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耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
盲目の獅子
36/51

【盲目の獅子】第四章

 前の話のあらすじ

 結城はツルカと共にVFBのシミュレーションゲームのイベントに出て、そこで大勢のプレイヤーと対戦した。その際に槻矢とも対戦し、自分の成長具合を再確認した。

 その後はツルカと共に農業実験プラントに出向いたが、運悪く閉じ込められてしまい、そこで泊まる羽目になった。その際にツルカと七宮の件で言い合いになり、結城は七宮について認識を新たにする必要があるかもしれないと感じていた。

第四章


  1


 ダグラスとの試合まであと一週間、ここに来てようやく結城とランベルトは新兵器の基本設計を完成させた。それは、結城が本格的に武器設計に協力し始めてから一週間、そして、会議室でランベルトと共に機構を考え始めて6時間後のことだった。

 あまりにも考えすぎて日付が変わったことにも気が付かなかったが、これだけ詰めれば製作の目処も立つだろう。

 武器の基本的なアイデアを思いついたのは結城であり、ランベルトはそのアイデアに感心しているようだった。

「なるほど、考えたな嬢ちゃん。」

「だろ? 一週間頭を捻った甲斐があった……。」

 二人は会議室の机の上で草案が書かれた一枚の紙を見ていた。

 その他にも机の上には数百枚という紙が散乱しており、それらには出来損ないの武器のコンセプトデザインや内部機構の簡易設計図が描かれていた。

 中には全く関係のない落書きじみたスケッチもあったりしたが、ともかくどれも夜中まで粘って考えだした結城とランベルトの努力の産物である。

 それは同じく床にも散乱しており、白い紙には結城とランベルトの靴跡がくっきりとついていた。

 今時紙を使うのも非効率的なのだが、ランベルトは電子ボードよりも紙に慣れているらしいのでこういう事になったわけである。

 ランベルトは草案が書かれた紙を上に掲げ、疲労色のこもったため息を吐く。

「ここまでたどり着くのは長かったな……。むしろ、なんで今までその発想がなかったのかが不思議なくらいだ……。」

 紙には、至極シンプルな形をした剣のイラストが描かれていた。そのシルエットは端的に言えば細長い長方形であり、一種の工具のようにも見える。言い表すならばものさしがそのイメージに適当かもしれない。

 結城もランベルトが掲げた紙を見て、先程のランベルトの言葉に付け足すように言う。

「仕組みも単純明快だし、部品もそこまで高いのを使わなくても済むんじゃないか?」

「そうだな、幸いウチには超音波振動ブレード用のストック部品が結構残ってるし……とりあえず、スペアのブレードを有り合せの装置で改造して試作してみるか。」

 ランベルトは紙を丸めて棒状にすると、それを指でくるくる回しながら席を立つ。

 結城は座ったままその様子を眺めていた。

「うん。楽しみにしてるぞランベルト。」

 若干疲労の混じった声を送ると、ランベルトも同じような口調で言葉を返してきた。

「おう、任せとけって。」

 ランベルトは扉にもたれ掛かるようにしてドアを開け、そのままフラフラと通路へ出ていった。

 あんな状態では、もうどれだけ頭を絞ってもあれ以上良いアイデアは思い浮かばないだろう。もっといい案もあるかもしれないが、製作する時間も考慮するとあれが妥協点だ。

(疲れた……。)

 部屋から出ていったランベルトを見送ると、結城はそのまま机に頭を預けた。その視線は開きっぱなしのドアに向けられたままだ。

 ドアを閉めないといけないなと考え始めた頃、ランベルトと入れ替わるようにして諒一が部屋の中に入ってきた。何をしにきたのだろうかと思いつつ、結城はぼんやりと諒一を見る。

 諒一はまず床に散乱した紙に視線を向け、続いて机の上の紙を見て、最終的に部屋の奥でぐったりと座っている私を発見した。

 目が合うと諒一は軽く手を振る。

「ただいま結城。」

 そして一言そう言うと、足元に注意しながらこちらに近寄ってきた。

 始めは紙を避けていたが、数歩進んだ所で避けられないと悟ったのか、遠慮することなく紙を踏んづけていた。

 その脚を少し引きずるような歩き方を見て、結城は諒一も多少疲れているのがわかった。

 諒一は連日キルヒアイゼンのラボに出向き、しかもそこで学校で教えられていることよりも複雑な技術を学んでいる。その上、今日はこんな夜中まで研修していたのだ。疲労するのも当然だ。

 “お疲れ様”と労いの言葉を掛けてやりたい結城だったが、口から出てきたのはあまり関係ない言葉だった。

「やっと帰ってきたのか。……ツルカはどうだった?」

 諒一はすぐには答えず、こちらの隣の椅子に座って一息ついてから答える。

「いや、今日は見なかった。ラボには一度も来ていないな。」

「またイクセルの看病か……。」

 結局、農業実験プラント以降、七宮に会う会わないの話は一度もしていない。

 学校でも女子学生寮でもツルカの態度は普段通りで、まるで農業実験プラントでの話を忘れたのではないかと思うほどだ。

 それはともかく、ツルカが看病しているであろうイクセルのことも気になっていた。

「イクセルって手術も終わったし何も問題ないって聞いてるけど、もしかして、まだどこか悪いのか?」

 隣に座る諒一は僅かではあるが首を左右に振っていた。

「いや、……ここだけの話、イクセルさんはツルカと話したいがために仮病を使っているらしい。」

「え……。」

「オルネラさんから聞いた話だ。ツルカには秘密にしておいてくれ。」

 秘密も何も、この事がツルカに知れたらイクセルの命が危うい。

 結城は言われずとも諒一の言う通りにするつもりだった。

「分かった……。」

 とは言ったものの、毎日のように顔を合わせているツルカに何時までも黙っておける自信はなかった。

 ツルカに関しての話はそこまでで、今度は珍しく諒一が話題を振ってきた。

「……ところで、ランベルトさんが嬉しそうにしていたけど、何かあったのか。」

 廊下ですれ違ったのだろう。

 結城は机から頭を離し、机の上に散乱している紙を手に取りながら説明する。

「サマルに対抗するために新しい武器を作ることになってさ。私のアイデアが役に立ちそうなんだ。」

 自慢するように言うと、早速諒一が詳細を訊いてきた。

「どんなアイデアなんだ?」

 いつもならば私が諒一に質問する立場なのに、今はそれが逆転している……。

 無表情ながらも興味のある諒一の言葉を耳にし、結城はちょっとした優越感に浸っていた。

(なんかいい気分だな。)

 その優越感を少しでも持続させるべく、結城は勿体ぶるようにして答える。

「聞きたいか? ……でも、まだ秘密だ。」

「……。」

 諒一はしばらく黙ったまま机の上にあるボツアイデアが書かれた紙を眺めていたが、そもそもボツ案ばかりなのでそれを見ただけで解るはずもない。

 紙から推測するのを諦めたのか、とうとう諒一は答えを求めるようにしてこちらの顔をじっと見つめ始める。

「……。」

 結城は何とか3秒ほどその視線に耐えることができたが、それ以上は無理だった。

「そ、それはいいとして、諒一はどうなんだ。」

「どう、というと?」

 結城はあからさまに話題を変え、諒一自身のことについて質問する。

「キルヒアイゼンで色々教えてもらってるんだろ。何時になったら研修が終わるんだ。」

 隣にいる諒一は視線をこちらから離し、真正面を見てしばらく考えているようだった。

 やがて考えがまとまったのか、諒一は顎に指を添えながら答える。

「FAMフレームの事は大体把握できた。動作の原理とかの専門的な事は未だ解らないけれど、修理くらいはこなすことが出来るはずだ。」

 思った以上に成果を上げているようだ。そこまでの技術を習得したならもうキルヒアイゼンに出向く必要はないはずだ。

「それじゃあ、もう研修は……」

 期待を込めて言ったのだが、諒一はそれをあっさりと否定する。

「いや、もう少しだけキルヒアイゼンで研修させてもらう。学校の演習よりもよっぽど役に立つし、これ以降、一流のVFチームがただの学生に長期間研修させてくれる機会なんて滅多に無いだろう。」

 諒一は妙に意気揚々としている。

 そんな幼なじみを無理やり引き止めるのも気が引ける……が、いつまでもラボに諒一がいないのは、ピースの欠けたパズルを見ているようでしっくりこない。

 そんなもやもやとした気持ちを発散させるべく、結城は遠まわしにその事を諒一に伝える。

「はぁ、……なんか最近諒一と会えてない気がする。」

「何言ってるんだ。毎週会えてるだろう。」

 呆気無く事実を示され、結城は出鼻をくじかれてしまった。しかし、負けじと他のことを指摘する。

「でも……全然話せてないじゃないか。」

「話がしたいなら携帯端末を使えばいい。……そういえば、この間一緒に新しい携帯端末を買いに行ったばかりだったな。」

(そうだった……。)

 つい最近、結城は携帯端末を自分で投げて壊していた。

 あの携帯端末は確かドギィに弁償してもらった物のはずだ。それを故意に壊したのだからドギィに顔向けできない……。相変わらず物持ちが悪いなと改めて反省する結城だった。

 ……ちなみに、ツルカの携帯端末は私に壊された次の日には新しいものが部屋に届けられていた。流石はキルヒアイゼンのお嬢様である。携帯端末のスペアも完備されているのだろう。

