【盲目の獅子】第三章
前の話のあらすじ
ダグラスのVF『サマル』の特徴を把握した結城たちは、その強さに驚き、対応策を考えることを決める。
一方、セルトレイはベイルを手伝って、七宮に関しての調査を独自に行う。トライアローのフォシュタルから話を聞き、そこから得た僅かな情報を持ち帰ろうとした時、偶然にも結城と遭遇してしまう。
セルトレイは咄嗟の判断で、自らの義眼を犠牲にして出会いのきっかけを無理やり作ることに成功する。
しかし、結城からは有力な情報を得ることができず、セルトレイはベイルと共に自チームのビルに帰ったのであった。
第三章
1
アール・ブランのビル内部、結城はその中でも最も小綺麗な部屋にいた。
部屋の内部には申し訳程度のインテリアが飾られていて、隅の方にある微妙なデザインの花瓶には、少し枯れかけの花が飾られている。
そんなテンションの下がる物体を目の隅に捉えつつ、結城はある女性と会話をしていた。
結城とその女性は小さめのテーブルに座っており、テーブル上には紙の書類が無造作に積まれていた。
その一枚を手にとって、結城は先程その女性から発せられた言葉を確認するように訊き返す。
「……イベントですか?」
「はい、ユウキ選手には是が非でも参加していただきたいのです。」
女性はすぐさま頷き、机越しにプリントを手渡してきた。
そこには『ゲームイベント』という文字が大きく書かれてあった。
(ついに私もこういう仕事をやる時が来たんだな……)
事前の連絡を聞いて薄々は感じていたが、いざとなるとドキドキするものだ。しかもこれはゲーム内のイベントではなく、どこかのイベント会場で実際にやるらしい。
「同じようなイベントを世界中で行なっていまして、そのどれもが大盛況なんです。ですから、内容に関してユウキ選手が心配することは一切無いです。」
……今、プリント類を指さししながら説明しているのはダッグゲームズの女性社員だ。
彼女は社章換わりにダッグゲームズのロゴのついた白いTシャツを着ている。……が、それは首から下げているゲストパスによって半分ほどが隠れていた。
普通の会社ならきっちりとした格好で来るのだろうが、ゲーム会社だからそんな格好で許されているのだろうか……。こちらとしては変に緊張せずに済むので、むしろありがたい。
胸元のロゴマークから上へ視線を動かすと、スタイリシュなデザインのメガネが目に映った。良い意味でも悪い意味でも目立つようなデザインだ。
因みに、髪は耳がギリギリ隠れるほど短くカットされていた。かなり涼しそうだ。
そんな格好の影響もあるのか、パッと見た感じでは活気のある若い女性に見える。しかし、彼女は数年間も広報部署に所属していて、この海上都市群での広報イベント活動の企画を任されているらしい。言わばここら一体のまとめ役というわけである。見た目にに合わず結構重要なポストにいる人物なのだ。
プリントとその女性社員を交互に見ていると、こちらの参加を後押しするようなセリフが聞こえてきた。
「ぜひとも参加してください。……ゲーマー歴のあるVFランナーとあれば、注目をあびること間違いありません。」
「そうかなぁ……。」
そう言われると悪い気はしない。
(ゲーム会社の社員が直接お願いに来るなんて……私も偉い立場になったもんだ……。)
ダッグゲームズは結城が長年遊んできたシミュレーションゲームを作った会社である。正確に言えば、ゲームを作ったのはダグラスの一部門なのだが、それが独立して今の形になっている。
結城はそのゲームを『yuki』というプレイヤー名でプレイしていた。
しかし、ランナーになってしまってからはあまりログインしていない。特に最近は1STリーグ関連の練習や学校の訓練などで忙しいので、普通に遊ぶ機会すら無い。
「急に言われても……私も忙しいし。」
結城は椅子に座り直しながらそう応える。
諒一がいればどんなアドバイスをくれるのだろうか。
もうすぐダグラスとの試合も控えているから断るように言うだろうか。
それとも、ランナーの義務だとか言って、イベント参加に賛成するだろうか……。
(いや、これくらい自分で決めないとな。)
概要を聞いた限りでは少なくとも3時間は時間を拘束されるそうだ。サプライズイベントなので詳しい内容までは教えてくれないが、特に準備も必要無いらしい。
正直、面倒な事はしたくないのだが、日本にいた頃は散々シミュレーションゲームをプレイしていたし、このゲームがあったお陰でランナーに慣れたと言っても過言ではない。
となれば、恩返しする意味でもイベントには出演した方がいいだろう。
一応出演することを心に決めたのだが、結城は気になったことを聞いてみる。
「それで……そのイベントには他に誰が来るんだ?」
それなりのイベントならば他のランナーもいるのではないかと思ったのだが、その予感は当たっていたらしい。すぐに女性からいい返事が返ってきた。
「今の時点では、ツルカ選手にも声をかけようと考えています。他にも仲のいいランナーはいらっしゃいますか?」
結城は女性社員の質問には答えず、ポツリと呟く。
「ツルカもか……。」
一人だと少し不安だが、ツルカと一緒となると何とかなりそうな気もする。
ツルカのことを聞き、結城は快くイベントへの出演を引き受けることにした。
「……それではよろしくお願いします。」
「わかりました。」
話がまとまると、女性社員はビルから出ていった。
ビルのロビーで女性社員を見送った結城は、そのまま近くにあったソファに腰を下ろして一息つく。
「今週末か……結構急だったんだな。」
この分だと、人気のあるランナーを呼ぶのは無理だろう。私やツルカなどの暇そうな、それでいてそれなりに絵になるランナーに声を掛けている……と言ったところか。
そんな事をぼんやりと考えていると、遠くからランベルトの呼び声が聞こえてきた。
「おーい嬢ちゃん、イベントには出るのか?」
ランベルトは小走りで近づいてきて、そのままこちらの隣に着席し、躊躇することなく抱えていた灰皿を手すり部分にのせた。
結城はランベルトから少し身を離しながら答える。
「出るぞ。アリーナ以外でもランナーっぽい仕事をしないとな。……ツルカと一緒ならどうにかなるだろうし。」
こちらが話している間、ランベルトは咥えたタバコに火をつけていた。
「そうか、俺は嬢ちゃんは断ると思ってたんだけどな。」
タバコの先が赤くなると、ランベルトは一口煙を吸い込み、その煙を吐きながら話を再開させる。
「ま、嫌になったらいつでも言えよ。話をつけてやるからな。」
ランベルトの話しぶりに、結城は思わず質問する。
「さっきの話、知ってたのか?」
知ってたなら事前に知らせてくれればよかったのに……と思っていたのだが、どうやら違うらしい。
ランベルトは半笑いでこちらの質問に答える。
「一応責任者だからな。……あの社員から事前に大まかな話は聞いてたんだ。だが、最終的に決めるのは嬢ちゃんだろ?」
「そっか……なるほど。」
よく考えれば当たり前の話だ。責任者とは言え、勝手に私の予定を決められては困る。……とはいえ、イベント参加に関して私に一任するのも放任すぎやしないだろうか。
結城はランベルトがこの話を自分に伝えていなかった理由がわからなかった。
そんな意味も込めて結城は再び横を向いて質問を投げかける。
「このイベントのこと、ランベルトはどう思ってるんだ?」
結城は両足を閉じてその上に両拳を載せ、珍しく真剣な態度をとっていた。
そんな姿勢が伝わったのか、ランベルトもタバコを灰皿にこすりつけて、結城に真剣な顔を向ける。
「どうもこうも、別に構わねえよ。……つーか、そんなイベントまで面倒見られる気がしねえし、嬢ちゃんの思うように自由にやればいいさ。」
自由という言葉はいい言葉ではあるが、ランベルトの口から聞くと、無責任という意味も含まれているような気がする……。
「ランナーに丸投げって、責任者としてどうなんだ……。」
若干、批判の意を込めて言うと、ランベルトは再びタバコを口に咥える。
「リョーイチがいれば楽なんだが、ここ最近ずっとむこうで研修してるしな。……何なら、イベント当日に嬢ちゃんの面倒みるようにリョーイチに伝えておこうか?」
諒一がいれば心強い。しかし、これしきのことで諒一の研修の時間を削るのも憚られる。
あと、諒一にイベントを見られるかと思うとなぜか恥ずかしくなり、結城はランベルトの提案をすぐに断ってしまった。
「いい、このくらいなら一人でも大丈夫だ。」
「……そうか、まぁ気楽にやればいいさ。」
ランベルトはそれだけ言うとすぐに立ち上がり、灰皿を持ってこちらに背を向ける。そして、ロビーからラボへと向かう通路に姿を消してしまった。
なんだかんだ言って私のことを心配してくれていたのだろうか。
それを嬉しく思ったが、同時に子供扱いされているような気がしてなかなか素直に感謝できない結城であった。
2
ゲームイベント当日。
結城は商業区のゲームセンターの前、その正面の入口前で立ち尽くしていた。
(うわ、結構人集まってるな……。)
連絡によればここがイベント会場なのだが……簡単に入れそうにない。
入り口の周りにはVFBファンらしき人や、ゲーマーらしき若者がたむろしている。その人の塊は歩行路の半分ほどを埋め尽くしており、それだけでなくゲームセンター内も人でひしめいていた。
休みの日ということもあるのだろうが、それにしたって人の数が多い。
結城は人から正体がバレぬように変装をしているので、人ごみの中にいても身分がバレる心配はない。だが、流石にこの人の壁を抜けて会場まで辿りつける自信はなかった。
諒一がくれたブカブカのジャケットはともかく、髪を押さえている帽子が取れてしまったら一環の終わりだ。
しかも、ここにいる人々は私が出るゲームイベントを見に来てくれたのだから、そのファンの大半が……いや、ファン全員が私の顔を知っているはずだ。そんな所で正体がバレてしまったら大変なことになるのは間違いない。
そうやって危機感を感じる一方で、結城は嬉しくも思っていた。
これだけの人が私を見るためだけに集まってきてくれたのだ。ちょっと気恥ずかしいような、微妙な気分になる。
(私の人気も結構あるんだな……。)
最近はあまり目立った活躍もなくファンの数に増減はなかったが、こんなに多くのファンの姿を見るとそれが嘘のように思えてしまう。
……と、不意に背後から私の名前が聞こえた。
どうやら私について、2人のファン同士が会話しているようだ。
結城はそれが気になってしまい背後の会話に耳を傾けてみることにした。
「えーと、『ユウキ』に『ツルカ』に……って、これだけか。女呼べばファンが喜ぶとでも思ってんだろうな。VFBファンを舐めるんじゃねーぞって感じだよな。」
いきなりそんな乱暴なセリフが聞こえ、同時に紙をクシャクシャにする音が聞こえてきた。……パンフレットか何かを握りつぶしたのだろう。
それに応じるようにして別のファンの穏やかな声も聞こえてくる。
「まぁ、ランナーはこれで十分だけど、ほかにもランカープレイヤーとか呼んで欲しかったよな。」
この2人組、VFBファンと言うよりはゲーマー寄りな感じだ。
穏やかな声の持ち主は続けて話す。
「でも、ツルカが来るってことは……」
「ああ、ついでにイクセルやオルネラも来るかもしれないってことだよな。引退してから初めてのイベントになるかもしれないし、こんなに多いのもイクセルのファンのせいだろうな。」
(え、そうだったの……?)
結城は改めて周囲を見渡す。
確かに、自分目当てにイベントに来たにしては、数が多すぎる気がする。それに、女性ファンもちらほら見かける。……更によく見ると、人ごみの中に尋常ではないほどの数のキルヒアイゼンのロゴマークが見られた。
後ろにいるファンの言葉に説得力があるだけに、結城の落ち込みようは半端ではなかった。
こちらの気も知らず、背後にいるファンは話し続ける。
「イクセルが引退してVFBファン辞めた奴も結構集まってきてるらしいぜ。」
「へぇ……」
感心したような反応をみせてから、穏やかな声のファンは話題を変える。
「ところでさ、さっき言った通りユウキがゲストで出てくるらしいけど……結構可愛いよね。それだけでもファンになる価値があると思わない?」
可愛いという言葉を聞き、結城の心臓の鼓動が少しだけ早まる。
(か、可愛いだって?)
やはり赤の他人でもそういうことを言われると嬉しい。先ほどの落ち込んだ気分も今はどこやらだ。
……しかし、もう片方のファンはそうは思っていないらしく、キツい言葉で批判し始める。
「お前なぁ……そんなに可愛い女の子が好きなら、VFのファン辞めてそこらのアイドルの追っかけでもやってろよ。」
(なっ……!!)
