表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
与えられた者
25/51

【与えられた者】最終章

 前の話のあらすじ

 トライアローとの決勝前、結城は鹿住が妨害工作をしようとしていたところを発見してしまう。同時にトライアローにもその事がバレてしまった。

 しかし、未遂だったためフォシュタルは鹿住を見逃した。

 この事件は結城にとってショックだったが、鹿住が2度とこんな事をしないように、結城は必ず試合で勝つことを鹿住に約束する。

 その後、ドギィとの決勝戦で結城は苦戦を強いられる。

 しかし、ヘクトメイルの両腕がいきなりもげてしまい、そのお陰で結城はドギィに勝利することができた。

 試合後、結城は鹿住に勝利を報告するつもりだったが、その鹿住の姿はどこにもなかった。

5章


  1


 昇格リーグが終わってから1週間。

 結局、鹿住さんは見つからなかった。

 ラボにもいなければ自宅にもいない。おまけに連絡もつかない。

(鹿住さん……どこに行ったんだ……。)

 ここまで綺麗に姿を消されると、神隠しにあったのではないかと疑いたくもなる。

 ――今から1週間前……

 結城は鹿住の行方を心配するあまり、勝利者インタビューで何を聞かれたのか、そしてそれになんと答えたのか、全く記憶に残ってなかった。

 そのため、インタビュー映像の自分の適当な返答っぷりを後で映像で見た時は驚いたものだ。

 上の空もあそこまでいくと性格に問題があるとしか考えられない。

 その次の日に改めて取材を受け、その時に“試合後の疲労でまともに返答できなかった”と弁解したが、自分でもかなり苦しい言い訳だったように思う。

 ……それはともかく、試合後のインタビューが終わると、結城はすぐに鹿住の姿を探して施設内を駆けまわった。

 諒一やツルカと共に、更衣室やゲストルームなどを探したが、全てもぬけの殻で、残っているものといえば僅かな着替えとメンテナンス用の工具くらいなものだった。

 それでも諦めず数時間は施設内を捜索したが、とうとう鹿住は見つからず、最後の頼みの綱の携帯端末も繋ることはなかったのだ。 

 ……あれから一週間経った今でも鹿住さんとは全く連絡がつかない。

(もうあの時の事件なんか気にしなくていいのに……。)

 鹿住さんがトライアローのハンガーに侵入したことは誰にも喋っていない。

 フォシュタルさんからも何も聞いていないので、今まで通り、アール・ブランのチームメンバーとして問題なくやっていけるはずだ。

 むしろ今回の事件があって、より鹿住さんのことを理解できた気さえする。

 結城は、気持ちの整理がついたらひょっこり戻ってくるだろうと信じていた。

 ……事件といえば、試合中にいきなり起きたアレも大事件だった。

 トライアローのVF、ヘクトメイルの両腕が外れてしまった、あのトラブルのことだ。

 あれは故障などではなく、明らかに何者かによって引き起こされた妨害行為だったと思う。

 あの諒一ですら整備不良が原因の故障だと見間違うくらいだ。かなり綿密に計画され、高度な技術を用いた妨害行為だったのだろう。

 その方法は分からずじまいだったが、大会委員会が本気で調査をすれば判明するはずだ。

 気に食わないが、あのおかげで試合に勝てたのは事実だ。だが、その犯人に感謝するつもりは毛頭ない。

 何故ならば、あれは私の実力のなさを顕にしてしまったからだ。妨害行為がなければ十中八九私の負けだっただろう。

 そのため、原因と犯人が判明すれば、結城はトライアローに勝ちを譲るつもりだ。しかし、果たして、あのフォシュタルさんがそれを受け入れるかどうかは疑問だった。

 百歩譲って再試合することになったとしよう。

 しかし、両腕がないという、いわば飛車角落ちどころかそれ以上の駒落ち状態のヘクトメイルに、敗北の一歩手前まで追い詰められたこちらが、再び勝てる気は全くしなかった。

(そんな事になったらランベルト、ショックで死んでしまうかもな……。)

 ランベルトなら、せっかく手に入れた1STリーグの出場権を手放したくはないはずだ。

 ……そのランベルトは、現在、結城の目の前で諒一と何やら会話をしていた。

「それで、……カズミには全然繋がらないのか?」

「今も連絡してますが、全く応答してくれません。基地局エリア情報サービスで、場所は海上都市郡内だと分かってるんですけど。」

「どうしたんだろうな……カズミのやつ。」

 そんな事を話しながら、ランベルトは諒一が電話を掛けている様子を見守っていた。

 結城はといえば、今はアール・ブランのラボでかなり大きな梱包材の上に寝転んでくつろいでいる。

 中に大量の空気が入っているこの梱包材は、まるでエアーベッドのように寝心地が良い。

 これは、1STリーグのハンガーからラボに機材を持って返ってきた時に使用したもので、その梱包材は、それだけで軽く数十人分の寝床を作れるのではないかと思われるほど大量にあった。

 そろそろ捨てなければならないのだが、まだ梱包材に包まれたままの機材が、ラボ内に多く点在していたため、捨てようにも捨てられなかった。

 一週間たった今でも全く片付けが終わっていない理由は2つ。

 1つめは、ほとんどのスタッフが休暇に入ってしまったことだ。

 気前よく“片付けはいいから休め休め”と言っていたランベルトも、後悔していることだろう。

 2つめは、機材をよく知る鹿住さんが不在だということだ。

 特に、鹿住さんが持ち込んできた特殊な機材は全く手が付けられず、このラボに運ばれた時のまま、搬入口付近にコンテナごと放置されているのだ。

 ……かといって、焦って片付けることもない。

 なぜなら昇格リーグが終了し、晴れてオフシーズンに突入しているからだ。

 スタッフがの多くが遠慮なく休暇をとっているのもこれによるものだ。

 結城は今まで何ヶ月試合をしてきたかを指折りして数え、そこから、どのくらいオフシーズンなのかを計算してみる。

(えーと……、少なく見積もっても4ヶ月くらいはオフシーズンなのか……。)

 鹿住さんが帰ってきたら、みんなでどこかに祝勝旅行にでも行けるかもしれない……と考えたが、自分には学校というものがあることに思い至り、結城はうなだれてしまう。

 だが結城は、当分試合がないので長らく疎かにしていた学業に専念できる、と前向きに考えることにした。

 梱包材の上で天井を見つめて考えにふけっていると、ランベルトの深刻な声が聞こえてきた。

「……これはいよいよ捜索願いとか出したほうがいいんじゃねーか?」

 事情を知らないランベルト達は、鹿住がどうして帰ってこないのか、全く理解できていない様子だった。

 結城は梱包材の上で勢い良く体を回転させ、端まで移動すると床に足をつけて立ち上がる。

「別にそこまでしなくてもいいと思うぞ。」

 そう自らの考えを言うと、ランベルトと諒一はこちらに目を向けた。

「3日や4日ならまだしも……もう1週間だ。一度も連絡がないってのはさすがにおかしい……嬢ちゃんもそう思うだろ?」

 そう言われれば、たしかにそんな気もする。

 やはり鹿住さんは、あの時は未遂で終わったものの、結果的に別の誰かが妨害行為を成功させたせいで、かなり後ろめたい気持ちになっているのだろうか。

 ドギィは試合中に通信で“鹿住さんは関係ない”と言っていた。結城はそれを信じているのだが、鹿住さんは私が勘違いしていると思い込んでいるのかもしれない。

 それならばなおさらのこと、鹿住さんを見つけてその誤解を解く必要がある。

「そうだとしても、警察に頼るよりも先に自分たちで探したほうがいいと思う。一応鹿住さんは海上都市内にいるんだろ?」

 結城が確認するように言うと、諒一がそれを肯定した。

「そうだ。端末の電源はずっと入っているし、移動した痕跡もある。」

「そこまで分かってて何で詳しい場所がわからないんだ……」

 海上都市という、いわば限られた場所にいるのに、鹿住さんを捉えられない理由がわからない。

 簡単に場所くらい分かりそうなものだが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。

 諒一がその理由を話してくれた。 

「個人でこれ以上の情報を得るのは禁止されてる。そうなれば、呼ばなくてもここに警察がやって来るかもしれない。……鹿住さんもそれが分かって、携帯端末を持ち続けているんだろう。」

「そうなのか……。」

 それだけ見つからない自信があるということは、もしかすると鹿住さんは、こちらが入れないような場所にいるのかもしれない。それがどこなのかは全く想像つかないが、1週間同じ場所で過ごしたとすれば、かなり設備が充実している所なのだろう。

(どこかのホテルとか……?)

 ホテルの数だけでもかなりあるので、それを一軒一軒探すとなれば骨が折れそうだ。

 諒一の説明に遅れて、ランベルトも先程の結城の提案について話す。

「まぁ、カズミの性格を知ってる分、俺達のほうが警察よりも効率的に捜索できるかもな。」

「やっぱりそう思うだろ? まずはホテルとか泊まれる所を調べるぞ。」

 鹿住さんならまずどこに行くのか、結城は予想してみたが、ランベルトは考える様子も見せず、すぐに自分の意見をひっくり返す。

「しかし、そうなるとかなり面倒だな……やっぱ帰ってくるのを気長に待つか。」

「だから、待ってても仕方ないだろ……。」

 面倒くさい、という理由だけで意見をコロコロ変えるランベルトにうんざりしていると、ラボの入口のドアの開く音がした。

 反射的にドアに目を向けると、頭のリボンが目立つ少女……リュリュが立っていた。

 リュリュは辛うじて聞き取れるほどの声量で「こんにちは皆様」と言って、真っ直ぐこちらに向けて歩いてきた。

 その歩き方は規則的で淀みのないもので、容姿相応の可愛らしい服装をしいるリュリュにミスマッチしているように思えた。リボンすら揺らさずおしとやかに歩くその様は、なんとも不思議な光景だった。

 ……この子はいつまでアール・ブランに居続ける気なのだろうか。

 そんな事を考えていると、いきなりランベルトが思い出したようにリュリュに向けて質問した。

「そういや、リュリュはカズミ見なかったか?」

 ランベルトの言葉が終わるタイミングでリュリュは結城の近くまで接近し、足を止めた。

 そして間もなく、リュリュの口から少女特有の幼い声が発せられる。

「最後にカズミ様を見たのは昇格リーグが始まる前のことで、その時はラボで見かけましたが、後は何とも……。連絡もしないで1週間も姿を見せないというのは、やっぱり心配ですね。」

 しかし、その口調や言葉遣いは大人の女性そのものだった。

 それはともかく、リュリュも事情を知っているらしく、鹿住さんの身を案じているようだった。

 ランベルトは鹿住さんについて、更に詳しくリュリュに問いかける。

「最後に見たのはそんなに前だったか。……ってことは、部屋にも戻ってきてねーのか?」

「はい、多分戻ってないと思います。」

 その答えはこちらの予想通りだった。

 そうでなければ、とうの昔に鹿住さんは見つかっているはずだ。

 柔らかそうな梱包材が気になるのか、リュリュは視線を前に保ったまま指先で梱包材をつついていた。

 その仕草に気付くことなくランベルトは愚痴っぽく言う。

「……カズミの奴、いくらオフシーズンだからって、アカネスミレの修理も終わってないのに何やってんだ……まったく。」

 結城はさっき言ったことがよく理解できなかったので、改めて聞き返してみる。

「なぁ、部屋がどうとかって……なんでリュリュが鹿住さんの部屋のこと知ってるんだ?」

 こちらの言葉を聞いたランベルトは一瞬きょとんとした表情を見せ、諒一とリュリュの顔を交互に見た。

 諒一とリュリュはすぐに首を横に振り、その反応を見たランベルトは顔をしかめて坊主頭をボリボリと掻いた。

「……あー、嬢ちゃんには言ってなかったか。」

 そう前置きして、ランベルトはリュリュを指さす。

「うまく部屋を準備できなくてな……実はコイツ、このビルじゃなくて、カズミの部屋に居候してる状態なんだよ。」

 別に知らせるほどのことではないと思ったのか、それとも諒一かリュリュが伝達していると思っていたのか……。結城は後者のように思えて仕方がなかった。

「ふーん……。」

 今更知ってもあまり意味が無いし、すぐに忘れるだろうと思っていた……が、結城はこれを聞いて咄嗟にナイスなアイデアを閃いてしまった。

「そうだ!! 今からその鹿住さんの部屋に行ってみないか? 何かわかるかもしれないぞ。」

「ん?」

 突拍子のないことを言われ、ランベルトは神妙な面持ちをしていた。

 諒一は相変わらず表情に変化はなかったが、リュリュもランベルトと同じような表情を浮かべていたため、結城は3人にわかるように付け加えて説明する。

「だから、行き先とか今後の予定とか、鹿住さんの端末調べたらわかるかもしれないだろ? あと、何か手がかりになるようなメモが見つかるかもしれないし、それに……」

 こちらが熱弁していると、途中でランベルトがやれやれといった感じでため息を付いた。

「……嬢ちゃん、探偵モノの映画かドラマの見過ぎだ。……そんな都合よくメモやら手がかりが見つかる訳ねーだろ。」

 ランベルトはこちらの提案を足蹴にしたが、諒一はそうは考えていないようだった。

「そうとは言い切れないですよランベルトさん。……このままずっとリダイヤルしても埒があかないですし、……結城の言ってることもあながち間違いじゃないかもしれません。」

「そ、そうか……?」

 諒一に思い切り否定され、ランベルトはしどろもどろになっていた。

「リョーイチ様の言うとおりだと思います。……カズミ様のプライバシーに関わると思って、あまり部屋の中のものには触れないでいたのですけど、こんな事態ですから多少は仕方がありませんよね。」

 諒一の呼び方に引っかかるものを感じたが、とにかくリュリュも諒一に続けてこちらの提案を受け入れてくれた。

「どうだランベルト、ここで待っているより時間の無駄にはならないと思うぞ?」

 追い打ちをかけるように言うと、ランベルトも“駄目だ”と言えなくなったらしく、渋々了承してくれた。

「2人もそう言うなら仕方ねえな……となれば早速行ってみるぞ。」

 一行はラボから出て、鹿住さんの部屋に向かうこととなった。


  2


 ……約10分後。

 結城達はラボから歩いて鹿住の住んでいるアパートに到着していた。

 込み入った場所に建てられているその無粋な建物を見上げながら結城はつぶやく。

「かなり近いとは聞いてたけど……ホントに近かったな。」

 しかし、周りにも同じような、そこそこ階数のある建物が立ち並んでいるせいで、その建物の入口付近は周りをそれらに囲まれる形になっており、とてもじゃないが、見晴らしがいいとは言えなかった。

 その窮屈さについても結城は言及する。

「こんなに近いのに、ここからはアール・ブランのビルが一切見えないんだな……。」

 アール・ブランのビルどころか、ほとんど他の建物は見えない。

 見えるものといえば、唯一解放された上方の空間から見える小さな空だけだった。

(まぁ、建物の上のほうの階からなら見えるかもしれないか……)

 そう思いつつ、結城は改めてアパートらしき建物の外観を観察する。

 その建物は全体的に暗い色合いで、気の利いた装飾などは一切見られなかった。おまけに人が生活している気配はなく、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。

 ぱっと見たところ、建物の外見はアパートには見えない……本当にここで合っているのだろうか。

「さぁ、入りましょう。合鍵はカズミ様から頂いていますから、何の問題もないと思います。」

 こちらの何とも言えぬ不安に気付く様子も見せず、リュリュは建物の中に入っていってしまった。それに続いてランベルトと諒一も中に入っていく。

 ……建物内はアパートというよりも、商業ビルのような構造をしていた。

 1階部分には何もなく、ただ広い空間が広がっているだけだった。天井から飛び出ている何かの配線を眺めつつ、結城は2階に上がる。

 2階部分は、階段の防火扉が閉じていたせいで見ることは出来なかった。

(何かあったのか……この建物……。)

 結城は普通ではあり得ないような状態の建物がかなり気になっていた。

 怪しい物を見るような目で、近くから防火扉を観察していると、急に防火扉の向こう側から、何かの物音がした。

「!!?」

 結城はその音に驚き、防火扉から身を離す。

 それは何かが床に落ちたような音で、微かに衣擦れのような音も聞こえた。

 もしかすると、このフロアには人がいるのだろうか……。

「……誰かいるのか……?」

 結城は小さな声で呼びかけてみたが、向こうから返事らしきものは聞こえてこなかった。

 前を行く3人は、その音をあまり気にしていないようで、2階部分をスルーして3階へと向かっていく。

 結城も遅れないように、すぐに3階へ向かう階段に足をかけた。

 4つの足音がバラバラに階段を登っていく……。

 すぐに3階に到着し、結城はフロアに目を向けた。

 すると、先ほどまでの不気味な雰囲気が嘘であったかのように、普通のアパートの廊下のような光景が目に入ってきた。

 下の階とは違い、フロア内にはタイル目の長い壁が新たに作られており、それで広い空間を区切って部屋として利用しているようだった。 

 その壁にはドアが等間隔に4つほど設置されていて、リュリュはその中で階段から一番離れた位置にあるドアに向けて歩いていった。

 リュリュは歩きながら懐からカードキーを取り出し、ドアの正面に立つと同時にカードキーをドアノブのすぐ下に組み込まれている認証デバイスにかざした。

 すると、ドアの内部でロックが外れる音が4箇所から鳴り、数秒後に自動的にドアが開いた。

「よし、じゃあ嬢ちゃんの言う“手がかり”とやらを探してみるとしますか。」

 ランベルトは両手を払う動作をしてから、少し開いたドアを引っ張り、鹿住さんの部屋の中へ入ろうとした。

 ……が、結城はランベルトの作業服を引っ張り、それを阻止した。

「な、なんだよ嬢ちゃん。……トラップでもあったか?」

 服を引っ張られたランベルトは中に入れた足をゆっくりと持ち上げ、慎重に部屋の外に出ていく。

 ランベルトの体が完全に外に出ると、結城はランベルトを押しのけて部屋の前に陣取った。

 そんな事をしたのにはきちんとした理由があった。

 結城はそれを口頭で伝える。

「トラップとかそれ以前の問題だ。……女の子の部屋に男が入っていいわけないだろ?」

 鹿住さんのことだから、私のように下着が散乱しているようなことはないと思うが、何かの間違いでそうなっている可能性もあるかもしれない。

 鹿住さんのプライバシーを守るためにも、そんなものをランベルトや諒一の目に晒すような事態は避けねばならない。

 結城に押し飛ばされ、諒一に受け止められたランベルトは、呆れた口調で言い返してくる。

「“女の子”って、嬢ちゃんなぁ。カズミももうそんな歳じゃない……っていうかそんな事言ってる場合じゃねぇだろ。大体、本人もいないのに嬢ちゃんに止められる筋合いは……」

