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【黒の虚像】第四章

 前の話のあらすじ

 結城は諒一に連れられて日本へ帰ったのだが、その後すぐにツルカが追いかけてきた。

 そして、結城はツルカに暴力による喝を入れられ、少しではあるものの元気を取り戻した。

 さらに結城はランナーを続ける気になり、キルヒアイゼンとの試合に臨むことを決めた。

第四章


  1


 結城は久々に潮の香りを体全体で感じていた。

(何というか、周りが海だと気持ちが安らぐな……。)

 日本も日本で落ち着くが、やはり海上都市には海上都市の良さがある。それは開放感であったり、陽気な気候であった。

 南国とまではいかないものの、この穏やかな気候は心に活力を与えてくれる。

 たまに暑くなるのが欠点だが、そのくらいの不都合には目を瞑ろう。

(雨も滅多に降らないし、この2年は全く傘なんかさした記憶がないな……。)

 そう思い空を見上げる。

 雲は一つもない。

 その代わりに、遠くにVFBミュージアムのビルが目の端に写った。

 そこは、VFBフェスティバルの時に鹿住さんを最後に見た場所でもあった。

「……。」

 結城はそのミュージアムのビルから視線を離し、進行方向に目を向け直した。

 ――現在、結城はアール・ブランのラボに向かって歩いている。

 日本から海上都市に帰ってきたことや、他にも色々とランベルトに話しておく必要があると思ったからだ。

 結城の隣にはツルカがいて、さらにその隣には諒一もいる。

 時差のせいだろうか、それとも運動不足のせいか……とにかく体がだるく、結城はすぐにでも自分の部屋で休憩したい気分だった。

(でも、言い出したのは私だし……)

 1STリーグフロートユニットは空港から中央フロートユニットの通り道にある。

 そのため、つい結城は「ランベルトに挨拶してお土産を渡そう」と言って2人を無理矢理引き連れてきたのだ。

 長旅で体のあちこちが凝っているし、ランベルトと話すのは明日でもよかったかもしれない……。

 そんな数十分前の過去の自分の判断を恨みつつ、結城は隣を歩く二人を見る。

 ツルカはそこまで疲れてはいないようで、手にはおみやげの入った小さな袋を握っていた。オルネラさんへのプレゼントらしいが、それが何なのかはまだ教えてもらっていない。

 更に隣を歩く諒一の手にはおみやげの紙袋が数袋握られていた。それらは歩くたびにガサガサという音を立てていた。

 主にお菓子などが入っているので重いことだろう。

 ……この2週間、結城はツルカを街案内したり、ツルカと一緒に近くのショッピングモールで買い物したりと、半ば観光案内のようなことをしていた。

 ツルカは停学中ではないので、結城としてはすぐに海上都市に帰った方がいいのではないかと考えていたのだが、ツルカがそれを拒んだのだ。

 しかし、図らずもそのおかげでツルカと楽しいひと時を過ごすことができ、結城は停学中にもかかわらず、このちょっとした休暇に満足していた。

 そんなことを考えていると、やがて一行はアール・ブランのビルに到着した。

 ビルの外見は2NDリーグの時のものとあまり変わらない。平べったい形をした大きなビルである。

 結城たちはその入口を抜けて、受付スタッフに軽くあいさつをすると地下のラボへと進んでいく。

 途中、誰ともすれ違うことなくラボの前まで来ると、ラボの中には人がいるらしく、中から作業音が聞こえてきていた。

 その音を聞きつつ結城はドアに手をかける。

(……ランベルト、なんて言うだろうな。)

 ランナーを辞めると言っておきながらラボに帰ってきたのだから、それなりに謝る必要はあるかもしれない。

 それに、私の代わりにランナーを雇っている可能性もある。

 そう思うとなかなかラボの入口のドアを開けられない結城だった。

 ……が、そんなことはお構いなしに、ツルカは元気よくラボの中へ入っていく。

「ただいまー」

 入ると同時に発せられたツルカの声はラボ内に響き、何度も反響した。

(少し広くなってる……?)

 ツルカの後に続いて結城は中に足を踏み入れる。

 ――ラボを訪れるのも久し振りだ。

 特に、1STリーグの新しいラボに入るのは今日が初めてななので、実は少し楽しみにしていた。 ……が、場所が新しくなっても機材を新しい者に買い換えたわけではないので、ラボ内の風景もあまり変わることはなく、結城はそれを少し残念に感じていた。

 その後、視線をラボ内に巡らせていると、ラボ内を静かに歩いている赤いボディが目に入ってきた。

(あれは……!!)

 それはダグラスのハイエンドVFではなく、完全に修理されたアカネスミレだった。

 外見だけを見ても内部まできちんと直っているかは判断できないが、あんなにスムーズに歩いているのだから試合に出られるくらいには修復されているだろう。

 もし修理が完全でないとしても、外見が元通りのアカネスミレを見るだけでうれしさが込み上げてくる。

 修理はもう無理だと諦めていたのに、一体どうやって修理したのだろうか。

 ランベルトはよほど努力したに違いない。

 ……ただ残念なことは、そのアカネスミレを動かしているのが私ではない、別のランナーだということだった。

「おいお前ら!! 今までどこ行ってたんだ!?」

 ツルカの声でこちらの存在に気がついたのか、ランベルトは作業を中断してこちらに駆け寄ってきた。

 ――最後にランベルトを見たのは病院だ。

 あれから連絡すらしていなかったので、新しくフリーのランナーを雇ったのだろう。

 すぐにランベルトは私の目の前まで迫ってきて、なにか言いたげな表情を浮かべる。

 結城はそんなランベルトに対し、先制して謝罪した。

「心配かけてごめんなさい。ランベルトさん。」 

 いつもとは違い丁寧な言葉で、さらに頭まで深く下げてそう言うと、「お、おう」というランベルトの動揺する声が聞こえてきた。

 頭を下げているのでその顔を見ることはできないが、どんな表情をしているのかは容易に想像できる。

 そのまま頭を下げていると、やがてランベルトが言葉をかけてきた。

「先に謝りやがって……。」

 ランベルトは半笑いでそう言うと、私の肩をポンポンと叩く。

 それに応じ、結城は下げていた頭をあげた。

 すると、それを待ち構えていたかのようにランベルトも謝罪の言葉を述べ始める。

「俺の方こそ、色々と悪かったな。」

 気恥ずかしそうにそれだけ言うと、ランベルトはこちらの肩から手を離し、続いて怪我の具合を聞いてきた。

「今思いっきり触っちまったが……肩はもういいのか?」

「うん。もうどんなに動かしても痛くない。」

 結城は右手を左肩に当てた状態で左の腕をくるくると回してみせる。

 その回転スピードを見て納得したのか、ランベルトはほっとした表情を見せた。

「そうか、なら安心して嬢ちゃんにランナーを任せられるな。」

 そう言ってランベルトは視線をアカネスミレに向けた。

 結城もつられて、改めてアカネスミレを観察する。

 アカネスミレは基本動作の確認作業を行なっており、腰を前後に曲げたり、屈伸運動したりしていた。

 その動きから、あまり操作技術は上手くないことが解る。

(今乗っている人には悪いけど、ちゃんと“私が試合に出る”って言っておかないとな……)

 結城はそのランナーについての情報をランベルトから聞き出すことにした。 

「なぁ、今アカネスミレに乗ってるランナーはどんな奴なんだ?」

「ああ、あれはランナーじゃねーぞ。」

「へ?」

 ランベルトの意外な言葉に結城は拍子の抜けた声を出してしまう。

 ……新しくランナーを雇ったというのは、どうやら私の勘違いだったようだ。

 ランベルトは頬をポリポリと掻きながら付け足すように言う。

「リョーイチからも『結城を信じてくれ』って言われてたしな。……新しくランナーを雇うつもりは全くねぇよ。」

「そうだったのか……。」

 私がVFランナーを辞めないと信じ、その帰りを待ってくれていたことに感謝しつつも、結城は今現在アカネスミレを操作している人のことが気になっていた。 

「じゃあ、あれは誰が?」

 ランベルトに訊いても、ランベルトはすぐに答えはしなかった。

(……?)

 何か不都合でもあるのだろうか。

 考えられる人物といえばベルナルドさんくらいだが……流石にそれは有り得ない気がする。

 コックピットの中にいるのが誰なのか気になっていると、丁度良くアカネスミレが歩行を辞め、コックピットの中から人が出てきた。

 そのシルエットは女性のもので、ツルカにはそれが誰だかすぐに分かったようだった。

「お姉ちゃん!?」

 隣にいるツルカは一言そう言うと、アカネスミレ目がけて走りだす。

 続いて結城と諒一もその後を追って移動することにした。

(オルネラさんがなんでここに……?)

 予想外の人物に驚いていると、オルネラさんはコックピットハッチから飛び降り、ラボの床に着地した。

 オルネラさんは黒のTシャツにジーパンという非常にラフな格好をしており、手には作業用のグローブを、足には頑丈そうな安全靴を履いていた。

 オルネラさんもこちらに向けて歩いており、ゆっくりと歩きながら作業用の分厚いグローブを外してポケットに入れていた。

 そして、ツルカが近くまで来るとオルネラさんは素手でツルカの頭を撫で始める。

 結城たちが近づくまで、ツルカはずっと頭を撫でられていた。

「お帰りないさい、ツルカちゃん。……日本は楽しかった?」

「うん、楽しかった……じゃない!! なんでお姉ちゃんがアール・ブランのラボに?」

 ツルカがうれしげな表情を見せたのも一瞬のことで、すぐになぜこんな場所にいるのかを問い詰めていた。

 しかし、オルネラさんはそれをスルーしてランベルトに報告する。

「アカネスミレ、大体のチェックは完了しました。すみませんが、これが私にできる復元の限界です。……と言っても、フレームはファスナと同じ物を流用しているだけですけれど……。」

 ――話が見えてきた。

 アカネスミレの修復が無理だと悟ったランベルトが、オルネラさんに修理を頼んだのかもしれない。

 ただ、どうやってオルネラさんに依頼したのかは全く想像が出来なかった。

 オルネラさんから報告を受けたランベルトはというと、珍しく姿勢を正してぎこちない敬語で返事をしていた。

「長い間ご苦労様でした、オルネラさん。ご協力に感謝します。」

 オルネラさんはもう片方の手袋を外しながら笑顔で受け答える。

「こちらこそ。お手伝いありがとうございました。」

(ランベルトが“お手伝い”扱いか……。)

