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【黒の虚像】第一章

 前の話のあらすじ

 鹿住の裏切りによって心を乱した結城は、諒一の部屋に押しかけ、ひきこもりのような生活をしていた。

 また、ランベルトの冗談のような一言にも過剰反応してしまうほど、メンバーに対して不信感を抱いていた。

 それを自覚していても、結城にはどうすることも出来なかった。

第一章


  1


「ふいー……今日は疲れた……。」

 首にかけたタオルで顔面覆いながら結城は呟く。

 誰も聞いてはいないが、声に出して言うだけで気が楽になる気がする。

 現在、結城はシャワーを浴び終えたばかりで、髪はしっとりと濡れていた。また、Tシャツの袖から出ている腕やショートパンツから伸びる足には、拭ききれていない水滴がついていた。

 その水滴をクッションに吸収させつつ、結城は食卓の椅子に腰を下ろす。

「ふぅ……。」

 そこでもう一度ため息をつくと、テーブルの上に置いてあった冷えたスポーツドリンクを取る。

 それを口に含みつつ、結城は背もたれに体重を預けた。

 2,3口飲むとすぐに食道を冷たい液体が通っていく感触を感じ、結城はスポーツドリンクを唇から離した。

 そのドリンクが入っているボトルの表面はかなり冷たい。

「……。」

 結城はいいことを思い付き、試しにそれを頬や首筋に当ててみることにした。

(あー、気持ちいい……)

 その選択は正しかったようで、火照っていた首元がみるみるうちに冷めていった。

 キャップを締めさえすればこぼれる心配もないので、こういうところはただのコップよりも便利だ。

 ひんやりとした感触に満足しつつ、結城は周囲に目を配る。

 結城の周りにはたくさんのVFフィギュアやポスターなどが規則正しく飾られていた。

(この光景にも慣れちゃったな……。)

 ――現在、結城は諒一の部屋にいる。

 長期休暇……いわいる夏休みになってからかなりの時間が過ぎたが、結城は相変わらず諒一の部屋から一歩も出ない生活を続けていた。

 そんな私とは違い、諒一は毎日のようにラボに足を運んでいるようだ。

 そのため、日中は暇で暇で仕方がない。

「……。」

 ……夫の帰りを待つ妻の心境とはこんな感じなのかもしれない。

 いや、家事も何もしていないので主人の帰りを待つペットと言ったほうがいいだろう。

「何考えてるんだ、私……」

 夫だの妻だの柄にもないことを考えてしまい、結城は苦笑いしてしまう。

 その際、ボトルを両手で持ち直してしまい、不意にその表面にプリントされているマークが目にとびこんできた。

(……あれ、これ新品だ。)

 結城は手に持っているボトルに興味を持ち、くだらないことを考えるのをやめて手元に注意を向ける。

 そして、その冷えたボトルをメガネが触れるほどの距離まで目の前に近づけ、表面をよく観察する。

 そのボトルはVFBの公式グッズのようで、円筒状のその曲面にはチームのロゴが綺麗に配置されてプリントされていた。

 結城はボトルをくるくると回転させながら、それらを一つずつ見ていく。

(……あ、あったあった。アール・ブランのロゴだ。)

 その中に『アール・ブラン』のチームロゴを見つけると、結城は“ロゴを発見できたご褒美”と言わんばかりに、再び飲み口を唇に付けてドリンクを胃へと流し込んだ。

 アール・ブランのロゴは“VFチームのロゴ”というよりは“どこかの個人経営の小さい店の看板”のような感じだ。

 ……要するに味気ない上にダサいということである。

 ありふれたフォントで『R・BLANC』と書かれているだけで、それを囲むような模様もなければ、特殊なエフェクトもない。

 強いて特徴を挙げるとするならば、『R・BLANC』の“R”が他の字と比べて少し大きいということくらいだろう。

(“BLANC”はランベルトの苗字だけど、“R”はなんのRなんだろうか……。)

 結城は不意にこのチーム名の由来が気になり、自分なりに考えてみることにした。

 Rは“ランベルト”の頭文字かとも思ったが、確か、頭文字はRではなくLだったはずだ。

 ベルナルドさんは全然違うし……聞こえがいいからRを選んだだけなのかもしれない。

(駄目だ、こんな事考えてたら余計に疲れる……。)

 結城が疲労しているのには理由があった。

 長期休暇に入り、てっきり結城は学校を休めると思っていた。……が、ランナー育成コースは講義などの椅子に座って行う授業が無くなっただけで、VFを使った演習は相変わらず続いている。

 今日はちょうどその演習の日だったため、疲れているというわけだ。

 出席率から推測するに、約半数の生徒はそれを無視して休暇に入っているようだ。しかし、結城は特にやることもなかったので補習のようなその演習に休むことなく参加している。

(どうせ暇だったし……それに、VFも動かせて一石二鳥だな。)

 今、どこにも遊びに行かないで海上都市に残っているのは、本気でVFランナーを目指している学生くらいなものだ。

 休暇が始まった当初は、結城は当然のようにコースの学生全員が演習を受けるのだろうと思っていた。しかし、休暇が始まればこの有様だ。

(別に問題はないし……というか、逆にやりやすくなってるから、むしろラッキーだな。)

 半分減ったことで、一人につき一体のVFが割り当てられるようになり、逆に演習はかなり有意義なものになっていた。

 もちろん、槻矢くんは日本に帰らず演習に参加している。

(槻矢くんもだいぶ上手くなったよなぁ。)

 元々シミュレーションゲーム内では上位ランカーなので、その成長ぶりは目を見張るものがあった。

 ……同じコースのツルカはと言うと、オルネラさん達と2週間ほど旅行に出かけただけで、すぐに海上都市に戻ってきた。

 聞いた話では、キルヒアイゼンは昨シーズンに続いて今シーズンでも優勝を狙っているらしい。

 そのため、オルネラさんやイクセルさんは旅行どころではないということだ。

 ダークガルムの戦力が強化されたこともあって、キルヒアイゼンでも何らかの対応策を練るつもりなのだろう。

 ――そんなこんなで次の学期が始まるまであと1ヶ月だ。

 ちなみに、ランナー育成コースのVF演習は週に3回ほどある。

 それ以外の時間は諒一の部屋でだらだらと時間を過ごしている。こんなにだらけているのに、諒一は気を遣ってか、私に対して何も注意しない。

 そのせいで、ふしだらな生活にも拍車がかかっている気がする……。

(あと、なんか大事なことを忘れてる気が……)

 頭の奥で何か重要なことが引っ掛かったまま出てこない。

「……。」

 空になったボトルを手で弄びながらそれを考えていると、玄関のドアが開く音がした。

 諒一が部屋に戻ってきたようだ。

 結城は一旦考えを中断して諒一に声をかける。

「おかえりー。」

「ただいま。」

 諒一はそっけなく返事をすると、持っていた大きなバッグを自分の部屋に持って行く。

 ……今、諒一は2NDリーグフロートユニットではなく、1STリーグのチームビルがあるフロートに赴いている。

 なぜならば、アール・ブランの引越しが完了して、VFや機材も全て移し終えたからだ。

 ここからは少し距離が遠くなり、移動時間が少しだけ増えたようだ。

(そのせいで帰ってくるのも遅くなってるな。)

 また、ラボ内部のどこがどんな風に変化したのか興味はあったが、結城はまだ一度もそのビルを訪れてはいなかった。

(行きたいけど、ランベルトには会いづらいし……)

 結城は未だにランベルトに言われたことを気にしていた。そして、その時に取った自分の言動がランベルトに不快感を与えてしまったのではないかとも思っていた。

 考え過ぎなのは自分からしても明白だったが、少しでもその事を考えると行くのが億劫になってしまうだ。

(でも、会わないわけにもいかないしなぁ……。)

 うだうだと考えていると、諒一がシャツを肘の位置までまくり上げながらダイニングに入ってきた。

「すぐ夕食にしよう。……結城、食器を頼む。」

 それだけ言うと、諒一はダイニングを素通りしてキッチンへと移動する。

「わかった。」

 結城は短く返事をするとボトルをテーブルの上に置き、食器棚に向かった。

 


 それから約10分後。

 結城は自分の皿に盛られた夕食を見て、思わず疑問の声をあげた。

「あれ……なんでこんなに質素なんだ?」

 そこには一品しかなく、しかもそれはお粥のようなドロドロとした食べ物だった。

 ……こちらとは違い、諒一の皿には肉料理や根菜の和え物などが盛られており、そのどれもが美味しそうだった。

 新手のいじめだろうかと思っていると、その理由を諒一が答える。

「……結城、明日は『グラクソルフ』との試合だ。……この間も言ったはずだ。」

 それは、半分呆れたような言い方だった。

「そういえばそうだったな……。」

 先ほど思い出せなかった重要なこととは、この事だったようだ。

 結城はそれを思い出せてすっきりした反面、忘れていたことを反省していた。

(やばい、言われるまで思い出せなかった……)

 諒一が呆れるのも仕方がない。……試合の日を忘れるなんて、VFランナーにあるまじき失態である。

 こちらがスプーンを握ったまま固まっていると、諒一が話しかけてきた。

「食べないのか?」

 結城は諒一に促され、目の前にあるお粥と向き合う。見た目はともかく、消化吸収は良さそうだ。

 結城はその皿を引き寄せ、お粥の中にスプーンの先端を差し込む。

 それを口に運ぼうとした時、またしても諒一が質問してきた。

「もしかして、試合に出たくないのか?」

 急に変なことを聞かれ、結城は開けていた口を閉じ、一旦スプーンを皿に戻してから返事をする。

「心配しなくても試合には出るよ。……でも今のアカネスミレじゃ勝てないと思う。」

 試合前から勝てないなんて言うのは弱気かもしれないが、結城がそう思うのもきちんとした理由がある。

 ――この休暇中、結城は幾つかの試合映像を見た。

 主に1STリーグの試合を見たのだが、どの試合もVFの挙動が、2NDリーグのそれを遥かに凌駕していたのだ。

 ゲーム内でもそのくらいの速いスピードで対戦は行われるので、見慣れていないことはない。

 しかし、実際にVFに乗って戦うとなると話は違ってくる。

 いくら体を鍛えたからといっても、女子学生の私が鍛えられる範囲なんてたかが知れている。

 勝負に勝てるかどうかも心配だが、あのスピードによって生じるGの変化に自分の体が耐えられるのか、それも心配だった。

「……。」

 結城はそんな事を考えつつ、スプーンでおかゆをこねくり回していた。

 諒一はアカネスミレについて、こちらの不安を和らげるように言う。

「アカネスミレのことは気にしなくていい。伸縮機能や出力調整はできないけれども、総合的な出力は向上しているはずだ。」

 それを聞いて、結城はレギュレーションの件も思い出す。

「あ、そうか。1STリーグはエネルギーの受信制限がなかったんだな。」

「正確に言うと、供給側でも制限している。」

「どっちでもいいじゃないか……。」

 諒一に訂正されたが、これで少しは希望が持てた気がする。

 特にスペックアップせずとも、それなりのパワーを発揮できると考えていいだろう。……そうなると、アカネスミレの出力調整機能が使用できないのが悔やまれる。

「……本当に試合に出られるか?」

「だから大丈夫だって言ってるだろ。」

 何度も諒一に確認され、いい加減結城も苛立ってきていた。

 しかし、尚も諒一は言葉をかけてくる。

「せめて今日くらいは、シミューレーターでもいいから操作感覚を確認したほうがいいんじゃないか。」

「やってもやらなくても一緒だ……だってそうだろ? 今のアカネスミレは並のVFに成り下がってる。……そんなので1STリーグの強豪相手にまともに戦えるわけないじゃないか。」

 半分ムキになりながら言うと、諒一が反論してきた。

「ランベルトさんだって、このままアカネスミレの機能を制限するつもりはない。いつかは昔通りの性能が発揮できるようになるはずだ。」

「それはいつになるんだよ。」

「……。」

 諒一はそれに答えることが出来なかった。

 アカネスミレに関しては本気で対応策を考える必要があるだろう。

 結城は諒一が黙っている間にお粥を一気にかき込み、平らげてしまった。

「……ごちそうさま。」

 まだ食べ足りなかったが、諒一が準備したのだからこの量が適量なのだろう。

 何気なく諒一の皿を見たが、料理のほとんどが手付かずのままだった。

 結城は口元に付いたお粥を手の甲でぬぐいつつ食卓を離れ、寝室に移動することにした。



 ……寝室に入ると、結城はすぐにため息を付いた。

(はぁ……言い過ぎたな……。)

 早速自分の言動を反省しつつ、結城は寝室のドアを後ろ手に締める。

 寝室と言ったが、ここは本来は物置として使われている部屋で、居間に飾りきれないVFグッズや、比較的古いデータブックなどが保管されている場所だ。

 そのため、部屋の半分以上は足を踏み入れることが出来ず、結城はその狭いスペースに簡易ベッドを置いて寝ているというわけだ。

 結城はベッドの上で寝転んではみたものの、まだ寝るには早く暇だったため、とりあえず明日の試合相手の情報を確認してみることにした。

 結城はベッドから降りて、近くにある本棚の前まで移動する。

「えーと……これでいいか。」

 結城はその本棚から『最新版VFBチーム公式ガイドブック』という分厚い本を手に取ると、ベッドまで引き返した。

 結城は寝転がりながらその本をパラパラとめくる。

「グラクソルフ……あった。これか……。」

 そして、目当てのチームの項目までくると本を持ち直した。

 相手のチーム名は『グラクソルフ』。VFの個体名は『ラインツハー』だ。

 ランナーはかなりの頻度で入れ替わっているらしく、データブックにはよく知らない名前がズラリと並んでいた。

 VFはずんぐりむっくりとした特徴的なフォルムをしているので、結城はすぐにそれを思い出すことができた。

 映像では、相手に接近して鎚を振り下ろすという単純な戦法しか取っていなかったはずだ。

 また、このラインツハーは試合中のダメージを徹底的に無視し、かなり攻撃に重点を置いていた。

 戦い方に名前をつけるとするならば『猪突猛進捨て身戦法』というのが最も適しているだろう。

(こいつは動きも遅かったし……回避さえうまくやれば何とか勝てるかな……。)

