【剣の舞】序章
続きを読んで下さりありがとうございます。
第3部『剣の舞』です。
安直なサブタイトルですが、慣れていないので勘弁して下さい。
最期までお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
序章
1
E4との試合から5週間後、結城は4戦目の相手である『イストス』と試合をしていた。
現在アール・ブランは1勝2敗。これに勝てば2勝2敗となり降格する心配が減るというものだ。
『イストス』はダグラス社製VFのハイエンドモデルを使用していて、武装も全く手の加えられていない、ダグラス純正の物を使用していた。
対する結城は鹿住が開発したアカネスミレに乗り、手には無骨な形状のブレードが握られていた。これはクライトマンの武装を参考にして鹿住とランベルトが開発したものだ。
しかし、その武器はまだ一度も使われていない。
……なぜならば、その武器を使うべき相手がこちらから逃げ続けているからだった。
<逃げる逃げる!! いったいどこまで逃げるのでしょうか!! これは戦略的撤退か? それともただ単にアカネスミレを恐れているだけなのでしょうか!?>
実況の無駄にテンションの高い声を聞きながら、結城はイストスのVFを追い続けていた。
(なんで逃げるんだ……)
イストスのVFは開始からずっとこちらに近付こうとせず、遠くからライトマシンガンを撃ち続けている。弾は、そのほとんどが命中しておらず、当たっても外装甲に小さな傷をつけるだけでダメージはほぼゼロだった。
結城は、こんな威力の弾をピンポイントで関節に滑り込ませたミリアストラの腕の凄さを再確認していた。
こちらが近づくたびに相手は後ずさり、闘うという気概が全く感じられない。
敵前逃亡とも見て取れる相手の態度に結城はうんざりし、思っていたことを口にしてしまう。
「やる気あるのか……?」
その言葉が聞こえたのか、通信機から鹿住の声が聞こえてくる。
これまでの試合と違い負ける要素が見当たらないため、その声は余裕に満ちていた。
「確かに、これはひどいですね。」
鹿住もこちらの意見に概ね同意しているようだった。
結城は相手の動きを見ながら呟く。
「……よくこれで2NDリーグに昇格できたな。」
イストスのVFの動きは固く、近接格闘に持ち込めば一瞬でケリがつくだろうと結城は考えていた。しかし、近付こうにも弾幕が邪魔で簡単に近付けそうにない。
お粗末すぎる戦いにストレスを感じていると、再び鹿住が話しかけてくる。
「昇格したばかりのチームはどこも大体こんな物です。レギュレーションのギャップにまだ適応出来ていないのだと思います。」
「そうか……、こんなのじゃどこにも勝てないだろうな。」
「そうですね。『イストス』の今シーズンの成績は0勝3敗で全敗ですし、来シーズンには再び降格しているでしょう。」
呑気にお喋りしていると、いきなり銃撃が止んだ。
何事かと思い相手の手元を見ると、弾が切れたらしく、弾倉を新しいものと交換していた。
(……チャンス!!)
結城は四肢に気合を込め直すと、アカネスミレに前傾姿勢を取らせる。そして一気に相手に向けて疾走し始めた。
相手はこちらの動きを見て、慌てて逃げ始める。
「待て……って速っ!!」
さすが、ダグラスのハイエンドモデルとあって、その走行スピードはとても速かった。速さはこちらと同等かそれ以上あるようで、全く追いつくことが出来ない。
追いかけっこをしているうちに相手は弾倉の交換が終了し、先ほどと同じように弾幕を張ってきた。結城は直撃を避けるため、やむなく相手から距離をとる。
「いててて……」
「結城君、なるべく弾に当たらないようにお願いします。あとで修理するのが面倒ですから。」
「そんな事言われても……」
相手は素早く逃げながら弾幕を張っている。その弾幕を避けて接近するのは不可能ではないにしろ、かなり難しいに違いない。
鹿住の注文に思い悩んでいると、鹿住自身がそれを実現するためのアドバイスを送ってくる。
「フレームの出力調整機能を使って脚部の出力を上げてください、それで追いつけるはずです。」