 ともかく、結城は携帯端末を使って諒一と会話するつもりはなかった。

「携帯端末で話すのは嫌だ。……それだとなんか私がラブコールしてるみたいじゃないか。」

「それじゃあ毎晩こっちから掛けよう。」

「どっちでも一緒だ!!」

 自分でも理不尽なことを言っているなと自覚していたが、今更訂正するつもりはない。

 後に引けなくなった結城は更に文句を追加する。

「あと、私の部屋にも来てくれなくなったし……。」

 結城は再び机の上に頭を載せ、不貞腐れたような態度をとった。

 しかし、諒一はこちらの態度など気にする様子もなく淡々と話す。

「それは仕方ない。あの同棲事件のせいで出入りできないんだ。……それに、いなくても前ほど生活に困ってないはずだ。」

「確かにそうかも……。」

 よく考えると、ここ最近は自然に家事ができている気がする。

 諒一が来なくなって無意識の内に危機感を持ったのかもしれない。自分でも気付かなかったが、これは大きな進歩ではないだろうか。

 納得しかけた結城だったが、今は家事のことを言っているのではない。そう思い直し、結城は話題を元に戻す。

「それとこれとは問題が違うぞ。私はもっと諒一と……こう、コンタクトというか、コミュニケーションをだな……。」

 結城が色々と言っていると、急に諒一が椅子をこちらに向け、身を寄せてきた。

「じゃあ、今からしばらくお互い近況を報告し合おう。」

「……っ!!」

 急に接近され、結城は咄嗟に机から頭を離し、諒一から距離をとってしまう。

「あ……。」

 そんな自分の挙動を見られたのが恥ずかしくなり、結城はそれを誤魔化すようにして椅子から立ち上がる。

「もう夜中だし今日はもういい。……帰って寝る。」

 背を向けたままそう伝えると、諒一も席から立ちあがった。

「そうか。なら今からラボに顔を出してくる。何か手伝えるだろうし、新兵器のコンセプトも知りたい。」

 そのまま部屋を出ていこうとする諒一を結城は引き止める。

「待て待て諒一。今行ってもランベルトにこき使われるだけだぞ。一応研修とはいえ、キルヒアイゼンでも働いてきたんだから、暫く休めって。」

「……。」

 諒一はこちらに振り向いたまま停止していた。どうやら悩んでいるようだ。

 結城は更に妥協案を提示していく。

「新しい武器も明日ちゃんと話すから、な?」

 そこまで言うとようやく納得したのか、諒一はラボに行くのをやめてくれた。

「わかった。……疲れているから仮眠室でしばらく寝る。」

「うん。お休み。」

 そうやって快く諒一を部屋から送り出したものの、結城は嫌な予感がして後を追うように通路に顔を出す。すると諒一は仮眠室ではなく、ラボの方向へ向かって歩いていた。

 まんまと騙されたが、結城は諒一に怒りを感じる前に、その体調を心配していた。

(……どうなっても知らないぞ。体が壊れてからじゃ遅いんだからな……。)

 私を騙してまで諒一はラボに行きたいのだ。

 今から追いかけても諒一の固い意志は曲がらないだろうと諦め、結城は部屋に散乱した紙を放置したまま仮眠室へ向かうことにした。


  2


 洋上。

 そこから見えるものは極めて少ない。

 空、海、そして太陽。

 もっと言うと、そこで触ることが出来るものはもっと少ない。海面にいる結城が触れられるものは海水くらいだろう。

 ……だが、それは生身である場合の話だ。

 今、結城はアカネスミレに搭乗しており、そのアカネスミレは1STリーグのアリーナの上に立っている。

 そこから見えるものは極めて多い。

 まずHMDに映し出されている各箇所のパラメーター、そしてアカネスミレのアイカメラからはアリーナが、そしてアリーナには静かに佇むサマルの姿が見えた。

 そのサマルには合計で6本もの腕がついている。試運転しているのだろうか、その腕はたまに動いていた。

 見えるものが多ければ、もちろん触ることが出来る物も多い。

 結城が触れる物……それは主にアカネスミレを操作するためのコンソール、いわいる操縦桿だった。

 今はまだコンソールを触っているという自覚があるが、いざ試合が始まるとこの感覚は失われ、代わりにアカネスミレの体を直に動かしている感覚になる。さらに、アカネスミレのアイカメラから伝わる映像も相まって、まるで自分が巨大化したような錯覚に陥るのだ。

 反応速度や距離感覚が鋭くなるのもこのおかげだろう。

 だが、その感覚へ変化するタイミングが何時であるかは全く知覚できていない。まるで眠りに落ちる時のように、ごく無意識の内に感覚が変化するのだ。

 人間の適応力とはかくも恐ろしいものである。

 ――そんな事を思いながら、結城はアイカメラを通して、完成した新兵器を何度もチラチラと確認していた。

 新兵器は急ごしらえだが、諒一の助けもあって何とか完成させることができた。試験駆動もバッチリで、その威力は凄まじいことになっている。

 この新兵器の存在は完全に秘密であり、ダグラス側にはギリギリまで隠すつもりだ。

「なぁランベルト、ちゃんと隠れてるか?」

「おーおー隠れてるぞ。完ッペキに隠れてる。」

 かなり大事なことなのに、通信機からはランベルトの適当な返事しか聞こえてこない。

 ランベルトの言うことは全く信用ならないので、結城はもう一人に意見を求めることにした。

「諒一……」

「安心していい。ちゃんと隠れてる。」

 会話を聞いていたらしく、すぐに諒一から明瞭な返事が返ってきた。

 結城はその声を聞き、ようやく安心することができた。

「そうか、ならよかった。」

 安心した所で結城は新兵器から目を離し、視線を前へ戻す。

 すると、通信機からランベルトの不甲斐ない声が聞こえてきた。

「嬢ちゃん、ちょっとは俺の言葉も信じてくれねーかな……。」

 その言葉を無視して結城はアカネスミレのアームを操作し、腰に下げている鞘を触る。

 ……アカネスミレの腰にある鞘の中には新兵器が納められている。

 本来この鞘は超音波振動ブレードのロングブレードのものなのだが、新兵器を隠しておくために止む無く使用することにしたのだ。

 そのため、まだ試合が始まっていないのにアカネスミレはロンブグレードを抜刀している状態にあり、それは右手にしっかりと握られていた。

 別の鞘に収まっているショートブレードを含めると、アカネスミレは合計で3振りの剣を所持していることになる。

 つまり、空っぽであるはずの鞘の中に新兵器を隠し、武器の数をごまかしているというわけだ。……別に居合い斬りするわけでもないし、ブレードも動きが制限されるほど重くないので、今までの試合でもこのスタイルで戦えばよかったかもしれない。

 ただ、3つもブレードを装備した所で有利になるかどうかは怪しい所であった。

(ま、今更遅いか……。)

 こうやって小手先で相手を騙すのは気が引けるが、相手が相手だし、試合に勝つための作戦だと思い込んで納得することにしよう。

「あんまりチラ見するなよ? そこに何かあるってバレるかもしれねーぞ。」

 いつの間にか鞘に頭を向けていたらしい。

 ランベルトに注意された結城はなるべく自然に視線を鞘から剥がし、同時に左アームも鞘から離す。

 その間も通信機からはランベルトの声が聞こえていた。

「新兵器の刀身……というか全長はロングブレードよりも短いからな。鞘にすっぽり隠れて当たり前なんだから安心しろっての。」

「確かにそうだけどさ……。」

 そんなに私の動きはあからさまだっただろうか。

 結城は一旦コンソールからも手を退けて、鞘に関して質問する。

「そう言えば、……これどうやって取り出すんだ?」

 完璧に隠せたはいいものの、これだとグリップ部分を上手く掴めない気がする。試合中に鞘を逆さにして取り出すわけにもいかないし、どうすればいいのだろうか。

 その謎に関しては、ランベルトよりも先に諒一が説明してくれた。

「そのまま抜くのは無理だ。だから、使う時は鞘を分解して真横から掴むんだ。」

「なるほど……。」

 諒一の言う『分解』というのは、つまりは『破壊』と同義である。随分強引な方法だが、素早く取り出すにはその方法しか無い。

 この試合では必ず新兵器を使うことになりそうなので、絶対鞘を壊すことになるだろう。

(そんなのでいいのかなぁ……。)

 鞘も結構お金掛かっている気がするので、なにか勿体無いような気もする。

 そんな事を考えていると、実況者のヘンリーの声がアリーナに響き始めた。

<おっと、スタンバイさえ完了していないのにユウキ選手が既に武器を鞘から出しています。……これはやる気の表れなのでしょうか。>

 絶対に不審に思われてしまうと考えていたが……実況者のように“好戦的である”という解釈の仕方もあるようだ。

 結城は実況者の煽りに応じ、ロングブレードを華麗に振り回す。

 そして動作の終わりに切っ先をサマルに向けた。

 ……すると、サマルもやる気なのか、親指を立てて首を掻き切るジェスチャーを見せ、そのまま親指をクイッと下に向けた。

 ノリがいいと言うか何と言うか、誰も見ていないのにセルトレイさんも律儀な人だ。

 その後しばらく結城はロングブレードを振り回して時間を潰していたが、やがて試合開始時刻が近付くと再び実況者の声が聞こえてきた。

<そろそろ時間ですので、選手とVFの紹介に移りたいと思います。>

 実況者は特に雑談することもなく、てきぱきと試合を進行させていく。

<まずはチームアールブランのアカネスミレ、ランナーはユウキ選手です。1STリーグ初参戦シーズンにして既に3勝をあげています。このまま行けば、優勝もあり得るかもしれません。非常に期待しがいのあるチームです。>

 実況者にそう言われ、自身でもよく3勝もできたものだと改めて思う。優勝は難しいだろうが、期待に添えるようにできるところまではやってやろうではないか。

 結城はカメラに向けて適当に手を振り、ついでに適当にポーズを取ってみせた。

<続きまして、チームダグラスのサマル、ランナーはセルトレイ選手です。前回の試合では圧倒的な勝利を我々に見せつけてくれましたが、今回はアカネスミレ相手にどう戦うつもりなのでしょうか。>

 アリーナの対極にいるサマルは背中から生えている4本の腕をワキワキさせていた。準備運動のつもりなのだろうか、遠くから見ると触手がうねっているようにしか見えない。お世辞にも見ていて心地よいものではなく、気持ち悪いの一言に尽きるものだった。

<……それではカウントダウン開始です。>

 両チームの紹介が終わると、実況者はそこで言葉を区切り、すぐにカウントダウンが始まった。

 HMDに表示される数字を眺めつつ、結城は深呼吸する。

 その呼吸音が聞こえたのか、それに応じるようにして通信機越しにランベルトが話しかけてきた。

「嬢ちゃん、使うタイミングを誤るなよ。」

 新兵器のことを言っているのだろう。

 ランベルトに言われずとも、結城は慎重に新兵器を使うつもりだった。

「……せっかく私の案が役に立ったんだ。大事に使うさ。」

 ランベルトに言葉を返すとすぐに試合開始のブザーが鳴り響き、結城の注意は全て目の前の敵……サマルに向けられた。



 ――試合が始まってすぐにサマルは前側に付いている2本の細い腕、その先端にある槍を大きく展開してきた。

 リーチのある武器で牽制するつもりだろう。戦いの定石だし、サマルがそうくることは予想していた。

 ……とは言っても、両翼に広がるそれにはかなりの威圧感があり、そのありえないほど長いリーチに結城は少々戸惑っていた。

(あんなに長かったっけ……。)