 避けたとしても、こちらの攻撃が通じるかどうか、今のところは判断できない。

 ……しかし、相手のことがわかり、少しだけ不安が低減した結城だった。


  2


 翌日、結城は男子学生寮から直接1STリーグのバトルフロートの海中施設へ移動していた。

 まずラボに行ったほうがいいかもしれないと思ったのだが、諒一の話によれば、準備はずでにハンガー内で済んでいるらしい。

 結城は今、諒一と共に船上にいて、そこから見える1STリーグの海上に浮かぶアリーナを眺めていた。

(今日からあそこが私の戦場になるのか……)

 前来た時も思ったが、海上という開かれた空間で戦うというのは気分が良い。

 観客がいないのは寂しいが“歓声に邪魔されず戦える”と前向きに考えることもできる。

 ……アリーナの周囲はとても静かで、海には大型船が少数浮かんでおり、上空では2機の大きな飛行船が大きな円を描いて旋回していた。

 ちなみに、今乗っている船の内部も静かだ。

 それは、この船が大会スタッフ専用の輸送船だからだろう。ファンが全くいない状態なので、結城は安心して船に揺られていた。

(専用船だなんて……豪華だな。)

 ……間もなく船は施設のターミナルに到着し、諒一と結城はスタッフ達と同じようにして船を降りる。

 そのまま流れるように施設内部へと入っていく。

 ――ここを訪れるのは実に4ヶ月ぶりだ。

 ドギィとの勝負に勝ってから、もうそんなに経つかと思うと、自分の時間感覚が狂っているのではないかと疑いたくなる。

(そういや、明日は2NDリーグでも試合が始まるな……。)

 どうせまたトライアローが優勝するのだろうな、とぼんやり考えながら歩いていると各チームのハンガーが並ぶ区域に着いた。

 この区域は昇格リーグの時とは違い、より厳重に管理されているのか、警備スタッフの数が多い。しかし、それも入り口付近だけで、区域内に入るといつもとあまり変わらぬ光景が広がっていた。

 諒一とは施設内まで一緒に歩いていたが、ハンガーまで来るとそこで二手に分かれることにした。

「じゃあ着替えるから……先にハンガー行ってて。」

 こちらがそう言うと、諒一は無言で頷きハンガーの中へ入っていった。

 その際にちらりとハンガー内の様子が見え、ランベルトの姿が見えた。ランベルトは入り口に背を向けて立っていたため、表情は全くわからなかった。

 数秒もしないうちにすぐに扉は閉じられ、結城は更衣室に向かうことにした。

 更衣室には誰もおらず、ラッピングされた新品のランナースーツが置いてあるだけだった。

 訓練用のランナースーツは演習でさんざん着用していたが、本番用のしっかりとしたものを着るのは久しぶりだ。

(サイズとか大丈夫なんだろうか……。)

 4ヶ月も経てば大分体型も違ってくる。それが成長途中の女子学生ならばなおさらのことだ。

 そのせいでランナースーツをきつく感じることもあるかもしれない。

 しかし他のサイズはなく、それしか無かったので、結城には目の前にあるスーツを着る以外の選択肢はなかった。

 ……やがて着替えが終わり、結城は屈伸運動などをしてフィット具合を確認する。

 結城の願望としては、胸はきつくなり、腰は緩くなっていて欲しかったが、そのランナースーツは見事なまでに結城の身体にフィットしていた。

「……。」

 とにかく、着替え終えた結城は更衣室を出て、ハンガーへ向かうことにする。

 ランベルトと会うのは気が進まなかったが、試合前にそんな事を言っている場合ではない。

(まぁ、すぐにアカネスミレに乗れば問題ないよな。)

 更衣室からハンガーの扉までものの数秒で移動し、結城はその扉の取っ手を掴む。

 ハンガーの扉を開けてすぐにコックピットに乗り込もうと考えていた結城だったが、その計画はすぐに打ち砕かれてしまう。

 扉を開けた途端、近くにいたランベルトと目が合ってしまったのだ。

 見ると、ランベルトは無駄に活き活きとしていた。そして作り笑いしているせいか、口元に不自然なシワが発生していた。

 目は真剣にこちらを見ているのに、口だけが変にゆがんでいる。

 そのギャップがおかしく思えてしまい、結城は思わず噴きだしてしまう。

「ふふっ……なんだその顔……」

 こちらが笑うと、ランベルトも気の抜けたような安堵の笑みを浮かべる。……それは普段通りのランベルトの表情だった。

 ひとしきり笑い終えると、結城は2ヶ月ぶりの挨拶をランベルトと交わす。

「久しぶり、ランベルト……。」

「おう。久しぶりだな。」

 ランベルトはそれだけ言うと、他に何も言うことなくアカネスミレに視線を向けた。

「最終チェックも終了してる。……嬢ちゃん、操作感を確認しといてくれ。」

「うん。」

 結城はここでようやくハンガー内に入り、歩いてアカネスミレの元まで向かう。

 途中、ハンガー内を見渡したが諒一とランベルトの他にメンバーはいないようだった。

 やけに静かなハンガー内を横切り、数十秒ほどで結城はアカネスミレが固定されている大型装置に到着した。

 アカネスミレは既に起動しており、アクチュエータの駆動音が微かに聞こえていた。

 その聞きなれた音を肌で感じつつ、結城はコックピットに乗り込み、シートに置いてあったHMDを頭に被る。そして、コンソールを操作して各所の動きを確認することにした。

 まず最初にアームを動かしてみる。

 グーとパーを一秒の間に5回ほど繰り返したが、異音もなく五指は滑らかに動いてくれた。

 続いて肘と肩の関節を同時に可動域の限界まで回してみるも、ズレが生じることもなかった。

「……。」

 アカネスミレはこちらの入力したとおりにキビキビと動く。レスポンスも問題ないし、操作感覚にも違和感は感じられない。

 結局ツルカで調整したのだろうけれど、それで違和感を感じないということは、案外ツルカと私は相性がいい……じゃなくて、感覚が似ているのかもしれない。

 とりあえず問題はなかったので、結城は開いたままのコックピットから身を乗り出してランベルトに報告する。

「操作に違和感はないと思うぞ!!」

「そうか、……つーか、アーム動かしただけでわかるもんなのか?」

 こちらは大声を出したが、下を見るとランベルトはすぐ近くまで移動しており、返事も近くから聞こえていた。

「今、固定具を外すから他にいろいろ試したらどうだ。」

 試せと言われて結城は考える。

 感覚は鈍っていないし、これ以上のテストは無駄だと結城は思っていた。……が、どちらにせよ、アカネスミレをリフトまで移動させる必要があるため、固定具を外すことに異論はなかった。

「……そうだな。」

 こちらが同意する旨を伝えると、すぐに結城のHMDに、アカネスミレの固定解除を知らせるマークが表示され、アカネスミレは自立した。

 その後、結城はランベルトに言われた通り、歩行したり肩関節を軸にしてぐるんぐるんアームを回してみたりしたが、どれも問題なかった。

 準備体操のような動作をアカネスミレで行なっていると、その機械音に混じり、ランベルトの不安げな声が届いてきた。

「嬢ちゃん、オフシーズン中一度も操作してなかったが……いきなり試合に出て大丈夫か?」

 結城は一度動きを止めて、それに答える。

「大丈夫だ。一応、学校の演習で訓練用VFは操作してたし。」

 こちらの自信満々の答えを聞き、ランベルトは鼻をこすって笑みを浮かべる。

「全く頼もしいな、嬢ちゃんは……。まぁ、グラクソルフは前シーズン6位のチームだ。うまくやれば勝てるだろ。」

「そうそう。」

 グラクソルフのVF『ラインツハー』が過去の映像通りの戦法を取ってくれるなら、勝機は十分にあるだろう。

 しかし、今のアカネスミレに攻撃を回避するのに必要なスピードを出すことができるか、微妙なところだった。

 体中の動作確認を終え、ついでに準備運動がてらブレードの抜刀の練習をしていると、諒一がジェスチャーを交えてリフトに乗るように指示してきた。

「結城、そろそろ時間だ。このままアリーナまで行けるか?」

「オッケー……じゃあ行ってきます。」

 回避に関する不安を口にする事無く、結城は諒一の指示に従い、ハンガーの端にあるリフトにアカネスミレを移動させる。

(気楽に試合……できるわけないか。)

 試合前のこの感覚には慣れたが、慣れただけであって、心拍数自体は下がることはない。

「ハッチ……閉めるぞ。」

 結城は若干緊張気味な声でそう言って、手動でコックピットハッチを閉じる。

 ……それと同時にリフトがアリーナに向けて上昇し始めた。

 


<――さあやって参りました。1STリーグ開幕戦です。>

 海中にある施設からリフトを使い、アリーナまでアカネスミレを上昇させると、すぐに実況者の声がアリーナに響いてきた。

 それは落ち着いた声だったが、かなり明瞭で、2NDリーグを実況しているテッドのハイテンションボイスとは正反対のように思える。

 そもそも、観客もいないのに実況者の声を大音量で流す必要はあるのだろうか……。

 ふと、そんな疑問が頭に思い浮かぶも、それは結城にとってどちらでもいいことだったので、あまり気にしないことにした。

 結城はアカネスミレを操作し、リフトから降ろしてアリーナに足を踏み入れさせる。

 すると、それを待っていたかのようなタイミングで実況者が再び話し始めた。

<……今シーズンでは新たにアール・ブランを迎えました。……長らく変化のなかった1STリーグに新風を巻き起こすことができるのでしょうか。期待で胸が膨らみます。>

 2NDリーグスタジアムならば、ここで観客から何らかの反応を得られるのだが、この開けた空間では反応も何もあったものではなかった。

 ……やがて、グラクソルフ側からもVFが登場し、実況者は間髪入れずテンプレート通りのチーム紹介をし始める。

<では早速、1STリーグ開幕戦、第1試合で戦う両チームを紹介したいと思います。……まずはチーム『グラクソルフ』です。VFは相変わらず愛嬌のある『ラインツハー』、ランナーはイアンです。>


挿絵(By みてみん)


 実況者に紹介され、着ぐるみを着たようなVF『ラインツハー』は手を振って応えた。

 その外見はデータブックや試合映像でみた通り大きくて、装甲も馬鹿みたいに巨大だった。

 胴も太く、頭部パーツには丸っこい耳のようなパーツも付いている。というか、装甲が厚いせいで頭がかなり大きい。いわいる“トップヘビー”というやつである。

 動物で例えるとするならばクマだろう。

 クマといっても野生のものではなく、マスコットキャラクターのそれに近い。

 こんなにも外装甲を着けていられるのも、2NDリーグまでとは違い、エネルギー供給制限がないからだろう。それを良い事に、ラインツハーはこれ見よがしに衝撃吸収機構を大量に使用している。

 ……しかし、その装甲のせいで可動域が狭くなっているのか、動きはかなりぎこちななかった。

 そんな動きも愛嬌さを増す要因となっているようだった。

(たしかに見た目は可愛いけど……なんだあの武器は……。)

 その可愛らしさとは対照的に、ラインツハーは凶悪な形をした鎚……いわいるハンマーを手にしていた。それは棒の先にトンネルを掘り進むためのシールドマシンをそのままくっつけたような武器だった。

 また、その鎚は馬鹿みたいに巨大で、大きさを見ただけでどれほどの破壊力を秘めているのかがわかるほどだった。

 あれをまともに喰らえば、大抵のVFは一撃で沈むことだろう。

 その鎚をゆっくり観察する間もなく、結城は実況者によって紹介され始める。

<……続いてはチーム『アール・ブラン』です。VFはレッドのボディが美しい『アカネスミレ』、ランナーはユウキです。>

 紹介された結城は、つい、いつもの癖で手を振ってしまう。

 しかし、手を振るべき観客はどこにもいないことにすぐ気づき、何事もなかったかのようにアームを振るのをやめた。

 それを待っていたかのように、しばらくたってから実況者が言葉を再開する。

<えー、そして、実況・解説はわたくし、ヘンリー・アズキネンがお送りいたします。>

 自己紹介をしたヘンリーは、続いて世間話をする。 

<今日は1STリーグで初めて女性ランナーがアリーナ上に立つ、記念すべき日でもあります。もしかすれば、女性ランナーが初めて1STリーグの公式戦で白星をあげた記念日になるやもしれません。>

「そうなればいいな、……嬢ちゃんもそう思うだろ?」

 いきなり通信機からランベルトの声が聞こえた。どうやら司令室での準備が完了したようだ。

 結城は通信機に向けて返事する。

「もちろんそうだけど……。」

 もしかして、自分が女性ランナーだから、宣伝的な意味で開幕試合に無理やり組み込まれたのではないだろうか……。

 一応はエンターテイメントだし、大会側が意図してアール・ブランを推している可能性もなくはない。

 そう思うと“1STリーグ初の女性ランナー”の名誉を素直に喜べない結城であった。

<……両者とも準備が整ったようです。>

 ヘンリーの言葉によってアリーナ中に緊張が走る。

 結城もそのアナウンスを聞き、HMDの位置を調整しなおした。

 ……いよいよだ。

 いよいよ1STリーグでの試合が始まる。

 いったい私はどれだけこのリーグに通用することができるのか、楽しみでもあり不安でもあった。

<……それでは試合開始です。>

 ヘンリーの合図の後、ブザーがアリーナに響き渡り、グラクソルフとの試合が始まった。


  3


(まずは……っと。)

 試合開始後、結城はすぐにアカネスミレを後ろに下がらせる。

 なるべく相手と距離をとって、まずは自分自身の機動力を正確に知る必要があったからだ。

 軽く後方に跳んだつもりだったのだが、予想以上にアカネスミレは速くそして力強く跳ねた。

 それは、まるでシミュレーションゲームの時のようなキビキビとした動きだった。

(すごい……フラット状態のアカネスミレがこんなにも速く動く……。)

 鹿住さんがフレームを完璧にメンテナンス・調整していれば、これ以上の速さを実現できたことだろう。

(でも、レギュレーションが無いだけで、こうも簡単にパワーを得られるんだな……。)

 こんなにパワーが出るのに、アカネスミレのフレームはそれに耐えられるのだろうか……。

 本来のアカネスミレならば、強い衝撃にも耐えられるよう、フレームを微調整することにより負荷を分散・拡散できる仕組みになっていた。

 ……しかし、今はそれが使えない。

(大丈夫なのか……?)

