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耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
与えられた者
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【与えられた者】第二章

 前の話のあらすじ

 クライトマンに勝利したアール・ブランでは祝賀会が開かれた。昇格リーグに出場が決定したことを、メンバーは大いに喜んだ。

 その途中、リュリュが急に現れ、アール・ブランで預かることになった。

 祝賀会後、鹿住と結城は仮眠室で色々なことを話す。話していく中でお互いのことが少しわかり、鹿住は結城と少し仲良くなれた気がした。

 会話の後、鹿住は七宮からとんでもない命令を受ける。それはトライアローに対する破壊工作の命令だった。

第2章


  1


 女子学生寮、結城とツルカの部屋。

 部屋中の窓からは朝日が差し込んでおり、窓によって切り取られた太陽光が床に窓の形を描いていた。

 それは寝室も例外ではない。

 結城が寝ているベッドの上にも朝日が容赦なく降り注いでいた。

 その朝日のせいかどうかは分からないが、結城は眠りから目覚めた。

 ……休日も終わり、今日は学校がある日だ。

 学校に行くのを面倒くさいと感じつつ、結城は目を閉じたまま昨日のことを思い出す。

 昨日は2位決定戦でクライトマンに勝利した。あれだけ強敵に思えたクライトマンも、今となってはそれほど脅威に感じていない。これもひとえに高性能なVFと強力な武器のおかげだ。

 その武器は、クライトマンのテスト用の武器を解析し、その技術を流用(コピー)した物なので、勝因の一部に、対戦相手だったクライトマンも入っていることになる。

 因果なことだ。

 その夜はラボで祝賀会があった。夜遅くまで飲み食いしていたせいか、少し胃がムカムカしている。

 ――寝る前に胃腸薬を飲んでおくべきだったろうか。

 私ですらこの有様なのだ。ビールを大量に飲んでいたランベルトはさぞ辛いに違いない。

 試合があった次の日くらいは学校を休みたいのだが、休息が必要なほど体は疲れていない。体を鍛えすぎるのも考えものである。

(そろそろ起きないと……いま何時だろ。)

 時間が気になり、結城はゆっくりと目を開ける。しかし、目を開けても目の前は暗かった。

 なぜなら、ベッドの上で結城はぐしゃぐしゃに丸まったシーツに顔をうずめていたからだ。

 足元には寝る前に脱ぎ捨てた服があり、その一部が足首に絡みついている。

「……」

 結城は左右の足を交互に動かし、足から服を引き剥がしつつ、ベッドの上に手を這わせる。

(時計……時計……)

 目覚まし時計を買った当時は、ベッドの頭付近にある安定した場所に置いていた。だが、それだと距離が遠くなり、目覚ましのベルをすぐに止めることができない。

 そのためベッドの上に無造作に置くようになったのだが、そうなると今度は反射的にベルを止めてしまい、現在、目覚まし時計は目覚ましの役割を果たせていない。

「どこだ……」

 尚も結城は時計を探索し続ける。

 寝ながらにして目覚まし時計を探し当て、その上ベルを止める事ができるのだ。起きている今、ベッドの上から時計を探せないはずがない。

「あった。」

 無造作に手を振っていると、太もも付近でなにか硬いものが手の甲に当たった。結城はそれを掴み目前に近付ける。すると、時刻を表す数字の列が目に飛び込んできた。

 結城はそれらを左側から順番に読んでいく。

「……07:22。」

 まだベルが鳴り始めるまで8分もある。少しの間まどろむのにはちょうどいい時間だ。

 結城は時計を再び足元の方に放り投げた後、ベッドに両腕をついて上半身を起こし、あぐらをかいて座る。そして背中を丸めたまま大きなあくびをした。

「んん……ふぅ。」

 結城は大量に吸い込んだ空気を吐きつつ目をこすり、続いて部屋を見渡す。

 相変わらず雑然とした部屋だ。

 それでもツルカと一緒に住むようになってからはこまめに掃除するようになり、以前ほどひどくはない。ゴミやら何やらで埋め尽くされていたカーペットは、今ではちゃんと足の踏み場があるほど、そこそこ綺麗に保たれている。やはり人の目があると、自然と身の回りの物を整理整頓するようになるものだ。

 2回目のあくびが出そうになった時、勢い良くドアが開き、同時にツルカが部屋の中に入ってきた。結城は吸い込んだ息をそのまま飲み込んでしまった。

「ユウキ、やっと起きたのか!!」

「どしたんだツルカ、そんなに慌てて。」

 結城は何やら慌てふためくツルカを見つつ、両手を上に掲げて背筋を伸ばす。

 ツルカはパジャマ姿のままで、銀の髪もボサボサだった。こちらと同じく起きて間もないのだろう。

 ただごとではないツルカの雰囲気を見て、一瞬で目が覚めた結城はベッドから降りる。

「早くこっち!!」

 理由も話さぬままツルカはこちらの手を取り、部屋の外に向かって引っ張った。ツルカの力に抵抗できるわけもなく、結城は廊下を経てリビングへ連れられていく。

(何があったんんだ……?)

 虫でも出たのだろうか、それとも何かこぼしてしまったのか。

 ……結城の頭に思い浮かんだ事はどちらとも外れていた。

 リビングに変わった様子はない。出しっぱなしの殺虫剤があるわけでもなく、床に何かをこぼしたような跡もない。少々散らかっているものの、綺麗なものだ。

「こっちこっち!!」

 ツルカはリビングを通り抜けて玄関まで進んでいく。……もしかしてこのまま外に出るつもりなのだろうか。

(まずい……。)

 現在、結城は下着だけしか着用しておらず、いつも通りのだらしない格好をしている。

 ボックスショーツにタンクトップなので“こういうファッションだ”と主張すればまかり通るかもしれないが、他人に見られて恥ずかしいことに変わりはない。

 結城は玄関の手前で踏ん張り、ツルカの牽引力になんとか対抗しようと努力する。しかし、ツルカの力は予想をはるかに超えて強く、結城は止まることが出来なかった。

「待てツルカ!! 先に服を……というかドア開けっ放しじゃないか!!」

「いいから外を見ろ、大変なことになってるぞ。」

 玄関に到着して、ようやくツルカは手を離した。

 結城はすぐに玄関から距離を取り、近くに落ちていた服を素早く羽織る。

 それは学校の制服の上着だった。

 諒一にはさんざん廊下での脱ぎ捨てを注意されたが、こういう時には役に立つものだ。

 上着は丈が短く、下半身まで十分に隠し切れてなかったが、この際だ、上を隠せだけで満足するとしよう。

 ツルカはドアの外、寮の通路の中央に立ちまっすぐどこかを見つめていた。

 結城はドアで下半身を隠し、体を傾けて頭だけを通路にのぞかせる。そしてツルカと同じ方向に顔を向けた。

 寮の個室は通路を挟んで向かい合うように配置されているため、木目調のドアがズラリと並ぶ光景が目に写った。

 その通路の端、階段がある場所から何やら騒ぎ声が聞こえてくる。どうやら階下で何かが起こっているらしい。こんな朝早くに一体何が起こったのだろう。

(警察沙汰になるような事件じゃないといいんだけど……。)

 物々しい雰囲気の中、しばらく様子を見ているとツルカが話し始めた。

「さっき聞いたんだけど、寮の外や門付近にいっぱい人が集まってるらしい。中には大きなカメラを背負ってる人もいるらしいぞ。」

「大きなカメラって……テレビ局か……?」

 これはいよいよ大変なことになっているようだ。もしや、殺人でもあったのだろうか。

 しかし、サイレンも聞こえてこないし、警察がいる気配は全くない。

 結城は通路に立っているツルカに詳しい状況を聞いてみる。

「他には、寮で何があったのか聞いてないのか?」

 ツルカはすぐに首を横に振った。

「分からない……だから今から確かめに行くぞ。」

 そしてツルカは再びこちらの腕をつかみ、引っ張り始める。

「駄目だ、ちょっとツルカ!!」

 結城はドアにしがみついて、ツルカに対抗した。引っ張られた腕は関節が外れるのではないかと思うくらい伸びきっており、結城は泣きたい気持ちになった。

「……別に私たちが行かなくていいじゃないか。どうせ関係ないし、邪魔になるだけだぞ?」

 こんな格好のまま外に連れられでもしたらいい恥さらしだ。

 こちらの言葉を聞いて諦めたのか、ツルカはすぐに腕を掴む力をゆるめた。結城の腕はツルカの握力から解放され自由になった。

 圧迫されていた血管も、指先に血液を運び始める。

(ふぅ……。)

 ドアに隠れて安堵していると、いつの間にかツルカが階段に向けて移動し始めていた。

 結城は思わず呼び止める。

「ツルカ、どこに行くんだ!?」

「ほっといてくれ、ボクだけでも確かめに行く!!」

 そこまでして外の様子が知りたいのか……。

 ツルカならば危険はないだろうが、万が一ということもある。2人でならともかく、ツルカ一人だけで行かせるのは避けるべきだと結城は考えた。

「だから待てって!!」 

 結城の言葉を無視し、ツルカが階段に向けて走りだそうとした時、いきなり向かい側の部屋のドアが開いた。

「外の様子が知りたいならこっちにおいでよ。私の部屋からなら外が見えるよ。」

 そう言って通路に現れたのは向いの部屋に住んでいる女子学生だった。

 向かいに住む彼女はマネジメントコースに通っているが、他の学生と違いVFBにあまり興味はないようで、会話したことはあまりない。

 彼女はどうやら先ほどのやり取りを聞いていたらしい。ツルカとの素の会話を聞かれてしまい、結城は赤面してしまう。

 ツルカは女子学生の提案を聞いて足を止めていた。

「ボクらが入ってもいいのか?」

 なぜならば、女子学生のその提案は、こちらにとってありがたいものだったからだ。

 ――結城の部屋の窓は、居住区の外側……つまり『海側』に面している。つまり反対側の部屋からは居住区の『内側』が見えるというわけだ。ここは4階なので門付近もよく見えるに違いない。

 結城は通路に出て女子学生に礼を言う。

「ありがと、えーと……」

 名前が思い出せず視線を漂わせていると、向こうが名乗ってきた。

「エミーよ。1年以上も近くに住んでるんだから、名前くらい覚えてよね、有名人のタカノさん。」

「ごめんごめん……。」

 どうも人の名前を覚えるのは苦手だ。こちらの非礼を詫びていると、女子学生のエミーは気まずそうに顔を逸らした。

「……?」

 謝り方がいけなかったのだろうか、と考えたが、エミーが顔を逸らしたのは全く別の理由からだった。

「タカノさん……下、履き忘れてるよ。」

「え……」

 そう言われて、結城は、自分が制服の上着を羽織っているだけの格好だったことを思い出した。下着は制服に隠れて見えない状態になっており、何も知らない人から見れば、自分はただの痴女にしか見えないだろう。

「きゃっ!? ……違、これは……下着はちゃんと……。」

 結城はしどろもどろに返事しながら自分の部屋へ後退りする。

 ツルカはそんな状況も気にすることなく、エミーの部屋に入っていく。

「じゃあボクは先に入ってるぞ。おじゃましまーす。」

「どうぞ。」

 ツルカはエミーの脇をスルリと抜けると、部屋の奥へと消えていった。

「とりあえず私は着替えてから……。」

「わかった。ドア、開けたままにしておくね。」

 こちらの言葉を聞いてから、エミーはツルカの後を追って部屋の奥へ進んでいった。

(エミーさんに感謝……今度なにかお礼しないといけないな……。)

 お礼の品は諒一に任せることにし、結城は寝室まで戻って制服に着替え始めた。



 素早く着替えを済ませた結城は、自分の部屋を出てエミーの部屋に入った。

「お邪魔します……」

 一応部屋の中に向けて声をかけた後、結城は開けっ放しのドアを閉め、奥へと進んでいく。

 狭い廊下の壁には、何やら小さな風景画が飾られていた。ちょっとした遊び心というものだろうか。海上都市群が描かれたその絵はモノクロだったが、色がなくても雰囲気は伝わってきた。

 その絵は海から都市を見上げる構図で、気持ちのいい奥行きを感じられる絵だった。手前には数隻の船も描かれていた。

 結城はしばらく絵を見た後、部屋の中に目を向ける。

(うわぁ、綺麗な部屋だな……。)

 同じ間取りなはずなのに、部屋の中はまるで違う。明らかに今いる部屋のほうが清潔で、そして広々と感じられる。

 これが本来の女子学生寮の個室のあるべき姿だと思うと、自分の部屋に対し申し訳ない気持ちが沸き上がってくる。

 “綺麗で羨ましい”という気持ちよりも“汚くてごめん”という感情が優っている辺り、結城のだらしなさがどれほど高いレベルにあるかがわかるというものだ。

 ダイニングに入ると、食卓の椅子にエミーが座っていた。

「いらっしゃい。」

 結城はテーブルの向かい側まで移動し、エミーにツルカの場所を確認する。

「ツルカはどこに?」

「まだ窓から外を見てるよ。」

 エミーは腕を上げてリビングの方を指さした。

 リビングに繋がる扉は開かれており、さらにその奥にある窓際にツルカの姿を確認することができた。ツルカはこちらに気づいておらず、窓の外に視線を向けていた。

「せっかく部屋に来たんだし、コーヒーご馳走するね。」

 エミーは椅子から立ち上がり、キッチンへと向かっていく。

「すぐに帰るから、何もそこまで……」

 こちらの遠慮の言葉が聞こえなかったのか、エミーは笑顔でコーヒーについて質問してくる。

「ミルクとか砂糖とか、どのくらい入れる?」

「……お任せします。」

「じゃぁ私と同じにしておくね。」

 女の子同士で、こういう“ほんわか”とした会話をしたことがなかったので、結城は不意に訪れたチャンスを嬉しく思っていた。

 自分がVFランナーにならなければ、彼女と会話する機会はなく、今こうやってコーヒーを御馳走になることもなかっただろう。

 名が売れることは、生活を制限されることに繋がる。結城はそれをあまり好ましく思ってなかったが、一方でこういう出会いもある。

 出会いのきっかけになるのならば、有名になるのも悪くないと、結城は思い直していた。

「ちょっと待っててね、すぐに入れるから。」

 そう言うと、エミーはキッチンへと姿を消した。

 用意できるまで少し時間がかかりそうなので、その間、結城はツルカと一緒に外の様子を見てみることにした。

「ツルカ、何か分かったか?」

 結城はリビングに移動し、窓に近づきながらツルカに声をかける。しかし、ツルカは「うーん……」と唸るだけだった。

 ツルカは窓のサッシに手をついて、門付近に顔を向けている。頭が半分ほど外に出ており、風にあおられた髪がバラバラになって不規則に揺れていた。

 邪魔になるかもしれないと思い、結城は髪を結ぶための予備のヘアバンドをポケットから取り出した。そして、そのシックな色のヘアバンドでツルカの長い銀色の髪を括りつつ、結城も外に目を向ける。

(あれ、よく見えないな……。)

 予想に反して、ここからはあまり詳しい様子を見ることができなかった。しかし、寮の門付近に人だかりができているのだけは確認できた。

 暫くの間、2人して何となく外の様子を眺めていると、背後からエミーの声がした。

「コーヒー入ったよ。2人ともこっちにきて。」

 振り向いてみると、テーブルの上に3つのマグカップがあり、それぞれから白い湯気が立ち上っていた。

「わかった。……ツルカも一旦戻ろう。」

「うん。」

 結城とツルカは窓から離れ、2人一緒にテーブルについた。

 エミーは既に自分で入れたコーヒーを啜っており、風味を楽しんでいるようだった。

(良い香りだ。)

 すぐにでも飲みたい気分だったが、外の事が気になって仕方がなかったので、結城はそのコーヒーを頂く前に、エミーに少し質問することにした。

「なぁ、何の事件があったか知ってるか?」

「事件……?」

 エミーは怪訝な顔をしてマグカップをテーブルの上に置く。

「もしかして気付いてないの? あれ、全部VFBファンよ?」

「ファン?」

 結城はそれを聞いて、今一度、自分の目で確かめるために再び窓際まで移動する。

 見ると、先ほどまでは気付かなかったが、VFBチームのロゴの入ったシャツを着ている人の姿がちらほら見られる。

 しかし、一体どうしてこんな時間に、こんな場所にファンが来ているのか。

 スタジアムならともかく、女子学生寮に来ても何も無いはずだ。

「ファンが……何のために?」

 こちらがいまいち理解出来ないといった反応を見せると、エミーはやれやれといった風に説明する。

「だから、みんなタカノさんを見るためにあそこで待ち構えてるってわけ。」

「……!?」

 まさか、自分自身がこの騒ぎの原因だとは夢にも思っていなかった結城は、立ちくらみを起こしそうになってしまう。

 信じたくはなかったが、今になって考えてみればそれが当然のように思える。それだけ自分はVFBにおいて大きな活躍をしたのだ。

 しかし、頭ではそう思っていても、結城はこの真実を受け入れ難かった。

「まさか……昨日の今日でなんでこんな事に……」

 昔はよく有名人になる空想をして、たくさんのファンに囲まれるのを想像したものだ。だが、いざそれを目の前にすると腰が引ける。また、プライベートにまで侵入されそうで怖くもある。

