【盲目の獅子】第二章
前の話のあらすじ
結城はスエファネッツのアオトに勝利した。
あと、アオトはホモだった。
第二章
1
1STリーグ第15試合目、『ダグラス』vs『グラクソルフ』。
結城はその試合をアール・ブランのラボ内からモニターを通じて観戦していた。
比較的旧式の少し小さいモニターは作業台の端に置かれていて、結城は首を横にむけて頬杖をついてモニターを眺めている。
作業台には他に諒一やランベルトといったいつも通りのメンバーが座っており、それぞれが楽な体勢でモニターに目を向けていた。
いつもなら、暇を持て余した年下のルームメイトがベタベタとくっついてくる頃合いなのだが、ツルカは今はラボ内にいない。少し寂しいような、物足りないような気もするがどうしようもない。
なぜなら今日はイクセルの付き添いで忙しいからだ。
ツルカとイクセルの関係が良好になるのは喜ばしいことだが、そのせいで休日は共に行動ができない、というのは何か複雑な心境だ。
(ツルカならいいアドバイスをしてくれると思ったんだけどなぁ……)
そもそも、ラボで試合を見ているのは、次の対戦相手がダグラスだからだ。
試合は一月後なので、そこまで焦って情報を収集することもないが、サマルの試合映像を見るのはかなり重要だ。今シーズンからサマルの性能が少し上がったとも聞くし、分析して悪いことはない。
……ともかく、試合が開始されたのはつい先程のことであり、今まさに2体のVFが接触しようとしている所だった。
グラクソルフのVF『ラインツハー』はのっそのっそと走っており、対するダグラスのVF『サマル』は脚を肩幅に開き、腕を胸の位置で組んだまま開始位置で待ち構えていた。
ラインツハーは相変わらず重そうな装甲に身を包んでいる。手には巨大なハンマーが握られていて、それは上方に振りかぶられていた。
対するサマルの外見はスラっとして、ファスナに負けず劣らずの華奢な体躯だった。
しかし、背中からは誰が見てもアンバランスに感じるほど大きなユニットが飛び出している。その大きさはかなりのもので、まるで背中にもう一体VFを背負っているようにも見えた。
そのユニットからは細長い腕が2本、太い腕が2本伸びている。
前者はボディとユニットの付け根付近から、後者はユニットの後部あたりから生えている。本来の腕と同じく、どちらも左右対称に配置されているものの、その形状は長さからして全く違う。
前方に付いている細長い腕には関節が複数あり、腕と言うよりは触手と形容しても不思議ではないほど長い物だった。今は関節同士がくっつくようにして折りたたまれているが、過去の試合映像からすると軽く20メートルはあるだろう。
腕の先に手らしきものはなく、その代わりにシンプルな形の細長いブレードが取り付けられていた。長いリーチとこのブレードを生かした遠距離から突き攻撃は厄介そうだ。
後方にある腕はかなり太く、長さも太さも前腕とは対称的だ。
その太さはサマル本体の腰の太さくらいあり、一目見ただけでその馬力が半端無く大きいと予想できた。
……実際、その太い腕が実際にどのくらいの馬力を持っているのか、結城はつい最近の試合映像でも確認していた。その映像は確か『クーディン』との試合の映像で、サマルはその太い腕で相手の腕を引きちぎったのだ。切断や破壊ならまだしも、引き千切るというのは初めて見る光景であった。
多分、腕だけならVF界で一番のパワーを持っているだろう。
長さに関しては細長い腕とは違ってそれほどなく、せいぜいサマル本体の背の高さと同じくらいだ。また、腕の先にはちゃんと大きな手が付いていて、現在はアリーナの地面にぺたりとくっついていた。
背中のユニットから目を離して下に目を向けると、細い脚がスカートのような形状のガードから伸びているのを確認することができた。さらにその膝から下の部分には特殊な形のウェウトが多数見られる。……多分、背中のユニットとのバランスを取るために装着されているのだろう。
あまり素早く動けそうにはない……。
スカート状の装甲のせいで脚部の可動域も狭そうだし、戦闘時にはあまり移動せず、背中から生えている四本の腕をメインに使って攻撃するのだろう。
……そんな感じで色々と観察していると、モニターの映像が切り替わり、ようやくラインツハーがサマルと接触した。
ラインツハーは思い切りハンマーを振ったが、その上方からの攻撃はサマルの背中に生えている太い腕で受け止められてしまった。サマル本体の腕はというとピクリとも動いておらず、相変わらず胸の前で組まれている。
それは、コックピットを守っているようにも見えなくなかった。
ラインツハーのハンマーは太い腕にがっちりとホールドされてしまい、それ以上は下に進まず、かと言って戻すこともできないようだった。
しかしラインツハーは唯一の武器であるハンマーを手放すつもりは無いらしい。しばらくハンマーの柄を握って押したり引いたりしていた。
……しかし、その奮闘も長くは続かない。
ゆっくりと細長い腕が展開され、先端にある細長いブレードがラインツハーの装甲に向けて突き出されたのだ。
2本の細長い腕は同じ箇所を狙っているようで、間を置くことなくラインツハーの首付近の装甲に同時に命中した。ブレードが装甲に突き刺ささり、同時に甲高い金属音がスピーカーを通して聞こえてきた。……が、ダメージが浅いのか、装甲が破壊されることはなかった。
ただ、その突きは一度では終わらず、すぐさま連続の突き攻撃が開始される。
その時になってやっとラインツハーはハンマーから手を離した。
巨大なハンマーを奪ったサマルは、そのハンマーを差し出すようにしてラインツハーの胸部目掛けて突きを放つ。ラインツハーも咄嗟に防御体制と取ったのだが、ガードするには既に遅かった。
ハンマーはラインツハーの胸部装甲に見事にぶち当たった。
そして、ボーリングが地面を穿つような、小規模の爆発ともとれる音がモニターのスピーカーから発せられた。その大きな音はすぐに絞られ、一瞬だけ音量が急激に小さくなる。
そしてすぐに映像が切り替わり、ラインツハーの胸部に向けられた。
防御力が自慢のラインツハーの胸部装甲は、衝撃吸収機構があるにも関わらず無残にもへこんでしまっていた。……サマルの背中から生える太い腕に一体どれだけの馬力があるのか、考えるだけで恐ろしい。
「やっぱりあれ、反則だろ。」
結城はモニターを指さして非難するも、諒一は全く別のことに気を取られているようだった。
「……おかしい、あれは自動迎撃用のユニットのはずだ。」
結城に詳しいことは分からないが、諒一はあの背中にあるユニットのシステムに疑問を感じているらしい。
自動迎撃と言うとヴァルジウスの腰部ターレットが思い出される。あれは特定の範囲内に入ってきた物を自動的に狙うものだった。
しかし、サマルの背中から生えている腕の動きを見る限りでは、自動迎撃の動きには見えない。
「自動だって? 絶対違うぞ、明らかにあれはAIの動きじゃないし……」
自分で言っておいて、結城はあの4本の腕がどのように操作されているのか、その仕組みが気になり始めていた。
「あれどうやって操作してるんだ。特殊なコンソールでも使ってるのか……?」
「例えそうだとしてもおかしい。明らかに4本同時に動いてる。割り当てを分散してもあれだけ正確に動かせないはずだ。」
サマル本体の腕が動いていないことを踏まえても同時に4本操作していることになり、単純計算で時間あたり2倍操作していることになる。
ちなみに、昨シーズンまでは太い腕はなく、四本の触手のような槍が自動で相手を狙っていた。今シーズンはそれが2本に減らされているものの、サマルが積極的に攻撃していることもあり、2本だけで十分すぎるほどの威力を誇っていた。
<おっと、槍の攻撃に耐え切れず、ラインツハーの装甲が破壊されてしまいました。>
実況のヘンリーは細長い腕を単純に『槍』と呼んでいるようだ。
リーチやブレードの形状を考えると、最も無難な呼び方かもしれない。
……ラインツハーの首の装甲はベコベコにへこんで破壊されていた。
強力な打撃を受けた後にあれだけ何度も鋭い突きを受ければ、どんな装甲でも耐えることはできない。
その後、サマルはよろけているラインツハーを太い腕でガッチリと掴み、2本の槍で連続して突きを放ち始める……。
それから数十秒間、槍は無抵抗のラインツハーを完膚なきまでに陵辱した。
やがて熊の頭の形をした頭部装甲が破壊され、そのころにはサマルの腕の先端にあるブレードも欠けて短くなっていた。結城はそれを見て、ラインツハーの装甲の硬さと、サマルの槍の威力を窺い知ることができた。
……そのままサマルはボロボロになった槍でラインツハーの頭部パーツを破壊する。
槍は見事に頭部パーツにめり込み、サマルの勝利が確定した。
<ラインツハーが機能停止しました。よってサマルの勝利です。>
太い腕で相手の動きを封じて、残った触手の槍で相手を貫く……。完璧に防御を固めたラインツハーがあの有様では、回避メインの私ではひとたまりもないだろう。
試合が終わると映像が切り替わり、早速ダイジェスト映像が流れ始めた。
「ふぅ……。」
結城はモニターから目を離して、作業台の上に視線を向ける。そこには諒一が用意したデータの詰まった電子ボードが置かれていた。
結城は無言でそれを手に取り、諒一がまとめたと思われる情報に目を通していく。
(『セルトレイ』っていうのか。ランナー歴は――私の歳と同じくらいだ……。やっぱりベテランは違うな。)
ランナーのデータについてはさっと読み飛ばし、結城はVFのスペックについての項目を読んでいく。