 試合映像でも、それにシミュレーションゲームでも何回も見たことがあるが、やはり実際に見るもののほうが圧倒的に恐ろしく感じられる。

 サマルはそのままこちらにゆっくりと接近しつつ、槍による先制攻撃を放ってきた。

 槍は左右交互に一本ずつ襲ってきて、決して2つ同時に襲いかかってくることはない。隙を無くすためにそうしているのか、それとも2本同時に操るのは難しいのか……。

 どちらにしてもこちらの攻撃範囲外なので、あまり大差はないように思える。

(相手が遠いな……。)

 結城はロングブレードを逆手に持って薬指と小指の2本だけで保持し、側転やバク転それにステップを交えながら回避行動に専念していた。

 始めは、あんな槍くらい掴めば何とかなるだろう、と高をくくっていた。……が、その槍の攻撃を受けて掴むのは不可能だということに気付かされる。

 槍による攻撃は主に突きであり、そのため視認しにくいこともあるが、その上スピードが半端ないほど高速なのだ。

 そのせいで上手く掴めない……というか、そもそも掴める場所が槍の刃ぐらいしか無いので、掴もうにも掴めない。それに、無理やり槍を止めても手へのダメージは免れないし、片方の槍を止めた所で、もう片方の槍に狙われてしまえば意味が無い。

 これを止めるためにはクリュントスの盾くらい頑丈なものが必要になるだろう。

(……となると、避けるしかないよな。)

 2本の槍による攻撃はこちらの装甲を一撃で貫けるほどの破壊力を持っていたが、結城はアカネスミレを器用に操作し、そのすべてを順調に回避していた。

(まだ、余裕で避けられる……。)

 しばらく避けている内に、結城はサマルから15メートルほど離れた位置で安定していた。この距離だと余裕を持って横方向に回避できる。

 それに、攻撃は『突き』のワンパターンなので、こんな大雑把な避け方でも大丈夫なのだ。しかし、このままだとサマルとの距離を縮めることができず、攻撃することもかなわない。

 この調子であればあと数時間は避け続けることができそうだが、そんな展開はファンもセルトレイさんも望んでいないはずだ。

 もちろん、私もやられっぱなしのこの状況を我慢し続けられない。

(ちょっと頑張ってみるか……。)

 結城は意を決すると、タイミングを見計らって前進し槍の突き攻撃をすれ違うようにして回避した。槍はアカネスミレの頸部装甲をかすりながら後方へ抜けていき、それによってサマルに刹那の隙が生じた。

 結城は姿勢を低くしてそのままサマル目掛けてダッシュする。

 すると、通信機からランベルトの叫び声が聞こえてきた。

「よし!! そのまま行けっ!!」

 言われなくてもそうするつもりだ。

 まるで競馬の中継を見ているオッサンのセリフだな、と心の中で笑いつつ、結城は細い腕を掻い潜ってサマル本体に向けて疾走する。

 細い腕に絡め取られるのではないかという不安もあったが、どうやら咄嗟にそこまで細かい操作はできないようだ。その代わり、もう一方の槍は私を止めるべく足元を狙ってきた。

 結城はそれを跨ぐようにして回避し、難なくやりこなす。軌道を逸れた槍はというと、アリーナの地面にめり込み、床の素材に深い傷をつけていた。

(よし、いける……!!)

 やがてサマルを目の前に捉えると、結城は超音波振動ブレードを両手でしっかりと握りなおす。そしてそのまま速度を落とすことなく助走をつけ、結城はサマルの頭部パーツめがけて上段から思い切りロングブレードを振り下ろした。

 その瞬間、アカネスミレの重量とスピードの全てがロングブレードの切っ先に集中する……。普通のVFであれば簡単に破壊することができただろう。

 しかし残念なことに、サマルは普通のVFではない。

(やっぱり駄目か……。)

 その渾身の一撃は、やはりと言うか、サマルの背中から生えている太い腕によって阻まれていた。

 太い腕はこちらのブレードを手の甲で軽く受け止めていて、あれだけの衝撃にもかかわらず、全くダメージを受けていないようだった。接触の瞬間にもピクリとも動かなかったし、よほど硬くて重い素材で構成されているに違いない。

 おまけに、防御は太い腕に任せきりになっており、サマルの本体は棒立ちして腕を組んだままで、防御体制すら取っていなかった。……よほどこの太い腕の操作に自信があるらしい。

(……まあ、予想はしてたけど。)

 これも、背中に背負っている巨大なユニットが生み出している、強大な馬力のなせる技なのだろう。

 攻撃が失敗し、結城は反撃が来ない内にサマルから離れることにした。

「……ん?」

 逃げるべくロングブレードを引こうとした結城だったが、ロングブレードはいつの間にやら太い腕によって掴まれていた。……と言うより、2本の太い腕によってガッチリと固定されている。

 アカネスミレの出力では勝てないことは判りきっていたので、結城は迷うことなくロングブレードから手を離す。

 ……と、ここで結城はサマルの本体がガラ空きであることに気が付いた。

 結城は考えるよりも先にショートブレードを抜刀し、それをコックピット付近に突き立てる。しかし、それはサマル本体の腕に突き刺さり、胴体部にダメージを与えることはできなかった。

 結構不意を突いたつもりだったが、向こうにはバレバレだったようだ。

(くっ……とりあえず離脱するか。)

 結城は深追いはせず、そのショートブレードのグリップからもあっさりと手を離し、真横に跳んでサマルの攻撃範囲内から離脱する。

 そのすぐ後、お留守だった2本の槍が恐ろしいほどのスピードで飛んできて、さっきまで自分がいた場所に豪快に突き刺さった。

<ユウキ選手、間一髪で追撃を避けます。……しかし、武器を2つとも失ってしまいました。これからどうやって戦うのでしょうか。>

 十分に距離を取った結城は、サマルを見つつ呟く。

「ほんと、どうすればいいんだろうな……。」

 2本の槍はアリーナの地面を削り取るだけの威力がある。それに加えてリーチも長いのだからもう手に負えない。

 太い腕も太い腕でかなりの馬力があり、こちらの斬撃にも簡単に対応できるほどのスピードがある。それを自動ではなく意のままに操れるのだから恐ろしい。

 そんな4本の腕を背中から生やしているサマルは、こちらから奪ったロングブレードを大きな拳で掲げた。

 拳が大きすぎるせいで、ロングブレードがまるでおもちゃのように見える……。

 それをどうするのかと思っていると、サマルはそれを大きな拳の中に握り込み、いとも簡単に折って破壊してしまった。おまけに、磨り潰すように何度も拳を開閉させている。……あれではもう修理不可能だろう。

<な、なんという圧倒的なパワーなのでしょうか。アカネスミレの武器がまるでガラス細工であるかのように、粉々に破壊されてしまいます。>

 続いてサマルは腕に刺さっていたショートブレードも同様にして粉々にする。

 これで、アカネスミレは正真正銘の丸腰状態になった。

(――と、向こうは思ってるはずだ。)

 こちらの武器が無くなったとなれば相手の攻撃も大胆になるはず。……つまり隙が生じる。

 その隙をうまく突くことができれば、ともすれば一気に形勢逆転できるだろう。

<アカネスミレ、武器を破壊されてしまいました。さて、これからどう闘うのでしょうか。>

 当たり前だが、実況者もこちらの新兵器について全く気づいていない。

 そして、実況者が喋っている間、サマルがこちらを追撃してくることもない。これも余裕の表れだろう。

 私なら、相手が丸腰になった瞬間に容赦無く攻撃を叩き込む。

「結城、とりあえず鞘を構えたほうがいい。そうした方が武器を隠していないことをアピールできる。」

「うん、わかった。」

 いきなり聞こえてきた諒一のアドバイスを受け、結城は言われた通りに鞘を前へ掲げた。

 しかし、鞘には腰部側とのジョイントパーツが付いていたので、上手く握ることができない……。

 そんな感じでわたわたしていると、ようやくサマルが動き始め、勢い良くこちらに接近してきた。それは、鞘の中の新兵器の存在に気づいていないことを示していた。

 慎重に攻めてくると思いきや、やる時はやるらしい。

 サマルは2本同時に細い腕を展開し、2本の槍をこちら目掛けて一直線に飛ばしてきた。サマル自身も走っているので、その速度はさっきまでとは比べられないほど速い。

(容赦ないなぁ……。)

 結城は後方に跳びながらその槍に対応し、当たりそうな攻撃はすべて鞘の側面で防いでいた。

 そんな風に鞘を構えているだけで他に為す術もない私に対し、サマルは怒涛の勢いで槍の攻撃を浴びせ、どんどん近づいてくる。

 結城にその接近を防ぐ手立てはなく、最終的にサマルの太い腕が届く範囲まで接近されてしまった。

(やばいかも……。)

 そう思ったのもの束の間のことで、すぐにサマルはその太い腕をこちらに伸ばし、手のひらを大きく開いて胴体ごとアカネスミレを掴もうとしてきた。

(もう……限界だ!!)