 結城が深いため息をついていると、エミーがテーブルに座ったままこちらに声をかけてくる。

「私はVFBには詳しくないけど、昨日の試合で勝ったんでしょ? 多分そのせいじゃないかな。」

 続いてツルカも納得したように話す。

「まぁ、初登場のシーズンであれだけ活躍すれば注目されても仕方ないか……。」

「学生なのにすごいよね、タカノさん。」

 ……そんなことは言われなくてもわかっている。

 アール・ブランの順位に加え、自分のように若い女子学生がVFランナーとして活躍し、このような好成績を収める事自体珍しいことなのだ。

 やはり、注目を浴びるのは避けて通れない道なのだろう。

「でも、あんな場所で待ち構えられてたら逃げようがないぞ……。」

 普段通りあそこをノコノコと歩けばもみくちゃにされてしまうのは火を見るより明らかだ。

(誰か追っ払ってくれないだろうか……。)

 しかし、追っ払えたとしてもかなりの時間が掛かるに違いない。

 やはり学校を休もうか……と本気で考えた瞬間、一台のカメラがこっちを向いた。

「!!」

 結城は咄嗟にしゃがみ、窓から距離をとる。

 カメラマンと目があったような気もするが、ガラス越しの上、これだけ距離がある。多分バレてはいない、大丈夫だろう。

 結城の変な行動が気になったのか、ツルカは結城と入れ替わるようにして窓際に立った。

「どうしたんだユウキ?」

「ツルカ、今は駄目だ。カメラが……。」

「あ、カメラだ。おーい。」

 何を思ったか、ツルカは窓を開けて元気よく手を振り始める。すると、ツルカの存在に気がついたファン達が反応し、門付近は騒然となった。

「ちょっとツルカ、手は振らなくていい……というか隠れろ!!」

 結城は慌ててツルカを窓際から引き剥がす。

 だが時は既に遅し。ツルカの姿を確認したファンは更に門に詰め寄り、カメラマンも忙しなくカメラを左右に動かし始めた。

 果たしてこのような状況で無事に学校にたどり着くことができるのか。

(無理だろうなぁ……。)

 これからどうすればいいのか。

「……。」

 取り敢えずコーヒーを飲んでから考えることにした。


  2


 女子学生寮、正面玄関。

 そこには数十名の報道関係者と、門を埋め尽くすほどのファンが待ち構えていた。

「やっぱり多いな。」

「そうだな。でも昔のお姉ちゃんに比べたらこれでも少ないくらいだ。」

「ランナーでもないのに……すごかったんだな、オルネラさん。」

「まあね。」

 結城とツルカは1階のロビーの椅子の影に隠れ、こっそりと外の様子を眺めていた。

 閉じられた門の内側には寮のスタッフや守衛さんがいて、外にいる報道陣の人達と何やら会話している。

 門の外には完全に人の壁が出来上がっており、簡単に通れそうになかった。

 もうすぐ登校する時間になるため、他の女子学生も困っているに違いない。

 ……一刻も早く寮の外に出る必要がある。

「よしツルカ、寮の裏にいくぞ。」

「オッケー。」

 結城が考えた、この障害を乗り越えるのに最も適した方法は、目立たない所から寮を出るというものだった。

 その目立たぬ場所というのは……寮を囲むようにして設置されている壁、要するに塀である。

 何も馬鹿のように、ファンの壁を正面突破する必要はないのだ。塀を乗り越えられれば好きなところから外に行くことができる。遠回りになるかもしれないが、そのくらいのデメリットは問題にならない。

 本来ならば違反行為だが、寮長さんに話せばこのくらいのことは目をつむってくれるだろう。

 ……他の案としては『もうタカノユウキは学校に行った』とブラフを流すことも考えてのだが、ツルカの姿を見られた以上、それは通用しないと考えるのが自然だ。

(塀、越えられるよな……。)

 寮の裏側まで移動すると、結城は早速足場になるようなものを探す。ここには資材倉庫もあるので脚立やはしごなど、足場は簡単に見つかるだろう。

 結城は錆びついた金属製の脚立を発見し、それを塀のすぐ近くに設置した。この上に乗って背伸びをすれば、ぎりぎり塀の縁に手が届くかもしれない。

 塀の表面はザラザラとしており、足を引っ掛けることもできるので、手が届きさえすれば登るのは簡単だ。

 結城が色々と準備をしている間、ツルカは塀にもたれて腕を組んでいた。

「なぁユウキ、ここまでして学校行く必要あるか?」

 同じようなことを結城も感じていた。

 しかし、休むつもりはなかった。

「学生だけど、一応ダグラスの社員でもあるし、欠勤はまずいだろ……。」

 脚立に登りながら、結城は付け加えて言う。

「それに今日は午後から演習があるだろ? VFに乗れる機会なんか滅多に無いし、だからせめてそれには間に合わせたい。」

 結城は脚立の一番上の段に立ち、手を伸ばすも、後ちょっとの所で塀の縁に届かない。

「ぐ……」

 背伸びしてみてもそれは変わらなかった。

(脚立の下にブロック置いて底上げするか……。)

 結城が諦めて脚立を降りようとすると、いきなりツルカが塀ではなく、寮の建物に向けて走り始めた。

「とうっ!!」

 ツルカはそのまま建物の壁を登り、勢いを失った所で壁を蹴って反対側に跳んだ。そして塀に足をつけたと思うと、今度は塀を蹴って再び建物の壁に足をつく。それをもう一度繰り返すと、ツルカは塀のヘリに着地した。

 三角飛びどころの話ではない、連続壁蹴りである。

(やっぱりツルカはすごいなぁ……。)

 結城が感心していると、上に登ったツルカが下に向けて手を差し伸べてきた。

「ほらユウキ、はやく掴まれ。」

「どうも。」

 上から伸びてきたツルカの腕をしっかりと掴むと、結城は腕を引っ張り、塀の上になんとか登ることができた。

 塀の上に立つと地面までかなり距離があるように感じられた。しかし、いつもVFに乗っている結城からすれば、このくらいの高さは慣れっこだ。コックピット位置のほうが高いくらいだ。

 2人は同時に塀から飛び降り、難なく地面に着地した。

 周りにファンなどの人影はない。どうやら無事に女子学生寮から脱出することができたようだ。

「じゃあ見つからないうちに遠回りして行くか。」

 結城の言葉にツルカは頷き、2人は目立たぬようにして学生寮から離れていった。



 それから30分後、結城とツルカは中央ビル内にある学校の教室に到着していた。

「ハァ……ハァ……やっと着いた……。」

「ファンの人達、意外と足速かったな。」

 学生寮から出た後、結城とツルカは橋までは無事に見つからずに済んだ。

 が、橋で待ち伏せしていたファン達に発見されてしまい、結局学校まで猛ダッシュすることとなったのだ。

 橋の終点や学校の入口にも少ないながらもファンが待ち構えており、結城はそれらと遭遇する度進路を変えねばならず、教室に到着するまでかなりの時間と距離がかかってしまったというわけだった。

 何とか切り抜けて教室へ到着した結城は疲労困憊状態にあり、今は机に突っ伏して体を休めている。演習などで体力を鍛えてはいるものの、あれだけ長い距離を全力で走れば流石に疲れる。

 ……教室内にいるVFランナー育成コースの学生もこの騒ぎのことを知っているのか、結城は彼らから好奇の目を向けられていた。

 そんな中、一人の少年がこちらに近づいてきて、挨拶してきた。

「結城さん、お早う御座います。」

 それは槻矢だった。

 槻矢はツルカと同じく飛び級してこの学校に入学した日本人だ。その容姿は他の男子学生と比べると幼く、性格も少し気弱だ。彼は、学業成績は問題ないのだが、VFの操作が少し苦手である。

 ただ、シミュレーションゲームでは結城と渡り合えるほど強い、ゲームランキング上位者でもある。……そして、結城のコース内における唯一の男性ファンだ。

 会った当初は一人ぼっちだったが、今は諒一達と仲良くしているらしい。

 結城は息を切らしながらも挨拶を返す。

「おはよう……槻矢くん……。」

 挨拶もそこそこに、槻矢は興奮気味に話す。

「結城さん、昨日はおめでとうございます!! デビューしてすぐに昇格リーグに出場できるなんて、……やっぱり結城さんはすごいです!!」

「ありがと、自分でも驚いてるくらいだ。」

 相当嬉しいのか、槻矢は体を震わせていた。

 結城も勝った時は嬉しかったが、槻矢ほどではなかった。本来ならば、もっもこちらが喜んでもいいくらいだ。それこそ飛び跳ねるくらいに……。

 そんな感情のギャップに結城が苦笑いしていると、槻矢が今朝のことについて話題を振ってきた。

「ついさっき聞いたんですが……女子学生量は大変なことになってるらしいですね。大丈夫でしたか?」

「なんとかな。でもあの感じじゃ、しばらく騒ぎは収まりそうにないかな……。」

「そうですか……。」

 今まで、ファンレターが届いたり、学生が部屋に押しかけてきたことは何度もあった。そして、スタジアム内のハンガーでもファンと握手したこともあるし、さらに、シミュレーションゲームでファンと交流試合をしたこともある。

 しかし、それらは全て小規模なもので、対応に困ることは一度足りともなかった。

 今回のように、まるで津波のごとく、怒涛の勢いで押し寄せるファンと向き合ったのは初めてなのだ。それ故、結城は困惑していた。

「はぁ、どうしてこんな事に……。」

 悩ましい声で机に顔を伏せると、机の横に立っていたツルカも会話に参加してきた。

「……確かに、いくらユウキが試合に勝ったからって、今朝のはいきなり過ぎる気がするな。」

 ツルカはブーツで床をトントンと叩きながら言葉を続ける。

「それに、同じように昇格リーグに進んだトライアローにも注目が行ってもいいと思うんだけど……、どうしてトライアローは騒ぎになってないんだ……?」

 槻矢は2人の疑問に対し、そのトライアローを例にあげて説明する。

「アール・ブランと違って、トライアローはランナーの情報を厳密に管理してて、住居も秘密にされてるらしいです。……何より、トライアローは何度も1STリーグ行きを拒否してますから、トライアローよりも結城さんに注目が行くのは当然の流れかもしれないです。」

「あー、なるほど……。」

 結城にとって、槻矢の説明はかなり納得できるものだった。

 何のことはない。いつもトライアローに行っていた取材陣が、今シーズンはそのままこちらに来たというだけの話だ。何ともシンプルな道理である。

 しかし、ツルカはまだ納得しきれていないようだった。

「でも昇格リーグに出るってだけで、1STリーグ行きが決定したわけじゃ……」

「それだけ期待されてるってことですよ。多分そうです。」

(期待……か。)

 結城にとってその期待は重荷だ。どうせ期待するのなら今朝のような厚かましいものではなく、いつも通り、ささやかに期待して欲しい。

 そんなことを話していると、始業時間になり、教官が教室内に入ってきた。

「それじゃ結城さん、また後で。」

 槻矢はそう言うと前の方にある自分の席に戻っていった。

「さて、ボクも座るか。」

 ツルカも結城の隣の席に座り、正面を向いて姿勢を正した。

 ダグラス企業学校では、一人につき広い机が一つ割り当てられているのだが、ツルカにはこの机は大きすぎるように思える。もちろん、結城にとってもそうだ。

 こんな所に無駄に金をかけるくらいなら、VF関連のものに回して欲しいものである。

 結城が授業用の端末を準備していると、男性教官の驚きの声が聞こえてきた。

「あれ、タカノ。もうこっちに来てたのか。」

「はい?」

 ガタイのいい男性教官の目はこちらに向けられており、何か意外なものを見るような表情をしていた。

 何のことか理解できず黙っていると、ようやく教官が説明し始めた。

「いや、女子学生寮があれじゃ外に出られないから、学校が迎えの車を用意したと聞いたんだが……どうやら要らなかったみたいだな。」

(それを早く言ってくれよ……。)

 無駄に走って体力を消耗してしまい、結城は損した気分になっていた。


  3


 海に浮かぶだだっ広い演習ユニット、ダグラス社が所有しているこの場所でVF演習は行われる。

 演習場には小規模なジェネレーター施設、それに併設されている基地、そしてVFの格納庫がある。格納庫は半分地面に埋まるような形で設置されており、パッと見では普通の倉庫に見えなくもない。

 そんな格納庫の中、訓練用のVFがずらりと並ぶ場所に結城はいた。

「はぁ……はぁ……」

 結城は額から汗を流し、苦しそうに呼吸していた。

(暑いな……でも、日差しがないだけマシか……。)

 結城の周りには同じコースの学生がおり、教官の話をおとなしく聞いている。

 ……全員汗をかいていて、息も荒かった。

 それもそのはずだ。なぜなら、長いランニングを終えたばかりだったからだ。

 床はひんやりとしていて足元は気持ちいいが、それだけではこの暑さをどうにかすることはできそうにない。

「ユウキ、暑い……。」

 小声で話しかけてきたのはツルカだった。

 ツルカは呼吸こそ整っているものの、体中から汗が吹き出しており、ジャージがべっとりと体にくっついていた。その汗のせいで気持ち悪そうにしていたが、ツルカ本人からは、ほのかに甘い香りが発せられており、汗臭くないのがせめてもの救いだった。

「もうちょっとでランナースーツに着替えられるから頑張れ、ツルカ。」

「そうだといいんだけど。」

 教官の説明はいつもより長引いていた。

(ま、当然だな……。)

 教官がこれほど長く説明するのも仕方がない。

 ――今日の演習ではVF用の銃器を扱うからだ。

 扱い方を誤れば惨事になりかねないので、説明し過ぎて悪いことはない。むしろ、講習で一日潰してもいいくらいだ、と結城は思っていた。

 ……学校の演習において、武器を扱った訓練はまだ行なわれていない。

 そのため、扱いが面倒な銃器よりも先に、扱いが簡単な『剣』や『槍』で訓練したほうがいいのではないかと結城は考えていた。

 確かに、VFBにおいて銃器はメジャーな武器であるが、飛び道具の扱いを先に教えるのには、なにか意図があるのだろうか。

(本物はホントに危ないからな……。)

 結城はヴァルジウスとの試合のことを思い出す。

 あの時の電磁レールガンは驚異的だった。

 距離も関係なく、トリガー一つであれだけの効果が得られるのだ。そんな銃器の威力や有効性を鑑みれば、それを最初に教えるのは理にかなっているかもしれない。

 慎重に慎重を重ね、手順を何度も確認するのにも頷ける。

 それに、事実として、多くのランナーがメインウェポンに銃器を使っている。

 『銃は飛び道具だから卑怯だ』と言う人もいるが、結城はそんなことは全く思っていない。

(私もよく使ってたからなぁ……)

 昔、結城はゲーム内で毎回銃器を装備し、牽制などによく使用していた。

 VFBリーグでは使ったことがないが、銃器の扱いには慣れており、ぶっつけ本番でも難なく使える自信があった。

(そういえば、セブンに最初に教えてもらったのも銃器だったっけ。)

 初めて扱った時は誤射を連発した記憶がある。ゲーム内だから良かったが、現実にあれをやると考えると恐ろしい。

 ……結城はツルカのことも気になり、小声で聞いてみる。

「なぁ、ツルカが一番最初に手にした武器って何だった?」

 ツルカはしんどそうな顔をゆっくりとこちらに向け、質問に答える。

「……ボクは武器なんか使ったこと無いぞ。」

「そういえばそうか……。」

 キルヒアイゼンのVF『ファスナ』は素手での格闘に最適化されたVFだ。イクセルもそうだったように、ツルカも拳のみで戦うインファイターなのだ。

(すっかり忘れてたな……。)

