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【剣の舞】第三章

 前の話のあらすじ

 結城はラスラファンとトライアローの試合を観戦し、ラスラファンのVF『パルシュラム』の装備を知ることとなる。

 それは2本の『透明なブレード』に『布状の特殊装甲』という厄介なものだった。

 その後、ラスラファンのハンガーにてアザムと再び対面し、アザムが尚もこちらに敵意を向けていることを確認した。

 それから一週間後、結城は弱小チームのレイジングマキナとの試合で圧勝する。

 そして試合後、結城は諒一に男子学生寮で行われるパーティーに招待された。

第3章


  1


 クリスマス当日、キルヒアイゼンのビルではチームメンバーのみで小さなパーティーが開かれていた。

 パーティーはラボが会場となっており、広い空間は控えめに飾り付けられている。

 ラボ内には落ち着いた雰囲気が漂っており、大人数で馬鹿のように騒ぎまくる陽気な趣向のものではないようだった。

 ラボに持ち込まれた長机には小綺麗なテーブルクロスが掛けられ、その上にはケーキなどのお菓子が沢山入った皿がのせられている。

 ……ツルカはその皿からスティック菓子を取り口へと運ぶ。

(うわ……甘い。)

 確か、これは北米発祥のお菓子だ……こんな物を大量に食べていれば簡単に太るのも無理はない。

 いつもユウキと一緒にリョーイチの淡白な料理を食べているせいか、そんなに甘くないお菓子でも今はかなり甘く感じられる。

(すっかり味の志向がヘルシーになってしまったな……。)

 ツルカは特に体重などは気にしたことはないが、自分の体を上から見下ろしてみる。

 すると、自分の体型を見る前に赤色のドレスが目に入った。

 ……これはお姉ちゃんに無理やり着せられたものだ。

 このドレスのせいで足の動きは大幅に制限され、おまけに生地もデリケートなため激しい動きもできない。

 そのため、この格好でイクセルを殴ったりすることは出来そうになかった。

 ツルカとは違って、これを着せた本人であるオルネラは至ってノーマルな格好をしており、もっと言うと、こんな物を着ているのはラボ内でツルカだけであった。

 1STリーグの試合の他にもイベントなどが混んでて忙しいのもわかるが、こんな日くらいはもう少し派手にやってもいいのではないだろうか。

 オルネラに小綺麗なドレスを着せることくらい、チーム責任者の妹の自分なら提言しても不思議ではないのだが、それは無理な相談だった。

 なぜならば、ツルカはオルネラと会話できない状況にあったからだ。

 ……お姉ちゃんは今、ボクの背後5メートルの位置にいる。

 これは、声をかければすぐに反応が返って来る距離だ。

 しかし、ツルカはなかなか話しかけられずにいた。

(何て話しかけようか……。駄目だ、思い浮かばない……。)

 セリフが浮かんでは消えていく。

 思考の渦にはまったツルカは無意識のうちにカロリー豊富なお菓子をパクパクと食べ続けていた。

 しばらくそうしていると、オルネラがイクセルに話しかける声が聞こえた。声は小さく距離もあったが、お姉ちゃんの声ならば距離など関係く聞こえる。

 ツルカは聞き耳を立て、その会話に集中する。

「イクセルさん、イクセルさん……ちょっといいですか?」

「なんだい?」

 オルネラに呼ばれたイクセルは、ケーキの乗ったお皿を片手に応じた。

 イクセルとの距離が十分に縮まると、オルネラは早速話し始める。

「イクセルさん、ツルカちゃんの様子おかしくありません?」

(ボクが……?)

 どうやらこちらについての話らしい。

 ツルカはお菓子に伸ばした手を引っ込め、さらにその会話に神経を向ける。

「……そうかな、確かにいつもよりもおとなしい気はするけど。」

「そうですよね。……まだあの時の事を引きずっているのかも……。」

 “あの時”とは昨日のことである。

 昨日はつい口論となりお姉ちゃんにひどい事を言ってしまったのだ。先ほど、話しかけづらかったのもこれが原因である。

 イクセルはオルネラほど深刻に思ってないのか、軽い口調で答える。

「そろそろ思春期だし、悩み事の一つや二つでもあるんじゃないかな。」

「どう考えたって昨日のことですよ!!」

 オルネラはイクセルの反応に対し不満があるのか、もどかしげに両手の拳を上下にふる。

 姉の事をよく知っている自分ならば、あの動作が怒りを表現しているということが分かる。しかし、周りから見れば、エキサイティングに喜んでいるようにしか見えないだろう。

 両手を振り終えると、オルネラはイクセルにさらに詰め寄った。

「少しは真面目に考えてください。……ツルカちゃんは私たちよりも悩んでるに違いないんですから。」

「ごめんごめん、悪かったよ。」

 イクセルが相変わらずの気楽な雰囲気で謝ると、オルネラはため息混じりに言う。

「……私から謝ったほうがいいんでしょうか?」

「それがいいよ。こうやって考えていてもツルカが元気になるわけでもないからね。」

「わかりました。そうします……。」

 オルネラの言葉を最後に会話は終了し、すぐにオルネラがこちらに向かって真っ直ぐ歩いてきた。

(どうしよう、お姉ちゃんがこっちに……。)

 ツルカはオルネラの足音を聞くたびに心拍数が上昇するのを感じていたが、

「ツルカちゃん、お話があるんですけど……」

 と、話しかけられると一気にそれはおさまった。

「……なに?」

 ツルカは会話を盗み聞きしていない風に装い、自然な感じで振り向く。

 あちらが謝る前にこちらから謝罪してしまおうとも考えていたのだが、いざオルネラを前にすると、思うように口が動かなかった。

 それはオルネラも同じだったらしく、謝罪とは全く無関係な言葉を投げかけられる。

「あの、その……学校のこととか色々聞きたいな……なんて。」

「……。」

 なかなか謝罪の言葉が出ないということは、お姉ちゃんは昨日のことを無かった事にしたいのだろうか。ボクがあんなひどい事を言ったという事実から目を背けたいのだろうか。

(ごめん……。)

 そのことに気付き、ツルカは謝ろうにも謝れなくなってしまう。

 それに、ここで謝ってしまえば今まで自分がやってきたことが無意味になる気がした。

 お姉ちゃんの元を離れて企業学校に入学し、一人でやって行くと決めたのだ。今更ユウキや、アール・ブランのことをほっぽり出してキルヒアイゼンには戻れない。

 和解するにしろ、あちらが先に謝罪するのが絶対条件であり、いくら大好きな姉だとはいえ、これを譲ることはできなかった。

 ……2人の間に沈黙が続く。

「……。」

 いたたまれなくなったツルカはオルネラから顔を背け、ラボの出口へと踵を向ける。

「ツルカちゃん、どこに……?」

「……トイレ。」

 ツルカは背を向けたままオルネラに嘘を付く。

 そこからラボを出るまでオルネラは何も言わず、そしてこちも振り向くことはしなかった。



 そこそこ賑やかなラボを出て、ツルカは人気のない通路を通り、人気のない場所へ向かう。

(わかってても辛いな。)

 親しい姉と離れるのは辛い。心も痛む。

(でも、何時までも甘えてちゃ駄目だ。ボクは一人で頑張るって、そう決めたんだから……。)

 お姉ちゃんがイクセルと結婚してもう3年になる。

 妻は夫と仲良くするのが当たり前で、妹であるボクが夫以上に愛されるのはあり得ない話だ。

 いつかはイクセルも引退し、それをきっかけにお姉ちゃんもVFBからも身を引くかもしれない。

 そのとき、ボクは一人になる。

 いつまでもお姉ちゃんと一緒にいられはしないのだ。

 ……ならば今のうちから独りに慣れていたほうがいい。

 幸いにも、ボクにはユウキがいるし、例えお姉ちゃんがイクセルと一緒に遠くへ行ったとしても、孤独なまま過ごすようなことにはならないのだ。

 ユウキと出会わなければ、今頃ボクはどうなっていたのだろうか。想像したくもない。

「ふぅ……。」

 気付くと、明かりの付いていない真っ暗な通路を歩いていた。

(……ここ、どこだろう。)

 我に戻りツルカは足を止める。

 階段を登った記憶はないが、ラボのある地下の階ではないらしい。

 それを証明するように窓からは外の様子が見えていた。

 外は暗く、灯りを放っているのは街灯と、空に浮かぶ月と星だけだ。……あと数時間もすれば街灯も消えるだろう。

 ツルカは通路の窓側の壁に背を向け、その場に膝を抱えて座り込む。

 ドレスの生地が薄いせいか、通路の床に座るとひんやりとした感触がお尻を通じて伝わってきた。

(……去年のクリスマスはどうだったかな。)

