【与えられた者】序章
続きを読んで下さりありがとうございます。
第4編『与えられた者』です。
ちょっと暗い話になるかもしれませんが、ぜひとも最後までお付き合いください。
序章
1
いつからだろうか。
安心して朝を迎えられるようになったのは。
いつからだろうか。
こんなにも朝日をありがたいと思うようになったのは。
ベッドの中、夢から覚めたばかりのぼくは自問自答する。だがいつからそうなったか、何度思い出そうとしても思い出せない。まるで眠りに入るその瞬間を思い出せないように、ぼくは意識の外で自然とそれをありがたいと感じるようになったのだ。
しかし、それがわからなくともぼくの生活には何の問題もない。
何故ならば、現在ぼくはそこそこ広いアパートに住んでおり、そこそこ美味しいご飯を3食たべることができ、着るものにも困らなければ、そこそこ良い条件の仕事にも就けているからだ。
悩みなどすぐに消えてしまう。今が良ければ全て良しとはまさにこの事だ。
「よ、起きたみたいだな。」
目を閉じたまま瞑想していると、耳のすぐ横で元気に満ちた声が聞こえた。その声は青年、もしくは10代後半辺りの若々しい声だったが、その口調は少年そのものだった。
そんな清々しい声に反応し、瞼の裏に太陽の光を感じつつぼくは目を覚ます。
――おはよう。いつも起こしてもらって悪い。
ぼくが起きると彼はベッドの傍から離れた。
「悪いことがあるもんか。モーニングコールを初めてかれこれ10年。もうとっくに日常の一部になってるよ。」
――もう10年か、こっちは何時まで経っても慣れないよ。
「それでいいよ、目覚ましに慣れると起きられなくなるからね。」
そう言って彼はニコニコと笑った。
ぼくを起こしてくれた彼とは長い付き合いだ。辛いときは慰めてくれ、困ったときはアドバイスをくれる、言わば心の友だ。
今こうして暮らせているのも彼のおかげだと言っても過言ではない。
昔は……この海上都市群に来る前はそれはそれはひどい暮らしをしていた。ひどい事を具体的に思い出すことはないが、辛かったという漠然とした気持ちだけは覚えている。
ぼくとは違い、しっかり者の彼は全て詳しく覚えているだろう。しかし、いくら訊いてもあの当時のことを教えてはくれない。
聞くことでぼくのこころが傷つくと考えているのだろう。その心遣いはぼくにとって嬉しいものだった。
「まだ昔のことを思い出してるのか……もう忘れろよ。あんな事にはもうならないし、あんな場所に戻るつもりもないんだろう? ほら笑って笑って。」
余程ぼくは深刻な顔をしていたらしい。
彼の言うとおり、ぼくは無理矢理笑顔を作り、返事する。
――もちろん戻るつもりはないさ。毎晩暖かいベッドで眠ることが出来る。……これ以上幸せなことはないよ。
「それだけで幸せって……もっと贅沢な方法で幸せを味わってもいいんじゃないの?」
――そうだな……美味しいご飯を食べると幸せかな。あと、今寝てるこのベッドもフカフカで気持ちいい。
「いや、そういう事じゃなくてさ……まぁしょうがないか。」
彼の呆れたような台詞の後、ぼくはベッドから降りてクローゼットに向かう。
途中、彼の前を横切ろうとすると、彼はぼくの腕をつかんで引き止めた。
「先に朝食にしないか、お腹が減って仕方がないよ。」
――だめだめ、先に着替えないと落ち着かないんだ。
何よりも先に身支度するのがぼくのやり方だ。理由はわからないけれど多分習慣化してしまっているんだと思う。
空腹の彼には少しの間我慢していてもらおう。
――あれ、そういえば……
仕事着に手をつけたところで、今日が休日だということに気づき、ついでに予定があったことを思い出す。
――そうだ今日はVFBの試合を見に行くんだった。
ぼくは仕事着を元の位置に戻すとクローゼットの前でしゃがみ、下段の引き出しから普段着を取り出す。観戦するのに仕事の制服だと目立ちすぎるからだ。
「準備できたの? はやく朝食にしようよ。」
クローゼットの鏡を見ると、食卓に座っている彼の姿が見えた。
ぼくは思ったことをそのまま口に出す。
――たまには自分で朝食くらい準備したらどう?