 それ故、ツルカが銃器に対しどんなリアクションを取るのか、見るのが楽しみだ。

「こら、そこ!! 私語は慎め……。お前だけのために説明してるんじゃないんだぞ。」

 ツルカとヒソヒソと話をしているのがばれたのか、教官が説明を中断した。

 続けてきつい口調で注意してくる。

「……お前らに説明が必要ないのは分かってるが、おとなしく聞いててくれ。」

「すみません……。」

 こちらが謝ると、教官は何事もなかったかのように説明を再開した。

 とばっちりを受けたツルカは結城に不平の言葉を漏らす。

「なんであんな事聞いたんだ……おかげで怒られちゃったぞ。」

「ごめん。でも、なんとなく気になるなぁと思って……。」

「……。」

 こちらの答えを聞いたツルカは呆れたようにため息を付き、視線を教官に戻した。

 怠そうに前を見ているツルカを横目に、結城は視線を格納庫内のVFに向ける。

 訓練用VFのボディは白い。別に白にペイントされているわけではなさそうなので、これが地の色なのだろう。

 カラーリングせずとも十分見栄えがいい。

 VFのデザインはダグラスの量産型の製品に似ている。が、これらはそれと違い、所々にクッションのようなパーツが取り付けられていた。これは、転倒時の破損を軽減するために付けられているのだろう。しかし、プロテクターとしてはあまり役立ちそうになかった。

「……以上だ。何か質問はあるか?」

 VFに思いを馳せているうちに説明が終わったらしい。

 教官は手元の端末に何かを書きこみながら、学生からの質問を待っていた。

 間もなく学生の一人が手を挙げ、遠慮がちに発言した。

「あの、教官……」

「なんだ?」

「模擬弾って当たったらどうなるんです?」

 流石に訓練で実弾は使用しないようだ。

 教官は模擬弾を当てたことも、模擬弾に当たったこともあるのか、何かを思い出すように腕を組んで、学生の質問に答える。

「……色がつくだけだ。危険はない。」

 その言葉の後、教官は口調を強めて続ける。

「だが絶対に他のVFに向けるな。今日はターゲットを撃つだけだぞ。分かったか?」

 念入りに説明され、学生達は一斉に了解の返事をする。

「はい、教官。」

 この返事にも慣れたものだ。最初聞いた時は軍隊かと思ったが、指示内容を確認するには最適の方法だ。

「他に質問はないか?」

 5秒間、誰も手を挙げないでいると教官は手に持っていた端末を閉じて腰の後ろに回した。

「よし……各自ランナースーツに着替えろ。準備出来次第搭乗、続いて起動だ。」

「はい、教官。」

 返事をすると、学生は一斉に更衣室に向けて移動し始めた。

「さて、着替えるか……ってなんだ!?」

 更衣室がある方向へ体を向けると、結城は格納庫の出入り口に見慣れぬものを見つけた。

(こんな場所にまで……)

 それは、朝に女子寮の門付近で見かけた記者のグループだった。

 合計で3名ほどおり、カメラ、レポーター、アシスタントでチームを組んでいた。

 やがて、そのグループと目があってしまい、レポーターがものすごい勢いで急接近してきた。

「見つけた!! ……ユウキ選手!! お時間ちょっといいですか!?」

(げっ……)

 キツい性格をしていそうな女性レポーターは結城の正面に立ち、まるで通せんぼのごとく、その場で両腕を広げた。

 あとに続くカメラマンやアシスタントは「やっぱりここで合ってたな。」「早くカメラ回せ。」などと言いながらレポーターの両脇に移動し、斜めに構えてこちらの進路を完全に塞いできた。

 止む無く結城は歩みを止め、そのグループに対応する。

「すみません、こういうのはちゃんとチームを通して……」

「ちょっとくらいいいじゃないですか、色々質問したいことがあるんです。」

 レポーターはこちらに向けてマイクをグイッと押し付ける。

 結城はマイクを避けるように身を引き、両手のひらを肩まで上げて左右に振る。

「困ります。今は演習中で……」

「本当にちょっとだけですから、お願いしますよユウキ選手。」

 困り果てていると、急に何者かがこちらの腰を押してきた。結城は真横に移動させられた後、レポーター達を避けるようにして出口に押されていく。

「ほら、行くぞユウキ。こんな奴らは無視するのが一番いいんだ。」

 背後から結城を押したのはツルカだった。

「あ、ツルカ……。」

 結城が背後を見ると、取り残されたレポーターがなにか言いたげな顔をしていた。

 レポーターはこちらを追いかけようとしたが、すぐに教官が現れ、取材グループに注意し始める。

「何だ貴様らは。ここはダグラス社の私有地だぞ?」

 見たところ来客用のパスも無く、どうやら不法にこの演習用フロートに侵入してきたらしい。

 レポーターは上ずった声で言い訳し始める。

「いや、私たちはちゃんとダグラスから許可をもらっていまして……」

「こっちは何も連絡を受けてないぞ。」

「そんなはずは……何かの手違いでは?」

 明らかな虚偽の言葉に、教官はきつく言い返す。

「……嘘をつくな!!」

 いきなり聞こえた教官の怒声に反応し、ようやく学生達は異変に気づいた。騒ぎを聞きつけた学生達は進行方向を反転させ、格納庫内に引き返してくる。

 レポーター達は多くの学生に見られながら、教官に追いやられるようにして出口に向かっていく。しかし、出口付近まで来た時、何かを思いついたのか、レポーターの表情がいやらしく変化した。

「……あなたの一存で追い出していいんですか?」

 完全に開き直った態度でレポーターは教官に詰め寄る。

「問題になった時、責められるのはあなたですよ?」

「……。」

 結城たちも歩みを止めてその様子を見ていた。

「むぅ……」

 学生達が注目する中、教官は苦虫を潰したような表情を見せ、諦めたようにため息を付いた。 

「……本社に確認するからそこでおとなしくしていろ。」

 嘘を付いているのは明らかだが“もしも”ということもある。教官の判断は間違っていないと結城は思った。

 そして教官は小走りで格納庫外に出ていった。

(あぁ、貴重な演習時間が減っていく……)

 教官が居なければジェネレータは起動できず、VFは動かない。なので教官が早く帰ってきてくれますように、と結城は願った。

 ……教官が去ると、待ってましたと言わんばかりにレポーターがこちらに迫り、再びマイクを突き出してきた。

「どうもユウキ選手。今日はどんな演習をするんですか?」

 レポーターたちがここにいられるのは、教官が確認するまでの短い時間だけだ。その間だけでも取材しようとする、その根性に結城は驚かされる。

(このくらい図々しくないとやってられないんだろうな……。)

 結城がレポーターを少し哀れんでいると、関係のない学生が割り込んできて、マイクに向けて喋り出した。

「これから俺ら、VFに乗ってライフル撃つんスよ。」

 それは学生の中でも素行の悪い、髪をカラフルに染めた者たちだった。余程目立ちたいのか、こちらを後方に押しのけカメラの前に陣取った。

 おかげで結城はその場から逃れることができた。

 レポーターは仕方ないといった風に、その不良学生の相手をし始める。

「へぇ、ライフル……ところでユウキ選手は学校ではどんな学生なのかな?」

 一瞬、不良学生たちの目がこちらに向けられる。

 そして、不良学生は半笑いでレポーターの質問に答えた。 

「あんま話したことねーし、知らねぇよ。」

「あいつ、元々マネジメントコースにいたらしいし、そっちに聞いたほうがいいんじゃねぇの?」

「それより俺らのこと知りたくないの? 未来のVFランナーだぜ?」 

「そうそう、あのユウキなんかよりも強くて……」

 不良学生たちの言葉を聞き、レポーターはげんなりした様子でマイクを下げ、呟く。

「使えねぇ……」

 そのままレポーターは学生達を押しのけ、まっすぐとこちらに向かってきた。

「へ……?」

 置き去りにされた不良学生たちはレポーターの豹変ぶりに面食らっているようだった。

 あんなに一生懸命アピールしていたのに、あのように無下にされては可哀想である。気に入らない連中だが、流石に同情せざるを得ない。

(またこっちに来た……。)

 レポーター達にどう対応すべきか悩んでいると、そうこうしているうちに教官が格納庫に戻ってきた。

 やっとこれで解放されると思ったのも束の間、教官の口から予想していなかった言葉が発せられる。

「確認が取れた。……さっきは乱暴に言って済まなかったな。」

「!?」

 この結果には取材グループも驚いたらしく、動揺しつつもレポーターが返事をする。

「……いえ、わかってもらえればそれでいいです。」

 教官は悔しげな表情を浮かべつつ話を続ける。

「ずいぶんと手際がいいようだ。上で話がついたみたいだぞ。……所属してるのが大手で良かったな。」

「何のことでしょうか、元々アポはとっていたはずなんですが……」

「白々しい奴だ……危ないから退避ゾーンから外に出るなよ? あと、ここではこちらの指示に従ってもらう、いいな?」

「はいはい、わかってます。」

 ひと通り話がつくと、教官は手を叩いて学生達に向けて言う。

「お前ら何してる!! ……指示したとおり早くランナースーツに着替えろ。」

「はい、教官。」

 すぐに学生達は返事をし、蜘蛛の子を散らすように格納庫から出ていった。

(結局、取材はオーケーになったのか……でもなんで……?)

 疑問を抱きつつ、結城もツルカと共に、更衣室がある基地に向けて走り出した。



 準備が完了すると射撃の演習が始まった。

 演習場にはターゲットが横一列にズラリと等間隔に配置されており、学生達も一定の距離をおいてターゲットに対峙していた。

 ターゲットはVFの数と同じだけ用意されており、2人で一体のVFを使い、交代しながらターゲットを狙い撃つとのことだった。

 使用する銃器は一番グレードの低いもので、シンプルな形状をしている。もちろんダグラス社製品だ。弾倉には黄色いラインが入っており、模擬弾が装填されていることを示していた。

 VFで銃器を扱うのは面倒だが、慣れてしまえばお手軽な武器となる。アシストにAIを使用すれば、照準すらも半自動で行ってくれるのだ。もっと優秀なものになると照準予測もしてくれるし、最高級品ともなれば勝手に迎撃もしてくれる。

 ただ、AIを使った照準は被弾する側から予測しやすく、射線を誘導しやすい。つまりフェイントや不規則な動きに対応できないのだ。

 また、1STリーグ未満だと威力に制限が設けられるため、“お手軽”の領域を出られないのが現状だ。

(あと、壊れやすいし弾数にも制限があるからなぁ……)

 他のことを考えつつ、結城はサイトの向こう側に見えるターゲットに弾を命中させていく。

 ダーツの的のようなターゲットは、それこそダーツと同じように同じ場所から全く動かない。そのため、とても容易く命中させることができた。

 弾倉の模擬弾を全てターゲットに連続命中させた結城は、横に並んでいる学生達の様子を見てみる。立ったまま射撃しているVFもあれば、地面に伏せて撃っているVFもいる。

 ちなみに結城のVFは片膝を立てた状態で射撃していた。

 この体勢を選んだことに大した理由はない。利点があるとすれば、交代するときにスムーズにコックピットから降りることが出来るということくらいだ。

 ……それを実践するべく、結城はHMDを素早く脱ぎ、コックピットハッチを開けて地面に降りる。

「よし、ツルカ、交代しよう。」

 VFの後方、待機場所にはツルカいて、待ち遠しそうな顔をしていた。

「やっとボクの番か……。」

 ツルカは結城と入れ替わるようにしてコックピットに飛び乗り、すぐにハッチを閉じた。

 そして弾倉をせっせと交換すると、銃身を地面と水平になるまで持ち上げる。

 銃口がターゲットに向けられた時、ツルカの感心した声が通信機越しに聞こえてきた。

「全弾命中か……何でも使えるんだな、ユウキは。」

「まぁね。」

 どうやらこちらが撃ったターゲットを見て、着弾数を数えていたらしい。

 間もなく新しいターゲットに交換され、ツルカも周りの学生と同じように射撃を開始した。

 途端に銃声が鳴り、思わず結城は耳を塞いだ。

(び、びっくりした。)

 コックピットの中だとあまり大きく聞こえなかったのだが、何も遮るものがないとかなりうるさく感じられる。長時間聞いていれば間違い無く難聴になるレベルだ。

(……とりあえずHMD被っとこう。)

 被ってもまだ弾が発射される度に振動を感じたが、耳への負担はHMDを被る前より格段にマシになった。

 結城はその格好のまま待機場所まで移動する。そこには申し訳程度にパラソルが立てられていた。結城はそのパラソルが作る小さな影の中に入って身を縮めて座る。

 他の学生も同じようにして座っており、暑苦しそうにしていた。

 教官はどうなのだろうかと思い、結城は視線を横に向ける。

 学生達がいる簡素な待機場所とは違い、遥か遠くにある退避区域にはしっかりとしたテントが建てられ、そこで教官は数種類の端末を操作していた。影の大きさはあちらの方が大きいが、暑さは大して変わらないだろう。

 忙しなく動く教官の横にはカメラマンがいた。

 その手にあるカメラのレンズは始終こちらに向けられており、結城はそれを不快に感じた。こうもしつこく追い回されて気分が良いわけがない。

(……HMD被ってて良かった。)

 これで、少なくとも汗だくの顔を撮られる心配はない。

 しかし、身体のラインがわかるランナースーツを撮られ続けていることに変わりはない。

「……。」

 結城はパラソルの台座をいじり、カメラマンから身が隠れるように角度を調整した。これでカメラから隠れることができたが、そのかわり、直射日光がこちらの身体を容赦なく照りつける。こちらも不快だが、カメラと比べればどうということはない。

 いい加減、取材グループの対応に疲れた結城は、HMDを使って個人回線を開き、ツルカに話しかける。

「なぁツルカ……。」

 話しかけると一瞬だけVFの射撃が止まった。が、すぐにツルカの返事が聞こえてくる。

「なんだ?」

 結城は先ほどのレポーターや、女子学生寮に押し寄せたファンのことを思い出しながら喋る。

「これからずっと今日みたいに追われるのかな……」

 ツルカはあまり気にかけていないようで、あっさりと答える。

「心配しなくても、3日もすれば収まるって。」

「それは経験からか?」

「いや、勘だ。」

「……。」

 ツルカの返事はどこか上の空だ。多分、初めての射撃訓練で頭がいっぱいいっぱいなのだろう。

 こんな時に話しかけるこちらが悪かったのかもしれない。迷惑をかけると悪いので会話を中断させようとしたが、その前にツルカが話し始めた。

「……どちらにしても、これからは他のランナーと同じように色々と気を使う必要はあるだろうな。」

「色々って、例えば?」

 こちらが詳しい説明を求めると、ツルカは2,3発間を置いてから話し出した。

「そうだな……変装したり、人の多い場所には行かないとか……あと発言にも気を付けないと駄目だな。お姉ちゃんは一番それに注意してたみたいだし。」

「大変なんだな……」

 変装までしないといけないかと思うと、気が滅入る。以前のように自由に外出できなくなると考えると溜息が出る。

 こうなることは想像していたものの、行動が制限されるのはもっと先のことだと結城は思っていた。想定外の事態だが、適応していかねばならない。VFランナーというものは試合以外でも苦労することがあるのだと、改めて思い知らされる。

「そろそろユウキも、自分がカメラに追いかけられるくらいの有名人だって自覚しないと駄目みたいだな。」

「私が有名人……」

 誰しもが憧れる『有名人』だが、実際はこんなものだ。結城は特に有名人になることに憧れてはいなかったのでそこまでショックを受けていない。しかし、憧れの強い人にとっては、そのギャップに失望する人も多いのではないだろうか。

 うだうだと一人で悩んでいると、急に銃声が止んだ。

 もう弾が無くなったのか、ライフルからは銃声の代わりに、カチリカチリという、撃鉄が撃針を叩く地味な音が聞こえていた。

 しばらくその音を鳴らして、ようやくツルカは弾切れしたことに気がついた。

「……あれ、もう交代か。」

 弾が無くなったことに気付かず、トリガーを引き続けるというのは、素人にはよくあることだ。HMDの残弾表示を見る暇もないほどターゲットに集中していたのだろう。

 すぐにツルカがコックピットから降りてきて、はにかみながら頭を掻く。

「はは……あんまり当たらなかった。案外難しいな……。」

 自信家のツルカにしては珍しい反応だ。

(そんなに外したのか……?)

 こちらの何倍もVF操作技術が上手いツルカの事だ、“あまり当たらなかった”と言っても、外したのはせいぜい数発くらいだろう。

 どのくらい命中したか、期待しながら結城はVFに乗り込む。

 ……しかし、ライフルに付けられた光学レンズの映像を見て、ツルカの言葉が謙遜で無かったことが分かった。

(あらら……。)

 結城と談話しながら射撃したせいだろう、ツルカの撃った弾はことごとく的を外れていた。

 だが、ツルカ自信はそれが苦手であると認識しているのか、あまり悔しそうにはしていなかった。

 ……その後、演習が終わるまで取材陣はこちらを撮り続けていた。


  4


 演習が終わり学校に戻ると、取材グループはいなくなっていた。さすがに校内まで入り込むのは無理だったようだ。

 しかしその代わりに、今度はいろんな学生が結城に話しかけてきた。

 そのせいで、結局全ての授業が終わるまで、結城はゆっくりと休むことさえままならなかったのだ。

(本当に3日で収まるのか……?)