 再びランベルトが部屋の中に入ろうとしたので、結城はそれを止めるつもりで拳をぎゅっと握った。

 すると、危険を察知したのか、ランベルトの足の動きが止まった。

 1STリーグ施設内のハンガーでツルカに襲われたことが、立派にトラウマになっているようだった。暴力とはかくも恐ろしいものである。

 そんなランベルトを気の毒に思いつつ、結城はだいぶ遅れて反論する。

「……とにかく駄目だ。鹿住さんの許可なしに男を部屋に入れる訳にはいかないからな。」

 リュリュもそれに便乗して言う。

「そうです。もし入れば通報しますよ。」

 そこまでしなくても……と心のなかでツッコミを入れていると、ランベルトはその場に不貞腐れたように座ってしまった。

「はいはい。わかったわかった……ここで待ってりゃいいんだろ……。もう頼まれてもなかに入ってやらねえよ。」

 そして、懐をゴソゴソと探り始めた。タバコでも吸うつもりなのだろう。

 諒一はドアの前にいるこちらに近寄ると、小声で耳打ちしてきた。

「ランベルトさんとここで待っている。……時間がかかりそうならいつでも手伝う。」

 ありがたい提案だ。

 情報端末のことはあまり詳しくないので諒一の手助けは必要になるかもしれない。

 あと『男は入ってくるな』といった手前、こちらから諒一に助けを求めるのは筋が通ってないので、この提案はかなり助かる。

 お礼を言うべく、結城も耳打ちし返す。

「うん。その時は声かけるからよろしく。」

「……。」

 諒一は無言で小さく頷き、ランベルトのもとに戻っていった。

 それを見て、結城も部屋の中に入ることにした。

 諒一と話をしている間にリュリュは先に部屋の中に入ったらしく、ドアの隙間からリボンが見え隠れしていた。

 そんなリュリュに続いて玄関から部屋の中に入ると、結城はまず、足から伝わる感触に違和感を覚えた。

「……?」

 床を見ると、カーペットどころかフローリングすら敷いておらず、固い灰色の基礎建材がむき出しになっていた。靴越しにわかるほど、そのコンクリートらしき床はゴツゴツとしていた。

 それは玄関から廊下に掛けて続いていたが、それより奥の部屋の手前には扉があって、そこから先は確認することは出来なかった。

 その扉にはすりガラスが嵌めこまれており、何故かそこから光が漏れていた。

 窓から外の光が入ってきているのかと思ったが、それにしては光の角度が高すぎる。

「あれ、明かりがついてる……?」

 こちらが自信なさ気に言うと、リュリュが力強くそれを肯定してくれた。

「そうみたいですね。私が部屋を出た時は全て消したはずですから……もしかしたら中にいるのかも知れません。」

 リュリュの言葉を聞き、結城は自分の心臓が高鳴るのを感じた。

「鹿住さんが……中に……?」

 口に出して言うと、リュリュは「はい」とだけ言って扉に手をかける。

 そして、躊躇することなく奥に続く扉を押して開けた。

 しかし、すぐに扉の向こう側にはいかず、リュリュはその扉で半身を隠し、しばらく奥の様子を慎重に観察していた。

 それが終わると、リュリュは扉から身を離してこちらに振り向く。

「……カズミ様はいないみたいです。」

 とりあえず、鹿住さんの姿は確認できなかったようだ。

(いない……か。でも、一度はここに帰ってきたんだよな……。)

 もう少し早く来ていれば捕まえることができたかもしれない。そう思うと残念でならなかった。 

 鹿住の不在の報告に落胆しつつも、まだ結城はどきどきしていた。

(……鹿住さん、いったいどんな部屋に住んでるんだろうか……。)

 他人の部屋を見るというのはちょっぴり罪悪感があるが、同時にかなり興味を惹かれる。

 ただ、玄関や廊下の惨状からするに、奥の部屋にはあまり期待しないほうがいいのかもしれない。

 こちらが黙りこくっているのを落ち込んでいるのと捉えたのか、リュリュは言葉尻をあげて意気揚々と部屋の奥に進んでいく。

「とにかく、中に入って手がかりを探してみましょう。」

「そうだな。」 

 ここで部屋の中を見ずに帰るのも勿体無いので、結城はリュリュの言葉に従って、部屋の奥へ足を踏み入れることにした。

 ……中に入ると、小綺麗な空間が広がっていた。

 床にはとても毛の短い2色の化学繊維のカーペットが、タイル状に並べて敷き詰められていた。

 置かれている物が少ない割に、それらがバランスよく配置されているため、『殺風景』というよりは『シンプル』と表現するのが適しているように思われた。

 壁紙も驚くほど真っ白だ。

 建物の外観を見て、部屋の中まで暗い雰囲気なのではないかと思った結城だったが、その予想はいい意味で裏切らたようだ。

「タカノ様……?」

 扉付近で立ち止まっているのを不審に思われたのか、リュリュが声をかけてきた。

 結城はそれに「いや、なんでもない」と応えて、更に部屋の奥へ進んでいく。

 ……広いフロアを改築しただけあって、天井も高く、奥行きもかなりあった。一番奥に設置されたベッドがとても小さく見える。

 これだけ距離があればシャトルラントレーニングができるかもしれない。

(って、さすがにそれは無理か……。)

 物は少ないように見えたが、これだけ広いと手がかりを探すのは大変そうだ。

 結城は早速諒一の名を呼ぶ。

「ねぇ!! 諒一も探すの手伝ってよ!!」

 ドアは開けっ放しだったので、ちゃんと外に聞こえているはずだ。

 しかし、いつまでたっても諒一の返事は聞こえてこず、その代わりにランベルトの若干キレ気味のセリフが聞こえてきた。

「オイ!! 俺ら男は“女の子”の部屋には入れないはずだろ!?」

 ランベルトはまだ怒っているらしい。本当に大人気のないチーム責任者だ。

 結城はあまりよく考えることなく、部屋の外に向けて大きな声を出す。

「諒一は……、諒一なら問題ないと思う!!」

 部屋をざっと見たところ、どこにも鹿住さんの尊厳を貶めるようなものは落ちていない。

 今なら諒一を部屋に入れても問題ないだろう。

 ……しかし、諒一はともかく、ランベルトだけはどうしても部屋の中に入れたくなかった。

 「なんでリョーイチだけ……」や「差別だ……」など、小さな声が聞こえてきた気もするが、それを確かめる前に諒一が部屋の中に入ってきた。

 そして、すぐに内部の様子を観察し始めた。

 リュリュはというと、めぼしい場所を把握しているのか、あまりウロウロすることなく順調に部屋の中を探索しているようだった。

 そんなリュリュの様子を見ながら、結城は改めて鹿住の部屋を褒める。

「それにしても綺麗な部屋だな……。物も少ないしさっぱりしてる。」

 諒一に同意を求めるために言ったのだが、その言葉には諒一ではなくリュリュが反応した。

「あ、それは私が部屋の掃除をしたからです。ここに来た時は書類やら分厚い本が山積みになっていました。」

 結局、結城のセリフは間接的にリュリュの整理整頓能力を褒めることとなった。

 それに気を良くしたリュリュは、引き戸を開けたり、紙のメモを調べながら饒舌に語る。

「居候させてもらっている身ですからこのくらいは当然です。最初来た時はあまりの乱雑さに驚きましたが、逆に言えば物の配置に無頓着とも言えますので、私の好きなように整理や掃除ができてとても捗りました。……そう言えば、今時紙媒体で計算や構想図を描く方なんて珍しいですよね。あんなにも紙が重いものだとは思いもしませんでした。ま、お兄様のお世話に比べればこんなものは朝飯前なのですけれど。」

 舌が動いている間も手がかりを探す手は止まらない。むしろ、その手も速くなっているように感じられる。

 ふと、気になったことを結城は訊いてみる。

「お兄様って、リオネルの世話をさせられてるのか?」

 安易な気持ちで聞いたのだが、それがいけなかった。

「はい、その通りです。お兄様は……」

 ――その後、リュリュの話は部屋の話題からリオネルの自慢話に移行し、結城と諒一はそんな何の得にもならない情報を聞きながら、鹿住の手がかりを探す羽目になった。



 ……それから約1時間

 結城達は部屋中をくまなく探したが、鹿住の手がかりどころか、メモ帳や予定表らしきものすら発見することができなかった。

「結局何も見つからなかったな……。」

 部屋の奥で結城は足を伸ばしてだらしなく床に座り、金属製のベッドの側面に背を預けていた。

 結城の頭部はちょうどベッドのマットレス部分の高さと合致し、結城は背中に飽きたらず、後頭部までもベッドに預けている状態だった。、

 手がかりを探すという地味な作業にもかかわらず、結城は結構疲れて汗もかいていた。そのため、ベッドの金属部分はひんやりとして気持ちよかったのだ。

 リュリュも結城の近くにいたが、難しい表情で部屋の内部を眺めていた。

 本人は真面目に考えているのだろうが、傍から見ると駄菓子コーナーで何のお菓子を買おうか迷っている少女にしか見えない。

 そんな微笑ましいことをこちらが想像していることも知らず、リュリュは重苦しい口調で話す。

「なにも残していないということは、急な用事でも入ったんでしょうか……。」

 その意見に対し、すぐに諒一が同意する。 

「そうみたいだ。……臨時の仕事となると、鹿住さんがアール・ブランに帰ってくるのも案外早いかもしれない。」

 諒一は書類の束を一枚ずつめくって中身を確認していた。

 結城は先程それらを見せてもらったが、中身はよく分からない記号や文字、そして妙に桁数の多い数字で埋め尽くされていた。

 よく飽きずに続けられるものだ。

 リュリュは諒一の意見をやんわりと否定する。

「いえ、まだその用事には時間がかかると思います。……クローゼットから着替えが3着ほど無くなっていましたし……。」

 諒一の考えを否定したリュリュはクローゼットを指さした。

 元々の状態を知らないのでなんとも言えないが、部屋を隅々まで整理したリュリュの言うことなので、本当のことなのだろう。

「それにしても一体何の用事なんだろうな。……今になって着替えを取りに来たってことは、何か変更でもあったのか……。長くなるなら知らせてくれてもいいはずなんだけど。」

 前はダークガルムで働いていたと本人から聞いたこともある。

 一か八かでダークガルムに乗り込んでみたい気もするが、結城には遠隔操作の件があるため、迂闊に近づくことは出来なかった。

 諒一は手に持っていた書類を全てめくり終えると、それをテーブルの上に戻した。

「……どうやら鹿住さんは、その用事を知られたくないみたいだ。」

(私たちに知られたくない用事……やっぱりダークガルムの仕事なのか……?)

 全く連絡してこないのも、それならば納得がいく。

 鹿住さんは日本VF事業連合会から派遣されていることになっているので、チームメンバーにそのことを知られるのをよしと思っていないのかもしれない。

 諒一に続けてリュリュも持論を展開させる。

「なるほど、ですから、私たちの姿を見て慌てて帰ってしまったんじゃないでしょうか。……ここからなら私たちが入ってくる様子がよく見えますし。」

 “ここ”と言われ、結城はリュリュの視線の先にあるものを見る。

 そこには小さな出窓があった。

 それはちょうどベッドの位置にあり、窓からは入口付近がよく観察できた。

 外の様子を眺めながら、結城はなんとなく自分の予想を口にしてみる。

「ということは……また何かを取りにこの部屋に戻ってくるかもしれないな。」

 着替え3着だけを取るためだけに戻ってきたとは考えにくい。他にも必要なものはあったはずだ。

「そうかもしれません。」

「そうだな。」

 これにはリュリュも諒一も賛同してくれた。

 そして、今後の作戦も決まったらしく、リュリュはこちらにその内容を提示してきた。

「……私は今日一日ここで見張っています。……カズミ様を見かけたらすぐに連絡します。」

 それは妥当な作戦だと思えた。

 リュリュを一人で残すのは気が咎められるが、よくよく考えると、リュリュも現在家出中なので、街を連れ回すわけにもいかないのだ。

「お二方は心当たりのある場所を当たってみてはどうでしょう。もしかすると、まだこの付近にいるかも知れませんし。」

 結城はその言葉に甘えることにした。

「じゃぁ、ここは任せたぞ。」

「お任せ下さい。」

 短く別れを告げると、結城はベッドから離れて玄関に向かって歩き出す。

 諒一は特に何も言わず、無言のままこちらの後を付いてきた。

 玄関まで来ると、入った時に気付かなかったものが結城の目に止まった。

 ……それはデータカードがたくさん入っているカードボックスだった。その中の一つに見覚えのあるものを見つけたのだ。

 結城は自然なしぐさでカードボックスを展開させ、その中から一つのデータカードを手に取る。

(これって……あの時のデータカード? 確か、私が鹿住さんから取り上げて、その後フォシュタルさんに取られて……)

 それはウイルスの入ったデータカードと全く同じデザインをしていた。

 しかし、よくよく見てみると傷一つなく、それが全くの未使用品の新品であることに気づく。

(いや違う、形は一緒だけど中には何も入ってないみたいだ……。)

 玄関に留まり、まじまじとデータカードを見ていると、それを不審に思ったのか、背後から諒一が声をかけてきた。

「どうかしたか? 結城。」

 諒一がデータカードを覗き込もうとしたため、結城は慌ててデータカードをカードボックスに戻す。

「いや、何でもない。」

 そして何事もなかったかのように愛想笑いをし、玄関のドアに手をかけた。

 ドアを開くと同時に、ランベルトの顔がこちらに向けられ、ランベルトは足についたホコリを手で払いながらその場で立ち上がった。

「おう、なにか見つかったか?」

 ランベルトの周囲には吸殻が散乱していた。

「……。」

 結城がそれを無言で見つめていると、やがて吸殻のことに思い至ったのか、ランベルトは「おお、そうだった」と言って、吸殻を拾い始めた。

 それを手伝うべく、諒一はランベルトのもとに行くも、ランベルト自身が手のひらを諒一に向けて手伝いを拒否した。

 ランベルトは一人で吸殻を拾い集めながら、再び同じ事を質問してきた。

「カズミの場所はわかったのか?」

 結城は、俯いたまま吸殻を拾うランベルトに向けて結果を報告する。

「いや、……でも、私たちが来る前まで部屋にいたみたいだ。」

「そうか、惜しかったな……」

 ランベルトはそれ以上は特に詳しく訊くこともなく、やがて掃除が完了すると再び視線をこちらに向けた。

 その視線は私と諒一以外の誰かを探しているようで、左右に動いていた。

「……ん? リュリュはまだ何か調べてんのか?」

 不審な視線の移動の理由がわかり結城が納得したと同時に、諒一がリュリュに関して簡単に説明する。

「また鹿住さんが戻ってくるかもしれないので、このまま部屋に残るそうです。」

「そうか。」

 それを聞くと、ランベルトはすぐに部屋のドアに背を向け、階段に向けて移動し始める。

「あんまり長くラボを空けとくと親父がうるさいしな……とりあえずラボに戻るぞ。」

 これ以上ここにいる理由もないので、結城たちもランベルトに続いて階段に向かった。

 階段を下りながら、結城はランベルトの父親……ベルナルドについて考える。

「そう言えば、まだベルナルドさんには鹿住さんのこと、何も聞いてないな……。」

「聞くだけ無駄無駄。なーんも知らねーよ。」

 ランベルトは前を向いたまま答えた。

 結城もそう思っていたが、確認すること自体はすぐにできるので、一応は訊いてみるつもりでいた。

 ベルナルドさんはどこで休んでいるのだろうか、予想しながら2階部分に差し掛かると、結城はすぐに異変に気づいた。

(あれ……開いてる。)

 来た時は閉まっていたはずの防火扉が開いて、フロア内の様子が観察できた。

 フロアは1階部分と同じく、何も無い空間が広がっていた。

「……。」

 結城はそこで立ち止まり、しばらくその空間を眺める。

 大きな窓から光は入ってきているものの、フロアの奥の空気は淀んでいた。低い階ではなく、わざわざ3階に住居を作ったということは、この2階や1階で何か悪い事件でもあったのだろうか……。