 疑うことは簡単だが、疑っていても仕方がない。なので、結城はランベルトと諒一が整備したアカネスミレを信じることにした。

 もちろん、アカネスミレだけではなく、ランナーの体に掛かる負担も大きくなっているはずだ。

 しかし、その負担に耐えられるだけの体力は、ランナー育成コースである程度身に付けている。

(身に付けてる……つもりなんだけど……。)

 若干、自分の体力に不安を抱いていると、相手に動きがあった。

 なんと、ラインツハーが巨大な鎚をいとも簡単に操りながら、こちらに向けて突進してきたのだ。

 初撃から容赦無く攻撃をするつもりらしく、そのダッシュに迷いは一切感じられない。

 鎚の先端はこちらとは逆向きに振りかぶられているのか、ラインツハーの大きな装甲に隠れ全く視認出来なかった。

「結城、相手の武器が起動している……重い一撃が来るぞ。」

 通信機から聞こえてきたのは、諒一のありがたいアドバイスだった。

 VFのカメラとは違い、司令室ではアリーナの様子がよく見えるらしい。

「わかった。」

 結城は諒一のアドバイスを活かすべく、体勢を低くしてラインツハーに向けて突っ込んでいく。

 ……こういう手合いとの戦い方はセブン……ではなく、七宮とシミュレーションゲーム内でさんざん練り尽くしている。

 その対処法とは……懐に飛び込み、相手の動きが始まる前に攻撃を加えることである。斧やハンマーなどの重量のある武器を使った攻撃に対しては特に有効だ。

 とにかく、武器を使用不能にしてやればいいのだ。

 懐に跳び込むのは危険行為に見えなくもないが、スピードで優っている場合はかなり有効な手段である。

<2体が中央に向けて走り始めました。初っ端からすごいものが見られそうです。>

 ……こちらが近づいてもラインツハーが距離をとる様子は見せず、そのまま鎚を振るつもりのようだった。

(強引だなぁ……。)

 それだけ自前の装甲の強度に自信があるのだろう。

 だが、結城にとっての第一目標は回避することであり、その程度のことで突っ込むのを止めるわけがなかった。

 ――むしろ、ここで止まるほうが危ない。

 鎚の先端部分ならともかく、武器のグリップ付近ならば当たってもダメージは少ないし、すこしのパワーで攻撃を防ぐことができるからだ。

 そう考えていると、間もなく結城はラインツハーと接触し、予想通りの展開になった。

「……今だっ!!」

 絶妙なタイミングで結城はアカネスミレをラインツハーの懐へ導く。

 アカネスミレは、結城が操作した通りの動きを実現させ、ラインツハーが鎚を振るのよりも若干早く、その攻撃範囲の、より内側に入り込む事に成功した。

 そこでようやく結城は超音波振動ブレードを抜く。

(狙うのは……相手の武器のグリップ!!)

 武器さえ奪ってしまえば、試合はこちらのものである。

 いくらラインツハーの装甲が厚いとはいえ、超音波振動ブレードの攻撃にそう何度も耐えられはしまい。

(……こい!!)

 結城がブレードを構え終えると同時に、鎚の根元部分がアカネスミレに向けて迫ってきた。

 それを確認した結城は、迷うことなくブレードを相手の武器のグリップ部分に目がけて突き出す。

 出力が向上しているアカネスミレが振ったブレードの突きは、結城が自分で驚くほど鋭く疾いものだった。

 間を遮るものは何も無い。

 ブレードを抜いてから1秒後……結城の期待した通り、超音波振動ブレードは鎚を保持しているラインツハーの手の甲に命中した。

 ……しかし、ラインツハーがグリップから手を離すことはなかった。

(どうなってるんだ、確かに攻撃は命中して……)

 結城は更に力を込めて超音波振動ブレードを押しこむも、ブレードの刃先はそれ以上進まない。

 それが理解できず、結城はブレードが刺さっている手の甲をよく観察する。するととんでもない光景が目に写った。

 ……なんと、超音波振動ブレードはラインツハーのアームの装甲によって防御されていたのだ。

 普通、VFの手の装甲というものは操作性を失わぬよう、手首あたりまでしかカバーできない。

 しかし、ラインツハーはその操作性すら捨てており、指先に至るまで分厚い装甲が覆っていた。……文字通り全身を防御に特化させているようだ。

(そこまでするか……!?)

 それだけでも十分驚きだったが、驚くべき所はそれだけではなかった。

 ラインツハーの装甲はほぼ無傷なのに対し、こちらのブレードには亀裂が入っていたのだ。

 さらに、アカネスミレ本体のアームのフレームにも異常が発生していた。

「!?」

 結城は、咄嗟に相手の装甲に突き刺さったままのブレードから手を離し、ラインツハーの背後に回りこむようにしてその場から離脱する。

(何が起こったんだ!?)

 ラインツハーから距離を取った所で、結城は先ほど起こったことを整理していた。

 ……ブレードはまだしも、フレームに異常が発生したのは解せない。

 もしかして、アカネスミレのフレームがパワーの上昇に耐え切れなかったのだろうか……。

 アカネスミレ自体が、パワー配分を調整できないせいでバランスが崩れ、体中のパーツに異様なほどの負担がかかっている状態なのかもしれない。

 そんな状態で大きな衝撃を受ければ、勝手にフレームが自壊するのは当然のことだった。

 その証拠に、結城が被っているHMDにはフレームの異常を示すサインが点滅して表示されており、肘や肩、そして股関節のフレームに想定以上の負荷が掛かっていることを示していた。

(やっぱりメンテナンスが……フレームの調整が不十分だったんだ……。)

 諒一やランベルトにこういう場合の対処法を聞こうとするも、すぐにラインツハーが迫ってきたため、通信する余裕はなかった。

(とにかく、接触は避けないといけないな……)

 相手の攻撃を受け流せないと判断した結城は、鎚を避けることに専念することにした。

 結城は迫り来るラインツハーに対し、横方向に移動して回避する。

 その際、アカネスミレの脚部からも何かが軋むような音が聞こえていたが、今のところは動作的には問題ないようで、なんとか相手の鎚を回避することができた。

 ……それを何度か繰り返していると、突然、実況のヘンリーの不思議そうな声がアリーナに響いた。

<どうしたのでしょうか、アカネスミレはラインツハーの攻撃を避けるばかりで反撃しようとしません。避けるので精一杯ということでしょうか……?>

(その通りだよ!!)

 実況の言葉に苛立ちを覚えつつ、結城はひたすら鎚を避ける。

 ラインツハーが鎚を振るうたびアリーナは大きく抉れ、同時に、結城が自由に移動できる範囲も狭まっていく。

 鎚による攻撃が当たらないと判断したのか、どうやら相手はこちらの避ける方向を誘導してアカネスミレをアリーナの端に追いやっているようだ。

 こちらの避けられる範囲がなくなれば、相手の攻撃に当って破壊されるか、海に落ちて場外負けになるかの2択である。 

 そういう事態になるのは、何としても避けねばならない。

 ――かと言って、そんなに簡単に何とかできるはずもない。

 通信機からはランベルトの「がんばれ」や「まけるな」といった具体性のない応援しか聞こえてこないし、打開策も全く思い浮かばなかった。

 次第に、今まで何とか回避していた鎚も避けるのがきつくなり、結城はとうとうアリーナの端まで追いやられてしまう。

<アカネスミレ、エネルギー供給エリアぎりぎりまで追い詰められました。これはラインツハーの勝ちでしょうか?>

(これが“万事休す”ってやつか……。)

 ラインツハーは頭上高くに鎚を振り上げ、その態勢のまま一時停止した。

(“リタイアしろ”ってか……。)

 アカネスミレや、今後の試合のことを考えればここでリタイアするのもひとつの手だ。

 だが、結城にはそのような選択肢は存在していない。

 リタイアをする猶予を与えていた相手だったが、こちらが何のアクションも起こさないでいると、ついにこちら目がけて鎚を振り下ろした。

「くっ!!」

 結城は止む無く相手の鎚をアカネスミレの両アームで受け止める。

 なんとか直撃は避け、棒の中央付近を受け止めたのだが、その際にアームが肘からぽっきりと折れてしまった。

 そして、支えを失った鎚の棒はアカネスミレの肩と首の間に命中する。

「うっ……!!」

 命中した部分の装甲は綺麗に凹み、その衝撃はコックピットの中まで伝わってきた。

 しかし、それはアカネスミレの装甲を凹ませただけで、他の箇所には何の被害も与えていなかった。

「耐えた……!!」

 両アームが折れてしまったのは残念だが、その代償として、相手から隙を奪うことができた。

 結城はその鎚の棒部分を装甲にめり込ませたまま、アカネスミレの体の軸をずらして前へ踏み込ませる。

 すると、ラインツハーはこちらの動きにつられて、その場で体を半回転させてしまう。……結果、アカネスミレとラインツハーの立ち位置が逆転した。

 それだけでなく、相手は勢い余って海に落ちそうになる。

(……今だ!!)

 すかさず結城はラインツハーに向けて……すなわち、海側に向けて前進した。

 食い込んだ棒部分はラインツハーの体を突き、バランスを崩していたラインツハーは海側によろける。

 結城の目の前で、ラインツハーは踏ん張ろうと努力していたが、重い装甲のせいで思うように動けないようだった。

 そのままラインツハーはボディの大半をアリーナからはみ出させてしまう。

 それはジェネレーターのエリアからもはみ出している事を意味しており、エネルギーを受信できなくなったラインツハーは重力に引かれるようにして海に落下していった。

 VFBでは場外になれば無条件で負けらしいので、こちらの勝利は確実だった。

(なんとか勝った……。)

 ……と安心したのも束の間、ラインツハーとアカネスミレは鎚の棒部分で繋がっていたため、ラインツハーに引っ張られてアカネスミレも海に落ちそうになった。

「!!」

 結城はそれを防ぐべくアリーナの隅で足を踏ん張らせる。しかし、フレームに異常な負荷が掛かっていたせいか、ラインツハーの重さに耐え切れなくなり、アカネスミレの股関節部分は派手な音を出して自壊してしまった。

「え、うそ……」

 アームに続いて足も使い物にならなくなり、アカネスミレとラインツハーはそのまま海に落下することとなった。

 短い落下を経てアカネスミレは着水する。

 その際、衝撃と水しぶきのせいで映像が歪んだが、海中に入ると映像の乱れはすぐになくなった。

 予想に反して海中は暗く、棒の先にいるであろうラインツハーの姿も曖昧だった。

 2体のVFはそのまま海中を沈下していったが、そのまま海底まで落ちるということはなく、すぐにフロート内の海中施設の天井部分に腰から着地した。

 ラインツハーはと言うと、もこもこした装甲で落下の衝撃も吸収するイメージがあったのだが、こちらと同様にして施設の天井部分に豪快に落下する。

 ゴツンともガチンとも取れるような鈍い音が海水を伝って聞こえてきて、棒を通してもその衝撃が微かに伝わってきた。

 アカネスミレの動きが止まると、ようやく通信機からランベルトの焦った声が聞こえてきた。

「どうなってる、嬢ちゃん!?」

「……。」

 今は声を聞きたくなかったので、結城は通信機のスイッチを切った。……このまま話していたらアカネスミレのことについて文句を言ってしまいかねないと思ったからだ。

「はぁ……。」

 結城はHMDを脱いでため息を付く。

(確か“コックピットは浸水はしない”って教官が言ってたような気がするし……ゆっくりしてても大丈夫だな。)

 エネルギー供給が絶たれたため、コックピット内は暗かった。

 光も無ければ音もない。静かなものだ。

(これで試合終了か……なんか情けないな。)

 ――それにしても今の試合展開は酷いものだった。

 相手から逃げ続けた挙句、最後の決め手は場外勝ちを狙った押し出しである。

 アカネスミレの強度に問題があったので仕方ないのだが、ファンに対してその言い訳は通用しない。今頃、生で試合を見ていた人はあまりの試合のつまらなさにがっかりしていることだろう。

 ……間もなく、アカネスミレが何かによって固定されるのを結城は感じだ。

(もう助けに来たのか……)

 結城は再びHMDを被り、外の様子を確認する。

 HMD越しに上を見ると、海面がどんどん近づいてきており、順調に引き上げられているようだった。

 やがて海から出て、アリーナの端っこに引き上げられると、タイミング良くヘンリーのアナウンスが聞こえてきた。

<……こちらの計測データから判断したところ、先にジェネレーターの供給エリアから出たのはラインツハーです。ということで、開幕戦の勝者はアール・ブランのユウキ選手ということになります。>