「面倒だからしたくない。」
――じゃあ大人しく待ってるしかないよ。
なんとぐうたらな人なんだろうか。こんな人間がぼくより早起きできる理由がわからない。
――屈辱だ……。
「なんか言った?」
――なんでもないよ。
そんなことを言いつつぼくは急ぎ足で服を着る。着慣れていないせいか、制服よりも着替えるのに手間取ってしまう。
「あーあ、一人暮らしのつらいところだよね。全部自分で用意しなくちゃならないなんて。」
彼の呑気な言葉を聞きながらぼくは最後のボタンを閉める。
着替えが終わると、ぼくはすぐにお待ちかねの朝食の準備にとりかかる。すぐに作れる料理は何があっただろうか。
――そっちが手伝ってくれたら少しは楽になるんだけれど……
「手伝うなんて無理。こっちは食べるの担当です。」
ぼくは彼の戯言を聞き流し、簡単に食べられるものを用意しようと考える。なぜなら試合に間に合うようにするには早い便に乗らなければならず、その便の出発まで時間がないからだ。
お金が貯まればバイクでも買おうか、そうすればバスの時刻表とにらめっこしなくて済むようになるだろう。
ぼくは料理するのを諦め、既製品に頼ることにした。
――シリアルフレークでいいね。
「えー……。」
彼の不満気な声を聞きつつ、ぼくは買い置きしておいたシリアルフレークの箱を棚から取り出す。そして有無を言わさず食卓の中央に配膳した。
――文句は言わせないよ。ほら、早く食べよう。
「……。」
彼は不平を言いつつも食欲には勝てないらしい。おとなしく食卓についた。
そしてぼくと彼はシリアルフレークをもりもり食べ始めた。
海上都市群に連れてこられたときは珍しい事だらけで毎日刺激にあふれていた。
海の上に陸地があるという点ではそこら辺の島と何も変わらないように思えるが、それが人工物となれば話は別だ。この島を人間が作ったのだと思うだけでぼくは興奮し、色々と興味を持ったものだ。
この海上都市が建造されてから数十年になるが、大陸の田舎に住んでいたぼくにとってこの場所は未来の場所のようにさえ思えた。
しかし慣れてしまえばそれも日常となる。
他の都市や町と同じようにここにも人が住んでいる。生活していると自分の周りにあるものは全て生活の一部、営みの構成物となる。
ぼくの場合、ほとんど毎日が同じ生活パターンだったのでなれるのも早かったように思う。
そして今ぼくはそんな慣れた道を歩いていた。目的地はいつものバス停だ。
「おはようドギィ、休みの日にどこにお出かけだい?」
ぼくは名前を呼ばれ立ち止まる。
その声は年をとった女性のもので、上から聞こえてきていた。
上を見ると窓から顔を出しているおばさんの顔があった。バスの時間までもうすぐだが、声をかけられて無視するわけにもいかない。仕方なく、ぼくは上を向いて返事する。
――おはようおばさん。今から2NDリーグを観戦しに行くんだ。
このおばさんとはたまに目が合う。今は窓際の観葉植物に水をあげているようだった。
「観戦……そうなの、あんたVFB大好きだって言ってたものね。楽しんでおいでよ。」
――気が向いたらお土産でも買ってくるよ。
「いいのよ、あんた若いんだからおばさんに気を使わないくてもいいの。」
――はは、……じゃあ行ってきます。
「いっておいで。」
水やりが終わったのか、おばさんはすぐに顔とジョウロを窓の中に引っ込めた。
ぼくも顔の向きを正面に戻してバス停へ急ぐ。
――全くおばさんは面倒見が良すぎる。そう思わない?