 いよいよ捕まりそうになった所で、結城は鞘をその太い腕にぶち当てた。

 すると、その衝撃によって鞘が割れ、中から新兵器が姿を現した。その形は細長く、持ち手があることから剣だということがわかる。

 しかし、剣にしては形が攻撃的ではなく、シンプルな工具……例えるなら文房具のものさしに見えなくもない。それは、紙に描かれていた草案通りの形だった。

 結城はそのグリップ部分を素早く掴み、太い腕目掛けて振り下ろす。すると、シンプルな形をした剣は当然のごとくサマルの太い腕に接触した。……が、本当に接触しただけですぐに弾かれてしまい、ダメージを与えることはできなかった。

 しかし、サマルは鞘から出てきた剣の存在に驚いたのか、慌てた様子で腕を引いて、一旦こちらから離れた。

<あれは何でしょうか。鞘のパーツ……いえ、剣のようにも見えます。>

 実況者の言葉が終わるのとほぼ同時に宙を舞っていた鞘の破片がアリーナ上に落下し、全く迫力のない小さな音を立てた。

 サマルは2,3秒ほど固まっていたが、こちらの新兵器を鞘の破片の一部だと判断したのか、臆することなく攻撃を再開してきた。

 結城は新兵器の刃を太い腕に向け、その攻撃を受け止める体勢を取る。

 それから間もなくして結城の新兵器はサマルの拳と接触した。

 しかし、新兵器とぶつかってもサマルの太い腕がその勢いを失うことはない。


 ――なぜならその太い腕が新兵器をすり抜けたからである。


 なんと、新兵器はいとも簡単に、抵抗すら感じさせることなく太い腕を斜め切りにしてしまったのだ。

(よし、正常に駆動してる……テスト通りの性能だ。)

 本体から切り離された腕の末端はアリーナ上を転がり、切断面からはぐちゃぐちゃに切り裂かれた内部部品が飛び出ていた。それらを飛び散らせながら腕は転がり続ける。

 サマルの本体側にくっついている太い腕の断面からも内部の構成パーツが溢れ出しており、使い物にならなくなったのは一目瞭然だった。

<い……一体何が起こったのでしょうか!?>

 実況者の困惑気味の声が聞こえる。

 多分、中継映像を見ている人間全員が、実況者と同じ事を思っているだろう。

 その実況者が喋り終える前にサマルは逆側の太い腕でこちらに攻撃してきた。

(それは判断ミスだぞ、セルトレイさん。)

 結城はそのストレートパンチを新兵器で正面から受け止める。すると、そちらの太い腕も先ほどど同様にして綺麗に分断されてしまった。

 どのような仕組みで、どのような効果があるのか解らないうちに攻撃を繰り返すのは愚かな行為だ。サマルという強力なVFに乗っていたせいで慢心していたに違いない。

 サマルは腕を2本失ってようやくこちらから距離を取った。そしてすぐさま太い腕は根元から切り離され、重々しい音を響かせながらアリーナの地面に落下する。

 2本の腕を破壊し、通信機からは歓喜の声が聞こえてきていた。

「よっしゃ!! ざまあ見やがれ!!」

 まるで子供のように喜ぶランベルトの声を聞きつつ、結城は手に持っているシンプルな形状の新兵器を改めて見る。

 『ネクストリッパー』……それがこの新兵器の名前だ。

 ちなみに、このイカした名前は武器の特徴を踏まえて私が命名した。

 絶大な破壊力を持つ武器であるが、その仕組は至って簡単だ。

 ネクストリッパーはブレードに触れた相手の武器や装甲の固有振動数を計測し、ランベルトが頑張って組み上げたプログラムを経て最適な振動数に設定される。その一連の作業は1秒以内に完了し、それで攻撃の準備が整ったことになる。

 この状態になると、一回目の計測時に命中させた箇所が格段に切れやすくなり、その周辺部にもダメージを与え易くなるのだ。

 つまり、一度当てた箇所であれば簡単に斬れるようになるというわけだ。

 ……ただ、同じ箇所にピンポイントで当てないと意味が無いので使い所が難しい。あと、材質が少しでも異なるとほとんど斬れなくなるので、多重装甲相手にはあまり効果がないかもしれない。……だが、あの一瞬でセルトレイがそれに気づくはずもない。

 先ほどは太い腕が2本とも基本的に同じ構造だったため、簡単に切ることができただけで、あの時に細い腕の槍で襲われていたら敗北していた可能性も否めない。

 しかし、そんなデメリットを補うだけの威力がこの武器にあると結城は確信していた。

(この仕組がバレる前に早くカタをつけないと……。)

 サマルの戦力を半分削ぐことができて喜びたい結城だったが、ネクストリッパーの振動数をリセットして次の攻撃に冷静に対処することにした。

(……あの太い腕がなくなれば、超音波振動ブレードでも十分に戦えたかもしれないな。)

 せめてショートブレードくらいは残しておいてもよかったのかもしれない。

 そんな事を思っていると、サマルは様子見をするように長いリーチを生かして槍で攻撃してきた。

 結城はそれを難なく避けたが、その際にあることに気が付いた。

(速くなってる……?)

 槍のスピードがかなり向上している。

 どうやら、サマルは太い腕をパージした際に、動力システムを細い腕の方へ連結したようだ。その突きからは空気を切り裂くような音が聞こえていた。当然威力も上がっているはずだ。

 太い腕を切り落としたはいいが、そのせいで余計に戦いにくくなったかもしれない。

 ……そう思ったのも数秒だけで、結城は避けている最中にまたしても相手VFに異変を見つけた。

 なんと、槍の切っ先に刃こぼれが発生していたのだ。

(槍の刃がパワーに耐えられていないのか……?)

 攻撃を外した際に何度もアリーナの硬い地面を抉っていたせいだろう。

 交換するのが前提の刃なので、グレードが低いものを使用していると推測できる。

 だがしかし、刃こぼれしているからといってその威力が落ちるわけではない。……結城は尚もその突き攻撃をかわしつつ、反撃のチャンスを窺っていた。

(なかなか隙が無いな……。)

 相手も馬鹿ではない。

 こっちの武器の特性が判断できない以上、無闇矢鱈に攻撃に転じることができないはずだ。なので、今は牽制に専念し、私を接近させないのが正しい判断だ。

 しばらくサマルの槍を回避していると、ランベルトの悩ましい声が聞こえてきた。

「さて……どうする嬢ちゃん。」

 結城はコンソールにのせた指を忙しなく動かしながらそれに答える。

「もうこの槍以外に武器はないみたいだし、槍さえ何とか出来れば本体に攻撃できると思うんだけど……。」

 サマルは脚を大きく開いて踏ん張っている。それを見れば、サマルが細い腕のコントロールに専念していることが容易に判断できる。

 つまり、そう簡単に槍の攻撃を掻い潜ることはできないということだ。

 今はまだ距離が遠いので余裕で反応できているが、接近して無事でいられる自信は全くなかった。

 ……様々な突破法を思案しつつサマルの攻撃範囲の境界あたりで槍に対処していると、諒一が私にアドバイスを送ってきた。

「さっきまでと違って槍の一撃が重い。だが、そのぶん細い腕にもかなりの負荷が掛かっているはずだ。細い腕が自壊するのを待つのも手かもしれない。」

「なるほど、持久戦か。」

 試合中、エネルギーはジェネレーターから無限に供給される。そのため、頭部のレシーバーが破壊されない限り、VFが燃料切れを起こすことはない。

 しかし、VFの耐久度は無限ではない。今のサマルのように無理な動作を続けていれば必ずいつかは破損する。それに例外はない。

 諒一の作戦に同意しかけた結城だったが、肝心なことを確認していないことに気づいた。

「……ところで、サマルの腕が壊れるまで何分かかるんだ?」

「それは……」

 諒一はこちらの単純な質問の返答に詰まってしまった。

 槍の穂先ならともかく、腕自体が自壊するのにはかなりの時間が掛かるということだろう。……とは言っても、いつまでもダラダラ戦っていると、このネクストリッパーの対処法を思いつかれそうで、結城はそれが心配だった。

 しばらく回避行動を続け、結城が数十回目の回避を終えた時、不意にサマルの体が大きくぐらついた。どうやらその大きすぎる出力を完全に制御できていないようだ。

(チャンス!!)

 それを見て結城はダメージを覚悟でサマルの攻撃圏内に飛び込む。

 こちらの視線の先、サマルは慌てて体勢を立て直して、すぐに槍による攻撃を再開させる。

 サマルは突き攻撃を何度も繰り返してこちらの動きを止めようとしていたが、まだバランスを上手く調整できていないのか、槍はアカネスミレにかすりもしない。

 それに、結城はそれしきのことで止まるつもりはなかった。

(これでサマルに接近するのは3回目……三度目の正直だ。)

 結城は槍の攻撃をすり抜け、三度、サマルを攻撃範囲内に捉える。

 そしてそのまま頭部を狙うべく、結城は少し離れた位置でネクストリッパーを構えた。

 ……だが結城はそこで異変を感じ、ピタリと動きを止める。

(もしかして……狙われてる!?)

 直接は見えなかったが、結城はサマルの腕の付け根の動きを見て、その先にある槍がこちらを背後から狙っているのがわかった。

 さっきサマルがぐらついて見せたのは、私をここに誘い込むためのフェイントだったのかもしれない。そして、槍も攻撃を外しているように見せかけて、実は私の背後に待機させていた……。

 そんなことをした理由は簡単だ。こちらのアカネスミレの無防備な背中を狙うためだ。

(危なかった……。)

 このままネクストリッパーを頭部パーツに突き出していれば、こちらの攻撃が届く前に槍に串刺しにされていただろう。

 下手に動けなくなり、結城は武器を構えたままサマルから少し離れた位置で固まってしまう。

 サマルも攻撃のタイミングを逃したせいか、こちらと同様にして動きを止めていた。


 ――しばらく試合の流れが止まる。


 結城はサマルの腕の付け根部分から目を逸らさず、懸命に次の手を思考していた。

(こういう時どうすればいいんだ……? 迷わず頭を刺したほうがいいのか? でも、向こうがこの状況に持ち込んだってことは、私の突きよりも速く反応して槍で攻撃できるって確信してるんだろうし……。でも、もしそうならどうして向こうは先に攻撃してこないんだ? 反応速度に自信があるなら私の攻撃なんて関係ないはず……。いや、もしかして、私が避けることも想定しているのか? 私が避ければ……あ!!)