 どこかに血の跡でもないか、探していると前を行く諒一が振り返り声をかけてきた。

「……結城?」

「なんでもない。」

 諒一のその声にすぐに反応して、結城は止めていた足を再び動かし、階段を降りていった。

 ……結城達はリュリュを鹿住の部屋に残し、その建物を後にした。


  3


「あ、ユウキだ。……ほんとにこの寮に住んでたのね……」

「ね? だから言ったでしょ? ……ほらほら、サインもらってきなさいよ。」

 結城がそんなセリフを聞いたのは、女子学生寮の4階の通路だった。

 見ると、自分の部屋の前に2名の女子学生が立っており、こちらに熱い視線を向けていた。

 1STリーグ進出が決定してからというもの、部屋を訪れる女子学生が後を絶たない。

 過剰な追いかけはしないように、と女子寮側が厳重注意してくれているものの、そういうのは若い女子学生にはあまり効果がないらしい。

 1週間たった今でも、女子学生は容赦なく結城に接触してくる。

 登下校はほとぼりが冷めるまで学校が用意してくれた車を利用することになっており、また、校内では他の学生とコースが違うので、そこまで困ることはない。

 そのため、結城にとってはこの女子寮の入口から自室までの間が最も身を隠さねばならないエリアなのだ。

(これだけ遅いと、もうだれもいないと思ってたんだけど……)

 今は夜の9時を少し過ぎたくらいだ。まだ寝る時間ではないにしろ、わざわざご苦労なことだ。

 結城はそんな2人の女子学生に向けて笑顔を見せる。

「こんばんは。」

 こちらが先に挨拶すると、2人とも部屋の前を離れ、こちらに駆け寄ってきた。

 ……いくら身を隠したとしても、自室の前に待ち構えられてしまってはどうしようもないので、結城は強引に押し通ることにしたのだ。

 少し遠目からの挨拶はそのための作戦の布石にすぎない。 

「あの、ユウキさん、サインを……」

「応援ありがとう!!」

 結城は迫り来る2名の女子学生の手を強引に握り、それを背後へと受け流す。

 全くの想定外の対応に2人は呆気に取られているようだった。

「ごめん、ここではVFBに関わる活動をしちゃ駄目だって学生寮側から言われてるんだ……。」

 そして、きっちりと責任を学生寮側になすりつけ、結城は自室に駆け込んだ。

 結城は玄関で立ち止まり、閉じられたドアに耳を当てて外の様子を伺う。

「……。」 

 耳を澄ましても通路からは何も聞こえてこず、女子学生達は諦めてくれたようだった。

(今回ばかりは、騒ぎは収まりそうにないか……)

 2NDリーグならいざ知らず、1STリーグになると知名度は一気に上昇する。

 先が思いやられる結城だった。

「やっぱり学生寮から出たほうがいいかもしれないな……」

 それを考えるのは後回しにして、結城は寝室に向かうことにした。

 玄関で制服の上着を脱ぎ捨て、廊下でスラックスのベルトを緩め、リビングでシャツの首元のボタンを外し、寝室に到着するころにはリラックスできる服装……もとい、だらしのない格好になっていた。

 部屋の中にツルカの姿はなく、とても静かだった。

(ツルカは……そうだ、オフシーズンに入ったからオルネラさんの所に行ったんだったっけ……)

 せっかくツルカにお菓子のおみやげを持って帰ってきたつもりが、無駄になってしまったようだ。

 そのお菓子をポケットから取り出し、結城はベッドの上に座る。

 そして、それをまじまじと見つめながら思う。

(……美味しかったなぁ、これ。)

 これは、鹿住さんのことを質問した時にベルナルドさんがくれたものだ。

 アルミホイルで包まれているが、結城はそれを既に一つ食べているので、味も形も判明している。

 これは、クッキーの生地を球状に丸めて焼いたお菓子らしく、中には味の濃いドライフルーツのようなものが詰まっていた。いままで見たことも、味わったこともないようなお菓子で、それが何かは詳しくは知らないが、おいしいので問題ない。

 中にはシロップで表面をコーティングされている物もあったが、さすがにカロリーが気になり、それには手を出せなかった。

「……。」

 ツルカが居ないなら……と、結城は食べてしまいそうになったが、それをグッとこらえてそのお菓子をパソコンの机の上に置いた。

 ついでに、その欲を誤魔化すために、結城は久々にシミュレーションゲームを起動することにした。

 結城は専用の筐体に座り、試合で使うのよりもずっと軽いHMDを頭に装着する。

 そしてスイッチを入れると、すぐにゲームが起動してHMDにスタートメニューが表示された。

(あ、メッセージだ。)

 『yuki』の個人用のアカウントには、1STリーグ進出を祝福する内容の簡易メッセージが届いていた。

 とは言っても、許可しているのは槻矢くんにジクスにニコライ、そしてセブンだけなので、メールの数は、システムメールを含めた5つだけだった。

 そのうちシステムメールは長期間ログインしていないと表示されるものなので、結城はそれを無視して他のメールに目を通す。

 まずは、一番上に表示されている槻矢くんからのメッセージを読むことにした。

 しかしその瞬間、いきなりセブンがログインしてきた。

「……1STリーグ初の女性ランナー、おめでとうございます。」

 久々に聞く声に、結城は驚いてしまう。

 何故、あれだけ連絡しても全く繋がらなかったのに、こちらがログインした途端出現するのだろうか。このゲーム内でしか話すつもりはないということなのか……。

 とにかく、結城はセブンに返事する。

「今までどこにいたんだ? 連絡しても全然いないし。」

 責めるような口調で話すと、すぐにセブンは謝罪の言葉を口にした。

「すみません。仕事が忙しかったもので……。当日も生で試合を見れなくて残念です。」

 同時にセブンのアバターが画面に表示され、謝罪のモーションを披露する。

 別に言い争うつもりもないので、結城も短く「ごめん」とだけ言っておいた。

「……遅れましたが、昇格リーグ、拝見させてもらいました。……今回はいつにも増して、かなり運に助けられたみたいですね。」

 本当のことを指摘され、結城は思わず言い返す。

「う、運も実力のうちだろ?」

 ありきたりな言葉で、なんとも説得力のない言い訳だったが、セブンはそれを否定しなかった。

「ええ、その通りです。もちろん、ユウキの実力があったからこそ呼び込めた運だと思っていますよ。最初のダッシュから初撃の流れは素晴らしいものでしたし。」

「そう?」

「そうです。」

 やはりほめられると嬉しい。

 自分でも、あの試合開始直後のダッシュはうまくできたと思っていたので、なおさら嬉しかった。

 ……その後、結城はセブンと試合のおさらいのようなことを話した。しかし、セブンはヘクトメイルの両腕が外れたことに関しては全く触れなかった。

 後日、映像で見たと言っていたし、その部分は詳しく映っていなかったのかもしれない。

 久々に長い時間おしゃべりできて結城が満足していると、セブンが神妙な面持ちで――といっても、これもアバターのモーションなのだが――こちらに話しかけてきた。

「後もう一つ、伝えておかねければならないことがあるのです。」

「なんだ?」

 口ぶりから、それがVFBの話題ではないことが何となく分かった。

 最近、セブンは忙しいみたいなので、それに関することを話してくれるのかもしれない。

 こちらが言葉を待っていると、セブンがやっと口を開いた。

「……来週、VFBフェスティバルで直接お会いしませんか?」

「!!」

 結城の予想は外れていたが、予想よりも遥かに良い話題だった。

「やっと会ってくれる気になったのか……でも、何で急に合う気になったんだ?」

 結城は以前までは、セブンと直接会えば関係が崩れるかもしれないと心配していたが、今はそんな不安は微塵も感じていなかった。

「覚えていませんか? 近いうちに私の“趣味”のお話をして差し上げると言ったと思うのですが。」

(やばい、覚えてない……。)

 そんな事を聞いたような気もするが、記憶が曖昧だったため、結城はうまく言って自分の失態を誤魔化す。

「……な、なるほど。その趣味を直接会って話したいわけだな。」

「それもありますけれど、……正直言うと、直接会ってサインを頂くのが主な目的です。」

「え……。」

 ――冗談だよな?

 と結城が言おうとした瞬間、セブン自らが「冗談です」といたずらっぽく宣言した。そして続けて言う。

「……ともかく、ユウキと会うのは、『ユウキが1STリーグに出場することになってから』、と心の中で決めていました。前から、会いたい気持ちはこちらにもあったということです。」

 セブンもセブンで色々と考えていたようだ。

 会うことは決まったので、結城はいつどこで会うかをセブンと相談することにした。 

「VFBフェスティバルってことは……会う場所は1STリーグの跡地の博物館か……。とりあえず、ターミナルで待ってようか?」

「大丈夫です。何度も1STリーグのミュージアムには足を運んでいますので、場所はわかります。」

「でも、直接行くとなると、人が多すぎて待ち合わせできないな……。」

 VFBフェスティバルは年一回行われているお祭りて、多くの人が訪れる。

 それは3日間1STリーグのミュージアムで開催され、そこではランナーとの交流イベントがあったり、操作はできないものの、VFに試乗できたりする。

 3日目にはエキシビジョンマッチがあり、勝負よりも、むしろエンターテイメント寄りの特殊なルールで試合が行われる。

 聞いた話だと、腕相撲や縄跳び対決、果てはダンス対決などもあったそうだ。

 参加は自由なのだが、毎年ファンにアピールするため多くのチームが参加しているらしい。

 ……ミュージアムの近くに何か目印になるような場所がないか考えていると、先にセブンが待ち合わせ場所を提案してきた。

「そうですね……VFの展示コーナーは人が多いでしょうし、資料コーナーで待ち合わせしましょう。」

 コーナーの名前からして、静かそうな場所だ。

(よくわからないけど……セブンは何度かミュージアムに行ったことがあるみたいだし、大丈夫だよな。)

「じゃあ、そこにしよう。」

 いざとなればスタッフ専用の部屋などに呼ぶつもりだったが、せっかくなので結城はそれに賛成することにした。

 セブンはどんどん話を進めていく。

「時間は、そうですね。夜には到着すると思うのですが……到着したら連絡をいれます。」

 大体の予定が決まった所で、結城はついでにセブンについて訊いてみる。

「わかった。……で、セブンってどんなカッコしてるんだ?」

 しかし、セブンは笑ってそれをはぐらかした。

「フフ……すぐにわかりますよ。……それにこちらはユウキの顔を知っているので問題ありませんよ。」

 相手だけに顔を知られているのは不公平のような気もするが、ここで無理やりセブンの外見を知っても楽しみが減るだけだと思い、追求することはしなかった。

 結城は、セブンの声や性格から判断して、かなりの美人だろうと勝手に予想していた。

「それもそうか……。セブンがどれだけ美人か楽しみにしてるぞ。」

「きっと驚くと思いますよ……。では、お待ちしてます。」

 そう言うと、セブンはすぐにログアウトしてしまった。今日ログインしたのはこの話をしたかったからに違いない。

(セブンかぁ……。)

 初めて行くVFBフェスティバルなのに、自分が観客側でないことが少し残念なように思えた。

 そして、それまでには鹿住さんも帰ってくるだろう、と気楽に構えていた。



 それと同時刻、別の場所にて、鹿住もセブンの声を聞いていた。

 結城とは違い、鹿住はその声の発生源を見て眉をひそめていた。

「何度聞いても気持ち悪いですね、その声。」

 ……1週間ほど前、鹿住はトライアローとの試合後、半ば誘拐されるような形でダークガルム所有のラボに移動させられたいた。

 そして、鹿住を誘拐したのはもちろん七宮だった。

「気持ち悪いとは心外だな。……声だけ聞けば立派な女性だろう。」

「まぁ、そうですけれど……」

 アール・ブランが1STリーグに進出した今、もう私がアール・ブランにいる理由はない……と七宮さんは言っていたが、実際には別の理由があるのだろう。

 いつかアール・ブランを離れなければならないと予想はしていたものの、少し早い気もする。

(こんな形でアール・ブランを離れれば、怪しまれるに決まっているのですが……)

 鹿住の視線の先には筐体に座っている七宮の姿があった。口元にはボイスチェンジャーが付けられており、先ほどの鹿住に向けての返事も『セブン』の声で返事されていた。 

 結城君との会話が終わったのか、七宮さんはボイスチェンジャーを外して、筐体から出た。

 ――予定通り、七宮さんは結城君と合う約束を取り付けた。

 そこで何をどこまで話すつもりなのかは分からないが、当然『セブン』の正体が露見することになり、結城君がショックを受けるのは目に見えていた。

「やはり結城君に正体を明かすのですか? このまま別人としてセブンを演じ続けるのも手だと思うのですが……」

 それにしても、よく5年間も別の人格を演じられたものだ。しかもその設定は異性の女性である。ただ単にボイスチェンジャー越しに話せばいいというものではなく、言葉遣いや考え方も考慮して演じる必要があるはずだ。

 プロがやってもぼろが出そうなのに、結城君を完璧に騙せているのはすごいことだ。

 これまでも騙し通せたのだから、これからもセブンを演じるのは不可能ではないはずだ。

 ……しかし、七宮さんにその気は全く無いらしい。

 それを証明するかのように、七宮さんは逆にこちらを煽り立てるようなセリフを吐く。

「なんだ鹿住君、結城君に情が移ってしまったのかい?」

「……。」

 情が移るという言葉は適切ではない気がするが、確かにその通りだ。……だが、七宮さんに言われると無性に腹が立った。

 私が結城君に対してこういう感情を抱くことになった原因が自分にあると七宮さんはきちんと自覚しているのだろうか。

 鹿住は七宮に刺々しい口調で言葉を浴びせる。

「あれだけ一緒にいたんです。情が移らないほうがおかしいですよ。」

「正直に言うねぇ、鹿住君は……。」

 七宮さんは筐体のヘッドレスト部分に手を載せて、それを軽く握ったり、叩いたりしていた。

「……でも未練はないだろう? あんな所を見られたんだ。もう彼氏君にもあの事を話してるだろうし、チームに居るだけ辛いに決まってるよ。」

 他のメンバーならともかく、結城君が諒一君にあのことを話さないというのは考えにくい。諒一君がそのことを知れば、当然ランベルトに報告することだろう。

 いくらフォシュタルが私のことを見逃したと言っても、罪であることに違いはないのだ。

「そうですよね。……もう、戻れないんですよね。」

「そういうこと。」

 アール・ブランにいたのはたったのワンシーズンだけで、しかも技術提供のために派遣されていただけだ。それなのに、なかなか過ごしやすいチームだった。

 チーム責任者が適当な性格だったからかだろう。作業ペースはともかく、おかげで自由にのびのびとアカネスミレのメンテナンスやフレームの改良作業を進めることができた。

 多くの心残りがあったが、特にアカネスミレに関しては考えることがかなり多い。……私の調整抜きで、あのアカネスミレがきちんと動く気がしないのだ。

 そのあたりの調整はどうするのだろうと思っていると、七宮さんが再び話し始めた。

「……さて、アール・ブランとは違ってこっちには高価な設備や優秀なスタッフが揃っているからね。鹿住君にはばりばり働いてもらうよ?」

 改めてラボ内を見ると、アール・ブランには置いていないような機材がズラリと並んでいた。

 このラボはメインではなく予備のものなので、全体の規模は小さいものの、使い勝手はかなり良さそうだった。

 ラボ内をぐるりと見終わると、鹿住は先ほどの七宮の言葉に対して頷く。

「言われた通りのことはします。そういう約束ですから。……これだけ設備が整っていればオフシーズン中には余裕で完成させられると思います。」

「それは良かった。……頼んだよ。」

 そう言って七宮さんは笑みを浮かべる。

 これから、再びシーズンが始まるまでの約4ヶ月間、アール・ブランの件を含めて色々と忙しくなるだろうと予想する鹿住だった。


  4


 結城がセブンと会う約束をしてから1週間後。

 1STリーグスタジアム跡地のミュージアムではVFBフェスティバルが開催されていた。

 元々ファンとの交流のために開催されるようになったこのイベントでは、主に1STリーグと2NDリーグのチームが参加している。そして、それぞれが自慢のVFを持ってきており、それをアリーナに各チームごとに設置されているブースで展示していた。

 アリーナ内に割り当てられたブースは簡易的な物だった。

 それは上方から見て『コ』の形をしている壁で、1つのチームにつき1つだけ割り当てられており、そして、それが規則正しくアリーナ内に設置されているというわけだ。

 これはブースの壁としての役割だけでなく、同時に会場にいる人達が混乱しないようにするための通路としても機能していた。

 アール・ブランもその中の一つで、イベントの趣旨通りにファンとの交流を図っていた。

 当然、1STリーグのチームともなれば見晴らしのいい場所が割り振られ、また、押し寄せるファンの数も半端なく多かった。

 特にアール・ブランは『女子学生ランナー』や『アカネスミレ』と注目される要素も揃っているので、なおさらのことだ。

 その注目の的である結城はランナースーツ姿でファンと握手したり記念撮影しており、アカネスミレは様々な角度から写真を撮られ続けていた。

(やっぱり人多いな……。)

 もうかれこれ2時間ほど、結城は愛想笑いを保っており、頬の筋肉が吊りそうで仕方がなかった。

 しかし、めげることなく結城はてきぱきと握手などをこなしていく。

「あなたがユウキ? ……コンパニオンじゃないわよね?」

 現れたのは、額に汗を浮かべた背の高い女性ファンだった。

 高いと言っても、コーカソイドならばこれくらいは普通なのかもしれない。

 早く誤解を解くべく、その女性ファンに結城は笑顔で応える。

「……はい、私が結城です。今日はこのブースに来てくれてありがとうございます。」

 こちらの話すことも無視して、女性ファンは興奮気味に喋る。

「わぁ、思ったよりちっちゃくて可愛いわ!! 本当にVFに乗ってVFBに出場してるの!?」

 やはり、あまり自分のことを知らない大半のファンは、ムキムキの女性ランナーを想像しているらしい。それが、実際見るとこんな普通の女子学生なのだから、そのギャップに驚くのも無理は無い。