あまりのひどい言いように頭に来たが、それに続くセリフを聞いて結城の怒りはすぐに収まる。
「……可愛さだけでファンになるなんて、それこそVFランナーに失礼だろうが。」
(なるほど……。案外まともな考え方してるんだな……。)
ランナーの人気の基準はそれぞれだが、やはりどのランナーも『強さ』で評価して欲しいはずだ。……リオネルやアオトなど一部例外はあるが、私は実際にそう思っていたので、その意見にはかなり同意できた。
穏やかな声のファンは苦しながらも反論する。
「いや、でもユウキは一応1STリーグランナーだから、強いはずだよ?」
(そういうことを言ってるんじゃないんだけどなぁ……。)
結城はその会話に参加したいと思い始めていたが、ぐっと堪える。
「ユウキって強いか? 初っ端の試合で水没して、その次は確か相手の反則で勝ったんだろ? 運だけで上がってきたって感じだからあんまり好きじゃねーな。勝率はそこそこいいけど試合はグダグダだし。……こんなイベントに出るくらいなら練習しろって話だよな。」
「……。」
“自分は1STリーグで戦うに値するそこそこ強いランナーである”と自覚していたのだが、きつい口調のファンによってそれすらも否定されてしまった。
私と同じく正論を言われてぐぅの音も出ないのか、穏やかな声はそれから聞こえず、2人の会話は途切れてしまった。
結城も精神的にダメージを受けており、これ以上2人の声が聞こえないようにゲームセンターの入り口から離れて歩道側に移動することにした。
(ああ思われても仕方ないか……。)
結城は歩道路の中央にあるベンチに座り、遠くからゲームセンターの入り口を見つめる。
他にもさっきと同じようなことを考えているファンがいるかと思うと気が重くなる。そんなファンの会話を想像してげんなりしていると、不意に誰かが背中にぶつかってきた。
不注意でぶつかったのかと思ったが、その誰かはこちらから離れることなく、あろうことか背中に手を置いて円を描くようにして撫でている。
不審者だろうか。
しかし、不審者にしては手が小さいような気がする。
(もしかして……。)
ある可能性を念頭に置きつつ振り向くと、こちらの予想通りそこにはツルカがいた。
こちらが呆れた眼差しで見ると、ツルカは笑顔を返してくる。
「いいじゃないかユウキ。少なくともカワイイのは事実なんだし。」
「聞いてたのか……。」
どうやら随分前から私の近くにいたようだ。
声を掛けずに、ファンの会話に耳を傾けている私を観察して楽しんでいたに違いない。そう思うと恥ずかしさと怒りがこみ上げてきた。
そのツルカはこちらの問いには答えず、話をそらすようにしてゲームセンターの入り口を指さす。
「なあユウキ、これって正面から入っていいのか……?」
こちらとしても、さっきの話にはあまり触れられたくなかったので、大人しくツルカの誘導に従うことにした。
「……無理だろうな。でも、ここに来いとしか言われなかったし。」
到着するのが遅すぎたのだろうか……。
まだ時間に若干の余裕はあるが、いざとなったら突破せねばならないだろう。
軽いツルカならあの群衆の上を進んで行けそうだな、なんて有り得ないことを考えつつ結城は改めてツルカの姿を見る。
ツルカは大きな帽子をかぶって、ブカブカのジャケットを着ていた。少し怪しく見えるが、キルヒアイゼンのツルカだとは判らない。なんとも程良い変装である。
因みに私は髪を帽子に突っ込んで、男装まがいの変装をしている。もうこの格好にも慣れたものだ。
ツルカと共にどうしたものか悩んでいると、遠くから誰かに注意促すような声が聞こえてきた。
「すみません!! こちらは関係者以外立入禁止ですので、こちら側には並ばないでください!!」
咄嗟に目を向けると、遠くに警備員の姿が見えた。
警備員はゲームセンターの脇にある細道に立っており、そこから入ろうとしている人々を押し返していた。
ツルカにもそんな様子が見えていたらしく、2人は顔を見合わせる。
「関係者意外立ち入り禁止……ってことは」
「ボクらみたいな関係者は立ち入り可能……ってことだな。」
時間も時間だったので、結城とツルカは警備員のいる場所へ向かうことにした。
……人ごみをかき分けて進むと、付近の状況がよくわかってきた。どうやらその細い道は店の裏側に続いているようだ。
(そうか、スタッフ用の出入り口……。)
ツルカも同じ事を思ったらしい。2人でお互いに頷き合うと、警備員の目前まで移動する。
警備員は数メートルの距離からこちらの存在に気づいており、声が届く距離になると白い手袋の手のひらをこちらに向けて制止してきた。
「すみません、こちらは関係者以外は……」
その警告の途中で、隣にいるツルカは自分の帽子の中に手を突っ込み、銀色の髪を一房だけ下ろす。
自分がツルカであるとアピールしているのだろうか……。
結城はそんなので分かってもらえるはずがないと思い、懐からアール・ブランのIDカードを取り出した。
が、こちらの予想とは違い、その必要はなかった。
「あぁ、ツルカ選手でしたか……。失礼しました。どうぞお通りください。」
警備員は道を開け、ツルカは奥に案内されるように細道をすすんでいく。
結城はその後を追おうとしたが、普通に警備員に止められてしまった。
「ツルカ選手のお連れの方ですか? 一応身分を証明するものを提示してください。」
「……。」
結城は仕舞いかけていたIDカードを警備員に手渡す。
「ユウキ選手……?」
警備員はいかがわしい目で、こちらの顔とIDカードを交互に見ていた。
何を疑うことがあるのだろうか……。よく理解できなかったが、結城は顔を見せるために帽子のつばを持ち上げる。
こちらが顔を見せた途端、警備員の態度が急変した。
「す、すみません!! てっきり男性かと……。」
警備員はそれ以上何も言わず、黙ってこちらを通してくれた。
男装が大成功したことは喜ばしいのだが、なぜだか満足いかなかった。
――結城はすぐにツルカに追いつき、短い通路を進んでいく。すると、1分もしない内にスタッフ専用の出入り口に到着した。
「ああ、やっと来てくれましたか。」
そのドアの前にはあの女性社員が立っていた。前と同じくダッグゲームズのロゴの入った白いTシャツを着ていたので、すぐに判断することができたのだ。
女性社員はそう言うやいなやこちらに駆け寄ってくる。
「お迎えに行った方が良かったかと後悔していたところです。……とにかくこれをどうぞ。」
挨拶をする暇もなく、女性社員はこちらに何かを手渡してきた。
(……カード?)
見たところ、シミュレーションゲーム用のカードのようだ。イベントでゲームをさせられるらしい。
一応、自前のカードを準備して兵装などもひと通りチェックしたのだが……準備してくれるならそう教えて欲しかった。お陰で2時間くらい無駄にセッティングに時間を取られてしまった。
私に続いてツルカもカードを渡されていた。
ツルカはすぐにそのカードを指で弾きながら中身について女性社員に質問する。
「なあ、ボクのカードには何が登録されてるんだ?」
「もうこんな時間……ステージのチェックも終わらせないと……」
女性社員はツルカの言葉など一切耳に入っていないのか、腕時計で時間を確認すると、すぐにその場から離れていく。
「それではあちらへ進んでください。服はそのままで構いませんから、なるべく早くお願いします。」
そう言い捨てると、女性社員はスタッフ用の入り口を開け、中へ入っていった。
ドアがゆっくりと閉じていくのを見つつ、結城はツルカに声をかける。
「……ゲームやらされるみたいだな。」
「もしかして、ボクとユウキで対戦させられるのかもな……。」
ツルカは嬉しそうに話していた。
結構長めのイベントなので、それだけで終わるとは思えないが、結城自身もそうなればいいなと楽しみにしていた。
「考えるのは後にして中に入るか。なんか切羽詰まってるみたいだったし。」
「そうだな。」
お喋りはそこまでにして、結城とツルカはそれぞれ帽子を脱ぎ去り、ゲームセンター内に入ることにした。
……中に入ると、予想に反してかなりの数のスタッフが廊下を歩いていた。
押し寄せたファンの数を考えると、このスタッフの人数も不思議ではないのだが、色々と働いているスタッフを見ていると、結構大掛かりなイベントであることを再認識させられてしまう。
首を左右に動かしながら通路を進んでいくと、前方からこちらの名を呼ぶ声がした。
「ユウキ選手、ツルカ選手!! こちらです!!」
前を見ると、スタッフらしき人物が部屋のドアを開けた状態で手招きしていた。その手招きの激しさからするに、予想よりも遥かに切羽詰まった状況らしい。
結城はすぐに小走りになって案内されるがままその部屋の中に入った。
……部屋はゲスト用の待機室らしく、化粧台やらクローゼットなどがひと通り揃っていた。
スタッフは部屋の中へは入らず、ドア付近でこちらに指示を出してきた。
「ここで準備をお願いします。あと数分後には呼ばれると思いますので……」
スタッフはそこまで言ってから耳元にあるヘッドセットに手をあてる。……どうやら誰かから指示を受けているらしい。何度も「ハイ」と言って頷いていた。
「……はい!! すぐ行きます!! ユウキ選手、ツルカ選手、なるべく早めにお願いします。」
スタッフはロクな説明もせず、部屋から去っていった。
「……。」
慌ただしいというか何と言うか、半分混乱しかけているようにも思える。
(ま、急いで準備するか。)
結城はジャケットを脱いで、制服の襟を正す。そして、髪を確認するために部屋の中にある鏡の前に立った。
帽子で押さえつけられていたせいか、少し癖が付いている。だが、後ろで結んでしまえば問題ないだろう。
結城は前髪を指でつまんで左右に適度に流し、ハネ具合を調整する。
(……っと、こんな感じでいいかな……。)
鏡とにらめっこをしていると、その鏡にツルカの姿が映っていた。
ツルカはもう髪のセットが終わったらしく、変装のために着ていたジャケットを脱ぐ。
すると、フリル付きのゆったりとした純白のワンピースが出現した。
その丈は短く下に履いているシーンズのベルト部分が見え隠れしていた。しかし、その代わりに腕の袖は長く、ツルカの肘までをすっぽりと覆っていた。その袖口は大きく、可愛いフリルが放射状に開いている。生地も薄いし通気性はよさそうだ。
そんなトップスに対してボトムスは薄い色のジーンスだ。
組み合わせ的にはアンバランスではあるが、ツルカの元気さが出ているようで案外似合っている。それに色合い的には銀の髪にマッチしているので、違和感はない。
ワンピースは全体的に白い上に薄いせいか、所々ツルカ自身の肌の色が透けて見えていた。腕に関しては腕の形がはっきりとわかるほど透けている。屋外ならば体のラインが分かるほどスケスケになるだろう……が、ゲームセンター内は薄暗いし問題はない。
……まぁ、とにかくおしゃれであった。
(はぁ……なんで制服のままで来てしまったんだ……。)
――結城は後悔していた。
(私も自前の服を用意すればよかった……)
しかし、今から可愛い服に着替えようにも時間がないし、そもそもその服がない。……諦めるしかないだろう。
鏡を前にくるくると回るツルカを眺めているとすぐに先ほどのスタッフが戻ってきた。
そして、そのままスタッフに案内されて、結城達はゲームセンターの特設ステージへ向かうこととなった。
3
結城とツルカが案内されたのは2階部分で、そこには普段見ることのない大掛かりなステージが設置されていた。ステージには大きなモニターが設置されており、ゲーム内の映像が映し出されている。
2階部分はそれなりに天井が高いので、イベント会場に選ばれたのだろう。モニターも天井に届くかと思われるほど巨大だ。
「大きいな……。」
結城はステージの裾から会場の様子を眺めていた。
もうすぐイベント開始時刻とあってか、背後に待機しているスタッフからは尋常ならぬ緊張を感じる。大半のスタッフは若いみたいだし、こういうイベントにはあまり慣れていないのだろう。
スタッフとは違い、私とツルカは既にこの雰囲気に慣れてしまっているらしく、呼吸も鼓動も全く乱れていない。
VFBの試合前の緊張で慣れているせいなのだろうか。それとも、緊張の種類が違うのでそんな雰囲気に鈍感なだけなのか……。どっちにしてもリラックスできているというのはいいことだ。
そんな事を思いつつ、結城はさらにステージ裾から体を出してステージの前の様子も観察する。……そこには会場に響くざわめきに相応しい程の、大勢のファンの姿が見えた。
スペースに余裕が無いのか、最前列の多くの人が金属製の出来合いの柵に寄りかかっている。