 アカネスミレの修理に関して、どちらが主導権を握っていたのかは一目瞭然であった。

 ランベルトは過去にキルヒアイゼンで働いていたらしいし、その繋がりのおかげで修理を頼めたのかもしれない。

 ……それにしたって、敵チームのVFを修理した上に自チームのフレームを使うのはサービスが良すぎるのではないだろうか。

 アール・ブランを助けたところで何のメリットもないはずだ。

 結城はそれを不思議に思っていたが、それよりもオルネラへの感謝の念のほうが強かった。

(一応、私もお礼言っといたほうがいいかもな。)

 そう思い一歩前に出ると、不意に背後から諒一のセリフが聞こえてきた。

「フレキシブル・アーティフィシャル・マスキュラー・フレーム……」

「何? 何の呪文!?」

 いきなりよく分からない単語を言われ、結城は振り向いて諒一に問いかける。

 諒一はアカネスミレを見上げており、そのまま視線を変えることなく言葉を続ける。

「……略して『FAMフレーム』。ファスナに使用されている、キルヒアイゼンが開発したフレームだ。」

「なんか、名前だけ聞くとすごいフレームに思えるな。」

 その結城の予想は的中していたらしく諒一は力強く頷く。

 そして、続けざまにその『FAMフレーム』とやらについて小声で説明し始めた。

「このフレームは人の筋肉の動きを正確に模した作りになっている。そのお陰で動力源の伸縮素材は通常のモーターの約10倍の速さで動作するらしい。エネルギー変換率が極度に高いのも特徴だと聞いている。」

 そう説明しながらも諒一はそわそわしていた。……多分、実物のフレームに触りたくて仕方ないのだろう。

「よく分からないけど、とにかく普通のものより10倍速いってことだな?」

 10倍速いとなるとファスナの動きはもっと速くなくてはならないような気もする。

 上手く制御するためにパワーを制御しているのだろうか……?

 ……結城がそのフレームについて色々と疑問に思っていると、諒一の話を聞いていたのか、急にオルネラが話に割り込んできた。

「単純動作の比較なら10倍で間違いないです。けれど、人の動きとなると複雑な複合動作に

なりますから、実際の速さは3倍程度に、……外装甲やら補助動力やら色々つけると2倍程度に落ち込むのが現実です。それでも一応は現存するフレームの中で最高の反応速度を誇っているんです。」

 諒一の言っていたことは間違いで、実際は2倍程度の速さのようだ。

(2倍でも十分速いじゃないか。)

 ただ、そんなフレームをアカネスミレに組み込んでも、今の私がそれを上手く操ることができるかどうか、あまり自信はなかった。

 諒一はというと、オルネラさんの説明に対して更に込み入った質問を投げかけていた。

「このフレームは開発が上手くいってなかったのだけは覚えてるんですが、やはりオルネラさんが仕上げを?」

「まぁ、そんなところです。」

 そう答え、オルネラさんはさらに説明を続ける。

「でも、いいことばかりでも無いんです。縦方向と面方向への強度が高いぶん、斬撃に関しては耐性が全くないですし、あと、調整や管理が難しいのと高価なのも欠点ですね。」

「そ、そうなんですか……。」

 そんなに弱点を言っていいものなのだろうか……。

 ペラペラと敵チームに情報を話していいのか、そしてその話を私が聞いてもいいのか。

 ……結城は難しい顔をして思い悩む。

 それを私が話を理解できていないと判断したのか、オルネラさんは話を噛み砕いてくれた。

「そうですね……とても強力なゴムバンドが動力源に使われていると考えるとイメージしやすいかもしれません。」

 隣にいる諒一は興味深そうにそれを聞いていた。

 結城は、話を聞いて性能は高いのはわかったが、逆に高価なFAMフレームを貰ったことにより、こちらの出費が増えないかが不安だった。

 結城としては前の鹿住さんが開発したフレームでも良かったのだが……やはり修理は難しいのだろう。

「いいんですか? そんなすごいフレーム……。」

 遠慮がちに言うと、ツルカもこちらの意見と同じようなことをオルネラさんに言う。

「ユウキの手助けをしてくれたのは嬉しいけど、なにもここまでする必要はないんじゃないか?」

 そうは言ったものの、ツルカは私やランベルトのことを頻繁にチラ見していた。

 キルヒアイゼンに属するツルカは、対戦相手のVFを修理するということに対し複雑な思いを感じているようだった。

 しかし、オルネラさんは動じる様子もなくそれに応える。

「日本で妹がお世話になりましたし、それにこれはイクセルさんの頼みでもあるんです。」

「イクセルさんの?」

 思わず聞き返すと、オルネラさんは「ええ」と言ってこちらに笑顔を見せる。

「つまり、それだけイクセルさんがユウキさんに期待しているってことだと思います。」

「私に期待……イクセルさんが……?」

 ファスナと同じフレームをこちらに提供するなんて、敵ながらあっぱれと言うか、正々堂々というか、粋が良すぎるにも程がある。

(敵のランナーからも心配されるなんて……思いもしなかったな。)

 イクセルさんには何度か助けてもらったこともあるし、ここまで親切にされると惚れてしまいそうになる。

 ……と、ここで結城は改めてオルネラさんに確認する。

「まさか、それだけの理由でアカネスミレを修理してくれたんですか!?」

 こちらの言葉に対し、オルネラさんは「それだけの理由で十分だ」と言わんばかりに、目を閉じて深くゆっくりと頷く。

「……他にも理由がないわけではありません。ですけど、イクセルさんの他にもユウキさんを応援してくれている人がいるのは事実です。……私も同じ女性として、ユウキさんの活躍には期待しているんですよ?」

 目を閉じたまま強く語りかけられ、結城はしどろもどろに返事する。

「あ、それはどうも……。」

 キルヒアイゼンのチーム責任者に期待されるなんてとても光栄だ。

 結城がその言葉に恐縮していると、思い出したようにオルネラが背後を向く。

「それにしても、もともとアカネスミレに組み込まれていたあの特殊なフレーム……、あれはすごいですね。デタラメのようでいて統一的、出力調整も自由自在でフレーム自体も伸縮するなんて……。あんなフレームは見たことがありません。」

 オルネラさんの視線の先にはアカネスミレから取り外され、使い物にならなくなったフレームがあった。

 鹿住さんが開発した特殊なフレームはボロボロの状態で大きな器具に固定されており、一目見ただけでそれが修復不可能だと解るほどひどい有様だった。

(オルネラさんが感心するなんて、やっぱり鹿住さんはすごかったんだな……。)

 リアトリスの性能も半端なくすごいものだったし、これから改良を加えていくことを考えると末恐ろしく感じる。

 結城はまたしてもリアトリスのことを思い出していたが、今は少し不安に感じるだけで、あまり恐怖というものは感じていなかった。

 そんなボロボロのフレームを眺めていると、オルネラさんがあることを要求してきた。

「あのフレームには興味がありますし、少し解析してみてもいいですか? あの傷からリアトリスが使っていた刀の事も色々と分かるかもしれないです。」

 オルネラさんの控えめな要求に対し、ランベルトはすぐに首を縦に振る。

「もちろんです。解析なり何なりご自由に調べて下さい。」

「ありがとうございます。……では、破損したフレームはあのままの状態で保管しておいて下さい。時間がある時にまたこちらで調べますから……。」

 しばらく話していると、オルネラさんは急に時計を確認した。

 何か予定でもあるのだろうか、オルネラさん慌てた様子でランベルトに電子ボードを手渡して今後のことについて手短に伝える。

「ランベルトさんは昔うちのラボで働いていましたし、マニュアルさえ把握していれば完全修理はともかく、通常のメンテナンスなら簡単にできると思います。困ったことがあればまた連絡して下さい。……それじゃあ私はキルヒアイゼンに戻ります。」

 そう伝えると、オルネラさんは近くに掛けてあったジャケットをTシャツの上に羽織り、そのままラボから出て行ってしまった。

 その後を追うようにツルカもラボの出口に向けて歩いていく。

「ボクもお姉ちゃんと一緒に帰るから……また今晩部屋で会おうな、ユウキ。」

 部屋という単語を聞き、ツルカと一緒に女子寮で過ごすのが久し振りであることに気がつく。

 日本で過ごしていた間はずっと一緒の部屋で寝ていたので、今晩は別々の寝室で寝ることになり、逆に寂しくなるかもしれない。

 ……もちろん、寂しい寂しくないはツルカの気持ちになって考えているだけで、決して私のことではない。

 結城はラボの出口付近にいるツルカに対し返事をする。

「うん。諒一が料理を作って待ってるからな。」

 さりげなく諒一に料理の準備を押し付け、結城は軽く手を振る。

 ツルカもそれに応じて手を振り返し、しばらく手を振り合った後ラボから出ていった。

 ラボ内は結城、諒一、ランベルトの3名になり、一気に華やかさが失われてしまった。

 結城はさっそくランベルトに話しかける。

「なぁランベルト、オルネラさんはいつからこのラボに来てたんだ?」

 さっきの様子だと、そこそこの期間オルネラさんはこのラボで作業していたように思う。

 それに、アカネスミレをあそこまで修復するのには2日や3日程度では不可能だ。修理についてあまり詳しいことは理解できないが、最低でも1週間は掛かるはずだ。

「……確か試合が終わってから2日後にはもうフレームをこっちに送りつけてきてたな。」

「そんなにすぐだったのか……。」 

 あまりにも早い対応に結城は面食らってしまう。

 ランベルトは視線を上に向けて、その時のことを色々と思い出しているようだった。

「あれは修理っつーより、アカネスミレの装甲をFAMフレームに移し替えただけだったな。とにかく、ダグラスから貰ったVFはコックピットが使い物にならなくなってたし、オルネラさんが修理してくれて本当に助かったってわけだ。」

 資金的にも時間的にも助かったことだろう。

 特に時間に関しては次のキルヒアイゼンとの試合まで3週間近くあるので、FAMフレームの慣らし操作も十分に時間が取れるはずだ。

(上手く操作できるといいんだけど。)

 ファスナと同じフレームを……イクセルさんが操作しているのと同じフレームで試合に望めるかと思うと興奮を禁じ得ない。

 しかし、それと同時に鹿住さんの残したものが消えてしまったようで寂しくもあった。

「外見は変わらないけど、中身はすっかり変わったってことか……。」

 結城は思ったことを口に出してみる。

 すると、ランベルトは否定する様子もなくこちらの言葉に同意してきた。

「ああ、そうだな。……でもフレームの方もアカネスミレの装甲に合わせて調整してたみたいだし、中身が変わってもあれは俺たちの『アカネスミレ』で間違いねーよ。」

「……うん。」

 別に私はアカネスミレに執着しているというわけではない。 

 ただ単に、今まで共にアリーナに立っていたアカネスミレとの思い出を失いたくなかっただけだ。

(これからもよろしく頼むぞ……。)