 ツルカはなんとなく去年のことを思い出す。

「そうそう、去年は海水浴に……」

 海水浴というワードをきっかけに、ユウキやアール・ブランのメンバーと共にいったリゾートのことが脳裏をよぎる。

「おかしいな……。なんでお姉ちゃんじゃなくてユウキが……。」

 こうやって、新しくできた楽しい思い出に、過去は塗りつぶされていくのだろうか。

 ついさっきまではお姉ちゃんのことを忘れようと思っていたのに、いざ忘れてしまうと戸惑いを隠せない。

 ツルカは抱えた脚をさらに引き寄せ、膝の間に顔をうずめる。

「……つらいな、ホント……。」

 一生会えなくなるわけではない。

 離ればなれになるわけでもない。

 少しだけ、ほんの少しだけ姉との関係が希薄になるだけだ。

 絶縁するわけでもない。

 死別するわけでもない。

 ただ、会える時間が少なくなるだけだ。

 ……ただそれだけのことが、なぜかこんなに苦しい。

 お姉ちゃんと会えなくなるだけでこんなに苦しいのだ。失恋した人はどれだけ苦しいのだろうか。

 それを考えようとした矢先、目の前から男性の声がして、ツルカの思考は妨げられてしまう。

「ツルカ、こんな所でなにしてるんだい。みんな心配してるよ。」

 声に反応してツルカは反射的に顔を上げる。

 ツルカの目と鼻の先、正面にいたのはイクセルだった。

 この男がお姉ちゃんを好きにならなければ……と考えたこともあったが、それは問題を先送りにするだけであって、根本的な解決にはならない。

 それをわかっていてもツルカはイクセルのことを好きにはなれないでいた。

 イクセルはこちらに手を差し出し、やさしく話しかけてくる。

「会場に戻ろう。せっかくのかわいい服も、みんなに見せないと勿体無いよ。」

「……。」

 この憎ったらしい優男のどこがいいのだろうか、この点に関してはお姉ちゃんやファンの思考が理解出来ない。

 無視し続けこともできず、ツルカはぼそりと呟く。

「……ボクは戻らないぞ。」

「そう言うと思った。」

 イクセルは身を翻すと、隣に座ってきた。

 隣の空間に留まっていた空気がイクセルに押し出され、風となってツルカに届く。

「ほら、お菓子も持ってきたんだ。」

 イクセルはそう言いながらこちらの目の前に包装されたお菓子を並べていく。

「……いらない。」

 お菓子ごときでこのボクが釣られるとでも思っているのだろうか。

 こちらが拒否してもイクセルは大量に持ってきたお菓子を提示し続ける。

「これはどうだい? 確か大好物だっただろう?」

「別に好きじゃない。」

「あれ、そうだったかな……。」

 イクセルは悠長な態度で以て会話を続けようとしていた。

 しかしこちらはお姉ちゃんのことで頭がいっぱいで、イクセルにかまっている暇はない。

 ……というか、暇があってもイクセルと会話するつもりはない。

 だが、次に発せられた言葉には反応せざるを得なかった。

「こんなに近くにいて殴られないのは久し振りだね。昔を思い出すよ。」

 ツルカは今まで背けていた顔をイクセルに向け、同時に拳に力を込める。お望みどおり拳を叩きつけようかと考えていたのだが、屈託の無いイクセルの笑顔を見て拳を引っ込めた。

「ボクだって好きで殴ってるわけじゃない。」

「それは知ってる。」

 そのセリフと同時にイクセルはこちらの頭に手を載せ、犬を撫でるような勢いでわしゃわしゃと動かす。

 そのイクセルの手ひらの予想外の大きさにツルカは驚く。

 手の感触もこちらのイメージとは違いゴツゴツとしていた。仮にもVFランナーなので当然といえば当然なのだろう。

 ツルカはその手を払いのけるのも忘れて大人しくそれを受け入れていた。

(……。)

 ユウキの手とはまた違った感触だ。ユウキの手は髪をすくような感じで、細い指がやさしく頭部全体を満遍なく這い、心地が良い。

 そんなユウキの手とは違い、イクセルの手は髪ごとこちらの頭を力強く撫でていた。……目隠しされた新人のマッサージ師でもここまで下手に頭を撫でることは出来ないだろう。

 しかし、不思議と不快さは感じられなかった。

 ツルカはイクセルにされるがままになっていたが、しばらくすると急にその手が止まった。そしてイクセルがいつにもない真剣な声でこちらに問いかけてくる。

「僕を殴ったり、勝手にダグラス企業学校に入学したり、それに家出まで……この前もわざと嫌われるようなことを言っていたし、いったいどういうつもりなんだい?」

「……。」

 ツルカは表情を固くして口を閉ざす。

 ……実はを言うと、ツルカはろくな相談もなしにダグラス企業学校に入学したのだ。

 イクセルは尚も問うように喋りかける。

「オルネラはずっとツルカのことを心配してるよ。」

「……。」

 お姉ちゃんを安心させるためにもボクに学校をやめろということなのだろうか。

 今までこんな話はしたことがなかったのに、なぜ今になってこの話を持ち出したのか……。

(本当に、本気で心配してるんだろうな……。)

 黙っていても解決しない。

 ツルカも自らの考えを洗いざらい吐くことにした。

「……ボクだってVFBで試合がしたい。」

 それはツルカの本音であった。

 ツルカは間を置くことなくイクセルに訴え続ける。

「でも、イクセルがいるキルヒアイゼンで試合に出るのは無理だ。それに、お姉ちゃんだってきっと反対する。」

 余程のことがない限り、VFB公式リーグでツルカがファスナを操作できる機会は訪れない。

 時間が経ってイクセルが衰えれば試合に出られるようになるかもしれないが、それは何年先になるか、知れたものではなかった。

 だから自らキルヒアイゼンを離れることを選んだのだ。

「ボクは一人で頑張る。頑張ってチームを作って、それで試合に出る。」

 自分でも無理のある無謀な計画だと思う。

 イクセルも同じことを思っているようで神妙な面持ちをしていた。

「……頑張るっていっても、一人じゃ限界があるんじゃないかな。」

 イクセルは頬を掻きながら言葉を続ける。

「それに、チームを作れたとしても、もう試合には絶対に出場させないよ。オルネラとの約束だからね。」

「そうやって、イクセルもお姉ちゃんもボクを子供扱いして……。これじゃ一生VFBに出場できないじゃないか。」

「そうか、それでオルネラにわざと嫌われるようなことを……。」

 イクセルは座ったまま深く、そして何度も頷く。

「ダグラス企業学校に家出、……ツルカも色々考えているんだな。」

 イクセルは納得したような口調で言うと、再びこちらの頭の上に手を乗せた。今度はその手を払いのけようとしたが、

「うん。それでいいんじゃないかな。」

 予想外のイクセルの言葉のせいで、手を退かせることが出来なかった。

「へ?」

 ツルカはいきなり考えを反転させたイクセルに「何で?」と言わんばかりの表情をみせる。

 イクセルはこちらではなく正面に顔を向け、遠くを見るような目で態度を変えた理由を話す。

「……別にやけくそになってキルヒアイゼンを飛び出したわけじゃないんだろう? それに、たまに顔を見せに帰ってきてくれてるじゃないか、怪我も病気もしてないようだし、前よりもイキイキしてる。ちゃんと将来のことも考えてるし、……その歳でこれなら上出来だよ。」

 イクセルに褒めちぎられて、ツルカはうれしさを通り越して逆に不安になる。

「僕なんかいつも怪我をしてる上、実家には年に一度帰られたらいいほうさ。」

 そう言ってイクセルは苦笑した。

 お姉ちゃんとの結婚がトラブルだらけだったことを考えると、イクセルも家族に関してはそれなりに問題を抱えていると考えるのが自然である。

 すぐに苦笑いをやめ、イクセルはのんびりとした、こちらを安心させるような口調で話す。

「ツルカが元気でいてくれれば、僕もオルネラもそれで満足なんだ。だからわざわざ嫌われるような事をする必要はないんだ。」

(そうなのか……。)

 キルヒアイゼンから試合に出させることは出来ないが、こちらの事を真剣にサポートしてくれるということらしい。

 ……なぜ自分は独りで悩みを抱え込んでいたのだろう。

 別に悩む必要なんてなかったのだ。こちらの考えていることを打ち明ければそれで済む話だったのだ。もっと早くお姉ちゃんに「試合に出たい」と打ち明けていれば離れて暮らす必要もなかったのかもしれない。