「……なるほど、すっかり忘れてた。」
フレームは人間で言う骨格やインナーマッスルに相当し、VFにとって重要なパーツだ。
アカネスミレには通常のものとは違う、特殊なフレームが使用されていた。
その特殊フレームは各部位の出力や長さの調節を瞬時に行うことができる、鹿住が独自に開発したフレームだった。これにより機体の特性を瞬時に変え、あらゆるタイプの敵に対応することが出来るのだ。
また、これを使用することでエネルギーを適切にボディの各位に分配することができるため、エネルギーロスを減らすことも出来る。
もちろん、手動で任意の箇所のフレームを伸縮させたり、出力を上昇させることも可能だ。
……鹿住に言われ、結城は脚部のアクチュエーターの出力を上昇させる。
するとフレームが軋み、アカネスミレは一気に加速し始めた。
「速い……これなら!!」
結城は回りこむようにして相手に接近する。相手は必死に弾幕を張り続けるも、こちらのスピードに対応できず、弾のほとんどがこちらの背後をすり抜けていった。
そのまま結城は相手との距離を詰め、加速してから5秒としないうちに、相手の背後に張り付くことに成功した。
これを受けて、逃げてばかりだった相手は銃を捨て、体を反転させると両肘を胸の位置まで上げてファイティングポーズをとる。その構えはボクシングのものだった。
こちらもブレードの刃を相手にむけて体勢を低くする。
<ようやく両者が対峙しました!! これからどうなると思いますか? ウォーレンさん。>
<……言わずとも、解っているでしょう。>
(ここからが本当の勝負だな。)
結城はブレードを構えたままじりじりと相手に近づき、距離を縮めていく。武器を持っている分、こちらのほうがリーチが長い。
カウンターにさえ気をつければなんてことはないだろう。
やがて相手がこちらのブレードが届く距離に入った……が、動く様子はない。
(やはりカウンター狙いか……。)
結城は相手の出方を窺いながらブレードを構え直す。
(なら、お望みどおりこちらから……!!)
やっと新開発ブレードの性能が試せると思った矢先、いきなり、相手の頭部がポーンと外れて宙に舞った。
頭部は空中でくるくると回転し、やがて重力に従って地面に落ちた。
「……。」
目の前の出来事に呆然としていると、通信機からため息混じりの声がする。
「リタイアのようですね。」
鹿住の言葉に続いて実況者の声がスタジアム内に響く。
<リ、リタイアです!! 無傷のままリタイアです。>
圧倒的な実力差がある場合、VFの無駄な損傷を防ぐためにわざと頭部を外してリタイアすることがある。
こちらに接近され、勝ち目がないと諦めたのだろう。
「最初からそうしろよ……。」
ほぼ不戦勝のような形になり、結城は素直に勝利を喜べないでいた。
<……勝者はアールブランのユウキ選手です!!>
観客も不完全燃焼のようで、イストスに対するブーイングが起こっていた。
結城はブレードを下ろして構えを解くと、アカネスミレをしゃがませる。
「長い鬼ごっこでしたね。」
「……結局一度もタッチ出来なかったけどな。」
コックピットから出ながら、結城はインタビューの内容を考えていた。
2
インタビューを終え、結城は鹿住と共にラボに帰るトレーラに乗っていた。
アカネスミレもVF運搬専用のトレーラーに載せられており、結城はその助手席に座っていた。トレーラーはかなり大きく、車輪の直径は自分の身長よりも大きい。初めて見たときは驚いたものの、運ぶものの重さと大きさを考えれば、不思議なことではなかった。
トレーラーはラボとハンガーを結ぶ、専用の道路を進んでいく。
通路は半分海中に浸かっていて、一般の道路よりも少し下の位置にある。普通の道路はこちらの道路よりも上の位置を通っており、両車両が干渉することはない。
とは言うものの、普通の道路のほとんどは公共の交通機関が利用しているため交通量は少ない。なので、わざわざ下を通らなくともほとんど邪魔にはならないだろう。これは設計段階でのミスと言っても過言ではない。