 そう思いつつアカネスミレを眺めていると、何やら背後から話し声が聞こえてきた。 

「それにしてもリョーイチ、……なんか嬢ちゃん、態度も雰囲気も変わってないか?」

 どうやら2人で私について話しているようだ。

 結城は話の途中から会話に参加してみる。

「変わったって……なにがだ?」

 そう言うと、ランベルトはその通りと言わんばかりの表情を見せた。

「いやぁ、見違えたぞ嬢ちゃん。その返事の仕方も落ち着いた感じで妙に女っぽいし……これはとうとう大人の階段上っちゃったか? 向こうでリョーイチと何かあったんじゃ……」

 相変わらずリョーイチとのことを誂われ、結城は即答する。

「まだ何もない!!」

 しかし、その言い方が悪かった。

 ランベルトはニヤニヤしながらこちらの言葉のあげ足を取る。

「“まだ”ってことは近い将来は……」

「……。」

 結城が黙って睨むと、ランベルトは口をつぐんだ。

 それでもランベルトは何やら陽気な雰囲気を漂わせていた。

「まぁ、嬢ちゃんもよく帰ってきたもんだ。正直に言うと……本気で嬉しい。」

「ランベルト……。」 

 ランベルトは恥ずかしさを隠すように、こちらに背を向けてタバコを吸い出す。

「そろそろ、お前らを学生扱いするのも辞めないとな。」

 そう言うとランベルトはこちらを向いて、タバコを持っている手を胸の前あたりでひらひらと上下させる。

「……2人ともこれからもよろしく頼むぞ。」

 なんとも軽い感じの頼まれ方だったが、結城にはそれでも十分にランベルトの気持ちが伝わっていた。

 ――結城はすぐにでもアカネスミレを操作したかったが、明日の学校のことも考え、その日はすぐに女子寮に戻ることにした。


  2


 結城たちが日本から海上都市群に戻ってからおよそ10日後、1STリーグ海上アリーナでは『ダークガルム』と『スカイアクセラ』の試合が行われていた。

 その様子をハンガー内にあるモニターを通して観戦しているのは、白衣がよく似合う女性エンジニア……鹿住だった。

(試合も終盤なのに、リアトリスは全くのノーダメージですか……。)

 ……現在、鹿住はパイプ椅子に座ってモニターの前に陣取っている。

 その椅子には楽な体勢で座っており、両足はぴんと伸びた状態で前に投げ出されていた。また、両手は白衣のポケットに突っ込まれていて、地面と垂直になるほどだらりと垂れていた。

 左右の後頭部2ヶ所で結ばれた長く黒い髪も重力に従って下方へ垂れていたが、それらは途中にある白いフードの中に入れられていた。

(やはり、七宮さんは強いですね……。)

 試合はダークガルムのVF『リアトリス』が有利に進めており、スカイアクセラのVF『エルマー』は苦戦を強いられているようだった。

 スカイアクセラの『エルマー』は体中にスラスターを装備しており、そこから生み出される推力によってトリッキーな動きができる。この不規則的な攻撃で敵を翻弄するという戦法をとっているわけだが、リアトリスには全く効果がないらしい。

 リアトリスは無傷状態で、更に、開始位置からほとんど動いていなかった。

 今は左アームを鞘に、右アームはその刀の柄を握っている状態で動きを止めている。それは、エルマーの攻撃を待ち構えているようにも見えた。

 逆にエルマーの装甲には無数の切り傷があり、動きも緩慢でぎこちない。

 既に武器も持っておらず、満身創痍といった感じだ。

(……そろそろトドメという所でしょうか。)

 見たところ、エルマーの装甲はこれ以上のダメージに耐えられそうにない。

 エルマーもそれを悟ったのか、背部のスラスターを全開にしてリアトリスに突っ込んでいく。……まさに最後の一撃にふさわしい超高速のタックルである。

 だが、そんなお粗末な突進が私のリアトリスに当たるわけがない。

 エルマーはすれ違いざまに振られた刀によって頭部を跳ね飛ばされてしまい、呆気無くレシーバーを失った。そして無様にボディを地面にこすらせながらアリーナ状を滑って行き、止まる頃には体中がボロボロになっていた。

 リアトリスはそれに目をくれることなく、刀を鞘に納めてリフトに移動していく……。

 その姿はまさに圧巻であり、勝利するのが当然であるかのような雰囲気を漂わせていた。

 ――スカイアクセラのエルマーもそれなりに強いVFのはずだ。

 それなのにこれほどの大差を付けて勝利できるのは、ランナーの実力の差が歴然であるという他に説明のしようがない。

(なぜあれほどの実力を持っていながら、数年前の1STリーグでは優勝出来なかったのでしょうか……不思議です。)

 試合の様子をモニターで見ていた鹿住だったが、決着がついたのを確認すると、モニターから離れて別の機材まで移動した。

 その機材には大きめのコンソールがついており、その画面には試合によって得られたフレームの情報が下から上へとものすごいスピードで表示されていた。

 その表示されている数字の変動はとても小さく、七宮さんが完璧にリアトリスを使いこなしていることを示していた。

 ……コックピットを刀で突き刺すというめちゃくちゃなことをして、それで結城君が死なずに済んだのも、単にこの七宮という人の実力が高かったからだろう。

(あんな絶妙な力加減を目視と感触と勘だけで実現させるなんて……人間業じゃないですね。)

 七宮の技にも驚かされるが、それよりも結城君の行動にも驚かされた。

 今はもう海上都市に帰ってきていると聞いているが、約2週間ほど帰国していたらしいのだ。

 学校も停学になったと聞いたし、やはり七宮さんが結城君に対して“やりすぎた”せいなのだろう。

 ……こちらに帰ってきて新調されたアカネスミレにも乗れているからいいものの、今度また結城君にあんな事をするようならば、今後の七宮さんとの付き合いを今一度考え直す必要があるかもしれない。

(あの人は心の底から嬉しそうに人をいじめるから、本当にタチが悪いです……。)

 そんなことを考えつつ試合で得られたデータをまとめていると、すぐにハンガーにリアトリスが降りてきた。

 リフトは大きなモーター音を発しながら漆黒のVFをゆっくり下に降ろしていく……。

 すぐにそのリフトはハンガーの床に到達し、リアトリスは安全装置が働くのを待たずしてリフトから降りる。

 そしてハンガーの中央付近まで移動すると、胸の位置にあるコックピットハッチが開き、中から七宮さんが出てきた。

 七宮さんはコックピットから豪快に飛び出て地面に着地し、すぐにメガネタイプのHMDを外してそれを指でくるくると回し始めた。

 ついでに鼻歌を歌いながらこちらまで来ると、七宮さんは上機嫌に話しかけてきた。

「……リアトリスは最高だよ鹿住君。乗るたびに僕の思うように動いてくれるのはまさに快感だね。」

 それはまるで、軽く車でドライブしてきたかのような言い方だった。

 しかし、七宮さんのような実力のあるランナーに自分が製作したVFを褒められて嬉しくないわけがない。 

 鹿住はその感情を表に出すことなく七宮に言葉を返す。

「……毎回フィードバックして最適化されているのですから当然のことです。褒めるならリアトリスに搭載されているバリアブルフレームシステムと、この演算装置を褒めて下さい。」

 鹿住はそっけなく返事をし、平静を装って淀みなくコンソールを操作していた。

 ついでに、七宮の褒め言葉に対して謙遜してみせる。

「あと、私が設計したとはいえ、リアトリスの半分は七宮さんが持ってきたアレで作られていますから……確か、キルヒアイゼンと同じフレームの構成部品ですよね。」

「そうそう、上手いこと組み込んでくれて僕としても嬉しいよ。」

 七宮さんがあのフレームを持ってきたせいで、作業時間はかなり増大してしまった。

 しかし、同時にそのお陰でリアトリスは予定よりも更に強化されていた。

「アレのおかげで設計は練り直しになりましたけど、一つの工程を丸々飛ばせましたし、あと、フレームの伸縮機能をスムーズにすることができました。」

 こちらが思いついたことを並べて言うと、七宮さんから言葉が返ってきた。

「役に立ったのなら幸いだね。」

 七宮さんはそう言いながら私の背後に立ち、こちらの肩越しに今回の試合で収集できたデータを見ているようだった。

 そのまま作業をじっと見られているような気がして、落ち着かない鹿住は再び七宮に喋りかける。

「……で、どうやってあのフレームを入手したんです?」

 手を止めて椅子を回転させて後ろを向くと、七宮さんと目があってしまった。

 七宮さんはこちらから目を逸らせることもなく淡々と話す。

「ああ、これは元々七宮重工とキルヒアイゼンの共同開発だったからね。材料や情報を手に入れるのは苦にならなかったよ。」

「共同開発?」

「そうそう。フレームの設計はともかく、材料に関しては七宮重工が開発したものなのさ。」

 信じられないような新事実に、鹿住は自分の耳を疑った。

 確かに、あの素材はVF専用の物だとは言い難く、七宮重工が開発したと言われても違和感はないように思える。

(しかしそれが本当だったとしても、フレームと予備の材料一式を用意するには結構な時間がかかると思うのですが……。)

 七宮さんが言ったことが本当かどうか判断に困っていると、何の予兆もなく七宮さんがこちらに顔を近づけてきた。

 そしてこちらの耳元で囁く。

「別にキルヒアイゼンから技術を盗んだわけじゃないから安心するといいよ。」

「……。」

 わざわざ犯罪に手を染めていないことをアピールしてくるあたり、こちらの考えていることはバレバレだったようだ。

 七宮さんは後ろめたいことはしていない旨を念を押すように伝えると、こちらから目を離してリアトリスを眺める。

「あのフレームと鹿住君のバリアブルフレームを組み合わせたリアトリスはまさに最強のVFと言ってもいいかもしれないね。」

 その七宮と同じようにして鹿住もリアトリスを見る。

 パッと見、ただの真っ黒なVFなのだが、やはり腰に下げている刀が目立っていた。

 その鞘に納められている刀をみて、ある疑問を感じた鹿住はすぐにそれを言葉にする。

「私には、あの大きな金属の塊でコックピットを貫いたほうが驚きでしたが……。あの武器は禁止にされないんでしょうか?」

 コックピットを貫通できる武器なんて危険すぎるにもほどがある。

 ……にもかかわらず、委員会から全くその件について連絡はないため、鹿住は不思議に思っていたのだ。

 そんな質問に対し、七宮さんは悩む様子もなく答える。

「禁止にするなんて無理だよ。あれには特殊な装置は使われていないし、ただ単に切れ味がいいというだけだからね。……禁止するとなると、僕の操作技術を規制しないといけなくなるよ。」