すると、電子ボードにサマルの全体図が表示され、結城は暫くそれを見つめる。
過去の試合映像や先ほどのモニターで見た時も感じたが、やはりサマルはいろんな意味で特殊なVFだ。データを見ると外見はもちろんのこと、開発の経緯も特殊である。
(へぇ、VFの初期設計はキルヒアイゼンが担当してたのか……)
“ダグラスはキルヒアイゼンからVF技術を盗んだ”と鹿住さんから話を聞いていたが、このサマルに関してはきちんとした手段で設計を依頼していたようだ。
言われてみればVFのフォルムはファスナと似ている気もする。どちらとも見た目がどことなく女性っぽいし、同じ人が設計したのかもしれない。
「珍しいな。嬢ちゃんが真剣に資料を読むなんて。」
電子ボードの上で指を動かしていると、ランベルトが茶々を入れてきた。
結城は視線を電子ボードの文字に向けたまま軽くあしらう。
「はいはい。珍しい珍しい。」
そう言ってひたすら資料を見ていると、今度は諒一が声を掛けてきた。
「この試合でダグラスは2勝1敗。……キルヒアイゼンやダークガルム、そしてアール・ブランも1敗で揃っているから、今シーズンは上位争いが激しくなる。確実に勝ちに行こう。」
「そういやアール・ブランは3勝1敗か。……確かに、このまま行くと3チームくらいで優勝決定戦とかやりそうな勢いだな……。」
今シーズンに限ったことではないが、1STリーグでは強いチームと弱いチームの差がはっきりしすぎている。そのため、勝利数がかなり偏ってしまい、同立2位や、同立1位などが発生しやすい傾向にあるのだ。
「リョーイチの言うとおりだな。スカイアクセラやクーディンも強敵っちゃあ強敵だが、ダグラスは更に強いからな。ダグラスに勝てれば優勝にぐっと近付くってもんよ。」
ランベルトにもそう言われ、結城は認識を新たにする。
今回ばかりは真剣に作戦というものを考える必要があるかもしれない。今までの対戦相手とは違って、サマルにはかなり特殊な兵装が搭載されているからだ。
正直なところ、今の段階では対抗策は思い浮かばない。しかし、こちらも何か武器を用意すれば対抗する余地はあるだろう。
ひと月も時間があるのだから、何か一つくらいは思い浮かぶはずだ。
(思いつかなかったら……頑張ってあれを避けるしかないな……。)
電子ボードを眺めながらそんなことを考えていると、不意にあることに気がついた。結城はそれをすぐに口に出す。
「なあ、ダグラスに勝ったのってどこのチームだ?」
ダグラスは2勝1敗。つまり現段階で1チーム、サマルのあの4本の腕に対抗できたチームが存在するということだ。……ダグラスから勝ちを奪ったチームの試合を見なおせば、何かヒントになるかもしれない。
こちらの質問に対し、諒一はすぐに答えてくれた。
「スカイアクセラだ。試合映像も用意してある。」
さすが諒一だ。
結城は早速その映像を参考にし、諒一と共に作戦を練ることにした。
2
やはり、このサマルというVFは良い。
16年VFランナーをやってきたが、これほどしっくりくるVFと出会えたのは初めてだ。時代が進む度にVFの性能が向上するのは当然のことなのだが、ここまで素晴らしいVFと出会うことは今後はないだろう。
……本当に心からそう思えるほどサマルは素晴らしい。
(これなら……このサマルなら、あのリアトリスにも勝てる。)
サマルのコックピットの中で、セルトレイはそう確信していた。
現在、セルトレイはサマルと共にハンガーに移動している。……ラインツハーを完膚なきまでに叩きのめしたこともあってか、心地よい高揚感に包まれていた。
この感覚にもっと長く浸っていたいのだが、そういうわけにはいかない。……もうすぐこのコックピットから降りねばならないと考えると、少し寂しいような切ないような気持ちになってくる。
(いけないな……。気持ちを切り替えないと。)
セルトレイは自分を戒め、HMDを脱いでコックピットから降りる準備を始める。
勝利の余韻を切り離すようにしてHMDを外すと、VFのカメラとのリンクが切れて目の前が真っ暗になった。コックピット内部はコンソールからの光でぼんやりと照らされているのだが、セルトレイにその光は届かない。
なぜならば、その光を受け取るべき眼球が存在していないからだ。
(やっぱり、暗闇は落ち着く……。)
――セルトレイは盲目である。
普段は義眼を使用しており、試合時にはそれを外して特注のHMDを使用している。
その仕組みは簡単で、VFのカメラの映像がHMDに届き、そこから直接こちらの眼窩に埋め込まれている受信装置に映像が送り込まれるのだ。
感覚的には直接自分の目で外の景色を見ているのと変わりはない。むしろ、『HMDに表示される映像を目で見る』という部分がカットされるので、他のランナーよりもコンマ数秒だけ早く外の状況を把握することができるのだ。
1STリーグのランナー相手にこのくらいのアドバンテージは関係ない。しかし、他のランナーに比べて、より鮮明な映像を、より細かく見ることができるのは大きなアドバンテージになりうる。
兵役中の事故で両目を失った時は自殺も考えたが、今はむしろ事故にあって良かったとさえ思っている。ただただ技術の進歩に感謝するだけだ。
4本の腕の操作もこれに拠る恩恵と言っていい。……擬似眼球だけで2本の槍を操作できるのは『便利』どころか、もう『イカサマ』の域に入りかねない。
自分自身も工学系や医療系の知識に詳しいわけではなく、細かい理屈は理解できない。これを盲目の特権と言ってしまえば簡単だ。……が、多くの貴重な技術によって生み出されたシステムであることに違いない。
こちらの特殊なHMDに合わせてシステムを構築してくれたダグラスのエンジニアに感謝だ。今回の勝利も彼らが勝ち取ったものだといってもいい。
それに、掛けられた期待や開発費のことを考えると、それ相応の成果を挙げねば失礼に当たるというものだ。
……光のない空間で色々と考えていると、すぐにリフトがダグラスのハンガーに到着した。
セルトレイはツールボックスから予備の義眼を取り出し、長い前髪を掻き上げて左右順々にはめ込んでいく。十数秒ほどで義眼を装着すると、それから3秒ほどで義眼が起動し、やがてセルトレイは義眼を通して外界の映像を認識していく。
始めはグニャリとした映像が認識され、次第に正常な景色に変化していく……。この時に脳が必死で信号を修正しているのがよく分かる。自分の脳ながら実にファジィだと思う。
映像が正常に感じられるようになると、セルトレイはコックピットのハッチを開け、外に出た。
タラップを踏み外さぬよう、慎重な動作を心がけて外に出ると、予想外の人物が目の前に立っていた。
「セルトレイさん、お疲れ様です。」
そう言ってタオルを渡してくれたのはスタッフではなく、ダグラス社長の秘書『ベイル』だった。ベイルは相変わらずのスーツ姿で、それはハンガー内でかなり浮く格好だった。
だが、本人はあまりその事は気にしていないようで、こちらが返事をする暇なく伝言を伝えてきた。
「こんな時に申し訳ありません、ダグラス社長が今すぐ話しがしたいようで……社長室まで御足労お願いできますか?」
セルトレイは受け取ったタオルで汗を拭きながら答える。
「わかりました。勝利者インタビューの後になりますけれど、構いませんね?」
一応了承の旨を伝えると、ベイルはほっとしたような表情を見せた。
「はい、それで構いませんから、よろしくお願いします……。」
ベイルは確認が取れるとすぐに背を向け、小走りでハンガーの出口へ向かっていく。……他にも仕事があるようだ。
(秘書と聞くと楽な仕事のイメージがあるが……そうでもないのか。)
その後ろ姿を見ていると、ベイルと入れ替わるようにしてダグラスのスタッフがサマルに取り付き、すぐに各箇所がチェックされていく。
セルトレイもスタッフに案内され、そのままインタビューの会場へと向かうことにした。
勝利者インタビューが終了してから1時間後、セルトレイは休む間もなくダグラス本社ビルにある社長室を訪れていた。
ここには報酬の交渉の時に来たことがあるので一人でも迷うことなく辿りつける。
……まぁ、最上階なので回数を忘れることもないだろう。
そして今、セルトレイはソファに座ってダグラスの社長である『ガレス・ダグラス』の話を聞いていた。
「これまでの成績は2勝1敗……なかなか健闘しているな。」
さらに言うと、セルトレイは先ほどの試合を褒められていた。ただ、その口調には労いの色は全く感じられない。
そんな口調のままガレスは話し続ける。
「初っ端にスカイアクセラに負けた時はどうしようかと思ったが……今日の試合を見るかぎりでは問題なさそうだな。」
「あれは相性が悪かっただけですから。」
スカイアクセラのエルマーには苦戦した。あのように素早いヒットアンドアウェイ戦法を取られると、こちらとしてはどうしようもない。おまけにエルマーの軌道は予測不能で、ほとんどといっていいほど槍の攻撃が当たらなかったのだ。
こちらの狙いが正確だとしても、エルマーは体中に装備しているスラスターを使ってどんな体勢にも関わらず直ぐにサマルのリーチ外まで退避できる。セルトレイにはそれがとても歯痒かった。
“相性が悪い”で済ませるのはいい加減かもしれないが、勝機を見出せなかったのも事実だ。また戦う機会があればちゃんと対策を練っておく必要があるだろう。
過去の試合のことを思い返していると、急にガレスが全く関係のないことを訊いてきた。
「ところで、お前は七宮のことを知っているようだったが……。連絡をとれるのか?」
――七宮の名を聞き、セルトレイはガレスのことを不振に思う。
(なんでまた七宮のことを……?)
