表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
与えられた者
24/51

【与えられた者】第四章

前の話のあらすじ

 アール・ブランのメンバーは、昇格リーグの開催場所である1STリーグのフロートユニットに移動する。

 色々ごたごたがあったものの、試合開始の前日になってようやく準備を済ませることができた。

 そして、鹿住はとうとう七宮から妨害工作をするように言い渡される。

 一方、ドギィも臨時スタッフという形で施設を訪れ、フォシュタルと接触することに成功していた。

 そこで、ドギィは自分のつらい過去を思い出したのだった。

第4章


  1 


 1STリーグ専用フロートユニット、今日はそこで昇格リーグの『準決勝戦』が行われている。

 ……昨日、アールブランは初日の試合で北米の2NDリーグチームと戦い、勝利を収めていた。

 そして2日目の今日、アカネスミレに乗った結城はアジアの2NDリーグから来たチームと対戦している。

 今日はベスト4同士が戦い、合計で2試合行われる予定だ。

 つい先ほど行われた1試合目では、トライアローがもう片方の北米チームに圧勝しており、決勝に駒を進めている。

 結城がこの2試合目で勝てばアール・ブランも決勝に進むことになり、晴れてトライアローと戦うことができるわけだ。

(……それにしても、静かだなぁ。)

 試合を盛り上げる歓声がないため、結城のテンションはあまり上昇していなかった。しかし、結城は手を抜くことなく試合に臨んでいる。

 結城は現在、少しだけ相手と距離を取っており、相手の様子を見ていた。

 おかげで相手の動きをよく観察することができ、実力を正確に推し量ることができた。

(弱いな……。)

 VFの挙動から、操作のほとんどをAIに頼り切っているのがバレバレだ。

 試合開始から1分も経っていないが、今日も余裕で勝てそうだった。

 相手VFは例によってダグラスのハイエンドタイプを使用しており、手には大きな斧が握られている。その大きさは、小さな建物ならば簡単に真っ二つにできそうなほど大きいものだった。

 そんな立派な斧を見ていると、相手がそれをブンブンと振り回しながら迫ってきた。

「……。」

 一体何を考えているのだろうか、……いや、何も考えずに振り回しているのだろう。

 装甲も頑丈そうだし、ゴリ押しで何とかしようという考えが見え見えである。

 今まではそれで勝てていたのだろうが、そんな稚拙なやり方で勝てるほど私は弱くないし、それを素直にガードしてあげるほど甘くもない。

 一直線に向かってくる相手に対処すべく、結城はステップを踏んで真横に移動する。

 しかし、相手が進路を変更する気配はなく、ただただ斧を振り回すだけだった。

(せめて前見て斧振れよ……。)

 やがて相手VFはこちらに接近してきて、少し離れた位置から斧を振り下ろした。……が、結城は振り下ろされた斧の側面を殴って軌道をそらせる。

 斧の刃はアリーナの地面に直撃するも、切れ味が悪いせいなのか、地面に刺さることなくバウンドした。

 相手はそれにつられる形で再び斧を振り上げる。

 セオリーなら距離をとって体勢を立て直すのだが、再び相手はがむしゃらにこちらに突っ込んできた。

(まったく……。)

 相手の予想以上の頭の弱さに呆れつつ、結城は相手の大振りの斧を余裕を持って回避し、背後に回りこむ。

 そして、相手がこちらに振り向く前にブレードを頭部に突き刺した。

 いくら装甲が固くとも、この超音波振動ブレードの刺突攻撃を止めることは出来ない。それが狙い澄まされた攻撃ならなおさらのことだ。

 相手VFの頭部装甲には綺麗な穴が空き、反対側にもできた穴からは、超音波振動によって破壊された内部パーツが少しだけ飛び出ていた。

(ここまでレベルが違うと……なんか可哀想になってくるな。)

 こんなにもあっさり試合に負け、相手もさぞ無念なことだろう。

 遠路はるばる出向いてきた相手に、結城は若干同情していた。

 ……ランベルトが昇格リーグが始まる前に『余裕余裕』と楽観していた理由が解る気がする。

 機能が停止した相手VFの手から斧から離れ、支えを失ったVFは俯せになって倒れこんだ。

 結城は倒れた相手の頭部からブレードを引き抜くと、そのまま鞘に収める。

 鞘は鯉口の部分が大きく開いていたが、ブレードを奥まで入れるとスリムな形に変形し、ブレードの鍔と一体化した。それによりブレードは鞘に固定され、刃部分を完璧に保護する。

 アカネスミレの一連の納刀動作が終わると、それを見計らっていたかのように実況者の声がアリーナに響いた。

<試合終了、アール・ブランの勝利です。>

 その声はいつも2NDリーグで聞いているテッドさんの声ではなく、1STリーグで実況を務めている人の声だった。

 低い声だが、はっきりと発音されておりとても聞き取りやすく、まるでどこかのテレビ局のニュースキャスターのような喋り方だった。

<これにより、決勝は『トライアロー』と『アール・ブラン』の組み合わせになります。……これで本日の試合は終わりです。みなさんお疲れ様でした。>

 顔も名前も知らないが、その声は素っ気無く、あまりこの試合に興味を持っていないように思えた。結城はその気持ちが痛いほどよく分かる。それほど単調な試合展開だったのだ。

(……戻るか。)

 ハンガーにアカネスミレを運ぶべく、結城がリフトのある場所まで移動すると、鹿住から通信が入った。

「完勝でしたね。」

 それは、『おめでとうございます』やら、『よく頑張りましたね』やら、『さすが結城君です』などの意味も含まれているような、とても爽やかな言い方だった。

 鹿住の言葉を嬉しく思いつつ、結城も得意げになって返事する。

「今日も無傷で勝ったぞ。昨日に引き続き、鹿住さんの仕事を増やさずに済んだみたいだ。」

 だが、鹿住が元気だったのもここまでで、これ以降は声のトーンが下がりっぱなしだった。

「……でも、その無傷のアカネスミレも明日にはどうなっていることやら……明日には来て欲しくないですね。」

「まったくだ……。」

 勝利したというのに、結城と鹿住の言葉に元気はなかった。

 トライアローというチームは、どう考えても、無傷で済まされるような対戦相手ではない。

 ボロボロになってもいいが、せめて勝ちたい結城だった。

 やがて、リフトが動き始め、結城はアカネスミレと一緒に、ハンガーに向けて下降し始めた。

 トライアローのことはまたあとで考えることにして、結城は話題を先ほどの試合に戻す。

「それにしても昨日に続いて今日の相手も弱かったな……。どう思う?」

「あれは仕方ありません。……あちらは殆ど既製品をカスタムしただけのVFでしたから……」

「やっぱり、VFの性能も大事だよな……。」

 既製品をカスタムするにしても限界というものは存在する。

 やはり、独自にVFを開発できるチームは圧倒的に有利なのだ。

 通信機から聞こえてくる鹿住の声がどんどん説明口調になってくる。

「……研究開発部門があるチームなんてそうあるものじゃありません。海上都市群の2NDリーグチームが異常なんです。他の地域だと、VFを開発したとしても、技術や資金が足りずに、どうしても微妙な性能になってしまいますから。」

「なるほど……。つまり鹿住さんがいるおかげでここまで来れたってわけだ。」

「……一応、そういうことになりますね……。」

 しばらくすると、リフトがハンガーに到着し、結城はハンガーに佇む鹿住の姿を確認することができた。

 鹿住はモニターの前に立って通信用のマイクを手に持っていたが、他のメンバーはだらだらしていたり、タバコをふかしていたり、端末をいじったりしていた。

 こちらの勝利を確信していたため、鹿住さん一人に任せていればいいと考えたのだろう。

「ホント、頼りになるのは鹿住さんだけだなぁ……。」

 思っていたことが思わず口から漏れてしまっていた。

 HMD越しに鹿住さんの様子を見ていると、鹿住さんはモニターから目を離しこちらに目を向けた。そして通信用のマイクを口元に寄せ、小さな声で恥ずかしげに返事する。

「そう言っていただけると嬉しいです。」

 そのセリフと同時に、アカネスミレを載せたリフトはハンガーに到着した。


  2


「オーライ、オーライ……ストップ!!」

「え? まだ行けるんだろ?」

 ハンガーに到着してすぐ後、結城はランベルトのガイドに従い、アカネスミレをメンテナンス用の大きな機械に設置していた。

「そこで十分だ……。」

 ランベルトの言葉と共にアカネスミレのボディはその大きな機械に固定された。

 ……本来ならランナーが先に降りて、後で遠隔操作してその機械に設置するらしいのだが、アール・ブランでは、その手間を省くために設置作業を手動で行っていた。

 作業を終えた結城はコックピットから降りようとしたが、ハッチを開けた所でランベルトに呼び止められてしまう。

「嬢ちゃん、ついでにブレードも外しといてくれねーか?」

 本当は面倒だったが、明日も試合があり、準備時間が短いのがわかっていたため、結城は文句を言わずそれに従う。

「……わかった。」

 結城は外に出かけた体を再びコックピット内に戻し、ハッチに手をかけたまま、片手だけで操作して鞘ごとブレードを取り外した。

 超音波振動ブレードを保持している鞘は、アカネスミレの腰の位置にあるものの、人の場合と違い、固定箇所は太もも付近となっている。……なので、鞘というよりは拳銃のホルスターに近いのかもしれない。

 また、戦闘の邪魔にならぬよう、いつでも切り離すことができる。そのため、いざという時の打撲武器に使えなくもない。

 長い鞘と短い鞘の2本は、アカネスミレから切り離されると同時に作業用の大型マニュピレーターにキャッチされる。そして、別のメンテナンス用設備に運ばれていった。

 その様子を見ながら、今度こそ結城はコックピットから出る。

 コックピットの目の前には下降専用の金属棒があり、結城はそれを両手両足で挟むと、摩擦に気をつけながらするすると地面に降りていった。

「おかえりユウキー。」

 結城が降りると同時に、それを待ち受けていたかのようにツルカが飛びついてきた。それは強烈なタックルだったが、その衝撃に負けず、結城もツルカの体を抱きかかえる。

(おっと……。)

 ツルカを抱いた際にHMDを落としてしまい、結城はバランスを崩しそうになる。

 しかし、とっさの判断で結城は衝撃をいなすようにしてくるくると回転し、なんとか倒れずに済んだ。

 それを熱烈な歓迎だと勘違いしたのか、ツルカは「きゃー」などど言ってはしゃぎ声を上げていた。警戒心を解いて、好意を持って接してくれるのはありがたいが、ここまでべったりされると流石に疲れる。

 妹や弟がいる人はみんなこんな感じで苦労しているのだろうか……。

「……ただいま、ツルカ。」 

 こちらが返事するとツルカは満足そうに笑みを浮かべた。

 抱いてしまえばツルカは軽いので楽なものだ。

 いつまでも抱きつかれていても面倒なので、ツルカを体から剥がそうとすると、今度は鹿住さんが近寄ってきた。 

「結城君、お疲れ様でした。」

 そう言って鹿住さんはこちらにメガネを差し出す。

 結城は「どうも」と短くお礼を言ってそのメガネを右手で受け取り、スナップを利かせてツルを展開させると、顔に装着した。

 近くに他のメンバーの姿はなく、結局、出迎えてくれたのはツルカと鹿住さんだけだった。

 ランベルトと諒一はというと、早速ブレードの整備作業に入っており、こちらのことなど気にかけていないようだった。

 鹿住さんも一応は出迎えてくれているもののアカネスミレの状態が気になるらしく、チラチラとアカネスミレに目をやっていた。

 こちら以上にアカネスミレを心配してるのだろう。

「鹿住さんこそお疲れ様。ところで……」

 鹿住に明日の予定を聞きかけて、結城はそこで言葉を濁す。

(特に話すこともないし……さっさとこの場を鹿住さんに預けるか……。)

 鹿住がすぐにメンテナンスに取り掛かれるよう、無駄な会話を避けるために、結城は言葉を呑んで、気を利かせることにした。

「えー……じゃあ私はシャワー浴びに行くから。アカネスミレをよろしく。」

「あ、はい。わかりました。」

 鹿住はこちらの不審な言動に怪訝そうな表情を浮かべたが、3秒もするとそれも消えていた。

「よし、そういうことだから、……そろそろその手を離してくれないか、ツルカ。」

「ん、なに?」

 シャワーを浴びると宣言したにもかかわらず、ツルカはこちらの体から離れようとしない。

 この間、『一日一回抱きついてもいい』と公言してから、やたらとスキンシップの回数が多くなった気がする……。

 いい加減どうしたものかと悩んでいると、鹿住が助け舟を出してくれた。

「あの、よろしければツルカ君も整備を手伝ってくれませんか。」

「へ?」

「えーと……アカネスミレの調整に、ツルカ君の知識が必要になるかもしれないんです。」

「なんでボクが……」

 ツルカは鹿住さんと話しているうちに、自然とこちらを抱く力を弱めていった。

 『これなら行ける』と思い、結城も一押ししてみる。

「鹿住さんもああ言ってるし、明日の試合のためにも……頼むツルカ。」

 目と鼻の先でツルカに頼むと、ツルカはめんどくさそうな素振りを見せたものの、渋々了承した。

「仕方ないなぁ、もう。」

 ようやくツルカはこちらの体から離れ、鹿住に向けて歩き始める。

 結城は鹿住にアイコンタクトでお礼を伝え、ツルカの気が変わらぬうちに早々にその場から離れることにした。

 ランナースーツ姿の結城は、急いでハンガーを出るべく出口に向けて早足で進む。

 ふと床を見ると、自らの正面に影ができていることに気がついた。

 結城がハンガーの出口に近付くに連れて、その影も伸びていく。

 ハンガーの奥、リフトがある辺りしか天井の灯りをつけていないので、このような現象が起きるのだ。

 その影の先端がハンガーの端まで到達し、出口の扉を上り始めた時、結城はあることを思い出し立ち止まった。

 そして踵を返し、ブレードを整備中の諒一にぎりぎり届くか届かないかくらいの声量で話しかける。

「諒一、私の着替えってどこに置いてる?」

 それが聞こえたのか、諒一は作業を中断し、こちらの近くまで歩いてきてくれた。

「ジャージでいいなら更衣室にある。制服はバッグの中だが……必要なら出しておこう。」

 そう言って諒一はバッグが仕舞ってあるロッカーに体を向ける。

「いや、ジャージでいいから、……ブレードの方よろしく。」

 あまり手間をかけさせたくない結城は、ロッカーに向かおうとする諒一を止めた。

 こちらの気持ちが伝わったらしく、諒一はすぐに歩くのをやめた。

「……ああ、わかった。」

 諒一はこちらをしばし見つめた後、ブレードのメンテナンス作業に戻るべく、こちらに背を向けた。

 着替えの場所が分かった所で、結城もハンガーの外に出る。

(まずは、ジャージを取りに行かないとな……。)

 結城は一度更衣室に寄り、その後、シャワールームに行くことにした。


 

「……よし、準備完了。」

 確認するように呟きながら更衣室から通路へ出てきたのは結城だった。

 その手にはジャージの入った紙袋が握られており、胸部のプロテクトギアやHMDの姿は見られなかった。

 何だかんだ言ってHMDは高価なので、盗難防止のため更衣室に置いてきた。……というのは建前で、先に邪魔なものを外したほうが向こうでスムーズに着替えができると思い、置いてきたのだ。

 できれば、脱ぐのに手間がかかるランナースーツも脱いで行きたかったのだが、流石に、ツルカのようにインナースーツ姿を他人に晒すような真似は出来ない。

 とにかく、後はシャワールームに向かうだけである。

(今日はどの個室に入ろうか……)

 実は、結城は昨日もシャワールームを利用している。

 折角、1STリーグの施設に来られたのだから、利用できるものは利用してみようということで、昨日の試合後に試しに利用してみたのだ。

 そこは、更衣室に備え付けられている簡易的なものとは違い、機能が充実しており、特にシャワーの勢いが強くてよかった。

 また、男女で別れている上、完全に個室だったので、間違って男性が入ってくる心配がなく、結城は安心してシャワーを浴びることができた。

 慣れぬ場所で見つけた、唯一独りになれて、同時にほっとできる場所でもある。

 通路を歩いている途中、ランナースーツ姿をチラチラと見られながらも、結城はすぐに女性用のシャワールームに到着した。

 IDカード認証をして中に入ると、昨日とは全く違う光景に結城は驚いた。

(……誰もいない。)

 スタッフもそうだが、VFランナーはそのほとんどが男性であるため、女性用のシャワールームの利用人数が少ないことはわかっている。

 昨日もスカスカだったので、利用時間を気にすることなく安心してゆっくりできたのだ。

 人が少ないのは都合のいい事なのだが、それにしたって誰一人いないのは逆に不安になる。

(これじゃ貸切状態だな……。)