「確かに、そうですよね……。」

 改めて言われてみると、あの刀は珍しくはあるが特殊な機構は確認できない。

 もはや、私のリアトリスが優れているのか、それとも七宮さんの操作技術が飛び抜けて優れているのか……判断に困るものの、どちらにしてもダークガルムが試合に負ける要素は存在していなかった。

(あ、そういえばデータ分析の途中でした……。)

 リアトリスを見ている間に作業が滞っていたことに気が付き、鹿住はすぐに作業に戻る。

「じゃあ僕はインタビューに出るから、データがまとまったらラボに帰るといい。」

「分かりました。」

 鹿住が返事をすると、七宮はすぐにその場を離れてハンガーから出ていった。

 その後、しばらく鹿住は作業を続けていたが……

(先にリアトリスを装置に固定しておきましょうか……。)

 リアトリスをハンガー内に放置しているという状況に心が落ち着かず、先にリアトリスを移動させることにした。

 鹿住は一旦コンソールから離れ、リアトリスを専用の装置に固定させるべく、遠隔操作用のパネルがある場所まで歩いていく。

(十数メートルとはいえ、歩くのは面倒ですね……。)

 こういう時に諒一君のようなサポートしてくれるスタッフが居ると楽なのだが、リアトリスの詳細な機構がシークレット扱いなのであまりそれは望めない。

 鹿住がパネルを操作するとリアトリスはひとりでに動き出し、すぐに固定装置まで移動していった。

 それを見届け、鹿住は自分の作業に戻ることにした。


  3


 結城が企業学校に復帰してからおよそ3週間近く経った。

 この3週間ほどの間、結城はFAMフレームに慣れるために、学校が終わるとすぐにラボを訪れアカネスミレに乗っていた。

 なぜなら、イクセルに勝利することはできないにしても、万全の体制で全力を尽くすつもりでいたからだ。しばらくVFを操作していなかったぶん、なるべく練習してカンを取り戻す必要もあった。

 学校でも演習で訓練用のVFには乗っていたが、やはり競技用のVFとは得られる感覚が全く違う。こちらの思うまま動いてくれるアカネスミレとは違い、訓練用のVFは反応が鈍く、カンを取り戻すどころの話ではないのだ。

 訓練用のVFを鈍いと判断できるようになったのも、自分が成長しているからだと思うとなかなか感慨深い。

 ――久しぶりにアカネスミレに乗った時……、自分でも意外なほど『恐怖』というものは感じなかった。

 ダークガルムとの試合の時にあれだけコックピット内でリアトリスに恐怖を与えられたというのに、フラッシュバックも起きず恐怖も感じなかったのだ。

 恐怖が打ち消されるほど、私はFAMフレームに強い興味を持っていたのだろうか。

 実際、FAMフレームは思うほど扱いにくいものではなかった。

 作りが少々特殊なフレームと聞いて上手く操作できるかどうか心配していたが、思いの外FAMフレームは操作しやすく、結城はその3週間で十分にその機能を引き出せるまで慣れていた。

 操作時のレスポンスが早いので制御するのは大変だったが、制御さえ出来れば強力な武器になるだろう。

 実際に広い場所で性能を試す機会が無かったことが悔やまれる。

 しかし、イクセルとの戦いではそこまで走り回ることはないと予想しているので、あまり問題ではないはずだ。それに、もし問題があるとしても今からではどうしようもない。

 なぜなら、今日はキルヒアイゼンとの試合の日なのだから……。

(とうとうイクセルさんと試合か……。)

 結城は1STリーグの海中施設にある更衣室にて、制服を脱いでランナースーツへと着替えていた。

(あれだけ練習したんだし、試合途中で動けなくなるなんてことは……ないよな。)

 結城は未だに試合に関して不安を感じていた。

 もしかして、試合中に身動きがとれなくなってしまうのではないかと心配していたのだ。

 イクセルさん相手に一瞬でも動きを止めてしまえばその時点で即アウトである。

 ……ツルカには「今日はイクセル調子悪そうだったし、勝てるかもしれないぞ。」と言われているものの、勝つのはほぼ不可能に近いだろう。

 そのツルカはというと、今頃はキルヒアイゼンのハンガーでオルネラさんと一緒にいる筈だ。

(いくら友達でも、さすがに敵チームのハンガーには入れないみたいだな。)

 キルヒアイゼンの責任者であるオルネラさんと、その妹であるツルカが姉妹揃ってアール・ブランを応援してくれているのだから、今さらハンガーに来ても何も咎めることはない。

 むしろ大歓迎である。

(でも、こっちが許してもキルヒアイゼンの人たちが許すわけないか……。)

 立場上仕方が無いことだが、やはりツルカの応援がないのは少し寂しい。

 とりあえず今日は諒一もランベルトもいることだし……それで多分大丈夫だということにしておこう。

「ふぅ……。」

 結城は一人でランナースーツを着用し終え、脱いだ制服を適当にまとめてロッカーに突っ込む。そして、それらがロッカーからはみ出ないように素早く扉を閉め、更衣室の中央にあるベンチに腰掛けた。

 背もたれの無いベンチは無駄に幅が広く、結城は後ろ手をついて天井を見上げる。

 天井には小さな電灯が設置されており、更衣室内を暗く照らしていた。

(まだ試合まで時間はあるけど……。)

 結城は、ちょっと座ってからみんながいるハンガーに行くつもりだった。

 ……だが、なぜだか急にハンガーに行くのが面倒になり、試合が始まるまでの時間を静かな更衣室で過ごすことにした。

 時間が来れば残りの安全装置を装備して更衣室から出ればいいだろう……。

「安全装置、か。」

 私の身を衝撃から守ってくれる胸部プロテクターや腰部のサポーターは少々重量があるのでまだ装着していない。

 結城はそれらを指でコツコツと軽く叩きながら七宮との試合のことを思い返していた。

 ――あの時、胸部装甲は正常に動作していた。

 しかし、リアトリスの刀の前にはほぼ無力であったのだ。

 ……今回もコックピットにダメージを受ければ動作することは間違いない。しかし、動作したからといって私の身を完全に守ってくれるという保証はないのだ。

 結城は、“無いよりかはある方がいいだろう。”と、その程度の認識しか持てないでいた。

(それよりも、これがないと体のラインが丸分かりだからな……。)

 そもそも、このランナースーツは体に密着しすぎなのだ。

 もう何度も着用しているせいで違和感はないが、改めて全身を見ると何かのコスチュームのようにも思える。

(多分、人体工学的には優れたデザインなんだろうけど……。)

 そう思い込むしか、恥ずかしさを紛らわせる方法はなかった。

 体のラインが出るのが恥ずかしいからプロテクターを付けるというのも変な話だ。

(一応異常がないか確かめておくか……。)

 理由はどうであれ、結城は早めにプロテクターを装着しておくことにした。

 さっそく結城は胸部プロテクターを胸にあてがい裏側にあるボタンを押す。するとプロテクターはこちらの胸部にぴったりとフィットし、良い感じに固定された。

「……よし。」

 異常がないことを確認し終えると、結城はプロテクターを外してベンチの上に置いた。 

 そして時計を見て、まだしばらく時間があることを確認すると、そのプロテクターを枕変わりにしてベンチの上でぱたんと横倒しになる。

 少しだらしない格好だが、チーム専用の更衣室ならば誰も入ってこないし、ゆっくりと気を落ち着かせることができるはずだ。

 結城は目を閉じてアカネスミレの操作感を思い出しながら指を動かしてみる。

 3週間も慣らし操作をしたので今さら誤操作するようなことはないだろう。

 だだ、珍しく試合前に緊張していたので、結城はそうすることによって気を紛らわせていたのだ。

 結城は、ベンチで横になって目を瞑り、指をワキワキさせているという微妙におかしな状況にあった。

(ふふ……。知らない人が見たら驚くだろうな)

 ……と思ったのも束の間、結城が寝転んでから数分もしないうちに更衣室のドアがノックされた。

(諒一か……。)

 諒一になら別にこの体勢を見られても構わないと思い、結城は寝転んだままでドアの外に向けて言葉を発する。

「入ってもいいぞ。」

 こちらがそう告げるとすぐにドアが開き、更衣室の中に諒一が……

(……ん?)

 結城は違和感を覚え、頭だけを起こして更衣室の入り口に注意を向ける。

 すると、そこにはイクセルさんがいた。

「い、イクセルさん!?」

 結城は予想外の展開に大声を出してしまう。

 その声が漏れぬよう、イクセルさんはすぐにドアを閉めて自分の人差し指を唇に当てて静かにするよう求めてきた。

「しー、静かに。」

「あ、はい。すみません……。」

 結城は急に現れた来訪者に驚きつつ、ベンチに手をついて身を起こす。

 そして枕がわりにしていたプロテクターで体の前面を隠すと、ボリュームを下げてイクセルに質問した。

「なんでこんな所にいるんですか?」

 少々前かがみになりつつそう言うと、イクセルさんはこちらに何かを投げてよこした。

 結城はそれを片手でキャッチする。……その大きさは手のひらサイズで、形状からして何かの装置のようだった。

「……これは?」

 説明を求めると、イクセルさんはこちらによこしたものと同じ装置を掲げ、それを口元に当てた。

 すると、こちらの手にある装置からイクセルさんの声が聞こえてきた。

「これは小型の通信装置だ。」

 更衣室の入り口付近からもイクセルさんの声は聞こえてきており、そのラグのせいで微妙に変な声に聞こえる……。

 なぜこんなものを渡したのか、理解に苦しんでいると再びその通信装置から声が聞こえてきた。

「今日はこれを使って、少し話しながら戦わないかい?」

 どうやら、イクセルさんは私に伝えたい事があるようだ。……今ここで話せないということは、何か特別の事情でもあるのだろうか。

「別にかまいませんけれど……」

 結城は通信装置ではなく直接イクセルさんに向けて返事をした。

 しかし。返事をしてすぐに“試合中にランナー同士で会話していいものか”と結城は悩み、簡単に了承してしまったことを後悔する。

「でも、それってルール違反じゃないですか……?」

 すぐにルールについてイクセルさんに問いかけて確認してみると、イクセルさんはそんなことは重々承知しているらしく、少し早口で言葉を返してきた。

「だから、こうやってバレないように慎重にここまで来たわけさ。それに、2人だけの秘密にすれば誰も違反しかたどうかなんて分からないよ。」

 あのVFBの王者であるイクセルさんがわざわざこんな場所にまで来ているのだ。

 それなりの理由と意図があるのだろう。

「……一応、もらっておきます。」

 結城はそれをランナースーツの腰部のツールボックスに仕舞い、イクセルに視線を向けた。

 イクセルは結城のその動作を確認すると「また試合中に」とだけ言ってすぐに更衣室から出ていってしまった。

 ……それはほんの数十秒の出来事だった。

 結城はイクセルのことが気になってドアから顔だけを出して通路を見渡してみる。

 しかし、通路にはイクセルの姿どころか人影もない。

(何だったんだ……?)