前々からガレスは七宮を目の敵にしているように感じられる。
社長室にまで呼び出したのはこの話をするためなのだろうか。そんな事を思いつつ、セルトレイは問いに答える。
「いいえ無理です。彼についてはよく知っていますが、実際に会話したことはありませんでしたから。」
正直に答えると、途端にガレスは態度を変える。
「……役立たずめ。」
そう言ってガレスはこちらから目を逸らしてブツブツと独り言を言い始める。
「あの女も何も情報は無いと言うし……そろそろこっちから探りをいれるか……。」
何やら込み入った事情がある様子だ。
ぞんざいな扱いを受けて心外だったが、それよりもセルトレイはそのセリフが気になっていた。
「何の話ですか?」
ガレスはこちらの問いかけに対し、目も合わさず適当な言葉を返す。
「なんだまだいたのか。さっさと帰ってトレーニングでもしていろ。」
用が済んだにしても、もっと言い方というものがあるだろう。いくらチームの所有者とはいえ、その態度は我慢できるものではなかった。
セルトレイはそれを言うためにソファから立ち上がる。
「いくら何でもその言い方は……」
しかし、その言葉は部屋の入口で待機していたベイルによって遮られてしまう。
「すみませんすみません。私が一階までお送りしますので。」
ベイルは俊敏な動きでこちらの脇に立ち、出口に案内するように腕を掴んできた。
セルトレイはガレスに言いたいことが多々あったが、ここで面倒事を起こすとベイルに悪いと感じ、素直に従うことにした。
こちらがベイルに案内されている間も、ガレスは不条理な命令をベイルに指示する。
「ベイル、お前はそのまま情報収集に行け。……何か掴めるまで帰ってくるなよ。」
「……わかりました。」
ベイルはガレスに背をむけたまま情けない声で返事し、こちらと共に社長室のドアから外へと出た。
ドアを閉めると同時にベイルはため息を吐く。
「……情報収集って言われてもなぁ。」
「『情報収集』って……一体何の話なんです?」
先程、ガレスから全く納得できる答えが返ってこなかったので、セルトレイはベイルに改めて質問してみる。
ベイルは一瞬だけ迷いの表情を見せたが、すぐにその事情を教えてくれた。
「セルトレイさんにはお話ししますけれど、実は七宮が良からぬことを画策しているようなんです。それで私はその計画を阻止するために七宮のことを調べているというわけなんです。」
そんな重要なことをいとも簡単に他人に話すような奴に任せていいのか、と若干疑問に感じつつ、セルトレイは話を前に進める。
「なるほど……。で、具体的には何を調べるんです?」
ベイルは話す気はあるようだが、この場所では話しにくいらしい。こちらに目配せをしてエレベーターホールに向けて歩き出す。
こちらがその後を追うと、すぐにベイルは具体的なことを喋り始めた。
「直接七宮を探れればいいんですけど、なぜか全然つかまらなくて……。信頼性のある情報を元に探っているつもりなんですが……。」
色々と苦労しているようだ。
解決の糸口を見つけるべく、セルトレイは相談にのるつもりで聞き返してみる。
「他にそれらしい情報はないんですか。」
そのセリフを聞くやいなや、ベイルは自慢気な態度を取った。
「もちろんあります。これは自分で探し当てた情報なんですけれど、どうやらダークガルムとアール・ブランにつながりがあるみたいなんです。」
「まぁ、それはわかります。」
「え?」
こちらが素っ気なく答えると、ベイルは目を丸くしていた。
すぐにセルトレイはその理由を簡潔に述べる。
「そんなに大した情報でもないと思います。……だって、両チームともVFが瓜二つですから。」
『アカネスミレ』と『リアトリス』……VFBを見慣れていない者でも、あれが似ていると思うことだろう。多少の違いはあれど、それほどデザインがそっくりなのだ。
ただ、その核心的な理由については全くといっていいほど分からない。ただ、その理由を知ることが出来れば、ダークガルムとアール・ブランの繋がりにいついて、詳しい事情がわかってくるかもしれない……。
「設計者が同じだけと捉えることも出来ますけど、他にも何か色々と事情があるように感じます。……私でよければお手伝いしましょうか。」
試合に勝って気分が良かったセルトレイは、軽い気持ちで手伝いを申し出てしまった。
「いいんですか!?」
ベイルはこちらの提案を快く感じているらしく、嬉しそうな表情をこちらに向けてきた。
それを見ながらセルトレイは強く頷く。
「あの社長にこき使われて大変そうですし……それに、ランナーである私のほうが色々と融通が効きますしね。」
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします!!」
ベイルは歩みを止めて深く頭を下げる。……本当に情報収集が上手くいっていなかったようだ。自分自身もこのようなことは経験がないが、少なくともベイルよりは上手く出来ることは確かであった。
――情報収集の仕事を引き受けると、セルトレイは階下へ向かうエレベーターに乗り、ベイルと別れた。
セルトレイはそのエレベーターの中で、先ほどの自分の提案を少しだけ後悔していた。
「……引き受けるとは言ったものの、どうやって調べるか……。」
七宮に関して調べるといっても、いきなりダークガルムに行ったところで門前払いされるに決まっている。……となれば、詳しい事情を知っていそうな人物に話を聞くのが一番楽で確実な方法だろう。
セルトレイにはその心当たりがあった。
「……昨々シーズンは2NDリーグだったし、とりあえずフォシュタルに話を聞いてみるか。」
『フォシュタル・クライレイ』……チーム『トライアロー』のオーナーである彼とは知り合いだ。セルトレイはトライアローに何度か雇われたことがあり、フォシュタルとはその度に顔を合わせていたのだ。
フォシュタルは結構歳もとっているので、大抵の事は知っているだろう。
そう気楽に考え、セルトレイはトライアローのビルに行ってみることにした。
3
「チームは順調のようですね。」
「お陰様でな。」
セルトレイはフォシュタルと共に人気のない公園のベンチに座っていた。
ベンチには日よけの半透明の屋根がついており、紫外線をしっかりカットしている。
そのベンチは海を向いており、セルトレイは綺麗な海を眺めることができた。また、公園が海に面していることもあって潮の匂いが強い。ただ、波に反射する強い光は義眼にとってはあまりいい物ではなく、セルトレイは海から目を逸らしていた。
フォシュタルのようにサングラスを掛ければいいのだが、サングラスは好かないので、我慢するしかない。
初老であるフォシュタルはグレーのスーツに身を包んでおり、今は足を組んでベンチに腰掛けている。相変わらずのオールバックの白髪が今は太陽の光を反射して眩しい。唯でさえ威圧感があるのに、そのせいで余計に直視しにくい状況になっている。
……こんな場所で話すことになったのには事情があった。
つい数十分ほど前、セルトレイはフォシュタルとの面会を望んでチームに電話をかけ、その時にこの場所で待つように指示されたのだ。
始めはここに迎えの者を寄越してくれるのかと思ったのだが、数分後に現れたのはスタッフではなく、フォシュタル本人だったというわけだ。
今更場所を変えようとも言い出せず、セルトレイは仕方なくこの場所で話をすることを受け入れたのである。
「まさかお前があのダグラスに雇われるとは思ってもいなかったぞ。よくここまで出世したもんだ。」
フォシュタルは昔懐かしげにしていた。
セルトレイも気を利かせて最近のトライアローのことを褒めてみる。
「私も、トライアローがあんなデタラメに強いランナーを手に入れるとは思っていませんでしたよ。……確か名前はドギィでしたよね。」
「ああ、色々あってな……。」
なぜかフォシュタルの歯切れは悪かった。
――最近のトライアローの試合の映像を見てすぐに分かったことがある。それは、ドギィというランナーが私を遥かに上回る資質を持っているということだ。
近い将来、彼はイクセルと同様にして歴史に名を残すランナーになることだろう。
試合の時のVFの動きを思い出していると、不意に背後からぎこちない声が聞こえてきた。
「こんにちは。自分はトライアローでランナーをやらせてもらっている『ドギィ』です。……そちらはフォシュタルさんの知り合いですか? 知り合いですよね。なんかすみません。ってことはあなたもVFランナーですか?」
長々とした挨拶を聞きつつ振り向くと、そこには想像していたよりもかなり若い男が立っていた。確か、年は十代の後半と聞いていたが、見るかぎりではもう少し若いように感じられる。
本物なのかどうか疑ったが、隣に座るフォシュタルは特に何も言わないので、本物なのだろう。しかし、本物にしてはドギィはランナーとは思えないほど痩せていた。肌も病的に白いし……かなり不健康な生活を送っているに違いない。
そんな印象を持ちつつ、セルトレイは自己紹介で挨拶を返す。
「セルトレイだ。君の素晴らしい活躍は聞いているよ。」
ベンチに座ったままで言うと、ドギィはわざわざ正面に回りこんできて、こちらの目線に合わせるように腰をかがめる。
そして何を思ったか、いきなりこちらの顔を覗き込んできた。
「声に元気が無いですけれど大丈夫ですか? 顔色は別に悪く無いです。というか、前髪が長いですね。切らないんですか。」
セルトレイは咄嗟に自分の前髪を触るふりをして目元を隠し、ドギィの質問に答える。
「ああ、この長さに慣れているからね。短くなると逆に調子が狂ってしまうんだ。」
ドギィはこちらの言葉など聞いていないのか、顔を動かして視点を変えながらジロジロとこちらの顔を見ていた。
しばらくするとドギィはベンチから離れ、頭を下げる。
「ごめんなさい。義眼ですか。気がつきませんでした。」
あっさりと自分が義眼だとバレてしまい、セルトレイは非難の目をフォシュタルに向ける。
例え義眼だといっても、普通に見るとその外見は本物と変わりない。もちろん、瞳孔や虹彩の部分などをよく観察すればそれが義眼であるということはわかる。
しかし、ドギィはそこまで詳しく見る時間など無かったはずだし、そもそも目元を手で隠していたのでわかるわけがない。
「……彼に話したんですか。」
フォシュタルは自分が義眼であるということを知っている数少ない人物だ。
それだけ信用しているという事でもあるのだが、こんなふうに秘密を他人に話すような人だとは思っていなかったので、セルトレイは少しショックを受けていた。
こちらの言葉に対し、フォシュタルは首を左右に振る。
「いや、お前のことは話しておらんし、見るのも初めてなはずだ。」
「じゃあなぜ……」