すぐにトレーラーは目的地であるアール・ブランのビルに到着する。そして搬入口からラボに入ると、ランベルトとツルカがこちらを出迎えに来た。
「よう、無事に勝ったみたいだな。」
「ユウキおかえりー。」
結城はトレーラーが停止する前に扉を開け、助手席から降りるとラボの床を踏んだ。
同時に独特の匂いを含んだラボ内の空気が鼻に届き、結城の心を落ち着かせる。
結城はランナースーツを着ておらず上下ともジャージを着用していた。
……ミリアストラが生中継で口を滑らせたがために発生した恋人騒動のお陰で、ファンの数は急激に減少していた。残ったのはコアなVFマニアと、VFBシミュレーションゲームのプレイヤーくらいなものだった。VFマニアはVFをカメラに収めるだけで満足なので、結城がハンガーに出てわざわざ愛想をふりまく必要がなくなったというわけだ。
そのため、結城はインタビュー後すぐにジャージに着替え、帰る時間が来るまで控え室でのんびりしていたというわけだ。
結城は迎えてくれた2人に「ただいま」と短く言うとトレーラーから離れる。トレーラーはアカネスミレを載せて、そのままラボの奥へと進んでいった。
改めて2人を見ると、2人ともだらしのない格好をしており、外出していないようだった。それを確かめるように結城は話しかける。
「もしかしてずっとここにいたのか。」
「どうだけど、ちゃんと試合は見てたぞ。ほら。」
ツルカはある場所を指さしながら言った。その先にはいつも結城たちが使っている作業台があり、そのすぐ横に大きなディスプレイが設置されていた。どうやらそれを通して中継映像を見ていたらしい。
遠くに見える作業台の上にはティーカップと洋風のお菓子があり、老人の作業員『ベルナルド』が新しく用意したカップにお茶を注いでいた。こちらが必死に戦っている間に、あちらはお菓子を食べながら、ティータイムの余興のような形で試合を観戦していたに違いない。
結城はツルカやランベルトと共に作業台に向けて歩きながら喋る。
「こんな所にこもってないで、スタジアムに応援しに来れば良かったのに……。」
「今日の相手は雑魚チームで、楽勝だったんだろ? ……それに、どうせ俺が行ってもやることねぇよ。」
「その通りです。確かに何の役にも立ちませんからね。むしろ来ないほうが事が上手く運ぶというものです。」
強烈な嫌味と共に、途中で鹿住が合流してきた。
ランベルトはあからさまに嫌な顔をしたが、鹿住に言い返すことはしなかった。そのかわり、不貞腐れたようにぼやく。
「はいはい、その通りですよ。」
子どもが言うようなセリフに、結城はツッコミを入れる。
「役立たずって認めちゃったよ……。」
続いてツルカも呆れたように言う。
「ボクが言うのも何だけど、責任者としてのプライドが全く無いよね。」
女性陣から散々言われげんなりとしていたが、ランベルトは開き直る。
「うるせェ、リーダーってもんはな、後ろでどーんと構えてるもんなんだよ。」
そう言うと、早足になり一人で先に作業台に向けて進んでいった。
「そういえば諒一は?」
結城は、今更ながら諒一がいないということに気付く。ここを出発する前にはいたはずなので、てっきりランベルトやツルカと一緒にいるものと思い込んでいたのだ。
諒一の姿を探し、周りに視線を巡らせているとツルカがそれに応える。
「迎えに行くって言ってたけど、会わなかったか?」
「いや、会ってない……。」
「入れ違いになったのかもしれませんね。……そのうち戻ってくるでしょう。」
結城は携帯端末を手にしていたが、鹿住の言葉を聞いてそれを引っ込める。
「……そうだな。」
ポケットの中の携帯端末を指でいじっていると、背後から男性作業員の声が聞こえてきた。
「カズミさん、VFの設置完了しました。」
報告を受けた鹿住は、片手を上げてそれに応じた。そして電子ボードとペンを取り出し、作業を確認するように複数の項目にチェックを入れた。
「損傷は軽微ですが、……取り敢えず休憩前に各部位のチェックだけしておきましょう。」
「カズミはずいぶん仕事熱心なんだな。」