 イクセルさんは何をするつもりなのだろうか。理解に苦しむ。

 結城はこのことをみんなに話しておいた方がいいのかもしれないと考えたが、そもそも話したくないのなら通信機の電源を切ればいいということに気が付き、取り敢えずは秘密にしておくことにした。

 その後、結城は狐につままれたような気分のまま更衣室でしばらく過ごすこととなった。


  4


 試合開始直前にアカネスミレに乗り込んだ結城は、アリーナに到着していた。

 アリーナにはすでにキルヒアイゼンのファスナが待ち構えており、頭部から無数に伸びる金属の髪を指先で弄っていた。

 その人と変わらぬ滑らかな動作はFAMフレームによって実現されているものであり、まるで中に人が入っているのではないかと思われるほど自然な動作だった。

(まぁ、中に人が入っているのは間違いないんだけれど……。)

 指先の操作だけであのように動作させることができるのは、イクセルさんの操作技術が高いレベルにあるからだ。

 指先から注意を逸らしファスナ全体を概観すると、ファスナは両足を肩幅に開いて力を抜いている状態で佇んでいた。……いわば自然体である。

 相変わらず華奢なVFであるが、そこからひ弱さは感じられない。

 むしろ、武器も何も持っていないのに言い得ぬ脅威を感じる。……これが王者の風格というものなのだろう。

「よーし、アカネスミレに全く異常はないな。」

 ファスナを無言で見ていると、コックピット内部の通信機からランベルトの声が聞こえてきた。

「……。」

 それに返事しないで聞き流すと、数秒後に再びランベルトが声を掛けてきた。

「嬢ちゃん、……本当に平気か?」

 結城はHMDのステータスを確認し、アカネスミレに異常がないことを確認する。

「どこにもエラーはないし、異音も違和感も無いし……。ランベルトの言う通り、コンディションは最高だと思う。」

「違う違う、俺は嬢ちゃんの調子を聞いてるんだ。」

「あ、そっちか。」

 ランベルトに指摘され、結城はアカネスミレでなく自分の体の状態を確認する。

 すると腕が微かに震えているのが分かった。

(ただの武者震い……だよな?)

 その腕を抑えつつ、結城は気丈に返事をする。

「大丈夫だ。」

 声までは震えていなかったため、ランベルトは安堵したように「そうみたいだな」と呟いていた。

「こっちはファスナのモニタリング作業に入るからな。なんかあったらすぐに報告するんだぞ?」

「うん。」

 ランベルトのやり取りが終わり再びファスナに目を向けると、ファスナは金属の髪から手を離し、腕を肩の位置まで上げて指で自分の頭を指差していた。

(……側頭部? いや、耳か?)

 その不自然な動きの意味を考えていると、不意にイクセルから受け取った小型通信装置から呼び出し音が聞こえてきた。

 その音に、結城は慌ててHMDを外して通信装置を取り出す。

 すると、通信装置の緑色のアイコンが点滅していた。

(早速通信してきたみたいだな……。)

 結城はその通信機を手に取り、じっと見つめる。

 そのまましばらくどうするか結城は悩んだ。

 ……トラブルを避けて普通に試合をするつもりならば、今すぐにでもこの通信装置の電源を切ってツールボックスに仕舞うのがいいだろう。

 しかし、それではイクセルさんの好意を無駄にしてしまうし、何より気になって試合に集中できなくなるかもしれない……。

(意志弱いなぁ、私。)

 答えが出たところで、結城はまずランベルトに話しかける。

「ごめんランベルト、今日も通信切ったまま戦っていいか?」

 結城はイクセルと通話しながら試合に臨むことを決めていた。

 そうなると、ランベルトや諒一に会話が聞こえぬよう、通信を切る必要があったのだ。

 そんなこちらの我儘な要求に対し、ランベルトは何も理由を聞かずに了承してくれた。

「……わかった。その代わりちょっとでも危なくなったらすぐにリタイアさせるからな。まぁ、イクセルならそんなことはないと思うがな。」

「うん、リタイアの判断はそっちに任せる。」

 了承を得たことを確認して、結城はすぐに司令室との通信を切った。

 そしてすぐに、先程イクセルから受け取った小型の通信機のボタンを押す。

 まずは「ザー」というノイズが聞こえ、5秒もするとイクセルの声が聞こえてきた。

「あー、あー、聞こえるかい?」

「イクセルさん? 一体何のつもりでこんな……」

 結城はすぐにイクセルに問い詰める。

 すると、こちらの言葉を遮ってイクセルさんがあることを提案してきた。

「“さん”付けはやめにしよう。同じアリーナで戦うランナー同士、呼び捨てで十分さ。」

 通信装置からはイクセルさんの気の抜けた声が聞こえてきていた。

 この声だけを聞くと、普通の男性と全く変わりないように思える……。

「……わかった、イクセル。」

 イクセルに言われた通り呼び捨てで返事をすると、通信装置から面食らったようなイクセルの声が聞こえてきた。

「そうやって、遠慮しない所がユウキの良いところだね……。」

「それはいいですから、なんでこんな事をする必要が?」

 結城は、話があるのならば早く済ませて欲しいと思っていた。

 ただでさえトラウマがぶり返さないか心配しているのに、試合の相手はあのイクセルなのだ。

 会話して気を散らせる暇があれば、目を瞑ってイメージトレーニングでもやっていた方がいくらかマシだ。

 やがて、こちらの質問に対してイクセルは半笑いで答えてきた。

「必要があるかどうかと言われると……無いかもしれないね。」

 その冗談のような答えに結城は呆れてしまう。

 例え、相手がイクセルでもこの答えは許せるようなものではなかった。

「……もう切りますよ。」

 こちらが不機嫌な口調で言うと、通信装置からイクセルの慌てた声が発せられた。

「待った待った!! その扱いは酷すぎやしないかい。」

「ひどいも何も、……無駄話するだけなら電源を切ります。」

 脅すようにイクセルに伝え、結城は通信装置の電源スイッチに指をあてがう。

 しかし、次の台詞によって結城はスイッチから指を離すことになる。

「……仕方ないなぁ。僕がVFランナーになったきっかけを話してあげるよ。」

「きっかけですか?」

 脈略もなくそう言われて戸惑ったものの、結城はその話に興味があったので黙って次の言葉を待つことにした。

 すると、こちらの期待通りにイクセルが自分の過去を語り始めた。

「僕はね、元々はレーサーを目指していたんだ。」

(レーサー?)

 小さい頃からイクセルはVFに慣れ親しんでいたものと思い込んでいた結城には、それは以外な真実だった。

 マシンを操るという点では共通点も多いし、ファスナの素早さを考えるとイクセルの言っていることは正しいように思える……。

 そんなことを考えている間も、通信装置からはイクセルの語り声が聞こえていた。

「……グランプリのジュニア部門では常にトップグループにいたし、大人になってもトップで走り続けるものと思ってた。でも、ある時VFBの試合を見てその思いは消えてしまったんだ。」

 そこで言葉が途絶え、続きが気になった結城はイクセルに話しかける。

「どうしてですか?」

 こちらが発言すると、その言葉を待っていたかのようにイクセルの声が再び通信装置から聞こえてくる。

「それはね、この人達は確実に僕らよりも上の世界で『レース』をしていると思ったからなんだ。……その時の僕はその人達に負けたくないと思ったんだろうね。次の日にはヘルメットを脱いでいたよ。」

 なんという行動力なのだろうか。

 やはり最強のランナーともなれば判断力の良さも段違いである。

 ただ、イクセルも自分と同じく“試合を見てランナーになろうと思った”ので、結城は少しだけイクセルに共感していた。

 イクセルはさらに続けて話す。

「自分でも無茶なことをしたと思っているけれど、あの時の僕の選択は間違っていなかったと思っているんだ。VFBでは最強になれたし、それにオルネラとも出会えたからね……。」

 その恥ずかしげな物言いに、結城はオルネラさんとのことがとても気になった。

「あの、ついでにオルネラさんとの出会いも……。」

 イクセルにその話をお願いしてみたが、返ってきた答えは否定的なものだった。

「悪いけど、流石にそれは秘密にさせてほしいな。」

 つまり、答えはノーだった。

(それにしても、イクセルが元々はレーサーだったとは……。)