セルトレイがその事を不可解に思っていると、ドギィが顔を上げてその理由を話し始める。
「……昔、自分がいた場所で同じような人を見たことがあったんです。何というか、雰囲気が似ていたような気がしたんです。で、その人はサングラスを掛けていました。セルトレイも……あ、セルトレイ“さん”もサングラスにしたらどうです?」
凄い観察力と言うか、勘と言うか……この病弱そうな男の子があれだけ強い理由の一端が垣間見えた気がした。
バレてしまったことだし、セルトレイは自ら前髪を上げて義眼をドギィに見せる。しかし、向こうも詳しく観察するほど興味は無いようだったので、すぐに前髪をおろした。
「……四六時中サングラスをしていたら、逆に私が目に障害を患っていると思われてしまう。私は眼球を失っているけれど、視力は失っていない。だから、周囲の人に変に気を遣わせ無いよう、こうしているんだ。」
「そうでしたか。でも、前髪が長いと不気味です。」
「でも、視覚障害者には見えないだろう。」
そこまで言ってようやく納得したのか、ドギィはこちらの言葉を噛み締めるように何度も頷いていた。
「はい。初対面で色々と失礼しました。……ちょっと飲み物でも買ってきます。自販機でいいですか? いや、自販機にしますけれどジュースでいいですよね。」
「よろしくお願いするよ。」
言葉を返すと、ドギィはそのままフラフラと公園の外に向けて歩いていった。
なんとも不思議な雰囲気のランナーだ。短い会話だけでもフォシュタルの苦労が手に取るようにわかる。あのランナーをきちんと管理するのは大変だろう。
そんな同情の目で隣に座るフォシュタルを見ていると、やっとまともなセリフを聞かせてくれた。
「さて、何か聞きたいことがあったんだろう。答えられることがあれば何でも答えよう。」
ドギィもいなくなったことだし、セルトレイは遠慮することなく本題をストレートに言う。
「七宮について、何か知っていることはないですか?」
質問してみて、いかに自分が何も考えていなかったか思い知らされる。
七宮は今シーズンから1STリーグに来たばかりなので、2NDリーグにいるフォシュタルが詳しことを知っているわけがないのだ。過去の七宮の情報にしても、フォシュタルよりも自分の方が詳しいだろう。
セルトレイは質問を少し変更する。
「七宮じゃなくて……ダークガルムについてはどうですか?」
すると、すぐにフォシュタルから返答が来た。
「すまんな。2NDリーグの時のデータ以外は……」
「いえ、珍しい情報とか、報道されていない話とか……。七宮は強敵ですから、少しでも相手の情報を知っておきたいんです。」
平たく言うと裏事情というものだ。ちなみに、後半のセリフは自分の願望も入っている。
しかし、それでもフォシュタルは力なく首を左右に振った。
「なら……アール・ブランについては何かありませんか?」
七宮の件は諦め、セルトレイは続けて関係のありそうなアール・ブランについて訊いてみる。すると、それにはドギィが答えてくれた。
「それならあります。」
どうやら話を聞いていたらしい。ドギィの手には缶ジュースが2本握られており、ベンチまで戻ってくるとそれをこちらに手渡してくれた。……ほとんど時間も掛からなかったし、かなり近くにあった自販機で買ってきてくれたようだ。
セルトレイはジュースを開けるのを後回しにして、そのお礼と共にドギィに訊き返す。
「ありがとう……で、それはどんな情報かな?」
ドギィは特に声を潜めることもなく、普通にしゃべる。
「アール・ブランとの試合中に妨害行為を受けたんです。」
セルトレイは不意打ちに等しい衝撃発言に、持っていたジュースを落としそうになった。
「妨害……って冗談ですよね?」
同意を求めるように半笑いでフォシュタルを見ると、フォシュタルは額に手を当てて溜息をついていた。
「勘弁してくれドギィ……。」
どうやらドギィの話は紛れも無い真実らしい。……アール・ブランが一体どこでどのような不正行為を行ったのか、気になったセルトレイはベンチに座り直してフォシュタルに強い視線を向ける。
「……仕方ない、一応話すが他言無用だぞ?」
義眼であってもその熱意は伝わったようで、フォシュタルは諦めたようにサングラスを外して内ポケットに仕舞い込んだ。
「昇格リーグの試合、覚えているな?」
「覚えています。確か、整備不良でヘクトメイルの両腕が外れてしまった試合ですね。」
腕が外れてしまった後もヘクトメイルは脚のみでアカネスミレとやり合っていたのだから驚きだ。
もしかして、その原因がアール・ブランにあるということなのだろうか……。
セルトレイはそうは思えなかった。
「確か、あれは公式発表で整備不良だと聞きましたが。」
調査委員会の結果を引用し、納得いかないという意志を伝えようとすると、途中でフォシュタルは手のひらをこちらに向けて黙るように指示してきた。
「いや、あれは間違いだ。絶対に整備不良などではない。ヘクトメイルの構造上、腕だけが勝手にパージされるなんてことは起こりえないからな。」
フォシュタルは前かがみになって足を開き、肘を太ももの上に載せて地面に向けてため息を吐く。相当に話しづらい内容らしい。
しかし、フォシュタルは俯いたまま話を続ける。
「……それに、ウチの整備メンバーがそんな初歩的なミスをするとも思えん。ということは、考えられる可能性としては敵チームの妨害……これしかありえんわけだ。」
「じゃあ、調査委員会の発表が捏造されたということですか?」
公正な立場にある大会側の機関がそのような事をするとは到底思えない。しかし、フォシュタルはそう信じて疑わないようだった。
「捏造とまでは行かないが、誰かによって情報が制限された可能性はある。」
その確信めいた物言いは、何かを知っていることを意味しているように思えた。
「……何か、証拠があるんですね。」
こちらが囁くように言うと、フォシュタルは首を小さく縦に振る。
「ああ、実はカズミというエンジニアがトライアローのVF管理システムにウィルスを流し込む事件があった。その時の証拠のデータカードがある。」
「なるほど、原因はそれでしたか……。」
ウイルスとは、これまた巧妙な妨害もあったものだ。
周りにばれることなくヘクトメイルの腕をもぎ取ったのだから、相当に凝ったウイルスだったのだろう。……と、思ったが、どうやら違うらしい。
フォシュタルは「いや、違う」と短く言ってから更に事の次第を話していく。
「結局それは未遂に終わった。だから、VFの腕を外された時の真相は不明なままだ。クライトマンの坊主も調査に協力してくれたんだが……。提供したデータカードも粉々にされてしまったし、肝心のカズミとやらも今はアール・ブランにはいない……。手がかりは全くのゼロというわけだ。」
フォシュタルはそう言ったきり黙ってしまう。……何やら複雑な事情があるらしい。
セルトレイはフォシュタルに向けていた視線を前に戻し、しばしの間、海を眺めながら考えてみる。
(カズミというと……記憶が正しければアカネスミレの設計者のはず。そのカズミが消えてからダークガルムがアカネスミレと瓜二つのリアトリスを発表した……。つまり、今カズミはダークガルムにいるということ……。)
――これは事情に詳しくなくても、マニア程度でもわかる。
ならば少なくとも、フォシュタルはカズミとダークガルムに繋がりがあることに気付いているはずだ。なぜその事をこちらに教えてくれなかったのか、理由は簡単だ。
(私のような部外者には詳しく話すつもりはない……ということか。)
先程は全く何も分からないと言っていたが、この分だと手がかりを掴んでいるのかもしれない。一応信頼しているフォシュタルに隠しごとをされ、セルトレイは少々残念な気持ちになっていた。
しかしそんな感情もすぐに消え去り、セルトレイはカズミに関して違和感を抱く。
(優秀なVF設計者とは言えど、あのダークガルムが妨害行為の疑いがあるエンジニアをそう簡単に引きぬくだろうか……、ましてやそのエンジニアに新しいVFを設計させるだなんて、普通に考えてありえない。それに、ダークガルムはつい最近『アルザキル』を発表したばかりだ。)
あのアルザキルは1STリーグになってからもチェーンナップを繰り返され、かなりの資金を投入しているはず。
それゆえ、簡単にVFを新装するというのは考えられない。
となると、その採用は急に決まったことでは無く前々から計画されていたのだろう。
……大体、4ヶ月やそこらで開発計画から設計の準備を済ませて一からVFを作り上げられるはずがない。それに、リアトリスに関しては事前情報は全くなかったので、全て秘密裏に進められていたと考えていい。
(……つまり、カズミがダークガルムに移ることはかなり前から決まっていたということか。)
更に、アカネスミレがリアトリスのプロトタイプだと仮定すると、カズミとダークガルムはかなり早い段階で繋がりがあったと考えることもできる。
そしてそれを計画していたのが、ベイルやダグラス社長が危険視している七宮……ということなのだろう。
つまり、トライアローへの妨害工作にも七宮が一枚噛んでいる、と予想できる。
――ここまで順調に予想を進めていたが、不意に単純な疑問がセルトレイの頭をよぎる。
(待てよ……、そもそも七宮がトライアローに妨害工作をした理由は何だ。)
その理由がパッと思い浮かばず、セルトレイは考えを改めるために手に持っていた缶ジュースの蓋を開けて中身を一口飲む。
甘ったるい炭酸水が喉を刺激しているのを感じつつ、セルトレイは思考を再開させる。
(七宮は強いチームを早い段階で排除したかったのか……? いや、違う。トライアローは以前から1STリーグに昇格するのを辞退しているし、強敵を潰すのが目的ならばむしろアール・ブランに妨害工作を……)
「!!」
思考の途中でセルトレイはあることに気がつき、思わず缶を握りしめてしまう。
(……むしろ、アール・ブランに何も妨害しなかったのは何故なんだ? アール・ブランにはカズミがいたのだし、内部から好きなように妨害ができたはずだ。……もしかして、自分の予想は根本から間違っている……?)
ここでセルトレイはベイルが言っていた言葉を思い出す。「ダークガルムとアール・ブランに繋がりがある」という言葉を……。
リアトリスがあまりにも無残にアカネスミレを破壊したので勘違いしそうになっていたが、普通に考えれば、ダークガルムとアール・ブランが同盟関係にあると考えるほうが自然だ。
七宮がカズミとアカネスミレという優秀な人材とVFをアール・ブランに送り込んだのはアール・ブランのためなのか。
そして、方法はともかくトライアローに妨害をしたのも……
(全てはタカノユウキを勝たせるためか……!!)