 別に清掃中でもないようだったので、結城はあまり深く考えることなく脱衣所に向かった。

 そして着替え用のジャージなどをロッカーに入れると、真っ先にメガネを外し、続いてランナースーツを脱ぎ始めた。

 結城は脱ぎながらも人の姿を探して脱衣所を見渡す。しかし、入り口から死角になっていた場所にも人の姿はなかった。

 ……全て脱ぎ終わると、結城はそれをまとめてロッカーに突っ込んだ。

 そして脱衣所からシャワールームの奥に進んでいく。

 奥には個室タイプのシャワールームがズラリと並んでおり、その全てのドアが空いていた。人の気配どころか、湿気も一切感じられなかった。

 ……今日はまだ誰も使用していないのかもしれない。

 清掃後のピカピカの状態で使えるなんて滅多に無いことなので、結城はそれをラッキーだと思っていた。

 結城は早速一番手前の個室に入る。

 個室内は四方の壁はもちろん、天井もあり、完全に密室だった。

 そんな狭い空間に入り、結城は安堵のため息をついた。

「ふぅ……。」

 個室の入り口から入って右側の隅には、壁と一体型の棚が設置されており、そこにはシャンプー・リンス・ボディソープはもちろん、身体を洗うスポンジまでもが用意されていた。

 大して汗もかかなかったので全く汚れていなかったが、結城は取り敢えずシャンプーを手にとって泡立たせ始めた。

 同時に水量調節のダイアルを捻り、シャワーから温水を出す。

「……。」

 結城はその温かくきめの細かい水滴を頭から浴びつつ、明日のことについて考える。

(さて、ドギィとどう戦うか……。)

 相手のVFはヘクトメイル、武器はあのロングソードだ。

 諒一の話によると、刃の芯となる部分に剛性を高めるためのパーツが組み込まれているらしく、鍔から剣先に掛けて、規則的なバッテン模様が浮かび上がっている、とのことだ。

 ギミックも何もないシンプルな剣だが、それゆえに、ランナーの技量がはっきりと破壊力に反映される。

 これは絶対に回避する必要があるだろう。

 ちなみに、アカネスミレの武器は2つ。……メインに太刀、サブに脇差という感じだ。

 感覚的にも文字的にも『大太刀』と『小太刀』と呼んだほうがわかりやすいかもしれない。

 ただ、ランベルトがつくったこの超音波振動ブレードは、日本刀のように刃が反っているわけではないので、単に『ロングブレード』と『ショートブレード』と言ったほうが誤解を招かずに済むだろう。

 明日の試合では、現状で一番慣れているこの2本を使うのが妥当だ。

 ……実の所、これ以外の武器を用意しておらず、もっと言うと予備のブレードもない。

 なので、正確には『この2本で戦うしかない』だ。

(2本かぁ……。)

 結城はラスラファンのVF『パルシュラム』を思い出す。

 パルシュラムは同じタイプのブレードを2本持ち、同時に扱っていたため二刀流と言える。が、結城の場合は“ロングブレードが使えなくなったらショートブレードを使う”ので、二刀流ではない。

 相手の意表をついて二刀流スタイルにするのもやぶさかではないが、なにぶん、デメリットが大きい気がする。

(そう言えば、セブンが何か言ってたな……。)

 シミュレーションゲームにて、いろんな種類の武器を練習していた時、セブンから同時に2本の刀剣を扱うことについて言及された気がする。

 ……が、よく思い出せない。

 もう数年も前の話なので仕方ない。

 こういう時、すぐにセブンと相談できればいいのだが、最近は連絡を取ろうとしても常にオフライン状態で、メッセージを送っても返事がこない。

「確かに何か言ってたような……あ。」

 何かに気付いたのか、結城は『あ』と言ったまま、髪を洗う手の動きを止めていた。

(今のアカネスミレの武装って、セブンとまんま一緒だな……。)

 ……結城は、今のアカネスミレの武装スタイルが、セブンがよく好んで使っていたスタイルと全く同じであることに気がついたのだ。

 偶然とはいえ、セブンとつながりができたようで、結城はほんの少しだけうれしくなる。

 自分の記憶が正しければ、そのセブンが同時に2本の刀を同時に両手で持ったことは一度もない。

 セブンが一度もやったことがないのだから、二刀流は止めておいたほうがいいかもしれない。

 対戦中に、たまに小太刀を投擲することもあったが、よっぽどのことがない限り、セブンが武器を捨てるようなことはしなかった。

 結城は、セブンが使用していたその武器の詳細な外見もぼんやりと思い出す。

(セブンはレア武器だって言ってたけど、あの武器はどこのメーカーの武器だったんだろ……。)

 名称は全く思い出せないが、あの武器の外見は思い出せる。

 あの形状は日本刀そのものだった。

 太い紺色の糸で規則的に編みこまれた柄……

 鞘の上部から伸びる上品な紫色の房紐……

 そして重量感のある刀身と恐ろしいほど美しい光沢を放つ刃紋……

 単純なテクスチャの集合体なはずなのに、見とれてしまうほど完成度が高かったのを覚えている。

 ただ、現実にアレを作るとなると、強度や重さにかなりの問題が生じるはずだ。

 ……多分、現実には存在しないユニーク武器か何かだろう。

 それはともかく、セブンがよく好む武装スタイルならば、当然、戦闘スタイルも同じようになる。なので、戦術の指南も受けられるはずだ。

(一応、ダメ元で連絡してみるか……)

 そんなことを考えているうちに、身体を洗い終わり、結城はシャワーを止めた。

 結構長い間温水を浴び続けていたらしく、指の腹がふやけていた。

 セブンに連絡することを忘れないうちに、急いでハンガーに戻ることにした結城だったが、そこで重大な過ちを犯してしまったことに気づく。

(しまった、バスタオル……。)

 確か、脱衣所で借りられた気もするが、有料だったかもしれない。

 食堂での食事が無料なのに、タオルのレンタルが有料であるはずがない……と思いたい結城だった。

 もしバスタオルを使えなかったとしても、いざとなればドライヤーで乾かせばいいか、と、かなり無謀なことを考えていた。

(まぁ、脱衣所に行けばどうにかなるだろ。)

 あまり気負うことなく、結城は個室から外に出る。 

 ……すると、いつの間にかシャワーを使用していたらしい女性とばったり遭遇してしまった。

「ひっ……!!」

 完全に不意打ちだったため、結城は思わず両手で身体を隠してしゃがんでしまう。

 全く人がいないと思い込んでいたため、いきなり現れた女性に驚いてしまったのだ。

 女同士、別に恥ずかしがることもないはずなのに、こんな行動をとってしまえば、余計恥ずかしい思いをする羽目になるだけだ。

(あぁ、“見せるものもないのに恥ずかしがってるなんて生意気な奴だ”、とか思われてるんだろうな……)

 結城は、あまりにも情け無い自分の反応を猛省し、かなり卑屈になって、相手の考えを勝手に想像していた。

 すると、その女性がこちらに何かを差し出してきた。

「タオル、貸してあげようか?」

 声をかけられ、おそるおそる顔を上げると、視界に真っ白なバスタオルが飛び込んできた。

「どうも、すみません……。」

 地獄に仏とはこの事だ。

 結城が有難くそのタオルを頂こうとすると、こちらの手の動きに合わせて、女性はタオルを上に持ち上げた。

 結果、結城の手は空を掴むこととなる。

「……。」

「ふふ……。」

 それが可笑しかったのか、女性は笑っている。

 そんな態度にイラッとしたが、同時にその声に聞き覚えがあることに気がつく。

(あれ……)

 女性の姿を確認するべく、結城は思い切って相手の顔を見上げた。

 まず目に飛び込んできたのは金色の髪だった。

 その濡れた金髪は室内灯の光を反射してキラキラと輝いていた。水を含んだショートカットの髪が頬や耳に張り付いており、妙に艶かしかった。

(この人は確かE4のランナーの……名前は、えーと……)

 そこまで分かっているにも関わらず、結城はその女性の名前を思い出せないでいた。

 が、手持ちのカゴに入っている2つの重そうなシルバーの髪留めを発見して、ようやく思い出すことができた。

「あ、ミリアストラさん!?」

 こちらが名前を呼ぶと、その女性はようやくタオルを渡してくれた。

「久しぶりね、元気してた?」

 ミリアストラの元気のいい声を聞きつつ、結城はバスタオルを体に巻き、その場で立ち上がる。

 こちらと違い、ミリアストラは特に身体を隠す様子もなく、にこやかに手を振っていた。

 スタジアム内の発砲騒ぎの時も、インナー姿で通路を堂々と走っていたし、この人には羞恥心というものがないのかもしれない。

 そんなことよりも、思わぬ所での再開に結城は驚いていた。

「本当に久しぶりです。今日は観戦しに来たんですか?」

「そうそう、観戦というより、アール・ブランを応援しに来たのよ。やっぱり間近で見るとすごいわね。ランナーの特権ってやつ?」

 ミリアストラは髪を掻き上げながら脱衣所に向けて歩き出す。

 結城もそれに続いた。

「応援ありがとうございます。明日はもっとすごくなると思いますよ。」

「そっか、明日はいよいよ決勝だったわね。……くれぐれもヘクトメイルのロングソードには気をつけて……って言わなくても分かってるか。」

「はい、昨日今日とヘクトメイルの戦い方を見てましたから。」

「アタシも見てたけど、ホント、戦い方が容赦無いわよね。アレと戦うことになったら間違いなく逃げてるわ、アタシ。」

「はは……。」

 話しているうちに2人は脱衣所に到着し、それぞれのロッカーまで移動する。

 2人とも、中央の列のロッカーに荷物をいれていたが、お互いが反対側の場所を使用していたため、2人は中央のロッカーを挟み、向かい合う形になった。

 ロッカーの背は低く、そのおかげでミリアストラの頭から胸元までをロッカー越しに見ることができた。

 結城が見ている前で、ミリアストラはタオルでゴシゴシと髪を拭き、左右のこめかみ辺りにヘアピンをつける。

 服を着るよりも先にヘアピン付けるというのは、珍しい気がする。

(あのヘアピン、よっぽど大事なんだな……。)

 ツルカのブレスレットと同じく、大事な人からプレゼントされたのかもしれない。

 もしくは親の形見か……。

 わざわざ聞くつもりはないが、何よりも先に身につけたいという気持ちは分からないでもなかった。

「ん? どうかしたの?」

「いや、なんでもないです……。」

 ミリアストラをぼーっと見ているわけにもいかず、結城も急いでロッカーからジャージを取り出した。

 ……2人ともすぐに着替えは終わった。

 結城はロッカーの中の物を全て紙袋に詰め込みながらミリアストラに話しかける。

「タオル、ありがとうございました。ちゃんと洗って返します。」

 諒一に早めに洗ってくれるように頼もうか、などど考えていると、ミリアストラがそれを否定するように言葉を返してきた。

「いやいや、ここのタオルだから、あそこの回収ボックスに入れといてね。」

 よく見ると、脱衣所の入口付近に白いバスタオルが積まれて置いてあった。

(あれ、昨日はなかったのに……)

 多少の疑問を抱きつつも、タオルをボックスに入れ、結城は外に出た。

 シャワールームから通路に出ると、ひんやりとした空気が結城の体を撫でるように通りすぎていった。温度差に加え、通気性の良いジャージを着ているので、とてもスースーして気持ちがいい。

「ふぅ、さっぱりしたー。」

 ミリアストラはジャージのようにだらしのない格好ではなく、丈の短い厚手のジャケットにタイトスカートという多少派手だが、外見にふさわしい格好をしていた。

 ……そんなミリアストラの姿を見ながら結城は思う。

(なんでこんな所でシャワー浴びてたんだ? というか、ここって出場チーム以外立ち入り禁止だったような……)

「……。」

 ミリアストラに確認しておきたい結城だったが、それを訊くと面倒なことになりそうなので、敢えて聞かぬようにしていた。

「それじゃぁ……」

 結城は申し訳程度に手を振って、面倒なことにならない内にその場を離れようとした。

「え、ちょっとカノジョ?」

 結城はここで分かれるつもりだったが、まだミリアストラはしゃべり足りないようだった。

 ミリアストラはこちらの肩に腕を回し、顔をぐいっと近づけてくる。

「折角なんだし、途中まで一緒に歩かない? ……カレシとの仲について、いろいろ聞いておきたいし。」

「でも……」

「いろいろお姉さんがアドバイスしてあげるわよ?」

「……それじゃ、途中まで。」

 ミリアストラの誘いを断りきれず、結城はハンガーまでの短い間、質問攻めにされてしまった。



「……応援してるから頑張ってね。それじゃアタシは用事があるから……。バイバイ。」

「さよなら。」

 アール・ブランのハンガーに到着すると、ミリアストラはこちらの肩から腕を外し、そのまま通路を進んでいく。

 てっきりハンガーの中までついて来ると思っていた結城は、あっさりと別れることができて安堵していた。

 ハンガーの扉の前で、去っていくミリアストラの後ろ姿を眺めつつ、結城はミリアストラと会話した内容を思い出す。

(結局、根掘り葉掘り聞かれてしまったな……。)

 週にどれくらい会っているのか、デートには何回行ったことがあるのか、お互いどのくらい相手のことを知っているのか、などなど……。

 そのたびに本当のことを答えたが、自分で言ってみて、改めて客観的に考えてみると、諒一と私が恋人同士だと思われていても仕方がないことに気がついた。

 周りの人達が私と諒一を弄るのも仕方ないように思えるほど、恋人としての条件が揃っている上に、完璧に整っているのだ。

 ぶっちゃけ、諒一と一緒にいるのは苦にならないので、告白や恋愛や結婚をすっ飛ばして、さっさと夫婦になりたい気分だった。

(家事もやらないでいいし、楽だろうなぁ……。)

 エプロン姿で黙々と家事をこなす諒一を想像していると、何処からともなくランベルトが現れた。

「嬢ちゃん、誰と話してたんだ?」

 まだ作業は終わっていないのか、作業用のゴーグルや手袋を付けている状態だった。

 結城は通路を進むミリアストラに向けて指をさす。

「あの人と話してた。E4のミリアストラさんだ。」

「へぇ、そうか。……女性ランナー同士で仲よさそうじゃねーか。」

「うん。諒一と喧嘩したときに仲裁してくれたし……それに今日はアール・ブランを応援しに来てくれたらしい。」

 ランベルトも、こちらと同じようにミリアストラの後ろ姿を眺める。

「応援か……いい人みたいだな。」

 しばらく眺めると、ミリアストラは角を曲がって見えなくなってしまった。

 結城は視線を元に戻したが、ランベルトはまだ通路の先を見つめていた。

「……おまけにスタイルもいい。」

「どこ見てんだ。」

 アゴを撫でながらニヤニヤしているランベルトに呆れつつ、結城はハンガー扉に向けてランベルトの体を押す。

「……いいから早くハンガーに戻れよ。諒一が待ってるんだろ?」

「そうだったそうだった。嬢ちゃんは気にせずゆっくり休めよ。」

 ランベルトが扉を開けようとした時、タイミングよく扉が開き、中から鹿住さんが出てきた。

 鹿住さんの手には携帯端末が握られており、片手で持ってそれを操作していた。

 そして、何故か思いつめたような表情をしており、その真剣な眼差しを携帯端末の画面に向けていた。

「あれ……鹿住さん?」

 こちらが声をかけると、鹿住さんはハッとしたように顔を上げた。

「あ、結城君、シャワー終わったんですね。」

 そう言うと鹿住さんは続いてランベルトにも話しかける。

「それで、ランベルトさんはこんな所で何やってるんですか。諒一君、一人で大変そうですよ?」

「分かってるっての。そんなに急かすなよ。」

 ランベルトは鹿住さんと入れ替わるようにしてハンガーの中に入って行く。

 しかし、扉を越えた所でランベルトはこちらに振り向いた。

「あれ、どこに行くんだ? アカネスミレの整備はまだ終わってないだろ。」

「いえ、足りないパーツがあったので、船まで取りに……。安心して下さい。そっちみたいにサボる訳ではないですから。」

「サボってねーよ……。」

 そのランベルトの言葉には全く自信がこもってなかった。

 そのままその場を去ろうとする鹿住に向けて、結城は声をかける。

「鹿住さん、パーツ運ぶの手伝おうか?」

「大丈夫です。小さいものですから私一人で十分です。それに、すぐに戻りますから心配しないで下さい。」

 鹿住は一方的に結城の提案をことわり、足早に去っていった。

(鹿住さん、妙に焦ってたような……。)