 話を聞いた感じでは、レーサーとしてもイクセルは優秀だったようだ。

 それなのにどこで道を誤ったのか……。

 VFランナーという道を選択しなければ、今頃は世界でも有名なレーサーになっていたかもしれない。

 いや、確実になっていただろう。

 しかし、こちらがイクセルに憧れていたことを考えると、VFランナーになってくれたことを感謝せねばならない。

 イクセルの話を聞いて結城が色々と思いを巡らせていると、イクセルが様子を伺うようにして話しかけてきた。

「……どうだい、気持ちは和らいだかい?」

「!!」

 そのイクセルの言葉で、結城は何故イクセルが会話をしたがっていたのか、その目的が分かってしまった。

 ――どうやら、イクセルは私の緊張をほぐすために会話を望んできたらしい。

 そんなこちらの考えを読み取ったように、イクセルは更に話す。

「緊張でガチガチのユウキと戦っても面白くないし、ユウキも全力で僕にぶつかりたい筈だからね。……僕の昔話は役に立ったかい?」

 確かに、イクセルの話を聞いて腕の震えは止まっていた。……それどころか、今からイクセルと戦うことを楽しみに思っている。

 一体この人はどこまでおせっかいで親切なのだろう……。

 ここまで気をつかわれて、無様な試合をするわけにはいかない。少しでもイクセルの期待に応えられるよう、本気で試合に臨まなければならないようだ。

「昔話役に立ちました。……ありがとうございます。」

 通信機を両手で持ち礼を言うと、すぐにアリーナに実況のヘンリーの声が響いてきた。

<それでは両者とも準備が整ったようですので、チームの紹介に移りたいと思います。>

 結城は黙ってヘンリーのアナウンスを聞いていた。

<まずはチームキルヒアイゼン、VFはファスナ、そしてランナーはVFB最強の男……イクセルです。>

 相変わらず歓声はない。

 それを分かっていながらもカメラに向けてアピールせねばならないのは少し辛いような気がする。

<続きましてチームアール・ブラン、VFはアカネスミレ、ランナーはユウキです。>

 紹介された結城はアカネスミレを操作して手のひらをカメラに向けてひらひらさせた。

<両チームとも2勝0敗という好成績でシーズンをスタートしています。今までの実績を考えるとキルヒアイゼンが圧倒的に優位に立っています。……が、しかし、ユウキ選手もほとんど負けなしです。一体どうなるのか、注目の一試合です。>

 ひと通り台本を言い終えたのか、ヘンリーは小さくため息をついていた。

 それは同時にカウントダウンまでもうすぐだということを示していた。

「今度はユウキの話も聞かせて欲しいな。このままだと不公平だからね。」

 イクセルに要求され、結城はすぐに返事をする。

「はい、また今度。」

 こんな風にイクセルが私を対等に扱ってくれていることがとても嬉しくあり、同時にそれが不安でもあった。何故ならば『対等』に扱うということは、イクセルが本気でこちらに攻撃してくることを意味していたからだ。

(……負けてもいいから、全力でぶつかってみせる。)

 ユウキは小型の通信装置をスイッチを入れたままツールボックスの中に仕舞い込み、HMDを頭にかぶる。

<……それでは、試合開始です。>

 そして、コックピット内部のコンソールに手を載せると同時にヘンリーの声がして、すぐに試合開始のブザーが鳴り響いた。


 5


 ――試合が開始してすぐに、イクセルの操るファスナはこちらに攻撃してきた。

 つい3秒前まであった数十メートルの距離はあっという間にゼロに変わり、結城は至近距離から無数のパンチを浴びせられている状況にあった。

 ファスナは軽快なフットワークを使い、四方とまではいかないものの、こちらの背後を除いた3方向から鋭い拳を放ってきていた。

 そして、結城はそれをただひたすら防御していた。

「く……ッ。」

 ここに来て、結城は自分が上手くアカネスミレを操作できていないことを自覚する。

 攻撃を避けようにもうまくアカネスミレを動かせず、両腕で頭部を隠してひたすらガードに徹していたのだ。

(やっぱり、まだ心のどこかで恐怖を感じてるのか……。)

 考えたくもないのに、結城の脳裏にはこれから起こりうる最悪の状況が何パターンも思い浮かんでいた。

 そのパターンの中には、自分がコックピットごと押し潰されてしまうような絶対にありえないシチュエーションも存在していた。

 結城は何度も頭を振ってその最悪の考えを振り払おうとするも、それは結城の頭にしがみついてひたすら結城に恐怖を与え続けていた。

(くそっ……なんで、こんな……。)

 恐怖を感じるたび結城の手が止まり、アカネスミレは不自然な動きしている。

 また、結城はファスナの攻撃を低減させるべく後方に移動しており、その動きは素人でもやらないようなひどい動きになっていた。

 ……結局、結城が反撃することは一切無く、早くも、“後ずさりするアカネスミレをファスナが追いかけながら攻撃する”という一方的な構図が出来上がっていた。

(このままだとすぐに終わってしまう……。何とか、何とかしないと……!!)

 結城は必死で考える。

 どうすれば恐怖を追い払うことができるか。

 どうすればこの状況を打開することができるか。

 だが、焦って考えたところで事態は変わるはずもなく、無様な敗北に向けてアカネスミレは後退りし続けていた。

 ……と、急にファスナの攻撃が止まった。

 確認してみると、ファスナは拳を前に突き出したままの体勢で停止していた。

 そして、結城も同じようにガード体勢のままで止まっていた。

 攻撃が止まった今こそが、結城にとっては態勢を立て直す絶好のチャンスである。

 しかし、結城はどうしてもガードを解くことができない。

「うっ……。」

 腕を動かそうとするたびにリアトリスの恐怖が頭をよぎり、結城は守りの態勢に入ったまま動くことができなかったのだ。また、コンソールに載っている手もガチガチに固まっていた。

 ――1分経ってもその状態は続いており、その間結城のアカネスミレが相手を攻撃するような素振りは一切見られず、それどころか動くこともない。

 その状況に実況のヘンリーもうんざりしているようだった。

<これは……公平な立場にある私が言うのも何ですが、ユウキ選手の動きがまるで素人のようです。VFにトラブルでもあったんでしょうか? それとも、ファスナが何か特殊な攻撃をアカネスミレに与えてたのでしょうか……?>

 これだけの時間、2対のVFが動かなければマシントラブルと考えるのが普通だ。

 しかし、今のこの状況はマシントラブルによって起こされたものではない。正真正銘、結城の臆病さのせいで生じた事態なのだ。

(駄目だ、反撃しないと……!!)

 結城は思い切ってガードを解き、すぐに超音波振動ブレードを鞘から抜いた。

 それを両手で持ち、その切っ先をファスナの頭部に向ける。

 ……その切っ先は不安定に動いており、全く安定性がなかった。

 そんなこちらの情けない構えに対し、ファスナが急にアームを持ち上げて、手を自らの耳元に持っていった。

 それを通信のジェスチャーと理解した結城は、切っ先をファスナに向けたまま小型の通信装置を懐から取り出す。

 すると、イクセルが優しく問いかけてきた。

「楽しんでるかい?」

「え?」

 今、何と言ったのだろうか。

 ……“楽しんでいるかい”、とは何のことだろうか。

「ほら、そんな物騒なもの捨てて、拳で語り合おうじゃないか。」

 こちらがイクセルの言葉に惑わされている間にいきなりファスナが動き、アカネスミレの手首を掴んできた。

「え、ちょっと……まっ……」

 結城は小型の通信機を片手に持ったまま、もう片方の手だけでアカネスミレを操作する。

 しかし、片手の操作でファスナの腕を振り払うことができず、簡単にブレードを奪われしまった。

 ファスナはそれを無造作に掴むと、そのまま遠くへ投げ捨てる。

「あ……。」

 超音波振動ブレードは綺麗に回転しながら宙を飛んでいき、アリーナの隅の方へ落下した。

 武器を失ってはまずいと考えた結城は咄嗟にブレード目がけて走りだそうとする。

 しかし、それはファスナの蹴りによって止められてしまった。

「どこに行くつもりだい?」

 近距離から打たれたミドルキックはアカネスミレの膝のあたりに命中し、アカネスミレは前のめりに倒れそうになった。

 それに合わせるようにして、ファスナは続けざまに真横から回し蹴りを放ってくる。

 ……それを結城が認識する頃にはファスナの脚部が目の前にまで迫ってきていた。

(防げない……!!)

 脚部に装備されているスパイクの先端はこちらの頭部を正確に狙っている。

 結城がその攻撃を防御できないと悟った瞬間、アカネスミレが勝手に動いていた。

 アカネスミレは前のめりの状態にも関わらず腕を器用に前へ持ち上げ、ファスナの蹴りを腕の上部で滑らせるようにしていなし、そのまま上へと受け流したのだ。

 受け流されたファスナはその場で足ごと体を回転させ、器用に体勢を立て直した。しかし、こちらからのカウンターを恐れてか、少し離れた場所に着地していた。

 結城もファスナの次の攻撃を恐れ、カウンターなどすることなく構えたまま動かなかった。

「なんだ、避けられるじゃないか。気持ちはともかく、ユウキの本能は戦いを忘れてはいないようだね。」

「……。」

 自分でも驚いたが、どうやら無意識のうちに私が操作していたらしい。

 その事は結城にとって自信になった。

(相手の攻撃を怖がることなんて無い、私はそれに反撃するだけの操作技術を持ってるんだ。)

 その自信を裏付けるため、結城は恐怖を必死で押し殺してファスナに飛び掛かる。

 だが、やはり動きがぎこちない。

 ヘロヘロのパンチは余裕を持ってファスナに回避され、ダメージを与えるどころか、攻撃を命中させることすらできていなかった。

「この程度かい? ユウキはもっと早く動けるはずさ。」

 励ましともとれるイクセルの声を耳にしつつ、結城は何度も何度も攻撃を繰り返す。

 その度にファスナはこちらの視界から消え、ほぼ完璧に回避されていた。

(なんでイクセルは反撃してこないんだ……。)

 自分でも隙だらけの攻撃だと思っているのに、何故こちらの隙を突いてこないのか。結城にとってそれは謎であった。

 しばらくそんな攻撃を繰り返していると、またしても小型の通信装置からイクセルさんの声が聞こえ、何やら語り始めた。

「……人の動きには限界がある。なぜなら人には『筋肉』という小さな動力しかついていないからね。」

 よく分からないことを言われ、結城は反応に困ってしまう。

 ただ、ここで動きを止めると周りから不自然に思われると感じたため、攻撃の手を緩めることはなかった。

 続けてイクセルは淡々と語る。

「でも、僕らの乗っているVFには高性能の機械仕掛けのアクチュエーターがある。これを理解すれば今までの動きを簡単に超えることができる。」

(理解? 超える……?)

 今さらながら、結城はイクセルがアドバイスをしてくれているということに気がつく。

 通信装置を渡した本当の目的は戦闘中のアドバイスなのだろうか。

「今のユウキは“これ以上速くは動けない”と思い込んでいるだけだ。……VFは、ランナーが望めば望むだけ、そして出力を上げれば上げるだけ素直に応えてくれる。速さを望めば容易く人の限界を超えるし、もっと望めば音速の壁をも超えることができる。」

 よくあれだけ激しい操作をしながらペラペラと喋られるものだ。

 結城はそれを聞きつつ、ファスナの動きを目で追ってパンチやキックを放つ。

 しかし、全く当たらない。

「VFを操るんじゃない。自分がVFになるんだ。そうすれば人間を超えられる……」

(だから、『人間を超える』って一体何のことなんだ……?)