アール・ブランを勝たせる理由については全く想像もできない。しかし、この予想は現時点では真実にかなり近いように思う。
そこまで分かった所で、セルトレイは先ほどのフォシュタルの言い分を鵜呑みにしたように見せかけ、自然な口調でコメントをする。
「そうですか、妨害をするなんて……アール・ブランは酷いチームですね。ダグラスに戻ったら、試合中にハンガーの警備を強化するように言っておきます。」
「……それがいい。」
その返事を聞き、これ以上の情報を引き出すのは無理だと判断し、セルトレイはベンチから立ち上がった。
「早速ラボに戻って、スタッフにこの事を伝えることにします。今日は色々と聞かせてくれてありがとうございました。」
そう礼を言うと、フォシュタルもこちらに促されるようにしてゆっくりと立ち上がる。
「いや構わんさ。来シーズンはトライアローも1STリーグに昇格するだろうし、試合できるのを楽しみにしているぞ。」
「その時はお手柔らかに頼みます。」
定型句で返事をすると、フォシュタルは不敵な笑みを浮かべつつ、懐からサングラスを取り出す。
「こちらこそお手柔らかに頼む。……それじゃあチームビルに戻るとするか。オーナーの仕事も忙しいからな。」
そしてそのサングラスをかけ直すと、フォシュタルは未開封の缶ジュースをこちらに押し付け、一人で公園から去っていく。そのゆっくりとした歩き方は、仕事に追われている者のようには思えなかった。
両手に缶ジュースを持ったままその様子を眺めていると、今まで黙っていたドギィが先ほどまでフォシュタルがいた場所に腰を下ろしてきた。
「セルトレイ“さん”、ちょっといいですか。話を聞いて欲しいんです。」
断る理由も見当たらなかったので、セルトレイも再びベンチに座る。
その際、ドギィの名前の呼び方に違和感を感じ、セルトレイはあることを提案した。
「無理して“さん”付けしなくてもいいですよ。」
「そうですか……。わかりましたセルトレイ“さん”」
……わざと言ってこちらを挑発しているのか。もう一度言っても無駄だろうなと感じ、セルトレイは特に突っ込まないでおくことにした。
すると、間を置くことなくドギィは話し始める。
「先ほどは自分の説明が足りず、誤解を与えてしまったようです。……ユウキタカノは全くの無実です。アール・ブランはトライアローに悪いことは何もしていないのです。勘違いなんです。」
……どうやらドギィはこちらの演技を真に受けたらしい。
てっきり、フォシュタルとの話を外に漏らさぬよう警告しに来たのかと思ったのだが、こちらの考え過ぎだったようだ。
「それは一体どういうことですか?」
情報を手に入れるチャンスだと思い、セルトレイはわざとらしく無知を装う。
すると、予想通りドギィはペラペラと当時の事を教えてくれた。
「ヘクトメイルの両腕を破壊したのはアール・ブランとは無関係の人です。その人はユウキタカノのことをよく知っているようでした。あと、声は若い男の声で……カズミサンの協力者とも言ってました。」
この子は秘密という言葉を知らないのだろうか。ありがたい事に、惜しげも無くこちらの知りたい情報を教えてくれる。
(若い男……七宮本人ではないにしても、それに近い人物だろうな。)
それでも十分だというのに、ドギィはさらに詳しく話す。
「腕が取れたのも、軍事用のワームを装甲とフレームの間に設置されていたからです。……ですから、気をつけるならウィルスじゃなくてVF本体に気をつけて欲しいです。」
「そういうことだったのか……。わかった、気をつけるよ。」
相手もえげつない事をするものだ。軍の特殊兵器まで使えるとなると、七宮は思っていた以上に危険な存在なのかもしれない。あのガレスが四六時中気にしているのも頷ける。
「あとその男に、このことを他人に話すとひどい事してやる、と脅されたんです。でも、もう既にフォシュタルに話してから半年は経っているし、あれは嘘だったみたいです。」
「……。」
フォシュタルが隠し事をしていたのも、このドギィを考えてのことだろう。下手に情報を話すとドギィの身が危険に晒されるかもしれないからだ。
七宮の冷酷さを考えると、ありえない話ではない。
……話はそれで終了し、ドギィは未開封の缶ジュースをこちらから奪って、それをグビグビと飲み始める。
その様子を見つつ、セルトレイは本心からの感謝の言葉を伝える。
「色々と貴重な情報ありがとう。」
どれもなかなか役に立ちそうな情報だった。
これが全てつくり話である可能性も否定できないが、その可能性はかなり低いだろう。
ドギィは炭酸ジュースを一気飲みし、口の周りを袖で拭いながら返事をする。
「そんな、お礼はいらないです。ユウキタカノが悪くないということを知って欲しかっただけですから……。それでは自分は戻ります。試合頑張ってください、いや、でも自分はどちらかと言うとアール・ブランを応援するつもりです。」
かなりアール・ブランに思い入れがあるらしい。……いや、むしろタカノユウキにこだわりを持っているようだ。
「そうですか。だったらアール・ブランの半分くらいの応援でいいですよ。」
「なるほど……、そうします。」
ドギィは感心したように言った。……かと思うと、別れを告げることもなくフォシュタルと同じ方向へ去っていった。
天才とアレは紙一重というが、むしろドギィは自由過ぎる気がする。
こちらの義眼もすぐに見抜いたし、勘が鋭いというか……天分に恵まれているのだろう。
義眼の件を思い出し、セルトレイは自分の前髪をいじる。
(そんなにバレバレだったかな……。)
確かに、眼球を動かす必要もなく、首すら動かさずとも視界は良好なので簡単に気づかれるかもしれない。
しかし、セルトレイはなるべく周りに違和感を与えぬようにするため、ものを見る時に顔ごと対象に向けるように努めている。その微妙な動きの違いを悟られたのだろうか……。
どちらにせよ、あのドギィとかいう奴は遠慮するような性格の持ち主ではないので別にいいだろう。
(とにかく、さっきのドギィの話はベイルに伝えておくか。)
これだけの情報ならダグラス社長も文句はないはずだ。
2NDリーグフロートユニットに来てからあまり時間は経っていなかったが、セルトレイはすぐにダグラス本社ビルへ向かうことにした。
4
公園でフォシュタルやドギィと別れて数十分後、セルトレイの視線は一人の女子学生に釘付けになっていた。
(若いな……。)
セルトレイが眺めているのは結城だった。……と言っても、それは携帯端末に表示しているランナーのデータベースに載せられているもので、その画像データも登録の際に撮られた真面目な顔写真のみだった。
(タカノユウキ……出身地と対戦成績以外のことはほとんど解らないな……。)
データベースに登録されたのも今シーズンからなので、少ないのは仕方が無い。他にわかることといえば、それなりに可愛らしい容姿をしているということくらいだ。年齢の割には異様に若く見えるが、これも東洋人故のことなのだろう。
セルトレイが閲覧しているのは公式のデータベースなので、勝率や年齢などのお固い内容の情報しか登録されていない。……この分ならどこかの個人サイトのデータを参照したほうがよっぽど為になるかもしれない。
(一応そっちもチェックしてみるか。)
セルトレイは公式データベースの接続を切り、一旦携帯端末から目を離して外の景色を眺める。
透明な窓の外には海があり、その中にフロートユニットが点々と浮いているのが見えた。
……今、セルトレイは定期船に乗っている。
2NDリーグフロートユニットから、ダグラス本社のあるフロートまではそこそこ時間がかかるので移動中は暇なのだ。そのため、少し気になっていた女性ランナー、タカノユウキを調べているというわけである。
次の対戦相手でもあるわけだし、詳しく調べて損はない。
セルトレイは再び携帯端末を操作し、ブラウザを立ち上げてVFBに関連する個人サイトを検索していく。しかし、普段から携帯端末で調べ物をすることに慣れていないせいか、かなり手間取ってしまう。
「……。」
このままだとただ時間を浪費するだけだと思い、セルトレイは船の公共スペースにあるフリーの端末を利用することにした。先ほどのようにデータベースにアクセスするわけではなく、個人認識も不要なのでセキュリティ的にも問題はないはずだ。
……そうと決まれば早速行動だ。
セルトレイはシートから立ち上がると船の後方にある公共スペースに向けて移動を開始する。客室のシートにはあまり人の姿はなかったので、セルトレイは遠慮することなく背もたれの上に手を載せて歩いていた。
普段は船を足として使っている人が多いのだが、今日は休日なので少ないのだろう。見たところシートは1割も埋まっていない。
休日ということで観光客の数が多いと思ったのだが、その観光客は甲板からの景色を楽しんでいて客室にはほとんどいないようだ。
つまり、自分のように長い時間を掛けて移動する人間はあまりいないというわけだ。
(この分だと、端末もすぐに使えるだろうな……。)
セルトレイはどのようにして結城を調べるか、その方法を考えつつ船客エリアから出る扉を開けた。
するとタイミングよく人と遭遇し、避ける暇もなく正面からぶつかってしまった。
(おっと……あっ)
しっかりとした地面の上ならばよろめいた程度で済んだだろう。だがここは船の中で、床は不安定に揺れている。そのせいでセルトレイは壁に手をついてしまい、ぶつかった相手は尻餅をついて盛大にこけてしまった。
しかも相手は女性だったらしく、「きゃっ」という可愛らしい悲鳴まで聞こえてきた。
(やってしまった……。)
両者の不注意が原因……と言いたい所だが、明らかに考え事をしていた自分に非がある。人がいないと思って油断していたのも原因の一つだ。
……女性にぶつかった上、転倒させてしまった。
何か出鼻をくじかれてしまったように感じ、セルトレイは自分の運の悪さに少しだけ落ち込んでしまう。
とりあえず、男である自分が謝らないわけにはいかないと思い、謝罪の言葉と同時に手を差し伸べた。
「すみません……。」
こけた女性は遠慮することなくこちらの手を掴み、あまり体重をかけることなくすっくと立ち上がる。そして、女性もこちらに向けて謝ってきた。
「……ごめんなさい、大丈夫ですか?」
それは、こちらの身を案じるような口調だった。
そんな女性の言葉に対し「問題ないです」と答えようとした時……セルトレイは相手の顔を見ることができた。
「……!!」
――それはつい先程まで携帯端末の画面に映し出されていた顔であった。
栗色の髪は転けた際に乱れてしまったのか、おでこから目元にかけてを不規則に隠していた。……その髪は船内の電灯の明かりを綺麗に反射していて健康的である。直接触らずとも見ただけで滑らかであることが分かるほどだ。
その髪先はメガネにも掛かっていて、そのレンズの先にはこげ茶色の潤んだ瞳があった。やはり、転けた時に打ったおしりが痛いのだろう。
しかし、その瞳はまっすぐこちらに向けられていて微動だにしなかった。……それは意志の強さを表しているようにも思える。
下に目をそらすと鼻があり、さらに下に注意を向けると口があった。口は、先ほど掛けられた言葉である“オーケイ?”の“イ”の状態で半開きになっている。
その口から発せられた声は、芯の通っている明瞭なもので、耳触りのいい音だった。
半開きだった口が瑞々しい唇によって閉じられていくのを見つつ、ようやくセルトレイはこの女性の名前を思い浮かべる。
(タカノユウキ……なんでこの船に乗っているんだ?)