 大袈裟に言うファンに対し、とりあえず黙らせるために結城は握手の手を差し出す。

「わー、手もちっちゃい!!」

 そんな事を言いつつ、女性のはこちらの手を握った。

(そっちが大きいだけだろう……。)

 ……とは口が裂けても言えないので、結城は自分の顔面の筋肉に鞭打って笑顔で応える。

 握手に加え、満面の笑みで満足したのか、その女性ファンは「応援するからね」と言って、ブースから離れていった。

 その女性のファンを最後に、ひとまずブース内は落ち着いた。

(ふぅ……。)

 他にもファンらしき人の姿はあったが、ほとんどアカネスミレにカメラレンズを向けており、残りの数名は諒一から何かの説明を受けているようだった。

(何人と握手したんだろうか……でも、結構女の人が多かったな……。)

 ……この2時間で驚いたことといえば、予想に反してここを訪れる女性ファンの数がかなり多いということだった。

 イベントが始まる前まで、結城はランベルトに「嬢ちゃん目当てで男どもが殺到するかもな。」などと言われていた。

 しかし、予想は外れているどころか、まるっきり違っている。

(くそ、ランベルトめ……無駄に緊張して損した……。)

 飄々と嘘を付いたランベルトはというと、自分のチームのブースを離れて、どこかに行ってしまっていた。

 代わりに諒一がチームについてやアカネスミレの説明を行っているというわけだ。

 そのため、ブース内には結城と諒一しかおらず、とてもじゃないが万全な体制であるとは言えなない。

(はぁ、……鹿住さんでもいればずいぶん違うんだけどなぁ……)

「……。」

 今まで頭の外に追いやっていた鹿住さんのことを思い出し、結城はガクリとうなだれた。

 あれから鹿住さんはラボに帰って来ず、それどころか、リュリュによれば部屋にも帰ってこなかったそうだ。

 一体何時になったら帰ってきてくれるのか、もしかして、帰ってくるつもりはないのだろうか……。

 ネガティブなことを考えていると、男女のカップルらしきファンがブースにやってきた。

 カップルは真っ直ぐこちらに向かってきて、男性の方はしょっぱなから握手を求めてきた。

「応援ありがとうございます。」

 結城は定型句を言って、すぐにその握手に応じた。

「……。」

 鹿住さんのことがかなり心配で、握手している最中も頭の中は鹿住さんのことでいっぱいだった。

 それが顔に出てしまったのか、握手中のファンから文句を言われてしまう。

「どうしたんだい、元気なさそうじゃないか。」

 その口調は特にきつくはなかったが、妙に馴れ馴れしかった。

 ファンから注意されるのはあまり気分のいいことではないが、落ち度はこちらにあったため、結城は自分の態度を反省することにした。

「す、すみません。ちょっと考え事を……」

 結城はそのファンに向けて謝罪の言葉をかけようとしたが、その顔を見て、なぜ男性がそんな事を口にしたのか、その理由がわかってしまった。

 サングラスを掛け、帽子をかぶって変装していたが、それは明らかにイクセルさんだったのだ。

 それに気付いた結城は、思わずイクセルの名を口に出してしまう。

「あ!! イクセ……むぐぐ。」

 だが、その名前を呼ぶ前に、イクセルの隣にいた女性がこちらの口元に手を当ててきた。

 そちらの女性もすぐにオルネラさんだとわかった。

 オルネラさんはオレンジがかった大きめのグラスを掛けていたが、すぐにそれを下にずらし、直接目をこちらに向けて謝ってきた。

「……ごめんなさい。こんなところに来た私たちが悪いんですけど、騒ぎにならないように協力してくれますか?」

 結城は無言でコクリと頷く。

 するとオルネラさんの手が口元から離れた。

 そして、オルネラさんはそのままイクセルの手をこちらの手から自然に剥がし、流れるようにして握手をした。

 口元を覆われた時も感じたが、オルネらさんの手はひんやりとしていて、柔らかく、おまけにサラサラとしている。……確かに、この手で撫でられればツルカもイチコロだろう。

 やがて握手を終えると結城は小さな声で2人に質問する。

「……それで、お二人はどうしてここに?」

「いやあ、来シーズンで戦うことになる相手の顔を見ておこうと思ってね。」

「そうですか。」

 ……そうですか、としか言い用がない。1STリーグ最強のランナーなのに呑気なものだ。

 自分たちのブースも忙しいだろうに、こんな所で油を売ってていいのだろうか。

 そんな事も思ったが、結城はとりあえず丁寧に言葉を返しておく。

「試合の時は、お手柔らかにお願いします……。」

 イクセルはその言葉が気に入らなかったようで、上に向けた人差し指を前に突き出し、それを左右に何度か振った。

「戦う前からそんな弱気じゃ駄目じゃないか。 ……こういう時はハッタリでもかましておけばいいんだよ。実際、それで僕はうまく凌いだものさ。」

「そうなんですか?」

 恥ずかしかったが、結城は言われた通り強気で言ってみる。

「……つ、次に会うときは……が、顔面に風穴を開けてやるぜ……」

 言った途端、イクセルさんではなく、オルネラさんが吹き出してしまった。

「ふふっ……」

 オルネラさんが顔を背ける一方で、イクセルさんは満足気に頷いていた。

「そうそう、それでいいさ……試合の時はお互い楽しくやろう。」

「……はい。」

 イクセルさんの目を見つめて強気で返事すると、なぜだか分からないが、イクセルさんは嬉しそうにこちらの肩をポンポンと叩いた。

 そして、そのままブース内を見渡し、若干遠慮気味に訊いてくる。

「……で、ツルカのことなんだけど……」

「ほらイクセルさん、後ろがつかえてますよ。」

 そう言ってオルネラは笑みを浮かべながらイクセルの背中を押す。

「ちょっとオルネラ、まだ話が……」

 イクセルさんは、私のことだけでなく、ツルカのことも気になっていたようだ。

 ツルカは結構な頻度でキルヒアイゼンのビルに帰っているような気もするが、イクセルさんとはあまり会話していないのかもしれない。

 そのツルカはというと、今はランベルトと同じく、いろんなブースを放浪している。

 こちらを手伝ってほしい気持ちもあったが、元々はキルヒアイゼンのメンバーなので、こういう公式の場でおおっぴらに手伝ってもらうのは気が引けるのだ。

「休憩はここまでです。……ファンが待っていますよ、イクセルさん。」

 オルネラに抵抗できず、イクセルはどんどん結城から離れていく。

「ツルカには僕らがここに来たことは内緒に……あぁ……」

 そして、イクセルさんはオルネラさんに背中を押され、仲良さそうにコーナーの外へ出ていってしまった。

 あそこまで仲がいいとまるで夫婦のようである。

(……あ、夫婦だった。)

 ぴったりとくっついて歩く2人の背中を見つめていると、新たにファンがブースを訪れた。

「すみません、記念撮影お願いできます?」

「はい、もちろん。」

 見送る間もなく次の女性ファンに記念撮影を頼まれ、結城は自分の仕事に戻ることにした。



 ……数時間後。

 陽が落ちると同時にアリーナ内のファンの数も減っていき、ファンとの交流会は終了した。

「ふいー、疲れた……。」

 結城は思い切り背伸びをして、近くにあったパイプ椅子に腰を下ろした。腰を下ろすのも前の休憩以来、3時間ぶりである。

 これだけ多くの人が来てくれたことは嬉しいが、その全員と握手するのはとてもつかれた。

 まだアール・ブランはいいが、キルヒアイゼンやダグラスといった大人気チームはもっと大変なのではないだろうか。

 それを考えると、イクセルさんは指紋がなくなるくらい握手しているのかもしれない。

(途中で抜け出したくなる気持ちもわかるな……。)

 これを毎年やらねばならないかと思うと気が重い結城だった。

 ……結城が椅子に座って体を休めていると、すぐにツルカがブースに戻ってきた。

「ただいまー。」

 ツルカは“イベントを満喫しました”と言わんばかりの笑顔でこちらに向かってくる。そして、

目の前まで来ると、結城は「おかえり」と言葉を返した。

 ツルカは両手に大きな袋を持っており、中にはいろんなチームのグッズが詰め込まれているようだった。

 結城は椅子に座ったまま身を乗り出し、袋の中をまじまじと見る。

「それ、全部買ったのか?」

「いや、ボクが買ったのは少しだけで、あとは全部リョーイチに頼まれて買った限定グッズだ。」 

「なるほど……。」

 金にモノを言わせて買い漁ったわけではないらしい。

 諒一がどんなものを頼んだのか気になり、袋の中を詳しく覗くと、異様にでかい金色に輝くクリュントスのフィギュアや、今シーズンにお目見えしたばかりのアルザキルのガレージキットなどが入っていた。

 ……アール・ブランではグッズと呼べるものは何も用意していない。グッズを用意していないのはウチのチームくらいでなはいだろうか……。

 何も用意していないのに、よくファンの人はここに来てくれたものだ、と結城が思っていると、ツルカが会場の様子を教えてくれた。

 ……ツルカの話によれば、1STリーグのブースが大盛況だったのはもちろんだが、クライトマンやトライアローにも結構な数のファンが訪れたようだ。むしろ、アール・ブランよりも人が多かったかもしれないらしい。

 しばらくして、ランベルトもブースに戻ってきた。

 ランベルトは出ていった時と同じく手ぶらで、その手は頭の後ろで組まれていた。

 結城はパイプ椅子から立ち上がり、ランベルトに詰め寄る。

「おい、チーム責任者が自分のブース放置してどこ行ってたんだ!?」

 そう言って責めると、ランベルトは頭の後ろにあった手を前方に回し、両手のひらをこちらに向けた。

「そんなに怒るなよ嬢ちゃん……。」

「そりゃ怒るよ。ランベルトがいないせいで諒一は大変だったんだからな。」

 結城は疲れているであろう諒一に目を向ける……が、ブースの入り口にいたはずの諒一はそこにいなかった。

(あれ……?)

 良一の姿を探してブース内部を見渡していると、不意に近くから諒一の声が聞こえてきた。

「結城、……ランベルトさんは1STリーグのチームに挨拶しに行ってたんだ。」

「……挨拶?」

 声のした場所を見ると、諒一がツルカの持ってきた袋の中を漁っている真っ最中だった。

 まるで発掘物を扱うかのような慎重な手つきで、諒一はグッズ達を自分のバッグへと移していく。

 その作業を続けながら、諒一はこちらに説明する。

「……今日みたいに、一斉に全チームが集まる機会は殆ど無い。だからまとめて挨拶したわけだ。」

「なんだ、それならそうと言っておけばよかったのに。」

 適当そうに見えて、こういうところはきちんとしている。腐っても一応はチーム責任者ということらしい。

「それにしても意外だな。挨拶なんて試合前にテキトーに済ませりゃいいのに。」

 結城がそう言うと、ランベルトは慌てた様子で反論してくる。

「余計なこと言うんじゃねーよリョーイチ。俺はなぁ……」

 しかし、その台詞の途中でどこからか着信音が鳴り響き、ランベルトの言葉を遮る。……それは結城の携帯端末から発せられた音だった。

 携帯端末はブースの奥にあるテーブルの上に置かれており、結城はすぐにランベルトから離れてテーブルまで走った。

 そして慌てて携帯端末を手に取り、画面を確認する。

 ……それはセブンからのメッセージだった。

 結城は携帯端末を操作して、そのメッセージを画面に表示させる。

(えーと、『いま到着しました。資料コーナーで待っています。』か……。早く行かないとな。)

 読み終わると、ひとまず結城は携帯端末をテーブルに戻す。

 そして、遠くでこちらを見ているランベルトたちに向けて大きな声で報告する。

「ごめん、用事があったのを思い出した!! ……ちょっとだけ出かける。」

 そう伝えると、結城はランナースーツの胸部プロテクターだけを外し、何か羽織るものを探し始める。

 すると、諒一がこちらに駆け寄ってきた。

「どうしたんだ、結城?」

 説明を求められたが、結城はそれに答える前に諒一から制服の上着を剥ぎとる。

 諒一は大人しく制服を脱ぎ、結城はランナースーツを隠すものを手に入れることができた。

(これで我慢するか……。)

 少し大きめの上着の袖に手を通しながら、結城はようやく諒一の問いに答える。

「……これからセブンに会いに行くんだ。」

「セブン……って、シミュレーションゲームの友達のことか。」

「そうそう。」

 セブンのことを諒一に話したのは随分前のことだが、覚えていたらしい。

 わかっているのならば話は早い。

「じゃ、そういうことだから後はよろしく。」

 上着を着終えると、結城は資料コーナーに向かうべくアリーナの出口に向けて歩き出す。

 しかし、後ろから掛けられた声に結城は足を止めてしまう。

「……ついて行く。」

 ワイシャツ姿の諒一は、こちらが了承する前に、すでに背後にピタリとついてきていた。

 セブンには諒一のことを何度も話しているし、全く問題ないだろうと結城思っていた。

 しかし、一応諒一に確認してみる。

「なんだ、諒一もセブンに会いたいのか?」

「……いや、念のためだ。邪魔ならすぐに帰る。」

 何が念のためなのか分からないが、ついてくることに関しては特に問題は見当たらなかった。

 それどころか、今まで諒一と一緒にいて困った事は一度もないので、拒否する理由もない。

 深く考えるまでもなく、結城は諒一の提案を受け入れることにした。

「じゃあ、一緒に行こう。」

 諒一を見てセブンはどんな反応を見せるだろうか。……そんなことを想像しつつ、諒一を引き連れてそのままブースから出ようとすると、今度はランベルトが説明を求めてきた。

「おい、用事って何の用事だ?」

 結城は適当にはぐらかすつもりだったが、代わりに諒一が的確に説明してしまった。

「友達と会う約束をしているみたいです。ちゃんとついていくので心配いりません。」

 諒一が言うと、ランベルトは納得した様子でそれ以上何も追求してこなかった。

「そうか、じゃあ俺らは片付け終わったらそのまま帰るからな。」

 ツルカもかなり気になる様子でこちらを見ていたが、諒一が“友達と会う”と言ったせいで、ついて行くと邪魔になると理解してか、おとなしく見送ってくれた。

「……ユウキ、また明日な。」

「うん。」

 結城は返事をして、再びアリーナの出口に向けて歩き始めた。

 ……それから数分後

 アリーナから出てすぐ、結城は諒一についてきてもらって正解だったと思い知らされることになった。

 数分前の自分の判断を褒めつつ、結城は諒一に訊く。

「……で、資料コーナーってどこにあるんだ?」

「……。」

 諒一は何も言わず、無表情を保ったまま結城の前を歩き始めた。


  5


 1STリーグスタジアム跡地、ミュージアム内の一室。

 元々は司令室や観戦ルームがあった場所に、資料コーナーは作られている。

 主に、資料は観戦ルームがあった場所に展示されていて、そこには歴代のランナーの名簿や、VFB創設当時の試合の様子がわかる写真や映像が並べられていた。

 写真には無骨な姿をしたVFが多数映っており、コックピットからランナーの体が見え隠れしていた。……ランナーの安全をあまり気にしないで済むほど、当時はそれだけ出力が低かったのだろう。

「ねぇ、諒一。これって……」

 併記されている文字を読むのが面倒だった結城は諒一に説明を求めたが、諒一は諒一で別の資料を見るのに忙しいようだった。

 そんな写真の他にも、古いVFの設計図なども展示されていたため、諒一が興味を惹かれるのも無理もない。

(それにしても遅いなぁ、セブン……。)

 ……諒一に道案内させ、結城は迷うことなく資料コーナーに到着していた。

 しかし、資料コーナーには人っ子ひとりおらず、セブンの姿を確認することが出来なかった。

 何か遅れる理由があるのだろうと思い、結城は資料を眺めてセブンが来るのを待っているといるわけだった。

(メッセージでは『到着した』って書いてあったけど……)

 もうここに来てからかれこれ15分は経っている。

 ここ以外に資料コーナーはないので、セブンが場所を勘違いしている可能性もある。

(ちょっと近くを探してみるか……。)

 留守を諒一に任せて、別の場所を探しに行こうかと思っていると、大きな展示が結城の目に飛び込んできた。

 それは、当時の司令室を再現したもので、中には古めかしい機械などがズラリと並べられていた。

 どうやら、観戦ルームと司令室の間の壁を取り払う形で展示されているようだ。

「へぇ……。」

 結城は司令室という場所に一度も入ったことがないので、それはなかなか興味深かった。

 現在はもっと高性能で小型化された機材を使っているのだろう。何がどんな役目を果たすのかは皆目見当もつかないが、見ているだけでも時間を潰せそうだった。

 その展示は、中に入れないようにガラスで区切られており、そのガラスには資料コーナー側の景色が半透明に映っていた。

 ……と、その中で何かが動いた。

「……?」

 ガラスに映った諒一が動いたのかと思ったが、諒一は資料とにらめっこを続けており、違うようだった。

(気のせいか……。)