 よく分からないアドバイスを受け、結城は半分混乱しかけていた。

「人以上の動作を実現することができるかどうか、それがユウキと僕の『境界線』だ。……そしてユウキは『こちら側』に来れる素質を持っている。」

「私とイクセルの境界線……。」

 やがて、結城はファスナへの攻撃を中断してイクセルの言葉を繰り返すように呟いていた。

 ……この如何ともしがたい実力の差がその境界線によるものなのだろうか。

 自分では上手くVFを操作しているつもりだったが、イクセルの感覚からすれば私はまだまだ遅いようだ。

 しかし、イクセル曰く、それは私にとっての限界ではないらしい。

 さらに、私はその限界を超えるだけの素質を持っているようなのだ。

 ……再びイクセルはこちらに話しかけてくる。

「イメージするんだ。……君はどんな衝撃にも耐えられる頑丈なフレーム、そしてコンクリートを粉砕できるほどのパワーを秘めたアクチュエーターで構成されている。」

 結城は目を閉じて、その言葉の通り自分をイメージしてみる。

 すると不思議なことに、自分の四肢が拡張されるような、今まで経験したことのない妙な感覚を得ることができた。

 それは錯覚とは思えないほど感触がはっきりとしていた。

 さらにイクセルの言葉は続く。

「――体は羽のように軽い。君の体は重力に束縛されることなく自由にアリーナを駆け回ることができる。しなやかなフレームがバネになって、どんな体勢も苦にならない。さらに、相手の攻撃は全て硬い装甲が守ってくれる。何が刺さっても痛みは感じないし、肉がちぎれようが骨が砕かれようが、そこに駆動装置があるかぎり君は動き続ける。」

 結城は完全にアカネスミレを停止させた状態でイクセルの言葉に耳を傾けていた。

 アリーナではアカネスミレは棒立ちになっており、そのアカネスミレの真正面には腕を組んでいるファスナが立っている。

<えーと……これは何が起こっているんでしょうか。只今ジェネレーターにトラブルがないか検査していますので少々お待ち下さい……>

 実況のヘンリーは、試合中だというのに全く動かない2体に困惑しているようで、実況を中断し、どこかでトラブルが発生していないか確認を取っているようだった。

「どうだい、イメージできるかい。」

「……。」

 結城はイクセルに言われるがまま、イメージに没頭していた。

(なるほど、なんとなくわかってきた……。)

 ……イクセルの言っていることの理屈はわかる。

 私のVF操作は人間の格闘をイメージして行われるため、人間の動きが限界になっていたということだ。

 しかしイクセルの言う通り、VFは人間の動きなど容易く超えることができる。

 私は今までの先入観を捨てて新しい境地に立たねばならないようだ。

「自分の中にある『限界』を乗り越えるんだ……いや、『限界』という概念を打ち砕くんだ。」

 口調を強めたイクセルの言葉がこちらの耳に届いてきた。

 それは私の心の深くにまで染み渡っていく。

 ……自分では意識していなかったが、やはり経験者の言葉となれば理解しやすいようだ。

(概念を打ち砕く……。)

 今まで、私はどれだけ自然に自分の動きをVFで再現できるかを目指してきた。

 だがそれは飽くまでも人としての動きであり、VFはそれを容易く超えるのだ。

 人間には不可能な音速の攻撃を繰り出すこともできるし、人間には備わっていない強力な力で機敏な動作を実現させることもできる。

 そして、このFAMフレームはそれを実現させるのに適した道具であった。

 結城はしばしアカネスミレと感覚を共有するように瞑想し、10秒ほどで目を開けた。

(なんだろう、この感覚は……。)

 試しに腕を動かしてみる……あまり普段と変わりはない。

 しかし、結城は妙な高揚感に包まれていた。

 今ならばどんなことでもできそうな気がする……そんな圧倒的な高揚感。

「よし、ユウキ、僕のスピードについてくるんだ。」

 いきなり発せられたその言葉と共にファスナが動き、数分ぶりに試合が再開される……。

 さっきまで色々と喋っていたイクセルは全く何も話さず、試合開始の時と同じように無数のパンチを浴びせてきた。

 結城は迫り来るファスナに対して回避行動をとる。

(あれ、足が動く……。)

 いとも簡単にそのパンチを避けることができ、結城は自分でも驚いていた。

 恐怖も何も感じず、さらには脅威すら感じていなかった。

 結城はその感覚が途絶えぬうちにファスナに対して反撃してみることにした。

(当たるか……?)

 試しに腕を振ってみると予想以上のスピードで拳が飛んでいき、ファスナの頭部パーツの真横でピタリと停止した。

「!!」

 目前で避けられてしまったものの、感覚の研ぎ澄まされた結城にはその回避する動作が全て見えていた。

 今までは「避けられた」だけで終わっていたのに、今はファスナの一挙一動までが把握できる。ともすれば、それに合わせてパンチをずらすことも可能であろう。

 その後、すぐにファスナの攻撃が再開され、結城は再び回避することに専念する。

(すごい……全部見える……!!)

 結城は、まるで自分の時間が加速されたような感覚に陥っていた。

 周りの空気が粘度をもってアカネスミレの周囲を覆い、自分とファスナだけが周囲の時間軸から切り離されているような感覚……。

 瞬きをする刹那の時間ですら、結城には数秒に感じられていた。

 また、太陽で照らされているはずのアリーナの景色がいつもより暗く見え、遠くを飛ぶ飛行船のプロペラの回転まで数えられる気がする。

 ――そんな、現実空間から少しずれたような未知の領域。

 これが、先程イクセルの言っていた『境界線』の向こう側なのだろうか……。

 頭の中で何かがドバドバと分泌されているのを感じつつ、結城は思う。

(イクセルはこんな『域』で試合をしていたのか……。)

 また一歩、イクセルに近づくことができたようで結城は歓喜に浸っていた。

 そして、自然にその感情が言葉となって口から漏れだす。

「……楽しい。」

 こちらの言葉が聞こえたのか、すぐにイクセルから反応が返ってきた。

「なかなか上手いじゃないか。……じゃあこれはどうかな。」

 やはりイクセルは手加減していたようで、そう言った後に攻撃のスピードを徐々に上げてきた。

 回避が苦しくなった結城は、ついに攻撃を行うことにして、ファスナのタイミングに合わせるようにパンチを打つ。

 しかし、それは見事に外れ、その代わりにこちらの脇腹にファスナのブローが命中した。

 そのブローは今までのパンチとは違い、コックピットを大きく揺らすような強力な打撃攻撃だった。

「……まだまだ!!」

 しかし結城はそれを物ともせず、すぐにファスナの腕を掴むことに成功した。

 そして、その腕をこちらに引き寄せながら膝蹴りを放つ。

 ……が、その突き刺すような膝蹴りはファスナの腰をかすっただけで、全くダメージを与えられなかった。

 その後ファスナはこちらの手を振り払い、素手による攻防が再開された。

<ファスナとアカネスミレ、両者とも止まったかと思えばいきなり激しいバトルが再開されました。一体アカネスミレに何があったのでしょうか、先ほどの動きからは考えられないような見事な格闘です。……やはり、最初のぎこちない動きはマシントラブルによるものだったようです。>

(マシントラブルというか……ランナーのトラブルだな。)

 イクセルの言葉を少し聞いただけでここまで自分が豹変するとは……。

 ……何か悪い暗示に掛けられていた気分だ。

 そう思えるほど、結城は自然に素早い攻撃を繰り出せていた。

「いいね、……そろそろ流れを変えてみよう。」

 イクセルが久々に話しかけてきたかと思うと、いきなりファスナが身を屈めて足払いを放ってきた。

(そんな急に……っ!!)

 今までその場から動かず狭い範囲で攻防を繰り広げていただけに、下方からの攻撃への対応が遅れてしまった。

 昔の自分ならばファスナを見失って簡単に地面に倒されていただろう。

 ――しかし、今の自分にはその動きが完璧に見えていた。

 結城はその場でジャンプしてファスナの足払いを回避し、空中で体を縦方向にぐるりと回転させる。

(……これでどうだ!!)

 そして、今まで大事に取っておいたショートブレードを抜刀し、それをファスナの脚にタイミングを合わせて突き出した。

 ……だが、ブレードはファスナの脚にあるスパイクによってはじき飛ばされてしまった。

(な……!?)

 ショートブレードが弾き飛ばされたことを不思議に思いブレードを見てみる。するとその原因がわかった。

 なんと、超音波振動機能が起動していなかったのだ。

 誤作動かと疑ったものの、結城はすぐに本当の原因に思い至る。

(ブレードの起動が遅かったんじゃない。自分が速すぎたんだ。)

 あまりにも私の抜刀が速かったため、ブレードが超音波振動機能を起動する暇がなかったようだ。

(まさか、こんなことが……。)

 結城はブレードがはじき飛ばされたことより、ブレードの機能が起動する前に相手に攻撃を届かせることができた自分に驚いていた。

 その事実を確認し、結城は鳥肌が立った。

「やるね。」

 自分の実力に感心していたのも束の間、通信機からイクセルの短い声がしたかと思うと、今度はこちらの着地を狙った蹴りが迫ってきていた。

 結城はそれを避けるべく天地逆さまになった状態で地面を思い切り殴り、一時的に体を浮かせる。

 結果、空中で一時停止するような形になり、ファスナの蹴りはこちらの眼前を通りすぎていった。

 なんとか回避できたことに安心したのも一瞬だけで、結城はすぐに地面に両足をついてファスナの攻撃のリーチ外へ一旦引く。

 ファスナも攻撃の手を緩めたようで、ずっと空中で激しく動いていた金属の髪はその動きを止め、落ち着きを取り戻していた。

「すごいよユウキ。 僕が少し手助けしただけでこんなに動きが良くなるなんて……。」

 イクセルのその声はとても嬉しそうであり、同時に興奮しているようでもあった。

「自分でも、驚いて、ます。」

 返事してみて、結城は初めて自分が息切れしていることに気がつく。

 やはり感覚を研ぎ澄まして神経を集中させている分、消耗も激しいみたいだ。

「まだいけそうかい?」

「はい、まだまだ、大丈夫、です。」

「若い子は元気があっていいね。……このままユウキのスピードをゆっくりと引っ張り上げたいんだけれど、僕の体力はそろそろ限界に近いみたいだ。……だから、最後に僕とファスナの限界を見せるよ。」

 その言葉を最後に通信は途切れ、目の前でファスナが腰を低く屈めて構えた。

(……来る!!)