ぼくが愚痴っていると、彼はなだめるように言葉を返した。
「邪険にされるよりかはましだと思えばいいさ。今時、あんなに優しい人はいないよ。」
彼の言うとおりだ。知り合いの少ないぼくにとっては話し相手というものは貴重な存在だ。
ぼくは考えを改める。
――たしかにそうだ。昔はみんな怖くて厳しかったからなぁ。……あれは本当に怖かった。
大人というものは怖いのが当たり前だと思っていた時期が懐かしい。気軽に会話するなんて想像したこともなかった。
「悪い、昔のこと思い出してしまったか?」
彼は心配そうに話しかけてくる。
――いいんだ。最近は思い出しても平気になった。
「そうか、早く忘れられるといいな。」
同じ境遇にいたというのに、彼はぼくのことを当然のように心配してくれる。ありがたい事だ。
――こんな話ししてる場合じゃない、はやくバス停に急ごう。
「おっと、そうだった。」
ぼくは近場のバス停まで全速力で走った。
目的のバス停に到着すると同時にバスも到着し、タイミングよく開いたドアをくぐってぼくは車内に入る。中はぼくと同じくスタジアムに向かう人で溢れていた。
窮屈とまでは言わないが、少なくとも快適に目的地までの時間を過ごすことはできないだろう。そんな込み具合だった。
「あ、ドギィだ!!」
空いている席を探しているといきなり誰かに体当りされた。その誰かはそのままこちらの体にしがみつく。
それは女の子だった。
ぶつかってきた少女の頭はぼくの鳩尾くらいの位置にあり、上から見ると綺麗な真っ直ぐのつむじが見え、そこからは流れるような長い髪が伸びていた。さらに、微かにではあるが、シトラスのさわやかな香りがこちらの鼻に届いてきていた。
バスの揺れが収まると少女はぼくの体から離れ、近くにある手すりに掴まる。
「ごめん、勢いがつき過ぎたみたい。」
少女の名前は知らないが、いつも通勤時にバスで会い、よく話もしている。今日は普段とは違い少しおしゃれをしているようだ。休日だからどこかに遊びにでも行くのだろう。
よく見ると、少女の周りには友達らしき女の子が数名いた。
――おはよう。みんなでお出かけかい?
気軽に話しかけると、少女は顔を窓に向けたまま返事をする。
「うん。今からメインユニットに行ってお買い物するの。」
――へぇ、それはいいね。
少女は窓に反射しているぼくの姿をジロジロと見る。
「ドギィもおでかけ?」
ぼくが私服を着ることはめったにない。これを見て少女はぼくが仕事にはいかないのだとおもったようだ。
ぼくは首を縦に振って答える。
――うん、そうだよ。これからVFBを見に行くんだ。
これからの予定を言うと、窓に映る少女の表情がしょんぼりした物へ変化していく。
「……わたし、戦うのはキライだな……痛そうだし。」
――いや、戦うのは人じゃない。ただのロボットだよ。
「ロボットも痛いのはイヤじゃない? 死んだらどうするの?」
――ロボットはとても硬いから平気なんだ。それに壊れてもすぐ治るから絶対に死なないよ。
「ふーん……。」
いくら言っても納得いかないのか、少女の表情が晴れることはなかった。
「……そんなのを見るよりも『スエファネッツ』を見てるほうが楽しいよ、ドギィは流行りの曲とか知らないでしょ?」
――スエファネッツ?