ツルカは感心したように言うと、鹿住の腕を引き寄せてボードを覗き込んだ。
腕を引っ張られた鹿住はそのボードをツルカに渡す。
「これが普通です。早いうちに修理の工程表を作成しないと作業員の方に迷惑がかかりますし。」
「修理かぁ、新しいパーツに換装できないぶん一点物ってのは不便だな。」
「ストックがあれば試合ごとにVFをローテーション出来て、作業にも余裕ができますね。そうなれば公式戦以外の試合にも出場できるんですが……。」
そう言って鹿住はこちらに目線を向ける。
……もっと試合に出ろということなのだろうか。
チーム的にはより多く宣伝する機会が増えるし、個人的にも経験を積むことでVFランナーとしての腕も上がるだろう。だが、それはできない。
結城はその理由を簡潔に述べる。
「遠征なんてムリムリ、学校あるし。」
「ですよね。……それじゃあ私はアカネスミレの調子を見てきます。」
鹿住はツルカからボードを取り返し、進路を左に逸らしてアカネスミレの元へと急ぐ。
「やっぱり諒一探してこようか……? 人手があったほうがいいだろ。」
結城は再び鹿住に確認を取ったが、
「いえ、大丈夫です。今回は外装甲を取り替えるだけで済みますから、修理もすぐに終わると思います。」
鹿住は本当に手伝いを必要としていないようだった。
「そうか……。」
鹿住はこちらの話が終わると、離れていってしまった。
(……諒一。)
手伝いは要らないと言われたが、居場所だけでも知っておこう。
そう思い、結城は諒一と連絡をとることにした。
「ツルカ、先に行ってて。」
「なんで……あぁ。」
こちらの空気を察したのか、ツルカはにやにやと笑いながら先に行ってしまった。
ツルカの背中をすっぽりと覆い隠している銀色の髪を見ながら、結城は端末を操作する。そして操作を終えるとスピーカー部分を耳に当てた。
すぐに諒一と回線がつながり、結城はその場で立ち止まってマイク部分に向けて話す。
「諒一、今どこだ?」
「……今はハンガーにいる。」
諒一の抑揚のない声に混じって、雑音が聞こえてくる。それは大勢の人の話し声で、諒一が人ごみの中にいるとすぐに判断できた。
「いいから戻って来いよ。アカネスミレの修理をするみたいだぞ。」
「ごめん、ちょっと手が離せない。」
こちらの話をろくに聞かないまま、諒一はすぐに通話を終了させた。
「……。」
携帯端末に表示された通話終了の文字を見ていると、作業台の方からツルカの無邪気な声が聞こえてきた。
「ユウキー、これ美味しいぞ。一緒に食べないかー?」
ツルカの手にはフォークが握られており、その先に美味しそうなパウンドケーキが刺さっていた。ベルナルドが作ったのだろう、とても美味そうに見える。……しかし、
「ごめん、後で!!」
結城はツルカの誘いを断り、乱暴に携帯端末をポケットの中にねじ込むと、スタジアムに向けて走りだした。
3
「……誰もいないな。」
諒一に一方的に通話を終了させられてから10分後。結城はアール・ブランのハンガーに来ていた。ハンガー内に人の影はなく、照明も落ち、静寂に包まれていた。
以前とは違いハンガー内は綺麗に掃除されており、隅にはツギハギ状態のVFが飾られていた。
(……懐かしいな。)
このVFは初めて結城が乗ったVFだ。
寄せ集めのパーツで出来ており、何処からどう見ても不恰好である。これを操作して試合に出たランナーは何を思っていたのだろうか。
結城はそのVFに近づくと足の甲の上に腰かけた。そして手のひらを脚部装甲の上に乗せる。手やお尻に伝わる感触は固く、そして冷たい。
そのまま手を横に動かして撫でてみる。
表面が傷だらけなせいで、ザラザラとした感触が手のひらを刺激した。同時に思い切り研磨してやりたいという衝動に駆られる。
(お前もすべすべ肌になりたいよな……。)
結城はこんな状態で展示されているVFに同情していた。
当初の目的も忘れ、VFの足元でぼんやりと昔にふけっていると、入口付近から足音が聞こえてきた。
背後から聞こえるその足音は軽く間隔も小さかったため、結城はそれが子供だと判断した。
(迷子か……?)