 結城はサマルとアカネスミレの位置関係から、ある可能性に思い至る。

 現在、アカネスミレとサマルは近距離で向き合っている状態にあるので、もし私が避ければその槍はサマル自身に当たるのだ。

 一撃で機能停止に陥るほど槍によるダメージは大きい。つまり、サマルは下手をすれば『自滅』しかねないのだ。相手がこれほど慎重になっている理由がわかり、結城は妙に納得してしまった。

 ……自滅ほど情けない負け方はない。

 私が回避に成功すれば、最悪の場合サマルは自分の攻撃で自滅する。そんな情けない負け方をすれば、VFランナーとしてこれ以上の恥はないだろう。

 サマルが先に槍を突き出せない理由がはっきりと分かり、結城は改めて自分の行動を考える。

(つまり、向こうの動きは私次第ってことか……。)

 私がこのまま普通に攻撃すれば、サマルはそれよりも速いスピードでアカネスミレを串刺しにする。

 私が回避行動に移ればそれに応じて追撃をかけるはずだ。こんな近距離で、強化された槍を、しかも2本も避けるのは不可能に近い。

 だが、セルトレイさんの考えによれば、私の回避速度は槍の攻撃を上回っているらしい。つまり、サマルが先に動いてくれればこちらにも無事に離脱できる余地が生まれるということだ。

(回避するしか選択はないのか……。)

 一応他にも道はある。

 ……それは相討ちである。

 だが、結城はそんな結末は望んでいなかった。……セルトレイさんもそれだけは避けたいと思っているはずだ。だからこそ、迷って動けずにいるのだ。

 それに、避けるにしても問題がある。

 槍に背を向けているので槍の動きが全く見えないのだ。視界を確保するために全方位カメラに切り替えてもいいが、そうなると素早い突き攻撃を回避できる自信がない。

 自分の直感を信じるより他に道はなかった。


 ――無為に時間が過ぎていく……。


<両選手とも向き合ったまま動かなくなってしまいました……。私にはわかりませんが、高度な駆け引きが行われているのでしょう。まさに一触即発です。>

 実況者の声だけが虚しく響き渡る。

 通信機からは誰の声も聞こえてこない、ランベルト達が気を利かせて黙ってくれているのだろう。そちらのほうが気が散らずに済むのでありがたい。

 アリーナ全体の雰囲気はは緊張しきっていたが、それとは裏腹に結城の精神状態は至極穏やかなものだった。

(はぁ、あっちから動いてくれないかなぁ……。)

 呑気にそんな事を思ったが、思うだけでサマルが動いてくれるはずもない。

 膠着状態に入ってからかなり時間が経っているし、そろそろ攻撃するか避けるか……そのどちらかを選択せねばならないだろう。

(まだチャンスはあるし、ここは一旦引いて……いや、待てよ……。)

 ここから離脱すると心に決めようとした時、不意に結城の脳内にあることが思い浮かんだ。

 それは攻撃でも回避でもない第3の選択肢であった。

(これなら行けるかも……。)

 結城は思いつくやいなや、すぐさまそれを実行することにした。

 長い膠着を打ち破り、結城はアカネスミレを操作してネクストリッパーを前方に突き出す。

 それと同時にサマルも始動し、背後から急激に槍の気配が迫ってきた。

 そこで結城はネクストリッパーを引き、同時に体を反転させる。すると、こちらの頭部めがけて襲いかかってくる槍が見えた。

(間に合え……!!)

 その穂先に合わせるように、結城は手に持っているネクストリッパーで頭部パーツを防御する。そのまま槍はネクストリッパーと衝突し、なんとか衝撃を受け止めることができた。

(ふぅ……何とかなったな。)

 ……そう、結城が思いついたのは『防御』という道だったのだ。

 しかも、ただの防御ではない。

 結城は槍のインパクトの瞬間に姿勢を低くしており、その勢いを利用してアリーナの地面を滑るようにして移動する。

 当然その先にはサマルがいる。だが結城が進む方向を変えることはない。

 アリーナの地面と脚部装甲の間に大量の火花を散らせながらアカネスミレは突き進み、とうとう結城はサマルと接触した。……が、アカネスミレは更に先へと進んでいく。

 アカネスミレはビリヤードのキューに突かれたボールのように勢い良くサマルの股下をくぐり、一瞬にして背後を取ることに成功したのだ。

 途中でサマルのスカート状の装甲に背中をぶつけた気もするが、そのおかげで通り過ぎることなく、サマルのすぐ近くでブレーキすることができた。

(――形勢逆転だな。)

 サマルの背後に来ると結城はすかさず立ち上がり、後頭部目掛けてネクストリッパーを振り下ろす。しかし、それは背中のユニットによって邪魔されてしまった。

 ネクストリッパーはサマルの背中のユニットに命中したものの、一撃でそれを破壊することができなかった。

 やはり、普通に使うとその威力は超音波振動ブレードにかなり劣るようだ。

 だが、背後を取っている今ならこれでも十分だった。

 まだサマルが背後からの攻撃に対応できていないのを最確認すると、結城は気を取り直して再び頭部パーツを切断するべくとネクストリッパーで斬りつける。……しかし、今度は下方から襲ってきたサマルの蹴りによって阻まれてしまった。

 それに続いて上方からも槍に攻撃され、結城は辛うじてそれらを回避する。

(まだやる気なのか……。)

 背後を取った時、無理に頭部を狙わず、素直に背中のユニットを破壊すればよかったかもしれない。……しかし、後悔しても全ては後の祭りだ。

 結城は功をあせらず、槍の攻撃を避けつつサマルから距離を取る。

 サマルは反撃から少し遅れて回れ右をして、こちらに体の正面を向けた。

(あれ……?)

 その姿に結城は違和感を覚えた。

<サマルがアカネスミレに背後を撮られました!! ……が、何とか攻撃を防ぐことができたようです。それに、いつの間にやらサマルの脚が変形しています。これは私も初めて見る仕掛けです。>

 実況者の声につられてサマルの足元を見ると、膝から下が見事に変形していた。

 なんと足が伸びており、更に足の甲と踵部分に頑丈そうな厚い刃が出現している。それは『刃』と言うよりも、むしろ『歯』に近く、短く厚みがあるものが複数並んで配置されていた。

 それにしてもなかなか面白いギミックだ。一見無駄のように見えるが、この刃は重しの役割も果たしていたのだろう。こんな物まで使わないといけないくらい、サマルも切迫しているということだ。

「惜しかったな嬢ちゃん。……つーかヒヤヒヤさせんなよ。」

 サマルから距離を取ると、しばらくしてランベルトの安堵の声が通信機から聞こえてきた。

 続いて諒一もこちらに注意を促してくる。

「あの脚部の兵装は今まで見たことがない。正真正銘の隠し武器だ。どんな機能があるか分からないから慎重に……」

「はいはい。わかったわかった。」

 結城はその注意を軽く受け流し、一定の距離をとってサマルの様子を見る。

 足が伸びたことによりサマルの全長は伸びていたが、あまり威圧感はなかった。所詮は隠しギミック、蹴りのリーチが伸びた程度の認識で構わないだろう。

 ……それよりも注意すべきは今だ健在の2つの槍だ。

 しかし、その槍はこちらに向けられることはなく、何を思ったか、サマルはそれをいきなり地面に突き刺した。

「……?」

 疑問を感じる間もなくサマルは急に細い腕をたわませ、それをバネのように使い、こちらに向けて高速で跳んできた。

 サマルは飛び蹴りの体勢で飛翔しており、その予想外過ぎる攻撃法に結城は面食らってしまう。

 ……距離にして30メートルはあった距離が刹那の間に0になる。

「おっと……。」

 度肝を抜かれたものの、結城はその突進を地面に転がって難なく回避した。

 跳躍で耐えられなくなったのか、サマルの背中のユニットは分解しながらパージされ、その30メートルの間に破片が綺麗にばら撒かれていた。

 なぜ槍での攻撃を止めてこんな事をしたのか疑問だったが、それらの破片を見てすぐにその答えが分かった。

(もう限界だったのか……。)

 さっきサマルの背後を取った時、背中のユニットを完全に壊すことまでは出来なかったものの、一応は致命傷を与えられていたようだ。

 長く使えないと判断して、このような賭けに出たのだろう。

 ――丸腰になったサマルはもう結城の敵ではなかった。

 何も恐れることは無くなり、結城は着地後のサマルに向けて走りだす。サマルは着地地点で私を待ち構えていて、すぐに格闘が開始された。

 サマルは初っ端からスカート状の装甲を切り離したかと思うと、すぐに回し蹴りを放ってくる。腰の装甲が無くなったおかげで可動部が大幅に広がっていたが、逆に足の動きが把握できるようになり、こちらとしては対応しやすくなっていた。

 結城はその蹴りをネクストリッパーで受け止め、固有振動数を計測する。

 そして連続で襲ってきた蹴りに合わせて斬撃を放ち、いとも簡単に脚部の太い刃の部分を切断した。

 切断されて短くなった脚はこちらには届かず、サマルの蹴りは目の前の空を切る。

 一度当てた場所は必ず斬れる。やはりこれは素晴らしい武器だ。

 サマルの仕込み武器もそれなりのポテンシャルがあるが、肝心の蹴り技がお粗末なので、容易に同じ場所にネクストリッパーを命中させることができる。

 片方の脚を短くされたサマルは、残った脚だけでバランスを取って立っていた。

(最後の手段だったんだろうな……。)

 サマルからはもう危険は感じられなかった。しかし、結城は容赦することなくその軸足を蹴り、サマルを地面にこかす。

 驚くほど簡単にサマルはバランスを失い、崩れた体勢でその場に座り込んでしまった。結城はその無防備なサマルの頭部パーツにネクストリッパーをコツンとあてる。

(一度目……。)

 すぐさま計測が完了し、ネクストリッパーの振動数が最適な値に固定される。これで、頭部パーツも簡単に切り落とせることだろう。

 勝ちを確信した結城は少しの間試合のことを思い返す。

 ……今回勝てたのもこのネクストリッパーのおかげだ。しかし、新兵器がなくともサマルに勝てていただろうと、結城は根拠もなく思っていた。

 なぜなら、サマルもなかなかの強敵だったが、イクセルのファスナや七宮のリアトリス程ではなかったからだ。

 実際に普通のランナーと戦ってみてよく分かる……どれだけイクセルが強かったかを。

 あの強さの理由を私は知っている。イクセルと同じステージに立った自分だからこそよく理解できる。

 その理由とは、全ての感覚が極限まで鋭敏になり、時間が恐ろしいほどゆっくりと進み、自らの挙動が有り得ないほど加速される現象である。

 あの感覚を得るためには、より強いランナーと戦う必要があるのかもしれない。

 試合にはもちろん勝ちたいが、結城はそれと同じくらいイクセルと同レベルの強いランナーと戦ってみたいとも思っていた。

 ……ともかく、そんな事を考えるのは後にして今はこの頭部パーツを切り落とそう。

「私の勝ちだ。」

 結城は落ち着き払った声で呟き、ネクストリッパーを頭部パーツにあてがった。

 そしてそのまま横薙ぎにするつもりだった。……が、間を置かずして頭部パーツが勝手に地面に転がり落ちた。

 頭部パーツは地面でバウンドし、小さな破片を散らせながら転がっていく。

(最後の最後でリタイアか……。)

 そんな様子を眺めていると、遅れて実況者からダグラスのリタイアが宣言され、アカネスミレの勝利が確定した。


  3


「リタイアか……。」

 サマルのコックピットの中、セルトレイは一人で呟く。

 例え敗北の色が濃くてもリタイアするつもりはなかったが、チームがそう判断したのならば仕方がない。あの時点で自分の敗北は確定していたし、修理費を抑えるためにリタイアするのはよくあることだ。