そんなファンとステージの間にはなぜか広いスペースが設けられていて、そこにはシミュレーションゲームの筐体が配置されていた。
合計20ほどの筐体は5列2行に並べられており、それが2ブロック、ステージの両翼に等間隔に並べられている。
これを見て結城はすぐにイベントの内容を予想することができた。
「トーナメント対戦……ちょっとした大会みたいなもんか。それで、最終的に勝ち残ったプレーヤーと私達が対戦する、って趣向だろうな。」
ステージにはおあつらえ向きに2つの筐体が鎮座しているし、そうに違いない。
結城はそう確信していたが、ツルカは別の可能性を考えているようだった。
「いや、単なるファンとの対戦イベントかもしれないぞ? ボクらの出番が最終戦ならあんなに焦って準備させられるわけがないし。」
いつの間にかツルカはしゃがんで、私よりも下の位置から外の様子を見ていた。
結城は自分の考えの正当性を説くため、すぐ下方に見えるツルカのつむじに向けて喋る。
「ツルカ、私たちの出番がどうであれゲストは一番最初に挨拶するもんだろ?」
「そういうもんなのか?」
ツルカが不思議そうに頭部を傾けているのを見つつ、結城は舞台袖に頭を引っ込める。
「いや、そのために今この舞台袖に呼ばれてるんだし……。」
ツルカも遅れて舞台袖に戻り、こちらに顔を向ける。
「でもさ、ボクとユウキのどっちが戦うんだ? 勝ち抜いてくるのは1人だけだろ?」
「だから2つのブロックに分かれてるんじゃないか。2人のブロック優勝者と私たちが戦うってことだ。」
「そーかなぁ……。」
ツルカは全く納得していないようだった。
結城が改めて説明しようとすると、急にステージの照明が落ち、続けて女性社員の声が会場内に響き始める。
「皆さん、本日はダッグゲームズ主催のイベントにお集まりいただきありがとうございます。」
ステージを見ると、小綺麗な衣装に身を包んだ女性社員の姿が見えた。
「今回、キルヒアイゼンのツルカ選手と、アール・ブランのユウキ選手に来て頂きました。」
女性社員の声に反応して、ファンたちの注目がステージ上に向けられるのが感じられた。
「いよいよ出番だな。」
「うん。」
結城は下を向いて今一度自分の服装を確認する。ボタンの掛け違いもないし汚れもない。
ついでにツルカの服装もチェックしてみる。ついさっきまで床にしゃがんでいたが、どこにも汚れはないし、シワもない。変な癖も付いていないし問題ない。
「……それでは登場していただきましょう……ユウキ選手にツルカ選手です!!」
やがてステージからお呼びがかかり、続いてテンポのいい曲まで流れ始める。
その大きな音に押されるようにして結城とツルカは舞台袖からステージ上へ飛び出た。
結城とツルカはそれぞれ愛想よく手を振り、当然それ相応の歓声が返ってくると期待していたのだが……ファンの人数に対して、歓声が小さい。
そして、ファンからはこんな声が聞こえてきていた。
「あれ? 2人だけなの?」
「はぁ……。やっぱイクセルが来るってのはデマだったのか。」
「イクセルは来てないのかしら……」
「まぁまぁ、すぐにイクセルも出てくるって。」
ファンの目線はこちらに向けられておらず、ステージの入り口付近に向けられていた。
やはり大半のファンの目的は私達ではなくイクセルのようだ。
「ユウキ、……ここまで期待されないとこんなに辛いんだな。」
「解ってくれたかツルカ……。でも安心しろ、イクセルが人気すぎるだけでツルカが嫌われてるわけじゃないんだからな。」
「そうだよな。」
結城とツルカは歩きながらそんな会話をして、お互いを慰めあっていた。
「お二人とも、ようこそいらっしゃいました!!」
そんな中、ステージ上では会場の異変を抑えこむべく女性社員が無理やり元気な声を出していた。
女性社員は意気揚々とした声でイベントを進行させていく。
「今回のイベントでは通常とは違って、会場の皆様に自由に参加して頂きます。」
女性社員の言葉に会場のファンが反応し、ざわめきが収まった。
結城たちがステージの定位置に到着すると、女性社員は説明を再開させる。
「ルールは簡単です。シミュレーションゲーム内でツルカ選手かユウキ選手を倒せば勝利です。倒すことができるまで、皆さんは何度でもチャレンジ可能です。……力をあわせて頑張ってください!!」
(トーナメントじゃないのか……?)
一体何試合させられるのだろうかと思っている間も、女性社員は説明を続ける。
「ちなみに、参加された方にはダッグゲームズ特性のオリジナルグッズを差し上げます。さらに、見事トドメをさしたプレーヤーには『アカネスミレ』か『ファスナ』のイベント限定VFデータ、そして大量のランクアップポイントをプレゼントいたします。奮ってご参加下さい。」
話を聞いた感じだと勝ち抜き戦のように思える。だとすれば、あんなに多くの筐体を準備する必要はあるのだろうか……。制限時間も気になるところだ。
その後、諸注意が終わるとすぐにファンが動き、あっという間に筐体に取り付いた。元々ゲームが目当てだったらしく、慣れた様子で筐体の中へ入っていく。
それを遠目で見つつ、結城はツルカに近寄る。
「トークとか握手とかさせられるのかと思ったけど……これなら分かりやすくていいな。」
「そうだな。別に負けろって指示されたわけでもないし、容赦なく叩きのめせるな。」
そう言いつつツルカは早速腕まくりをする。そのせいで、せっかく綺麗なレースの袖がぐちゃぐちゃになっていた。
しかし、そんな事を気にする様子もなく、ツルカの興味はステージ上に鎮座している筐体に向けられていた。
「……そうだユウキ、ボクと競争しないか?」
「競争?」
こちらが思わず訊き返すと、ツルカは不敵な笑みを浮かべて頷く。
「そうだ。……制限時間内に多く撃墜したほうが勝ちってことで。」
単純なルールを提示され、結城はツルカに言葉を返す。
「まだ使用するVFも確認してないのに、そんなルールでいいのか?」
「……なんだユウキ、ボクに勝てる自信がないのか?」
ツルカは腕を組み、ついでに顎をクイッと上げて、挑発するようにこちらを見る。
負けず嫌いの結城がそれを見過ごすわけにもいかなかった。
「……いいぞ。その勝負受けて立つ!!」
「そう言うと思った。」
ツルカはにひひと笑い、ステージ上にある筐体の中に入っていく。
こちらが負けたときに何かを要求してくるのかと思ったが、勝敗がついた後のことに関しては特に何も言わなかったし、あまり気にしていないらしい。
ツルカにとっては勝つという事自体がご褒美に等しい物なのだろう。
ツルカに遅れて結城も筐体の中へ身を押し込み、先程受け取ったカードをリーダーに差し込んだ。
(久しぶりだけど、練習なしでうまくできるかなぁ……。)
結城はカードが読み込まれている間にHMDを装着し、指を開いたり閉じたりして簡単なストレッチをする。
暫くそんな事をしていると、ゲームのメニュー画面がHMDに表示された。
その画面を見て結城は呟く。
「やっぱり、こっちはアカネスミレで固定みたいだな……。」
VFを選ぶことはできず、結城は強制的にアカネスミレでプレイするしかないようだった。
これは一応予想していたことだが、せめて兵装くらいは選択させて欲しかった。連戦となると、さすがに刃物2本だけでは心許ない。
渋々アカネスミレを選択すると、途端に筐体の外から女性社員のアナウンスが聞こえてきた。
「ステージにいる両選手は準備が整ったようです。それでは早速バトルエリアへ移りましょう。」
有無を言わさずメニュー画面が閉じられ、すぐに結城のアカネスミレはゲーム内の仮想空間へ転送された。
その仮想空間内のオブジェを見て結城は驚く。
(なんでビルが……!?)
結城の目に映ったのは海上都市内の市街風景であった。
しかもその場所は商業エリアらしく、仮想空間のアカネスミレは、現実世界の結城がいる場所であるゲームセンターの真横に立っていた。
すぐ近くには中央シャフトが見え、その上には居住エリアらしき物も見える。
かなりリアルに再現されているのだが、そこに人の姿はなかった。
(こんなエリアまで追加されてたのか……。)
結城はその再現度にかなり感心しており、またこれを見るためだけにゲームをやりたいなと微かに思っていた。
そう思いつつ待機していると、10秒程遅れてエリア内にVFが出現する。
そのVFはダグラスのハイエンドモデルで、手には大きなライフルが装備されていた。
それを見て、結城も自分の武器を確認する。
……こちらの武器は長いものと短いもの、合計二振りの超音波振動ブレードである。
私が知らぬ間にゲーム内で実装されていたようで、その形状は実際のものと少々違っている。しかし、現実と同じような性能が発揮できれば問題ないだろう。
ブレードをチェックし終えると結城は再び敵のVFに視線を向ける。
すると、おかしなことが起きていた。
「ん……?」
なぜか目の前に3体のVFが出現していたのだ。
何かの間違いかと思ったが、その数はどんどん増えていき、あっという間に10体まで膨れ上がった。しかもそれぞれが物騒な武器を引っ提げている。
数自体は10体以上増えることはなかったが、それぞれが撃鉄を起こしたり、マガジンの残弾をチェックしたり、斧を振ってみたりと、どこからどう見ても闘る気満々であった。
それを見て結城は慌ててHMDを脱ぎ、続いて筐体のカバーを持ち上げる。そしてステージ上で突っ立っている女性社員に抗議する。
「これって勝ち抜き戦……ですよね?」
「はい。そうですが。」
女性社員は普通の口調で言葉を返してきた。
もしかして何かのトラブルではないだろうかと思い、結城は改めてその状況を説明する。
「あの、エリアに10体くらいVFが出てきてるんだけど……。」
「はい、ユウキ選手には一度に10体のプレイヤーの相手をしてもらいます。」
「え……?」
その答えは予想外だった。
こちらが言葉を失っている間、女性社員は会場に向けてアナウンスする。
「皆さん、……制限時間内であれば何度でもチャレンジできますので、戦いたい方はすぐに列の後ろに並んで下さい。」
「そんな……。」
何を言っても無駄だと思い、諦めて結城は筐体の中へ身を戻した。
そして、“もしかして数が減っていないだろうか”と淡い希望を胸に抱きつつHMDを装着する。
……だがそんなはずもない。
(どうしたもんか……。)
1対多数という試合を結城は経験したことがない。そういう点では楽しみではあるが、やはり不安でもある。
この状況をツルカはどう思っているのだろうか……。
ツルカのことだし、多分楽しんでいることだろう。
「プレイヤーも出揃いましたので、早速カウントダウンを開始します!!」
そのアナウンスのあと、すぐにHMD内にカウントダウンの数字が表示される。
そのどんどん減っていく数字を見つつ、結城は改めてエリア内を観察する。
(でも、このフィールドは障害物も多いし……案外イケるかもな。)
360度くるりと周囲を見渡し終えると、同時に試合開始のブザーが鳴り響いた。
相手の10体は開始の合図があってもおずおずとしていた。やはり一番槍というものは勇気がいるらしい。だが、こちらとしては遠慮せずに飛び込んで来て欲しい。
何故なら自分から向こうに行くと袋叩きになる可能性があるからだ。
そういうのはイベント的にも御免被りたい。
特に操作せずに相手集団の出方を窺っていると、そのうちの一体が動き出した。
すると、それに釣られるように他のVFもこちらに迫ってきた。
それを見て結城もようやく鞘からブレードを抜く。
(まずは、あの飛び出してきたVFだな……。)
そして、結城は集団の先頭にいるVFに狙いを定めた。
……さすがに一番初めに突進してきただけあって装備は充実している。こちらに向けて高そうな突撃銃を構えていた。
やがてあちらの射程距離内に入り、銃撃が開始される。
(……おっと。)
結城は近くにあった背の高いビルを盾にして、その背後でゆっくりとしゃがむ。
相手の銃弾はビルの壁面に命中し、周囲にその破片を撒き散らした。破片はそれぞれが違う形をしており、中には建造物の細かい資材まで確認できる。……こんな所まで再現するなんて、ゲーム制作チームも苦労したに違いない。
(無駄にリアルだな……。)
グラフィックチームの努力を心の中で賞賛している間も、銃撃が止むことはない。
こちらが身を隠しているのを知ってなお撃ち続けているのは、アカネスミレをビルの裏で足止めさせるためだろうか……。
相手の意図は定かではないが、相手VFの突撃銃は結城に位置を知らせるだけの道具に成り下がっていることは確かだった。