 ツルカは何か解放された気分になった。

 ……悩みが減ったところで、ツルカは先ほどイクセルの言葉の中で気になったワードに関して意見する。

「『わざわざ嫌われるような事』って言ってたけど……ボクがイクセルのことを嫌いなのは本当だぞ。」

「え?」

 イクセルは間の抜けた声を出した。

 どうやら本気で嫌われていたとは考えていなかったようだ。

 ツルカにとってイクセルは親しい姉を奪い去った悪人である。ちょっとくらい慰められたからといって、その感情が消えることはない。

 唖然とするイクセルを見ながら、ツルカは立ち上がり、お尻についたホコリを払う。

 先程まで暗くて怖かった通路も今はなんともない。今なら目を閉じたまま全力疾走も出来る気がする。

 変な高揚感を心地良く感じつつ、ツルカはラボに戻るべく階下に繋がる階段に体を向ける。

「……お姉ちゃんに昨日のこと、謝ってくる。」

 こちらが決心して言うと、イクセルは預けていた背中を通路の壁から離し、ゆっくりと立ち上がった。

「そうかい、なら僕も……」

 言葉の途中でイクセルは体を折って激しく咳き込み始めた。

 こちらが心配する間もなく、その咳はすぐに止んだ。

「……なんだこの辛いお菓子は……ゴホッ。」

 イクセルの手には食べかけのお菓子が握られていた。

 どんなお菓子なのか気になりそれをイクセルの手から奪おうとしたが、イクセルはこちらの手を避けてどこかに向けて走っていく。

「ツルカはここで待っててくれ、僕も一緒に戻ってオルネラに色々説明するよ。」

「どこに行くんだ?」

「トイレだよ。ちょっと口をすすいでくる。」

 イクセルはいつの間にか取り出していたハンカチを口元に当て、通路の奥へと行ってしまった。

 一人残されたツルカは仕方なくイクセルが返って来るのを通路で待つことにした。

(ふぅ……。)

 再びツルカは通路に腰をおろす。

 床にはイクセルが置いていったお菓子が並べられており、ツルカはそのうちの一番大きなものを手に取ってパッケージを眺める。

「『はじける果汁!!ひろがる美味さ!!』……なんのお菓子だろ。」

 暗くて詳しくはわからなかったが、謳い文句から判断するに辛いものではなさそうだった。

 ツルカはベリベリと包装を破り、中に入っている球状の物体を口の中に入れる。

(……やっぱり甘い。)

 一口だけ食べると、ツルカはその袋を床に置き直した。

 他のお菓子も同じようにして一口ずつ食べていったが、どれも同じような味に思えた。……視覚情報も味を判断する上では大事な要素だということがよくわかる。

 ……しばらくお菓子の食べ比べをしていると、足音が聞こえてきた。

 どうやらイクセルがトイレから戻ってきたようだ。

(ずいぶん長かったな。)

 時計もなく時間も分からないが、結構待たされた気がする。

 イクセルがこちらのすぐ近くまで来ると、ツルカは待たされた恨みを晴らすようにイクセルに飛びかかった。

 ツルカはそのままラリアットして体にしがみつき、背後に回って首を締めるつもりだった。

 しかし、本来あるべき位置に首がなく、代わりにツルカの内肘に硬いものが当たる。

 ……それはおでこだった。

「きゃっ!!」

 同時にツルカの耳に女性の悲鳴が届いてくる。

 ツルカはそれを聞いてその人物がイクセルではなかったことに気がついた。

 首ではなくおでこに命中したのも、背が低かったからだろう。

 ……ツルカに押し倒され、その女性は背中から床に転げてしまう。

(あちゃー……。)

 “暗くてよくわからなかった”という言い訳では相手は許してくれないかもしれない。

 激怒されることを覚悟していると、聞き覚えのあるおっとりとした声が女性から発せられる。

「痛い……ツルカちゃん……。」

「お姉ちゃん!?」

 ツルカが襲いかかったのはイクセルではなくオルネラだった。

 いきなり妹に闇討ちされてオルネラはかなり動揺しているようだった。声は震え、今にも泣き出してしまいそうだ。

 ツルカは手をバタバタと動かして状況説明やら言い訳やらを早口で話す。

「これは、さっきのは違うんだ!! てっきりイクセルかと思って……お姉ちゃん大丈夫?」

 ツルカは倒れている姉の体を引き起こし、背中や後頭部に怪我をしていないか確認する。

「イクセルさんはいつもこんなのを受けてたのね……。」

 オルネラは片目をきつく閉じて、痛みに耐えているようだった。

 大きな怪我は無かったものの、姉に暴力を振るってしまったことにショックを受け、ツルカの額には大量の冷や汗が浮かんでいた。

「えーと、イクセルはちゃんとガードしてるから平気で……というかイクセルは嫌いだから痛くしても問題ない……じゃなくてお姉ちゃんは大好きで…………はっ!?」

 混乱していたせいで思いもよらぬ言葉が出てきてしまい、ツルカはすぐに両手で口をふさぐ。

 それを聞いたオルネラはこちらの右手を両手でつかみ、にっこりと笑ってみせた。

「……私もツルカちゃんのことが大好きだよ。」

「お姉ちゃん……。」

 ……やはりお姉ちゃんの代わりは誰にも務まらないな、と右手を通してツルカは強く感じた。

 お姉ちゃんの一挙一動が心に安らぎを与えてくれる。いわばオルネラはツルカにとって必要不可欠な存在であり、ただ会うだけでもかなり幸せな気分になれるのだ。

 どういった理屈なのかは分からないが、多分遺伝子にそうなるようにプログラムされているに違いない。

 ツルカは、そんな姉の元を離れて数ヶ月も過ごした自分に改めて驚嘆していた。

 こちらがじっとお姉ちゃんの顔を見ていると、お姉ちゃんが気恥ずかしそうにポケットから小さな紙袋を取り出し、こちらに差し出してきた。

「はいこれ。クリスマスプレゼント。」

「あ……うん。」

 ツルカはそのプレゼントを両手で受け取る。

 紙袋は真っ白で、中に入っているものが透けて見えるかと思ったが、周りが暗いせいで無理だった。重量は軽かったが硬いものが入っているようで、しっかりと形がわかった。

 試しに紙袋を振ってみるが音はしない。複雑な作りのものではないようだ。

「開けていい?」

「どうぞ。」

 ツルカは紙袋についていたリボンを丁寧にほどき、紙袋の口を開ける。そして紙袋を逆さにして、中身を手のひらに出した。

 袋から出てきたのは、黒い光沢のある金属製のリングだった。

 しかしただのリングではなく、留め具が付いていることからブレスレットだと判断できた。

 そのブレスレットは軽くて頑丈な金属でできており、ちょっとやそっとでは壊れそうにない。

(なんだろ、これ……?)

 よく見ると、側面には型番のような番号が掘られてある。

 ……このブレスレットはVFのパーツを再利用して作ったもののようだ。

 ということはお姉ちゃん手作りのブレスレットなのだろうか。 

 そのブレスレットとお姉ちゃんの顔を交互に見ていると、お姉ちゃんはこちらの手からブレスレットを取り上げ、留め具に手をかける。

「ツルカちゃん手を出して。私がつけてあげる。」

「うん。」

 留め具は凝った機構をしていて、オルネラが触るとブレスレットの直径が一気に2倍くらいに広がった。

 そのままオルネラによってツルカの左手にブレスレットが通される。

 ブレスレットは手首の位置までくると、再び元の大きさに戻り、ツルカの手首に巻きついた。

 オルネラはツルカの手首を様々な角度から観察する。

「うん、似合ってるよ、ツルカちゃん。」

「お姉ちゃん……ありがと。」

 サイズはぴったりで、手首を曲げたり捻ったりしても違和感は全く感じられなかった。

 ツルカはしばしの間、自分の腕についたブレスレットをうっとりとした表情で見つめる。

(きれいなブレスレットだ……。)