 しかし、資金潤沢なダグラスというチームがリタイアを選択するとは思ってもいなかった。

「完敗ですよ。全く……。」

 セルトレイはコンソールから手を離し、シートに背中を預けてため息を付く。

 まさか自分が若手のVFランナーに、しかも女子学生に敗北するとは……ベテランランナーとしてはかなり情けない。

 それにしても問題はアカネスミレのあの武器だ。

 この間アール・ブランのビル内で耳にしていた『新兵器』の存在を失念していたことが惜しまれる。こんな事ならあのときに詳しく調べておくべきだった。

 きちんとその事を念頭においておけば、太い腕を2本も切り落とされることもなかっただろう。

(あの時、腕を切り落とされた時点で“何かある”と慎重に考えるべきだった……。)

 通常では有り得ないほどの切れ味……よくあんなえげつない武器を考えつくものだ。試合中には分からなかったが、今ならばその原理がわかる。

 要は、高周波ブレードの応用武器だ。

 切れ味が極端に変化していたことを考えると、連続であの切れ味を保つことができないのだろう。何らかの方法で出力を一時的に高めているのか、それとも、ある一定の条件が整わないと威力を発揮できないのか……。

 どちらにしても切れ味が持続しないのは明らかである。それが試合中にわかっていればここまで無様に敗北することはなかったはずだ。

(少し、相手を舐めていたのかもしれないな。)

 動きを止めてしまえばこちらの勝ちだと考えていたのだが、エルマー同様、動きが早い相手だとそれはかなり困難だ。

 アカネスミレでさえ捕まえられないのだから、この分だとアカネスミレと同型のリアトリスを捕まえるのは到底無理だろう。おまけに七宮が操作していることを考えると無理を通り越して絶対不可能、インポッシブルだ。

 コックピットの中でセルトレイはがっくりとうなだれる。

(今ここで悩んでいても意味が無い……。まずは外に出るか。)

 セルトレイはHMDを外して義眼を装着すると、機能停止したサマルから降りた。

 降りた所で、セルトレイは改めてサマルの姿を見る。その視線の先には切断された脚部の断面があった。

(思った以上に酷いな……。)

 切断面はグチャグチャになっており、まるで内部からも力が加わったと思われるほど酷い有様だった。だが、これだけ特徴的な切断面ならば、ラボで調査すればすぐに新兵器の仕組みも判明することだろう。

 ……その新兵器の持ち主であるアカネスミレの姿は既にアリーナ上にはない。その代わりにVF回収のためのスタッフがアリーナにぞろぞろとやって来ていた。

 その集団は途中で2手に分かれ、一方はこちらに、もう一方はアリーナに転がっている腕パーツに向かっていく。

 リフトには回収作業用の重機の姿も見えるし、すぐに回収が始まるだろう。

 そう思い、セルトレイはハンガーに戻ることにした。

「……?」

 リフトに向けて歩き始めたセルトレイだったが、スタッフの様子が何やらおかしいことに気がつく。サマルに向かっていたスタッフの集団が急にその足を止めたのだ。

 それが気になり集団に近づいてみると、スタッフ同士の会話が聞こえてきた。

「なんだ? 工場でトラブルだと?」

「はい、とにかく人手が必要らしいので早く来て欲しいと……」

「そうか……。」

 工場というとダグラスの工場のことだろうか。こんな時にトラブルだなんて運が悪い日もあるものだ。

 スタッフの中のリーダーらしき人物は、その伝達を受けてすぐに今後の予定を変更する。

「……よし、お前らはそのままサマルを輸送船に運んでおけ。ハンガーでの作業は最小限に抑えろ。乗せた後はラボのスタッフに任せていい。……俺はハンガーの連中を連れて今すぐ工場に向かう。」

「了解です。」

 リーダーの指示に従いスタッフはそのままサマルに向けて移動を再開し、リーダー自身はサマルに到達する前にリフトにUターンしていった。

(何が起こってるんだ……?)

 セルトレイはそのトラブルのことが気になっていたが、流石に様子を見られるほど体力に余裕がなかった。


  4


 1STリーグアリーナからかなり離れた場所、そこには工業団地フロートがある。

 この場所には複数の工場や研究施設が存在しており、その大半が自前でフロートを所持できない小中規模の企業だ。インフラや立地に関わるすべての費用は海上都市側が持つ制度があり、そのために多くの工場がここに進出しているのだ。

 ついでに言うと、そのほとんどがVF関連の工場である。

 それらは主にVFの構成部品を製造し、直接ダグラスの組立工場に納入している。

 ダグラスからすれば、部品製作会社は安定して部品を供給してくれる便利な存在である。 そして、部品製作会社からすれば、ダグラスは部品をすべて買ってくれる良い取引相手だ。お互いの距離が近いので輸送コストも、時間的なラグも無いに等しい。

 つまり、お互いにとってかなりメリットがあるということだ。

 工場の近くに部品製作会社を誘致する……。これは車産業でもよく見られる形態だ。だが、そんな国の事業のようなことを一企業がやってしまうのだから、改めてダグラスの巨大さがわかる。

 ……そんな工業団地フロートの一画にこじんまりとしたラボラトリーがある。

 周囲を金属加工や電子制御装置の工場に囲まれたその場所はダークガルムの第2ラボだ。

 そして今、そのラボ内に2つの人影があった。

 一方はウェーブの掛かった黒髪が特徴の男で、彼はあるモニターの映像を見ながらいやらしい笑みを浮かべている。男は極めてラフな格好をしており、それはラボという場所には相応しくない格好だった。

 その男の前で情報端末を操作している女性、それが私だ。

 私は着慣れたフード付きの白衣を身につけ、背もたれのない簡素な椅子に腰を掛け、片手で情報端末のコンソールを操作している。

 ちなみに、もう片方の手は腿の上に無造作に載せられている。いつも穿いているスラックスの薄い生地のさわり心地が良いせいか、腿のあたりを撫でるのが癖になっているのだ。

 この動きはおばさん臭いし、常日頃から止やめようと思っているのだが、なかなかそう簡単に癖というものは抜けるものではない。

 しばらく情報端末とにらめっこしていると、不意に男が私の背後から囁くようにして話しかけてきた。

「上手くいったね鹿住君。これでダグラスの工場は夜通しお祭り騒ぎだよ。」

 私……鹿住葉里は情報端末の操作を中断することなく、また、振り向くことなく男の話に応じる。

「ええ、うまくいきました。……工場内の組み立てマシンは全部自動制御されてますから、介入するのも簡単ですね。七宮さんでも簡単にできると思います。」

 背後にいる男は七宮さんだ。

 今後の計画の布石としてダグラスの工場にトラブルを起こしたわけであるが、なぜ七宮さんは結城君の試合の日を今回の計画の実行日にしたのだろう。そのせいで私は小さいモニターで今日の大事な試合を観戦する羽目になり、肝心な部分がよく分からなかった。

 試合の日は工場から注意が逸れたり、生産ラインが控えめになったりするのは確かであるが、普段の七宮さんの他人の心を抉るような蛮行を前提にして考えると、これは私に対する嫌がらせにしか思えない。

 七宮さんはこちらの気も知らないで先ほどの私の言葉に答えた。

「さすがの僕もここまで上手くはできないよ。……何もそんなに謙遜しなくてもいいじゃないか。せっかく人が褒めてるんだから、素直に褒められればいいんだよ。」

 そう言いながら七宮さんは私から一旦離れ、どこかに行ってしまう。しかし、ラボから退出したわけではなく、しばらくすると私の隣にまで戻ってきた。その際、ちらりと椅子の足が見えた。……どうやら七宮さんは自分が座るための椅子を取りにいってたらしい。

 その椅子を私の隣に置いて座ると、七宮さんは話を再開させる。

「……ところで、工場のシステムに介入できたのはいいけれど、無理やりエンジニアに手動で停止させられたらどうするんだい?」

 鹿住は尚も情報端末のモニターに目を向けたまま答える。

「問題ありません。先程も言いましたが組立ラインは基本的に無人で、外部からしか操作できません。それに、整備用区間に入るためにはラインを停止させる必要がありますから、こちらがラインを動かし続けている限り、妨害されたり干渉されたりすることはないはずです。」

 長々と説明した後、私は七宮さんの方を向き、そこでようやくあることに気付く。

 それは、現在七宮さんが座っている椅子に関することであった。

「ちょっと七宮さん、その椅子どこから持ってきたんですか!?」

 私が指差した椅子……今、七宮さんの尻の下にある椅子は木製のレトロチェアだ。これは私のお気に入りの椅子である。

 結構古くてガタもきているので、なるべく体重の重い男性には乗って欲しくないのだが、七宮さんはそんな事を知っているわけもなく、何でもない風に答える。 

「どこからって言われても……向こうにあったから、少し拝借してきたんだよ。」

 鹿住は七宮を椅子から押しのけたい気持ちを抑え、冷静に注意する。

「それは私の椅子です。勝手に移動させないでください。……と言いますか、勝手に人の私有地に入らないでください。」

「私有地って……あのスペースのことかい?」

「そうです。誰かさんのせいで気軽に外出できませんし、私はあそこで寝泊まりしてるんですから私室同然です。」

「そうかい、それは悪かったね。」

 謝罪の念がこもっていない七宮の声を聞きつつ、鹿住は第2ラボ内を見渡す。

 ……この第2ラボは既に私専用の作業場と化している。入り口付近には外出用の服やバッグが置かれていて、ラボの奥には食料棚やリラックススペース、果てはシャワールームまで完備されている。

 どれも自分でこしらえたもので、我ながら良い出来だと思っている。

 もし今回のことが世間に露見してVF界を追放されても、大工としてやっていけるだろう。

(……さすがにそれは冗談ですが、今度ドアも取り付けないといけませんね。)