セルトレイは多少混乱しつつも、間違いなく彼女がアール・ブランのVFランナー、タカノユウキであることを確信した。
そして、これはチャンスかもしれないと考え、咄嗟に思いついた事を実行する。
「あ……。」
セルトレイはなるべく自然な所作で目元を覆い、素早く俯いて義眼を落っことしたのだ。
2つの義眼は半秒ほどで床に到達し、透明の保護液を散らせながら転がっていく。
もちろん、セルトレイは義眼を外した時点で視力を失っており、その様子を見ることはできない。音で感じることしかできなかった。
「目が……。」
セルトレイはさらに不安げな声を出してみる。
これで、否が応でもタカノユウキはこちらに関わることになるはずだ。……目が見えないのは多少不安だが、あのグレードの義眼なら捨てても惜しくはない。
それに、予備の目があるので、いざとなっても困ることはない。
「……っと。」
意外にも、タカノユウキはさっきのような悲鳴を上げることはなかった。それどころかすぐに義眼を拾ってくれたらしく、落としてから数秒しない内にこちらの手のひらに丸いものが2つ載せられた。
……内部で何かの部品が転がっている感触が手を通して伝わってくる。義眼は上手いこと両方共に壊れてくれたようだ。修理には分解が必要になるだろう。
(よしよし……)
壊れた義眼を手渡されると、同時にタカノユウキの2度目の謝罪が聞こえてくる。
「本当にごめんなさい……。」
こちらの思惑通り、ぶつかった時の衝撃のせいで義眼に不具合が生じたと勘違いしてくれたようだ。
女の子を騙すのは気が咎めるが、情報を得るためには仕方のないことだと割り切ろう。
セルトレイは目元を押さえながら深呼吸し、少し間を置いてから返事をする。
「……いや、目が不自由だといえ、うっかりしていた自分も悪いですし……。そんなに気に病むことはないですよ。」
そう言って、わざとよろめいてみせる。視力を失ってから5年間は暗闇の中で生活していたので、これしきの動作で転けるつもりはなかった。
しかし、タカノユウキは倒れると思ったのか、咄嗟にこちらの体を支えてくれた。女性らしい細い腕はこちらの二の腕をガッチリと掴んでおり、安定性は抜群である。
セルトレイは意外に強い力に少しだけ驚いていた。やはり、それなりには鍛えているらしい。
タカノユウキは身を寄せたままの体勢で、こちらをどこかに引っ張ってく。
「とりあえずシートに座らせます。このままだと危ないと思うし……。」
「ええ、お願いします。」
セルトレイはそのまま誘導され、シートに座らされた。位置からして出口の近くの場所のようだ。
こちらを座らせると、タカノユウキも隣のシートに座ったのか、押しのけられた空気が風になってこちらに届いてきた。
それと同時に3度目の謝罪の言葉も聞こえてきた。
「すみません、セルトレイさん……。」
結城に名を呼ばれ、セルトレイは見えないながらも顔を横に向ける。
「名前、知っていたんですね……。」
これで自己紹介する手間も省けた。いつの段階で気がついていたのかは定かではないが、こちらの目が義眼であることまでは知らないようだった。
「諒一に対戦相手の情報を無理やり見せられてたので……。でも、こんな所でぶつかるなんて、すごい偶然ですね。」
本当に全くの偶然だ。私のような地味なランナーならまだしも、タカノユウキのような目立つランナーが普通に船に乗っている事自体が珍しい。
彼女の話を黙って聞いていると、不意に手のひらから義眼の感触が失われてしまった。どうやらタカノユウキに奪われてしまったらしい。
「よくできているでしょう。カメラ部分と受信部分が別れていますから、案外簡単に外れてしまうんです。」
「へぇ……人の目って意外と大きいんだな……。」
普通は気味悪がって触らないと思うのだが、彼女の場合はそれよりも好奇心のほうが優っているらしい。いつまで経ってもが義眼は返却されず、長い間義眼を観察しているようだった。
「……これ、絶対に直しますから。ラボまで一緒に来てください。」
いきなりそんなことを提案され、セルトレイは驚く。
ダグラスの迎えが来るまでタカノユウキと適当な場所で待機し、そこで色々な話を聞こうかと思っていたのだが……予想以上の反応だ。
ラボに行ける上、義眼も直してもらえるならそれに越したことはない。
「そうですか、ならぜひともお願いします。」
間を置くことなく提案を受け入れると、同時に乗客エリアにアナウンスが流れ始める。
<間もなく1STリーグフロートユニットに到着します。ミュージアムを観光される方はここでお降り下さい。くれぐれもお忘れ物の無いよう……>
そのアナウンスが終わる前に隣のシートからタカノユウキは立ち上がった。
何をするのかとしばらく待っていると、こちらの手の甲に5本の指が触れた。その内の4本は手のひら側に回り、セルトレイの手はその指たちに挟まれるようにして持ち上げられてしまう。
「じゃあ……手を握りますけど、いいですか?」
その言葉に応じるように、セルトレイはシートから立ち上がる。
「よろしく頼みます。」
そして、セルトレイは結城に案内されながら、船の乗降口に向けて移動を開始した。
5
――船から降りて十数分後。
セルトレイが案内されたのはラボではなく、ビル内の一室のようだった。
……いきなり相手チームのランナーをラボに案内するわけにもいかないし、当然といえば当然だ。
今は一人で椅子に座って待たされている。椅子の前にはテーブルがある。先ほど感触を確かめるために軽く叩いてみたのだが、その音は遠くまで響いていたし、感触的にも会議室にあるような大きいテーブルのように思える。
セルトレイはそのテーブルの下に手を回し、そこで携帯端末を操作していた。今はベイルに向けたメッセージを作成している途中だ。目が見えずとも『アール・ブランに迎えに来てくれ』くらいの文章は簡単に作れる。スペルミスが無いかまでは確認できないが、操作音のおかげで送信できたかどうかは判断がつく。
(よし、送信できたか。)
今から迎えが来るまでどんなに早くても30分……ベイルならばその倍は掛かりそうだ。
この時間は、言わば自分に課したタイムリミットのようなものだ。
変に長居しても怪しまれるし、スペアの義眼を隠していたことを知られると、こちらがスパイだと勘違いされかねない。
それに、自分のチームビルまで送られるような事態になるのも避けたい。……流石にそこまでアール・ブランのスタッフに迷惑をかけるのは気が引けるからだ。
とにかく、ベイルが迎えに来るまでになるべく多くの情報を聞き出すことにしよう。
……その情報源であるタカノユウキはと言うと、数分前に私をここに残してどこかに義眼を持って行ってしまった。今誰かに修理してもらっているのか、それとも修理できるかどうかを確認しているのか……全く状況がわからない。
多少不安を感じていると、部屋の外からタカノユウキの声が聞こえてきた。
彼女は何者かと会話しているようだった。
セルトレイは会話の内容を把握するべく聞き耳を立ててみる。……注意して聞くと、会話の内容も解り始めた。
「だから本当なんだって。セルトレイの義眼が……」
「義眼つけてるような奴にランナーが務まるわけねーだろ。……嬢ちゃんのことだ、間違えてそっくりさんでも連れてきたんじゃねーか?」
タカノユウキはかすれ声の男性と会話をしていた。会話の感じからすると、仲の良い人物のようだ。
「嘘じゃないぞ。本人に訊けばわかるはずだ。」
「はいはい、……この部屋だな?」
「うん。」
タカノユウキのその言葉が聞こえたかと思うと、続いて部屋のドアが開く音がした。
セルトレイは音に反応したふりをして、入り口付近に顔を向ける。
「どうもすみません。お邪魔しています。……チームダグラスのセルトレイです。」
自己紹介をすると、向こうも名乗ってくれた。
「アール・ブランの責任者のランベルト・ブランだ。ウチのランナーが迷惑をかけたな。」
ランベルトと名乗った人物は、話しながらこちらに近づいてくる。
「まさかセルトレイが視覚障害を患っているとは知らなかったな。……悪いが、何か身分を証明するものはあるのか?」
「ちょっとランベルト、本物だって言ってるだろ。」
このような場合、ランベルトという男のように対応するのが正しい。それに依存はなかったので、セルトレイはダグラスのラボに出入りするためのIDカードを提示することにした。
懐から無言でそれを取り出し、そのままテーブルの上に置くと、あちらも無言でそれを確認する。
「本物みたいだな……。つーか、よくこんなの連れてこれたな、嬢ちゃん……。」
「だから本物だって言っただろ……。」
先ほど聞こえてきた会話の様子も踏まえて察するに、タカノユウキは責任者と仲が良いどころか、責任者よりも立場が上であるような気さえする。
「で、その落とした義眼ってのはどこにあるんだ。」
「あ……ランベルト、これなんだけど。」
まだ義眼を見せていなかったらしい。
しばらく義眼のチェックに時間がかかると思ったのだが、数秒足らずでランベルトの諦めの声が聞こえてきた。
「……あー、すまん。無理。」
ランベルトはあっさりと修理を諦めたらしい。タカノユウキの溜息も聞こえてきた。
「役に立たないなぁ。」
「なっ……!! 頼んどいてその言い草はありえねーよ!!」
タカノユウキの言葉を皮切りに、2人は言い合いを始める。
「そう言われても仕方ないだろ。いっぱしのエンジニアが修理を即放棄なんて、情けないと思わないのか?」
「専門外なんだから出来なくて当然だっつーの。それに、こんな細かいのバラすのには専門工具が要るもんなんだ。まさか素手でチョチョイと直せるとか思ってねーよな?」
少し遅れて、タカノユウキのきょとんとした声が聞こえてきた。
「……え、そうなの?」
ランベルトも呆れている様子だった。
「まったく……。」
これ以上言い合いが長引かせぬよう、セルトレイは話に割って入ることにした。
「……迷惑かけてすみません。やっぱりメーカーに修理してもらいます。」
修理を断ろうとしたのだが、なぜかタカノユウキがそれを許してくれなかった。
「いや、絶対に直すから待ってて下さい。」
頑固と言うか我が強いと言うか、なんとも我侭な発言である。
その言葉に対し、すかさずランベルトが突っ込む。
「だ・か・ら、誰が直すんだよ。……やっぱりここは修理代を払うしか……」
もはやセルトレイにはどうしようもない。
問題が更に拡大していくのを為す術もなく聞いていると、2人とは別の声が部屋に響いた。
「何を騒いどる。」
その声は老人のもので、その声のお陰で2人の言い合いは収まってしまった。
更に老人の声は2人を責め立てる。
「……ここは地下と違って声が響く。もうちっと静かな声で話さんか。」
「ごめんなさい、ベルナルドさん……。」
なるほど、タカノユウキの口調から察するに、この人物はランベルトよりも上の地位にある人のようだ。
「なんだそれは……人工眼球か?」
その老人も義眼に興味を示したらしい。すぐにタカノユウキが状況を説明し始める。
「これは義眼で……今は壊れてるんですけど。」
「どれ、ワシに見せてみろ。」
……その言葉の後、しばらく部屋に沈黙が訪れる。
彼もエンジニアなのか、それともただ単にめずらしいから観察しているのか……様々な憶測がセルトレイの頭に浮かんでは消えていた。
そして1分後、老人の声が再び聞こえてきた。
「義眼の修理など初めてだが……おおかた問題ないな。ワシの部屋で直してくるから、ここで待っておれ。」
有無を言わさない自信にあふれた発言に、セルトレイはホッと一息つく。
「ありがとうございます。……修理、お願いします。」
顔や姿も解らぬ老人に対し礼を言うと、すぐに言葉が返ってきた。
「礼などいらんよ。そもそもお嬢さんがこれを壊したわけだから、チームとして責任をまっとうするだけのことだ。」