どうしようかと考えていると急にその足音が止んだ。そして背後から声をかけられる。
「あの、高野結城選手ですよね……?」
一瞬女の子の声にも聞こえたが、アクセントや口調は少年特有のものだった。
“違います”とは言えず、結城は素直に返事をする。
「そうだけど、もしかしてウチのチームのファン?」
「……は、はい!!」
裏返りそうな声の返事を聞きつつ、結城は振り返って少年の姿を確認する。
年齢はツルカと同じくらいだろうか、身長は自分より少し小さいくらいだった。
少年は一見するとおとなしそうに見えた。落ち着いた色の服を着ており、姿勢も正しかった。手を胸の前でいじる仕草からかなり緊張していることも伺える。
少年はこちらに向けていた視線を上に向けた。
「あの、このVFは……?」
結城はツギハギのVFの装甲を手の甲で叩きながら教える。
「これは前使ってたVFだ。」
「こんなの見たことないです……。なんて名前のVFなんですか?」
「名前は……ないんだ。」
ツギハギだらけでメンテナンスもしてもらえず、名前も付けられないままお払い箱になった、なんと可哀想なVFなのだろう。
話をしている間も少年はハンガー内を見渡していた。どうやら目的はウチのチームの主力VF、アカネスミレらしい。
それを察し、結城は少年に謝る。
「ごめんね、お目当てのアカネスミレは今ラボで修理中なんだ。」
先ほどラボで鹿住が言った通り、予備のパーツはあるものの、肝心のフレームがひとつしか無いため試合後の短い時間しか展示することも出来ないのだ。
「大丈夫です。ぼくはアール・ブランの……いえ、結城さんのファンですから!!」
「そうなんだ。ありがとう。」
直接面と向かってファンだと宣言され、結城は嬉しさと恥ずかしさのせいで顔が紅潮する。そして、少年にその表情を悟られないように俯いた。
「あの、もしよければ……」
せっかくのファンなのにこんなジャージ姿を晒してしまって申し訳ないと結城が思っていると、少年は背負っていたリュックサックから色紙らしき物を取り出す。
「サイン、お願いしてもいいですか?」
「もちろん。」
快諾した結城はその色紙とペンを受け取った。その時、ペンに懐かしいマークを発見した。
(あれ、どっかで見た事あるような……。)
それは、日本の文具メーカーの物だった。
結城はこれをこの海上都市ではあまり見かけたことがない。
(もしかしてこの子……)
よく見れば、少年の髪の色や顔立ち、そして瞳の色はアジア系のものだった。
結城は少年の身元を確認すべく、日本語で話しかけてみることにした。
『日本人だよね? ……名前は?』
日本語は諒一と2人きりの時は使っていたのだが、ツルカと同居し始めてからは会話はすべて共通語になっていた。久し振りで発音は大丈夫だろうか、とふと思ったが、それはいらぬ心配だった。
こちらが日本語で話しかけた途端に少年は破顔し、興奮した様子で名乗る。
『槻矢です……漢字難しいのでカタカナでお願いします。』
『はいはい、“ツキヤ”……っと。』
結城はペンを色紙の上で滑らせ、自分のサインの後に『ツキヤへ』と付け足す。
それを少年に返すと、少年は大事そうに色紙をリュックサックの中に仕舞った。
「あの、もう一つお願いしたいことがあって……。」
必死に喋る少年を微笑ましく思っていると、スタッフ専用の扉が大きな音を立てて開いた。
「結城、やっぱりここにいたのか。」
ハンガー内に入って来たのは諒一だった。
諒一は大きな撮影用の鞄を両手に持っており、扉は足で無理矢理開けたようだ。諒一はハンガー内に入るとそれらのバッグを床に下ろした。
結城は開口一番、諒一に向けてきつい口調で言う。
「あ、諒一!! いきなり電話切るなよ!! ……で、今まで何してたんだ?」
「えーと……。」
諒一は質問に応えるべく、唸りながらこちらに歩いて来る。しかし、途中で少年が視界に入ったらしく、その少年に無表情な顔を向ける。
「……ん? 入り口に進入不可の立て看板があったはずだ。スタッフ以外の立ち入りは……」
警告ともとれるそのセリフと、能面のように変化のない諒一の表情は、少年を脅すのに十分な効果を発揮していた。
諒一に恐れをなした少年はつま先を出口に向けて逃げる体勢をとる。
「すみませんッ!! ……あの、えっと……サインありがとうございました!!」
少年はあたふたと走り、諒一から逃げるようにハンガーから出ていってしまった。
「逃げちゃったじゃないか。ファンなんだから大事にしないと。」
「ルールを守れないファンはファンじゃない。」