 結城は、鹿住の様子が少しおかしいと感じていた。

 よく考えれば、ここから船にいくのならば、徒歩よりリフトを使ったほうが早い。

 わざわざ歩いていくということはゆっくりと考えたいことがあるのだろうか。……ついさっきも携帯端末を見て悩ましい表情を浮かべていたし、やはり何か困ったことを抱えているに違いない。

 結城は思わず思っていたことを口にしてしまう。

「心配だなぁ……。」

「カズミのことなんか心配する必要ねーよ。小さいパーツって言ってたし、一人で持てるだろ。」

 ランベルトは全く気にしていないようだったが、結城はハンガーには戻らず、鹿住の後を追いかけることにした。

「……あれ嬢ちゃん、どうした?」

 走って鹿住の後を追いかけようとした時、ランベルトが不思議そうにこちらを見た。

 “鹿住さんが心配だから後を追いかけてみる”と言うと、ランベルトも面白がって付いてきそうだったので、結城はとっさに嘘をついてごまかす。

「なんでもない。……ちょっとトイレ。」

「そうか、ならそのままゲストルームに行って休んどけ。リョーイチには俺がそう言っとくから。」

 ランベルトはこちらを疑う素振りも見せず、ハンガーの中に入っていった。

 邪魔者がいなくなり安心した所で、結城は鹿住を追うことにした。


  3


「誰もいませんね……」

 七宮から『作戦開始』の連絡を受け、鹿住はトライアローのハンガーを訪れていた。

 現在、鹿住は扉の前まで来ており、その隙間から中の様子を覗いている状態だった。

 ……アール・ブランのハンガーを出た時に、ランベルトさんや結城君を遭遇した時は、一瞬ドキリとしたが、我ながら上手くごまかせたように思う。

 道中何度も振り返って、誰も付いてきていないことを確認したし、バレることはないだろう。

(怪しまれないようにするためにも、さっさと済ませないといけませんね……。)

 鹿住は、七宮からトライアローのシステムに物理的ハッキングをするように命じられている。

 その方法は至極簡単で、直接トライアローのVF管理システムに時限式ウィルスを忍ばせるだけでいい。

 そうすれば、試合中にVFがオーバーロードを起こし、数秒間だけではあるが相手の動きを封じることができる。そして、数秒もあれば余裕を持って勝つことができる。

 これは、エネルギー供給料を多めに表示させてセーフティーを無理やり発動させるだけなので、証拠を消すのも簡単だ。

(……本当にやっていいことなのでしょうか……。)

 ウィルスの入っているデータカードをポケットの中で触りながら鹿住は考える。

 今からやろうとしていることは、違反行為だ。

 しかし、アール・ブランが1STリーグに出場するためには必要な手段らしい。

 鹿住個人の意見としては、あまり気の進まないやり方だったが、確実に勝つためには仕方のないことなのだ。

 そう割り切ることにした。

「……。」

 どうやら七宮さんの囮作戦は上手くいっているようで、ハンガー内どころか近くの通路にも人気がない。

 鹿住は意を決すると、トライアローのハンガー内に侵入する。

(一体、七宮さんはどんな方法でスタッフを追い払ったのでしょうか……)

 驚くほどハンガー内は静寂に満ちていた。

 ハンガー内に聞こえるのは自分の足音、そして少し緊張気味の呼吸音だけだった。

 鹿住は悠々と歩き、すぐにVFシステムを統括している大きめの端末に辿りついた。

 探すのに手間取るかと思ったが、基本的にどのチームも機材の配置は似ているらしい。

「……さて、早く終わらせましょう。」

 鹿住は懐からデータカードを取り出し、大きめの端末の空きスロットを展開させる。

 そしてコンソールに手を振れようとした時、背後から「え?」という声が聞こえてきた。

 こういうシチュエーションならば、七宮さんは喜んで自分を驚かすだろう。しかし、その声は明らかに七宮さんのものではなかった。

(まさか……)

 その声がトライアローのスタッフか、警備員の声だったならばまだ救われたかもしれない。

 だが、声の持ち主は、鹿住が考え得る中で最も最悪の人間だった。

(まさか、そんな……)

 自分が考えている人物ではありませんように。

 そんな無茶な願いを神様が聞き入れてくれるはずもなく……


「鹿住さん? ……こんな所で何して……」


 振り向くと、困惑の表情を浮かべる結城の姿があった。

「結城君……」

 ジャージ姿の結城君は妙に落ち着いている。髪がしっとりと濡れているのは汗のせいではない、シャワーを浴びたせいだろう。

(流石に、七宮さんの変装じゃないですよね……。)

 雰囲気はもちろんのこと、身長や体のラインは女性そのもので、どこからどう見ても本物の結城君だった。

 ……気付かなかったが、後をつけられていたらしい。

 それに気付かぬ自分を責めたいのも山々だったが、とにかくこの状況をどうにかせねばならないと思い、鹿住は必死で説得性のある理由を必死に考えていた。

 だが無常にも、結城君はすぐに事の真相にたどり着いてしまった。

「まさかそれって……」

 結城にデータカードを指さされ、鹿住は咄嗟に端末からそれを引きぬいた。

 それを背後に隠しながら、鹿住はしどろもどろに応える。

「これは、その……」

 苦し紛れに言い訳をしようと思ったが、そのデータカードは接近してきた結城によって奪い取られてしまった。

 結城はそれをしばらく見た後、鹿住に向けて突き出した。

 そして、それが何であるかを確認するように鹿住に問いかける。

「……これ、ウィルスか何かだよな……? こんな場所にまで来てこんなことを……言い逃れできないぞ、鹿住さん。」

「違うんです、私はただ……」

 結城に近付き、弁明を続けようとした鹿住だったが、近寄ろうと足を踏み出した瞬間に押し飛ばされてしまった。

 同時に、結城から罵声を浴びせられる。

「黙れ!!」

 その声が届くと同時に鹿住は端末に背中を打ち付けてしまい、その場に崩れて2,3度咳き込んだ。

(うっ……痛……。)

 結城君は一瞬だけこちらを気遣うような素振りを見せたが、こちらに手を差し伸べたりするようなことはなかった。

 あの結城君が私を押し飛ばす……それほど私に対して憤りを感じているのだろう。

 これは、下手に言い訳をするよりも、正直に話して謝るほうが得策かもしれない。

「結城く……」

 そう思い、鹿住は再び結城に話しかけるも……

「黙れ黙れ黙れ!!」

 結城は鹿住の言葉を拒絶するように何度も同じ言葉を繰り返していた。

 そして、こちらが何も喋らなくなると、今度は結城がわなわなとした様子で話し始める。

「見損なった……。鹿住さんがそんなことをする人だったなんて……」

 結城は俯いており、鹿住はその表情を見ることができなかった。

 怒っているのか、それとも哀れんでいるのか、はたまた恨んでいるのか……全く判断ができない。

 何も言わずに聞いていると、急に結城は顔を上げて、雷に打たれたかのような表情をこちらに向けた。

「もしかして、今までの相手にも……!?」

 どうやら結城君は、これまでも私がこんな事をして相手チームの妨害をしていたと思ったらしい。

 リュリュ君の件で実際に妨害工作を経験したこともあるし、結城君がそう疑うのも仕方のないことだ。

 今更言っても信じてくれないかもしれないが、鹿住は本当のことを告げる。

「今回が……今回が初めてです。」

 知りうる限りでは今回が初めてなはずだ。

 これより前の試合でも七宮さんが何かをしていた可能性はあるが、知った事ではない。

 ……こちらの言うことを信じてくれたのか、結城君は質問を繰り返す。

「なんでだ……なんで今回に限って!?」

「それは……トライアローには勝てないと思ったからです。」

 そう素直に答えると、いきなり結城君はこちらの襟元をぐっと掴んできた。

 白衣が千切れるのではないかと思われるほどの力で握られており、抵抗しようにも抵抗することは出来なかった。

 特に首が苦しいわけでもなかったが、完全に身体の自由が奪われていた。

 その肉薄した状態で、結城君はこちらにむけて訴える。

「馬鹿にするな!! こんな卑怯なことをしてまで勝とうだなんて思ってない!! 私を……馬鹿にするなぁ……。」

 結城君の声は震えていた。

「謝れ、ランベルトに、諒一に……チームのみんなに謝れよ!!」

 それだけ言うと、結城君は徐々に力を緩めていき、こちらの襟元から手を離した。

 結城君の目には今にも零れてしまいそうなほどの涙が溜まっていた。

「……。」

 結城の心からの叫びを聞いて、鹿住は自分のやろうとしたことが、どれだけ愚かで大それた事であったかを今更ながら自覚する。

 こんなやり方は間違っているのだ。

 こんなやり方が許されるわけがないのだ。

 ……しかし、それよりも、結城の信頼を失ったこと、そして結城の自分に対する思いを踏みにじってしまったことを悔やんでいた。

(すみません七宮さん、これ以上はもう無理です……)

 まだ、トライアローのスタッフに見つかっていないし、ウィルスも注入していない。

 いまなら引き返せるかもしれない。

 結城君にこんな思いをさせてまで、目的を遂行させる意味はない。価値もない。

「結城君、私は……」

 こうなってしまった理由を、そして全ての元凶を結城君に伝えようとした時、入口付近から複数の足音が聞こえてきた。

「よし、そろそろ入るぞ。出入口は固めておけ。」

 いきなり発せられた威厳のある男性の声に、鹿住と結城は身をこわばらせる。

 それは他の人間に向けられたものであったが、数秒後、その声はこちらに浴びせられることとなる。

「おい貴様ら、一体そこで何をしている!!」

「!?」

 その声と共に、大勢の人間がハンガー内に侵入してきた。

 今更逃げる気力もなく、鹿住はおとなしくして、大きめの端末の前から動くことはなかった。

 みるみるうちに鹿住と結城は大勢の人に囲まれていく……よく見ると全員がトライアローのスタッフだった。

 その中から一人、白髪をオールバックにしている初老の男性がこちらに近づいてくる。

(あれは……トライアローのチーム責任者、確か名前はフォシュタルでしたか……。)

 鹿住は以前、雑誌で顔写真を見かけたことがあったのでよく覚えていた。

 写真とは違い、今はサングラスを掛けているが、それでも十分判断できるほど存在感があった。

 フォシュタルは結城の前まで迫ると、結城の手からデータカードを取り上げた。結城も特に抵抗することなくそれを渡した。

 フォシュタルはデータカードの裏と表を交互に見ながら喋る。

「なるほど、これがウイルスか。」

 そう言うと最後に鹿住と結城の顔を一瞥し、データカードを懐にしまった。

「話では女が一人と聞いていたが……まだどこかに隠れていないだろうな?」

「聞いていた……?」

 情報が漏れていたということだろうか。

 こちらが質問するように言うと、律儀にもフォシュタルは懇切丁寧に答えてくれた。

「先ほど匿名で連絡があってな、“もうすぐ女がウイルスデータを持って現れる”と。……悪戯か何かと相手にしていなかった。しかし、嘘だとも言い切れなかったのでな。息抜きのつもりで冗談半分に罠を仕掛けておいたんだが……嘘ではなかったようだ。」

(一体誰が……)

 誰にせよ、七宮さんを出し抜くとは、相当できる人間に違いない。

 鹿住が色々と可能性を考えている間、フォシュタルはずっと結城のことを見ていた。

「それにしても、まさかユウキ嬢が犯人だったとは……」

「……。」

 なぜか結城はそれを否定しない。

 それどころか、先ほどからずっと黙ったままだ。

(結城君、一体どういうつもりなんでしょうか……このままでは……)

 このままでは、何もしていないのに、自分と同罪になってしまう。

 それだけは避けなければ駄目だと思い、鹿住は咄嗟に結城を庇ってみせた。

「違います。結城君は……関係ありません。」

 鹿住は一歩前に出て、結城とフォシュタルの間に割り込む。

 いきなり出てきた鹿住に対し、その勢いに押されたフォシュタルが一歩後退した。

「なんだ? 罪を一人で背負うつもりか。」

「はい。全部、私の独断でやったことですから。」

 鹿住が動きを見せたことにより、周りを囲んでいたスタッフの包囲がより狭まる。

「……すみませんが、結城君を見逃してもらえないでしょうか。」

「それは難しい相談だな……ところで、お前はユウキ嬢とどんな関係なんだ?」

 ここにきて、自分が名乗っていないということに気がついた。

 罪が消えることはないが、名乗っておけば信頼度は多少なりとも上がるかもしれない。

 そう思い、鹿住は自己紹介することにした。

「私は鹿住葉里。アール・ブランでVFの管理を行っているエンジニアです。」

 よく聞こえるよう、通る声で堂々と名乗る。

 すると、フォシュタルはサングラスを外し、それをグレーのスーツの内ポケットに仕舞って、紳士的に自己紹介し始めた。

「フォシュタル・クライレイだ。御存知の通り、トライアローのオーナーをやらせてもらっている。」

「あ、わざわざどうも……。」

 丁寧に自己紹介を返され、鹿住は反射的にお辞儀をしてしまった。

「……。」

 頭を下げたままの状態で鹿住は考えを巡らせる。

 今更、慌ててお辞儀を中断しても見苦しいし、こちらが慌てている様子を見せると舐められるかもしれない。ならば、この動作が当たり前であるかのように、最後までやり切るしかない。

 そう思い、鹿住は十分に時間をかけてお辞儀の動作を完璧に行った。

 顔を上げても周りの人間に特に変化はなかったが、心なしか、向こうの警戒が解けたような気がする。

 やはり、こんな状況でも礼儀というのは役に立つらしい。やっておいて損はなかったということだ。

 こちらの身元が分かった所で、フォシュタルは持論を展開させた。

「……なるほど、“どうしても不正行為を許せないユウキ嬢がお前を止めにここまで追いかけて来た”というわけか……。なら、先ほどの匿名の連絡もアール・ブランのチームメンバーがやったのかもしれないな。」

 誰がフォシュタルに連絡したかはともかく、結城君に関しては100%当たっている。

 鹿住はその論を肯定して訴え続ける。

「そこまで分かっているのなら話は早いです。……結城君がこんな事をする人ではないと、そちらもよく知っていると思います。」

「ふむ……。」

 こちらの言葉を受け、フォシュタルは結城を見て何度か頷いていた。

 そんなフォシュタルの姿に疑問を持ったのか、周りにいるスタッフがフォシュタルに質問した。

「“よく知っている”って……オーナー、ユウキ選手と会ったことがあるんですか?」

 それを皮切りに、別のスタッフも口々に言い始める。

「そう言えば、そんなことを受付の子が言ってたような……」

「そうそう、私もその話聞いた。何でも、いきなりビルに訪問してきたらしいわよ。」

「おい、誰かビルの中でユウキを見かけた奴いないかー?」

 話題にされているというのに、結城は斜め下を向いて何の反応も示さなかった。

(やはりそうでしたか……。)

 ……鹿住は『ユウキ嬢』などと馴れ馴れしく呼ぶフォシュタルの様子を見て、結城とフォシュタルには面識があると予想していたのだ。

 スタッフの会話から判断するに、それは当たっていたようだ。

 そんなスタッフの話に混じり、信ぴょう性の高い話が飛び出してきた。

「……フォシュタルさん、実は自分は見たんです。ユウキタカノはあの白衣の人よりもずっと後にハンガーに入って行ったんです。ですから、白衣の人の言うことは間違っていないはずです。」

「……どうやらそのようだな。」

 その話を信じたらしく、フォシュタルは右手の人差し指を上に向けて、肩の高さあたりでくるくる回し始めた。

「みんな、すまないがハンガーから出て行ってくれ。プライベートな話をしたい。」

 どうやら撤収の合図らしい。

「了解しました。何かあればすぐに呼んでくださいね、オーナー……。」

 スタッフたち不満を言うでもなく、その指示に従ってハンガーの外へ出ていく。

 よほど人望と信頼があるのだろう。ランベルトならこうは行かない。

「おい、お前も早く出るんだ。」

「えーと、自分はその……」

 そんなスタッフの中で一人だけフォシュタルから離れようとしない者がいた。

 他のスタッフに出るように促され、彼は困っているようだった。

「いいから早く。」

 いよいよ彼が外に連れだされようとした時、フォシュタルがそれを止めた。

「いや、彼はいい。気にしないでくれ。」

「そうですか、オーナーがそう言うのでしたら……。」

 スタッフは不服そうな表情を浮かべていたが、他のスタッフと同様、文句も言わずにハンガーの外に出ていった。

 扉が閉じられると黙っていた結城がいきなり謝罪の言葉を口にした。

「すみませんでした……フォシュタルさん。」

 とても申し訳なさそうに謝る結城に対し、フォシュタルは距離を詰めてやさしく言葉をかける。

「ユウキ嬢が謝ることはない、カズミとやらを止めに来たんだろう?」

「そうですけど……鹿住さんはチームメンバーで……。」

 まだ私をチームメンバーだと思ってくれている。

 さらに、私のために謝罪してくれている……。

 結城のその言葉は鹿住にとって嬉しいものだった。

「本当にユウキ嬢が気に病むことはない。……ほら、これだ。」

 フォシュタルはポケットから無線機のようなものを取り出した。

 それを結城にもたせると、フォシュタルは大きめの端末の前に移動し、先ほど結城から奪ったデータカードを挿入した。

 すると、無線機のようなものからサイレンが鳴り出した。

「!?」

 音に驚いた結城が無線機のようなものを持って右往左往していると、フォシュタルがそれを手にとって、すぐにサイレンを止めた。

「あのダミーの端末に未認証のデータカードを入れると、すぐにこのサイレンが鳴るように設定していた。だが、サイレンは一度も鳴らなかった。……つまり、未遂だったということだ。」