(そろそろ頃合いだな。)
結城はある程度相手を接近させると、タイミングを見計らってジャンプしてビルの上に飛び乗る。突撃銃を持つVFは咄嗟に銃口を上に向けてきたが、こちらのスピードに追いついていないどころか、狙いもちゃんと定まっていない。
そのままアカネスミレはビルの上で両足を揃え、間髪入れずもう一度跳躍する。
その跳躍の方向は垂直ではなく、水平方向であった。
仮想空間の空気をかき分け、アカネスミレは空中を華麗に飛ぶ。
(まずは一体目……。)
アカネスミレはあっという間にVFの目の前にまで到達し、そこで結城はブレードを真横に掲げた。するとブレードは自動的に相手VFの首元に接触して頭部パーツを刎ねた。
危なげなく一体目のVFを倒した結城であったが、同時にある問題が発生した。
……なんと、超音波振動ブレードが根元から折れてしまっていたのだ。
結城はそのブレードを投げ捨て、ショートブレードを取り出して構える。
(どんだけ弱く設定されてるんだ。ホントはもっと強い武器なのに……。)
やはりこれはゲームであり、現実とは違うことを痛感する。
衝撃もG変化もないのでやりやすいと言えばやりやすいが、現実に中途半端に似ているというのはどこかやりにくい。
ゲームであると再認識する必要があるだろう。
「……。」
今手にしているショートブレードも役に立たないだろうと考え、結城は先ほど倒したVFから突撃銃を拾い上げる。
残り9体のVFはこちらの攻撃を見て臆したのか、武器を構えたままこちらの様子を伺っているようだった。
相手はたった1人なのだから、全員で一気にかかってくればいいものを、これだと普段の対戦と全く変わらない……。所詮は素人だし、思っていたよりも楽勝だったかもしれない。
そうは言ってもツルカと競争している以上、地味な試合を続けるわけにもいかない。
「ま、このくらいなら何とかなるか……。」
結城は意を決すると、突撃銃を前方に向けて連射し、集団に向けて飛び込む。
集団はこちらが撃った弾を避けて、応戦するように銃撃してきた。
(狙いはなかなか正確だ……。)
結城はスピードを緩めることなく突き進み、姿勢を低くする。銃弾はこちらの上方を通り過ぎ、近くにある建物に着弾した。
建物の崩れる音を聞きつつ、結城は銃を撃つVFに目を向ける。
銃を持っているVFは4体いたが、銃が得意だから装備しているというわけではなく、戦力に不安があるから仕方なく持っているという感じだった。
銃弾のダメージは低く設定されているし、これなら脅威ではない。
やがて結城が集団の中央にまで到達すると、唐突に銃撃が止んだ。同士討ちを避けるためだろう。……だがこちらは同士討ちを気にする必要はない。
結城は集団の中ほどにいたVFにするりと接近すると、突撃銃の銃口を頭部に突きつけた。
VFBの試合ならばこんな芸当はできない。銃口を向ける前に反撃を受けてしまうからだ。
相手の反射速度の遅さと、操作技術の未熟さに感謝しつつ、結城はトリガーを引いた。
(2体目……。)
零距離で放たれた無数の銃弾はVFの頭部を穿ち、すぐにVFの機能を停止させた。
そして残弾の少なくなった突撃銃を捨てると、結城は流れるような所作で2体目のVFの武器を取り上げる。……それはコストの高そうな斧であった。
グリップ部分やシャフト部分、そして刃部分にも重しが追加されており、命中した時の威力は凄そうだった。
こういう重量系の武器は相手のガードをほとんど無視してダメージを与えられるので、玄人よりも素人向きである。
その斧を抱えると、近くにいた3体のVFが間髪入れず一斉に飛びかかってきた。
試合開始後、敵集団はバラバラに行動していたが、今になってようやく数の有利さに気がついたのか、集団攻撃を行うことにしたようだ。
――だが、そのチームワークが上手く発揮されることはなかった。
結城は相手の攻撃のタイミングに合わせ、重い斧を振り回す。
こちらが斧を一振りするたびに相手のVFからパーツが飛び散り、一体ずつ豪快に破壊されていく……。
あちらは一生懸命に戦っているつもりだろうが、私から見れば隙だらけで、その上攻撃のタイミングまでズレている。
おかげで狙われている場所が丸分かりなので、面白いほど簡単にカウンターが入る。
あれよあれよという間に3体のVFはアカネスミレによって次々に返り討ちにされ、結城はそのまま順々にVFを破壊し、数秒足らずで3体を全滅させた。
(これで残るは銃が4体と……あれ?)
エリア内を見渡すと、VFの数が6体に増えていた。それを不思議に思う間もなくVFの数は10体にまで回復してしまう。
(あ、忘れてた……。何度でもチャレンジOKなのか。)
一番重要なことを失念していた自分が情けない。
しかし、さすがに同じプレイヤーが操作しているわけではなさそうだ。先ほどとは全く違う種類のVFの姿も見える。
……ただ、強さ的にはさほど変わらないだろう。
自分が負けることはないと確信した結城は、重苦しい斧を捨てて、そこら辺に落ちていたコンバットナイフを拾い上げる。
(一応イベントだし、順番待ちの人のことを考えて満遍なく倒していくか。)
結城は要らぬ気を利かせ、まずは銃を装備している4体を順番に倒すことにした。
それから45分が過ぎたころ。やっと制限時間に到達したのか、対戦終了を告げるサインがHMDに映し出された。
そして間もなくアカネスミレもバトルエリアからログアウトさせられた。
(意外にしんどい……というか面倒だな……。)
ひたすらVFを破壊するというのは新鮮な体験だったが、慣れてしまうと作業以外の何物でもない。
後半の20分ほどはその作業の面倒くささが倍増した。
なぜなら、会場のファンが敗北によるペナルティが無いことを知り、私の反撃を恐れることなく果敢に襲いかかってきたからだ。
その間に結城は数十種類の武器を拾ったり奪ったりして闘ったのだが、どれも卒無く使いこなせていることに関して自分でも驚いていた。やはりセブンとの訓練の成果なのだろう。……だが、絶対に七宮に感謝するつもりはなかった。
やっと休めると思いつつ筐体から出ると、ツルカがこちらに駆け寄ってきた。
「ユウキ、何体倒した?」
「何体って言われても……」
1対1の勝ち抜き戦であれば数えられていたかもしれないが、あのような乱戦では数を数える暇もなかった……というか、ツルカとの競争自体を忘れていた。
こうなれば、先にツルカの撃墜数を聞いてそれよりも少なめの数字を言えばいいだろう。
(ちゃんと数を数えてた時点でツルカの勝ちだしな……。)
結城は勝ちを譲るつもりでツルカに問い返す。
「そう言うツルカは何体倒したんだ?」
「え……ボクは後でいいから、ユウキが先に言えよ。」
なぜかツルカの言葉の歯切れが悪い。
その不審な態度を見て、結城はすぐにある可能性に思い至った。
「……もしかしてツルカ、数えてないだろ。」
「えへ、ゴメン。」
ツルカはぺろりと舌を出して申し訳なさげに苦笑いしていた。
どうやらツルカは私と同じようなことを考えていたようだ。……ただ、ツルカの場合、私の言った数よりも少し多めに言って、まんまと勝利するつもりだったに違いない。
競争を持ちかけておいてこのザマでは、適当にもほどがある。
……両者とも数も数えていないとなると、どちらが勝ったのかすら分からない。
(ま、いいか。)
結城がこの競争のことを忘れようとした時、女性社員の残念げな声が会場に響いた。
「両選手とも全くの無傷。流石はVFランナー、見事です。……しかし、会場のファンの方々にとっては残念な結果に終わってしまいました……。」
会場の雰囲気もどんよりしている。これではまるで私が悪者のようではないか。
(でも、わざと負けたら負けたで嫌味を言われるだろうし……。)
適度な手加減ができるほど器用ではないので仕方がない。そう思っていると、女性社員は先ほどの残念気な声とはうってかわり、今度は元気な声で喋りだす。
「……それでは2ラウンド目です。次こそは勝つぞー!!」
(2ラウンド!?)
ステージ上に視線を向けると、女性社員は拳を突き上げていた。
会場のファンたちも「おー!!」「イエー!!」などと言ってリアクションをとっている。まさか再チャレンジできるとは思っていなかったらしい。
もちろん、結城も2ラウンド目の宣言に驚いていた。
「え、まだあるの? ボクちょっと休みたいんだけど……」
ツルカも戸惑っていたが、その要求を無視してカウントダウンが開始される。
「待って、ホントにボクは……はぁ……。」
抗議の声をあげようとしたらしいが、ツルカは途中で諦めたようにため息を付いた。
そして、駆け足で自分の筐体へ戻っていく。
その間もカウントダウンが止まることはなかった。
(強引だなぁ……。)
これも仕事だと思い、結城も渋々筐体の中に戻る。
筐体のカバーを閉じる頃には、アカネスミレは先ほどと同じバトルエリアに転送されており、HMDを被ると同時に対戦はスタートした。
――2ラウンド開始から30分が経った。
結城は初っ端から超音波振動ブレードを捨てており、定期的に性能の良さげな武器を奪っていた。そして、その武器で数体のプレイヤーを薙ぎ倒すと投げ捨てるという、使い捨て行為を繰り返していた。
更に、結城はVFを倒す作業が面倒になってきたのか、銃がメインの弱いプレイヤーをわざと半数ほど残し、少しでも楽をすることに努めていた。銃撃はエリア内の建物を立てにすれば簡単に防げるので、接近してくるVFよりも楽に対応できるのだ。
……が、そんな事をしていると、結城が恐れていた類のプレイヤーが出現した。
(あれは……ロングレンジ系重武装VFか。)
要するに遠距離からでも高ダメージを与えることのできる、高価な武器を大量に装備しているVFのことである。運用コストが高い割にはあまり強くないので嫌煙されがちであるが、ポイントが十分にあるプレイヤーにとっては全く問題ないのだろう。
VFの両肩には銃身が長く口径が大きい物騒なライフルが、そして両腰部にも似たようなライフルが装着されていた。おまけに両手には箱のような形をした散弾銃も持っている。
散弾銃はともかく、あんな大きな口径のライフル相手では建物も盾の意味を成さない。
(あれは先に潰さないと面倒だな。)
結城は近くに落ちていたミドルソードを拾い上げ、予備動作なしでその重武装VFに向けて投擲する。
ミドルソードは縦回転しながらエリアを飛翔していく。
そして、そのまま重武装VFの頭部パーツに突き刺さる……はずだったが、それは途中で散弾によって撃ち落とされてしまった。
高い武器を積んでいるただのボンボンかと思ったが、どうやら操作もそれなりに上手いようだ。
相手の射撃に少し感心し、結城はそのVFのプレイヤー名を閲覧する。
……その名前には見覚えがあった。
「やっぱり来てたのか……。」
そこには『ニコライ』と書かれてあった。……間違いなくあのピアス野郎である。
(そういや普段ゲームで遊んでるって言ってような……。)
さっきの反応はそこそこ素早かったし、少しは期待できるかもしれない。さすがエンジニアリングコースの学生だ。
結城がそんな事を思っていると、いきなり重武装VFが大口径ライフルによる射撃を開始した。
結城は慌てて現在隠れているビルから、隣の建物に移動する。すると、先ほどまで隠れていたそのビルが一瞬で爆散した。……どうやら弾丸も特殊なものを使っているらしい。威力も弾速も通常のものとは比べものにならないほど高い。もちろんコストも倍以上高いはずだ。
その後、重武装VFは高コストの銃弾を惜しげもなく使い、障害物など関係なく重火器で攻めてきた。
だが脅威なのはその重火器だけであり、操作技術的には他の高ランクプレイヤーとあまり変わらない。射線にさえ入らなければ余裕で対処できる。
……その結果、出現してから20秒ほどで重武装VFはアカネスミレによって撃破された。
その間に放たれた銃弾の数は軽く2ケタを超えていただろう。なかなかいい線まで行ったが、結局ノーダメージで倒してしまった。
しかし、倒したからといって油断はできない。なぜならば、ラウンド中ならば何度でもチャレンジ可能だからだ。
(ニコライの奴、また来るんだろうな……。)
さっきの一瞬だけでニコライがどれだけのポイントを消費したか気になっていると、急に会場からファンの歓声が聞こえてきた。
何があったのだろうか。その歓声が止むことはなく、ゲームも一時中断されてしまう。
すぐに結城が筐体から外の様子を覗くと、ステージ上の巨大モニターに頭部パーツを失ったファスナの姿が映っていた。
それはツルカが負けたことを意味していた。
(まさか……ツルカが負けるなんて……!?)