 歓声も何もない、ただ、自分が勝ったという事実だけが告げられただけだ。

 なんとも寂しい勝利通告である。

「……。」

 結城は無言のまま、コックピット内でそれを聞いていた。

 グラクソルフには上手く勝ったものの、アカネスミレの不具合のせいで、あまりその実感はなかった。 


  4


 海中から引き上げられた結城は、アカネスミレを大会側のスタッフに任せて、すぐにハンガーに戻ることにした。

 きっと、諒一は海に投げ出された私を心配していることだろう。

(早く顔を見せて安心させないと、な。)

 こちらも早く諒一と会いたかったので、自然と歩くスピードも速くなっていた。

 ……結城は何本かエレベーターを乗り継いで下に向かい、すぐにハンガーに到着する。

 特に考えもなく扉を開けると、ハンガー内にはランベルトがいて、こちらの姿を確認すると駆け寄ってきた。

「やったな!! 開幕戦で初勝利なんて幸先いいじゃねーか!!」

 ランベルトはこちらの心配も、アカネスミレの心配もすることなく、ただただ勝利を喜んでいるようだった。

 ――そんな風に喜ぶよりも先に、何か私に言うことがあるのではないだろうか。

「……。」

 浮かれているランベルトに注意したい衝動に駆られたが、言いたいことをグッと堪え、結城は諒一の行方を訊いてみる。

「……諒一は? まだ司令室にいるのか?」

「いや、リョーイチは嬢ちゃんが海に落ちてすぐにアリーナに向かった。……会わなかったのか?」

「そうなのか……。」

 入れ違いになったのかもしれない。

 それを残念に思うと同時に、諒一に任せきりにして自分だけハンガーで呑気にしているランベルトに腹が立った。

「よしよし、これでスポンサーからも信用を得られるな。」

 そんなこちらの気持ちに気づくわけもなく、ランベルトは相変わらず脳天気にうれしげな声をだして喜んでいる。

 そんなランベルトを見て、結城はついに怒鳴ってしまう。

「……何がスポンサーだ!! そんな事後回しにしてちゃんとメンテナンスしろよ!!」

 いきなり出した声に、ランベルトは驚いているようだった。

 結城はさらに文句を言う。

「フレームの強度調整だって不十分だったし、出力バランスもめちゃくちゃだったぞ……エンジニアならちゃんと私がまともに戦えるように仕事しろ!!」

 結城は、思っていたことを全て吐き出した。

 試合前や試合中はなるべく考えないようにしていたが、どう考えたってアカネスミレを完璧に仕上げていないランベルトが悪い。

 4ヶ月もあったのに一体何をしていたのだろう。

 こちらのぶっきらぼうな言葉にカチンと来たのか、ランベルトも喧嘩腰に返事をしてきた。

「俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ。あんなの鹿住意外誰もメンテできねーよ。……それくらい嬢ちゃんでもわかるだろ。」

「そんなのただの言い訳だ。あんなボロボロのアカネスミレでこれから先どう戦えばいいんだ!? 今すぐ言ってみろよ!!」

 結城は怯むことなくきつい口調でランベルトを責め続ける。

 すると、ランベルトは伏し目がちに言った。

「一応は通常のフレームと遜色ないくらいには調整したし、あれで限界だっつーの。……それが嫌ならダグラスの汎用フレームでも使うか?」

「あんなのじゃダメだ……。これから先、絶対に勝てない……。」

「まぁ、そうだな。」

 それに関してはこちらと同じ意見らしく、ランベルトは汎用フレームでは勝てないという事を認めた。

 さらに続けてランベルトは語る。

「アカネスミレの性能を制限しているのは謝る。でもなぁ、嬢ちゃんは勝つためのトレーニングをしていたのか? VFだけでなくランナーにも責任はあるんだぞ」

 今さら何を言っているのだ。

 あんなフラット状態の……いや、それ以下の状態のアカネスミレで試合に勝てたのは誰のおかげだと思っているのか。

 私がアカネスミレを操作しなければ、アール・ブランは負けていたのだ。

 もっとランベルトは私に感謝するべきではないのだろうか。

 そんなことを考えていた結城は、ひねくれたように言葉を返す。

「……そんなこと言うんだったら、私よりも強いランナーをダグラスから借りればいい……。それでランベルトは満足するんだろ?」

 しかし、煽り過ぎたらしく、ランベルトは急に態度を豹変させた。

「オイ……ふざけるなよ。」

 低い声でそう言うと、ランベルトはこちらのスーツの胸部プロテクターを掴んでくる。そして、そのまま勢いで私を突き飛ばした。

「きゃっ……」

 いきなり手を出されたせいで、結城は変な声を出してしまった。

 その声を聞いたせいか、ランベルトは慌てて身を引く。

「……シーズンが終わってから、嬢ちゃんには実質4ヶ月のブランクがあった。あと、カズミのことでショックを受けていることも知っていた。それでも俺は嬢ちゃんをランナーに選んだんだぞ。嬢ちゃんにはそれだけの実力があるってことだ。……もっと自信を持ったらどうだ?」

 つい先程は“ランナーに責任がある”なんて言っておきながら、“嬢ちゃんの実力は認めている”と言う……。

(まるっきり矛盾してるじゃないか。)

 結局ランベルトは、私をVFの一部としてしか見ていないのだ。

 適当に言葉を並べて、私の機嫌を良く保とうとしているだけに違いない。

「……。」

 結城は黙ったまま、ランベルトの言葉に対してなにも答えなかった。

 ランベルトはそんなこちらの態度を塞ぎ込んでいると勘違いしたらしく、再び歩み寄ってくる。

「どうやら、気合を入れてやらねーと駄目らしいな……。」

 上から目線でそんな風に言われ、結城も感情を抑える事が出来なかった。

 結城はランベルトに向き合い、まっすぐにランベルトを見据えて言う。

「なんだよ、大事なランナーを殴るつもりか? さっき言ったことは嘘だったんだな。」

「それはだな……」

 ランベルトがまたしても言い訳をする前に、結城は挑発じみた言葉を投げかける。

「……大体、中年の三流エンジニアに私が殴られるとでも?」

 このセリフに対し、ランベルトは直ぐに反応した。

「いい加減にしろよッ!!」

 大声でそう言うと、ランベルトは容赦なく殴りかかってきた。

(いい加減にするのはそっちの方だ……。ろくにVFも整備できないのに、偉そうに指図される筋合いはない……。こんな奴が責任者やってるチームなんて……辞めてやる。)

 半ばヤケクソになりながらそう考え、結城はランベルトを思い切り蹴り飛ばして、返り討ちにしてやろうとした。

 ……が、いきなり諒一がランベルトの前に出現し、結城の蹴りはランベルトではなく、諒一の腹部に命中してしまった。

「諒一!?」

「リョーイチ!?」

 諒一は私をランベルトから庇うような形で、体の正面をこちらに向けていた。

 どうやらランベルトのパンチを防ぐために割り込んだのだろうが、ランベルトの攻撃よりも私の蹴りのほうが痛かったに違いない。

 さすがの諒一も苦しげな表情を浮かべていた。

 ……諒一の背中側に関しては、ランベルトの拳がへなちょこだったお陰で、全く問題ないようだった。

 諒一は腹部を手で押さえながらランベルトに注意する。

「ランベルトさん、駄目ですよ。……アカネスミレがオーバーロードしていたのは事実です。そういった意味ではこちらにも非はあります。」

 諒一は先ほどの会話を聞いていたらしい。

 かなり年下の諒一に咎められて、ランベルトは反省しているようだった。

「……すまん。」

 ランベルトはそう言いながら拳をさすっていた。

 諒一はランベルトのパンチを肩甲骨あたりで難なく受け止めていたのだが、表情からすると、殴ったランベルトのほうが拳が痛かったようだ。

 もしこの場にツルカがいたら、痛い場所をさすることすら出来なかっただろう。

 とりあえずハンガー内に立ち込めていた険悪なムードが晴れ、結城は諒一の傍に歩み寄る。

「大丈夫か? 諒一……」

「何とも無い。かなり久しぶりだけど慣れているから平気だ。」

 蹴った感触では、かなり足がお腹にめり込んだ気もする。が、蹴られた本人が大丈夫と言っているなら大丈夫だろう。

 諒一は呼吸を整えながら、さらに私に話す。

「それよりも、そろそろインタビューが始まる。急いで会場に行ってくれ。」

「……うん、わかった。」

 このハンガーから離れる理由を諒一から貰った結城は、ランベルトと十分距離を取ったままハンガーの外へ移動する。

 その間ランベルトは何も言わず、ただ、俯いているだけだった。



 ……数十分後、諒一に言われた通り、結城は勝利者インタビューが行われる会場まで移動していた。

 その入口の前で、結城は立ち止まって考え事をしていた。

(ランベルトも大変だったのは分かってるけど……でも、あれは酷過ぎる。)

 未遂で済んだものの、チームの責任者がVFランナーに手を上げるだなんて言語道断である。

 一度は関係の修復に成功したものの、結城はもうランベルトのことは信用しないと心に決めた。

 そう思うと気が楽になり、インタビューにも落ち着いた状態で臨めるような気がしてきた。

(……それにしても、まだ始まらないのか?)

 結城は待ちきれず、関係者用の出入り口から中の様子をこっそりと覗く。

「おお……。」

 会場の中は広く、ここが海中にある施設であると忘れるほどだった。

 会場にはファンらしき人は全くおらず、代わりに多くのカメラマンがステージにレンズを向けている状態だった。

 これではまるで記者会見である。 

 ステージ上にはインタビュー用のセットが置かれてあり、それは結城も何度か映像で見たことのあるものだった。

(これ、もう入っていいのか……?)

 予定ではもう始まってもいい頃だ。

 中の様子をドア付近で見ていると、背後から男性が話しかけてきた。

「すみません、お待たせしました。」

 それは実況解説のヘンリーの声だった。

 インタビュアーが遅刻するなんて聞いたことがない。声はしっかりしているが、性格は案外ルーズなのかもしれない。

 振り向いて姿を見ると、ヘンリーは走ってきたのか、少し息が上がっている様子だった。

 だが、そんな事よりも気になることがあった。

(うわ……すごい色だ……。)

 なんと、ヘンリーの髪は原色に近い緑色で染められていたのだ。

 それは彼の真面目な喋り方や真面目な格好とのギャップが激しく、その違和感からか、結城は自然と首を傾けていた。

 こちらの視線が少し上を向いている事に気がついたのか、ヘンリーは至極まじめに緑色の髪について説明をしてくれた。

「ああこれですか。キャラクター性を出そうと思いまして染めてみたんですが……どうでしょうか?」

 ここで“似合わない”と言っても、すぐに髪を染めなおすこともできないだろう。

 そのため、結城は目を逸らしつつ、自分の気持を偽ることにした。

「……いいんじゃないですか、似合ってると思います。」

「それは良かった。……では会場に入りましょう。皆さんお待ちかねのようですし。」

 何事も無くその質問を切り抜け、結城はヘンリーに促されるままドアを開けた。

 そしてステージの上を目指して歩き出す。

(やっぱり、ランナースーツは恥ずかしいな……。)

 結城は、ステージにある椅子にたどり着くまでに何枚も写真を撮られ、椅子に座ってもシャッター音が途切れることはなかった。

 ヘンリーはと言うと、慣れた様子でステージ上に上り、スタッフからマイクを受け取っていた。

「本日はお集まりいただきありがとうございます。1STリーグ開幕戦は如何だったでしょうか。今回は皆さんご存知の通り、1STリーグで初めて女性ランナーが試合をしたわけですが、同時に、女性ランナーとして初めての勝利も勝ち取りました。」

 ここまでを一息で喋り、ようやくヘンリーはこちらに話しかけてきた。

「ユウキ選手、おめでとうございます。」

 結城は特に何も考えず返事する。

「ありがとうございます。」

 こちらがそれだけしか言わなかったため、次にヘンリーが喋り出すまで一瞬だけ時間が開いてしまう。

 その間を埋めるようにしてヘンリーは今回の試合について酷評し始めた。

「それにしても、アカネスミレは酷い壊れっぷりでしたね。……あれじゃ、どっちが勝ったか分からないですよ。」

「……。」

「いままでの試合では、アカネスミレは素晴らしいスペックを誇っていたようですが……今回は調整が間に合わなかったのでしょうか?」

「はい、そうみたいです。」

 わかってて言っているのか、ヘンリーの言葉は返答に困るものだった。

「まぁ、こんな話も含めて、いろいろと話していただきたいと思います。」

「……はい。」

 その後、インタビューは20分ほど続いた。


  5


 同時刻、鹿住はダークガルムの第2ラボ内でアール・ブランとグラクソルフの試合を見ていた。

 ラボには大きめのモニターが設置されており、そこには試合のダイジェスト映像が映し出されていた。

 鹿住はそれを固唾を飲んで見守っているというわけだった。

(あぁ、アカネスミレのアームが……)

 今は、ちょうどアカネスミレがアリーナの端に追いやられている場面だった。

 結城君の“ひたすら回避する”という考えは間違いではないのだろうが、勝つためにはそれ以外の選択が必要なように思える。

(これは……もう駄目でしょうか。)

 そう思った瞬間、アカネスミレがアリーナの中央に向けて回りこみ、ラインツハーを海へ突き落とした。

(やりましたね、結城君。)