 開閉するのは面倒なので、自動ドアを自分で作ることにしよう。

 早速頭の中に設計図を思い浮かべていると、ラボの入口のドアが開き、同時に「疲れたー」というため息混じりの女性の声が耳に届いてきた。

 七宮さんはその声にいち早く反応し、椅子から立ち上がる。

「お、ミリアストラ君、お疲れ様。」

「“お疲れ様”じゃないわよ。暇なら手伝ってよね……。」

 ミリアストラは愚痴をこぼしながら私たちの所まで歩いてくる。

 やがて表情がはっきりと見える位置にまでくると、七宮さんはその愚痴に対して気の利いた言葉を返す。

「まさか、手伝うほどのものでもなかったんだろう?」

 七宮さんの指摘は事実だったらしく、ミリアストラは言葉に詰まってしまった。

 しかしそれも一瞬のことだった。

「……ま、そうだけどね。大変だったのは侵入する時くらいで、中に入るとほとんど人はいなかったわ。警備員すらいなかったし……。」

 ミリアストラは銀の髪飾りを手でいじりつつ、顔をこちらに向けて言葉を続ける。

「それはともかくカズミ、アンタの指示した場所に設置してきたけれど……本当にあんなに小さい装置だけでよかったの?」

「はい。あれで十分なんです。」

 ミリアストラの言う装置とは、手のひらサイズの平べったい形……例えるなら文庫本より少し小さい装置だ。鹿住はそれを工場の中枢部分に設置するよう、ミリアストラに頼んだのだ。

 工場にトラブルを発生させたとはいえ、この短時間でよく侵入できたものだ。相変わらず仕事が早い優秀な工作員である。

 装置という言葉に反応したのか、七宮さんも同じような質問を投げかけてきた。

「ああ、あのトランスミッターのことかい。今回の騒ぎでダグラス側はセキュリティを万全にするだろうけど、それだけで本番に支障はないのかい?」

 珍しく七宮の不安な声を聞くことができ、鹿住は得意げな表情を浮かべて足を組み直す。

「そうですね……工場のセキュリティシステムをドアに例えましょう。」

 と、前置きをした後、鹿住はジェスチャーを交えながら話していく。

「今回はシステムに侵入するためにドアの鍵穴にドリルを突っ込んでこじ開けました。そのせいですぐに侵入したことがバレてしまいました。」

 手のひらに人差し指をグリグリと押し付けつつ、鹿住は説明を続ける。

「七宮さんの言う通り、次からはそのドアは頑丈になり、鍵もたくさん設置されることでしょう。しかし、この状態でも爆弾や斧を使えば無理やりドアを破壊することは可能です。ただ、この方法だと今回よりも簡単に見つかるのは必至です。……ここまではいいですね?」

 そう言って鹿住は情報端末に向き直り、モニターにトランスミッターの設計図を表示させる。それが見えやすいように鹿住は椅子を少し横へずらし、説明を再開させる。

「で、……そこで役に立つのがミリアストラさんが設置してくれたこの装置です。これはドアのロックシステム自体を無効にするものです。」

「なるほど、マスターキーみたいなものなのね。」

 ミリアストラはモニターを見ながら納得したように頷いていた。一応ミリアストラの例えの表現は間違いではなかったが、そのニュアンスは少し違っていた。

「いえ、工場内に仕掛けた装置は、言わば内側から鍵を開けてくれる協力者のようなものです。起動すればいつだって自由に工場内のシステムに出入りできるという寸法です。おまけに、向こうから開けてくれるので異常を探知され難いんです。」

 そこまで言うと、鹿住は七宮の質問に関して答える。

「さっきはダグラスのセキュリティが強化されると言っていましたが、むしろ強化されないと困るんです。本番では工場の生産ラインを乗っ取った後で、強化済みの防衛システムを使うつもりですから。」

 ここまで私の考えを言うと、七宮さんもミリアストラも感心したように頷いていた。

「本当に君は頼もしいね、鹿住君。」

 七宮に2度もほめられた鹿住だったが、今回のクラッキングに関して気になることもあった。

「それにしても、予想していたよりも向こう側の対応がかなり迅速でした。ダグラスもなかなか侮れませんね。」

 それを聞いた途端、七宮さんは何かを思い出したように口を「あ」の字に開けて固まってしまう。3秒ほど固まっていたが、すぐにその口から信じられないような事実が飛び出てきた。

「あー、今日のことは事前にダグラス側に知らせていたからね。対応が速くて当然だよ。」

「なっ……!?」

 事前に予告していれば、対応が早いのも当然だ。

 ……というか、予告してても防げなかったダグラスのセキュリティの甘さには呆れる。

「黙っててごめんね、カズミ。」

 七宮さんに続き、ミリアストラも笑顔で謝る。

 それを見て、鹿住は七宮がそうした理由が解った。

「密告の通りに工場に不正アクセスが発生した……。つまり、これはミリアストラの情報をダグラスに信用させるための作戦も兼ねていたんですね? 確かにこれなら効果的です。」

 要するにマッチポンプである。

 それは正解だったらしく、七宮さんは口の端を持ち上げて笑う。

「そういうこと。これでダグラスはミリアストラ君の情報を完璧に信じるだろうね。」

 セキュリティが甘かったのは、ダグラスがミリアストラの情報を完全に信じていなかったとも考えられる。だが、今回の件で情報をかなり信じるようになるはずだ。

 この悪魔的な発想を世のため人のために使えばどれだけの人が幸せになれるのだろうか。七宮さんの標的になってしまったダグラスへの同情を禁じ得ない。

「……もう、そういうことは私にも教えておいて下さい。」

 顔を逸らしてそう言うと、七宮さんは重ねて謝罪してきた。

「悪かったね鹿住君。でも全然問題なかっただろう。なにせ、結城君を応援しながらできるほどの簡単な作業だったみたいだし。」

「……!!」

 後ろめたいことを指摘され、鹿住は慌てて情報端末の横に置いていた小型モニターを体の後ろに隠す。しかし、誰がどう見ても隠しきれていなかった。

「……モニターで中継を見ていたのは認めます。でも、作業それ自体はプログラムが勝手にやってくれましたし、片手間でも全く問題ありません。」

「そう言えば今日はアール・ブランとダグラスの試合だったわね。どうだったの?」

 ミリアストラの一言で話が逸れてしまうも、鹿住は気にすることなく試合の結果をミリアストラに伝える。

「結城君が勝ちました。もう圧勝です。」

 内容はともかく、最終的にダグラスがリタイアした事だけは確かである。

 相手をリタイアに追い込んだのだから、試合の展開も圧倒的だったに違いない。

「ふーん、やるじゃないカノジョ。」

 ミリアストラも私と同様にして結城君の勝利を喜んでいるようだった。早く詳しい試合の映像を見たいものだ。

「ダグラスって強いチームなんでしょ? それに勝つって結構凄いんじゃないの?」

「その通りです。これからもどんどん強くなるはずです。」

「それは言い過ぎだと思うけれど……ホントにそうなりそうよね。」

「……2人とも、話を元に戻していいかい?」

 七宮さんは私たちの会話を中断させ、咳払いをしてゆっくりと言葉を連ねていく。

「とにかく、これで生産ラインの一つを完璧に掌握できたわけだ。後は任せてもいいよね、鹿住君?」

 七宮に言われ、鹿住は今一度情報端末のモニターを見る。

「……はい、任せてください。完璧とまではいかないと思いますが、少なくとも丸一日はこちらの思うままにラインを動かせるはずです。」

 その答えに満足したのか、七宮さんは何も無い空間を見つめて独り言をいうように呟く。

「うん、それだけ時間があれば十分だね。……リーグ最終日が待ち遠しいよ。」

「そうですね。」

 壮大な計画を思い描いているであろう七宮の横で、鹿住はドアの材質について考えていた。


  5


 工場のトラブルが収束したのは夜が明けたからだった。

 聞いた話によれば大規模なプログラムエラーが発生したらしい。人伝に聞いた話なので確かではない。

 実際に工場内に入れば解ることもあるだろうが、ダグラスのVFランナーでも工場内に入ることはできなかった。

(単なるトラブル……ではないよな。)

 ただのVFランナーである自分が首を突っ込むのも憚れるが、気になるのだからしょうがない。それに、ダグラスのトラブルは直接チームのトラブルに繋がる。

 そう考えれば、自分にも事態を知る権利があるように思えてくる。

 あの大企業のダグラス社が工場でトラブルを発生させるとは考えにくいし、何か人為的な事故でも発生してしまったのだろうか。

(まあ、あの社長に訊けば全部わかるか……。)

 セルトレイはダグラス本社のエレベーターに乗り、最上階の社長室に向かっていた。

 早朝だということもあり、本社ビル内にはほとんど人の姿は見られない。受付にいた社員も眠そうにしていたし、工場のトラブルの件で忙しかったのかもしれない。

 受付の話によるとダグラス社長は一睡もしないで事態の収集に努めていたらしい。今も社長室で事後処理やら原因解明を急いでいるということだ。

 そんな社長であれば事態をよく知っているだろうし、もし社長が話してくれなくても、秘書のベイルならば快く事態を説明してくれるはずだ。

 知った所で意味はないかもしれないが、やっぱり気になるのだから仕方がない。

 ……しばらくすると最上階に到着し、セルトレイはエレベーターから降りる。すると、早速聞きなれた怒鳴り声が聞こえてきた。

「結局何があったんだ!!」

「いえ、あの、その……只今調査中といいますか」

 それは怒鳴るダグラス社長と、申し訳なさげに受け答えているベイルの声だった。

 相変わらずキツイことを言われているに違いない。

 社長室に近付くに連れ、ダグラス社長の声は大きくなっていき、その代わりにベイルの声は小さくなっていく。

「原因は不明なんだな!?」

「短く言うと、そういうことになります。」

(不明か……。)

 事態は収束したものの、根本的な原因については未だ分からないようだ。せっかく早起きして来たというのに、これでは骨折り損である。

 しかし、このままエレベーターに戻るのも勿体無い気がして、セルトレイは取り敢えずドアの前まで歩いて行く。

 ある程度まで近付くと、ドアが半開きになっているのがわかった……道理で声が通路にまで響いていたはずだ。

 セルトレイはすぐには中にはいらず、ドアの前でしばらく話を聞くことにした。

 「役立たず共が……。一応あの女の情報を信じて先にエンジニアを行かせたのは正解だったようだな。」

 さっそく聞こえてきたダグラス社長の言葉に、セルトレイは疑問を抱く。

(女? 情報……?)