 と、思ったのもつかの間、再び司令室の中で何かが動く。

 その違和感を感じた場所を目を凝らしてよく見ていると、不意に男の声が聞こえてきた。

「……やはり彼氏君を連れてきたね。この方法にして正解だったよ。」

 その声は資料コーナーの一角から発せられていた。

 声のした方向に目を向けると、そこには旧型の無線機があった。

 それは展示物だったが、明らかに録音された声などではなかった。たしかに今、誰かがこちらに向けて話しかけているのだ。

 手に収まるタイプのそれは、元々ペアで展示されていたらしく、隣には無線機1つ分の隙間が不自然に空いていた。

 どうやら、もう片方を使ってこちらに話しかけているらしい。

 その旧型の無線機を見つめていると、再びそれから男の声が発せられる。

「……遅れて悪かったね。直接話したいところだけど、今日のところはコレで我慢してくれるかな?」

 結城は“触らないでください”と書かれた注意書きを無視して、それを手にとって返事する。

「誰だ!? 勝手に展示物を使うなんて、イタズラにしては度が過ぎてるぞ!!」

 半ば叫ぶように言うと、それに呼応するように司令室の中に無線機を持った男が出現した。

 さっき感じていた違和感はこの男のせいだったようだ。

 急に姿を現した男はガラス越しに手を振り、こちらににこやかな笑顔を見せていた。

(……ふざけてるのか!? ……というか、どうやってあの中に入ったんだ……。)

 本来の入り口は封鎖されているし、ガラスを取り外すにしても数人がかりでないと不可能だ。

 その場所に入った手段はともかく、すぐにその男の場所まで行くことはできないのは自明だった。

 ……そして、言うまでもなくその場所は立ち入り禁止だ。

 結城はそのふざけた男を引きずり出すべく、その顔がよく見える位置まで近づく。

 近づくに連れ段々と輪郭がはっきりとしていき、2メートルくらいの位置まで来ると、その顔に見覚えがあることに気がついた。

「お前は……あの時の!!?」

 軽くウェーブの掛かった黒い髪、薄気味の悪い笑み、そしてねっとりとした喋り方……忘れるはずもない。

 5年前、日本のスタジアムで私にひどい事を言ってきた、あの青年に間違いなかった。

 遅れて司令室の前までやって来た諒一も、その男に見覚えがあったらしい。珍しく目を見開いて、驚いた様子を見せていた。

 そんなこちらの反応を見て、男は更に嬉しそうに笑う。

「あれ、覚えててくれたんだ。感激だなぁ……嬉しいよ結城君。」

 思えば、こいつのせいでだいぶ落ち込んだものだ。……そのお陰で逆に“見返してやる”という気持ちが湧き、ここまで来ることができたのかもしれない。

 ……しかし、それは結果論だ。

 過去に受けた屈辱は、まだ結城の中にしっかりと残っており、例え土下座されても簡単に消えそうになかった。

「あの時はよくも『才能がない』なんて言ってくれたな!!」

「そんな事言ったっけ?」

 男はすぐにとぼけたフリをして、無線機のアンテナ部分で頭を掻いてみせた。

「こいつ……!!」

 男の態度を見て、頭にきた結城は拳の底でガラスを何度も叩く。

 すると、すぐに無線機から男の謝罪の声が聞こえてきた。

「ごめんごめん、……あの時は挑発するのがいい方法だと思ったんだよ。実際、やる気が出ただろう?」

「それは……。」

 それに関しては本当のことだったので、結城は言い返すことができなかった。

 しかし、このまま引き下がるのも癪だったので、結城は別のことで言い返すことができないか考える。

 ……と、考えている途中で結城は重要なことを思い出した。

「そうだ……セブンはどうした!!」

 すっかり忘れていた。

 結城の携帯端末にメッセージが届いてから優に数十分は経過している。

 もしかして、この男がセブンに何かをしたのだろうか。

 それを問いただそうとした時、無線機からセブンの声が聞こえてきた。

「『私ならここにいますよ、ユウキ。』」

 声はセブンそのものだったが、無線機を握っているのはその男だった。別の場所から通信してきているのかと勘違いしそうになったが、男の口元に装着された機械を見てそれが間違いだということが分かった。

 ……口元にある装置、それは、俗に言うボイスチェンジャーだった。

「ふざけるな!!」

 どこまでこちらをからかうつもりなのだろうか、いい加減堪忍袋の緒が切れそうだ。

(セブンのモノマネまでして……って、あれ? どうしてコイツがセブンのことを……。)

 それに気づいた結城が、真実を知るまでそう時間はかからなかった。

 信じがたい真実に、結城はそれを何度も否定したが、あらゆる条件やこの状況が全てを物語っていた。

「『ふざけてなんかいません。私が……いえ、』……僕がセブンだったんだよ。」

「……まさか、そんな……。」


 そんなはずはない。


 セブンは私の友達で、VFの操作方法を手取り足取り教えてくれた優しい女性なはずだ。

 ガールズトークもしたし、恋愛についても何度も話した。……あれが、あのセブンが、こんな薄気味悪い男であるはずがない……。

 セブンはおっとりした美人の女性だ。

 そうでなければならない。

 そうでないと駄目なのだ。

「いや、……嫌だ……そんなの嫌だ……。」

「結城……おちつけ。」

 混乱しかけた私に、諒一が声をかけてくれた。

 ……5年間だ。

 5年間も私はこの男に騙され続けていたのだ。

 そう思うと気分が悪くなってきた。吐き気までしてくる。……何を信じればいいのだろうかさえわからなくなりそうだ。

 結城は諒一の手を両手で握り、必死で気持ちを落ち着けようと努力していた。

 だが、男は追い打ちをかけるように言葉を続ける。

「彼氏君は気付いてたようだね。……でも気付くのが遅すぎたみたいだ。……この5年間、なかなか楽しかったよ……『ユウキ』。」

「うっ……。」

 耐えられなくなり、結城は男から目を逸した。

 同時に男の笑い声が無線機から、そしてガラス越しにも聞こえてきた。

「フフ……ハハハハ!!」

 その狂気じみた嗤いは、何十秒も続いた。

「イヒ、イヒヒヒ……ハハハ……。」

 それは、5年間貯め続けた何かを一気に放出したような、子供が聞けば一生のトラウマになるほど不気味な嗤いだった。

 その間、結城の脳裏にはセブンとの思い出が浮かんでいた。

 楽しい会話も、ドキドキするような対戦もあった。

 ……しかし、あれは全部作りものだったのだ。

(駄目だ……頭がおかしくなりそうだ……。)

 結城は必死にその事実を受け止めようと努力する。

 ……ようやく男の笑い声が収まったかと思うと、今度はそれ以上の衝撃が待ち構えていた。

「すみません、結城君……。」

「鹿住さん!?」

 すぐに結城は懐かしい声に反応し、顔を上げる。 

 すると鹿住さんの姿があった。鹿住さんは相変わらずフード付きの白衣を着ていて、漆のような色をした髪もちゃんと手入れができているみたいで、艶々としている。

 ……だが、立っていたのは資料コーナー側ではなく、司令室の中……その男の隣だった。

 結城にはそれが全く理解できず、ガラスに張り付いて説明を求める。

「か、鹿住さん? なんでそんな奴と一緒に……」

 鹿住さんは伏し目がちにそれに答える。

 その声は男の時と同様、無線機から聞こえてきた。

「……この間話しましたよね、学生の時、私のために色々と都合をつけてくれた人がいる、と。」

 そう言ったまま鹿住さんは黙ってしまった。

 ……それが何を意味するのか、結城はすぐに分かってしまう。

「まさか、あの時言ってたパトロンって……」

「ごめんなさい、結城君、それに諒一君。……私はあなた達を騙していました。でも私は聞いてしまったんです。過去、何があったのか、そしてVFBで起こった信じられない事件を……。」

「過去……事件……?」

 鹿住の話を聞き、結城はトライアローのハンガーで起きた事件のことを思い出す。

 あの時は、鹿住さんが何故あんな事をしたのか不思議に思っていたが、この男の存在がその疑問を解決してくれた。

「鹿住さんに妨害工作するように指示したのは……お前だったのか!!」

 男に向けて指さすと、男は隠す様子もなく満足気に頷いた。

「妨害工作……鹿住さんが……?」

 諒一は驚きの表情で鹿住さんを見ていた。

 諒一には鹿住さんがやったことを言ってなかったので、このことは寝耳に水だっただろう。

 ……とにかく、この男が全ての元凶だと考えると全て説明がつく。

 やはり鹿住さんがあんな大それた事をするはずがないのだ。

 鹿住への疑念が晴れ、同時に結城は鹿住にそんなことをさせた男に怒りを感じた。

「許さないぞ卑怯者!!」

「卑怯者だなんて……暴言は良くないな、結城君。僕がヘクトメイルの腕を破壊していなければ、君は負けていたんだよ? ……それに、あれだけアール・ブランに援助してきたんだ。礼くらい言って欲しいよ。」

「誰がお前なんかに……」

 反射的に言い返そうとしたが、その前に結城の頭にある言葉が引っ掛かった。

(援助……?)

 確かアール・ブランは日本VF事業連合会から資金面と技術面で援助を受けていたはずだ。

(……そうか、鹿住さんは日本VF事業連合会から派遣されたんだった……。ということは、この男はその関係者なのか……?)

 一体この男は何者で、何を企んでいるのだろう。

 5年前のことといい、セブンのことといい、全くつかみ所のない男だ。

 ……そんな得体の知れない男に、これ以上鹿住さんを好きにさせるつもりはない。

「鹿住さん!! そんな奴ほっといて戻ってきてよ!!」

 あんな男の援助なんかなくても、鹿住さんなら大丈夫なはずだ。

 これまでみたいにアール・ブランのメンバーとしてうまくやっていけるはずなのだ。

「……。」

 しかし、鹿住さんは俯いたまま返事をしない。……それだけ、この男の束縛が強いのだろう。

 結城はもう一度鹿住に呼びかける。

「鹿住さん!!」

 これだけ呼んでも、鹿住さんは反応してくれない。 

 しかし、結城は諦めず何度も名前を呼ぶ。

「鹿住さ……」

 何度目か、名前を呼んだ時、ようやく鹿住さんは無線機を手に取り、こちらの呼びかけに応えてくれた。

「残念ですが、ここでお別れです。結城君。」

「もしかして、もう会えないのか?」

「……その通りです。」

 言っている内容とは裏腹に、鹿住さんのその声には後悔の色が見えた。

 どうやら自分の意志で言っているのではないようだ。……それが分かっただけでも、結城はほっとした。

 結城は引き続き、説得を続ける。

「ねぇ鹿住さん、……別に今まで通りでいいじゃないか。私はもう全然怒ってもないし鹿住さんがどこで何してても関係ない。ただ、アール・ブランに居てくれるだけで……」

「もう無理なんです。こうなってしまっては元通りにはならないんです。」

「そんな……。」

 本音でないにしろ、その決意は本物だった。

 しかし、説得し続けた効果はあったようで、鹿住さんの表情に変化が見られた。

「結城君はズルイです。そうやって優しく引きとめようとして……。気持ちが揺らいでしまうじゃありませんか……。」

 結城はそれを聞いて、自分の努力が実ったことを悟った。

(やっぱり鹿住さんはアール・ブランから離れたくないんだ……。)

 そして結城は、鹿住がこちらの期待するような返事をくれると確信していた。

 ……鹿住さんは左右に視線を何度も往復させた後、意を決したように無線機を口元に持っていく。

「……わかりました。私と結城君は仲間です。ずっとアール・ブランにいましょう。」

「ありがとう、鹿住さ……」

 やったと思ったのも束の間、こちらの言葉を遮って冷たい言葉が鹿住さんによって浴びせられる。


「――とでも言って欲しかったんですか?」


「え?」

 今、なんと言ったのか。

 聞き間違いかと思い、とっさに結城は鹿住の顔を見る。

 だが、それは聞き間違いでも幻聴でもなかったらしい。

 それを証明するかのように、結城が見ている前で鹿住は態度を豹変させ、だるそうな表情をして自分の肩を叩き始めた。

「はぁ、お友達ごっこは楽しかったでしょうね。こっちはいい迷惑でしたよ。……さすがに演技するのも疲れました。」

「……!?」

 鹿住のあまりの変わりっぷりに、結城は声を出すことができないほど驚いていた。

 そんな刺々しい鹿住のセリフはまだまだ続く。

「……これで結城君の顔を見ないで済むようになると思うとせいせいします。……結城君の話し相手になるのは、かなりのストレスでしたよ。諒一君もよく耐えたものです。」

「あ……」

 これが鹿住さんの本音だったのか?

 今までのは全部演技……?

 じゃあ、私が考えているような『鹿住さん』は存在しない?

 いろんなことが一瞬で頭をよぎったが、結城は結局何も言えなかった。

 そんな固まったままの状態の私に、鹿住さんは別れを告げる。

「さようなら……結城君。」

 そう言い捨てると、鹿住さんは無線機を隣の男に渡し、完全に背を向けてしまった。

 無線機を受け取った男は思い出したように付け足して言う。

「あ、あとこれからは、日本VF事業連合会からの資金援助と技術協力は無しだ。……でもアカネスミレだけは残してあげるから安心するといい。……そもそも今日はそれを伝えに来たんだったよ。……じゃあね。」

 その言葉を最後に、男は無線機を司令室内の機材の上に置いた。

 そして、中央にある机の上に登ったかと思うと、天井に向けてジャンプした。

 よく見ると天井のパネルが一部剥がされており、人が通れるほどの隙間ができていた。

 男はその隙間にするりと入り天井裏に登ると、下で待機している鹿住さんに向けて手を伸ばす。

 鹿住さんがその手を両手で握ると、男は鹿住さんを天井に引き上げた。

 ……2人はものの10秒ほどで完全に姿を消してしまった。

 追いかけようにも司令室は立入禁止で、元々の出入り口は鍵がかけられているため追跡は不可能だった。

 そのため、結城は唖然としてその様子を眺めていることしかできなかった。

 今まで黙って話を聞いていた諒一は、2人が消えた隙間を見上げて冷静に分析する。

「通気口だ。通路沿いに設置されているはずだから、あの2人が途中で通路に出てくる可能性は高い。……他に天井に開いてる場所がないか探そう、結城。」

「あ……うん……。」

 結城は諒一の提案に対し、虚ろな表情で返事をした。

 現在、結城は諒一に言われたことの半分も頭に入ってこない状態だった。

「結城、追うぞ。」

 もう一度諒一に言われたが、結城は資料コーナーから出るつもりはなく、司令室展示のガラス窓に手をついたまま動かなかった。

「……もういいんだ。鹿住さんもああ言ってたし……追いかける理由なんて無い。」

 まさか、鹿住さんが私のことをあんなふうに思っていたとは、想像もしていなかった。

 そんな素振りなど全く見られなかったからだ。

 ……それとも、それに気付かないくらい私は他人に対して鈍感なのだろうか……それならば嫌われてしまった理由もわかる気がする。

 鹿住の本音を知ったことにより、結城は、他のメンバーが自分のことをどう思っているのか気になり始める。

(……もしかして、鹿住さんみたいにツルカやランベルトも私のことを……?)

 そんなはずはない……とは言い切れない。

 私というVFランナーが必要だからランベルトは我慢しているのかもしれない。

 ツルカも、毎日のように抱きついてきているが、それはオルネラさんの代わりであって、本当は私のことをあまり快く思っていないかもしれない。

(……まさか、な。)

 結城はその可能性を否定するも、一度考えてしまったイメージははそう簡単に払拭できそうになかった。

 ……こうなると、信じられるのは幼馴染の諒一だけだ。

 その諒一は資料コーナーの出口付近でこちらを手招きしていた。

「結城、早く追おう。……鹿住さんはともかくあの男は……」

 追うつもりはないと言ったのに、どうしても諒一は追いかけたいらしい。

 他のことを考えるので忙しかった結城は、つい強めの口調を諒一に向けて放ってしまう。

「うるさいな、諒一が1人でいけばいいだろ!!」

 ……こんな事を言っても、どうせ手を引っ張られるのだろうな、と結城は思っていたが、

「わかった。」

 意外にも、諒一はそれをあっさりと受け入れた。

(あれ? ……諒一?)