 ――現在、結城はエレベーターを避け、階段を使ってビル内を降りている。

 10歩ほど先にはツルカがいて、周囲に気を配ってこちらに向かってくるファンがいないか目を光らせていた。

 言わば斥候である。

 以前ならば、ツルカとこちらの立場は真逆だった。

 既にツルカに慣れている学生達から推測するに、自分もいつかはあまり注目されなくなるのだろう。結城はその日が待ち遠しかった。

 特に止まることなく、ツルカはどんどん下に降りていく。

「やっぱり階段を使って正解だったな。ほとんど人がいないぞ。」

「だろう? ……しかも非常階段だから、いざという時に逃げやすい。」

 非常階段はあらゆるフロアに通じている。四方八方から攻められない限り、逃げ道があるという寸法だ。

「ユウキ、誰か来た……。」

 安心して降りていると、ツルカが急に立ち止まり階下を見ていた。結城もその場で停止して階下に注意を向ける。

「……いや、待ち伏せしてるのか?」

 ツルカの言うとおり、階下に見える人影は立ち止まったまま動かない。必ずしもこちらを待ち構えているとは限らないが、避けたほうがいいと結城は考えた。

(でも、あそこを通らないと出口まで行けないな……。)

 何とかして迂回できないだろうか、と結城が思いを巡らせていると、ツルカが解決策をこちらに提案してきた。

「……強行突破しないか?」

 そう言いながらツルカは拳をパキポキと鳴らす。

 どうやって突破するつもりなのか、結城には簡単に想像できた。

「……それには反対だ。」

 それはツルカの身を案じての事ではなく、相手に怪我させないようにするために言った言葉だった。

 こちらが反対しても尚、ツルカは臨戦体制を解かず、宙に向けて凶悪なパンチを何度も放つ。

「向こうは一人で、まだこっちに気づいてない。ボクなら余裕で倒せるぞ。」

「駄目だ。」

「手加減するから大丈夫だ。それが駄目なら、真上から飛び降りて、そのままねじ伏せて首を……」

「却下だ。」

「しょうがないな……。」

 3度反対して、ようやくツルカは暴力で物事を解決することを諦めた。

 ……かに思えたが、ツルカはこちらの警告を無視し、階段の手すりを飛び越えた。

「!!」

 結城の目の前でツルカは階下に向けて自由落下し、下で待ち構えている人物の肩の上に着地する。そしてすぐさまツルカは首に脚を絡ませ、肩車のような体勢になった。

 待ち構えていた人物はいきなりの衝撃に対応できず、前方につんのめる。そのまま倒れるかと思ったが、意外にも足を前に突き出して衝撃に耐えた。素晴らしい背筋である。

 その人物はツルカを肩車したまま体勢を立て直し、ツルカも特に暴れる様子はなかった。

(よ、よかった……。)

 大事にならなかったことに安心しつつ、結城は急いで階下に向かう。失礼どころでは済まない事をやらかしてしまったが、すぐに謝れば許してくれるかもしれない。

 その人物のいる場所に到達すると、相手の目を見ることなく結城は頭を下げた。

「すみませんでした!!」

「……やっぱり結城だったか。」

 返ってきたのは罵倒や怒りの声ではなく、聞きなれた幼なじみの声だった。

 その声を聞いて、結城は下げていた頭を上げる。

「諒一!?」

 目の前にはツルカを肩車している諒一の姿があった。

 ツルカは乗った瞬間に諒一だと気付いたらしく、肩車されたままおとなしくしていた。

(肩車……。)

 結城は諒一に馬乗りになったり、おんぶされたりしたことはあるが、肩車されたことはない。諒一の初肩車をツルカに奪われ、結城は少しだけ残念な気持ちになる。

 そして、こんなことなら、以前、肩車を誘われたときに素直に諒一に従っておくんだったと後悔していた。

 諒一はツルカの太ももに頭を挟まれたままこちらに話しかけてくる。

「結城が来るのを待ってたんだ。……一緒に帰ろう。」

「よくこっちだってわかったな。」

「万が一に備えて正面の出入口にジクス達を配置している。」

(ジクス……? あのマッチョの人か。)

 結城がジクスのことを思い出していると、諒一は懐から携帯端末を取り出しダイヤルを始めた。

「ちょっと待っててくれ、向こうの連中に報告する……。」

 どうやら自分が見つかったことをジクスに伝えるつもりらしい。“連中”ということはニコライや槻矢君もいるのだろうか。

 ダイヤルが終わると諒一は携帯端末を耳にあてがう……が、端末はツルカの足に阻まれ、うまく耳まで届かなかった。

「……貸して。」

 結城は仕方なしに諒一から端末を奪い、代わりにその旨を伝えることにした。

 端末を耳に当てると、すぐにジクスの野太い声が聞こえてきた。

「おうリョーイチ、ユウキは見つかったのか?」

「ああ、諒一とは会えたぞ。」

 こちらの声を聞いて、しばしジクスは「あれ?」「え?」などと狼狽えていたが、こちらの声がわかった途端、笑いの混じった声で喋りだした。

「……ってユウキ本人か。そういうのは先に言ってくれ、端末の着信表示を3回も確認してしまったじゃないか……。で、リョーイチはどうしたんだ? それ、リョーイチの端末だろ?」

「今はちょっと取り込み中で……」

 諒一はツルカを上に乗せたまま何も出来ないでいた。バランスを保つのに精一杯で動けないのか、はたまた、ツルカの太ももの感触を味わっていたいのか……その表情からは判断しかねた。

 前者であることを願いつつ、結城は端末を顔から離してツルカに注意する。

「早く降りろよ、ツルカ。」

「え、もうちょっとくらいいいだろ? ただ乗ってるだけなのに意外に結構楽しいな、肩車って。」

「……。」

 ツルカという美少女のやわらかい太ももに挟まれているというのに、諒一の表情は相変わらず無表情のままだ。

 ……なぜ結城がツルカの太ももの柔らかさを知っているかどうかはさておき、こんなに異性にくっつかれて諒一は動揺しないのだろうか。ここまで反応がないと逆に不安になる。

 諒一は極度のムッツリなのか、それとも……アッチ系なのか……。

(それはないな……多分。)

 最近諒一のことが気になり始めて、ドキドキすることがしばしばあるのに、諒一がこれでは不公平な気がする。……かと言って、デレデレする諒一を見たくないというのも本音であった。

 ツルカの存在は端末の向こう側のジクスにも伝わったらしい。

「なんだ、ツルカも一緒だったのか。」

「うん。……実はそのツルカのせいで諒一が電話に出られないんだ。」

 諒一と会話不能だということがわかり、ジクスは困ったような声を出した。

「そうだったか、……本人に伝えたいことがあるんだが、無理そうなのか?」

 結城は今一度、ツルカに向かってきつめに言う。

「ほら、通話できなくて諒一も困ってる。……肩車なんていつでもしてもらえるだろ?」

 やっと説得に応じたツルカが「仕方ないなぁ」という表情を見せた所で、諒一が予想外の言葉を発した。

「いや、別に困ってはいない。」

「へ?」

 諒一はツルカを乗せたままこちらに移動してきた。そしてこちらの手にある端末を指差して指示を出す。

「結城、フリーハンドモードに変更してくれ。」

(あ、その手があったか……。)

 素早く端末を操作してフリーハンドに変えると、すぐに控えめなジクスの声がその場に響いた。

「聞こえるか、リョーイチ。」

「あぁ、聞こえてる。」

 諒一が返事をすると、ジクスは結城やツルカに会話を聞かれていることも知らず話し始める。

「悪いが俺たちはこれから行く所がある。だから付き合えそうにないが、そっちは一人で大丈夫か?」

「問題ない。」

 あの人混みの中を問題なく進める策があるのか、諒一の言葉に迷いはなかった。傍で聞いていた結城はその言葉を心強く感じた。

 間を置いて諒一は端末に向けて問いかける。

「……またあそこに行くのか?」

「おう。」

「気を付けるんだぞ。槻矢君もいるんだから早めに切り上げたほうがいい。」

「わかってるって、じゃあな。」

 別れの言葉の後、すぐに通話が終了し、結城は掲げていた端末を諒一のジャケットのポケットの中に返却した。同時にツルカが諒一の肩の上から飛び降りる。諒一は少しよろけたのち、自分の肩をしばらく揉んでいた。

 いくらツルカが軽いとはいえ、落下の衝撃はそれなりにつらかったようだ。鍛えていなければ確実に怪我をしていただろう。

「結城、一緒に帰ろう。」

 諒一は肩を揉むのを止め、すぐに階下に向けて歩き始める。

 結城とツルカもその後を追う。

「一緒に? ……それは駄目だ。ファンに誤解を与えるかも……」

 男性と一緒にいるところを見られたら、騒ぎはさらに大きくなる。

 ツルカはこちらの言葉に対し、茶々を入れてくる。

「誤解も何も、ボクから見れば2人は立派なカップルだ。」

「カップル!?」

 結城の声が裏返る。

 諒一は何も反応を見せず、前を歩いていた。

「それに、前と同じく恋人がいると思われてたほうが、人気があまり出ずに済むかもしれないぞ?」

 ツルカの言うことは一見正しいように思える。

 事実、以前はそうやってファンを減らすことに成功した。が、今回それをやってしまえば、記者たちは嬉々としてこの事をはやし立てるだろう。まるで火に油を注ぐようなものだ。

「でも……」

 こちらが反論しようとすると、ツルカはその場で止まり、体を進行方向とは別の方向に向けた。

「じゃあボクは別ルートで帰る。」

「ツルカ?」

「2人の邪魔しちゃ悪いからな……部屋で待ってるぞ。」

 ろくに話も聞かず、ツルカはビルのフロアへと続く道を走り去って行き、やがてこちらからは見えなくなった。

「あ、ツルカ……。」

 ツルカはツルカなりに気を使ったということなのだろうか。後を追おうかとも思ったが、走るツルカに追いつけるとは到底思えなかった。

「ここでじっとしてても仕方ない。これ以上正面玄関に人が集まる前にここを出よう。」

「……うん。」

 諒一の言葉に従い、結城は止めていた足を再び動かし始めた。



 1階に……つまり、中央ビルとシャフトの境目に到着すると、何処からともなく人のざわめきが聞こえてきた。ビル正面にいる人々の声がここまで届いているのか、それともビル裏側にまで人が集まっているのか、結城には分からない。

 とにかく、簡単に出れそうにないことは確かだった。

 諒一は非常階段のドアの手前で止まり、バッグからなにか取り出してこちらに渡してきた。

「これ被って。あとこれも……」

 そう言って諒一が差し出してきたのは、帽子と工具入れだった。

 これらを見た結城は、諒一の意図をすぐに理解した。

(変装か。)

 帽子はエンジニアリングコースの学生が被っているもので、前面にツバがあった。俯けば顔を完全に隠すことができるだろう。

 結城は受け取った帽子をすぐに被り、続いて工具入れを肩にかけた。

「最後に……これを着てくれ。」

 諒一は来ていたジャケットを脱ぐと、両手で持ったままこちらの背後に回った。

 結城は一度工具入れを床に置き、両腕を横に伸ばす。すると、諒一がこちらの腕にジャケットの袖を通した。

 ジャケットを着た瞬間、ぬくもりが背中全体に広がる。やはり人肌に温められた服というのは心地いいものだ。それが諒一の物ならなおさらである。

 さすがに前面にあるファスナーは自分で閉めた。

 変装が完了すると、結城はその場でくるりと一回りしてみせる。

「……十分な変装だ。これなら大丈夫だろう。」

 それを見て諒一は満足気に呟く。そでが少し長い気もするが、腕まくりすれば問題ない。

「これで裏から出れば完璧だな。」

 髪をまとめて帽子の中に突っ込み、ジャケットを腕まくりしながら結城が言うと、諒一がこちらの考えを否定した。

「いや……正面から出る。帰宅途中の学生に紛れるのが一番だ。」

「そうか……?」

 結城は素直に人の少ない裏から出たほうがいいかと思っていたが、諒一の考えも悪くないように思えた。何より、寮までの距離も短い。

 一度男子学生寮に寄って、そこで変装を解けば、安全に女子学生寮に戻ることができるだろう。

「諒一がそう言うなら……そうしよう。」

 結城が諒一に同意すると、2人は早速正面玄関への移動を開始した。

 ビルには学校以外の企業のオフィスも入っているため、玄関があるフロアは様々な人が入り乱れていた。結城は途中で学生達とすれ違ったが、向こうはこちらを見ることすらなかった。

(本当にバレてないみたいだ。)

 男装とまではいかないが、変装はほぼ完璧なようで、周りの学生はまったくこちらの正体に気がついてない。

 見知らぬ人とすれ違うときでも、よく目を向けられていると感じていたのだが、それは自分が女だったからだということに今さらながら気づく。目を向けられることが当たり前だった結城にとって、誰にも見られることなく人混みを移動するのは新鮮な体験だった。

 まるで透明人間になった気分だ。

 それが良いかどうかは分からないが、現在の状況を考えると、目立たないのはありがたい事だった。

 結城はそのままおとなしく諒一の後ろを進み、ビルの正面玄関から外に足を踏み出す。

 外に出た途端、人のざわめきが大きく聞こえるようになった。

(うわ……)

 出口付近は、女子学生寮の時よりも多くの人でごった返していた。

 多くのファンやカメラマンがその場を占拠しており、関係のない人はかなり迷惑しているようだった。中には外に出た瞬間、ビル内に引き返す人もいた。

 しかし、混んでいるのはここだけで、橋にはあまり人が居なかった。男子学生寮に続く橋に至っては、学生の姿以外は見られない。

 とにかく、この周辺を切り抜けることが出来れば、後は大丈夫だということだ。

「……。」

 諒一は歩を休めることなく人混みの中に進入していく。

 結城もその後に続いた。

(緊張するな……。)

 人の波をかき分けながら結城は進んでいく。普段は30秒もかけずに歩ける距離だが、今はそれがとてつもなく長い距離に感じられる。

(この人達、全員私が目当てなんだよな……。)

 中には野次馬も紛れているかもしれないが、それにしたって数が多すぎる。

「諒一、これヤバイかも。」

 移動し始めてすぐは、諒一が通ったすぐあとに開いたスペースのお陰で何とか前に進めていた。しかし、進むにつれてそのスペースの幅は狭まっていき、早くも結城は立ち往生しかけていた。

「諒一!!」

 焦って前を進む幼なじみの名を呼ぶが、声は届かない。

 距離はどんどん開いていき、ついに諒一の姿は見えなくなってしまった。

(はぐれてしまった……。)

 少しでも追いつこうと結城は頑張るが、あまりうまくいかない。スタジアムなどで人混みには慣れているつもりだったが、流れに逆らって歩くというのはなかなか難しい。

(どうしようか……。)

 困っていると、いきなり前方から手が伸びてきて、こちらの手を掴んだ。

 その手はこちらの手を強く握り、橋のある場所に向けて導いていく。

(諒一、戻ってきてくれたのか。)

 結城はその手を頼りにして前へと進む。

 手を放してしまうと、ここから抜け出すのに苦労すると思い、結城は歩くことよりも手を握ることに集中した。

 しばらくすると視界がひらけ、結城は人混みから抜け出すことに成功した。

 が、そこで頭が妙にスースーすることに気がつく。

「……ん?」

 結城が頭に手を当てると、そこにあるはずの帽子がなくなっていた。いつの間に脱げてしまったのか、……今はそれを考えるより、変装がバレないように身を隠すのが先だ。

「ちょっとこっちに来て!!」

 今度は結城がその手を引っ張り、近くにあった柱の影まで素早く移動する。そしてジャケットの襟を掴むと、頭全体を隠すように上に持ち上げて被った。

「諒一、スペアの帽子とか持ってないか?」

「……。」

「諒一?」

 返事がないのを不審に思った結城は、視線を上にあげて諒一の顔を見る。

(……あれ?)