 お姉ちゃんからは何度もプレゼントを貰っているが、アクセサリーを貰ったのはこれが初めてだ。アクセサリーといえば大人が身につける物である。

 ……ようやくお姉ちゃんもボクのことを大人として認めてくれたみたいだ。

 ツルカはオルネラに手作りのプレゼントを貰い、歓喜に浸っていたが、すぐに重大な事実に気がつく。

「ごめんお姉ちゃん、……ボク、何も用意してない。」

 他のことに気を取られていたせいで、プレゼントのことをすっかり忘れていたのだ。

 しかし、オルネラは全くそれを問題にしていないようで、

「いいの。ツルカちゃんからはついさっき貰ったから。」

 と言うと恥ずかしげに視線を背けた。

「?」

 いったい自分はお姉ちゃんに何をあげたのだろうか。 

 その後何回質問しても、お姉ちゃんは頬を緩めて笑うだけで、何を貰ったのかを答えることはなかった。


  2


 ツルカがキルヒアイゼンでパーティーをやっている頃、結城は諒一との約束通り、男子学生寮に来ていた。

 男子学生寮はいつにも増して騒がしく、楽しげな会話や、指笛の音や、叫び声が聞こえていた。

 アルコール無しでここまで騒げるのは若さ故のことだろう。

 そんな騒ぎの声を遠くに聞きながら、結城は諒一と二人きりで暗闇の中にいた。

「駄目だ諒一、こんなところで……。」

「頼む結城。ここまでやったんだ。準備もちゃんと出来てる。」

「ムリだ……やっぱり恥ずかしい。」

 男子学生寮に到着して5分もしないうちに結城は諒一に服を脱ぐように言われ、そして今は諒一に両腕を捕まれていた。

 諒一はこちらの腕を強く掴んだまま説得するように言う。

「恥ずかしいのは分かってるが、ここまで来て引けるわけがないだろう。……さすがにもう我慢できない。」

「諒一は本当に強引だな……」

 パーティーがあると聞いてそれなりに可愛い服を着ていのだが、その服はカーペットに散らばっており、脱ぎ捨てられた状態になっていた。

 せっかく慎重に選んだのに、これでは着て来た意味が無い。

 こちらがもじもじしていると、いきなり諒一が強引にこちらの身を引きよせた。

「……行くぞ。」

 とうとうこの時が来てしまったらしい。

 まだ納得のできない結城は、諒一の力に負けじと体を踏ん張らせる。

「ちょっと待った、どっか破けてない? ちゃんと確認した?」

「大丈夫だ。それにちょっとくらい穴が開いていても問題ない。」

「問題ないわけ無いだろ!! ちゃんと確認を……」

「それなら自分で触って確認してみればいい。」

「こんなに暗いのに分かる訳ないだろ!! ……一度明灯りをつけて入念に確認を……」

「もう時間がない。いいから行くぞ。」

 必死の抵抗も虚しく、諒一は強引にこちらの腕を引いて体を大きく前へ移動させる。

「ちょ、まっ……こころの準備が、あぁ……。」

 結城は諒一の力に負け、諦めたようにため息を付いた。

(あぁ、まさかこんな事になるなんて……。)

 後悔したところでもう遅い。

 ……結城は暗い更衣室から外へと引き出された。

「もう始まってる。急いで会場に向かうぞ。」

「分かったから、……手を引っ張るな。」

 結城はランナースーツを着用させられていた。

 それは試合の時に着るものとほとんど同じタイプのもので、相変わらず身体のラインがよくわかるデザインをしている。

 諒一が自分の部屋に私を呼んだのは、先にランナースーツに着替えさせるためだった。

(来るんじゃなかった……。)

 そしてこのままの姿でパーティーに参加させられるのだ。

 恥ずかしいどころの話ではない。

 立場が立場なら立派なセクハラ行為である。

(これ、ちゃんと許可貰ってやってるんだろうか……。)

 男子学生寮に女子学生が入っていいのかと考えたが、以前にも諒一の部屋に入ったことはあるし、女子学生寮よりも規則が緩いのかもしれない。

 それに『女子学生』としてではなく『VFランナー』として招待されれば規則違反ということにはならないかもしれない。

(……だから鹿住さんも招待したのか。)

 チームスタッフを同行させれば『VFランナー』として招待したことに対する説得性が増す。

 そんなことを考えている間も、結城は自分の体をぺたぺたと触り、どこかスーツに破けている箇所がないか確認しながら廊下を歩いていた。

 階段に差し掛かったところで、結城は根本的な疑問を諒一に投げかける。

「……なぁ、これ着る必要あったのか?」

 結城がランナースーツを指差して不服そうに言っても、諒一が態度を変えることはなかった。

「この日のために部屋を更衣室に改造した。……それにランナースーツだってただで作れるわけじゃない。せっかく結城に着せるために学生で用意したんだ。着ないと申し訳が立たない上、もったい無いだろう。」

「学生で用意って……これ作ったのか……。」

 学生の手作りと聞くと、余計にどこか破けていないか心配になってくる。

 諒一はこちらに背を向けたまま話し続ける。

「第一回男子学生寮クリスマスパーティーの記念すべきゲストだ。このくらいのインパクトがあったほうがみんなの記憶に残る。」

「なんだかなぁ。」

 ランナーだからランナースーツを着て登場する、というのは何とも安直な考えである。

 しかし、結城も所詮は2NDリーグのランナーだ。なので、学生全員がこちらの存在を知っているわけではない。

 それほど2NDリーグは1STリーグに比べて認知度がかなり低いのだ。

 もし知られていたとしても、VFの名前やチーム名だけだろう。

 ……諒一が言うには、エンジニアリングコースの学生の興味の対象は『VF』それ自体であり、それを操作するランナーにはあまり興味がないらしい。

(それにしても……やっぱり恥ずかしいな。)

 スタジアム内では普通に過ごせるのだが、それ以外の場所でランナースーツ姿でいるのはとても落ち着かない。

 試合後の勝利者インタビューでは恥ずかしさを感じることなく普通に受け答えできている。

 それは試合後すぐに行われ、まだ興奮状態だからあまり恥ずかしさを感じていないのかもしれない。

 平常心どころか、緊張しきっている今の状態で大勢の前に姿を晒すのは結城にとっては無謀なことのように思えた。

「着いたぞ。早く中に入ろう。」

 嫌なことを想像しているとすぐに会場に到着した。

「……うん。」

 短く返事をすると、結城は諒一に続いて会場の中に足を踏み入れた。

 ……パーティーは1階にある食堂で行われており、食堂は派手に飾り付けされていた。

 結城はそんな飾りに目を向ける余裕もなく、緊張したまま食堂の奥へと進んでいく。

 奥には少し開けたスペースがあり、諒一はそこを目指しているようだった。

「少し遅れましたが、ようやく特別ゲストの登場です。」

 会場の中ほどまで来ると、司会の声がマイクを通じて食堂内に響き渡った。

 それを聞いた男子学生の視線が、一斉にこちらに向けられる。 

(う、見られてる……。)

 今すぐにでも回れ右して帰りたい気分だったが、諒一との約束を無下にするわけにはいかない。

 結城は視線に耐えて諒一の背中を追って進む。

「拍手でお迎えください!!」

 学生達は司会の声に反応し、激しい拍手をこちらに浴びせる。結城は軽くお辞儀をしながら学生の間を通って司会者のいる場所まで移動した。

 司会者がいる場所は少しだけ高くなっており、結城は段差につまづかないように注意をして壇上に上がる。

 壇上から会場内を見渡すと、そんなに多くの学生がいるわけではないということに気付いた。

(なんだ、思ったよりも小さなパーティーだったのか……。)

 スタジアムの観客に比べれば圧倒的に数は少なく、結城は少しだけリラックスすることができた。

(学生がやってることだし、所詮こんな物だよな。)

 自分の心配が取り越し苦労だったことに安堵しつつ、結城は諒一に指示された場所で止まる。

「……おい、あれ誰だっけ?」

「ランナースーツ着てるし、ランナーじゃねえの?」

「どっかで見た事あるんだけどなぁ、思い出せないなぁ……。」

 結城が壇上に登場すると拍手は止み、代わりに会場からは学生同士がひそひそと話す声がし始めた。

 ……大方、私が誰なのかを話し合っているのだろう。

「ゲストのご紹介をさせていただきます。」

 しばらくすると準備が整ったようで、司会進行役の学生が喋り出す。

「我がダグラス企業学校の学生にして、チームアール・ブランの若き女性VFランナー、タカノユウキさんです。」

 紹介が終わると同時に、司会の学生からマイクを渡される。

「何か一言、お願いいします。」

「あ、はい。」

 紹介されたときに再び起こっていた拍手が終わると、結城はタイミングを見計らって会場に向けてあいさつをする。

「えー皆様、本日はこのような素晴らしいぱーてーにお呼びいただき感謝しています。」

 結城は事前に用意していたセリフを、若干棒読み気味で言う。

「私はランナーですが、同時にここの学生でもあります。ですから気軽に話しかけてください。……今日は皆さんと一緒に楽しい時間を過ごせることを願っています。」

 言い終わると、結城はマイクを司会の学生に返した。

 司会の学生は特に何もコメントすることなくパーティーを進行させる。

「えー続きまして、アール・ブランからもうひと方お呼びしております……カズミさんです。」

 司会に呼ばれ、鹿住は何処からともなく壇上に現れた。

 鹿住は片手に料理の乗った平皿を持っていたが、壇上に上がると同時に、司会の学生によって取り上げられてしまう。

 しかし、まだ口はモゴモゴと動いており、料理を咀嚼しているようだった。

(鹿住さん、やっぱり来てたんだ……。)