 そして、すぐに資料コーナーから出て行ってしまった。

 とうとう諒一にも置いていかれ、結城は、誰も居なくなった部屋の中でネガティブな思考に囚われ始める。

 もしかして……もしかしたら、実は諒一も私のことが嫌いなのではないだろうか。

「だって、いつもなら……」

 いつもならば、強引にでもこちらの手をとって一緒に行動させるはずだ。

(まさか、ただの思い過ごしだよな……。)

 ……そんなことをモヤモヤと考えていると、再び資料コーナーのドアが空いて諒一が帰ってきた。

「すぐ近くの通路の天井に隙間があった。……もう逃げられたみたいだ。」

「そう……なんだ。」

 帰ってきたということは、もう追跡を諦めたということだろう。

 これも、私がグズグズしていたせいだ。……きっと、心のなかでは私を責めているに違いない。

「……どうした、結城。」

「何でそのまま追いかけなかったんだ? スタジアムの出口に先回りすれば捕まえられたかもしれないのに……。」

 その質問のお陰で、結城は諒一の本音を知ることとなる。

「いや、それよりも結城が心配だった。……気分はどうだ?」

 やっぱり、ただの思い過ごしだったようだ。

 結城は普通に返事をする。

「うん。平気。」

 いつもならばそれを普通に捉えるのだが、今の結城にはそんな諒一の些細な気遣いでさえも有難く感じられた。

 しかし、それだけでは満足できなかったのか、結城は自分でも思いもよらぬことを諒一に訊いてしまう。

「諒一は、……私のことは嫌いじゃないよな?」

 ただ単に、嫌われていないか確認するために言ったはずなのだが、言ってしまった後で、結城はそれが告白まがいのセリフにも聞こえるいうことに気がついた。

(しまった……。)

 結城はベタベタな失敗に、思わず赤面してしまう。

(……でも、諒一のことだから気付かず普通に答えるだろうな……。)

 結城はすぐに考えを改め、先ほどのセリフを特に訂正することはなかった。

 しかし、結城が顔を赤くしてしまったこともあり、諒一はそれを恥じらいによるものだと見事に勘違いしていた。

 ……無表情だった顔が一瞬だけ崩れ、諒一は狼狽えているようだった。

「結城、いきなり何を……」

 と、ここで結城の携帯端末が鳴り響いた。

 結城は会話を中断して、すぐに画面を確認する。

 ……それはリュリュからの着信だった。

 リオネルがいるのでVFBフェスティバルに出られるわけもなく、今は鹿住さんの部屋で大人しくしているはずだ。

(なんだろう……)

 特に考えることなく、結城はそれに応答した。

「どうしたんだ?」 

「いきなりですみませんが、アリーナに戻ってきてください。」

「アリーナ? 今ここに来てるのか?」

「説明は後でします。とにかく急用なんです。」

 詳しいことは分からないが、何やら切羽詰っているらしい。

 しかし、心なしか、急用の割にはリュリュの喋り方はひそひそとしており、これといって緊急性は感じられない。

 アリーナに戻ることに問題はなかったが、理由が気になったので結城は少しだけ話を聞いてみることにした。

「急用って…… 誰か怪我でもしたのか。」

 質問してみると、リュリュは更に小さな声で事情を話してきた。

「いえ、違います。……あとで詳しく説明しますけれど、ここで概要だけ言っておきます。」

 通話しているので、声を小さくしても意味が無いと思ったが、そのリュリュの安直な考え方を可愛いと思った結城は、そのことを特に指摘しなかった。

 ……そして、まもなくその概要が携帯端末のスピーカーを通じて知らされる。

「鹿住さんにウィルスを作らせた人物が分かったんです。」

「何でそのことを……」

 思わず口に出して言ってしまった。

 これで、こちらがそのことを知っていたとバレてしまったが、リュリュはそれも分かっていたようだった。

「やっぱり知っていたんですね……。とにかく早くアリーナに、その人物がここに来ている可能性があるんです。」

 これを聞いて、結城は確信した。

(やっぱり、あの男のことだな……。)

 名前も分からぬあの男……一体何者なんだろうか……。

 自分の身に起きたことを通話で説明すると長くなりそうだったので、とにかく、結城はアリーナに向かうことにした。


  6


 アリーナまで戻ると、出ていった時とはうってかわり、殆ど人の姿が見られなかった。

 明日も明後日もフェスティバルは続くのだ。

 みんな体力を温存するべく、早めに宿に戻ったのだろう。

 結城達は静かなアリーナの中を走り、すぐにアール・ブランのブースに戻った。

 他のチーム同様、ブースを仕切る壁は残っていたが、それ以外のもの……VFやイスや机など……は綺麗に撤去されていた。

 そして、ランベルトやツルカの姿もなかった。……宣言した通り、先に帰ってしまったようだ。

 代わりに、綺麗さっぱりとしたブース内にはリュリュがいた。

 また、その背後にはリュリュの兄、リオネル・クライトマンの姿があった。

(リュリュ、見つけられちゃったのか……。)

 元々、リュリュはリオネルの目を避けるためにアール・ブランに来ていたのだ。

 それなのに、こんな場所に来れば発見されても仕方がない。

 ……クライトマン兄妹はブースの入り口付近に立っており、こちらの姿を確認するとブースから出てきて出迎えてくれた。

 リオネルは高価そうな白のコートに身を包んでおり、それとこちらの格好を見比べるような仕草をしてから話しかけてきた。

「よう、素人学生。なんとも破滅的ななファッションセンスだな。」

 挨拶もなしに、のっけからランナースーツの上に制服の上着を羽織っていることを馬鹿にされた結城だったが、気にすることなくリュリュについて話す。

「なぁリオネル、リュリュのことはあんまり怒らないでやってくれよ?」

 リオネルはこちらの話を聞いて「ん?」と不思議そうな顔をしていたが、すぐに「あぁ……。」と納得したような表情に変化した。

「なんだ、そのことか。……リュリュ、説明してやれ。」

(そのこと、ってなんのことだ……?)

 何を説明するのだろうかと思っていると、すぐにリオネルに言われた通り、リュリュが説明し始めた。

「お二人ともすみません。 ……実は、私がアール・ブランに来たのは、カズミ様を調べるためだったのです。」

「!?」

 意外な事実に結城は驚きを隠せなかった。

 思いもよらぬことを聞き、結城は確認するようにリュリュに訊き返す。

「え? じゃあ喧嘩がどうとかは全部ウソ?」

「はい。私がお兄様と喧嘩するなんてあり得ません。」

 なら、リュリュの事を必死に探していたリオネルも、リオネルの態度に関して憤慨していたリュリュも、それらが全て演技だったということになる。

 なんとまあ演技派な兄妹である。

 こちらが唖然と言うよりはむしろ感心していると、諒一が調書を取るかのような口調でリュリュに問いかける。

「鹿住さんの部屋に入りたがっていたのも、色々調べるためだったのか。……しかし、なんで鹿住さんを調べようと?」

 これは結城も気になっていた。

 トライアローのハンガーに侵入した以外は、鹿住さんは何もしていないはずだ。それとも、他に鹿住さんを疑う要因でもあったのだろうか。

 リュリュはリオネルの顔をちらりと見てから、言葉を選ぶように慎重に説明し始める。

「以前、タカノ様にはプライベートビーチでもお話ししましたが、あの後、私とお兄様はダークガルムの件で独自に調査を進めていたのです。……そこでカズミ様が浮上してきたというわけです。」

 続いて、リュリュの説明を引き継ぐように、リオネルが付け加えて言う。

「リュリュが調べている間、カズミはやらかしてくれたようだ。……ヘクトメイルの腕が取れたのは、整備不良でも何でもない……まさか、ビギナーズラックで勝てたとは思っていないよな?」

「分かってる。あれは意図的に壊されてた。……でも、あれは鹿住さんのせいじゃないはずだぞ。」

 諒一は、鹿住さんの妨害工作のことはともかく、ヘクトメイルの両腕が意図的に破壊されたという事実を初めて知ったようで、黙ったまま口元に手を当てていた。

 どうやらその時の事を思い出して、自分なりに検証しているのだろう。

「やはり、タカノ様は……カズミ様の不正行為を知っていたのですね。」

 リュリュに訊かれて、結城は正直に答える。

「うん。」

 短く答えると、リュリュは“やはり”といった表情をしてその理由を話した。

「……カズミ様の部屋に行った時、玄関でデータカードを眺めるタカノ様の反応を見て、薄々は気づいていました。……この事件のことを知っていると。」

「……。」

 そこまでデータカードを注意深く見ていたつもりはなかったのだが、傍から見ればバレバレだったらしい。

 鹿住さんのためを思ってみんなには黙っていたが、それは間違った選択だったのかもしれない。

 結城がそんなことを思っていると、リオネルも同じようなことを言ってきた。

「何で黙ってたんだ? 貴様がちゃんと報告していればヘクトメイルの破損は事前に防げたかもしれなかったんだぞ。 ……やはり、勝ちが欲しかったんだな?」

「違う。ただ、私は鹿住さんのことを信じてたんだ……。それに、実際鹿住さんは何もやってない。それはそっちもよく分かってるはずだ。」

「……そうだな。」

 これ以上不毛な言い合いをするつもりはないらしく、リオネルは特に何も言い返してくることなく、話題を変えた。

「それは別にいい。……で、その真犯人っていうのが……」

 リオネルは手のひらを上にむけて、横で待機しているリュリュに向けて差し出した。

 すると、リュリュは準備していたらしい物をリオネルに手渡した。

 ……それは一枚の写真だった。

 そして、リオネルはそれをこちらに渡してきた。

 リオネルは写真を人差指と中指で挟んでおり、結城はその持ち方に関して突っ込みたくなったが、その気持を押さえて素直に写真を受け取った。

 渡し終えると、リオネルは「そいつだ。」と言って腕を組んだ。

 写真には、予想通りとまでは行かないものの、想定の範囲内の人物の姿が映っていた。

(やっぱりこいつだったのか……。)

 ……それは、十数分ほど前に資料コーナーで見た顔だった。

「さっき、この男に会ったぞ……。」

 こちらがそう言ってから5秒間だけ間が空き、そのあとすぐにリオネルが確かめるように話しかけてきた。

「何!? ほんとか?」

「鹿住さんと一緒にいたし、間違い無いと思う。」

 “カズミ”ときいて、リュリュも反応を見せた。

「カズミ様もいたのですか……。それでは、私が連絡した時も……?」

「いや、その時はもう逃げられた後だった。」

 逃げられた、と言うよりは逃がしてしまったと言ったほうが的確かもしれない。

 あの男は私がショックを受けて落ち込むことも分かっていたのだ。

 ゲーム内とは言え、5年間もセブンとして私と付き合っていたのだ。こちらの性格や思考はほとんど把握されているに違いない。

 リオネルはと言うと、今にもアリーナから出てていきそうに浮き足立っていた。

「あいつは貴様に会うためにここに来たのか……で、どこで会った!? どこに逃げた!?」

 結城は、何故そこまでリオネルがあの男のことが気にしているのか、その理由がわからなかった。

 しかし、クールなキャラを売りにしているリオネルをここまで興奮させているのだから、この写真の男はよほどの恨みを買っているのだろう。

 会った場所はともかく、どこに逃げたかなどは全く分からない。

 適当に答えるわけにもいかず、結城は首を左右に振った。

「どこに行ったのかは知らない。行き先ならそっちのほうが詳しく知ってるんじゃないか。」 

 話題がその男の逃げた場所に移る一方で、諒一だけはその会話に参加することなく、一人で悩ましい表情を浮かべていた。

 結城は一人で悩む諒一に声をかけてみる。

「なにか思いついたのか、諒一?」

 諒一は写真を見て、悩んでいたようだ。

 その写真をリオネルとリュリュに返しながら、諒一は質問する。

「……行き先よりも先に、この写真の人がどこの誰なのかを教えてくれませんか? どこかで見た記憶があるんですが。」

 写真は男の顔を正面から撮ったもので、証明写真かとも思われたが、それにしては服装がラフすぎるように思える。

 元々小さい画像を手のひらサイズまで拡大したような感じだった。

 名前を教えることをすっかり忘れていたのか、リオネルは咳払いをしてそのことをごまかした。

「そうだった。大事なことを忘れていたな。……リュリュ、教えてやれ。」

 ――名前くらいすぐ言えるだろう。

 と思ったが、それを言うと余計に時間がかかりそうだったので結城は余計なことは何も言わず、大人しくしていた。

 やがて再び、リオネルに命令されたリュリュが前置きを言い始める。

「カズミ様の肩書きは『日本VF事業連合会所属技師』ですが、先程も言った通り、詳しく調査した所、ダークガルムから派遣されていただけでした。……そして、彼女を調べるうちにある人物が浮かび上がってきたんです。ちなみにこの調査は……」

「いいから早く教えてくれ。」

 待ちきれなかった結城がそう言うと、リュリュは説明をすっ飛ばしてその名前を口にした。

「その男の名は……『七宮宗生しちのみやそうき』です。」

(七宮……宗生か。)

 舌を噛みそうな苗字である。

 その名前を聞いて合点がいったらしく、諒一は自分の手のひらを拳で強く叩いた。

「あの人が……!!」

「知ってるのか? 諒一。」

 なにか知っているのかと思い、結城は諒一から何気なく聞き出してみる。

「……数年前まで1STリーグで活躍していたVFランナーで、唯一イクセルさんとやり合えた、数少ないランナーだ。……どうしてさっき会った時に……いや、5年前に気付かなかったんだ……。」

「1STリーグの!?」

 結城は自分の耳を疑ったが、諒一が言うのだから間違い無いだろう。

 それを証明するかのように、リオネルもリュリュも頷いてそれを肯定していた。

(どうりでゲーム内でも強かったわけだ……。)

 イクセルと張り合っていいたのならばセブンのあの強さも納得できる。

 ……むしろ、それを鑑みると、ゲーム内ではあれでも手加減していたのかもしれない。

(五年前の厭味ったらしい男は、実はセブンって名前のネカマで、しかも日本VF事業連合会の関係者の上、元1STリーグのVFランナー……なんか、めちゃくちゃな奴だな……。)

 男の正体がわかった所で、とうとうリオネルが七宮を追うべく移動し始めた。

 それを慌ててリュリュが引き止める。

「お兄様、どこに行くつもりですか?」

「とりあえず外に出る。どこに行くとしても必ずターミナルを経由する必要があるからな。……ここからターミナルまで距離があるし、まだ間に合うはずだ。」

 結城には、ターミナルへの先回りはいい作戦のように思えたが、リュリュはそう思っていないらしい。

「いえ……この際、追いかけるよりも先に、あの件を委員会に報告しましょう。」

「駄目だ、直接問いただす。そうでないとオレの気が済まない。……それに、呑気にしていたら、委員会が調査を始める前に証拠も全て消されてしまう。」

 証拠を消す具体的な方法は解らないが、リオネルの言い方だとすぐに消してしまえるようだ。

 それに関してもリュリュは反論する、

「確かに、証拠となるデータや記録は全て消されるかもしれません。でも、こちらにはこれがあります。」

 リュリュが懐から取り出したそれは、あの時鹿住さんが持っていたデータカードだった。

「それは……!!」

 確かあれはフォシュタルさんに取り上げられたはずなのだが……

 結城が詳しいことを聞こうとすると、それよりも先にリュリュがそのわけを話してくれた。

「フォシュタル様もこの件の黒幕を知りたがっていましたから、……快く提供してくれたんです。」

(いったいいつの間に……)

 トライアローと面識がある辺り、流石はクライトマンである。

 おまけに、証拠品を受け渡してくれるくらい信用もあるらしい。

 ……それが何なのかを理解したリオネルは態度を急変させ、手放しでリュリュを褒める。

「よくやったぞ、リュリュ。」

 兄に褒められて調子に乗ったリュリュは、得意げにデータカードを掲げて今後の計画を知らせてくれた。

「このウィルス入のデータカードをVFB委員会に提出すれば、委員会はカズミ様のことを詳しく調査する筈です。そうなれば、芋づる式に七宮を追い詰めることができると思います。」

 その計画を聞くと、うまく行きそうな気がしてきた。

 それは結城だけでなくその場にいる全員が思っていたようで、諒一もリオネルも異議を唱えることはなかった。

「よし、そういう事なら善は急げだ。早速……」

 今後の方向性が決まり、リオネルが音頭を取ろうとした瞬間……いきなり、リュリュの手にあったデータカードが弾け飛んだ。

 それは“落とす”や“吹き飛ぶ”といった生やさしい感じではない。

 文字通りにバラバラになって四散したのだ。

「!!」

 結城が見ている前で、リュリュはとっさに手を抱えてその場にしゃがみこんだ。

「リュリュ!!」

 すぐさまリオネルがリュリュのもとに駆け寄り、手の様子を診る。

 結城も少し遅れてリュリュの近くに寄っていったが、見る限り、赤い色の液体はどこにも見当たらず、外傷は免れたようだった。

 だが、かなり痛むようで、リュリュの体は小刻みに震え、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 そして手の動きは……特に指はほとんど動いていなかった。

 それでも、リュリュは気丈に状況を確認しようとする。

「私は平気です、衝撃で痺れているだけでどこも怪我はしていません。それよりデータカードは……」

 データカードの状態を知るためにこちらに向けて質問してきたが、リュリュはその言葉の途中でバラバラに成ったデータカードを見つけてしまい、それ以上、何も言うことはなかった。

(いきなり何だったんだ……。カードが勝手に破裂するだなんて……)

 方法はどうであれ、これも七宮がやったことに間違いない。

 ……証拠を消すために、予めなにかカード内に仕込んでいたのだろうか……。

 不思議な現象を目の当たりにして、諒一もリオネルも驚きを隠せない様子だった。

 結城も同じように、不可解に思いながら地面に散乱したカードの破片を見ていたが、その中にデータカードを破壊した“モノ”を発見してしまった。

(これは……?)