たしか、流行りというほどではないが、そこそこ知名度の高い美男子アイドルグループだったはずだ。人気集めのために1STリーグのチームが数年前に発足させたと聞いたが、一応成功しているみたいだ。
少女はこのグループがVFB発のものだと知っているのだろうか。……いや、知っていればVFBが嫌いなどとは言わないはずだ。
ぼくはそのことを伝えようかとも思ったが、あいにく、いたいけな少女にそのことを指摘できるほど肝の座った人間ではなかった。
――そうだね。機会があったら今度見てみるよ。
少女が満足するような当たり障りない答えを言うと、窓越しに少女は満足の笑みを浮かべた。
その後、色々と話しをしていると、すぐにバスは2NDリーグスタジアムに到着した。そこで大勢の乗客が降り、流れに乗ってぼくもバスから降りる。
「じゃあねドギィ、ばいばい。」
――ばいばい。
少女とその友達を乗せたバスはターミナル方面へ行ってしまった。
バスから降りると早速彼が話しかけてくる。
「結構顔広いんだな。」
スタジアムの正面、他の観客が中に入って行くのを眺めつつぼくは彼に応える。
――そこまでじゃない。知り合いがいるのも住んでる辺りだけだよ。
「まさか、他には?」
――職場にもあまり知り合いはいないし、出会い自体が少ないし……あとは君くらいかな。
ぼくのセリフを聞くと、彼は「おいおい」と前置きして呆れ口調で喋り出す。
「何言ってるんだ、これはお前だろう?」
一瞬彼が何を言っているのか理解できなかったが、5秒ほど経って、誰も周囲に存在していないことを確認し、ようやくぼくは現実を受け入れる。
「……そうだ、自分は独りだった。」
朝早くにぼくを起こしてくれた彼は存在せず、おばさんは観葉植物にしか興味がなく、バスで自分に話しかけてきてくれる少女など存在しない。
全て自分の想像だ。
ぼくは自分が創りだした想像上の彼に向かって今一度話しかける。
――別にいいだろう。相手の言葉はぼくのなかで完璧に補完されてるんだし。
「補完どころか、全部都合のいい妄想なんだけどな……あと、朝からずっと言葉が漏れてたぞ。」
「うそ、それほんと? そんなのただの気持ち悪い奴じゃないか。嫌だなぁもう、このくらい気付いてくださいよ自分。」
彼は自分の空想の中でも一番長続きしている人物だ。たぶん誰かがモデルになっているのだろうけれど、昔過ぎて顔も思い出せない。この海上都市にきてからは名前すら思い出せず、もはや自分の一部になっている気がしないでもない。
「大丈夫ですか、先程から何やら独り言を……」
スタジアム前で一人問答していると、近くに待機していた警備員が声をかけてきた。
心配させまいとぼくは慌てて言葉を見繕い返事をする。
「大丈夫です。大丈夫じゃなければ病院に行っています。いや、心配されている時点で大丈夫じゃないのかもしれないですけれど。」
「え、あの……」
警備員はうろたえながらも猜疑の目をぼくに向ける。
身の潔白を証明するため、ぼくはここにいても問題ない、ここにいることに整合性がある、ついでに説得性のある証拠になるような物を探す。
「あー、チケット。そうだチケット……。ありました、チケット。どうです、これを見ればわかります? 自分は今から2位決定戦を観戦するんですよ。ご一緒します?」
「私は警備員ですので、ここから離れるわけには……。」
「分かってます。見ればわかります。だってそうでしょう? ……もう始まりますね。すみませんでした。お仕事頑張ってください。」
「あ、はぁ。」
警備員は頬をぽりぽり掻きながら気の抜けた声で返事し、元いた場所へ戻っていく。
何とか乗り切ったみたいだ。別に咎められるようなやましい事をしたわけではないが、トラブルにならずに済んでよかった。
そしてぼく……『ドギィ』は一人、だれとも会話することなくスタジアムの中へ入っていった。
2