 しかし、そこに諒一はおらず、代わりに見知らぬ男性の姿があった。結城は想定外の事態に陥り体を硬直させてしまう。そして思考停止状態になりかけていた。

 その男性はこちらの固まったままの両手を掴み、嬉しそうに上下に振る。

「ユウキタカノ、ようやく会えました。」

「!?」

 見知らぬ男性に手を触られ、ようやく結城は反応した。

 ……が、その反応は過剰だった。

 なんと結城は、相手の顔面を容赦なく殴ってしまったのだ。

 手を振りほどかれた瞬間に放たれた拳は、ガードされることなくまっすぐ相手の頬にめり込んでいた。

「ぐふッ……。」

 男性の口からうめき声が漏れ、男性はそのまま顔面を押さえてしゃがみ込んでしまう。

「あぁ、ごめんなさい……。」

 結城は謝った。

 咄嗟のこととはいえ、暴力は良くない。

 相手の男性が反撃する様子はなく、こちらに危害を加えるつもりは無いようだ。なので、結城はその場で少し様子をみることにした。

 しばらくすると、男性はフラフラと立ち上がり、モゴモゴと喋りだす。

「慣れてるので大丈夫です。でも久し振りなのでやっぱり痛い。……いえ、気にしないでください、自分が悪いのはわかってますから。」

 結城が殴った箇所は赤くなっていた。そこ以外の肌は比較的白い……というよりは血色が悪く、結城はその男性に“不健康”というイメージをいだく。

 着こなしはだらしなく、髪も所々に寝ぐせがある。そのせいでその“不健康”というイメージが余計に増長されていた。声から判断するに、歳はこちらとそれほど変わらないように思える。しかし、よほど不摂生な生活を送っているのだろう。外見は少し老けて見えた。

 今のところ、結城はその男性から何も怪しいことはされていない、男性はただ頬をさすっているだけだ。

 ……とにかく、悪い人ではなさそうだった。

 男性は頬をさすっている手とは反対の手でジェスチャーをし、指を器用に曲げて受話器の形を作る。

(なんだろう?)

 何を伝えたいのか、結城が理解できないでいると、遅れて男性が説明し始めた。

「はぐれた友達に連絡したほうがいいです。ユウキタカノを探しているように見えましたから。」

 やはり諒一とはぐれてしまったらしい。

「はい、連絡してみます……でも、それより先に聞きたいことが……」

「いいですよ。何でも聞いて下さい。何でも話します。」

 男性は迷うことなく即答した。

(……それにしても不思議な人だな。)

 VFBのファンでもなければ、取材する側の人間にも見えない。だが、こちらの名前をフルネームで覚えているし、全く興味がないというわけでもなさそうだ。なぜこの男性がこちらの手を引いたのか、全く想像できなかった。

 取り敢えず、結城は男性の名前を聞いてみることにする。

「……あなたは誰なんですか?」

 結城の質問に、男性は間を置くことなく答える。

「自己紹介がまだでしたね。自分はトライアローでVFランナーをしているドギィです。今日はいろいろと聞きたいことがあって、いや、話したいことがあって会いに来ました。」

「へぇ、ドギィさん……ってトライアロー!?」

 あと、VFランナーという単語も聞こえたような気がするが、聞き違いではないだろうか。

 結城は驚きよりも先に、『ドギィ』と名乗る男性に対して疑いの念を抱く。

 こちらの考えも知らず、ドギィは話を続ける。

「名前は呼び捨てでいいです、というか呼び捨ててください。そうでないとしっくり来ませんから。」

 そう言われ、結城は早速男性を呼びすてにし、ついでに丁寧に話すこともやめた。

「ドギィ、さっきの話……トライアローのVFランナーっていうのは嘘だろ? 本当は何なんだ?」

「いえ、本当です。自分は間違いなくVFランナーです。……本当はこれは秘密なんですけど、ユウキタカノには包み隠さず全て本当のことを話すつもりです。」

 聞けば聞くほどますます怪しい。

 これ以上関わるのはやめて、諒一を探したほうがいいかもしれない。

 しかし、帽子がない状態であの場に戻れば、自分が結城だとバレることは間違いなかった。

「……ですから、ユウキタカノも本当のことを話して欲しいんです。」

 何を話せばいいのか、結城には皆目見当もつかないが、この場から逃れるためにも、まずはそれを了承することにした。

「わかった。でも、本当にVFランナーなのか? ドギィなんてランナーはいなかったと思うんだが……。」

「それは、自分が正式なランナーではないからです。信じられないですか?」

 急にそんな事を言われ、信じろという方が無理だ。

「……とりあえず人混みから助けてくれてありがと。」

 このまま話していても無駄に時間を浪費するだけだと判断した結城は、話を中断して帰ることにした。

「さてと、諒一に連絡して迎えに来てもらうか……。」

 こちらの場所を伝えれば、また変装用の帽子を持ってきてくれるだろう。

 諒一もまだこの周辺で自分を探しているはずなのですぐに会えるに違いない。

 結城が携帯端末を取り出し、電話しようとすると、いきなりドギィがこちらの手から端末を奪い取った。

「あっ!!」

「待って、待ってください。自分は本当にトライアローのVFランナーで……」

 ドギィはこちらの端末を手にしたまま必死に訴えるが、結城にとってその真偽はどちらでもいい。というか、ドギィ自体どうでもいい。

 結城はドギィが納得するように、彼がランナーであることを認めることにした。

「わかった。わかったから、それ返してくれないか。」

「……。」

 こちらがいい加減な返事をしたのが気に食わなかったのか、ドギィは携帯端末を遠くに投げ捨てた。携帯端末は回転しながら飛んでいき、居住区の下層に向けて落下していく。

「ちょっと!! 何を……」

「ついてきてください。自分がVFランナーだと証明できますから。」

 ドギィは意地でも自分がVFランナーであることを結城に認めさせたいらしい。そのくらい、本気でこちらに言いたいことがあるのだろう。

「ちゃんと弁償もします。」

「……。」

 見知らぬ人について行くのは危険かもしれないが、いざとなれば、さっきと同じようにドギィの顔を殴ればいい。

 少し怪しいと思いながらも、結城はドギィについて行くことにした。


  5


 移動すること20分、結城とドギィはトライアローのビルの前に到着していた。

 途中で何度も人に見られたが、特に何の反応もなかった。やはり騒ぎ立てていたのは一部のファンと報道陣だけだったようだ。一般人や普通のファンにとって自分は「少し珍しい」程度の認識なのかもしれない。

 2NDリーグのフロートユニットは平日とあって、あまり人は居ない。

 そんな人通りの少ない道、ビルの手前で、ドギィは何も言わず立ち尽くしていた。

(どうするんだろ……)

 「証明する」と言われたものの、まさか直接トライアローの本拠地まで来るとは思ってもいなかった。

 一体ドギィはこれからどうするつもりなのか、疑うどころか心配になってくる。

(ここまで来てしまって、引き返せないんだろうな……。)

 ドギィは困った顔をしてビルを眺めている。……さっきまでならともかく、今なら”実は嘘でした”と告白すれば許すつもりだった。

 数分ほどビルを眺めた後、ようやくドギィが言葉を発した。

「……そういえば、自分の存在はチーム内でも秘密にされているんでした……フォシュタルさんと話が出来ればいいんですが……どうすればいいと思いますか?」

 VFランナーだということをどうやって証明するかは分からない。ただ、ビルに入ってその『フォシュタル』という人物に会えば証明が可能らしい。

「私に聞かれても……そっちでどうにかしろよ……。」

 チームスタッフがランナーを知らないというのはあり得ない話だ。結城はこのドギィという人物に対し、不信感を強めていった。

 大体、その話もビルを見つめている間に考えた嘘かもしれない。フォシュタルというのも架空の人物に違いない。

(苦し紛れに嘘付いてるんだろうな……。)

 結城は最初からドギィのことをVFランナーだとは思っていない。ただこちらの気を引きたいがために嘘をついているファンか何かだと思っていた。

 このままドギィを無視して女子学生寮まで引き返すこともできるが、まだ携帯端末の弁償代をもらっていない。

 早く携帯端末を取り戻したい結城は、埒の開かないこの状況を打開することにした。

「よし……!!」

 結城はトライアローのビルに向けて足を踏み出す。

「とにかく中に入るぞ。フォシュタルって人に会えればいいんだろ?」

「はい、ですけど……」

 ドギィは立ち止まったまま動こうとしない。……やはり嘘を付いていたのだろう。

「いいから、早く中に入るぞ。ほら、ついて来いって。」

「……わかりました。」

 ドギィは渋々といった感じでこちらの後をついてきた。

 大きな自動ドアをくぐって2人はビルの中に入る。

 ビルのエントランスにはデザインを優先した座りにくそうな椅子や、VFをモチーフにしたテーブルが置かれてあり、数名の人がそこに座っていた。全員チーム外の人なのか、服装はばらばらで、どこかそわそわしている。順番待ちをしているようにも見えた。

(えーと、スタッフの人は……)

 結城は、レーダーのアンテナのように頭を水平方向に回転させ、視線を巡らせる。すると、正面にカウンターを発見した。

 そこには小綺麗な受付嬢が座っていた。

 ……受付嬢どころか、来客対応用のカウンターさえないアール・ブランとは大違いである。

「じゃあ、トライアローにフォシュタルってメンバーがいるかどうか確かめてみるぞ。」

 そうドギィに言うと、結城は返事を待たずして受付嬢に話しかける。

「すみません、お伺いしたいことがあるんですけど。」

 こちらが話しかけると、受付嬢はカウンターに備え付けられているモニターから目を離し、顔をあげた。

「はい何でしょうか……」

 そして目と目があった途端、受付嬢の落ち着いた声が、取り乱したような声に変化した。

「ユウキ選手!? どうしてここに……!?」

 受付嬢は一瞬慌てふためいたかに見えたが、すぐに「失礼しました」と言って平静さを取り戻した。そしてもとの口調で、先ほどと同じセリフを繰り返す。

「……ご用件は何でしょうか?」

 結城はドギィに宣言したとおりの質問を受付嬢に聞いてみる。

「トライアローにフォシュタルって人はいますか?」

「はい、もちろんいます。」

 即答されてしまった。

(もちろん……?)

 受付嬢に“もちろん”と言わせるほど、フォシュタルという人物はチーム内で名が知れている存在らしい。それほど有名ならば、チーム外の人間が知っていても不思議ではない。つまり、ドギィがその名を知っていても、何の証明にもならないということだ。

 ドギィがVFランナーかどうかを確かめるためには、やはり、そのフォシュタルという人物に直接会う必要がある。

「今からその人と会えたりします?」

 遠慮がちに結城がお願いすると、受付嬢は「少々お待ちください」と言って手元で何か操作し始めた。

 操作が終わると、受付嬢は耳にセットしているインカムに手をあてがい、そこから口元に伸びているマイクに向けて話し始める。

「……失礼します、オーナーにお会いしたいという方が見えられているのですが……」

 どうやらそのフォシュタルという人に直接連絡しているようだ。

 結城は受付嬢の“オーナー”という呼び方を耳にして、重大なことに気がつく。

(オーナー……ってチーム責任者のことか!?)

 言われてみれば、そういう名前を諒一から聞いたことがあったかもしれない。

 なるほど、受付嬢がその名を知っているのも当然のことだ。

「……はい、予定にはないのですが……アール・ブランのユウキ選手です。……本当です、嘘でも偽物でもありません。私はユウキ選手のファン……じゃなくて……ユウキ選手のことはよく知っていますから……間違いなく本人です。」

(ファンだったのか……。)

 だから、最初こちらを見たときに驚いていたのだろう。敵チームにファンがいるというのは、なんとも複雑な気分である。

 トライアローにも優秀なランナーがいるのになぜ自分のファンになってくれたのか、理由を聞いてみたい結城であった。

「あの、すみません。オーナーが直に確認したいということで、こちらの映像を転送させていただきます。」

 受付嬢はそう言ってカウンター脇にあるカメラを指さした。

(これで直接こっちを見るのか。)

 あまり意味のないことかもしれないが、結城はそのカメラに顔を向けて手を振ってみる。

 それが功を奏したかどうか定かではないが、フォシュタルはこちらと会うことを決めたようだった。

「……はい、分かりました。すぐにお通しします。」

 自分がアール・ブランのランナーということで、取り次いでもらえた……エミーの時もそう思ったが、有名になるのも案外悪いことではない。

 結城は、ドギィをVFランナーかどうか確認させるためだけに、チームの責任者に会うことになろうとは思ってもいなかった。大袈裟なことになり、結城はトライアローに対し申し訳ない気持ちになる。

「急に押しかけてすみません。いきなりオーナーに会いたいだなんて……」

「いえ、構いません。……それでは係りの者がオフィスまで案内いたします。あちらへどうぞ。」

 受付嬢の手に視線を誘導されて右に目を向けると、スタッフがエレベーターの前で待ち構えていた。

 結城とドギィがそのスタッフのもとまで移動すると、スタッフはエレベーターの扉を開けて先に中に入った。

「こちらへどうぞ。」

 結城達は案内されるがままエレベーターに乗りこむ。

 すぐにスタッフは最上階のボタンを押し、エレベーターの扉を閉めた。

(何から何まで悪いなぁ……。)

 上階へ上りながら結城は改めてドギィについて考える。 

 ビルに入ってからドギィは始終うつむいており、一言もしゃべっていない。

 スタッフは彼のことを自分のマネージャーか何かだと勘違いしているのかもしれない。

 ……それにしてもこんなに簡単にドギィを連れて行っていいのだろうか。

 映像で確認した時に、フォシュタルはこちらだけでなく、ちゃんとドギィも確認したのだろうか。もし、このドギィがフォシュタルに何かをしてしまった場合、彼をそこまで引き入れた結城は責め立てられるに違いない。 

(ここまで案内してもらって、これでドギィが偽物だったらとんだ大迷惑だな。)

 実は、トライアローに侵入するために自分は利用されたのかも……などと飛躍した想像をしていると、すぐに最上階に到着した。

 到着するとスタッフはエレベーターから降りて、結城達の先を歩き始める。

 考え事をしていた結城は我に返り、スタッフの後を追いかけた。

「こちらです。」

 目的の部屋はエレベーターを出てすぐの場所にあった。

 両開きの扉には金属の装飾が施されており、それはトライアローのロゴマークをかっこ良くアレンジしたものだった。

 スタッフは扉をノックして中にいるであろうフォシュタルに向けて声をかける。

「失礼します、ユウキ選手をお連れしました。」

 遅れて男性の声が聞こえてくる。

「入りたまえ。」

 扉越しではあったが、結城はその声を明瞭に聞きとることができた。なかなか威厳のある声である。

 入室を許可され、スタッフは扉を開けて脇に寄った。

「どうぞお入り下さい。」

「失礼します……。」

 結城は遠慮がちに言いながら、ドギィと共にスタッフの横を通って部屋の中に入る。中は広く、床には紺色の絨毯がしかれていた。また、壁際の棚にはトロフィーやメダルなどが飾られていた。

 トライアローのチーム責任者であるフォシュタルは、部屋の奥にある大きな机に座っており、じっとこちらを見つめていた。

(うわわ……)

 結城は一瞬だけ目があってしまい、慌てて目をそらす。

 事前の連絡もなしに急に来たことを怒っているのか、それともただ単に自分に興味が有るだけなのか、どちらにしても一度そらしてしまった視線を戻す勇気はなかった。

 ここまで自分たちを案内してくれたスタッフは、部屋に入ることなく、入口付近で待機していた。

「何か飲み物をお持ちししましょうか?」

 スタッフの気配りに対し、フォシュタルは断りの言葉を述べる。

「いや、結構だ。案内ご苦労様。」

「そうですか……それでは失礼しました。」

 スタッフはすぐに扉を閉め、部屋から出ていってしまった。

 いよいよ逃げ道がなくなった結城は、恐る恐るフォシュタルに話しかける。

「あの、実は用事があるのは私じゃなくて……」

「済まなかったな。聞かなくとも大体の事情はわかる。」

「……はい?」

 予想外の言葉が返ってきて、結城の脳内に多くの疑問が発生した。

 何に対して“済まなかった”と言っているのか……?

 “事情”とは何のことを指しているのだろうか……?

 事情がわかる、ということは……もしかしてフォシュタルはドギィについて何か知っているのだろうか。

(知っているとしても何を……?)