 勝ったと思ったのも束の間、そのままアカネスミレはラインツハーに引きずられ、ずるずると海の中へ消えていった。

 ……なんとも情けない、格好のつかない終わり方である。

「酷いものだね。鹿住君がいなくなっただけでああもアカネスミレのスペックが低下するなんて。」

 同じく試合映像を見ていた七宮さんは、そう言ってモニターの電源を切った。

 鹿住は消えたモニターから目を離し、今の気持ちを正直に言葉にする。

「今すぐにでも修理しに行きたい気分です。」

 それを聞いて七宮さんは苦笑する。

「正直に言ってくれるね。もちろん駄目だよ?」

「わかってます。……でも、あのままでいいんですか?」

「いいんだよ。全部僕の計画通り……とまではいかないけれど想定内だ。対応策は十分に用意してあるから安心するといい。」

 七宮さんの言葉は妙に説得力があった。

 その対応策をやらを訊いてみたい鹿住だったが、秘密主義の七宮が簡単に答えるはずがないと思い、すぐに断念した。

「策があるのなら、それならいいんです。くれぐれもアカネスミレがスクラップになるような事態は避けてくださいね。あれも私の大事な作品ですから。」

「……もちろんさ。」

 答えるまでに少し間があったのが気に掛かったが、いざとなれば無理矢理にでもアカネスミレを回収するつもりだったので、あまり気にしないことにした。

「それよりも鹿住君、アレはもう完成しているのかい?」

「はい、今はダークガルムのラボで外装甲の取り付けをやっているはずです。」

 鹿住が答えると、七宮は心配そうに質問する。

「あっちに任せきりで大丈夫なのかい?」

 鹿住はすぐさまそれに答える。

「ただの組み立て作業ですし問題無いです。それに、ちゃんと後で私も確認に行きます。」

「そうか、それなら安心だね……。」

 ……結城君の試合を見たいがために向こうに行くのが遅れる羽目になったとは、口が裂けても言えなかった。

 ほっとしたのも束の間、七宮さんは不敵な笑みを浮かべて独り言のように呟き始める。

「結城君との試合まであと3週間……フフ、待ち遠しいよ。」

「……。」

 1STリーグの4試合目はダークガルムとアールブランという組み合わせになっている。

 こんなにも早い時期に当たるのは、運がいいと言う理由だけでは説明できない。

 ……多分、七宮さんが裏でいろいろやって、組み合わせを調整したに違いない。

(今のアカネスミレで結城君が七宮さんに勝てるわけないじゃないですか……。)

 あんな状態のアカネスミレなら、本気を出すまでもなく七宮さんが勝つだろう。

 七宮さんは、それ以上に何かをやらかすつもりなのかもしれない。

(この間のように大事にならなければいいのですが……。) 

 3週間後の試合に関して、不安しか感じられない鹿住だった。


  6


 インタビューを終えると、結城は制服に着替えて更衣室の中で一人佇んでいた。

(インタビュー、長かったな……。)

 同じ事を何度も聞かれたような気もするが、試合の内容よりも、むしろ私個人に関しての質問が多かったように思える。

 それだけ試合内容が酷かったのか、それとも単に私が女性ランナーだからそのような質問が多かったのか……正確には判断出来なかった。

「ここにいたのか、ユウキ。」

 インタビューのことを思い出していると、更衣室にツルカが入ってきた。

 ツルカはアール・ブランのジャケットではなく、キルヒアイゼンの物を普段着の上に着ていた。

 ……多分、私の試合を見て、キルヒアイゼンのビルからここまで駆けつけてくれたのだろう。

(情けない試合を見られちゃったな……。)

 現在、ツルカはキルヒアイゼンのメンバーということで、同じリーグになってからはアール・ブランで活動するのは控えているみたいだ。

 だが、それも試合後となるとあまり関係ないようだった。

 結城は更衣室の入り口に立つツルカに向けて話す。

「ああツルカ……今日の試合、酷かっただろ?」

 自虐気味に言うと、ツルカは何の疑いもなくそれに同意した。

「かなり酷かったな。……でもフレームに異常があったんだから仕方ないだろ。ボクが乗ってもあんな感じで壊れてたと思うぞ。」

 やはり、原因がフレームにあるとツルカはわかっていたようだ。

 ツルカは更衣室の中に入ってきて、さらに話を続ける。

「ついさっきアカネスミレがハンガーに運ばれてきたみたいだぞ……あれはだいぶ修理に時間がかかりそうだった。」

「そうなのか……。」

 既に、試合中にフレームの至る所からエラーが発せられていたのだから、それほどダメージを受けているのも当然の筈だった。

 おまけに、水没したせいで内部にもダメージを受けていることが予想される。

 ……これは、VFを組み直す覚悟で修理に臨まなければならないだろう。

(あんまりハンガーには戻りたくないけれど……アカネスミレの様子はちゃんと確認しておかないといけないな。)

 ランベルトと会いたくないがためにハンガーに行くのを躊躇っていたが、流石に、ランナーがVFの状態を把握できていないというのは褒められることではない。

「……ちょっとアカネスミレの様子を見てくる。」

 結城はツルカが開けたままにしていたドアから通路に出て、ハンガーに向かうことにした。

 

 ――ハンガーに入ると、まずボロボロになったアカネスミレが目に写った。

 アカネスミレは頭のてっぺんからつま先まで水浸しになっており、パーツ各所から海水が滴っていた。アームや股関節付近が破損していたせいで、そこから内部にかなりの量の海水が浸入したようだ。

 アカネスミレ自体に執着心はないものの、ここまで破損していると鹿住さんに申し訳ない気持ちになってくる。

 そして、こんなふうになった責任は、エンジニアのランベルトにあるのだ。

 そのランベルトはと言うと、タバコを咥え、アカネスミレを見上げたまま呆然と立ち尽くしていた。

 グラクソルフに勝ったときはあんなに喜んでいたのに、アカネスミレの現状を見たせいか、そんな元気は消え失せたようだった。

 ランベルトはこちらの存在に気がつくと、何か言いたげに見つめてきた。

「……おい嬢ちゃん。」

「……。」

 声をかけられるも、結城はランベルトを徹底的に無視する。

 が、ランベルトは構わず喋り続ける。

「こんな状態でラインツハーと戦ってたのか……ここまでフレームがいかれてたとは知らなかった……。さっきはあんな事言って悪かったな。」

 だからなんだというのだ。

 今さら反省したって遅い。

 こうなった原因は明らかにメンテナンス不良にある。

 それをランナーである私のせいにしたのは絶対に許さない。例え謝罪されても、だ。

 ……結城はランベルトを見ることなく、あからさまに目を逸らしていた。

 そんな不穏な空気をいち早く察知したのか、ツルカはこちらに対してあることを提案してきた。

「ユウキユウキ、修理の邪魔になるかもしれないし、取り敢えずここから出てボクのラボに遊びに来たらどうだ。ここからなら距離も近いしすぐだぞ。」

 結城は断る理由もなかったので、ツルカの気遣いを受け入れることにした。

「……わかった。」

 短く返事をして、結城はすぐに踵を返す。

 ……去り際、ランベルトの苛立った声が聞こえたような気がした。


  7


 1STリーグの海中施設を離れてから数十分後。

 ツルカに連れられて、結城はキルヒアイゼンのビルを訪れていた。

 以前、学業の一貫として見学に来たことがあるが、自分がVFランナーになったせいか、あの時とはまた違った印象を受ける。

「懐かしいな……。」

 ツルカと初めて会ったのは、ここのラボの中であった。

 あの時のツルカに対する第一印象は“バイオレンスな娘”だった。

 いきなり飛び出てきてイクセルさんを蹴ったのだから、そんな印象を受けても仕方ない。……あれを見てそう思わない人のほうが珍しいくらいだ。

 今でもイクセルに対して殴ったり蹴ったりしているのだろうか……。

(でも、よく考えたらおかしいよな……)

 姉を取られただけで、こんなにもイクセルを恨むものだろうか。

 いくらシスコンとは言え、ツルカのイクセルに対する対応は過剰すぎる。

 ……イクセルさんもよく怒らずにいられるものだ。

 そんな事を思いながらツルカを眺めていると、視線に気がついたツルカがこちらに笑顔を向けてくる。

「どうしたんだ?」

「いや、なんでもない。」

 今更ながら、結城はツルカが鼻歌交じりに通路を歩いていることに気付かされる。

 何か嬉しいことでもあったのだろうか……。

 私をここに招待できて嬉しいのだろうかとも考えたが、それにしては喜び方が大袈裟な気がする。

(ま、機嫌がいいならどうでもいいか。)

 そう思っていた結城も、ツルカほどではないが、かなりワクワクとしていた。

 やはり、キルヒアイゼンのビルに入るというのは、VFB好きの人間にとっては興奮させられる体験なのだ。

 そんな興奮を表に出さず、結城はビル内をキョロキョロと眺めながらツルカの後について歩く。

 すると、あっという間にラボ前まで到着した。

 ……そこで結城は偶然にもオルネラさんの姿を見つけてしまった。

 オルネラさんは結構遠くを歩いていたが、パッと見ただけで彼女だと解るほど、その銀色の髪は特徴的だったのだ。

 もちろんツルカも私と同じようにオルネラさんを発見しており、ぶんぶんと手を振っていた。

 やがて、オルネラさんの顔がはっきりわかるようになるまで接近すると、向こうが声をかけてきてくれた。

「あれ? ユウキさんじゃないですか。どうしたんです?」

 その言葉が終わるやいなや、ツルカがオルネラさんに飛びつく。

「お姉ちゃん!!」

 ツルカはオルネラさんの体に抱きつき、胸のあたりに顔を埋める。

 オルネラさんは両手に書類とカバンを持っていたせいで、ツルカの抱擁に対し、為す術もないようだった。

 しかし、私という客人の前とあってか、飽くまでも冷静に対処する。

「……ツルカちゃん、もう戻ってきたの?」

「えへー。」

 ツルカはオルネラさんの問いにまともに答えず、ただただ至福の時間を享受している。

 これでは話しにならないと思い、結城はオルネラに事情を説明することにした。

「あの、お邪魔してます。実は……」

 しかし、そんな事情はお見通しだったのか、オルネラさんはふんわりとした様子で言葉を返す。

「ツルカちゃんが連れてきたんですから、そんなに畏まらなくてもいいですよ。普通に話してもらって構わないですから。」

 こちらが緊張しているのをよしと思わなかったらしいが、そう言われても急に砕けた態度になるのも躊躇われた。

 結城は取り敢えず申し訳なさげに返事する。

「……あ、はい。」

 またしても丁寧に返事をすると、オルネラさんは“仕方ないですね”といった風に小さな笑みを浮かべた。

 なんでだろうか、その笑みには少し疲労の色が見えた。

 オルネラさんはツルカに抱きつかれたまま話を続ける。

「……でもごめんなさい。部外者の方はしばらくはラボ内に入れないんです。」

 ツルカが私をラボの中に連れ込むのもわかっていたようだ。

 しかしそれは、結城にとってあまり驚くような内容の話ではなかった。

(……むしろ、それが普通だよな。)

 記憶が正しければ、確かキルヒアイゼンは2週間後に『クーディン』というチームとの試合を控えている。

 そのためか、情報を漏らす危険性のある部外者をラボ内に入れるわけにはいかないらしい。

 それだけ、キルヒアイゼンは本気で勝ちを狙っているということだ。

 こちらが納得して頷いていると、オルネラさんは首を後ろに向けて、ある部屋を見つめて提案してきた。

「ラボ内は駄目ですけど、ただお話するだけでしたらそこのトレーニングルームを使ってください。……と言いますか、ラボ以外ならどこでも自由に使っても構わないですよ。」

「いいんですか……?」

「いいんです。オーナーがそう言ってるんですから問題ありません。」

 全てを包みこむような笑みと共にそう言われ、結城に反論する余地はなかった。

 話がつくと、オルネラさんは抱きついているツルカの頭をそっと撫でる。

「じゃあ、そろそろいいかなツルカちゃん。……お姉ちゃん、仕事があるから。」

 姉に頼まれ、ツルカは名残惜しそうにオルネラさんの腰から手を離す。

「……。」

 ツルカはそのまま無言でこちらに戻ってくるも、目はオルネラさんの方を向いたままだった。

 解放されたオルネラさんはというと、すぐにドアのロックを解除し、そのままラボの中へ入って行く。

「それじゃあ、ゆっくりして行ってくださいね。」

 最後に軽く会釈され、結城もお辞儀を返す。

 結城が頭を上げる頃にはラボのドアは閉じられ、オルネラの姿も消えていた。

(妙に緊張してしまったな……。)

 本来ならば、1STリーグで戦う敵同士ということで、敵意を向けられてもいいはずなのに、オルネラさんの対応はそれを全く感じさせないものだった。

 私がツルカと仲がいいということもあるのだろうが、それよりも、アール・ブランが弱すぎるせいで、敵として認識していないのかもしれない。

(まぁ、そのほうがこちらとしても有難いんだけど……。)

 試合の際は十分に手加減してもらえるようにお願いしたいものだ。

「ユウキ、こっちだ。」

「うん。」

 ……結城とツルカは、オルネラに勧められた通りにトレーニングルームに入ることにした。

 トレーニングルームはラボから近い位置にあり、結城は一度だけその中に入ったことがあった。

 そこでシミュレーターで遊んだことを思い出しながら、結城は扉を開ける。

 中には先客がいるようで、マットを踏む音や何かが空を切る音が入り口にまで聞こえてきていた。

 その先客をみて、結城はドアノブを握ったまま動きを止めてしまう。

「あ……イクセルさん。」

 先にトレーニングルームの中にいたのはイクセルさんだった。

 イクセルさんは一人で何もない空間に向けてパンチやキックを放っていた。

 また、その表情は真剣そのもので、鳥くらいなら簡単に殺せそうなほどの鋭い視線を宙に向けていた。

 額にはうっすらと汗が滲んでおり、拳や足を突き出すたびにそれが周囲に飛び散っていた。 

(こんなトレーニングもしてるのか……。)

 イクセルの動きは淀みのないメリハリの付いた動きで、そこにいないはずのやられ役が見える気さえする。

 VFを操る際にはこんなふうに体全体を使うわけではない。

 普通ならば、コンソールにのせている指先などを鍛えたほうがいいと思うかもしれない。

 しかし、VFランナーにとってVFは自分の体の延長線上にある。つまり、実際に操作しているのは手先や足先だけなのだが、コックピットにいるVFランナーにとっては、自分自身がVFと同じ大きさまで感覚が拡大しているように感じるというわけだ。