 結城の恥ずかしい格好とは違い、鹿住はフード付き白衣に踝丈のスクラブパンツという普段どおりの格好をしていた。

 鹿住を知らない人間にとっては少し奇っ怪な格好に見えるかもしれないが、恥ずかしくない分、こちらよりはましな格好であることは確かだ。

 口に中に残っていた料理を飲み込むと、鹿住は透き通った声で短くあいさつをする。

「どうもこんばんは。」

 ……会場に「何なんだコイツは?」という空気が流れる。

 それは司会の学生も同じで、学生達の気持ちを代弁するかのように鹿住に説明を求めた。

「詳しい話は聞いていないのですが……カズミさんは何をしている方なのでしょうか。」

 そう言って司会の学生は申し訳なさそうにマイクを鹿住に向けた。

 口元に向けられたマイクを半ば強引に奪うと、鹿住はてきぱきと説明していく。

「今はVFの管理、メンテナンスや改良……ほとんどのことはやっています。」

 マイクを奪われた学生は慌てることなく、懐からスペアのマイクを取り出す。

「そんなに幅広くやっておられるのですか。」

「はい。アール・ブランに来る前はVFの設計から研究開発までしていたので、そういった知識も十分ありますし、特に困ることはありません。」

「なるほど設計も……設計ですか!?」

 鹿住がVF関連のエンジニアで、しかも研究者であることが分かり、学生達は鹿住に興味を持ち始めているようだった。

 そして、鹿住の次の一言がそれに拍車を掛けることとなる。

「ええ、アカネスミレも私が設計しました。」

「!!」

 鹿住の言葉に会場がどよめいた。

 会場の異変に気づいたのか、鹿住は声のトーンを落とす。

「どうかしましたか? 何かいけないことでも言ってしまったのでしょうか。」

「あの、アカネスミレってアール・ブランの赤いVFで間違いないですよね?」

 司会の学生の質問に、鹿住は丁寧に答える。

「間違いないです。……アレを一人で作るのはかなり苦労しました。」

 その言葉をきっかけに、会場中の学生が前に押し寄せ、すぐさま鹿住の周りに学生の人だかりができた。

 鹿住は一瞬にして学生達の人気を集めてしまったようだ。

 結城はその男子学生たちに押し出されるようにして壇上から降り、その学生の塊から距離を取る。

(そういや、ここの大半はエンジニアリングコースの学生だったな……当然の反応か。)

 諒一の言った通り、本当にVFにしか興味がないらしい。そのVF設計者である鹿住は、まさに学生達の目指す人物であり、尊敬の対象なのだろう。

 結城も鹿住のことはすごい人物であると認識していたが、ここまで学生の人気を集めるとは想像もしていなかった。

「どうだ結城、心配する必要もなかっただろう。」

 諒一は学生に群がられている鹿住を見ながらこちらに話しかける。

 もともとランナーに興味のない学生に、ランナースーツ姿を見られても全く問題なかったとでも言いたいのだろうか。

(あれ? なんでだろう。すっごいくやしい……。)

 VFランナーは言わばチームの看板のようなものである。

 自分は無視され、代わりに鹿住が注目されてしまっては、ランナーである自分の立場はどうなってしまうのか。

 なんとも複雑な心境だった。

 難しい表情で俯いていると、いきなり少年の声が聞こえてくる。

「結城さん!! 昨日の試合すごかったです。」

 すぐ近くに槻矢がいて、目を輝かせてこちらを見上げていた。

 これがランナーに対する普通の反応だ。……エンジニアリングコースの学生の反応がおかしいだけなのだと結城はほんの少しだけ現実逃避することにした。

 彼は13歳にしてダグラス企業学校に入学した日本人である。

 結城やツルカと同じVFランナー育成コースに所属しており、あまり会話する機会はないが、ほぼ毎日顔をあわせている。

 結城は自分を慕ってくれている槻矢に感謝しつつ、礼を言う。

「応援どうもありがとう。」

「これで3勝2敗、昇格トーナメントに行ける可能性も出てきましたよ!!」

 槻矢は嬉しそうにこちらに報告し続ける。

「『アール・ブラン』が『ラスラファン』に勝って、『クライトマン』が『トライアロー』に負ければ……上位2チームに入るかもしれません。」

 結城は“昇格トーナメント”というものの存在を知ってはいたものの、詳しいことは知らなかったので槻矢に聞き返してみることにした。

「昇格トーナメント?」

「はい、出場できるといいですね。」

「……。」

 しかし、槻矢からは思ったような答えを聞き出すことが出来なかった。

 またしてもこちらの思っていることがバレたようで、槻矢の代わりに近くにいた諒一が説明し始める。

「……現在、VFB委員会が認可している2NDリーグは世界で4箇所開催されている。1STリーグに昇格するためには、そこから各上位2チームが出て、合計8チームによるトーナメント形式の試合で『優勝』する必要がある。」

「へぇ……。」

 結城は、昇格するチームは、過去の試合の結果やこれまでの勝率、そして技術力や資金力などから総合的に判断して決定するのかと思っていた。

 しかし、これならば散々負けてきて、貧乏なアール・ブランでも可能性はあるということだ。  

 意外と単純なシステムに結城が驚いていると、槻矢がこちらの顔を不思議そうに覗き込んできた。

「結城さん、もしかして知らなかったんですか?」

「……も、もちろん知ってるぞ。」

「そうですよね。失礼なこと言ってすみませんでした。」

 ファンを前にして自分の無知っぷりを晒すわけにはいかない。

 そんなこちらの苦労も知らず、諒一は説明を続けていた。

「……この海上都市で開催されている2NDリーグは他の地域よりも圧倒的に強い。だからここで1位になれば1STリーグに昇格するのはほぼ間違いない。」

 槻矢は諒一の意見に同意する。

「昨シーズンの『ダークガルム』もそうでしたよね。トライアローを押さえて全勝で1STリーグに昇格……その1STリーグでも好成績です。」

(ダークガルム……。)

 結城はそのダークガルムの好成績に貢献していたことを思い出す。

 数ヶ月前、結城は遠隔操作でダークガルムのVF『アルザキル』を動かして、キルヒアイゼンに勝利してしまったのである。

 現在もダークガルムのランナーは不明状態らしいし、きっと誰かが同じようにしてアルザキルを遠隔操作しているに違いない。 

「試合の話は置いといて……今日は楽しもう。」

「そうだな。」

 諒一に促され、結城はパーティー会場に目を向けたが、テーブル付近には人っ子ひとり居なかった。

 それとは対照的に、相変わらず鹿住の周りには人が集まっており学生が引く様子はなかった。

 鹿住は押し寄せる学生達から質問攻めにあっているようだった。

 そのやりとりはこちらまで聞こえていた。

「カズミさん、やっぱりVFの設計ってコツとかあるんですよね?」

「コツと言われましても……」

「アカネスミレのデザイン、超かっこいいっす!!」

「ありがとうございます。」

「今度詳しくフレームを見てみたいんですけど、ラボに行ってもいいですか?」

「それはチーム責任者に聞いてみないと何とも……」

「自分は将来VF設計に携わるつもりなんですけど、何かアドバイスください!!」

「ま、まじめに勉強していれば問題ないと思いますよ。」

 次々に浴びせられる質問に、鹿住はせわしなく答える。

 ただ騒ぎ立てるファンとは違って、学生達は様々なことを鹿住に聞いている。

 それにいちいち答えるのは、笑顔で手を振っているだけの自分よりもさぞ大変だろう。

 結城からは鹿住が困り果てているようにも見えた。

(鹿住さん、大丈夫か……?)

 この事態をどうやって収拾すればいいのか、結城が思い悩んでいると2人の学生が鹿住の周辺から離れ、テーブルのある場所へと戻ってきた。

「あのカズミっていうの、すごい人気だな。メインゲストはユウキのはずなのに。」

「開発者の生の声なんてそうそう聞けたもんじゃないからな。」

 それはアクセサリーまみれの学生『ニコライ』と筋骨隆々の学生『ジクス』だった。

 2人はこちらまで来ると、イスに座って一息ついた。

 立ったままでも仕方が無いので、結城も2人と同じようにイスに座る。すると諒一や槻矢もイスに座った。

 ジクスは一人でイスを2つほど占領しており、そのイスも少したわんでいた。

「ユウキをゲストとして呼ぶのは予想してたが、VFの開発屋も呼んでいたとはな……。さすがリョーイチ。」

 ニコライはテーブルの上の料理を素手で掴んで口へと運ぶ。

「アカネスミレくらいのVFを作る技術者なら、俺が知っていてもおかしく無いはずなんだが……ネットで検索しても全くヒットしないし……。」

 ニコライの話を聞き、ジクスは顎に手を当てて悩ましい表情を浮かべる。

「……確かに、雑誌やメディアでも見かけた記憶がないな。……何か事情でもあるのか?」

 鹿住について聞かれた諒一は、一瞬答えに詰まったものの、2人が納得できそうな理由を話す。

「マイナー雑誌やネットニュースにも顔を出していないらしい。ああ見えてかなりの恥ずかしがり屋なんだ。」

「恥ずかしがり屋かぁ。」

「技術者はそういうの多い気もするな……。」

 ニコライ、ジクスとも深く考えず諒一の言うことを信じたようだった。

(あれのどこが恥ずかしがり屋なんだ……。)

 結城は諒一の答えに違和感を持った。

 そして同時に、鹿住に関して知っていることがあまり無いということに改めて気付かされる。

(……鹿住さんって何者なんだ?)