 結城が頭上にいくつも疑問符を浮かべていると、フォシュタルは結城の背後にいるドギィに向けて言葉を投げかける。

「ドギィ、またとんでもないお客さんを連れてきてくれたな……。」

 それはとても馴れ馴れしい口調だった。

 フォシュタルに話しかけられ、今の今まで黙っていたドギィが口を開ける。

「すみません。でもどうしてもユウキタカノと話したいことがあったんです。」

「そうか。それで?」

 フォシュタルに促され、ドギィは説明を続ける。

「そのために自分がちゃんとしたVFランナーだと信じて貰う必要があったんです。だからここに連れてきました。信用が一番大事だってフォシュタルさんも言っていましたから。」

 言い訳じみた説明を聞き終えたフォシュタルは、難しい顔をしながら頭を掻く。

「……確かに言ったかもしれないが、それなら直接、携帯で話せばよかっただろう……。」

 それを聞いたドギィは「その手がありましたか……」と呟き、深く頷く。

「それもそうですね。次からはそうします。」

「はぁ……。」

 悪びれる様子もなく返事をするドギィを見て、フォシュタルは重い溜息をついた。

 ……結城にとって、その馴れ馴れしい会話こそが何よりの証拠であった。

(本当にランナーだったのか……。)

 フォシュタルとドギィの会話を聞き、結城はドギィがトライアローのVFランナーだと確信したが、一応確認のために質問してみる。

「あの、ドギィは本当にトライアローのランナーなんですか?」

「その通りだ。非公式ではあるが、間違いなくウチのランナーだ。」

 フォシュタルの疑いようのない答えに、結城は、ドギィがVFランナーだと認めざるを得なかった。そして、なぜ他のランナーと同じように公表していないのか、結城は疑問に思った。

「非公式でランナーってことは、ドギィはフリーのランナーってことですか。」

「……フリーというわけでもない。……言いにくい事情があるのでな、そのあたりは聞かないでいてくれると嬉しい。」

 相当込み入った事情なのだろう。フォシュタルの口調は真に迫っていた。

「わかりました。……あと、ドギィのことは秘密にしておきます。」

 結城は、親切心からドギィに関することを口外しないと約束した。

 しかしフォシュタルは、ドギィの存在を公表されることについてあまり気にしていない様子だった。

「別にそれは構わない。もうじきドギィは正式にウチのメンバーになる予定だからな。」

「へぇ、そうなんですか……。」

 結城はちらりとドギィを見る。

 もしかすればこの人と昇格リーグで戦うことがあるかもしれない。そう思うと、結城は急に不安になる。ドギィがどの様な戦闘スタイルをとるのか、全く想像できないからだ。また、ドギィからは得体のしれない何かを感じる。それは、今まで味わったことのない感覚だった。

(トライアローのランナーなんだし、強いのは確かなんだろうな……。)

 できることならドギィと対戦するのは避けたい気持ちだった。

 フォシュタルは、にこやかにドギィがメンバーになると宣言したが、ドギィ本人は浮かない表情をしていた。

「フォシュタルさん、まだ自分は正式なメンバーになると決めてないです。勝手に決めないでください。」

「悪い、悪かったな。しかし、敵チームのランナーに知られた以上、お前も覚悟を決めるべきじゃあないか?」

「……。」

 なぜメンバーになるのを拒むのか、結城には理解できなかった。

 しかし、これが『言いにくい事情』に関係しているのは明らかだったので、結城は無闇に口を挟まず、2人の会話を聞いていた。

「前にも言ったが、このままランナーを続ければ、いずれお前の存在は明るみに出る。……望まなくともな。……そうなる前に正式なメンバーになれ。」

「無理です……。」

「正式なメンバーになれば今のようにこそこそする必要もなくなる。堂々とVFに乗って試合に出られる。……何も迷うことはないはずだ。」

「……。」

 頑なに拒み続けるドギィに対し、フォシュタルは根気強く語りかける。

「ではこういうのはどうだ。」

 フォシュタルはそう言うと机から離れ、こちらまで移動してきた。

 そして結城の横に立つと、先ほどの言葉の続きを言い始める。

「……このユウキ嬢との試合で勝ったら今のままでいい。だが、負けた時にはこちらの提案を受け入れてもらう……どうだ?」

「ええ!?」

 結城はいつの間にかトライアローの問題に巻き込まれていた。

(なんでそうなるんだ……。)

 ただの思いつきで面倒事に巻き込まれるのは御免である。

 なんの脈絡もないただの思い付きのような条件をドギィが呑むとは考えにくかったが、意外にも、ドギィは迷うことなくその条件を受け入れた。

「……わかりました。それでいいです。」

「いいのか!?」

 どういう基準で物事を考えているのか、結城はドギィの考えが全くわからなかった。

 ドギィの返事に満足したフォシュタルは、こちらの肩をポンポンと叩く。

「敵チームのランナーにこんな事を言うことは絶対にないと思ってたんだが……頑張って試合に勝ってくれ。」

「あ、はい……。」

 結城は返事をしながら試合について考える。

 とにかく、これでトライアローとの試合ではドギィがランナーとして出てくることが確定した。どのVFに乗るのかまでは判断できないが、かなり有用性の高い情報だ。

 あとは、ドギィの実力がどれほどのものかが分かれば言うことなしだ。

 話がまとまり満足したフォシュタルは、思い出したようにドギィに向けて言う。

「それはそうと、ユウキ嬢にどうしても話したいことがあったんじゃないか?」

「そうでした……。それでは失礼します。」

 ドギィは一度頷き、そのまま部屋から出ていこうとする。

 いきなりの行動に戸惑い、取り敢えず結城はドギィを引き止めるべく腕をつかんだ。

「ちょっと待て、面倒だしここで話せばいいじゃないか。」

 こちらが言うと、ドギィは伏し目がちに返事をする。

「……フォシュタルさんには聞かれたくないんです。」

「そうか。」

 何のために、そしてどんな事を話すつもりなのか全く予想できないが、試合の時に役に立つかもしれないと考えた結城は、素直にドギィに従うことにした。

 こちらの会話が聞こえていたのか、フォシュタルはドギィを引き止めるようなことは言わなかった。

「……ドギィ、試合前にまた連絡するから、それまでは自由にしててくれ。」

「わかりました。そうします。……それでは。」

 ドギィは扉を開けて部屋から出ていく。

「あの、失礼しました。」

 結城も一応フォシュタルに挨拶をして、ドギィの後を追った。

 


 最上階からエレベーターを使って1階まで降りると、部屋まで案内してくれたスタッフがエントランスホールで待ち構えていた。

 結城はその人に会釈をし、受付嬢にも笑顔で手を振るとビルの外に出た。

 一気に緊張の糸がほどけた結城は、メガネを外して目元をつまみ、指をグリグリと動かす。そして、十分にほぐすと一息ついた。

(ふぅ……。)

 やはり老舗チームの責任者とあって、フォシュタルはかなり迫力があった。一対一で話していたら3分と間が持たなかっただろう。

 慣れぬ場所で、慣れぬことをしてかなり疲れたが、お陰でドギィの正体を知ることができた。

 結城は前を歩くドギィに向けて申し訳なさげに話しかける。

「本当にランナーだったんだな。疑って悪かった。」

「信じてもらえてよかったです。」

 ドギィは立ち止まり、振り返ってこちらの言葉に応えた。

 ……既に時刻は夕暮れ時で、ビルから伸びる長い影が結城たちを覆っていた。そのためドギィの表情はあまり良くわからなかった。

「で、外に来たけれど、私に何を話すつもりなんだ?」

 立ち止まったドギィを追い抜きながら、結城は本題に入る。

 しかし、ドギィはこちらの言葉を無視してしみじみと語り始めた。

「何故でしょうか、ユウキタカノには親しみを感じます。フォシュタルさん以外の人に、しかも女性に親しみを感じるなんて信じられないです。」

 結城も立ち止まり、先ほどから気になっていたことをドギィに向けて言う。

「いい加減その呼び方はやめてくれ。ユウキでいいから。」

 ユウキタカノと呼ぶこと自体に問題はないが、ドギィの言い方が微妙にぎこちない。性と名の間を区切らず一息で言っているため、何か別の生き物の名前のように聞こえて仕方が無いのだ。

 それに、名前は短く省略する方が、呼ぶ方も呼ばれる方も楽でいい。

 だが、ドギィはこちらの提案を検討することなくあっさり拒否した。

「いえ、フルネームで呼ぶのが自分の礼儀ですから。それにそのくらいの距離を置いておかないと困ります。」

「困る? 何が?」

 少し荒い口調で結城が問い詰めると、ドギィは気恥ずかしそうに答えた。

「……仲のいい人とは戦えませんから。」

「……。」

 なかなかの純真な発言に結城は面食らってしまう。

(ナイーブなんだなぁ……。)

 ちなみに、言う必要もないと思うが、結城はどんなに仲のいい相手でも容赦なく打ちのめすことができる。もっと言えば、好いている男性に躊躇ない暴力を振るうこともできる。

 しかし、だからといって結城が純真な乙女ではない、という理由にはならない。……ということにしておこう。

 結城はドギィの発言を逆手に取り、意地悪っぽく言う。

「じゃあ、今のうちに仲良くなれば不戦勝できるかもな。」

 その言葉を受けて、ドギィも素早い対応を見せる。

「嫌いな物ってありますか? それをプレゼントして全力で嫌われます。……そうでなくとも今から心が傷つくことを言い続けます。」

 嫌われようとしているのに、それを言ってしまえば意味が無い。

 そんな間の抜けたドギィのセリフに結城は呆れていた。

「どんな思考回路してるんだ……。」

 フォシュタルはドギィがVFランナーであると言っていたが、ドギィの言動を見ていると、本当にそうなのか疑いたくなる。

(でも、チーム責任者が嘘を付くはずもないし……)

 執務室での会話からするに、フォシュタルはずいぶんとドギィに目をかけているように思える。

 アレと天才は紙一重というし、ドギィもそうなのかもしれない……と前向きに考えていると、こちらを無視してドギィは宣言通りに暴言を吐き始めた。

「このメガネ、暴力女!!」

 だがすぐに話題が逸れだす。

「……暴力といえば、さっきのパンチは鋭いパンチでした……格闘技とか習ってましたか? まだジンジンしてます。」

「いや、特に格闘技は習ってない。……というか、大丈夫か? 冷やしたほうがいいんじゃないか。」

 ドギィの頬はもう赤みは引いていたが、心なしか、すこし腫れているような気もする。

 心配した結城がドギィの頬に触ろうとした時、ドギィは自分の目的を思い出したのか、こちらから離れて距離をとった。

「おっと話が逸れました。まだまだ言いますよ? ……あー……」

 だが、すぐにドギィは言葉に詰まる。

「なんだ、もう終わりか。」

「……。」

 結城が挑発してもドギィは黙ったままだった。しかし、それは当然のことである。

 なぜなら、会ったばかりの、よく知らない相手の悪口なんてそうそう考えつくものではないからだ。

 ありきたりな悪口や憎まれ口をたたくことなら簡単かもしれないが、それだと全く意味が無い。

 唯一、相手の心を抉るようなことを言えるとすれば、外見の欠点を嫌味たっぷりに指摘することくらいなものだ。

「……!!」

 それに思い至ったのか、ドギィはこちらの体を舐め回すように観察する。

 しかし、結城はそんなことで狼狽えたりはしなかった。

(……学校でも鍛えてるし、スタイルに欠点はないはずだ。)

 ドギィに見せつけるように腰に手をあて、結城は勝利を確信した。

 だが、欠点はなくとも、欠点になりうる特徴はあったらしい。すぐにドギィの視線はこちらの体のある場所で止まった。

 そしてドギィはその箇所についての悪口を言い放つ。

「やーい、ひんにゅ……」

「おい、やめろ。」

 結城はドギィの言葉を遮り、睨みつける。

「……。」

 こちらの反応を見て効果があると判断したのか、ドギィはさらに続けて言う。

「まない……」

「やめろ。」

 そう言ってこちらが拳を振り上げると、ドギィは両手で口を押さえた。

 それを降参と受け取った結城はすぐに手を降ろす。

「……そこまでして正式なメンバーになりたくないのか。」

「別になりたくないわけではないです。ですけど……」

「何も悩むことなんてないだろ? さっさとメンバーになればいいじゃないか……。」

 ドギィのどっちつかずな言動に結城が呆れ返っていると、ドギィは急に真面目な口調で、その理由を語り始める。

「やっぱり駄目です。……自分にはその資格がないんです。年齢とか体格とか制度的には問題ないんですけど、なんというか精神的にというかけじめ的にというか……そんな感じです。」

 そんな曖昧な理由でフォシュタルの誘いを断っていたのか。

 そう思うと、フォシュタルが不憫で仕方がない。

 結城はそんな優柔不断なドギィに対し、だんだん苛立ちを覚えてきていた。

「“けじめ”って……ただ単にビビってるだけじゃないのか?」

 半分バカにしたように言ったのが気に触ったのか、ドギィはムスッとした表情でこちらに応える。

「……今から連れていきたい場所があります。そこでならちゃんとした理由を話せます。」

「……。」

 なぜここで話せないのかを問い詰めたい結城だったが、ひとまずその気持ちを抑えて今の状況をよく考えてみる。

(……帰っても今日はファンやらマスコミやらのせいで落ち着けないだろうし……)

 それに、対戦相手の情報は多ければ多いほうがいい。色々と話せばこちらに有利になることを聞けるかもしれない。聞けなくとも、観察するだけでわかることもあるはずだ。

 初対面の男性にどこかに連れて行かれるのは不安だったが、一応はトライアローのVFランナーらしいので、間違っても変なことはされないだろう。

 考えがまとまった結城は首を縦に振った。

「いいぞ。暇だし付き合っても構わない。」

 こちらの了解を得ると、ドギィは止めていた足を再び動かし始める。

「では、船で別のフロートに移動します。多分、時間的にも丁度いいです。」

「……わかった。」

 何がちょうどいいのか、疑問に思いつつ結城はドギィと共にターミナルに向かった。


  6


(ここまで遠出したのは初めてかもしれないな。)

 10分ほどの短い船旅を終えた結城は、2NDリーグフロートユニットからさほど離れていない、別のフロートに来ていた。

 船から降りた結城は、そのターミナルからフロートユニット内をざっと見渡していた。

 基本的には一般的なフロートユニットと変わりないように見える。だが、先程までいたフロートと違って、内部の設備はワンランクダウンしていた。道路の舗装は完璧ではなく、所々にゴミも落ちている。

 また、観光客らしい人影は見当たらず、あまり賑やかだとはいえなかった。

 時刻は街灯が灯り始める頃だ。しかし、街灯は点滅して消えかけのものがあったり、酷いものになると明かりさえ点いていない。

 日が完全に落ちておらず、水平線の下から西の空を赤く染め上げていたため、今は問題なく視界が確保できているが、夜になると大半の箇所が暗闇に包まれてしまうことだろう。

 多少の不安を感じつつ、結城はドギィに質問する。

「……で、どこに行くのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「ここではないです。ここを中継して次のフロートに行きます。そこが目的地です。」

(まだ先か……。)

 目的地には何があるのだろうか。そもそも、そこでないと理由を話せないというのも変な話だ。

 だが、つきあうと決めた以上、ドギィから話を聞くまで帰るつもりはなかった。

 ……結城とドギィはターミナルから離れ、フロートの中央に向けて移動する。どうやら、フロートの反対側にあるターミナルから、目的地とやらに行くようだ。

 ただの中継地点にすぎないが、この場所が気になった結城はまたしてもドギィに問いかける。

「ところでここは何のフロートなんだ? 2NDリーグのフロートユニットとも近いし……やっぱりここもVFに関係してるのか?」

 前を歩くドギィは振り返り、こちらに体の前面を向け、後ろ歩きしながら答える。

「その通りです。ここは下位リーグやその他の試合が行われている場所です。」

「下位ってことは……3RDリーグか。」

「そうです。もちろんそれ以下のリーグもあるみたいです。行ったことがないのでわからないですが、フォシュタルさんから聞いたので間違いないです。」

「ふーん……。」

 公式リーグが行われていると聞いて改めて周囲を見渡すも、この位置からスタジアムらしきものは見えない。多分、スタジアムの規模があまり大きくないから見えないのだろう。

 結城から見える建物といえば、背の低いビルや、開いているのか閉まっているのか、そして何を売っているのかすら分からない店だけだ。

 観光客のことを除けば、道を歩く人は他のフロートとあまり変わらないので、そのギャップがかなりの違和感を結城に感じさせていた。

 ……日本の寂れた地方都市もここまでひどくはない。

「ところで、ユウキタカノは下位リーグの試合を見たことありますか?」

 今度はドギィに質問され、結城は日本にいた頃を思い出す。

「日本にいた頃はスタジアムで見てたけど……今は見てないなぁ。」

 初めて見た試合がキルヒアイゼンとクライトマンの試合だったため、それ以降の日本のスタジアムで行われた試合は、結城にとって刺激に欠けたものだった。

 そのため、諒一がネット上で収集した2NDリーグや1STリーグといった、上位リーグの試合の映像を見せてもらっていたわけだ。

 ただ、諒一に見せてもらっていたのは、それだけではなかった。

「……イベントのエキシビジョンマッチなんかは今でも結構見てるけど。」

 イベントは、その大体が新製品のアピールのためのショーだったり、宣伝や客寄せとして行われている試合だったりする。

 イベントでは、大抵面白いルールが追加されていたりするので、あまりVFに詳しくない人でも結構楽しめるのだ。

 ドギィは質問を続ける。

「何で見なくなったんですか? 結構テレビで放送してますけど、そっちで見ないんですか?」

「へぇ、知らなかったな。」

 結城はたまに中継で観戦しているが、あれはスタジアムから直接送られてくるもので、テレビ局を介した映像ではない。上手く編集されていれば、盛り上がらない試合でも面白く見えたりするのかもしれない。

「3RDリーグ以下でもスポンサーが付いているチームは結構目立ってます。専門チャンネルでもきちんと放送されてるみたいですし、面白いから見てみるといいですよ。」

「わかったわかった。今度見てみる。」

 結城はドギィを適当にあしらって会話を終わらせた。

 もちろん見るつもりはない。そんな暇があればシミュレーションゲームをしてたほうがマシだ。

「……ありゃ駄目だな。オレなら2分で勝てたのにな。」

「所詮は3RDリーグ、今の俺らなら楽勝で勝てるっつーの。」

「だよな。あーあ、早く試合してみてーなー……。」

(なんだ……?)