 破片の集団に混じり、地面に小さな穴があいていたのだ。

 ……そして、それはVFBでもよく見る銃弾の跡にそっくりだった。

(狙撃だ……。)

 おそらく銃か何かでデータカードを撃ちぬいたのだろう。

 しかし、周囲に人影は見当たらない。つまり、かなり遠方から狙ってきたことになる。

 考えられる場所としては、アリーナを囲んでいる元観客席かミュージアムの管理ビルが挙げられるだろう。おまけにブースを区切るための高い壁があるため、自然と相手の位置も限られてくる。

「ビルの上か……」

 そこ意外考えられなかった。

 こちらの言葉を聞いて、ようやく他の3人は狙撃されたということに気づいたようで、リオネルは早速ビルに向けて走り始めた。

「待ってくださいお兄様!! 危険です!!」

 相手は銃を持っている。しかも、あんなに遠い場所から手のひらサイズのデータカードを撃ち抜ける腕前だ。

 危険どころではない、下手をすれば命が危ない。

 しかし、リュリュが引き止めても、リオネルは足をとめることなく、その制止を無視して走り去っていってしまう。

「……。」

 何故か、諒一もリオネルに続いて行こうとした。

「じゃあ私も……」

 当然のように結城もそれに付いて行こうとしたが、走りだした所で道を諒一に阻まれてしまった。

「駄目だ。結城はここで待っていてくれ。」

 諒一が自分を止める理由は分かりきっていたが、結城は敢えて訊いてみる。

「……なんでだ?」 

 そんな質問をこちらがすると思っていなかったのか、諒一は面食らいながらも律儀に答えてくれた。

「危険だからだ。……だから、結城はここでリュリュの手当をして……」

 諒一が答えている途中で、リュリュが押し問答しているこちらに向けて訴えかけてくる。

「私は大丈夫です。それよりもお兄様をよろしくお願いします。」

 健気な妹にお願いされておいて、ここでじっとしているわけにはいかなかった。

「すぐに戻るから、そこで大人しくしてるんだぞ!!」

 結城はそう言うと、諒一の警告を無視してリオネルの後を追い始めた。

 背後にリュリュの「わかりました」という返事を聞きつつ、結城は再びミュージアム管理ビルの中へ入っていった。


  7


 ミュージアムの管理ビル。その上層の階のとある部屋。

 ……鹿住はそこにいた。

 その部屋はアリーナ側に面しており、もう夕方過ぎだというのに、少し大きめの窓からはアリーナの様子がよく観察できた。

(なかなかの壮観ですね……。)

 元々何のための部屋だったかはわからない。

 見晴らしがいいことを考えると、観戦目的に作られた部屋なのかもしれない。

 内装をよく見れば判断できるかもしれないが、現在部屋の中は暗く保たれていた。

(まぁ、暗いのは仕方ありませんよね。)

 部屋を暗くしているのには理由がある。

 ……アリーナ側からこちらの存在を気付かれないようにするためだ。

 何故気付かれてはならないのか、その理由も簡単なものだった。

「すぅ……はぁ……」

 その部屋の中から、アリーナに向けて狙撃するためである。

 狙撃するために必要なライフル銃は窓際に固定されていた。

 その銃は少々変わったデザインをしており、所々が角張った直線的な銃だった。銃身はそこそこ長く、その角張った銃身の先には円筒状の物体が装着されていて、さらに銃身を伸ばしていた。

 それは、VFBの銃器では全く意味をなさないが、人が使うような普通の銃器であれば役に立つ装置……いわいる消音装置というものだった。

 こと、こういう場面においては絶大な効果を得られるだろう。

「すぅ……はぁ……」

 そして、最も狙撃に必要なものである狙撃手も変わった人物だった。

(まさかこの人をスカウトしていただなんて……思ってもいませんでした。)

 その人物とは、E4の女性ランナーの『ミリアストラ』だった。

 こんな人物まで巻き込むとは考えてもいなかったので、七宮さんから紹介された時は心臓が止まりそうになったものだ。

 そのミリアストラは先程から規則的な呼吸を行なっており、準備万端なようだった。

「…………。」

 そう思ったのも束の間、息を吐ききった所でいきなりミリアストラの呼吸が止まった。

 そして、間を置くことなくミリアストラはトリガーを引いた。

 音もなく弾丸は発射され、部屋には薬莢が地面に落ちた時に立てた軽い金属音だけが響いた。

(弾は……)

 鹿住は急いで手に持っていた双眼鏡を目に当て、アリーナの様子をみる。

 すると、リュリュが持っていたデータカードが、バラバラになって地面に散らばっているのを確認することができた。

 双眼鏡の先で、リュリュはしばらく手を押さえていたが血らしきものは見られず、狙撃は成功したようだった。

「危ないなぁ。よく引き金を引けたね。」

 部屋に漂っていた緊張は、七宮さんのその言葉で溶けていった。

 そう言ったあと、七宮さんは床に転がる薬莢を拾い、直接ミリアストラに手渡す。

 ミリアストラはそれを受け取りながら得意げに応えた。

「この距離なら外すほうが難しいわよ。」

 このライフル銃の性能がいいのか、それともミリアストラの射撃能力が高いのか、そのセリフからは判断しかねたが、どちらも当てはまっているような気がする。

(えーと、距離は……)

 双眼鏡の機能を使って距離を調べると、ここから目標まで250メートル程あるようだった。

 射撃にはあまり詳しくないのでこの距離が難しいかどうかは判断に困る。しかし、私がやったとすれば、命中させるまでの弾代だけで車が一台買えることだろう。

 くだらないことを考えながら双眼鏡を覗いていると、七宮さんに双眼鏡を奪われてしまった。

「駄目だよ鹿住君。そんな長い間見てたらこの場所がバレてしまうかもしれなじゃないか。」

「……?」

 見ているだけでばれるものなのだろうか。

 まぁ、こちらから見えているということは、あちらからも見える理屈だ。そう考えれば別に不思議な話ではない。

 七宮さんはこちらから奪った双眼鏡を手に持ったまま、ミリアストラに話しかける。

「それにしても、あれをここに持って来てるってよく分かったね。やっぱり調べてたのかい?」

「もちろんよ。アタシはアタシでリオネルを監視してたんだから……ま、これを持ってきて正解だったわ。」

 ミリアストラは窓際に固定されたライフル銃の銃身を撫でながら答えた。

 銃身の上にはスコープらしきものが付いていたが、それだけは年季が入っている物のようで、所々にキズが見えた。

「そうかい……。とにかく、証拠の処理ご苦労様。」

 七宮さんがそう言うと、ミリアストラはライフル銃の固定装置を取り外し始める。

 VFの兵装ならともかく、人間用の武器に関して馴染みのない鹿住はその作業を手伝うことが出来ず、遠目でその様子を眺める。

 その時、ふと疑問に感じたことを七宮さんに訊いてみる。

「……あの、あんな証拠がなくても、大会の調査委員会に直接報告されたらまずいんじゃないですか?」

 証拠を消したとはいえ、本格的に調査されることになれば何かしら見つかってしまうだろう。

 しかし、七宮さんはそれすらも想定していたようで、余裕の表情で答えてくれた。

「そのための根回しは完璧だよ。昔の委員会はダグラス側の人間だらけだったけれど、今は偏りがないようにダグラスの割合も減っているからね。……健全になってくれたお陰で、いろんな団体とコンタクトが取れるようになったし、裏の交渉もうまくいったよ。」

 それを耳にしたミリアストラは、撤収の作業をしながら不服そうなセリフを吐く。

「なーんだ……。なら別にあれを撃たなくてもよかったわけね。」

「別にいいじゃないか。仕事が増えた分、君の報酬も増えるわけだし。」

 ミリアストラに対し、七宮さんは冗談めかして答えてみせた。

「そう言われればそうね……。無駄な仕事をしてお金がもらえるなんて……なんか妙な気分だわ……。」

 釈然としないのか、ミリアストラは固定器具を手にしたまま、目線は斜め上を向いていた。

 鹿住はどんどん外されていくライフル銃を見ながら率直な意見を述べる。

「……よくそんな大きな銃を持ち込めましたね。どこで調達したんですか?」

 こんなライフル銃をどのようにしてこのミュージアムに持ち込んだのかも気になるが、それよりもどこから持ってきたのかが気になっていた。

 ミリアストラは気まずそうに答える。

「えぇと……E4からちょっと借りてきただけよ。」

 これに関しては七宮さんも興味があったようで、遠慮することなく質問を浴びせた。

「軍事用ワームから何から何までこうも簡単に手に入るなんて、E4の備品管理体制はどうなってるんだい?」

「そういえばそうでしたね。……やっぱり、こっそり盗んでいるんじゃありませんか?」

 ミリアストラは「まさか」と言ってこちらの予想を否定した後、作業の手を止めてこちらに体を向ける。そして、そのままこちらに身を寄せてきた。

 いきなり体をぴったり密着させられ、鹿住は動揺を隠せなかった。

「え、え、……な、何ですか?」

 緊張して固くしているこちらの身体に対し、ミリアストラは遠慮なく指を這わせてくる。

 そして、こちらの耳元で猫なで声で囁く。

「アタシってそこそこ美人でしょう? ……だから、何も使わなくてもこれだけでいろんなモノが手に入るのよ。」

 ミリアストラは一旦距離をとって、スカートをちらりとめくってみせた。

 チラリと見えたその太ももは、女の自分から見ても惚れ惚れするほど綺麗な曲線を描いていた。

 男性が太ももを触りたくなる気持ちもわからないでもない。

(……はっ!?)

 しばらくして鹿住は我に返り、頭をブンブンと振って煩悩を振り払った。

「全く末恐ろしいですね。……って七宮さん、にやけないでください。」

 七宮さんは満面の笑みで、こちらが狼狽えている様子を見ていた。

「そんなににやけてたかい? ……ごめんごめん。」

 口では謝っているものの、不覚にも赤面してしまった私の顔を面白がってみているに違いない。

 ミリアストラはというと、やりきった表情を見せていた。 

「ま、エンジニアみたいなVFオタクはアタシみたいな女には免疫が全くないからね。楽勝よ。」

「――何が楽勝だって?」

 いきなり男性の声がしたかと思うと、ミリアストラの表情が一変し、すぐに部屋の中に何者かが侵入してきた。

「!!」

 ミリアストラはどこから取り出したのか、いつの間にか拳銃を手にしていた。

 そして、それを入口に素早く向けると、警告もしないで発砲していた。

 ……どうやらそれはスタンガンだったようで、電極は侵入者には命中することなく、入口のドアに突き刺さった。

 ミリアストラは更に何発か撃つも、侵入者を止めることが出来ず、そのままタックルされて床に押さえつけられてしまった。

 その時にスタンガンが手から離れてしまい、ミリアストラは丸腰になってしまう。

「クッ……!!」

 押さえつけられてもミリアストラは抵抗し、上に乗っている侵入者に向けて蹴りを放った。

 だがそれも絡め取られ、ミリアストラは侵入者に足の関節を決められてしまう。

「いっ!!」

 ミリアストラは痛さのあまり声を上げたが、動きを止めることなく、これもまたいつの間にか取り出したコンバットナイフを侵入者に向けて突き出した。

 しかし、それすらも軽くいなされてしまい、逆にその腕を掴まれてあらぬ方向へひねり上げられてしまう。

 ……こうして、両足と利き腕の関節を決められたミリアストラは完全に行動不能に陥った。

 10秒にも満たない時間で、侵入者はミリアストラを2本の足だけで拘束し、完璧に制圧していた。

 その間、鹿住は全く動くことが出来ず、ただ見ていることしか出来なかった。

「痛っ!! 痛いってば……ギブギブ、ギブアップ!!」

 ミリアストラは残された腕で床をバンバンと叩く。

 しかし、叩いた所で侵入者がその拘束を緩めることはない。

(……た、助けないと!!)

 侵入者に対抗するべく鹿住はライフル銃を手にしようとしたが、その前に七宮さんが侵入者に馴れ馴れしく話しかけた。

「やっぱりいつ見ても君は強いね、……イクセル。」

(イクセル……イクセル・キルヒアイゼン!?)

 思いもよらぬ人物に鹿住は度肝を抜かれる。

 確かに、サングラスを掛けて帽子もかぶっていたが、特徴のあるくせ毛が帽子からはみ出ており、よく見てみるとイクセルに間違いなかった。

 イクセルはその変装道具をすぐに脱ぎ捨て、ライフル銃を指さして言う。

「そんな物騒なものまで持ちだして……今度ばかりは冗談じゃ済まされないよ、七宮。」

 その声は物腰柔らかな声だったが、口調は真剣そのものだった。

 そう言いながら、イクセルは痛い痛いと叫ぶミリアストラを引きずりライフルのある場所まで移動する。そして、それを使えないように解体し始めた。

「どうやってここを嗅ぎつけたのか……相変わらず勘がいいみたいだ。」

 七宮さんが話している間にも銃身などのパーツが銃本体から外されていく。

 それが終わると、イクセルは弾倉を手に持って、なにやら中身を確認し始めた。

「……これでいったい何をするつもりだったんだい?」

 するつもりも何も、もう終わった後である。

 消音装置のおかげで銃が使われたと気づいていないらしい。

(しかし、正直に答えると面倒なことになりそうですね。)

 鹿住と同様にして、当然のごとく七宮さんもそう考えたらしく、イクセルに対して答えを微妙にずらして対応した。

「安心していいよ。 ……それを使って誰かを傷つけたりするつもりはないから。」

 銃を持ち込んだ挙句、その銃口を窓から外に向けている輩の言うことではなかった。

(全く信ぴょう性がありませんね……。)

 そんな事を言った所でイクセルが引き下がるはずがない……と思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 イクセルは弾倉を投げて、七宮さんに渡した。

「……分かった。それは信じる。」

(そんなに簡単に信じてしまうのですか……。)

 イクセルについては七宮さんから少々話を聞いていたのだが、この感じからすると“知り合い”以上の関係のように思える。

 過去の記録によれば、イクセルと七宮さんはファンの間ではライバル同士とされていたらしい。

 もしかすると、試合以外でもそこそこ会っていたのかもしれない。

 イクセルは七宮さんと距離を取ったまま話を続ける。

「何をしようとしているのかは僕には分からない。でも、他人を巻き込んでまで復讐するのは止めたほうがいい。」

 復讐という言葉が出てくるあたり、イクセルも事情を知っているのかもしれない。

 やさしく諭すような言い方だったが、七宮さんがその程度で改心するはずもない。

「……止めようとしても無駄だよ。君が思ってる以上にこれは複雑な計画なんだ。真実を知れば君にもその理由がわかる。」

 説得が失敗に終わったようだが、イクセルは尚も話し続ける。

「せめて、復讐の相手くらい教えてくれないか。」

「勘のいい君のことだ。言わなくてもわかっているんだろう。」

「……。」

 七宮さんに言われた通り、その相手に心当たりがあるらしく、イクセルはしばらく黙っていた。

 ……が、再び説得するような口調で話し始める。

「この事を知ったら、オルネラも悲しむ。……久々に会えたんだ、昔みたいに3人で……。」

(オルネラ……? 七宮さんはオルネラとも面識があるのでしょうか……?)

 鹿住は七宮の秘密が聞けるのではないかとイクセルの言葉に耳を傾けていた。

 しかし、めずらしく七宮さんが感情を顕にしてそのセリフを遮る。

「その名前を口にしないでくれるかな。君にあの人の何がわかるっていうんだ……。」

 イクセルは言葉を途切れさせられたものの、すぐに七宮さんに言い返す。

「わかるさ。僕らは夫婦なんだから。」

 その当たり前のように言ったイクセルの返事に、七宮さんはため息混じりに感想を述べた。

「そういう所も君は相変わらずだね……腹立たしくなるよ。」

 そして、七宮さんはイクセルに何かを言われる前に、足下を指さす。

「それはともかく……はやくそこから退いてあげたらどうだい。女の子を踏む趣味があるわけでもないだろう?」

 その言葉を聞きイクセルは足元に目をやった。

 そこでようやくミリアストラを拘束していたことを思い出したのか、七宮さんに言われてすぐに拘束を解いた。

「あぁ、ごめん。」

 イクセルが足を退けると、ミリアストラは怨めしそうにイクセルをにらみつつ、その場に座り込む。

「いたたた……完璧に関節キメられてたわ……。」

 ミリアストラが解放されたのと同じタイミングで、部屋の外からおっとりとした女性の声が聞こえてきた。

「イクセルさーん、どこですかー? いるなら返事してくださーい……」

「オルネラだ……忘れてたよ……。」

 イクセルは慌てて部屋の出口に移動し、最後に七宮さんに向けて語りかける。

「僕ならいつでも力になれる。いつでもいいから会いに来てくれ。色々事情はあるみたいだけれど、僕にはできることがたくさんある。……そうすれば復讐なんてしなくても、話し合いで全て解決できるかもしれないよ。」

 そのセリフから、イクセルがどれだけ七宮さんを心配しているかが計り知れた。

(七宮さんとイクセル……過去に何があったのか、気になりますね……。)

 鹿住が考えていると、七宮はあっさりとイクセルに対して良い返事を返す。

「そうだね……考えておくよ。」

 七宮さんの口はそう動いていたものの、こちらから見ればそれが嘘であるのがまるわかりだった。

 しかし、イクセルはその答えに満足したのか「それじゃ」と言って部屋から出ていってしまう。 

 ……去った後、しばらく遠くで会話をする声が聞こえていたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 今まで黙って傍観していた鹿住は、七宮の近くまで移動し、イクセルが出ていったドアを見ながら質問する。

「……行かせていいんですか?」

 この事が知れたら問題になると思っての発言だったが、七宮さんはあまり気にしていない様子だった。 

「あいつはいい奴だよ。……それに、僕のことを未だに親友だと思ってるらしいし、誰かに密告したりすることはないさ。」

「そうですか。」

 イクセルのことを信用しているのか、それともイクセルに自分のことを信用させているのか……どちらにしても、問題は無いようだった。

 こちらの質問に答えた後、七宮さんは別の方向に顔を向けた。

「……で、ミリアストラ君は大丈夫だったかい?」

「大丈夫じゃないわよ……。」

 まだ脚が痛いのか、ミリアストラは座ったままだった。そして、その体勢でイクセルに分解された銃をテキパキと組み立てていた。

 みるみるうちに元通りの形に組み上がっていく銃を見ていると、七宮さんはミリアストラに対して冗談めかして注意する。

「今度イクセルにあったら抵抗しないことだね。特に、銃は向けないほうがいい。」

 ミリアストラは素直にその注意を受け入れた。

「そうするわ……。」

 てっきり仕返しでもする気なのかと思っていたが、そこまでミリアストラは感情に任せて行動するタイプでは無いようだった。

「さて、早めにここを離れることにしよう。」

 ……七宮がそう言ってから1,2分もしないうちに撤収の準備が整い、鹿住達は部屋を後にするとこにした。

 部屋を出ても通路に人の気配はなかったので、3人は周囲に注意することもなく階下に降りていく。

 銃の入っているケースを手に下げているミリアストラは、この状況に満足しているようで、鼻歌交じりに歩いていた。

「順調みたいね。」

 確かに、ミリアストラの言う通り、今のところは誰にもばれることなく事はうまく進んでいる。

 トラブルらしいトラブルは、先ほどのイクセルくらいなものだ。

 ミリアストラの意見に対し、七宮さんは同意する。

「ああ、そうだね……。」

 しかし、不安な要素もあるらしく、その返事はどこかに何かが引っかかるような言い方だった。

「僕の計画はうまくいってる。……後は結城君のがんばり次第だよ。」

「そうね、カノジョが勝たないと意味ないもんね。」

 結城の名を聞き、鹿住はあの時のことを思いだしてしまう。

(結城君……どのくらい傷ついたでしょうか……。)

 鹿住が気にしているのは、つい数十分ほど前に言った、暴言にも等しいあの言葉である。

 あれを言った時の結城君の表情の変化は、一生忘れることができないかもしれない。

「……あれ、鹿住君。泣いているのかい?」

 いつの間にか七宮さんは振り向いており、後ろを歩く私を見ていた。

(泣く……?)