 そもそも、一人でアカネスミレを作り上げたという話自体がすでに怪しい。日本のことについてもあまり話さないし、日本に住んでいたかどうかも怪しい。

 しかし、その真偽を確かめようにも情報が少なすぎるのだ。

 ……ただ、諒一がこちらよりも鹿住に関する情報を多く持っていることは間違いないようだ。

「結城?」

「うん?」 

 考えている間無意識に諒一を睨んでいたらしく、結城は唐突に諒一に声をかけられてしまう。

 とっさに、結城はこれ見よがしにメガネをいじり始め、“目つきが悪かったのは視力のせいだ”とアピールした。

 そんなこちらの仕草を気にせず、諒一は再び話しかけてくる。

「結城、料理でも食べたらどうだ?」

「うん、そうだな。」

 テーブルの上を見ると、チキンやポテトといった、簡素で高カロリーな料理が並んでいた。飲み物も炭酸ジュースやフルーツジュースしかなく、お茶やミネラルウォーターの姿を確認することが出来なかった。

(うっ……。)

 結城はそれを見ただけで気が滅入ってしまう。

 また、食欲が出ない理由は他にもあった。

 それは今現在、身につけているランナースーツのせいだった。

 ……胸部はそこそこ余裕があったが、腹部や太ももはきつく、そして上腕あたりは突っ張っており、リラックスして食事出来る状態ではなかった。

 食べずにランナースーツのままいるのも心地悪い。

 また、このスーツもコテコテな料理で汚してしまっては悪いと思い、結城は普段着に着替えることにした。

「……そろそろきつくなってきたし、これ脱いでくる。」

 そう言って結城がイスから立ち上がると、何故かジクスや槻矢が申し訳なさそうに謝る。

「すまん、スーツきつかったか。……サイズがブカブカだとカッコ悪いから少し小さめに作っておいたんだ。」

「そうなんです。直接結城さんのランナースーツから寸法を測るのが一番だったんですが、手に入るわけもありませんでしたし……。」

 きつめに作っておいたにも関わらず、胸部に余裕があるのはいったいなぜだろう。

 ……考えても虚しくなるだけなので、結城はその話を聞かなかったことにした。

「そんなに締め付けられてちゃ、腹いっぱい食えないもんな。」

 ニコライは肉をバクバク食べながら他人ごとのように話す。

 結城はその言葉が嫌味にしか聞こえなかった。

 年頃の女性が、しかもVFランナーがカロリーを気にせず暴飲暴食できるわけがない。それをVFBのファンであるニコライが知っていないわけがないのだ。

「……じゃあ行ってくる。」

 ニコライが中年あたりで醜く太ってしまうことを願いつつ、結城はその場から離れる。

 すると、こちらに続いて諒一も立ち上がった。

「結城、一応一緒について行こう。」

「一人で大丈夫だって。」

 部屋の場所も覚えているし、ランナースーツの脱着も慣れている。

 こちらとしては、諒一の手を煩わせないように言ったつもりだった。

 しかし、周りにいたニコライやジクスは諒一の提案に賛成していた。

「着替えを覗かれでもしたら大変だ。リョーイチがいれば安心だろ。」

「そうそう、素直にいう事聞いておけよ。」

「覗きって……。」

 冗談でも言ってるのかと思い、結城は半笑いでそれを軽くあしらった。

 しかし、槻矢までもが諒一の同伴に賛成し始める。

「結城さんは女性で、しかもランナーですから、用心に越したことは無いと思います。」

「そ、そうか?」

 ここまで言われてしまっては、言う事を聞きいれるより他ない。

 ……それに男性陣の言っていることは正しい気がする。

 他人に着替えを見られるのはもちろん恥ずかしいのだが、諒一にならばどうということはない。普段のだらしない格好を散々見られているせいか、このくらいは恥ずかしくないのだ。

 それは女としては終わっている気もするが、着替えることを考えると、諒一ほど頼りになるボディガードは他にはいないだろう。

「2人がそこまで言うなら……。」

 結城はしぶしぶ諒一の同伴を許可し、諒一を連れてパーティー会場から出て行った。

 出て行く際に後ろから「ごゆっくりー」という誂うような声が聞こえたきもするが、いちいち気にしていてはきりがない。

 結城はそれを無視して更衣室に向かうことにした。


  3


 結城は、更衣室に改造された諒一の部屋に入ると、すぐにランナースーツを脱ぎ始めた。

 まず、脊椎を保護する硬めのジャケットを脱ぎ床に投げ捨てる。

 本物のジャケットはそこそこ重量があるのだが、これはレプリカなのでとても軽い。

 床と衝突したときの音もコツンという軽いものだった。

 続いて上半身のスーツに手をかけたところで結城は動きを止めた。

「……。」

 現在、諒一は部屋の外で待機している。なので、誰も部屋の中にはいないはずだ。

 ……にもかかわらず、結城は複数の視線を感じていた。

(もしかして……隠しカメラ……?)

 結城はゆっくりと部屋を見渡す。

 見渡し始めてすぐに視線の正体がわかった。

「なんだ、これか……。」

 ……それは部屋の隅に追いやられたVFのフィギュアだった。

 諒一によって手を加えられたフィギュアは、本物と見間違うほど精巧に作られ、圧倒的な存在感を放っている。

 結城がそれらから視線を感じるのも無理はなかった。

 結城は半脱ぎ状態のまま部屋の隅に行き、フィギュアの一つを手に取って詳しく観察する。

「ふーん……。」

 VFのフィギュアは以前にも見たことがあるが、やはりよく出来ている。関節はなめらかに動くし、造りもしっかりとしている。

 市販のフィギュアをここまで改造できる諒一はやはりすごい。

 エンジニアリングコースに入ってからその腕にも磨きがかかっているようで、以前にも増して諒一が手を加えたフィギュアは出来がいい。その出来の良さといったら、この中にエンジンやフレームを組み込むだけで動いてしまいそうなくらいだ。

 これならVF狂いと言われても仕方がない。

「でも、これほんとよく出来てるな……。」 

 結城は着替えるのも忘れて、色々なVFのフィギュアを観察していく。

 手足のバランス、装甲の配置、そしてデザインなど、VFによってかなり違う点があり、どれとして同じものはない。

 そんな個性豊富なVFを見ていると、これ一つ一つが苦労して作り出された物だということがよくわかる。まさに開発者の汗と努力の結晶だ。

 こんな物を好き勝手自由に操作できるVFランナーとは、なんとも贅沢な存在である。

 つい4ヶ月ほど前まで、ゲームでしかVFを操作できなかった自分が、実際に本物のVFを操作できているなんて、まるで夢のようだ。

「……『夢』か。」

「なんだ? もう着替えは終わったのか?」

 自然と声が漏れていたらしい。ドア越しに諒一が声をかけてきた。

「まだだ。……もうちょっと待って。」

 結城は止まっていた手を動かして、ランナースーツを体から剥がすようにして、急いで脱いでいく。

 どこかの特撮みたいに、脱着専用の機械を作ればいいんじゃないだろうか。……などとくだらないことをぼんやり考えつつ、結城は順調に着替えを進める。

 ……しばらくして「手間取っているなら手伝おうか?」という諒一の声がしたが、その頃にはすでに着替えは完了していた。

「終わった終わった。早く会場にもどるぞ。」

 それなりに可愛い服を身にまとった結城は、ドアを開けて部屋を出ようとしたが、こちらが出るより先に諒一が部屋の中に入ってきた。

「……かなり遅かったな、何か悩んでたのか。」

「!!」

 なぜ諒一は毎度毎度こちらの心を見透かしているかのようなセリフを吐けるのだろうか。

 結城はその勘のよさに呆れつつも素直に答える。

「いや、私の夢ってもう叶っちゃたし、これからどうしようかなって思ったんだ。」

 2NDリーグチーム、アール・ブランのVFランナーになり結城はかなり満足している。

 試合にもそこそこ勝てているし、なにより居心地がいい。

 アール・ブランでなら自分の実力を十分発揮できる気もする。

「次の夢は……やっぱり『優勝』なんだろうか……。」

 VFランナーになったのだ。目指すところは優勝意外にない。

 むしろ、それくらいじゃないと夢とは言えない気がする。

 諒一はそうは思ってないらしく、こちらの考えをやんわりと否定する。

「そんな大きな夢じゃなくていい。とりあえず何か目標はあるのか?」

 諒一に言われ、結城はすぐに身近な目標を思い浮かべることができた。

「アザムに……ラスラファンに勝つ。」

 我ながらシンプルな目標だ。しかし、今までの相手とは違ってラスラファンは強敵だ。

 結城は自分で目標を言っておいて不安になってしまった。

「……そうか。じゃあ次の目標はラスラファンに勝ってから決めればいい。」

「それじゃあ目標ばかりできて、終わりがないじゃないか。」

「そういうものだ。夢が決まらないなら、とりあえず小さな目標をクリアしていけばいい。」

 確かに、優勝という夢に比べれば、ラスラファンに勝つことは小さな目標だろう。

「それに、結城ならその夢もすぐに見つけられる。」

 諒一に言われると、何故かそんな気がしてくる。

 ……ふと、結城は諒一の夢が気になり、聞いてみることにした。

「そうだ、諒一は夢とか目標とかあるのか? ……やっぱりVFの技術者?」

 VFに関係する仕事に就きたいのは知っているが、どの分野で、どのようなことをしたいのか、詳しい話を聞いたことはない。

 10秒ほどの沈黙の後、諒一はこちらに向けて話し始める。

「VFを……」

 諒一は言い淀んだが、口を噤むことはなかった。

「自分のオリジナルのVFを作りたい。」

(なるほど……。)