結城は何かトラブルでも起きたのかと思い、筐体から出てツルカのもとに駆け寄る。
しかしツルカは筐体の中にいなかった。
「ツルカ!?」
負けたショックでどこかに行ってしまったのだろうか……。
結城がツルカの姿を追い求め、慌てて周囲を見渡すと舞台袖にその姿を確認できた。
ツルカはハンカチで手を拭きながらこちらに向けて歩いてきており、負けたにも関わらずすっきりした表情をしていた。
そんなツルカに結城は慌てて話しかける。
「ツルカ、どこに行ってたんだ!?」
その問いに対し、ツルカは気まずそうに答える。
「えーと、トイレ我慢できなくて……。途中からAIに任せてたんだけど、やっぱり無理だったか……。」
「……。」
何とも情けない負け方である。
いくら優秀なAIと言えど、10体同時に襲われたら対応できるはずがない。……かと言って、筐体内で漏らしてまで勝つ必要もないだろう。
自分も同じような状況になればツルカと同じ選択をするだろうと思い、結城は無駄に問い詰めるのを止めることにした。
「そうか、なら仕方ないよな……。」
ステージ上にはファスナにトドメをさしたプレイヤーがいて、女性社員から金ピカのカードを受け取っていた。
プレイヤーも賞品を貰えて嬉しいし、ツルカもすっきりしているし、イベントの主催側もファンのテンションを維持できて文句はないはずだ。
――プレゼントの進呈が終わると結城側の対戦が再開されたが、結城はツルカの様なヘマをすることはなかった。
2ラウンド目が終わり、結城はもうヘトヘトになっていた。さすがに1時間近く同じ体勢のまま集中し続けていると疲れる。
つい2年前まで毎日のように徹夜でセブンと対戦し続けていたのが信じられない。
あの頃ならばこれしきで疲れはしなかっただろう。しかし、あの頃の私が10人相手に余裕で戦えるかどうかは自信がなかった。
筐体から出ず、頭をヘッドレストに預けて目を閉じて休憩していると、不意に筐体のカバーがノックされる。
「ユウキお疲れー。」
そしてツルカの声が外から聞こえてきた。それに反応して筐体の外に顔を出すと、美味しそうにジュースを飲んでいるツルカの姿が目に飛び込んできた。
結城は筐体から出てツルカに向けて手を差し出す。するとツルカは飲みかけのジュースを無言でこちらに手渡してくれた。
ジュースを受け取ると結城は舞台袖まで移動し、そこに用意してあったパイプ椅子に腰をおろす。
そこで深く吐息をつくと、結城は空気を吸い込む代わりにジュースを勢い良く飲み始める。
結城が一気にジュースを飲んでいる間、ステージ上では女性社員が何やら喋っていた。
「皆さんの協力により、ツルカ選手は倒すことはできました。……が、ユウキ選手はまだ倒されていないどころかダメージすら受けていません。……次のラウンドでは頑張ってユウキ選手に勝ちましょう!!」
女性社員は声を張り上げて会場を盛り上げている。
プレイヤー達もまだまだ諦めていないらしく、むしろ最初よりもやる気に満ちていた。そして、イベント会場に妙な結束感が生まれているような気もしていた。
会場の盛り上がり具合を見つつジュースを飲み干すと、結城は制服の上着を脱いでステージ上に無造作に置き、ワイシャツの袖を捲り上げる。
「お、ユウキもやる気だな。」
ただ単に暑かったから脱いだのだが、別にツルカの言葉を訂正するつもりはなかった。
「それじゃ、頑張ってくる。」
結城はツルカと特に言葉をかわすことなく、筐体の中に戻っていく。
……時間的なことを考えると、次のラウンドで最後だろう。むしろ最後であって欲しい。
ツルカは筐体には戻らず、私が先ほどまで座っていたパイプ椅子に座っていた。
「がんばれユウキ。ボクはゆっくりと涼みながら応援してるからな。」
ツルカもうゲームに参加できないらしい。こちらもそろそろ疲労困憊だが、試合に比べればどうということはない。
結城は自分に鞭打って最終ラウンドに臨むことにした。
――最終ラウンドが始まってから数分、結城は先程までとは全く違うVFの強さに戸惑っていた。
(……なんだ? 何か設定でもいじったのか?)
今まで楽に頭部パーツを破壊できていたのだが、動きが素早くなったせいでそれがやり難くなっているのだ。
何かおかしいと思い相手の情報を閲覧してみると、すぐにその理由が判明した。
「なんだこれ……。」
どこから湧いてきたのか、Aランク以上のプレイヤーがエリア内に多数出現していた。むしろAランク以上しかいない。それどころか、中には公式大会で10回入賞しなくてはならないSランクプレイヤーも混じっている。
……イベント参加者も空気を読んで、優先的に強いプレイヤーに席を譲っているようだ。
どうやら本気で私を倒したいのだろう。
まだ個人個人では圧倒的に私が強いはずだ。……しかし、大きな力量の差があってもここまで数が多いとどうしようもない。遮蔽物があるのである程度は持ちこたえられるだろうが、いずれは負けてしまうだろう。
対戦が始まってまだ5分と経っていないが、こんなに疲れた状態で残り40分耐えられる自信がない。
(そろそろキツイな……。ここらへんで適当に負けて……)
そんな事を考えた矢先だった。不意に、今まで一度も見かけなかったエルマーが出現した。
「……。」
ニコライのこともあったのでもしやと思い調べてみると、プレイヤー名の欄に『ほもよろん』と書かれてあった。このプレイヤー名には見覚えがある。しかもランクはダブルS……間違いなく槻矢くんだ。
会場もいきなりランカーが出現した事に驚いているのか、どよめき声が聞こえてきた。
(槻矢くんも来てたのか……。こうなると、もう無理だな……。)
結城が諦めかけていると、エルマーに動きがあった。
エルマーは2,3歩進んだかと思うと、急に加速して上空へ飛翔した。そしてある程度まで上昇すると、今度は上空から真っ逆さまになって突進してきた。
咄嗟に結城は近くにいたVFの影に隠れ、それを盾にしながら突進を回避する。
槻矢くんはそのVFを貫通できる自信があったようだ。迷うことなく身代わりのVFにエルマーを突っ込ませる。……その結果、身代わりにされたVFは胴体部分を貫通されて大破した。
その容赦の無さを恐れてか、周囲にいたVFの動きが一瞬止まる。
(初っ端から本気か……。)
槻矢くんはお遊びではなく、私に真剣勝負を望んでいる。……こうなると、VFランナーとしてちゃんと応えないと駄目だろう。適当な勝負をしては槻矢くんに失礼だ。
「なんと!! ここでユウキ選手の前にランカーが出現しました!! やはりVFBの聖地だけあります。身元がバレるのを恐れずに参加とは、ユウキ選手にかなりの思い入れがあるようです。」
女性社員の声を聞いている間も結城はAランクのプレイヤーを撃破していく。
以前槻矢くんと闘った時でさえギリギリだったのだから、こんな乱戦では勝てる気がしない。
こちらの生存率を上げるためには少しでも敵の数を減らしておいたほうがいいだろう。
そうしている間に女性社員は槻矢くんのことを調べたのか、簡単な紹介をし始める。
「『ほもよろん』……ゲーマーの間ではエルマー使いの変態と認識されているようですが……正体が気になるところです。」
紹介された槻矢くんはと言うと、最初の上空からの突進以来こちらから離れた場所で待機していた。それは、こちらの様子を窺っていると言うよりも、こちらを待っているという感じであった。
結城は周囲にいるプレイヤーを排除しつつ、エルマーの装備を一応確認する。
……エルマーの両手にはジャマダハル――刃の真下にハンドルのある、比較的幅が広い刃をもつ武器、カタールとも言う――を装備していた。攻撃の系統から考えると、ダガーナイフに近いのかもしれない。
エルマー本体には高出力のスラスターが体中に配置されているので、機動性を重視するとスラスターの邪魔になるような大きな武器を持つことはできない。
そのため、武器は自然とシンプルでコンパクトな物に限定され、しかも手で簡単に保持できるような物になるというわけだ。
結城が周囲のVFを一掃している間、エルマーは距離を取ったまま全く動かなかった。
あちらとしても、集団で倒すよりは1対1で正々堂々戦いたいのだろう。
その証拠に、1対1のタイマン状態に持ち込むとようやくエルマーが動き始めた。
(私なら容赦なく攻撃するけど……まあ槻矢くんの騎士道精神に感謝だな。)
……そして、こちらが構え直すのを合図にエルマーが飛び掛ってきた。
結城は武器を拾う間もなくすぐに建物の影に隠れ、高速の突進を回避する。
「現役ランナーとランカゲーマーの対戦……。こんな映像、めったに見られないんじゃないの!?」
女性社員自身も興奮しているのか、普通の喋り口調になっていた。
エルマーは突進で距離を詰めてくると、体を回転させながら連続攻撃を放ってきた。それに対応して結城は後退しながら回避行動を取り、2体のVFは格闘に移行した。
(あれ、前ほど速くない……)
以前は攻撃を受け流すのが精一杯だったのに、今はまるで先を読んでいるのではないかと思うくらい簡単に回避できる。ゲーム内なので、動きやすいというのもあるかもしれないが、それだけでは説明できないほどエルマーの動きが手に取るようにわかる。
槻矢くんの操作技術が先ほどまでのプレイヤーを遙かに凌駕しているのは明らかだ。なのに、十分に回避できるだけの余裕がある。
槻矢くんが手加減しているのだろうか。
――いや、私が強くなったのだ。
近距離から放たれる刃を器用に回避しつつ、結城は会場から聞こえる声にも耳を傾ける。
「す、すげぇ……。」
「スカイアクセラのローランドより速いんじゃねーか? このランカー……。」
「ゲームだからローランドよりもエルマーを上手く操作できるのは当たり前だろ。……多分。」
すでに新しいプレイヤーは出現しない。その場にいる全員が私と槻矢くんの試合を観戦しているようだ。
実際間近で見てもエルマーの動きは素晴らしいし、みんなが見惚れるのも無理はない。
しかし、バトルエリアが市街地なせいか、エルマーは少々動きにくそうにしていた。
(……もらった!!)
結城はその隙を突いてエルマーの突きを払い上げ、懐に飛び込む。
そのままボディを狙ってブローを放った。
しかし、それが届く前にエルマーは前面部のスラスターを噴射させ、あっさりとこちらの攻撃範囲から離脱した。
あれだけの機動性があるというのに、ジャマダハルしか使わないのは勿体無い。威力の低いハンドガンなどでもいいので、銃撃を攻撃に組み込めば戦術の幅が広がる気もする。特に、緩急付けた戦法を取られると、こちらとしてはかなりやりにくくなるはずだ。
正々堂々というプレイスタイルにこだわっているからなのか、それとも射撃は苦手なのか。
演習では射撃は普通にできていたし、多分前者だろう。
(全く、よくやるよ……。)
結城は距離を取ったエルマーに接近し、素手のままで戦いを挑む。
エルマーの最初の猛攻には驚いたが、避けている間に大体のパターンは把握できたし、武器がなくても問題ない。おまけに、このゲームではダメージ蓄積システムがあるので、同じ場所を狙い続ければ、そこを足がかりにして簡単に倒すことができる。
接触すると同時にエルマーはジャマダハルでこちらの頭部を狙ってきた。結城はそれに合わせて外側へ回りこむように回避し、エルマーの肘関節部分を殴る。
エルマーはそれに怯むことなく続けざまに突き攻撃を放ってきた。……が、結城はそれも簡単によけて、同じようにして肘関節を殴る。すると、たったの2撃でダメージ限界値を超えたのか、エルマーの肘が逆向きに曲がって折れた。
エルマーは慌てて腕ごとパージし、またしてもこちらから離脱する。
この回避スピードに関してだけはどうやっても対応することはできないだろう。
(槻矢くんのことだから、片腕をなくしたくらいでバランスが崩れることは無いだろうな。)
例えそうだとしても、こちらがかなり有利になったのは間違いない。
腕を無くしたエルマーは距離を取ったまま動かなくなってしまった。攻めるよりもカウンターに徹したほうが勝率が上がると判断したのだろう。
余裕ができた結城は少し興味があったので、地面に転がっているエルマーのアームからジャマダハルを取り外すし、それを右アームに装備してみた。
ナイフよりもリーチは長いが、慣れないと使い勝手は悪そうだ。
(こんなの実際に使ってるランナー、いるんだろうか……。)
そんな感じでまったりしていると、会場にいるプレイヤー達が我に返ったのか、思い出したようにバトルエリアにVFが出現し始める。
どのVFもついさっき破壊したAランク以上のプレイヤーであった。
――そのVF達に気を取られたのがいけなかった。
目を離した隙に、フィールドからエルマーの姿が消えていたのだ。
「……!!」
結城は直感で上に目を向ける。
すると、急降下してくるエルマーの姿があった。エルマーは残された腕をこちらに向けて突き出しており、その先にはジャマダハルが握られていた。
そのスピードは弾丸に等しく、今からでは回避も間に合わない。
(……なら、こうするだけだ!!)