「最初から分かっていたんですね……」

 無駄に凝ったしかけを見て、呆れたように鹿住は呟いた。

 それが聞こえていたのか、フォシュタルはこちらを向いてキツめに話す。

「しかし、未遂とはいえ犯罪は犯罪。ついでに言うと不法侵入したのは事実だ。そう簡単に許すつもりはない。」

 至極当然の意見だ。ぐうの音もでない。

 フォシュタルは更に言葉を続ける。

「……とは言っても試合前だ。こちらとしても事を荒立てるつもりはない。……どちらにせよ、罪を追求するとなれば、それは明日の試合が終わってからになるな。」

 鹿住は、とりあえずこの事態を切り抜けることができ、胸をなで下ろした。

(明日まで時間があれば……アカネスミレを最高の状態で結城君に渡すことが出来ます……)

 妨害工作が失敗に終わった今、私にできることといえば、結城君が100%以上の実力を引き出せるように、アカネスミレを完璧に仕上げることくらいだ。

 もう、目的を達成するためには結城君に勝ってもらうより他ない。

 鹿住が考え事をしている間、フォシュタルも何か考えていたようで、ブツブツと何か独り言を口にしていた。

「あのアカネスミレの開発者が、こんな愚行をしでかすとは考えにくい。……何か特別な理由でもあるのか……それとも……」

 しばらくそんなことを言っていたが、やがて考えがまとまったらしく、いきなりこちらに向けて短い質問を投げかけてきた。

「……誰の指図だ?」

「!!」

 フォシュタルの的確な質問に鹿住は驚く。

 呆気にとられそうになったが、鹿住はすぐにとぼけてみせた。

「何のことですか? 先程も言いましたが、これは私が独断でやったことです。」

 さすがに、七宮さんに関しては本当の事を答えるつもりなどなかった。

 が、フォシュタルに答えなど必要なかった。それほど、こちらの反応はわかりやすく、見え見えだったのだろう。

「そうか……。」

 こちらの反応に満足したのか、フォシュタルはサングラスをかけ直し、踵を返した。

 そのまま扉へと歩いて行き取っ手に手をかけた所で、フォシュタルはこちらに背を向けたまま話す。

「幸いにも未遂で済んだことだし、特別に今日起こったことには目をつぶろう。」

「……はい。」

 鹿住がフォシュタルの背中に向けて返事をすると、フォシュタルはハンガーの扉を開けて、外に出るように促した。

「さあ出て行け。明日はお互い正々堂々と戦おうじゃないか。」

 鹿住と結城はそれに従いハンガーの外へ出る。

 途中、扉の前でフォシュタルとすれ違い、結城君はフォシュタルの前で立ち止まった。

「ありがとうございます、フォシュタルさん。」

「……次はない。」

「わかりました……。」

 そんな会話を背後に聞きながら鹿住は通路に出る。

 出ると、トライアローのスタッフがズラリと並んでおり、全員の視線がこちらに向けられていた。それは非難の目ではなく、むしろ興味の目であった。

 一体何を話したのか、気になっているに違いない。

 鹿住と結城が十分に離れると、スタッフはなだれ込むようにハンガー内に入っていった。

 そんな光景を見ながら、鹿住は結城に声をかける。

「結城君……」

「……。」

 結城は俯き、とぼとぼと歩いていた。

 いつもの結城君と全く様子が違う。名前を呼んだというのに全く反応してくれない。

 自分は結城君にどれほどのショックを与えてしまったのだろうか……。

 関係の修復は不可能で、一度失った信頼は簡単に取り戻せそうになかった。

「その、さっきは……」

 再び話しかけようとすると、こちらの言葉を無視して結城君が一方的に喋りだした。

「……今日はもう休む。ハンガーには戻らないから。」

 それだけ言って、結城君は走りだした。

 鹿住は通路に立ち尽くしたまま、結城の背中を、そしてその背中で揺れる髪を見ていた。

(結城君……。)

 追いかけるべきかどうか悩んでいると、懐から着信音が鳴り始めた。

 どうやら携帯端末に通信が入ったらしい。

 携帯端末を取り出そうとしてもたもたしている内に、結城は通路の奥へと消えて行ってしまった。

 鹿住は追跡を断念せざるを得なかった。

「はぁ……。」

 どうせあの人からだろうなと思いつつ、鹿住は携帯端末を耳に押し当てた。

「鹿住です。」

 こちらが応答すると、予想通りスピーカーからは七宮さんの声が聞こえてきた。

「見つかっちゃったみたいだね……鹿住君。」

 七宮さんの第一声は、まるで私が失敗するのを予期していたかのような言い方だった。

 七宮は更に続けて言う。

「……でもまさか、結城君にもバレてしまうとは想定外だったよ……災難だったね。」

(あれ、何でそのことを知って……!?)

 それを聞いて、鹿住は何故あのようなことが起きてしまったのか、その原因がわかってしまった。

 それを確認するべく、鹿住は七宮に問い正すように言う。

「七宮さん、あのチーム責任者は“匿名の連絡があった”と言っていました。……あれって、七宮さんだったんですね……?」

「そうだよ。僕が連絡を入れたのさ。」

 悪びれる様子もなく七宮は答える。

 一見、理解し難い、自滅のような行為に思えるが、鹿住はそうだとは思わなかった。

 なぜならば、それも七宮の作戦の内だったからだ。

「なるほどそうでしたか。……私が『囮』のほうだった、というわけですね。」

「まぁ、そういうことになるね。急な変更だったけれど、上手くいってよかったよ。」

 スピーカーから聞こえてくる七宮さんの声は、すっかり成功に満足しているような爽やかな声だった。

 何も知らされず囮をやらされた身からすると、堪ったものではない。鹿住は、とてもじゃないが、爽やかな気分にはなれなかった。

「どうして黙ってたんですか!? せっかくウィルスも用意して……はぁ。」

 そういえば、フォシュタルにばっちり証拠を握られていることを思い出し、鹿住は喋っている途中で思わずため息を出してしまった。

「ごめんごめん。」

 七宮さんは一度謝り、すぐにこちらに黙っていた理由を話し始める。

「……実際、あのウィルスもよく出来てたと思うよ。でも、トライアローのランナーを調べる内に、システムを混乱させるだけじゃ不十分かもしれないと思ってね……」

「もういいです。七宮さんの考えに気付かなかった私がわるかったんです。」

「なんだい鹿住君、拗ねることないだろう。らしくないなぁ。」

 七宮の相変わらず気の利かない脳天気な口調に、鹿住は携帯端末を握り締める。

 常日頃から七宮さんの言動には手を焼いているが、今回ばかりはこのイラつきを我慢できそうにない。

 思い切り握っても壊れない携帯端末の頑丈さに感謝しつつ、鹿住はぶっきらぼうに返事する。

「さすがに私でも拗ねますよ……。七宮さんのせいで、結城君に嫌われてしまったんですから……。」

 鹿住にとっては、なによりもそれが辛かった。

 結城君とは最近ようやく打ち解けてきたというのに、こんな事になってしまっては、どう関係を修復すればいいのか分からない。

(と言いますか、修復できる気がしません……。)

 改めて落ち込んでいると、ようやくそれを察してくれたのか、七宮さんが落ち着いた声で機嫌を伺うように問いかけてきた。

「後悔してるのかい?」

「……。」

 こちらの沈黙を肯定と受け取ったのか、七宮さんは諭すような口調で語ってきた。

「こんなことは言いたくないんだけれど、鹿住君は僕の指示に従うと約束したはずだよね。……もう後戻りはできないんだよ。わかってるかい?」

「そんな事はわかってます。」

 七宮さんの言っていることはわかっている。わかりきっている。

 だからこそ、そんなところを結城君には見られたくなかった、知られたくなかったのだ。

(しかし、いずれ露見することを考えると、早めにばれてよかったのかもしれませんね。)

 それだけ、傷が浅くて済むというものだ。

 でも、浅いとはいえ、痛いものは痛かった。

 鹿住が、これ以上の心の痛みを想像していると、七宮が口調を戻して話を再開した。

「……まぁ何にせよ、騙してしまったことについては謝るよ。悪かったね。……でも、鹿住君が囮をしてくれてた間に、こっちでVFにいろいろ仕掛けることができてよかったよ。」

「仕掛けた……って、ここに来てるんですか!?」

 思わず大声を出してしまい、鹿住は慌てて口元を手で覆った。

 幸い、通路には誰もおらず、鹿住は一度離した携帯端末を、再び耳に押し当てる。

 七宮さんは「まさか」と前置きしてこちらの考えを否定し、すぐに説明を開始した。

「そっちに行きたいのも山々なんだけど、今はこっちでも忙しいからね。……僕の代わりに、隠密作戦に最適な人材をスカウトしたというわけさ。今度鹿住君にも紹介しよう。」

 どうやら、私が結城君やフォシュタルと会話している間に、そのスカウトされた人物がVFに何かを仕掛けたようだ。

 あんなに短時間で組み込めるような仕掛けで、トライアローのメイルシリーズに損害を与えられる気がしない。自分の時限性ウィルスのほうがよっぽど有効的だと、鹿住は考えていた。

 どんな仕掛なのかが気になり、鹿住は純粋に興味心から七宮にその仕掛について訊いてみることにした。

「それで、どこに何を仕掛けたんですか?」

「それは秘密だよ。……あと、くれぐれもこの事は結城君に言わないようにね。」

「まさか、……そのくらいは心得てます。」

 結城君の件はともかく、なぜ仕掛けを教えてくれないのか、鹿住には理解できなかった。

(まさか爆発物じゃありませんよね……。)

 試合中にそんなものが爆発すれば、明らかに『妨害があった』と発覚してしまう。

 つまり、あまり目立たず、それでいて効果的に相手の動きを封じる仕掛けである必要がある。

 現実的には、物理的損害を与えず電気系統のみを狙うのが得策だ。だが、外部からそんな装置を付けていれば、システムチェックの時に発覚してしまう可能性が高い。

(一体、どんな仕掛けなのでしょうか……。)

 ついさっきまでの悩みも忘れて色々と思案していると、七宮さんが通信を切るべく別れを告げてきた。

「分かってるならいいんだ……とにかく、ご苦労様。」

 その言葉の後、すぐに通信が終了された。

 鹿住は我に返り、改めて結城とどういう風にコミュニケーションを取ればいいのか、思い悩む。

 しかし、試合前になれば必然的に顔を合わせることになるので、その時に失敗しないよう、今から慎重に言葉を考える必要があると思っていた。

(そういえば、アカネスミレのメンテナンスの途中でした……。)

 どちらにせよ、最低限の仕事はやっておく必要があると思い、鹿住はアール・ブランのハンガーに急いで戻ることにした。 


  4


 1STリーグの海面下の施設、そこには様々な用途に対応するべく、様々な設備がある。

 その内の一つにゲストルームもあり、結城はその一室で目を覚ました。

(いつの間にか寝てたみたいだ……。)

 うつぶせ状態になっていたため、結城は寝返りをうって仰向けになる。同時に目から頬にかけて液体が伝う感触があった。

 ……涙だろうか。

 通路で鹿住さんと別れ、寄り道せずにゲストルームに戻ったところまでは覚えている。

 どうやら、そのままベッドに倒れこんで寝てしまったらしい。

 泣きそうになるのを我慢したまま寝てしまったので、眠っている間に勝手に涙が出てきたのだろう。シーツも涙やら何やらでぐちょぐちょになっているかもしれない。

 結城は心のなかでシーツを洗わねばならない清掃員に謝罪し、ジャージの裾で頬の涙を拭った。

 ……リーグ開催期間中、結城はゲストルームに宿泊することになっている。

 ゲストルームは100室近くあり、そのほとんどが2人部屋だ。内装もそこそこ綺麗で、ホテル並にサービスも充実している。

 昇格リーグに出場するチームのスタッフの多くがこの場所を利用しているのだが、遠くからやってきたチームの中には自前の輸送船で寝泊まりしているスタッフもいるらしい。

 このゲストルームよりも快適な船室があるのかが疑問たが、慣れている場所で寝泊まりしたいという気持ちはよく理解できた。

 なぜならば、海上都市に越してきた当初、期間はとても短かったものの、結城もホームシックというものを体験したことがあったからだ。

 その時は、シミュレーションゲームで遊び、気を紛らわせたものだ。

(セブンもよく夜中まで付き合ってくれたよなぁ……。)

 過去を懐かしみながら、結城は天井を眺めていた。

 現在、室内は明かりが点いておらず、ついでに窓もないので真っ暗だった。ドアの隙間から漏れる通路の明かりが、微かに天井と床を暗闇から浮かび上がらせていた。

 そしてその暗闇の中で、唯一、時計の文字盤だけが自ら光を発していた。

 その時計を見ながら、結城は一緒にこの部屋に泊まっている人物について考えていた。

(ツルカ、遅いな……。)

 ゲストルームにこもってから数時間は経っている。まだ寝るような時間ではないが、そろそろ帰ってきてもいい頃だ。

(もしかして、他の部屋に移ったんじゃないだろうな……。)

 部屋の割り振りを決める時、学生寮のように男女で別れているわけでもないので、結城は諒一と同室でも良かったのだが、諒一がそれを頑なに拒否した。

 結局諒一はランベルトと同じ部屋に泊まることとなり、代りにツルカと一緒になった。そのため、室内の雰囲気はあまりいつもと変わらぬ状況になっている。

 変わっていることといえば、いつものように諒一のおいしい料理が食べられないということくらいだ。連続して試合があるため、決められたもの以外口にすることができないのだ。

 それも諒一の料理には間違いないのだが、妙に味気ない。

 ちなみに、鹿住さんの部屋は……

 鹿住という名前が出て、結城はトライアローのハンガーで起こったことを思い出す。

(鹿住さん……どうして……)

 結城は一人、ベッドの上で仰向けになってさっきの事件を思い返す。

 思い出すと、また目から何かが流れてきそうになり、結城はベッドの上にあった柔らかい枕を顔の上に載せた。

(どうしてあんな卑怯な事を……。)

 シャワーを浴び終えた後、素直にゲストルームに直行していれば、こんな思いをしないで済んだのかもしれない。

 鹿住さんをひそかに追っている途中、鹿住さんは私に追われていることも知らないで何度も背後を気にしていた。

 その様子を見た時、結城はこんな事になるかもしれないと予感していた。だからこそ、見て見ぬ振りはできなかったのだ。

 しかし情けないことに、通路で声をかけることも、トライアローのハンガーに入って行く鹿住さんを止めることも出来なかった。

 本当は、自分が鹿住さんを事前に引き止められたはずなのだ。

(悔しい……あの時、私に勇気があれば……。)

 この事件に関して、結城は必要以上に責任を感じていた。

 それに加え、鹿住さんの信じられないような行動に、結城はかなりのショックを受けていた。

 2つの感情がごちゃまぜになり、それによって結城はよく分からない不安を感じ、その結果、涙を流すより他にこの不安を解消する手段がなかったというわけだ。

 どんどん流れてくる涙を枕に吸水させていると、不意にゲストルームのドアが開く音が聞こえた。ツルカが帰ってきたようだ。

 ツルカにこんな姿を見せたくなかった結城は、咄嗟に枕を後頭部に回し、寝たふりをすることにした。

「……。」

 すぐにドアが閉じる音がし、それからしばらく何の物音も聞こえなかった。

(あれ……?)