スタジアム内はすでに多くの観客で埋め尽くされており、そのため、ドギィが目的の個人指定席にたどり着くまでかなりの時間がかかってしまった。
「えーと、H14の501……あったあったありました。」
チケットに書かれていた番号の席まで来ると、ドギィはアリーナに目を向ける。
アリーナにはアール・ブランの『アカネスミレ』、そしてクライトマンの『クリュントス』がすでにスタンバイ状態にあった。
(もうそろそろ始まるかな。)
今現在ドギィのいるH14席は二階席である。この周辺は比較的高い場所にあり、料金も少し高めだ。しかし、全体の様子がよくわかるのでドギィは気に入っている。
席に座ろうと腰をかがめると、すぐに背後から声をかけられた。
「いつもここで見ているのか、ドギィ。」
席に座り、後ろを向くとサングラスをかけた初老の男の姿があった。初老の男はグレーのスーツを着ており、白髪の髪はオールバックにされている。
歳がいっている割にはガタイがよく、少し威圧感があった。
ドギィは先ほどの初老の男の問いに対し、普通に受け答える。
「いえ、いつもってわけじゃありません。気になった試合だけ見ます。いえ、もちろん全試合映像で見てますけど、強い相手の試合は直接見ておかないと勝敗に関わりますよね?」
「……よくわからんが、気になる試合は生で見たいということでいいんだな?」
「その通りです。さすがです、さすが『フォシュタル』。あ、呼び捨ててすみません。なんか言いづらくていつも敬称を付けるのを忘れるというか。……フォシュタル様、フォシュタルさん?」
フォシュタルと呼ばれた初老の男は深くため息を付いて、こちらの肩を親しみを込めてポンと叩く。
「その喋り方、どうにもならんようだな……。いつも通り呼び捨てでいいぞ。」
「すみません。……ところで、フォシュタルさんがここに来るなんて珍しいですね。というか、自分はよく知らないのでわからないですが、チーム責任者が一般の客席に座ってもいいものなのですか?」
「構わんさ。」
フォシュタルは顎に手を当て、スタジアムの端に位置する司令塔に目を向け、言葉を続ける。
「今は殆どチームの運営には関わっておらんし、チーム専用のラウンジにいてもスタッフが萎縮してしまうだけだ。……それに、こっちの席じゃないとドギィと話せないだろう?」
“話があるから来い”と言ってくれれば、こちらからチーム専用のラウンジに行くのに、わざわざこちらに合わせて一般客席にいるということは、それだけ自分のことを大事に思ってくれているのだろう。
「自分に話したいことってなんですか?」
「まぁ焦るな。……試合が始まるようだ。」
フォシュタルはそう言ってアリーナに目を向けた。ドギィも同じようにアリーナの方を向く。
<……それでは試合開始です!!>
向いてすぐに実況者の声がスタジアムに響き、試合が始まった。アリーナで待機していた2体のVFはブザーを合図にして中央に向けて走り出す。
アカネスミレは右アームを、同じく右側の鞘にあてがったまま前傾姿勢で走る。そしてクリュントスはランスと盾を前面に構えて突進の体勢をとっていた。
そのまま正面衝突するかと思われたが、ぶつかる直前でクリュントスのランスの穂先がいきなり飛び出した。
勢いよく発射された穂先はアカネスミレの胴体の中心を狙っていたが、アカネスミレはそれをジャンプで軽々と避けてしまう。
跳んだ瞬間、観客席から興奮の声が上がる。
一方、的を外れた穂先は回転しながらアリーナ端の壁に突き刺さった。
両足を畳んで宙に跳んだアカネスミレは、そのまま空中で抜刀し、さらに重力を利用して、勢いのある斬撃をクリュントスに向けて放つ。それに応じて、クリュントスは穂先の無くなったランスを上に掲げてその斬撃を防いだ。
2つの武器がぶつかると、途端に甲高い金切り音がスタジアム内に響き、一瞬で両方の武器が根元から砕け散った。
「!!」
通常ではあり得ないその光景を、ドギィは固唾を呑んで見ていた。