 そのためこういうトレーニングは効果的なのかもしれない。

 ……熟練した車のドライバーでさえこの感覚はあると言う。

 ただの車ですらその感覚があるのだ。人型のマシンであるVFならば、その感覚がより強力なものになるのは当然のことだった。

 無論、結城もVFを操作する時には、常にこの感覚を得ている。

(今度から私も真似してみるか……。)

 あのイクセルさんがやっているトレーニングなのだから、効果的でないはずがない。

 動きだけ見ると例の『VFごっこ』に通ずるものがあるように思えるし、案外簡単に実行できそうだ。

 ……しばらく2人はイクセルを眺めていたが、イクセルが動きを止めた途端、我に返ったツルカがイクセルに飛びかかっていった。

 そしてツルカはそのまま飛び蹴りを放つ。

 オルネラさんへの対応とは似ても似つかない、暴力的なスキンシップである。

 イクセルはツルカの奇襲を難なく受け止め、トレーニングを中断してこちらに近づいてきた。

「やぁ、初勝利おめでとう……と言いたいところだけど、あのやられ方じゃ素直に喜べないだろうね。」

 開口一番に試合のことを言われてしまう。……しかもそれは図星であった。

「その通りです……。」

 うつむき気味になってそう言うと、イクセルさんは更に詳しく訊いてきた。

「動きもぎこちなかったし……何かトラブルでもあったのかい?」

「トラブルというか、何というか……」

 直接的な原因はランベルトによる整備不良だが、根本的な原因は鹿住さんの離脱である。

 何をどう説明しようか悩んでいると、ツルカがこちらの会話を遮るようにしてイクセルの背中を殴り始めた。

「うるさい、イクセルには、関係、無いだろ!! 早く、あっちに、行けよ!!」

 背中を殴るたびにツルカの言葉が途切れ、変な喋り方になっていた。

 対するイクセルさんは普通の口調で話す。

「もうちょっとくらいいいじゃないか、ツルカ……。」

 ツルカ殴り方はポコポコといった可愛いものではなく、一つの言葉に濁音が3つ付くくらい激しい殴り方だった。いつも温厚な表情をしているイクセルさんだが、これには流石に痛そうにしていた。

 ツルカは尚もイクセルを追い出すべく殴り続ける。

「駄目だ!! ほら、出ていけよ。」

「……はいはい。」

 とうとう耐え切れなくなったのか、話の途中にもかかわらず、イクセルさんはトレーニングルームから去っていってしまった。

「やっと出ていったか……。」

 ツルカはイクセルさんが出ていったのを確認すると、ドアをしっかり閉じる。

 その間、結城はトレーニングルーム内を見渡していた。

 やがてシミュレーターが目に留まり、結城はそれを指さしてツルカに声をかける。

「ツルカ、久しぶりに対戦してみないか?」

「いいぞ、……どうせボクが勝つだろうけど。」

「やってみないと分からないって。」

 ツルカはそこそこ乗り気なようで、シミュレーターの使用を簡単に了承した。

 その後、結城はシミュレーターでツルカと勝負することとなった。



 ――約30分後。

 4度目の試合を終えると結城はシミュレーターから出た。

「やっぱり強いなぁ……」

 対戦の結果は0対4で、結城は一度もツルカの操るファスナに勝つことが出来なかった。

 ゲームセンターで対戦した時よりも対戦時間を伸ばすことはできたが、やはり実力差ははっきりしており、ツルカにダメージを与えることすらできなかった。

 しかし、そのおかげで自分の成長具合も確認することができた。

(ツルカの攻撃……かなり速かったけど、意外と避けられたな……。)

 ランベルトにはトレーニング不足と言われたが、一応自分もランナーとして成長しているようだ。

「今日の試合、ツルカが出ていたら無傷で勝ってたかもなぁ……。」

 結城が何気なく言うと、シミュレーターから出てきたツルカが力強く否定してきた。

「ムリムリ、ボクは試合にはでないってお姉ちゃんと約束してるし。」

「そうなのか、勿体無いな……。」

 どんな約束をしているのか気になるところだが、ツルカほどの戦力を表に出さないままにしているのは、惜しいような気がする。

 VFBに出場年齢制限は無いように思えるが、やはりツルカのような少女を試合に出すといろいろと問題が発生するのかもしれない。

 ツルカは、こちらのそんな発言が気に食わなかったらしく、シミュレーターのコックピットを模したハッチに足を載せて、強めの口調で非難してきた。

「“勿体無い”って……。アカネスミレのランナーはユウキなんだぞ。もしかして試合に出たくないのか?」

「そうじゃなくて、アール・ブランが勝つためだったらツルカに頼んだほうがいいかなと思ったんだよ。」

 そう言ってから、例えオルネラさんの許しが出たとしても、ツルカがアール・ブランのランナーとして試合に出ることは不可能だということに思い至る。

(ツルカはキルヒアイゼンのメンバーだもんな……。)

 馬鹿な事を言ってしまったなと後悔していると、ツルカはこちらに向けて真剣な表情で注意してきた。

「……それ、絶対ランベルトの前では言うなよ。ランナーについてかなり悩んだ挙句、結局ユウキを試合に出すって決めたんだからな。」

「そうなのか……。」

(もうランベルトに言っちゃったよ……。)

 “私の代わりにダグラスのランナーでも使えばいい”と発言したのを覚えている。

 ツルカの話によれば、あの時既にランベルトはそういうことを考えた後だったらしい。

 ……せっかく私を選んだのに、選ばれた私自身がその選択を否定してしまえば、ランベルトも怒るか落ち込むに違いない。

 というか、実際にランベルトは私を殴りそうになるほど怒っていた。

「……。」

 シミュレーター用のHMDを小脇に抱えたまま黙っていると、ツルカが心配そうにこちらのシミュレーターまで移動してきた。

「やっぱり、まだカズミのことが心残りなのか?」

「……。」

 ツルカの言う通りだったのだが、いきなり話題がランベルトから鹿住に変わり、結城は動揺を隠せなかった。

 ツルカはこちらの反応を見て、同情するように話をすすめる。

「そうだよな。ボクだって今でも驚いてるし、ユウキが気にするのも当然だな……。」

「鹿住さんについては……もう終わったことだ。」

 ツルカの話のせいで、結城は鹿住について起きた事件のことがフラッシュバックしてしまい、急に情緒不安定になってしまう。

 何とか話題をそらそうとするも、結城は次の言葉を止めることが出来なかった。

「……鹿住さんには嫌われて、今はランベルトとも喧嘩してる。……ツルカは私のこと裏切ったりしないよな。」

 結城がそう言った途端、ツルカはあからさまに不機嫌な表情を見せた。

「『裏切る』だなんて……ボクのこと、そんな風に思ってたんだな……。」

「ツルカ……?」

 何か様子がおかしい、何か変なことを言ってしまったのだろうか。

 結城は自分の言った言葉を省みてみたが、全く心当たりはなかった。

 ツルカはそんな表情のまま、シミュレーターから降りてしまう。

「……そういうこと、ユウキから言われるとは思ってなかった。」

 それは“呆れた”というか“残念”というか、こちらに失望したような感じの言い方であった。

 ツルカはこちらに背を無けたまま、シミュレーターを離れ、マットの上を歩く。

 状況がよく理解できず、結城はツルカの後を追った。

 すると、これ以上は会話を続けるつもりがないのか、ツルカは私に帰るように促し始める。

「ユウキ、そろそろラボに戻ったほうがいいんじゃないか。ボクはこのままこっちにいる。」

「いきなりどうしたんだ?」

 尚もマットの上を歩くツルカに対し、結城は回りこんで動きを止めた。

 ツルカは一旦立ち止まったが、こちらを一瞥しただけで完全に止まることはなかった。

「……ユウキはもっと周りのことを考えたほうがいい。誰もがリョーイチみたいに優しくはないんだ。ボクもこれ以上はユウキのこと庇えないぞ……。」

 いきなりツルカに説教じみたことを言われ、結城は混乱しつつもなんとか返事をする。

「あ、うん……ごめん。」

 ツルカは相変わらずこちらに冷たい態度をとったままで、それ以降は何の反応も示さなかった。

(なんでだ、なんでツルカは……?)

 訳もわからぬまま結城はツルカから離れ、その場から逃げるようにしてトレーニングルームから退出した。

(どうしてだ……どうしてツルカは……?)

 そして、ツルカの言動が理解出来ない自分を情けなく感じていた。


  8 


(ツルカ……。)

 結城はキルヒアイゼンのビルから逃げるようにして出た後、結局ラボには行かず、直接自分の部屋に戻っていた。

 そして、それから2時間ほど過ぎた今もツルカの言葉の意味が理解できずにいる。

 太陽は落ちており、そのせいで部屋は暗く、今は結城の手にある携帯端末だけが光を放っており、結城の顔を暗闇から浮かび上がらせていた。

 ……現在、結城は寝室のベッドの上に寝転び、携帯端末でニュースサイトを見ている。

 見ているのはもちろんVFBに関するニュースで、早速アール・ブランに対する意見が色々と書かれてあった。

(やっぱり、こうなるよな……。)

 グラクソルフとの試合には勝ったのだが、アール・ブランに対する評価は酷いものだった。

 あそこまでボロボロにVFが壊れてしまえば、それを指摘されるのも仕方ないだろう。

 結城に関するコメントは殆ど無く、あったとしてもダグラス企業学校に関連して紹介されている程度だった。

 散々あれだけ騒がれていたのに、いざシーズンが始まると忘れてしまったかのように全く注目されなくなった。

 どうやら、イクセルさんや七宮の人気には遠く及ばないということらしい。

 そうやってしばらくニュースサイトを眺めていると、不意におなかの虫が鳴った。

「お腹すいたなぁ。」

 そういえば、昼から何も食べていない。おまけに昨日は質素なものしか口に出来なかったため、出来合いのものでは満足できそうになかった。

 ……かといって、自分で料理をつくることはできない。

(そろそろ諒一も部屋に戻ってる頃だろうな。)

 結城はベッドから飛び起き、夕食を求めて諒一の部屋に行ってみることにした。



 部屋を出てから十数分後

 結城はいつものように変装し、男子学生寮の裏側に回り、ベランダから諒一の部屋に侵入していた。

 諒一の部屋には明かりがついており、カーテンの隙間から光が漏れていた。

 その隙間から中を覗いてみると、諒一の姿が見えた。

 ……何故か諒一は部屋の中央で立っており、落ち着かない様子だった。

 何かあったのだろうかと思いつつ、結城は窓を開けて部屋の中に入っていく。

「諒一、今日のご飯は……」

 そう言いかけた所で、結城は諒一によって部屋の外へと押し返されてしまった。

(……?)

 不思議に思いつつも再び中に入ろうとしたが、諒一の通せんぼによってそれは叶わなかった。

 なぜこんなことをするのか、結城が聞く前に諒一が話し始める。

「駄目だ。もう結城のことを隠しておけない……。」

 それはかなり小さな声だった。

 結城もそれに合わせて小さく言葉を返す。

「もしかして私がここに来てたこと、バレたのか?」

 諒一は首を左右に振り、囁くようにして言葉を続ける。

「そうなるかもしれないということだ。……もうすぐ寮長がこの部屋に来る。今日だけは自分の部屋に帰るんだ。」

「そんな……」

 なんで今日に限ってそんな事になっているのだ。

 理不尽に思いつつベランダで留まっていると、部屋に来客を知らせるベルが鳴り響いた。

「結城、早く戻れ。」

「あ、ちょっと……」

 諒一はこちらを外へ追いやると窓を閉め、ついでにカーテンもきっちりと閉じてしまう。

「はぁ、何でこんな時に……」

 このままここに居ても仕方がない。

 かと言って、自分の部屋に戻ってもすぐに食べられるものはない。

(とりあえず寮の食堂でなにか食べるか……。)

 結城は窓から手を離し、地面に向けてベランダから飛び降りる。そして、来た道を戻り男子学生寮を後にした。

(食堂か……いや、やっぱりあそこは無理だ。)

 何か食堂で食べようかと思っていた結城だったが、すぐにその考えを改める。

(この時間だとまだ食堂に学生がいっぱいいるだろうし……どっかの店で何か食べるか。)

 まだ夜もそんなに遅くない。どこかしら開いている店はあるだろう。

 そうと決まると、結城は進行方向を変え、店の集まっている居住エリア中央付近を目指して歩き出した。



(結局ここまで降りてきてしまったな……。)

 結城は居住エリアでそれらしい店を見つけることが出来ず、商業エリアまで降りていた。

 商業エリアは人が多く、ファンに発見されてしまう可能性が高いと思っていたが、それが逆に隠れ蓑になっているようだ。

 木を隠すなら森の中とはよく言ったものだ。

 広い道では観光客など多くの人が行き交っており、たとえ発見されたとしてもすぐに人ごみに紛れることができるだろう。

 結城はすでに人の入りが少ないファーストフード店を発見しており、そこのカウンターで商品を注文していた。

「これと……このセットをください。」

 顔を見られないように注意しつつ、結城はメニューを指さして注文する。

 すると、店員は「かしこまりました」と言いながら機器を操作し、代金を請求してきた。

 それをカードで支払うと、待たされることなくすぐに商品を手渡された。

 結城はその紙袋を受け取り、店を後にする。

(ふふふ……買ってしまった……。)

 ハンバーガーを口にするなんて何ヶ月ぶりだろうか。

 紙袋からは肉とソースの混じった脂っこい匂いが漏れ出していた。

(さ、早く寮に戻ってゆっくり食べるか……)