 瞬きするまもなくファスナはこちらと距離を詰め、素早いストレートを打ち込んできた。

 結城も負けじとそれに合わせるように拳を突き出したものの、明らかにファスナのストレートの方が速く、ファスナのストレートが先にこちらの胸部装甲に命中した。

 結城は腕を突き出しまま後ろによろめく形になってしまった。

 その大きな隙を埋めるために結城は体を回転させ、ファスナを牽制するために回し蹴りを放つ。

 だがその蹴りは簡単に受け止められ、そのまま体ごと持ちあげられてしまい、結城は回し蹴りとは逆方向へ投げられてしまった。

(VFを投げ飛ばすなんて……なんて力なんだ。)

 結城は素早く空中で姿勢を制御し、地面にいるファスナの影をとらえる。

 ファスナは既にこちらの着地点に向けて走りだしており、腕も大きく振りかぶられていた。

 ……そして、こちらが着地すると同時にファスナは容赦ない攻撃を浴びせてきた。

 結城は着地の勢いを利用し、横方向に移動しながらそれらに対応する。

 ファスナはアリーナ上を滑るように素早く移動しており、足元からは常に火花が散っていた。また、地面にはファスナの軌跡がしっかりと刻まれており、そこからは白煙が立ち昇っていた……。

 目の端でそんな稀有な現象を捉えつつ、結城も負けじと攻撃を繰り出す。

 しかし、こちらの攻撃はファスナの残像をすり抜けるだけで、命中する気配は全くなかった。

 ひたすらファスナに殴られ、こちらにとってはかなり危ない状況にあったが、それでも結城は楽しんでいた。

 ――本来なら瞬殺されている筈なのに、自分はそれに耐えている。

 ――あのファスナが、あのイクセルが、私に本気を出してくれている。

 私はその本気の攻撃に苦しいながらも対応できているのだ。

 ……これ以上嬉しいことはない。

 だからこそ、一撃でもファスナに攻撃を加えたい。

「行くぞイクセル!!」

 結城は一切の防御を捨て、ダメージ覚悟で攻撃を開始した。

 しかし、拳や脚を出すたびにイクセルは超人的な反応でそれを回避し、こちらにできた隙を容赦無く攻めてくる。

 結城はその反撃を知覚できていたものの、避けることができなかった。

 明らかに、イクセルと結城の反応速度には天と地ほどの差があり、結城は装甲の厚い部分でそれを防ぐのが精一杯だったのだ。

 何度攻撃を加えても攻撃が命中することはなく、結城はファスナに打撃攻撃が有効ではないことを悟り、別の方法をとることにした。

(ファスナの腕を……もう一度掴む!!)

 結城は更に感覚を研ぎ澄まし、相手の攻撃に合わせて体を前に移動させる。

 そのあまりの動作の速さに、結城は自分の内臓が後方に置いてけぼりにされるような感覚に襲われ、意識が飛びかけた。

「ふっ……!!」

 結城はそれを腹筋に力を入れてなんとか耐え、ついでに歯を食いしばりながら、アカネスミレの両腕を前に突きだす。

 ……すると、イクセルもそれは予想できなかったのか、結城はファスナの腕の根元を両手でがっちりホールドすることに成功した。

(よし!! このまま……って、あれ?)

 結城はそのまま強引に地面に押し倒そうとしたが、それを察したファスナ自らが先に地面に倒れ、結城は引きずられるようにして地面に膝をついてしまった。

 続いてファスナはいとも簡単にこちらの両手を引き剥がし、結城はあっという間に地面に倒されてしまう。

「あ……」

 そして、すぐに不可避の拳が上から振り下ろされた。

 ファスナの拳はアカネスミレの顔面に豪快に命中し、アリーナの地面まで貫通した。

 その結果、アカネスミレの頭部は粉々になって周囲に飛び散り、まるで爆発したかのように跡形もなく消え去っていた。

 ……この時点で結城の負けが確定した。

「負けた……。」

 エネルギー供給の途絶えたアカネスミレはその機能を停止し、こちらの操作を一切受付なくなった。

 メインカメラからの映像はファスナの拳が振り下ろされると同時に信号もろとも途絶えており、外の状況を確認するために結城はHMDにサブカメラの映像を表示させる。

 そこには、アカネスミレに覆いかぶさっているファスナの姿が映っていた。

 ……結城はため息を付いてHMDを脱ぎ、タイマーを確認してみる。

(6分21秒で試合終了か……。)

 自分があの感覚を得てから数時間経った気分だったが、開始後の情けなくガードしていた時間を除くと、実際には1分か2分程度だったらしい。

 あの時間の密度の高い空間をイクセルはいつも経験していたのだろうか……。

 全く信じられない世界である。

(……でも、ようやく私もイクセルと同じ土台に立てたんだな。)

 ――追いつくことができる。

 今回の試合で自分はイクセルに敵うということが分かった。それはイクセルの助言なしでは成し得なかったことだろうが、それでも結城はイクセルに追いつけると考えていた。

<試合終了です。勝者はキルヒアイゼンのイクセルです!!>

 アカネスミレの頭部が破壊されてから少し遅れて、ヘンリーが試合終了を宣言した。

 やはり、当初の予想通りキルヒアイゼンには敗北してしまった。……が、結城は負けたことを気にしておらず、悔しくも感じていなかった。

 試合も終わり、結城は外に出るべくコックピットのハッチを開ける。

 すると、すぐ目の前にファスナのコックピットが見えた。

 後ろを向くと粉々に砕けたアカネスミレの頭部を見ることができた。頭部にはファスナの拳が突き刺さったままで、拳に押し出されるようにして内部のパーツが遠くまで飛び散っている。

 その破片はファスナのアームにも付着しており、アカネスミレの頭部を叩き割った後もファスナはそのままの態勢を保っていた。

 視線を元に戻してみると、ファスナのコックピットは空で、イクセルが先にVFから降りていたことを示していた。

 それを見た結城も急いでコックピットから這い出ようとする。

 ……しかし、上手く体に力が入らない。

「あれ……?」

 結城は長い間自分の体の感覚が麻痺していたような気分になっており、いつも以上に体中が疲労しているようだった。

 VFの激しいGの変動に耐えるだけではなく、無意識にVFと同じ動きを体の筋肉が真似ようとしていたらしい。疲れるのも当然だ。

 指先はもちろんのこと、太ももや背筋もぴくぴくと痙攣している。

(これは、全身筋肉痛1週間コース確定だな……。)

 結城は自分の体に鞭打って何とかコックピットから出ると、ボディの表面を滑ってアリーナへと降り立つ。

 既にイクセルはアリーナにいて、海のほうを向いて立っていた。

 イクセルの佇まいは落ち着いており、全く疲労など感じていないようだった。……さすが、最強のランナーと言われるだけのことはある。

 結城はそんなイクセルに後ろから話しかける。

「ありがとうございました。何か解った気がします。」

 声をかけるとイクセルはゆっくりと振り返り、にこやかな笑みをこちらに向けた。

「そうかい。力になれたようでうれしいよ。」

 イクセルはそうでもないみたいだが、結城はまだ試合の興奮が冷め止まなかった。

 自分の限界を超えた超高速の格闘……あの時に得た快感は、他の物で代替できるほど生半可なものではない。

 体の底からゾクゾクするような感覚……。

 時間が経てば経つほど結城はその感覚が恋しくなっていた。あの感覚を得るまで次の試合まで待たないといけないかと思うととてももどかしい。

 イクセル以外の相手でもあの感覚を得られるかどうかも定かではないので、すぐにでも再戦したい気持ちでいっぱいだった。

(イクセル……。私なんか一撃で倒せたはずなのに、わざわざレクチャーしてくれるなんて……。)

 結城はイクセルの顔を見上げ、自然に手を差し出して握手を求めていた。

 イクセルもそれに応じて手を動かそうとしたが、なぜかイクセルの手は腰の位置より上に上がらなかった。

 結城はそれを冗談か何かかと思っていたが、イクセル自身も訳がわからないようで、力なく笑っていた。

「あれ? はは……腕が……あがら……」

 何か異常が起こっていると察知した次の瞬間、イクセルの体から力が抜けていきなりうつぶせになって倒れてきた。

「イクセル!?」

 結城は痛む体を無理やり動かして、倒れてくるイクセルを受け止める。

 イクセルは既に立っていることもできないようで、全く体に力が入っていない状態だった。そのせいで、イクセルを支えるのはとても大変だった。

「ちょっと、しっかりして下さい!!」

 結城はそのままイクセルを地面に寝かせる。

 仰向けになったイクセルは、胸の中央あたりを掴んで苦しそうに呼吸していた。

 それを見て、結城は司令室のある場所に向けて大きく手を振る。

「誰か!! 助けに来てくれ!!」

 ――その後、結城はイクセルに何度も声をかけるも、イクセルから返事は返ってこなかった。

 ……1分もするとアリーナ上に医療スタッフやキルヒアイゼンのメンバーが駆けつけてきて、イクセルに応急処置をし始めた。

 イクセルのランナースーツはすぐに引き裂かれ、スタッフが心臓の位置に特殊な機械を貼りつけていく。

 それから更に数名の医療スタッフが現れ、何やら慌ただしく処置をし始めた。

 結城がそんなイクセルの様子を見ることができたのもそれまでで、結城は別のスタッフによってイクセルから距離を取らされてしまった。

 ……しばらくするとオルネラさんやツルカもアリーナ上に現れ、私の横を通りすぎてイクセルの元へ駆けていった。

 オルネラさんはイクセルの名前を連呼しており、ツルカはただ不安な表情を浮かべてオルネラさんの体にしがみついていた。

 結城は何も声をかけることができず、その様子をただただ眺めていた。

 ……そして、最終的にはアリーナ上にヘリコプターが着陸し、イクセルはそれに乗せられて病院へ搬送されていった。

(イクセル……。)

 医療スタッフなどが居なくなった後も結城はアリーナで呆然としており、遅れてやって来た諒一に声を掛けられるまでヘリコプターを目で追い続けていた。

 ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。

 この章で結城は完全復活どころか新たな境地に立ち、言わば『覚醒』することに成功しました。

 ですが、それよりもイクセルの安否が気になるところです。


 次の章で【黒の虚像】の最終章となります。

 まだ1STリーグも3試合目、まだまだ新たな対戦チームが結城を待ち構えています。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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