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書き殴られた未完の物語標本  作者: かがみゆえ


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【後編】消せない留守番電話

⚠️この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

 .





 佐藤家の悲劇はあの日、美咲が固定電話の電話線を切り裂いた瞬間から加速する崩壊へと向かっていた。





 第十一章:断絶されたはずの絆


 リビングに飛び散った、あの黒い液体は何だったのか。

 美咲の父・正一は、今でも自分の指先に残るねっとりとした死の感触を拭いきれずにいた。

 固定電話を物置の奥深くに放り込んだ後、家の中には奇妙な静寂が訪れた。

 美咲の母は精神を病み、二階の寝室から出てこなくなった。

 そして何より愛娘の美咲が東京へ戻ってからというもの、連絡が途絶えがちになっていた。


「……気のせいだ。すべては終わったんだ」


 正一は自分に言い聞かせ、酒を煽った。

 だが、異変は“音”から始まった。


 夜、寝室で横になっていると、壁の向こうから微かな音が聞こえる。


 ――チチチ、チチチ。


 それは、古い黒電話のダイヤルが回る音だった。

 正一は起き上がり、懐中電灯を手に取って廊下へ出た。

 音の正体は、かつて固定電話が置かれていた場所から響いていた。

 壁のジャック。

 美咲が鋏で切り裂いた、あの場所だ。

 懐中電灯の光を当てると、正一は絶句した。

 壁の穴から、細い“髪の毛”が溢れ出していたのだ。

 それは、正一の亡き母・カネの白髪によく似ていた。

 髪の毛は生き物のように蠢き、切断されたはずの電話線の端と端を繋ぎ合わせようと必死に絡み合っている。


「やめろ……来ないでくれ!」


 正一は狂ったように髪の毛をむしり取った。

 だが、抜いても抜いても壁の奥からは無限に毛が溢れてくる。

 その毛先は次第に正一の手首に巻き付き、皮膚に食い込んでいった。

 その時、耳元で声がした。


『正一。美咲はもうすぐこっちへ来るよ。あんただけ、仲間外れは寂しいだろう?』


 それはカネの声だった。

 しかし、その声には人間の感情など微塵もなかった。

 ただ、家族という“形”を維持しようとする機械的な執念だけが宿っていた。

 正一は悟った。

 電話線を切ったことで、彼らの“通路”は遮断されたのではない。

 むしろ、彼らは物理的な手段を捨て佐藤家の家系そのものを“回線”として利用し始めたのだ。

 正一の血管が、ドクンと脈打つ。

 その脈動に合わせて、壁の奥から不気味な呼び出し音が響いた。





 第十二章:境界に立つ守護者


 一方、暗い霧が立ち込める“境界”の向こう側では、一人の女性が必死に叫んでいた。

 美咲の叔母であり、若くして病で亡くなった節子である。

 彼女は、死後の世界で【佐藤カネ】という存在が変質していく様を最も近くで目撃していた。


『お母さん、もうやめて! 美咲はまだ、こっちに来るべきじゃない!』


 節子はカネの背後に縋り付き、その異形化を止めようとしていた。

 死後の世界において、カネはもはや一人の老婆ではなかった。

 彼女は佐藤家の先祖たちの“寂しさ”を吸い込み、巨大な集団意識の核となっていた。

 数えきれないほどの死者の手がカネの着物の下から伸び、現世へと繋がる“糸”を編み上げている。

 その糸の先には、美咲がいた。


『節子……あんたも、寂しいでしょう? 美咲が来れば、また皆で御飯が食べられるわ』


 カネが振り向く。

 その顔には目がなかった。

 代わりに無数の小さな口がひしめき合い、それぞれが別々の家族の名を呼んでいた。

 節子は絶望した。

 ここでは“愛”こそが最も恐ろしい呪いになる。

 家族を思う気持ちが強ければ強いほど、生者をこちら側へ引きずり込む力が増していくのだ。


 節子はカネが美咲に電話をかける瞬間を狙い、その“声”に自分の警告を混ぜ込もうとした。


(逃げて、美咲! おばあちゃんの言うことを聞いちゃダメ! 電話を捨てて!)


 しかし、節子の声はカネが作り出す強大なノイズにかき消されてしまう。

 境界の向こうから見る現世は、あまりにも脆く儚い。

 節子が見たのは、鏡の前で泣き崩れる美咲の姿だった。

 そして、その背後にぴったりと張り付き、彼女の生命力を吸い取っていくカネの姿。

 カネの手が美咲の首に回り、鏡の向こう側へと引きずり込もうとしたその時、節子は自らの“魂”を削り、現世へと干渉しようと試みた。


 新幹線の窓ガラスに映った、あの茶色の着物の裾。

 それはカネではなく、最期の力を振り絞って美咲を呼び戻そうとした節子の姿だった。


『美咲、後ろを見てはダメ! 前を向いて、生きなさい!』


 だが、その願いも虚しく、美咲の瞳からは次第に生気が失われていった。

 家族の絆という鎖は、死者の側からは断ち切ることができない。

 節子の体もまた、カネの一部として取り込まれ始め、彼女の意識は深い闇の中へと沈んでいった。





 終焉:再会と沈黙


 三月六日の深夜。

 実家のリビングで、正一は動けなくなっていた。

 壁から溢れ出た髪の毛は今や部屋中を覆い尽くし、正一の全身を繭のように包み込んでいた。

 呼吸が苦しい。

 だが、不思議と恐怖は消えていた。

 耳元で、美咲の声が聞こえる。


『お父さん、もうすぐだよ。おばあちゃんも、節子叔母さんも、皆待ってる』


 正一の視界が暗転する直前、目の前の空間が裂け鏡のような光沢を持った闇が現れた。

 そこから、一人の女性が歩み寄ってくる。

 それはすっかり痩せ細り、しかし幸福そうな微笑みを浮かべた美咲だった。

 彼女の横にはカネと、そして泣き腫らした顔の節子が立っていた。


『さあ、お父さん。受話器を取って』


 美咲が、半透明の手を差し出す。

 正一はその手を取り、自分の中の“生の灯火”が消えるのを安堵と共に受け入れた。

 佐藤家のリビングに残されたのは、主を失った古い家屋と誰もいない部屋で鳴り続ける一台のスマートフォンの着信音だけだった。


 翌朝、近隣住民が不審に思い警察が踏み込んだ時、家の中には誰の姿もなかったという。

 ただ、リビングの壁には鋏で切り裂かれたはずの電話線が不自然なほど綺麗に修復され、繋がっていた。

 その電話線は壁の奥へと深く、深く、まるで根を張るように伸びていた。

 二度と消されることのない、家族という名の記憶を運ぶために……。





 佐藤家の物語は、ここで幕を閉じる。

 だが、あなたの家の固定電話がもし深夜に一度だけ鳴ったとしたら?

 それは、失われた家族が新しい“回線”を探している合図なのかもしれない。


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