……聞いた話によると、両者とも『超音波振動』を利用した武器を使用しているらしい。武器同士、互いの衝撃に耐えられなくなったのだろうとドギィは予想した。
(アール・ブラン……あの時とは全く違う。明らかに違う。)
今シーズンの初戦、アール・ブランはツギハギでボロボロのVFで試合に臨み、トライアローのオクトメイルにぼろ負けした。あの時と比べると、その成長具合は他に類を見ないほど早い。
夢中になって試合を見ていると、後ろの席からフォシュタルの声が聞こえてきた。
「ドギィ、試合中で悪いが、落ち着いて話を聞てくれ。」
フォシュタルの口調はなぜだか迷いに満ちていた。
ドギィは言われたとおり何も言わず、次の言葉を待つ。
「……。」
待っている間、アリーナでは2体のVFがそれぞれ壊れた武器を投げ捨て、試合を再開していた。アカネスミレは素手でクリュントスの盾を殴っており、しばらくそれが続きそうだった。
拳と盾の衝突する音をBGMに、フォシュタルは真剣な口調で話を切り出す。
「……そろそろお前を正式にトライアローのランナーとして迎え入れたい。」
「!?」
思いもよらぬ言葉にドギィはアリーナから目を離し、勢い良く後ろに振り向く。
フォシュタルのサングラス越しの視線がこちらに向けられていた。
……実はドギィは非正式ながらも、トライアローに雇われているVFランナーである。
色々と事情があり、約2年前にフォシュタルがドギィをこの海上都市群に連れてきたのだ。その時からドギィは正式なランナーに混じり、たまに試合に出ている。ちなみに今シーズンは2回戦っている。
「急にどうして……」
こちらが戸惑い気味に言うと、フォシュタルは頭を垂れ、首を左右に振って話す。
「この2年間、どうにかお前の存在を隠してこれたが、そろそろ限界だ。他の3人のランナーはともかく、スタッフからの不信感がかなり溜まってきておる。」
トライアローにはVFが3種類あり、それに合わせてランナーも3人いる。ランナーの名前は聞いたことがあるが、興味がないので覚えていない。向こうもこちらの存在は知っているものの、名前までは知らない。
自分がトライアローの中で知っているのは、責任者であるフォシュタルのみなのだ。
ドギィはフォシュタルの話を聞いて意見を述べる。
「不信感ですか。……実際、何回もメイルシリーズに乗って試合に出てますからね、怪しまれても仕方ないと思います。同じスーツ来て、HMD被ってたのに、やっぱり体格でばれたんでしょうか。あ、VFの動きや癖は完璧にコピーしたのでチーム外にはばれる心配はないです。はい。」
「本当にお前は器用な奴だ。」
乾いた笑いに混じり発せられたフォシュタルの言葉は、いきなり生じた轟音にかき消されてしまう。それはまるで耳の近くで何かが破裂したような、頭蓋骨をかち割られしまったのではないかと錯覚するほどの音だった。
慌ててアリーナを見ると、クリュントスが近距離での格闘から離脱しており、腰にさげている派手な装飾の剣の柄を握っていた。
盾はというと、2体から遥か離れた位置でコロコロ転がっていた。……どうやらアカネスミレにはじき飛ばされたらしい。
先ほどの轟音はその際に出たもので間違い無いだろう。
真横に盾をはじき飛ばしたアカネスミレの両腕は伸びきっており、ボディがガラ空き状態になっていた。2体の距離は近く、クリュントスの次の攻撃をアカネスミレが避けられないのは誰の目から見ても明白だった。
クリュントスは半身ほど体を引き、刀身を滑らせるようにして細身の剣を鞘から抜く。そして、剣を抜き終えると、クリュントスは手首を器用にスナップさせ刃の切っ先をアカネスミレの首元に向けた。
この間は1秒にも満たない。
間を置かずして、クリュントスはそのまま剣を前方へ突き出した。
……しかし、貫くはずの首はそこに存在していなかった。
「!!」
ドギィは目を見開いて再度状況を確認する。
アカネスミレの首は剣の切っ先よりも下に位置していた。