 ツルカならばこちらの都合も考えずベッドにダイブしてきそうなものだが、入り口から動く気配すらない。

 結城が何か様子が変だと思い始めた頃、小さなささやき声が結城の耳に届いた。

「結城君、起きていますか?」

 それはツルカのものではなかった。……鹿住さんだった。

 その声は耳触りのいいやわらかな声で、こちらを気遣っているのがよくわかった。

「起きてるよ、鹿住さん……。」

 結城は目を閉じたまま返事をした。

 すると、部屋の明かりがつけられ、普通の口調で鹿住さんが話しかけてきた。

「結城君、私の話を聞いてくれませんか?」

 結城は寝るふりをやめて、目を開けた。

 明るさに慣れるまで何度か瞬きをし、しばらくしてから寝たままの状態で鹿住さんに目を向ける。 

 鹿住さんはこちらが返事をするまで、入り口付近から微動だにしていなかった。

 手にはゲストルームのカードキーが握られていて、それで室内に入ったらしかった。

 ツルカから借りたか、それとも上手く言いくるめて譲り受けたのだろうか。部屋を交換した可能性もありえなくはない。

 しかし、今はそんな事は関係ない。

 結城は言葉を待っている鹿住に返事する。

「話って……なんだ?」

 十分時間を掛けてゆっくりと言った。

 すると、鹿住は若干緊張気味に語りだした。

「……今回の事で見苦しい言い訳をするつもりはありません。私はただ、アール・ブランがトライアローに勝つためにあんな妨害行為をやろうとしていたんです。……結城君が止めてくれなければ、私は取り返しの付かないことをやっていたでしょう……。」

 反省しているようだ。

 ちょっとした気の迷いみたいだが、そのちょっとした気の迷いでウィルスを作れてしまうのだからすごい。

 結城も自分が思っていることを打ち明けることにした。

 寝ながらだと話しにくいので、結城は上半身だけ起こして体の向きを鹿住に向ける。

「私も、トライアローには勝てないかもしれないって思ってた。だけど、勝てるように最大限の努力はするつもりだった……。」

 喋っている内に声が震えだす。

 何とかして呼吸を整えるも、抑えようにも抑えられなかった。

 しかし、結城は喋り続ける。

「……自分の実力と、鹿住さんが作ったアカネスミレを信じるつもりだった……。それなのに……。」

 そして、とうとう涙声になってしまう。

「何で私を信じてくれなかったんだ……。鹿住さん!!」

 鹿住さんは始終俯いてこちらの言葉を聞いていた。

 結城は、自分に実力が無いから鹿住がああいう手段に出たのだと思っていた。そのため、自分が考えている以上に鹿住がやったことに対してショックを受けているわけだった。

 結城は更に自分の思いの丈を鹿住に伝え続ける。

「そんなに私は頼りなく見えるのか!? 私にはあんな事を言って褒めておいて、心のなかではトライアローに敵わないって思ってたんだな!?」

 『裏切られた』という言葉が頭の中に浮かんでは消える。

 私を褒めてくれたのも、仲良くしてくれていたのも、全てアール・ブランが勝つために仕方なくやっていたのではないか、という猜疑さえ抱きそうになる。

「いえ、そんなことはないです。私は本気で結城君のことを頼りにして……」

 こちらの言葉を聞いた鹿住もショックを受けたような顔をしていた。

 それも演技かもしれないと結城は疑う。

「……そんな言葉、もう信じられない……。信じられないんだ……。」

 堪らなくなり、結城は鹿住から目をそらす。そして体に掛かる白いシーツを見る。

 シーツには涙の跡があり、強く握っていたせいで一部がしわくちゃになっていた。

「すみません。結城君。全部私のせいですね……。」

 ここにきて、ようやく鹿住が入り口からベッド付近まで移動してきた。

 視界の隅でそれを捉え、今度は結城が俯いたまま口を固く結ぶ。

 鹿住はベッドに片手をつき、結城に背を向けてベッドの縁に腰掛けた。そのせいでベッドが沈み、結城の体が鹿住に向けて少しだけ傾いてしまう。

 それに気付くことなく、鹿住は結城に訴えかける。

「あんな事をしでかした私が言うのも何ですが、……今日のことは忘れて、明日は全力で戦って下さい。お願いします。」

「……もちろん、そのつもりだ。」

 フォシュタルさんも今日のことは無かったこととして見逃してくれた。なので、今日のことを引きずったままだらだらと試合をするようなことがあれば、逆に失礼にあたる。

 すぐに返事をした結城は、それに付け加えて言う。

「……あと、もう二度と鹿住さんがあんな事しないように、明日は絶対に勝つ。勝って、私の実力を証明してみせる。だから……もうあんな事は……」

 これが今の私にできる精一杯のことだ。

 私が勝ち続ければ、何の心配もないのだ。私が強くあれば、鹿住さんが試合の勝敗に一喜一憂することもなくなる。

 こちらの気持ちが伝わったのか、鹿住さんは嬉しそうに返事する。

「はい。頑張ってください。」

 その、ちょっと笑いも混じった返事を聞き、今更になって、結城は自分が言ったことが急に恥ずかしくなった。

(何クサい事言ってるんだ、私は……。)

 その恥ずかしさを隠すため、結城はシーツを被って横向きになる。

「もう私からは何も無い……寝る……。」

 少し不貞腐れたように言うと、急にベッドの沈みが元通りになった。

「そうですか……。」

 鹿住はベッドから離れ、とうとうこちらと顔を合わせぬまま部屋の出口に向かって行く。

「お休みなさい、結城君。」

 結城も何か言葉を返そうと思ったが、なかなか言い出せなかった。

 こちらがもたついている内に、その言葉を最後にして、鹿住さんは部屋から出ていってしまった。

「……。」

 鹿住がいなくなってすぐに結城は上半身を起こし、鹿住が座っていた場所に目を向ける。

 その場所には、カードキーが置かれていた。

 それを見て、結城は鹿住を追いかける気になれなかった。 


  5


 次の日、ついにトライアローとの決戦の日がやってきた。

 結城は、ずっと前からこの展開を予想していたとので、特に緊張することはなかった。

 ……とは言うものの、全く緊張していないわけでもなく、歯ブラシを持つ手が震えるくらいには緊張していた。

 おかげで、口の端から泡だった歯磨き粉が漏れていた。

 それを手の甲で拭いながら結城はぼんやりと今日の試合について考える。

(今日で終わりか……。)

 昨日までとは違い、最終日の今日は負けても勝っても終わりだ。試合が終わると同時に昇格リーグも終了する。

 連日試合をするというのは全く未経験のことだったので、なかなかいい経験になった。

 次にこのような機会があれば、トーナメントが始まる前に3日分のお菓子をたらふく食べるつもりだ。それほど、食事に関してはつらい事が多かったのだ。

 これがもし1週間続いていたら、それだけの理由でわざと負けてしまうかもしれない。

 負ける、という言葉で、結城は1日目と2日目で敗北したチームについて思いを馳せる。

(そういえば、他のチームは負けてるはずなのに、どこも帰ってないな……。)

 結城が知るかぎり、既に負けているチームは、帰ることなく施設内にとどまっていた。

 そういう暗黙のルールがあるのかもしれないが、それよりも、決勝を観戦するために残っていると考えるのが自然だろう。

 負けてしまったチームのためにも恥ずかしい試合はできない。

 あれこれと考えている内に歯を磨き終え、身だしなみを整え終えると、結城はランナースーツに着替えるべく更衣室に向かった。



「おう、来たか。準備は済ませたか?」

 ランナースーツに着替えてハンガーに向かうと、まずランベルトが話しかけてきた。

 体に違和感はなく、スーツにも異常はない。ストレッチも済ませたし、筋肉も十分にほぐれいている。

 結城はその旨をランベルトに伝える。

「うん。完璧だ。」

 こちらが端的に言うと、それを余裕の態度だと受け取ったのか、ランベルトはテンション高めで受け答えた。

「おうおう、良い返事じゃねーか。なんだか勝てそうな気がしてきたぞ!!」

 そんなセリフを言っているが、やっぱりどこか自信なさ気だ。

(無理してるな……。)

 見るからに空元気だったが、ランベルトの精一杯の応援を素直に受け取ることにした。

 ――試合開始まで30分。

 どうやら自分が最後だったらしく、ハンガー内にはメンバー全員が待機していた。

「おはようございます、結城君。」

 その中に鹿住さんの姿もあり、いつも通りとはいかないまでも、小さく手を振って出迎えてくれた。

「鹿住さんおはよう。」

 結城は普通に挨拶を返し、なるべく自然体で鹿住と会話をするように努める。

「……で、アカネスミレはどう?」

 今日の主役であるアカネスミレの調子を訊くと、鹿住さんはハンガーに鎮座しているアカネスミレを見上げて報告し始める。

「メンテナンスも終わり、今はツルカ君がシステムチェックをやってくれています。今のところエラーはゼロですし、後はランナーを待つだけの状態です。」

「なるほど……。」

 アカネスミレを見上げると、コックピット内にツルカの姿を見ることができた。

 アール・ブランのメンバーでもないのに、よく手伝ってくれてありがたい事だ。

 しばらくツルカの様子を見守っていると、鹿住に便乗するように、諒一も武装の状態についてこちらに伝えてきた。

「ブレードも目立った傷はなかったが、今日は最終日だ。新品に交換できるところは全部交換しておいた。……もちろん動作チェック済みだ。」

 そう言いながら諒一に電子ボードを手渡されたが、そんな物を見た所で理解出来ないので、すぐに押し返した。

 超音波振動ブレードは、まだアカネスミレに取り付けられていなかったが、取り付けは数秒とかからず簡単にできるので問題ない。

(特に事もなし。準備万端か……。)

 ちょっと来るのが早かったかと思っていると、いきなり正面にいたランベルトが、こちらの顔面を指さした。

「嬢ちゃん、目が真っ赤だぞ!?」

 一瞬何のことか分からなかったが、結城はすぐにその原因に思い至った。

 鹿住さんの件の後で、不覚にも泣いてしまったからだ。

(そんなに長い間泣いた覚えはないんだけどなぁ……。)

 しかし、目が赤いことに変わりはない。

 朝、鏡を見たときにも気づいていたのだが、痛くも痒くもなかったので放っておいたのだ。

「結城、見せてみろ。」

 ランベルトの言葉を聞いた諒一も、こちらの顔を覗き込んできた。

 結城は思わず顔をそらす。

「そんなに赤いか? 別に何でもない、平気だ。」

 これ以上見られぬようにHMDを被ろうとするも、肝心のHMDはツルカによって使用中だった。

 本人が平気だと言っているのに、ランベルトは納得していなかった。

「平気なわけがあるか!! とりあえず応急処置だ……リョーイチ!!」

 諒一は力強く頷き、近くにあったバッグから救急箱らしきものを取り出す。そして、そこから素早く液体の入った小さな容器を取り出した。

 諒一はその小さな容器のキャップを外しつつ、こちらに向かってきた。

「それは?」

 明らかに目薬だということは分かっていたものの、一応結城は訊いてみる。

 諒一は特に容器に書かれている成分表を見るわけでもなく、簡単に説明する。

「これは炎症を抑える目薬だ。……ほら、上を向いて。」

「炎症って……そんな大げさな。あー……」

 目薬を拒否する暇もなく、諒一はこちらの背後に回り、そのままこちらのメガネを外した。

 今更、拒否する方が面倒だと判断した結城は、諒一の指示に従い素直に上を向く。

「ん。」

 上を向いた途端、結城は諒一によって顎から喉にかけてを片手で掴まれる。続いて結城の後頭部は諒一のみぞおち辺りに押し当てられ、頭部はがっちりと固定されてしまった。

 結果、かなり後ろに重心が寄ってしまう。

「いくぞ。」

 こちらが返事をする前に、すぐに目薬が両目にさされた。

 左目、右目の順に結構な量の目薬を垂らされ、その目薬によって、ぼやけていた景色が更にぼやける。

 そして、結城は目全体に薬が行き渡るよう、上を向いたまま何度か瞬きをした。

 最後に、目から垂れた目薬を拭き取ろうとすると、諒一によって目を無理やり閉じさせられてしまった。 

「しばらくは……そうだな、最低1分は目を閉じたまま我慢してくれ。」

 その諒一の言葉に続いて、柔らかい物が目の下あたりに押し付けられる。その感触から、結城は多分ガーゼか何かだと判断した。

 ガーゼによって余分な目薬が吸い取られ、ようやく諒一はこちらの頭から手を離した。

「1分だな……わかった。」

 全てが終わると、結城は上に向けていた顔を正面に戻し、目頭を軽く押さえる。

 まだ時間はあるのでしばらく眼を閉じていることにした。

 するとすぐにランベルトの声が背後から聞こえてくる。

「よし、これで安心だな。」

 目は開けられないものの、とりあえず結城は顔を声のした方に向ける。

「大袈裟なんだよ、ランベルトは……。」

「そう言うなって……ところで、何であんなに目が赤かったんだ? 夜更かしでもしてたか?」

 口が裂けても“泣いていた”とは言えないので、結城は適当にごまかす。

「そうそう、緊張して眠れなかったんだ。でも睡眠時間は足りてるから安心していいぞ。」

「そうだったか、さすがに嬢ちゃんでも緊張するか……。」

 ランベルトはそれっきり、何も喋らなかった。

 目を閉じ始めてしばらく経つと、今度は上の方からツルカの声が聞こえてきた。

「あれ、ユウキ。来てたのか。」

 どうやらシステムチェックも終わったらしい。

 すぐに地面に着地する音がし、次のセリフはこちらと同じ高さあたりから発せられた。

「ランナースーツもバッチリだし、準備万端だな。あとはトライアローに勝つだけだ。」

「そんな簡単に言うなよ……。」

 こちらが全力を出しても適うかどうか怪しいところだ。

 しかし、鹿住さんと約束した手前、負けるわけにはいかない。手がもげようが、脚を失おうが、諦めるつもりはなかった。

「ユウキなら……絶対勝てる。」

 多分、根拠も何もない言葉なのだろうが、ツルカに言われると不思議と勝てるような気がしてくる。

(どちらにせよ、勝つつもりで戦わないとな。)

 ツルカもああ言ってくれていることだし、結城は自分に自信を持つことにした。

 ……ツルカと話していると、軽い足音がだんだんと近づいてくるのが分かった。

 やがて足音が目前に迫ると、こちらの胸辺りになにか硬いものが押し当てられる。それは胸部プロテクターとぶつかりコツンという音を発生させた。

 もう一分経っただろうと思い、結城は目を開ける。

 すると目の前にHMDが差し出されていた。

「……はいユウキ、HMD。」

「うん。ありがと。」

 ツルカからそれを受け取ると、結城はアカネスミレに目を向ける。

 アカネスミレの真紅のボディを眺めながら結城は思う。

 赤色で良かった、と。

 赤は勝利の色だ。そのおかげで、アカネスミレが勝利しているシーンを想像することができる。

 これが、青や紫ならそうはいかないだろう。

 ……逆に、色にまで自信を求めるほど、結城は切羽詰っていると考えることもできた。

「よし、ちょっと早いけどスタンバイしとく。」

 そう言って、結城はコックピットに向かって歩き始める。

 チームメンバーは、全員黙ったまま結城の動向を見守っていた。

 ハンガーは不気味なほど静かで、それは、この試合がどれほど困難な戦いになるかを暗示しているようにも思えた。

 コックピットに到着すると、結城はHMDを被りシートに腰を下ろす。

 同時にハッチが閉じられ、HMDに周りの状況が映し出される。

 ランベルトはすぐにタバコを取り出し、それを口に加えたまま貧乏ゆすりをしていた。

 諒一は荷物をまとめていた。多分、より良く状況がわかる司令室に移動するためだろう。こちらがリフトを使ってアリーナに行くと同時に移動するに違いない。

 ツルカにはいつものような元気がなく、腕にはめたブレスレットを弄りながらぼーっとしていた。

 鹿住さんは何故か物悲しそうな表情をしてこちらに顔を向けていた。

(みんなも緊張してるんだな……。)

 VFランナーである自分が一番緊張していないように思える。

 時間が来るまで、結城はそんなメンバーの様子を観察していた。


  6


「結城、聞こえるか。」

「うん、聞こえてる。」

 アカネスミレに乗り込んでから15分後、結城はリフトを使い、海面にあるアリーナに到着していた。

 ここに来るのは今日で3回目だが、1STリーグのアリーナに立つのがこれで最後にならぬように願うばかりだ。

「で、今どの塔にいるんだ?」

 結城はアリーナの周囲に建てられている6つの塔を順番に見ていく。

 それらは、アリーナの外周に等間隔で設置されており、どれも同じ形をしていた。

 アリーナと隣接されているわけではなく、少し距離があるため、海から生えているように見えるが、きちんと根元は海面下にある施設と繋がっている。

 光の反射や波のせいでその部分を見ることはできないが、施設内から直接塔に移動できるのだから繋がっていないわけがない。

 順に塔を眺めていき、背後にある塔にアカネスミレのカメラを向けた所で、再び通信機から諒一の声が聞こえてきた。

「そこだ。今は結城の背後の塔にいる。」

「そこって危なくない?」

 塔はアリーナから離れた位置に建てられている。その距離はアリーナの半径の半分くらいだろう。直接VFが届く距離ではないが、流れ弾が当たる確率はそこそこあるように思える。