 そう指摘されて、鹿住は自分が泣いているということに気がついた。

「鹿住君が泣くなんて珍しいね。鹿住君の泣き顔を見るなんて初めて……」

「黙っていて……ください。」

 鹿住は慌てて白衣の袖で涙を拭き、そのまま目元を隠した。

 続いて、鹿住は冷静に自己分析し、七宮に自分の胸の内を打ち明ける。

「心が痛むというのは、こういうことを言うのですね。親しい相手にあんな酷い事……嘘をついていると自覚していてもきついです……。」

「でも、これで鹿住君も区切りがついただろう。それに、もう二度と結城君に接触される危険はないよ。」

「そうだといいですね。もうあんな事は口にしたくありませんから。」

 意外なほどあっさりと涙は収まり、袖もほとんど濡れなくて済んだ。

 こちらの表情が元通りになると、七宮さんは再び前を向き通路を進んでいく。

「なんにせよ、これで舞台も駒も揃った……。これからが本番だ。」

 計画通りに行くとするなら、これから七宮さんは更に忙しくなるはずだ。 

 ……しかし、七宮さんは全く気負いしていない様子で宣言する。

「――復讐の幕開けだよ。」

 その言葉は今の七宮さんにぴったりな言葉のように思えた。

(七宮さんにとっては、総仕上げですね……。)

 鹿住は、準備期間に5年間も費やした七宮が、失敗するところを想像することが出来なかった。


  8


 その日の夜、アール・ブランのラボはいつもより騒がしかった。

 なぜならば、リオネルとリュリュがラボを訪れていたからである。

 それを含め、ランベルト、諒一、ツルカ、そして結城といったチームメンバーも集合しており、作業台のイスは満席になっていた。

 なぜ、これほどの人数が集まっているかというと、結城が今回の事件を含め、今まで起きたこと全てを洗いざらい説明するためであった。

 情報を共有せねばならないほど、深刻な事態なのだ。

(七宮……何を考えてるんだろうか……。)

 ――結局あの後、結城達はミュージアム管理ビルを駆け上がり、窓のある部屋をくまなく探したが、その殆どに鍵がかかっており、捜査らしい捜査も出来なかった。

 最後に到着した屋上にも人の気配はなく、薬莢すら見当たらなかった。

 ……ついでに委員会に連絡してみたものの、やはり、ものの数分で通話を切られてしまった。

 曰く、“話が飛躍しすぎている”らしい。……証拠も何も無いので、信じろという方が無理な話だ。

 現在は、説明が終わりみんながそれぞれ情報を整理しているところだった。

(全部話してみたけど……最初から七宮の手の上で踊らされてたんだな……。)

 何故最初からそれに気づくことが出来なかったのか……。

 それだけが無念で仕方がなかった。

 ……経緯自体は20分ほどで説明が終わり、鹿住のことやダークガルムの件について全く何も知らなかったランベルトは、新事実を耳にするたびに驚いたように声を上げていた。

 しかし、七宮については知っていたらしく、リュリュの家出の件に至っては感づいていたようだった。

「……なるほどなぁ、リュリュがここに来たのも、最初からリオネルの差金だったわけか……ま、よく考えれば、あんな大型輸送船をああも簡単に手配できるわけ無いか。」

 ランベルトは顎髭を撫でながら、そう言い、うんうんと頷く。

 リュリュはそれに便乗して、リオネルの方を向いて思いの丈を打ち明ける。

「そうです。私が自らお兄様のそばを離れるわけがありません。……この数週間、とても寂しかったです……お兄様!!」

 そう言って寄りすがるリュリュに対し、リオネルは頭を撫でて応えた。

「リュリュ、よくやったな……流石はオレ様の妹だ。」

 その、兄妹の感動シーンを冷めた目で見ながら、ランベルトは愚痴をこぼす。

「で、カズミの部屋で手がかりを探していたってわけか……。無茶なことしてくれるなぁ、全く……。」

 ランベルトは人のチームで好き勝手やられて、呆れているようだった。

 ツルカは最後まで大人しく聞いていたが、話が終わると疑い深く聞き返してきた。

「さっきの話、ホントなのか? ……カズミがそんな奴の手先だったなんて……ボクには信じられないぞ。」

 ツルカもツルカなりにショックを受けているのか、いつものような元気がなかった。

 そんなしょげているツルカを見て、結城は早めに情報を話さなかったことを後悔していた。

「みんな、黙っててごめん。私があの時ちゃんと知らせておけばこんな事には……」

 結城が全員に向けて謝ると、すぐにランベルトが優しく返事をしてくれた。

「嬢ちゃん、そんなに気にするな。試合前にそんな事聞いてたらストレスで死んでた。……それに、カズミの事を庇うために黙ってたんだろ?」

「……うん。」

 結城が短く答えると、諒一もランベルトの言葉に付け加えてフォローしてくれた。

「今回のことは全部七宮が首謀者だったんだ。だから鹿住さんは何も悪くない……結城の判断は正しかった。そんなに気にすることはない。」

「うん。」

 そうは言ってくれても、やはり、罪の意識が消えることはなかった。 

 確かに七宮が悪いのは判るが、それを差し引いたとしても、自分の責任は重いように感じていたのだ。

 続けて、ツルカは根本的な疑問を全員に向けて投げかける。

「でも、そのシチノミヤの目的ってなんだ? 女ゲーマーのフリしてユウキにVFの操作方法を教えたり……ユウキが勝つように敵チームの邪魔したり……」

 それは最大の疑問だった。

 なぜ、わざわざアール・ブランを助けるようなことをしていたのだろうか。

 相手の目的がわからないというのは、それだけでとても不安になる。

 ……むしろ、邪魔をしてくれていたほうが有難いくらいだ。

 ツルカの疑問に対し、ランベルトは考える様子もなく、何気なく答える。

「案外、ただの烈々なファンだったりな。」

「……。」

 ツルカはそれを完璧に無視して、今度は諒一に質問をした。

「なぁリョーイチ、5年前のユウキはただの女の子だったんだろ? そうだとしたら、七宮はユウキに会った時から資質を見抜いてたってことか?」

「いや、それは有り得ない。あの時結城は酷い事を言われただけで、適性や資質を調べる機会は全くなかった。……そうだったよな、結城。」

 諒一は結城に意見を求めたが、その結城はと言うとあさっての方向を見てぼーっとしていた。

「……」

「結城?」

 もう一度名前を呼ばれ、ようやく結城は反応した。

「ん……あ、ごめん。聞いてなかった。」

 一瞬だけだったが、意識が飛んでいたかもしれない。

 ……このままだと話し合いの邪魔になるかもしれないと思い、結城は少しの間休憩を取ることにした。

 作業台から離れるべく椅子から立ち上がろうとすると、諒一が声をかけてきた。

「どうしたんだ結城、具合がわるいのか?」

「うん。……今日はいろんなことが起こりすぎて、ちょっと気分が……」

 気分が悪いと言うよりは、頭がフワフワしている感じだ。

 どちらにせよ、まともな思考ができないので休むことに依存はなかった。

 そんなこちらの言葉が聞こえたのか、リオネルが気を利かせてくれた。

「どうやら気分が悪いようだな。……おいリュリュ、静かな場所で看病してやれ。このビルにも仮眠室くらいあるだろう。」

「わかりました、お兄様。」

 リュリュは素早く席を立ち、こちらの脇まで移動する。

 そして、自然な所作でこちらの手をとり、ラボの外に案内し始めた。

 その手は小さく、大きさはツルカと同じくらいのように思えた。

 ……本当、この人は何歳なのだろうか……。

「さ、タカノ様、こちらへ……」

「……。」

 一人でも大丈夫なのだが、せっかくなのでその厚意に甘えて連れていってもらうことにした。

 ……が、それはツルカによって遮られてしまう。

「ちょっと待て、ユウキはボクが連れて行く。」

 前へおどり出たツルカに対し、リュリュは対抗する。

「失礼ですがツルカさん、あなたには医学の知識があるんですか?」

「いきなり何言ってんだ。」

 不思議そうな顔をしているツルカに、リュリュは言い放つ。

「私はこういう時の対処法をきちんとした機関でしかるべき手順を追って学び、習得しています。少なくとも、あなたよりかは上手く看病できる自信があります。」

「な……。ボクだってそれくらい……」

 言い合いなんかせずに、素直にツルカに役割を譲ればいいと思ったのだが、リオネルに頼まれたため、それを譲る訳にはいかないのだろう。

 全く態度を変えないリュリュに対し、ツルカは粘り強く言い続ける。

「いいからユウキから手を離せ、ユウキはボクの……じゃない、ボクに連れていって欲しいはずだ。……な、ユウキ?」

 早く体をやすめたい結城にとって、2人の言い合いは無駄以外の何物でもなかった。

「どっちでもいいから早くしてくれ……」

 自分でもびっくりするほど不機嫌な声が出た。

 その声を聞き、ツルカとリュリュは飼い主に怒鳴られた犬のようにしゅんとなってしまう。

「ユウキ……ごめん」

「すみませんでした……タカノ様……。」

 2人とも動きが止まり、気まずくなった結城は一人でその場から離れようとする。

「ごめん、仮眠室には一人で行けるから……。」

 そう言って、結城は一人で仮眠室に向かうことにした。



「リョーイチ、行ってやれ。」

 そんな様子を見ていたランベルトは、小声で諒一に指示を出した。

 言われなくても結城の後を追うつもりだったらしく、諒一は迷うことなく席を離れた。

「話の途中ですみませんが、後で結果だけ教えて下さい。」

 それだけ言うと、諒一は結城に続いてラボの出口から通路に出て行ってしまった。

 ……諒一と結城の2人がいなくなっても、話し合いは続く。

「問題は資金援助が打ち切られたのと……後はアカネスミレだな。」

 ランベルトはラボ内に佇むアカネスミレを眺めていた。

 資金についてはどうにもならないが、アカネスミレが回収されずに済んだのは良かった。

 しかし、ヘクトメイルから受けたキズの修理自体は終わっているものの、フレームの調整などの鹿住がやっていた部分の作業は手付かずのまま放置されている。

 新しいシーズンが始まるまでには、何とか手を打たなければいけないだろう。

 ランベルトが視線を戻すと、リオネルがあることを提案する。

「資金を直接援助はできないが、ウチのスポンサーにアール・ブランを紹介することくらいはできる。」

 腕も組んで足も組んで、偉そうな態度で構えていたが、その言葉には親切心が感じられた。

 それについて礼を言おうとしたランベルトだったが、それを遮ってリュリュが話し始める。

「そんな事をしなくても、アール・ブランはスポンサーには困らないと思います。」

 リュリュの頭のリボンがぴょこぴょこと動く。

「タカノ様はいい意味でとても目立っています。なにせ、1STリーグ初の女性ランナーですから。……これをスポンサーが放っておくわけがありません。」

 確かに、言われてみればそうかもしれない。

 そんなリュリュの言葉にツルカがある言葉を付け加える。

「……それに、ユウキはかわいいぞ。」

 ランベルトはそれに同意しかねた。

「そうか? ……可愛いというよりかは、凛々しいって感じだけどな……。」

 リオネルは渋々それを認めていた。

「オレ様の魅力には到底及ばないが、確かに人の目を惹く容貌をしているかもしれないな。」

 リュリュはすかさずリオネルの意見に同意し、更に付け加えて言う。

「……そうですね。しかも学生にも関わらずベテランの風格もあります。今までVFBとは無縁だった分野から、新たにスポンサーが付く可能性が高いでしょう。」

 リュリュはそのセリフのあと「例えば……」と呟きながらそのスポンサーについて考えている様子だった。

 そして、その例がすぐに思い浮かんだらしく、それを口に出す。

「例えばそうですね……化粧品会社とか……。」

「化粧品!?」

 ランベルトは素っ頓狂な声を上げて驚いた。それがVFとは全く関係のない分野だったからだ。

「何も不思議なことではないですよ、あのオルネラさんも一時期コマーシャルに出ていましたし。」

「そういえばそうだっけ……。」

 姉のことを言われ、ツルカは思い出そうとしていたが、記憶に残っていないのか、始終悩ましい顔をしていた。

 リュリュの話は続く。

「あと期待できる企業といえば、ダグラスです。」

「ダグラスが?」

 またしてもランベルトが聞き返すと、リュリュはランベルトに向けて説明する。

「タカノ様は企業学校の学生でしたよね。タカノ様以上にいい宣伝材料はないはずです。」

「あぁ、なるほど……。」

 学生が1STリーグに出場することになれば、学校も宣伝できるし、企業のイメージアップに繋がるということだろうか。

 スポンサーはともかく、根本的な問題は残ったままだった。

「しかし、アカネスミレはどうしようもないな。」

 鹿住が戻ってこないとなると、メンテナンスは困難を極める。

 内部構造どころか仕組みもわからないので、手の出しようがないのだ。下手にいじれば壊れてしまうかもしれない。

「ホントにどうしようもないのか?」

 ツルカに訊かれ、ランベルトはその理由を話す。

「……メンテ用のデータや、ほかのシステムもぜーんぶ消去されてるんだよ。……多分、今のアール・ブランの中で一番アカネスミレを知ってるのはリョーイチだろうな。」

 ……と言ったものの、諒一に全てを任せるわけにもいかない。

「……ま、オフシーズンは長い。その間になんとかなるだろ。」

 気楽な発言をしたランベルトだったが、そのくらい意識して気楽にならないといけないほど、心のなかでは困り果てていた。



 仮眠室にて、結城はベッドに横になっていた。

(鹿住さん……)

 今になって、あの時のセリフが結城の頭の中で反響する。

 “お友達ごっこ”……“結城君と話すだけでストレスを感じる”……など。

 それを思い出すたび、自分の体から活力がなくなっていくのを感じていた。

(……こんな事になるなら、初めから信じなければ良かった……。)

 自分の想像以上にそのショックは大きいものだった。

「……。」

 一人でしばらく休んでいると、仮眠室のドアを叩く音が聞こえた。

 結城はその叩き方からドアの外にいる人物を言い当てる。

「諒一?」

 問いかけると、すぐにドアが開いて諒一が仮眠室内に入ってきた。

 後を追いかけてきたにしては、かなり遅いような気がする。……途中で何かあったのだろうか。

 そんな事を考えていると、いきなり諒一が無言で携帯端末を手渡してきた。

 結城は目をこすりながら身を起こし、諒一の携帯端末を受け取る。

「ん? ……これは?」

「いいから見てくれ。」

 諒一は説明することなく携帯端末の画面を指さした。

 結城は仕方なく諒一の言う通り、端末に目を向ける。

「なになに……『ダークガルム、新しいランナーの正体は……』」

 VF関連のニュースらしい。

 そう言えば、ランベルトもダークガルムの新ランナーについて話していた。

(確か、日本人ランナーだったはずだけど……誰なんだろ。)

 そんな事を思いながら画面をスクロールすると、とんでもない名前が画面に表示された。


――『七宮宗生』。


「これほんとか!?」

 それが信じられず、結城は諒一に確認する。

 しかし、それは嘘でも冗談でも無いようだった。

「……どのサイトもこの話題で持ちきりだ。フェスティバル中に登場する予定らしい。」

 目眩を起こしそうになりながらも、結城は読み進める。

「『VFBの黄金期が再び訪れる』って……。」

 何かの冗談だと思いたかった。一体七宮は何を考えているのだ……。

「……。」

 最後には七宮の顔写真も載っていた。

 ……その顔はこちらを挑発しているようにも見えた。



 ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。

 この章では、とうとう結城が七宮の存在を知ってしまいました。鹿住がアール・ブランから離脱したことにより、昇格したばかりなのに、チームに翳りが見えてきたようです。

 このショックから結城は立ち直ることができるのでしょうか。

 次の話では、そんな不安定な結城の様子が描かれます。

 今後とも宜しくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