……スタジアムは警備上の問題から、一般の観客の入場時間が制限されている。普段はそこまで厳しく取り締まることはないのだが、発砲騒ぎがあってからはそのルールを厳守するようになっていた。
「相変わらず諒一は堅いなぁ。」
「結城がルーズ過ぎるだけだ。……ああいうことがあったんだから、知らない人とは極力接触を避けるように。」
「子供じゃないんだから……で、どうして手が離せなかったんだ?」
「カメラを回すのと、シャッターを切るのに忙しくて……。」
そう言って諒一はスタッフ専用出入口の近くに置いたバッグに目をやった。
よほど興味をそそるものがあったようだ。
それが何なのかを教えてもらおうとしたが、結城が質問する前に諒一が語り始める。
「今日は、クライトマンの新しい盾がハンガーに展示されていた。」
「あの盾か……。」
……今から2週間前、クライトマンはE4と試合をした。
その時にクライトマンは今までのものとは全く違う、新しい盾を用意した。そして電磁レールガンに対して真っ向から立ち向かったのだ。
新開発の盾はことごとく電磁レールガンの弾を弾き、クライトマンはほぼゴリ押しのような形でE4に勝利した。
どうやら、あの時のプレゼントは単なる実験用の盾だったらしく、こちらはそれを使ってまんまと実戦テストをさせられたという訳だ。2回も電磁レールガンの直撃を受けたのだから、データを収集するという点に置いては大成功だったに違いない。
素直にプレゼントを有難がっていた自分が恥ずかしい。
「上手く撮れたみたいだな。」
「ああ。後でコミュニティサイトにアップする。」
諒一のVF好きは今に始まったことではない。好きなことに夢中になるのは悪いことではないので、結城は諒一をあまり咎めないことにした。
そう言えば、自分がアール・ブランにVFランナーとして迎え入れられたのも諒一の趣味のお陰だということを思い出す。
そんなことを考えると、急に昔が懐かしく思えた。
「もう3ヶ月か……。」
自分が初めて試合に出てから3ヶ月。実感としてはそれよりも長く感じている。
試合の回数もたったの3回なのだが、まるで数シーズンも前からここにいるような錯覚を覚えていた。そして自分でも驚くことに、ゲームとは違うコックピットの空気やアリーナの雰囲気、また、試合中の激しい揺れなどにも既に慣れていた。
「……ハンガーもあの時の面影すら無いな。」
「あの時は大変だった。もうあれ以上の整理整頓をすることは無いだろう。」
まるで倉庫のように扱われていたハンガーは、諒一の涙ぐましい努力により、本来の姿を取り戻したのだ。
最終的には知り合いにも手伝わせ大規模な掃除となり、合計で2週間ほどかかった。
「あの2人が友達でよかったよな。特に大きいほう。」
「ああ。あいつか。」
「私はあんまり友達いないし、諒一は便利な友達がいていいなぁ。」
大きい物は機械を使って掃除できたのだが、小さくて重いものは人力でどうにかせねばならず、諒一の友達である筋骨隆々の学生はとても活躍していた。
「普段はこちらが便利にされてる側だから、ああいう時に頼んでもバチは当たらないだろう。」
「まぁ、私がこれだけ頼ってても文句言わないし、周りに頼られるのも無理は無いか。」
「……褒めてるのか?」
「うん。」
こちらのあっけらかんとした返事を聞くと、諒一はこちらに手を差し伸べる。
「そろそろラボに戻ろう。アカネスミレの修理はちゃんと見ておきたい。」
「やっぱり諒一は勉強熱心だなぁ。」
結城はその手を掴み、諒一に支えられながらVFの足の上から降りた。
その時、体重を預けた諒一の体がふらりと揺れる。
「おっと……。」
その倒れそうになった諒一の体を今度はこちらが支えた。
「疲れ、だいぶ溜まってるみたいだな。」
「変りない。いつも通りだ。」
倒れずに済んだ諒一は、その場で屈伸をして元気なことをアピールして見せる。
「……結城こそ、ランナー育成コースは大変だろう。」
「大変だけど……辛くはないな。」
一見無駄だと思われた体力づくりのおかげで、結城はなんとかランナーと学生を両立させるだけの体力を獲得していた。
「そうか。」
諒一はそれだけ言うと、詳しくこちらの状況を聞くことはなかった。
「……オイ!! イテーじゃねぇか!!」
2人がいい雰囲気で会話をしていると、いきなりハンガーの外から男の怒声が聞こえてきた。
その怒声を聞いて、嫌な予感が結城の脳裏をよぎる。
(……。)
結城は諒一から離れると、ハンガーの出口まで走る。
「……展示時間はとっくに過ぎてんだぞ!! ……さっさと帰りやがれこのクソガキ。」
「すみません、すみません……。」