 結城は、当初は自分の部屋でそれを持ち帰るつもりだったが、それまでこの空腹に耐えられそうになかった。

 とうとう我慢できず、結城は紙袋の中に右手を突っ込み、包装されたハンバーガーを取り出す。

「……一口だけ。ちょっと味見するだけだ、うん。」

 そう自分に言い聞かせながら、まだポテトなどが入っている紙袋を右脇に挟み、左手でハンバーガーの包装をはがしていく。……すると、ハンバーガー本体が姿を現した。

 結城は早速それを口元まで運び、味見する。

(おお、ジューシーだ……。)

 メニューから見た目がよさそうな物を適当に選んだのだが、どうやらこれは当たりのようだった。少し辛めのソースが肉とトマトに絡みつき、味も食感も素晴らしい物になっている。

(……もう開けちゃったし、このまま全部食べてもいいよな。)

 極度の空腹のせいで、結城は食欲のしもべと化していた。

 ――しかし、その幸せも長くは続かない。

 1口目を咀嚼し終わり、2口目をかぶり付こうとした時、結城は正面から歩いてきた人とぶつかってしまったのだ。

 その衝撃のせいでハンバーガーは地面に落ち、ついでに結城も尻餅をついて転んでしまう。

「あー……大丈夫かな?」

 ぶつかった相手は身なりの整った男性で、こちらと違いよろめくこともなかった。

 相手は落ちてしまったハンバーガーを拾い上げたが、すぐに手に持っていたチラシで包んでしまう。そして残念そうに話しかけてきた。

「これはもうだめだな……いくらだったんだ? 弁償してあげよう。」

「いえ、構いませんから……。」

 これ以上関わると面倒なことになると思い、結城は相手の申し出を断った。

 しかし、相手はこちらの言うことを無視して懐から財布のようなものを取り出していた。

「学生なんだから遠慮しなくていい。私も君くらいの歳の頃はよく買い食いを……」

 と、ここで相手のセリフが止まる。

 何事かと思い相手の顔を見ると、相手の視線はこちらの顔に釘付けになっていた。

「その声にその髪……なんだ、女の子だったのか。」

「声……あ!?」

 結城はとっさに口に手を当て、続いて頭にも手をやった。すると、サラサラとした髪が手に触れる。

 さらに触っていくと、ブラウンの髪は、その大半が帽子からこぼれ出しているようだった。

 ……どうやら、ぶつかった時に帽子がずれてしまったらしい。

「!!」 

 結城は慌てて帽子を整えようとしたが、勢い良く両手を頭に持っていったせいで手に帽子が引っかかり、自らの手で豪快に帽子をはじき飛ばしてしまった。

 その際にメガネもずれてしまい、結城は帽子を拾うためにもメガネの位置を調整する。

 そんな事をしていると、聞きたくないセリフが相手の口から発せられてしまった。

「ん……? もしかして君、ユウキじゃないか?」

 その言葉に、周囲の人ごみの中にいたVFファンが反応する。

「あ、ホントだ。ユウキじゃん。」

「今日って試合があったはずだよな……帰りなのか?」

「サインとか……もらっていいのかな。」

「え、やめときなよ。迷惑かもしれないでしょ。」

 周りがざわつき始めた頃になって、ようやく結城は帽子を拾うことができた。

 急いでそれを頭に被るも、変装し直すにはもう遅かった。

(どうしようか……。)

 無言でその場を立ち去るか、適当に対応してその場を逃れるか、別人だと言い張るか……。

 しかし、変装している時点で本物であるというのがバレバレであった。

 ……そんなこんなで色々と迷っていると、どこかからかシャッター音が聞こえてきた。

 その音は周りにいたファンにも聞こえたらしく、数名がカメラらしきものを取り出し始める。

「写真オッケーなわけ? じゃあ俺も撮ろうっと。」

「なになに? 何の騒ぎ?」

「アール・ブランのユウキだってよ。」

 騒ぎは更に拡大し、カメラのフラッシュが容赦なく浴びせられる。

 結城は手で自分の顔を隠し、そこから離れようとする。しかし、周りをファンに囲まれているせいで、逃げ道をなかなか探し出せないでいた。

「へぇ、VFランナーもこんな場所に来るんだな……。」

「お前知らねえの? ここらあたりでは結構目撃されてるんだぜ。この前なんか2NDリーグのランナーが……」

 更に人が集まってきたため、結城は取り敢えず前に向けて逃げることにした。

 結城は紙袋をその場に捨て、ハンバーガーも放置してその場から走って逃げる。

 走り始めると、周りを囲んでいた人達はこちらを避けるようにして道を開けてくれた。

「あ、ユウキが逃げた。」

「どこに行くんだ? 追いかけてみようぜ。」

 そんな言葉を耳にしつつ、結城は片手で帽子を押さえながら疾走する。

(追いかけてくるなよ……)

 結城は、人とぶつかりそうになるたびに進行方向を変え、目的地も決めないまま走り続けた。



 ……やがて人気のない場所まで来ると、ようやく結城は足を止める。

(ここまで来ればもう大丈夫だな。)

 その場所はターミナルで、結城は船の中に逃げ込んでいた。

 船内に人気は少なく、全員が乗り口とは反対方向を向いていたため、結城は安心して乗り込むことができたのだ。

(ここで変装して、すぐに降りればいいか……。)

 結城が髪をまとめて帽子を被り直していると、いつの間にか船の出航の時刻になったらしく、船が動き出してしまった。

「あ……。」

 急いで帽子を被るも、既に港と船は30メートルくらい離れており、港に戻るのは不可能なようだった。

 逃げた後に居住エリアに戻るつもりが、結城は海上都市メインフロートユニットから離れることとなってしまう。

(これ、どこ行きなんだろうか……。)

 結城は行き先がどこなのかを知るために、船内を見渡す。

 すると、すぐに前のモニターに行き先が表示された。

 そこには“2NDリーグフロートユニット行き”とだけ書かれていた。


  9


 2NDリーグフロートユニット。

 半ば強制的にそこに到着させられた結城は、すぐには帰りの便に乗らず、しばらく懐かしのこの場所を見て見ることにした。

 アール・ブランの本拠地も別の場所に移されたため、この場所に来ることはもう無いかもしれないと感じたからだ。

(今のままだと、新しいビルに行くかどうかも怪しいけどな……。)

 結城はネガティブなことを考えつつ、街灯で明るくなっている道を一人で歩く。

 夜とあってか、ほとんど人の姿は見られない。

 しかし、明日になれば2NDリーグの開幕戦が行われるはずなので、賑やかになるだろう。

(そろそろアール・ブランのビルだな……。)

 まず手始めに、結城はアール・ブランのビルを訪れてみたが、もともとアールブランがあったビルには既に別のチームが入っているようで、楕円形のビルの至る場所に見知らぬロゴが貼りつけられてあった。

(やっぱりここは駄目か……。)

 さすがの結城も、関係ないチームのビルに入る勇気はなかったので、外から眺めて思い出に浸ることにした。

 数分もしないうちに結城はその場から離れようとしたが、歩き始めた所であることを思い出す。

(鹿住さんが住んでいたアパート、今はどうなってるんだろうか……?」

 当然、鹿住さんがいるわけではないが、もしあのまま空き部屋状態ならば、上手く行けば一晩くらいは過ごせるかもしれない。

 メンバーの誰かが片付けている可能性も考えられたが、ランベルトや諒一はアカネスミレのメンテナンスに忙しかったようだし、まだあのまま残っている可能性のほうが高いかもしれない。

 鹿住さんの部屋に行きたい理由は他にも色々とあったので、結城は迷うことなくその部屋を目指すことにした。

「えーと、確かこっちだったな。」

 ビルから離れた結城は昔のことを思い出し、その記憶を頼りにして細い通路を進んでいく。

 そこは月明かりも届かぬかなり暗い場所だった。

(確か、次の門で……。)

 おぼろげな記憶を頼りに狭い道を歩いていると、やがて鹿住さんが住んでいた建物が姿を現した。

 この間、昼間来た時でさえ建物内に入るのを不安に思ったほどだ。今は、暗闇と相まって、あの時よりもさらに不気味な雰囲気を放っていた。

「……。」

 結城はゴクリと生唾を飲み込むと、その建物の中へと入っていく。

 入ると同時にセンサーが反応して照明がついた。その青っぽい明かりを頼りに、結城は階段を上へと登っていく。

 途中の階にあるフロアは真っ暗で、フロアの入り口から2メートルもすると、完全に闇に包まれていた。

 そんなフロアを2階ほど過ぎると、目的の3階に到着した。

 この階では人が住んでいるはずなのだが、全くその様な気配は感じられない。明かりもついていなければ生活音もない。

 それらの部屋を通り過ぎ、結城は目的の部屋……鹿住さんが住んでいた部屋に到達する。

 しかし、ドアはロックされており、ドアノブを引いても押してもドアが開くことはなかった。

(そうだよな……、開いてるわけないよな……。)

 もしかすれば鹿住さんがいるのではないか、という限りなくゼロに近い可能性に懸けてみたのだが、当然のごとくそれは打ち砕かれた。

「はぁ……。」

 結城はため息をつくと、そのドアに背中を預け、もたれかかったまま床に座り込む。

 今、鹿住さんはどこで何をしているのだろうか。

 七宮の協力者らしいし、ダークガルムの関係している場所にいるのだろう。

 そうでなくとも、海上都市群のどこかにはいる筈だ。 

(いつか、帰ってきてくれるんだろうか……)

 帰ってきてくれないと困る。アカネスミレは鹿住さんにしかメンテナンスできない。

 しかし、あれだけ嫌われてしまえば、帰ってくることはなさそうに思えた。

「はぁ……」

 結城は2度目のため息を吐き、膝を腕で抱えて小さくうずくまる。

「……。」

 嫌われたのは鹿住さんに限らない。

 ランベルトには殴られそうになったし、よく分からないが、ツルカにも冷たい態度をとられた。

 おまけに、ちゃんとした理由はあったものの、諒一にも入室を拒否された。

 ランベルトに関しては嫌われている理由もわかる。しかし、ツルカがなぜあんなことを言ったのか、全く理解出来ないでいた。

(私、何か変なこと言ったんだろうか……。)

 結城はその態勢のまま、しばらくアール・ブランのメンバーとの歪みのことを考えていた。



 ――小一時間ほど座った後、結城は建物から出ることにした。

 ここに泊まれないとわかった以上、嫌でも女子学生寮に帰る必要がある。

 階段を降り、建物から出ると、結城はターミナルのある場所に向けて歩こうとする。

「……こっちで合ってたっけ……?」

 しかし、正確な方位が分からなかったので、結城は取り敢えず元アール・ブランのビルまで引き返すことにした。

 あそこからならターミナルまでの道順は完璧に覚えているので、迷うこともないはずだ。

 ……暗い道を順調に歩いていると、不意に前方から人影が出現した。 

 こんな時間でも通行人がいるんだな、と思いつつすれ違おうとしたが、何か様子がおかしかったので、結城は歩くスピードを遅めた。

 その人影は2つあり、体の正面はこちらに向けられていた。

 不審に思い、立ち止まって様子を伺っていると、間もなく相手がこちらに向けて話し始める。

「いけねーなぁ。こんな時間にオンナノコ一人で出歩いちゃ。」

 片方がそう言うと、もう片方がそれにツッコミを入れた。

「何言ってんだか……さっさとやるぞ。」

 “やる”とはどういう意味なのだろうか。

 その意味を考えていると、月の微かな明かりによって2人が照らされ、その姿があらわになった。

 二人組の男は、どちらともが柄物のシャツにダブついたズボンという、いかにも“チンピラです”という風な服装をしていた。

 また、2人とも同じような服を着ており、それどころかツンツンした髪型まで似ていた。

(何だこいつら……)

 一人相手ならどうにかなるかもしれないが、二人相手だともう無理だ。

 結城はその二人と関わりたくもないし、チンピラの言った言葉に身の危険を感じていたので、方向転換して別の道に入ろうとした。……が、すぐに道の両端をチンピラ2人に塞がれ、身動きがとれなくなってしまう。

 いきなりの出来事にこちらが狼狽えていると、片方のチンピラ男が接近してきてこちらの手を掴んできた。

「学生だしそれなりに金持ってるだろ。ほら、ジャケット脱げ。」

 強引にジャケットを引っ張られ、結城は抵抗する。

「やめろよ!!」

 そう叫んで、結城はすぐに手を振り払い、先制攻撃するべく大ぶりの蹴りをチンピラ男に向けて放った。

 かなり勢いのある蹴りなのだが、ジャケットを掴まれてバランスを取れなかったこともあり、それは相手の上げた腕によって防がれてしまう。

「あっぶねえな……このヤロー……」

 また、そのせいで、逆にチンピラ達を怒らせてしまうこととなった。

 そんな相方を見て呆れたのか、もう片方も近寄ってきてこちらの肩をつかむ。

「おい、押さえてるから早く盗れ。」

「わかってるっつーの……。」

 肩も掴まれてしまい、結城は必死に抵抗したが、男二人の腕力に女子学生が対抗できるわけもなかった。

 チンピラは力任せにこちらのジャケットを引っ張り、そのせいで結城はバランスを失ってその場でこけてしまう。

 その隙に強引にジャケットを剥ぎ取られてしまい、中に入っていたカード類ごと奪われてしまった。

 チンピラはジャケットのポケットに手を突っ込み、財布類などをすべて取り出す。

「よっしゃ、結構な額はいってるかもな、このカード。」

 奪ったものを嬉しげに眺めるチンピラに対し、結城はこけたままの姿勢でそれを返還するように言い放つ。

「それ返せよ!!」

 強気で言ったのだが、その言葉をチンピラが聞き入れるはずもない。

 それどころか、言えば言うほどチンピラの態度は悪化していった。

「うるせぇな……ついでに黙らせてやろうか? あぁ?」

 苛立ったように言うと、チンピラ男は腰に下げていた棒のようなものを手に持った。

 それは警官が持っている特殊警棒に似ており、チンピラが一振りすると遠心力によって警棒の長さは2倍ほどになった。

(マジでやばいかも……。)