結城はどんぴしゃでジャマダハルを上に突き上げる。すると、エルマーのジャマダハルとすれ違うようにしてこちらの攻撃がエルマーの頭部パーツに命中した。
エルマーのジャマダハルもこちらの装甲に触れていたが、その時点で相手は既に機能を停止しており、結果、その攻撃はこちらの装甲を貫通することはなかった。
……が、機能を停止させてもエルマー自体の勢いが失われるわけではない。
頭部パーツに攻撃が命中したはいいものの、そのままアカネスミレの右アームはエルマーのボディ内にめり込んでしまったのだ。めり込んだ後も勢いは止まることはなく、とうとう衝撃に耐え切れなくなって右アームはひしゃげてしまった。
勢いが収まるとエルマーは不自然な格好で力なく地面に落下する。その時にアカネスミレの右アームも捻れて、もぎ取られてしまった。
イベントが開始されてから約2時間、ここでようやくアカネスミレはダメージを受けたことになる。
(やられたな……。腕一本でどうするか……。)
不意をついた捨て身の突進……右アームを失っただけで済んで良かったと前向きに捉えよう。
片腕だけだと辛いだろうが、槻矢くんに比べれば残りのプレイヤーも雑魚同然だ。
……エルマーを倒した後もプレイヤーの猛攻は途絶えることなく、結城はそれに苦しいながらも何とか対応していた。向こうは何度もコンティニュー可なので、エルマーのように捨て身の攻撃をすることに抵抗はないらしい。
――制限時間になるまで、そんな恐れ知らずの攻撃が続いたが、その中にエルマーの姿はなく、以降も槻矢くんが再挑戦してくることはなかった。
4
イベント終了後、結城とツルカは休む間もなくスタッフ専用の出入り口から外に出され、帰路についていた。
45分の3ラウンド……合計2時間15分も絶え間なくVFを倒し続けたせいで、結城の疲労度は半端ではないほど高まっていた。
本来ならばイベント後にラボにでも寄ろうかと考えていたが、このハードなイベントのせいでもうそんな気すら起きない。
結城は余計なことはしないで部屋に帰って休もうと考えていた。
「ふぅ……久々だったから目が疲れた……。」
中央シャフトでエレベーターを待っている間、結城はメガネを外して疲れた目を指で揉んでいた。
すると、不意にツルカが話しかけてきた。
「小さいイベントだったけど、なかなか面白かったな。」
私とは違ってツルカは元気が有り余っているようだ。喋り方からもそれがわかる。
若いのはいいことだと思いながら結城はツルカの言葉に同意する。
「うん、ああいうのは結構おもしろいな。みんなでワイワイやれて良かったし。……あれだけ盛り上がったのも槻矢くんのお陰だ。」
会場のファンが盛り上がったのはもちろんのこと、槻矢くんが参戦してくれたおかげで私も楽しめたように思う。
そんな風に槻矢くんとの対戦の事を思い出していると、ツルカが何かを思いついたように提案してきた。
「まだ時間あるし……どっか行かないか?」
(ツルカが誘うなんて珍しいな…・。)
最近会う機会もないし、ツルカもかなり乗り気なようなので、その期待を裏切るわけにはいかない。体がしんどいが、もう少し頑張ってもらうことにしよう。
「うん。」
そう短く答えて快諾の意を伝えると、早速ツルカがこちらの手を掴んできた。
「じゃあボクに任せて、近くでいい場所知ってるんだ。」
ツルカは初めから行き先を決めていたようだ。だが、寄り道が決定してツルカに案内され始めた途端、背後から何者かに声を掛けられた。
「ようユウキ。結局負けないままイベント終わっちまったな。」
振り向いた途端、結城の目に映ったのは無数のアクセサリーであり、声の主がニコライであることが容易に分かった。
エレベーター乗降口の周囲にほとんど人がいないのを良い事に、ニコライは声を抑えることもなく普段通りの口調で話を続ける。
「観客も2時間近く付き合ってたんだし、ああいう時は空気読んで負けてくれよ。」
結城はメガネを掛けて、強く言い返す。
「そう言って、負けたら負けたで「手を抜くなー」って難癖つけるんだろ? ……というか、イベントに来るなら来るって連絡しろよな。」
こちらのセリフにニコライはわざとらしく身を引き、オーバーリアクションで応える。
「盛り上げてやっといてその言い草はないだろ。ツキヤなんかあの後大変だったんだぞ?」
「大変……?」
ニコライの言葉が気になったのか、ツルカが会話に混ざってきた。
「イベントが終わってすぐにゲームマニアに囲まれて……な、ツキヤ。」
「はい、みんなが帰るまで筐体の中に隠れていようと思ったんですけど……無駄でした。」
急に疲労の色の濃い少年の声がしたかと思うと、ニコライの背後から槻矢くんが現れた。
槻矢くんは私と目を合わすことなく、俯き加減だった。
結城はそんな槻矢にねぎらいの言葉を送ることにした。
「さっきはお疲れ様。やっぱり槻矢くんも強くなってるね。」
「あの、いきなり乱入じみたことをしてすみませんでした。」
こちらの労いも聞かずに、槻矢くんはいきなり頭を下げて謝罪してきた。
そんな槻矢くんに対してツルカが慰めるように話しかける。
「いいんだよツキヤ、さっきユウキも“ツキヤと戦えて楽しかった”って言ってたし。……そう言えば、なんでボクの所には乱入して来なかったんだ?」
慰めから一転、ツルカは槻矢くんに詰め寄って質問する。
槻矢くんはツルカから一定の距離を保ちつつ、申し訳なさげに答えた。
「あ、あの、一応ツルカさんとも戦ったんですけど……覚えてないですか?」
「え……いたの?」
「はい、……出現したところで瞬殺されてしまったんですけど……。」
その答えを聞いた途端、ツルカの表情は一気に気まずいものへと変化していく。
「ごめん。途中からまともに戦うのが面倒になって、出現位置で待ち構えてたんだ。はは……。」
ツルカはそれ以上は何も言わず、エレベーター側に体を向けてしまった。
それから間もなくしてエレベーターが到着し、乗降口のゲートが解除される。
すると、ニコライと槻矢くんはすぐにエレベーターに乗り込んだ。
「今日はありがとうございました。」
すれ違いざまに槻矢くんに言われ、結城も短い言葉を返す。
「うん、これからも一緒に演習頑張ろうね。」
ニコライはと言うと、エレベーターが来ても動こうとしない私達を不思議に思っているようだった。
「あれ、乗らないのか?」
これにはツルカが答える。
「乗らない。今からユウキとデートだからな。」
ツルカは強引に私の手を握って抱きついてきた。
槻矢くんは恥ずかしげに顔を背けており、ニコライはその一連の動きを完璧に無視していた。
「……デートと言えば、リョーイチもひどいよな。ユウキがイベントに出るってのに来ないなんて……。」
諒一の話題が出た途端、結城は声色を変化させて刺々しく言い放つ。
「諒一のことはいいから、早く帰れよ。」
そして、結城はエレベーターの横にあるボタンを押してドアを無理やり閉めた。
間もなくエレベーターは上昇を開始し、あっという間にニコライと槻矢くんの顔は見えなくなってしまった。
ニコライの小うるさい声が聞こえなくなると、結城はまだ抱きついているツルカに質問する。
「それで、どこにデートしに行くんだ?」
「それは……」
ツルカはこちらの問には答えず、抱きつくのを止めてどこかに向けて移動し始める。
「まだ秘密だ。……まずはあのエレベーターに乗るぞ。」
ツルカの指差した先、そこには農業エリアを経由するエレベーターがあった。
結局、どこに行くのか分からないまま結城はツルカの後を追うことにした。
5
「こんな所に来て……何かあるのか?」
「えへへ、まだ秘密。」
農業エリアに到着しても、ツルカが行き先を明かすことはなかった。
一体どこに行くのだろうか予想もつかない。
ただ、ツルカの様子から察するにとてもいい場所なのだろう。
エレベーターから降りてまず見えたのは規則正しく並ぶ農作物の列であった。結城の位置からはそのフロア全体が見渡すことができ、その眺めは壮観だった。
床から天井まで軽く20から30メートルはあるだろうか、かなり高い位置にある天井からは光が降り注いでいた。
これがあと何層もあり、それぞれを管理しなくてはならないかと思うと気が遠くなる。
エリア内には草と言うか土の匂いが充満しており、何故だかとてもノスタルジックな気分にさせられる。しかし、そんなものとは裏腹にエリア内には農作業用の独立型ロボットが多数見られた。
一見すると箱にしか見えないロボットは床に設置されたレールの上を規則的に移動している。草刈りをしているのか収穫をしているのかは定かではないが、一応は何かをしているらしく、甲高い駆動音が遠く離れたこちらにまで届いていた。
その景色を眺めている内にもツルカは農作物をかき分けてどんどん進んでおり、結城もその後を追うことにした。
勝手にこんな場所に来て、しかも中に入ってもいいものかと思ったが、ツルカは迷うことなく歩いているし……たぶん大丈夫なのだろう。
結城はすぐにツルカに追いつき、2人はそのまま円状のエリアの反対側へ移動していく。
暫く何も話さず歩いて行くと、やがて農業エリアの端っこに到達した。
端には比較的大きな扉があった。私の記憶が正しければその先には作物運搬用の工業用のエレベーターがあるはずだ。開いていないのでどんな感じなのかはわからない。しかし、人が乗れるような物でないことは確かであった。
「こっちだユウキ。」
ツルカの声に誘われ横を向くとそこには小さなプレハブ小屋があった。それは他の大型機械や機材などに隠れており、目立たない位置にあった。
そのドアのプレートには『用具倉庫』とだけ書かれていたが、長い間使われていないのか、その文字はかなり掠れて薄くなっていた。
ツルカは躊躇することなくその小屋の中に入り、結城も少し遅れて後に続く。すると、小屋の中に更に扉があった。それは小さいながらも頑丈そうな金属製の扉であり、そこには『非常口』と刻印されていた。
ツルカは慣れた手つきでその金属製の扉を開ける。すると急に風を切る音が聞こえてきた。どうやらこの先は外壁から近い位置にあるようだ。
非常口を開けるとすぐ奥に梯子があり、それは上へと続いていた。
「こっちこっち。」
そう言いながらツルカは先に登っていく。
……いったいどこに行くつもりなのか、少し不安になってきた。
だが今更帰ることもできず、結城は言われるがまま梯子を登ることにした。
――かなり登るのかなと予想したのだが意外にも梯子は短かかった。結城はものの十数秒で梯子を登り終え、既に上で待機しているツルカの元に到着した。
そして、ここがどこかを知るために周囲に目を向ける。が、暗くてよく見えない。
ただ、すぐ上のフロアであることは間違いなかった。
「よし、着いたぞユウキ。」
ツルカはそう言って上階の非常口を外側から開け、内部に入っていく。結城もそれに続いて暗い空間から抜け出した。
……すると、信じられないような光景が目に飛び込んできた。
「わぁ……。」
それは視界をすべて覆い尽くすほどに咲いた、色とりどりの花であった。
しかもそれは人工的に植えられたものでなく、自然に咲いているものらしい。人の手によって管理されていないため乱雑ではあるが、その中に何か秩序のようなものが感じられる。
またそれは海上都市のような土のない場所では滅多に見ることができない光景なので、幻想的でもあった。
「へぇ、こんな所があったんだ……。」
しばらくその光景に圧倒されていると、すぐ近くからツルカの説明が耳に届いてきた。
「……ここは農業実験プラントだ。今は誰も使ってないけど。」
同時にツルカはフロアの円周部を時計回りに移動し始める。結城も花畑に視線を向けたままその後に続いた。
一呼吸おいて、ツルカは農業実験プラントについて話し出す。
「昔は何もかもが手探り状態だったらしくて、この海上都市でどの作物がどんなふうに育って、どのくらい収穫できるかここを使って調べてた。だからこんな非効率的な場所が必要だったって、おじいちゃんが言ってた。……ってお姉ちゃんが言ってた。」
ツルカの説明を受け、結城はよく注意して周囲を観察する。すると、遠くに建物のような物体が見えた。あれが実験棟なのだろうか。かなり古びれており周囲は植物の緑で覆われていた。
色々と見渡している間もツルカは得意げに話を続ける。
「ここは今は誰も管理してなくて全然人が来ないから、お姉ちゃんの秘密の場所だったんだ。これを知ってるのはお姉ちゃんと、お姉ちゃんの親友と……後はボクとユウキだけだ。」
「秘密の場所か……なんかいいな。」
有り体に言うと秘密基地のような感じだろう。
オルネラさんの友達が知っているということは、イクセルも知っていたりするのだろうか。
それが気になった結城は一応ツルカに聞いてみる。
「なあツルカ、……イクセルもここの事を知ってるのか?」
ツルカは暫く悩んでいたが、結局明確な答えが返ってくることはなかった。
「わからない。でも、友達と結構ここで遊んでたみたいだから、あいつも知ってると思うぞ。」
「オルネラさん、遊んでたのか……。なんかあの人が遊ぶところって全然想像できないな。」
自分にあまりそのような経験が無いこともあってか、オルネラさんが友達と遊ぶというビジョンが全く見えてこない。
「場所だけは教えてくれたけど、何をしてたかはボクに話してくれないんだ……。」
ツルカもそこまでは知らないらしい。
大方、女友達同士で花を眺めながらお喋りでもしてたのだろう。それくらいしか思いつかない。
そんな事を話しながら結城はフロア内を一周し、2人は花畑の場所に戻ってきた。
フロア内の大体の配置を把握した結城は、改めて分布を頭の中で整理する。
……最初はフロア内を覆い尽くしているのではないかと錯覚したこの花畑は、実はフロアの一部しか占めていない。大半はよく分からない植物で埋め尽くされていて、古びた建物はその中に建っている。あとは小規模な広場があるだけであった。
その広場は自然公園のようになっていて、何故か背の低い芝生のような植物しか生えていなかった。
「よしユウキ、さっきの公園に戻るぞ。」
ツルカはその広場に行きたいらしく、きた道をすぐに戻っていく。
「何かあるのか?」
結城は説明を求めたが、ツルカは携帯端末を見つめたまま「いいからいいから」と言うだけで、まともに返事するつもりはないようだった。
すぐに広場まで戻ると、ツルカはエリアの中心に向かって芝生の上を歩き始める。その広場は傾斜があり、小さな丘のようになっていた。
結城は一体何をするつもりなのだろうかと疑問に思いつつも、ツルカの後を追う。
しばらく進むと、丘の上に半球状の巨大な何かが見えてきた。プリズムのようなものでできてるそれはかなり古びていて、所々が割れて中が見えている。
それがどんな装置なのか想像もできないが、今はもう役割を果たせていないのは明らかだった。
ある程度それに近づくと、前を歩いていた急にツルカが後ろに振り返った。しかし、それはこちらを見るためではなく、何か別のものを見るためだったようだ。
結城はそんなツルカの動きに釣られて背後に目をやる。
すると、壁から眩しい光が襲ってきた。
(なんだ……?)