「それでもありがたいです。もともと落として壊れるくらいにまでガタが来ていましたから。」
所詮はVFのエンジニアなので、完璧な修理は期待していない。
直ればラッキーくらいの認識で構えていよう。
「安心するといい。なるべく良い部品を使うつもりだ。」
ベルナルドと呼ばれた老人はそれだけ言うと部屋から去ったようで、ドアの開閉する音が聞こえてきた。
タカノユウキやランベルトはその老人に信頼を置いているのか、心配する様子もなくむしろ安堵しているようだった。
「ま、そういうことだ。きたねー所だがゆっくりしていってくれ。」
「構いません。どうせ見えていませんし。」
こちらの返しに、ランベルトは軽く笑う。
「はは、そりゃそうだ。」
その笑いを咎めるように、タカノユウキはきつい口調をランベルトに浴びせる。
「おいランベルト、失礼にもほどがあるぞ。」
「いえ平気です。全然気にしてませんから。」
もう慣れっこだ。と言うより、変に気を遣われるよりもこちらの方が気が楽なのだ。
何も見えない状況において、人の笑い声というのはかなり安堵感を得ることができる、ありがたい物でもある。例え、笑いの原因が不謹慎なことでもあまり気にしてはいない。
一段落ついた所で、ランベルトも部屋から出ていく。
「じゃあ、俺も武器の改良に戻るからな。……何か用事があったら呼んでくれ。」
「改良って、そういう情報は秘密に……」
タカノユウキはかなりこちらの事を気にしているらしい。ラボに案内しなかったのも、その武器の改良に関係しているのだろうか。
だが、当の責任者であるランベルトは全く気にしていないようだった。
「どうせ見えてないんだし分かりゃしねぇって。……そもそも嬢ちゃんが連れて来たんだぞ? 運が良いんだか悪いんだか。」
「すみません。なんかスパイしに来たみたいで……」
また大人気ない言い合いが始まりそうだったので、セルトレイは横槍を入れてそれを阻止する。それは見事に成功し、ランベルトの口調は穏やかになった。
「あー、変なこと言って悪かった。気にしないでくれ。それに、隠すほどの秘密もねーしな。」
「もういいから行けよ。」
いい加減邪魔になってきたのか、タカノユウキは自分のチーム責任者に向けて刺々しいセリフを吐く。
「はいはい、わかりましたよ……っと。」
ランベルトの声は部屋の出口に移動していき、後半部分は部屋の中だけではなく廊下にも響いていた。
やがてドアが閉まると、再び部屋は静けさを取り戻す。
「いい人達ですね。気さくな感じで。」
何気なく言うと、すぐに否定の言葉が返ってきた。
「単に無神経なだけだ……全く。」
本当に気の置けない仲のようだ。メンバー同士、これだけ意思疎通ができていればさぞ居心地がいいことだろう。チームを転々としている自分には縁のない話である。
(そろそろ七宮のことを聞いてみるか。)
ようやく2人で会話が出来る状況になり、セルトレイは情報を引き出すべく結城に話しかけようとした……が、セルトレイは出かけた言葉を一度飲み込む。
(七宮とつながっている可能性を考えると、……まずは探りを入れる程度にしたほうがいいな。)
いきなり本題に行くと怪しまれるので、まずは外堀を埋めていこう。
そうと決まると、セルトレイは七宮からは程遠い話題を持ち出した。
「ちょっと遅いかもしれないですけど、1STリーグ初の女性ランナー、おめでとうございます。」
「……あ、そういえばそうでした。」
タカノユウキ自身はあまり気にしていないようだ。世間一般からすればかなりの快挙のように思うのだが、そういう記録には執着がないのだろうか。
セルトレイは更に話を進めていく。
「日本はVFBには疎いことで有名なのに、そこから女性のランナーが生まれるのは凄いことだと思いますよ。」
惜しげなく褒めると、逆にタカノユウキは謙遜してみせた。
「いやいやそんな……。他にも日本人のランナーならたくさん……」
「そうでしたね。――七宮宗生、1STリーグには彼がいました。」
「……。」
早速七宮の名前を出してみた。
しかし、タカノユウキの反応はとても薄いものだった。
「彼とは知り合いじゃないんですか?」
詳しく訊いてみると、ようやくタカノユウキは反応してくれた。
「知り合いと言うか、一応面識はあるんだけど……。っていうか、セルトレイさんも七宮と試合したことあるんじゃ?」
問いを返され、やむなくセルトレイも七宮についてのことを話す。
「ええ、もちろん何度も試合をしています。……ついでに言うと、一度も試合で勝っていません。」
自分にとって、七宮というランナーは苦手と言うよりも天敵と言っていいだろう。負けるのは悔しいが、こればかりはどうしようもない。
こちらの言葉を聞いて、タカノユウキは呟く。
「私と同じだな……。」
「ん? 確かあの試合はアール・ブランの勝ちだったような……。」
リアトリスの反則により、アカネスミレの勝利だったはずだ。
こちらが一応勝敗を確認すると、タカノユウキは沈んだ声で説明してきた。
「試合内容を見たらわかると思います。あれは明らかに私の負けでした。」
確かに、少なからず自分もそんな印象を持っていた。
その時の事を思い出しつつ、セルトレイはVFについて言及する。
「……そういえばあの試合を見て大勢の人が感じたことだと思いますけど、アカネスミレとリアトリス、そっくりでしたね。」
「そりゃあ、同じ人が作ったVFですから。」
フォシュタルと違い、タカノユウキは簡単に白状してくれた。
表情は見えなかったが、心なしかリアトリスというVFを作った人のことを自慢しているように聞こえた。
セルトレイはさらに話を掘り下げていく。
「確か、名前はカズミでしたか。彼女はアール・ブランに所属していたはずでしたけれど、それがどうしてダークガルムの……」
「これ以上は話すつもりはありません。」
もっと聞きだせるかと思ったのだが、急にタカノユウキの口調がキッパリしたもの変化した。彼女の性格を考えると、これ以上何を聞いても答えてくれはしないだろう。
こちらにもこれ以上聞き出す自信もないし、大した交渉術もない。
(……ここまでにするか。)
これ以上踏み込むと深みにはまりかねない。元々はベイルを少し手伝うつもりだったのだから、そこまで必死なって調べることもないだろう。
「そうですか、調子に乗ってしまってすみません。」
セルトレイは話を区切り、情報を整理する。
――VFエンジニア、カズミ。
彼女の話題に触れた途端タカノユウキから拒絶の意志が伝わってきた。
カズミがダークガルムに移ったことは、タカノユウキにとって不本意なことだったのか……?
それとも、ダークガルムとの繋がりを隠すために敢えてそんな態度を取ったのか。
いや、繋がりを隠すだけなら、ただ単にカズミが移籍したと伝えるだけでいい。……というか、少しでも事情を知っている者ならばカズミは移籍したと思っているはずだ。
ダークガルムは勢いに乗っているチームだし、エンジニアが他チームに移ることも珍しことではない。
(じゃあ、2つのチームは同盟関係ではなく、むしろ主従関係にあるのか……?)
もしくは、アール・ブランが自覚していないだけで、七宮にいいように利用されているだけなのだろうか。……今の時点ではそう考えるのが一番理にかなっている気がする。
もしそうだとして、七宮はアール・ブランを――タカノユウキを試合に勝たせて、いったいそれに何の意味があるのだろうか。全くもって……
「分からない。」
「はい?」
思考が声になって漏れてしまったらしい。
セルトレイは慌てて取り繕う。
「ああ、トイレの場所がわからないんです。連れて行ってもらえますか?」
「わかりました。こっちです。」
脈略の無い苦しい言い訳に、タカノユウキは怪訝な声を出しつつも、私をトイレにまで連れていってくれた。
トイレから部屋に帰り、セルトレイは暫く会話もなく無為な時間を過ごしていた。
(本当に静かなビルだ……。)
あれからタカノユウキは口を開かず、こちらも余計な質問をすることを控えていた。そのせいか、ビル内部の音が鮮明に耳に届いていた。
聞こえる音といえば、たまに廊下に響く足音と、外の道路を走る車の走行音くらいのものだ。
もしこれがダグラスならばスタッフ同士の会話や、機材を運搬する際の音など、その他様々な騒がしい音が聞こえるはずだ。
騒がしいから活気があって良い。静かだから活気がなくて寂しい。とは言わないが、これだけ静かだとチームとして運営がうまくいっているのか、心配になってくる。
……と、そんな事を考えていると部屋に何者かが入ってきた。その誰かの足音はまっすぐこちらに向かっており、10歩ほどでこちらの前で停止した。
「ほれ、直したぞ。」
先ほどの老人、ベルナルドの声がしたかと思うと、こちらの手に丸い物体が載せられた。
その義眼からは異音は聞こえなかった。
セルトレイは修理された義眼を受け取ると、懐から保護液の入ったスポイトを取り出し、義眼の上に垂らす。その少し粘度のある液体を数滴垂らすと、セルトレイは片目にだけ義眼を装着してみた。
するとすぐに義眼を通して光を感じ、それから数秒しない内に鮮明な景色を認識することができた。目の前にいる老人のシワの数まで正確に把握できる。
「完璧に直ってますね。」
この短時間で見事なものだ。この老人は相当な熟練工なのだろう。
特に迷うことなく、もう片方の義眼も手にとって眼窩にはめ込もうとした時、懐から携帯端末の着信音が聞こえてきた。セルトレイは一旦義眼をテーブルの上に置き、懐から端末を取り出す。
早速、直ったばかりの義眼を使って画面を見てみるとベイルからのメッセージが届いていた。
(『到着しました。』か……。)
いいタイミングでメールを受信したものだ。義眼が直っていなければこのメールも確認できなかっただろう。
とにかく、聞きだせるだけの情報は入手できたし、これ以上ここに留まる理由もない。
「ちょうど迎えも来たようなので、これで帰ります。」
セルトレイはテーブルに置いていたもう片方の義眼を手に取り、眼窩にはめる。
そして、義眼を修理してくれた老人、ベルナルドに一礼した。すると、ベルナルドに言葉をかけられる。
「ウチのランナーが色々と迷惑かけて済まなかったな。」
実際、わざと義眼を落として迷惑をかけたのは自分なのだ。その事を思うと少しだけ心が痛む。
「いえ、とんでもありません。……それでは。」
軽く挨拶をし、セルトレイは会議室から出るべくドアに向かう。
タカノユウキも、もうこちらに付き添う必要がないと判断したようで、その場から一歩も動かない。その結果、部屋に聞こえるのは自分の足音だけであった。
そんな足音を耳にしつつ、セルトレイはすぐにドアに到達する。そして、最後に改めて別れを言うため、去り際に部屋の中を振り返った。
「あの……」
しかし、セルトレイは結城を見た途端に何も言えなくなってしまう。
何かを喋ろうとしたのだが、結城と目が合ったせいで言葉を発するタイミングを見失ってしまったのだ。自分の年齢の半分も生きていない少女なのに、発する雰囲気は既にベテランのそれに等しい……。
(試合前に会えて良かった。……やはり、本気でやる必要があるな。)
改めて見るタカノユウキは、もうただの女子学生には見えない。その鋭い視線には強い闘志が込められており、もはやこちらを心配しているような気配は全くなかった。
(まだ試合はひと月先だというのに……やる気満々だな。)
セルトレイは1時間程前とは違い、結城を『可愛い女子学生』ではなく『敵のVFランナー』として認識していた。
6
「堂々とアール・ブランのビル内に乗り込むなんて、凄いですねセルトレイさん。」
アール・ブランのビルを出て、セルトレイはベイルの運転する車の助手席に座っていた。