 この答えは結城にとっては予想の範囲内だった。

 こちらがその夢に対して何のリアクションもせず黙っていると、諒一が自分の考えを話し始める。

「大抵の場合は複数の技術者や研究者がチームを組んでVFを作り上げていく。しかし、鹿住さんはそれを全部一人でやった。鹿住さんは本来なら1STリーグで技術主任をやっていても不思議じゃないほどの人物なんだ。」

「そんなにすごいのか。」

 前々からすごいとは思っていたものの、そこまでとは思っていなかった。

 改めて、学生達が鹿住さんに群がるのも納得出来る。

「アカネスミレを見たとき……自分もこういうVFが作れたらいいなと思ったんだ。」

 諒一の話を聞いて、『オリジナルのVFを作る』という夢が結構最近できた物だということが分かる。

 だから鹿住さんにあれだけ邪険にされても不平を言わなかったのだろう。

「何か手伝えることないか?」

 結城は自然とその言葉を口にしていた。

 いつもなら絶対に言わないセリフを不審に思ったのか、諒一はなにか珍しいものでも見るような態度で問いかけてくる。

「急にどうしたんだ。」

 そんな言い草はないだろう、と思いつつ、結城は諒一にグイっと体を近付ける。

「いつも迷惑かけてるし、たまには諒一に何かしてあげてもいいかなって思っただけだ。」

 それに今日はクリスマスだ。プレゼント替わりに諒一のお願いを聞くのも悪くない考えかもしれない。

「そういうことなら……お願いしていいか。」

「……諒一?」

 いきなり諒一はドアを閉め、いつになく真剣な声で話す。

「……この時を待ってたんだ。2人きりになれるこの時を……。」 

「一体なんの……うわっ!?」

 諒一はこちらを部屋の奥に押しやると、部屋の明かりを消した。



 暗闇の中、結城は赤い灯りに照らされていた。

(……どうせこんな事だろうと思ったよ。)

 手には分厚いグローブをはめており、そのグローブでピンセットを持ち、そのピンセットは半透明状のプレートのようなものを掴んでいた。

 もう片方の手も同じ状態にあり、結城は両手を完全に塞がれている状態だった。

「なぁ、何か手伝うとはいったけど、これ、今するようなことか?」

 何故だか知らないが、現在結城は諒一のフィギュア製作を手伝っている。

 クリスマスの夜にフィギュアを年頃の男女が共同で作っている光景はそうそう見られたものではない。しかもそれはワイワイ作るようなただのフィギュアではない。専門的な工具を使う本格的なものなのだ。

 結城の顔面には大仰なマスクが付いている。そのため、先ほどの結城の言葉はくぐもり声になっていた。

 同じようなくぐもり声で、諒一は結城に返事をする。

「みんなが食堂にいる今がチャンスだ。今なら誰にも邪魔されずに、安心してこれを使うことが出来る。」

 赤い灯りのもと、諒一の手元には何やら怪しげな液体の入った瓶が握られていた。

 その液体からはうっすらと煙が出ている。

 見るからにヤバそうな物体を見て結城は心配になる。

「ただのフィギュア製作にそんな危なそうな物持ち出すな……というか、何に使うんだよそれ。」

「コーティング剤だ。パルシュラムのブレードを再現するために使う。」

 現在2人は向かい合うようにしてこたつ台に座っており、台の中央にはパルシュラムのフィギュアが鎮座していた。

 台の隅っこの方にはもともとそのフィギュアが持っていた『透明なブレード』が2本とも転がっていた。

 透明と銘打っているものの、フィギュアに付属されているブレードはプラスチックでできた物で、容易に視認できる。

 諒一は再現度を高めるためブレードを本当に『透明』にするつもりのようだ。

 結城はピンセットでつまんでいる半透明状のプレートを見つめながら呟く。

「パルシュラムのブレード……こんな形してるのか」

 プレートの形は、もともとフィギュアに付属していたものと違い『剣』というよりは『板』に近い形をしていた。

 一見すると『ものさし』のような形だが、文房具とはちがい、柄が付く部分以外の辺は鋭い刃になっていた。

 よく出来ているその小さなプレートを眺めていると、諒一が不本意そうに語り始める。

「実際のブレードの形は分からない。それはただの予想型だ。」

「そうなのか。……意外と諒一の予想当たってるんじゃないか?」

「なるべく簡単にコーティング剤を塗付できるようにそんな形にしただけだ。」

 ただでさえくぐもっている諒一の声が余計に聞こえにくくなる。

「そうだ諒一、次の試合で確かめよう。」

「試合中にどうやって確かめるんだ。……まさかわざと攻撃を受けるつもりじゃ……」

 そんな事は許さないと言わんばかりに諒一が台に手をついて身を乗り出す。

 同時に怪しい液体が入った瓶もこちらに近づく。

「ちょっと、それこっちに近付けるなよ。」

 結城は慌てて後方に身を反らせた。

「……ごめん。」

 我に返った諒一は、瓶に気をつけながらゆっくりと元の位置へと戻る。

 そして結城は諒一を安心させるために自信満々に言い放つ。

「ブレードの形状を一目瞭然にする方法は考えてあるんだ。」

 透明であっても刃が物体をすり抜けているわけではない。

 ならば可視化するのは簡単である。

「それは……」

「お着替え中に失礼しまーす。」

 結城が思いついたその方法を諒一に伝えようとしたとき、飄々とした声がしたかと思うと、勢い良く部屋のドアが開かれた。

「リョーイチ、ユウキ、2人きりでナニして……って何だこの臭い!?」

 そう言って口元を腕で隠したのはニコライだった。

 マスクをしていて気が付かなかったが、いつの間にか瓶から液体の成分が漏れていたようだ。

 マスクをしておいて本当によかった。

 ニコライは目を細めてこちらを見ていた。

「ガスマスクまでして……新手のプレイか!?」

「冗談はいいから早く閉めろ!!」

「わ、わかった。」

 諒一の命令に従い、ニコライがドアを閉じたときにはもう遅く、光を浴びてしまったプレートは透明度を失い、白く濁ってしまっていた。

 ……その後、諒一の部屋を中心に異臭騒ぎが発生し、結局パーティーは早めに終了してしまった。


  4


 朝方。

 太陽はまだ水平線から顔を出していないが、東の空はうっすらと明るい。

 その明るさは時間が経つに連れどんどん増していき、次第に街灯の光がその光に塗り潰されていく。

 居住エリアはお椀状になっているため、エリア内で最初に朝日を浴びることが出来るのは西側に住んでいる人々だ。

 海面付近や、農業プラントでは時間差無く平等に朝日を浴びることが出来る。

 それは居住エリアの中心にそびえ立つ中央ビルも同じだった。

 ……そのビルの上階、エレベーターも通っていないほど高い所に鹿住はいた。

 鹿住は朝も早くから居住エリアを遥か下に見ながら、ビルの点検作業時にしか使われない階段を上に上に登っていた。

「はぁ……はぁ……。」

 ただでさえ体力がないのに、早朝から階段登りはかなり辛い。

 呼吸を荒くしながらも、鹿住はつい最近のことを思い返していた、

(あんな多くの人間に質問攻めにされたのは初めてでした……。)

 鹿住が頭に思い浮かべていたのは、一週前に開かれた、男子学生寮でのクリスマスパーティーだった。

 鹿住はあれほど多くの人間に押し寄せられた経験はなく、また、羨望の眼差しで見られたこともなかった。

(ランナーはいつもあんな目で見られているのでしょうか。)

 多くの人間に持てはやされるのは悪い気分ではない。

 もし私が真っ当な道を進んでいたならば、ああいう未来もあったのかもしれない。

「『もし』なんてことは考えてはいけませんね……へっくし。」

 鹿住は急に鳥肌が立ち、腕を組んで身を縮ませる。その鳥肌は気分的な要因ではなく、気温的な要因によって引き起こされたものだった。

 朝方な上、ここは高度も高いため、海面付近に比べてそこそこ寒いのだ。

 しかし、風邪をひくほどの気温でもない。 

 鹿住は少しでも体を温めるべく、白衣の前ボタンを閉めた。

 ……それからしばらくの間登り続けると、階段の終点が見えてきた。

 階段の終りには両開きの金属製の扉があり、扉の表面には『関係者以外立ち入り禁止』という文字が書かれてあった。

 鹿住はその警告を無視して両手でドアノブを掴み、体重をかけて扉を開く。

 開けると同時に、鹿住の背後から強い風が扉の向こう側に向けて吹いた。

 その風のせいで、漆のようにきれいな黒い髪が顔にかかり、鹿住は思わず眼を閉じてしまう。

 それも一瞬のことで、扉を閉めると風も止んだ。

「ふぅ……。」

 鹿住は乱れた髪を背後にまとめ、周囲の状況を確認する。

(外に出ましたね……。)