結城は咄嗟に手を目の前の空間に掲げて光を遮る。そして、眩しさが低減されたところでその光の正体を探る。……が、特に悩むことなく光の原因はすぐに分かった。
それは夕日であった。
外周部を歩いたときには気が付かなかったが、壁の中間部は透明な素材でできており、それはフロアの円周部をぐるりと埋め尽くすようにして設置されていた。
もう少しだけ丘の上に移動すると光は普通の壁によって遮られて届かなくなり、その代わりに海が見えた。
今はちょうど陽が沈む時間帯で、海が綺麗な朱色に染まっている。海に浮かぶフロートユニットも夕日のお陰で海面に長い影を作っており、何かのオブジェのように見え、その景色と完璧に調和していた。
学生寮の窓からもこのような景色は見えるのだが、その範囲は極めて狭い。なので、このようなパノラマを楽しむことはできない。
つまり、結城にとっては経験したことのない景色だった。
「……どうだ?」
ツルカはこのスポットに私を案内したかったのだろう。私に感想を求めてきた。
「綺麗だな……。」
そう短く答えると、結城は陽が落ちるまでその景色を無言で眺めていた。
――太陽が水平線の下に潜ると辺りは暗くなり、今まで暗い影だったフロートユニットに明かりが灯っていく。それはまるで川面に浮かぶ灯籠のようであった。
結城は夜になるとすぐにその景色から目を離し、芝生の上に寝転がる。上を見ると天井には光を取り入れるためのミラーがたくさんあり、そこからも同じ光が見えていた。
暗い天井に浮かぶその明かりをぼんやり眺めつつ、結城は呟く。
「……芝生の上に寝転ぶなんて何年ぶりだろ。」
寝転んだ拍子に帽子は脱げており、後頭部に芝生が触れていた。その感触は意外にも柔らかく、あまりチクチクしなかった。
手足を大の字にして仰向けになっていると、急にツルカが寄り添うようにして寝転んできた。
ツルカは私と交差する形で寝て、こちらの胸の上に遠慮無く頭を載せ、さらにこちらの腕にあるブレスレットをいじり出す。
「ツルカ……?」
無意識に触っているのか、その触り方はごく自然だ。ツルカが付けていた時はこんなふうに触っていたのだろう。
そんな事を思っていると、胸の上に載っているツルカの頭部が動いた。
「……いいな。やっぱりVFランナーってすごくいい。」
ツルカはこちらの胸の上で首を90度回転させ、私の顔を覗き込んでくる。
その表情はどこか満足気だった。
しかし、その表情もすぐに消えてしまう。
「そう言えば、ここ数週間ずっとこっちにリョーイチがいるけど。そっちのラボはどんな感じなんだ? ……というか、ボクも全然アール・ブランのラボに行ってないな。」
結城は今の今まで諒一のことをすっかり忘れていた。多分今日もキルヒアイゼンでオルネラさんに指導を受けていたのだろう。
「こっちはランベルトとベルナルドさんが上手くやってる。……むしろ、諒一の様子を教えてくれよ。」
訊き返すと、ツルカは困った表情を浮かべた。
「様子って言っても……普通にお姉ちゃんの近くで働いてるだけだ。お姉ちゃんも楽しそうにリョーイチを教えてるし……。なんか、お姉ちゃんを取られた気分だ。」
お姉ちゃんという言葉を連呼しながら、ツルカの顔は困惑から苛立ちへと変化していく。
「なあユウキ、さっさとリョーイチをアール・ブランに連れ帰ってくれ。もう十分だろ?」
「できたら既にやってるよ……。」
諒一のVFへの飽くなき興味には毎度呆れさせられる。
その興味を少しでも私に向けて欲しいものだ。
(いやいや、何考えてるんだ私……。)
結城は不本意ながらニヤリと笑って微妙な表情を浮かべてしまい、それを誤魔化すためにツルカに別の話題を振る。
「そ、そう言えばさ、……ツルカって気になる男の子とかいないの?」
「全然いないぞ。」
ツルカは全く興味がない風にしていたが、結城はその即答に負けず、無理やりその話を続ける。
「例えば……ほら、槻矢くんとか。今日もなかなか良かったし。」
「駄目だな。ツキヤはまだまだ子供だ。」
年齢的にはツルカとあまり変わらないだろう、と突っ込みたくなるのを抑え、結城は尚も粘る。
「そうか? 案外分からないぞ、5年も経てば……」
適当なことを言っていると、こちらの言葉を遮ってツルカが信じられないようなことを口にした。
「それだったら、ボクはリョーイチがいいな。」
「え?」
ツルカは更に続ける。
「リョーイチは優しいし、家事もできるし、甲斐性もありそうだし……。恋人にするなら断然リョーイチがいい。」
「でも、諒一は……私の……。」
急にそんな事を言われ対応できずにいると、すぐに胸元からツルカの笑い声が聞こえてきた。
「ハハ……冗談だって。それにしてもそんなに狼狽えるなんて……バレバレだぞ?」
「く……。」
ツルカに一杯くわされ、結城は呆れと安堵の混じったため息を吐く。
ここでようやくツルカが私から顔を背け、天井を見つめて喋る。
「ボクのことはいいから、ユウキもいい加減リョーイチに落ち着けよな。だいたい、ユウキがリョーイチを捕まえておかないから悪いんだ。……お姉ちゃんもお姉ちゃんで、懇切丁寧に教えてるし……。」
「そうか?」
ツルカにとっては結構な問題なようだが、結城にはそれが解らなかった。
そのことをツルカは強調して言ってくる。
「全然解ってないなぁユウキは。……リョーイチだって告白を待ちくたびれてると思うぞ。」
ツルカにそこまで言われてしまい、そこで話を終わらせる結城ではなかった。
結城はツルカの言葉に張り合うようにして宣言する。
「じゃあ、明日諒一に告白してみる。」
「……。」
「でも明日はアレだし、次の休みの日にしようかな。」
「……。」
「そうなるとシチュエーションとか考えたりして色々と準備が必要だし……やっぱり1月くらい間開けたほうがいいんじゃないか?」
「……。」
「そうだ。……やっぱりキリが悪いし、シーズンが終わってからにしよう。」
結城の優柔不断っぷりに呆れたのか、ツルカは諦めたような口調でツッコミを入れる。
「その調子で行くと一生告白できないぞ。」
「う……。」
どうしたものか悩んでいると、急にツルカがこちらの胸から頭を上げ、ポケットから携帯端末を取り出した。そして、どこかにダイヤルし始める。
「じれったいな……。こうなったら今からボクがユウキの代わりに……」
「!!」
気づくと私の手はツルカの携帯端末をがっちりと掴んでおり、そのままこちらの意に反して携帯端末を強く握り、あっという間に破壊してしまった。
(やっちゃった……。)
「あー!!」
ツルカは壊れてしまった携帯端末をみて、驚きの声をあげていた。
いくら何でも携帯端末を破壊するというのはやり過ぎな気もしたが、壊れてしまった携帯端末はもう元には戻らない。
結城はすぐに謝罪をするべく立ち上がろうとしたが、その時にツルカの手が自分のポケットの中に突っ込まれていることに気が付いた。
なんとツルカはこちらの携帯端末を奪おうとしているようだ。
何としてもツルカの告白を防ぎたい結城は、素早く自分の携帯端末を確保し、それが二度と使えぬように遠くへ投げ捨てた。
携帯端末は理想的な放物線を描き、突き刺さるようにしてフロア内の壁に激突した。
激突した瞬間に携帯端末は数個のパーツに分解されてしまい、バラバラに床に落下した。
それを見てムキになったのか、ツルカは素早く立ち上がって猛ダッシュで丘を降り始める。
「待てツルカ!! どこに行くつもりだ!?」
結城もすぐに立ち上がり、芝生の上を走る。
暗くて不安だったが、目も慣れ始めているので転ける心配はないだろう。
暫く追いかけっこをしていると、先ほどのこちらの質問に対して、遅れて答えが帰ってくる。
「直接リョーイチに言いに行く!!」
ツルカの声が聞こえたかと思うと、すぐにドアの開閉の音がして、更に梯子を降りる音まで聞こえてきた。
「待てツルカ!!」
結城はかなりの遅れを取りながらも、負けじと非常口をくぐって梯子を降りていく。
下のフロアにつくと結城は空いたままの非常口から出て、エレベーターのある場所まで全速力で走る。
やがて農園を走り抜けると、ツルカがエレベーター扉の前にいるのを発見した。
(よし間に合った……あれ?)