 しばらく歩くと聞き覚えのある声が前方から聞こえてきた。

 結城がそちらに目を向けると同じランナー育成コースの不良どもを発見した。

(こんな場所にまで足伸ばしてるのか……)

 下位リーグなんか見ても意味が無い、と言っていたのにあれは嘘だったらしい。

 “楽勝”などと言っているが、ちょっと学校で訓練したくらいで、軍隊上がりのランナー達を相手にできるとは思えない。……あんな大口を叩いて恥ずかしくないのだろうか。

(あ、こっちに来る……。)

 不良学生達は仲間内で楽しそうに会話しながらこちらに近づいてきていた。

 こちらには全く気づいていないようだが、近くなればばれるかもしれない。そう思った結城は咄嗟にドギィの背後に隠れた。 

 そして諒一とツルカの言葉を思い出し、一応、変装のつもりでメガネを外して髪を下ろした。

 隠れ蓑にされたドギィは結城の不自然な挙動に戸惑っているようだった。

「ど、どうしたんですか?」

「いいからそのまま!!」

 不良学生達は楽しげに会話しながら接近してきて、特に何事も無くすれ違い、そのまま後方へ去っていった。向こうは周りの人に興味が全くないらしい。そんな自己中心的な性格のおかげで見つからずに済んだともいえる。

(……見つかったらどうなってたことか……。)

 難が去り、結城がひと安心していると、今度は背後から声が聞こえてきた。

 それは結城に向けて掛けられたものだった。

「ようユウキ、ユウキもこんなところに来るんだな。」

 馴れ馴れしく話しかけられ、結城は声のした方に顔を向ける。

 するとそこには大男……ジクスの姿があった。ジクスの背後にはニコライと槻矢がいて、2人は同じ冊子に目を落としていた。

(さっき諒一に電話で言ってた用事って……この事だったのか。)

 大方、試合でも観戦しに来たのだろう。というか、それ以外にここに彼らがいる理由が考えられない。

「あれ? メガネはどしたんだ?」

「あ、いや、ちょっと汚れを拭いてただけだ。」

 早速メガネを指摘され、結城は先ほど外したばかりのメガネを再び装着する。

 ついでに下ろしていた髪もまとめていると、ジクスが続けて言葉をかけてきた。

「学校ではすごかったらしいな、あれから無事に帰れたか?」

「うん、まあね。」

「それにしても、諒一はどこだ? 一緒に来たんだろ?」

 ジクスは諒一の姿を探して周囲を見る。だが諒一はここにはいない。

 今頃何をしているのだろうか。……まだ連絡もしてないし、自分のことを探し回っているのかもしれない。

 結城は適当に嘘をついてごまかすことにした。

「いや、諒一は留守番だ。」

 取り敢えずそう言うと、槻矢が冊子を閉じて、意外そうな感じの声を上げた。

「あれ、そうなんですか……てっきり諒一さんと一緒にいるものだと思ってました。ところで結城さんはどうしてここに?」

「それは……」

 今の状況を説明するのは面倒くさい上、あまりドギィについては話したくない。結城は諒一から話題をそらすことにした。

「……そっちこそ、3人揃ってなにしてるんだ。」

 質問を質問で返すと、ニコライが自慢気に回答する。

「一応VFマニアだからな。暇な時は3RDリーグにも目を通すのさ。上位リーグには劣るけど、これはこれでなかなか楽しめる。」

 ニコライの言葉を聞き、結城は今更ながら疑問を抱く。

「……ん? こっちはまだシーズン終わってないのか……?」

 2NDリーグ以外も同じようにシーズンが終わるものと思っていた結城は、普通に考えこんでしまう。チーム数も8チームで同じだし、試合数も同じであるはずだ。

 一体、何が違うのだろうか。

 それについてはジクスがすぐに答えてくれた。

「同じスタジアム使って他のリーグの試合もやってるからな。いつも数日くらい後にずれ込んでしまうんだ。」

 続けて槻矢も補足説明をする。

「設備もボロボロでトラブルも多いですから、たまにジェネレーターがいかれたりして……あまりスケジュール通りにはいかないんです。」

「なるほど……。」

 今まで当たり前のようにスタジアムは完璧に運営されていたが、こちらのスタジアムはそれが当たり前ではないらしい。ランナー個人としては、命に関わることなので、トラブルが起こらないようにきちんと運営して欲しいものだ。

「ユウキがここに来るってわかってたら、最初から全員で試合を見られたんだが……今からでもいい、ユウキも一緒に観戦しないか?」

 ジクスの申し出は嬉しかったものの、ドギィを無視することはできない。

「私は他に用事があるから……ごめん。」

「そうか……なら仕方ないな。無理に誘って悪かった。」

 声色や態度には出なかったが、ジクスの表情は少しだけ残念そうに見えた。

「……で、気になってたんだけど、そっちは誰?」

 不意にニコライが発言し、ジクス達3人の視線は結城の後方、ドギィに向けられた。

 それを聞いて結城は頭を抱えたい気分になったが、それをこらえて平静を保つ。

(あぁ、折角触れられないように話題をそらしてたのに……)

 ドギィも特に何も言わず、目立たないようにしていたが、やはり興味を持たれてしまったようだ。

 とにかく結城は説得性のある嘘を必死に考える。

「えぇと……この人は……そう!! 記者の人だ。」

 苦し紛れに言った嘘だが、槻矢は疑う様子も見せず、こちらの言葉を信じてくれた。

「結城さん、結局記者につかまってしまったんですね……。」

 その言葉を受け、ドギィも素人ながら必死に演技をする。

「こんばんは。……ユウキ選手のご友人ですか? よろしければ詳しいお話を聞かせていただければうれしいのですが。」

「……。」

 ジクスとニコライは疑いの目でドギィをじっと見つめていた。

 いよいよ言い逃れできない状況になると、いきなり周囲にアナウンスが流れ始めた。

<本日第5試合、会場への案内を開始させて頂きます。チケットをお持ちの方は正面ゲートからご入場ください。パスをご利用の方は専用のレーンからご入場くださいますよう、お願い申し上げます……。>

 近辺に設置されたスピーカーから聞こえてきたのは、試合の案内だった。

「もう次の試合ですか……やっぱりここは試合サイクルが早いですね。」

 槻矢は自分の携帯端末を取り出して、時間をチェックしながら喋る。

 アナウンスを聞いたジクスは態度を急変させて、ドギィのことなど忘れてしまったのかのように、いきなり移動し始める。

「悪いが時間だ。また今度な。」

 さすが自他共に認めるVFマニアだ。こちらのことよりもVFBの方が大事らしい。

 結城は、今だけはそれをありがたく思った。

「うん。また今度。」

 そして、ろくな挨拶もなしに、3人はあっさりとその場から離れていった。

(なんとか誤魔化せたな……)

 難が去り、ほっとした結城は、3人の後ろ姿を眺めながら溜息をつく。

「さっきの演技良かったぞ……というか、普通にしゃべれるんだな。」

 ドギィの喋り方はアクセントが微妙にずれていて聞き取りにくい。英語は苦手なのだろうか。

 そのぎこちない喋り方でドギィは返事する。

「いえ、この間見たドラマの真似をしただけです。……しかしあれは喋ってて疲れます。喋る前に喋る内容を考えたり、喋る順番を施行するのは面倒です。」

 よく分からないが、彼は彼なりに話しやすい方法で話しているということにしておこう。

 周辺ではまだアナウンスが流れており、結城はほんの少しだけ、その試合に興味を持ってしまった。

「それはそれとして、私たちもちょっとくらい観戦して……」

「駄目です。目的地はここじゃありません。ここへはちょっと寄り道しただけです。」

「……そうだったな。」

 その後、ターミナルに移動するまで、結城は再び知り合いと遭遇しないように周囲に目を光らせていた。


  7


 ――乗り継いでからの船旅は、先程よりも少し長めだった。

 夜の海を船で楽しむという意味では『ナイトクルーズ』に違いはないのだが、現在の雰囲気的にはむしろ『夜行船』に近い。

 特に何のトラブルもなく、船はただただ目的地に向けて海上をひた進む。

 船上に賑やかな音楽など聞こえず、聞こえるのはスクリューが回る音と、船の先端が波をかき分ける音だけだ。その上、船は小型で、結城達以外に乗客はいない。

(静かだ……。)

 そのためか、結城は少し心細くなっていた。

 しかし、目的のフロートユニットが見えてくると、その不安は好奇心によって掻き消された。

(うわぁ……見たことない種類のユニットだ……。)

 夜の海に浮かぶフロートユニットの外周部を見ながら、結城はドギィに質問する。

「ここは何のユニットなんだ? かなり古いみたいだけど……。」

 フロートの構造は古い年代のもので、ボロボロになっている箇所が多く見られた。また、海上からはビルなどは見られず、それどころか、ライトの数自体少ないためよく分からない所が多かった。

 しかし、太いパイプやクレーンなどがフロートの至るところにあるのだけは、辛うじて確認することができた。フロートの中央には背の高い煙突のようなものがあり、フロートの中で一番目立っていた。

(煙突? いや、ただの支柱かな……。)

 調べれば解るのだろうが、調べるための端末がない上、そこまでして知りたい情報でもなかったので、深く考えないことにした。

 そんな、闇に浮かぶ不気味な煙突を眺めていると、ドギィが先ほどの結城の質問にようやく答える。

「……あそこは海底資源採掘用の移動式プラントです。海上都市群の中でも初期に作られたフロートユニットらしいです。なんでも、都市建設中から既に稼働していたとかなんとか。」

「ふーん。プラントだったのか……。」

 人が住んできる気配が感じられないのも当然だ。

 ……プラントについては授業で耳にしたことがある。

 実際、海底熱水鉱床のレアメタルなどは、そのまま近場の精製施設に輸送し、海上都市を建設する際に使われていたらしい。現在はVF製造のために使われているが、今いる場所は、資料で見たそれらのプラントとは全く違う様相をしていた。

 ついでに、稼動している様子は微塵も感じられない。……古くなってもう使われなくなったのだろう。

(ここに何があるんだ……?)

 ドギィはここに来た理由について何も喋らない。こんな寂れた場所に何があるというのだろうか。

 ……やがてターミナルに到着し、結城は船から降りた。すると、海上から見えていたクレーンがこちらを出迎えてくれた。

 クレーンは錆び付いており、使われなくなってから、どのくらいの月日が経ったのかを物語っていた。

「こっちです。」

 クレーンから目を離し、結城はドギィについていく。

 ターミナルからフロート内に入ると、暗闇が待ち構えていた。その暗さのせいで道どころか、足元すら見えない。結城はここに来て改めて電灯のありがたさを思い知る。

(そうだ……)

 結城は携帯端末に搭載されたライト機能を使おうとした。しかし、端末は無い。

「……。」

 普段どれだけ意識しないで端末を使っていたのだろうか……。結城は体の一部を失ったような気持ちになっていた。

 諦めた結城は、かろうじて見えるドギィの背中を頼りに、慎重に進んでいく。

 ――5分か10分くらい歩いただろうか。

 暗闇に慣れてくると、今度は遠くから何かの音が聞こえてきた。その音はドアを思い切りよく締める音にも聞こえるし、高い所から落ちた何かが地面と衝突するような音にも聞こえる……とにかくそれは不規則に鳴って周囲に反響していた。

(プラントの操業音か……?)

 しかし、工場にしては、いささか音のバラエティに富んでいる気がする。

 ……改めて耳をすますと、そんな轟音にまじって人の声も微かながら聞こえてきた。今まで自分の足音のせいで聞こえなかったのだろう。

 ドギィもそれが聞こえたのか、こちらに報告する。

「聞こえてきました。もうすぐ目的地です。」

 ドギィがそう言ってから目的地に着くまで、そう時間はかからなかった。

 結城が進むに連れ、それらの音は大きくなっていき、やがて、音の発生源を直接見られる場所に到着した。

 そこには今まで進んできた道からは想像できないほど広い空間が広がっていた。見渡してみると、天井があり、床もある広いドームのような空間だった。床は所々大きな穴が開いていて、分厚い床のその先には黒い海が顔を覗かせていた。

 そして、ドームの中心には大きくて太い支柱が一本あり、それは大樹のごとく床と天井を繋いでいた。……多分これは、先ほど船上から見たあの煙突に違いない。

 その煙突の周囲はライトアップされており、そこに音の発生源があった。

 その姿を見て、結城は思わずそれの名前を口に出す。

「VF……?」

 ライトアップされた空間には2体のVFがいて、先ほど聞こえた轟音は、その2体が激しくぶつかり合う音だったのだ。ドームの壁際の円周部分には観客らしき人影が多数見られ、大いに盛り上がっているようだった。

 眼の前の状況を上手く呑み込めず、結城はドギィに説明を求める。

「なぁ、これって……」

「見てわかりませんか。VFBです。何度もやってるはずですから、分からないはずはないです。」

 言われなくても見ればわかるが、結城が聞きたいのはそんなことではなかった。

「VFBどうこうじゃなくて、私が聞きたいのは、何でこんな辺鄙へんぴな場所でVFBやってるかってことだ!!」

「辺鄙ですか?」

「間違いなく辺鄙だ!!」

 フロートの中なのは確かだが、実質的には板一枚を挟んだだけの海の上であると言える。いつ床が抜けて落ちるか分からない状況なのに、その上でVFBを行うのは正気の沙汰ではない。

 2体のVFの外見は、ずっと前にアール・ブランで使われていた、ツギハギのVFと何となく似ている。バランスや出力効率を完全に無視して構成されているそれは、出来損ないの人形のように見えた。

 VFも異常だが、他にもおかしい所があった。

「……ジェネレーターが見当たらないけど、電力供給はどうなってるんだ?」

 ジェネレーターはVFにエネルギーを供給する装置であり、VFBにとって欠かせない物である。ジェネレーター無しで、VFが動くはずがないのだ。

 こちらの疑問を聞いたドギィは、VFのある部分を指さした。

「それなら問題ないです。エネルギーパックを背負ってやってます。ほら、小さいですが背中についているのが見えます……あれがエネルギーパックです。」

 視力が悪いので細かい部分までは観察できなかったが、確かに、VFの背中に縦長の出っ張りがあるように見える。あの位置にあれば、正面からの攻撃で壊されることもない。

「それってルール違反じゃないか……。」

 試合中にジェネレーター以外からエネルギー供給を受けるのはルール違反である。

 しかし、自分でそう言っておいて、ルール云々の話で済まないことに気づく。実況どころかレフェリーもいないのだ。

 もはや、これを試合と呼んでいいのだろうか……?

