり前で、もし諒一がいなくなったら私は……。

(あれ……?)

 離れてしまうかもしれないと思った途端、結城の胸に締め付けられるような感触が走った。それは今まであまり経験したことのない、不思議な感覚であった。

 その時、頭の中に思い浮かんだのは諒一の顔だった。

「諒一……。」

 こんな感覚初めてだったが、結城はそれが何であるのかを本能的に理解していた。

 それは諒一に対する強い想いであり、間違いなくそれは愛に相当する感情だった。

(やっぱり私、諒一のことが大好きなんだ……。)

 自覚すると、自然と胸が高鳴る。

 思わず結城は自分の胸を両手で押さえる。自分でも薄々は感じていた感情であったが、改めて自覚すると、途端に恥ずかしくなってくる。

 今思えば、よくも昔の私は諒一を部屋に上がらせて、しかも料理を作らせていたものだ。今そんな事をされると恥ずかしすぎて爆発してしまう。さらに昔には下着を洗濯させていたのだから恐ろしい。しかもだらしない格好も毎週見られていたし……。

 どれだけ私は鈍感なのだ。

 でもこれからは諒一に対して敏感にならねばならない。

 諒一の事を思うなら、今更「日本に帰らないで」なんて情けないことは言えない。

 散々私に尽くしてくれた諒一に、これ以上わがままなことは言えない。

 誰にも諒一の夢を邪魔する権利など無いのだから……。

(あぁ、どうしたらいいんだろ……。)

 諒一から相談を受けるつもりが、逆に悩みを抱えてしまうことになるとは考えてもいなかった。これが「限定のVFフィギュアが売れ切れで買えない」とか下らない悩みだったらどれだけ良かったことか。

 結城は自動販売機の明かりを眺めながらぼんやり考える。

(どうしよう、ツルカに相談しようか。いや、相談するなら諒一と似たような経験がある人のほうが……)

 相談相手を考えると、それに適する相手はある人物以外に思い浮かばなかった。

(はぁ……。こんな時に鹿住さんがいればなぁ……。)

 しかし、彼女は会いたくても会える人ではない。やっぱり私と諒一の問題だし、私が自分で納得できる答えを導き出さねばならないのだろう。

「……。」

 何かいい方法はないか、諒一の顔を思い浮かべながら一人で思い悩む結城だった。

 ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。

 この章ではスカイアクセラとの試合が描かれました。また、諒一に関する問題も浮上してきました。結城についても、物心がついてから今までずっと諒一と共にいたわけですから、そのショックは大きかったことでしょう。

 次で【空の支配者】は最終章ですが、そこで七宮の計画が本格的に始動することになります。

 今後もよろしくお願いします。

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