 そう言えば、以前ダグラス社長がそんな感じの発言していた気がする。ベイルも『信頼性のある情報源』とか何とか言っていたし、それと関係があるのかもしれない。そうなると今回の事件……間違いなく七宮が関係しているだろう。

 ただ、ベイルは今回のその情報とやらを知らされていないようだった。

「そんな情報を受け取っていたのですか……。七宮が仕掛けてくると分かっていて、どうしてそれを私に教えていただけなかったのですか!?」

 やはり、七宮が元凶のようだ。

 工場でトラブルがあったと聞いた時から薄々は予想していたので今更驚くこともない。むしろ、ダグラスの工場にトラブルを発生させられる七宮に感心していた。

 大企業相手に臆することなくよくやるものだ。

「お前に言う必要が無かったから言わなかっただけだ。……教えた所でお前が工場のトラブルを事前に防げたとも思えん。」

「……。」

 ダグラス社長の言葉に反論できないようで、ベイルは黙ってしまった。

 そんなベイルを無視し、なおもダグラス社長は話し続ける。

「……工場のシステムを狂わされたのは不快だが、今回の件で正確な情報源を得ることができた。この先、あの女の情報を参考にすれば後手に回ったとしても対応できる。」

「まさか社長、あの女を……ミリアストラを信じるつもりですか!?」

 セルトレイは、ベイルが言った『ミリアストラ』という名に聞き覚えがあった。

(ミリアストラ……E4のあの女ランナーのことか!!)

 ダグラスに情報を売る女……それが現役のランナーで、しかも2NDリーグの女性ランナーだとは全く予想していなかった。

 それにしても、なぜミリアストラが七宮の情報を知っているのだろうか。 

「なに、七宮以上の報酬を与えれば問題ない。……あの女を絶対に手放すなよ。金はいくらでもやると後で伝えておけ。」

「……はい。」

 なるほど、ミリアストラは七宮と深い関係にあるようだ。ミリアストラはそれを利用してダグラスに情報を高値で売っているのだろう。

 こうなると、タカノユウキを調べるよりもミリアストラを探るほうが、効率的に七宮に繋がる情報を手に入れることができるかもしれない。

 ミリアストラが私情ではなく金で動くタイプの人間ならば、こちらとしてもかなりやり易い。

(いや、もうこれ以上首を突っ込むつもりは……。)

 VFランナーとして、試合のことだけに専念するつもりだったが、やはり七宮のことが気になる。試合に勝つために今は少しでも敵の情報を手に入れておきたい……。

 しばらくするとダグラス社長は工場の事故について話を戻した。

「原因解明は難しいか……なら仕方ない、VFBの調査団を使え。」

「社長!? あれはVFBに関する事故でしか動かないはずです。いくら社長でもそれは……」

 またしてもベイルはダグラス社長に反発したが……

「いいから儂の言う通りにしろ!!」

 またしても社長に一喝され、黙ってしまった。

 その後すぐにベイルの通話している声が聞こえ、難なく調査団と連絡がついたのか、1分も経たないうちにダグラス社長に電話を取り次いだ。

「社長、調査団が直接お話したいと……」

「スピーカーに繋げ。端末を耳に当てたくない。」

「わかりました。しばらくお待ちを……」

 ベイルはそう言いつつすぐに準備を完了させ、やがて電話の向こう側の相手の声が部屋の外にいるこちらにまで聞こえてきた。

「お久しぶりです、ガレス・ダグラス社長。こんな朝早くから何の御用でしょうか。」

 ダグラス社長はろくに挨拶もせず、すぐに本題に入る。

「今回の工場のシステムトラブルについては知っているな。なら調査をして原因を……」

 しかし、ダグラス社長が全て言い終える前にスピーカーから拒否の言葉が返ってきた。

「すみません、確かに我々の仕事は事故原因の解明です……が、それはVFBに関することだけです。一企業のトラブルを調査するというのは規約に違反します。」

 典型的なマニュアル対応のセリフに対し、ダグラス社長は食い下がる。

「何を言ってるんだ。これは明らかにVFB絡みの妨害行為だ。そうに決まっている!!」

「……でしたら、まずはその根拠を提示して下さい。きちんとした理由が認められれば工場に出向きます。」

 電話の向こうの相手は全く動じることなく、飽くまでも規約に則った対応を続ける。

 そんなやり取りに業を煮やしたらしく、ダグラス社長はとうとう怒鳴り声を上げてしまった。

「……だから、調査しないとその原因すらわからんだろうが!!」

 ダグラス社長の言うことももっともだが、この言い方では相手が納得するはずもない。

 その怒声から少し間を置いて、スピーカーから返答が聞こえてくる。

「すみません。今のあなたは冷静さを欠いているようです。正式に調査を依頼したいのであればきちんと文書にして調査の正当性を示して下さい。それでは……。」

「待て、おい待てッ!!」

 ダグラス社長の声に応じることなく通話は終了し、スピーカーからは通話終了を告げる音だけが流れていた。

「……クソ共がッ!!」

 怒声と共に、今度は何か固いものを叩くような音が聞こえてきた。

「調査団を立ち上げたのは儂だぞ!! いくら金を出したと思っている!! ……それなのに儂の言うことは聞けんだと? 言うに事欠いて儂が冷静ではないだと!?」

 何かを叩く音が止んだかと思えば、続いてガラスや陶器の割れるような、甲高い破砕音が聞こえてくる。それは一度や二度ではなく、連続して発生していた。

「社長、落ち着いて下さい……。」

 何かが割れる音に混じり、ベイルの情けない声もこちらの耳に届いていた。

(大丈夫か……?)

 ベイルのことが心配になり、セルトレイは少しドアの隙間から中を覗こうとする。

 すると、丁度良くダグラス社長の怒り狂った声が耳に飛び込んできた。

「どいつもこいつも……ふざけるなァッ!!」

 それと同時にドアに重そうなオブジェが飛来してきて、セルトレイは咄嗟にドアに身を隠す。

 オブジェは見事にドアに命中し、その衝撃で開いていたドアの隙間が閉じてしまった。

 そのせいで、一気に部屋の中の音が聞こえにくくなる。

 これからどうなるのかとベイルの身を案じたセルトレイだったが、それは杞憂に終わり、すぐに部屋の中から破砕音がしなくなった。

 代わりに、社長の恐ろしく冷静な声がドア越しに聞こえてくる。

「……行け。」

 その短い言葉に対し、数秒遅れてベイルが返事をする。

「はい?」

 明らかに何のことを言ってるのか理解していないような口調だった。もちろん自分もダグラス社長が言っている意味が分からない。

 しかし、尚も社長は続けて言う。

「お前が工場に行って調べてこい。七宮がやった証拠を見つけてこい。」

「しゃ、社長……そんな無茶な……。」

 誰がどう考えても無理がある。

 しかし、ダグラス社長が意見を曲げることはない。

「行け。」

「……はい。」

 とうとう諦めたのか、ベイルの虚しい了承の言葉が響いてきた。ベイルの様子は見えないが、多分げんなりしているに違いない。

(そろそろ隠れるか……。)

 部屋の中から姿を見られぬよう、セルトレイは社長室から離れて曲がり角に身を隠す。

 すると、それから間もなくしてドアが開き、部屋の中からベイルが出てきた。ベイルは可哀想なほどやつれていて、目も虚ろだった。

(あれがパワーハラスメントというものか……。)

 よくベイルもこんな仕打ちに耐えられるものだ。自分ならばいくら金をもらってもあの社長の秘書になりたくない。

 そんな可哀想なベイルに対し、セルトレイがどう声を掛けたものか迷っていると、先にベイルに発見されてしまった。

「あ、セルトレイさん……。情けない所を見られてしまいましたね……。」

 曲がり角からひっそりと見ていたつもりが、向こうからはバッチリ見えていたようだ。

 いまさら隠れても意味が無いので、セルトレイは堂々とベイルの前に姿を現すことにした。

「ダグラス社長はかなり怒っていたみたいですね。怒鳴り声がエレベーターホールまで聞こえてましたよ。」

「まぁ、いつものことですから……。」

 ベイルはげんなりとしている。徹夜した上にあれでは気力も無くなるというものだ。

 セルトレイは同情の意を込めてベイルの肩をポンポンと叩き、並んで歩き出す。

「また無理難題を押し付けられたんですか?」

 こちらの質問に、ベイルは力なく頷く。

「はぁ……。知識も何も無いのに、事故の原因なんて解るわけ無いじゃないですか……。」

 困り果てているようだ。ベイルの視線はどんどん足元に向かって落ちていき、歩くスピードも遅くなっていく。

 それを見かねたセルトレイはベイルを手助けしてやろうと、協力を申し出る。

「よければまたお手伝いしますよ。」

「へ……?」

 こちらが言った途端、ベイルは顔を上げてこちらを見つめてきた。

 義眼を見られぬよう、セルトレイは咄嗟に前髪に手をやり、手ぐしで髪を整えるふりをしつつ言葉を続ける。

「ダグラスのVFランナーとして、七宮には何としても勝ちたいですからね。社長秘書の権限があれば大抵の事は簡単に調べることができますし、何とかなりますよ。……絶対に尻尾を掴んでやりましょう。」

「……。」

 元気づけるつもりで言ったのだが、ベイルはこちらを向いたままうんともすんとも言わない。何か不安なことでもなるのだろうかと思い、ベイルの顔をちらりと見ると、その目に大量の涙が溜まっていた。

「ありがとうございますセルトレイさん……。この間は自分だけで頑張って調べるなんて言っておきながら……こんな、こんな……。」

 簡単に受け答えしていたが、精神的にかなり追い詰められていたらしい。

 いい年をした大人だというのにボロボロ涙がこぼれ出ている。声を押し殺して泣いている男性を見たのは生まれて初めてかもしれない。

 見ているだけでこちらまで辛くなりそうだったので、セルトレイはベイルが泣きやむように更に元気づける。

「ほら、泣いていても始まりませんよ。現場が修復されないうちに早く工場に行きましょう。……でもまずは腹ごしらえです。朝食くらいなら奢りますよ、ベイルさん。」

「はい……。」

 いつまでも泣き止まないベイルの肩を抱きつつ、セルトレイはやがてエレベーターホールに到着する。そしてベイルと共にエレベーターに乗り込み、階下に向けて降りていく。

(ふぅ……。一体自分は何をやってるんだ……。)

 正気に戻ればすぐにでもベイルを見捨ててしまう事になるだろうと予感し、セルトレイは自分が正気に戻らぬうちに、すぐ近くにあるコーヒーショップで朝食をとることにした。

 ここまで読んでくれてありがとうございます。

 新しい武器『ネクストリッパー』を使い、アール・ブランはダグラスに勝利することができました。同時に七宮の計画も本格的に動き始めたようです。また、ガレス社長もその焦りからか、情緒不安定になっているようです。

 次で【盲目の獅子】は最終章です。

 ダラダラとした展開が続きますが、今後とも宜しくお願いします。

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