何故かツルカは焦る様子も見せず、エレベーターの前に佇んでいた。
別にエレベーターを待っているわけでもないし……何かトラブルでもあったのだろうか。
ツルカのすぐ背後にまで来た結城はその理由を訊こうとしたが、エレベーターの扉を見てすぐにその理由が分かってしまった。
「……もしかして、今日はもうエレベーターの運行終わったのか?」
扉には現在停止中という赤い文字が英語で表示されていたのだ。
まだ人がいるのに停止するのは有り得ないと考えたが、そもそも人が来るような場所じゃないので、チェックも甘かったのだろう。
「ああ、どうしよう。」
さっきの勢いはどこに行ったのか、ツルカはエレベーターの前で困り果てていた。
そんなツルカに結城は優しく声をかける。
「平気平気、こういう時は携帯端末で……ってさっき豪快に壊れちゃったな。ツルカのせいで。」
「ボクのせい!?」
結城はツルカの反論を無視して適当に言葉を並べていく。
「ま、朝になったら開くし、今晩くらいはこんな場所で過ごすのもいいじゃないか。」
「そんなの無理だろ……。確か近くに緊急呼び出しボタンが……」
こちらの気楽すぎる提案をツルカは受け入れず、ボタンを探し始めた。が、すぐにそれは中断されてしまう。
「へっきし……。」
ツルカはくしゃみをしたかと思うと、鼻をすすり始めた。
「ほら、そんな薄着で来るから……」
赤道直下に位置しているとはいえ、さすがに夜はそこそこ冷える。定期的に農場のロボットが水撒きをしているせいか、上のフロアよりも若干気温が低いようだ。
「とにかく上に戻ろう。建物もあったし、多分ベッドくらいあるだろ。」
「そうだな。どうせ明日も休みだし。わざわざ事件にすることもないか……。」
――その後、結城とツルカは農業試験フロアに戻り、実験棟の中で寝床を探すことにした。
意外にも実験棟の中は綺麗に保たれていた。
通路には壊れた実験機材などが積まれていたが、部屋の中は整然としていたのだ。多分、オルネラさん達も使っていたのだろう。
(そうじゃないとホラーハウスみたいだからな……。)
放置されていたにも関わらずここまで綺麗だと逆に恐ろしい。
「見つけたぞユウキ。」
別々に建物内部を探索していると、遠くからツルカの呼ぶ声が聞こえてきた。
「わかった。すぐ行く。」
結城は大きめの声で返事し、急いでツルカの元へ向かう。
階段を上って2階に到着すると、部屋から半身を出しているツルカの姿を確認できた。
ツルカも私を確認できたのか、誘うようにして部屋の中へ消える。
結城はそのドアが閉じる前に部屋の中に入った。すると、その部屋の中に簡素ではあるがきちんとした形のベッドがあった。
ツルカは既にベッドの中に潜っていて、頭だけを出してこちらに顔を向けていた。
結城は早速そのベッドの感触を確かめるべく、滑りこむようにして中に入る。シーツに破けている場所はなく、マットレスも問題はない。むしろ心地よいくらいだ。
なぜこんなものが研究棟にあるのか謎であったが、深く考えるのはやめにした。
「えへへ。ユウキとくっついて寝るのも久しぶりだな。」
つい数分まえとは違い、ツルカは既にここに泊まる気満々らしく、かなりリラックスしているようだった。
結城もジャケットと制服の上着を脱ぐために、一度ベッドから降りる。
「そういやそうだな。日本の時以来か。」
上着を脱ぎつつ結城は日本でのことを思い返していた。
あの時は数週間ほどツルカと同じ部屋で寝た。ツルカには敷き布団で我慢してもらったのだが、朝になると何故か私のベッドの中にいたのを覚えている。
まあ、ベッドの上が一番クーラーの冷気に当たる場所だったので、涼しさを求めて這い上がってきていたのだろう。
……上着を脱いでワイシャツ姿になると、結城は改めてベッドの中に入る。するとすぐにツルカがぴったりとくっついてきた。
私は抱きまくらではないのだが、ツルカ相手ならば甘えられるのもまんざらでもない。私自身は一人っ子なので、姉妹に対する憧れというのは少なからずあるからだ。
年上の兄弟は諒一がカバーしてくれているので、年齢的なことを考えるとツルカは年下の妹と言ったところだろう。
そんな思いがつい口から漏れてしまう。
「私もツルカみたいな妹が欲しかったな……。オルネラさんが羨ましいよ。」
独り言のように言うと、しばらくしてツルカから返事が来た。
「ボクも、ユウキみたいなお姉ちゃんが……。いや、お姉ちゃんは2人もいらないな。」
意外にも冷静に対応されてしまい、結城はがっくりしてしまう。
「そこは嘘でもお世辞を言うところだろ……。」
そう言う私の頭をツルカは笑いながら撫でる。
「ま、本音で話し合える仲ってことでいいだろ。……っくし」
相変わらず可愛いくしゃみである。……可愛いのはいいけれど、できることならこちらから顔を逸らしてしてもらいたいものだ。
こちらの顔面に散ったツルカの唾液を袖で拭いつつ、結城はくしゃみに関して訊いてみる。
「もしかして、最初から風邪引いてたのか?」
「いや、全然そんな事はないぞ。……というか生まれてから風邪引いた記憶なんてないし。」
「だよな……。」
ツルカの鼻水をすする音を聞きつつ、結城は別の可能性について考える。
(もしかして、寒さじゃなくて花粉のせいだったのかもしれないな。)
ここにはいろんな種類の花が咲いていたし、可能性はあるだろう。そう考えると、今すぐにでもこのフロアから出たほうがいいのかもしれないが、ベッドの中に入ってしまったし、外に出るのは面倒だった。
「どうかしたのかユウキ?」
「何でもない。」
結城はそう言って目を閉じる。
それから暫く会話が途絶えることとなった。
――目を閉じてから何分経っただろうか、不意にツルカが話しかけてきた。
「……なぁユウキ。」
「うん?」
何やら深刻そうな口調に、結城は体ごとツルカの方に向ける。
すると、ツルカも同じくこちらを向いていた。その状態でツルカは重々しく口火を切る。
「……ボク見たんだ。イクセルと七宮が会話してるとこ。」
何か悩みでもあるのかと思ったが、ツルカ自身のことではないようだ。
結城もイクセルと七宮が知り合いだということは知っているし、病院で馴れ馴れしく話をしているのも見ている。七宮は嫌いだが、イクセルが許しているのなら見舞いに来るのは問題ではないはずだ。
こちらが無言のままでいると、ツルカは話を進めていく。
「七宮は昔はお姉ちゃんとも仲が良かったみたいだし……。こっちが誤解してるだけで、実はそんなに悪い奴じゃないんじゃないか?」
珍しくツルカの口調は慎重で、こちらの様子を窺っているのがよく分かった。
思いもよらぬ言葉をツルカから聞いてしまい、結城は先走ってしまう。
「ツルカ、まさか七宮に何かされたのか!?」
そう言うと同時に結城は枕代わりにしていたクッションに手をついて上半身を起こす。
すぐにツルカも同じようにして身を起こし、こちらの言葉を否定した。
「違う。ボクもボクなりに色々考えたんだ。でもユウキには絶対に認められないと思うとなかなか言い出せなくて……。ここに連れてきたのもこの事を話そうと思ったからだ。」
どちらにせよツルカはここに留まるつもりだったらしい。……が、今はそんな事はどうでもいい。ツルカの言ったことを問い正し、間違った考えを修正するのが先である。
「何言ってるんだツルカ、七宮は鹿住さんをアール・ブランから奪ったんだぞ?」
「元々カズミをアール・ブランに送り込んだのも七宮だ。それに、アカネスミレも七宮からの贈り物だって判ったはずだ。……何か理由があったのかもしれないだろ?」
なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
だが、それだけではツルカの言い分を認める訳にはいかない。
「それだけじゃない。あいつは試合中に私のコックピットを攻撃したじゃないか。」
これについてもツルカは七宮を擁護する。
「でも、あれは寸止めだった。……わざとああやってユウキに勝ちを譲ったと思えないか? 結果的にユウキは精神的に追い詰められたけど、七宮はあそこまでユウキがダウンしてしまうとは考えてなかったのかもしれないぞ。」
納得できず、結城はツルカに質問する。
「じゃあ、何のために私に勝ちを譲ったんだ……?」
「そこまでは分からないけど、ボクはあの攻撃から殺意は感じられなかった。……まぁ、かなりの悪意はあったみたいだけど。」
「殺意……。」
あの時は軽い骨折だけで済んだ。鎖骨にヒビが入っただけだったので、次の試合に怪我が影響することはなかった。本気で七宮が私を再起不能にしたかったのなら、肋骨くらいボキボキに折ることもできたはずだ。
それをしなかったということは……本当に勝ちを譲るためだけにやったのだろうか。
結城は目頭を指で押さえて、今一度考えなおす。
「もしそうだとしても、あいつは私を5年間も騙してたんだ。『セブン』っていうプレイヤーのフリして、私をからかって……」
――本当に誂うためだけに5年間もあんな事をするだろうか。
結城は今一度セブンのことを考える。彼女は毎晩のように私と対戦してくれて、親身になって操作法のコツを教えてくれた……。例えセブンが偽物だったとしても、あの体験が嘘になるわけではない。
ツルカもその事を指摘してきた。
「ユウキが自分で言ってたじゃないか。セブンからVF操作を教わったって。……やっぱり何か理由があるんだと思うぞ。」
いよいよ自分の考えが揺らいできた結城は、自分の考えを持ち直すべく首を左右に激しくふる。……だが、頭からツルカの指摘が離れることはない。唯一離れたのは遠心力に負けたメガネだけであった。
「ツルカ、本気でそう思ってるんだな。くそ……」
七宮に関して譲歩できなかった結城は、隣で身を起こしているツルカを押し倒し、そのまま覆いかぶさる。
「ユウキ!?」
急な出来事に驚いているツルカを無視して、結城はその状態で周囲に聞こえるように声を上げる。
「おい七宮、この会話も聞いてるんだろ!? 私に話したいことがあるなら直接話せ!! ツルカを使うなんて……絶対にゆるさないぞ!!」
「ボクは別に……」
急にツルカが七宮をかばうようなことを言うのはどう考えてもおかしい。絶対に七宮がなにか仕掛けているに違いない。……そう思ってのことだったのだが、すぐにツルカは私の身を押し返し、上下を逆転されてしまった。
馬乗りになったツルカは私の目を真っ直ぐに見ていた。
「……ユウキが七宮に怒る気持ちもわかる。でも、だからこそ感情的になったら駄目だ。状況をちゃんと把握して、客観的に考えないと……。」
「……。」
その言葉を訊いて、さっきの自分の言動を反省した結城は体から力を抜く。すると、こちらを掴んでいたツルカの手も緩んだ。
「こんな事を言うとユウキは絶対に反対するってわかってた。でもボクは本音で話すって決めてる。嘘もつかない。思ってることは全部ユウキに話す。……それがユウキにとって嫌なことでも、ユウキのためになるはずなんだ。」
七宮には散々嫌なことをされたが、ツルカの言う通りに考えてみると不自然な点も多いしその目的も分からない。
ツルカに真剣に諭されてしまい、気まずくなった結城はツルカの顔から視線をそらす。
「全く……ツルカは私よりもよっぽど大人だな……。」
七宮に関して、今までは嫌な事を思い出さぬようになるべく思考の外へ追いやっていたが、こうなった以上、今一度考えてみる必要はあるだろう。
私の気持ちが落ち着いたのを悟ったのか、ツルカはこちらの体から降りて隣で仰向けになる。
そして、すぐにある案を提示してきた。
「……もう一度七宮と会って話してみたらどうだ? ボクが思うに七宮はわざとユウキに嫌われようとしてる気がするんだ。」
「そんな、会うって言ってもそう簡単には……」
「七宮もVFランナーだ。チームを通せば会えると思うぞ。」
そういえばそうだった。
七宮は試合には出ているし、試合前や試合後の時間を狙えば会えないことはない。
そうでなくとも、アール・ブランから正式に面会要請をしてもいいかもしれない。
ただ、会った所で何を訊けばいいのか想像もつかなかった。
「……考えとく。」
結城は七宮に関して、諒一の部屋にあったデータブック以外の情報を知らない。
同じ日本人である彼は一体何を考え、何のためにあんな事をしたのだろうか……。唯一わかっているのは、七宮の目的がダグラスにあるという事くらいだ。
(単に試合でダグラスに勝っても、あの七宮がそれだけで満足する気がしないな……。)
他に色々な可能性を考えているうちに、いつの間にか結城は眠りに落ちていた。
6
翌朝、結城は眩しい光を浴びて飛び起きた。
どうやら採光システムが朝日をフロア内に満遍なく取り入れているらしい。自然に浴びる朝日よりもより強烈に感じられる。
慣れない場所で寝たせいで体のあちこちが凝っており、結城は体をほぐすために軽く寝返りをうつ。
「んん……。」
ベッドの上で体を半回転させると、ツルカの後ろ姿が目に映った。ツルカはまだ夢の中にいるようで、微かな寝息を立てている。
ツルカの胸部はゆっくりとした呼吸に合わせて膨らんだり縮んだりしており、結城はしばらくその規則的な運動を観察していた。
……しかし、観察していたのもほんの数分のことで、結城は音を立てないように慎重にベッドから降りる。
そして、昨晩床に落としてしまったメガネを拾い上げて装着した。
目がしぱしぱしているが、視界は良好である。
続いて結城は乱れたワイシャツをスラックスの中に押し込み、制服の上着を着ていく。
極力音を立てないようにしたのだが、それでも衣擦れの音などが聞こえてしまったのか、ベッドから眠さを押し殺すようなツルカのうめき声が聞こえてきた。
ツルカは寝ぼけ眼で私を見、それから数十秒ほど周囲を見渡す。
「……あ、農業実験プラントか……。」
ようやくこの場所を把握したツルカはベッドから飛び降り、大きなあくびをした。
そんなツルカを見つつ、結城は窓際に立って制服のボタンを留めていく。
実験プラント内は静かなもので、本来なら鳥のさえずりの一つくらい聞こえてきそうなものだが、その類いの音や鳴き声は一切聞こえてこない。
場所が場所だし、虫もいないのではないだろうか……。
そんな事を思いつつ木々を眺めていると、その合間に人影が見えた。
(あれ……?)
見間違いかと思い、目を凝らしてみるとそこには何もなかった。多分、木の影が人の形に見えただけだろう。
しばらくフロア内を眺めていると、背後からツルカが声を掛けてきた。
「もうエレベーターも運転してるだろうし、そろそろ帰るか。」
結城は振り返り、短く返事する。
「うん、帰ろう。」
そして2人は実験棟を出て下のフロアに戻り、そのままエレベーターに乗って女子学生寮に帰った。
――その後、2人は部屋に戻るとすぐにそれそれのベッドに崩れ落ち、昼過ぎまで二度寝をしていた。
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。
初めて集団戦を体験した結城でしたが、あまり問題はなかったようです。実際には起こりえないことなので、あまり意味はないでしょうが……。
次の話では義眼のセルトレイと対戦することになります。
今後ともよろしくお願いします。