(なるほど、なるほどそうでしたか。)
なんと、アカネスミレはガードを諦め、後方に倒れるようにして剣を回避したのだ。
アカネスミレは地面に倒れ込む寸前に手をつき、バク転しながら蹴りを放つ。蹴りはクリュントスの手に命中し、盾に続いて剣までも遠くにはじき飛ばしてしまった。
相手の数手先を読んでいなければできない動きだ。誠に見事な腕前である。
「器用ですね、あのランナー。たしか名前はユウキ……ユウキタカノでしたっけ。あれはもう既に1STリーグレベルですよ。1STリーグの下位チーム相手なら勝負が成立すると思います。」
ドギィは独り言のように呟く。
その独り言にフォシュタルは同意するように頷く。
「そうだなドギィ、だがお前も十分そのレベルに達している。だからこそ正式にトライアローのランナーになってほしいわけだ。」
フォシュタルはかけていたサングラスを外し、胸ポケットに入れた。そして真っ直ぐな眼差しをこちらに向けて再びこちらに語りかける。
「……どうだ、一緒に上を目指してみんか?」
『上』とはなんだだろう。
フォシュタルに急に言われ、ドギィは上階の客席のことを思い浮かべたが、そんな訳はない。……上とは上位リーグのことである。
「上を? もしかして1STリーグのことですか? そんな、トライアローは今までずっと辞退してきたんですよね、なんで今になって……もしかして自分のせいですか?」
「そうだ。ドギィがいる今だからこそ、再び我々は上を目指すことができる。」
買いかぶり過ぎだ、とは言えない。自分も自分の実力はよくわかっているし、これほどの実力があったからこそフォシュタルは自分をトライアローのランナーとして認めてくれているのだ。
しかし、ドギィはどうにも乗り気ではなかった。
「でも、メイルシリーズじゃとても無理です。それはフォシュタルさんだってわかっているでしょ
う? 自分が言うのも何ですけどメイルシリーズは昔自分が乗ってたVFより劣ります。上に行くならじっくり時間をかけて新しいVFを開発するべきだと思いますけど。」
「貯めに貯めた開発費もあるし、昔と違って優秀なスタッフも大勢いる。前のような鉄は踏まないつもりだ。」
いつにも増してフォシュタルはやる気に満ちている。一体どういうことだろうか。
フォシュタルの勢いに若干驚きつつ、ドギィは反対意見を唱え続ける。
「急にどうしたんですかフォシュタルさん、つい前まで『今のファンを大事にしたい』とか『2NDリーグが我々のホームグラウンドだ』とか言ってたじゃないですか。週刊誌で読みましたよ。あの写真写りは最高でしたね。」
「写真写りはどうでもいい。お前の答えを聞きたい。」
これ以上言い逃れはできないようだ。
「自分は……」
返答に困っていると、アリーナで大きな展開があったのか、観客が急に騒ぎ始めた。
<アカネスミレ!! なんと、武器を隠し持っていました!!>
武器を失い素手で試合を続けていたアカネスミレだったが、どうやら予備の武器を装備していたらしい。手には先程砕け散った物よりも短いが、似たような形状のブレードが握られていた。
それに対して、完全に丸腰のクリュントスは素手で戦うしかない。まさかここまでことごとく武器を使用不能にさせられるとは思っていなかったのだろう。クリュントスは残された外装甲でアカネスミレの攻撃をひたすら防いでいた。
予備の短いブレードも超音波振動機能を搭載しているのか、クリュントスの頑丈な装甲を容易く削り取っていく。
<クリュントス、防戦一方です!! まさかこのまま終わってしまうのか!?>
<丸腰では辛いですな。こうなると、辛抱強く反撃のチャンスを伺うより他ないでしょう。>
解説者の言うとおり、クリュントスは身を縮めてアカネスミレのブレードを受け続けている。
……しかし、いつまでも怒涛の剣戟を防げるはずもない。