 結城はすぐに立ち上がり、咄嗟の判断で右側にあった塀の上に飛び乗り、そのまま別の建物の敷地内に侵入した。

 緊急事態な上にチンピラによって道を塞がれているのだ。ここの家の持ち主もこのくらいは許してくれるだろう。

「オイッ!! 待てよコラ!!」

 姿が見えなくなって安心したのも束の間、片方のチンピラがこちらと同じようにして塀を乗り越えてきていた。

 もう片方は塀を乗り越えることなく、相方を引き止めているようだった。

「盗るものとったし、もう放っとけよ。」

 しかし、チンピラはその言葉を聞き入れず、こちらに向けて尚も走ってきている。

 結城は敷地の反対側の塀を上り、再び道路へと降り立った。

 その道路は先程までの通路とは違ってそこそこ広く、薄暗いが一応街灯も設置されていた。

(……ここからだとVFチームビルが近いな。)

 結城は、当初の予定通り元アール・ブランのビルに向かうことにした。

 ビルの中に駆け込めば、流石に相手も諦めてくれるだろう。

 ……急いでその方向に向けて走ろうとした結城だったが、急に背中に強い衝撃を受け、走りだすことが出来なかった。

 また、その際にメガネが前方に吹き飛んでしまった。

「へっ、追いついだぜ……。」

 結城はしばらく衝撃に耐えていたものの、それはすぐ痛みに変わり、その激しい痛みに耐え切れずその場に膝をついてしまう。

 ついでに呼吸も乱れ、痛さと息苦しさの両方が結城を苦しめることになった。

 ……どうやら警棒っぽい物で強打されたようだ。

 苦しすぎたせいで、結城は現実逃避気味になって呑気な事を考えてしまう。

(痛いなこれ……というか伸びるのは便利だな……今度から私も携帯しようか……というか、いくらで買えるんだろ……。)

 チンピラはその棒の先で地面をこすりながらこちらのすぐ側までゆっくりと歩いてくる。

「……覚悟しろよ……頭カチ割ってやるぜ!!」

「!!」

 すぐ近くで警棒っぽいものが空気を切る音が聞こえ、結城は頭を抱え込んで衝撃に備えたが、先ほどのセリフを最後にして、チンピラの声は聞こえなくなった。

 それどころか、いつまで経っても警棒による殴打は来ない。

(……ん?)

 とりあえす結城はガードを解いて周囲の状況を確認することにした。

 すると、すぐにチンピラの威嚇するような声が聞こえてきた。

「なんだテメェは!!」

 それはこちらに向けられた言葉ではなかった。

 誰か他に人がいるのだろうかと思い、結城はチンピラの視線の先に目を向ける。

 しかし、その場所は暗く、メガネを失ったこともあってか、何がいるのか分からなかった。

 だが、そこに人がいるのは確かなようで、そこからドスの効いた男の声が響いてきた。

「仕方ねぇ奴だなァ……ガキがこんな場所くるんじゃねえよ。」

 ガキとはこのチンピラのことだろうか……それとも私のことだろうか。

 判断に困ったが、その言葉の後すぐに暗闇で細い目が不気味に浮かび上がった。

「おい、もう気は済んだのか……ってなんだ、あいつは?」

 そのタイミングで、もう片方のチンピラが合流した。

 遅れてきたそのチンピラも、すぐに第三者の存在に気がついたのか、視線は暗闇の方へ釘付けになっていた。

「分からねーけど、ガキ扱いされて黙ってるわけにはいかねーんだよ……。」

 結城のぼやけていた視界もはっきりとし始め、細い目に続いて、おぼろげながらも第三者の体の形も見えるようになった。

 その第三者は手に何も持っている様子はなく、丸腰状態だった。

「先にぶっ殺してやる!!」

 チンピラどもは武器を持っていて気が大きいのか、構わずその人物に襲いかかっていった。

 ……が、飛び掛っていってすぐに二人のチンピラは地面に崩れ落ちる。

 メガネがないため何が起こったのか分からなかったが、第三者がその二人を叩き伏せたということだけは理解できた。

「クソどもめ……。何を使おうがザコはザコなんだよ。」

 その人物は地面に倒れているチンピラにつばを吐くと、こちらに近づいてくる。

 そして、途中で何かを拾う動作をし、拾ったものをこちらに手渡してくれた。

 ――それは私のメガネだった。

 結城は地面に座ったまま「すみません」と言い、それを両手で受け取って、すぐさまメガネを装着する。

 メガネをかける際に背中に痛みが走ったが、もう呼吸も苦しくなく、2,3日すれば痛みもすぐに取れるだろうと結城は予想していた。

 早速、結城は眼鏡越しに助けてくれた人物の顔を見る。……それはよく覚えている人物の顔だった。

「アザム……さん?」

 それは、チーム『ラスラファン』のランナーである『アザム』であった。

 アザムは無言のまま踵を返し、こちらに背中を向けたまま言葉を発する。

「おい、コイツら片付けとけ。」

 誰に向けて話しているのだろうと不思議に思ったが、結城が気づかなかっただけで、周囲にはガタイのいい男共が立っていた。

 彼らは「へい」と一斉に返事をして、2人組のチンピラ男をどこかへ運んでいく。

 ……運ばれている間も、チンピラはぐったりしていた。

 結城はそれを眺めつつ、アザムに問いかける。

「あの……」

「構うな、何も殺したりはしねぇよ。」

「そうじゃなくて……、なんでアザムさんがこんな場所に?」

 チンピラならばこんな場所にいても不思議ではないが、VFランナーがここにいるのはとても不自然で結城は疑問に思っていた。

 アザムは鋭い眼光をこちらに向け「それはこっちのセリフだ……」と呟きつつも、きちんと説明してくれた。

「今日に限らず、リーグが始まるとああいう奴らが観光客目当てに動き出すんだよ。……で、まだ俺は試合も遠いし、こうやって治安維持活動を手伝ってやってるわけだ。ありがたく思えよ。」

 道理で、相手がこちらの顔を知らなかったわけだ。

 チンピラにとっての目的は盗みなので、VFBのことなど全く関係ないのだろう。

「そうだったんですか……。助けてくれてありがとうございます。」

 アザムはその言葉にすぐ反応する。

「“ありがとうございます”……じゃねェよ。こんな道歩くんなら護身グッズの1つや2つ持ち歩け。……むしろ、常に持ち歩け。」

「分かりました……。」

 全くもってアザムの言う通りだ。結城は自分が無用心だったことを反省していた。

 今までは諒一やツルカなど、二人で行動することが多かったので、防犯意識が足りていなかったのかもしれない。

 ……話が一段落すると、アザムさんは話題を変えてきた。

「それはそれとして、開幕戦はひどかったなァ。……やる気あんのか?」

(またこの話か……)

 試合の事を言われたのは今日で何回目だろうか……。

 そんなことを言われても、アカネスミレが壊れたのは調整が不完全だったせいだ。

 それなのに、なんで私が責められなければならないのか、結城には理解不能だった。

「……ひどかったのは私のせいじゃない。VFのせいだ……。」

 こちらが不貞腐れたように呟くと、いきなりアザムの放つ空気が変化した。

「おい、ガキ。そんなナメたこと言ってると……マジで殺すぞ。」

 アザムに睨まれ、結城は目を見開いたまま動けなくなってしまう。チンピラよりよっぽど怖い。

 その後、アザムに制服の襟を掴まれてしまい、ついでに道路脇の壁に押し付けられてしまう。

「うっ……。」

 その時、警棒っぽいもので殴られた場所と接触し、結城は痛みを伴ったうめき声を上げた。

 しかし、アザムの手が襟から離れることはなく、結城はぐりぐりと押し付けられ続ける。

「ムカつくぜ……こんな奴に負けた俺自身によォ……」

 そう言うと、ようやくアザムさんはこちらから手を放してくれた。

「考え方までただのガキじゃねェか……。どうやら買いかぶり過ぎていたようだな……。」

 アザムはこちらを怒りと失望の混じったような眼差しで見ていた。

(……なんでそんな目で見るんだ……止めてくれよ……。)

 結城は本当のことを言っただけなのに、それを咎められる理由が分からないでいた。

 それと同時に、悪いように言われている理由がわからない自分を不甲斐ないとも感じていた。

「……とりあえず、ターミナルまでは連れていってやる。後は勝手にしろ。」

 そう言い捨て、アザムはターミナルがあるであろう方向に向けて歩き出す。

「……。」

 結城は無言のままアザムの後を追いかけた。


  10


 その後、何も喋るとこなく歩いていると、ターミナルが見えてきた。

 ターミナルは周りの建物と違って明るく照らされており、大きなガラスの壁越しに、船を待つ人の姿もちらほら見られる。

 ちょうど出港時刻になったのか、その人達はこちらに背をむけて奥の方へと歩いていく。

 ……その中で唯一、逆向きに歩いてきている人の姿があった。

(あ、諒一……。)

 遠くから見ても、一目でそれが幼馴染であるとわかる。

 こちらとほぼ同時に諒一も私を発見したようで、歩くスピードを上げてターミナルから外へと出てきた。……どうやら迎えに来てくれたらしい。

(どうやってここだとわかったんだ……?)

 寮長が部屋に来るとか言っていたし、あの後すぐに私を追いかけたとは考えにくい……。直接追いかけずにここまで来られたのだとすると、ストーカーもびっくりの追跡能力である。

 諒一は目の前まで来ると、まずアザムに挨拶をするべくお辞儀する。

 すると、アザムがいらついたように諒一に言った。

「オイ、アール・ブランのランナー管理体制はどうなっていやがる。」

「すみませんでした。何かご迷惑でも……?」

 諒一はちらりと結城を見る。

 すると、アザムの言葉を肯定するように、結城は諒一から目を逸らした。

 アザムは結城がかけた“迷惑”について諒一に話し始める。

「……このガキ、チンピラどもに襲われてたぞ。ちょうど俺が通りかかったから良かったが……」

 事情を把握したのか、諒一は再び腰を曲げてお礼をいう。

「助けてくださったんですか……。アザムさん、ありがとうございました。」

「チッ……ランナーの一人くらいテメエらでちゃんと管理しろ。これだからガキは嫌なんだ。」

 アザムはそれだけ言うと、結城の背中を押しやって諒一の近くまで移動させ、自分は踵を返す。

「……今後は夜に一人で出歩かせるなよ、いいな?」

 最後に注意をして、アザムはその場から去っていった。

 外見は怖いかもしれないが、やっぱり、何だかんだ言って優しい人だ。

「さあ、帰ろう。」

 二人になり、諒一は何気なく手をつないできた。

「……。」

 手を通して諒一の体温が伝わってくる。

 諒一の手はカサカサだが、私よりも大きくて握りやすい。……慣れているせいかもしれないが、それを引き換えにしても、ここまでぴったりと手に収まる相手は世界広しといえど諒一以外にいないだろう。……手を通じて諒一の鼓動すらわかる気がする。

 そして、鼓動だけではなく、諒一がどれだけ私を心配していたかもわかる気もする。

「どうしたんだ、結城。」

 こちらが地面の一点だけを見つめていたのを不審に思ったのか、諒一はこちらの顔を覗き込んでくる。

「……怖かった。」

 自然と言葉が漏れていた。

 本当に、アザムさんがいなければ自分はどうなっていたことだろうか。……それを想像しただけで寒気がする。

 本音が漏れると同時に、目から涙も流れていた。

 若干俯き気味だったせいで、涙は瞼からこぼれ落ち、メガネのレンズの内側に落下していた。

 そんなこちらの様子を見た諒一は、手をつないだまま、空いたほうの手で私の背中をさする。

「もう大丈夫だ。大丈夫だから……。」

 背中に置かれた手のせいだろうか、目から余計に涙が溢れ出してくる。

 結城は今回のことだけでなく、ランベルトやツルカの件でも心が乱されて神経質になっていた。

 ……その不安を諒一に打ち明ける。

「ごめん諒一、もう駄目なんだ……。何をどうしていいか全然わからない……。もう諒一しかいないんだ。だから、だから……」

 全く説明になっていなかったが、諒一は優しく頷いていた。

「落ち着け。……とにかく今日はこっちで寝るといい。事情は説明しておく。」

「ごめん、諒一……」

 諒一の顔を見たせいか今まで我慢していたものが全て溢れ出てしまう。

 やがて、言葉が出せないほど嗚咽が漏れ始め、涙どころか鼻水まで出てきていた。

 それらを取り除くべく、諒一はバッグからタオルを取り出し、こちらの顔面をゴシゴシと拭く。  

 ……しかし、拭いても拭いても涙が治まることはない。

「諒一ぃ……。」

 切なげに言うと、諒一はこちらのメガネを外し、言葉すら抑えるようにして、更にタオルをこちらの顔面に押し当てる。

「もう泣くな。」

 ……結局、諒一の部屋に帰るまで結城が泣き止むことはなかった。

 ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。

 この章では、結城の言動が原因となって、完全にメンバーに見放されてしまいました。

 結城本人がその理由を分かっていないため、状況は悪化の一途をたどることでしょう。

 諒一も結城のことが心配で気が気でないようです。


 次の話ではダークガルムと……すなわち七宮と試合をすることになります。こんな状態で勝てるのでしょうか。……といいますか、試合に出場できるかどうかも怪しいところです。

 今後ともよろしくお願いいたします。

◆追記

2011/11/04 ラインツハーの挿絵を追加しました。

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