ベイルの運転にはかなり不安を感じているのだが、ここの道路には公共のバス以外にあまり一般乗用車は走っていないので、事故を起こすこともないだろう。
そう思いつつも、セルトレイは両手でしっかりとシートベルトを握っていた。
「アール・ブランに乗り込んだのはいいですけれど、結局詳しいことはわかりませんでした。……だた、『ダークガルムと協力関係にある』という線は捨てたほうがいいですね。」
早速結果を報告すると、ベイルは大袈裟に驚いていた。
「え? そうなんですか?」
その言葉と共に車体が一瞬だけぐらつく……。
これ以降はあまり刺激的な発言を控える必要があるかもしれない。
「はい。アール・ブランはダークガルムに利用されただけだと私は考えています。」
このままアール・ブランを調べれば七宮との関係が明らかになるかもしれない。……が、七宮の企み事態については得られるものはないだろう。
その旨についても伝えようとしたが、こちらの言葉はベイルによって止められてしまう。
「これ以上はいいです。……セルトレイさんには試合で戦うという重要な仕事があるんですから、こんな事で迷惑をかけるわけにはいきません。後は自分だけで調べようと思います。」
なかなかいい心がけだ。
こんな誠実な秘書をぞんざいに扱うガレスの気がしれない。
「そうですか。……でも、今日はいい気分転換になりました。タカノユウキの事もよく知ることが……」
そう言いつつ、セルトレイはついさっき会議室で見た結城の目を思い出していた。
……あれは純粋に試合を楽しむタイプのランナーだ。
戦い方に定石やパターンなどなく、戦闘時の状況に柔軟に対応する、こちらにとっては非常にやりにくいランナーでもある。下手な駆け引きは通用しないと考えていい。
「セルトレイさん?」
言葉を途中で切って不振に思われたのか、ベイルは心配そうに声を掛けてきた。
セルトレイは慌ててそれに応じる。
「いえ、何でもありません。……ともかく、迎えに来てくれてありがとうございました。」
セルトレイを乗せた車は、そのままダグラスのチームビルに向けて走っていった。
――修理された義眼を装着したセルトレイがアール・ブランのビルから出てきたのと同刻。ビルから300メートルほど離れた地点、建物の合間の狭い隙間で何かがキラリと光った。
それは2つの対になった銀の髪留めであり、それぞれが女性のこめかみあたりで留められていた。
その女性――『ミリアストラ』は携帯端末をポケットから取り出し、それを金髪のショートカットの内側に潜りこませるようにして耳に当てる。
「セルトレイが出てきたわ。……追うの?」
ミリアストラの視線は離れていく車に向けられていた。
(運転してるのはベイルね……。あの2人、いつの間にあんなに仲良くなったのかしら。)
ミリアストラはダグラス本社のロビーで偶然ベイルとの会話を耳にし、急遽セルトレイの後を追うことにしたのだ。
あの時は遊びのつもりで尾行し始めたのだが、その選択は正解だった。尾行していたお陰でいち早く今までの状況を七宮に報告することができたからだ。
トライアローのオーナーと話をしたり、アール・ブランにまで出向いてユウキから情報を引き出そうとするなんて……セルトレイは見かけによらず行動派らしい。
アール・ブランのビル内で重要な情報のやり取りが行われなかったのがせめてもの救いだ。
(それにしても、船内でカノジョとぶつかるだなんて運がよすぎるでしょ……)
ぶつかった後、迷うことなく自分の義眼を壊すという思い切りの良さも、こちら側にとってはかなり厄介だ。
……ベイルのようなボンクラ相手なら楽に情報を制限することができるのだが、VFランナーが、しかもセルトレイのような年季の入った輩が本気で七宮のことを調査するとなると、アタシも本気で対応する必要があるかもしれない。
すぐに車を追いかけようかと考えていると、ようやく携帯端末から七宮の返事が聞こえてきた。
「彼なら心配ないよ。何もしなくていい。……今接触すれば逆に怪しまれるからね。」
七宮から指示を受け、ミリアストラは体から力を抜いてビルの壁に体重を預ける。
そして携帯端末を持ち直す。
「確かにそうだけど……本当にこのまま放っておいていいの?」
「全く問題ないさ。あの結城君が悪徳企業のダグラスの手先にペラペラと事情を話すわけがないし、セルトレイも深入りはしないはずだよ。」
相変わらずその自信はどこから来るのか……。
ただの憶測でしか無いのに、七宮が言うと納得してしまいそうになる。
「あ、そうだ。」
ミリアストラはふと思いついたことを言ってみる。
「ねぇ、アイツもフリーのランナーだったんだし、アタシみたいにこっち側に取り込めないわけ? アイツならアタシよりもダグラスから濃い情報を引き出せるでしょ。ほら、ベイルとも仲が良いみたいだし。」
かなり理にかなっているし、効率的な方法だと思ったのだが、七宮は考える様子もなくすぐにアタシの案を却下してしまう。
「無理無理。僕はあんなオッサンは好きじゃないんだ。」
「そういう問題じゃないと思うんだけど……。」
こちらの突っ込みを無視し、七宮はさらに続けて言う。
「……それに、新たに手を組むとしても君みたいな美人を選ぶよ。」
そんな冗談めいた答えに、ミリアストラは「それはどうも」と返事をする。そして、その後すぐにある事実に思い至る。
「あっ……。よく考えたらアタシも含めてアンタの周り女だらけね……。」
カズミにアタシにオルネラ……。それに、仲間という解釈を広げるとユウキも含まれる。……仲間の選定基準に七宮の好みが大いに影響しているのは明らかであった。
「はは、そう言えばそうだね。本当に僕は幸せものだよ。」
携帯端末から聞こえてくる朗らかな笑い声に、ミリアストラは溜息をつかずにはいられなかった。
「ホント、不安だわ……。」
しかし、そんな口調もそこまでで、七宮は新たに指示を出してきた。
「……それはそれとして、あの2人よりも先にダグラスに情報を売りに行こうか。」
「今から?」
訊き返すと、七宮は詳しく話し始める。
「会話の内容は盗聴していたんだろう? その通りのことをガレスに話したのでいい。あのベイルっていう秘書と情報が重なれば信頼度も増すはずだよ。」
「なるほどね、りょーかい。」
作戦の旨を理解するとミリアストラは通話を切り、別の携帯端末をポケットから取り出す。
そして、その端末を片手で操作しながらその場から離れていった。
7
「はぁ、嬢ちゃんもよくあんなの連れてきたな。」
セルトレイが去った後、結城はラボでランベルトの愚痴を聞いていた。
今はランベルトの正面に座っていて、セルトレイについての話をしている。
あんなの呼ばわれされてセルトレイが可哀想だが、そう言われも仕方が無いように思う。
――なにせ、セルトレイは私と話をしたいがためにあんな事をしたのだから。
「あの義眼、向こうがわざと落としたんだ。」
急にそんな事を私から聞かされ、ランベルトはきょとんとしていた。
「へ? 嬢ちゃんのせいじゃないのか?」
「うん。」
結城は肯定の意を込めて頷き、話を続ける。
「……でもは義眼を落としてまで私と話がしたいんだと思うと無視できなくて、……だからダグラスじゃなくてこっちのビルに連れてきたんだ。」
「そうだったか。そんなセコイ奴には見えなかったけどな……。」
ランベルトは疑っているのか、微妙な表情をこちらに向けていた。
誤解を解くべく結城はさらに決定的な証拠をランベルトに伝える。
「嘘じゃないぞ。……予備の義眼を使わなかったんだから間違いない。」
「予備の?」
「うん。ベルトにケースがあった。」
セルトレイが保護液の入ったスポイトを取り出した時、ちらりと見えたのだ。元々疑っていたからそれがスペアの義眼だと判断できたのであって、普通にしていれば気づけなかっただろう。
それを聞いてやっと信じてくれたのか、ランベルトは話を進めていく。
「そうか……で、セルトレイと何を話したんだ嬢ちゃん。」
「少ししか話せなかったけど、向こうは七宮のことを聞きたがってたな。」
「ふーん……。まぁ、ベテランとしては気になる相手だろうな。」
ランベルトの言うように、ランナーとしての七宮も気になっていたのだろうが、セルトレイの言い方からすると、むしろ七宮本人についての情報を知りたがっているように思えた。
結城はその事もランベルトに伝える。
「いや、七宮と私達の関係のことを知りたいみたいだった。鹿住さんのこともよく知ってたみたいだったし……。」
鹿住さんのことを知っているのは別段不思議なことではない。だが、あのタイミングで鹿住さんの名前が出てくるということは、普段からダークガルムについて興味を持っているということだろう。
「なるほど、一気にきな臭くなってきたな……。」
ランベルトの表情もだんだんと真剣なものへ変化していく。
「それにしても七宮だ。カズミの件もそうだが、七宮は一体何をやらかすつもりなんだ……?」
「……。」
結城は鹿住から聞いたダグラスや七宮についての話をランベルトにはまだ話していない。それどころか「何でも話す」と約束した諒一にも話していない。
(鹿住さんから聞いた話を考えると……七宮の目的はダグラスにあるんだろうな……。)
ランナーに復帰したのだから、普通の人ならば試合でダグラスをこてんぱんにするつもりなのだろう、と考える。
だが、今までにあった事件のことや七宮の性格を踏まえると、ただそれだけで終わる気がしない。もっと別に大きなことを企んでいる気がする……。
それが何かは分からない。
ただ、私一人でどうにか出来るものでないことだけは明らかだった。
結城が七宮について色々と考えていると、急にランベルトがお手上げのポーズを取った。
「ま、うじうじ考えてても俺らの頭じゃ分からねーし、気にしなくてもいいか。」
「そうだな……って、さり気なく私を馬鹿にしてないか。」
ランベルトは「まぁまぁ……」とこちらの言葉を受け流しつつ、逃れるようにしてラボ内に鎮座している超音波振動ブレードの方を向く。
「もう七宮の話はいいから、嬢ちゃんも一緒に改良しねーか?」
いきなり改良作業の手伝いを頼まれ、結城は咄嗟に首を左右に振る。
「改良って……私にはそんな知識ないぞ。」
ランベルトはこちらが断ったにも関わらず、構わず話し続ける。
「武器に関しては親父とやってるから、どうも発想が古臭くなるんだよ。で、嬢ちゃんの若い知恵を借りたいなー、なんて思ったわけだ。」
話を聞いてみると、なかなか良い考えではないか。
武器に私のアイデアが使われているとなれば、やる気も愛着も増すというものだ。
結城は急にやる気が出てきて、ランベルトの提案を受け入れる。
「うん、わかった。……私もランナーだし、たまには意見を言わないとな。」
心よく協力することを宣言すると、早速ランベルトは私を作業台に連れて行く。
「よし、そうとくれば早速会議だ。少なくとも3週間以内に形にするぞ。」
そう言えば、ランベルトと2人で何かをするのは久しぶりのことかもしれない。
諒一もオルネラさんからの指導で忙しいようだし、暫くはブレードの改良に力を入れてもいいだろう。
セルトレイのことも多少気がかりだったが、結城はそこまで深刻に考えてはいなかった。
ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。
今回も話的にはあまり進みませんでした。ただ、少しだけセルトレイのことがわかったのではないかと思います。
次回にはサマルとの試合が待っています。強力な四肢に対し結城がどのように対抗するのか、楽しみです。
今後ともよろしくお願いします。
※訂正(2011/12/30)尺の関係で、ダグラスとの試合の前に別のストーリーを挟むことにしました。3章はシミュレーションゲームの話になると思います。