「……守るべきルールなんて無いんです。勝つか負けるか、ここではそういう試合が行われているんです。」

「ルールが無い……?」

 ドギィはこちらの言葉に「はい」と短く答え、続けて話す。

「有り体に言うとこれは『賭け試合』です。」

 結城はドギィの言ったことを信じられなかった。

 しかし、人目のつかないこんな場所で、しかもルールを無視した試合をやっているというだけで、それを信じるには十分だった。

「賭け試合……うわさでは聞いたことがあるけど……」

 これはルールに違反してるどころか、法律にも違反している可能性が高い。なぜなら、指定された場所以外で戦闘行為をするのは、どの地域でも厳しく禁止されているからだ。

 VFBを見慣れているものからすれば、このくらい問題ないと思うかもしれない。しかし、何も知らない一般人からすれば、この状況は、戦車同士が間近で撃ち合っているのと何等変わりないのだ。そう考えると、如何にこの状況が危険であるか理解できる。

「でもまさかこんな場所で……ダグラス本社の足元で堂々と……」

 VFの聖地とも言えるこの海上都市群でよくこんな事が出来るものだ。

 厳しく取り締まるべきだと思っていると、こちらのセリフに対し、ドギィが残念そうに応える。

「ダグラスの本社があるこの都市でさえ行われているのです。つまり、世界中のどこでもこういったことが行われているということです。」

「日本でも?」

 こちらの質問に対し、ドギィは強調して返事する。

「世界中のどこでもです。」

「そんな……。」

 その世界は、私の知らない世界だ。こんなに平然と賭け事が、いや、違法な試合が認められていいものなのだろうか。まさか、こんな野蛮な試合が自分のすぐ近くで行われていたとは思ってもいなかった。

 ……虐殺や人身売買など、これ以上に酷いことがこの世に存在しているのだ。こういうことが無い方が不自然なのかもしれない。

(何か……気分が悪くなってくるな……。)

 アリーナに見立てたスペースでは、パーツや装甲が剥がれ落ちた、不恰好なVFが戦っている。

 お互いが相手に向けて直進し、接近するたびに大振りのパンチを放ったり、そのままタックルしている。両者ともが、破壊されて剥き出しになった箇所を庇う様子も見せず、ただひたすらそれを繰り返しているのだ。

 それは格闘スタイルなど全く無視した戦い方で、戦略性も無ければ品もない。

 一言で言うならば『野蛮』という言葉が最も適しているだろう。

 ……これではまるで獣同士の殺し合いである。

 そうやってVFを獣に例えるとするなら、さしずめこの場は闘犬場と言ったところか。

 そんなことを考えながら結城がVFを見ていると、隣から信じられない言葉が発せられる。

「……これをやっていたんです。つい2年前まで。」

「!?」

 ドギィは懐かしむような口調でサラっと恐ろしいことを口にした。

(何だって……!?)

 ドギィという男は血色も悪く、見るからにひ弱そうな人物だ。しかし、結城はドギィの言葉が冗談だとは思えなかった。

 結城の反応をよそに、続けてドギィは語り始める。

「何かの拍子でこれが表沙汰になれば、トライアローの信用はあっという間にガタ落ちです。これ以上、フォシュタルさんに迷惑を掛けたくないのです。……これが正式なメンバーになれない理由です。」

「そうだったのか……。」

 今ならば、わざわざこんな場所で言った理由がわかる。

 それほどこの『賭け試合』は結城に悪い意味での衝撃を与えていた。

「理由はわかった。だからもう帰ろう……。」

 これ以上この場にいたくない。殺し合いを喜んで観ている、この場の雰囲気が結城には耐えられなかったのだ。

 それに、VFがVFでないような気がして、結城はこれ以上視界にVFを入れたくなかった。

 しかし、来た道を帰ろうとする結城を、ドギィは引き止める。

「……ユウキタカノ、あなたには絶対に理解できないと思うんです。」

「え?」

 両手を捕まれ、結城はドギィと向き合う形になった。

 蹴って手を離そうかとも考えたが、なぜだか、ドギィの言葉によって行動が遮られてしまう。

「自分がやっていた死闘に比べたらVFBはお遊びです。遊んでるだけでお金がもらえるのだからこれ以上幸せなことはないです。」

「……。」

 いったい何を言っているのだろうか、ドギィの目は見開かれ、まるで別人になったかのように見えた。

 VF同士がぶつかる不快な音をBGMに、ドギィはゆっくりとした口調で言葉を紡ぎ始める。

「本当のことを言いましょうか、いえ、言いましょう。自分は自分で何をすればいいのかわからないのです。目標はフォシュタルさんがくれる。居場所もフォシュタルさんがくれます。」

 一息置いて、更に続ける。

「賭け試合をさせられていた時、VFに乗って戦うということが、VFで相手を打ち負かすということがどんな結果をもたらすのか、考えもしませんでした。ただ言われるがままに戦っていたんです。……実際、今も大して変わっていないです。」

 結城は黙ってドギィの話を聞いていた。

「あなたにはこれを見て判断して欲しかったんです。これで自分がどんなランナーであるのか、わかったと思います。自分はあの人達とあまり変わらないです。残虐で、冷酷で、死体を見ても何とも思わない酷い人間です。試合でも、相手が泣こうが、悲鳴が聞こえてこようが、相手が停止するまで容赦なくコックピットを攻撃します。」

 そこまで一気に喋ると、ドギィはこちらの手を離した。

「……これがユウキタカノに言いたかったことです。」

 結城は、ようやく離された手をさする。

「言いたいことは分かった。……それで、私にどうして欲しいんだ?」

 ドギィの豹変ぶりに驚きつつ、結城は質問を返す。

 すると、再びドギィが話し出した。

「自分のことを知って欲しかったのです。……試合中に『あんなふうに』なるかもしれないと知って欲しかったのです。」

 あんなふうに、と言いながら指した方向にはVFがあった。2体のVFは今まさに取っ組み合いの最中で、両者とも頭部ではなくコックピットを狙ってパンチを放っていた。

 相手の攻撃を振り払おうともせず、ただひたすらコックピットを狙うその様に、結城は悪寒を覚える。そして今行われているのが殺し合いだと改めて思い知らされた。

 ……とにかく、ドギィはこちらのコックピットを狙うと言いたいらしい。

「それは脅しなのか?」

 ドギィの考えを窺うように訊き返すも、ドギィはこちらを無視して話を再開する。

「自分のことを知らなければ、ユウキタカノは絶対に本当の意味での『本気』を出さないと思うのです。敗北を知りたいとまでは言わないです。でも自分は容赦しません。そのお陰で自分は今まで一度も負けたことがないんです。負ければ即死の世界にいましたから。あなたは自分に勝てますか? 相手を殺せますか? 殺すつもりで戦えますか?」

「ちょっと……」

 いよいよドギィの言っていることが理解できず、結城はドギィを止めようと目の前で手を振ったが、それすら無視してドギィはよく分からない言葉をたれ流し続ける。

「自分は待ってるんだと思います。それがあなたならいいと、試合を見て思ったんです……自分を倒してください。そうすれば自分は救われる気がするんです。自分は手加減ができません。だから、本気になってください。あなたならできるんです。あなたにしかできないんです……。」

「落ち着いて話せ。……要するに何が言いたいんだ?」

 こちらが肩をゆすって、ようやくドギィは我に返ったようで、首を動かさずに視線をぐるりと一周させた。そして、瞬きを数回した後、短く簡潔にこちらへの要求を述べる。

「殺すつもりで戦ってください。」

「……。」

 結城はドギィ越しに賭け試合の様子を見る。

 未だに戦いは続いており、一報が馬乗りになってただひたすらコックピット付近を殴り続けていた。

 こちらが黙っていると、ドギィが言葉を繰り返す。

「もう一度言います。……殺すつもりで戦ってください。そうでないと、こちらがあなたを殺してしまいます。」

 こちらが殺すつもりで戦えば、ドギィに勝てると言いたいのか。一応これは褒められていると判断すべきか……少なくともこちらの実力を評価してくれてはいるらしい。

 いつまでも黙っていても悪いので、結城は思ったことを素直に話す。

「つまりそれは……宣戦布告か?」

「そうです。様子見などしないで、初めから本気で来て下さい。そうでないと死にます。」

 さすがに殺すつもりはないが、言われずとも本気で勝負に臨むことに変わりはない。

「……わかった。」

 結城が了承すると、ドギィはほっとため息を付いた。そんなに気を使う要求でもないだろうに、なんとも不器用な人である。

「で、言いたいことはそれだけなのか?」

「?」

 一段落ついた所で結城は踵を返す。

「……今度は私に付き合ってもらうぞ。」

 そして、振り向くことなく暗闇に包まれた通路に足を踏み入れた。

 ――ターミナルに戻るために。


  8


「これこれ、これ前から欲しかったんだ。」

 ……賭け試合が行われていたフロートを出てから約1時間後。

 結城は海上都市の商業エリア内にある、携帯端末専門ショップにいた。

 閉店間際なのか、店内に人の姿はほとんど見られず、店の奥の方のライトは消えていた。

 そんなことは気にしないで結城は携帯端末を吟味しており、その手にはスタイリッシュなモノクロカラーの携帯端末が握られていた。……これは、諒一も使っている高機能の携帯端末だ。

「こんなに高いのですか。」

 結城の隣で同じ種類の端末をまじまじと眺めているのはドギィだ。

 投げ捨ててしまった携帯端末を弁償するとはいえ、端末がここまで高価なものだと思っていなかったようだ。値札のゼロの数を数えて複雑な表情をしていた。

「あんな物騒な場所で女の子を連れ回した罰だ。このくらいは当然だろ。」

 もちろん安価な物もあるが、折角弁償させるのだから、高いものを買わせたほうがいいに決まっている。トライアローのチーム責任者と知り合いなのでお金に困ることはないだろし、遠慮する必要はない。

 結城は弁償の正当性を強調するため、さらに付け加えて言う。

「道は暗いしVFはヤバイし、結構怖かったんだぞ。本当なら警察沙汰だ。」

 警察と聞いてドギィは若干おののいたものの、こちらに反論してくる。

「ユウキタカノはあんなことくらいではへこたれない、図太い人だと思うのですけれど。」

「私を何だと思ってるんだ……。」

 過大評価もいいところだ。度胸があるとは言え、怖いものはやはり怖い。

 それはそうと、もうあの試合は終わったのだろうか。それともまだ続いているのか。このことを警察に連絡したほうがいいのか迷うところだ。

 携帯端末を手で弄びながら結城は色々と考える。

(通報はやめたほうがいいな……。)

 自分がその場にいた事が知れると、面倒なことになることはわかりきっている。

 結城は今日見たことをすっぱり忘れることにした。

 そのことを含め。結城は思っていることをドギィに話す。

「正直な所、殺すだの殺されるだの全く想像できない。だから私はさっき言われたこと、今日あったことは全部忘れる。……あと、殺すつもりじゃなくて試合に勝つつもりで戦う。それがVFランナーだと私は思ってるからな。」

 言いたいことを言い終えると、結城は携帯端末をドギィに押し付けた。

 ドギィはそれを店員に渡し、同時にカードを手渡す。店員はそのカードを両手で受け取り、いそいそとレジに向かっていった。

 それを目で追いながらドギィは念を押すように話しかけてくる。

「……自分はルールぎりぎりの所でユウキタカノを攻めるつもりです。レフェリーがなんと言おうと攻撃し続けます。それでもいいのですか?」

「そっちは殺すつもりで来てもいい。私はいつも通り自分の思うように戦うだけだ。」

 こちらがそう言うと、ドギィはそれ以上何も言わなかった。

 やがて店員が会計済みの携帯端末を持ってくると、結城はそれを受け取り、ジャケットの中に仕舞った。

 ドギィもカードを返してもらい、無造作にポケットに突っ込んだ。

「ユウキタカノの言うことはよくわかりました。次に会うのはVF越し……いや、HMD越しです。どちらにしても決勝で待っています。」

 こちらが別れを言う前にドギィは結城から離れ、足早に店を去っていった。

(決勝か……。決勝まで行けるか……?)

 フォシュタルもドギィもアール・ブランが決勝まで勝ち続けることを前提に話を進めている。期待を裏切らないようにするためにも、頑張って勝たなければならない。

 ……敵チームの為に試合に勝つというのもおかしな話だ。

(それにしても『ドギィ』……よく分からない奴だったな……。)

 よく分からないにしろ、そんなに悪くないに人であることは間違いない。過去に何があったか気になる所だ。

 また会って、色々と話をしてみたいと結城は思っていた。

 結城がそんな別れの余韻に浸っていると、急に店内に何者かが勢い良く侵入してきた。

 そして、その人物は大声で自分の名を呼ぶ。

「結城!!」

 何事かと思い結城は店の出入口を見る。

 ……そこには諒一が立っていた。

 諒一は息を乱しており、シャツは汗まみれになっていた。表情は固く、目付きは鋭い。それはまるで獲物を必死に追うハンターのようだった。……いや、この場合『迷子を必死に探す保護者』といったほうが適切かもしれない。

 シャッターを閉めようと入り口に向かっていた店員は歩を止め、その姿を驚きの表情で見ていた。 

(あー、諒一のこと忘れてた……。)

 ドギィと一緒に行動している間、結城は何度も“連絡せねば”と思ってはいたものの、連絡手段が無かったため、その度に連絡することを忘れていたのだ。

 今も、新しい携帯端末を手にいれていたが、諒一の顔を見るまで思い出すことはなかっただろう。

 諒一は閉店作業中の店員を気にすることなく店内に入り込んでくる。

「槻矢君から聞いた。変な記者に連れ回されてたらしいな。……何もされなかったか!?」

 今思えば、あの時3人のうちの誰かからか携帯を借りておけば良かったかもしれない。

 しかし、それを思いつかなかったのは仕方ない。あの時は色々ごまかすのに必死だったのでそこまで気が回らなかったのだ。

 結城は本気で心配している諒一を落ち着かせるために、敢えて冗談めかして返事する。

「大丈夫。へーきへーき。ちょっと散歩してただけだから。」

 ……自分で言っておいて何だが、散歩というのもあながち間違いでない。

 今日のことを簡単に例えるとすると、まず飼い犬を拾って、次に飼い主に届け、身元がはっきりした所でそのまま散歩に出かけたようなものだ。

 犬を飼い主に送り届けることはできなかったが、船にも電車にも乗れる犬なので問題ないだろう。

(ついでにクレジットカードも持ってるからな……。)

 カードで買物をする犬を想像して、結城は思わず吹き出してしまう。

 こちらの反応にほっとしたのか、諒一は深呼吸をして普段通りの無表情に戻った。

「よかった……。」

 そして凛々しい顔をしたまま、その場に膝をついて座り込んだ。余程疲れたのだろうか、諒一がへたり込むなんて珍しい。

 諒一は顔を下に向けたまま喋る。

「……済まなかった。必死で探したが見つからなかったんだ。」

「もしかして……今までずっと!?」

 諒一はコクリと頷く。

 ……結城が諒一とはぐれてから優に6時間は経っている。その間ずっとフロート内を走り回っていたのだろうか……。結城は根性やら捜索能力云々よりも、その並外れた体力に驚かされていた。

「……居住区の下で結城の端末を見つけた。一応返しておく。」

 そう言って諒一が差し出してきたのは、ドギィによって投げ捨てられた端末だった。

「あ、うん……。」

 結城は両手でそれを受け取る。受け取ったそれはド派手に壊れていて、もはや何の機械だったか分からない。画面にはヒビが入っているどころか90度以上折り曲がっている。そして背面からは中身が飛び出ていた。

 機械に疎い自分が見ても、これが修理不能だということが解るほどの見事な壊れっぷりだ。

(返されても仕方ないんだけど……)

 正直な所、新しいのがあるので必要ない。が、折角見つけてきてくれたのだから、一応受け取ることにした。

「ごめん、油断したスキに壊されちゃって……。」

 懐にその端末を入れながら謝ったが、結城はその言葉が失言だったことに気づいた。

「……壊された? ……誰に壊されたんだ!?」

「あー、壊されたというか投げ捨てられたというか……。」

「投げられた……盗られたのか!?」

「そうだったかもしれないな……。あんまり覚えてないなー。」

 諒一に問い詰められ、のらりくらりとかわす結城だったが、いつまでもごまかし続けるわけにもいかない。……諒一相手に嘘をつき通すのはイクセルに勝つより難しいのだ。

 結城は、諒一にもドギィのことを秘密にしようかと考えていたが、後々のことを思うと話したほうがいいのかもしれないと考えなおした。

 ……また、前のようにお互いの情報不足で喧嘩になるのはゴメンだ。

「分かった。ホントのこと話すから……。」

 結城が諦めてそう言うと、諒一は急に黙って、こちらの話を聞く態勢になった。

(さて、何から話したものか……。)

 どこから説明したものか、結城が悩んでいると、店員がおそるおそる声をかけてきた。

「あの、お客様、もうそろそろ閉店の時間でして……」

 店員の言葉を聞いた諒一はすっくと立ち上がり、肩にかけたバッグの中を探り始める。

「とにかく今日は寮に帰ろう。話は後で聞く。」

 そう言うと、取り出した帽子をこちらの頭にかぶせ、こちらの手を取って歩き始めた。

 若干、諒一に引っ張られつつ、結城は店から出る。

「ありがとうございました。またのご来店を……」

(今日はよく手を引っ張られる日だ……。)

 背後に店員の挨拶を聞きつつ、結城も諒一の手を強く握り返した。

 ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。

 この章では、結城に対するファンの注目がどれほどのものか、そしてドギィとの出会いが描かれました。大人に混じって女子学生が活躍するというのは、やはり珍しいことなのでしょう。

 次の話からいよいよ昇格リーグが始まり、アール・ブランは他地域のチームと対戦することになります。

 今後ともよろしくお願いします。

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