 しかし、こちらの心配も虚しく、すぐに諒一がこちらを安心させるような情報を教えてくれた。

「大丈夫だ。この塔にはダグラスの耐衝撃技術が余すところ無く使用されている。2NDリーグスタジアムの観客席のほうがよっぽど危ない。」

「それならいいんだけど。」

 そんなものか、と思いつつ結城は視線を正面に戻す。

 まだアリーナにヘクトメイルの姿はない。

 このまま出てこなければいいな、と思ったが、それは絶対にありえない。

 このままでは間が持たないと思い、気を紛らわせる意味でも、結城は試合が始まるまで少しの間、諒一と何か会話することにした。

「ところで、その司令室には諒一の他に誰がいるんだ?」

「誰もいない。」

「え、諒一だけ!?」

 ぶっちゃけ、誰もいなくても平気なのだが、逆に一人しかいないと寂しい感じがする。

 こちらがその理由を聞く前に、先に諒一がひとりひとりの状況を報告してきた。

「ランベルトさんは“邪魔になるといけないから”らしい。ツルカは正式なメンバーじゃないから司令室に入れなかった。鹿住さんは……聞いていない。」

 ツルカは仕方ないとして、あとの2人の理由が気になった。

 特に鹿住さんだ。

 やはりまだ気まずいのだろうか。

(鹿住さん、どうしたんだろ……。)

 別に司令室に来なくてもいいので、昨日の試合と同じように、せめてハンガーのモニターで試合を見てくれているよう、結城は願っていた。

 諒一は無駄な会話をするつもりはないらしく、別のことについて話し始める。

「トライアローは特殊な装備を使っているわけじゃない。でも一応戦闘時のデータはチェックしておく。何かあればすぐに伝える。」

 諒一の事務的な言葉に、結城も短く答える。

「わかった。頼む。」

 ……その後、あまりまともな会話ができないまま、やがて試合開始時刻になった。

 すると、タイミングよくヘクトメイルがアリーナに出現した。

<時間ギリギリになってトライアローのヘクトメイルが姿を現しました。>

 実況者の落ち着いた言葉と共に、リフトに乗ったヘクトメイルが上昇してきた。

 そして、リフトがアリーナの位置まで到達すると、ヘクトメイルは動き始める。

 リフトにはロングソード用の巨大な収納装置があり、ヘクトメイルはその中から無造作に一本を後ろ手で引き抜いた。

 その際、収納装置の内側とロングソードの刃が擦れて、甲高い音が空間に響く。

 ゆっくりと引き抜かれたため、その音は数秒ほど続き、結城は思わず鳥肌がたってしまった。

(わざとじゃないだろうな……。)

 試合開始までは低出力のバッテリーでVFを動かさねばならない。そのため、重いロングソードを上手く扱えないだけかもしれない。

 そんな予想をしている内にヘクトメイルはロングソードを抜ききり、今度はそれを杖のようにしてアリーナの地面に刺した。

 ロングソードの柄に体重を載せ、ヘクトメイルはリフトからアリーナへ移動した。

 そして、ロングソードを地面に突き刺したまま、ヘクトメイルは正面をこちらに向けて静止する。

<両者とも準備ができたようです。……それではここで各チームのVFとVFランナーの紹介をさせて頂きます。>

 まだ時間があると思い、実況者の紹介の間、結城は超振動ブレードのチェックをすることにした。

 結城は、鞘を展開させたりグリップの位置を確認しながら、なんとなく耳に入ってくる実況者の紹介に耳を傾ける。

<去年は惜しくもダークガルムに敗れてしまいましたが、今シーズンは王者に返り咲くことができるのか。2NDリーグの覇者、チーム『トライアロー』です。>

 なぜだか知らないが、若干棒読み気味だった。

 ここまで盛り上がらない紹介もそうそう無いだろう。

<VFはヘクトメイル、ランナーは例によって戦略的非公開です。>

(……非公開、ね。)

 もちろん向こうのランナーはドギィだ。

 結城は、昨日のトライアローのハンガーで、スタッフのジャケットを着たドギィの姿を確認している。鹿住さんに気付かれぬよう、あの時は無視せざるを得なかったのだ。しかし、わざわざ確認せずとも明らかにアレはドギィだったと断言できる。

 続いて結城も実況者によって紹介される。

<……続きまして、今シーズンから急に頭角をあらわした、最も注目すべきチーム。数々の強豪を打ち倒し、一体全体どこまで突き進むつもりなのか。チーム『アール・ブラン』です。>

 言っている内容に反して、口調はどこか退屈気味だ。

 実況者が違うだけでここまで印象が違うものか、と結城は2NDリーグ実況者のテッドの実力を再評価していた。

<VFはアカネスミレ、ランナーは可憐な女子学生ランナー、ユウキ選手です。>

 可憐と言われて悪い気はしないが、やはり観客がいないので盛りあがりに欠ける。

 紹介が終わると、すぐに試合開始のカウントダウンが始まった。

<……それでは、試合開始です。>

 実況者の言葉に続いてブザーが鳴り響き、結城にとってもドギィにとっても重要な試合が幕を開けた。



 ――先に動き出したのは結城だった。

 ジェネレーターから必要最低限のエネルギーを受信してすぐに、結城はアリーナの反対側に向けてダッシュする。

 どんな勝負であれ、先手必勝であることに変わりない。

 鹿住さんの特殊フレームは、なぜだか立ち上がりが早い。理屈は分からないがこれは勝負においてかなり有利に働く。例えそれが1秒以下の短縮でも、だ。

 5歩、6歩、7歩と進むうちにエネルギーの供給が追いつき、走るスピードも上昇していく。

(……いける!!)

 ヘクトメイルと見ると、まだロングソードの柄を握って地面から引き抜こうとしている最中だった。

 今からロングソードを引きぬいた所でもう遅い。それは防御にしか使えないだろう。

 回避するにしても、開始直後でこれほど距離を詰めれば十分な回避行動は取れないはずだ。

(先手は貰った!!)

 躊躇なく、結城はヘクトメイルに肉薄する。

 その時、ヘクトメイルの足下、アリーナの灰色の地面からロングソードの切っ先が抜けるのが見えた。

 これを見た結城は、相手はもう回避できないと確信する。

 こちらの攻撃に対処するにはロングソードで防御するより他ない。

 ……結城はインパクトの瞬間から時間を逆算し、ぎりぎりのタイミングで鞘から長い方のブレードを取り出す。

 そのブレードを逆手に持ち、刃を押し付けるようにして攻撃するつもりだった。

「……あれ?」

 何かがおかしい。

 視界の隅、結城から見て左下に何かがある。

 それは、ヘクトメイルのロングソードだった。

 確か、こちらのスピードはヘクトメイルに優っていたはずだ。

 ……だが、それよりも速いスピードで、ヘクトメイルのロングソードがこちらに接近してきている。


――理解出来ない状況が発生している。 


 相手はロングソードで防御するはずではなかったのか。……というかあの体勢では防御するしかない。防御以外の体勢をとれるはずがない。

 ……だが現実に、ヘクトメイルのロングソードの刃はこちら以上のスピードで接近してきている。このままでは間違いなくこちらに当たる。

 それは回転力の加わった、見るだけで必殺と解るほど、恐ろしく勢いのある横薙ぎの斬撃だった。こちらが右から攻撃したために、ガラ空きになっているアカネスミレの左脇あたりを正確に狙っている。

 すなわち、回避も防御も受け流すことさえ不可能だということだ。

 長いリーチを利用したその殺人的な斬撃は、確実にこちらのブレードによる攻撃が届くより先にアカネスミレの装甲に到達する。

 この距離では相打ちにすらならないだろう。

(あ、やばい。)

 結城は本能的に危険を察知し、左から来ているその斬撃を防ぐべく、左の腰に装備している鞘から短い方のブレードを取り出した。

 取り出すのと同じタイミングで、ロングソードがそのショートブレードと接触した。

 超音波振動により、こちらのショートブレードは相手のロングソードに食い込んだ。

 ……その時、左アーム全体がクッションの役割を果たしてくれた。

 左アームからはパーツとフレームの軋む嫌な音が聞こえたものの、相手の攻撃の衝撃の大半を吸収していく。

 ……が、圧倒的な質量差を前にして勢いを殺しきれるわけもなく、結城はそのままショートブレードごと真横に吹っ飛ばされてしまった。

 軽いショートブレードは遥か彼方に飛んでいき、アカネスミレもアリーナ上を開始直後のダッシュよりも速いスピードで飛ばされていく。

(何とか防いだか……。)

 武器を一つ失ったが、そのおかげでアカネスミレは無傷だ。

 この攻撃はかなり無謀だったかもしれないな、と、結城は早速反省していた。

「結城!! 海だ!!」

 急に諒一の警告が通信機から発せられる。

 その言葉でここのアリーナには壁がないことを思い出し、結城はかろうじて右手に保持していた長い方のブレードを地面に突き刺す。

 するとすぐにアカネスミレは制止し、海に落ちることだけは免れた。

「危ない危ない。」

 そう呟きながら、結城はヘクトメイルに目を向ける。……追撃してくる様子はなかった。

 それにしても、ヘクトメイルが片手ではなく、両手でロングソードの柄を握っていたことが何を意味するのか、気づいておくべきだった。

 こちらが攻めてくることを予期して、最初からカウンターするつもりだったのだ。

 そうでないと、あそこまで素早い反応はできない。

 あと、無駄な先制攻撃のように思えたが、ちゃんとそれなりの収穫はあった。

(……武器の切れ味はこっちの方が上だ。)

 なんとヘクトメイルのロングソードの刃は、こちらのショートブレードがめり込んだ時にできた切れ目からポッキリと折れていたのだ。

 その結果、先端から4分の1ほどが無くなり、ロングソードの切っ先は真っ平らになっていた。

 だが依然としてロングソードのリーチはこちらのブレードよりも長い。シンプルであるがゆえに、先端が欠けたくらいで性能が落ちることはないのだ。

(それでも問題ない。)

 相手の刃をブレードで防御するだけで、その刃自体にダメージを与えることが出来ることが判明したのだ。

 結城は、しばらくは受け技を主体にして相手を攻めることにした。


  7


 少し短くなったロングソードを振り回しながら、ドギィは結城の器用さに改めて感心していた。

(これは……予想以上です。)

 ドギィの斬撃は全てアカネスミレに届くことなく、超音波振動ブレードによっていなされていた。しかも、ただいなされるだけでなく、ロングソードの刃に傷をつけるというおまけ付きだ。

 だが、ロングソードを振る以外に攻撃方法が思いつかず……というか、考えるのが面倒だったドギィは一撃一撃キレのある攻撃を放ちながら、ぼんやりと昨日の事を考えていた。

(これなら、あのくらいのハンデはあげてもよかったかもしれないです。)

 昨日の事件をドギィは全く気にしていなかった。

 むしろ、あんな手段に出てまで、本気でこちらを潰しにかかっていると捉えることができ、ドギィは対戦相手チームの勝利への執念を感じた気がして、やる気が出ていた。

 結局、ユウキタカノは関与していなかったらしいが、同じチームメンバーにそういう人物がいることを考えるだけで、打ちのめしてやりたい衝動に駆られる。

 ……早く、アカネスミレをボロボロのズタズタにしてやりたい。

 思わず、ロングソードを振るアームに力がこもる。

 力を入れた分だけ、アカネスミレのブレードに触れたロングソードの刃も大きく削れた。

「……駄目です。冷静にならないといけないです。」

 自分の武器はロングソード一振りのみ。

 切れ味で劣っていることが判明した以上、刃同士の接触はなるべく避けねばならない。

 しかし、完全な防御体制になられてしまうと、VF本体に思うようにダメージを与えることができない。

 ドギィは長期戦になるのを覚悟した。

 少なくとも、ロングソードが使い物にならなくなるまでユウキタカノは防御し続けるはずだ。

(あのカウンターが成功していれば……)

 ドギィは、初撃のカウンターで勝負を決めるつもりでいた。

 だが皮肉なことに、あれのせいでユウキタカノに警戒心を抱かせてしまい、今は面倒なことになっている。

 こんな事になるのなら、いっそのこと、素直に防御しておけばよかったかもしれない。

 ……その一方でドギィは、あのカウンターを結城が上手く対処したことを少し嬉しく思っていた。 

 何故嬉しく思ったのかは分からないが、自分の高速のカウンターに対して咄嗟に反応し、短いブレードを取り出すという判断をした結城に素直に『すごい』と感じたからだろうと、ドギィは考えていた。

 また、ユウキタカノの強さが、本物だったことを確認できたのも嬉しかったのかもしれない。

 ……いくらユウキタカノが強いとは言え、自分が圧倒的に優位に立っているのに変わりない。

 試合展開からも反応速度、実戦経験、操作技術などはユウキタカノを上回っているのがわかる。

 だからこそ、自分の予想に反して健闘するユウキタカノの姿は、自分をわくわくさせてくれたのだ。

<ヘクトメイル、激しい攻撃です。ですが、アカネスミレも全てを防御しています。この攻防はいつまで続くのでしょうか、全く終わる気配がありません。>

 ふと気づくと、ロングソードの刃が先端から根元にかけてボロボロに欠けていた。それは、一世代前のシリンダーキーの溝のように見えた。

(もうそろそろいいですよね……コレを捨てても。)

 頃合いだと判断したドギィは、いきなりロングソードの柄から手を離し、そのまま素手でアカネスミレの頭部を掴んだ。

 こちらのアームはアカネスミレのブレードをすり抜け、簡単に頭部にまで到達していた。

 自分でも惚れ惚れするほどの不意打ちだった。

 そんなフェイント攻撃をアカネスミレが対処できるわけもなく、正面から頭部を掴まれたまま何のアクションも起こさなかった。

 ……このまま頭部を潰せば自分の勝ちだ。

 しかし、頭部の装甲が思った以上に頑丈で、なかなか潰すことができない。

 もたついているうちに、我に返ったアカネスミレにアームを切り落とされそうになり、ドギィは止む無く頭部から手を離した。

<なんという大胆なフェイントでしょう。何が起こったか全くわかりませんでした。恐るべし、ヘクトメイル。……しかし、素手ではアカネスミレの頭部を破壊できなかったようです。>

 実況の言うとおり、ヘクトメイルの手には小さな装甲の破片が付着しているだけで、アカネスミレの頭部には全くダメージを与えられなかった。

 ドギィはもう一度頭部に手を伸ばすも、アカネスミレはすぐに頭部をガードし、隙を見せることはなかった。

 ……ドギィが頭部を狙うのにはきちんとした理由がある。

 賭け試合では、大抵のVFはここにメインのカメラを付けていた。まずはその相手の視界を奪うために頭部を狙うのだ。

 視界を奪った後は、そのまま体の外側から相手VFの装甲を剥いでいく。必要であればパーツも解体していく。

 VFBではこの時点で……つまり、頭部を破壊した時点でレシーバーも破壊され、エネルギーが供給できなくなるので試合終了だ。

 だが、賭け試合では頭部を破壊しても勝ちにはならない。なぜならエネルギー供給源が他にあるからだ。そのため、バッテリーを探してとことん破壊するしかないというわけだ。

 相手が抵抗しなければそれでいい。

 しかし、相手が抵抗する場合、ドギィは真っ先にコックピットを潰していた。

 コックピットは硬く、壊すのに手間がかかるが、反撃されてこちらがダメージを受けるよりはましだ。

 それに、確実に敵の動きを止めることができる。……それも永遠に。

 長年、様々な種類のVFを剥いできたこともあり、ドギィにはどの部分が最もダメージを与えやすいか、直感で知ることができた。

 そして、大抵の場合それはコックピット周辺だった。

 一度でも、一箇所でも装甲を破壊できれば、あとは簡単だ。そこを足がかりにして戦闘不能まで攻撃し続ければいい。

 頭部を必死に守るのならば、そこ以外の弱点を狙うのも致し方ない。

(頭部が駄目なら……コックピットを狙うだけです。)

 ドギィは再び頭部を狙うと見せかけて、体勢を低くして突進し、アカネスミレを押し倒した。

 驚くほどあっさりとアカネスミレは地面に転げ、ドギィはその上にのしかかる。

 そのまま取っ組み合いになり、しばらく地面と装甲の擦れる音と、VFのパーツ同士がぶつかる地味な音だけが響いていた。

 やがてドギィはマウントポジションを取り、すかさず思い切りコックピットを殴った。

 ヘクトメイルのパワーを持ってしてもコックピットはへこまない。だが、一瞬だけアカネスミレの動きが鈍り、効果があることは確認できた。

 もう2回それを繰り返し、4度目は頭部を狙うべくアームを振り上げた。

「……。」

 が、拳を振り下ろそうとしたその刹那、ドギィは危険を感じ、素早くアカネスミレから離れた。

 その予感は的中し、すぐにアカネスミレのブレードが死角から突き出されていた。

(危なかったです……。)

 あのまま攻撃していれば胸部を貫かれていただろう。

 自分を油断させるために、わざと動きを鈍らせる演技をしていたに違いない。

 ……あんな状態でもこんな事ができるなんて、やはりユウキタカノは強い。

 やはりリーチが無いと戦いにくいと判断したドギィは、先ほど捨てたボロボロのロングソードを拾った。

 こちらがそれを拾うと同時にアカネスミレも体勢を立て直し、ブレードを構えた。

 このまま攻め続ければ勝てると判断した矢先、唐突にある種の『衝動』がドギィを襲った。

――そろそろ本気を出したらどうだい。このままだと負けてしまうかもしれないよ?