アカネスミレはブレードの柄をクリュントスの懐に潜り込ませ、腕の付け根部分を抉った。そのせいで腕の出力が低下し、ダメージを与えた部位がコックピットに近かったこともあり、クリュントスの動きが鈍ってしまう。
その隙にアカネスミレはクリュントスの上に飛び乗った。そしてブレードの刃を下向け、脳天めがけて両手で持ったそれを勢い良く差し込んだ。
アカネスミレのブレードは、抵抗など感じさせないほど滑らかにクリュントスの頭部に突き刺さる。
頭部に多大な損傷を受けたクリュントスはすぐに機能停止し、頭にブレードをつけたまま前のめりに倒れこんだ。
そしてすぐさま実況者の叫びともとれる声がスタジアム中のスピーカーから発せられる。
<決まったあああ!! ユウキ選手の勝利です!!>
あまりにも大きな声だったため、自動で音量調整が行われ、続いて控えめな声が聞こえてきた。
<……いったいアール・ブランに何が起こっているのか、この強さは異常です!! 常に下位だったあの弱いチームの面影すらありません!! >
実況者に続き、解説者も珍しく興奮気味に話す。
<昨シーズンのダークガルムといい、最近は驚くことばかりですなぁ。この年になっても楽しめるVFBは最高だと再確認しましたよ。>
<これでアール・ブランは昇格リーグに進むことになります。ユウキ選手、おめでとう!!>
アリーナではアカネスミレのランナー、ユウキタカノがコックピットから身を乗り出して手を振っていた。スタジアム中の巨大モニターにもその様子が映しだされており、画面下には昇格リーグ進出を祝福する内容の文字が流れていた。
フォシュタルは、ドギィの返事を忘れて試合に集中していたらしい。目を丸くしてアリーナの光景を見ていた。
「ほぉ、観客席がこんなに迫力あるとは知らなかったな。」
「そうでしょう。アリーナに近い席はもっと臨場感があると思います。今度も見に来たらどうです?」
「そうだな、来シーズンも……と言いたい所だが、お前の返答次第だ。」
1STリーグに進めばもうここで観戦することはないということらしい。
フォシュタルの決意はひしひしと伝わっていたが、ドギィはその思いに応えられないでいた。
「やっぱり無理です。正式なランナーにはなれません。このままでいいじゃないですか、何が不満なんですか、失敗したらどうするんですか……。」
「なに、失敗するかどうかは挑戦してみないとわからないだろう。それに、何度も言うが、ランナーがお前なら大丈夫だ。」
「持ち上げ過ぎじゃないですか? 昇格してぼろ負けしても自分は責任持てないですよ。……というか自分は正式なランナーにはなれません。自分にはその資格がないんです。だって自分は、だって自分は……。」
――人殺しですから。
そう、自分は人殺し、つまりは殺人者である。
その数も1人や2人ではない……優に20を越える。怪我を追わせた人数に至っては3桁に届いているかもしれない。半分事故のようなものだが、殺したことに変わりはなく、その事実は決して消えはしない。
この件が公になればトライアローの評判はガタ落ち、それどころか運営権を剥奪されるだろう。そんな過去を背負った自分が堂々と表舞台に立つことは許されない、許されるわけがないのだ。
「何度も言うが、あれは全部事故だ。……まぁ、すぐに返事を聞くのも悪いな。まだ時間もあるし、よく考えておいてくれ。」
フォシュタルはそれだけ言うと出口へと向かっていく。ドギィに断られて残念だったのか、それとも誘ったことを後悔しているのか、その背中は物悲しそうに見えた。
(フォシュタルさん……。)
ドギィは複雑な思いでそれを見ていた。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
ドギィにはかなりつらい過去があるようです。昔、VFに乗っていたようですが、何をしていたのか気になるところです。
次の話ではいつも通りのメンバーがメインになります。
今後ともよろしくお願いします。