男の怒声に混じり、今にも消え入りそうな謝罪の言葉が聞こえる。……それは、ついさっきサインをしてあげた子供の声だった。
ようやく出口に到着し、結城はハンガーの中から外に顔をのぞかせる。
観客用の広い通路の真ん中で、細身の男が少年の襟を掴んでいた。通路に人の姿はなく、それを止めるものは一人もいなかった。
「だから帰れって言ってんだろうがよォ!!」
「ひっ……」
ハンガーから出た結城は、少年を助けるべく、大声を出している男に駆け寄る。
「ちょっとオッサン何してんだ!!」
「あぁん?」
細身の男はこちらの声に反応した。
そしてこめかみに青筋を立て、迫力のある顔をこちらに向ける。
「……このガキによぉ、ルールってのを教えてやってるんだ。なぁ?」
「……。」
少年は黙ったまま何度も頷いた。
しかし、男はさらに口調を強め、少年の襟を体に引き寄せる。
「そうだろ? なぁ!?」
背伸びの状態になった少年は小さな声で繰り返す。
「は、はい……すみません……。」
「やめろよ、怖がってるじゃないか。」
結城は更に近づくと、少年の脇を手で持って男から引き剥がそうと試みる。少年はまるで人形のように扱われ、男はあっさりと襟元から手を離した。
結城は少年を前に抱えたまま男に注意する。
「まだ子供なんだしそんなにきつく言わなくてもいいじゃないか。」
「このスタジアムでVFランナーの俺に説教垂れるつもりか?」
「私もランナーだ。」
「お前がランナーだぁ?」
細身の男は疑いの目でこちらを見た。しかし顔に見覚えがあったのか、すぐにその目は刺すような視線に変化する。
「何だ、誰かと思えばアール・ブランのユウキじゃねぇか。」
相手はこちらを知っているのに、こちらは相手のことを知らない。諒一なら解るのだろうが、諒一はハンガーから出てこない。……なぜ追ってこないのだ。
「結城さん……」
「なんだ?」
少年は心配そうな表情をしていた。
それを見た結城は少年をこの場から離れさせることにする。
「もういいから、行って。」
少年はリュックを背負い直すと、申し訳なさそうにその場から去っていった。
この時、すでに男の矛先は結城に向けられていた。
「……テメエ、最近ちやほやされてイイ気になってんじゃないか?」
結城は改めて細身の男と向き合う。男の目は鋭く頭は丸刈りだった。また、顎からモミアゲにかけて薄いヒゲが生えており、髪と一体化しているように見えた。口も裂けているのかと錯覚するほど大きく、その顔はまるで蛇のようだった。
こちらがその姿に慄いていると、細身の男は先程の言葉に付け足すように言う。
「お前みたいなのが大きい顔してるだけでこっちはイラついてんだ。ゲームがちょっと上手いだけのガキが偉そうにVFランナー気取ってんじゃねえぞ。」
「……。」
男の言葉は止まらない。
「いいか? よく聞け。……俺はお前のことが大っ嫌いだ。猛烈に気に食わねぇ!!」
その台詞と同時に、男は顔面に寸止めのパンチを放つ。
速さに対応できず、結城は男の拳を目の前にして動くことが出来なかった。
「試合の時はトラウマになるほど傷めつけてやる。……もしそれが嫌なら、それまでにランナーを止めろ。わかったな?」
「……。」
「警備員さん!! こっちです、早く!!」
いきなり諒一の声がして、金縛りが解かれたように結城は男の拳を払いのけた。
男は余裕の笑みを見せて拳を引っ込める。
「おい、そんな下手な芝居しなくてもいいぞ。言いたいことは言い終わったからな。」
「え? 芝居……?」
こちらが真偽を確かめるような目を向けると、諒一はバツが悪そうに俯いた。
「試合、楽しみにしていろよ……ハハハハ!!」
あっさりと諒一の嘘を見破った男は、悠々とした態度で結城から離れていった。
難が去ってほっとした結城だったが、すぐに諒一に質問する。
「ランナーだって言ってたけど……あれ誰?」
「『アザム・アイマン』……ラスラファンのVFランナーだ。」
諒一は知っていたらしく、すぐに答えた。
(なんか嫌だなぁ……。)
久し振りにむき出しの敵意にさらされ、結城は肝を冷やしていた。
……『ラスラファン』との試合は随分先だ。それまでに『アザム』に負けないくらいの度胸を付けないといけないな、と結城はぼんやり考えていた。
ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。
次の話では企業学校が舞台となります。結城がランナー育成コースに編入させられてしばらく経ちましたが、まだ色々と問題があるようです。
今後とも宜しくお願いいたします。