「何言ってるんだ? 僕はもう本気で戦ってる。」

 ドギィは正式メンバーのランナーの真似をして、ヘクトメイルの戦い方を再現せねばならないが、それでも十分過ぎるほど全力を出していた。

 再びロングソードによる攻撃を再開させながら、ドギィは自分の独り言を聞く。

――はぁ、そんな悠長なこと言ってると、殺されるかもしれないよ。

「そんなことはない……これはスポーツなんだ。VFを使ったただのお遊びだ。そんなので死ぬわけがない。」

――さっきの死角からのブレードの突き……コックピットを狙ってたよね。避けなかったらどうなってたと思う?

「……。」

 考えるまでもない。運が良くても病院行き、悪ければ即死だ。

 それを裏付けるように、悪魔の囁きは続く。

――あの高い硬度を誇るロングソードがあのざまだ。コックピットなんて簡単に貫通する。そうなれば当然ただじゃ済まない……

 ドギィは独り言に独り言で反論し続ける。

「いや、このままでも勝てる。このロングソードと引き換えに、超音波振動ブレードを無力化できれば余裕で勝てる。そうでなくてもこのまま攻めていれば……」

――そんな面倒なことしなくていいじゃないか。……ほら、あの時のように本能の赴くまま敵を破壊すればいいんだよ。……一瞬で終わるよ。

「一瞬で……」

 全てを解き放ち、自分の好きな戦い方で全力で戦えたのならどんなに楽なことだろう。……ドギィはその時のなんとも言えぬ快感を未だに忘れられない。

 ずっとそういう戦い方をしてきたのだ、2年やそこらで忘れられるわけがない。

「……。」

 コンソールにのせた手が震えだした時、いきなり聞いたこともない男性の声が通信機から発せられた。

「フフ……なかなか面白いね。キミはいつもそんな風に独り言を喋っているのかい?」

 何かの故障かとも思ったが、この声は明らかに自分に話しかけてきている。

 ドギィはアカネスミレと戦い続けながら、その声に応答した。

「誰ですか?」

「やぁ、ドギィ君。事情があって僕の名前は言えないけれどお願いがあるんだ。」

 いきなり何を言っているのだろうか。……もう一度聞き返そうとすると、こちらよりも先にその“お願い”を言われてしまった。

「この試合、負けてくれないかな。」

「……?」

 脅しにしては口調が軽い。しかし、この通信回線に割り込めるのだから、相手もただの悪戯で言っているとは思えない。

 ドギィは思いつく人物を言って、その真偽を確かめてみる。

「……もしかして、あの女の人の仲間ですか。名前は確かカズミサンとかナントカ……いや、サンはいらないんでしたっけ……とにかく、あの人の仲間ですか?」

「仲間と言うよりは協力者だね。……でも僕はアール・ブランとは関係なから、そこは知っておいてほしいな。」

 どうやら当たっていたらしい。

 それにしても、いくら妨害工作が失敗したからと言って、直接ランナーにお願いするというのは、安直すぎるのではないか。

 男性は特に口調を変えるでもなく、淡々と話を続ける。

「残念なことだけど、このままだと結城君はキミには勝てそうにない。」

 ドギィはその言葉に力強く同意する。

「その通りです。あと数分もしないうちに自分が勝つ予定です。」

「……でも僕としては、結城君に1STリーグに進んで欲しい。」

「ユウキタカノには来シーズンに頑張ってもらうしかないです。」

「ドギィ君、こんな時はどうすればいいと思う?」

 会話が全く噛み合わない。

 ドギィはその男性に合わせるつもりはなく、自分の思っていることを素直に言う。

「自分はただ、相手が動かなくなるまで戦うだけです。あなたのことは知ったことじゃないです。」

 そのまま通信機自体の電源を切ろうとすると、男性が食い下がるように懇願してきた。

「もう一度お願いするよ。……この試合負けてくれないかな。」

「無理です。気が散るので話しかけないで欲しいです。」

 話しながらでも戦えないことはないが、あまりにも不愉快だったのでドギィは突き放すように言葉を返した。すると、通信機からわざとらしいため息が聞こえ、間を置いて男性の残念そうな声が聞こえてきた。

「……残念だよ。不自然な負け方になるかもしれないけれど、許してくれるよね。」

 その言葉の後、すぐにコックピットの上方から異音が聞こえてきた。

「!!」

 ドギィは慌ててヘクトメイルを操作し、アカネスミレから距離を取る。

 アカネスミレはこちらを追うことなく、ブレードを構えたままじっとしていた。

「この音……あなたがやってるんですか? すぐに止めてください。」

「もう遅いよ。」

 男性が話している間にも、その異音はどんどん大きくなっていく。

 それは硬いものを削るような不気味な音で、発生源は複数あるように感じられた。

 ドギィは今更ながら緊急用の機体チェックプログラムを起動させる。無駄かもしれないが、何もしないよりかはマシだ。

「……あ、結城君は何も知らないから、恨まないであげてね。……あと、この事は誰にも言わないで欲しいな。」

「それは約束できないです。」

 試合が終われば、すぐにフォシュタルさんにこの事を知らせるつもりだ。

 本来ならば、ここで試合を中断させてもいいくらいのことが起きている。しかし、自分の正体を晒したくはないのでそれをトライアローのスタッフに伝えることができないのだ。

 ドギィが強硬姿勢を示すと、男性は脅し文句を口にする。

「もし他人にこの事を言ったら……そうだな……一生VFに乗れない体にしてあげるよ。」

「……。」

 それは、やんわりとした話し方だったが、冗談ではないのだろう。

「そういうことだから。じゃあね。」

 一方的に通信が切られ、コックピット内は静かになった。

 しかし、静かになったのも束の間、今度は異音に収まらず、ヘクトメイルの動作にも異常が出始めた。

(酷くならないうちに、勝負を終わらせる必要があるみたいです。)

 この後、ヘクトメイルに異常が発生することは確実だ。ならばその前にアカネスミレを破壊するまでだ。

 ドギィはダメージを受けることを覚悟して、アカネスミレ目掛けて突進し、どんどん距離を縮めていく。

 こちらの動きを見たアカネスミレはブレードを構え直す。……回避するつもりはないらしい。

 ドギィからしても、そちらのほうが好都合だ。

(これで終わりです。)

 2つのVFの間に開いていた距離は、数秒と経たずに0まで縮まり、ドギィはロングブレードを右手にしっかりと持ち、渾身の突きを放った。

 捻り回転の加わったその突きは、いとも簡単にアカネスミレのブレードを押しのけ、コックピットまで到達した。

 このまま押しこめば自分の勝ちだ。

(ユウキタカノは強かったです。でも、自分を倒せるほど強くはなかった……。ユウキタカノなら自分と対等に戦うことができると思っていたのですが……残念です。)

 ロングソードの切っ先は壊れて平らになっているので、ユウキタカノが死ぬことはないだろう。

 コックピットが破壊されないことを祈りながら、ドギィは右腕の出力を上げ、一気にロングソードを押し込んだ。

「……?」

 押し込んだはずなのにロングソードは進まない。しかし、ヘクトメイルはアカネスミレとすれ違うように前に進んでいる。

 ……すぐにその原因は解った。

(これは……!!)

 右アームを見てドギィは驚く。

 ヘクトメイルの肩のあたりから、右腕が綺麗に分離していたのだ。

 またしてもアカネスミレから死角を付かれたのだろうか……いや、違う。そうだとすれば、切られた時に衝撃があるはずだ。そんな衝撃は全く感じていない。

 理解できぬまま、支えを失った腕はロングソードを握ったまま地面に落下していく。

 その瞬間、アームの切断面から何か小さな物が蠢くのが観察できた。

 それこそが、異音の発生源であり、ヘクトメイルの腕を破壊した張本人だった。

「ワームですか……。」

 それはとても小さな機械だった。形は球状で、表面は何かギザギザしたもので覆われていた。

 いつの間に仕掛けられたのか、試合の前にシステムチェックをしたはずなのに、なぜ異常が検知されなかったのだろうか。

<何が起こったのでしょうか。いきなりヘクトメイルの右腕が取れてしまいました。ここに来て、アカネスミレがなにか秘密兵器でも使ったのでしょうか。>

 実況者の言う通り、それが相手の攻撃ならばどれほど良かったことか……。

 アームを一本失ったくらいでドギィが動揺するはずはなく、落ち着いて地面に落ちたロングソードを左手で拾い上げた。

 拾い上げる頃には、既にアカネスミレはこちらから離れた場所にいた。あの様子だと、ヘクトメイルの腕が落ちる前から回避行動をとっていたようだ。

(どちらにしても、致命傷にはならなかったようです……。)

 ……過去にドギィは、賭け試合をしていた時に何度かVFに細工されたことがある。

 その中で一度だけこの類の機械を仕掛けられた経験があった。

 あの時のワームはただ単にフレームと外装甲の隙間に入って動きを邪魔するだけのものだった。

 今回のようにピンポイントで関節機構を破壊するワームなんて見たことも聞いたこともない。

 多分、外部から操ることができる高性能なものなのだろう。

(技術は進歩してるんですね。)

 ……なんて感心している場合ではない。このままだと為す術もなく内部から破壊されてしまう。

 そう思ったドギィは、別の箇所が破壊される前に勝負をつけるべく、アカネスミレに向けて走り始めた。

 アカネスミレは先ほどと同様、揺るぎのない防御体制をとっている。

 それを見て、同じ手は通用しないと考えたドギィは、少し離れた位置で左腕を振りかぶり、ロングソードを投擲した。

「あっ……!!」

 それと同時にヘクトメイルの左アームがちぎれ飛ぶ。……そして、むき出しになったアームの機構内からワームが排出された。

 無数の小さいワームを空中に飛び散らせながら、左アームはくるくると宙を舞う。

 それとは対照的に、ロングソードは槍投げの槍のようにブレることなく、綺麗な放物線を描いてアカネスミレ目指して高速で突き進んでいた。

 想定外の攻撃に、アカネスミレは対応できず固まっている。このままいけば、頭部に命中して試合は終了だ。

 ……しかし、そのロングソードがアカネスミレに命中することはなかった。

 それは惜しくもアカネスミレの頭部パーツの真横を通過し、背後に広がる海へと消え去っていった。

 右アームを失い、そのせいで投擲時のバランス調整がうまくいかなかったのだろう。

(……負けですか。あとはワームに破壊されるのを待つだけです……。)

 ようやく落下した左アームを自らの足で踏み潰すと、ドギィは何事もなかったかのように構えた。

 ――次はどこを破壊されるのだろうか。

「……?」

 ところが、いつの間にやらワームの発する異音は綺麗さっぱり消えていた。

 これにより、ドギィは『両腕まで』が通信機で話しかけてきた男性が破壊できる限界だと判断した。

 よく考えてみれば、このままワームを使ってヘクトメイルを壊すことはできない。なぜなら、これ以上不自然な破壊が続けば試合が中断されることもあり得るからだ。

 両腕がなくなれば勝てるだろうとあの男性は思っているのだろうが、ドギィは両腕をもがれても負けるつもりはなかった。

(しかしこれは……辛いです。)

 いよいよ攻める手段が無くなり、ドギィは本気を出さざるを得ない状況に追い込まれる。

 流石にもう『トライアローのランナー』を演技しながら戦うのも限界だ。

「これ以上はとても……仕方ないです。すみません、フォシュタルさん。」 

 そう呟き、ドギィは通信機をいじり始めた。


  8


 真っ直ぐに飛んできたロングソードを回避した結城は、その正確無比な投擲技術に驚いた。

 しかし、それよりも、結城はヘクトメイルのアームがいきなりもげたことに驚いていた。

(あんな事言って、……鹿住さんの計画は成功していたのか……!?)

 鹿住さんならば、トライアローを出し抜くことも不可能じゃない……と思う。

(でも……ウィルス程度でアームがもげたりするのか……?)

 鹿住さんならば、こちらの想像もつかない方法を用いてアームを破壊できる……かもしれない。

 確証はなかったが、昨日起きた事件はそれを疑うのに十分なできごとだ。

 ……試合を中断させたほうがいいのだろうか……。

 そう思い、結城は諒一に相談してみる。

「なぁ諒一、ヘクトメイルの腕……あれは明らかに……」

 こちらの言葉を遮り、諒一は淡々と話す。

「そのようだ。トライアローが整備不良だなんて珍しい。……こんな形で勝つのは不本意かもしれないが、これも向こうの落ち度だから気にすることはない。」

 全く諒一はこの状況を理解していなかった。……無表情で淡々と喋る諒一の姿が容易に想像できる。

「いや、実はアレは鹿住さんが……」

「……」

 真実を伝えるべく結城が語りだすと、途端に通信機から何も聞こえなくなった。

「諒一? ……あれ、通信機が……」

 スピーカー部分を叩いてみるも全く効果はない。 

 しばらくしてラインが繋がったかと思うと、全く違う声が聞こえてきた。

「――聞こえますか? ユウキタカノ。」

「ドギィ!?」

 それはドギィの声に間違いなかった。

 慌ててHMD越しにヘクトメイルの姿を確認すると、それを証明するかのごとく、ヘクトメイルの頭部が前後に動いた。

「どうやって……いや、それよりそっちは大丈夫なのか?」

 心配して結城が声をかけるも、ドギィは全く関係のないことを喋りだした。

「……やる気を出して、もっと感情を剥き出しにしてください。自分はそれを望んでいます。試合中ですけれど、おはなししませんか。やる気が出るお話をしてあげます。」

「いきなり何を……」

「今の状況と、昨日の騒ぎは全く関係ないです。ユウキタカノの仲間のカズミサンのせいじゃないので安心して下さい。」

「そんな嘘……」

 鹿住さんじゃなければ、誰があんな事をしたというのだろうか。

 もし諒一の言うとおり整備不良だとしても、両腕が同時に壊れるなんてことは絶対にありえない。

 ドギィは話を続ける。

「実はこの試合に負けるよう頼まれたんです。誰にだと思いますか? もちろん教えません。教えると二度とVFに乗れない体にされるらしいです。恐ろしいですね。そう思いませんか? 思いますよね。でもそんなのは関係ないです。自分は戦うこと意外できないですから。……その結果がこれです。」

「頼まれた……?」

 その相手の頼みを断ったから、腕を破壊されたということなのだろうか……。

 どうすればそんな事が可能なのか、どうしてそんな事をドギィに頼んだのか、謎だらけだ。 

 こちらが頭を抱えていると、ヘクトメイルに動きがあった。

「試合の中断は認めないです。……それでも止めたいのなら、ユウキタカノがリタイアして下さい。」

「え、ちょっと、ドギィ……。」

「ちゃんと伝えました。……さぁ、試合再開です。」

 その通信を最後に、ヘクトメイルがダッシュでこちらに接近してきた。

(戦うしかないのか……でも、あっちは腕も武器もないんだぞ!?)