 鹿住はビルのてっぺんにある、少しひらけた場所にいた。手すりもあるしここから転落する心配はないだろう。

 扉のすぐ近くにははしごが設置されており、ここより高い場所にある避雷針に沿って上に伸びていた。

 足元は頑丈な金網が張り巡らされており、下にあるヘリポートのHというマークがよく見える。

 視線をそれよりも遠くに向けると、鹿住はその光景に思わずため息が出てしまう。

「へぇ……。」

 そこには高所恐怖症の人間ならば腰を抜かしてしまいそうな光景が広がっていた。

 視界360度、全てが居住エリア。家はミニチュアのように小さく見え、中央ビルから伸びる橋も簡単に折れてしまいそうなくらい細く見える。

 そんな景色を眺めていると、不意に明るい物が視界に入り込んできた。

 朝日である。

 水平線付近の海面は一気にオレンジともイエローとも言える鮮やかな色に染まり、太陽が出てくるにつれその範囲も増していく。

「きれい……。」

 日の出の美しさに気を取られていると、いきなり背後から声をかけられる。

「やっぱりここからの眺めが一番だね。」

 それは、鹿住をこの場所に呼び出した人物の声だった。 

 鹿住はすぐに振り返ってその人物の名前を呼ぶ。

「七宮さん、ここ、立ち入り禁止ですよ。」

「言われなくても分かってるよ。」

 七宮は白いワイシャツにジーンズというラフな格好だった。

 そして、そのジーンズのポケットに手を突っ込んで朝日をまぶしげに見ていた。

「ふぅ……、中央ビルの屋上ともなると、流石に冷えるね。」

 七宮は腕まくりしていたシャツの袖を元に直し、腕を組む。そしてこちらを心配するかのように話しかけてくる。

「寒いのなら場所を変えようか?」

「……日本に比べたら、このくらいどうということはないです。」

 こちらが拒否しても七宮はしつこく聞いてくる。

「我慢しなくていいんだよ鹿住君。寒いのなら正直に……」

「大丈夫です。」

 鹿住は頑なに七宮の提案を断り続ける。

 このままだと、無理やりこの場所から移動させられてしまう気がした鹿住は、七宮に言い返してみる。

「もしかして寒いんですか、七宮さん。」 

「……それよりすごいと思わないかい?」

 こちらの質問をスルーして七宮は朝日に視線を向けて目を細める。

 鹿住も同様にして東の空に目を向ける。太陽はほぼ水平線から出ており、海上都市付近の海面はその光を受けてキラキラと輝いていた。

「確かに、きれいな朝日ですね。」

 こちらが同調したように言うと、七宮から予想外の言葉が発せられる。

「違うよ鹿住君。すごいのはこの海上都市の制動システムのことさ。……海面から1200メートルも離れてるのに、全く揺れてない。人類の科学技術の進歩は留まることを知らないみたいだ。」

「そ、そうですか。」

 一体何を言いたいのか、頭を回転させて考えようとしたが、鹿住は途中で思考をやめた。

 いつも通り、言っていることにあまり意味はないのだろう。

「……で、こんな場所に呼び出して何の話でしょうか。」

 こちらの不機嫌さが相手に伝わったのか、七宮は火に油を注ぐ様な、こちらを誂うような口調で答える。

「あれ? 鹿住君、もしかして怒ってる?」

「……年初めのこんな早い時間から、こんな場所に呼び出されたら大抵の人は怒ります。」

 そう、今日は1月1日。……つまり先ほどの日の出は初日の出である。

 さらに、年末にも関わらず鹿住はVFの改良に忙しく休む暇もなかったため、余計に七宮に対して不快感を覚えていた。

「悪いね鹿住君、でもいい眺めだろう。」

「それはそうですけど……。」

 七宮の言う通り、ここから見た日の出は美しかった。しかし、日の出を見るだけならば、わざわざ立ち入り禁止の場所に入ることはない。

 むしろ、少し下の階にある展望台の方が、ゆっくり落ち着いて日の出を眺めることができたかもしれない。

 ……こちらがまだ納得していないうちに、七宮は別のことについて質問してくる。

「あれから幼なじみ君には何か言われたかい?」

「特に何も。パーティーに招待されたくらいですから、もう怪しまれてはいないと思います。」

 ……過去、リゾート施設において鹿住は諒一にしつこく自分の秘密について質問攻めされたことがあった。

 自分がダークガルムにいた事や、不正行為に関わっていたことなど、諒一はかなり鋭いことを質問してきたのだ。

 あの時、七宮さんの助けがなければ、アール・ブラン内での鹿住の立場はかなり危ういことになっていただろう。

 しかし、なぜかあれ以来、全く諒一から怪しまれていない。

 チームにとって技術提供は必要不可欠である。なので、こちらの事をわかっていて黙認しているのだろうと、鹿住は勝手に想像していた。

 七宮は金網の上を歩き、手すりがある位置まで移動すると、二の腕と背中の間に手すりを挟んでこちらを向く。

「さて、これからが本題なんだけれど……」

 同時に、七宮は真剣な表情でこちらの顔を見る。

「アール・ブランは1STリーグに昇格できそうかな?」

「昇格ですか……。」

 突拍子も無い言葉に若干うろたえつつ、鹿住は自分の考えを話す。

「可能性がないことはないですが……問題は『クライトマン』と『ラスラファン』だと思います。」

「……僕も同じ考えだ。」

 勝利数を考えるとトライアローが一番多く、一番の障害になると思われる。だが、2回負けているアール・ブランがトライアローに追いつくことはもう出来ない。

 しかし、幸いなことに昇格トーナメントに出場できるのは開催都市ごとに各『2チーム』……となれば、トライアローに次いで2位の位置に付けば、とりあえずは昇格するチャンスがあるということだ。

 つまり、問題となるのは『クライトマン』に『ラスラファン』……アール・ブランが上に行くためには、この2チームの勝利数を最小限に抑える必要があった。 

「僕が何とかしよう。」

「何とかするって……妨害行為でもするつもりですか?」

「心配ない、その逆だ。対戦相手に少し手を貸すだけさ。」

「そうですか。」

 七宮の適当な、具体性のない発言に鹿住は呆れて溜息をつく。

 未だに1、2回しか勝っていないチームに手を貸したところでどうにもならない気がする。

「他のチームの調整はうまくやる。だから鹿住君は結城君が確実に勝てるように完璧なサポートを頼むよ。」

「頼まれなくても、最初からそのつもりです。」

「……ならいいんだ。」

 鹿住が返事をすると、七宮は手摺から身を離してその場から去ろうとした。

(七宮さん、もう帰るのですか……。)

 実の所、七宮とはたまにしか会うことが出来ない。

 別に、もっと会いたいというわけではないが、会えないときは一体何をしているのか、鹿住は常日頃から気になっていた。

 出会った時からこんな感じなのだが、特に最近は情報の交換も少なく七宮の状況が把握できない。

 密に連絡のやりとりをすることは、それだけ他人に付け入る隙をあたえることになる。そのため、連絡を最小限に済ませるというのは分かりきっている。

「あ……七宮さん。」

 しかし、なぜか今日は七宮をのことが無性に心配になり、鹿住は思わず引き止めてしまった。

「まだ何かあったのかな?」

 引き止めてしまった以上、無言でいるわけにもいかず、鹿住は思い切って今まで気になっていたことを質問してみる。

「……そろそろ教えていただけませんか。」

 それは絶対に七宮が話題にすることのない過去の出来事で、こちらがいくら調べても全くわからない、謎に包まれた事件だった。

 鹿住は一呼吸おいて言葉を続ける。

「……7年前、七宮さんが1STリーグから追い出された理由を。」

「!!」

 こちらの言葉を聞いて、七宮は目を見開いた。

 そしてしばらくこちらの顔を鋭い目付きで見つめる。

「……。」

 余程話したくないのだろう、七宮は口を固く結んだままその場で固まっていた。

 しかし、こちらの気持ちが伝わったのか、七宮は再び手摺のある場所まで戻ってきた。

「……長くなるよ。」

「はい。」

 鹿住も体を手摺に預ける。

 ……数時間の間、鹿住は黙って七宮の話に耳を傾けていた。

 ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。

 第3章では、ツルカ・結城・鹿住のそれぞれのクリスマス・年末の様子が描かれました。VFBは年末年始関係なく年中無休で試合をしてるみたいです。

 次の話では、やっとラスラファンとの対決、そして決着がつきます。

 今後とも宜しくお願いいたします。

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