 ……結城のその認識は甘すぎた。

 ヘクトメイルは腕を失ったにもかかわらず、明らかに今までより機動性が向上していたのだ。

「!!」

 1秒足らずで距離を詰められ、結城はヘクトメイルのサイドキックをもろに受けてしまう。

 とっさに身を縮めて左アームの側面でガードするも、その衝撃はコックピットまで伝わってきた。

「くっ!!」

 衝撃に耐え、結城はブレードを素早く振って反撃する。

 しかし、ヘクトメイルはその軌道を知っていたかのように、すれすれの所でブレードを回避した。

 その回避姿勢は膝だけを曲げて上体を反らす、重力を無視しているかのような姿勢だった。

 そして、ヘクトメイルはこちらのブレードが通り過ぎると同時に体勢を戻し、先ほどと同じ場所に、同じようにサイドキックを放つ。

 今度はガードが間に合わず、強力なキックが直接ボディにヒットしてしまった。

 結城は完璧に体勢を崩され、アカネスミレは地面に膝をついてしまう。

 すぐさまヘクトメイルは前蹴りを放ったが、結城はかろうじてそれをブレードで受け止めることができた。そしてその勢いを利用して後転し、ヘクトメイルから離れた位置で立ち上がった。

 ヘクトメイルの一連のデタラメな動きに、結城は言い得ぬ恐怖を覚えた。

(なんだ、これは……これがVFの動きなのか……?)

 こちらが休憩する暇もなく、ヘクトメイルは執拗にキックを放ってくる。

 ……しばらく結城はそれに対処し、必死に回避するも、そのほとんどがアカネスミレに命中していた。

 ヘクトメイルは腕を失い戦力はゼロのはずなのに……それなのに威圧感がある。

 両腕を失ったせいでスピードが早く感じられるのだろうか……。いや、そんなはずはない。腕を失えばバランスも失って思うように動けなくなるはずだ。そんな事はシミュレーションゲームで何度も経験している。

 ならば、何故避けられないのだ。あんなただのキックはアカネスミレの機動力と、私の操作技術があれば避けられるはずだ。

 ……だが避けられない。

 考えている間にも、どんどんアカネスミレにダメージが蓄積していく。

 反撃することもできるはずだ。……ヘクトメイルの頭部を撥ねるイメージは何通りも出来上がっている。にもかかわらずコンソールに載せた手がうまく動かない。

 ヘクトメイルの攻撃のせいで思うようにアカネスミレを操れないのだろうか。

 しかし、それほどヘクトメイルの蹴りが強力だということもない。

 反撃しようと思えば、簡単に出来る状況であるはずなのだ。

(……なんでだ……意味が分からない。)

 もしかして、私は本能で恐怖を感じているのか……。

「そんなのあり得ない!!」

 結城は隙を見て、ヘクトメイルの頭部をブレードで薙ごうとしたが、それも簡単に回避されてしまった。

 何故当たらないのだ、私の攻撃はそんなに遅くて弱いのか……。

<ヘクトメイル、怒涛のラッシュです。一時はどうなることかと思われましたが、王者に心配は無用だったようです。それに対し、アール・ブランのアカネスミレは全く反撃することができません。これは勝負が見えてきたかもしれません。>

 実況者の声が聞こえる。

 ……私はこのまま負けてしまうのだろうか。

「諒一、ねぇ、諒一……。」

 通信機から返事はない。……聞こえるのは雑音だけだ。

 ……両腕のないVFに私は負けるというのか。

 そもそも何で審判は試合を中断しないのだ。明らかにアレはおかしい。不自然に腕がちぎれているのにどうして誰も何も言わないのだ。

「きゃっ!!」

 再び足を引っ掛けられ、アカネスミレは無様な形で転んでしまう。

 すかさずヘクトメイルが馬乗りになり、今度は蹴りではなく頭突きをかましてきた。

 転んだままの体勢でアカネスミレは何度も何度もそれを繰り返し受ける。その度に衝撃が走り、HMDにエラーがいくつも表示されていく。

 ヘクトメイルは狂ったように、何度も何度も頭をこちらにぶつけてくる。

 向こうも同じか、それ以上のダメージをけているはずなのに何故止めないのだ。

 何も分からない……何も理解出来ない……。

「こわい……こわいよ……。」

 一方的な暴力がこれほど恐ろしいものだとは思わなかった。

 情け無いことに、結城は自分の体が恐怖で震えているのを自覚していた。コックピットの激しい揺れと相まって、もう何がなんだか、わけがわからないことになっている。

 為す術がない結城が、試合が終わるのを待とうと思ったその瞬間、

「結城君!!」

 コックピット内に鹿住さんの声が響いた。

 幻聴ではない、確かに通信機から鹿住さんの声がした。

「結城君、勝ってください!!」

 それは結城が初めて聞く、鹿住の叫び声だった。

 叫ぶことに慣れてないはずなのに、それなのに鹿住さんは私のために必死で応援してくれている。

「負けないでください、結城君!!」

 ……この鹿住さんの声援に応えない訳にはいかなかった。

「鹿住さんっ!!」


 ――気がつくと、勝手にアカネスミレの腕が動いていた。


 突き出された両腕にはブレードが握られており、それはヘクトメイルの首元を貫いていた。

 その際に割れた装甲が地面の上に落ちるのを見ながら、結城はブレードを上に……喉元から頭頂部に引き上げていく。

 ブレードは途中で止まることなく、ヘクトメイルの機構を寸断しながら頭部を進んでいく。

 やがてブレードが頭頂部から抜けると、ヘクトメイルの頭部パーツは左右2つに分離し、それぞれがアカネスミレの両脇に落下した。

 頭を失ったヘクトメイルは体から力が抜け、崩れるようにして横向きに倒れた。

「そうです……。それでこそ結城君です……。」

 先程とはうって変わり、鹿住さんの口調は穏やかなものに戻っていた。

 結城はその声を聞きながら、ヘクトメイルを押しのけ、ゆっくりと立ち上がる。

 HMDには無数のエラーが表示されていたが、かろうじて、まだ自力で動くことができるようだった。

 結城は超音波振動ブレードの機能を停止させ、それを鞘に戻していく。

 すると、遅れて実況者の試合終了を告げるアナウンスがアリーナに響いた。

<……し、試合終了です、ヘクトメイルのレシーバーが破壊されましたので、勝者はアカネスミレの……ユウキ選手です。>

 案外、最後は呆気ないものだった。

 やはり、両腕のないVFに、この私が負けるはずがない。

「ふぅ……鹿住さん、来るのが遅かったんじゃないか?」

「……。」

 通信機の向こうにいるであろう鹿住さんに向けて話しかけるも、向こうからは何の返事もなかった。返事がないどころか、通信機からは物音すら聞こえない。

「あれ?」

 不自然に思った結城は通信機を調べてみる。

 すると、通信機は不通状態になっていた。

 もしかして、鹿住さんの声は幻聴だったのだろうか、とオカルトチックな事を考えつつ、結城は

ハンガーに戻ることにした。

(どちらにしても、鹿住さんにはお礼を言わないといけないな……)

 ぼんやりと鹿住のことを考えつつ、結城はリフトまでアカネスミレを誘導していく。

 身体の震えはもう収まっていた。


  9 

 

(……負け、ですか。)

 動かなくなったヘクトメイルのコックピットで、ドギィはリフトに向けて進むアカネスミレの後ろ姿を眺めていた。

 サブカメラなので視界の半分以上は灰色の地面で埋め尽くされていたが、逆にそれは映画のワンシーンのようにも見えた。

 映画という娯楽を知ったのは最近だが、こんなシーンを見た覚えがある。

 確か、銃で撃たれた主人公が、地面に這いつくばって敵を見上げるシーンだったと思う。

 今の状況にぴったり当てはまる。

(勝てたと思ったんですけど……。ヘクトメイルも頭が弱点なのを忘れてたみたいです。)

 今回、初めて試合に負けたということになるが、そこまでつらくはない。むしろ清々しい気分だった。

 色々妨害されて全力を出せなかったのは残念だが、“勝負に負ける”とという貴重な体験ができてよかったとも思っていた。

 これが本当の殺し合いならば自分の勝ちだっただろうか……。いや、両腕を破壊された時点で、自分の負けは決まっていたのかもしれない。

 殺し合いにおいては、妨害をするのも立派な作戦であると言えるからだ。

(それにしてもあれは誰だったのか……とても気がかりです。)

 自分に、試合に負けるように要求した上、ヘクトメイルをいとも簡単に破壊……。ユウキタカノとは関係ないにしても、アール・ブランの熱烈なファンだとは到底思えなかった。

「大丈夫ですかー、怪我はありませんか?」

 想いを巡らせていると、いきなりコックピットのハッチが開かれた。

(あ、しまった。)

 こんな事を考える前に、もっと考えておくべきことがあるのをドギィはすっかり忘れていた。

 ヘクトメイルはレシーバーを破壊されて動けないので、ハンガーまではスタッフが用意したクレーンで運ばれるのだ。

 その時、ランナーは必ずコックピットから出る必要がある。

 ……つまり、スタッフに自分の正体がバレてしまう可能性が高くなるのだ。

 HMDを被って顔を隠すことはできるものの、ハンガーまで移動する間、隠し通せる自信がない。

 それに加え、あんな無茶な戦い方をしたのだから、自分がトライアローのランナーでは無いということを気付かれている可能性もある。

 びくびくしながらコックピットから降りると、アリーナにフォシュタルさんの姿を確認することができた。

 他にも、VF回収とは全く関係のないスタッフも大勢その場にいた。

 多くのスタッフが心配そうな表情でこちらを見ていたが、どこにも怪我がないことが解ると全員が胸をなで下ろしたように安堵の様子を見せた。

 その内の一人がフォシュタルさんに話しかける。

「それにしてもオーナー、こんな隠し玉用意してたんですか、……さすがです。」

 やはり、ドギィの悪い予想は全て的中していたらしい。

 スタッフには自分が正式なランナーでは無いことがバレバレだったようだ。

 『ユウキ嬢に負ければ正式メンバーになってもらう』とフォシュタルさんと約束はしたものの、こんなにも早くその時が訪れるとは予想もしていなかった。

「……早く紹介してくださいよ。こんなすごい選手、いったいどこでスカウトしたんです?」

 別のスタッフに促され、フォシュタルさんは渋々といった感じでこちらの肩に手を置き、紹介し始める。

「ああ、紹介しよう、彼は……」

 そこまでフォシュタルが言うと、ドギィはその言葉を遮るようにして一歩前に進んだ。

「フォシュタルさん、自分のことですから自分が紹介します。」

「しかし……平気なのか?」

 メンバーになると約束させたものの、フォシュタルさんはこのような事態になるとは考えていなかったのか、こちらをかなり心配そうに見ていた。

「大丈夫です。このくらい簡単です。」

 意を決したドギィは、自らHMDを脱いで素顔をスタッフに晒した。 

 大した顔でもないので、大したリアクションは起きなかった。……自分は正真正銘、誰も知らない新人ランナーなのだから、その反応も仕方なかった。

 そして、大きな声で自己紹介をする。

「ドギィです。よろしくお願いします。」

 そう言った途端、周りから拍手が起きた。

 今までその存在を秘密にしており、その上、試合にも負けてしまったというのに、スタッフはにこやかに笑っていた。

 それが理解できず、不思議な感覚に陥りながらも、ドギィは言葉を続ける。

「それと、聞いて欲しいことがあるのです。……自分の過去についての話です。」

 スタッフ達はそれが何を意味するのかわかるはずもなく、大半が首をかしげて怪訝な顔をしていた。

「ドギィ、それは……」

 フォシュタルは話を止めようとしたが、ドギィは気にしないで淡々と話す。

「チームメンバーになるのですから、自分のことは全部知っていて欲しいのです。その上で自分がこのトライアローにふさわしいか、判断して欲しいんです。」

 とは言ったものの、この人達ならば自分を受け入れてくれるに違いない、とドギィは思っていた。

 接触も少なく、短い間しかスタッフと触れ合う機会はなかったが、ランナーのことを心配して、わざわざアリーナにまで駆けつけてくれるような人達だ。

 フォシュタルさんと同様、生まれや経歴で人を差別するようなスタッフはいないだろう。

 それが分かってか、フォシュタルさんは小さく頷く。

「……そうか、なら止めることもないな。」

「ではハンガーに移動です。長くなると思いますから。」

 ドギィがそう言うと、スタッフたちは撤収作業を開始した。

 長話をしていたせいで、先にリフトで降りていったアカネスミレにだいぶ遅れをとっており、それもあってか、スタッフは慌てている様子だった。

「……。」

 先に自分だけ戻るのも気が引けたので、ドギィもその作業を手伝うことにした。 

 

  10


「よくやったぞ嬢ちゃん!!」

 結城がハンガーに戻って最初に聞いたのは、ランベルトの歓喜の声だった。

 こちらを待ち構えていたのか、結城がアカネスミレのコックピットから降りると同時に接近してきて、そのままランベルトはなんの断りもなく抱きついてきた。

「ちょっと、ランベルト……」

 思わずグーで殴りそうになったが、ランベルトは本気で勝利を喜んでいるらしく、「やったぞ!!」などと言いながらこちらを抱いたままくるくると回転している。

 まさに、我を忘れて狂喜乱舞している状態だ。

 宝くじが当たった人でも、ここまであからさまに喜ぶことはないだろう。

(もう……しょうがないなぁ……。)

 結城は試合後でかなり疲労しており、今更それを振りほどく体力も残っていなかった。

 それに、せっかく勝てたのだから、今日くらいは大人しく抱擁されることにした。

(タバコくさいなぁ……)

 ランベルトに身体を振り回されながら結城はその臭いにしかめ面をする。

 しかし、自らの臭いなど気にすることなく、ランベルトはうれしげに笑いながら抱擁し続ける。

 ……が、その抱擁も長くは続かなかった。

 何かの打撃音がしたかと思うと、いきなりランベルトが視界から消え、代りにツルカがこちらに抱きついていたのだ。

 ツルカから漂う花の香りは、タバコの匂いを一瞬で綺麗さっぱり消してしまった。

「ごめんユウキ、直接応援したかったんだけど……ボクじゃ司令室に入れなくて……」

 ツルカの言葉を聞きつつ、結城はランベルトの姿を探す。……すると、少し離れた場所でお腹を抱えてうずくまっている姿を発見することができた。

 かわいそうに、ツルカに襲われたのだろう。

 でもこれで、不用意に女性に抱きつくのは失礼であると学習したに違いない。

 ランベルトを憐れみながら、しばらくツルカの相手をしていると、諒一がハンガーに帰ってきた。

 諒一はすぐにバッグからタオルを取り出し、こちらの頭の上にかぶせた。

「結城、よく頑張った。」

 そのまま諒一はタオル越しにこちらの頭を撫でる。

 傍から見れば、ただ髪に付いた汗を拭かれているだけにしか見えなかったため、何も問題ないと判断した結城は大人しく撫でられることにした。

「ホントに頑張ったなぁ……私。」

 タオルのせいで諒一の表情は見えないが、多分、無表情のまま喜んでいるのだろう。

「今でも信じられない。あのトライアローに勝っただなんて……。」

 危うく負けるところだったが、勝てたのは鹿住さんのあの通信のおかげだ。

 それを思い出し、結城は鹿住の居場所を諒一に聞くことにした。

「そうだ諒一、鹿住さんはどこだ?」

「ハンガーにいないのか?」

 逆に諒一に聞き返されてしまった。

 結城がこのハンガーに戻ってきたときにはランベルトの姿しか見られなかった。

 混乱しそうになり、結城はもう一度諒一に確認する。

「え? 諒一と一緒に司令室にいたはずじゃ……」

「鹿住さんは一度も司令室に来ていない。間違いない。」

 ハンガーにも司令室にもいないのに、どうやってこちらに通信したのだろう。 

 考えられるとすれば、先程までハンガーにいて、今は何かの用事で少し出ているだけかもしれない。

 ランベルトは苦しそうに唸っていて、話を聞けそうにないため、結城はツルカにそのことを質問してみる。

「ツルカは知らないか?」

「そういえばボクも見てないな。リョーイチとは別の塔から応援してたんじゃないのか? そんなに心配しなくても、すぐに戻ってくると思うぞ。」

「そうだよな……。」

 一応は引き下がったものの、結城は胸騒ぎを感じていた。 

(あの時の応援は幻聴? ……いや、あれは確かに現実だった……)

 あれが幻聴でないのならば、今鹿住さんはどこにいるのだろうか。

 タオルを被ったまま俯いて考えていると、諒一が話題を変えてきた。

「……それよりも結城、早くメインホールに移動だ。もうすぐ勝利者インタビューが始まる。」

「でも、鹿住さんが……」

「この施設内のどこかにいる筈だ。後で一緒に探そう。」

「……わかった。」

 鹿住のことが気がかりだったが、勝利者インタビューをすっぽかすこともできず、結城は諒一と共に施設の上層にあるメインホールへと向かうことにした。



 ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。

 この章では今後の物語の展開に関わるような、大きな事件が発生しました。そして、結城はドギィに勝つことができました。あと、鹿住の行方が気になるところです。

 次で【与えられた者】は終章です。

 ついに、裏で密かに動いていた七宮が、結城と直接対面することになります。

 今後ともよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